菅井 基裕(すがい もとひろ、1929年6月15日 - 20… 菅井 基裕(すがい もとひろ、1929年6月15日 - 2022年6月9日)は、日本の実業家。阪急電鉄(現阪急阪神ホールディングス)代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 兵庫県出身。関西学院高等部を経て、1953年に関西学院大学経済学部卒業。同年に京阪神急行電鉄(現阪急阪神ホールディングス)入社。1983年6月に取締役に昇格。1986年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1990年6月には副社長に就任した。 1993年から阪急電鉄代表取締役社長を務めた。社長在任時には、1995年の阪神・淡路大震災で被災した神戸線などの路線の復旧の陣頭の指揮を執り、流通事業の参入などを行い、従来の鉄道事業に依存したビジネスモデルの脱却を図った。
石阪 春生(いしさか はるお、1929年5月6日 - 201… 石阪 春生(いしさか はるお、1929年5月6日 - 2019年12月24日)は、日本の洋画家。小磯良平の弟子。新制作協会会員。 兵庫県神戸市兵庫区出身。1951年(昭和26年)関西学院大学経済学部卒業。詩人の竹中郁は叔父。 自らに内在する「永遠の女性像」を探求した「女のいる風景」シリーズで、神戸を代表する画家の一人として関西を中心に幅広く知られている。その作風は、白を基調とした瀟洒な色調の画面に、都会の憂愁を感じさせる中世ヨーロッパ風の人形のような女性たちを、油彩・版画・素描・コラージュといったさまざまな手法を用いて、繊細かつ幻想的な筆致で描くものであった。 神戸市湊西区(現・兵庫区)の製粉業を営む商家に生まれる。
三枝 和子(さえぐさ かずこ、1929年3月31日 - 20… 三枝 和子(さえぐさ かずこ、1929年3月31日 - 2003年4月24日)は、日本の小説家。 旧姓四本。夫は文芸評論家の森川達也。『葬送の朝』で注目されて以来、反リアリズム的手法を用いた実験的作品を書き続けた。日本ペンクラブ女性作家委員会初代委員長。 兵庫県神戸市出身。1948年兵庫師範学校女子部(明石分校)卒、旧制関西学院大学文学部哲学科に入学、1950年卒業、同大学院文学研究科修士課程に進学、武市健人にヘーゲルを学ぶ。1951年中退、森川(本名三枝)と結婚。中学校教師をしながら、森川らと同人雑誌『文藝人』を創刊。1963年、森川が兵庫県の実家の寺を継いだため、東京に仕事場をもち、東西往復生活が始まる。
三杉 隆敏(みすぎ たかとし、1929年2月24日 - )は… 三杉 隆敏(みすぎ たかとし、1929年2月24日 - )は、陶磁器学者。兵庫県西宮市出身。中国陶磁の海上交易の分布と技術交流を研究し、海のシルクロードを提唱する。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
河野友美(こうの ともみ、1929年2月1日-1999年2月… 河野友美(こうの ともみ、1929年2月1日-1999年2月23日)は、日本の食品研究家。 兵庫県出身。関西学院大学卒。大阪市立大学助手などをへて、1968年大阪薫英女子短期大学教授。1964年河野食品研究所を設立し所長となる。食品学,栄養学・調理科学・嗜好学をベースに生活文化を研究した。
中園 康夫(なかぞの やすお、1928年8月29日 - 20… 中園 康夫(なかぞの やすお、1928年8月29日 - 2003年11月13日)は、日本の社会福祉学者。兵庫県出身。幼少時は北海道で過ごす。 ノーマリゼーション(英米の発音の違いによりノーマライゼーションとも)理念を日本に初めて紹介した研究者であり、その後も日本における同研究の理論的リーダーとして活躍した。 四国学院大学の学長(2期)、日本社会福祉学会の理事(3期)、また吉備国際大学副学長(1期)を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
水谷 昭夫(みずたに あきお、1928年8月28日 - 19… 水谷 昭夫(みずたに あきお、1928年8月28日 - 1988年12月2日)は、日本近代文学研究者。大阪府大阪市生まれ。キリスト教の観点から日本近代文学を論じた。
黒田 実郎(くろだ じつお、1928年6月1日-1999年8… 黒田 実郎(くろだ じつお、1928年6月1日-1999年8月18日)は、幼児心理学者。 大阪市生まれ。1952年関西学院大学大学院心理学博士課程満期退学、ロンドン大学大学院心理学博士課程修了、聖和女子短期大学専任講師、55年助教授、61年教授、64年聖和女子大学教授、1970年「条件づけによる幼児の行動変容に関する実験研究」で関西学院大学文学博士。80年聖和大学教育学部教授。99年定年退任。没後正五位勲三等瑞宝章受勲。ジョン・ボウルビィのアタッチメント理論の権威であった。
山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田、1928年3月19… 山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田、1928年3月19日 - 2021年2月12日)は、日本のフィギュアスケート選手、コーチ。大阪府大阪市出身。大手前高等女学校(現・大阪府立大手前高等学校)、関西学院大学卒。155cm。長女は元フィギュアスケート選手で1968年グルノーブルオリンピック、1972年札幌オリンピック女子シングル日本代表の山下一美(現姓・大西)。 6歳のとき、大阪・中之島にあった朝日会館内のリンクで永井康三に師事し、スケートを始めた。 1938-1939年と1939-1940年シーズンの全日本フィギュアスケートジュニア選手権で2連覇を果たし、1940-1941年の全日本フィギュアスケート選手権で3位となった。
嶋本 昭三(しまもと しょうぞう、1928年1月22日 - … 嶋本 昭三(しまもと しょうぞう、1928年1月22日 - 2013年1月25日)は、日本の芸術家、現代美術家。京都教育大学名誉教授、宝塚造形芸術大学教授、日本障害者芸術協会会長、具体美術協会会員。 長男はジャズトランペッターの嶋本高之(しまもと たかし、1964年 - )。二男はバリトン歌手の嶋本晃(しまもと あきら、1969年 - )。 大阪府生まれ。関西学院大学文学部卒業。 1954年、戦後日本の現代美術を代表する「具体美術協会」の創立メンバーとなる。「具体」という名の提案者。以降主な具体全展に出品。具体美術展に出展した、瓶詰した絵具を画面上で炸裂させる大砲絵画パフォーマンスや、ヘリコプターよりペイントを落としての絵画制作パフォーマンスなどが有名。
マサ アカシ(まさ あかし、本名:明石正義、(あかしまさよし… マサ アカシ(まさ あかし、本名:明石正義、(あかしまさよし)1928年 - 2023年)は、水彩画家、イラストレーター、ファッションデザイナー。イラスト専門学校マサモードアカデミー主宰。明石マサとも。 日本のファッション・イラストレーターの草分け的存在。 この項目は、ファッション関係の人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル ファッション)。
桐山 輝彦(きりやま てるひこ、1927年7月17日 - 2… 桐山 輝彦(きりやま てるひこ、1927年7月17日 - 2017年5月7日)は、日本の経営者。神戸屋社長、会長を務めた。 大阪府出身。1950年に関西学院大学経済学部を卒業。三井銀行での勤務を経て、1954年に神戸屋に転じ、取締役、常務、専務を経て、1971年に社長に就任し、1991年には会長に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2017年5月7日、肺炎のために死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
磯 博(いそ ひろし、1927年5月24日 - 2006年1… 磯 博(いそ ひろし、1927年5月24日 - 2006年1月26日)は、日本の美術史学者。関西学院大学名誉教授。専攻は日本美術史。 夫人は松蔭中学校・高等学校校長の磯由美子。
藤木 正三(ふじき しょうぞう、1927年3月5日 - 20… 藤木 正三(ふじき しょうぞう、1927年3月5日 - 2015年1月22日)は、日本の牧師、神学者。 大阪府生まれ。旧制高校から関西学院大学文学部神学科に入り、53年同神学部卒、1955年同大学院修了。暁明教会牧師、京都御幸町教会牧師。1993年引退。
杉本 茂雄(すぎもと しげお、1926年12月4日 - 20… 杉本 茂雄(すぎもと しげお、1926年12月4日 - 2002年4月2日)は兵庫県神戸市出身のサッカー選手、実業家。選手時代のポジションはHB、FB。 兵庫県立第一神戸中学校を経て関西学院大学法学部に入学。在学中はサッカー部に所属した。1948年3月に大学を卒業し、同年4月に京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)に入社。 同社入社後もサッカーを続け、鴇田正憲らと共に「関学クラブ/全関学」(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として1950年、1953年および1955年の全日本選手権大会 (現:天皇杯全日本サッカー選手権大会)の優勝に貢献した。 1951年2月11日の全関西戦で日本代表として初出場 し、1951年3月にインドで開催されたアジア競技大会、1954年3月の1954 FIFAワールドカップ・予選など国際Aマッチ3試合を6試合に出場した。
柘植 一雄(つげ かずお、1926年8月1日 - 1996年… 柘植 一雄(つげ かずお、1926年8月1日 - 1996年11月30日 )は、日本の西洋史学者。専門は、古代ギリシャ史・ヘレニズム史。関西学院大学教授、文学部長、学長を歴任した。 1926年、広島県広島市生まれ。1948年、関西学院大学文学部神学科に入学するも、1951年に文学部史学科に転科する。粟野頼之祐に師事し、古代ギリシャ史・ヘレニズム史を専攻。同大学院博士課程を経て、1956年に文学部嘱託助手となり、1972年、教授に就任する。文学部長を歴任後、1989年から、学長を2期5年務めた。1995年3月に同大学退職。
加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 … 加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 - 2013年(平成25年)1月30日)は、日本の経済学者。学位は経済学博士(慶應義塾大学)、慶應義塾大学名誉教授。名は「かん」と有職読みすることもある。政府税制調査会会長、内閣府規制改革担当顧問、嘉悦大学学長、千葉商科大学名誉学長、日本経済政策学会会長・日本計画行政学会会長・ソ連東欧学会代表理事・公共選択学会会長等を歴任。
片岡 真太郎(かたおか しんたろう、1926年3月23日 -… 片岡 真太郎(かたおか しんたろう、1926年3月23日 - 2016年11月1日)は、洋画家。 大阪府大阪市東区に生まれる。鈴木信太郎に師事。1948年、関西学院大学在学中に第3回行動美術展に初入選。1959年にシェル美術賞展佳作賞を受賞し、その後も朝日選抜新人展、第3回ふらんす・クリティック賞絵画展、「現代美術の動向」展などに出品。1961年には神戸市立美術館の新鋭作家展に『神将』を招待出品し、神戸新聞社賞を受賞する。同作品は1963年の京都国立近代美術館開館展にも招待出品された。1960年代に高橋和巳、五木寛之、永井龍男、曽野綾子等の挿絵や装丁を担当し、1974年に第5回講談社出版文化賞・さしえ賞を受賞した。
荒川 克郎(あらかわ かつろう、1926年1月26日 - 2… 荒川 克郎(あらかわ かつろう、1926年1月26日 - 2021年6月6日)は、日本の経営者。神戸新聞社社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1948年に関西学院大学経済学部を卒業し、1949年に神戸新聞社に入社した。1976年に監査役に就任し、1979年に取締役、1982年に専務を経て、1987年に社長に就任。1997年に会長を経て、1999年に相談役に就任。社長在任時には、1995年の阪神淡路大震災の際には、本社屋に大きな被害が出ている中でも、京都新聞社の協力を得た上で新聞の発行を継続した。1998年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2021年6月6日老衰のために死去。95歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
村上 三郎(むらかみ さぶろう、1925年6月27日 - 1… 村上 三郎(むらかみ さぶろう、1925年6月27日 - 1996年1月11日)は、日本の芸術家。 息子は漫画評論家の村上知彦。 兵庫県神戸市に生まれる。1943年、関西学院大学予科に入学。絵画部「弦月会」に入部する。神原浩に師事し、油絵を始める。1948年、同大学文学部哲学科を卒業。1950年、同大学大学院美学科を修了。 1952年、田中敦子、金山明、白髪一雄らと「0会」結成。1955年、田中、金山、白髪らと共に、吉原治良をリーダーとする具体美術協会に参加。木枠に張った多数の紙を突き破って通り抜けるパフォーマンス『紙破り』で知られる。 1990年、神戸松蔭女子学院大学短期大学部の教授となる。1996年1月11日、自宅で死去。
鴇田 正憲(ときた まさのり、1925年6月24日 - 20… 鴇田 正憲(ときた まさのり、1925年6月24日 - 2004年3月5日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手、経営者。1940年代から1950年代の日本を代表する右ウイング。 神戸市立西灘小学校、兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高校)を経て、1944年に関西学院大学経済学部に入学。在学中はサッカー部に所属し、関西学生サッカーリーグなどで優勝した。 1950年3月に大学を卒業後、1950年4月に田辺製薬(現:田辺三菱製薬)に入社。サッカー部では、賀川太郎とのコンビで活躍し、全日本実業団サッカー選手権大会で6連覇を含む7回の優勝に貢献。また、杉本茂雄らと共に「関学クラブ/全関学」(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として全日本選手権大会 (現:天皇杯全日本サッカー選手権大会)で4回の優勝の優勝に貢献した。
田辺 広雄(田邊 廣雄、たなべ ひろお、1925年1月15日… 田辺 広雄(田邊 廣雄、たなべ ひろお、1925年1月15日 - 1999年4月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、名古屋市会議員(5期)、守山市議会議員などを務めた。 愛知県名古屋市生まれ。父親は守山町長を務めた。関西学院大学専門学校政経科卒業後、家業の毛織物会社を継いだ。1955年、守山市議会議員に立候補し当選。1963年に守山市が名古屋市と合併した後は名古屋市会議員を5期務め、議長も務めた。 1983年の衆議院選挙と1986年の衆議院選挙に旧・愛知1区から立候補するが落選。自民党内では安倍派に所属し、竹下派の今枝敬雄と公認を争った。 1990年2月18日に行われた衆議院選挙に自民党の公認を得て立候補し初当選。
原 乙彦(はら おとひこ、1925年1月1日 - )は、日本… 原 乙彦(はら おとひこ、1925年1月1日 - )は、日本の実業家。「先祖は嵯峨天皇の第12皇子で光源氏の実在モデルの有力候補とされる源融(みなもとのとおる)にまで遡る(アーカイブ)」矢橋家・本家の出身。大日本紡績(ユニチカの前身)が第二次世界大戦後における海外進出の一番手として名乗りをあげた際にサンパウロ現地において準備にあたった。元ユニチカ通商 (現・ユニチカトレーディング) 社長。 1925年、美濃赤坂にて、父・矢橋次郎と母・絹の三男として生まれる。矢橋家は美濃赤坂の旧家・素封家で、一族で赤坂銀行(現・十六銀行赤坂支店)などを経営していた。乙彦は大垣中学校から関西学院大学予科へ進む。1948年関西学院大学商経学部卒業。
藤井 則和(ふじい のりかず、1925年 - 1992年11… 藤井 則和(ふじい のりかず、1925年 - 1992年11月16日)は、日本の男子卓球選手。出身は京都府京都市。 関西学院大学で学び、同校代表として全日本学生卓球選手権大会に出場。彼は男子シングルス優勝3回および男子ダブルス優勝3回の成績を残した。また全日本卓球選手権大会で優勝5回。 1952年、日本代表としてムンバイでの世界卓球選手権に出場。男子団体戦で銅メダル。男子ダブルスでは林忠明と組んで優勝した。 1992年11月16日、脳血栓のため死去。
志摩 直人(しま なおと、1924年11月10日 - 200… 志摩 直人(しま なおと、1924年11月10日 - 2006年9月14日)は詩人、競馬評論家。 徳島県出身。関西学院大学文学部英文学科卒、同大学院美学研究科修士課程修了。 詩を数多く発表するとともに競馬に対する造詣も深く、競馬中継(関西テレビ)では1960年代からメイン解説者として出演。競馬に関する詩を番組内で数多く取り上げた。 競馬詩集「風はその背にたてがみに」は競馬書籍として空前のベストセラー商品となった。 競走馬テンポイントのファンでもあった。 2004年、JRA50周年功労賞を獲得。 2006年9月14日、心筋梗塞のため死去。81歳没。 同年、関西テレビの第67回菊花賞の中継内において馬場鉄志アナウンサーが「この実況を志摩先生に捧げたいと思います。
松島 茂雄(まつしま しげお、1924年(大正13年)4月1… 松島 茂雄(まつしま しげお、1924年(大正13年)4月14日 -1982年(昭和57年)11月2日)は、日本の実業家、美容指導者、和装教育者、ヨガ指導者、文学士、美容師、僧侶。本名 松嶌茂雄。 関西学院大学卒業後、東宝撮影所・美粧部に勤務。退職後、美容研究会・日本尚美会を発会、会長に就任。和装教育団体・全日本和装協会、ヨガ健康法普及団体・国際ヨガ協会を創立。連合会会長として各会の指導・運営に当たる。株式会社尚美会・代表取締役。宗教法人神通山千光院・院主。 1924年〈大正13年〉4月14日、大阪府豊中市に松嶌伊左衛門の長男として誕生。旧制豊中中学・剣道部で全国制覇するなど活躍。関西学院大学・文学部在学中からスポーツ新聞や美術写真集、雑誌 「文芸復興」などの出版事業を手掛ける。
城崎 進(じょうさき すすむ、1924年3月26日 - 20… 城崎 進(じょうさき すすむ、1924年3月26日 - 2017年8月1日)は、日本の神学者。専門は旧約聖書学。関西学院大学名誉教授、名誉神学博士。 兵庫県西宮市出身。1946年関西学院大学商経学部卒業。同大学院に在籍後、文学部神学科に編入学。相浦忠雄教授の下で、旧約聖書学を専攻した。1951年に文学部神学科助手に就任、その際神学部開設のための実務に当たった。1954年よりアメリカのユニオン神学校に留学。1963年に関西学院大学神学部教授。1969年の大学紛争時に学長代行代理として学内正常化に努力する。その後、院長代行代理、学長代理、院長代理などを歴任し、1977年に神学部長、1981年から学長を務めた。
大谷 晃一(おおたに こういち、1923年11月25日 - … 大谷 晃一(おおたに こういち、1923年11月25日 - 2014年5月25日)は、日本の作家、時事評論家、帝塚山学院大学名誉教授・元学長。 大阪府生まれ。関西学院大学法文学部卒業後、朝日新聞社入社。大阪本社学芸部次長、編集委員を歴任。その間の1971年、「続関西名作の風土」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。 1979年、帝塚山学院大学教授就任。1997年には、同大学の学長に就任。2001年に退任後、同大学名誉教授。 大阪を中心とした伝記文学、歴史小説、近代日本文学研究で著書多数。 「大阪学」シリーズはロングセラーで、個別都市学もののさきがけとなった。また、沖積舎から『大谷晃一著作集』全6巻を刊行。
扇田博元(おうぎだ ひろもと、1923年11月1日 - )は… 扇田博元(おうぎだ ひろもと、1923年11月1日 - )は、日本の教育学者。 奈良県生まれ。本名・常博。関西学院大学文学部教育学科卒、同大学院教育心理学修士課程修了、大伴教育研究所員、大阪府教育研究所員、大阪府科学教育センター主事、奈良文化女子短期大学教授、兵庫女子短期大学教授、近畿大学教養学部教授、ニューポート大学教授。日本個性教育研究会会長。
山田 基三(やまだ もとぞう、1923年5月28日 - 20… 山田 基三(やまだ もとぞう、1923年5月28日 - 2006年4月3日)は、日本の経営者。関西ペイント社長を務めた。 大阪府出身。1943年に関西学院高等商業学校(現在の関西学院大学商学部)を卒業し、同年に関西ペイントに入社。1970年11月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1989年6月には会長に就任した。 1987年4月に藍綬褒章を受章。 2006年4月3日に肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
瀧川 元男(たきがわ もとお 1923年 - 1981年)は… 瀧川 元男(たきがわ もとお 1923年 - 1981年)は、日本の文学者。 1959年に出版された『創立70周年関西学院大学文学部記念論文集』にアーネスト・ヘミングウェイに関する論文を寄稿。 日本英文学会第37回大会ではアメリカにおけるロマンス小説の流れを報告する。 志賀勝 (アメリカ文学者)のアメリカ文学論の序文は寿岳文章が書いていたのであるが、それの最後に志賀勝の学統を受け継いでいるのは瀧川元男であると述べられている。瀧川元男は出版の事務や細かい索引を作るということをしていた。佐藤清 (英文学者)の信頼が厚かったのが志賀勝で、その系統を瀧川元男が関西学院大学で継いでいたとされる。
和田 繁(わだ しげる、1922年11月10日- 2021年… 和田 繁(わだ しげる、1922年11月10日- 2021年6月21日 )は、日本の経営者、経済学者。イズミヤ社長を務めた。 大阪府出身。1947年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年に同大学教授に就任し、1978年4月には商学部長、1991年4月に名誉教授を歴任。宮内義彦も彼のゼミに所属していた。その一方で、1956年にイズミヤ監査役に就任し、1960年に取締役、1971年に取締役相談役を経て、1998年5月に社長に就任。2001年2月には会長に就任。 1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章 2021年6月21日、老衰のために死去。98歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
作田 啓一(さくた けいいち、1922年1月31日 - 20… 作田 啓一(さくた けいいち、1922年1月31日 - 2016年3月15日)は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。元日本社会学会会長。第31回(平成24年度)京都府文化賞特別功労賞。京都帝大教授・満州建国大学副総長だった経済学者の作田荘一の長男。妻は作家の折目博子。 山口県山口市に生まれる。関西学院大学卒、1948年(昭和23年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業し、西京大学(現:京都府立大学)助教授を経て1959年(昭和34年)京都大学教養部助教授、1966年(昭和41年)教授。1985年定年退官、京都大学名誉教授となる。1985年から1995年まで甲南女子大学教授を務め、人間学としての社会学を追求した。
山口 敏雄(やまぐち としお、1921年(大正10年)8月1… 山口 敏雄(やまぐち としお、1921年(大正10年)8月1日 - 2014年(平成26年)4月8日)は日本の実業家。元神鋼商事社長。元神戸製鋼所顧問。広島県出身。旧姓:木村。
大松 博文(だいまつ ひろふみ、1921年2月12日 - 1… 大松 博文(だいまつ ひろふみ、1921年2月12日 - 1978年11月24日)は、日本のバレーボール指導者、政治家。参議院議員(1期)。香川県綾歌郡宇多津町出身。 ニチボー貝塚監督時代は、自ら育て上げた東洋の魔女を率いて、辞任までに175連勝を記録。1962年(昭和37年)、第4回女子世界選手権でソ連を破り優勝。国民的英雄として迎えられる。1964年東京オリンピックでは全日本女子を監督として金メダルに導く。「回転レシーブ」などを考案、その過酷な練習で「鬼の大松」ともいわれた。情報誌『imidas2001』(集英社)の「20世紀を創った人々550」では、バレーボールの分野で前田豊、猫田勝敏と並んで3人のうちの1人に数えられた。
西村 彦次(にしむら ひこじ、1920年10月26日 - 2… 西村 彦次(にしむら ひこじ、1920年10月26日 - 2003年1月25日)は、日本の経営者。マンダム社長、会長を務めた。大阪府出身。 1941年に関西学院大学文学部英文科を卒業。桃谷順天舘での勤務を経て、1947年に金鶴香水に転じ1949年に専務を経て、1961年5月には丹頂(のちのマンダム)社長に就任。1980年8月に会長、1995年6月に取締役相談役を経て、1998年6月には相談役に就任。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 2003年1月25日、腎臓癌のために死去。82歳没。
田中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 20… 田中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 2007年12月20日)は、日本の映画監督である。関西学院大学文学部卒業。大阪市東区(現・中央区)船場出身。
西村 兵部(にしむら ひょうぶ、1920年5月28日 - 1… 西村 兵部(にしむら ひょうぶ、1920年5月28日 - 1976年6月3日)は、美術史学者。 大阪府大阪市生まれ。関西学院専門部文学部英文科を経て1944年台北帝国大学文政学部史学科卒業。奈良の育英高等学校教諭の後、1948年奈良国立博物館に勤務、1961年資料室長、1964年普及室長、1967年資料室長、学芸課長、1972年大阪市立美術館長となった。染織工芸史の研究を専門とし、正倉院宝物の古裂調査を宮内庁より委嘱された。1976年6月3日、心筋梗塞のため京都の鞍馬口病院で死去。従五位勲五等双光旭日章を追贈された。
関 俊治(せき しゅんじ、1920年〈大正9年〉3月4日 -… 関 俊治(せき しゅんじ、1920年〈大正9年〉3月4日 - 2001年〈平成13年〉11月29日)は、昭和時代に活躍した日本の随筆家・文芸評論家。群馬県立図書館長・群馬県文学会議議長などを歴任した。 1920年(大正9年)群馬県吾妻郡中之条町に生まれる。旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)から関西学院大学に進み卒業。 県立高校教諭として勤めたのち、群馬県教育委員会社会教育課に勤務。県立社会教育館長、県立図書館長などを歴任。『形成』『果実』『みやま』などの同人誌に評論・随筆の発表を続けた。 1970年(昭和45年)風雷文学賞、1972年(昭和47年)高橋元吉文学賞を受賞。1987年(昭和62年)群馬県文学会議議長となる。
青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )… 青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)。
長瀬 彰造(ながせ しょうぞう、1918年2月5日 - 20… 長瀬 彰造(ながせ しょうぞう、1918年2月5日 - 2006年5月31日)は、日本の経営者。長瀬産業社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1942年に関西学院大学商経科を卒業。 内外製鋼所での勤務を経て、1944年に長瀬産業に転じ、1947年に取締役に就任し、1956年に常務、1962年に専務を経て、1968年に副社長に就任し、1982年1月には社長に就任。1987年6月に会長に就任し、1999年6月には相談役に就任。 1983年4月に藍綬褒章を受章し、1989年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2006年5月31日心不全のために死去。88歳没。
岩崎 利夫(いわさき としお、1917年9月30日 - 没年… 岩崎 利夫(いわさき としお、1917年9月30日 - 没年不明)は、兵庫県出身のプロ野球選手。
那須 聖(なす きよし、1916年4月 - 2017年6月)… 那須 聖(なす きよし、1916年4月 - 2017年6月)は、ニューヨーク在住の外交評論家。 大正5年4月、米国カリフォルニア州に生まれる。 6歳の時、東京に移住。翌年、関東大震災を体験。 神戸に移り、関西学院大学で心理学を専攻。 当時から心理学界で異端視されていた霊を研究対象にする超心理学の研究を始める。 卒業後、昭和15年、東京帝国大学航空研究所嘱託として航空心理学の研究に従事。真珠湾奇襲攻撃直後に陸軍に応招。 戦後、毎日新聞社に入社。 昭和27年、コロンビア大学で国際関係論・国際機構論を専攻。 毎日新聞社外信部副部長、ワシントン特派員、ニューヨーク支局長、論説委員を歴任。 退社後、ニューヨークで外交評論家として新聞、雑誌などに寄稿する傍ら、各地で講演を行い、この間、吉田茂首相をはじめ、9名の日本の首相と対談。
庄野 英二(しょうの えいじ、1915年11月20日 - 1… 庄野 英二(しょうの えいじ、1915年11月20日 - 1993年11月26日)は、日本の児童文学者。元帝塚山学院大学学長。 父は帝塚山学院の初代校長・庄野貞一。桃山中学校の元教員で、1917年に帝塚山小学校が開校する際に弱冠30歳で校長に抜擢された。弟は作家の庄野潤三。山口県萩市に生まれ、生後まもなく大阪に移る。1936年関西学院専門部文学部哲学科卒業。在学中から創作をし、佐藤春夫、坪田譲治(びわの実学校)に師事する。 1937年入営、北満洲にいる時日中戦争がある。1940年負傷して帰還。1942年ジャワ俘虜収容所に勤め武田麟太郎、佐藤春夫と交友。敗戦時はマレーにあって一時抑留、1946年帰国。
本間 一夫(ほんま かずお、 1915年(大正4年)10月7… 本間 一夫(ほんま かずお、 1915年(大正4年)10月7日 - 2003年(平成15年)8月1日)は、日本点字図書館の創立者。点字図書・録音図書の製作と貸出を主とする図書館事業に取り組み、視覚障害者の読書環境向上に貢献した。 北海道増毛町の商家丸一本間家に生まれる。1920年(大正9年)、脳膜炎にかかり視力を失う。1929年(昭和4年)、函館盲唖院に3年生として入学。点字を知る。琵琶の稽古を始める。1932年(昭和7年)、北海道弁論大会で2位を取る。演題は「明日の希望に生きよ」。1933年(昭和8年)、函館の組合教会で岩橋武夫の講演を聴く。東北・北海道弁論大会で1位を取る。演題は「聞け黎明に高鳴る響きよ」。
高木 史朗(たかぎ しろう、1915年8月17日 - 198… 高木 史朗(たかぎ しろう、1915年8月17日 - 1985年2月12日)は、宝塚歌劇団の劇作家・演出家。兵庫県出身。 関西学院大学卒業後、1936年に宝塚少女歌劇団に入り、1940年に演出家としてデビューした。 進取の気風で宝塚に新たな境地を開拓した。 1970年の日本万国博覧会では、閉会式の演出を担当した。 白井鐵造・内海重典とともに、宝塚の三巨匠に数えられる。 2014年、『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂表彰。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
松永 亀三郎(まつなが かめさぶろう、1915年3月2日 -… 松永 亀三郎(まつなが かめさぶろう、1915年3月2日 - 1997年9月29日)は、日本の実業家。中部電力社長や、同社会長、中部経済連合会会長、中部航空調査会理事長、涼仙ゴルフ倶楽部理事長等を務めた。 長崎県壱岐島出身。松永安左エ門の甥。1936年関西学院高等商業学校(現関西学院大学)卒業、合同電気入社。1985年から中部電力社長を務めた。1989年涼仙ゴルフ倶楽部理事長。1991年同社会長及び中部経済連合会会長に就任。中部航空調査会理事長も務め、中部国際空港計画などにあたった。 墓所は川崎市春秋苑。
渡辺 武雄(わたなべ たけお、1914年9月24日 - 20… 渡辺 武雄(わたなべ たけお、1914年9月24日 - 2008年3月17日)は、日本の演出家、振付家。第二次世界大戦後、長く宝塚歌劇団で活動し、名誉理事となった。 台湾の台北市生まれ。 1933年、関西学院大学に入学して劇研究会に所属し、同期生であった高木史朗に紹介された白井鐵造の助言で、出口秀子に師事してバレエを学ぶ。 1938年、大学を中退して上京し、高木史朗に紹介された日劇ダンシングチームの振付家・益田隆の助手となり、1940年には東宝舞踊隊公演『燃ゆる大地・台湾』で、初めて本格的な演出を手がけた。 その後、活動の拠点を東京から大阪へ移し、大阪松竹少女歌劇団 (OSK) を経て、1946年に大阪・梅田劇場の東宝ダンシングチーム設立に参画するとともに、関西学院大学に復学して1949年に卒業した。
鳥越 憲三郎(とりごえ けんざぶろう、1914年2月8日 -… 鳥越 憲三郎(とりごえ けんざぶろう、1914年2月8日 - 2007年3月23日)は、日本の宗教学者・民俗学者・歴史学者。 岡山県出身。関西学院大学法文学部卒、1962年「琉球宗教史の研究」で東京文理科大学(後の東京教育大学)文学博士。大阪学芸大学講師、助教授、1967年校名変更で大阪教育大学助教授、1973年教授。1979年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授。1989年退職。1955年『馬酔木』に投稿し、水原秋桜子に師事した。長男は鳥越皓之。 沖縄戦前の1942年に沖縄県の嘱託で祭祀などを調査。同年、湧上元雄と共に久高島のイザイホーを視察した。また中国雲南省に日本人の起源を求めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
片山 敏一(かたやま としいち、1913年6月5日 - 没年… 片山 敏一(かたやま としいち、1913年6月5日 - 没年不明)は、元フィギュアスケート選手でのちにコーチ。関西学院大学出身。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。