大津 幸四郎(おおつ こうしろう、1934年 - 2014年… 大津 幸四郎(おおつ こうしろう、1934年 - 2014年11月28日)は、日本の映画監督、撮影監督である。 1934年、静岡県に生まれる。1958年、静岡大学文理学部を卒業し、岩波映画製作所に入社。1963年、同社を退社し、フリーランスのキャメラマンに転身。土本典昭や小川紳介の監督によるドキュメンタリー映画で撮影を手がけた。2014年、代島治彦との共同監督による『三里塚に生きる』が公開される。 2014年11月28日午前0時9分、肺がんのため東京都足立区内の病院で死去。80歳没。
栗田 翠(くりた みどり、1932年5月17日 - )は日本… 栗田 翠(くりた みどり、1932年5月17日 - )は日本の教育者・政治家であり、元衆議院議員(日本共産党公認、3期)、日本共産党中央委員会委員、同名誉幹部会顧問等を務め、新日本婦人の会に所属する人物である。 東京都出身。静岡大学文理学部卒業。公立中学校の教師を経て、静岡県高教組書記や共産党県副委員長などを歴任した後、1972年の衆院選で静岡1区から出馬し初当選。その後衆議院議員を3期務めた。 1972年、第33回衆議院議員総選挙 静岡1区 -当選。1976年、第34回衆議院議員総選挙 静岡1区 - 落選。1979年、第35回衆議院議員総選挙 静岡1区 - 当選。1980年、第36回衆議院議員総選挙 静岡1区 - 当選。
久米 是志(くめ ただし、1932年1月2日 - 2022年… 久米 是志(くめ ただし、1932年1月2日 - 2022年9月11日)は、日本の実業家。自動車エンジニア。1983年から1990年まで本田技研工業代表取締役社長を務めた。兵庫県出身。 静岡大学工学部機械工学科卒業後、本田技研工業に入社。専門はエンジンの設計で、マン島TTレースの競技車両用エンジンや、ホンダF1初の空冷エンジンカー、RA302のエンジン開発に携わる。若手の頃は、空冷エンジン採用を主張する本田宗一郎に対して、水冷エンジン採用を主張して譲らず、ホンダ1300やRA302の開発時には辞表を出して数度にわたり出社を拒否したという逸話を持つ(詳しくはホンダ・RA302の記事を参照)。 その後、社運を賭けて取り組んだ初代シビックの開発責任者(LPL)として、開発初期のクルマのコンセプトづくりに参画。
中村 博保(なかむら ひろやす、1932年 - 1997年1… 中村 博保(なかむら ひろやす、1932年 - 1997年11月5日)は、日本の日本文学研究者。専門は日本近世文学、特に上田秋成。静岡大学名誉教授。 東京都墨田区生まれ。1944年麻布中学校・高等学校に入学。地方転出のため休学し、1952年新潟県立長岡高等学校卒業。1956年早稲田大学第二文学部卒業、1961年同大学大学院文学研究科修士課程修了。 1959年芝中学校・高等学校教諭(- 1966年)。教え子に北方謙三がいた。北方は「私の持っている素養の大部分は、先生から受けたものだと言っても、過言ではないだろう」と述懐している。1966年暁星高校教諭(- 1972年)。1972年、静岡大学教育学部助教授、1976年同教授。
岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17… 岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17日 - 2023年12月29日)は、日本のSF翻訳家、詩人。日本文藝家協会会員。杉山 高之の名義も使用した。 静岡県静岡市出身。1953年静岡大学文理学部卒業。静岡のSFサークル「東海SFの会」で活動している際、浜松在住の浅倉久志の紹介でSF翻訳家になる。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、杉山高之名義で論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で「読み応えがある」と4頁もにわたり投稿全文が紹介されている。なお、この時の杉山の在住地は「静岡県志太郡岡部町」と書かれている。
堀内 厚生(ほりうち あつお、1931年または1932年 –… 堀内 厚生(ほりうち あつお、1931年または1932年 – 2024年 <令和6年> 3月8日)は、日本の地方公務員。名古屋市水道局長、名古屋市収入役を歴任。勲等は瑞宝中綬章。 青森県生まれ、静岡大学卒業、1956年 (昭和31年) 名古屋市役所に入庁し水道局に配属された。同局労務課労務係長、総務課調査係長。1972年 総務部調査課長となり、管理部長、局次長、局長、収入役を歴任。市役所退職後は財団法人名古屋国際センター理事長、東山公園協会特別顧問、水問題研究所理事長、一般社団法人全国水道管内カメラ調査協会特別顧問を務めた。
西田 勝(にしだ まさる、1928年11月10日 - 202… 西田 勝(にしだ まさる、1928年11月10日 - 2021年7月31日 )は、日本の文芸評論家、平和運動家。 1928年11月10日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれる。1945年3月、県立清水中学校(現・清水東高)卒業。1947年3月、浜松工業専門学校応用化学科(現・静岡大学工学部)中退。1950年3月、旧制静岡高等学校文科甲類を卒業。1953年3月、東京大学文学部国文学科卒業、1955年3月、同大大学院(旧制)を退学。法政大学文学部非常勤講師を経て1971年4月、同学部助教授、1973年4月、教授となる。1994年3月、退職。同年4月、「西田勝・平和研究室」を設立。 1953年4月、新たな日本近代文学像を求めて小田切秀雄らと日本近代文学研究所を創立、「幻の雑誌」といわれた『驢馬』や『種蒔く人』などの散逸していた号冊を収集しての復刻版を出し、その延長として「近代文学図書館」の構想を立て、日本近代文学館の創設に尽力した。
大橋 弘(おおはし ひろむ、1928年3月2日 - 1997… 大橋 弘(おおはし ひろむ、1928年3月2日 - 1997年1月8日)は、日本の経営者。積水ハウス副社長、会長を務めた。 静岡県出身。1948年に静岡高校文科を卒業し、1961年に積水ハウスに入社。1972年に取締役に就任し、、1969年には常務、1980年には専務をそれぞれ歴任し、1984年に副社長に就任。1992年4月に副会長に就任し、1993年10月には会長に昇格。 経済団体連合会常任理事、住宅生産振興財団理事長なども歴任。 1997年1月8日、心不全のために死去。68歳没。
白井 文吾(しらい ぶんご、1928年〈昭和3年〉1月27日… 白井 文吾(しらい ぶんご、1928年〈昭和3年〉1月27日 - 2024年〈令和6年〉10月29日)は、愛知県渥美郡田原町(現:田原市)出身の日本の新聞記者、実業家。株式会社中日新聞社顧問名誉会長。株式会社中日ドラゴンズ名誉オーナー。 株式会社中日新聞社代表取締役社長・会長、株式会社中日ドラゴンズオーナー、株式会社ナゴヤドーム代表取締役社長、一般社団法人共同通信社理事会長、東海テレビ放送取締役、名古屋市教育委員会委員長、日本新聞協会理事を歴任した。 愛知県成章中学校(現:愛知県立成章高等学校)、静岡高等学校(現:静岡大学)を卒業後、1949年(昭和24年)中部日本新聞社(現:中日新聞社)に入社する。
河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10… 河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10月31日)は、自動車エンジニア、実業家。元本田技研工業代表取締役社長。日本楽器製造(現ヤマハ)社長、ダイエー副社長を歴任した河島博は実弟。
岩橋 徹(いわはし とおる、1927年9月4日 - )は、日… 岩橋 徹(いわはし とおる、1927年9月4日 - )は、日本の地質学者、教育者。静岡大学名誉教授。 1993年4月1日-1994年8月常葉学園大学教育学部教授。 2010年4月瑞宝中綬章受章。 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコに生まれる。1945年福岡県立中学修猷館、1948年旧制福岡高等学校理科甲類を経て、1952年九州大学理学部地質学科を卒業。同年同大学大学院前期課程(旧制)に入学し、1954年4月中退して同大学理学部助手となる。 1962年3月九州大学より論文「”佐世保炭田”炭の石炭化度の地質学的研究」で理学博士の学位を取得。1964年4月九州大学教養部講師となる。 1965年4月静岡大学教育学部助教授に転じ、1970年6月同教授に就任。
正森 成二(まさもり せいじ、1927年1月19日 - 20… 正森 成二(まさもり せいじ、1927年1月19日 - 2006年10月18日)は、日本の弁護士(自由法曹団)。日本共産党衆議院議員。
中山 研一(なかやま けんいち、本名:乾 研一(いぬい けん… 中山 研一(なかやま けんいち、本名:乾 研一(いぬい けんいち)、1927年1月9日 - 2011年7月31日)は、日本の法学者。専門は刑法。京都大学名誉教授。 滋賀県出身。虎姫中学、旧制静岡高校を経て、1953年京都大学法学部卒業。1955年助手、助教授を経て、1968年同大教授。1982年、京都大学名誉教授、大阪市立大学法学部教授。1990年北陸大学法学部教授。1998年退職。退職後も、執筆意欲は衰えを見せなかった。滝川幸辰と佐伯千仭の弟子。 2011年7月31日、肺癌のため大津市の病院で死去。84歳没。 専門は刑法、ソビエト刑法だが、京都大学教授時代には、「暗黙の教授会申し合わせ」なるものにより、刑法学講座を担任できず、ソビエト法の講義を行っていた。
佐野 丹丘(さの たんきゅう、1926年5月11日 - 20… 佐野 丹丘(さの たんきゅう、1926年5月11日 - 2009年6月13日)は、日本の書道家、僧侶。曹洞宗長光寺住職。本名、常光。東洋書芸院顧問、産経国際書会名誉顧問などを歴任。 静岡県田方郡函南町の長光寺に生まれる。旧制韮山中(現静岡県立韮山高等学校)、静岡第一師範(現静岡大学教育学部)、駒澤大学文学部社会科卒業。小、中、高校で教鞭を執り、沼津では原小、西高、東高で教諭を務めた。また、僧職として3つの寺の住職を務める一方、宗門の要職を歴任した。 書家としては戦中から上田桑鳩に師事。1953年、ニューヨーク近代美術館日本書道展に出品。以降、国内だけでなく、欧米、アジア各国で作品を発表。国際的な書展開催に携わったほか、中国書法家との交流なども行う。
稲川 誠一(いながわ せいいち、1925年(大正14年)10… 稲川 誠一(いながわ せいいち、1925年(大正14年)10月1日 - 2016年(平成28年)6月28日)は、日本の自動車技術者。第3代スズキ株式会社取締役会長を務めた。藍綬褒章受章。科学技術庁長官賞受賞。 1945年浜松工業専門学校(のちの静岡大学工学部)精密機械科卒業、鈴木式織機(のちのスズキ)入社。自動車技術者として、スズキ・スズライト、スズキ・キャリイ、スズキ・フロンテ360、1979年5月にモノグレード47万円の全国希望小売価格で発売し大ヒットした初代アルト(SS30型)などを開発。1964年技術部長。1970年技術サービス部長。1973年取締役技術管理部長に昇格。1979年常務取締役。
塩崎 定夫(、1925年(大正14年)9月16日 - 201… 塩崎 定夫(、1925年(大正14年)9月16日 - 2016年(平成28年)2月29日)は、輸送用機器メーカー本田技研工業(以下「ホンダ」)の従業員だった人物で、同社の鈴鹿製作所(1960年操業開始)、鈴鹿サーキット(1962年完成)の建設計画の一端を担ったことで特に知られる。 塩崎はホンダ草創期の1951年に入社し、入社間もない頃から生産管理の分野で頭角を現した(→#本田への直訴)。1958年から1960年にかけて同社の鈴鹿製作所の建設計画において、責任者の白井孝夫の下で建設の管理監督者として関与し(→#鈴鹿製作所の建設)、次いで1960年から1962年にかけて、日本初の全面舗装の常設サーキットである鈴鹿サーキットの建設計画において、建設実施の責任者を務めた(→鈴鹿サーキットの建設)。
岩田 弘志(いわた ひろし、1925年4月29日 - 200… 岩田 弘志(いわた ひろし、1925年4月29日 - 2008年7月29日)は、日本の政治家。位階は正五位。勲等は勲三等。 北海道庁商工観光部部長、北海道室蘭市長(第19・20・21・22代)などを歴任した。 兵庫県姫路市出身。官立浜松工業専門学校(現・静岡大学工学部)を卒業する。北海道庁にて胆振支庁の支庁長や商工観光部の部長を経て、1979年に室蘭市長に当選した。 初当選以降、1995年まで4期16年を務め、白鳥大橋着工という実績を残している。当選当時、60億円を超える不良債務を抱えていた市政の財政赤字を解消するため、初めて外部に財政診断を依頼し、財政再建団体への転落を回避し自主再建の道を選択することで行財政改革を行った。
髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 199… 髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 1992年1月19日)は、日本ビクターの元副社長。事業部長だった頃にVHSの開発を指揮し、「VHSの父」「ミスターVHS」と呼ばれる。1986年に副社長に就任した。 愛知県碧海郡依佐美村(現・安城市)出身。旧制刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)、浜松高等工業学校精密機械科(現・静岡大学工学部)を卒業。 日本光学工業(現・ニコン)に入社後、応召。1946年、日本ビクターに入社。 1986年6月、副社長に就任。エミー賞受賞。1989年、藍綬褒章受章。 1992年1月19日、死去。68歳没。墓は刈谷市の昌福寺にある。 VHS開発の経緯はNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で2000年4月4日に放送された「窓際族が世界規格を作った~VHS・執念の逆転劇~」で紹介され、大きな反響を呼んだ。
牧野 武朗(まきの たけろう、1923年3月27日 - 20… 牧野 武朗(まきの たけろう、1923年3月27日 - 2012年5月)は、日本の編集者・出版社経営者。 講談社で『少女クラブ』編集部、『なかよし』初代編集長、『週刊少年マガジン』の初代編集長、『週刊現代』の第4代編集長を歴任。1974年に退社した後は、マイヘルス社、マキノ出版、わかさ出版を創立した。 講談社時代は漫画部門のトップとして業界で権力を誇った。1959年に『週刊少年マガジン』を創刊した際、トキワ荘を訪れ、藤子不二雄に執筆を依頼したが『週刊少年サンデー』の依頼の方が早かったため断られた。その後、内田勝が『週刊ぼくらマガジン』創刊で藤子・F・不二雄に『モジャ公』を依頼するまでの10年間、講談社での藤子の執筆は『たのしい一年生』連載の『てぶくろてっちゃん』だけで、『週刊少年マガジン』グループは執筆依頼しなかった。
青木 茂(あおき しげる、1922年(大正11年)10月29… 青木 茂(あおき しげる、1922年(大正11年)10月29日 - 2016年(平成28年)1月27日)は、日本の経済学者、政治家。サラリーマン新党代表。元参議院議員。妻は生活経済評論家の青木淑子。次女はノンフィクション作家の青樹明子(1955年7月5日 - )。長男はテレビ朝日プロデューサーの青木吾朗(1958年12月21日 - )。
長倉 三郎(ながくら さぶろう、1920年10月3日 - 2… 長倉 三郎(ながくら さぶろう、1920年10月3日 - 2020年4月16日)は、日本の化学者(物理化学)。学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1953年)。「電荷移動理論」を提唱・実証し、分子科学・スピン化学を開拓した。東京大学物性研究所教授、分子科学研究所所長、岡崎国立共同研究機構機構長、総合研究大学院大学初代学長、国際純正・応用化学連合 (IUPAC) 会長、日本学士院第23代院長などを歴任。位階は従三位、勲等は勲一等。文化勲章受章者。 1920年、静岡県駿東郡鷹根村(現沼津市)柳沢生まれ。静岡県立沼津中学校を経て、1943年東京帝国大学理学部化学科卒業。大学院進学同日に休学し海軍技術見習尉官に任じられ青島方面特別根拠地付を命じられる。
戸田 憲吾(とだ けんご、1919年 <大正8年> 6月20… 戸田 憲吾(とだ けんご、1919年 <大正8年> 6月20日 - 1995年 <平成7年> 2月7日)は、日本の経営者。日本電装(現在のデンソー)社長を務めた。 愛知県出身。1941年に浜松高等工業学校電気学科を卒業し、同年4月にトヨタ自動車工業に入社。1949年12月に日本電装に転じ、1969年2月に取締役に就任し、1974年2月に常務、1978年3月に専務を経て、1981年3月に副社長に就任し、1982年3月には社長に昇格。1987年3月から会長を務めた。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 1995年2月7日腎不全のために死去。75歳没。
清水 保夫(しみず やすお、1916年3月31日 - 199… 清水 保夫(しみず やすお、1916年3月31日 - 1991年12月16日)は、日本の経営者。山口県出身。 1937年に浜松高等工業学校応用化学科を卒業し、同年に宇部興産(現:UBE)の前身である宇部窒素工業に入社。 軍隊生活を経て、1967年11月に取締役に就任し、1971年5月に常務、1977年12月に専務を歴任し、1983年6月に社長に就任した。。1991年5月には会長に就任。 1991年12月16日肝不全のために死去。75歳没。
堀内 平八郎(ほりうち へいはちろう、1915年8月8日 -… 堀内 平八郎(ほりうち へいはちろう、1915年8月8日 - 1997年7月4日)は日本の実業家。浜松ホトニクス創業者。 長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)出身。旧制中校卒業後、浜松高等工業学校に入学し、高柳健次郎に師事する。1937年に卒業後、テレビジョン研究の実用化のためNHK技術研究所に入所し、太平洋戦争中はテレビジョン技術を軍事に応用した暗視管の研究に従事し、1943年日本電子工業嘱託となり、1945年疎開先の天童で終戦を迎えた。 1947年浜松に戻り、東海電子研究所を設立。1949年東海真空工業を創業して誘蛾灯の点灯管の製造を開始したが、農薬の普及に押されて廃業した。その間、光を電気信号に変える光電変換素子の研究を進め、1953年に浜松テレビを創業し社長に就任、1978年に会長、1980年取締役相談役となり、光電変換素子の世界的メーカーに育て上げた。
久野 古夫(くの ひさお、1915年 - 2009年6月22… 久野 古夫(くの ひさお、1915年 - 2009年6月22日)は、テレビ技術者。静岡県生まれ。 松下電器製作所(現在のパナソニック)における、ラジオ、テレビの開発黎明期の中心的メンバーの一人である。
鈴木 實治郎(すずき じつじろう、1913年 <大正2年> … 鈴木 實治郎(すずき じつじろう、1913年 <大正2年> 11月29日 - 1994年 <平成6年> 4月9日)は、日本の逓信官僚、実業家。旧姓は中西(なかにし)。位階は正四位。 逓信省(後の郵政省→総務省)での勤務を経て、鈴木自動車工業株式会社社長(第3代)、鈴木自動車工業株式会社会長(第2代)などを歴任した。 1913年に生まれ、静岡県の志太郡にて育った。浜松高等工業学校に進学し、1934年に卒業した。卒業後は逓信省(後の郵政省→総務省)に入省し、日本発送電に関する案件などを手掛けた。このころ、実業家の鈴木道雄の三女との縁談が持ち上がった。1940年、道雄の三女と結婚に伴い、逓信省を退官して道雄が経営する鈴木式織機に入社した。
白井 武明(しらい たけあき、1912年〈明治45年〉3月3… 白井 武明(しらい たけあき、1912年〈明治45年〉3月31日 - 2002年〈平成14年〉10月16日)は、日本の経営者。日本電装(現在のデンソー)社長、会長を務めた。 愛知県出身。1932年に浜松高等工業学校機械科を卒業。豊田自動織機、トヨタ自動車工業、日本電気自動車製造での勤務を経て、1949年に日本電装取締役に就任し、1953年4月に常務、1962年8月に専務を経て、1967年12月に副社長に就任し、1973年2月には社長に昇格。1977年3月に会長、1982年3月に取締役相談役を経て、、1983年3月に相談役に就任。 1976年3月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲三等旭日中綬章を受章。
鈴木 桂二(すずき けいじ、1911年6月20日 - 200… 鈴木 桂二(すずき けいじ、1911年6月20日 - 2003年2月2日)は、日本の研究者。工学博士(東京大学、1955年)。専門はテレビジョン工学。映画監督の木下惠介はおじの孫にあたる。 1911年、静岡県浜松市生まれ。1932年、浜松高等工業学校(現:静岡大学工学部)電気学科を卒業。同年4月、日本放送協会名古屋放送局に採用され、同局技術部に勤務する。1937年から1967年の停年まで、放送技術研究所に所属した。 1951年、東名阪マイクロTV中継回線建設プロジェクトを指導した。1960年、ローマオリンピックにおいて、初のTV国際中継を実現した。1964年、東京オリンピックに際し、同年打ち上げられたシンコム3号を利用したアメリカ本土へのTV中継を実現し、NHK会長賞、郵政大臣賞、テレビジョン学会丹羽高柳賞功績賞、IEEEツボリキン賞、紫綬褒章を受ける。
野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 - 198… 野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 - 1984年8月10日)は、日本の出版人、実業家。講談社第4代社長。日本書籍出版協会会長。出版文化国際交流会会長。日本雑誌広告協会会長。旧姓高木。
有信 春二(ありのぶ はるじ、1910年3月24日 - 19… 有信 春二(ありのぶ はるじ、1910年3月24日 - 1992年8月9日)は、日本の経営者。岡山県出身。 1932年に浜松高等工業学校機械科を卒業。三河セメント、日立製作所での勤務を経て、1969年2月から1979年6月までに日立マクセル社長を務めた。 1992年8月9日心不全のために死去。82歳没。
栗山 良夫(くりやま よしお、1909年〈明治42年〉11月… 栗山 良夫(くりやま よしお、1909年〈明治42年〉11月16日 - 1988年〈昭和63年〉1月13日)は、日本の政治家、労働運動家。参議院議員(3期、日本社会党)。 岐阜県出身。1930年(昭和5年)浜松高等工業学校電気科卒業。東邦電力に入り、戦後、中部電力労働組合委員長、電産協議会議長に就任する(いずれも初代)。 1947年(昭和22年)の第1回参議院議員通常選挙において愛知県地方区から日本社会党公認で立候補して初当選する(6位当選)。1950年(昭和25年)の第2回参議院議員通常選挙から全国区に転じ、2回当選した。この間、参議院電力問題に関する特別委員長、同労働委員長を歴任、社会党内では中央執行委員、党統制委員、愛知県連会長などを務めた。
星野 芳樹(ほしの よしき、1909年(明治42年)3月30… 星野 芳樹(ほしの よしき、1909年(明治42年)3月30日 ‐ 1992年(平成4年)5月31日) は、昭和期のジャーナリスト、政治家。参議院議員(1期)。 東京府東京市小石川区(現文京区小石川)で、牧師星野光多の三男として生まれた。早稲田中学校(現早稲田中学校・高等学校)を経て、静岡高等学校文科(現静岡大学)に進んだ。左翼運動に加わり、1931年(昭和6年)日本共産党に入党。1933年(昭和8年)検挙されて入獄し静岡高校を中退、1940年(昭和15年)恩赦で出獄した。同年、上海に渡り上海自然科学研究所員に就任。1941年(昭和16年)容海語学校を設立。さらに容海小学校、容海忠学校を設立し、在留日本人の指導的存在となった。
筧 泰彦(かけひ やすひこ、1908年 - 2000年1月1… 筧 泰彦(かけひ やすひこ、1908年 - 2000年1月11日)は、日本の思想史学者・倫理学者・国体学者・神道思想家。
小林 佐三郎(こばやし ささぶろう、1906年3月9日 - … 小林 佐三郎(こばやし ささぶろう、1906年3月9日 - 1995年11月30日)は、日本の経営者、工学博士。長野県出身。位階は従四位。 1927年に浜松高等工業学校応用化学科を卒業し、同年に日本製鋼所に入社。 1947年5月に取締役に就任し、1949年12月に常務、1957年11月に専務を経て、1961年11月に副社長に就任し、1965年11月には社長に昇格。1973年11月に会長を経て、1983年6月から相談役を務めた。 1967年4月に藍綬褒章を受章し、1976年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1995年11月30日心不全のために死去。89歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
岩淵 悦太郎(いわぶち えつたろう、1905年12月14日 … 岩淵 悦太郎(いわぶち えつたろう、1905年12月14日 - 1978年5月19日)は、日本の国語学者。専門は音韻史。『岩波国語辞典』の編者として知られる。 福島県白河市出身。1917年、東京市下谷区に転居。京北中学校、旧制静岡高等学校を経て、1930年、東京帝国大学文学部を卒業。 同年、東京帝国大学文学部助手に就任。1938年、大阪高等学校(現 大阪大学)教授、1942年、第一高等学校教授、1946年東京女子高等師範学校(現 お茶の水大学)教授。1947年、文部省文部事務官。1949年、国立国語研究所研究第一部長を経て、1960年、同研究所2代目所長に就任。1963年、『岩波国語辞典』(共編)を刊行する。
小糸 のぶ(こいと のぶ、1905年9月24日 - 1995… 小糸 のぶ(こいと のぶ、1905年9月24日 - 1995年12月13日)は、日本の小説家。 静岡県富士郡吉原町(旧・吉原市)(現・富士市)生まれ。静岡女子師範学校卒。小学校教員を経て、1941年(昭和16年)内閣情報局の国民映画脚本募集に「母子草」が一席入選し、映画化される(田坂具隆監督)。戦後1949年(昭和24年)に「おもかげ」で直木賞候補。恋愛通俗小説を書いた。
稲村 松雄(いなむら まつお、1905年1月28日 - 19… 稲村 松雄(いなむら まつお、1905年1月28日 - 1996年11月12日)は、日本の英語教育学者。 東京府八王子に織染工場の子として生まれる。静岡高等学校卒業、1929年東京帝国大学文学部英文科卒業。1931年静岡高等学校教授、1950年静岡大学教授、1952年学習院大学教授、1975年定年、名誉教授。1974年『ランダムハウス英和大辞典』で日本翻訳出版文化賞受賞。
鈴木 俊三(すずき しゅんぞう、1903年5月24日 - 1… 鈴木 俊三(すずき しゅんぞう、1903年5月24日 - 1977年6月17日)は、日本の実業家。旧姓は木村(きむら)。 鐘淵紡績株式会社、鈴木式織機株式会社での勤務を経て、鈴木自動車工業株式会社社長(第2代)、鈴木自動車工業株式会社会長(初代)などを歴任した。 1903年5月24日に生まれ、愛知県の額田郡岡崎町(現:岡崎市)にて育った。浜松高等工業学校に進学し機械科にて学んだ。1927年、浜松高等工業学校を卒業した。その後、鐘淵紡績に技術職として入社した。このころ、実業家の鈴木道雄と出会い、道雄の長女との縁談が持ち上がった。1931年、道雄が経営する鈴木式織機に入社するとともに、道雄の長女と結婚して鈴木家に婿入りし、道雄の養嗣子となった。
福井 勇(ふくい いさむ、1903年5月20日 - 2006… 福井 勇(ふくい いさむ、1903年5月20日 - 2006年8月14日)は、日本の昭和期の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。現在の経世会の祖先にあたる周山会の一味だった。 愛知県蒲郡市出身。浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)を卒業後、商工省に入省。官僚生活を経て1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧愛知5区から日本自由党公認で出馬したが落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙に民主自由党公認で出馬し初当選した。保守合同後は自民党に所属し、通算当選6回。文部・運輸政務次官などを歴任した。1973年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。1975年からは参議院議員を1期務めた。
明石 海人 (あかし かいじん、1901年(明治34年)7月… 明石 海人 (あかし かいじん、1901年(明治34年)7月5日 - 1939年(昭和14年)6月9日) は、昭和初期に活動した日本の歌人である。本名は野田勝太郎。「もし長寿を保ったなら、昭和時代を代表する大歌人となったろう」とは大岡信の言である。 1901年 (明治34年) 7月5日、沼津市に三男として生まれた。2人の兄と1人の妹がいる。もう1人弟がいたが出生後間もなく亡くなっている。生家は経済的に恵まれており、沼津商業学校を終えると静岡師範学校へ入り教職の道に進み、1920年 (大正9年) に師範学校を卒業後、小学校教員となった。 1924年、同僚の麻子と結婚、翌1925年 (大正14年) には長女の瑞穂、続いて次女の和子をもうけた。
高柳 健次郎(たかやなぎ けんじろう、1899年〈明治32年… 高柳 健次郎(たかやなぎ けんじろう、1899年〈明治32年〉1月20日 - 1990年〈平成2年〉7月23日)は、日本の工学者、日本ビクター元副社長・技術最高顧問。静岡大学名誉教授。日本のテレビの父と呼ばれる。文化勲章受章。 静岡県浜名郡和田村(今の静岡県浜松市中央区安新町)に生まれた。静岡師範学校を経て1921年(大正10年)、東京高等工業学校(現・東京工業大学)附設工業教員養成所卒業。同年、神奈川県立工業学校(現・神奈川県立神奈川工業高等学校)教諭、1924年(大正13年)に浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)助教授となり「無線遠視法」(テレビジョン)の研究を本格的に開始する。 大正天皇が崩御し昭和天皇が即位した1926年(昭和元年)12月25日、高柳はブラウン管による電送・受像に世界で初めて成功した。
久保田 豊(くぼた ゆたか、1890年4月27日 - 198… 久保田 豊(くぼた ゆたか、1890年4月27日 - 1986年9月9日)は、日本の実業家。位階は正三位。日窒コンツェルンの野口遵と共に、当時世界最大級の水豊ダムをはじめ、朝鮮北部に大規模なダムを建設した。戦後は建設コンサルタント会社日本工営社長を務めた。 日窒コンツェルンの長津江水電、朝鮮送電の取締役を経て、朝鮮電業社長に就任。当時世界的な生産規模を有していた朝鮮窒素肥料興南工場などへ電力を供給する体制を整えた。また世界でも最大級のダムである鴨緑江の水豊ダムの建設を実現した。戦後、ビルマ(現ミャンマー)のバルーチャン発電計画を受注し、これは結果的にODAの原点となる戦後賠償の第1号案件につながった。
增田 又右衞門(ますだ またえもん、1877年〈明治10年〉… 增田 又右衞門(ますだ またえもん、1877年〈明治10年〉2月8日 - )は、日本の教育者。位階は従六位。勲等は勲六等。姓の「增」は「増」の旧字体であり、名の「衞」は「衛」の旧字体であるため、增田 又右衛門、増田 又右衞門、増田 又右衛門、とも表記される。 北浜高等女学校校長、静岡県小笠郡視学などを歴任した。 静岡県出身の教育者である。北浜高等女学校の校長に就任し、小笠郡女子青年団の団長を務めるなど、静岡県の女子教育の発展に尽力した。 1877年(明治10年)2月8日、增田甚藏の長男として生まれた。松芳学舎の門を叩き、国学や漢学を学んだ。さらに静岡県師範学校に進学し、これを卒業している。また、皇典講究所においても学んでいる。
坂下 仙一郎(さかした せんいちろう、1876年(明治9年)… 坂下 仙一郎(さかした せんいちろう、1876年(明治9年)11月20日 - 1947年(昭和22年)2月9日)は、日本の教育者、実業家、政治家。衆議院議員、雄踏町長。 静岡県敷知郡宇布見村浅羽(現浜松市中央区雄踏町宇布見)で、鍛冶屋・坂下仙蔵の長男として生まれる。1896年、静岡県師範学校講習所を卒業。雄踏尋常小学校、入野尋常小学校で訓導として教鞭をとった。その後政界に入り、雄踏町会議員、静岡県会議員を務めた。1932年2月から1944年5月まで雄踏町長に在任。 1936年2月、第19回衆議院議員総選挙において立憲民政党所属で静岡県第三区から出馬して当選し、その後第21回総選挙まで連続三回の当選を果たした。
加藤 雪腸(かとう せっちょう、1875年(明治8年)1月2… 加藤 雪腸(かとう せっちょう、1875年(明治8年)1月2日 - 1932年(昭和7年)11月24日)は、静岡県出身の日本の俳人。別号に清白之舎、千里坊など。本名は孫平。 1875年(明治8年)静岡県榛原郡川崎町(現在の牧之原市)に生まれる。静岡師範学校(現在の静岡大学)在学中に俳句を始め、正岡子規に入門。高浜虚子、河東碧梧桐とともに、早くから子規門となった若手俳人として注目される。また静岡師範学校の仲間を中心に俳誌『芙蓉』を主宰、同誌を発行する「芙蓉会」は松島十湖、藤田紫亭、渥美渓月、久保田九品太らが集い、静岡における日本派の拠点となった。 静岡師範卒業後、教員となった後も俳句を続けたが、子規亡き後は次第に自由律俳句に傾倒。
五十嵐 衣里 は、日本の政治家、弁護士。
はじめしゃちょー は、日本の男性YouTuber。個人事務所… はじめしゃちょー は、日本の男性YouTuber。個人事務所であるハジメーン株式会社代表取締役。富山県砺波市出身。UUUM所属。既婚。本名は江田 元。愛称は、はじめん、しゃちょー、はじを、もやしなど。血液型はAB型。
広江克彦(ひろえかつひこ)は、物理学を解説するウェブサイト『… 広江克彦(ひろえかつひこ)は、物理学を解説するウェブサイト『EMANの物理学』の運営者として知られる人物である。「EMAN」(「エマン」)は中学生の頃からのあだ名であり、同氏はインターネット上でも主にその名前で活動している。 PC向けゲーム会社を起業後は、情報家電メーカーの開発部での勤務などの経歴を経て、農業を営んでいる。
🎓 静岡大学💼 情報家電メーカーの開発部での勤務などの経歴を経て
山本 健太(やまもと けんた)は、日本の地域経済学、経済地理… 山本 健太(やまもと けんた)は、日本の地域経済学、経済地理学研究者、國學院大學経済学部教授。プラモデル製造業や、アニメーション作品の制作工程など、都市型文化産業の集積構造に関する研究を主なテーマとしている。 静岡県立藤枝東高等学校を経て、2004年に静岡大学教育学部学校教育教員養成課程を卒業後、東北大学大学院理学研究科博士課程に進学。2009年、「東京、ソウル、上海におけるアニメーション産業の集積メカニズムに関する地理学的研究」により、東北大学から博士(理学)の学位を取得。 2010年10月に九州国際大学経済学部特任助教となり、2011年4月より助教、2013年4月より准教授となった。2014年、國學院大學経済学部准教授に転じた。