上田 克郎(うえだ かつろう、1914年11月6日 - 20… 上田 克郎(うえだ かつろう、1914年11月6日 - 2004年9月20日)は、日本の官僚、経営者。昭和石油(後の昭和シェル石油)社長を務めた。熊本県出身。 1939年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。 1956年に参事官、1959年に国税庁名古屋国税局長、1960年に関税部長、1962年に防衛庁経理局長を歴任。1964年5月に昭和石油副社長に就任し、同年11月から1968年2月までに社長を務め、在任時には、新潟地震の影響により、経営不振に陥っていた同社の再建に尽力し、経営基盤も確立させた。 2004年9月20日肝不全のために死去。89歳没。
大来 佐武郎(おおきた さぶろう、1914年〈大正3年〉11… 大来 佐武郎(おおきた さぶろう、1914年〈大正3年〉11月3日 - 1993年〈平成5年〉2月9日)は、日本の逓信・経済企画官僚、外交官、政治家、経済学者。位階は正三位。 第二次世界大戦後の日本を代表する国際派のエコノミストであり、外務大臣(第108代)や総合研究開発機構研究評議会議長を務めた。 東京帝国大学工学部電気工学科卒業後、逓信省に入省した。工務局、興亜院出向を経て大東亜省に移籍した。第二次世界大戦終戦後に外務省調査局に勤務した。その後、芦田内閣の下に設置された経済安定本部で、池田勇人首相の肝煎りである所得倍増計画の策定に中心的に関わった。 大来は終戦直後から日本国内のみならず国外にも豊富な人脈を築き、また分け隔てなく留学を希望する者の紹介状を書いていた。
大島寛一(おおしま ひろかず、1914年10月31日 - 1… 大島寛一(おおしま ひろかず、1914年10月31日 - 1994年9月23日)は、日本の大蔵官僚。近畿財務局長、内閣官房内閣審議室長、関東財務局長、財務参事官、日本銀行理事、日本監査役協会会長。大島堅造の長男。 兵庫県出身。旧制一高を経て東京帝国大学法学部法律学科在学中に高等試験行政科を合格。東京帝大法学部法律学科を卒業し、1937年4月 大蔵省入省。理財局属。1940年9月 大蔵大臣秘書官(事務担当)。1952年8月 理財局総務課長。1953年6月から1956年6月までは外務省在ニューヨーク総領事館・ 在米国大使館で勤務。1956年6月 大臣官房財務調査官(為替局担当)。1957年6月 近畿財務局長。
川松 鍵三(かわまつ けんぞう、1914年〈大正3年〉10月… 川松 鍵三(かわまつ けんぞう、1914年〈大正3年〉10月 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、拓務官僚。 愛知県出身。第八高等学校を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科試験に合格。1940年(昭和15年)3月東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年台湾総督府殖産局兼拓務省殖産局勤務となる。ついで、総督府官房審議室に転じ、1941年(昭和16年)6月、地方理事官に進み、高雄州恒春郡守に就任し、1942年(昭和17年)8月、台南州教育課長に転じた。 戦後は、愛知県文書課長、愛知労働基準局労災補償課長、徳島県経済部長、同県商工水産部長、東京事務所長、兵庫労働基準局次長、奈良労働基準局長、大阪労働基準局次長、公共企業体等労働委員会事務局名古屋支局長を歴任した。
友納 武人(とものう たけと、1914年(大正3年)9月12… 友納 武人(とものう たけと、1914年(大正3年)9月12日 - 1999年(平成11年)11月15日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。元千葉県知事、衆議院議員。広島県広島市出身。 小学校教諭の友納友次郎の四男として生まれる。 府立六中・府立高等学校 (旧制)を卒業。 東京帝国大学法学部政治学科在学中に高等文官試験に合格し、卒業後の1937年4月に内務省に入省。 埼玉県総務部で勤務の後、兵役で大日本帝国陸軍習志野騎兵第15連隊に見習士官として入営し、ノモンハン事件にも参加している。 陸軍中尉で軍役解除後、滋賀県学務課長、岐阜県庶務課長を経て厚生省保険局健康保険課勤務となり、1947年2月に同課課長。
佐方 信博(さかた のぶひろ、1914年9月5日 - 200… 佐方 信博(さかた のぶひろ、1914年9月5日 - 2008年9月24日)は、熊本県出身の郵政官僚。元富士重工業副社長。 熊本逓信局業務部長、郵務局服務課長、経理局主計課長、大臣官房文書課長兼大臣官房調査課長、名古屋郵政局長などを歴任。
栃内 一彦(とちない かずひこ、1914年(大正3年)8月2… 栃内 一彦(とちない かずひこ、1914年(大正3年)8月28日 - 2009年(平成21年)11月8日)は、昭和期の官僚、実業家。第10代海上保安庁長官。 東京府(現東京都)出身。第一高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学経済学部を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科に合格。大学卒業後、逓信省に入省し管船局に配属された。 1940年、短期現役海軍主計科士官(4期)を志願。同年5月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。同年9月に経理学校を卒業。摩耶に配属。佐世保海軍航空隊、佐世保鎮守府第一特別陸戦隊をへて、1942年(昭和17年)3月、主計大尉に昇進し、同年10月、セレベス島(現・スラウェシ島)のケンダリで第753海軍航空隊の主計長として勤務。
辻 章男(つじ たかお、1914年 <大正3年> 8月25日… 辻 章男(つじ たかお、1914年 <大正3年> 8月25日 - 1990年 <平成2年> 11月17日)は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官を務めた。位階は従三位。 兵庫県出身。1937年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に逓信省に入省。運輸省で航空局長、官房長、海運局長などを歴任し、1963年6月から1964年2月までに海上保安庁長官を務めた。1977年7月に関西国際空港ビル会長に就任。 1984年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 1990年11月17日肺炎のために死去。76歳没。死没日付をもって正六位から従三位に進階した。
新井 真一(あらい しんいち、1914年8月23日 - 20… 新井 真一(あらい しんいち、1914年8月23日 - 2012年1月9日)は日本の官僚、実業家。 大阪府堺市生まれ。日本万国博覧会協会の初代常任理事事務総長だったことで知られる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2… 後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2005年9月19日)は、日本の内務・警察・防衛・自治官僚、政治家。
中原 歵(なかはら ただし、1914年(大正3年)7月30日… 中原 歵(なかはら ただし、1914年(大正3年)7月30日 - 1992年(平成4年)11月25日)は、日本の内務・警察官僚。警視総監。位階は正四位。 東京都出身。第一高等学校を卒業。1937年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1938年、東京帝国大学法学部を卒業。同年、内務省に入省し計画局属となる。1939年に徴兵され入営。1942年召集解除となる。 内務省に復帰し福岡県警察部職業課長に就任。以後、企画院勤務、内務省防空総本部業務局勤務、神奈川県警察部経済保安課長、同警備第一課長などを歴任し終戦を迎えた。 1946年、内務省警保局防犯課勤務となり、以後、山梨県警察部長、国家地方警察山梨県本部警察長、国家地方警察千葉県本部警察長、国家地方警察本部刑事部鑑識課長、同総務部会計課長、警察庁長官官房会計課長、茨城県警察本部長、警察庁警ら交通部長、警視庁交通部長、警察庁警務局人事課長、警視庁総務部長、同警務部長、警察庁警務局長などを歴任。
水口 宏三(みなくち こうぞう、1914年(大正3年)7月2… 水口 宏三(みなくち こうぞう、1914年(大正3年)7月21日 - 1973年(昭和48年)3月1日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)。 東京府東京市本郷区本郷(現在の東京都文京区本郷)生まれ。東京府立高等学校を経て、1938年(昭和13年)、東京帝国大学農学部卒業後、農林省入省。1942年-1943年(昭和17-18年)企画院出向。戦後は供米制度に反対、1946年(昭和21年)、全農林職員労働組合を結成して初代委員長に選出、官公庁民主化運動の前面に立ち人事への発言権を得ることに尽力、全官公庁共同闘争委員会議長にもなった。その後、全官公職員労働組合の初代委員長に就任。1947年(昭和22年)の二・一ゼネストでは、中心指導者となる。
奥村 虎雄(おくむら とらお、1914年6月23日 - 没年… 奥村 虎雄(おくむら とらお、1914年6月23日 - 没年不明)は、愛媛県出身の通産官僚、業界団体役員。 浦和高等学校 (旧制)を経て、1938年東京帝国大学法学部卒業。同年商工省入省。同期に倉八正(特許庁長官、石油公団4代目総裁)、橋口隆(衆議院議員、総務副長官(政務担当))日高準之介(日銀政策委員経企庁代表)、奥宮正典(石油鉱業連盟副会長)、五神辰雄(中大法卒、神奈川県副知事)、磯野太郎(繊維局長)など。 1962年1月総理府土地調整委員会事務局長で退官。のち日本鉄鋼連盟へ。専務理事を経て、1980年副会長。在任中、業界団体のなかでは先駆けて、鉄鋼各社をリードする人材育成をする必要性から、各社従業員の技術革新への対応のために産業技術短期大学への派遣、自由化・国際化への対応のために欧米諸国への研修生派遣などの措置をとり、高度経済成長期に鉄鋼連盟はその他業界団体の模範として知られてゆくこととなった。
山内 一夫(やまのうち かずお、1914年4月24日 - 1… 山内 一夫(やまのうち かずお、1914年4月24日 - 1993年10月1日)は、日本の法制官僚・法学者。専門は行政法。学習院大学名誉教授。 東京市(現新宿区)出身。1938年東京帝国大学法学部政治学科卒。内閣法制局総務長官室主幹。内閣法制局第三部長、1959年内閣法制局第一部長、1964年学習院大学法学部教授、法学部長、85年定年、名誉教授。
島村 武久(しまむら たけひさ、1914年4月12日 - 1… 島村 武久(しまむら たけひさ、1914年4月12日 - 1996年10月5日)は、日本の官僚。妻は石川岩吉の三女。 高知県出身。1938年(昭和13年)、東京帝国大学法学部卒業。日産自動車販売、日本自動車配給会社に勤務後、1944年(昭和19年)に軍需省軍需管理官となる。戦後、商工省、通商産業省、総理府原子力総務局長、科学技術庁官房長などを経て、1965年(昭和40年)4月に通産省官房審議官で退官。 1965年11月より古河電気工業取締役、1973年から1977年まで副社長、1976年から1979年まで原子燃料工業代表取締役社長となる。1978年から1985年まで原子力委員会委員。1978年から1979年まで日本原子力産業会議常任理事。
片山 正英(かたやま まさひで、1914年(大正3年)2月1… 片山 正英(かたやま まさひで、1914年(大正3年)2月17日 - 2005年(平成17年)3月22日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員、林野庁長官。 宮城県仙台市出身。1939年(昭和14年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。 農林省に入省し、同山林局、林野庁、経済審議庁などで勤務。群馬県林務部長、林野庁業務部長などを歴任し、林野庁長官に1967年(昭和42年)9月から1970年(昭和45年)1月まで在任して退官した。 1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して初当選。なお、この選挙を通じて関係者19人が買収、文書違反の疑いで逮捕されている。
金丸 三郎(かねまる さぶろう、1914年(大正3年)2月8… 金丸 三郎(かねまる さぶろう、1914年(大正3年)2月8日 - 2007年(平成19年)8月15日)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官、鹿児島県知事、自由民主党参議院議員、総務庁長官、参議院協会会長、財団法人井上育英会顧問を務めた。 位階は従三位。勲等は勲一等瑞宝章。学位は法学士(東京大学)。称号は特定非営利活動法人日本居合道連盟名誉範士。 鹿児島県出水郡上出水村(後の出水町)生まれ、現在の出水市出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校(のち鹿児島県立鶴丸高等学校)、第七高等学校造士館(のち鹿児島大学)を経て、東京帝国大学(のち東京大学)法学部卒業後の1938年(昭和13年)、内務省入省(地方局配属)。
堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 20… 堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 2005年5月11日)は、日本の詩人、官僚、実業家。 埼玉県熊谷市生まれ。国鉄御徒町駅に勤めながら苦学して専門学校入学資格検定試験(専検)に合格し1934年 第一高等学校に入る。1940年、高等試験に合格。1941年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。大蔵省入省。管財局属。1959年、東京国税局総務部長。1960年、熊本国税局長。1961年、国税庁徴収部長。1962年調査査察部長、1964年、直税部長。1965年、原子燃料公団理事。1967年、動力炉核燃料事業団理事。1969年、忠勇社長。1975年、相談役。1976年、大阪証券金融社長。社業の傍ら、詩を書き、1978年「弾道」で日本詩人クラブ賞受賞。
伊東 正義(いとう まさよし、1913年〈大正2年〉12月1… 伊東 正義(いとう まさよし、1913年〈大正2年〉12月15日 - 1994年〈平成6年〉5月20日)は、日本の政治家、農林官僚。 衆議院議員(9期)、外務大臣(第109代)、内閣総理大臣臨時代理、副総理、内閣官房長官(第43代)、自由民主党政務調査会長(第32代)、自由民主党総務会長(第30代)を歴任した。 1913年、福島県若松市(現・会津若松市)に生まれる。祖父の伊東健輔は会津藩士、父の伊東秀三郎は旧制会津中学校(現・福島県立会津高等学校)の一回生で同校教諭となった。 旧制会津中学校、旧制浦和高等学校(現・埼玉大学)を経て、東京帝国大学法学部を卒業。農林省に入省する。農務局嘱託。その後、間もなく興亜院に出向する。
小室 恒夫(こむろ つねお、1913年10月17日 - 20… 小室 恒夫(こむろ つねお、1913年10月17日 - 2001年11月1日)は、日本の官僚、経営者。茨城県出身。 1936年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に商工省に入省。貿易庁、通商産業省での勤務を経て、1958年に公益事業局長に就任し、1960年には通商局長に就任し、1961年までに務めた。 1961年に八幡化学工業(のちの新日鉄化学)副社長に就任し、1965年には社長に昇格。1979年に会長を経て、1984年から相談役を務めた。 1981年に藍綬褒章を受章し、1986年に勲二等瑞宝章を受章した。 2001年11月1日肺炎のために死去。88歳没。
今井 善衛(いまい ぜんえい、1913年(大正2年)10月5… 今井 善衛(いまい ぜんえい、1913年(大正2年)10月5日 - 1996年(平成8年)4月19日)は、日本の官僚。元通商産業事務次官。 1931年、東京府立第一中学校卒業、第一高等学校を経て、1937年、東京帝国大学法学部政治学科卒業、商工省入省。入省同期に、佐橋滋(通産事務次官)、松村敬一(経企事務次官、通商局長、繊維局長)、樋詰誠明(大丸副社長、中小企業庁長官)、川瀨健治(東京通産局長)など。佐橋、今井、樋詰で「昭和12年入省組の3羽烏」と呼ばれていた。 外務省出向(在米国大使館)、通商局通商政策課長、大臣官房総務課長、中小企業庁振興部長などを経て、1958年8月5日、繊維局長に就任。1959年2月、日米綿製品交渉のため、今井・牛場信彦外務省経済局長・ヘンリー・カーンズ米商務次官補らの三者間で意見交渉を持つ。
橋口 隆(はしぐち たかし、1913年〈大正2年〉10月1日… 橋口 隆(はしぐち たかし、1913年〈大正2年〉10月1日 - 2005年〈平成17年〉2月21日)は、日本の政治家、元商工・通産官僚、元自由民主党衆議院議員(6期)。 鹿児島県肝属郡根占町(現・南大隅町)出身。橋口順孝の長男。第七高等学校造士館を経て、1938年、東京帝国大学法学部を卒業。1937年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1938年、商工省に入省し貿易局属となる。 以後、商工省・情報局・軍需省・綜合計画局・戦災復興院・物価庁などの事務官、商工省木製品課長、通商産業省アルコール事業長、広島通商産業局長、福岡通商産業局長などを歴任。 1967年1月の第31回衆議院議員総選挙で鹿児島3区から自民党公認で立候補して初当選。
黒木 利克(くろき としかつ、1913年(大正2年)9月28… 黒木 利克(くろき としかつ、1913年(大正2年)9月28日 - 1978年(昭和53年)9月24日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。参議院議員、法学博士(明治大学・論文博士・1962年)(学位論文「日本社会事業現代化論」)。 宮崎県、現在の西都市で生まれた。妻中学校(現宮崎県立妻高等学校)、第五高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科に合格。1940年、厚生省に入り衛生局属に任官。秋田県産業課長。1948年厚生省社会局厚生課長、翌年まで米国に学ぶ。1949年社会局生活課長、庶務課長、保護課長、1956年厚生大臣官房企画室長。
鬼丸 勝之(おにまる かつゆき、1913年9月14日 - 1… 鬼丸 勝之(おにまる かつゆき、1913年9月14日 - 1977年2月14日)は、日本の官吏、政治家。自民党所属参議院議員(2期)。位階勲等は従三位勲二等。 福岡県みやま市(旧山門郡瀬高町)生まれ。三人兄弟の長男。父親が関東州民政署勤務で幼少期を旅順、金州、大連で過ごす。1934年、旧制福岡高等学校文科卒。1936年に高文試験合格。 1937年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、内務省に入省。社会局属。1938年より京都府、北海道、福島県にて経済、民生、教育、労働の各部課長、内閣総合計画局、戦災復興院参事官等を歴任。1950年から建設省住宅局企画、大臣官房人事、文書の各課長、首席監察官、住宅局長を経て、1958年 建設省大臣官房長に就任。
奥野 誠亮(おくの せいすけ/せいりょう、1913年〈大正2… 奥野 誠亮(おくの せいすけ/せいりょう、1913年〈大正2年〉7月12日 - 2016年〈平成28年〉11月16日)は、日本の内務官僚、政治家。 衆議院議員(13期)、第16代国土庁長官、第39代法務大臣、第95代文部大臣などを務めた。栄典は正三位勲一等。 奈良県南葛城郡御所町(現・御所市)出身。 父は浪速製氷冷蔵社長、御所郵便局長、奈良県議会議員、御所町長を務めた奥野貞治。 奈良県立畝傍中学校、第一高等学校を経て、1938年(昭和13年)3月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 同年4月、内務省入省。静岡県内務部配属。その後、山梨県内務部人事課長。 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)に鹿児島県警察部特高課長として新興俳句弾圧事件の一つであるきりしま事件を指揮する。
坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月1… 坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月19日 - 1983年〈昭和58年〉6月2日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員(4期)。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡郷谷村(現・館林市)に生まれる。旧制館林中学校(現・群馬県立館林高等学校)、旧制第一高等学校文科を経て、1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。 大学在学中の1936年(昭和11年)に高等文官試験に合格し、大学卒業後に農林省に入省。1956年(昭和31年)水産庁漁政部長生産部長となり、日ソの外交交渉に尽力。1959年(昭和33年)農林経済局長、1962年(昭和37年)農林水産技術会議事務局長を経て1963年(昭和38年)に退官する。
佐藤 一郎(さとう いちろう、1913年(大正2年)5月1日… 佐藤 一郎(さとう いちろう、1913年(大正2年)5月1日 - 1993年(平成5年)2月26日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(4期)。経済企画庁長官(第20代)。位階は正三位。 一高を経て、1937年(昭和12年)3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1936年(昭和11年)10月、高等試験行政科に合格。1937年4月、大蔵省入省。預金部兼大臣官房文書課属。入省成績はビリに近い方だったといわれている。戦争末期1944年(昭和19年)7月、神奈川県庁に出向し、教育、人事、庶務の各課長を歴任し、学徒動員をめぐって軍部とかなりやりあった。 戦後は、片山哲内閣総理大臣秘書官。
中江 孝男(なかえ たかお、1913年4月30日 - 没年不… 中江 孝男(なかえ たかお、1913年4月30日 - 没年不明)は、日本の官僚・実業家。東京帝国大学在学中にバスケットボール選手として活躍し、1936年ベルリンオリンピックへの出場経験がある。のちに農林省に官僚として勤務したのち、祖父中江種造の興した中江産業に務める。志賀直哉の娘婿である。 祖父は鉱山王と呼ばれ中江産業を興した中江種造。父は種造の子・種一で、母は料理研究家として知られる中江百合(渡辺暢の娘)。 旧制成城高等学校、東京帝国大学農学部に学び、籠球部に所属。1936年ベルリンオリンピックでは、同じ東京帝大の田中秀次郎・鹿子木健日子とともにバスケットボール日本代表に選ばれた。 大学卒業後、農林省に入省し官僚となる。
原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年(大正2年)4月29日… 原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年(大正2年)4月29日 - 1999年(平成11年)9月7日)は、日本の内務官僚、政治家。位階は従二位、勲等は勲一等旭日桐花大綬章。
佐橋 滋(さはし しげる、1913年〈大正2年〉4月5日 -… 佐橋 滋(さはし しげる、1913年〈大正2年〉4月5日 - 1993年〈平成5年〉5月31日)は、日本の官僚。通商産業事務次官。 高度成長期日本の官僚主導型政治システムにおける典型的トップ官僚として知られる一方で、その官僚らしからぬ大胆さでも有名であり、城山三郎の『官僚たちの夏』(ISBN 4101133115)の主人公・風越信吾は佐橋をモデルとしている。作中では風越の一派に庭野が描かれているがその庭野のモデルは三宅幸夫であり、八高、東大の後輩・同窓にあたる。娘の夫に中小企業金融公庫副総裁であった横田捷宏がいる。合気道を趣味のひとつにしていた。 岐阜県土岐市出身。東海中学、第八高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。
斉藤 誠(さいとう まこと、1913年〈大正2年〉4月4日 … 斉藤 誠(さいとう まこと、1913年〈大正2年〉4月4日 - 1992年〈平成4年〉12月13日)は、日本の農林官僚。食糧庁長官を務めた。島根県出身。 1938年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に農林省に入省した。1957年8月に大臣官房長に就任し、1963年9月に食糧庁長官に就任し、1965年6月から1966年7月までに農林事務次官を務めた。 1983年11月に勲二等旭日重光章を受章。 1992年12月13日急性肺炎のために死去。79歳没。
松崎 芳伸'(まつざき よしのぶ、1913年3月22日 - … 松崎 芳伸'(まつざき よしのぶ、1913年3月22日 - 1997年11月6日 )は、日本の厚生労働官僚。日経連専務理事。 福井県小浜市出身。東京帝国大学卒業。昭和13年厚生省入省。のち労働省、中央労働委員会事務局長など経て、36年退官。厚労省在職中は、児童福祉法を起草した。その後、富士製鉄(現・新日本製鉄)に入社。40年子会社の東海製鉄常務。45年桜田武に雇われて、日経連専務理事に就任。第1次石油危機の際に賃上げガイドラインをまとめるなど、労使交渉の調整にあたった。84歳没。
大澤 融(おおさわ とおる、1913年3月15日 - 198… 大澤 融(おおさわ とおる、1913年3月15日 - 1983年6月26日)は、日本の農林官僚。 山梨県出身。1936年に高文行政科と高文司法科に合格し、1937年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に農林省に入省。1952年1月に食糧庁長官に就任し、1963年9月から1965年9月までに農林水産事務次官を務め、1966年7月に農林漁業金融公庫総裁を経て、1972年6月から1978年6月までに日本中央競馬会理事長を務めた。 1983年に勲二等旭日重光章を受章。 1983年6月26日肺炎のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山内 一郎(やまのうち いちろう、1913年〈大正2年〉2月… 山内 一郎(やまのうち いちろう、1913年〈大正2年〉2月15日 - 2005年〈平成17年〉3月6日)は、日本の政治家、建設官僚。参議院議員(4期)。位階は従三位。勲等は勲一等。山形県知事を務めた山内継喜は従兄。 1913年2月15日、内務省官僚の父・喜之助と母・小奈加(小松原英太郎の養女)の長男として、東京・麹町に生まれる。父・喜之助は内務省・土木技師として、西日本の主要河川の改修工事に参画。大阪・神戸両港の築港にも参加し、工学博士の学位も取得するなど、当時の日本を代表する官僚の1人だった。 幼少期に、父の転勤により兵庫県姫路市に移住。城東小学校卒業後、姫路中学を受験するが失敗。そのため、1年間の浪人生活を経て、同中に入学した。
德川 慶光(とくがわ よしみつ、1913年(大正2年)2月6… 德川 慶光(とくがわ よしみつ、1913年(大正2年)2月6日 - 1993年(平成5年)2月6日)は、日本の官僚、政治家、陸軍軍人、華族(公爵)。江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫。通称は「けいこう」。新字体で徳川 慶光とも表記される。 1913年(大正2年)2月6日、公爵徳川慶久と有栖川宮威仁親王の第二王女・實枝子の長男として東京府東京市小石川区第六天町(現:東京都文京区小日向)の屋敷で生まれた。お印は雁。赤ん坊の頃、祖父・慶喜の膝に抱かれ、おもらしをしたことがある。 1922年(大正11年)に父が急死したため、10歳で襲爵。伯父の侯爵・池田仲博が後見人となった。学習院から東京帝国大学文学部支那哲学科に進んで中国哲学を専攻し、卒業後は宮内省図書寮に勤務した。
広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日 - 19… 広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日 - 1986年1月20日)は、日本の官僚、経営者。運輸事務次官や、日本通運社長、会長を務めた。「日通中興の祖」と呼ばれた。 新潟県柏崎市出身。1938年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に鉄道省に入省し、同期に若狭得治がいた。運輸省鉄道管理局国有鉄道部長、鉄道管理局長などを経て、1964年6月に運輸事務次官に就任した。1968年をもって退官し、地元新潟県選挙区で参議院選挙に自由民主党公認で出馬したが、落選した。1968年11月に日本通運専務に就任し、日通事件で揺れていていた会社の立て直しに尽力していた。1972年に副社長に就任し、1976年に社長に就任した。
若林 正武(わかはやし まさたけ、1913年(大正2年)1月… 若林 正武(わかはやし まさたけ、1913年(大正2年)1月8日 - 1984年(昭和59年)8月22日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)、林野庁長官。 長野県更級郡上山田村(上山田町を経て現千曲市)で生まれる。1937年(昭和12年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。同年、朝鮮総督府に入府。その後、応召した。 1947年(昭和22年)農林省に入省し、同山林局、経済安定本部、林野庁、石川県、帯広営林局、山梨県などで勤務し、林野庁長官に1966年(昭和41年)7月から1967年(昭和42年)9月まで在任して退官した。その他、中央鳥獣審議会委員、中央森林審議会委員、歴史的風土審議会委員などを務めた。
澤田 悌(さわだ やすし、1913年1月4日 - 2003… 澤田 悌(さわだ やすし、1913年1月4日 - 2003年4月3日)は、日本の金融官僚。公正取引委員会委員長を務めた。 福島県須賀川市出身。1935年に高等試験行政科に合格し1936年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に日本銀行に入行。 1966年6月から1969年12月までに理事を務めた。1969年12月に国民金融公庫総裁、1976年4月に公正取引委員会委員長を経て、1977年10月から1981年9月までに日本住宅公団総裁を務めた。 1985年4月に勲一等瑞宝章を受章。 2003年4月3日肺炎のために死去。90歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大国 彰(おおくに あきら、1913年1月1日 - 1997… 大国 彰(おおくに あきら、1913年1月1日 - 1997年3月)は、日本の行政管理官僚。行政管理庁行政管理局長、行政管理事務次官、行政管理研究センター会長などを務めた。 三重県出身。第三高等学校から東京帝国大学法学部法律学科に入学。1934年 高等試験行政科を合格。1935年3月 東京帝大法学部法律学科卒業。同年 拓務省入省。殖産局属。 東京管区経済調査庁調査部経済調査官などを経て、1948年8月1日 東京管区経済調査庁監査部監察第一課長。1952年8月1日 東京管区監察局総務課長。同年8月12日 行政管理庁監察部監察官。1955年2月1日 行政管理庁監察部庶務課長。 1956年5月19日 行政管理庁長官官房秘書課長。
磯崎 叡(いそざき さとし、1912年8月16日 - 199… 磯崎 叡(いそざき さとし、1912年8月16日 - 1997年6月19日)は日本の鉄道官僚、第6代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1969年-1973年)。永井岩之丞の孫。 作家・三島由紀夫の父・平岡梓は従兄にあたる。 磯崎と親交があった作家の阿川弘之より命名されたニックネームは「ダッコちゃん」。 東京府東京市本郷区丸山町(現在の東京都文京区千石)で海軍の造船技官であった磯崎清吉と鐘(永井岩之丞二女)の次男として生まれる。名前は当時父が艤装に関わっていた巡洋戦艦『比叡』から一文字取られた。 東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業後、1935年、鉄道省に入省。
賀屋正雄(かや まさお、1912年8月4日 - 1994年1… 賀屋正雄(かや まさお、1912年8月4日 - 1994年1月27日)は日本の大蔵官僚。総理府内閣総理大臣官房審議室参事官、総理府内閣総理大臣官房審議室長、理財局次長、管財局長、為替局長、日本開発銀行理事、日本銀行理事、商工組合中央金庫副理事長、 山一證券投資信託委託会社社長などを務めた。 東京府出身。東京帝国大学法学部法律学科(英法)在学中に高等試験行政科を合格。東京帝大法学部法律学科(英法)卒業。1935年 大蔵省入省。大臣官房文書課属。 1946年7月 理財局国庫課長。1949年3月 外資委員会事務局次長。同年9月 外資委員会事務局長。1953年11月2日 銀行局検査部長。1955年5月 総理府内閣総理大臣官房審議室参事官。
江口 俊男(えぐち としお、1912年〈明治45年〉6月23… 江口 俊男(えぐち としお、1912年〈明治45年〉6月23日 - 2001年〈平成13年〉5月15日)は、日本の内務・警察官僚。海軍司政官、警察庁長官。 佐賀県出身。佐賀高等学校を卒業。1934年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1935年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し土木局兼地方局属となる。 以後、広島県学務部社会課長、同経済部商工課長、広島県警察部警防課長、内務省地方局行政課勤務などを歴任。1943年、海軍司政官に任じられ南方に赴任。1946年に復員して鹿児島県警察部長に就任。 1948年、国家地方警察長崎県本部警察長に就任。以後、国家地方警察福岡県本部警察長、福岡県国家地方警察隊長、静岡県警察本部長、愛知県警察本部長、警察庁警備局長、同警務局長、警察庁次長を歴任。
細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治4… 細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治45年〉5月2日 - 2007年〈平成19年〉2月11日)は、日本の運輸官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(10期)。正三位勲一等。松江市名誉市民。 長男は衆議院議長、自由民主党幹事長、内閣官房長官、衆議院議員(11期)を歴任した細田博之。 島根県松江市西茶町に細田義一郎、千代乃の間に6人兄弟の4番目として生まれる。生家は、屋号を丸吉印「細田本店」、「細田油店」と称する油卸問屋。実父義一郎の弟・六助、つやの夫妻に子供がいなかったため、生まれてすぐに養子にだされ、養父母に育てられる。養母が薬屋を開いており、両方の店を手伝いながら少年時代を過ごす。
環 昌一(たまき しょういち、1912年4月12日 - 19… 環 昌一(たまき しょういち、1912年4月12日 - 1993年3月8日)は、日本の裁判官、司法官僚、弁護士。最高裁判所判事。徳島県出身。 1936年に東京帝国大学法科卒業。司法官試補から1937年12月裁判官となり横浜地裁や甲府地裁、東京地裁などに勤務。1943年10月に司法省民事局へ、終戦の1945年8月に再び裁判官に返り咲き、高松控訴院判事、徳島地裁判事、最高裁調査官などを歴任した。 1948年1月に司法省調査課(のちに調査部、秘書課)に転じ、1949年1月に検事となり、法務庁調査意見第一局長補佐、行政訴訟局第一課長などを務めた。会社法の改正作業に携わったが、占領軍との折衝の仕事が多く「ばかばかしくなって」1950年7月に退職して弁護士に転身。
石野 信一(いしの しんいち、1912年3月13日 - 19… 石野 信一(いしの しんいち、1912年3月13日 - 1996年1月19日)は、日本の大蔵官僚、実業家。第8代大蔵事務次官、さくら銀行名誉会長。文芸評論家の村上一郎は従兄弟。 神戸三中、大阪高校を経て、1935年、東京帝国大学法学部政治学科卒業後、大蔵省入省。主計局配属。理財局総務課長、大臣官房調査部長、理財局次長の後、1957年6月11日に俗に「森 - 石 ライン」と呼ばれることとなった森永貞一郎の下で官房長を務め、1959年に銀行局長、1961年に主計局長を経て、1963年に大蔵事務次官に就任、池田勇人首相の高度経済成長政策のブレーンとして活躍した。熟慮断行タイプとして知られ、大臣官房財務調査官(大臣官房調査課担当)だった1954年度予算編成では緊縮型予算を主張し貫徹した話は伝説になっている。
安西 正道(あんざい まさみち、1912年 <大正15年> … 安西 正道(あんざい まさみち、1912年 <大正15年> 2月3日 - 1990年 <平成2年> 9月10日)は、日本の官僚、実業家。元全日本空輸社長。千葉県出身。位階は従三位。
小出 栄一(こいで えいいち、1912年1月23日 - 19… 小出 栄一(こいで えいいち、1912年1月23日 - 1979年5月3日)は、日本の官僚、経営者。共同石油社長を務めた。 福岡県出身。1935年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に商工省に入省。 1958年5月に通商産業省重工業局長を経て、1960年5月から1962年7月までに経済企画事務次官を務めた。1962年9月に九州電力顧問に就任し、1963年5月に常務、1972年5月に副社長を経て、1974年6月には共同石油社長に就任。 1979年5月3日、腹膜炎のために在任中に死去。67歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
岸田 實(きしだ みのる、1912年〈明治44年〉1月1日 … 岸田 實(きしだ みのる、1912年〈明治44年〉1月1日 - 2012年〈平成24年〉12月12日)は、日本の台湾総督府官僚、国会職員。参議院事務総長、国立国会図書館長を歴任した。位階は正三位。 台湾出身。出生時より岸田氏に養子に出される。岸田氏は、京都府舞鶴市野村出身。岸田氏方の親戚には岸田久吉、岸田正吉などがいる。実父方の森氏は奄美大島で銃火薬を扱っていた家系である。実母方は大森氏で宮崎県出身。 台北第一師範学校附属小学校、台北高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学法学部卒業。台湾総督府に勤務。同総督府では、法制事務を所管する官房審議室、書記官、台南州北門郡郡守などを歴任。 終戦後は台湾総督府残務整理事務所で勤務後に日本に引揚げ、国会職員として勤務。
井上 勝英(いのうえ かつひで、1911年〈明治44年〉12… 井上 勝英(いのうえ かつひで、1911年〈明治44年〉12月26日 - 1997年〈平成9年〉10月7日)は、昭和期の農林官僚、政治家、華族。貴族院子爵議員。 海軍士官・井上勝純の長男として生まれる。父の死去に伴い、1939年1月16日、子爵を襲爵した。 1937年(昭和12年)3月、東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。1939年(昭和14年)東京高等農林学校(現東京農工大学)助教授に就任。以後、農商事務官、農林事務官、総力戦研究所第二期研究生、南京日本大使館嘱託、農商大臣秘書官事務取扱、農村更生協会主事、日本農業研究所研究員補などを務めた。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
石原 周夫(いしはら かねお、1911年11月19日 - 1… 石原 周夫(いしはら かねお、1911年11月19日 - 1983年12月27日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。 広島県御調郡美ノ郷村(現在の尾道市)出身。旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。東京帝大法学部在学中に高等試験行政科を合格。1934年に大蔵省入省(預金部兼大臣官房文書課)。主計局審査課長、主計局法規課長、主計局法規課長兼主計局企画課長、主計局法規課長兼主計局調査課長などを経て、1948年7月10日に主計局総務課長兼主計局調査課長。同年10月8日に主計局第二部長兼主計局主計官。1949年6月1日に主計局次長(次席)。1950年5月から同年7月の間は米国出張として派遣される。