青柳 卓雄(あおやぎ たくお、1936年2月14日 - 20… 青柳 卓雄(あおやぎ たくお、1936年2月14日 - 2020年4月18日)は、日本の医用工学者。新潟県新発田市生まれ、同県三島町(現・長岡市三島地区)育ち。日本光電工業でのパルスオキシメーターの原理の発見と装置の発明で知られる。 1936年2月14日、新潟県新発田市にて、数学および電気工学の教師の父・紋七と専業主婦だった母・タツのもとに生まれ、2男2女の4人の兄弟姉妹の次男である。 1954年に新潟県立長岡高等学校を、1958年に新潟大学工学部電気工学科を卒業。 卒業研究担当の恩師(淀川寛)の推薦で島津製作所に入社した。当初は中央研究所の電子工学研究室に配属され、特に半導体応用電子機器の開発に従事した。
加藤 僖一(かとう きいち、1936年1月13日 - )は、… 加藤 僖一(かとう きいち、1936年1月13日 - )は、書の研究者、良寛研究者、新潟大学名誉教授。 東京市(現江戸川区)生まれ。1959年新潟大学教育学部書道科卒。京都大学文学部哲学科研修員、新潟大学教育学部講師、助教授、教授、2001年定年退官、名誉教授。良寛研究所所長、全国良寛会副会長、北京大学良寛研究会名誉会長、正筆会参事、読売書法会幹事。写真家でもある。2015年11月瑞宝中綬章受章。
小林 一三(こばやし かずみ、1936年〈昭和11年〉1月4… 小林 一三(こばやし かずみ、1936年〈昭和11年〉1月4日 - )は、日本の政治家。元新潟県新津市長(3期)。 新潟県中蒲原郡新津町出身。1958年、新潟大学農学部卒。卒業後は国家公務員試験に合格し、建設省に入る予定だったが、事情により建設省が新潟県庁へ推薦したため、新潟県庁に入ることになった。土木部砂防課長、上越、新潟の各土木事務所長、土木部都市整備局長などを歴任した。 1991年、新潟県庁を退職し、新津市長選挙に立候補し、当選する。以来3期務める。3期目途中の2000年に新潟県知事選挙に立候補するが落選した。2003年の第43回衆議院議員総選挙において自由民主党から比例北陸信越ブロックで立候補するが落選した。
曽我 健(そが けん、1936年 - )は、NHK交響楽団名… 曽我 健(そが けん、1936年 - )は、NHK交響楽団名誉顧問、はごろもフーズ株式会社監査役。新潟県 中蒲原郡亀田町(現在の新潟市江南区)出身。 新潟大学卒業後、1958年NHK入局。社会部記者、その後副部長となる。 1976年4月 『ニュースセンター640』キャスター。番組の途中で涙を見せるハプニングも見せた。 1984年4月から1986年3月まで、『NHKニュースワイド』2代目キャスターに就任。初日に「ニュースワイドはこれで終わりです」と言って視聴者、スタッフをビックリさせた。『NHK特集』キャスターとしては、教育、国鉄、円高シリーズなどの分野での鋭い見識に定評。 1987年から1989年6月までNHK静岡放送局長。
市村 俊彦(いちむら としひこ、1935年9月23日 - )… 市村 俊彦(いちむら としひこ、1935年9月23日 - )は日本のテレパシーの研究者。 新潟県中蒲原郡横越村(現新潟市江南区)生まれ。新潟県立新潟工業高等学校、新潟大学理学部物理学科(物性物理専攻)を卒業。新潟青陵高等学校、新潟明訓高等学校で教諭経験。 会社勤務の傍ら、数百名の会員を擁する超心理研究会を主宰し、1967年から1987年にかけて会誌『テレパシー』を119号まで発行した。
佐々木 正美(ささきまさみ、1935年〈昭和10年〉8月25… 佐々木 正美(ささきまさみ、1935年〈昭和10年〉8月25日 - 2017年〈平成29年〉6月28日)は、日本の児童精神科医。男性。 1935年、群馬県前橋市に、3人兄弟の長男として生まれる。3歳のころに一家で東京都世田谷区に転居し、同区の国民学校に入学。戦争が激しさを増し、東京も頻繁に空襲に見舞われるようになった9歳のころ、父の郷里の滋賀県蒲生郡西桜谷村に縁故疎開して少年時代を過ごす。東京ではメッキ工場の工場長を務めていた父は、非農家であったため自前の田畑がなく、疎開先では毎日のように母とともに、他人所有の山や田畑に出向いての日雇い労働で糊口を凌いだ。その後、近所の人の好意により遠方の山間に小さな畑を借りることができ、その畑にも通うようになった。
鈴木 一夫(すずき かずお、1935年 - )は、日本の文筆… 鈴木 一夫(すずき かずお、1935年 - )は、日本の文筆家。歴史家。 新潟県生まれ。新潟大学人文学部卒業。 1960年、出版社に入社し、社会科学分野の書籍編集に従事。 1986年、出版プロダクションを設立。1990年頃より個人として、雑誌寄稿・書籍原稿執筆を開始する。
平田 幸男(ひらたゆきお、1935年 - )は日本の解剖学者… 平田 幸男(ひらたゆきお、1935年 - )は日本の解剖学者。琉球大学名誉教授。専攻は比較神経形態学、神経発生学。 新潟県生まれ、新潟大学医学部卒業、同解剖学教室入局。1973年から東京都神経科学総合研究所勤務、1989年~1999年琉球大学医学部解剖学第一教室教授。その後慶應義塾大学医学部解剖学教室非常勤講師。 医学部在学中に楢林博太郎の定位脳手術によってパーキンソン病の症状が劇的に寛解するフィルムを、インターン中には本人の手術を見て神経科学を志す。ヒト発生期の連続切片標本を作成、また上野動物園と協力し各種脊椎動物脳の組織標本を作成した。この中にはジャイアントパンダのランランや、ホアンホアンが生んですぐに死亡した仔の脳組織標本も含まれている。
高橋 正康(たかはし まさやす、1934年10月1日 - … 高橋 正康(たかはし まさやす、1934年10月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1957年に新潟大学人文学部経済学科を卒業し、同年4月に北越銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1999年4月から2003年4月までに頭取を務めた。 2006年4月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田村 貞雄(たむら さだお、1934年7月29日 - 200… 田村 貞雄(たむら さだお、1934年7月29日 - 2007年1月18日)は日本の経済学者、早稲田大学名誉教授。 新潟県豊栄町(現新潟市北区)出身。新潟大学人文学部卒。1963年一橋大学大学院経済学研究科博士課程。中山伊知郎の指導を受けた。1966年早稲田大学社会科学部助教授、1971年教授、2005年定年退任、名誉教授。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
小久保 清吉(こくぼ せいきち 1933年5月9日 - 20… 小久保 清吉(こくぼ せいきち 1933年5月9日 - 2024年12月2日)は、日本の書家。号は嶺石。新潟大学教育学部芸能学科書道科卒。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
貝沼 次郎(かいぬま じろう、1933年3月15日 - 20… 貝沼 次郎(かいぬま じろう、1933年3月15日 - 2025年1月5日)は、日本の政治家。新潟県出身。新潟大学理学部物理学科卒業。元衆議院議員(7期)。 1969年12月27日、第32回衆議院議員総選挙に、岡山2区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降7回)。 1985年、公明党委員長の竹入義勝の下で公明党中央統制委員に就任する。 1986年12月、公明党大会において、公明党委員長に就任した矢野絢也の下で、公明党中央統制副委員長に就任する。 1989年5月、矢野委員長の退任にともない、公明党中央統制副委員長を退任する。 1993年8月、公明党委員長の石田幸四郎の細川内閣入閣にともない、公明党副委員長に就任する。
滝澤 行雄(たきざわ ゆきお、1932年12月8日 - )は… 滝澤 行雄(たきざわ ゆきお、1932年12月8日 - )は、日本の医学者、医師。秋田大学名誉教授。 1932年(昭和7年)長野県塩尻市生まれ。1951年(昭和26年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1957年(昭和32年)新潟大学医学部医学研究科卒業。専攻分野は公衆衛生。以降、新潟大学助教授、秋田大学教授、金沢大学放射線実験施設教授(併任)。国立水俣病総合研究センター所長、同センター顧問、UNEP環境影響評価パネル委員、水俣市助役を歴任。 現在、医療法人財団青葉会理事・老健ホスピア玉川施設長。要職にはOECD化学品セクター検討会委員、WHO有機水銀の健康影響に関する研究協力センター長を務め、UNEP環境影響パネル委員にある。
久住 和麿(くすみ かずまろ、1932年〈昭和7年〉8月26… 久住 和麿(くすみ かずまろ、1932年〈昭和7年〉8月26日 - 2011年〈平成23年〉3月4日)は、日本の作曲家、合唱指揮者。新潟大学名誉教授。 新潟県新潟市西区出身。1951年(昭和26年)3月に新潟高等学校を卒業、1955年(昭和30年)3月に新潟大学教育学部音楽科を卒業、東京芸術大学委託課程を修了。山田常三、石桁真礼生、松本民之助、柏木俊夫らに師事。 新潟大学教育学部音楽科教室助手、助教授を経て、1981年(昭和56年)から1年間、文化庁芸術家在外研修員としてアメリカのイェール大学宗教音楽研究所に留学、1982年(昭和57年)に教授に就任、1998年(平成10年)に退官。 2011年(平成23年)3月4日午前8時10分に新潟市西区寺地の済生会新潟第二病院で膵臓癌のため死去、78歳没。
近藤 秀樹(こんどう ひでき、1932年(昭和7年)4月16… 近藤 秀樹(こんどう ひでき、1932年(昭和7年)4月16日 - 1983年(昭和58年)10月16日)は、日本の歴史学者。新潟大学教授。専攻は中国近代史。 1932年、新潟県長岡市生まれ、または村松町(現・五泉市)生まれ。新潟県立長岡高等学校を経て、京都大学文学部史学科で東洋史を専攻して卒業。同大学院文学研究科修士課程、博士課程を修了。 卒業後はクラレチアン会立の高校教諭、大阪工業大学一般教育科の社会思想史担当を経て、1978年より新潟大学で中国史を教える。「范氏義荘の変遷」(『東洋史研究』21巻4号、1963年)は義荘研究の必読文献である。
後藤 鉄男(ごとう てつお、1931年6月5日- 1982年… 後藤 鉄男(ごとう てつお、1931年6月5日- 1982年12月16日)は、日本の物理学者(素粒子論・場の量子論)。1970年に南部陽一郎が弦理論を提唱した後、南部と独立に南部-後藤のラグランジアン(南部=後藤作用)を提案した。 新潟県出身。旧制佐渡中学(現・新潟県立佐渡高等学校)、旧制新潟高等学校を経て新潟大学医学部に入学。後に理学部に転科した。 1958年大阪大学博士課程修了、日本大学理工学部教授となった。肺癌のため51歳で死去。
田中 圭一(たなか けいいち、1931年3月15日 - 20… 田中 圭一(たなか けいいち、1931年3月15日 - 2018年4月4日)は、日本の歴史学者。筑波大学教授、群馬県立女子大学教授。専門は近世史。佐渡島出身。 新潟県佐渡郡金井町(現・佐渡市)出身。新潟県立佐渡高等学校、新潟大学人文学部を卒業後、高校教諭として勤務しながら研究成果を次々と発表。1967年に京都大学に国内留学して小葉田淳に師事。1987年、『佐渡金銀山の史的研究』で第9回角川源義賞受賞[要出典]。1988年筑波大学教授、95年定年退官、群馬県立女子大学教授[要出典]。「佐渡を世界遺産にする会」の中心として活躍した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
志賀 浩二(しが こうじ、1930年〈昭和5年〉10月8日 … 志賀 浩二(しが こうじ、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 2024年〈令和6年〉2月17日)は、日本の数学者。理学博士(東京大学・論文博士・1964年)。東京工業大学名誉教授。専門は微分位相幾何学、数学教育。 新潟県新潟市出身。1949年(昭和24年)3月に新潟県立新潟高等学校を卒業、4月に官立新潟高等学校に入学、5月に新潟大学が発足して官立新潟高等学校は新潟大学新潟高等学校となった。 1950年(昭和25年)3月に新潟大学新潟高等学校は廃校となり、4月に志賀浩二は否応なしに新潟大学理学部数学科の学生となった。 1953年(昭和28年)に新潟大学を卒業、東京大学大学院数物系研究科数学専攻修士課程に入学、矢野健太郎に師事、1955年(昭和30年)に修了。
多田 雄幸(ただ ゆうこう、1930年4月10日 - 199… 多田 雄幸(ただ ゆうこう、1930年4月10日 - 1991年3月8日〈60歳没〉)は、日本のヨットマン。新潟県出身。 史上初の世界一周単独ヨットレース「アラウンド・アローン(BOCレース(英語版))」クラスIIの優勝者。 1930年、新潟県長岡市生まれ。 新潟県立長岡中学校時代、グライダー部に所属、3級滑空士の資格を得た。3年生のとき、志願して予科練に入るが、戦争は末期、飛行機も壊滅状態で飛行訓練もできなかった。戦後、解体中の焼夷弾の不発弾が爆発し、右手などを負傷。 旧制新潟高等学校に入学。絵画や陶器に親しむ。卒業後、実家の商売を手伝い、衣類の行商を行う。 上京し、世田谷交通のタクシー運転手を経て、個人タクシー運転手となる。
高田 正一(たかだ まさいち、1930年2月1日 - )は… 高田 正一(たかだ まさいち、1930年2月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1953年に新潟大学人文学部を卒業し、同年3月に北越銀行に入行した。1981年6月に取締役に就任し、1986年4月に常務、1989年6月に専務を経て、1993年6月には頭取に就任。1999年4月には相談役に就任。 2006年4月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 20… 生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 2021年5月26日)は、神経病理学者、新潟大学脳研究所教授。 1929年生まれ。1955年、新潟大学を卒業する。 1960年、アメリカ合衆国に渡り、モンテフィオレ病院に従事する。同年3月の新潟大学医学博士論文の題は「Glioma(神経膠腫)の局在について」。1973年、新潟大学脳研究所教授に就任する。 1982年、ウィーンで行われた国際神経病理学会で、脳梗塞などで一部失われた脳機能が、グリア細胞のアストロサイトの細胞分裂や移動により、シナプスをカバーすることで重要な働きをするという研究を発表する。1992年4月には、医学書院より出版された年鑑『神経研究の進歩』36巻にて、「『脳死』の神経病理学」という題名の論文を発表し、脳死判定された患者の心停止死後の剖検結果を報告し、脳死判定後も、脳深部の視床下部の細胞が自己融解しない場合があることを明らかにした。
小林 一也(こばやし かずや、1928年9月21日 ‐ 20… 小林 一也(こばやし かずや、1928年9月21日 ‐ 2015年3月9日)は、日本の教育学者。拓殖大学名誉教授、日本工業技術教育学会名誉会長。 新潟県柏崎市生まれ。1948年長岡工業高等専門学校工業化学科(のち新潟大学工学部)卒、立正大学文学部地理学科卒。1948年から中学校、高等学校で教える。1968年東京都教育庁指導部指導主事、1976年同主任指導主事、1981年東京都立工業技術教育センター指導部長、東京工業大学非常勤講師、1983年東京都立小石川工業高等学校校長。全国工業高等学校長協会理事長、顧問。1989年拓殖大学工学部教授、早稲田大学非常勤講師、1994年日本工業技術教育学会長。1999年拓殖大学名誉教授。
本多 淳裕(ほんだ あつひろ、1927年9月1日 - 200… 本多 淳裕(ほんだ あつひろ、1927年9月1日 - 2003年12月5日)は、日本の環境工学者、工学博士。大阪府八尾市出身。 産業環境管理協会が1996年に本多にちなんだ「リサイクル技術開発本多賞」を設けた。 1927年大阪府八尾市に生まれる。 1948年新潟農林専門学校農芸化学科(現新潟大学農学部)卒。1948年から1983年まで、大阪市立生活科学研究所(現大阪市立環境科学研究センター)勤務。1962年工学博士号を取得。1970年大阪市立大学非常勤講師、1985年同大学工学部教授。 「ごみ博士」と呼ばれ、処理技術検討委員会委員として香川県の豊島ゴミ問題に関わった。 1983年紫綬褒章を受章。
鶴巻 良輔(つるまき りょうすけ、1926年11月12日 -… 鶴巻 良輔(つるまき りょうすけ、1926年11月12日 - )は、日本の経営者。昭和シェル石油社長を務めた。新潟県出身。 1947年に長岡高等工業学校を卒業し、同年に昭和石油に入社。1978年3月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年3月に専務を経て、1993年9月には社長に就任。1995年4月から相談役を務めた。
茂野 六花(しげの ろっか、1926年(大正15年)7月1日… 茂野 六花(しげの ろっか、1926年(大正15年)7月1日 - 1985年(昭和60年)11月24日)は、日本の俳人、医師、法医学者。医学博士。第9代新潟大学学長、新潟大学医学部第12代学部長。本名は茂野 錄良(しげの ろくろう)。 新潟県新潟市出身。1943年(昭和18年)11月に新潟中学校を繰り上げ卒業、1945年(昭和20年)10月に海軍兵学校を卒業、1950年(昭和25年)3月に新潟医科大学を卒業。 1951年(昭和26年)7月に新潟大学新潟医科大学法医学教室助手に就任、同年9月から同教室教授で俳人の高野素十から俳句の指導を受け、「六花」の俳号を授かった。 1953年(昭和28年)4月に新潟大学医学部法医学教室助手に就任、1954年(昭和29年)8月に新潟大学医学部法医学教室(担任:山内峻呉教授)講師に就任。
石田 春夫(いしだ はるお、1926年5月12日 - )は、… 石田 春夫(いしだ はるお、1926年5月12日 - )は、日本の精神科医。 横浜市生まれ。父は国文学者・石田吉貞。 新潟大学医学部卒、1955年「神経症における若干の問題」で医学博士。横浜市立大学病院をへて、1957年国立横浜病院精神科医師。1965年パリ大学医学部、サンタンヌ精神病院に学ぶ。 リルケ、ボードレールを好み自ら小説も書いた。
佐藤 進(さとう すすむ、1926年1月1日 - 1998年… 佐藤 進(さとう すすむ、1926年1月1日 - 1998年3月1日)は、日本の経済学者、新潟大学名誉教授。
布施 栄明(ふせ しげあき、1925年〈大正14年〉11月7… 布施 栄明(ふせ しげあき、1925年〈大正14年〉11月7日 - 2009年〈平成21年〉7月31日)は、日本の解剖学者、医師。医学博士。新潟大学歯学部口腔解剖学第一講座 初代教授、新潟大学医学部解剖学第二教室 第3代教授。新潟大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員。日本基督教団のクリスチャン。 新潟県刈羽郡鵜川村(現 柏崎市)の代々医者の家系に出生。1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1950年(昭和25年)に新潟大学医学部解剖学第二教室(担任:小池上春芳教授)研究生に就任、助手を経て1953年(昭和28年)4月に講師に就任、6月に新潟大学から医学博士号を取得、1956年(昭和31年)3月に助教授に就任、1966年(昭和41年)8月に新潟大学歯学部口腔解剖学第一講座初代教授に就任、1972年(昭和47年)6月に新潟大学医学部解剖学第二教室第3代教授に就任、1980年(昭和55年)12月から新潟大学附属図書館旭町分館館長を兼任、1984年(昭和59年)11月から新潟大学附属図書館館長を兼任、1991年(平成3年)3月に新潟大学を定年退官、5月に新潟大学名誉教授の称号を受称、1995年(平成7年)に新潟リハビリテーション専門学校学校長に就任。
渋谷 武(しぶや たけし、1925年(大正14年)5月27日… 渋谷 武(しぶや たけし、1925年(大正14年)5月27日 - 2016年(平成28年)11月26日)は、日本の政治学者。新潟大学名誉教授、新潟薬科大学名誉教授、中華人民共和国黒龍江省社会科学院名誉教授、北東アジア学会初代会長・名誉会員。 長野県長野市に出生、新潟県上越市に転居、新潟市(現 新潟市中央区)に転居。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、4月に新潟高等学校に入学、1944年(昭和19年)8月に三重海軍航空隊に入隊、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を卒業、1948年(昭和23年)3月に東京大学法学部政治学科を卒業。 1948年(昭和23年)4月に新潟第一師範学校講師に就任、1951年(昭和26年)3月に新潟大学人文学部助手に就任、1952年(昭和27年)1月に新潟大学人文学部講師に就任、1959年(昭和34年)5月に新潟大学人文学部助教授に就任、1964年(昭和39年)4月に新潟大学教養部助教授に就任、1965年(昭和40年)4月に新潟大学教養部教授に就任、1969年(昭和44年)7月に新潟大学教養部長事務取扱に就任、8月に新潟大学教養部長に就任、1975年(昭和50年)4月から新潟大学大学院法学研究科を担当、1982年(昭和57年)4月に新潟大学法学部教授に就任、1984年(昭和59年)4月に新潟大学法学部長・大学院法学研究科長に就任、1991年(平成3年)3月に新潟大学を定年退官、新潟大学名誉教授の称号を受称、4月に新潟薬科大学教授に就任、1994年(平成6年)3月に新潟薬科大学を退職、新潟薬科大学名誉教授の称号を受称。
竹本 吉夫(たけもと よしお、1925年〈大正14年〉5月2… 竹本 吉夫(たけもと よしお、1925年〈大正14年〉5月26日 - 2002年〈平成14年〉11月2日)は、日本の内科学者、内科医。医学博士。日本赤十字秋田短期大学初代学長。秋田赤十字病院名誉院長。元日本病院会副会長・顧問。 北海道稚内市で生まれ、新潟県新潟市で育つ。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1950年(昭和25年)6月から新潟県長岡市旭町1丁目の坂井医院に勤務、新潟市流作場2439番地(現 新潟市中央区万代2丁目1番1号)の新潟トヨタ診療所に勤務。 1952年(昭和27年)10月に新潟大学医学部第一内科に入局、1958年(昭和33年)3月に新潟大学から医学博士の学位を取得、7月に医局長に就任、講師を経て、1965年(昭和40年)10月に助教授に就任。
中山 沃(なかやま そそぐ、旧姓:蒲原、法名:沃観、1925… 中山 沃(なかやま そそぐ、旧姓:蒲原、法名:沃観、1925年〈大正14年〉5月16日 - 2012年〈平成24年〉5月24日)は、日本の生理学者、医史学者、医師、浄土真宗本願寺派僧侶。医学博士。岡山大学名誉教授。名塩御坊教行寺第15世住職。 新潟県新潟市西堀通10番町(現 新潟市中央区西堀通10番町)の浄土真宗本願寺派・蒲原浄光寺の第25世住職・蒲原霊英の次男として出生。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1949年(昭和24年)3月に米子医科大学生理学教室(担任:福原武教授)助手に就任、1951年(昭和26年)4月に鳥取大学医学部生理学教室(担任:福原武教授)助手に就任、1953年(昭和28年)6月に鳥取大学医学部生理学教室生理学第一講座(担任:福原武教授)講師に就任、1954年(昭和29年)7月に医学博士号を取得、11月に鳥取大学医学部生理学教室生理学第二講座(担任:西田勇教授)助教授に就任、1957年(昭和32年)1月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座(担任:福原武教授)助教授に就任、1962年(昭和37年)11月から1964年(昭和39年)5月まで文部省在外研究員として西ドイツのゲッティンゲン大学生理学教室に留学、1970年(昭和45年)4月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座第2代教授に就任、1986年(昭和61年)4月に中国吉林省延辺医学院名誉教授(第1号)の称号を受称、1991年(平成3年)3月に岡山大学を定年退官、4月に岡山大学名誉教授の称号を受称。
屋形 稔(やかた みのる、1925年2月21日 - 2015… 屋形 稔(やかた みのる、1925年2月21日 - 2015年11月24日)は、日本の医学者、医師。新潟大学名誉教授。専門は、検査診断学。
太田 秋郎(おおた ときろう、1925年 - 1987年1月… 太田 秋郎(おおた ときろう、1925年 - 1987年1月11日)は、日本の医師、医学博士、専門は消化器外科、鶴岡市立荘内病院第13代院長、全国自治体病院協議会理事。鶴岡市立荘内看護専門学校校長、栄典は正五位・勲三等瑞宝章・藍綬褒章。趣味は釣りと俳句で俳号は瓢六。
和賀井 敏夫(わがい としお、1924年(大正13年)9月2… 和賀井 敏夫(わがい としお、1924年(大正13年)9月21日 - 2020年(令和2年)11月30日)は、日本の医学者である。 宮城県石巻町(現在の石巻市)の生まれ。一浪を経て、旧制の宮城県仙台第二第二高等学校に入学する。1945年(昭和20年)に卒業後、新潟医科大学(現在の新潟大学医学部)に入学し医学の研究に携わる。1949年(昭和24年)に卒業後は上京し個人病院での研修を経て、翌1950年(昭和25年)には石川島播磨重工業(現在のIHI)に勤務していた友人の紹介により、順天堂大学内における外科学者として入局した。 入局後は主に脳内におけるX線検査の研究に携わり、その応用として東北大学電気研究所に勤務していた菊池喜充らと共に、心疾患や悪性腫瘍、胎児等の早期発見や診断を目的に超音波療法の実験に携わった。
茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月2… 茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月28日 - 2006年〈平成18年〉8月29日)は、日本の地質学者、鉱物学者、岩石学者、ヒスイ研究者。理学博士。元キタック最高技術顧問。新潟大学名誉教授、日本地質学会名誉会員。 新潟県中蒲原郡横越村(現 新潟市江南区)出身。 1939年(昭和14年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟師範学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京高等師範学校を修了、1946年(昭和21年)9月に東京文理科大学地学科(地質鉱物学専攻)を卒業。 1946年(昭和21年)10月に新潟中学校教諭に就任、化学と地学と音楽を担当、1950年(昭和25年)3月に新潟大学理学部地質鉱物学教室助手に就任、1951年(昭和26年)4月に新潟大学理学部地質鉱物学教室講師に就任。
小島 瑞(こじま みず、1921年〈大正10年〉11月25日… 小島 瑞(こじま みず、1921年〈大正10年〉11月25日 - 1995年〈平成7年〉9月22日)は、日本の病理学者、医師。医学博士。福島県立医科大学名誉教授、日本血液学会名誉会員。 新潟県新潟市出生、新潟県佐渡郡金沢村大字泉(現 佐渡市泉)出身。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校文科乙類を卒業、1944年(昭和19年)9月に新潟医科大学を半年繰り上げ卒業。 1945年(昭和20年)1月に横浜市戸塚区原宿町の海軍軍医学校戸塚分校を卒業、海軍軍医中尉に任官、山口県光市光井の第一特別基地隊附、3月に山口県平生町佐賀の平生突撃隊附、8月に終戦、1946年(昭和21年)1月に復員。
中山 仁(なかやま じん、1921年〈大正10年〉1月18日… 中山 仁(なかやま じん、1921年〈大正10年〉1月18日 - 2004年〈平成16年〉4月26日)は、日本の体育学者。新潟大学名誉教授。 新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)の新潟鐵工所新潟工場技師・中山礼吉の三男として出生。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京高等師範学校体育科を卒業。 1942年(昭和17年)に埼玉県立熊谷中学校教諭に就任、1943年(昭和18年)4月に応召、南方各地を転戦し、1946年(昭和21年)6月に帰還、同年に新潟高等学校教授に就任、1949年(昭和24年)に新潟大学教育学部助教授に就任、1971年(昭和46年)に新潟大学教育学部教授に就任、1986年(昭和61年)に新潟大学を定年退官、新潟大学名誉教授の称号を受称、関東学園大学教授に就任、1994年(平成6年)に退職。
宮村 定男(みやむら さだお、1915年〈大正4年〉2月19… 宮村 定男(みやむら さだお、1915年〈大正4年〉2月19日 - 2011年〈平成23年〉11月25日)は、日本の細菌学者、医師。医学博士。新潟大学名誉教授。趣味はバイオリンと水泳。 新潟県北蒲原郡川東村大字下羽津(現 新発田市下羽津)出身。1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1934年(昭和9年)3月に新潟高等学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学を卒業。 1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学細菌学教室(担任:宮路重嗣教授)副手に就任、12月に助手に就任、1943年(昭和18年)1月に医学博士の学位を取得、10月に新潟医科大学細菌学教室(担任:伊藤泰一教授)講師に就任。
若松 栄一(わかまつ えいいち、1914年〈大正3年〉11月… 若松 栄一(わかまつ えいいち、1914年〈大正3年〉11月22日 - 1987年〈昭和62年〉9月13日)は、日本の厚生技官、医師。医学博士。元厚生省医務局長、国立身体障害者リハビリテーションセンター初代総長。日本公衆衛生学会名誉会員。 新潟県新潟市東堀通13番町(現 新潟市中央区東堀通13番町)の新潟県農工銀行職員・若松重太郎の次男として出生。 1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1934年(昭和9年)3月に新潟高等学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学を卒業。 1938年(昭和13年)4月に新潟医科大学病理学教室(教授:赤崎兼義)副手に就任、1940年(昭和15年)7月に助手に就任。
植木 幸明(うえき こうめい、1914年11月3日 - 19… 植木 幸明(うえき こうめい、1914年11月3日 - 1986年11月24日)は、日本の医学者、新潟大学名誉教授。新潟県における第二水俣病を確認したことなどで知られる。 新潟県北蒲原郡堀越村大字里に生まれ、新潟医科大学を卒業した。 1951年(昭和26年)に東京帝国大学助手となり、1956年(昭和31年)に新潟大学医学部助教授として外科学講座に着任した。当時は、中田瑞穂教授らとともに大脳の半分を摘出する手術をおこなった。 1958年(昭和33年)にはジョンズ・ホプキンズ大学へ留学し、1962年(昭和37年)には新潟大学医学部教授に昇任した。この間、1959年(昭和34年)から1967年(昭和42年)まで医学部附属脳外科研究施設長を務め、1967年(昭和42年)からは新潟大学脳研究所脳神経外科学部門教授となり、その後1972年(昭和47年)から1976年(昭和51年)、また1978年(昭和53年)から1980年(昭和55年)にかけて脳研究所所長を務め、1980年(昭和55年)に定年退官した。
猪 初男(いの はつお、1914年〈大正3年〉10月9日 -… 猪 初男(いの はつお、1914年〈大正3年〉10月9日 - 1999年〈平成11年〉9月11日)は、日本の耳鼻咽喉科学者、耳鼻咽喉科医。医学博士。第8代新潟大学学長。新潟大学名誉教授。 新潟県東蒲原郡上条村大字両郷(現 阿賀町両郷)出身。 新潟師範学校附属小学校を経て、1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1934年(昭和9年)3月に新潟高等学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学を卒業。 1939年(昭和14年)7月に海軍軍医中尉に任官、海軍軍医学校の教官として全国各地出身の軍医の養成に努め、海軍省に勤務していた時に太平洋戦争が終戦、最終階級は海軍軍医少佐、戦後、復員省に勤務。
澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月… 澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月28日 - 2007年〈平成19年〉7月20日)は、日本の解剖学者、医師、トンボ研究家。医学博士。広島大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員、日本蜻蛉学会名誉会員、広島虫の会名誉会長。 新潟県新潟市関屋松波町(現 新潟市中央区関屋松波町)出身。1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学を卒業。 1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学副手に就任、1942年(昭和17年)に新潟医科大学助手に就任、1944年(昭和19年)に新潟医科大学臨時附属医学専門部助教授に就任、新潟医科大学講師を兼任。
中村 健也(なかむら けんや、1913年5月13日 - 19… 中村 健也(なかむら けんや、1913年5月13日 - 1998年8月11日)はトヨタ自動車工業(現在のトヨタ自動車)の元技術者で、初代トヨペット・クラウン、及び初代トヨペット・コロナの開発責任者(トヨタ自動車での呼称は車両開発主査〔後にチーフエンジニアに名称変更〕)。また、日本の自動車開発に於けるチーフエンジニア制を築いた人物でもある。 兵庫県西宮市出身。1934年3月に長岡高等工業学校(現在の新潟大学工学部電気工学科)を卒業。共立自動車製作所勤務を経て、1938年9月にトヨタ自動車工業に入社、志望として設計、実験の分野を希望していたが、出身校や溶接の知識に詳しい事が注目され挙母工場(後の本社工場)車体生産課工機係に配属され、自社での大型2000tプレス機の開発、溶接機の改良等、工場の生産能力の向上に尽力する。
布施 津三(ふせ しんぞう、1912年6月20日 - 200… 布施 津三(ふせ しんぞう、1912年6月20日 - 2004年12月8日)は、日本の経営者。北越製紙社長、会長を務めた。 新潟県出身。1933年に長岡高等工業学校機械工学科を卒業し、同年に北越製紙に入社。1963年12月に取締役に就任し、1971年12月に常務、1973年12月に専務を経て、1977年7月に社長に就任。1983年7月に会長に就任し、1984年5月には越智泰二郎社長の体調不良により、再び社長に就任。1987年7月に会長を経て、1989年6月には相談役に退いた。 1941年9月に勲五等瑞宝章を受章し、1975年10月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2004年12月8日急性呼吸不全のために死去。
君 健男(きみ たけお、1911年〈明治44年〉12月22日… 君 健男(きみ たけお、1911年〈明治44年〉12月22日 - 1989年〈平成元年〉4月20日)は日本の医師、官僚、政治家。参議院議員(1期)、新潟県知事(公選第9・10・11・12代)。医学博士。 1911年(明治44年)12月22日、君修一郎の長男として新潟市に出生。新潟県立新潟中学校を経て官立新潟高等学校を卒業。1936年(昭和11年)3月、官立新潟医科大学(現・新潟大学医学部)を卒業。同年11月、応召。 1940年(昭和15年)、栃尾町の栃尾郷立診療所組合(現・新潟県厚生農業協同組合連合会栃尾郷病院)内科部長に就任。東京の日本光学病院内科主任を経て、再度応召。 1947年(昭和22年)、新潟県庁に入庁し、1949年(昭和24年)に新潟県予防課長、1955年(昭和30年)に新潟県公衆衛生課長、1958年(昭和33年)に新潟県衛生部長を経て、1962年(昭和37年)に新潟県総務部長となる。
花岡 堅而(はなおか けんじ、1910年11月12日 - 1… 花岡 堅而(はなおか けんじ、1910年11月12日 - 1997年4月22日)は、日本の医師。日本医師会会長、長野大学理事長、長野五輪招致委員会の自然保護専門委員長などを務めた。 長野県南安曇郡穂高町(現・安曇野市)生まれ。旧制松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科甲類を経て、1936年に新潟医科大学(現・新潟大学医学部)を卒業し、同大学の生化学教室や産婦人科教室で勤務した。1941年、岡谷市立岡谷病院の産婦人科医長に就任し、1943年から軍医として中国北部で従軍。終戦後の1946年に復員して新潟大学の産婦人科教室に戻り、翌1947年に岡谷病院の産婦人科医長に復職している。
永井 行蔵(ながい こうぞう、1908年〈明治41年〉12月… 永井 行蔵(ながい こうぞう、1908年〈明治41年〉12月22日 - 1988年〈昭和63年〉8月23日)は、日本の国文学者。新潟大学名誉教授。 新潟県南蒲原郡長沢村大字中野原新田(現 三条市中野原)の教育者・永井長祥の三男として出生。 1926年(大正15年)3月に新潟中学校を卒業、1929年(昭和4年)3月に新潟高等学校を卒業、1932年(昭和7年)3月に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。池田亀鑑のもとで『神皇正統記』の研究や『校異源氏物語』の作成に従事。 1933年(昭和8年)1月に岩波書店から出版の『岩波講座 日本文學』の付録の雑誌『文學』第19号に「神皇正統記阿刀氏本に就いて」という題名の論文を発表し、その中で『神皇正統記』の阿刀本を紹介して草稿もしくは初稿本と推定した。
山添 三郎(やまぞえ さぶろう、1908年〈明治41年〉10… 山添 三郎(やまぞえ さぶろう、1908年〈明治41年〉10月20日 - 2007年〈平成19年〉1月15日)は、日本の生化学者、エスペラント学者、医師。医学博士。群馬大学名誉教授、世界エスペラント協会名誉会員。元日本エスペラント学会参与。 新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)出身。1925年(大正14年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1928年(昭和3年)3月に新潟高等学校を卒業、1932年(昭和7年)3月に新潟医科大学を卒業。 1932年(昭和7年)4月に新潟医科大学医化学教室助手に就任、1937年(昭和12年)1月に日本労働科学研究所に入所、4月に新潟医科大学から医学博士の学位を取得、1939年(昭和14年)9月に満州の満鉄開拓科学研究所に入所、1942年(昭和17年)2月に北京大学衛生学教授に就任、1945年(昭和20年)に太平洋戦争に陸軍軍医として応召、青島で終戦、最終階級は陸軍軍医少尉、1947年(昭和22年)11月に北海道の三菱美唄労働科学研究所に主任として入所。
田中 哲郎(たなか てつろう、1908年〈明治41年〉 - … 田中 哲郎(たなか てつろう、1908年〈明治41年〉 - 1974年〈昭和49年〉2月19日)は、日本の大蔵技官、酒類鑑定官、酒造技術指導者。元関東信越国税局鑑定官。「新潟銘酒の父」と呼ばれる。 新潟県新潟市出身。1924年(大正13年)3月に新潟中学校を卒業、1928年(昭和3年)3月に長岡高等工業学校応用化学科を卒業、長岡市の加藤製油所に勤務したのち、新井町の田中酒造場(現 君の井酒造)で、2年間、酒造りを修行。 1930年(昭和5年)に新潟県商工技手に任官、新潟県醸造試験場に着任、1938年(昭和13年)に名古屋税務監督局技手に任官、1941年(昭和16年)に名古屋財務局技手に任官、1943年(昭和18年)に新潟財務局技手に任官。
小池上 春芳(こいけがみ はるよし、1907年〈明治40年〉… 小池上 春芳(こいけがみ はるよし、1907年〈明治40年〉2月11日 - 1997年〈平成9年〉10月26日)は、日本の解剖学者、医師。医学博士。新潟医科大学解剖学第二教室第2代教授。新潟大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員。 新潟県新潟市上大川前通8番町(現 新潟市中央区上大川前通8番町)の富商・小池上春五郎の四男として出生。 1923年(大正12年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1926年(大正15年)3月に新潟高等学校を卒業、1930年(昭和5年)3月に新潟医科大学を卒業。 1930年(昭和5年)4月に新潟医科大学解剖学教室(担任:平澤興教授)助手に就任、1934年(昭和9年)3月に新潟医科大学解剖学教室助教授に就任、1935年(昭和10年)1月に新潟医科大学から医学博士の学位を取得。