西角 友宏(にしかど ともひろ、1944年3月31日 - )… 西角 友宏(にしかど ともひろ、1944年3月31日 - )は、日本のゲームデザイナー・ゲームクリエイター。株式会社タイトー アミューズメント開発部アドバイザー。株式会社ドリームス創業者・元会長。ゲーム保存協会名誉会員。 『スペースインベーダー』の生みの親として知られる。 大阪府岸和田市出身。東京電機大学工学部電気通信工学科卒業後、音響メーカーに就職。後に1969年にタイトーの子会社であるパシフィック工業に入社、吸収によりタイトーに移籍となっている。 元々、エレメカのエンジニアを務めていたが、『ポン』やCPUの存在を知った時「これからはゲームの度に部品を全て作り直すのでなく、集積回路のデータを書き換えるだけで、ゲームバランスの調整や新ゲームの作成が楽になる」というメリットを見抜いており、日本のアーケードビデオゲーム黎明期において、後述する傑作を何作も手がけた。
鈴木 孝夫(すずき たかお、1943年(昭和18年) - )… 鈴木 孝夫(すずき たかお、1943年(昭和18年) - )は、日本の実業家、経営者、SECエレベーター創業者で、同社代表取締役会長。 岩手県平泉町に生まれる。東京電機大学電機学校卒業後、菱電サービス(現・三菱電機ビルテクノサービス)に入社、エレベーター関連の技術者として3年間勤務する。1967年(昭和42年)同社の下請け事業主として東京都杉並区を拠点に独立・創業する。 1970年(昭和45年)有限会社鈴木エレベーター工業として会社設立、本社を渋谷区神南に置く。1978年(昭和53年)社名をエス・イー・シーエレベーター株式会社に変更、代表取締役社長に就任。 独立後は下請けとして保守管理をメインとし、工事関係も請け負った。
中村 勝行(なかむら かつゆき、1942年11月14日 - … 中村 勝行(なかむら かつゆき、1942年11月14日 - 2022年3月11日)は、日本の脚本家、小説家。俳優の中村敦夫は兄にあたる。時代小説を書くときのペンネームは「黒崎裕一郎」。 機械いじりと絵を描くことが好きだった少年時代だったとのこと。しかし「絵は芸術大学に不合格だった時点で、映画のカメラマンは目が悪いからあきらめた」という。東京電機大学を卒業後、撮影機材会社の技師、制作会社プロデューサーの手伝いなどを経て、必殺シリーズへの原稿持ち込みがきっかけでテレビの世界に入り1975年に『必殺仕置屋稼業』で脚本家デビュー。必殺シリーズ、「ザ・ハングマン」などの脚本を手がける。 また時代小説も手がけており、1995年には、中村勝行名義で発表した『蘭と狗 長英破牢』で第6回時代小説大賞を受賞した。
野澤 宏(のざわ ひろし、1942年5月17日 - )は、日… 野澤 宏(のざわ ひろし、1942年5月17日 - )は、日本の実業家。富士ソフト株式会社創業者で、同社代表取締役を務めた。 東京都世田谷区で電気屋の子として生まれる。神奈川県立平塚江南高等学校を経て、1966年東京電機大学工学部電子工学科卒業、大明電話工業(現ミライト)入社。 しかし、会社務めが「肌に合わず」、1967年に日本電子工学院(現日本工学院専門学校)電子計算部講師となる。 1970年横浜市左近山団地の自宅で富士ソフトウエア研究所(現富士ソフト)を設立、同社取締役に就任。1973年から代表取締役社長。 1998年には東京証券取引所1部に上場を果たした。2001年代表取締役会長。2004年代表取締役会長兼社長。
蟹江 栄司(かにえ えいじ、1941年〈昭和16年〉11月2… 蟹江 栄司(かにえ えいじ、1941年〈昭和16年〉11月21日 - 1985年〈昭和60年〉10月13日)は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京府東京市(現:東京都江東区)出身。青二プロダクションに所属していた。 東京電機大学高等学校卒業後、喫茶店のボーイや花屋の店員などを経て、30歳より声優に転向。アニメでのデビューは 『少年徳川家康』。東京アナウンスアカデミー(現:東京アナウンス・声優アカデミー)卒。楡プロダクションを経て最後は青二プロダクションに所属していた。数々のアニメで重要な役柄を演じた他、深夜ラジオ番組のDJやパーソナリティー、バンダイやポピーなどの玩具会社をはじめとする数多くのCMや、テレビアニメのナレーターや洋画の吹き替えを務めた。
柳父 悟(やなぶ さとる、1941年7月15日 - )は、元… 柳父 悟(やなぶ さとる、1941年7月15日 - )は、元東京電機大学工学部電気電子工学科教授(2012年3月退任)。元東芝重電技術研究所所長。専門分野は高電圧大電流工学。IEEE Fellow、Royal Academy of Engineering FREng、Current Zero Club、日本工学アカデミー会員。現在は中国の西安交通大学教授。
古川 利彦(ふるかわ としひこ、1940年(昭和15年)3月… 古川 利彦(ふるかわ としひこ、1940年(昭和15年)3月26日 - 2018年(平成30年)7月6日)は、日本の実業家、ソディック創業者。自ら創業したソディックを一代で放電加工機の世界大手企業に育てあげた。 岡山県倉敷市の出身。東京電機大学電機学校卒業後。1976年(昭和51年)8月株式会社ソディック創業と同時に代表取締役社長に就任。1990年(平成2年)6月株式会社ソディック代表取締役会長に就任。2003年(平成15年)2月株式会社ソディックハイテック取締役会長に就任。2013年(平成25年)3月、母校の東京電機大学から名誉博士の称号を授与される。 2015年(平成27年)4月旭日小綬章を受章。
山田 克哉(やまだ かつや、1940年 - )は、日本の物理… 山田 克哉(やまだ かつや、1940年 - )は、日本の物理学者。アメリカ合衆国における活動期間が長く、アメリカ物理学会会員である。 東京電機大学工学部電子工学科在学中に日本原子力研究所で研究用原子炉を観察する機会に恵まれ、原子力工学への道を志す。同大学卒業後、アメリカに渡りテネシー大学工学部原子力工学科大学院修士課程に進む。最後の1年間はオークリッジ国立研究所で過ごした。その後は同大学理学部物理学科大学院博士課程を修了。セントラル・アーカンソー大学物理学科助教授、カリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校物理学科助教授を経て、ロサンゼルス・ピアースカレッジ物理学科教授に就任。2013年6月に退官。
竹内 勝彦(たけうち かつひこ、1938年2月19日-)は、… 竹内 勝彦(たけうち かつひこ、1938年2月19日-)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(6期)。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。1961年東京電機大学工学部卒。兼松江商勤務、聖教新聞記者を経て、公明党京都府本部書記長となり、1976年の総選挙で旧京都1区から立候補して初当選。6期務めた。1993年に引退。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小谷 誠(こたに まこと、1937年9月25日 - ) は、… 小谷 誠(こたに まこと、1937年9月25日 - ) は、日本の医用生体工学者。元東京電機大学学長。元日本生体磁気学会会長。元日本生体医工学会副会長。 高知県で農家の次男として生まれる。1956年高知県立中村高等学校卒業。1961年東京電機大学工学部電気通信科卒業。1964年東京電機大学大学院工学研究科修士課程修了。1973年東京電機大学工学博士。1975年マサチューセッツ工科大学客員研究員。1977年東京電機大学工学部教授。1995年東京電機大学工学部第一部長、学校法人東京電機大学理事。1997年日本生体磁気学会会長。 1998年東京電機大学学長。2005年理研計器株式会社監査役。2007年学校法人東京電機大学理事。
石川 明(いしかわ あきら、1937年(昭和12年)8月12… 石川 明(いしかわ あきら、1937年(昭和12年)8月12日 - 2004年(平成16年)3月30日)は日本の実業家。 1937年(昭和12年)8月12日千葉県野田市に生まれる。1960年3月に東京電機大学工学部電気通信工学科(現・情報通信工学科)を卒業後、同年4月チッソに入社、半導体向けシリコン材料の生産・検査などを4年ほど担当する。 しかし集積回路の考案者であるジャック・キルビーがいたテキサス・インスツルメンツにあこがれ、日本テキサス・インスツルメンツに転職し、生産技術の革新、工場の立ち上げ、組合運動への対応等の実績を残す。 その後本社副社長兼日本テキサス・インスツルメンツの社長として国際提携を担当、売上高にして年間1000億から1500億円の事業を毎年一つずつ立ち上げた。
山保 太郎(やまほ たろう、1937年5月21日- )は、… 山保 太郎(やまほ たろう、1937年5月21日- )は、日本の経営者。三井鉱山社長を務めた。東京都出身。 1960年に東京電機大学工学部を卒業。電源開発での勤務を経て、2004年3月に三井鉱山社長に就任。2007年4月に取締役相談役に就任。
渡辺 浩二(わたなべ こうじ、1928年(昭和3年)7月14… 渡辺 浩二(わたなべ こうじ、1928年(昭和3年)7月14日 - 2009年(平成21年)5月9日)は、日本の実業家、経営者、中央化学創業者。 1928年(昭和3年)7月14日、山梨県に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、1957年(昭和32年)東京都板橋区蓮沼町において、プラスチック製ジュース壜(びん)の製造を開始。 その後、1959年(昭和34年)に有限会社三和樹脂工業所を設立し、ポリエチレン樹脂製の醤油・ソース壜(タレビン)を開発、製造。 1960年(昭和35年)東京都板橋区清水町において、有限会社南部化成を設立し、本格的にタレビンの製造を開始。1961年(昭和36年)埼玉県鴻巣市において、中央化学株式会社を設立。
加藤 万吉(加藤萬吉、かとう まんきち、1926年12月11… 加藤 万吉(加藤萬吉、かとう まんきち、1926年12月11日 - 2008年9月12日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(8期)。 神奈川県茅ヶ崎市出身。東京電機学校(現在の東京電機大学)を卒業。 日本労働組合総評議会(総評)常任幹事を務めるなどした後、1967年の第31回衆議院議員総選挙旧神奈川3区に日本社会党公認候補として出馬し、初当選。以後8回連続当選を果たす。 代議士としては1986年に衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長を務め、社会党では選挙対策委員長を務めた。 1996年の第41回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界を引退した。 1997年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。
手島 透(てしま とおる、1925年(大正14年)9月6日 … 手島 透(てしま とおる、1925年(大正14年)9月6日 - 2013年(平成25年)6月14日)は、日本の技術者、実業家、経営者、名誉博士、元スタンレー電気代表取締役社長。 1925年(大正14年)愛知県に生まれる。東京電機大学工学部第二部電気工学科卒業後、アイヒッツ研究所代表取締役社長、神奈川科学技術アカデミー研究顧問、公文教育研究会取締役、スタンレー電気技術研究所所長、スタンレー電気代表取締役社長を歴任。 液相式高輝度赤色LEDの開発・実用化やG.H型フルカラーLCD技術の開発・実用化の功績で知られる。 その他、大河内記念技術賞を2回受賞
樫尾 俊雄(かしお としお、1925年(大正14年)1月1日… 樫尾 俊雄(かしお としお、1925年(大正14年)1月1日 - 2012年(平成24年)5月15日)は、日本の発明家。カシオ計算機創業メンバーの「樫尾四兄弟」の一人(次男)。四兄弟の役割分担では開発を担い、世界初の小型純電気式計算機「14-A」」、世界初のオートカレンダー搭載腕時計「カシオトロン」、電子楽器「カシオトーン」など数々のヒット商品の開発に貢献。カシオ計算機会長を務めた。 共同名義のものを含め、生涯で313件の特許を取得した。 東京府東京市京橋区(現・東京都中央区)出身。子どもの時から、じっと動かずにいつまでも考え事にふけっていることが多かった。算数が得意で、先生に教わっていない解き方を自分で考え出して、弟に教えていた。
関山 耕司 (せきやま こうじ、1924年5月22日 - 2… 関山 耕司 (せきやま こうじ、1924年5月22日 - 2013年) は、日本の俳優。東京都文京区出身。 電機学校卒業後、東映へ入社。脇役として映画やテレビ映画に数多く出演しており、角刈りにした強面の外見から、悪役では武闘派ヤクザや暴力看守、善人役では警察関係者を多く演じた。若山富三郎がひきいた俳優集団「若山組」のメンバーだった。2013年、老衰の為死去 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
築地 米三郎(つきじ よねさぶろう、1923年〈大正12年〉… 築地 米三郎(つきじ よねさぶろう、1923年〈大正12年〉9月15日 - 2012年〈平成24年〉3月30日[要出典])は、日本の特撮監督、プロデューサー。東京都出身。 東京品川の大井町に生まれる。生家の前に「大井館」という映画館があり、5、6歳から映画館に毎日通うようになった。 1939年(昭和14年)、神田電機学校(現:東京電機大学)を卒業。父親の親友だった青島順一郎撮影技師の紹介で、映画会社新興キネマに入社。撮影助手となる。 1942年(昭和17年)、新興キネマが大都映画、日活と合併、「大日本映画製作株式会社」となる。各社とも社員を1/3にリストラしての合併だったが、「このなかに何とか残った」と語っている。
西尾 昇(にしお のぼる、1923年1月7日 - 2015年… 西尾 昇(にしお のぼる、1923年1月7日 - 2015年/2016年)は、日本映画の録音技師。旧活動名は西尾 浩伸(にしお ひろのぶ)。 山梨県南巨摩郡飯富村(現身延町)出身。小学5年生の頃、松竹洋画系の本郷座で観た『キング・コング』で、この映画の画と音への感動が録音技師を志望する契機となった。同作は当時、誠文堂の月刊誌『子供の科学』に頻繁に載っていたトーキーで、西尾は友達の母親(女教師)に声をかけられ、4~5人の同級生と共に連れられて観に行っていた。 1941年に電機学校を卒業し、1943年に朝日映画社に入社する。1948年に独立し、西尾サウンドを設立する。東宝、大映、東映などの独立プロ作品の受注を開始する。
トニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日… トニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日 - 1987年〈昭和62年〉7月16日)は、東京府東京市京橋区銀座(現:東京都中央区銀座)出身の舞台芸人(ヴォードヴィリアン)。本名、大谷 正太郎(おおたに しょうたろう)。 『モルガンお雪』
岩下 光男(いわした みつお、1917年(大正6年)8月19… 岩下 光男(いわした みつお、1917年(大正6年)8月19日 - 2002年(平成14年)4月13日)は、日本の工学者(海洋工学)。魚群探知機の改良型の開発者。元北海道東海大学学長補佐。北海道山越郡長万部町出身。 1936年(昭和11年)東京電機学校電気科卒業。同年、東北帝国大学電気通信研究所助手。1946年(昭和21年)電波科学専門学校助教授。1950年(昭和25年)4月東海大学工学部助教授。1959年(昭和34年)同工学部教授。1962年同海洋学部教授。1974年(昭和49年)同海洋学部長。1976年(昭和51年)同海洋研究所長。後に同海洋科学博物館長。1985年(昭和60年)北海道東海大学工学部教授。
福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日… 福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日 - 1998年(平成10年)8月19日)は、日本の技術者、実業家、経営者、フクダ電子創業者。 千葉県印旛郡大森町(現在の印西市)に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、大学で学んだ知識を医療に生かそうと、特に1930年代に登場した心電計に着目した。1939年(昭和14年)に独力で福田特殊医療電気製作所(現・フクダ電子)を創業。当時の心電計は直流電池を電源に真空管3本と可動鉄片型ガルバー、ゼンマイ式モーターを使った簡単な構造の心電計で、オシログラフペーパーに記録し現像するという代物だった。 戦後、交流電源を使うようになったが、今度は雑音が激しく専門家が操作を手助けするような状況で、まだまだ臨床での利用にはほど遠かった。
大嶽 俊郎(おおたけ としろう、1914年 <大正3年> 1… 大嶽 俊郎(おおたけ としろう、1914年 <大正3年> 11月23日 - 1998年 <平成10年> 2月1日)は、日本の経営者。小糸製作所社長、会長を務めた。静岡県出身。位階は正五位。 1932年に東京電機学校を卒業し、同年に小糸製作所に入社。 1961年に取締役に就任し、1968年に常務、1972年に専務を経て、1976年6月に副社長に就任し、1979年6月には社長に昇格。1985年6月から1992年7月までに会長を務めた。 1982年11月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲三等瑞宝章を受章。。 1998年2月1日糖尿病性昏睡のために死去。83歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
大木 実(おおき みのる、1913年(大正2年)12月10日… 大木 実(おおき みのる、1913年(大正2年)12月10日 - 1996年(平成8年)4月17日)は、日本の詩人である。 東京府東京市本所区(現在の東京都墨田区)の生まれ。幼年の頃は実母が病気により死去し、さらに関東大震災により継母および実弟、実妹が犠牲となる等不遇の生活を過ごした。その後は電機学校(現在の東京電機大学)に入学したが、中退しその後は大蔵省土木寮の工員や出版社に勤務し、埼玉県大宮市(現在のさいたま市)の大宮市役所の職員となる等職を転々とした。 その後は少年時代から北原白秋や西條八十の童謡に親しんだことや学生時代に佐藤春夫や室生犀星といった日本人詩人のみならず、フョードル・ドストエフスキーやシャルル=ルイ・フィリップ等の海外の小説家が執筆した作品に傾倒し詩人としての活動を始める。
6代目 三升家 小勝(みますや こかつ、1908年8月3日 … 6代目 三升家 小勝(みますや こかつ、1908年8月3日 - 1971年12月29日)は、東京都出身の落語家。本名は吉田 邦重。生前は落語協会所属。出囃子は『井出の山吹』。 通称「右女助の小勝」「糀谷の師匠」。妻は日本舞踊の花柳一衛。 東京の本所太平町に生まれる。神田錦町の電機学校(現在の東京電機大学)卒業後、東京市水道局(現在の東京都水道局)に勤務。金町浄水場の技師を務める。 1931年3月、曲芸の春本助次郎を通じて8代目桂文楽に入門。一番弟子となる。文楽の「文」と中村の「中」から一字ずつ取って「桂文中」と名乗り、常磐亭で初高座。1932年、「桂文七」で二つ目に昇進する。1936年5月にキングレコード専属となり、最初の吹き込みレコードを発売。
武政 英策(たけまさ えいさく、1907年〈明治40年〉9月… 武政 英策(たけまさ えいさく、1907年〈明治40年〉9月18日 - 1982年〈昭和57年〉12月1日)は、愛媛県出身の作曲家。代表作『南国土佐を後にして』『よさこい鳴子踊り』などがある。 出生時の姓名は和気政之であったが、武政家の跡を継ぎ、武政政之となった。「政」という字が続くので、東京に出るときに英策と名のりはじめた。15歳で電機学校(現・東京電機大学)に入り、卒業後、就職せずに門馬直衛と山田耕筰に師事。耕筰の助言を受け、23歳で京都で機械設計の仕事に就く。 1937年にNHK京都放送局和洋管弦楽団の初代指揮者となる。新興キネマの映画音楽監督も務めていたが、戦争が近づき、34歳で大阪大学航空学研究所で低速飛行機やオートジャイロの研究に携わる。
片山 武夫(かたやま たけお、1907年(明治40年)6月2… 片山 武夫(かたやま たけお、1907年(明治40年)6月25日 - 1979年(昭和54年)4月20日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 福井県今立郡鯖江町(現鯖江市)出身。生家は織物業を営んでいたが5歳の時に破産し一家で上京した。働きながら独学し、1924年(大正13年)東京市神田区の電機学校(現東京電機大学)電気科を卒業した。 1924年、東京電燈に入社し、横浜支店に配属された。1945年(昭和20年)11月、関東配電労働組合の結成に従事。1946年(昭和21年)5月、関東配電労組中央執行委員に就任。日本電気産業労働組合協議会(電産)関東地方本部副委員長であった1949年(昭和24年)10月、電産の退職金闘争の際に電産本部が要求を下回る内容で妥結したことに抗議して同副委員長を辞職した。
春日 正一(かすが しょういち、1907年2月13日 - 1… 春日 正一(かすが しょういち、1907年2月13日 - 1995年2月22日)は、日本の政治家。日本共産党から、衆議院議員1期、参議院議員2期を務めた。 長野県上伊那郡赤穂村(現・駒ヶ根市)出身。高等小学校卒業後上京し、芝浦製作所勤務の頃に労働運動に参加する。電機学校(現東京電機大学)卒業。1928年日本共産党に入党、まもなく三・一五事件で検挙され、懲役5年の判決を受ける。満期出獄後、京浜工業地帯でひそかに党再建の運動(京浜グループ)をつづけていたが、1940年5月9日以降、ふたたび検挙される。 戦後、出獄すると、再建された日本共産党の幹部として活動し、1945年12月の第4回大会で中央委員候補、まもなく政治局員。
内田 鐡衛(うちだ てつえ、1904年(明治37年)6月29… 内田 鐡衛(うちだ てつえ、1904年(明治37年)6月29日 - 1996年(平成8年)2月18日)は、日本の技術者、実業家、経営者、株式会社コロナ創業者。内田力は長男。 1904年(明治37年)新潟県三条市に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、20歳の時には逓信省電気事業主任技術者の資格を取得。その技術と知識を生かすべく富山電気(現・北陸電力)へ入社。 入社後4年程で、父に呼び戻され家業であるガソリンコンロの販売を手伝うようになる。家業は順調に進み、販売や修理を通して、燃焼効率や操作性などコンロの様々な改良点を発見した鐡衛は、徐々に自分のアイデアを活かしたコンロを自らの手で作り上げたいという思いを強めていく。
岡崎 晴夫(おかざき はるお、1904年3月 - 没年不詳)… 岡崎 晴夫(おかざき はるお、1904年3月 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名は川端 淸次(かわばた きよつぐ)。岡崎 春夫と表記に揺れがある。戦前、日活大将軍撮影所の時代劇を中心に活躍した名脇役である。 1904年(昭和37年)3月、京都府京都市上京区大将軍に生まれる、とされている。1928年(昭和3年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』(映画世界社)及び1929年(昭和4年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』(同社)では、生年は「明治三十六」(1903年)である旨が記されている。また、1998年(平成10年)に発行された『芸能人物事典 明治大正昭和』(日外アソシエーツ)によれば、出生地は京都府相楽郡木津町(現在の同府木津川市木津)の説もあるという。
八木 佐吉(やぎ さきち、1903年(明治36年)8月28日… 八木 佐吉(やぎ さきち、1903年(明治36年)8月28日 - 1983年(昭和58年)12月15日)は、昭和期の出版人、作家。丸善の歴史を代表する大番頭。 1903年(明治36年)東京府生まれ。1916年(大正5年)、麹町小学校を卒業し丸善に入社。洋書ストック係、出版企画課長、取締役洋書管理部長、丸善「本の図書館」館長などを歴任し、同社の“生き字引”と呼ばれた。また、自然科学書協会の目録や「学鐙」の編集のほか、和洋書籍の目録・編集を広く手掛け、洋古書の第一人者といわれる。
円谷 英二(つぶらや えいじ、1901年〈明治34年〉7月7… 円谷 英二(つぶらや えいじ、1901年〈明治34年〉7月7日 - 1970年〈昭和45年〉1月25日)は、日本の特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家、株式会社円谷特技プロダクション(現在の円谷プロダクション)の初代社長。福島県岩瀬郡須賀川町(現在の須賀川市)出身。本名は圓谷 英一(つむらや えいいち)。 昭和における特殊撮影技術の第一人者であり、独自に作り出した技術で特撮映画界に多大な功績を残したことから、特撮の神様とも呼ばれる。円谷の人生は、活動大写真と呼ばれた明治時代の黎明期から、映画斜陽期を迎えた東宝解体までの日本映画界の歴史と重なっている。 一家は全員カトリック教徒で、英二の洗礼名はペトロ。
原 全教(はら ぜんきょう、1900年5月18日 - 198… 原 全教(はら ぜんきょう、1900年5月18日 - 1981年11月)は、日本の登山家。 石川県金沢市川除町生まれ。旧名・坂部武二。8人兄弟姉妹(上から男2人、女6人)の次男。 1917年神田電機学校(現東京電機大学)卒、1917年から雲水修行に入り北陸路を歩く。その後東京市役所都市計画課に勤務し1943年退職。兵役は1937年から2年間、満蒙へ出征。目黒でガリ版印刷『謄友社』を開業(現在は大田区の株式会社謄友社)。その後「新宿バーテンダースクール」の講師を経て、目黒区自由が丘にトリスバー「アイガー」を開店。その後亡くなるまで渋谷区恵比寿駅近くに焼き鳥バー「すず」を経営。没後は嫡男原信彦が後を継ぎ、再開発で立ち退きするまで営業していた。
谷村 貞治(やむら ていじ、1896年3月19日 - 196… 谷村 貞治(やむら ていじ、1896年3月19日 - 1968年4月20日)は、日本の実業家、政治家、教育者、発明家。 株式会社新興製作所の創業者、谷村学院専門学校および谷村学院高等学校(現・花巻東高等学校)創立者。参議院議員2期、自由民主党岩手県連会長、岩手県政顧問、岩手県経営者協議会長、岩手県体育協会会長などを歴任。テレプリンターの開発により技術立国の礎を築き「みちのくの電信王」などと呼ばれ、地元の産業振興・発展に貢献した。 岩手県稗貫郡新堀村(後の石鳥谷町、現・花巻市)出身。1916年に神田の電機学校(現・東京電機大学)を卒業後、逓信省へ入省。約10年間勤務した後、民間会社へ転職。 自立自営の志を叶えるべく、1937年6月東京市蒲田区(現・東京都大田区蒲田)に旧陸海軍指定管理工場である新興製作所を設立。
元田 庄一(もとだ しょういち、1896年(明治29年)3月… 元田 庄一(もとだ しょういち、1896年(明治29年)3月 - ?)は、日本の発明家。 広島県佐伯郡大柿町(現在の江田島市)出身。東京電機学校(現在の東京電機大学)本科卒業後、1921年(大正10年)に広島電気に入社し、技手となった。1921年に逓信省電気事業主任技術者試験三種に合格し、1923年に二種一次に合格した。
戸上 信文(とがみ のぶふみ、1895年(明治28年)5月1… 戸上 信文(とがみ のぶふみ、1895年(明治28年)5月13日 - 1967年(昭和42年)8月9日)は、日本の技術者、実業家、経営者、戸上電機製作所創業者、日本タングステン創業者。 1895年(明治28年)熊本県に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、佐賀市の日本電機鉄工(製麺機の発明で知られる真崎照郷が設立した真崎鉄工場から製麺機以外の電気機械や高圧タービンポンプ部門を引き継いだ企業。社長は藤山雷太。真崎照郷も相談役に就任していた。)の技師時代に自動開閉器配電装置を開発したことで1919年(大正8年)に自動開閉器部を社内に設える事となり、これが戸上電機の源流となった。 1923年(大正12年)に交流電磁石実用化を契機に、1本の回線から昼間線と夜間線を自動的に切り替える「戸上式自動配線装置」と呼ばれる配電装置を考案した。
横河 一郎(よこがわ いちろう、1885年(明治18年) -… 横河 一郎(よこがわ いちろう、1885年(明治18年) - 1938年(昭和13年)6月2日)は、日本の通信事業経営者、株式会社横河電機製作所(現・横河電機)初代取締役社長。 日本を代表する建築家である横河グループ創業者・横河民輔の甥。父の横河震八郎は横河橋梁製作所(現・横河ブリッジ)の取締役を務めた。 1885年(明治18年)生まれ。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、逓信省電気試験所に入所。当時、建築の設計監督を行っていた叔父である横河民輔から電気が民間にも行渡る時代が到来することを予見した話を聞き、将来日本では電気計測器が必要であると考えた。 1912年(明治45年)民輔の勧めによりドイツに留学。
高林 昌伸(たかばやし まさのぶ)は日本の俳優。東京都出身。… 高林 昌伸(たかばやし まさのぶ)は日本の俳優。東京都出身。株式会社ケイエムシネマ企画所属。劇団気晴らしBOYZ所属。2017年にて俳優業を辞めて一般職に転職している ワタナベエンターテインメントスクール(WES)を卒業後、ワタナベエンターテインメント系列に所属する。WES所属時代に知り合った仲間、脚本家 新谷辰雄 俳優 田中貴義 女優 野村由貴 畔地留似 タレント 高松雪乃、2期目に気晴らしBOYZの武田一成を迎え、YouTubeにてカスタムBOXを立ち上げリーダーとしてチームを率いている。各自の演技力を磨くため自主製作を配信している。
落合 良(おちあい りょう、旧姓:丸谷)は、元東京電機大学講… 落合 良(おちあい りょう、旧姓:丸谷)は、元東京電機大学講師、元共立女子短期大学講師、(財)せたがや文化財団顧問、山形県鶴岡市出身。