東 誠三(あずま せいぞう、1962年8月22日- )は、日… 東 誠三(あずま せいぞう、1962年8月22日- )は、日本のピアニスト。東京芸術大学音楽学部器楽科教授、東京音楽大学客員教授、名古屋音楽学校講師、才能教育研究会会長。日本ショパン協会理事。 1962年生まれ。スズキメソードでピアノを始め、東京音楽大学付属高等学校から東京音楽大学に進み、井口愛子、中島和彦、野島稔、片岡ハルコの各氏に師事。1983年、第52回日本音楽コンクール第1位。 東京音楽大学卒業と同時に、フランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院に留学。 ジャン=クロード・ペンティエ(英語版)、ジャック・ルヴィエの各氏に師事。日本国際、モントリオール(カナダ)、カサドシュ(アメリカ)など、数多くの国際コンクールに入賞し、演奏活動に入る。
沼田 宏行(ぬまた ひろゆき、1962年5月22日 - )は… 沼田 宏行(ぬまた ひろゆき、1962年5月22日 - )は、日本のピアニスト。東京都出身。 2歳半よりピアノを始め、父(チェリスト、都響)と共に桐朋学園教授青木十朗の娘、青木紀子に手ほどきを受ける。後に高良芳枝に師事し、全日本学生音楽コンクール中学生の部に入賞。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京藝術大学に入学、同大学院を卒業。同大学学部から、安川加壽子に師事。 芸大学部では、モーニングコンサートに出演し、芸大修士課程修了時にクロイツァー賞受賞。博士課程では、辛島輝治にピアノ実技及び論文指導を受け、佐藤眞及び船山隆に論文指導を受ける。ドビュッシーの研究にて、東京芸術大学大学院研究科課程博士号取得。
坂井 千春(さかい ちはる、1961年9月27日-)は、日本… 坂井 千春(さかい ちはる、1961年9月27日-)は、日本のピアニスト。東京芸術大学ピアノ科教授。名古屋音楽大学客員教授。 東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、同大学ピアノ科を経て同大学院修士課程修了。さらにヨーロッパに渡り、ブリュッセル王立音楽院とパリ・エコールノルマル音楽院でコンサーティスト課程のディプロマを最高位で取得。 これまで、フィルハーモニア管弦楽団をはじめ国内外のオーケストラと共演。 2004年に京都市立芸術大学准教授に、2012年に東京芸術大学准教授にそれぞれ就任。2020年からは東京芸術大学教授を務める。
HIROSHI(ひろし)あるいはピアニスターHIROSHI(… HIROSHI(ひろし)あるいはピアニスターHIROSHI(本名: 吉田 洋、1961年8月10日 - )は、日本のピアニスト、作曲家、編曲家。右手と左手で違う曲を同時演奏できる得意技を持つ。 血液型はO型。『ピアニスター』とは、「ピアニスト」と「スター」をかけあわせた造語である。 東京都出身。武蔵高等学校を経て、1986年に東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。音楽学を小泉文夫・服部幸三、ピアノを松浦豊明・堀江孝子・野村真理の各氏に師事。在学中より各種音楽雑誌において、演奏や編曲のノウハウに関する執筆活動を開始する傍ら、クラシック音楽から演歌まで、ジャンルの垣根を超えた演奏が出来るピアニストとして活動。
フェビアン・レザ・パネ(Febian Reza Pane, … フェビアン・レザ・パネ(Febian Reza Pane, 1961年1月31日 - )は、東京都出身のピアニスト、作曲家、編曲家。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。株式会社アンフィビアン・ミュージック代表取締役(2007年 – 現在)。 1961年にインドネシア人の父と日本人の母の間に生まれる。東京芸術大学在学中から、佐藤允彦に才能を認められ共同で演奏活動を行う。西洋クラシック音楽の素養を生かしつつ、ジャズやボサノヴァ、父の出身国であるインドネシアのガムラン音楽など、世界の民族音楽の要素を独自の視点で取り入れたピアノスタイルを持つ。穏やかなメロディと柔らかで温かみのある演奏には定評があり、著名な音楽家のレコーディングでのセッションや数多くの編曲を手掛け、国内外のコンサートにもサポートメンバーとして参加。
馬塲 マサヨ(ばば まさよ、1960年 - )は日本のピアニ… 馬塲 マサヨ(ばば まさよ、1960年 - )は日本のピアニスト。福井県生まれ。 金城学院大学 文学部 音楽芸術学科教授 東京芸術大学音楽学部ピアノ科、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。 NHK交響楽団、オーケストラアンサンブル金沢、名古屋フィルハーモニー交響楽団等のオーケストラと共演の他、リサイタル多数[大言壮語的]。 ショパン国際コンクールinASIA、ピアノ教育連盟、みえ音楽コンクール、ヤマハピアノフェスティバルクラシックコンクール等の審査歴。 現在、金城学院大学文学部音楽芸術学科教授。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会正会員。
三國 正樹(みくに まさき、1958年 - )は、日本の音楽… 三國 正樹(みくに まさき、1958年 - )は、日本の音楽教育者・ピアニスト。群馬大学教育学部名誉教授。現在は群馬県高崎市在住。専門は器楽(ピアノ)。 1958年、新潟県柏崎市に生まれる。3歳でヤマハオルガン教室に入門し、4歳よりピアノを学んだ。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を1977年に卒業。同大学へ進学。1981年東京藝術大学音楽学部器楽科を卒業。1982年にクロイツァー賞を受賞。1983年、東京藝術大学大学院修士課程修了。86年3月、同大学院博士後期課程満期退学。1986年より1990年まで東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校非常勤講師。その他愛知県立芸術大学非常勤講師などを経て、現在は群馬県に在住し2024年3月まで群馬大学共同教育学部教授を務めた。
名川 太郎(ながわ たろう、1956年 - 2020年1月頃… 名川 太郎(ながわ たろう、1956年 - 2020年1月頃)は、日本のピアニスト。NHKテレビ体操・ラジオ体操へ出演していたことで知られる。 東京藝術大学作曲科卒業。1991年より演奏を始めた。 NHKテレビ・ラジオ体操のピアニストに選ばれ、幅しげみをはじめとする4人で出演した。 2018年には、香川県宇多津町で「巡回ラジオ体操・みんなの体操会」が行われた。その際にピアノ伴奏を担当。そのイベントには約800人が参加した。 2019年3月、テレビ体操を引退。 脳出血で倒れ、その後死去。
村木 ひろの(むらき ひろの、1956年 - )は日本の作曲… 村木 ひろの(むらき ひろの、1956年 - )は日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。東京都出身。 東京芸術大学及び大学院作曲科卒業。在学中、神奈川県芸術祭音楽コンクールで優勝し注目される。伴奏室内楽等で演奏する傍ら、作曲家同人深新会や21世紀音楽の会等で、新作を発表。また東京芸術大学、東京学芸大学、宇都宮大学、フェリス女学院大学で講師も務めた。現在、日本作曲家協議会会員、全日本ピアノ指導者協会会員。 2011年ピアノ曲集「24色抒情音絵巻」を出版、自演のCDも発売されレコード芸術準推薦盤に選ばれた。2012年は弦楽器奏者野田裕美子と組んで、日本の童謡の編曲集を発表。主な作品に、歌曲「ふゆのさくら」合唱曲「創造の草笛」ピアノ曲「LIKE prelude & fuga」等がある。
岡原 慎也(おかはら しんや、1954年10月31日 - )… 岡原 慎也(おかはら しんや、1954年10月31日 - )は、日本のピアニスト。指揮者。大阪音楽大学名誉教授 ポラリス国際音楽祭音楽監督。日本ドイツリート協会会長。 。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京芸術大学音楽学部卒業。 福岡県出身。4歳よりピアノを始まる。中学校の頃に全日本学生音楽コンクール中学生の部全国第一位となる。東京藝術大学卒業後は、ドイツに留学しベルリン芸術大学、ミュンヘン音楽大学マスタークラスで学ぶ。 帰国後は、数々の演奏会で高評を博し、1994年にヘルマン・プライ、1995年にテオ・アダムと共演を果たす。1996年にはディートリヒ・ヘンシェルの初来日公演をプロデュースし、1997年にシューベルトイヤー、1999年のR.シュトラウスイヤーの全国ツアーを成功させる。
海老 彰子(えび あきこ、Akiko Ebi、1953年(昭… 海老 彰子(えび あきこ、Akiko Ebi、1953年(昭和28年)7月7日 - )は、日本の大阪府出身のクラシック音楽のピアニスト。東京及びフランスのパリを拠点に活動している。 東京藝術大学卒業。フランス政府給費を得て単身渡仏。パリ国立音楽院をプルミエ・プリ(首席)卒業後、大学院課程に相当する研究科を修了。第8回、第9回浜松国際ピアノコンクール審査委員長。ロン=ティボー国際コンクール審査員。第17回、第18回、第19回ショパン国際ピアノコンクール審査員。元日本大学芸術学部大学院教授。元東京藝術大学ピアノ科客員教授。日本ショパン協会会長。横浜市招待国際ピアノ演奏会企画委員長。 バロック音楽から近代音楽、現代音楽まで幅広い。
花岡 千春(はなおか ちはる、1953年4月10日 - )は… 花岡 千春(はなおか ちはる、1953年4月10日 - )は日本のピアニスト。長野県松本市出身。男性。
坂本 龍一 (さかもと りゅういち、英語: Ryūichi … 坂本 龍一 (さかもと りゅういち、英語: Ryūichi Sakamoto、1952年〈昭和27年〉1月17日 - 2023年〈令和5年〉3月28日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、音楽プロデューサー、公益活動家。東京都出身。 音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあり、民俗音楽、ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深かった。1987年には日本人で唯一アカデミー作曲賞を受賞しており、映画音楽でも世界的に評価されている。愛称は「教授」。晩年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加していた。1990年代中盤にはインターネットの普及に先んじて逸早くライブや作品に取り入れるなど、新技術にも興味を示していた。
青柳 いづみこ(あおやぎ いづみこ、1950年6月4日 - … 青柳 いづみこ(あおやぎ いづみこ、1950年6月4日 - )は、日本のピアニスト、エッセイスト。学術博士(東京芸術大学)、大阪音楽大学名誉教授。ドビュッシー研究家。東京都出身。 東京都杉並区阿佐ヶ谷に生まれ育つ。祖父は仏文学者青柳瑞穂。4歳からピアノを習う。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て東京芸術大学音楽学部卒業。フランスに留学し、国立マルセイユ音楽院首席卒業。東京芸術大学大学院博士課程修了。安川加壽子とピエール・バルビゼに師事。 1980年に帰国し、東京で初めてのリサイタルを開く。1989年、論文『ドビュッシーと世紀末の美学』によって東京芸術大学より学術博士を授与(フランス音楽の分野で初めての博士号だった)。
井下 洋子(いのした ようこ、1945年(昭和20年)5月2… 井下 洋子(いのした ようこ、1945年(昭和20年)5月24日 - )は、日本のピアニスト。元広島文化学園大学学芸学部教授。元徳島文理大学音楽学部教授。 徳島県徳島市出身。東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業。エッセンフォルクバンク芸術大学マイスタークラス卒業。 徳島県徳島市出身。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校卒業。東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻を経てドイツのエッセンフォルクバンク芸術大学マイスタークラスを卒業。ピアノを野呂愛子、井口秋子、デートレフ・クラウスに師事。 中四国を中心に演奏活動を行い、sピアノソロリサイタル、2台のピアノデュオ、ヴァイオリンとのデュオ、トリオ、室内楽コンサート、徳島文理大学管弦楽団、徳島市民管弦楽団定期演奏会などでピアノコンツェルトを共演した。
高橋 アキ(たかはし アキ、1944年9月6日 - )は、日… 高橋 アキ(たかはし アキ、1944年9月6日 - )は、日本のピアニスト。作曲家高橋悠治は実兄。 神奈川県鎌倉市生まれ。父は季刊誌『音楽研究』の編集長を務めた音楽評論家高橋均、母はピアニスト蔭山英子。5歳より母にピアノを習う。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校から東京芸術大学卒業および同大学院修了。大学院ではゲオルク・ヴァシャヘーリに師事。大学院在学中の1968年に、日独現代音楽祭でデビュー。武満徹の《ピアニストのためのコロナ》と篠原真《タンダンス》を演奏する。1970年に初リサイタルを開く。1972年に渡欧し、ベルリン芸術週間、パリ秋の芸術祭などでリサイタルを開き、現代音楽の演奏グループ「サウンド・スペース=アーク」を結成する。
塚田 佳男(つかだ よしお、1944年2月 - )は、声楽作… 塚田 佳男(つかだ よしお、1944年2月 - )は、声楽作品を中心とする伴奏ピアニスト。 群馬県高崎市出身。群馬県立高崎高等学校在学中の1961年に実施された「高崎市歌」の作曲部門で入選する。東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業後、伴奏ピアニストに転身して小林道夫に師事。 1968年、東京藝術大学大学院オペラ科の伴奏助手として奉職する傍ら二期会の研究生となる。1969年に発足した東京室内歌劇場のオペラ公演に出演。荒削りだが雄大な演奏を披露し注目を浴びる。1970年、日本大学芸術学部音楽科伴奏法講師に就任。1975年にはドイツ・デトモルトに留学、1977年帰国。1979年に再び東京藝術大学大学院の畑中良輔教授講座、現代ドイツ・リート、日本歌曲講座の伴奏助手となるも、1989年に辞職し、フリーになる。
佐々木 健(ささき けん、1943年9月14日 - 1991… 佐々木 健(ささき けん、1943年9月14日 - 1991年8月10日)は、日本のピアニスト。パリを拠点に、ヨーロッパで活躍した。 宮城県仙台市出身。1966年に東京芸術大学を卒業し、ポーランド文化省の奨学金を得てショパン音楽アカデミーに2年間留学。ズビグニェフ・ジェヴィエツキおよびDanuta Lewandowska(ポーランド語版)に師事。その後フランスに移り、ヴラド・ペルルミュテールに師事。 パリ4区に居を構え、フランス、ポーランド、オランダ、スイス、オーストリア、ドイツ、アメリカなどで演奏活動を行なった。1972年には、ロンドンのウィグモア・ホールで公演。1984年には、優れたショパンの演奏家に送られるStefania Niekrasz Prizeを受賞している。
松谷 翠(まつや みどり、1943年3月18日 - 1994… 松谷 翠(まつや みどり、1943年3月18日 - 1994年1月9日)は、日本のピアニスト。男性。 父親はジャズピアニストの松谷穣。 幼少の頃からピアノを父に習い、クラシックとジャズの両分野に親しむ環境に育つ。 東京藝術大学音楽学部器楽学科卒業。ピアノを福井直哉、レイ・レブに師事。和声法、作曲法を小倉朗に師事する。1973年に渡欧しベルリン芸術大学で、ピアノをH.E.リーベンザームに師事する。1975年にベルリン芸術大学を卒業後帰国し、コンサート、放送、レコーディングなど活発な演奏活動を展開する。日本大学芸術学部教授。座光寺公明(1958-87) のピアノの師。作曲家ボーカリスト松谷冬太とボーカリスト松谷麗王の父。
福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2… 福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2008年10月5日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。東京都出身。父は流行歌手の松平晃。 東京学芸大学附属世田谷小学校・中学校、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。作曲を下総皖一、池内友次郎、矢代秋雄、いずみたくに師事。大学在学中から、父の親友であった藤山一郎の専属ピアニストとして活動。 大学卒業後の1964年から、NETテレビや東京12チャンネルの学校放送、およびNHK教育テレビジョンの子供番組の音楽の作曲・演奏を担当。『おかあさんといっしょ』や『いないいないばあっ!』、『みんなのうた』等の楽曲を数多く手がけた。
大場 俊一(おおば しゅんいち、1941年(昭和16年)11… 大場 俊一(おおば しゅんいち、1941年(昭和16年)11月26日 - )は日本のピアニスト。 東京都出身。東京都立杉並高等学校卒。1965年(昭和40年)東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、在学中安宅賞受賞。1968年(昭和43年)西ドイツ・デトモルト音楽大学留学。1969年(昭和44年)西ドイツ新進演奏家オーディションに合格し、ギーセン音楽祭に出演。1970年(昭和45年)ザルツブルク夏期講座において、師ヴァイセンボルンの助手を務める。1972年(昭和47年)帰国後、独奏者として、また歌曲の伴奏者、室内楽奏者として活発な演奏活動を開始し、楽壇の注目を集める。1983年(昭和58年)20世紀最高のソプラノ歌手の一人といわれるエリザベート・シュヴァルツコップフのマスタークラスで、伴奏と通訳を勤める。
木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 20… 木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 2021年6月27日 )は日本の作曲家、ピアニスト。 中国河北省石門市(現、石家荘市)で生まれ、種子島に育つ。東京芸術大学・大学院で学び1970年に修了。作曲は長谷川良夫と小倉朗に師事。1972年、札幌大谷短期大学専任講師に就任。同短期大学の助教授・教授、札幌大谷大学音楽学部教授を歴任。1964年、第33回日本音楽コンクール第3位、1973年に第2回モスクワ国際バレエコンクール最優秀伴奏ピアニスト賞、2006年に札幌芸術賞。などの受賞歴がある。国内、中国、ロシア、ヨーロッパ、オーストラリアなどで作品が演奏されており、札幌現代音楽展(歴代の同人に座光寺公明、保木誠、泉史夫、蛯子元、小林隆一、出路茂子、吉田均、兵井秀和、小森俊明らが名を連ねる)を主宰していた。
山崎 孝(やまざき たかし、Takashi Yamazaki… 山崎 孝(やまざき たかし、Takashi Yamazaki、1937年 - )は大阪府出身の日本のクラシック音楽のピアニスト。 東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業。東京藝術大学音楽学部専攻科修了。ハンガリー共和国文化勲章授与。 バルトーク《ミクロコスモス》全曲を録音している。業績としては、非常に早い段階でフレデリック・ショパンの練習曲op.10とop.25の原典版の出版に尽力した点が挙げられる。80歳を過ぎてもリサイタルをおこなう。くらしき作陽大学名誉教授。 かつては国際ピアノコンクール審査員の常連だった。
舘野 泉(たての いずみ、1936年11月10日 - )は、… 舘野 泉(たての いずみ、1936年11月10日 - )は、東京生まれのフィンランド在住のピアニスト。
小川 京子(おがわ きょうこ、1934年8月1日 - )は、… 小川 京子(おがわ きょうこ、1934年8月1日 - )は、日本のピアニスト。桐朋学園大学名誉教授。夫は音楽学者の海老沢敏。 北海道小樽市に生まれ、札幌市で育つ。東京藝術大学に進んで、井口秋子やハンス・カンの下で学び、1952年の第21回毎日音楽コンクール(後の日本音楽コンクール)のピアノ部門で入選し、以降、第25回、第26回にも入選した。東京藝術大学卒業後、ウィーン国立音楽アカデミー(後のウィーン国立音楽大学)へ留学し、ブルーノ・ザイドルホーファー (Bruno Seidlhofer) などに師事し、1960年に卒業した。 帰国後の演奏活動では、モーツァルトの演奏で知られるが、そのほかにもルートヴィヒ・シュッテのピアノ協奏曲の世界初録音、フランツ・クサーヴァー・モーツァルトのピアノ協奏曲の日本初演など、演奏機会の少ないピアノ曲に対する取り組みでも高く評価されている。
田中 瑤子(たなか ようこ、1932年4月22日 - 199… 田中 瑤子(たなか ようこ、1932年4月22日 - 1999年9月11日)は、日本のピアニスト。鳥取県出身。夫は合唱指揮者で東京混声合唱団の桂冠指揮者である田中信昭。日本演奏連盟、日本現代音楽協会所属。 アンサンブル・ピアニストとして合唱団と共演することも多く、数多くの合唱組曲の初演にピアニストとして関わった。特に三善晃からの信頼は厚く、「五つの童画」や「オデコのこいつ」、「交聲詩 海」など、多くの三善晃の作品の初演のピアノを担当している。 3歳の時からピアノやソルフェージュを学ぶ。東京藝術大学ピアノ科に入学し、藤村るり子、福井直俊、ハンス・カンに師事。大学入学直後に肺結核に罹患するも、病と戦いながら1956年に同大学を卒業。
フジコ・ヘミング(FuzjkoHemming) 本名:ゲオル… フジコ・ヘミング(FuzjkoHemming) 本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ(Georgii-Hemming Ingrid Fujiko、1931年12月5日 - 2024年4月21日)は、日本、ヨーロッパ、アメリカ合衆国で活躍したピアニストである。 父親はスウェーデン人で画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング(スウェーデン語版)(1986年死去)、母親は日本人でピアニストの大月投網子(wikidata)(1903年 - 1993年)、俳優の大月ウルフは弟、歌手の橋本潮は従姪にあたる。 1931年6月にスウェーデン人画家の父とピアノ留学中の母が結婚して12月5日にヴァイマル共和政下のドイツベルリンでフジコが誕生する。
石井 永子(いしい ひさこ、1929年(昭和4年)6月15日… 石井 永子(いしい ひさこ、1929年(昭和4年)6月15日 - 2009年(平成21年)4月23日)は、日本のピアニスト。鳴門教育大学名誉教授。元徳島県教育委員会委員長。徳島西ロータリークラブ会長。 東京芸術大学音楽学部ピアノ専攻卒業。徳島県徳島市出身。妹は徳島文理大学教授である上田和子。 1953年(昭和28年)に東京芸術大学音楽学部ピアノ専攻を卒業。徳島県で初めて東京芸術大学を卒業した人物である。卒業後は徳島大学教育学部教授、鳴門教育大学教授を歴任。1995年(平成7年)に鳴門教育大学教授を定年退職し名誉教授となる。 1997年(平成9年)8月に徳島県教育委員会委員に就任。その後、2000年(平成12年)9月から2001年(平成13年)8月まで徳島県教育委員会委員長。
永冨 和子 (ながとみ かずこ、1929年4月12日-201… 永冨 和子 (ながとみ かずこ、1929年4月12日-2010年8月17日) は、日本のピアニスト。夫は作曲家の永冨正之。 1929年4月12日、東京に生まれる(旧姓関原)。東京音楽学校(現・東京芸術大学)研究科に学び、福井直俊、安川加壽子、野辺地勝久に師事、1951年修了。同年デビューリサイタルを行う。1959年にスペイン政府給費留学生となり、同年から10年間フランスとスペインに留学する。パリではジャーヌ・ブランカール(英語版)、レーヌ・ジャノリ、アンリエット・ピュイグ=ロジェに師事、スペインではアリシア・デ・ラローチャらに師事した。 1964年、パリ国立音楽院に留学していた作曲家永冨正之と結婚する。
坪田 昭三(つぼた しょうぞう、1929年1月1日 - )は… 坪田 昭三(つぼた しょうぞう、1929年1月1日 - )は、日本のクラシック音楽のピアニスト。 1945年、静岡県立静岡中学校卒業。宅孝二、福井直俊に師事し、1949年、東京音楽学校卒業。1950年、第19回日本音楽コンクール第3位入賞。1951年、東京音楽学校研究科修了。同年、第1回リサイタル、その後、放送、オーケストラとの共演、巌本真理弦楽四重奏団との共演など、室内楽の分野でも活躍。1983年と1984年には霧島国際音楽祭に参加。ゲルハルト・ボッセ(Vn)、ミラン・シュカンパ(Va)、アントニン・コホート(Vc)、ミロシュ・サドロ(Vc)等と共演。これまでに、巌本真理、黒岩俊夫とのベートーヴェンのピアノ三重奏曲の連続演奏により、民放最優秀賞、「巌本真理を中心とする10人の演奏グループ」によるブラームス室内楽連続演奏会により、毎日芸術賞、明治百年記念芸術祭賞などを受賞。
園田 高弘(そのだ たかひろ、1928年9月17日 - 20… 園田 高弘(そのだ たかひろ、1928年9月17日 - 2004年10月7日)は、日本のクラシック音楽のピアニスト。 戦後の日本の音楽界を演奏者・教育者としてリードした。レパートリーと録音・演奏回数ともに余人の及ばない域に達しており、没年の翌年にも演奏会のスケジュールが入っていた。 1928年、東京府豊多摩郡中野町生まれ。園田の幼少期に急逝した父・清秀は、フランスでロベール・カサドシュに学んだピアニストであった。その方針により音楽の英才教育を受ける。1936年、父が他界。1939年からユダヤ系ロシア人ピアニストレオ・シロタの個人指導を受ける。本郷区千駄木尋常小学校を経て、軍事教練の無かった旧制豊山中学4年修了後、最年少で東京音楽学校に入学する。
土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年… 土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年11月14日)は、日本の作曲家、指揮者、ピアニスト、埼玉大学名誉教授。下總皖一、團伊玖磨に師事。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:クラシック音楽/PJ:クラシック音楽)。
有賀 和子(ありが かずこ 、1927年9月10日 - 20… 有賀 和子(ありが かずこ 、1927年9月10日 - 2020年5月24日)は、日本のピアニストおよびピアノ教育者。桐朋学園大学名誉教授。日本ショパン協会理事、および、財団法人日本ピアノ教育連盟相談役をつとめる。 1927年9月10日生まれ。井口基成、安川加壽子、ベヴァリッジ・ウェブスター(英語版)に師事する。1943年、17歳のとき、第12回毎日新聞社音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)のピアノ部門で第1位入賞を果たす。1948年、東京音楽学校を卒業する。 ピアニストとして活躍する。ソリストとして、また、NHK交響楽団や東京交響楽団と共演する。 ピアノ教育者としての活躍が、より有名である。
川村 深雪(かわむら みゆき、1927年 - )はピアニスト… 川村 深雪(かわむら みゆき、1927年 - )はピアニスト、ハンドベル指揮者。東京芸術大学卒業、元創価大学教授。 川村はピアニストとして、日本の西洋音楽の初期の受容において、とりわけフランス近・現代の作品や、シェーンベルク等の現代音楽作品の演奏と紹介に貢献した人物である。また歌曲や合唱曲の伴奏者としても知られた。東京芸術大学に学び、この頃、山田耕筰より直接に指導も受けている。 1940年代から1950年代、福澤アクリヴィの来日の際に主たるピアノ伴奏者をつとめた。この時、福澤と川村は、1950年代の日本においてはほとんど知られていなかったフォーレ、ドビュッシー、フランクの歌曲などを演奏している。
梶原 完(かじわら ひろし、1924年(大正13)11月9日… 梶原 完(かじわら ひろし、1924年(大正13)11月9日 - 1989年(平成元)7月29日)は、日本出身のピアニスト、音楽教育者。日本で演奏活動を始めた後、1954年にドイツに渡り、ヨーロッパ各地で演奏を重ねる。1960年からドイツ西部のベッツドルフにあるアドルフ音楽院でピアノのレッスンを始め、演奏活動を続けるかたわら多くの生徒を育てた。 梶原完は、父梶原國生と母恒子の次男として、1924年11月9日に上海で生まれた。長野県出身の父は満鉄調査部上海事務所に勤めており、音楽を愛する学究肌の人物だった。同じく長野県出身の母は、女子高等師範学校を首席で卒業し、仙台で教師を務めた後に、結婚まで東京の東洋英和女学院でも教えていた。
片岡 みどり(かたおか みどり、1923年(大正12年)10… 片岡 みどり(かたおか みどり、1923年(大正12年)10月15日 - 2009年(平成21年)12月1日)は、日本のピアニスト。相愛大学名誉教授。 東京音楽学校卒業。愛知県出身。 愛知県出身。中村佳永子、井口基成に師事し、1944年(昭和19年)に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)本科器楽部ピアノ専攻を卒業。相愛大学名誉教授や日本シマノフスキ協会の理事を務めていた。 門下生に花房晴美、太田紗和子、平野智子、今岡淑子などがいる。 2009年(平成21年)12月1日、86歳で亡くなった。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
室井 摩耶子(むろい まやこ、1921年〈大正10年〉4月1… 室井 摩耶子(むろい まやこ、1921年〈大正10年〉4月18日 - )は、日本のピアニスト。2025年現在、104歳でなお現役の日本最高齢ピアニストである。 東京府(現・東京都)に生まれる。成城小学校に入学した6歳からピアノを始め、小学4年次から高折宮次に師事。1941年、東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)を首席で卒業。同校研究科へ進み、レオニード・クロイツァー教授に師事、1943年に修了。 1945年1月、日比谷公会堂での日本交響楽団(NHK交響楽団の前身)の演奏会でソリストを務めてデビュー。終戦後、本格的にリサイタル活動を開始。エリック・サティやデュカスなど多くの作品を日本初演した。
大島 正泰(おおしま まさやす、1919年(大正8年)9月2… 大島 正泰(おおしま まさやす、1919年(大正8年)9月20日 - 2012年(平成24年)6月15日)は、日本のピアニスト、音楽教育者。桐朋学園大学音楽学部名誉教授。 台湾台北市において、動物学者の父・大島正満と、東京音楽学校卒の母・イマコの五男として生まれる。 1940年(昭和15年)東京音楽学校予科を経て本科器楽科卒業。1942年(昭和17年)同校研究科修了。田中規矩士、レオ・シロタ、井口基成に師事。 1947年(昭和22年)フェリス女学院(当時の校名は「横浜山手女学院」と変えられていたが、1950年(昭和25年)に「フェリス女学院」に戻される)専門学校音楽科創設と共にピアノ講師となる。
若松 紀志子(わかまつ きしこ、1915年 - 2012年4… 若松 紀志子(わかまつ きしこ、1915年 - 2012年4月23日)は、日本のピアニスト。2010年現在95歳を迎えた時点でも、ピアノ指導に従事。教え子の数は1000人を超える。指揮者小林研一郎を見出した。アザミ会・アートスペースエリコーナ主宰。夫は画家の若松光一郎。
三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 -… 三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 - 1994年8月1日)は、日本の音楽家、ピアニスト、合唱指揮者、フェリス女学院短期大学名誉教授。 長年にわたり日本女声合唱団の指導にあたるとともに、フェリス女学院短期大学学長などを務めた。 熊本県に生まれたが、間もなく神奈川県横浜市へ移った。東京音楽学校に学び、ケルン音楽大学へ留学した。1941年からフェリス女学院(戦時下では「横浜山手女学院」)で教鞭を執り、専門学校音楽科を開設する際には團伊玖磨とともに中心的な役割を果たし、戦後における短期大学音楽科への昇格でも中心となって、後の大学音楽学部への発展の基礎を築いた。 1969年には第18回横浜文化賞を受賞し、1978年には第27回神奈川文化賞を妻である三宅春恵とともに受賞した。
本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)… 本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)7月16日 - 没年不明)は、日本のピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。元甲南大学文学部講師。 東京音楽学校ピアノ科卒業。兵庫県神戸市出身。 兵庫県神戸市出身。1935年(昭和10年)に東京音楽学校ピアノ科(現:東京芸術大学音楽学部)を卒業し、ピアノを高折宮次、レオ・シロタ、森昭子に師事する。 1951年(昭和26年)から1974年(昭和49年)まで甲南大学文学部で講師を務め、徳島女子大学音楽学部で講師・教授となり、同大学が改称した徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
島村 千枝子(しまむら ちえこ、旧姓:生越、1912年〈大正… 島村 千枝子(しまむら ちえこ、旧姓:生越、1912年〈大正元年〉10月7日 - 1976年〈昭和51年〉9月2日)は、日本のピアニスト。 元東京音楽学校教授。元武蔵野音楽大学音楽学部教授。元徳島文理大学音楽学部教授。 東京音楽学校ピアノ科卒業。東京都出身。息子は地震学者の島村英紀。 東京都出身。1937年(昭和12年)に東京音楽学校ピアノ科を卒業した。 1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)まで東京音楽学校で教鞭を執り、その後は武蔵野音楽大学音楽学部や徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 1976年(昭和51年)9月2日、死去。享年63。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
豊増 昇(とよます のぼる、1912年〈明治45年〉5月23… 豊増 昇(とよます のぼる、1912年〈明治45年〉5月23日 - 1975年〈昭和50年〉10月9日)は、日本のピアニスト、音楽教育者。日本藝術院会員。佐賀県佐賀市出身。 1933年、東京音楽学校卒。高折宮次、レオ・シロタらに師事。1936年ドイツに留学、1943年東京音楽学校教授。その後、京都市立音楽短期大学教授を経て、1959年に武庫川女子大学音楽部長となった。 1940年にベートーヴェンのピアノソナタとピアノ協奏曲全作品の連続演奏会、1949年にバッハ死後200年記念ピアノ曲連続演奏会、さらに1950年にもバッハのピアノ曲全作品の連続演奏会をおこなった。1956年、日本人として初めてベルリンフィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に出演した(指揮はヨーゼフ・カイルベルト)。
遠見 豊子(とおみ とよこ、1912年3月6日 - 1979… 遠見 豊子(とおみ とよこ、1912年3月6日 - 1979年8月3日)は日本のピアニスト、音楽教育者。京都府出身。1929年に東京音楽学校予科に入学。1933年3月に同校本科器楽部ピアノ専攻を卒業。同年より同校の聴講科と研究科に進学し、1935年3月に聴講科ピアノ専攻を、1936年3月に研究科作曲部を修了。レオ・シロタ、クラウス・プリングスハイム、レオニード・クロイツァーに師事した。1939年10月(2日または20日)にデビュー。上野楽星会員。東京女子高等師範学校、武蔵野音楽学校、上野児童音楽学園講師。お茶の水女子大学教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
井口 愛子(いぐち あいこ、1910年1月28日 - 198… 井口 愛子(いぐち あいこ、1910年1月28日 - 1984年12月1日)は、日本のピアノ教育家・ピアニスト。東京府東京市日本橋区(現東京都中央区)出身。本名は、佐藤愛子(旧姓:井口)。 とくに基礎教育が専門分野であった。 音楽之友社・新音楽辞典による。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
松谷 穣(まつや みのる、1910年1月2日 - 1995年… 松谷 穣(まつや みのる、1910年1月2日 - 1995年5月15日)は、日本のジャズピアニスト。ゆずる、じょうとも呼ばれていた。 東京音楽学校卒。ウクライナ出身のユダヤ人ピアニスト、レオ・シロタに師事する。戦後米軍の仕事で、クラシックからジャズに転向した。多くの日本のジャズボーカリストの育て親となる。藤山一郎の友人。作曲家小倉朗とも親しく、『ピアノソナチネ』(1937年)を初演する。 ピアニストの松谷翠 (1943 - 1994) は息子である。息子の亡くなった翌年に死去した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
中村 佳永子(なかむら かえこ、1909年(明治42年)9月… 中村 佳永子(なかむら かえこ、1909年(明治42年)9月1日 - 1987年(昭和62年))は、日本のピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。 神戸絢、井口秋子に師事し、1931年(昭和6年)に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)甲種師範科を卒業。卒業の際、二条厚基賞を受賞。 音楽学校卒業後は徳島女子短期大学部音楽科(現:徳島文理大学短期大学部音楽科)の講師となり、後に徳島女子大学音楽学部(現:徳島文理大学音楽学部)の教授に就任する。 第二次世界大戦後の徳島県内のピアノ教育に尽力し、東京芸術大学・桐朋学園大学・神戸女学院大学・大阪音楽大学などの大学にピアニストを輩出した。また門下生に相愛大学名誉教授の片岡みどりなどがいる。
越谷 達之助(こしたに たつのすけ、1909年 - 1982… 越谷 達之助(こしたに たつのすけ、1909年 - 1982年)は、日本の音楽教育家、作曲家、伴奏ピアニスト。 1931年、東京音楽学校師範科を卒業。和歌山師範学校に教官として赴任する。その後、俳優(芸名・高倉彰)を経て作曲家、伴奏ピアニスト(特に三浦環の伴奏家として著名)として各地で活躍する。第二次世界大戦後は、青山学院高等部に長年勤め、その傍ら同学院大学、短大講師を務めた。教育者としては一級であった。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
井口 基成(いぐち もとなり、1908年5月17日 - 19… 井口 基成(いぐち もとなり、1908年5月17日 - 1983年9月29日)は日本のピアニスト・ピアノ教育家。妹の井口愛子(後に佐藤愛子)と、前妻の井口秋子もピアニスト・ピアノ教育家という音楽一族。 井口基二と秀の長男として東京府東京市日本橋区浜町(現東京都中央区日本橋浜町)に生まれる。 1915年、浜町尋常小学校入学。1921年、京華中学校入学。16歳から田中規久士にピアノを師事。東京音楽学校器楽部ピアノ科にて高折宮次、レオニード・コハンスキに師事する。卒業後フランスに留学、イヴ・ナットのもとで研鑽を重ねた。1934年、帰国後初のリサイタルを日比谷公会堂で行い、その後活発な演奏活動を展開する。
井口 秋子(いぐち あきこ、1905年11月1日 - 198… 井口 秋子(いぐち あきこ、1905年11月1日 - 1984年10月2日)は、日本のピアニスト、ピアノ教育家。東京芸術大学名誉教授。夫は同じくピアニスト・ピアノ教育家の井口基成。結婚前の姓は澤嵜(さわざき)。 訳書に「現代ピアノ演奏法」(ライマー・ギーゼキング著)がある。 息子の井口家成は物理学者で東京工業大学教授。