三宅 昇(みやけ のぼる、1946年5月5日 - 1996年… 三宅 昇(みやけ のぼる、1946年5月5日 - 1996年)は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
中央大学:78人
三宅 昇(みやけ のぼる、1946年5月5日 - 1996年… 三宅 昇(みやけ のぼる、1946年5月5日 - 1996年)は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
宮本 幸信(みやもと ゆきのぶ、1945年6月3日 - )は… 宮本 幸信(みやもと ゆきのぶ、1945年6月3日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。
日野 茂(ひの しげる、1945年1月11日 - )は、長野… 日野 茂(ひの しげる、1945年1月11日 - )は、長野県松本市出身(中国・旅順生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 教師であった両親の下で旅順に生まれ、父は生死不明のまま母と日本に引き上げる。 千葉に移り住むと、県立船橋高校卒業後の1963年に中央大学へ進学し、東都大学リーグでは2度の優勝を経験。2年次の1964年からレギュラーとなり、同年の春季リーグではベストナイン(遊撃手)に選出される。2年先輩の武上四郎と二遊間、1年上の川島勝司と三遊間を組むこともあり、同期の高橋善正・高畠導宏と共に中大の黄金期を支えた。リーグ通算86試合出場、308打数81安打、打率.263、5本塁打、33打点。
橋本 勝隆(はしもと かつたか、1944年5月5日 - )は… 橋本 勝隆(はしもと かつたか、1944年5月5日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(投手)。
高橋 善正(たかはし よしまさ、1944年5月5日 - )は… 高橋 善正(たかはし よしまさ、1944年5月5日 - )は、高知県高岡郡窪川町(現:四万十町)出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ、プロ野球解説者・評論家。
高畠 導宏(たかばたけ みちひろ、1944年1月18日 - … 高畠 導宏(たかばたけ みちひろ、1944年1月18日 - 2004年7月1日)は、岡山県岡山市出身(倉敷市生まれ)の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。
末次 利光(すえつぐ としみつ、1942年3月2日 - )は… 末次 利光(すえつぐ としみつ、1942年3月2日 - )は、熊本県人吉市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。旧名は民夫(たみお、1974年に改名)。
武上 四郎(たけがみ しろう、1941年4月8日 - 200… 武上 四郎(たけがみ しろう、1941年4月8日 - 2002年8月23日)は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 中学時代から子分を40人も持つガキ大将で、進学校の宮崎大宮高校では100m走を10秒9で走る俊足であった。1年次の1957年に夏の甲子園に出場しているが、自身の出場はなかった。 高校卒業後は1961年に中央大学へ進学し、東都大学野球リーグでは3年次の1963年秋季リーグ、4年次の1964年秋季リーグと2度の優勝を経験。3年時のエースは三浦宏(北海道拓殖銀行)であった。1964年10月には東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された日米大学野球選抜試合に二塁手として出場している。
田中 裕康(たなか ひろやす、1939年4月4日 - 201… 田中 裕康(たなか ひろやす、1939年4月4日 - 2017年8月3日)は、福島県出身のプロ野球選手。 磐城高校から中央大学を経て1962年に中日ドラゴンズへ入団。1965年に引退。
本田 威志(ほんだ たけし、1937年8月20日 - 201… 本田 威志(ほんだ たけし、1937年8月20日 - 2010年7月27日)は、日本の元プロ野球選手(内野手)。愛知県岡崎市出身。
若生 照元(わこう てるもと、1937年7月10日 - )は… 若生 照元(わこう てるもと、1937年7月10日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 東北高校時代は若生忠男・若生智男と共に「東北の三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。高校卒業後は1956年に中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは低目を突く速球と威力あるシュートを武器に活躍する。3年次の1958年春季リーグでは東京農業大学戦でノーヒットノーランを達成し、5年ぶりの優勝に貢献。同年の大学野球日本選手権では、決勝で立教大学に惜敗して準優勝。1年上には後に大洋でチームメイトとなる桑田武・森田斌、同期には小栗秀夫、西山弘二(広島)・本田威志がいた。 大学卒業後の1960年、本田と共に大洋ホエールズへ入団。
西山 弘二(にしやま こうじ、1937年6月27日 - 20… 西山 弘二(にしやま こうじ、1937年6月27日 - 2025年9月11日 )は、広島カープに所属した高知県出身の元プロ野球選手(捕手)(右投右打)。 1963年のみ登録名を「西山 幸次」に変更した(読みは本名と同じ)。 土佐高等学校から中央大学を経て、1960年に大型捕手と期待され広島カープに入団。期待されたが、思うような成績を残せず4年で退団した。
桑田 武(くわた たけし、 1937年1月5日 - 1991… 桑田 武(くわた たけし、 1937年1月5日 - 1991年1月21日)は、神奈川県横浜市鶴見区出身のプロ野球選手である。現役時代のポジションは、主に内野手(三塁手、遊撃手)。右投げ右打ち。
森田 斌(もりた さかん、1935年4月27日 - 2011… 森田 斌(もりた さかん、1935年4月27日 - 2011年6月17日)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 川越工業高から東芝へ入社するが退社し、中央大学に進学。中大には1年下に小栗秀夫、若生照元(大洋)両投手がおり、外野手としての出場が多かった。東都大学リーグでは、同期の桑田武らと共に1958年春季で5年ぶりの優勝に貢献。同年の大学全日本選手権では、決勝で立大に惜敗し準優勝。大学卒業後は川崎トキコを経て、1962年に大洋ホエールズへ入団。2年目の1963年に21試合登板で2勝を挙げるが、その後は登板機会に恵まれず1964年限りで現役を引退。 引退後は大洋の二軍投手コーチ(1965年, 1967年 - 1968年)・二軍投手コーチ補佐(1966年)を務め、在任中は東大出身プロ野球選手第1号で1年目の新治伸治を指導。
桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月… 桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月5日 - 没年不明)は、北海道増毛町出身のアマチュアレスリング選手およびプロ野球選手。メルボルンオリンピック5位入賞。 北海道留萌支庁増毛郡増毛町に生まれる。 北海道増毛高等学校ではレスリングで活躍しながら、野球部でもエースを務める二足の草鞋を履いた。中央大学へ進学するとレスリング専念し、選手として力を付けた。増毛高-中央大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大レスリング部黄金時代の屋台骨となり、メルボルンオリンピック金メダリストの池田三男やメルボルン・ローマ両オリンピック4位入賞の浅井正、そして佐藤義らとともに高校時代に全国優勝を経験した。
伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )… 伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )は、静岡県浜名郡北浜村貴布祢(現:浜松市浜名区)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。 中学時代に野球を始めるが、肩が強く左投げだったため投手となる。興誠商業高校では2年生からエースとなり、3年次の1951年の夏の甲子園の静岡県予選の前には新聞に「ダークホース」と書かれたが、1回戦で静岡市立高校に0-1で敗れた。 1952年に中央大学へ進学すると、1年の春季から東都大学リーグで登板。2年次の1953年春季のリーグでは5勝を挙げて中央大学の全勝優勝に貢献する。同年の大学選手権でも勝ち上がるが、決勝で立大に敗れ準優勝となった。しかし、同年の夏場に背中の筋肉を痛める。
鈴木 隆(すずき たかし、1933年9月22日 - 2024… 鈴木 隆(すずき たかし、1933年9月22日 - 2024年5月31日)は、福島県田村郡三春町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 田村高卒業後は中央大学に進学し、伊藤芳明・穴吹義雄と同期になり、投手と外野手の2役をこなす。東都大学リーグでは1953年春季に優勝を飾り、同年の大学全日本選手権は決勝で立大に敗れて準優勝に終わる。 大学卒業後は川崎トキコに入社し、チームメイトに久保吾一(国鉄)がいた。社会人時代から評判の左腕で、1956年から日本コロムビアの補強選手として都市対抗に2年連続出場。 1957年秋にデトロイトで行われた第3回アマチュア世界野球大会に日本代表として参加し、4試合連続リリーフで優勝に導くと共に大会MVPを獲得すると、メジャー球団のスカウトからも注目を浴びる。
穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日 - )は、… 穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日 - )は、香川県香川郡香川町(現・高松市香川町)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・監督。現在は少年硬式野球チーム「大阪南海ボーイズ」の会長をつとめる。
高橋 輝(たかはし あきら、1931年9月19日 - 199… 高橋 輝(たかはし あきら、1931年9月19日 - 1992年5月27日)は、埼玉県出身のプロ野球選手。左投左打で、ポジションは投手。 大宮実科工業学校から中央大学へ進学し、同大学野球部に所属。1949年春の東都大学リーグ戦で、1990年春に亜大小池秀郎に更新(111個)されるまで長らくシーズン最多奪三振記録だった107個を樹立するが2年で中退し、1950年に国鉄スワローズへ入団。3月11日の広島カープ戦で球団は初勝利を挙げるが、この時の勝利投手が高橋だった。1年目は52試合に登板し、10勝15敗で球団最初の二桁投手になった。2年目も10勝し2年連続二桁勝利を記録した。1954年は7勝するが、以降の年からは勝利を挙げる事ができず1956年に引退となった。
新藤 貞文(しんどう さだふみ、1925年1月24日 - 没… 新藤 貞文(しんどう さだふみ、1925年1月24日 - 没年不明)は、埼玉県出身のプロ野球選手。 旧制浦和中学から中央大学を経て1950年に阪急ブレーブスへ入団。1951年に退団し、その後は鐘淵化学でプレーした。
荻島 秀夫(おぎしま ひでお、1924年9月9日 - 201… 荻島 秀夫(おぎしま ひでお、1924年9月9日 - 2012年9月22日)は、埼玉県出身のプロ野球選手。 浦和商業学校、中央大学、日本コロムビアを経て1949年に大陽ロビンスへ入団。 1950年はこの年に創設された国鉄スワローズへ移籍。同年退団。
稲垣 定雄(いながき さだお、1923年4月18日 - )は… 稲垣 定雄(いながき さだお、1923年4月18日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手。
小嶋 仁八郎(こじま にはちろう、1921年7月7日 - 1… 小嶋 仁八郎(こじま にはちろう、1921年7月7日 - 1999年11月16日)は、大分県津久見町(現・津久見市)出身のプロ野球選手、高校野球指導者。2020年現在、九州(沖縄除く)で唯一、春夏の甲子園大会で優勝を経験している高校野球監督。 1921年7月7日、津久見町に生まれた。少年時代から野球センスが高く、1933年に開催された北海部郡少年野球大会ではエースとして、津久見小学校を優勝に導いた。津久見小学校卒業後、臼杵中学校(現・大分県立臼杵高等学校)に入学してここでもエースとしてチームを引っ張ったが、甲子園の壁は厚く、遂に在学中に出場を果たす事は出来なかった(大分県予選に出場していたが、1936年夏は大分商業(現・大分県立大分商業高等学校)に1-19、1937年夏は大分工業(現・大分県立大分工業高等学校)に4-8といずれも1回戦で大敗している)。
深見 安博(ふかみ やすひろ、1919年11月26日 - 1… 深見 安博(ふかみ やすひろ、1919年11月26日 - 1972年4月9日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
大宮 清(おおみや きよし、1916年 - 1944年)は、… 大宮 清(おおみや きよし、1916年 - 1944年)は、愛知県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、捕手。
加藤 正二(かとう しょうじ、1914年3月3日 - 195… 加藤 正二(かとう しょうじ、1914年3月3日 - 1958年8月17日)は、香川県出身のプロ野球選手(投手、内野手、外野手)、大学野球指導者。実弟の稲垣定雄も元プロ野球選手。 旧制高松商業学校時代に甲子園大会に2度出場。中央大学では首位打者を4度獲得。1937年秋に記録した打率.577(26打数15安打)は現在でも東都大学野球連盟記録になっている。 1939年に名古屋軍に入団。1940年に入営するが、復帰した1943年に4本塁打で本塁打王を獲得。1948年に球団代表の赤嶺昌志が辞任に追い込まれると、後を追って、小鶴誠らと共に退団し、永田雅一が結成した大映球団に所属し大映球団が東急フライヤーズに合流する形で急映フライヤーズに移籍した。
松田昇(まつだ のぼる、1905年5月18日 - 1982年… 松田昇(まつだ のぼる、1905年5月18日 - 1982年11月20日)は、日本の高校野球指導者。高知県高等学校野球連盟初代理事長。高知商業高校、明徳高校野球部元監督。
川口 忠(かわぐち ただし)は、静岡県出身の元社会人野球選手… 川口 忠(かわぐち ただし)は、静岡県出身の元社会人野球選手。ポジションは内野手、外野手。 沼津東高校を卒業した後に、中央大学に入学する。東都大学リーグでは右翼手として活躍し、3年次の1963年秋季、4年次の1964年秋季と2度の優勝に貢献した。また、ベストナインに3回選出された。大学の1年上に柴垣旭延内野手、同期に武上四郎内野手、末次民夫外野手、2年下には高橋善正投手らがいる。 大学卒業後に、サッポロビールに入社した。1965年の第36回都市対抗野球大会から一塁手として出場し、1967年には社会人ベストナインに選出された。同年のドラフト会議で近鉄バファローズから6位で指名されるが入団を拒否し、会社に残留した。