真鍋 大覚(まなべ だいかく、1923年5月14日 - 19… 真鍋 大覚(まなべ だいかく、1923年5月14日 - 1991年4月26日)は、日本の航空工学者。暦法家。九州大学工学部航空工学科助教授。
九州大学:510人
真鍋 大覚(まなべ だいかく、1923年5月14日 - 19… 真鍋 大覚(まなべ だいかく、1923年5月14日 - 1991年4月26日)は、日本の航空工学者。暦法家。九州大学工学部航空工学科助教授。
稲神 馨(いながみ かおる、1923年(大正12年)3月19… 稲神 馨(いながみ かおる、1923年(大正12年)3月19日 - 2022年(令和4年)6月5日)は、日本の食品科学者。九州大学名誉教授。元カルピス食品工業(現:アサヒ飲料)常務取締役、元日本食品科学工業学会副会長。カネミ油症事件の原因を解明した。岡山県新見市出身。 1923年(大正12年)、岡山県新見市に生まれる。その後、地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学。同期には、天野昇(日本原子力研究所副理事長)、福田正彦(新見市長)、古米初男(丸善石油副参与)、田井庄之助(大分大学教授)がいた。1940年(昭和15年)、高梁中学校を卒業、鳥取高等農業学校獣医畜産学科へ進学する。
矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年 - 2011年12… 矢吹 萬壽(やぶき かずとし、1923年 - 2011年12月13日)は、日本の農学者。大阪府立大学名誉教授、元学長。専門は、農業気象学、生物環境調節工学、環境学。
秀村 選三(ひでむら せんぞう、1922年12月10日 -2… 秀村 選三(ひでむら せんぞう、1922年12月10日 -2021年4月15日)は、日本の日本社会経済史学者。九州大学名誉教授。 1922年、福岡県福岡市にて出生。福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)を卒業後、福岡高等学校 (旧制)で学んだ。1942年、京都帝国大学経済学部に入学。京大への志望理由は、当時同大学教授で日本経済史学の権威として知られた本庄栄治郎の下で学ぶためであった。太平洋戦争の戦局悪化に伴い、1943年9月、学徒出陣で海軍に入隊して突撃部隊に所属。 終戦後に復学するが、経済難で学費が払えなくなり、当時京大教授であった蜷川虎三の勧めで故郷に近い九州帝国大学法文学部に転校。1946年5月より九州帝国大学の宮本又次、竹内理三、喜多野清一らの下で学んだ。
稲永 和豊(いななが かずとよ、1922年11月13日 - … 稲永 和豊(いななが かずとよ、1922年11月13日 - 2015年9月7日)は、日本の脳科医・脳生理学者。 福岡県朝倉郡杷木町(現朝倉市)生まれ。1946年九州帝国大学医学部卒、1951年同大学院研究生修了、医学博士、九州大学医学部助手、1956年九州大学医学部附属病院講師、1959年久留米大学助教授、1966年教授となり、1979-1985年付属病院長を務めた。1988年定年退官、名誉教授となり、筑水会病院において臨床精神医学担当、同病院神経情報研究所長、筑水会病院神経情報研究所長。
田中 健藏(たなか けんぞう、1922年11月7日 - 20… 田中 健藏(たなか けんぞう、1922年11月7日 - 2015年2月11日)は、日本の病理学者、外科医。第17代九州大学総長。 東京市日本橋区生まれ。関東大震災後に移住し、長崎県佐世保市育ち。1940年旧制長崎県立佐世保中学校卒業。1942年旧制佐賀高等学校卒業。1946年九州大学医学部卒業、外科学教室第1講座入局。1948年九州大学大学院特別研究生前期修了。1949年九州大学医学部助手。1951年医学博士。1953年九州大学医学部講師。同年九州大学医学部助教授。 1960年フルブライト・プログラムでハーバード大学医学部に留学。1963年九州大学医学部教授。1975年九州大学医学部長を経て、1981年に九州大学総長、国立大学協会理事。
水波 朗(みずなみ あきら、1922年10月3日(大正11年… 水波 朗(みずなみ あきら、1922年10月3日(大正11年) - 2003年(平成15年)7月31日)は、日本の法学者。専門は法哲学。九州大学名誉教授、元久留米大学教授。 初めは河村又介(後の最高裁判事)の下で憲法学の研究を始めるが、やがて憲法学の根本学である公法学、後に法哲学に研究の重心を移す。思想的にはトマス主義に立脚するが、アルフ・ロス、ハンス・ケルゼン、カール・ポパー等、自らとは異なる立場の思想家をも取り上げ、批判的書評を公刊した。 1954年に、大澤章の導きでカトリックに入信。ネオ・トミズムの本場ベルギーに留学し、ジャン・ダバンに師事。トマス主義の哲学、法哲学の研究に取り組み、帰国後は20世紀の法哲学におけるトマス主義の位置づけと主張を明快に論じた大著『法の観念-ジャン・ダバンとその周辺-』を公刊した。
安藤 精一(あんどう せいいち、1922年2月17日 - 2… 安藤 精一(あんどう せいいち、1922年2月17日 - 2018年2月28日)は、日本の日本史学者。学位は、経済学博士(大阪大学・論文博士・1961年)(学位論文「近世在方商業の研究」)。和歌山大学名誉教授。 アメリカ合衆国シアトル生まれ。1947年九州帝国大学法文学部卒、1949年同大学院特別研究生修士課程修了。1961年「近世在方商業の研究」で大阪大学より経済学博士の学位を取得。和歌山大学経済学部講師、助教授、教授。1986年定年退官、名誉教授、大阪産業大学教授。1993年退職。1996年勲二等瑞宝章受章。和歌山県教育委員長。近世経済史が専門で、宮本又次に師事した。また、『八代将軍吉宗』の時代考証を大石慎三郎らとともに担当している。
黒木 三郎(くろき さぶろう、1922年2月8日 - 201… 黒木 三郎(くろき さぶろう、1922年2月8日 - 2010年2月20日)は、日本の法学者、弁護士、早稲田大学名誉教授。愛知大学教授や日本法社会学会理事長を務めた。日本学術会議会員。専門は民法、法社会学。 九州大学在学中、福岡市内で開かれた学徒出陣式で学生代表として答辞を述べる際の原稿に「戦火がおさまったときには銃をペンにかえて学園に戻る」と書いたことが検閲に引っかかった。のちに「言論を封じ込め、学生から学問を奪い取り、死まで強要する体制に疑問を感じた。」と述べ、この体験から護憲を掲げて、青島幸男が当選を果たした1995年の東京都知事選挙に無所属で出馬した。選挙では社会党の政策立案にも携わった東京大学名誉教授の大内力が応援に駆け付けたものの、結果は284,387票(得票率6.12%)しか得られず落選した。
三戸 公(みと ただし、1921年12月17日 - 2022… 三戸 公(みと ただし、1921年12月17日 - 2022年10月18日)は、日本の経営学者。立教大学名誉教授、中京大学名誉教授。企業の経済学的研究の枠を超えた「人としての経営学」の確立と体系化を行うとともに、日本労務学会会長、経営哲学学会会長、経営学史学会会長等も歴任し、日本の経営学研究の発展に大きく貢献した。 山口県生まれ。1949年九州大学法文学部卒。在学中は馬場克三に師事。1955年熊本商科大学助教授、1956年同志社大学商学部助教授。 1961年立教大学経済学部助教授、1963年から1965年まで経営学科長を務める。1966年「個別資本論序説」で九州大学より経済学博士の学位を取得。1970年立教大学経済学部教授。
服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月2… 服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月20日 - 2005年〈平成17年〉7月15日)は、法制史学者、東北大学名誉教授。専門は近世武家法。 愛媛県新居浜市生まれ。1939年愛媛県立西条中学校卒、1942年旧制広島高等学校卒、同年九州帝国大学法文学部入学、1943年学徒動員、1945年復員。 1946年九州帝国大学法文学部卒、1952年同大学院(旧制)特別研究生修了(指導教授:金田平一郎)、九州大学九州文化史研究所研究員、1953年金沢大学法文学部助教授、1957年同教授、1962年九州大学にて論題「近世封建法の性格」で法学博士受く、1967年東北大学法学部教授、1979年同図書館長、1985年定年退官、名誉教授。
片山 伍一(かたやま ごいち、1921年5月27日 - 20… 片山 伍一(かたやま ごいち、1921年5月27日 - 2001年1月28日)は、日本の経営学者。九州大学名誉教授。日本経営財務研究学会会長や、日本学術会議会員を務めた。勲二等瑞宝章受章。 熊本県生まれ。1953年九州大学経済学部卒業。馬場克三門下。同年九州大学経済学部助手。1958年九州大学経済学部助教授(経営学講座)。1960年九州大学経済学部助教授(経営財務論講座(新設))。1968年九州大学経済学部教授(経営財務論講座)。1977年日本学術会議会員(第3部)。1986年日本経営財務研究学会会長。退官後、福岡大学教授、九州大学名誉教授。1995年勲二等瑞宝章受章。指導学生に丑山優九州大学名誉教授など。
高良 和武(こうら かずたけ、1921年2月9日 - 201… 高良 和武(こうら かずたけ、1921年2月9日 - 2019年1月30日)は、放射光科学を専門とする日本の物理学者。鹿児島市出身。東京大学及び高エネルギー加速器研究機構名誉教授。動力学X線回折理論の研究により、放射光科学と結晶学の発展に貢献した。また後年は、産学連携や高等教育におけるインターンシップ制度の推進にも尽力した。 フォトン・ファクトリー施設長、日本結晶学会会長、日本放射光学会会長、学校法人筑波研究学園理事長、総合科学研究機構理事長、日本インターンシップ学会会長を歴任した。 高良大社の宮司の家に生まれる。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館、九州帝国大学理学部物理学科卒業。
牧角 三郎(まきずみ さぶろう、1921年(大正10年)1月… 牧角 三郎(まきずみ さぶろう、1921年(大正10年)1月1日 - 2002年(平成14年)3月10日)は、日本の法医学者。医学博士、九州大学名誉教授、元日本法医学会会長。 九州大学医学部法医学教室に長く在籍し、薬毒物の分析法や血痕の簡易検査法の研究で成果を上げた。また、免田事件、島田事件、別府3億円保険金殺人事件などで法医学鑑定を手掛け、鳥取県科学捜査研究会顧問、福岡県科学捜査研究会常任理事、日本法医学会会長などを歴任した。 1921年(大正10年)1月1日、鹿児島県川辺郡知覧町に生まれた。 旧制鹿児島県立川辺中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1945年(昭和20年)9月に九州帝国大学医学部を卒業し、第2外科・温泉治療学研究所を経て、1948年(昭和23年)6月に法医学教室に入局した。
慶伊 富長(けいい とみなが、1920年12月10日 - 2… 慶伊 富長(けいい とみなが、1920年12月10日 - 2007年9月20日)は、日本の化学者。東京工業大学(のちの東京科学大学)名誉教授。第4代沼津工業高等専門学校校長等を経て、東京工業大学先端科学技術大学院準備調査室長として北陸先端科学技術大学院大学設立にあたり、初代学長を務めた。元触媒学会会長。 北海道滝川市生まれ。1945年九州帝国大学理学部化学科卒業。1956年北海道大学理学博士。北海道大学助教授、東京工業大学(のちの東京科学大学)教授、東京理科大学教授を経て、1982年沼津工業高等専門学校校長。1985年豊橋技術科学大学参与。1988年東京工業大学先端科学技術大学院準備調査室長。1990年初代北陸先端科学技術大学院大学学長。
宮城 信勇(みやぎ しんゆう、1920年11月28日 - 2… 宮城 信勇(みやぎ しんゆう、1920年11月28日 - 2019年9月16日)は、沖縄県出身の八重山方言研究家、郷土史家。石垣市名誉市民。 1920年11月28日、沖縄県八重山郡石垣町(現在の石垣市)新川で生まれる。母は『八重山生活誌』で第1回伊波普猷賞を受賞した宮城文。 九州帝国大学法文学部を卒業。教員を経て、八重山群島政府文教部長、八重山地区教育長、琉球政府企画局長、沖縄電力取締役等を歴任。 定年後の1976年、母とともに石垣方言の研究をはじめ、翌1977年に『八重山ことわざ事典』を出版。2003年には、1万7千語余りを収録する『石垣方言辞典』を完成させた。1993年に東恩納寛惇賞、2016年に伊波普猷賞、2020年に吉川英治文化賞を受賞。
川崎 敏男(かわさき としお、1920年10月31日 - 2… 川崎 敏男(かわさき としお、1920年10月31日 - 2004年2月23日 )は日本の薬学者、九州大学名誉教授。専門は天然物化学。薬学博士(1952年)。兵庫県出身。
荘子 邦雄(しょうじ くにお、1920年9月16日 - 20… 荘子 邦雄(しょうじ くにお、1920年9月16日 - 2021年3月25日)は、日本の法学者。専門は刑法。東北大学名誉教授。札幌学院大学名誉教授。法学博士(北海道大学、1962年)。兵庫県出身。叙従三位。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1… 井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1997年12月18日)は、日本の海軍軍人、法学者。専門は刑事法学。過失犯理論等を研究。法学博士(九州大学・1950年)。九州大学名誉教授。福岡県出身。 福岡県宗像市生まれ、山口県下関市育ち。旧制山口県立下関中学校、旧制福岡高等学校を経て、九州帝国大学進学。1942年、九州帝国大学法文学部卒業、高等文官試験司法科合格。1950年、法学博士(九州大学)。 海軍入営。最終階級は海軍法務大尉。1946年、九州帝国大学法文学部講師。1948年、九州大学法文学部助教授、1951年、同法教授。1953年、広島大学政経学部教授兼務、1967年第30代九州大学法学部長。
岩崎 松之助(いわさき まつのすけ、1919年 <大正8年>… 岩崎 松之助(いわさき まつのすけ、1919年 <大正8年> 7月1日 - 2006年 <平成18年> 6月17日)は、日本の工学者。工学博士。専門は航空力学。九州大学名誉教授、熊本工業大学(崇城大学)名誉教授。位階は正四位。プロペラの研究や、ショックチューブとショックネンタルを用いた流体力学研究が特に知られており、日本の航空力学の基礎を築いたと評価されている。 朝鮮総督府の養蚕試験場で生まれ、間もなく父・岩崎行高が鹿児島高等農林学校教授に就任したため鹿児島県鹿児島市で育つ。なお、祖父の岩崎行親は鹿児島県における中高等教育草創期の中心的人物。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)に進学し、模型飛行機づくりに熱中する。
福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 20… 福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 2012年3月28日 )は、日本の医師、医学者。内科医。医学博士。心筋梗塞研究の権威だった。 鹿児島県の奄美大島名瀬の生まれで、大島郡龍郷町出身。1942年第七高等学校造士館 (旧制)理科卒業。1945年九州帝国大学医学部を卒業して、操坦道教授の第一内科に副手として入局し、1951年九州大学第一医学部内科助手。1952年鹿児島市立病院内科医長に就く。1953年九州大学より医学博士授与。論文の題は「抗痙攣剤の人体脳波に及ぼす影響について」。1955年1月鹿児島大学医学部第一内科助教授に就任。鹿児島大学助教授を長く務めた後、再び鹿児島市立病院に転じて循環器内科部長。
尾上 康治(おのえ やすはる、1919年2月15日- 200… 尾上 康治(おのえ やすはる、1919年2月15日- 2003年12月24日 )は、日本の経営者、理学博士。徳山曹達(現在のトクヤマ)社長、会長を務めた。 山口県出身。1947年に九州大学理学部化学科を卒業し、1948年に徳山曹達(のちのトクヤマ)に入社した。1969年に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1982年6月には社長に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に就任。 山口朝日放送社長も務めた。 1974年に紫綬褒章を受章し、1994年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2003年12月24日、肺炎のために死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
前田 和雄(まえだ かずお、1919年2月13日 - 200… 前田 和雄(まえだ かずお、1919年2月13日 - 2009年10月7日)は、日本の経営者、工学博士。三井造船社長を務めた。山口県出身。 1943年に九州帝国大学工学部造船学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1968年に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1979年6月に社長に就任。1986年6月には会長に就任し、1993年に相談役を経て、1998年7月に特別顧問に就任。 1983年4月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2009年10月7日、骨髄異形成症候群のために死去。90歳没。
吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 19… 吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 1995年6月14日)は、日本の工学者。土木工学者。福岡県出身。工学博士。九州大学元教授。有明工業高等専門学校元校長。教育者。 1919年、福岡県福岡市生まれ。1941年九州帝国大学工学部土木工学科卒業。構造力学及び橋梁工学の理論的研究を専門とする。 1945年、内務省九州土木出張所に就く。民間を経て、1947年、福岡高等工業学校、1950年熊本工業専門学校、1951年熊本大学工学部、1952年同大学助教授に就き、1954年、工学博士となる。 1955年同大学工学部教授に就任。1973年九州大学工学部教授となる。1980年有明工業高等専門学校校長。
合屋 長英(ごうや ながひで、1919年 - 2001年9月… 合屋 長英(ごうや ながひで、1919年 - 2001年9月13日)は、日本の小児科学者。九州大学名誉教授。
小野 周(おの しゅう、1918年(大正7年)9月5日 - … 小野 周(おの しゅう、1918年(大正7年)9月5日 - 1995年(平成7年)4月24日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士(九州大学、1951年)(学位論文「臨界現象及び表面現象の統計熱力学」)。東京大学名誉教授。元群馬大学学長。日本物理学会会長を3期3年間務めた。勲二等旭日重光章受章。福岡県福岡市生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
大木 幸介(おおき こうすけ、1918年8月23日 - )は… 大木 幸介(おおき こうすけ、1918年8月23日 - )は、日本の化学・生理学者。 東京府(現東京都世田谷区[要出典])生まれ。1941年東京薬学専門学校卒、1944年九州帝国大学農学部農芸化学科卒業。1955年九州大学医学博士。九州大学木材研究所、生産科学研究所助手、九州大学医学部講師、信州大学繊維学部教授、江南女子短期大学教授を務めた。専門の分子生理学、生化学の立場から、幅広く研究、執筆活動を行った。
神田 慶也(かんだ よしや、1918年6月18日 - 201… 神田 慶也(かんだ よしや、1918年6月18日 - 2011年3月3日)は、日本の化学者。専門は分子分光学。九州大学総長や九州産業大学学長を務めた。 第五高等学校理科甲類を経て(1939年(昭和14年)卒業)、九州帝国大学理学部を卒業する。 1942年(昭和17年)より、母校の九州帝国大学理学部助手となり、助教授を経て教授に昇進、理学部長などを歴任後、1978年11月から3年間九州大学総長を務めた。その後、九州産業大学で学長を務めていた。 1994年、勲二等旭日重光章を受章。2011年3月3日、肺炎のため死去。 門下生に島田良一がいる。
田原 虎次(たはら とらじ、1917年11月11日 - 19… 田原 虎次(たはら とらじ、1917年11月11日 - 1995年7月7日)は、日本の農業機械学者。東京農工大学名誉教授。 福岡県出身。1935年福岡県中学修猷館を経て、1943年九州帝国大学農学部農業工学科を卒業。 東京農林専門学校教授を経て、1949年同校が東京農工大学に統合されると、1950年助教授となり、1962年教授に就任。1969年には付属図書館館長を務めた。 1981年日本大学農獣医学部農業工学科教授に就任。1987年定年退職。 1990年勲三等旭日中綬章。
李 坰鎬(イ・ギョンホ、朝鮮語: 이경호、1917年11月1… 李 坰鎬(イ・ギョンホ、朝鮮語: 이경호、1917年11月1日 - 1987年2月28日)は、大韓民国の官僚、検察官、憲法学者、政治家。第10代韓国国会議員、第14代保健社会部長官。本貫は全州李氏。号は仁山(인산、インサン)。日本名は李家 坰鎬。 岳父は制憲国会議員の晋直鉉、娘の李玲愛(朝鮮語版)とその夫の金賛鎮(朝鮮語版)も国会議員を務めたことがある。 全羅南道光陽に生まれた。1940年に京城法学専門学校を卒業。1942年に九州帝国大学法文学部法科(現・九州大学法学部)を卒業し、1943年に高等文官試験司法科に合格した。朝鮮光復後の1947年に憲法学者としてソウル大学校法科大学助教授、1950年に東国大学校教授を務めた。
白水 隆(しろうず たかし、1917年9月14日 - 200… 白水 隆(しろうず たかし、1917年9月14日 - 2004年4月2日)は、日本の昆虫学者。九州大学名誉教授。専門はチョウ類の分類学、生物地理学。日本および東アジアのチョウ類研究を牽引した基礎生物学者の一人である。 1917年9月14日、福岡県福岡市生まれ。1938年旧制宮崎高等農林学校(宮崎大学農学部の前身)卒業、1941年九州帝国大学農学部卒業。1942年2月九州帝国大学農学部副手、同年6月助手。1944年召集令状を受け鹿児島県の志布志に配属されるも1年で除隊となり、研究室に戻った。九州大学教養部助教授を経て、1963年九州大学教授。1981年定年退官、同大学名誉教授。 日本および東アジアのチョウ類の研究で著名。
荒木 見悟(あらき けんご、1917年(大正6年)5月21日… 荒木 見悟(あらき けんご、1917年(大正6年)5月21日 - 2017年〈平成29年〉3月22日)は、日本の中国哲学者。九州大学名誉教授。 広島県佐伯郡廿日市町生まれ。1942年九州帝国大学法文学部支那哲学科卒、1944年長崎師範学校助教授、1949年福岡学芸大学助教授、1959年「朱子の哲学」で九州大学文学博士。1962年九州大学文学部助教授、1968年教授、1983年定年退官、名誉教授、皇學館大學教授、北九州大学教授、1987年久留米大学教授。1990年勲二等瑞宝章受勲。 2017年〈平成29年〉3月22日に死去。99歳没。没後に正四位に叙された。
楠田 久男(くすだ ひさお、1916年9月25日 - 202… 楠田 久男(くすだ ひさお、1916年9月25日 - 2020年2月26日)は、日本の機械工学者、佐賀大学元学長。専門は伝熱工学。 鳥栖市出身。旧制佐賀高等学校を経て、1939年9月に九州帝国大学工学部機械工学科卒業。熊本大学工学部教授、佐賀大学理工学部教授、同学部長などを経て、1986年から1990年まで佐賀大学学長を務めた。サガン鳥栖の前身である鳥栖フューチャーズの設立に尽力した。 2020年2月26日、老衰のため鳥栖市の特別養護老人ホームで死去。103歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森 三十郎(もり さんじゅうろう、1916年3月19日 - … 森 三十郎(もり さんじゅうろう、1916年3月19日 - 2012年7月2日)は、日本の法学者、福岡大学名誉教授。元法学部長、理事。 福岡県鞍手郡鞍手町出身。第五高等学校を経て、九州帝国大学法学部卒。(宇賀田順三門下、在学中に高等文官試験に合格)。 九大助手、拓務省、大東亜省、外務省勤務、応召して陸軍主計中尉で敗戦を迎え、1948年戸畑専門学校教授(憲法、行政法)に就任。1950年新制八幡大学助教授、教授を歴任後1954年に退任。後鹿児島県立大学、久留米大学助教授。1956年福岡大学教授に就任。1987年、定年退任、名誉教授。 総合国家学研究所のち森国家学研究所を主宰し、天皇制擁護の論陣を張った。
伊藤 一雄(いとう かずお、1915年8月14日 - 200… 伊藤 一雄(いとう かずお、1915年8月14日 - 2005年10月1日)は、日本の農学者・林学者。 秋田県出身。九州帝国大学農学部卒、1949年「紫紋羽病に関する研究」で九大農学博士。日本の松の緑を守る会。全国森林病虫獣害防除協会顧問。
生源寺 廷(しょうげんじ ただし、大正4年〈1915年〉7月… 生源寺 廷(しょうげんじ ただし、大正4年〈1915年〉7月 - ?)は、日本の科学者。 大正4年(1915年)7月、父生源寺順、母嘉納治五郎の次女である忠子夫妻の長男として生まれる。昭和12年(1937年)3月31日、旧制福岡高等学校理科甲類を卒業。九州帝国大学応用化学科卒業。 博士論文「濃縮燃焼による亜硫酸パルプ廃液処理に関する研究」を著し、昭和36年(1961年)11月18日に工学博士を授与された。生源寺廷, 高橋英郎 & 丹野和夫 1962, p. 172によれば、工業技術院東京工業試験所に入所している。四国工業技術試験所(現在の産業技術総合研究所四国センター)に転じており(生源寺廷 1968, p. 26)、少なくとも翌年までは同所にいることが赤松勲・生源寺廷 1969, p. 195により判明している。
池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう、大正4年(1915年)6月… 池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう、大正4年(1915年)6月12日 - 平成11年(1999年)6月25日)は、日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。九州大学医学部名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。甥は臨床心理学者の池見陽。 福岡県糟屋郡粕屋町生まれ。旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のメイヨー・クリニックに留学し、帰国後、日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された精神身体医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化、実用化に尽力した。
諸星 静次郎(もろほし せいじろう、1914年3月24日 -… 諸星 静次郎(もろほし せいじろう、1914年3月24日 - 2001年1月5日)は、日本の蚕糸学者。東京農工大学学長や、江戸川大学学長、日本蚕糸学会会長、日本学士院会員などを歴任した。日本学士院賞受賞。紫綬褒章受章。 神奈川県中郡秦野(現秦野市)出身。吉田島農林学校(現神奈川県立吉田島高等学校)、東京高等蚕糸学校(現東京農工大学)養蚕学科を経て、1939年九州帝国大学農学部卒業、郡是製絲入社。1945年農学博士。1946年郡是製絲蚕種部品種課長。1951年郡是工業蚕種部事業部長兼蚕桑研究所長。1963年東京農工大学農学部教授。1965年東京農工大学評議員。1968年東京農工大学農学部長。1973年日本学士院賞受賞。
新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 20… 新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 2012年3月12日)は、日本の医学者・精神科医。東京慈恵会医科大学名誉教授。長男は医学者で神戸大学名誉教授の新福尚隆。 鹿児島県鹿児島市生まれ。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1937年九州帝国大学医学部卒業、下田光造に師事。1947年「ショック療法の精神病理学的研究」で九州帝国大学より医学博士の学位を取得。 台北帝国大学医学部精神科助手、陸軍軍医(高雄)、鳥取大学医学部助教授などを経て、1952年同教授。1966年東京慈恵会医科大学教授、1979年定年退職、名誉教授。アルコール医学会長、交通科学会長、心身医学会長、国際老年精神医学会名誉会長など。
近藤 春雄(こんどう はるお、1914年2月20日 - 20… 近藤 春雄(こんどう はるお、1914年2月20日 - 2014年1月21日)は、日本の中国文学者、愛知県立大学名誉教授。 三重県生まれ。父は漢学者・近藤杢。九州帝国大学法文学部支那文学科卒。福岡県中学修猷館教諭、愛知県立女子専門学校教授、愛知県立女子短期大学助教授、愛知県立大学教授、79年定年退官、名誉教授。79年「唐代小説の研究」で九州大学文学博士。古代から現代まで中国文学を幅広く研究した。87年勲三等旭日中綬章受章。2014年1月24日逝去。享年99。
高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 201… 高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 2014年5月17日)は、日本の動物学者。第8代琉球大学学長(就任期間:1970年7月1日 - 1973年6月30日)。農学博士。専攻は応用動物学。沖縄県本部町出身。 ハブの研究で知られ、「ハブ博士」と呼ばれた。 イリオモテヤマネコの発見につながる幼獣の捕獲を果たしたことでも知られる。 沖縄の本土復帰に伴う国立大学化の際の学長であった。 戦後の1950年から1968年にかけて5回に渡り、調査団を結成して尖閣諸島に上陸して学術調査を実行。この時のメンバーには後に沖縄社会大衆党委員長となる瑞慶覧長方がいる。 紫綬褒章、勲二等瑞宝章、沖縄県功労者、沖縄タイムス賞などを受賞。
城福 勇(じょうふく いさむ、1913年2月1日 - 198… 城福 勇(じょうふく いさむ、1913年2月1日 - 1986年1月22日)は、日本史学者。 徳島県出身。九州帝国大学法文学部卒。香川大学学芸学部助教授、教育学部教授。77年定年退官、名誉教授。徳川時代の文人、特に平賀源内の研究で知られる。
岡庭 博(おかにわ ひろし、1912年11月30日 - 20… 岡庭 博(おかにわ ひろし、1912年11月30日 - 2004年2月20日)は、日本の実業家、経営学者。日本興業銀行勤務を経て、三光汽船の代表取締役、会長を務めた。大阪産業大学名誉教授、経済学博士。 長男は評論家の岡庭昇。 兵庫県神戸市出身。姫路高等学校を経て、1935年に九州帝国大学法文学部に入学。在学中に高等文官試験に合格したが、官僚への道には進まず、卒業後、日本興業銀行に入行。調査部に配置され、大阪支店に勤務した。 1943年、姫路高校の先輩である河本敏夫に乞われて、三光汽船に取締役として入社。三光汽船の番頭格として河本を補佐し、財務担当役員として活躍した。 1949年、河本が第24回衆議院議員総選挙に兵庫県第4区から出馬し当選。
惣郷 正明(そうごう まさあき、1912年9月16日 - 1… 惣郷 正明(そうごう まさあき、1912年9月16日 - 1993年4月16日)は、日本の英学史・辞書史学者。 広島県出身。九州帝国大学法文学部卒、朝日新聞記者、国立国語研究所国語辞典編纂員、のち朝日新聞社友。
伊藤 不二男(いとう ふじお、1911年3月20日-1987… 伊藤 不二男(いとう ふじお、1911年3月20日-1987年3月25日)は、日本の国際法学者。 福岡県出身。1936年東京帝国大学法学部法律学科、37年同政治学科卒。1940年九州帝国大学大学院修了、同副手、助手、南山大学助教授、熊本大学助教授、1953年九州大学法学部助教授、54年教授、62年九州大学法学博士。63-65年法学部長。74年定年退官、名誉教授、西南学院大学教授。1966年「ビトリアの国際法理論」で日本学士院賞受賞。
岡 直遙(おか なおはる、1911年 - 1965年5月10… 岡 直遙(おか なおはる、1911年 - 1965年5月10日)は、日本の法学者。専門は行政法。八幡大学教授。福岡県宗像郡出身。 宗像郡の神社宮司の四男として生まれる。福岡高等学校 (旧制)から九州帝国大学法文学部法律学科に入学、宇賀田順三に師事する。 九大卒業後、三井鉱山に入社。1954年(昭和29年)八幡大学法経学部に講師として就任。行政法各論、地方自治法、国家公務員法の講義を受け持った。古武士的な峻厳さと謙虚さを兼ねる反面リベラル的な性格も持った責任感の強い教授であった。また大学の厚生補導課長として八幡大学野球部長を務め1961年(昭和36年)には九州六大学野球連盟リーグで初優勝を齎した。
谷口 鉄雄(たにぐち てつお、1909年11月23日 - 1… 谷口 鉄雄(たにぐち てつお、1909年11月23日 - 1995年3月17日)は、日本の美術史学者。専門は東洋美術。 福岡県八幡市(現在の北九州市八幡西区)に生まれる。旧制福岡高等学校文科を経て、1933年に九州帝国大学法文学部哲学科を卒業。卒業後は、法文学部の副手に採用され、1935年助手、1948年九州大学文学部講師、1951年助教授を経て、1955年に教授に就任する。1966年 - 1968年に文学部長を務めた。1973年に定年退官し、名誉教授となる。 退官後は、九州産業大学教授に就任。学外では、1973年 - 1978年北九州市立美術館長、1982年 - 1988年石橋美術館(ブリヂストン美術館)長を兼任した。
鴨 良弼(かも よしすけ、1909年〈明治42年〉9月23日… 鴨 良弼(かも よしすけ、1909年〈明治42年〉9月23日 - 1994年〈平成6年〉5月4日)は、日本の法学者・裁判官・教育者。刑事訴訟法学者。東北大学名誉教授。東北大学法学部教授を経て、一橋大学法学部で刑事訴訟法講座の初代教授を務めた。 1909年、福島県石城郡湯本町生まれ。1929年、青山師範学校を卒業。卒業後は、東京の旧制尋常小学校に教員として勤務した。1940年、司法試験(旧制)合格。九州帝國大学法文学部に入学し、1941年に卒業。司法修習生(旧制)となる。 1942年、東京地方裁判所判事。1944年からは秋田地方裁判所判事。その後、仙台地方裁判所判事を経て、1952年東北大学法学部助教授に着任。
信夫 清三郎(しのぶ せいざぶろう、1909年4月8日 - … 信夫 清三郎(しのぶ せいざぶろう、1909年4月8日 - 1992年10月10日)は、日本の政治学者・歴史学者。日本政治学会理事長。名古屋大学名誉教授。 外交官で国際法学者の信夫淳平の三男として、父の任地である韓国の仁川で生まれる。信夫韓一郎(新聞記者、元朝日新聞社代表取締役専務)は兄。1934年、九州帝国大学を卒業し、マルクス主義的な立場から在野で日本近代史の研究を行う。唯物論研究会に所属し、1938年には治安維持法違反容疑で、特別高等警察に逮捕されたこともある。 1943年9月に出版した『ラッフルズ――イギリス近代的植民政策の形成と東洋社会』(日本評論社)は、発売一週間で内務省により敵国のイギリスを褒めているという理由で発売禁止の処分を受けた。
滝沢 克己(たきざわ かつみ、1909年3月8日 - 198… 滝沢 克己(たきざわ かつみ、1909年3月8日 - 1984年6月26日、正字では「瀧澤」)は、日本の哲学者、キリスト教神学者。号は「等石」。 1909年、栃木県宇都宮市に生まれた。小・中学と1年飛び級で卒業。九州帝国大学法文学部哲学科で学び、1931年に卒業した。ドイツに渡ってボン大学にてカール・バルトに師事。 帰国後、山口高等商業学校教授となった。その後、母校である九州帝国大学助教授に就任。1949年より九州大学文学部哲学科教授。1969年からは文学部長を務めた。大学闘争では全共闘の学生を支持して大学を批判、1970年に辞職した。海外では、ハイデルベルク大学、マインツ大学ほかで客員教授を務めた。