秋葉 就一(あきば しゅういち、1968年(昭和43年)11… 秋葉 就一(あきば しゅういち、1968年(昭和43年)11月26日 - )は、日本の政治家。千葉県議会議員(2期)。 千葉県八千代市長(1期)、八千代市議会議員(4期)などを歴任した。 千葉県船橋市生まれ。1977年から1年間、ロンドンに在住。八千代市立米本南小学校、八千代市立阿蘇中学校、千葉県立千葉東高等学校普通科、東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業。1994年9月、東京都立大学 (1949-2011)大学院社会科学研究科修士課程修了。1995年、立教大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程に入学したが、2年後に中途退学した。1998年から、大学院に通うかたわら2007年まで塾講師を務める。
木下 富美子(きのした ふみこ、1966年10月13日 - … 木下 富美子(きのした ふみこ、1966年10月13日 - )は、日本の政治家。元東京都議会議員(2期)。活動名および議員名簿上の表記は木下 ふみこ。 愛知県名古屋市に生まれた。出身地は同市千種区とされる。自由ヶ丘幼稚園、名古屋市立富士見台小学校、名古屋市立千種台中学校、名古屋市立向陽高等学校と、幼稚園から高校まで地元で過ごし、1985年、東京外国語大学外国語学部スペイン語学科入学を機に上京。1年間休学し、アルバイトで貯めた資金で渡西。マドリードにてスペイン語・スペイン文化を学ぶ。通訳案内士(英語)の資格を取得。 1990年、株式会社博報堂入社。入社4年目から3年間香川県高松市に赴任。1999年、出産・育児に伴う休業を経て広報室に復帰。
齋藤 弘(さいとう ひろし、1957年(昭和32年)10月1… 齋藤 弘(さいとう ひろし、1957年(昭和32年)10月18日 - )は、日本の政治家。前山形県知事(1期)。国際教養大学国際教養学部グローバル・ビジネス課程客員教授。斎藤 弘とも。 日本銀行を経て、山形銀行の総合企画副部長や監査副部長などを歴任。その後、2005年1月の山形県知事選挙に地元選出の衆議院議員である加藤紘一の支援を受け出馬する。 1993年、現職の板垣清一郎の任期途中の辞職で行われた知事選挙で、加藤は近藤鉄雄や岸宏一が推す副知事の高橋和雄の出馬に対抗し、土田正剛を推したが敗れた。2005年の選挙で4選を目指す高橋は共産党を除く県議会全会派から支持を取り付け、県内市町村長の多くも支持し、地元財界、マスコミ、県職員労働組合などからも支持を受け、オール与党体制で当時は現職の高橋当選が確実視されていた。
緒方 靖夫(おがた やすお、1947年10月29日 - )は… 緒方 靖夫(おがた やすお、1947年10月29日 - )は、日本の政治家。日本共産党中央委員会幹部会副委員長、同国際局長。東京都千代田区出身。参議院議員(2期)を務めた。 東京都立新宿高等学校、東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業。 大学在学中に共産党へ入党。日本共産党とルーマニア共産党の蜜月期の1971年7月から2年間、ルーマニアのブカレスト大学特別専攻課程に留学。帰国後、党国際部に勤務。 1979年3月から5年間、『赤旗』パリ特派員を務める。 帰国後、党国際部長、赤旗外信部長、英字紙『デートライン・トウキョウ』編集長などを歴任し、1985年に党幹部会委員に就任。1986年に神奈川県警察本部警備部公安第一課によって自宅が盗聴されていることが発覚した。
高野 博師(たかの ひろし、1947年〈昭和22年)3月1日… 高野 博師(たかの ひろし、1947年〈昭和22年)3月1日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、環境副大臣、公明党中央幹事、外務省参与などを歴任した。 1947年(昭和22年)3月1日、茨城県大子町に生まれる。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部中国語学科に入学し、1972年(昭和47年)3月に卒業する。同年4月、外務省にノンキャリアとして入省する。外交官としてアメリカ、アルゼンチン、コロンビアなどに赴任し、30ヶ国あまりを歴訪した。1991年(平成3年)にコロンビアで発生した日本人技師2人が左翼ゲリラに誘拐された事件では、当時帰国中で不在だったコロンビア国駐箚特命全権大使塚田千裕に代わり、臨時代理大使としてコロンビア政府や州知事に事件解決の要請を行うなどして対応の指揮を執った。
矢野 穂積(やの ほづみ、1947年 - )は、日本の政治家… 矢野 穂積(やの ほづみ、1947年 - )は、日本の政治家。男性。東村山市議会議員(5期(事実上6期。1期目当選無効。後述))。市議会所属会派は「草の根市民クラブ」。地方紙・地元FM局・認可保育園・認証保育所などの運営にも携わる。
李 復興(り ふっこう、リー・フーシン、1946年 - )は… 李 復興(り ふっこう、リー・フーシン、1946年 - )は、中華民国の政治家。立法院立法委員を経て、引退後台湾肥料公司(英語版)董事長を務めた。 高雄県生まれ。国立台中技術学院を経て、東京外国語大学卒業、文学士。東京学芸大学大学院修了、教育学修士。九州大学大学院中退。 高雄市議会議員を経て、2005年から立法院立法委員を務めたが、2012年に辞職し、同年から2016年まで台湾肥料公司(英語版)董事長を務めた。 中国国民党中央委員会委員、国立高雄師範大学講師、李氏協会理事長、中華民国水泳協会理事長、中華オリンピック委員会執行長なども歴任した。 この項目は、中国に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/PJ:中国)。
村田 吉隆(むらた よしたか、1944年7月30日 - )は… 村田 吉隆(むらた よしたか、1944年7月30日 - )は、日本の大蔵官僚、政治家。元衆議院議員(7期)。
牛尾 郁夫(うしお いくお、1943年〈昭和18年〉2月7日… 牛尾 郁夫(うしお いくお、1943年〈昭和18年〉2月7日 - )は、日本の政治家、元島根県益田市長(2期)。 岡山県出身。東京外国語大学外国語学部英米科卒。卒業後は文部省に入る。教育助成局財務課海外子女教育室長、国際交流基金人物交流部長、学術国際局国際企画課長、官房審議官、横浜国立大学事務局長、公立学校共済組合理事などを経て、2000年益田市長選挙に立候補し、現職の田中八洲男を破って当選。2004年に再選。2期務める。2008年に35歳の福原慎太郎に敗れ、落選。翌年から2015年まで成安造形大学学長を務めた。
西尾 理弘(にしお まさひろ、1941年〈昭和16年〉10月… 西尾 理弘(にしお まさひろ、1941年〈昭和16年〉10月19日 - 2024年〈令和6年〉11月15日)は、日本の官僚、政治家。位階は従四位。 元出雲市長。島根県出雲市出身。 島根県立出雲高等学校卒業。東京外国語大学外国語学部英米科卒業。ウィスコンシン大学教育行政学修士課程修了。文部省入省。 1995年(平成7年)3月2日付で文部省を高等教育局主任視学官の役職で辞職した。その後、同年の出雲市長選挙に無所属で立候補して、自民党、社会党の推薦で初当選を果たした。2003年(平成15年)に3選を果たした。合併に伴う(新)出雲市発足に伴い、2005年(平成17年)3月21日に市長を退任した。翌月の(新)出雲市の市長選挙に立候補して、無投票で当選した。
中村 敦夫(なかむら あつお、1940年〈昭和15年〉2月1… 中村 敦夫(なかむら あつお、1940年〈昭和15年〉2月18日 - )は、日本の俳優、作家、脚本家、ニュースキャスター、政治家。 本名は中村 敦雄(読み同じ)。旧姓は遠藤()。身長179cm。株式会社中村企画(1976年 - 2014年)を経て、クロスポイント所属。 勲等は旭日中綬章。参議院議員(1期)、さきがけ代表、みどりの会議代表、同志社大学大学院総合政策科学研究科講師、日本ペンクラブ環境委員長などを歴任した。 東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)千早に遠藤家の長男として生まれる。父親は新聞記者。幼少期の1945年に東京大空襲をはじめとする連合国軍による空襲があり、福島県平市(現在のいわき市平地区)に疎開。
近藤 豊(こんどう ゆたか、1935年7月15日 - )は、… 近藤 豊(こんどう ゆたか、1935年7月15日 - )は、日本の政治家、外務官僚。元衆議院議員(4期)。 愛知県豊川市出身。1957年、外交官領事官採用試験合格。1958年、東京外国語大学スペイン語科卒業。同年、外務省に入省。アルゼンチン、オランダ、韓国の日本大使館に勤務する。1978年に退官。 1979年の第35回総選挙に旧愛知5区から無所属(公明党・民社党・新自由クラブ・社民連推薦)で立候補して初当選。民社党との統一会派「国民連合」に加入した。以後、1980年の総選挙も、1983年の総選挙も無所属で立候補し当選を果たした。後に会派離脱した。 1986年6月の第38回総選挙では自民党公認で立候補し、落選。
山中 邦紀(やまなか くにき、1933年(昭和8年)3月1日… 山中 邦紀(やまなか くにき、1933年(昭和8年)3月1日 - 2001年(平成13年)1月3日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。弁護士。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1955年(昭和30年)東京外国語大学英米科卒、1957年(昭和32年)東京大学法学部卒、東京大学大学院法学研究科中退。千葉県立千葉商業高等学校の講師、同教諭を経て、衆議院議員の父山中吾郎の秘書を務め、1966年(昭和41年)に弁護士登録し、開業。1983年(昭和58年)から1年間岩手県弁護士会会長を務めた。 1990年(平成2年)第39回衆議院議員総選挙で旧岩手1区から立候補して初当選。1993年(平成5年)第40回総選挙で落選、1996年(平成8年)第41回総選挙で岩手1区から社会民主党公認で出馬したが、再び落選した。
池田 勤也(いけだ きんや、1922年(大正11年)2月4日… 池田 勤也(いけだ きんや、1922年(大正11年)2月4日 - 2007年(平成19年)10月27日)は、昭和時代の政治家。福井県勝山市長。 勝山市出身。1944年(昭和19年)東京外国語大学独語部卒業。 外務省を経て、1955年(昭和30年)勝山市役所に入る。1972年(昭和47年)助役を経て、1976年(昭和51年)以来、勝山市長に3選。1988年(昭和63年)引退した。
市橋 保雄(いちはし やすお、1920年〈大正9年〉12月3… 市橋 保雄(いちはし やすお、1920年〈大正9年〉12月3日 - 1984年〈昭和59年〉11月8日)は、日本の政治家。新潟県両津市(現・佐渡市)長(3期)。 新潟県出身。新潟県立佐渡中学校(現・新潟県立佐渡高等学校)を経て、1941年、東京外国語学校(現・東京外国語大学)卒。翌年、陸軍に入隊し、中尉で終戦を迎える。その後は県立新潟高等女学校(現・新潟県立新潟中央高等学校)教諭となり、1962年、両津市議会議員に当選し、4期務め、議長も務めた。1974年、両津市長に当選、1978年、1982年と続けて再選した。3回目の当選の翌年の1983年に市長を辞職した。 1984年(昭和59年)11月、肝硬変に肝不全を併発し死去した。
和泉 覚(和泉 覺、いずみ さとる、1912年〈明治44年〉… 和泉 覚(和泉 覺、いずみ さとる、1912年〈明治44年〉5月18日 - 2005年〈平成17年〉5月7日)は、日本の宗教家、政治家。創価学会理事長(第4代)、参議院議員(1期)。 職業軍人として、1942年(昭和17年)暮れ、最前線のニューギニアに出兵。九死に一生を得て、1946年(昭和21年)6月復員。戦後、戸田城聖の下で、柏原ヤスらと共に、創価学会の再建に奔走。同会筆頭理事及び理事、小岩支部長、江東総支部長などを経て、日蓮正宗法華講大講頭となる。 1940年(昭和15年)、妻の和泉ミヨとともに東京・九段下の軍人会館で行われた創価教育学会第2回総会に出席、入会する。この総会では、後に和泉の前任者となる原島宏治や、学会理事長を経て東京都議会公明党の重鎮となる小泉隆ら、戦後の戸田城聖体制の下で創価学会を担う最高幹部が多数入会し、和泉もその一人となった。
佐々木 盛雄(ささき もりお、1908年(明治41年)8月2… 佐々木 盛雄(ささき もりお、1908年(明治41年)8月23日 - 2001年(平成13年)8月25日)は、日本の新聞記者・編集者、政治家。 衆議院議員(4期)、内閣官房副長官を歴任した。 兵庫県出身。1932年、東京外国語学校を卒業。報知新聞社に入社し、外信部記者、政治部記者、海外特派員を務めた。戦時中は大本営海軍報道部嘱託、情報局嘱託となる。 終戦後、『自由新聞』を創刊し編集局長となる。その後、報知新聞社渉外部長に就任。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙で兵庫県第5区に日本自由党から出馬し当選。以後、第24回、第26回、第28回総選挙で当選し、衆議院議員を通算4期務めた。この間、衆議院厚生委員長、第5次吉田内閣の労働政務次官、1960年7月から同年12月まで第1次池田内閣の内閣官房副長官、日本自由党情報部副部長、民主自由党政調会外務委員長、自由民主党総務、同国会対策副委員長などを歴任。
松平 忠久(まつだいら ただひさ、1904年〈明治37年〉2… 松平 忠久(まつだいら ただひさ、1904年〈明治37年〉2月11日 - 1991年〈平成3年〉10月27日)は、日本の外交官、政治家、実業家。衆議院議員。 長野県小県郡(現・上田市)出身。1925年(大正14年)、東京外国語学校(現・東京外国語大学)中国語科を卒業し、1930年(昭和5年)、広東嶺南大学(現・中山大学)を卒業。さらに、北京大学、ミシガン大学で学んだ。1930年(昭和5年)、外務省に入省し広東書記生に任官。1934年(昭和9年)10月、高等試験外交科試験に合格。以後、上海大使館報道部長、広東領事、南京領事などを歴任。 1951年(昭和26年)、長野県副知事に就任。1953年(昭和28年)4月の第26回衆議院議員総選挙で旧長野2区に右派社会党から出馬し当選。
高岡 大輔(たかおか だいすけ、1901年9月15日 - 1… 高岡 大輔(たかおか だいすけ、1901年9月15日 - 1992年7月10日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 新潟県中蒲原郡十全村(村松町を経て現五泉市)で、高岡忠興の二男として生まれる。1923年(大正12年)東京外国語学校印度語部拓殖科を卒業した。 新潟新聞社員、大倉土木(現大成建設)社員を務めた。1926年(大正15年)日印協会勤務となる。参謀本部嘱託、台湾総督府総務長官政治顧問などを務めた。 1936年(昭和11年)2月、第19回衆議院議員総選挙に新潟県第2区から国民同盟公認で出馬して初当選。第20回総選挙でも再選され、1942年(昭和17年)4月、第21回総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選した。
馬場 秀夫(ばば ひでお、1901年(明治34年)9月9日 … 馬場 秀夫(ばば ひでお、1901年(明治34年)9月9日 - 1979年(昭和54年)6月4日)は、日本の政治家・日本社会党衆議院議員(1期)。行田市長。 埼玉県出身。旧制熊谷中学を経て、1922年東京外国語学校(現・東京外国語大学)ロシア語科卒。卒業後は東京日日新聞の記者となり、モスクワ特派員、外国通信部副部長、ロシア課長、出版局編集部長、毎日新聞社出版局長などを歴任した。1946年の第22回衆議院議員総選挙で埼玉県から日本社会党公認で立候補するが、次点となった。同年5月に鴻巣町長に就任する。翌1947年町長を辞任し、4月の第1回埼玉県知事選挙に社会党公認で立候補したが落選。同月末の第23回衆議院議員総選挙で埼玉4区から社会党公認で立候補して当選した。
竹尾 弌(たけお はじめ、1896年(明治29年)12月11… 竹尾 弌(たけお はじめ、1896年(明治29年)12月11日 - 1958年(昭和33年)2月8日)は、日本の著作家、政治家。衆議院議員。 千葉県下埴生郡八生村大竹(印旛郡八生村を経て現成田市)で生まれる。1918年、東京外国語学校露語科を卒業。朝鮮銀行浦塩支店に勤務。その後、報知新聞記者、東京毎夕新聞記者、国士舘高等拓殖学校講師、朝鮮林業協会附属北方産業研究所主事などを務め、著述家としても活動した。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙で千葉県第二区から立候補して当選。以後、27回総選挙まで連続5回当選した。この間、衆議院文部委員長、第3次鳩山一郎内閣の文部政務次官、自由党政調会文教部長、同文化部長、同憲法調査会副会長などを歴任した。
藤生 安太郎(ふじお やすたろう、1895年(明治28年)8… 藤生 安太郎(ふじお やすたろう、1895年(明治28年)8月21日 - 1971年(昭和46年)12月7日)は、大正から昭和期の柔道家、政治家、雑誌編集者。衆議院議員。講道館柔道七段。 佐賀県東松浦郡、のちの唐津市で藤生利太郎の長男として生まれる。1898年(明治31年)家督を相続。唐津中学校を退学、門司の豊国中学校から東京外語学校に進み、1918(大正7年)東京外国語学校(現東京外国語大学)支那語科を卒業した。一年志願兵として入営し、陸軍歩兵伍長となった。 その後、新潟県立村上中学校(現新潟県立村上高等学校)、陸軍士官学校、警視庁、東京高等学校、拓殖大学の嘱託教師・柔道師範を務めた。この間、北白川宮永久王、竹田宮恒徳王、朝香宮鳩彦王、李王の柔道師範となる。
鈴木 文史朗(すずき ぶんしろう、1890年3月19日 - … 鈴木 文史朗(すずき ぶんしろう、1890年3月19日 - 1951年2月23日)は、日本のジャーナリスト、新聞記者、政治家。 千葉県海上郡豊浦(現銚子市)出身。本名は文四郎。旧制銚子中学校(現千葉県立銚子商業高等学校)、東京外国語学校英語学科卒業。三菱合資会社地所部を経て1917年東京朝日新聞に入社。シベリア出兵の従軍記者や、パリ講和会議などの特派員として活躍する。社会部長、編集局総務、論説委員、整理部長、名古屋支社長、取締役を歴任し、1942年常務取締役となるが、朝日新聞社内の人事で冷遇されたことから反緒方竹虎の急先鋒となった。 敗戦直後退社し、1946年『リーダーズ・ダイジェスト』日本語版編集長となる。
内山 岩太郎(うちやま いわたろう、1890年〈明治23年〉… 内山 岩太郎(うちやま いわたろう、1890年〈明治23年〉2月28日 - 1971年〈昭和46年〉11月19日)は、日本の外交官・政治家。神奈川県知事(官選、公選第1・2・3・4・5代)、テレビ神奈川初代社長。位階は正三位。日本の国際連合加盟に貢献をした人物として知られる。元丸紅ブラジル会社副社長の内山勇は三男。 1890年(明治23年)、群馬県前橋市天川原町に、父・内山岩吉、母・ちか子の三男として生まれる。1902年(明治35年)、群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学。1905年(明治38年)に校長排斥の同盟休校を起こし放校となり、正則英語学校を経て立教学院に編入、1907年(明治40年)卒業。
益谷 秀次(ますたに しゅうじ、1888年1月17日 - 1… 益谷 秀次(ますたに しゅうじ、1888年1月17日 - 1973年8月18日)は、日本の政治家。位階は従二位。 衆議院議員(14期)、衆議院議長(第46代)、副総理、建設大臣、行政管理庁長官などを歴任した。 1888年1月17日、石川県鳳至郡宇出津町(現在の鳳珠郡能登町)に生まれる。旧制海城中学校から神田神保町にあった大成中学に4年編入後、専検から東京外国語学校(現東京外国語大学)仏語科、京都帝国大学法科大学仏法科を卒業。浦和地方裁判所判事から、弁護士となった。 1920年、第14回衆議院議員総選挙に立憲政友会公認で石川5区から立候補し初当選。1924年に床次竹二郎一派が政友会を脱党し、政友本党を発足したあたりから政友会で鳩山一郎派に所属していた。
植村 家治(うえむら いえさだ、1887年〈明治20年〉3月… 植村 家治(うえむら いえさだ、1887年〈明治20年〉3月14日 - 1962年〈昭和37年〉10月22日)は、明治から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。元高取町長。旧大和高取藩第15代当主。 子爵・植村家壺の三男として生まれる。父の死去に伴い、1920年(大正9年)8月10日、子爵を襲爵した。 1913年(大正2年)東京外国語学校仏語専修科を卒業。1908年(明治41年)宮内省内匠寮京都派出所勤務となる。以後、鉄道院書記、鉄道省嘱託などを務めた。実業界では、日東化学研究所社長、満州パルプ工業監査役、昭和理化学研究所所長、東京大宮電気鉄道取締役などを務めた。 1930年(昭和5年)8月30日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで3期在任した。
豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8… 豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8月7日 - 1961年(昭和36年)11月21日)は、日本の海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。従二位勲一等。 和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。海兵33期首席、海大甲種17期首席。 旧制天王寺中学校より東京外語学校英語科を経て海軍兵学校に入校し第33期を首席卒業。同期に卒業順位第26位の豊田副武大将がいるが、大分県出身の副武とは兵学校入学まで面識がなかった他人同士である。苦労人の副武と天才肌の貞次郎はタイプこそ正反対だが、将官に昇進する頃は「両豊田」と呼ばれ、将来を嘱望された。日露戦争が終わったばかりの1905年(明治38年)11月に第33期は卒業し、東南アジア方面へ遠洋航海に出た。
島田 勝之助(しまだ かつのすけ、1884年(明治17年)3… 島田 勝之助(しまだ かつのすけ、1884年(明治17年)3月5日 - 1960年(昭和35年)2月10日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。北海道炭礦汽船会長、貴族院勅選議員。 東京府で島田慶助の三男として生まれる。1903年(明治36年)東京外国語学校仏語科を卒業した。 卒業後、三井物産に入社した。1931年(昭和6年)ロンドン支店長に就任し、1934年(昭和9年)取締役となる。1935年(昭和10年)三井合名に転じて理事に就任。1936年(昭和11年)常務理事となり、北海道炭礦汽船取締役、三井鉱山取締役、三井農林会長を兼務した。1939年(昭和14年)三井合名、三井鉱山の役員を辞して北海道炭礦汽船取締役会長に就任した。
赤間 徳寿(德壽、あかま とくじゅ、1883年9月2日 - … 赤間 徳寿(德壽、あかま とくじゅ、1883年9月2日 - 1958年8月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。滑川市長(2期)。従五位勲四等瑞宝章。 富山県出身。1909年東京外国語学校(現・東京外国語大学)英語科卒。富山商業学校、同中学校各教諭、中新川郡浜加積村(のち滑川町、現:滑川市)議、富山県議、富山地方森林会議員、戦時特別調停委員、富山県産業組合連合会監事、産業組合中央会富山県支副会長、地方金融協議会監事、大政翼賛会中央協力会議員、富山電気鉄道(株)取締役、日本水力工業(株)監査役となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では富山1区(当時)から翼賛政治体制協議会(翼協)の推薦を受けて立候補したが次点で落選する。
小野 耕一(おの こういち、1882年(明治15年)6月24… 小野 耕一(おの こういち、1882年(明治15年)6月24日 - 1962年(昭和37年)9月10日)は、大正から昭和時代の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員。 東京府麹町区飯田町三丁目(現東京都千代田区飯田橋)出身。小野金六の長男として生まれ、1923年(大正12年)3月に家督を相続する。東京外国語学校を修了し、1907年(明治40年)フランスへ留学する。 東京割引銀行頭取、日本煉炭、東洋製罐、松菱殖産、内外食品、東洋鋼鈑各社長、富士製紙、中央ゴム工業、北海道電灯、富士身延鉄道、秋田電気、小武川電力、王子電気軌道、京浜電力各取締役、富士山麓土地、富士山麓電気鉄道各監査役を歴任した。ほか、帝国水産会特別議員、大日本水産会理事、国家総動員審議会委員などを務めた。
長谷場 敦(はせば あつし、1878年3月23日 - 195… 長谷場 敦(はせば あつし、1878年3月23日 - 1959年1月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、鹿児島県串木野町長。 鹿児島県出身。鹿児島県川辺郡鹿籠村西鹿籠(後に西鹿籠村、東南方村、枕崎町、枕崎市)の今給黎久清(児玉久清、初代東南方村長)の次男として生まれる。後に第三代東南方村長・初代枕崎町長や衆議院議員を務める今給黎誠吾は実兄。 郷校や三州義塾で学んだ後、上京して早稲田大学、東京外国語学校(現東京外国語大学)、善隣書院に入り清国語を学ぶ。長谷場純孝邸に寄食して東京外国語学校に通った。1902年、東京外国語学校別科清国語科卒。1905年12月、長谷場純孝の長女と結婚し、長谷場家の養嗣子となる。
白川 資長(しらかわ すけなが、1871年2月17日〈明治3… 白川 資長(しらかわ すけなが、1871年2月17日〈明治3年12月28日〉 - 1959年〈昭和34年〉6月9日)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 神祇大副・白川資訓の長男として生まれる。1906年(明治39年)12月24日、父の死去に伴い子爵を襲爵した。1905年(明治38年)、東京外国語学校仏語科を卒業し、さらに東京帝国大学文科大学を修了した。 1914年(大正3年)以降、名誉掌典、神社調査会委員、神社制度調査会委員などを務めた。また、日本精神研修会長となり、息吹長世の行法を指導した。 1918年(大正7年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に所属して活動し1939年(昭和14年)7月9月まで在任した。
山口 熊野(やまぐち ゆや、元治元年11月11日(1864年… 山口 熊野(やまぐち ゆや、元治元年11月11日(1864年12月9日) - 昭和25年(1950年)6月24日)は、日本の実業家、政治家。紀勢本線敷設の功労者。 元治元年(1864年)11月11日、紀伊国牟婁郡浦神村(現:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浦神)で山口俊道の長男として生まれる。幼名は俊太。和歌山医学校を経て東京外国語学校ドイツ語科を卒業し、東京大学予備門に転じて医学部への入学準備に専念した。しかし、当時盛んになっていた自由民権運動に共鳴して板垣退助の自由党へ入党し、議会開設の急務を提唱した。 明治18年(1885年)に扶桑政談社を設立し、雑誌通信録を発行したが、法に抵触して禁固1年6ヶ月、罰金100円に処せられて投獄された。
加藤 高明(かとう たかあき、安政7年1月3日(1860年1… 加藤 高明(かとう たかあき、安政7年1月3日(1860年1月25日) - 大正15年(1926年)1月28日)は、日本の外交官、政治家。外務大臣(第16・19・26・28代)、貴族院議員、内閣総理大臣(第24代)などを歴任した。
広瀬 満正(ひろせ みつまさ、1860年1月10日(安政6年… 広瀬 満正(ひろせ みつまさ、1860年1月10日(安政6年12月18日)- 1928年(昭和3年)12月5日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 広瀬宰平の長男として伊予国新居郡金子村久保田(現愛媛県新居浜市久保田町)に生まれる。東京外国語学校を卒業後、郷里に帰り中萩、金子両村で数千ヘクタールに及ぶ開墾を行う。ほか、川崎汽船や朝鮮殖産銀行などの重役も務めた。 1911年(明治44年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1918年(大正7年)9月28日まで在任した。
安藤 謙介(あんどう けんすけ、1854年1月29日(嘉永7… 安藤 謙介(あんどう けんすけ、1854年1月29日(嘉永7年1月1日)- 1924年(大正13年)7月30日)は、日本の検察官・官僚・政治家。政友会系官選県知事、衆議院議員、横浜市長、京都市長。 土佐藩士・安藤常三郎の長男として安芸郡羽根村(現室戸市)に生まれる。1873年に上京し、ニコライ塾に入り、その後、東京外国語学校に移りロシア語を学んだ。中江兆民からフランス語も学んだ。 1876年4月、勝海舟の推薦で外務省に出仕し、ロシア帝国サハリンのコルサコフ領事館書記一等見習となる。1878年、サンクトペテルブルク公使館書記生となり、サンクトペテルブルク大学で法学、行政法などを履修した。1882年から同大学の日本語教官となった。
福永 一臣 は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。