阿部 昭吾(あべ しょうご、1928年〈昭和3年〉8月10日… 阿部 昭吾(あべ しょうご、1928年〈昭和3年〉8月10日 - 2015年〈平成27年〉1月4日)は、日本の政治家。位階は正四位、勲等は勲一等。衆議院議員(10期)、社会民主連合書記長(第2代)・国会対策委員長、衆議院環境委員長、山形県議会議員(2期)を務めた。 山形県飽海郡一条村(現酒田市)の農家に生まれる。法政大学法学部在学中から左派社会党所属の上林与市郎衆議院議員の秘書を務める。1951年、法政大学法学部卒業。1954年、全日本農民組合連合会青年部長をするなど農民運動に携わり、1959年、山形県議会議員選挙に立候補し当選。2期務める。 1967年、上林の地盤を引き継ぎ、第31回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧山形2区(定数4)から立候補。
木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5… 木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5月26日)は、日本の歯科医・政治家。参議院議員(2期)。 新潟県新発田市出身。旧制新発田中を経て日本歯科医学専門学校を1949年に卒業。更に法政大学法学部に進学し、1951年に卒業した。その後、日本歯科大学歯科薬理学教室研究生として在学,歯学博士の学位を取得する。 政治に早くから関心を持ち、法政大学在学中に亜細亜青年連盟を結成して1953年の総選挙に立候補。この時は得票が法定得票数にも満たず泡沫候補に終わるが、その後5回も総選挙に出馬し続けて得票を伸ばし続けた。その一方で歯科医として歯友会歯科技術専門学校の創設に関わり、歯科技工から実業界にも進出。
岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - … 岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - 2004年8月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。新潟県議会議員(6期)。新潟県議会議長。長男は、新潟県議会議員の岩村良一。 新潟県北蒲原郡(現在の新発田市)出身で、新発田中学校を経て17歳の時に予科練に志願。1953年、法政大学法学部卒業。渡邊良夫衆議院議員の秘書を務め、第2次岸内閣で厚生大臣に任命されたときは、大臣秘書官を務めた。 1967年から新潟県議会議員を6期務め、副議長と議長を各1年務めた。自民党新潟県連の幹事長だった1989年には、君健男が癌のため新潟県知事を辞職したのに伴って多数の同党県議から推されて知事選への立候補の意思を表明したが、後に金子清への候補者一本化に同意した。
大森 昭(おおもり あきら、1927年3月20日 - 201… 大森 昭(おおもり あきら、1927年3月20日 - 2012年5月21日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、日本社会党)。 全逓信労働組合中央副執行委員長。社会党では政権構想研究会に所属した。 法政大学を卒業し、1946年(昭和21年、逓信省入省。1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙全国区初当選。1983年(昭和58年、第13回参議院議員通常選挙再選。1985年(昭和60年)、参議院逓信委員長。1986年(昭和61年)、日本社会党選挙対策委員長。 1989年(平成元年)7月、第15回参議院議員通常選挙当選。8月、参議院環境特別委員長。1993年(平成5年、参議院議院運営委員長。
貴舩 悦光(きふね よしみつ、1927年(昭和2年)1月16… 貴舩 悦光(きふね よしみつ、1927年(昭和2年)1月16日 - 2010年(平成22年)9月5日)は、日本の政治家。山口県岩国市長(2期)。 山口県岩国市今津町出身。1952年法政大学経済学部卒。同年興亜石油に入社。1961年帰郷し旭興産(現:アラインテック株式会社)に勤務し、1965年に社長に就任する。1991年に岩国市長に当選。それにより同社の会長に就任した。1999年に市長を引退、社長に復帰した(会長兼務)。 2010年9月5日死去。11月25日に市民葬が営まれ、現岩国市長の福田良彦が葬儀委員長を務めた。
一龍齋 貞鳳(いちりゅうさい ていほう、1926年9月1日 … 一龍齋 貞鳳(いちりゅうさい ていほう、1926年9月1日 - 2016年12月27日)は、日本の講談師、政治家。本名、今泉 正二(いまいずみ しょうじ)。選挙では「一竜斉テイホー」の表記も使用していた。 参議院議員(1期)、環境政務次官(三木改造内閣・福田赳夫内閣)などを歴任した。 福島県出身。旧制法政大学第二中学校卒業。1938年に5代目一龍齋貞丈に入門するが、戦争のため一時中断。1946年に貞鳳を名乗る。1954年、真打昇進。 3代目江戸家猫八、三遊亭小金馬(現:2代目三遊亭金翁)とともに、NHKのバラエティコメディ番組『お笑い三人組』で人気を得る。今泉良夫の名で司会活動もしていた。1965年、芸術祭賞奨励賞受賞。
野坂 浩賢(のさか こうけん、1924年(大正13年)9月1… 野坂 浩賢(のさか こうけん、1924年(大正13年)9月17日 - 2004年(平成16年)4月18日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(7期)、建設大臣(第61代)、内閣官房長官(第59代)、日本社会党国会対策委員長、社会民主党副党首・国会対策委員長、鳥取県議会議員等を歴任した。 労働運動に入り、鳥取県総評議長、同事務局長、西部地評議長を歴任。1955年(昭和30年)から鳥取県議会議員4期。1969年(昭和44年)から社会党鳥取県本部委員長を2期務めた後、1972年(昭和47年)衆議院議員に当選。1994年(平成6年)村山内閣の建設相に就任。 1995年(平成7年)の改造内閣では内閣官房長官となる。
沢田 実(さわだ みのる、1923年(大正12年)11月10… 沢田 実(さわだ みのる、1923年(大正12年)11月10日 - 1976年(昭和51年)7月6日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、公明党)。 岐阜県出身。法政大学修了。川崎航空機、昭和電工などに勤めた後、岐阜市で繊維製品卸業を営む。その後、岐阜県議会議員を経て、1968年の第8回参議院議員通常選挙において公明党公認で全国区から立候補して当選する。1974年の第12回参議院議員通常選挙には出馬しなかった。この他、公明党中央委員、公明党岐阜県本部長などを歴任した。1976年死去。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙される。
山田 豊三郎(やまだ とよさぶろう、1922年(大正11年)… 山田 豊三郎(やまだ とよさぶろう、1922年(大正11年)10月13日 - 2009年(平成21年)7月18日)は、日本の政治家。第21代大津市長(1980年 - 2004年)。 市助役などを務めた後、6期にわたり大津市長を務め市の都市整備などを行った。「豊さん」、「山豊さん」のあだ名で親しまれた。元全国市長会相談役。大津市名誉市民。旭日中綬章。趣味は映画、歌謡、ダンス。 滋賀県野洲郡玉津村赤野井(現・守山市)の農家、堀出家に出生。のち、大津市出身の山田美惠子と結婚し、山田姓に改める。 1943年11月に満州国立新京法政大学特修科経済学部卒業。1944年、学徒出陣で遼陽の第33連隊に配属、第120師団輕重隊に配属される。
井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈… 井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈大正11年〉8月29日 - 1972年〈昭和47年〉10月13日)は、日本の政治家・実業家。埼玉県与野市議会議員・埼玉県議会議員・与野フードセンター初代社長を歴任した。元与野市長・さいたま市長職務執行者の井原勇は実弟、衆議院議員の井原隆は孫である。 埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区)出身。貿易商に勤めていた井原和一(旧姓:網野)の長男として生まれる。井原家は与野でも有数の名家で、弥一郎の曾祖父である弥四郎・祖父である貞亮(ていすけ)はともに与野町長を務め、貞亮の娘婿となった和一ものちに与野町会議員・与野町長・埼玉県議会議員を務めることになる名望家であった。
松田 九郎(まつだ くろう、1922年8月1日 - 2015… 松田 九郎(まつだ くろう、1922年8月1日 - 2015年2月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。長崎県議会議長、自民党国対副委員長、宗教政治研究会事務局長などを務めた。長男は元長崎県議会議員の松田正民。 長崎県北松浦郡佐々町出身。1943年法政大学専門部法科卒業。長崎県議会議員、同議長を経て、1983年12月の第37回衆議院議員総選挙で当選。河本派に所属。自治政務次官となった。2期連続当選したが、1990年2月の第39回衆議院議員総選挙で落選した。 1993年の第40回衆議院議員総選挙にも出馬したが落選。 1995年の第17回参議院議員通常選挙では、無所属で一人区の長崎県選挙区に出馬して自民党公認の新人宮島大典と共倒れとなり、落選後は新進党に移籍。
矢野 康(やの やすし、1921年〈大正10年〉8月31日 … 矢野 康(やの やすし、1921年〈大正10年〉8月31日 - 1994年〈平成6年〉9月23日)は日本の政治家。函館市長、函館空港ビルデング社長。 茨城県生まれ。1943年(昭和18年)法政大学経済学部を卒業。1945年(昭和20年)に北海道開拓部勤務となる。 北海道総務部次長、渡島支庁長、水産部長を務めた。1967年(昭和42年)3月に退職した。同年、函館市長に立候補し、吉谷一次や社会党の推す候補、共産党公認候補などを破って当選する。同年5月2日に就任した。 社会党、共産党推薦の無所属新人との争いになったが、自民党公認を得て再選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 革新系の新人との争いになったが、これを破って3選を果たした。
高橋 國雄(たかはし くにお、1920年〈大正9年〉9月22… 高橋 國雄(たかはし くにお、1920年〈大正9年〉9月22日 - 2016年〈平成28年〉8月1日)は、日本の政治家。位階は従四位。千葉県市川市長を務めた(5期)。 千葉県市川市に生まれる。法政大学商業学校(現法政大学中学校・高等学校)を経て、法政大学専門部政治経済科卒業。1940年(昭和15年)に市川市役所に入り、同市総務部長、同市助役を務める。 1977年(昭和52年)に市川市長選挙に出馬し、初当選する。以降5期連続当選し、1997年(平成9年)に退任する。 1998年(平成10年)に勲三等旭日中綬章を受章する。 1999年(平成11年)に市川市から名誉市民を贈られる。 2016年8月1日、心不全のため死去。
園田 清充(そのだ きよみつ、1919年10月6日 - 19… 園田 清充(そのだ きよみつ、1919年10月6日 - 1985年9月7日)は、日本の政治家。位階勲等は従三位勲一等、勲章は瑞宝章。国土庁長官(第8代)、参議院議員(4期)を歴任した。 1919年(大正8年)10月6日、熊本県下益城郡豊野村(現宇城市)にて旧家の長男として出生。1936年(昭和11年)法政大学入学、1940年(昭和15年)に徴兵。 復員後1947年(昭和22年)豊野村農業協同組合長を経て、熊本県議会議員に初当選、熊本県議会議員(4期)18年間県議会に在職。熊本県連幹事長、熊本県議会議長を歴任後、北口龍徳の死去に伴う第6回参議院議員通常選挙熊本地方区補欠選挙で初当選。 農林水産委員会に11年10か月在籍、1970年(昭和45年)2月から1971年(昭和46年)1月にかけて農林水産委員長を務める。
三浦 道雄(みうら みちお、1918年(大正7年)11月12… 三浦 道雄(みうら みちお、1918年(大正7年)11月12日-1993年(平成5年)10月6日)は日本の政治家、実業家。青森県議会議長(自由民主党)、南部鉄道社長、東北電力監査役。 1918年(大正7年)11月12日に青森県三戸郡五戸町に生まれる。1942年(昭和17年)、法政大学経済学部を卒業する。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。大湊海軍航空隊付となる。同年5月、大湊軍需部付兼経理部部員に転任。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み、1945年(昭和20年)1月、大湊軍需部占守支部(北千島)に転じ、その後、小樽武官府で終戦を迎えた。
李 政烋(イ・ジョンヒュ、朝鮮語: 이정휴、1918年6月1… 李 政烋(イ・ジョンヒュ、朝鮮語: 이정휴、1918年6月1日 - 1996年9月6日または1999年9月6日)は、大韓民国の実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。 漢字表記は李正烋とも。号は鳳剛(ポンガン、봉강)。 日本統治時代の全羅南道光山郡(現・光州広域市)出身。法政大学専門部法科卒。大韓青年団全羅南道組織部長・総務部長、国民会光山郡支部長・光山郡支部委員長、光州産業株式会社常務取締役、自由党光山甲区党委員長・中央委員、国会国防分科委員を務めた。 1996年9月6日に死去。享年78。 1955年11月の第3代国会議員在任中、同年春に10万ファンの無取引小切手を発行した疑いで「詐欺罪」の被告として告訴された。
加藤 清政(かとう きよまさ、1917年(大正6年)1月10… 加藤 清政(かとう きよまさ、1917年(大正6年)1月10日 - 1995年(平成7年)12月7日)は、日本の政治家。千代田区長(2期)、衆議院議員(1期)、東京都議会議員(4期)、千代田区議会議員(3期)。 本籍地の長野県上水内郡安茂里村(現長野市)で出生、生後間もなく東京市で育つ。父の加藤六之助は警視庁小松川警察署亀戸分署署長。旧制安田工業学校を経て、1940年法政大学法文学部卒業。東京市に入庁し城東区役所や神田区役所に勤め、第二次世界大戦終戦後、千代田区役所主事を経て、東京都庁職員労働組合(都職労)青年部長を務める。1947年から千代田区議会議員を3期務めた後、東京都議会議員に転じて4期務める。
羽田野 忠文(はたの ちゅうぶん、1917年1月1日 - 2… 羽田野 忠文(はたの ちゅうぶん、1917年1月1日 - 2004年3月17日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(4期)。 現大分県豊後大野市朝地町出身。1940年、法政大学専門部法律科卒業。 大日本帝国海軍法務大尉、弁護士、福岡大学教授、大分県弁護士会長、大分県議会議員を務める。 1967年の第31回衆議院議員総選挙大分1区に無所属で立候補するが、落選。1969年の第32回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補し、初当選。以後4期務める。1974年11月、第2次田中角栄第2次改造内閣・外務政務次官。同年12月、三木内閣・外務政務次官。1976年、三木改造内閣・法務政務次官。1981年、衆議院法務委員長。
保立 旻(ほたて あきら、1916年(大正5年)8月10日 … 保立 旻(ほたて あきら、1916年(大正5年)8月10日 - 2000年(平成12年)5月30日)は、日本の政治家。第5代東京都小金井市長。 京都府出身。1940年に法政大学経済学部を卒業。小金井市議会議員、市議会議長(1963年~1966年、1969年~1971年)、東京都市議会議長会会長を経て、1981年自民党・公明党・民社党・新自由クラブ推薦で市長に初当選。1985年に再選。 1987年、老人入院見舞金支給条例をめぐって市議会が紛糾。同年3月5日付で辞職。墓所は多磨霊園
姜 昌瑢(カン・チャンヨン、朝鮮語: 강창용、1914年3月… 姜 昌瑢(カン・チャンヨン、朝鮮語: 강창용、1914年3月2日 - 2000年9月25日)は、大韓民国の実業家、政治家。第2代韓国国会議員。本貫は晋州姜氏。 姜 昌鎔、姜 昌溶(それぞれ読み、ハングルともに同じ)とも表記される。 済州島北済州郡涯月面(現・済州市)出身。漢城商業学校卒業後は専売庁に就職した。咸鏡北道の出先支所に赴任したが、両親の懇願により2年ほどで済州島に帰郷した。1935年に涯月面書記に就任し、2年後に内地に留学に行った。1941年に法政大学政治経済科を卒業し、金融組合連合会理事見習試験に受験して合格した。慶尚北道・慶尚南道の金融組合で1950年ごろまでに朝鮮金融組合に10年勤務し、専務理事などを務めた。
布施 丑雄(ふせ うしお、1913年〈大正2年〉10月16日… 布施 丑雄(ふせ うしお、1913年〈大正2年〉10月16日 - 1966年〈昭和41年〉3月15日)は、日本の政治家、実業家。石川県鳳至郡穴水町長。布施林業部代表取締役。石川県山林協会副会長。大日本山林会評議員。穴水町森林組合長。 石川県鳳至郡(現鳳珠郡)穴水町出身。布施丑造の長男。1939年、法政大学経済学科卒業。1943年、北陸貨物自動車常務となり専務の後解散により退職する。 1952年3月、石川トヨタ自動車監査役に就任する。同年7月、町議に当選する。1954年4月、4ヵ町村合併の新穴水町初代町長に選ばれた。 趣味は読書。宗教は真宗大谷派。住所は石川県鳳至郡穴水町河内。別宅は金沢市味噌蔵町上中丁。
川原 幸男(かわはら ゆきお、1913年〈大正2年〉8月30… 川原 幸男(かわはら ゆきお、1913年〈大正2年〉8月30日 - 1985年〈昭和60年〉9月24日)は、昭和期の地方公務員、政治家。東京都港区長(3期)。 東京に生まれる。1937年(昭和12年)に法政大学専門部経済科を卒業する。 1935年(昭和10年)に東京市芝区役所に入り、港区総務部長、教育長、助役を務めた。1975年(昭和50年)に初の区長公選で港区長に当選する。三期連続当選するも、任期中の1985年(昭和60年)9月24日に死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
高橋 庄次郎(たかはし しょうじろう、1912年(明治45年… 高橋 庄次郎(たかはし しょうじろう、1912年(明治45年)7月23日 - 1995年(平成7年)3月25日)は、日本の政治家。埼玉県議会議長、埼玉県蕨市長。 1912年(明治45年)7月23日、埼玉県に生まれる。1937年(昭和12年)に法政大学を卒業する。 埼玉県蕨町助役、町長を経て、蕨市長に就任する。埼玉県議会議員に当選し、1971年(昭和46年)に副議長、1977年(昭和52年)に議長に就任する。この間、1959年の第5回参議院議員通常選挙に埼玉選挙区から自由民主党公認で立候補して落選した。 1995年(平成7年)3月25日に死去、82歳。 蕨町の青年団長時代に、青年祭(のちに成年式)を主唱・企画し、1946年11月22日に実施する。
内山榮一(うちやま えいいち、1911年(明治44年)11月… 内山榮一(うちやま えいいち、1911年(明治44年)11月25日 - 2012年(平成24年)4月10日)は、日本の政治家、税理士。東京都台東区長(4期)、台東区議会議員(4期)、東京都議会議員(3期)を歴任した。 埼玉県大里郡、のちの岡部町(現深谷市)出身。1935年、法政大学経済学部卒業。その後税理士事務所を開く。 1951年から台東区議会議員を4期務め、1967年、台東区選出の都議会議員の死去による補欠選挙に自由民主党公認で立候補し、当選し、都議会議員を3期務めた。1975年4月に台東区長に当選。1991年4月まで4期16年務めた。 旧東京音楽学校奏楽堂の老朽化にともなう移築問題が起きた際、愛知県の明治村に建物を移築する計画に対して、上野公園敷地内への移築を推進し台東区内での保存を守ったことで知られる。
結城 吉之助(ゆうき きちのすけ、1910年(明治43年)7… 結城 吉之助(ゆうき きちのすけ、1910年(明治43年)7月5日-2003年(平成15年)12月17日)は日本の政治家。山形県村山市長、引揚者団体全国連合会副理事長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 1910年(明治43年)7月5日、山形県に生まれる。1933年(昭和8年)に法政大学を卒業し、鏡泊学園に第一期生として入学する。2年目からは鏡泊学園の教官に任命されるが、応召され、咸興歩兵第74連隊で兵役を務める。 なお、鏡泊学園は、創立者山田悌一を含む学園関係者等15名が匪賊により殺害され、また、学園の財政難もあいまって、創立3年で学園は解散する。 除隊後、満州国の官吏となり、吉林省懐徳県街村指導官、1938年(昭和13年)に伊通県地方課長、1940年(昭和15年)に樺甸県総務部長、1942年(昭和17年)から満州国協和会に出向し、鶏寧県本部事務長、協和会副参事に就任する。
三春 重雄(みはる しげお、1910年3月17日 - 199… 三春 重雄(みはる しげお、1910年3月17日 - 1996年1月8日)は、宮城県志田郡古川町(現・大崎市古川)生まれ、旧制古川中学校(宮城県古川高等学校)、法政大学出身、日本の政治家。元・宮城県議会議員、日本社会党宮城県本部委員長、日ソ協会(現・日本ユーラシア協会)宮城連合会長、河北新報社厚生部部長などを歴任。第46代内閣総理大臣の片山哲は義理の叔父にあたる。 仙台市博物館にある「魯迅の碑」設置にも尽力をした。
金 正晧(キム・ジョンホ、朝鮮語: 김정호、1909年1月1… 金 正晧(キム・ジョンホ、朝鮮語: 김정호、1909年1月19日 - 1970年3月9日)は、満州国および大韓民国の陸軍軍人、警察官僚、政治家。陸軍准将、第3代韓国国会議員。 1909年1月19日、全羅南道光陽郡(現・光陽市)出身。 普成中学校(朝鮮語版)、法政大学卒業。満州国中央陸軍訓練処(奉天軍官学校)3期卒業。 国立警察専門学校(現・警察人材開発院)校長、慶北警察庁長、慶北鉄道警察庁長、忠南鉄道警察庁長、公安局長、陸軍護国軍第105旅団長、全南地区兵事区司令官、全北戒厳民事部長、全北地区兵事区司令官、陸軍106師団長、陸軍本部兵務監、国防部第3局長、合同参謀本部第1部長・第3部長、韓米合経国防部代表を務めた後、陸軍准将として予備役に編入。
島 清(しま きよし、1908年(明治41年)9月29日 -… 島 清(しま きよし、1908年(明治41年)9月29日 - 1997年(平成9年)5月15日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、うるま新報(現琉球新報)社長。 沖縄県糸満町に生まれる。1938年(昭和13年)、法政大学法文学部を卒業する。戦前は、社会運動家として、日本大衆党、全国大衆党、全国労農大衆党、社会大衆党などで活動する。 1945年(昭和20年)、ウルマ新報(後にうるま新報に社名変更)の初代社長に就任する。 1947年(昭和22年)、第1回参議院議員通常選挙に日本社会党候補として東京都選挙区より出馬し、当選する。また、全国戦災者事業団副理事長に就任する。1954年(昭和29年)、日本社会党(社会党右派)中央執行委員に就任。
高野 宗雄(たかの むねお、1907年(明治40年)12月1… 高野 宗雄(たかの むねお、1907年(明治40年)12月1日 - 1989年(平成元年)9月25日)は、日本の政治家、第4、5期魚津市長(1964年 - 1972年)、新川信用金庫理事、新開発公社理事長を歴任。 1907年(明治40年)12月1日、富山県に生まれる。1930年(昭和5年)に法政大学経済学部を卒業し、東京建物に入社する。1954年(昭和29年)魚津市監査委員、1960年(昭和35年)同教育委員委員を経て、1964年(昭和39年)4月に魚津市長選挙に出馬し、当選する( - 1972年(昭和47年)5月)。 在任中は白倉小学校組合管理者、家事・民事調停委員、衛生処理組合管理者、魚津市開発公社理事長、新川育成牧場組合管理者、新川広域圏事務組合理事長、市体育協会会長などを兼任した。
平良 良松(たいら りょうしょう、1907年(明治40年)1… 平良 良松(たいら りょうしょう、1907年(明治40年)11月12日 - 1990年(平成2年)3月19日)は、日本の政治家。沖縄県那覇市長(4期)などを務めた。 那覇市出身。沖縄県立第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を卒業後上京し、近衛師団兵器部にて働きながら法政大学専門部法律科に通っていたが、赤色救援会の活動への関与が発覚したことや病気療養により、一旦帰郷する。 だが、警察の監視つきで就職さえままならなかったため、1934年、ペルー・リマ市に渡り現地の日本人学校で8年間教鞭を執る。終戦後の1946年に沖縄へ戻り、村会議員や農協会長などを経て、1954年から4期にわたり立法院議員となる。
河野 一郎(こうの いちろう、1907年(明治40年)9月1… 河野 一郎(こうの いちろう、1907年(明治40年)9月15日 - 1993年(平成5年)8月29日)は日本の政治家。元東京都議会議長。位階は従四位。 1907年(明治40年)9月15日に東京で生まれる。1934年(昭和9年)に法政大学法学部を卒業する。 1947年(昭和22年)に世田谷区議会議員(2期)に当選し、1952年(昭和27年)に世田谷区議会議長に就任する。 1955年(昭和30年)に東京都議会議員(8期)に当選し、1977年(昭和52年)に東京都議会議長に就任する。 1993年(平成5年)8月29日、心不全により死去、85歳。死没日付をもって従四位に叙された。 1969年(昭和44年)に藍綬褒章を、1978年(昭和53年)に勲三等瑞宝章を受章する。
恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月… 恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月25日 - 1989年〈平成元年〉8月20日)は日本の政治家、社会運動家。群馬県議会議員、渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会長。 1907年(明治40年)、群馬県山田郡毛里田村(現・太田市)に生まれる。父は政七、母は寿世(スセ)。母方の祖父は群馬県会議員・武藤幸逸。1926年(大正15年)群馬県立太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業し、慶應義塾大学英文学部予科へ進学するが中退。法政大学法学部を卒業する。 大学卒業後は家業の農業に従事。酪農も始めて東毛酪農協同組合を創立、初代会長に推された。群馬県毛里田村農業協同組合長、群馬県養蚕農協連合会会長を歴任。
図司 安正(圖司 安正、ずし やすまさ、1905年(明治38… 図司 安正(圖司 安正、ずし やすまさ、1905年(明治38年)12月4日 - 1990年(平成2年)5月12日)は、日本の政治家。衆議院議員。 1976年(昭和51年)に勲二等瑞宝章を受章している。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月… 温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月3日 - 1976年(昭和51年)10月22日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(3期)。位階は正四位、勲等は勲二等。 宮崎県西諸県郡小林村(現小林市)で、宮崎県会議長を務めた温水実孝の息子として生まれた。その後、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校を経て1931年(昭和6年)法政大学法科卒業し、農業に従事した。 1942年(昭和17年)小林町会議員に選出。1946年(昭和21年)小林町農業会会長に就任。1948年(昭和23年)宮崎県農業会会長となり。1954年(昭和29年)宮崎県農業協同組合中央会会長。1963年(昭和38年)宮崎県の農協中央会、信用農協連、経済農協連、共済農協連の各会長就任。
金 東準(キム・ドンジュン、朝鮮語: 김동준、1905年6月… 金 東準(キム・ドンジュン、朝鮮語: 김동준、1905年6月10日 - 1969年以前)は、満洲国の公務員、大韓民国の実業家、政治家。制憲韓国国会議員。 忠清南道瑞山郡出身。泰安公立普通学校(現・泰安初等学校(朝鮮語版))、普成高等普通学校(現・普成高等学校(朝鮮語版))、法政大学法文学部卒。日本弁理士試験・満州高等文官試験合格。満洲国間島省各県の官吏、大韓民報社社長などを務めた。1948年の初代総選挙で当選したが、1950年の第2代総選挙で落選した後は農業に従事した。1968年の『国会20年』によると、この本の出版時点ではすでに死去したとされる。
大澤 嘉平治(おおさわ かへいじ、1905年(明治38年)5… 大澤 嘉平治(おおさわ かへいじ、1905年(明治38年)5月17日 - 1983年(昭和58年)8月21日)は日本の政治家、実業家。衆議院議員(2期、民主党→民主自由党) 1905年(明治38年)に栃木県で生まれ、法政大学商業学校を卒業する。野洲繊維工業、安足産業、安足自動車運送、大澤建設工業、日本化工、東京タクシーなど多くの社長を務め、佐野商工会議所初代会頭に就任する。 1947年(昭和22年)に第23回衆議院議員総選挙に栃木県第2区から出馬し、当選する(連続2期)。また、民主自由党総務を務める。 1980年(昭和55年)秋の叙勲で勲三等瑞宝章受章。 1983年(昭和58年)8月21日死去、78歳。
城 義臣(じょう ぎしん、1904年(明治37年)10月11… 城 義臣(じょう ぎしん、1904年(明治37年)10月11日 - 1976年(昭和51年)9月21日)は日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)。 1904年(明治37年)、熊本県に生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学法文学部哲学科を卒業し、1929年(昭和4年)に早稲田大学政治経済学部を卒業する。 法政大学社会学研究室助手・講師、九州日報編集局員、日本ピアノ輸入・帝國土地建物・甲南航空工業・天産航空部品・城興産・竜門木材工業各取締役、私塾城山学舎舎主、福岡文化学園理事長兼校長を歴任する。 1948年の参議院熊本県選挙区補欠選挙に日本自由党から出馬し、当選する。第3次吉田内閣で行政管理政務次官に就任し、自由党政務調査会副会長、同党顧問を務める。
厳 敬燮(オム・ギョンソプ、朝鮮語: 엄경섭/嚴敬燮、190… 厳 敬燮(オム・ギョンソプ、朝鮮語: 엄경섭/嚴敬燮、1904年3月27日または1906年3月27日 - 1979年9月6日)は、大韓民国の教育者、政治家。第9代韓国国会議員。 本貫は寧越厳氏。儒教の信者。元養正高等学校校長の厳圭白は長男。 ソウル出身。1925年養正高等普通学校卒、1931年法政大学経済学部商科卒。養正中学校・高等学校で長く勤め、教諭・教務主任・校長を歴任した。その他にソウル私立中等学校長会会長、中央教育委員会委員、大韓私立中等学校長会連合会長、国民教育憲章制定審議会委員、長期総合教育計画審議会委員、教育政策審議会委員、維新政友会所属の第9代前半期国会議員、養正義塾理事長を務めた。
尹 泳善(ユン・ヨンソン、朝鮮語: 윤영선、1904年または… 尹 泳善(ユン・ヨンソン、朝鮮語: 윤영선、1904年または1905年 - 1997年12月18日(旧暦11月19日))は、大韓民国の実業家、政治家。初代光州市長、第2代韓国国会議員を歴任した。 本貫は海南尹氏(朝鮮語版)、孤山尹善道の13世宗孫である。元朝鮮総督府中枢院参議の尹定鉉(朝鮮語版)は父。長男の尹亨植は長い間、14代宗孫として海南尹氏宗家の緑雨堂(朝鮮語版)に住んでいる。 全羅南道海南または光州出身。法政大学政経学部卒。郡属、府属、理事官、光州農科大学・光州医科大学期成会理事、国民会全羅南道総務部長を経て、東光新聞副社長、初代(または第5代)全羅南道光州市(現・光州広域市)長、木浦白泉企業会社会長、興国海運会長、国会財経委員、成均館理事長を務めた。
神田 博(かんだ ひろし、1903年12月25日 – 197… 神田 博(かんだ ひろし、1903年12月25日 – 1977年6月30日)は、日本の政治家。位階は正三位。厚生大臣(第28、29、40、41代)、衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)。 現在の新潟県東蒲原郡阿賀町に生まれる。1928年法政大学専門部法律科を卒業した後内務省に入る。同省地方局から静岡県属となり、水産、人事、秘書、商工の各課長を務める。その後、理研軽金属工業静岡工場長を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から静岡全県区から立候補し当選を果たす。翌年の第23回衆議院議員総選挙からは旧静岡1区に移り、通算当選8回。村上勇とともに、大野伴睦の最も早い時期からの側近であった。
若林 忠一(わかばやし ちゅういち、1903年(明治36年)… 若林 忠一(わかばやし ちゅういち、1903年(明治36年)4月1日 - 1977年(昭和52年)5月28日)は、日本の農民運動家、政治家。長野県更埴市長。 長野県埴科郡屋代町(現千曲市)生まれ。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)を中退し、独学で法政大学経済学部に進学し、在学中から社会主義運動に参加し、1924年(大正13年)中途退学して帰郷。 更級・埴科地方の自作・小作農民層の青年らを集めて「北信社会思想研究会」を立ち上げ、これに教員らが参加して、1925年(大正14年)政治研究会長野県評議会を組織し、幹事長となる。1926年(大正15年)労働農民党(労農党)に入党。1927年(昭和2年)屋代町に長野県小作組合連合会(日本農民組合長野県連合会)を組織し、その中心人物として県下の農民運動を主導した。
島田 末信(しまだ すえのぶ、1903年〈明治36年〉4月1… 島田 末信(しまだ すえのぶ、1903年〈明治36年〉4月1日 - 1958年〈昭和33年〉4月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 香川県出身。1926年法政大学専門部商科卒。讃岐公論社主筆、阿讃中央自動車、金剛産業(株)各代表取締役、坂出製氷、四国連鎖百貨各(株)取締役社長となる。香川県議会議員、香川県地方労働委員会委員を歴任する。1947年の第23回衆議院議員総選挙において香川2区から日本民主党公認で立候補して落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙で当選した。国会では衆議院労働委員長を務めた。1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党から立候補したが落選した。1958年死去。
石田 一松(いしだ いちまつ、本名同じ、1902年11月18… 石田 一松(いしだ いちまつ、本名同じ、1902年11月18日 - 1956年1月11日)は、日本の政治家、演歌師、演歌歌手。作詞家、作曲家。位階は正五位。 芸人で、吉本興業(東京吉本)所属。戦前の一時期、石田一涙と芸名を名乗る。戦後は並行して衆議院議員を務め、タレント議員第一号とされる。身長五尺四寸、体重十七貫(自著記載より)。なぎら健壱は孫弟子にあたる。諷刺の先駆者、及びシンガーソングライターの先駆けともされ、その弾き語りは一世を風靡した。 広島県安芸郡府中村字山田(現府中町)生まれ。3歳で実母とは生き別れて、その後4人の継母に育てられた。うち3人の継母から虐められこれを耐え抜いたという。父・石田喜一は井戸堀職人で、その後米相場で失敗。
北村 又左衛門(きたむら またざえもん、明治35年(1902… 北村 又左衛門(きたむら またざえもん、明治35年(1902年)9月26日 - 昭和60年(1985年)12月23日)は、日本の林業家、政治家。北村林業会長、また帝国議会の衆議院議員を務めた。その他、全国林業組合長などを歴任した。 奈良県出身。前名は太郎。昭和3年(1928年)法政大学卒業。 昭和17年(1942年)の翼賛選挙に奈良全県区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け、初当選、昭和20年(1945年)12月まで在職した。 戦後、公職追放となり、昭和26年(1951年)6月解除と共に同年10月大丸監査役に就任する。 妻は百五銀行取締役土井八郎兵衛の長女・利子。長女は白鶴酒造相談役嘉納信治の妻であり、灘の名門嘉納家の大閨閥につながっている。
佐瀬 昌三(させ しょうぞう、1902年7月8日 - 200… 佐瀬 昌三(させ しょうぞう、1902年7月8日 - 2001年6月23日)は日本の政治家、法律家、法学博士、衆議院議員、裁判官、法政大学教授、弁護士 1902年(明治35年)7月8日に千葉県山武郡上堺村(現在の横芝光町屋形)で生まれる。 法政大学法学部に入学し、在学中は法政大学弁論部に所属。1924年(大正13年)に法政大学卒業。同年高等文官試験行政科、司法科に合格し、検事に任官する。1930年(昭和5年)に法政大学講師となり、フランスに2年間留学をする。パリ法科大学で刑事法学研究室に所属し刑事法学を専攻する。 帰国後、1932年(昭和7年)に判事に転官し、東京地方裁判所判事の傍ら法政大学教授に就任し、刑法及び仏法の講義を行う。
中村 梅吉(なかむら うめきち、1901年3月19日 - 1… 中村 梅吉(なかむら うめきち、1901年3月19日 - 1984年8月4日)は、日本の政治家、弁護士、第57代衆議院議長(在任期間、1972年12月22日 - 1973年5月29日)。長男は元衆議院議員の中村靖。 東京府北豊島郡下練馬村(現、練馬区練馬)出身。農家の次男に生まれる。 1923年、法政大学専門部法科を卒業。大学在学中は法政大学弁論部に所属していた。三木武吉法律事務所で弁護士修業を始めたのが政治に関わるきっかけとなる。1928年に東京府会議員、1936年に立憲民政党から衆議院議員に初当選。以後通算当選12回。三木武吉の直系として行動を共にする。 1946年から1951年まで公職追放。
安東 玉彦(あんどう たまひこ、1900年(明治33年)8月… 安東 玉彦(あんどう たまひこ、1900年(明治33年)8月7日 - 1990年(平成2年)9月19日)は、日本の政治家。大分県大分市長。 大分師範学校、法政大学高等師範部を卒業後、大分師範学校教諭、大分県視学、大分県立竹田高等女学校(現大分県立竹田高等学校)校長、大分県立別府高等女学校(現大分県立別府鶴見丘高等学校)校長を歴任。1947年(昭和22年)に大分市助役となる。 1963年(昭和38年)3月、周辺市町村との合併により新設された新・大分市長に当選。以後、1975年(昭和50年)まで、3期12年にわたり大分市長を務めた。 任期中の12年間は、ちょうど日本の高度成長期にあたった。大分市も、1964年(昭和39年)1月に新産業都市の指定を受けると、沿岸の埋立地に新日本製鐵大分製鐵所や昭和電工大分事業所などの企業が次々に立地して大分臨海工業地帯が形成されるなど、経済的に大きく発展し、人口が急増した時期であった。
倉石 忠雄(くらいし ただお、1900年(明治33年)7月2… 倉石 忠雄(くらいし ただお、1900年(明治33年)7月2日 - 1986年(昭和61年)11月8日)は、日本の政治家。労働大臣、農林大臣、法務大臣。位階は正三位。 長野県更級郡稲荷山町(現・千曲市)に、製糸用繭問屋を経営していた倉石万平の子として生まれる。少年時代の友人に漫画家の近藤日出造がいる。長野中学(現・長野県長野高等学校)を経て、1925年に法政大学法科 を卒業。法大在学中は法政大学弁論部で活動。森恪の知遇を得て、立憲政友会の院外団にも参加する。この活動で同じく院外団メンバーだった大野伴睦と知り合った。 大学卒業後は婦人雑誌を発行していた「婦女界社」に入社する。同社社長の都河竜に目をかけられ二女徳子と結婚、媒酌人は森格が務め、音羽の鳩山一郎邸に一時身を寄せた。
嵯峨根 達雄(さがね たつお、1900年(明治33年)4月3… 嵯峨根 達雄(さがね たつお、1900年(明治33年)4月3日 - 1997年4月)は日本の政治家。京都府舞鶴市長(1期)。 京都府舞鶴市出身。1914年(大正3年)高野小学校卒。1918年(大正7年)加佐郡役所に入り、その後愛宕郡役所に転じる。1924年(大正13年)文官普通試験に合格。1926年(大正15年)京都府属となり、地方課に勤務する。1929年(昭和4年)内務属として内務省土木局港湾課に勤務。内務省に勤務しながら法政大学専門部法律科に通い、1934年(昭和9年)卒業。1936年(昭和11年)内務土木事務官、1943年(昭和18年)運輸通信省港湾局に転任する。 1946年(昭和21年)神戸市役所に入り、理事兼港湾部長となる。
田淵 光一(田渕 光一、たぶち こういち、1900年(明治3… 田淵 光一(田渕 光一、たぶち こういち、1900年(明治33年)2月3日 – 1972年(昭和47年)5月3日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。「田渕」と表記される場合がある。 和歌山県有田郡、のちの金屋町(現有田川町)で生まれた。法政大学専門部法律科で学んだが、関東大震災で負傷し中退した。 1937年(昭和12年)日本林産鉱業取締役社長、1938年(昭和13年)明治採炭鉱業社長にそれぞれ就任し、1942年(昭和17年)から三重県、奈良県で亜炭鉱山上野炭鉱などを経営した。その他、奈良県亜炭鉱業会長、近畿亜炭鉱業会理事、全国亜炭鉱業連合会常任理事、奈良県亜炭協同組合理事長、石炭増産協力会推進専門委員、全国亜炭産業会総務理事、全国亜炭協会長、国際化成社長、伊賀窯業取締役などを務めた。