藤井 久仁江(ふじい くにえ、1933年〈昭和5年〉8月15… 藤井 久仁江(ふじい くにえ、1933年〈昭和5年〉8月15日 - 2006年〈平成18年〉9月12日) は、箏曲家。 生田流箏曲・地歌の第一人者。人間国宝。元東京芸術大学客員教授。 幼少より母・阿部桂子に箏を学び、のちに宮城道雄に学ぶ。また、九州系地歌を川瀬里子から学んだ。 1955年NHK邦楽技能者育成会第一期卒業。2002年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。 研究熱心で曲の解釈に優れ、堅実で正確な地歌の演奏家として知られる。 文化庁芸術祭大賞の他、受賞多数。海外での演奏もフランス・ドイツ・イタリア、アメリカをはじめ各地で行った。 98年まで東京芸術大学客員教授、また一門の「銀明会」を主催し、後進の育成にも努めた。
山口 五郎(やまぐち ごろう、1933年2月26日 - 19… 山口 五郎(やまぐち ごろう、1933年2月26日 - 1999年1月3日)は日本の尺八奏者。元東京芸術大学教授、人間国宝。 昭和8年(1933年)東京・本郷にて、琴古流尺八家1世川瀬順輔門下の山口四郎と千枝(本名ヤエ。地歌箏曲家川瀬里子の姪)との間に生まれる。11歳より琴古流尺八を、父・四郎に師事。
白木 秀雄(しらき ひでお、本名:柏倉 秀康、1933年1月… 白木 秀雄(しらき ひでお、本名:柏倉 秀康、1933年1月1日 - 1972年8月22日頃)は、日本のジャズ・ドラマー。 東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)の酒屋に生まれる。錦城高校ではハーモニカ・バンドに所属してドラムを担当し、ハーモニカを川口章吾、ドラムを奥田宗宏に師事した。やがてプロのジャズミュージシャンを志すようになり、1951年に東京芸術大学音楽学部打楽器科に進学した(のちに中退)。この年の東京芸大打楽器科の新入生は2名だけで、もう1人は後に指揮者となる岩城宏之であった。 東京芸大在学中からプロのジャズ・ドラマーとして活動を始めた。大学側が学生の学外演奏活動を表向きは禁じていたため芸名で活動することとし、本名の「柏倉」の「柏」の字を分けて「白木」とした。
齋藤 鶴吉(さいとうつるきち、1933年1月[要出典] - … 齋藤 鶴吉(さいとうつるきち、1933年1月[要出典] - )は日本のチェロ奏者(チェリスト)、音楽家、音楽活動家。NHK交響楽団団友、横浜室内楽協会代表、一般社団法人横浜音楽文化協会特別顧問。妻は横浜市助役を務めた齋藤龍。 東京に三兄弟の末子として生まれる。長野県大町高等学校を卒業。[要出典] 9歳年長の次兄で作曲家の筆名斎藤高順(本名齋藤孝順)の影響でチェロを始め、堀内静雄、広田幸夫、吉田貴壽、小沢弘に師事。[要出典] 1957年に東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業。海野義雄らと、アカデミー弦楽四重奏団を結成。絶大な人気を博し全国で華々しい演奏活動を行う。[要出典] 1958年、東京芸術大学音楽学部音楽専攻科修了。
中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 … 中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。本名:中村 雄。 東京都出身。1958年(昭和33年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。畑中良輔に師事。 オペラデビューは1959年(昭和34年)ロッシーニ『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵。オペラでの出演歴はきわめて多数にのぼり、二期会、東京室内歌劇場を主に、昭和音楽大学オペラ情報センターに記録されているだけでも127回を数える。主演したオペラは70曲を超えているという。「オペラ界での長年の活躍と日本初演作上演への貢献も著しい往年の名テナー」である。
松下 修也(まつした しゅうや、1929年3月6日 - 20… 松下 修也(まつした しゅうや、1929年3月6日 - 2018年5月29日)は、日本のチェロ奏者。戦後日本チェロ界の草分け的存在とされる。 東京府出身、東京都国分寺市在住。1946年東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を卒業(1945年中退とする資料もある)。先輩に芥川也寸志、同級生に黛敏郎がいた。チェロを平井保三、斎藤秀雄に師事。当時は戦中後の食糧難の最中で、西洋音楽は非国民と非難されるためにチェロを持って外出するときは風呂敷で包んで隠すなど苦労を重ねた。 1949年、第18回日本音楽コンクールで1位となる。1950年、東京交響楽団の定期演奏会でラロのチェロ協奏曲を弾いてプロデビュー(当時20歳)。
千葉 馨(ちば かおる、1928年3月6日 - 2008年6… 千葉 馨(ちば かおる、1928年3月6日 - 2008年6月21日)は、日本のホルン奏者。NHK交響楽団の首席ホルン奏者を長く務め、「バーチ」の愛称でも知られた。妻はピアニストの本荘玲子。 大分県別府市出身。7歳からヴァイオリンを学び、中学校(旧制)在学中にラッパ鼓隊の一員となってホルンを学んだ。東京音楽学校に進み、在学中に日本交響楽団(現:NHK交響楽団)の研究員となり、1949年に卒業すると同時に同楽団の正団員となった。 1956年から1958年まで渡欧、デトモルト音楽大学のグスタフ・ノイデッカーおよびフィルハーモニア管弦楽団のデニス・ブレインに師事した。 日本のホルン奏者の草分け的な存在で、NHK交響楽団の首席奏者として長く活躍した。
江藤 俊哉(えとう としや、1927年〈昭和2年〉11月9日… 江藤 俊哉(えとう としや、1927年〈昭和2年〉11月9日 - 2008年〈平成20年〉1月22日)は、東京都豊島区生まれのヴァイオリニストである。従四位旭日中綬章。国内外で活発な演奏活動を行ったほか、指導者としても多大な功績を残した。妻は、同じくヴァイオリニストの江藤アンジェラ。 1927年、父俊明、母たかの第2子(長男)として生まれた。父の俊明はNHK教養課職員。「俊哉」の名前は、父が「あやかるように」と、アウアー門下のトーシャ・ザイデルの名にちなんで付けた。1932年、4歳の時に父に連れられ鈴木鎮一を訪れ、鈴木に師事する。これを契機にスズキ・メソードが誕生したと言われ、江藤俊哉は「才能教育第1号」と呼ばれる。
鈴木 清三(すずき せいぞう、1922年6月20日 - 20… 鈴木 清三(すずき せいぞう、1922年6月20日 - 2008年1月12日)は、日本のオーボエ奏者。 北海道札幌市出身。父親は清元高輪派の名匠:清元清美太夫。 1942年、東京音楽学校(現・東京藝術大学)在学中に、満州国建国10周年奉祝使節団として東京音楽学校によって組織されたオーケストラに参加し、首都・新京その他で演奏に加わった。1944年、東京音楽学校を学徒出陣で繰上げ卒業。海軍航空隊で終戦を迎えた。卒業演奏はグロヴレーズの「サラバンドとアレグロ」(1943年末の報国演奏会)で、ピアノ伴奏を中田一次が務めた。 復員後、研究科に復学、修了後は東京フィルハーモニー交響楽団、NHKサロン・アンサンブル、日本フィルハーモニー交響楽団(創立メンバー)を経て、1972年に新日本フィルハーモニー交響楽団の結成に参画し、首席奏者、運営委員長、楽団長、名誉首席奏者を歴任、1992年のリサイタルまで長く演奏活動を続けた。
村尾 アサ子(むらお アサこ、旧姓:中村、1921年(大正1… 村尾 アサ子(むらお アサこ、旧姓:中村、1921年(大正10年)12月31日 - 2003年(平成15年))は、日本のオルガニスト。ピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。 東京音楽学校器楽科卒業。香川県高松市出身。 香川県高松市出身。1943年(昭和18年)に東京音楽学校器楽科(現:東京芸術大学音楽学部)を卒業し、オルガンを真篠俊雄、井原秀子に師事する。 大学を卒業後は徳島女子大学音楽学部で講師となり、その後、徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 またこれまでに香川音楽協会、全四国大学音楽学会に所属し、香川県教育委員会音楽指導主事などを歴任した。 2003年(平成15年)、死去。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 200… 中田 一次(なかだ かずつぐ、1921年1月5日 - 2001年4月9日)は、日本の作曲家、指揮者、ファゴット奏者。童謡や宗教曲(キリスト教)などの作曲で知られる。筆名は楫山つとむ。 東京府豊多摩郡(後の東京市、現在の東京都渋谷区)出身東京音楽学校卒業。山形大学音楽科教授を経て、昭和音楽大学短期大学部名誉教授も務めた。日本フィルハーモニー交響楽団、東京管楽器協会などでファゴットとコントラファゴットを演奏、晩年は日本ファゴット(バスーン)協会会長を務めた。バッハ等古典作品のダブルリード合奏のための編曲も多く、またNHKラジオ「音楽の泉」テーマ曲として昭和30年代から40年代に流れたシューベルト「楽興の時」の編曲者でもある(番組テーマは後にピアノ独奏のものに変更。
渡邊 高之助(わたなべ たかのすけ、1919年(大正8年)3… 渡邊 高之助(わたなべ たかのすけ、1919年(大正8年)3月3日 - 2003年(平成15年)7月1日)は、日本の声楽家(テノール)・音楽教育者。新字体で、渡辺 高之助と表記されることがある。 東京府四谷区生まれ。1941年(昭和16年)東京音楽学校声楽科卒業。木下保に師事。東京放送合唱団などで活躍。1952年(昭和27年)の二期会創立以来のメンバー。オペラ歌手として、二期会、グルリット・オペラ協会、長門美保歌劇団等、数多くのオペラに出演し、昭和音楽大学オペラ研究所に記録されているだけでも出演回数は58回にのぼる。 音楽教育面においては1958年(昭和33年)東京芸術大学助教授となり、1960年(昭和35年)声楽科主任、1969年(昭和44年)教授。
多 久興(おおの ひさおき、1915年(大正4年)2月5日 … 多 久興(おおの ひさおき、1915年(大正4年)2月5日 - 1979年(昭和54年)11月17日)は、日本のヴァイオリニスト。元東京芸術大学音楽学部教授。徳島文理大学客員教授。 東京音楽学校卒業。東京都出身。父はヴァイオリニストの多久寅。 東京都出身。東京音楽学校の教授でヴァイオリニストである多久寅の子として生まれ、弟の多久尚もヴァイオリニストである。 1937年(昭和12年)に東京音楽学校を卒業し、1938年(昭和13年)の第6回日本音楽コンクールで第3位となる。 また東京藝術大学で教鞭を執り、同大学の教授を務めたほか、徳島文理大学の客員教授も務めた。 1979年(昭和54年)11月17日、死去。
鈴木 共子(すずき きょうこ、1914年10月22日 - 2… 鈴木 共子(すずき きょうこ、1914年10月22日 - 2002年8月11日)は、東京生まれのヴァイオリニストである。 1935年、東京音楽学校本科器楽部ヴァイオリン専攻を卒業。1936年、時事新報社主催の第5回音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)で第2位となる。1938年~1940年、フランスに留学、ボリス・カメンスキー(英語版)に師事した。1949年、第1回毎日音楽特別賞を受賞。1961年の桐朋学園大学創立以来教授を務めた。2002年5月、「米寿を祝うコンサート」が開かれ、教え子である古澤巌、渡辺玲子、荒井英治、植村理葉、植村菜穂、西野優子などが出演した。同年8月、脳梗塞のため87歳で亡くなった。
熊田 為宏(くまだ ためひろ、1913年10月20日 - 1… 熊田 為宏(くまだ ためひろ、1913年10月20日 - 1993年)は、日本の作曲家、フルート奏者。 福島県出身。下総皖一と山口正男に師事し、1941年3月に東京音楽学校甲種師範科を卒業。富山師範学校教諭、土浦高等女学校教諭、NHK仙台放送合唱団・管弦楽団常任指揮者、山形大学音楽科、宮城学院女子大学にて教鞭を取る。日本指揮者協会会員、日本フルート協会理事を歴任。NHKラジオのインターバルシグナル音楽を作曲。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
古川 太郎(ふるかわ たろう、1911年(明治44年)5月2… 古川 太郎(ふるかわ たろう、1911年(明治44年)5月20日 - 1964年(昭和39年)7月4日)は、栃木県大田原市生まれの箏曲演奏家・作曲家である。宮城道雄の高弟。代表作として、「富嶽三十六景」「箏八重奏曲」「地蔵浄土」「平調子」「足をはづされた客車」などがある。 古川太郎の門下生に、尺八家・作曲家として高名な船川利夫がいる。
井口 愛子(いぐち あいこ、1910年1月28日 - 198… 井口 愛子(いぐち あいこ、1910年1月28日 - 1984年12月1日)は、日本のピアノ教育家・ピアニスト。東京府東京市日本橋区(現東京都中央区)出身。本名は、佐藤愛子(旧姓:井口)。 とくに基礎教育が専門分野であった。 音楽之友社・新音楽辞典による。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
井口 基成(いぐち もとなり、1908年5月17日 - 19… 井口 基成(いぐち もとなり、1908年5月17日 - 1983年9月29日)は日本のピアニスト・ピアノ教育家。妹の井口愛子(後に佐藤愛子)と、前妻の井口秋子もピアニスト・ピアノ教育家という音楽一族。 井口基二と秀の長男として東京府東京市日本橋区浜町(現東京都中央区日本橋浜町)に生まれる。 1915年、浜町尋常小学校入学。1921年、京華中学校入学。16歳から田中規久士にピアノを師事。東京音楽学校器楽部ピアノ科にて高折宮次、レオニード・コハンスキに師事する。卒業後フランスに留学、イヴ・ナットのもとで研鑽を重ねた。1934年、帰国後初のリサイタルを日比谷公会堂で行い、その後活発な演奏活動を展開する。
山下 清孟(やました きよはる、1907年9月25日 - 1… 山下 清孟(やました きよはる、1907年9月25日 - 1991年10月6日)は、日本の吹奏楽指導者である。世界的打楽器奏者、ツトム・ヤマシタの父。上京中学校吹奏楽部を創部。生徒には北村源三が所属。 京都府南丹市美山町鶴ヶ岡出身。東京音楽学校選科ピアノ研究科修了。京都市上京中学校教員を勤める。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
兎束 龍夫(うづか たつお、1906年(明治39年)7月9日… 兎束 龍夫(うづか たつお、1906年(明治39年)7月9日 - 1985年(昭和60年)3月7日)は、日本のヴァイオリニスト。 旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1930年東京音楽学校卒業。安藤幸子らに師事しヴァイオリンを習う。1937年母校助教授。1947年教授。弦楽科主任・管弦楽部長となる。室内楽の研究と演奏活動の傍ら、付属音楽高等学校校長も兼務。1974年退官して東京芸術大学名誉教授。後に昭和音楽大学副学長となる。 大谷康子、澤和樹、篠崎功子、島根恵、海野義雄、向島ゆり子など多くの門下生がいる。全日本学生音楽コンクールや日本音楽コンクールなど多くのコンクールでも審査員を務め、彼の死後の1989年には全日本学生音楽コンクールのヴァイオリン部門の一位におくられる賞が兎束賞と名付けられた。
井口 秋子(いぐち あきこ、1905年11月1日 - 198… 井口 秋子(いぐち あきこ、1905年11月1日 - 1984年10月2日)は、日本のピアニスト、ピアノ教育家。東京芸術大学名誉教授。夫は同じくピアニスト・ピアノ教育家の井口基成。結婚前の姓は澤嵜(さわざき)。 訳書に「現代ピアノ演奏法」(ライマー・ギーゼキング著)がある。 息子の井口家成は物理学者で東京工業大学教授。
薗田 誠一(そのだ せいいち、1905年〈明治38年〉10月… 薗田 誠一(そのだ せいいち、1905年〈明治38年〉10月5日 - 1986年〈昭和61年〉8月3日)は、日本の声楽家(テノール)、オペラ歌手、音楽教育者、音楽評論家、音楽学者、合唱指揮者。お茶の水女子大学名誉教授。 千葉県出身。1930年(昭和5年)東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)卒業。マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 卒業後、戦前からリサイタル、コンサートで活動し、特にドイツ歌曲を得意とした。 戦後まもなく演奏活動に復帰。門下生の柴田睦陸が結成し、二期会の母体となった東京藝術大学歌劇研究部 ベルリオーズ『ファウストの劫罰』の主役ファウストを務めている。
橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashi… 橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashimoto、1904年9月14日 - 1949年5月6日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者、音楽教育者。 東京都本郷生まれ。ヴァイオリンを辻吉之助に師事。北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)を経て、1923年(大正12年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)入学。安藤幸とヨゼフ・ケーニヒにヴァイオリンを、チャーレス・ラウトロプに指揮法を学ぶ。作曲は信時潔に指導を受けるもほとんど独学であったが、同校研究科で作曲を学ぶ。歌曲『お菓子と娘』『黴』などで作曲家としての名声を獲得。斬新な曲を作る一方ではポピュラーなCM曲や歌謡曲にも手を染めた。
沖 不可止(おき ふかし、1902年3月6日 - 1976年… 沖 不可止(おき ふかし、1902年3月6日 - 1976年3月15日または3月31日)は、日本の昭和期の作曲家、指揮者、チェロ奏者。東京府出身。ハインリヒ・ヴェルクマイスターと信時潔に師事し、1926年(大正15年)3月に東京音楽学校本科器楽部チェロ専攻を卒業。妻は日本舞踊家の藤蔭絃枝(2代目藤蔭静枝、本名:沖カツ子)。数多くの学校の校歌を作曲している。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
高階 哲夫(たかしな てつお、1896年〈明治29年〉3月5… 高階 哲夫(たかしな てつお、1896年〈明治29年〉3月5日 - 1945年〈昭和20年〉4月17日)は、日本のヴァイオリニスト、作曲家、指揮者。本名は高階哲応、出生名は瀬木三五郎、筆名は小田進吾。博報堂の創設者である瀬木博尚は伯父にあたる。 富山県中新川郡滑川町(後の滑川市山王町)で誕生した。生家の瀬木家は富山藩に仕えた家柄で、父は開達小学校(現在の滑川市立田中小学校)の校長、その三男として生まれる。伯父の瀬木博尚は博報堂の創設者。 1901年(明治34年)に天台宗の寺院・長泉寺を継承する高階家の養子となり、1906年(明治39年)に「哲応」に改名した。 富山師範学校在学中に、先輩である浄誓寺の福井直秋の後を追い、東京音楽学校(後の東京芸術大学)への進学を決意し卒業後は1年余の浜加積尋常高等小学校訓導を経た。
雨田 光平(あまだ こうへい、1893年2月1日 - 198… 雨田 光平(あまだ こうへい、1893年2月1日 - 1985年11月14日)は、日本の箏曲家、彫刻家、ハープ奏者。本名は雨田 外次郎(あまだ ほかじろう)。福井県出身。 福井市に生まれる。東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)卒業。在学中に箏曲京極流始祖の鈴木鼓村に師事した。1920年に渡米、アメリカ合衆国とフランスで10年間にわたってハープを修業し、1926年にマルセル・トゥルニエに師事。彫刻家としても国際的に活躍し、「日本のロダン」と呼ばれた。1929年に帰国。日本ハープ協会顧問。箏曲京極流2代目宗家。絵画、詩、書、陶芸など幅広い分野で藝術活動をおこなった。1959年、中日文化賞受賞。
杉山 長谷夫(すぎやま はせお、1889年(明治22年)8月… 杉山 長谷夫(すぎやま はせお、1889年(明治22年)8月5日 - 1952年(昭和27年)8月25日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教育者、指揮者。本名は杉山 直樹(すぎやま なおき)。別名として杉山 長谷雄、杉山 はせをという表記も見られる。 愛知県名古屋市出身。1913年(大正2年)東京音楽学校器楽科卒業。安藤幸、アウグスト・ユンケル、ハインリヒ・ヴェルクマイスター、アレクサンドル・モギレフスキーらにヴァイオリンや作曲を師事した。東京音楽学校を卒業後はヴァイオリン奏者として活躍し、高階哲夫、多基永、高勇吉、芝盂泰、多忠亮らと室内楽運動を展開。暁星中学校、俳優学校、陸軍戸山学校などで音楽を教えた。
信時 潔(のぶとき きよし、1887年〈明治20年〉12月2… 信時 潔(のぶとき きよし、1887年〈明治20年〉12月29日 - 1965年〈昭和40年〉8月1日)は、大正・昭和時代の日本の作曲家・音楽学者・チェロ奏者。大阪市出身。 牧師・吉岡弘毅(元津山藩士の外交官で明治初期の日朝外交を担当)の子として大阪市北区中之島に生まれ、幼少より賛美歌に親しんだ。大阪の市岡中学を経て、東京音楽学校器楽部および研究科器楽部でチェロを学んだ後、同科作曲部に移り、アウグスト・ユンケルに指揮法、ハインリヒ・ヴェルクマイスターにチェロと作曲、ルドルフ・ロイテルに対位法と和声学を師事する。東京音楽学校助教授を務めたのち、留学先のドイツでゲオルク・シューマンに師事、帰国後に東京音楽学校教授となる。
竹内 平吉(たけうち へいきち、1887年(明治20年)9月… 竹内 平吉(たけうち へいきち、1887年(明治20年)9月6日 - 1972年(昭和47年)4月14日)は、日本の作曲家、指揮者、チェロ奏者。帝国劇場附属洋楽部の初代楽長、宝塚少女歌劇作曲家、指揮者。 静岡県出身。1906年(明治39年)、静岡県立静岡中学校卒業。東京音楽学校卒業。チェロをハインリヒ・ヴェルクマイスターに、音楽理論をアウグスト・ユンケルに学ぶ。1911年(明治44年)に新設された帝国劇場附属洋楽部の初代楽長として迎えられ、チェリスト、専任指揮者としてジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーとともに創成期のオペラ指導に尽力。1923年(大正12年)に起きた関東大震災を機に宝塚少女歌劇に移り、指揮者を務める。
中田 章(なかだ あきら、1886年(明治19年)7月8日 … 中田 章(なかだ あきら、1886年(明治19年)7月8日 - 1931年(昭和6年)11月27日)は日本の作曲家、オルガニスト 、教育者。代表曲は「早春賦」であり、「日本の歌百選」に選ばれている。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。 東京都出身で高嶺秀夫の奨めによって東京音楽学校に進み、甲種師範科および研究科卒業。東京音楽学校教授として音楽理論、オルガンを教えた。 また、大韓帝国皇太子に唱歌を教授する。1929年、大礼記念章を受章。父は旧会津藩士。妻は奥村土牛の従姉で、作曲家の中田一次は次男、中田喜直は三男。会津会会員。
鳥居 維(とりい つな、1886年4月11日 - 1966年… 鳥居 維(とりい つな、1886年4月11日 - 1966年9月14日)は、日本のヴァイオリニスト、作曲家、音楽教師。 愛知県出身。1906年7月に東京音楽学校本科器楽部を卒業。1909年9月に同校研究科器楽部ヴァイオリン専攻を修了した。安藤幸とアレクサンドル・モギレフスキーに師事。1906年9月から1944年3月まで東京音楽学校の器楽部ヴァイオリン専攻の音楽教師を務め、1912年4月に教務嘱託、1919年4月に講師、1929年6月に助教授、1934年11月に教授となった。1930年から1941年まで同校管弦楽部員(ヴァイオリン)。大日本作曲家協会員および大日本音楽協会員。 邦楽に通じ、三味線楽譜の著作がある。
山井 基清(やまのい もときよ、1885年8月29日 - 1… 山井 基清(やまのい もときよ、1885年8月29日 - 1970年12月8日)は、日本の雅楽師、ヴァイオリニスト、ヴィオリスト、作曲家、音楽教師。 山井基万(もとかず)の三男として生まれる。1898年より宮内省式部職雅楽部楽生となり、式部職雇音楽教師ヴィルヘルム・ドゥブラヴチッチ(1901年に来日)、安藤幸、アウグスト・ユンケルにヴァイオリンを師事する。楽生として左舞、笛、箏、ヴァイオリン、ヴィオラを担当した。1908年に東京音楽学校器楽科を卒業し、同年に式部職楽部楽手、1909年に楽師となる。1922年に長男の山井清雄(すみお)が生まれる。1922年に芝忠重とともにドイツに留学して1924年に帰国。
安藤 幸(あんどう こう、1878年(明治11年)12月6日… 安藤 幸(あんどう こう、1878年(明治11年)12月6日 - 1963年(昭和38年)4月8日)は、日本における洋楽界揺籃期のヴァイオリニスト。幸田露伴、幸田延の妹。 東京府下谷区(現・東京都台東区)生まれ。1881年から西川喜舞に日本舞踊を、1883年から初代山勢松韻に箏曲を、1888年の10歳の頃からルドルフ・ディットリヒにヴァイオリンを習い、1896年東京音楽学校(現東京芸術大学)本科器楽部を卒業。同校研究科に進学。ディットリヒ、姉の幸田延(1895年にウィーン留学から帰国)、アウグスト・ユンケル(1899年に来日)らに学んだ。音楽学校時代に仲の良かった同級生として作詞家の東くめ(代表作に「お正月」「鳩ぽっぽ」など)がいる。
岡野 貞一(おかの ていいち、1878年〈明治11年〉2月1… 岡野 貞一(おかの ていいち、1878年〈明治11年〉2月16日 - 1941年〈昭和16年〉12月29日)は 、日本の作曲家 、教育者 、オルガニスト。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。 鳥取県邑美郡古市村(現在の鳥取市)に、士族 岡野平也の子として生まれ、幼少期に実父を亡くし、貧困の中で育つ。鳥取高等小学校(現在の鳥取市立久松小学校)へ進学。同校には日本の音楽教育家・作曲家田村虎蔵も学年違いで在校していた。 1892年、キリスト教徒として鳥取教会(現在:日本基督教団)で洗礼を受け、翌年、岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を習った。 東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の第2代校長である同郷の村岡範為馳が1892年に鳥取で行った講演に影響され、1895年には岡山の薇陽学院を中退し、上京して東京音楽学校に入学、1900年に専修部を卒業した。
島崎 赤太郎(しまざき あかたろう、1874年〈明治7年〉7… 島崎 赤太郎(しまざき あかたろう、1874年〈明治7年〉7月9日 - 1933年〈昭和8年〉4月13日)は、日本の作曲家、音楽教育者であり、オルガン奏者である。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。 東京の築地(入船)に生まれた。父親の熊次郎は大工棟梁であったが、1886年(明治19年)ごろ、一家をあげてクリスチャンとなった。この父親は1890年(明治23年)の内国勧業博覧会にオルガンを出品していた。赤太郎は東京音楽学校(現・東京藝術大学)入学後、専修部でルドルフ・ディットリヒ、小山作之助らの元で学び、1893年(明治26年)に卒業。そのまま母校の助教となり、1901年(明治34年)には昭憲皇太后御前演奏を行っている。
多 梅稚(おおの うめわか、明治2年11月7日(1869年1… 多 梅稚(おおの うめわか、明治2年11月7日(1869年12月9日) - 大正9年(1920年)6月20日)は、日本の音楽教育者、作曲家、チェリスト。 明治2年、宮廷雅楽の家系である多家の次男として京都に生まれる。東京音楽学校へ進み、1892年年に専修部を卒業すると大阪府尋常師範学校(今の大阪教育大学)で教諭として勤務した。その最中の明治33年(1900年)に、作詞家大和田建樹に依頼され『鉄道唱歌』を作曲した。 このとき、大和田建樹は上眞行(「一月一日」などの作者で、この時東京音楽学校講師)にも作曲を依頼しており、上眞行は自分より格が劣るようだった多にも同時依頼したことを不快に思ったといわれるが、結局は勝つ自信があったため引き受けたといわれる。
MALLIKA(まりか、12月13日 - )は、日本のヴァイ… MALLIKA(まりか、12月13日 - )は、日本のヴァイオリニスト、シンガーソングライター。 東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校から東京芸術大学に進み、演奏・歌唱・作詞・作曲・編曲などを全て手がけるマルチアーティスト。YouTubeでは歌い、踊りながらヴァイオリンを演奏するパフォーマーとして注目を集める。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
石丸 由佳(いしまる ゆか、12月7日 - )は、日本のオル… 石丸 由佳(いしまる ゆか、12月7日 - )は、日本のオルガン奏者。 新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)の4代目専属オルガニスト。所沢市民文化センターミューズ第5代ホールオルガニスト。所属事務所はpromax inc.promax。 東京藝術大学器楽科オルガン専攻卒業、同大学院修士課程修了。安宅賞、アカンサス音楽賞、同声会賞、及び大学院アカンサス音楽賞受賞。 デンマーク王立音楽院、及びドイツ国立シュトゥットガルト音楽大学にてソリストディプロマ取得。 オルガンを廣野嗣雄、廣江理枝、ハンス・ファギウス、ルドガー・ローマン、チェンバロを大塚直哉、鈴木雅明らに師事。 2010年シャルトル国際オルガンコンクールで優勝、併せてJ.アラン賞受賞。
千葉 清加(ちば さやか、10月15日生)は、日本のヴァイオ… 千葉 清加(ちば さやか、10月15日生)は、日本のヴァイオリニスト。千葉県出身。 東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て東京芸術大学卒業。芸大内にて安宅賞を受賞。清水高師、ジェラール・プーレに師事。また室内楽を岡山潔、山崎伸子に師事。
宮西 希(みやにし のぞみ、4月23日- )は、埼玉県春日部… 宮西 希(みやにし のぞみ、4月23日- )は、埼玉県春日部市出身(生まれは千葉県船橋市)の箏奏者。 日本の伝統楽器「箏」を用い、伝統邦楽界のしきたりや流儀にとらわれず、ニューミュージック界で活動し始めた最初の[要出典]アーティスト。 自ら作曲・編曲・演奏をしソロ曲、ピアノやギターとのデュオ、箏・ピアノ・ウッドベースとのトリオ、バンド形式等、いくつもの箏の姿を見せる。 ポップでオリジナリティあふれる楽曲は、現在[いつ?]もテレビなどのメディアで多く使用されている。 ジャズ、ロック、ポップスなどに代表されるポピュラー・音楽と「箏」という楽器との融合を実現させた活動で、ステージでは立って演奏するなど(箏は本来、床や椅子に座って演奏する座奏であった)自由なスタイルで今までの箏の概念を簡単に打ち破っている。
林 はるか(はやし はるか、4月17日 - )は日本のチェロ… 林 はるか(はやし はるか、4月17日 - )は日本のチェロ奏者である。大阪府箕面市出身。東京芸術大学音楽学部卒業、同大学院修士課程修了。血液型はO型。所属は高嶋音楽事務所。音楽レーベルは日本コロムビア。
大村友樹(おおむらゆうき)は北海道室蘭市出身のフルート奏者。… 大村友樹(おおむらゆうき)は北海道室蘭市出身のフルート奏者。現在、九州交響楽団首席フルート奏者、平成音楽大学非常勤講師、パールフルート教室講師。福岡女子短期大学非常勤講師。アジアフルート連盟理事。 北海道室蘭栄高等学校普通科を経て東京藝術大学卒業。在学中、安宅賞受賞。フルートを金昌国、細川順三に師事。 東京文化会館大ホールにおいて「芸大定期・新卒業生紹介演奏会」、日本フルート協会東京支部主催「第18回フルートデビューリサイタル」に出演。
加藤 文枝(かとう ふみえ)は、日本のチェロ奏者。京都府京都… 加藤 文枝(かとう ふみえ)は、日本のチェロ奏者。京都府京都市出身。同志社高等学校卒業。妹は同じくチェロ奏者の加藤菜生。
小谷口 直子(こたにぐち なおこ)は、兵庫県生まれのクラリネ… 小谷口 直子(こたにぐち なおこ)は、兵庫県生まれのクラリネット奏者。 兵庫県立兵庫高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部卒業。同大学大学院修士課程修了。文化庁派遣芸術家在外研修員としてウィーン国立音楽大学に留学。 これまでに、クラリネットを藤井一男、村井祐児、山本正治、川畑真一、J.ヒンドラー、G.パッヒンガーに、室内楽をG.ポコルニー、A.クユムジャンに師事。 現在、京都市交響楽団 首席奏者。オーケストラ活動の他、ソロリサイタルや室内楽公演、各地でのアウトリーチ活動等、全国で幅広い活動をしている。また、日本音楽コンクールをはじめ各種コンクールの審査員としても起用されている。京都市立芸術大学、同志社女子大学非常勤講師。
岩下 智子(いわした ともこ)は、日本のフルート奏者。前田明… 岩下 智子(いわした ともこ)は、日本のフルート奏者。前田明子、林りり子、吉田雅夫、金昌国、H.P.シュミッツ、M.アヒレス、A.アドリアン、P.-L.グラーフ、P.マイゼンに師事。ドイツやイギリス各地で演奏するなど日本国外でも活動をしている。 現在、武蔵野音楽大学講師。
朝吹 園子(あさぶき そのこ)は、日本のヴィオラ・ヴァイオリ… 朝吹 園子(あさぶき そのこ)は、日本のヴィオラ・ヴァイオリン奏者。 東京都に生まれる。東京芸術大学ヴィオラ科を卒業し、同大大学院修士課程を修了した。 明治安田生命より奨学金を得て文化庁在外派遣研修員となり、ドイツ・フライブルク音楽大学(ヴィオラ科)、スイス・バーゼルのスコラ・カントゥルム(古楽科バロックヴァイオリン)で学び、卒業した。バーゼルに移ったのは、バロック時代の音楽をやりたいという希望からだったと自身の文章にて述べている。 古楽器奏者としては、La Cetra Barockorchester、Bach Stiftung、Capricornus Consort Basel、Collegium 1704、Gli Angeli、バッハ・コレギウム・ ジャパン、アンサンブル・パルテノペなどのメンバーとして数多くのCD録音やラジオ放送、音楽祭に招待されるなど、活発に演奏活動をしている この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
内田 奈織(うちだ なおり)は、日本のハープ奏者。 京都府出… 内田 奈織(うちだ なおり)は、日本のハープ奏者。 京都府出身。東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。海川佳代子、篠崎史子に師事。フランスでマリー・クレール・ジャメに師事。レコードレーベルはテイチクエンタテインメント。アルバムに「Healing Harp~ハープで贈る名曲の花束~」がある。 青山音楽賞、藤堂音楽賞、京都芸術祭京都府知事賞、京都府あけぼの賞等を受賞。日本ハープコンクール入賞。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
大野 かおる(おおの かおる)は、日本のヴィオラ奏者。 この… 大野 かおる(おおの かおる)は、日本のヴィオラ奏者。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
角銅 真実(かくどう まなみ)は日本のミュージシャン・打楽器… 角銅 真実(かくどう まなみ)は日本のミュージシャン・打楽器奏者である。 ソロミュージシャン・シンガーソングライターとしての活動の他、バンド・ceroのサポートメンバーや映画・舞台・ダンス作品の楽曲提供・劇伴製作など多岐にわたる活動を行っている。 マリンバのほかに打楽器、オルゴール、カセットテーププレーヤー、日用品などを用いた実験的な表現活動を特徴とする。 福岡市で生まれ、まもなく長崎県北松浦郡佐々町に移りそこで育つ。中学の吹奏楽部でマリンバなどの打楽器を始め、その後東京芸術大学音楽学部器楽科打楽器専攻を卒業。在学中は高田みどりに師事し、ミニマル・ミュージックや現代音楽を学ぶ一方でスティーヴ・ライヒなどに影響を受ける。
加藤 俊彦(かとう としひこ)は、日本の演奏家。神奈川県出身… 加藤 俊彦(かとう としひこ)は、日本の演奏家。神奈川県出身の神楽師。神奈川県横浜市の出身・在住。東京芸術大学卒業。 里神楽では笛、太鼓、大拍子、舞を担当。派手な演奏が特徴。神楽にとどまらず、日本の祭りのリズムを取り入れた音楽を作曲し、わかりやすい邦楽を広める活動を行なう。またポップスやジャズなど様々なジャンルの演奏家とも共演をしている。海外に滞在する日本人にむけた伝統芸能の体験や普及活動、被災地復興支援に積極的に取り組んでいる。ビール好きで、飲む事を仕事にしたいと日頃から話している。Beerersという芸大卒業生のユニットを組み、たくさんのメーカーの曲を演奏している。また、特定非営利活動法人里神楽・神代神楽研究会において、チーム「Wazaogui」を作り、神道の八百万の神の感覚は、お釈迦様、キリスト様、様々な国の神様も含まれるという考えや、神道のルーツを探るため、シルクロードにおける伝統芸能の研究をベリーダンスなど様々な分野と共演をするイベントも行っている。