大島 寅夫(おおしま とらお、1935年2月7日 - )は、… 大島 寅夫(おおしま とらお、1935年2月7日 - )は、日本の実業家。中日新聞社元社長。岐阜県出身。 1935年(昭和10年)、岐阜県海津郡東江村(海津町を経て現在の海津市)で安田順時の四男として出生、1960年(昭和35年)に同志社大学法学部を卒業。同年に中部日本新聞社へ入社し、常務の大島一芳から養嗣子に迎えられる。 広告局次長を経て1991年(平成3年)に取締役となり、1997年(平成9年)に常務、2001年(平成13年)に名古屋本社代表。2003年(平成15年)6月から2011年(平成25年)6月まで社長を務め、その間には2007年から横綱審議委員会委員に就任している。2011年を以て社長職を小出宣昭に譲って退任し、副会長に就任した。
嶋 雅二(しま まさじ、1934年12月29日 - 2014… 嶋 雅二(しま まさじ、1934年12月29日 - 2014年11月11日)は日本の実業家。ホーネンコーポレーション代表取締役会長兼CEO、J-オイルミルズ代表取締役社長、日本植物油協会会長などを務めた。 大阪府出身。京都市立川岡国民学校(現在の京都市立川岡小学校)、同志社中学校・高等学校を経て、同志社大学経済学部卒業後、豊年製油(のちのホーネンコーポレーション)に入社。1989年からホーネンコーポレーション代表取締役社長を務めた。その後、ホーネンコーポレーション代表取締役会長兼CEOとして、味の素代表取締役社長・江頭邦雄との交渉などにあたり味の素製油との経営統合を行い、2002年に持株会社として設立された豊年味の素製油(現在のJ-オイルミルズ)の初代代表取締役社長に就任した。
田中 辰郎(たなか たつろう、1934年11月22日 - 2… 田中 辰郎(たなか たつろう、1934年11月22日 - 2017年7月26日)は、日本の経営者。髙島屋社長を務めた。京都府京都市出身。 1961年に同志社大学文学部社会学科を卒業し、同年に髙島屋に入社した。1991年5月に取締役に就任し、1993年5月に常務を経て、1996年7月に社長に就任。2001年3月から相談役を務めた。 2017年7月26日に呼吸不全のために死去。82歳没。
岡崎 康雄(おかざき やすお、1934年3月31日 - 20… 岡崎 康雄(おかざき やすお、1934年3月31日 - 2005年5月12日)は、日本の経営者。森下仁丹社長を務めた。和歌山県西牟婁郡日置川町(現在の白浜町)出身。 1957年に同志社大学商学部経営学科を卒業した。同郷の代議士の早川崇の秘書を務めた後の1959年、森下仁丹に入社した。1986年6月、専務に就任し、1987年6月に社長代行、1989年2月に取締役、1990年6月に専務を経て、1999年6月には社長に就任した。2005年4月、会長に就任した。 2005年5月12日肝不全のために死去した。71歳没。
武山 栄造(たけやま えいぞう、1934年1月29日 - )… 武山 栄造(たけやま えいぞう、1934年1月29日 - )は、日本の経営者。愛知県出身。 1957年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に豊田通商に入社。 1975年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1995年6月に社長に昇格した。1999年6月に会長に就任した。 2005年4月に旭日中綬章を受章した。
長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2… 長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2019年4月27日)は、日本の実業家。キューサイの創業者。京都府京都市出身。 1957年に同志社大学商学部を卒業し、同年に大沢商会に入社。1963年に退社し、煎餅の製造・販売事業を開始し、1965年10月には福岡市で菓子製造販売会社長老製菓(のちのキューサイ)を創業し、2006年5月までに社長を務めた。1982年にはのちの主力商品となる「青汁」を製造・販売を開始。らでぃっしゅぼーや会長も務めた。 2019年4月27日、死去。85歳没。
小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2… 小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2001年1月20日)は、日本の実業家で、オリコンの創業者。
駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は… 駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は元任天堂部長、元セガ・エンタープライゼス副社長、元トムス・エンタテインメント会長。大阪市出身。 1954年に任天堂に入社し、長く営業を担当した。 任天堂レジャーシステムは1975年に『EVRレース』を発売し、メダルゲームに参入。関東における『EVRレース』の販売は、主にエスコ貿易が担当し、それにより駒井はエスコ貿易社長の中山隼雄と知り合う。任天堂のアーケード事業が苦しい時期も、中山はハードの販売を一手に引き受け、ほとんどエスコ貿易の独占に近い状態になることもあった。駒井はそれらの取引を通じて中山と信頼関係を築いた。 苦しい状態が続いた任天堂のアーケード事業は、『スペースフィーバー』(1979年)の大当たりによって一気に息を吹き返した。
井植 敏(いうえ さとし、1932年(昭和7年)2月28日 … 井植 敏(いうえ さとし、1932年(昭和7年)2月28日 - )は、日本の実業家。 三洋電機元社長。三洋電機創業者の井植歳男の長男。 兵庫県出身(東京芝生まれ)。 1956年同志社大学工学部電気学科卒業後、三洋電機入社。1959年に東京三洋電機の設立とともに転籍し、27歳で取締役に就任する。1961年に三洋電機の取締役となり、常務、専務を経て1985年に副社長となる。 1986年、三洋電機の石油ファンヒーターにより、一酸化炭素中毒で4人が死亡するという事件が起きた。叔父で社長の井植薫は、自身を責め立て、遂にはノイローゼになり、株主総会の議事進行中に昏倒してしまう。急遽、副社長の敏が議事を務め、どうにか乗り切った。
三好 重恭(みよし しげやす、1931年8月9日 - 202… 三好 重恭(みよし しげやす、1931年8月9日 - 2022年7月8日)は、日本の実業家、工業デザイナー。アルマン株式会社創業者。禁煙グッズ「禁煙パイポ」の開発者であり、1980年代半ばにユニークなテレビCM戦略で社会現象を巻き起こしたヒットメーカーとして知られる。 1984年の設立当初、社長以下わずか4名の体制で「禁煙パイポ」を発売。静岡県でのテスト販売を経て、首都圏、名古屋、大阪へと市場を拡大した。発売当初は月商580万円ほどであったが、テレビCMのヒットにより1年足らずで月商3億円(年商換算30億円規模)を超える爆発的な成長を記録した。 三好は禁煙パイポを単なる健康器具ではなく、口寂しさを紛らわせる「おしゃぶり」のような「心理的商品」と定義した。
清水 三夫(しみず みつお、1931年5月8日 - )は、日… 清水 三夫(しみず みつお、1931年5月8日 - )は、日本の経営者。ライフストア(現在のライフコーポレーション)社長を務めた。 三重県出身。1954年に同志社大学法学部政治学科を卒業し、同年に清水商店(のちのライフコーポレーション)に入社した。1956年に専務、1978年に副社長を経て、1982年から1988年までに社長を務めた。1995年から2003年までと2010年から2013年までにライフフーズ社長を務めた。
広 信良(ひろ のぶよし、1931年〈昭和36年〉1月19日… 広 信良(ひろ のぶよし、1931年〈昭和36年〉1月19日- 2014年12月4日 )は、日本の経営者。東京証券社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1954年に同志社大学経済学部を卒業し、同年4月に日興證券に入社した。1981年12月に取締役に就任し、1983年9月に常務、1985年11月に専務を経て、1987年8月に副社長に就任し、1990年6月には東京証券社長に就任した。1995年6月に会長に就任し、1998年4月には相談役に就任。 2014年12月4日、慢性心不全のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川勝 泰司(かわかつ たいじ、1930年(昭和5年)8月17… 川勝 泰司(かわかつ たいじ、1930年(昭和5年)8月17日 - 2023年(令和5年)5月12日)は、日本の実業家。南海電気鉄道元社長・会長。元毎日放送社外監査役。南海電気鉄道社長・会長を歴任し、南海ホークスのオーナーも務めた川勝傳の長男。 同志社大学経済学部卒業後、1953年に南海電気鉄道へ入社。その後、副社長・1992年社長・1999年会長・相談役をそれぞれ歴任。南海電気鉄道顧問を務めていた。2007年旭日重光章受章。2023年5月12日、心不全のため、死去した。92歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 京都府南丹市、大阪府高石市 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
今井 芳男(いまい よしお、1929年5月7日 - 2021… 今井 芳男(いまい よしお、1929年5月7日 - 2021年6月14日)は、日本の経営者。びわこ銀行頭取を務めた。 滋賀県出身。1953年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に滋賀相互銀行に入行。1970年11月に取締役に就任し、1972年11月に常務、1980年5月に専務を経て、1985年5月に副社長に就任し、1986年6月には社長に昇格。1989年2月にびわこ銀行頭取に就任し、1999年6月に会長を経て、2001年6月に取締役相談役に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章。 2021年6月14日に肺炎のために死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
八馬 望(はちうま のぞむ、1929年〈昭和4年〉2月1日 … 八馬 望(はちうま のぞむ、1929年〈昭和4年〉2月1日 - )は、日本の実業家。多聞酒造会長。 兵庫県西宮市久保町、八馬汽船相談役・三代八馬兼介の三男。1952年、同志社大学美学科卒業。宝梅園農場常務となり、1953年に社長となった。1976年から1987年まで多聞酒造社長を務めた。 八馬啓、八馬理の弟である。趣味は音楽鑑賞、読書。宗教は真宗。兵庫県西宮市在籍。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
野村 栄太郎(のむら えいたろう、1928年11月8日 - … 野村 栄太郎(のむら えいたろう、1928年11月8日 - 2012年4月29日)は、日本の経営者。京都新聞社社長を務めた。京都府京都市出身。 1951年に同志社大学商学部を卒業し、同年に京都新聞社に入社した。 1981年6月に取締役に就任し、1982年12月に常務、1983年3月に専務を経て、1987年6月には副社長に就任した。 1999年6月には社長に昇格し、2003年には会長も兼任し、2004年を以って、退任。 2012年4月29日脳出血のために死去。83歳没。
藤田 正蔵(ふじた しょうぞう、1928年10月30日- 2… 藤田 正蔵(ふじた しょうぞう、1928年10月30日- 2012年5月29日 )は、日本の経営者、馬主。中鉄バスとテレビせとうちで社長を務めた。 岡山県岡山市出身。1952年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に中鉄バスに入社し、取締役にも就任。1953年に社長に就任し、1954年には中国交通社長に就任。1984年10月から1999年12月までにテレビせとうち社長を務めた。 1984年6月に運輸大臣表彰を受けた。1965年9月に紺綬褒章を受章し、1990年5月に藍綬褒章を受章した。 2012年5月29日、心不全のために死去。83歳没。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。
大倉 敬一(おおくら けいいち、1927年3月25日 - 2… 大倉 敬一(おおくら けいいち、1927年3月25日 - 2016年8月15日)は、日本の実業家。位階は正五位。 月桂冠株式会社元代表取締役会長。13代目当主。 1927年(昭和2年)3月25日、月桂冠創業家の大倉家12代目・治一の長男として、京都府京都市伏見区(紀伊郡伏見町)で生まれる。 1952年(昭和27年)3月、同志社大学大学院経済学研究科修了後、同年4月に第一銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)入行。のち退行し、1956年(昭和31年)、大倉酒造(現・月桂冠)株式会社に入社。1978年(昭和53年)、同代表取締役社長に就任。その後、1997年(平成9年)に会長、2008年(平成20年)に相談役を歴任した。
武藤 庸之助(むとう ようのすけ、1926年7月3日 - 2… 武藤 庸之助(むとう ようのすけ、1926年7月3日 - 2003年8月13日)は、日本の経営者。ユニー社長を務めた。 愛知県出身。1950年に同志社大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東海銀行に入行。1974年11月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1983年5月にユニー副社長に就任し、1991年5月には社長に昇格し、1993年5月までに務めた。 2003年8月13日膵臓癌のために死去。77歳没。
吉本 晴彦(よしもと はるひこ、1923年(大正12年)9月… 吉本 晴彦(よしもと はるひこ、1923年(大正12年)9月30日 - 2017年(平成29年)5月30日)は、日本の実業家。元大阪マルビル会長。「大日本どケチ教」の教祖。 大阪・梅田の大地主の家に生まれ、祖父彦太郎に「どケチ道」を仕込まれた。学徒動員された経験を持ち、中国で終戦を迎えた。復員後に不動産業を始めた。1946年(昭和26年)、同志社大学経済学部卒業と同時に不動産事業を興し、吉本土地建物株式会社社長に就任。 1970年(昭和45年)、自分の半生に基づいてケチを勧めた著書「どケチ人生」がベストセラーになり、1973年に「大日本どケチ教」を設立して教祖に就任した。元サントリー副会長の鳥井道夫、森下仁丹社長だった森下泰とともに「大阪の三ケチ」と呼ばれた。
大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 200… 大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 2001年9月10日)は、日本の経営者。昭和シェル石油社長を務めた。京都府京都市出身。 1947年に同志社大学文学部社会学科を卒業し、函館ドックでの勤務を経て、1949年にシエル石油に入社。1969年に取締役に就任し、1975年に常務、1978年に専務、1981年に副社長を経て、1982年には社長に就任。昭和石油との合併を取り仕切り、1985年に昭和シェル石油社長に就任。1989年3月に副会長に就任し、1991年3月に取締役相談役を経て、1993年3月に相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2001年9月10日に肺炎のために神奈川県横浜市の病院で死去。
増田 眞一(ますだ みちかず、選挙時の通名:マスダシン一、1… 増田 眞一(ますだ みちかず、選挙時の通名:マスダシン一、1923年〈大正12年〉 - 2000年〈平成12年〉6月3日)は、日本の実業家、政治活動家(政事公団太平会同人)。 京都府舞鶴市出身。同志社大学法学部在学中に学徒出陣で応召。熊谷陸軍飛行学校特操2期生を経て、知覧特攻基地神鷲隊に配属される。1945年8月10日、ウィリアム・ハルゼー率いる米海軍機動部隊に向け出撃したが、天候不良と搭乗機の不調で突入に失敗、帰投。そのまま終戦を迎えた。 戦後復学して同大学院で田村徳治教授の薫陶を受け、皇国史観を保持しつつ労農運動に目覚める。その後地元で旅館、青年の家、マリーナ等経営の傍ら反基地闘争・反公害運動を行い、政治団体『政事公団太平会』を組織。
中牟田 栄蔵(なかむた えいぞう、1920年10月17日 -… 中牟田 栄蔵(なかむた えいぞう、1920年10月17日 - 1997年7月18日)は、日本の経営者。岩田屋社長を務めた。福岡県出身。 1943年に同志社大学経済学部を卒業し、1945年に岩田屋に入社した。1947年に取締役に就任し、1956年に常務、1971年に専務、1979年に副社長を経て、1985年5月に社長に就任した。1989年5月から相談役を務めた。 1997年7月18日肺癌のために死去。76歳没。
王 相殷(ワン・サンウン、朝鮮語: 왕상은、1920年3月3… 王 相殷(ワン・サンウン、朝鮮語: 왕상은、1920年3月31日 - 2019年10月16日)は、韓国の実業家、政治家。韓国の海運業と釜山の地域発展には多大な貢献をしたほか、第11・12代国会議員を歴任した。 本貫は開城王氏。号は草渓(チョゲ、초계)。仏教徒。 日本統治時代の黄海道黄州郡黄州面に生まれ、釜山出身。釜山第8小学校、釜山公立中学を経て、1941年に同志社大学商科大学卒。 1951年に協成海運を設立し、同社代表取締役を経て、国際商業会議所委員、釜山商工会議所副会長を務めた。特に1960年代に韓国初の船員派遣業への参入、釜山と下関を繋ぐ釜関フェリーの導入、国籍取得条件付裸傭船の運航などを主導し、韓国の海運業の発展に多大な貢献をした。
石田 徳次郎(いしだ とくじろう、1918年12月3日 - … 石田 徳次郎(いしだ とくじろう、1918年12月3日 - 1990年3月28日)は、日本の経営者。京都府京都市出身。 1939年1月に石田旭山印刷取締役に就任し、1941年に同志社大学法学部政治学科を卒業。1943年に大日本スクリーン製造専務に就任し、1947年5月には社長に就任。1989年4月に会長に就任。 1963年6月に紺綬褒章を受章し、1980年4月に藍綬褒章を受章。 1990年3月28日心不全のために死去。71歳没。
大宮 隆(おおみや たかし 1913年(大正2年)4月23日… 大宮 隆(おおみや たかし 1913年(大正2年)4月23日 - 2007年(平成19年)6月4日)は、日本の実業家。寳酒造株式会社元会長・社長を務め、京都財界の顔役の一人だった。宝ホールディングス会長の大宮久は子。
李 万根(イ・マングン、朝鮮語: 이만근、1913年1月11… 李 万根(イ・マングン、朝鮮語: 이만근、1913年1月11日 - 1959年9月2日)は、日本統治時代の朝鮮、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の実業家、警察官僚、政治家。制憲韓国国会議員。 忠清北道清原郡出身。清州公立高等普通学校を卒業後、1937年に同志社大学法学部経済学科卒。光復後は米軍政庁警務部官房勤務を経て、行政官補官房庶務課長、監察官、総警補官房長、第1管区警察庁副庁長(1947年8月より)、制憲国会議員、国会内務治安委員会委員、無所属議員からなる国策研究会メンバー、国会治安・民政視察団(慶尚道)メンバーを務めた。1949年9月に民主国民党に入党し、1950年4月に趙炳玉を次期国務総理に推薦したが、朝鮮戦争中の1950年7月2日にソウルで北朝鮮に拉致され、西大門刑務所に収容された。
小南 弘久(こなみ ひろひさ、1911年 <明治44年> 9… 小南 弘久(こなみ ひろひさ、1911年 <明治44年> 9月2日 - 1977年 <昭和52年> 7月24日)は、日本の経営者。日動火災海上保険社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1932年に同志社大学予科を中退し、1939年に日動火災海上保険に入社。 1959年に取締役に就任し、1960年に常務、1962年に専務を経て、1964年に社長に就任。1966年2月までに社長を務め、同年6月には相談役に就任した。 1968年12月に日本サラリーマンユニオンを設立し、代表にも就任した。 1977年7月24日、出血性脳梗塞のために死去。65歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
安保 正敏(あぼ まさとし、1907年11月18日 - 19… 安保 正敏(あぼ まさとし、1907年11月18日 - 1971年3月20日)は、日本の実業家。三重交通社長と東海テレビ放送社長を務めた。三重県松阪市出身。赤福餅で有名な赤福代表取締役社母兼社長である濵田勝子は三女、その夫は同社元会長である濵田益嗣。 1929年に、同志社専門学校高等商業部を卒業。 1942年に、松阪電気鉄道社長に就任し、1944年に統合により、三重交通専務に就任し、1954年に社長に昇格した。1957年に近畿東海放送社長に就任し、1959年にラジオ東海との合併により1971年に東海ラジオ放送社長にも就任した。1957年に東海テレビ放送副社長にも就任し、1967年には社長に昇格した。
奥村 悦造(おくむら えつぞう、1907年(明治40年)10… 奥村 悦造(おくむら えつぞう、1907年(明治40年)10月9日 - 1980年(昭和55年)1月31日)は、日本の実業家、政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期)、滋賀県副知事。 滋賀県出身。1930年(昭和5年) 同志社高等商業学校を卒業した。 奥村鉱業社長、滋賀新聞取締役社長、琵琶湖ホテル取締役社長などを務めた。 政界では、大津市議会議員、滋賀県議会議員、同議長、滋賀県副知事、自由民主党滋賀県支部連会長などを務めた。1961年(昭和34年)3月、滋賀県立琵琶湖文化館建設資材として砕石を寄付により1964年(昭和37年)2月27日に紺綬褒章受章。1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙に滋賀地方区から自由民主党所属で出馬して当選し、参議院議員を1期務めた。
西 貞一(にし ていいち、1907年8月31日 - 2001… 西 貞一(にし ていいち、1907年8月31日 - 2001年2月3日)は、日本の陸上競技選手(短距離走)、実業家。同志社大学在学中の1932年、ロサンゼルスオリンピックに200m走と4×400mリレーで出場。日本陸上競技選手権大会の400m走で優勝3回。第二次世界大戦後に、陸上競技用具等のメーカーであるニシ・スポーツを創業した。 京都市生まれ。京都市立第二商業学校卒業後、同志社大学に進学。 同志社大学在学中、1929年(昭和4年)に日本陸上競技選手権大会の400m走で優勝(51秒4)。1931年(昭和6年)には日本陸上競技選手権大会400m走で2度目の優勝(50秒2)。 1932年ロサンゼルスオリンピックの日本代表に選ばれ、男子200メートル走と男子4×400mリレーに出場した。
鳴坂 健二(なるさか けんじ、1907年7月30日 - 19… 鳴坂 健二(なるさか けんじ、1907年7月30日 - 1993年6月13日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長を務めた。 岡山県出身。旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、1933年に同志社大学法学部を卒業し、同年に神明自動車に入社。1943年に山陽電気鉄道に転じ、1957年11月に取締役に就任し、1959年9月に常務、1966年6月に専務、1969年11月に副社長を経て、1973年5月に社長に就任。1977年6月に取締役相談役を経て、1981年6月に相談役に就任。 1970年11月に藍綬褒章を受章し、1977年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 1993年6月13日、心不全のために死去。
八馬 駒雄(はちうま こまお、1906年〈明治39年〉11月… 八馬 駒雄(はちうま こまお、1906年〈明治39年〉11月30日 - 1963年)は、日本の商人(米穀商)、実業家。西宮酒精社長。 兵庫県西宮市出身。八馬永蔵の五男。三代八馬兼介、八馬安二良の弟。八馬眞治の兄。 1928年、同志社専門高商部卒業。1929年、分家した。米穀商を営んだ。兵庫県武庫郡良元村小林字ハクサリ(現宝塚市)で果樹園を経営した。宝梅園土地建物代表社員、多聞土地代表社員を務めた。 1949年、新朝日自動車取締役、西宮酒精社長に就任した。1950年、宝梅園農場社長を兼任した。八馬汽船取締役、同監査役を務めた。 趣味は、乗馬・読書・謡曲・運動。宗教は真宗。住所は兵庫県宝塚市小林字ハクサリ。
猿丸 吉左衛門(さるまる きちざえもん、1903年(明治36… 猿丸 吉左衛門(さるまる きちざえもん、1903年(明治36年)2月4日 - 1983年(昭和58年)1月4日)は、日本の実業家・政治家。芦屋市長(1948年 - 1952年)、兵庫県議会議員。初名は吉雄。 スポーツ黎明期に万能選手として知られた人物である。相撲では学生横綱となり、柔道でも活躍、陸上競技では砲丸投とハンマー投で日本記録を残した。 現在の兵庫県芦屋市出身。芦屋の猿丸家は猿丸大夫の末裔を称する旧家で、そのうち当主が「吉左衛門」の名を世襲する家系の出身である。 同じ名を名乗った父の猿丸吉左衛門(1853年 - 1932年)は、1928年から1930年にかけて精道村(芦屋市の前身)の村長を務めた。
大橋 理祐(おおはし りすけ、1899年(明治32年)10月… 大橋 理祐(おおはし りすけ、1899年(明治32年)10月 - 1954年(昭和29年)4月4日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧名・理三。 京都府京都市で西陣織物業・大橋理八の二男として生まれる。同志社大学経済科で学んだ。1925年(大正14年)家督を相続し理祐に改名した。 1923年(大正12年)陸軍歩兵少尉に任官し同中尉に昇進。退役後、家業の西陣織物業を営む。1930年(昭和5年)洋服部蝶屋商会を創業。その他、京都商工会議所副会頭、西陣織物工業組合理事長、全日本絹織物工業組合連合会理事、綾部製作所社長、(株) 三星取締役、京和商事取締役などを務めた。 日中戦争に出征し、留守第16師団副官、同司令部附、参謀本部調査事務嘱託などを務めた。
田中 源三郎(たなか げんざぶろう、1895年(明治28年)… 田中 源三郎(たなか げんざぶろう、1895年(明治28年)8月12日 - 1953年(昭和28年)12月24日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 兵庫県明石郡大久保村江井島(大久保町を経て現明石市)で生まれる。同志社大学、法政大学で学んだ。 兵庫県会議員に選出され、同参事会員も務めた。1937年(昭和12年)4月の第20回衆議院議員総選挙で兵庫県第3区から立憲政友会公認で出馬して当選したが、1939年(昭和14年)8月4日、衆議院議員選挙法違反事件の上告が大審院で棄却され判決が確定したため議員を退職した。戦後、1946年(昭和21年)4月の第22回総選挙で兵庫県第1区から日本自由党公認で出馬して再選され、1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で兵庫県第3区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に通算3期在任した。
松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉… 松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。位階は正三位。 パナソニックホールディングスを一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。 1894年11月27日、和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜)に、小地主松下政楠・とく枝の三男として出生。家が松の大樹の下にあったところから松下の姓を用いたとする。 1899年頃、父が米相場で失敗して破産したため、一家で和歌山市本町1丁目に転居し、下駄屋を始めた。
山口 左一(やまぐち さいち、1875年(明治8年)6月26… 山口 左一(やまぐち さいち、1875年(明治8年)6月26日 - 1936年(昭和11年)9月8日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。神奈川県中郡高部屋村長。 山口左七郎の長男として、神奈川県、のちの中郡高部屋村(伊勢原町を経て現伊勢原市)に生まれる。1912年(明治45年)2月に家督を相続する。 同志社卒業。農業を営む傍ら、高部屋村収入役、同村長、同村会議員、所得税調査委員、中郡農会副会長、県農会議員、帝国農会議員を歴任した。 実業界では産業組合中央会県支会副会長、伊勢原銀行頭取、伊勢原電気、横浜興業信託、相武電力、神奈川県農工銀行各取締役、相模銀行、農工信託各監査役を務めた。
根津 啓吉(ねづ けいきち、1874年(明治7年)2月15日… 根津 啓吉(ねづ けいきち、1874年(明治7年)2月15日 - 1954年(昭和29年)12月4日)は、山梨県出身の地主、政治家、実業家。貴族院議員を務めた。 明治7年2月15日、山梨県巨摩郡築地新居村(現在の中巨摩郡昭和町)で、父・内藤宇兵衛(思温)、母・とよの間に四男として生まれた。1893年(明治26年)に同志社普通学校を卒業、この頃にキリスト教の洗礼を受けた。1896年(明治29年)には同志社ハリス理科学校(現在の同志社大学理工学部)を卒業した。京都滞在は通算9年に及んだ。 卒業後、茨城県立水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、同下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)で教職を務めた。
近藤 賢二(こんどう けんじ、明治7年(1874年)1月 -… 近藤 賢二(こんどう けんじ、明治7年(1874年)1月 - 昭和23年(1948年))は、日本の実業家。横浜商工会議所常議員。東洋麻糸紡績、朝日スレート、日本カーボン、石綿織機、眞崎大和鉛筆、日の出石綿工業社、横浜耐火煉瓦、横浜帆布各(株)社長、昭和電極製造、昭和特殊鋼、松尾礦業、日本炭素工業、湘南電気鉄道、太平運輸、木曽発電各(株)取締役。東洋電機製造(株)監査役。 近藤家は兵庫県津名郡生穂村に住し代々庄屋を務めた家柄である。近藤正惠の長男として明治7年(1874年)1月出生し後先代みねの養子となる。明治21年(1888年)家督を相続。 明治27年(1894年)同志社を卒業。台湾総督府に勤めた後実業界に入り、サミュエル商会(シェルの前身)・ライジングサン石油(昭和シェル石油の前身)に勤務する。
清水 勇三郎(しみず ゆうざぶろう、1873年(明治6年)9… 清水 勇三郎(しみず ゆうざぶろう、1873年(明治6年)9月25日 - 1949年(昭和24年)11月26日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。愛媛県松山市長。 愛媛県久米郡山之内村(現・東温市)にて生まれる。同志社予備校を経て、早稲田専門学校を卒業する。北吉井村で酒造業および鉱山業に従事。松山市に移り住み、日本織物取締役、久万索道会社専務取締役、海南新聞(愛媛新聞の前身)専務取締役を歴任する。 1922年(大正11年)1月より松山市会議員に3選し、1933年(昭和8年)11月に松山市助役に就任し2期務めた。1938年(昭和13年)9月8日に松山市長に当選。同15日、助役を辞し、市長に就任した。
石橋 為之助(いしばし ためのすけ、1871年7月19日〈明… 石橋 為之助(いしばし ためのすけ、1871年7月19日〈明治4年6月2日〉 - 1927年〈昭和2年〉4月28日)は、日本の政治家、実業家、新聞記者。第6代神戸市長。衆議院議員(大阪府大阪市選出、当選3回、公正会)。族籍は大阪府平民。大阪生まれ。 1871年7月19日(明治4年6月2日)、大阪府西成郡曾根崎村(現・大阪府大阪市)で石橋有三郎の二男として生まれた。1886年(明治19年)、15歳の時に小学校教員検定試験に合格し、20歳まで教員として働きながら英語を勉強し、1891年(明治24年)9月に京都同志社神学部選科に入学、学資が続かず中途退学し、以来独学自修する。米国に遊学。 朝日新聞社(大阪朝日新聞)に入社すると在職中に衆議院選挙に立候補・当選し、10年間国会議員も務めた。
津田 鍛雄(つだ かじお、1871年6月22日(明治4年5月… 津田 鍛雄(つだ かじお、1871年6月22日(明治4年5月5日)- 1921年(大正10年)11月30日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。 備前国児島郡天城村(岡山県児島郡藤戸村、藤戸町を経て現倉敷市藤戸町天城)で、岡山藩天城池田家家臣・津田一陣の長男として生まれた。6歳で父(陸軍少尉)は西南戦争(田原坂の戦い)で戦死した。小学校、大津開達学校を経て、1894年(明治17年)9月、京都同志社に入り、1889年(明治22年)同志社普通学校を卒業。その後、東京専門学校(現早稲田大学)英語政治科で学んだ。 1895年(明治28年)9月に帰郷。有志と岡山英学校を設立。また、味野紡績、児島銀行の創設にも参画し、同行相談役、同支配人を務めた。
矢野 七三郎(やの しちさぶろう、1855年(安政2年) -… 矢野 七三郎(やの しちさぶろう、1855年(安政2年) - 1889年(明治22年)12月24日)は、伊予国野間郡宮脇村(現在の愛媛県今治市大西町宮脇)出身の日本の実業家。「伊予ネル」の創始者であり、「今治綿業の父」と呼ばれる。 1855年(安政2年)、伊予国野間郡宮脇村(現在の愛媛県今治市大西町宮脇)の矢野家の長男として生まれた。幼名は通正。父は矢野節太、母は美喜。幼少期には山本五左衛門に学んだ。1879年(明治12年)の今治に四国初のプロテスタント教会(会衆派)が設立されると、七三郎はキリスト教に入信し、キリスト教指導者の横井時雄と親交を深めた。のちに同志社大学を設立する新島襄や、のちに小説家となる徳冨蘆花と知り合っている。
石村 繁一 は、日本の経営者。ナムコ社長を務めた。奈良県出身… 石村 繁一 は、日本の経営者。ナムコ社長を務めた。奈良県出身。
藤井 友子(ふじい ともこ)は、日本の染匠、実業家。彩琳株式… 藤井 友子(ふじい ともこ)は、日本の染匠、実業家。彩琳株式会社、富宏染工株式会社代表取締役社長。開志専門職大学客員教授。 国指定の伝統的工芸品である手描き京友禅の染匠として伝統文化を守りながらも時代の流れに柔軟な姿勢を見せ、日常のおしゃれ着として使える小紋や付け下げなどの着物をメインとした『tomihiro』や、日常の生活の中に京都の着物を感じさせるコンセプトのブランド『RITOFU』を立ち上げ、タンブラーなどの日用品や名刺入れ、バッグなどを製作したり、『IROMORI』というブランドでは、手描き友禅の技法を応用したファブリックを創出するなど、京友禅の可能性を広げる新しい取り組みを行う。 京都・室町に一人っ子として生まれ育つ。
梅原 伸宏(うめはら のぶひろ)は奈良県出身の作家、セミナー… 梅原 伸宏(うめはら のぶひろ)は奈良県出身の作家、セミナー講師、BBAインストラクター、実業家。 1964年、奈良県生まれ。同志社大学を卒業後、一度銀行に就職するが辞職し、ミカサスポーツ代表取締役に就任。 2003年から野球のグラブのオリジナルブランド「BBA」を創設。 2015年には、東日本大震災の復興支援の一環として、奈良の大仏の手にはめられる、約3.6メートルの「大仏グラブ」を作成、奉納した。大仏グラブは翌年に通常の大きさのグラブ52個に作り直され、東日本大震災および熊本地震の被災地に寄贈されている。 2019年には正しい投球フォームをアシストするグラブ「ダブルベルトグラブ」として開発し、特許も取得した。
櫻井 慎也(さくらい しんや)は、日本製工芸品のオンラインス… 櫻井 慎也(さくらい しんや)は、日本製工芸品のオンラインストアおよびショールームを運営する職人.com株式会社の創業者兼代表取締役。 富山県小矢部市出身[要出典]。8歳から15歳までをシンガポールで過ごし、2003年に同志社大学商学部を卒業する。高砂香料工業に10カ月勤めたのち起業した[要出典]。約130カ国を訪れている旅人でもある。
林 博文(はやし ひろふみ)は日本の実業家。INTLOOP株… 林 博文(はやし ひろふみ)は日本の実業家。INTLOOP株式会社 代表取締役。 同志社大学法学部法律学科卒業後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア株式会社)に入社。その後、ベンチャー企業、再度アクセンチュアを経て、2005年2月にINTLOOP株式会社を創業。専門技術を持つフリーランスと社員を混成チームにして顧客企業に派遣し、企業のDX推進をサポートすることで業績を伸ばす。 高校時代から独立志向が強く、弁護士や公認会計士のような資格を取り開業することを考えていたため、同志社大学法学部法律学科に進学。実際には司法試験をめざさずに学生生活を享受する。就職は実力主義で鍛えられる会社に行きたいと考え、外資系企業を中心に活動。
福井 正興(ふくい まさおき)は福寿園代表取締役社長(9代目… 福井 正興(ふくい まさおき)は福寿園代表取締役社長(9代目)。日本青年会議所の第60代会頭。 1971年に京都府で生まれる。1994年同志社大学商学部卒業後、同年4月株式会社福寿園入社。入社後2年間は農林水産省 野菜・茶業試験場にてお茶づくりの基礎を学んだ。2001年京都青年会議所に入会。2008年には理事長に就任。翌年の2009年と2010年には日本青年会議所副会頭に就任。その翌年の2011年には日本青年会議所会頭に就任した。2012年には日本青年会議所の直前会頭に就任した。その後は福寿園の専務取締役営業本部長や同社代表取締役副社長等を歴任後2013年5月、同社代表取締役社長に9代目として就任。