田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は… 田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は、愛知県出身の洋画家、壁画家。
武蔵野美術大学:101人
田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は… 田村 能里子(たむら のりこ、1944年3月15日 - )は、愛知県出身の洋画家、壁画家。
丸山 勝三(まるやま かつみ、1943年2月 - 2020年… 丸山 勝三(まるやま かつみ、1943年2月 - 2020年12月)は、島根県安来市出身の洋画家。武蔵野美術大学卒業。
曾宮夕見(そみや ゆみ、1943年 - )は日本の画家。父は… 曾宮夕見(そみや ゆみ、1943年 - )は日本の画家。父は洋画家の曾宮一念。 1943年東京都神田に生まれた。1945年、父曾宮一念と静岡県富士宮市に疎開、1965年、武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業、1976年、東京、大阪、浜松、名古屋で個展を開催、その後、銀座兜屋画廊、静岡松坂屋、名古屋兜屋画廊にて個展。
松井 守男(まつい もりお、1942年7月25日 - 202… 松井 守男(まつい もりお、1942年7月25日 - 2022年5月30日)は、愛知県豊橋市出身の画家。フランスを拠点に活動した。 1942年、愛知県豊橋市生まれ。実家は魚屋だった。豊橋市立北部中学校卒業、愛知県立豊橋東高等学校卒業。高校では美術部に所属。二浪して、1963年に武蔵野美術大学造形学部油絵科に入学。1967年、同大を首席で卒業したことで、パリ行きの航空券を獲得した。同年、フランス政府奨学生として渡仏し、パリを拠点に制作活動を始めた。同地ではアカデミー・ジュリアンやパリ国立美術学校でデッサンを学び直した。 サロン・ド・メへの招待、印象派発祥の画廊ギャラリー・ベルネーム=ジュンネでの個展、エールフランスの機内装飾を担当するも、画家としての地位を確立できずに苦悩していた。
眞海 恭子(しんかい きょうこ、1942年(昭和17年)3月… 眞海 恭子(しんかい きょうこ、1942年(昭和17年)3月29日)は、日本の作家、画家。 子供時代を長崎県壱岐で過ごし、1965年東京の武蔵野美術学校を卒業後、アカデミー・デ・ボザールに学び、以後パリに住む。1971年、ドイツの演出家Wolfram Mehringと結婚。1990年以来ドイツに住み国立劇場などで舞台装置、衣装を手がけながら現在はフライブルグで小説と絵の制作を続けている。
島 眞一(しま しんいち, Shin-ichi SHIMA,… 島 眞一(しま しんいち, Shin-ichi SHIMA, 1942年 – 2008年11月30日)は、東京都出身の画家。武蔵野美術大学卒業。武蔵野美術大学教授。 1942年に東京都台東区根岸に生まれ、7歳の時に国立市に引っ越した。1966年に武蔵野美術大学造形学部美術科彫刻専攻を卒業。卒業制作は大学に買い上げられている。同1966年に美術科助手に就任し、1971年まで武蔵野美術大学で助手を務めた。 助手の任期を終えた1971年には美術研修を目的としてスペインに渡り、マドリード、クエンカ、バレンシアなどで精力的に作品を制作して個展やグループ展を行った。作品制作に加えて、アルタミラ洞窟壁画からスペインの現代美術に至るまでのスペイン絵画の特質について研究している。
タイガー立石(タイガー たていし、1941年12月20日 -… タイガー立石(タイガー たていし、1941年12月20日 - 1998年4月17日)は、日本の画家、漫画家、絵本作家、陶芸家。本名、立石紘一(たていし こういち)。 筑豊の伊田町(現福岡県田川市)に生まれる。戦後復興から高度成長期の時代に少年期を過ごし、映画や昭和歌謡などに囲まれて過ごした。武蔵野美術短期大学への進学・上京を期に美術活動を開始する。最初は本名で活動し、1963年の読売アンデパンダン展でデビュー。画家中村宏と「観光芸術協会」を結成、わずか2年で解散するも中村とともにアバンギャルドな作風と活動方針(雑踏の中で自作を掲げて歩く路上歩行展など)で一時代を築いた。この時代の立石は和製ポップアートの先駆けと評される。
木口 敬三(きぐち けいぞう、1941年10月6日-)は、日… 木口 敬三(きぐち けいぞう、1941年10月6日-)は、日本の画家、美術講師。 岡山県倉敷市において、銅版画を中心に制作活動を行うとともに、美術系大学受験を主目的とした画塾「木口美術研究所」で講師活動を行っている。演出家・劇作家の危口統之の父。 岡山県倉敷市出身。岡山県立倉敷青陵高等学校を経て、1966年武蔵野美術大学洋画科主席卒業。フランス政府私費留学試験合格後、1968年から1972年にかけて2度のフランス・ヨーロッパ留学を行う。その後倉敷市に戻り、1970年代前半ごろより地域の専門学校や高校などで美術指導を開始。1984年に画塾「木口美術研究所」を設立。以後銅版画を中心とした作品制作ならびに、美術系大学受験を志す高校生の指導を中心に、地域の芸術・文化活動に尽力している。
池谷 孝子(いけや たかこ、1941年 - )は、洋画家。洋… 池谷 孝子(いけや たかこ、1941年 - )は、洋画家。洋画家櫻井慶治に師事。東京都在住。新世紀美術会会員、武蔵野美術大学を修了。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本の… 下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本のノンフィクション作家、画家。沖縄県をテーマとした著作で知られる。 長野県上田市に生まれる。中学1年生の時に上京する。武蔵野美術大学油絵学科を中退。 1975年から約1年間石垣島に妻子とともに移住した。この移住で沖縄の歴史や文化への興味を抱く。 1983年、沖縄県の洞窟「チビチリガマ」の調査を地元住民らとともにおこない、沖縄戦時に壕内で集団自決があったことを明らかにした。下嶋はもともと、アメリカ合衆国施政下でおこなわれた沖縄本島からの移民の調査のために沖縄を訪れ、出会った読谷村出身の女性から聞いた断片的な話をきっかけに関係者への聞き取りを重ねて証言を引き出し、それをもとに壕内の調査で自決を裏付けた。
バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11… バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11月11日 -)は、日本の漫画家、画家。本名、吉元 正(よしもとただし)。1960〜1970年代にかけて巻き起こった劇画ブームの全盛期を築いた漫画家のひとり。代表作に『柔俠伝』シリーズ、『どん亀野郎』、『黒い鷲』、『賭博師たち』など。 満洲奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)生まれ、鹿児島県指宿市育ち。鹿児島県立指宿高等学校卒業後、武蔵野美術大学西洋画科へ入学。柔道は黒帯を保有。 公益社団法人日本漫画家協会理事。2005年から2012年までは大阪芸術大学キャラクター造形学科にて教授を務めた。妻は日劇ミュージックホールでトップダンサーとして活躍し、2022年には第25回岡本太郎現代芸術賞で岡本太郎賞を受賞した、刺繍家・吉元れい花。
合田 佐和子(ごうだ さわこ、1940年10月11日 - 2… 合田 佐和子(ごうだ さわこ、1940年10月11日 - 2016年2月19日)は、日本の女性画家。 前夫との間に一女あり。三木富雄は2人目の夫で、その間に生まれたのが合田ノブヨである。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長… 原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長野県諏訪市出身の画家・グラフィックデザイナー。シンガーソングライターのさだまさしと親交が深く、原田の絵を題材にしたさだの楽曲もある。
石丸 雅通(いしまる まさみち、1940年)は、画家、彫刻家… 石丸 雅通(いしまる まさみち、1940年)は、画家、彫刻家。甥に造形作家の河野甲がいる。 銀座和光や鎌倉ポロ・ラルフローレン店のディスプレイも手がけたレザーアートの第一人者。1980年に日本ディスプレイ大賞を受賞。現在は、石丸美術館として鎌倉の自宅アトリエ「Salon de 酔鯨館」を公開している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
長島 浩(ながしま ひろし、1940年 -)は、日本の画家。… 長島 浩(ながしま ひろし、1940年 -)は、日本の画家。元近代美術協会会員。
舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )… 舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )は韓国京城府(現・ソウル特別市)出身の画家。新作家美術会、赤光社、福島青美会、会員 舘井は1981年の個展開催に際して、こう記している。「いつの頃からか ふと。一人で旅をするのが好きになりました。それは僕の内なるものが駆り立てる未知への憧憬でしょうか。太陽の下できらきらと光る海、そして山、湖 赤い屋根のある白壁の静かなたたずまい 知らず知らずに手が動くまま心に書き留めたのがこれらのスケッチです。」
木葉井 悦子(きばい えつこ、1937年 - 1995年7月… 木葉井 悦子(きばい えつこ、1937年 - 1995年7月)は、日本の絵本作家、画家。 東京都小金井市出身。武蔵野美術大学油絵科中退。 1970年代に2年間アフリカのナイジェリアで過ごし、帰国後の1978年に初めての絵本作品となる『あかいめのしろヘビ』を銀河社より出版。 1995年7月、癌により死去。生涯に17冊の絵本を出版した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 -… 長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 - 2015年6月23日)は、日本のイラストレーター・画家。宇宙やSFをイメージした作風で国際的に活躍し、レコードジャケットのアートワークを多数手掛けたことで知られる。本名は長岡 秀三(ながおか しゅうぞう)。
早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 20… 早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 2012年7月25日)は、日本の画家。東京都出身。新槐樹社名誉会長。
久下塚 青蘭(くげづか せいらん、1936年〈昭和11年〉3… 久下塚 青蘭(くげづか せいらん、1936年〈昭和11年〉3月17日 - 没年不明)は、日本の洋画家。「久下田の塚田」を略して「久下塚」とした。「青蘭」は東郷青児から与えられた雅号である。 1936年(昭和11年)3月17日、栃木県芳賀郡久下田町(1954年に町村合併で芳賀郡二宮町になり、2009年に真岡市に編入)に生まれる。養子縁組して塚田貞輔・富美子夫妻の長男となる。資産家の一人息子として育った久下塚は何一つ不自由のない少年時代を過ごした。しかし、陸軍大尉であった父・貞輔が28歳の若さで戦死を遂げた。久下塚が中学2年の時には母の富美子が子供よりも女としての幸せを選んで再婚。久下塚は父母の愛情に満たされずに育った言わばおばあちゃん子であり女中っ子であった。
悳 俊彦(いさお としひこ、1935年 - )は、日本の洋画… 悳 俊彦(いさお としひこ、1935年 - )は、日本の洋画家、浮世絵研究家(国際浮世絵学会会員)。浮世絵研究ではとりわけ、歌川国芳の研究において定評がある。 1935年、東京に生まれる。高校時代より細島昇一に就き絵を学ぶ。1953年、示現会及び日本水彩画会初入選(高校在学中)、以後毎年出品後、示現会退会。1958年、武蔵野美術学校洋画科卒。1960年、サエグサ画廊にて三人展。1961年、無土画廊にて初個展。1964年、国際青年美術家展入選。一陽会・光風会展等に入選。1970-74年、日本橋画廊にて二人展及び個展。1978年、悳俊彦画集出版(形象社)。1981年、テレビ朝日「徹子の部屋」に出演、武蔵野風景を紹介。
山本 貞(やまもと てい、1934年7月10日 - )は、洋… 山本 貞(やまもと てい、1934年7月10日 - )は、洋画家、日本藝術院会員。 東京生まれ。武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)卒。1957年「青い円」で二紀展初入選。1964年渡米、アート・スチューデント・リーグで学ぶ。1997年二紀会理事長。2004年「少年のいる夏」で日本芸術院賞、同年芸術院会員。2010年から2020年まで日本美術家連盟理事長。2017年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。風景画家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
戸嶋 靖昌(としま やすまさ, Yasumasa TOSHI… 戸嶋 靖昌(としま やすまさ, Yasumasa TOSHIMA, 1934年 – 2006年7月20日)は、栃木県出身の画家。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業。 1934年、栃木県塩谷郡船生村(現・塩谷町)に生まれた。1939年に父親が肺結核で病死したため、親の故郷である秋田県北秋田郡坊沢村(現・北秋田市)に引っ越し、母子家庭(母、靖昌、弟、妹)で育った。実家は大地主の富農であり、代々坊沢村長を務める名家だった。なお、出生地が鷹巣町坊沢であるとされることもあるが、生涯にわたって戸嶋の作品を取り扱った清澄画廊は戸嶋の出生地を栃木県であるとしている。坊沢村立尋常小学校、坊沢村立小学校、秋田県立大館中学校(旧制中学/現・秋田県立大館鳳鳴高校)に進学し、大館中学校美術部では部長を務めた。
紺野 修司(こんの しゅうじ、1933年12月3日 - 20… 紺野 修司(こんの しゅうじ、1933年12月3日 - 2013年5月12日)は、日本の画家、元・アニメーター、アニメーション演出家。主体美術協会会員。1957年北海道美術協会主催第32回道展知事賞。東映動画のアニメーター、虫プロダクションの初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の原画担当者・演出家としても知られる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家… 工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家、洋画家。大分県大分市出身。漁師など海、働く人物をテーマに描く作品が多い。
青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 -… 青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 - 1998年4月11日)は、僧侶、画家。大本山妙尊寺(三重県)、総本山龍覚寺・慈雲院(山梨県)、妙海寺(山口県)管主。 現代美術協会設立に参加その後、一線美術会に移籍。美術家として多くの作品を残している。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松樹 路人(まつき ろじん、1927年1月16日 - 201… 松樹 路人(まつき ろじん、1927年1月16日 - 2017年12月19日)は、北海道出身の洋画家。本名は松樹路人(まつき みちと)。武蔵野美術大学名誉教授。 北海道留萌管内羽幌町に生まれた。小学校長であった父の転勤にともない、同網走管内留辺蘂町(現・北見市)・女満別町(現・大空町)で育つ。父の失職のため一家で東京に転居。 1944年に東京美術学校油画科に入学、梅原龍三郎の教室で学んだ。1950年に独立展に初入選し、同展への出品を続け、1960年に独立美術協会会員となる。1971年から武蔵野美術大学で学生を指導。 初期作品群は「赤の時代」と称される。褐色を中心に抑制された色彩と肉厚の絵具の使い方が特徴。
前田 常作(まえだ じょうさく、1926年7月14日 - 2… 前田 常作(まえだ じょうさく、1926年7月14日 - 2007年10月13日)は、日本の画家、版画家。曼荼羅を主題とした抽象絵画と、《日本百観音》巡礼版画で知られる。2012年のニューヨーク近代美術館企画展「Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde」に出品された。 1926年、富山県下新川郡椚山村(現在の入善町)に生まれる。1945年、富山歩兵第69連隊に入隊中、富山大空襲を目撃し「市中の惨状を目の当たりにし、人間の生死について深く感ずるところがあった」と記している。 1947年富山師範学校本科卒業後、上京。1948年鶴田吾郎洋画研究所に学び、安井曽太郎の夏期講習を受ける。
日高 浩耀(ひだか こうよう、1925年 - )は西洋画家。… 日高 浩耀(ひだか こうよう、1925年 - )は西洋画家。台湾生まれ。立命館大学卒業後、現在の武蔵野美術大学に入学。 中学時代より塩月桃甫に師事し、画家としての修行を積んだ。日本表現派同人、同展奨励賞受賞。 作品「原爆忌」が広島平和祈念館に、「惨火」が大阪府平和祈念戦争資料室に永久保存されている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
金守 世士夫(かなもり よしお、1922年(大正11年)1月… 金守 世士夫(かなもり よしお、1922年(大正11年)1月24日 - 2016年(平成28年)12月9日)は日本の版画家。版画芸術院代表、国画会会員審査員。 富山県高岡市に生まれる。帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業。戦後、疎開中の棟方志功に師事し、木版画を制作する。1947年国画会に初出品。1952年同会賞を受賞。1958年、ニューヨーク・セントジェムス現代版画展で受賞。1970年刊の「湖山」など数多くの木版画集を手がける。1980年、富山市文化功労賞。1992年、勲五等瑞宝章受章。2016年、死去。藤子 不二雄Ⓐは富山新聞社勤務時代の部下でまんが道には金守をモデルとする変木が登場する。
斎藤 博之(さいとう ひろゆき、1919年5月22日 - 1… 斎藤 博之(さいとう ひろゆき、1919年5月22日 - 1987年3月8日)は、日本の洋画家、絵本作家。 独立美術協会展に出品して入選。『しらぬい』で第2回講談社出版文化賞絵本賞、『がわっぱ』他で、第21回小学館絵画賞(現在の小学館児童出版文化賞)を受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
張 旭鎭(チャン・ウクジン、朝鮮語: 장욱진、英語: Cha… 張 旭鎭(チャン・ウクジン、朝鮮語: 장욱진、英語: Chang Ucchin、1917年11月26日 - 1990年12月27日)は、留学第二世代を代表する韓国の近代美術画家である。家族、木、子供、鳥といった日常風景でよく目にする素朴な素材をモチーフに、童話的な内面世界を表現した作品制作を行った。東京の帝国美術学校で西洋画を学んだ後に帰国し、1954年から1960年までソウル大学校美術大学の教授を務めた。 本貫は結城張氏(朝鮮語版)。 張旭鎭は1917年11月26日、忠清南道の燕岐郡で産まれた。幼い頃より美術に対する素質があり、1926年に広島高等師範学校が主催した「全国小学校美術展」で一等を受賞している。
浅原 清隆(あさはら きよたか、1915年(大正4年)5月2… 浅原 清隆(あさはら きよたか、1915年(大正4年)5月23日- 1945年(昭和20年)5月29日)は兵庫県生まれの洋画家。 兵庫県神戸市中央区播磨町生まれ。 1934年(昭和9年)帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。1935年(昭和9年)第22回二科展に初入選する。シュルレアリスムに関心を持ち、同級生らと1936年(昭和10年)グループ「表現」を結成同年「動向」の結成参加、映画研究会の会報『T映』参加。1937年(昭和11年)第7回独立展入選。1938年(昭和12年)創紀美術協会結成に参加。1939年(昭和13年)美術文化協会の結成に参加。同年、神戸で個展を開催するが、まもなく応召し、1945年(昭和20年)ビルマ(現:ミャンマー)のプローム県で行方不明となる。
小館 善四郎(こだて ぜんしろう 1914年(大正3年)11… 小館 善四郎(こだて ぜんしろう 1914年(大正3年)11月29日 - 2003年(平成14年)10月8日)は青森県出身の洋画家。梶井基次郎の作品「檸檬」に因んで檸檬をモチーフにした静物画が多く、「レモンの画家」と呼ばれる。 青森市生まれ。旧制青森中学校(青森県立青森高等学校)在学中、南部公鎮に師事。1932年(昭和7年)に旧制青森中学校を卒業して上京し、帝国美術学校(武蔵野美術大学)に入学、牧野虎雄に師事した。1936年(昭和11年)11月、学校側の都合により帝国美術学校を繰上卒業。同年から1943年(昭和18年)まで母校青森中の図画科教師。 1938年(昭和13年)、第13回国画会展に初入選。
矢崎 博信(やざき ひろのぶ、1914年〈大正3年〉11月9… 矢崎 博信(やざき ひろのぶ、1914年〈大正3年〉11月9日 - 1944年〈昭和19年〉2月17日)は、長野県茅野市出身の洋画家。 「日本のシュルレアリスムの先駆者」とも評される画家。代表作に「高原の幻影」等がある。 長野県諏訪郡永明村(現・茅野市)出身。父源蔵と母とらの の長男として生まれる。実家は「信厚館」という生糸の製糸工業を経営していたが博信が子供の頃に倒産している。父矢崎源蔵は郷土史研究家、河合曾良研究者として知られていた(「信州文壇」1932年(昭和7年) - 1941年(昭和16年)という信州文壇社発行の雑誌に記事を連載していた)。 1921年(大正10年)永明村立永明尋常高等小学校(現・茅野市立永明小学校・茅野市立永明中学校)入学、この頃矢崎家に下宿していた担任の絵画教師、清澤の影響を受ける。
大塚 耕二(おおつか こうじ、1914年(大正3年)9月28… 大塚 耕二(おおつか こうじ、1914年(大正3年)9月28日 - 1945年(昭和20年)7月30日)は、洋画家、前衛芸術家日本前衛絵画の草分け的存在として評価される画家の一人である。 熊本県菊池市隈府下町の大塚書店の次男として生まれる。旧制鹿本中学(現在の熊本県立鹿本高等学校)を卒業後、帝国美術学校の学生であった、坂本善三(後に抽象画家となる)に師事する。 1934年、帝国美術学校西洋画科(現武蔵野美術大学)に入学。 1935年、浅原清隆、小田正春、森堯之ら学生仲間と絵画グループ「表現」を結成、同年、創立者兼初代校長で後に政治家・衆議院議員へ転身する北昤吉と学生らの対立より起きた同盟休校事件(学生ストライキ)が発生し、帝国美術学校より多摩帝国美術学校(現多摩美術大学の前身)が分離独立。
星 襄一(ほし じょういち、1913年9月27日 - 197… 星 襄一(ほし じょういち、1913年9月27日 - 1979年6月17日)は、日本の木版画家。国画会会員。日本版画協会会員。 新潟県北魚沼郡小出町(現・魚沼市)出身。台南師範学校を卒業後、台湾で初等教員を務め、終戦後に帰郷。後に上京し、1956年武蔵野美術学校を卒業。孔版画を習う。1949年、日本版画協会賞を受賞。木版画を学ぶ。1959年、国画賞受賞。1960年からは東京国際版画ビエンナーレ展に幾度か作品を出品。星座や雪、樹などを題材とした木版画作品を多く手掛けた。1979年、肺癌により千葉県八千代市の自宅で没した。65歳。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
麻生 三郎(あそう さぶろう、1913年(大正2年)3月23… 麻生 三郎(あそう さぶろう、1913年(大正2年)3月23日 - 2000年(平成12年)4月5日 )は、東京都生まれの洋画家である。 武蔵野美術大学名誉教授。戦中戦後を通して焼けただれ、焦げ付いたような暗褐色に彩られた家族を中心とした人物像や自己の内面を解体デフォルメし、闇の中から浮かび上がるように描き出す作風で知られる。彫刻家の麻生マユは実娘。 1913年(大正2年)3月23日、東京市京橋区本湊町(現在の東京都中央区湊)に麻生惣兵衛、喜代の三男(3男3女の4番目)として生まれる。麻生家は100年以上の歴史をもつ炭問屋、屋号は「山惣」。実家は当時築地の居留区があった明石町にほど近く、洋館が立ち並ぶその場所に麻生は毎日通い、お小遣いでラスクやレーズンなどを買っていた。
塩出 英雄(しおで ひでお、1912年4月6日 - 2001… 塩出 英雄(しおで ひでお、1912年4月6日 - 2001年3月20日)は昭和-平成時代の日本画家。 明治45年(1912年)4月6日、広島県福山市生まれ。17歳の時美術に志を立て、1931(昭和6)年上京し姻戚関係にあった尾道出身の片山牧羊に日本画の手ほどきを受ける。同年 帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)日本画科に入学。主に山口蓬春の指導を受けるかたわら、学科では同校の教頭金原省吾から東洋美学や東洋美術史、国文や漢文まで広く学び、その後金原が没する58年まで薫陶を受けることになる。また学外でも高楠順次郎に仏教学を学び、高楠が没する45年まで師事する。36年に美術学校を卒業するが、この間35年より奥村土牛に師事し、昭和12年(1937年)より院展で活躍。
金 源(キム・ウォン、朝鮮語: 김원、1912年2月2日 -… 金 源(キム・ウォン、朝鮮語: 김원、1912年2月2日 - 1994年8月5日)は、大韓民国の洋画家。日本統治時代の朝鮮平安南道平壌出身。 1937年、日本の帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)西洋画科を卒業し、帰国後は咸興のヨンセン中学校で教員を務めた。1946年から梨花女子大学校教授、1954年以後からは弘益大学校教授を務めた。1960年からは第3次国際美術教育協会に韓国代表として参加し、約4ヶ月間欧米美術界を視察した。 モク会会員、国展審査委員を歴任し、印象主義的な写実化風の風景画を多く描いた。1994年8月5日、持病により82歳で死去した。
坂本 善三(さかもと ぜんぞう、1911年3月15日 - 1… 坂本 善三(さかもと ぜんぞう、1911年3月15日 - 1987年10月14日)は、日本の洋画家。 「グレーの画家」と呼ばれる。グレーと黒を主体にした独自の抽象画は、東洋の寡黙、沈黙の錬金術などとも評じられる。1986年のFIEST展(フランス、パリ)で、リトグラフィ「構成80」が専門家賞(Prix Professionnel)を受賞するなど、国際的にも評価が高い。 作品の収蔵は文化庁、栃木県立美術館、熊本県立美術館、福岡市美術館、北九州市立美術館、坂本善三美術館ほか。熊日社会賞、西日本文化賞、第1回長谷川仁記念賞、熊本県文化懇話会賞受賞。熊本県近代文化功労者。 熊本県阿蘇郡小国町には、坂本善三の作品など約500点を収蔵、展示する坂本善三美術館がある。
足達 襄(あだち じょう、1911年 - 1999年)は、日… 足達 襄(あだち じょう、1911年 - 1999年)は、日本の洋画家。独立美術協会会員。 福岡市に生まれる。1928年福岡県中学修猷館を卒業。上京して、1930年帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。 1931年独立美術協会が主催する第1回独立展に初入選。以後連続入選を重ね、1943年の第13回独立展において独立賞を受賞し、1948年に独立美術協会会員となる。この間、福岡独立作家協会結成にも参加している。 戦後帰郷し、郷里に近い太宰府のアトリエで36年間創作活動を行い、以降も毎年福岡から出品を続け、精力的な芸術活動を行う。地域の美術振興にも力をそそぎ、福岡県美術協会再興や筑紫芸術院結成に尽力。
豊田 三郎(とよだ さぶろう、1908年〈明治41年〉9月1… 豊田 三郎(とよだ さぶろう、1908年〈明治41年〉9月18日 - 2015年〈平成27年〉12月6日)は、日本の昭和 - 平成期の洋画家。 福井県大野郡下味見村(現・福井市)生まれ。福井農林学校(現・福井農林高校)を卒業し家業の農業に従事していたが25歳で上京、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)へ入学。卒業後は中島飛行機製作所に勤務。1950年に教員となり、郷里・福井県内の公立中学校で1968年まで美術を教えた。 1989年に「ふるさとの山河」でサロン・ド・パリ展大賞受賞。豊かな緑の杉の描写を特徴とし、「トヨダグリーン」とも表現される。2001年、当時の福井県足羽郡美山町より、名誉町民の称号が贈られた。
国松 登(くにまつ のぼる、1907年5月6日 - 1994… 国松 登(くにまつ のぼる、1907年5月6日 - 1994年4月18日)は、日本の水彩画家。「北海道を代表する芸術家」の1人に挙げられる。 北海道の気候や風土を意識したテーマで描き、幻想的で静謐感の漂う作風が特徴。 1907年5月6日、函館区鶴岡町(現・函館市大手町)で書画骨董などを商っていた父・美登利、母・キクの六男(男6人女1人の末子)として生まれるが、同年8月25日の函館大火で生家は丸焼けになり、その後は住居を転々としつつ1914年には宝小学校に入学する。1916年8月2日の函館大火でも罹災し、両親と1人の兄と4人とで小樽区山田町(現・小樽市山田町)へ移住した。 1924年に小樽区立堺尋常小学校(現・小樽市立堺小学校)高等科を卒業して上京。
村井 正誠(むらい まさなり、明治38年(1905年)3月2… 村井 正誠(むらい まさなり、明治38年(1905年)3月29日 - 平成11年(1999年)2月5日)は、明治 - 平成時代の洋画家。岐阜県大垣市出身。新宮市名誉市民。武蔵野美術大学名誉教授。閉校した文化学院および文化学院芸術専門学校(埼玉県庄和町)講師。元日本美術家連盟理事長。 抽象絵画の草分けの一人として活躍した。作品にシリーズ「URBAIN」などがある。 岐阜県に生まれ、村井昌澄と、とみゑの次男。眼科医のであった父の転勤によって、幼少期を和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)で過ごす。新宮第一尋常小学校3年生の頃にスケッチをしている西村伊作(後に入学する文化学院の創設者)に出逢う。西村の作品を後ろから覗き見た経験が美術に対して興味を持つきっかけの一つになる。
福山 知佐子(ふくやま ちさこ)は、東京都新宿区西新宿生まれ… 福山 知佐子(ふくやま ちさこ)は、東京都新宿区西新宿生まれの日本の画家である。 日本画家・毛利武彦に師事。 「枯れた花」など植物を中心的なモチーフとして絵画作品を制作。詩集などの装画・装丁も手がけるほか、種村季弘の新聞挿画も描いている。 哲学者ジャック・デリダの著書『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』の邦訳本(ちくま学芸文庫)に付されたエッセイの中で幼少期から動物の肉を食べないノン・ミート・イーターであることを自ら表明している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
木下 春菜(きのした はるな)は、日本のモデル、画家。北海道… 木下 春菜(きのした はるな)は、日本のモデル、画家。北海道函館市生まれ、武蔵野美術大学卒業。 幼い頃から絵を描いていた。 高校は芸術を学ぶ通信制に進学。卒業後は武蔵野美術大学に進み、舞台美術を学んだ。 大学在学中、外出時は車椅子に乗るようになった。 大学4年でモデル活動を始める。2024年初個展「Girl with fins」を函館市で開催した。活動拠点は函館と東京。 車椅子ユーザーだが、短距離の歩行はできる。高校時代は髪を茶髪に染めていた。武蔵野美術大学には3カ月の独学で現役合格した。眉毛を全剃りしている。Rakuten fashion week Tokyo (東京コレクション)に書類審査のみで出演が決まった。
北見 葉胡(きたみ ようこ)は、日本の画家、絵本作家、イラス… 北見 葉胡(きたみ ようこ)は、日本の画家、絵本作家、イラストレーター。神奈川県生まれ。武蔵野美術短期大学卒業。2004年、大分国際絵本原画展優秀賞受賞。2005年、ボローニャ国際絵本原画展入選。 1994年より、毎年の個展と並行して絵本、書籍装画などで活動している。 2004年、絵本『さぼてん』で大分国際絵本原画展優秀賞受賞。同作はスペイン語訳され、メキシコでも出版されている。 2005年、朝日小学生新聞に連載されていた『タマリンとポチロー』でボローニャ国際絵本原画展入選。
赤井 由紀(あかい ゆき)は、日本の女流洋画家。 福島県伊達… 赤井 由紀(あかい ゆき)は、日本の女流洋画家。 福島県伊達郡梁川町(現・伊達市梁川町)出身。旧姓は中村由紀。1968年に武蔵野美術大学油絵学科を卒業。版画も手掛ける。日本美術家連盟会員。
大久保 佳代子(おおくぼ かよこ)は、日本の画家。 埼玉県に… 大久保 佳代子(おおくぼ かよこ)は、日本の画家。 埼玉県に生まれる。1987年、埼玉県美術展覧会で初めて入選する。1995年、武蔵野美術大学造形学部油絵科を卒業する。1998年、光風会展で入選する。2000年、埼玉県北美術展の知事賞を受賞する。2008年、埼玉県美術展覧会の美術家協会賞を受賞する。 2010年、第42回日展に入選する。同年、第69回水彩連盟展で入選する。同年、「ひととき」で第60回埼玉県美術展覧会(洋画部門)の知事賞を受賞する。同年、第96回光風会展の光風奨励賞を受賞する。同年、大久保佳代子水彩画展(個展)を開催する。 2011年、第43回日展に入選する。2012年、第44回日展に入選する。