大木 圭(おおき けい、1932年 - )は、ジュニア小説作… 大木 圭(おおき けい、1932年 - )は、ジュニア小説作家。 慶應義塾大学文学部卒。1966年、集英社の『小説ジュニア』創刊以来、数々のジュニア・ユーモア小説を執筆する。『どっちがどっち』はNHK少年ドラマシリーズの原作となった。1982年以降、新刊書は出ておらず、消息不明。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中上 正文(なかがみ まさふみ、1932年 -)は日本の推理… 中上 正文(なかがみ まさふみ、1932年 -)は日本の推理作家。鹿児島県生まれ。1960年、慶應義塾大学文学部卒業。1978年、探偵小説専門誌『幻影城』の第4回幻影城新人賞小説部門で「贋作たけくらべ」が佳作となりデビューしたが、翌年には『幻影城』が休刊となり、デビュー作を含め2短編を発表したのみである(第4回は入選作なし、中上以外の佳作は津端英二)。
吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27… 吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27日 - 2012年(平成24年)4月17日)は、日本の作家・評論家。反戦平和、男女平等を主なテーマとしていた。長女は看護師で随筆家の宮子あずさ。 兵庫県芦屋市生まれ。終戦翌年の14歳の時、進駐軍兵士5人に襲われる性被害を受け、2度にわたる自殺未遂を経験する。東洋英和女学院高等部卒業。1954年3月、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。同年、東映に入社。監督志望だったが広報部に配属され、宣伝部で活躍し、1961年に日本で初めての女性宣伝プロデューサーとなる。長女出産で、意に反する庶務に配置転換させられたのを機に退職。 フリーとなった以後は、旧社会党系の政治・市民運動に取り組む。
鎌田 弘子(かまだ ひろこ、1931年7月24日-2017年… 鎌田 弘子(かまだ ひろこ、1931年7月24日-2017年1月22日)は、歌人、鎌倉彫作家。 東京生まれ。慶應義塾大学卒。短歌のほか、鎌倉彫作家としても活動した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三好 京三(みよし きょうぞう、1931年(昭和6年)3月2… 三好 京三(みよし きょうぞう、1931年(昭和6年)3月27日 - 2007年(平成19年)5月11日)は、日本の小説家。本名、佐々木 久雄(ささき ひさお)。日本文芸家協会、日本ペンクラブ会員。岩手県胆沢郡前沢町(現・奥州市)出身。 岩手県生まれ。家業は農業兼荷馬車業であった。生家の周囲は貧しい家ばかりで、その中では新しがりの父が蓄音機を買ったり、ハイカラな風呂場を建てたりして目立っていた。生い立ちについて、三好によると「私は貧困どん底の家に生まれ育ったと、少年時代から思い続けている。昭和10年に父、父の弟、私の幼い弟が死亡し、1年間に3つのお弔いを出してから我が家はダメになったと聞いている。
竹山 恭二(たけやま きょうじ、1931年3月 - 2008… 竹山 恭二(たけやま きょうじ、1931年3月 - 2008年8月6日)は、日本のアナウンサー、映像作家、文筆家。本名、同じ。 叔父は評論家・ドイツ文学者・小説家の竹山道雄。妻はTBSアナウンサーのちメディア史研究者の竹山昭子。 東京都生まれ。1953年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。同年2月にラジオ東京(KR。のちの東京放送=TBS)へ入社、アナウンサー第2期生として編成局アナウンス課へ配属。報道番組を担当。 その後、1954年12月に編成局報道部テレビニュース課へ異動ののち、報道局テレビ報道部を経て、1967年2月に編成局放送部、1976年9月テレビ本部制作局制作部に在職。テレビニュース記者を務めたほか、ニュース番組やドキュメンタリー番組の制作、映像ライブラリー等を手掛けた。
大谷 羊太郎(おおたに ようたろう、1931年2月16日 -… 大谷 羊太郎(おおたに ようたろう、1931年2月16日 - 2022年2月28日)は、日本の小説家、推理作家。本名、大谷一夫。 大阪府東大阪市にて出生、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身。埼玉県立浦和高等学校卒、慶應義塾大学国文科中退。 小説家に憧れていた母親によって、子供のころから新聞小説を読まされていたが、当初は小説家になる気は起きなかったという。大学時代は純文学に傾倒。終戦後、アメリカ音楽に心酔し、スチールギターを弾くようになる。父の破産後はバンドマンとなり、芸能界入り。大学在学中にプロミュージシャンとしてデビュー。後、「秀和プランニング」で克美しげるのマネージャーを務めた。 だが、「浮草稼業」から脱却するために小説を書き始めて江戸川乱歩賞に応募するようになる。
甲斐 信枝(かい のぶえ、1930年10月3日- 2023年… 甲斐 信枝(かい のぶえ、1930年10月3日- 2023年11月30日)は、日本の絵本作家。広島県出身。京都府京都市右京区在住。 広島県の田畑が広がる農村地帯で、姉と弟三人とともに育った。広島県立高等女学校(府中高等女学校とも)3年のころから、疎開してきていた清水良雄(光風会会員、童話雑誌「赤い鳥」の画家)に師事する。清水の没後上京し、慶応義塾大学精神神経科に教授秘書として勤めていたが、やがて画家になることを決意する。帯の絵付けや、子どもに絵を教える仕事などさまざまなアルバイトをしながら、鈴木寿雄に童画を学んだ。 1970年に紙芝居『もんしろちょうとからすあげは』(童心社)を出版し、以後、身近な自然を題材にした科学絵本を手掛ける。
山川 方夫(やまかわ まさお、本名:山川 嘉巳〈やまかわ よ… 山川 方夫(やまかわ まさお、本名:山川 嘉巳〈やまかわ よしみ〉、1930年(昭和5年)2月25日 - 1965年(昭和40年)2月20日)は、日本の小説家。 東京都生まれ。慶應義塾大学仏文科卒。父は日本画家山川秀峰。 「三田文学」を編集し、その後自らも筆を執り『日々の死』『その一年』『海岸公園』などの短編集を発表。繊細で都会的な作風によって、敗戦後の青春と死の不条理を自伝的に描いた。『お守り』の翻訳が米「LIFE」誌に掲載されるなど将来を嘱望されたが、交通事故により34歳で死去。没後『愛のごとく』などが出版された。 ショートショートでも活躍し、『お守り』のほか、国語教科書に採用されることの多い『夏の葬列』がとりわけ知られている。
なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日)は… なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日)は、日本の精神科医・作家・評論家。日本テレビ放送番組審議会委員。 本名は堀内 秀(ほりうち しげる)。「なだいなだ」はペンネームで、スペイン語の "nada y nada"(何もなくて、何もない)に由来する。本名名義での翻訳書もある。 東京生まれ。両親は蒲田で小さな酒屋を営んでいたが、大震災で店が焼失してしまったので、酒屋稼業に見切りをつけて、御嶽山と呼ばれる田園地帯(現:東京都大田区)に移り、自宅を建てた。家の周りはじゃがいも畑だらけだったという。父は耕地整理組合に勤めた。 1942年旧制の私立麻布中学に入学。同級生に小沢昭一、フランキー堺、加藤武、仲谷昇、2年上に北杜夫、3年上に奥野健男、5年上に吉行淳之介がいた。
若林 真(わかばやし しん、1929年4月3日 - 2000… 若林 真(わかばやし しん、1929年4月3日 - 2000年3月14日)は、日本のフランス文学者・作家・翻訳家・批評家。慶應義塾大学名誉教授。 新潟県佐渡郡生まれ。1948年、慶應義塾大学文学部予科に入学。1949年、新制の慶應義塾大学文学部に入学。翌年、仏文学専攻に進学。同窓に山川方夫、田久保英夫がおり、親しく交流した。在学中は小説を執筆したり、『三田文学』で批評を行ったりした。1953年、慶應義塾大学文学部仏文学専攻を卒業。1956年、慶應義塾大学文学研究科仏文学専攻修士課程修了。1959年、同大学院博士課程満期退学、慶應義塾大学文学部助手。1961年同専任講師、1965年同助教授、1970年同教授。
俵 元昭(たわら もとあき、1929年 - )は、日本の歴史… 俵 元昭(たわら もとあき、1929年 - )は、日本の歴史家、記録作家。 島根県生まれ。学徒勤労動員で身体障害者になり結核も患う。のち大検を受け通信教育で教養課程を終え1956年慶應義塾大学文学部史学科卒業。港区史作成に携わり同区職員となる。港区立三田図書館港区資料室主査、東京百年史編纂会議員、港区役所麻布支所長、港区文化財保護審議会委員、東京地縁社会史研究所所長をへて1986年日本私家本図書館(現自費出版図書館)館長。私家本賞を設立。 1962年「京から来た運孤」で講談倶楽部賞受賞(市谷文也名義)。1977年『東京都港区近代沿革図集』で長谷川伸賞受賞。
梶 龍雄(かじ たつお、1928年11月21日 - 1990… 梶 龍雄(かじ たつお、1928年11月21日 - 1990年8月1日)は、日本の推理作家、小説家、翻訳家。本名は、可児 秀夫。 1928年岐阜県生まれ。慶應義塾大学文学部英文科卒業後、小学館に勤める。1952年に雑誌『宝石』に「白い路」を発表し作家活動のスタートを切る。1959年小学館退社後、児童小説や後に多数執筆する推理小説の翻訳などに参加し、このころからミステリー・推理小説などに関わりをもった。 1977年、真相究明によるサスペンスをとりいれながらも主人公の恋をドラマチックに描いた推理小説「透明な季節」で第23回江戸川乱歩賞を受賞。自作小説で賞を勝ち取ったのはこれが最初である。 その後の活動としては、『透明な季節』と同じ部類に入る旧制高校を舞台にした本格派推理小説をシリーズとして多数を執筆したほか、トラベル・ミステリーのような推理小説なども執筆した。
田畑 麦彦(たばた むぎひこ、1928年3月31日 - 20… 田畑 麦彦(たばた むぎひこ、1928年3月31日 - 2008年6月6日)は、日本の小説家。本名・篠原省三。東京府生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。佐藤愛子の元夫。実姉・篠原逸子は、服部金太郎の孫である。 東京急行電鉄社長を務めた篠原三千郎の二男として生まれる。妹の桂子は渥美昭夫の妻。中学校から慶應義塾に通う。毎日新聞社、東映映画に勤務。 1953年『三田文学』に「夜の窓」を発表、『文藝首都』同人として小説を書く。1956年、同人誌仲間であった佐藤愛子と結婚。1962年「嬰ヘ短調」で文藝賞受賞。同年より妻愛子とともに産業教育教材販売会社「日本ソノサービスセンター」の設立、経営に参画する。1964年より日本ソノフィルムやエスプリ企画の代表取締役社長を務めるが、事業の失敗により離婚。
田久保 英夫(たくぼ ひでお、1928年1月25日 - 20… 田久保 英夫(たくぼ ひでお、1928年1月25日 - 2001年4月14日)は、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)出身の小説家。慶應義塾大学仏文科卒。精緻な文体で男女間の心理の陰翳を描き、短篇の名手として知られた。 東京府東京市浅草区浅草田中町(現在の東京都台東区日本堤)生まれ。父は小峰秀次郎、母は田久保ハル。下町の料亭で育つ。慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業。山川方夫らと第三次『三田文学』を刊行した。1954年、戯曲「金婚式」を同誌に発表。以後「三田文学」編集及び執筆に携わる。1959年、『緑の年』を『新潮』に発表し文壇デビュー、幼少時の体験を描いた『解禁』(1961年)で第46回芥川賞候補となり、注目される。
若城 希伊子(わかしろ きいこ、1927年4月4日 - 19… 若城 希伊子(わかしろ きいこ、1927年4月4日 - 1998年12月22日)は、日本の作家、評論家、脚本家、翻訳家。 東京都渋谷区生まれ。日本女子大学卒、慶應義塾大学文学部国文科卒、折口信夫に学んだ。脚本家として活動するほか、映画ノベライズを翻訳。 1971年ラジオドラマ「青磁の色は空の色」で芸術祭優秀賞受賞。以後小説、ノンフィクション、評論などを刊行、最初の単行本『十五歳の絶唱』はロングセラーとなった。1978年『ガラシャにつづく人々』で第79回直木賞候補、1983年『小さな島の明治維新』で第2回新田次郎文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 19… 宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 1991年4月22日)は、日本の小説家、医師。 千葉県野田市生まれ。本名・真(しん)。慶應義塾大学医学部卒業。学生時代から『文芸首都』同人となり小説を書く。のち第三次『批評』に参加し、1963年「鼠浄土」で中央公論新人賞、「なっこぶし」で農民文学賞 を受賞し、郷里で小児科医として開業しながら作家活動をおこなう。リアリズムの系列と幻想文学の系列とがあり、関心はアンコール・ワットおよびアジアの多神教、浮世絵、民俗学など多方面にわたった。
十津川 光子(とつがわ みつこ、1925年- 没年不明)は、… 十津川 光子(とつがわ みつこ、1925年- 没年不明)は、日本の作家。本名は臺野澄子。 北海道樺戸郡新十津川村(現在の新十津川町)生まれ。庁立滝川高等女学校(現在の北海道滝川高等学校)を戦後に卒業。旭川日赤高等看護学校中退後滝川の職業安定所に勤務ののち上京し慶應義塾大学医学部付属厚生女子学院(現・慶應義塾大学看護医療学部)を卒業、看護婦となる。農林省勤務の後日本油脂美唄工場へ転職し執筆活動を本格化させる。 小説を木々高太郎に師事し、1958年『コタンの春』を上梓(序文は木々)。1960年の『胎動期』は、東芝日曜劇場でテレビ放送され、三輪彰監督・新藤兼人脚本によって「胎動期 私たちは天使じゃない」として1961年に映画化された。
藤城 清治(ふじしろ せいじ、1924年〈大正13年〉4月1… 藤城 清治(ふじしろ せいじ、1924年〈大正13年〉4月17日 - )は、日本の影絵作家。キャラクター「ケロヨン」の原作者としても知られる。東京府(東京都)出身・目黒区在住。ホリプロ(同社も目黒区に所在)とマネジメント契約を結んでいる。 ※パルナス製菓 CM(1960年代 - 1990年頃)の原画が藤城清治のものであるという情報がネットにあるが、間違いであるとのこと。 ※参考:その他の作品の展示施設[リンク切れ] ※SNSはスタッフが運営 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
三田 純市(みた じゅんいち、1923年12月22日 - 1… 三田 純市(みた じゅんいち、1923年12月22日 - 1994年9月1日)は、日本の落語作家・研究者、演芸作家、脚本家、随筆家。 本名は野村全作(旧姓:三田)。俳号は「道頓」。三田純一と名乗っていた時期もある。 大阪府大阪市南区、道頓堀の芝居茶屋「稲照」の長男に生まれる。1946年、慶應義塾大学経済学部卒業。朝日新聞社販売部に勤務、1951年に退社。松竹新喜劇の曾我廼家十吾、2代目渋谷天外に師事し喜劇の台本を手がけるようになる。 1967年から1982年には東京に在住し、1969年には東京やなぎ句会の創設に参加。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
狩久(かり きゅう、1922年2月10日 - 1977年10… 狩久(かり きゅう、1922年2月10日 - 1977年10月12日)は日本の小説家。貝弓子の別名でも執筆した。 本名は市橋久智。1922年 (大正11年) 2月10日東京都東京市芝区(現港区高輪)出身。1946年 (昭和21年) に慶應義塾大学工学部電気学科を卒業したが、その年に結核を発病し1953年 (昭和28年) まで療養所で闘病生活を送った。 療養所生活中の1951年 (昭和26年)、推理小説雑誌『別冊宝石』の短編懸賞部門に『落石』と『氷山』を投稿、そのうちの『落石』が優秀5作の1つに残った。 両作品は同年12月に『別冊宝石』で発表された。1953年 (昭和28年) からは自宅療養に変わり、以後本格推理ものや官能サスペンスなど多数の作品を執筆した。
島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 -… 島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 - 2013年3月31日)は、日本のロシア語翻訳家、ノンフィクション作家、歌人。 東京府北豊島郡巣鴨町大字巣鴨出身。父は慶應予科教授の島原逸三。1939年普連土女学校卒。1941年玉成保母養成所卒、森村幼稚園に勤務。1944年慶應義塾大学工業図書館勤務。1945年から1946年に母と父が死去。1961年慶應義塾大学附属外国語学校ロシア語科卒。1965年同校講師、1966年日ソ学院講師、東京ロシア語学院講師。 1946年から同人誌「創作」(若山牧水創刊)会員。 島原の遺稿をまとめた芹生一(本名・島原健三〈1928年 - 〉、成蹊大学名誉教授、工業化学)は弟。
荒川 法勝(あらかわ のりかつ / ほうしょう、1921年9… 荒川 法勝(あらかわ のりかつ / ほうしょう、1921年9月7日 - 1998年5月6日)は、日本の作家、詩人、文芸評論家。 岩手県下閉伊郡崎山村(現・宮古市)出身。慶応義塾大学文学部哲学科卒。 1951年、千葉県で地方公務員の公立高校教諭となり、千葉県立佐原第一高等学校教諭、1959年千葉県立成東高等学校教諭。 1965年第3次千葉県詩人クラブ初代会長に就任。1977年日本現代詩人会常任理事。1989年多摩美術大学教授。
大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 20… 大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 2014年7月25日)は、日本の編集者、作家。 三重県北牟婁郡紀伊長島町(現紀北町)生まれ。旧制津中学校を経て、慶應義塾大学国文科で折口信夫に師事する。学徒出陣で1943年に出征、海軍予備学生(第4期)を経て、1944年暮れに海軍少尉となる。敗戦により復員し、1945年10月に復学、1946年9月に卒業する。同年11月、講談社に入社する。1955年から1966年まで『群像』の編集長を務めた。石原慎太郎や有吉佐和子の作品を一切掲載しない一方で、吉行淳之介や安岡章太郎など「第三の新人」と呼ばれた作家たちを陰で支えた。その仕事ぶりは「文学の鬼」「純文学の鬼」などと称された。
馬野 周二(うまの しゅうじ、1921年- )は、日本の技術… 馬野 周二(うまの しゅうじ、1921年- )は、日本の技術者、著作家。工学博士、技術士。 専門分野(化学)の論文、報告書の他、国際政治や国際経済についての著書を多数執筆した。 父親は内務省官僚であり、朝鮮総督府の高官であった。 山口県に生まれる。1931年、小学校4年生の時に父親の退官に伴い、朝鮮半島より内地(愛媛県松山)に戻る。旧制松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)を経て、1946年、慶應義塾大学工学部応用化学科卒業。慶應義塾大学大学院工学研究科在学兼東京大学第一工学部付属試験所嘱託。1949年、通商産業省に技官として入省。1961年、通商産業省(課長)を退任後、創立間もないニューヨーク工科大学教授に就任。
梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 198… 梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 1980年12月21日)は、日本のフランス文学者、劇作家、小説家、随筆家。本名は梅田晃(あきら)。慶應義塾大学大学院修了。舞台劇やラジオドラマの脚本、物の歴史に関する著述や翻訳などで活躍した。パイプや万年筆などの収集家としても知られる。梅田望夫、梅田みかは子。 1920年(大正9年)、東京府東京市四谷区(現東京都新宿区)愛住町の暗闇坂で、ロシア貿易会社を営んでいた父・梅田潔と文学者の母・玲子の間に、6人兄弟の末子として生まれる。当時の梅田家の家風であった、ヨーロッパ的な生活習慣の中で育ち、1926年(大正15年)、慶應義塾幼稚舎入舎。以後18年間大学院まで慶應の一貫教育を受ける。
安岡 章太郎(やすおか しょうたろう、1920年4月18日 … 安岡 章太郎(やすおか しょうたろう、1920年4月18日 - 2013年1月26日)は、日本の小説家。
堀田 善衛(ほった よしえ、1918年〈大正7年〉7月7日 … 堀田 善衛(ほった よしえ、1918年〈大正7年〉7月7日 - 1998年〈平成10年〉9月5日)は、日本の小説家、評論家。
那須 国男(なす くにお、1917年9月20日 - )は、日… 那須 国男(なす くにお、1917年9月20日 - )は、日本の作家、編集者、評論家、翻訳家。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。太平洋戦争時中ヴェトナムの日本大使館に勤務。 戦後、『個性』『人間』編集次長。1949年「還らざる旅路」で芥川賞候補。 フランス語の翻訳などしたのち、アフリカ評論家となる。
柴田 錬三郎(しばた れんざぶろう、1917年〈大正6年〉3… 柴田 錬三郎(しばた れんざぶろう、1917年〈大正6年〉3月26日 - 1978年〈昭和53年〉6月30日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、中国文学者。本名齋藤錬三郎(さいとう れんざぶろう)。代表作に『眠狂四郎』シリーズ、『赤い影法師』『御家人斬九郎』『三国志 英雄ここにあり』などがあり、剣客ブームを巻き起こし、時代小説に新風を送った。「シバレン(柴錬)」の通称でも呼ばれた。 岡山県邑久郡鶴山村(現・備前市)の地主・柴田知太の三男として生まれる。父は日本画家でもあった。3歳で父を亡くしたが、遺された漢籍に親しみ、唐宋詩人の詩を愛吟して育った。 鶴山尋常小学校を卒業後、1929年に旧制岡山県第二岡山中学校に進学。
戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 19… 戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 1993年1月23日)は、日本の演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。 東京市芝区三田四国町(現在の東京都港区芝)出身。旧姓山口。藤倉電線に勤める父・三郎、母ひさの長男として生まれる。父親の仕事の関係で中国に引っ越し、上海小学校に通い、帰国後愛宕小学校(東京都港区)に入学。山口家に男子が生まれたら母方の戸板家の養子になる約束があり、初めは「康夫」と名付けられたが、養子になった1923年7月9日、「康二」と改める。 幼時、母方の祖母で戸板裁縫女学校の創立者である戸板関子の養子となる。関東大震災のとき、鎌倉材木座の別荘にいた母親が幼い次男をかばって圧死するも、康二は東京の自宅にいたため難を逃れる。
江崎 惇(えざき あつし、1915年9月28日 - 1995… 江崎 惇(えざき あつし、1915年9月28日 - 1995年1月8日)は日本の小説家。 静岡県出身。慶應義塾大学を卒業後、放送局勤務を経て作家活動に入る。主に時代小説の分野で活躍した。
浅田 晃彦(あさだ てるひこ、1915年〈大正4年〉8月11… 浅田 晃彦(あさだ てるひこ、1915年〈大正4年〉8月11日 - 1996年〈平成8年〉7月31日)は、日本の小説家、医師。 群馬県勢多郡富士見村(現・前橋市)出身。 祖父・浅田長太郎は平藩の足軽の家の出で勢多郡新里村山上の浅田民次郎の養子となり、後に初代新里村長となった。 晃彦は勢多郡富士見村に生まれ、利根郡片品村で幼少期を過ごした。1934年(昭和9年)に旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)に慶應義塾大学医学部を卒業。翌1942年(昭和17年)陸軍軍医として入隊、ラバウルで勤務し1946年(昭和21年)に復員した。 戦後は前橋で内科小児科を開業し、のちに日本郵船の船医となる。
熊倉 正弥(くまくら まさや、1915年-1995年)は、日… 熊倉 正弥(くまくら まさや、1915年-1995年)は、日本の記者、作家。神田仁人(ほうじん)とも 。 熊倉弥五郎の次男で、姉に島津フミヨがいる。慶應大学出身。1939年に朝日新聞社へ入社し、論説委員などを務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
野口 冨士男(のぐち ふじお、1911年7月4日 - 199… 野口 冨士男(のぐち ふじお、1911年7月4日 - 1993年11月22日)は、日本の小説家。戸籍名は平井冨士男。日本文芸家協会理事長。 東京市麹町区生まれ。1913年に両親が離婚。慶應義塾幼稚舎では同級生に岡本太郎、藤山一郎がいた。慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学文学部予科に進むが留年、1930年に文化学院文学部へ転校する。1933年、文化学院卒業。 卒業後は紀伊国屋出版部で『行動』の編集に当たった。1935年、紀伊国屋出版部の倒産にともなって、都新聞社に入社。昭和10年代、『あらくれ』『現代文学』などの同人雑誌に執筆する。1936年から1937年まで河出書房に勤務。1938年、母方の籍に入って平井姓となる。
三橋 一夫(みつはし かずお、1908年8月27日 - 19… 三橋 一夫(みつはし かずお、1908年8月27日 - 1995年12月14日)は、日本の作家、健康研究家。 兵庫県神戸市生まれ。本名・敏夫。父親の三橋信三は三菱倉庫に勤務で、後、同社社長、三菱本社理事などを歴任。父親の影響で武術をはじめるが、一方で文学少年でもあった。 慶應義塾大学経済学部卒。在学中にヨーロッパへの留学経験がある。1940年ごろから同人誌『三田文学』、『文芸世紀』などに創作を発表し、終戦後の1948年には林房雄の紹介で『新青年』に「腹話術師」が掲載され、商業誌にデビューした。「不思議小説」と銘打った奇妙な作風で好評を博し、同誌の常連執筆者となる。『新青年』1949年6月号から同誌休刊の1950年7月号まで、横溝正史の命名による「まぼろし部落」のタイトルで不思議小説を毎号連載した。
大林 清(おおばやし きよし、1908年4月25日 - 19… 大林 清(おおばやし きよし、1908年4月25日 - 1999年10月27日)は、日本の小説家、劇作家。 第4代日本作家クラブ会長。日本放送作家組合(現・日本脚本家連盟)の創立以来、理事長を務め、日本著作者団体協議会会長など文化団体の会長、理事、評議員など歴任。 東京府立第一中学校を卒業後に慶應義塾大学仏文科入学。1932年に同校中退後、1933年同人雑誌「大衆文学」を創刊。1939年に長谷川伸が主宰する新鷹会に入会した。1939年頃、長谷川伸主宰の劇作研究会で舞台脚本を執筆。 1943年に野間文芸奨励賞を受賞。 戦後は都会風俗を描き、ラジオ、テレビの脚本を多く書き、「あの波の果てまで」などの人気テレビドラマの脚本を手掛けた。
西尾 正(にしお ただし、本名同じ、1907年12月12日 … 西尾 正(にしお ただし、本名同じ、1907年12月12日 - 1949年3月10日)は、日本の探偵小説家。作品は全て短編かつ怪奇小説的な作品である。代表作に「骸骨」「海蛇」「青い鴉」など。 1907年(明治40年)12月12日、東京府東京市本郷区に、亀の子束子の製造で知られる西尾商店の一族として生まれた。 慶應義塾大学経済学部に進学し、卒業後の1934年(昭和9年)、雑誌『ぷろふいる』六月号に「陳情書」を発表してデビュー。ただし、同作は発表直後に発禁になっている。 その後も『ぷろふいる』『新青年』などの雑誌に、コンスタントに短編を発表し続けた。太平洋戦争中は沈黙、戦後には執筆を再開している。 米国のパルプ・マガジンに取材した異色作なども発表している。
丸岡 明(まるおか あきら、1907年6月29日 - 196… 丸岡 明(まるおか あきら、1907年6月29日 - 1968年8月24日)は、日本の小説家。 東京市麹町にて、落合直文門下の歌人で能楽書林を設立した丸岡桂の長男として生まれる。祖父は沖縄・高知の県知事を務めた丸岡莞爾。暁星中学校から慶應義塾予科を経て、慶應義塾大学仏文科卒。在学中、水上滝太郎の知遇を得て1930年に『三田文学』に「マダム・マルタンの涙」を発表してデビューした。のち堀辰雄に師事し、1935年「生きものの記録」を『三田文学』に発表する。 1966年「静かな影絵」「街の灯」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。『堀辰雄全集』編纂委員を務めた。能の解説、編集も多く、原民喜をモデルとした『贋きりすと』などを書いた。
北原 武夫(きたはら たけお、1907年2月28日 - 19… 北原 武夫(きたはら たけお、1907年2月28日 - 1973年9月29日)は、日本の小説家。 神奈川県小田原市の医家に生まれる。神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)を経て、家業を継ぐべく旧制新潟高等学校理科に入学するが父に反抗して中退し、慶應義塾大学予科に入学。慶應義塾大学文学部仏文科に進むが国文科に転じ、1932年に卒業。在学中に、井上友一郎、田村泰次郎らの同人誌『桜』に参加。 都新聞社に入社。横浜支局に勤務。1934年、都新聞社本社に転勤。この間、1933年に宇野千代と知り合う。1936年、宇野千代と共に日本最初のファッション雑誌『スタイル』を創刊。1938年、『妻』を発表して芥川賞候補となり文壇にデビュー。
手塚 英孝(てづか ひでたか、1906年12月15日 - 1… 手塚 英孝(てづか ひでたか、1906年12月15日 - 1981年12月1日)は、日本の文学研究者、作家である。 山口県熊毛郡周防村(現光市小周防)に代々続く医師の長男として生まれる。維新の英蘭学者手塚律蔵は曾祖父の弟にあたる。 旧制徳山中学から慶應義塾大学に進学する。徳山中学在学中に19世紀ロシア文学を愛読、特にトルストイの影響を受ける。慶應在学中に社会運動に参加するようになり、その後当時非合法だった日本共産党に入党し、文化団体の活動をする。日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)の新人作家であったこの時期の作品に1932年に発表した「虱」がある。 1933年に検挙され、出獄した後は同じ中学の一年後輩だった宮本顕治の救援活動をおこない、宮本百合子と協力して獄中でのたたかいを支えた。
庄司 総一(しょうじ そういち、1906年(明治39年)10… 庄司 総一(しょうじ そういち、1906年(明治39年)10月6日 - 1961年(昭和36年)11月28日)は、昭和期の小説家・詩人・台湾文学者。筆名は、阿久見謙。同人雑誌『新表現』創刊・主催者。 山形県飽海郡北平田村漆曽根(現・酒田市)生まれ。 医師の子として生まれ、父親の仕事の都合で北海道、大連、台湾と居を変えながら、台南市の台南一中を卒業した。慶應義塾大学文学部英文科に進み、西脇順三郎の薫陶を受ける。阿久見謙の名で『三田文学』・『新三田派』に創作を発表しながら、内台共婚を題材にして描いた小説『陳夫人』で第1回大東亜文学賞を受賞した。次いで日本文学報国会の会員となり、皇民化運動の一翼を担った。
小川 記正(おがわ きせい、1906年 - 2000年2月2… 小川 記正(おがわ きせい、1906年 - 2000年2月27日)は、日本の脚本家、小説家、映画プロデューサーである。1950年(昭和25年)以降、映画の脚本を小川 正(おがわ ただし)の名で書いたが、後年のテレビ映画では「記正」に戻した。 1906年(明治39年)、北海道札幌市の代議士の長男として同市に生まれる。父親は資産家で、道内に大きな牧場をいくつか所有していたが、ある事件により投獄され、獄中死した。賭博好きの母親の浪費により家計が傾くなか、慶應義塾大学政治経済学部に学ぶ。 20代のころは松竹蒲田撮影所演出部で助監督を務め、25歳になる1931年(昭和6年)、短篇映画『真夜中商売』を監督したが、同作は公開されなかった。
原 民喜(はら たみき、1905年〈明治38年〉11月15日… 原 民喜(はら たみき、1905年〈明治38年〉11月15日 - 1951年〈昭和26年〉3月13日)は、日本の詩人、小説家。広島で被爆した体験を、詩『原爆小景』(1950年)や小説『夏の花』(1947年)等の作品に残した。 縫製業を営む裕福な家庭の五男に生まれた。慶大英文科に進み、ダダイズムの影響を受けた詩を発表する一方、左翼運動にも一時近づく。卒業後の翌年、掌編小説集『焔』(1935年)を自費出版。「三田文学」などに短編小説を発表するなど創作盛んであった。妻が病死した悲しみも創作への原動力となる。 郷里広島に疎開中に被爆。以降体調すぐれない中、「このことを書きのこさねばならない」という強い信念のもと、被爆体験を綴った。
宇野 信夫(うの のぶお、1904年7月7日 - 1991年… 宇野 信夫(うの のぶお、1904年7月7日 - 1991年10月28日)は、日本の劇作家、作家、歌舞伎狂言作者。 埼玉県本庄市生まれ、熊谷市育ち、その後浅草で暮らす。本名信男。埼玉県立熊谷中学校(現:埼玉県立熊谷高等学校)、慶應義塾大学文学部国語国文学科卒業。 父は埼玉県熊谷市で紺屋・染物屋を営んでいて、浅草に東京出張所と貸家(蕎麦屋と道具屋)を持っていた。中学を出た後は、その出張所から大学に通い、卒業後もそこで劇作にいそしみ、1944年まで住み続けた。その時代に、まだ売れていなかった、のちの古今亭志ん生ら貧乏な落語家たちが出入りして、彼らと交際した。6代目三遊亭圓生とも交友が深かった。新作落語をいくつか創作したが、サゲは噺家に一任した。
今井 達夫(いまい たつお、1904年3月3日 - 1978… 今井 達夫(いまい たつお、1904年3月3日 - 1978年5月6日)は、日本の小説家。筆名は本名と同じ。 長男として横浜市中区野毛に生まれる。父の今井秀松は山形県西村山郡朝日町出身で、横浜で兄弟生糸商を営む。母きみは山形県東村山郡山辺町の生まれで、安達峰一郎の妹。幼年期のほとんど毎夏、鵠沼で過ごす。1910年、横浜市尋常小学校に入学。1912年秋から父の療養のため神奈川県藤沢市鵠沼海岸下鰯に転居。鵠沼尋常小学校(現在の藤沢市立鵠沼小学校)に3年生で転校。同年、父秀松が死去。1916年に鵠沼尋常小学校を卒業、同年開校の私立藤嶺中学校に1回生として入学。 1920年(大正9年)、私立藤沢中学校(1918年改称)を4年で修了し、慶應義塾大学予科に入学。
瀬下 耽(せじも たん、1904年(明治37年)2月24日 … 瀬下 耽(せじも たん、1904年(明治37年)2月24日 - 1989年(平成元年)9月5日)は、日本の探偵小説家。代表作に「欺く灯」「柘榴病」など。別名義に秘名生。本名は綱良(つなよし)。 ペンネームは、オスカー・ワイルドの耽美主義的な小説に惹かれていたことによる。 現在の新潟県柏崎市出身。慶應義塾大学法学部卒。 1927年(昭和2年)、雑誌『新青年』の懸賞に応募した「綱」(ロープ)が第二席に入りデビュー。以後、同誌を中心に短編を多く発表する。この間、「四本足の男」のみは秘名生名義で発表した。 1933年(昭和8年)の「罌粟島の悲劇」を最後にいったん文筆活動から離れるが、太平洋戦争後の1947年(昭和22年)に「手紙」を発表し復帰する。
倉島 竹二郎(くらしま たけじろう、1902年11月9日 -… 倉島 竹二郎(くらしま たけじろう、1902年11月9日 - 1986年9月27日)は、日本の作家、囲碁将棋観戦記者。 日本文芸家協会会員、棋道懇談会会員、将棋盤側クラブ会長。 京都府京都市生まれ。父親は郵便局長。兄弟は兄が一人。祇園町にあった弥栄尋常小学校でのクラスメートに、後の嵐寛寿郎がいた。京都市立中学校を経て慶應義塾大学に入学。文学部国文科に籍を置き、在学時には『三田文学』に作品を発表。1929年卒業。1935年、東京日日新聞社(のちの毎日新聞社)入社。記者として囲碁将棋の観戦記者となった。 1938年応召。1943年に退社。終戦後、作家生活に入ったが、毎日新聞社の要請で再度、観戦記者となる。
渡辺 温(わたなべ おん、1902年8月26日 - 1930… 渡辺 温(わたなべ おん、1902年8月26日 - 1930年2月10日)は、日本の推理作家・幻想小説家。本名は温(ゆたか)。 渡辺伊太郎・渡辺ツネの三男、推理作家・渡辺啓助の実弟。北海道上磯郡谷好村(現在の北斗市)生まれ。 1905年2月東京市深川に転居、スラム街の社宅で幼少期を過ごす。1912年8月茨城県多賀郡高鈴村(現在の日立市)に転居。1920年、旧制水戸中学校を卒業し、慶應義塾大学予科文科に入学するが、翌1921年4月中退。1922年4月、慶應義塾高等部に入学。このころ、啓助と福田耕太郎とともに共同生活を営む。 1924年、プラトン社の雑誌『女性』と『苦楽』が行った映画原案の懸賞公募に「影」を投稿し、一等入選を果たす。
原 圭一郎(原 奎一郎、はら けいいちろう、1902年7月2… 原 圭一郎(原 奎一郎、はら けいいちろう、1902年7月20日 - 1983年7月24日)は、日本の伝記作家。本名:貢。