河野 一英(こうの かずひで/いちえい、1920年〈大正9年… 河野 一英(こうの かずひで/いちえい、1920年〈大正9年〉8月16日 - 2015年〈平成27年〉7月24日)は、日本の公認会計士(登録番号No.992)。正七位勲四等。元センチュリー監査法人(現・EY新日本有限責任監査法人)会長。大東文化大学名誉教授。商学博士。オーデリック特別顧問、日東工器・日本ライフライン・化学工業日報社・味の浜藤・シレン・各顧問、横浜化成監査役、大蔵省公認会計士試験委員、センチュリー監査法人会長を歴任した。 1920年、平田屋(のちの平田百貨店、現・高麗大然閣タワー)従業員の河野一三(広島県沼田郡緑井村出身)・房(旧姓・村井、三重県出身)夫妻の長男として朝鮮京畿道京城府にて出生した。
梁 粛戎(りょう しゅくじゅう、1920年〈民国9年〉8月8… 梁 粛戎(りょう しゅくじゅう、1920年〈民国9年〉8月8日 - 2004年〈民国93年〉8月27日)は、中華民国(台湾)の政治家。立法院長を務めた。 1920年、奉天省昌図県で出生する。 1941年、満洲国長春法政大学(長春大学)卒業。大学在学中の1939年に中国国民党の秘密党員となり、地下工作員として抗日活動に従事した。満州国の官吏養成機関であった大同学院、司法官訓練所で学ぶ。立法委員となってから、日本の明治大学で修士号を取得した後、1976年に博士号を取得(法学)。 満州国の検察官となるが、工作員であることが発覚して1944年3月に逮捕され、1945年(康徳12年)5月に満洲国法院で懲役12年の実刑判決を受けて服役する。
国枝 利通(くにえだ としみち、1920年6月23日 - 2… 国枝 利通(くにえだ としみち、1920年6月23日 - 2011年3月8日)は、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(内野手)、野球解説者、実業家。
有馬 輝武(ありま てるたけ、1920年(大正9年)6月20… 有馬 輝武(ありま てるたけ、1920年(大正9年)6月20日 - 2003年(平成15年)1月10日)は、昭和期の農林技官、労働運動家、政治家、俳人。衆議院議員(3期)。俳号・明彦(あきひこ)。 後の鹿児島県西之表市出身。海軍予備学生として出征し、海軍中尉で解員(復員)した。1946年(昭和21年)明治大学商学部を卒業した。 復員後は鹿児島食糧事務所勤務で組合運動に従事し、同所の労働組合委員長となる。全食糧労働組合の副委員長に就任するため1948年農林省食糧庁に転じ、農林技官兼農林事務官に任官。その後、全食糧労働組合中央執行副委員長、同中央執行委員長、全農林労働組合中央執行副委員長、同書記長、同中央執行委員長、鹿児島地方労働組合評議会事務局長などを務めた。
河西 俊雄(かわにし としお、1920年4月25日 - 20… 河西 俊雄(かわにし としお、1920年4月25日 - 2007年6月25日)は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・スカウト。
大洞 國光(おおほら くにみつ、1920年2月27日 - 没… 大洞 國光(おおほら くにみつ、1920年2月27日 - 没年不明)は、日本の経営者。角川書店社長を務めた。愛媛県出身。 1941年に明治大学専門部貿易科を卒業し、1947年に角川書店に入社した。1979年に常務に就任し、1992年に専務を経て、1993年9月には社長に就任。大株主である角川家の意向でわずか1か月で退任。
宮崎 仁郎(みやざき じろう、1920年2月8日 - 200… 宮崎 仁郎(みやざき じろう、1920年2月8日 - 2001年2月18日)は、長野県出身のプロ野球選手。ポジションは遊撃手。
林 義一(はやし ぎいち、1920年2月1日 - 2008年… 林 義一(はやし ぎいち、1920年2月1日 - 2008年1月17日)は、徳島県徳島市常三島出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997… 片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997年3月18日)は、日本の実業家、起業家。マルマングループ創業者。 岡山県出身。島根県立隠岐水産高等学校卒業。明治大学商学部卒業。 大学卒業後、日本水産入社。気性が強く、入社半年後に、経営方針を重役に手紙で送りつけたエピソードなどがある。工場長などを務めたのち、1950年に独立し、日本ゴールドメタル工業株式会社を設立(1962年に株式会社マルマンに商号変更)。1959年に国産第一号のガスライターを販売開始し、後にゴルフ用品の製造販売も始め、1971年にはゴルフ用品部門を独立させてマルマンゴルフ株式会社を設立。1977年からはゴルフトーナメントの開催を開始。
猪熊 幸夫(いのくま ゆきお、1920年1月2日 - )は、… 猪熊 幸夫(いのくま ゆきお、1920年1月2日 - )は、日本の射撃競技(ライフル射撃)選手。警察予備隊(のちに陸上自衛隊)所属。1952年ヘルシンキオリンピックに初の日本代表射撃選手として出場、1956年メルボルン・1960年ローマ大会にも連続出場した。またアジア競技大会2大会に出場。スモール・ボア・ライフル伏射種目で、1958年東京アジア大会では金メダルを獲得、1960年ローマオリンピックで6位入賞を果たした。 三重県出身。明治大学卒業。明治大学体育会射撃部は大学射撃部としては最古の歴史を持つとされ、第二次世界大戦後には師尾源蔵(日本ライフル射撃協会創設者)をはじめ平尾真、安齋實、岡田伝三、石崎育造といったOBらの努力によって射撃部の活動が再開されていた。
緩詰 修二(ゆるづめ しゅうじ、1920年 – 没年不明)は… 緩詰 修二(ゆるづめ しゅうじ、1920年 – 没年不明)は、日本の大日本帝国陸軍軍人。実業家。日本繊維新聞代表取締役社長を務めた。 福井県遠敷郡口名田村(現・小浜市)に生まれる。明治大学専門部を経て、1941年3月、歩兵第119連隊に入営して兵科甲種幹部候補生に採用され、豊橋予備士官学校を経て見習士官となる。1942年12月に陸軍歩兵少尉に任官した。[要出典] 1943年12月に歩兵第119連隊の第3歩兵砲小隊長に任命される。1944年1月にシンガポールに上陸した後、2月にマレーへ移駐。同月28日、事故の責任を取って自殺した前任者に代わり機動砲小隊長に任じられた。[要出典]5月にビルマに入る。
天野 竹一(あまの たけいち、1920年 - )は、静岡県出… 天野 竹一(あまの たけいち、1920年 - )は、静岡県出身のプロ野球選手。
天野 房三(あまの ふさぞう、1919年(大正8年)11月1… 天野 房三(あまの ふさぞう、1919年(大正8年)11月17日 - 2020年(令和2年)3月24日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都渋谷区長。 東京府東京市神田区(現千代田区西神田)出身。1944年、明治大学専門部文科卒業。 1949年、渋谷区役所に入庁。1966年、渋谷区区民部長。1968年、総務部長。1970年、助役。 1975年、東京都の特別区において区長の公選選挙が復活。4月27日に行われた渋谷区長選挙に、自民党の推薦を得た天野、社会党・民社党の推薦と公明党の支持を得た北田繁、共産党公認の羽渕三良の3人が立候補し、天野が次点の北田を70票差で下し、初当選した(天野:38,966票、北田:38,896票、羽渕:8,863票)。
芹沢 長介(せりざわ ちょうすけ、1919年10月21日 -… 芹沢 長介(せりざわ ちょうすけ、1919年10月21日 - 2006年3月16日)は日本の考古学者。東北大学名誉教授、東北福祉大学名誉教授。日本の旧石器時代研究の第一人者。 戦前のわが国では、縄文時代以前の日本列島に人類は居住していなかったと考えられていた。これを疑問視して、日本に旧石器時代の文化を発見し、その研究において学会をリードしてきた。日本の始源文化の解明に一生を捧げ、特に、1949年には群馬県岩宿遺跡の発掘に携わり、日本に旧石器時代の文化があったことを初めて確信した。その後、1963年に東北大学日本文化研究所助教授に着任すると、大分県の早水台(そうずだい)遺跡、栃木県の星野遺跡などの発掘調査で、前期旧石器時代の存在を確信した。 また、後期旧石器時代から縄文時代への移行を示す証拠を発見して、日本だけでなく、極東アジア地域全体を含めたスケールの中で、始源文化の関連性を明らかにしようとした。
山下 徳夫(やました とくお、1919年10月7日 - 20… 山下 徳夫(やました とくお、1919年10月7日 - 2014年1月1日)は、日本の政治家。位階は正三位。 厚生大臣、内閣官房長官、総務庁長官、運輸大臣、衆議院議員などを歴任。 佐賀県伊万里市出身。山下徳次郎の長男として誕生。福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)卒業後、明治大学専門部法科を経て、1944年、専修大学法学部卒業。 父の徳次郎は1926年に炭鉱向け材木店(現・ヤマシタ)を創業。大学卒業後の1947年に佐賀県議会議員に初当選。1949年に父の家業である山下徳次郎商店の代表取締役に就任する。その後、日本杭木協会理事や全国木材協会理事、佐賀県木材協会会長を歴任し佐賀県議会にて議員4期・議長2選を経て、1969年、旧佐賀県全県区から第32回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
原田 督三(はらだ とくぞう、1919年8月28日 - 19… 原田 督三(はらだ とくぞう、1919年8月28日 - 1976年3月30日)は、愛知県出身のプロ野球選手、野球解説者。ポジションは外野手。1948年~1955年まで原田徳光の登録名でプレー。
佐藤 文生(さとう ぶんせい、1919年7月21日 - 20… 佐藤 文生(さとう ぶんせい、1919年7月21日 - 2000年4月25日)は、日本の政治家。明治大学専門部卒業。別府市名誉市民。ジェラルド・カーティスの著書『代議士の誕生』のモデルとして知られた。 大分県別府市西部の温泉旅館主佐藤倉八の長男として出生。 地元の初等・旧制中学校を経て、明治大学専門部政治経済科に入学。1939年の卒業後、まもなく第二次世界大戦が勃発。陸軍大尉として従軍する。終戦後別府に戻り自動車セールスマンとして働きながら、「日本の伝統の良さを守りたい」という思いから政治に関心を持ち始めた。 佐藤家には政治家と直接のコネはなく、政界進出には大きな壁があった。そこで佐藤は実の妹を大分県議会議長の荒金啓治の子息に嫁がせた。
舟橋 和郎(ふなはし かずお、1919年7月2日 - 200… 舟橋 和郎(ふなはし かずお、1919年7月2日 - 2006年1月15日)は、日本の脚本家。兄は小説家の舟橋聖一。 東京府出身。東京帝国大学教授の四男として生まれる。母方の祖父に古河財閥幹部の近藤陸三郎がおり、裕福な家庭で育つ。1939年、東京高等学校在学中、治安維持法違反で検挙される。1943年、明治大学専門部文科(文芸科)を卒業。菊池寛の秘書を経て、1944年、大映企画部に入社、同年応召。翌年復員し、1946年、『彼と彼女は行く』を発表して脚本家に転じ、のちフリーとなる。1950年に映画『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』の脚本でシナリオ賞受賞。その他代表作に『雁の寺』、『兵隊やくざ』シリーズ、『与太郎戦記』シリーズなど。
丸谷 金保(まるたに かねやす、1919年〈大正8年〉6月2… 丸谷 金保(まるたに かねやす、1919年〈大正8年〉6月25日 - 2014年〈平成26年〉6月3日)は、日本の政治家。従四位。 北海道中川郡池田町町長、参議院議員(2期)などを歴任した。コンビニエンスストアチェーン・セイコーマート会長の丸谷智保は長男。 北海道中川郡池田町で理髪店の長男として生まれる。1942年、明治大学専門部法科を卒業した。在学中には哲学研究部に入り、穂積五一が運営する私塾で学生寮の「至軒寮」に出入りして、小林與三次、村山富市など保守革新を問わない幅広い人脈を築く。この時の人脈はのちに十勝ワインの販路拡大にも生かされる。 十勝日日新聞の編集長を務める傍ら農民運動に携わり、日本社会党に入党した。
岩澤 靖(いわさわ おさむ、1919年(大正8年)5月20日… 岩澤 靖(いわさわ おさむ、1919年(大正8年)5月20日 - 1993年(平成5年)1月12日)は日本の実業家。金星自動車、札幌トヨペット(現:AGHトヨタ札幌)、札幌観光、北海道テレビ放送の社長を務めた。許認可事業を手掛けることによって商機を見出し、政治力をつけることで事業を一気に拡大、北海道の政商と呼ばれた。 ほかに日本民間放送連盟、北海道乗用自動車協会の副会長、全国乗用自動車協会の常任理事、札幌地区乗用自動車協会、札幌ハイヤー協会の顧問、トヨタ自動車販売店協会、札幌第一高等学校の理事なども務めた。 岩澤弥衛八の次男として香川県で生まれる。1942年(昭和17年)明治大学商学部を卒業。 20代半ばで、姉が嫁いだ先が北海道拓殖銀行副頭取だったことを頼り、北海道に渡る。
野村 武史(のむら たけし、1919年4月5日 - 1985… 野村 武史(のむら たけし、1919年4月5日 - 1985年1月29日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(投手)。
児玉 利一(こだま りいち、1919年2月19日 - 200… 児玉 利一(こだま りいち、1919年2月19日 - 2008年9月3日)は、大分県大分市出身のプロ野球選手(内野手)、野球解説者。
原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 -… 原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 - 1997年(平成9年)1月29日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(14期)、運輸大臣、郵政大臣、経済企画庁長官を歴任した。長男は衆議院議員の原田憲治。 大阪府出身。父親は大阪府議会議長を務めた。大阪府立第十三中学校(現・大阪府立豊中高等学校)、関西大学予科を経て、1942年(昭和17年)明治大学専門部政治科を中退。池田産報協力工業労務課長、農工社勤労人事課長、原田印刷工業社長、阪神毎朝新聞社長などを務めた。 1946年(昭和21年)27歳で大阪2区(当時)より第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補したが落選。翌1947年(昭和22年)旧大阪3区より第23回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補し初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・松野頼三・倉石忠雄・石田博英・園田直・櫻内義雄・根本龍太郎・佐々木秀世・中村寅太など)。
矢野 純一(やの じゅんいち、1919年1月23日 - 20… 矢野 純一(やの じゅんいち、1919年1月23日 - 2002年12月22日)はプロ野球選手(野手)、元横浜大洋ホエールズ取締役球団代表。山口県出身。
菅 浦一(すが うらいち、1919年1月4日 - 2003年… 菅 浦一(すが うらいち、1919年1月4日 - 2003年11月23日)は、日本の実業家、馬主。 平和農産工業株式会社社長、日本馬主協会連合会第10代会長を務めた。 1919年、愛媛県出身。明治大学卒業後、三菱鉱業を経て1948年12月に製鉄原料の販売を手掛ける不二興産株式会社を設立した。ほかフェロアロイを取り扱う極東工業株式会社社長、ゴルフ場運営などを行う平和農産工業株式会社・西南観光開発株式会社各代表を歴任。2003年11月23日、肺気腫のため死去。83歳没。 趣味はゴルフ、読書。 日本中央競馬会に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は黄、赤鋸歯形、冠名には「アモン」を用いた。「株式会社アモン」の法人名義も存在し、そちらの勝負服の柄は黄、袖青一本輪、赤鋸歯形となっている。
山田 實(やまだ みのる、1918年10月29日 - 201… 山田 實(やまだ みのる、1918年10月29日 - 2017年5月27日)は、日本の写真家。1977年、沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞。2000年、沖縄県文化功労者として表彰。兄は、詩人の山田有勝。 沖縄県那覇市東町出身。那覇市で育ち、戦前から沖縄の写真を撮りはじめる。 二・二六事件の直後に明治大学専門部商科進学のため上京。明治大学新聞高等研究科二部卒業後、日産土木株式会社に入社。その後勤務地であった満州で召集。ソ連軍との交戦中に沖縄壊滅の知らせをきく。 敗戦後シベリアに抑留され、飢えと過酷な労働に2年間耐えた後、生還。東京での養生を経た1952年、まもなく那覇市に「山田写真機店」を開業。経営の傍ら、沖縄を写真で記録し続ける。
内田 芳郎(うちだ よしろう、1918年(大正7年)9月5日… 内田 芳郎(うちだ よしろう、1918年(大正7年)9月5日 - 2008年(平成20年)2月11日)は、日本の参議院議員。旧名・俊朗。 熊本県出身。1940年明治大学政治経済学部を卒業後、竹中工務店に勤務し、営業部長などを歴任。1965年に自由民主党から第7回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し当選。第3次佐藤内閣で通商産業政務次官に就任。日中協会役員などを務めた他、小金井カントリー倶楽部の理事を務め、愛好家として知られる内閣総理大臣・田中角栄にゴルフの手ほどきをした。
馬橋 隆二(まばし りゅうじ、1918年(大正7年)8月31… 馬橋 隆二(まばし りゅうじ、1918年(大正7年)8月31日 - 2000年(平成12年)5月16日)は、大宮市長(第13代 - 第15代)。弁護士。 埼玉県大宮町出身。1942年(昭和17年)明治大学法学部卒。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年(昭和18年)9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。横須賀鎮守府付工廠勤務となる。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進。同年9月、予備役に編入され解員(復員)となる。 戦後の1948年(昭和23年)二級事務官吏銓衡に合格し、運輸省に入る。一方で高等試験司法科試験にも合格した。
金 正斗(キム・ジョンドゥ、朝鮮語: 김정두、1918年8月… 金 正斗(キム・ジョンドゥ、朝鮮語: 김정두、1918年8月2日 - 1985年4月5日)は、大韓民国の裁判官、弁護士、政治家。大邱弁護士会(現・大邱地方弁護士会)会長、第8代韓国国会議員、民権党総裁権限代行を歴任した。 本貫は慶州金氏。元ソウル高等法院院長の金東建(朝鮮語版)は娘婿、裁判官の潘侹佑は孫娘婿。 日本統治時代の慶尚北道高霊郡出身。京城第1高等普通学校(現・京畿高等学校)、1941年明治大学法科卒。1945年司法要員考試合格。1948年大邱地方法院(朝鮮語版)判事、1951年大邱高等法院(朝鮮語版)判事、大邱地方法院・ソウル高等法院(朝鮮語版)部長判事、1968年第21代大邱弁護士会(現・大邱地方弁護士会)会長、第8代国会議員、慶州金氏宗親会中央会副会長、崇恵殿陵保存会専務理事、新民党統一分科委員長・大邱東地区党委員長、民権党中央党事務総長・慶北第2地区党委員長・総裁代行を務めた。
清水 秀雄(しみず ひでお、1918年7月8日 - 1964… 清水 秀雄(しみず ひでお、1918年7月8日 - 1964年3月23日)は、島根県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、一塁手、外野手。
朴 基玎(パク・キジョン、朝鮮語: 박기정、1918年6月7… 朴 基玎(パク・キジョン、朝鮮語: 박기정、1918年6月7日 - 1993年5月9日)は、大韓民国の教員、政治家。第2代慶尚南道議会(朝鮮語版)議員、第5代韓国国会議員を歴任した。 東萊公立高等普通学校(現・東萊高等学校(朝鮮語版))、明治大学専門部法科卒。国民学校(現・初等学校)教員、昌寧公立初級中学校及び改編後の霊山中学校(朝鮮語版)教員、醸造業経営を経て、第2代慶尚南道議会議員を務めた。1960年の第5代総選挙では昌寧郡選挙区から民主党所属で出馬して当選し、国会議員を1期務めた。なお、開票中盤には対立候補の自由党の辛泳柱(朝鮮語版)の先行を許さない昌寧郡民が投票箱に火をつけ、辛陣営の運動員と乱闘した末、辛候補を捕まって「郡民裁判」を行ったという前代未聞の騒乱事件が発生した。
藤本 英雄(ふじもと ひでお、1918年5月18日 - 19… 藤本 英雄(ふじもと ひでお、1918年5月18日 - 1997年4月26日)は、山口県下関市彦島(朝鮮・釜山生まれ)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
下出積与(しもで せきよ、戸籍上は「積與」。1918年4月2… 下出積与(しもで せきよ、戸籍上は「積與」。1918年4月20日 - 1998年5月16日)は、日本の歴史学者。研究分野は宗教史。明治大学名誉教授。 石川県出身。大聖寺中学校、1938年3月第四高等学校文科甲類卒業し、1941年、東京帝国大学文学部国史学科卒業。北國新聞社、旧制小松中学、大聖寺高校教諭、金沢高師教授を経て、1949年、金沢大学法文学部助教授、のち文学部教授。1968年、明治大学教授となり、1989年定年退任、名誉教授。 1975年に「日本古代の神祇と道教」により東京大学から文学博士の学位を取得。道教、神道などを研究した。
伊藤 庄七(いとう しょうしち、1918年3月20日 - 1… 伊藤 庄七(いとう しょうしち、1918年3月20日 - 1999年3月6日)は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。
川島 雄三(かわしま ゆうぞう、1918年2月4日 - 19… 川島 雄三(かわしま ゆうぞう、1918年2月4日 - 1963年6月11日)は、日本の映画監督。 青森県下北郡田名部町(現在のむつ市)生まれ。家は代々伝わる商家(酒屋)で、もともとは近江商人の出。父・徳蔵、母・ヨシの三男として生まれる。ヨシは下北半島の大畑八幡神社の娘で、川島が5歳のとき死亡。その後は義母に育てられる。運動は駄目だったが、成績優秀で本を読むのが好きな子供だった。 青森県立野辺地中学校(現:青森県立野辺地高等学校)卒業。明治大学専門部文科文芸科に入学、学生時代は映画研究部に在籍。大学卒業後、松竹大船撮影所監督部に入社。撮影所前の松尾食堂に入り浸り、居候となる。食堂の娘と縁談話が持ち上がったが、子供を作れない体であることを理由に断る。
山田 實(やまだ みのる、1918年 - )は、日本の写真家… 山田 實(やまだ みのる、1918年 - )は、日本の写真家。1977年、沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞。2000年、沖縄県文化功労者として表彰。兄は、詩人の山田有勝。
朴 瓚鉉(パク・チャニョン、朝鮮語: 박찬현、1917年9月… 朴 瓚鉉(パク・チャニョン、朝鮮語: 박찬현、1917年9月23日 - 1991年9月24日)は、大韓民国の法学者、警察官僚、政治家、実業家、外交官。保健社会部次官、第12代交通部長官、第23代文教部長官、制憲・第4・5・9代韓国国会議員を歴任した。 本貫は密陽朴氏。号は霞庭。 釜山出身。釜山第二公立商業学校を経て、1941年明治大学法学部卒。同大法律特別研究室での国際司法研究を経て、1955年ミズーリ州立大学大学院政治科修了。満洲国奉天省での農場経営を経て、光復後は釜山水上警察署長、大学講師、第7管区警察庁・慶尚南道警察局公安課長、釜山東亜大学政治科副教授・教授(1951年、国際司法を担当)、国際新報社長、釜山日報社長(1951年)、釜山女子大学長、第4代国会財経委員、保健社会部政務次官、第12代交通部長官(1961年5月3日~1961年5月18日)、国民の党幹事長(1963年)、京郷新聞社長(1966年)、駐トルコ大使(サウジアラビア・ヨルダン兼任)、駐インド大使(アフガニスタン・バングラデシュ兼任)、韓インド協会長、第23代文教部長官(1977年12月20日~1979年12月13日)、韓国外国語大学校大学院教授(1981年)、世宗大学校財団理事長(1990年)を歴任した。
有坂 隆祐(ありさか りゅうすけ 「たかひろ」とも、1917… 有坂 隆祐(ありさか りゅうすけ 「たかひろ」とも、1917年9月15日 - 1986年11月27日)は、東京府出身の男性フィギュアスケート選手、指導者。戦前から戦後にかけて全日本選手権を5度優勝した。明治大学卒。 幼時に北海道札幌市に移る。小学校4年の時にスケートを始め、札幌商業学校入学後に、アイスホッケーからフィギュアに転向。その後北海中学に移り、有望選手として注目される。1935年明治大学に入学し、1935-1936年シーズンの全日本フィギュアスケートジュニア選手権で優勝するが、翌年右足首を骨折する。その後再起し、1939-1940年シーズンに全日本選手権で初優勝。以後、戦時中止を挟みながらも、全日本選手権で4連覇し、1950-1951年シーズンの全日本選手権では5度目の優勝を果たした。
江川 友治(えがわ ともじ、1917年9月2日 - 2012… 江川 友治(えがわ ともじ、1917年9月2日 - 2012年8月8日)は、日本の土壌学者。元農林水産省農業技術研究所長・明治大学教授。日本の畑土壌の改善に関わる研究に従事した。 現在の静岡市清水区に生まれる。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1941年、東京帝国大学農学部農芸科学科卒業。同年4月、農林水産省農事試験場助手、三井進午研究室に配属。1942年2月、農事試験場技手となった後、同年4月、臨時召集された。福知山連隊、中国保定、武昌、鹿児島の知覧・万世特攻隊基地、東京の立川、大阪府の貝塚飛行場と転戦・移動し、1945年8月、敗戦、復員した。 1946年4月、復職。同年9月、農事試験場勤務、1947年、農事試験場土壌肥料部、1950年4月、農業技術研究所化学部土壌第1科土壌化学第2研究室長、1964年8月、農林水産省北海道農業試験場農芸化学部長、1973年、農林水産省農業技術研究所長。
野口 明(のぐち あきら、1917年8月6日 - 1996年… 野口 明(のぐち あきら、1917年8月6日 - 1996年10月5日)は、日本の野球選手。プロ野球・中日ドラゴンズの監督も務めた。明、二郎、昇、渉とプロ野球選手を輩出した野口四兄弟の長兄。
渡辺 美恵(わたなべ みえ、1917年〈大正6年〉5月23日… 渡辺 美恵(わたなべ みえ、1917年〈大正6年〉5月23日 - 没年不詳)は、日本の厚生官僚。日本の女性行政官第一号。 大分県大分郡谷村筒口(現・大分県由布市狭間町筒口)に生まれる。幼くして父を亡くしたため、母一人、姉一人の家庭であった。大分県立第一高等女学校(現・大分県立大分上野丘高等学校)を経て、明治大学専門部女子部(のち明治大学短期大学)法科に入り、1938年(昭和13年)卒業。明治大学専門部女子部では成績が優秀で卒業生総代として答辞を述べている。同年同大学法学部に入る。1941年(昭和16年)卒業。同郷の金光庸夫の世話で厚生省労働局に雇(やとい)として入り、労働局労務官室に配属される。
加藤 春雄(かとう はるお、1917年3月25日 - 196… 加藤 春雄(かとう はるお、1917年3月25日 - 1961年2月27日)は、岐阜県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。後、加藤久幸に改名。弟は戦前の名捕手で特攻死した加藤三郎と、近鉄の内野手だった加藤政一。
金 鎮元(キム・ジヌォン、朝鮮語: 김진원、1917年3月1… 金 鎮元(キム・ジヌォン、朝鮮語: 김진원、1917年3月18日 - 2001年3月26日)は、大韓民国の政治家。茂朱面(現・茂朱邑(朝鮮語版))副面長・面長、茂朱郡郡守、第4代韓国国会議員。 日本統治時代の全羅北道(現・全北特別自治道)茂朱郡出身。広島県立世羅中学校(現・広島県立世羅高等学校)、明治大学専門部・法科卒。朝鮮放送協会での3年間の勤務を経て、茂朱面(現・茂朱邑(朝鮮語版))副面長(1949年時点)・面長、第7代茂朱郡守(1954年5月18日~1957年11月25日)、茂朱水利組合長、国民会茂朱郡支部長、自由党茂朱郡党委員長・中央委員、第4代国会内務委員会委員を務めた。 2001年3月26日、富川の病院で持病により死去。
青木 一雄(あおき かずお、1917年〈大正6年〉2月20日… 青木 一雄(あおき かずお、1917年〈大正6年〉2月20日 - 2001年〈平成13年〉7月13日)は、元NHKアナウンサー。 青木一雄1968 / 野村泰治1968-1973 / 中江陽三1973-1976.3 / 加治章1976.4-1978.3 / 川野一宇1978.4-1981.3 / 松平定知1981.4-1984.3 / 吉川精一1984.4-1987.3 / 佐藤充宏1987.4-1988.3 / 徳田章1988.4-1989.3 / 佐藤充宏(再)1989.4-1990.3 / 徳田章(再)1990.4-1991.3
斎藤 隆介(さいとう りゅうすけ、1917年1月25日 - … 斎藤 隆介(さいとう りゅうすけ、1917年1月25日 - 1985年10月30日)は、日本の児童文学作家。本名は隆勝(たかかつ)。 短編童話集『ベロ出しチョンマ』で、1968年に第17回小学館文学賞、『天の赤馬』で、1978年に第18回日本児童文学者協会賞、『ソメコとオニ』で、1987年に第10回絵本にっぽん賞を受賞。 東京都生まれ。山本有三を慕って明治大学専門部文科(文芸科)に入学。在学中ゴーリキーの影響を受ける。卒業後、北海道新聞、秋田魁新報の記者を歴任。新聞記者のかたわら著作活動に入る。 秋田地方の方言、オノマトペをふんだんにちりばめた民話の体裁をとりながら、ほとんどは斎藤の創作童話である。
上林 繁次郎(かんばやし しげじろう、1917年〈大正6年〉… 上林 繁次郎(かんばやし しげじろう、1917年〈大正6年〉1月13日 - 2002年〈平成14年〉2月8日)は、日本のプロ野球選手、政治家。 日大三中から明治大学へ進学。卒業後に満洲電電へ進み、1947年に中部日本ドラゴンズへ入団。 1949年に東急フライヤーズへ移籍。この年は93試合に出場し、翌年も73試合に出場した。東急時代にバッテリーを組んでいた白木義一郎(池田大作の妻・香峯子の従兄弟)に折伏されて創価学会に入信。 1952年に毎日オリオンズへ移籍し、1953年に現役引退。1954年から2年間、高橋ユニオンズでコーチを務めた。 1955年のシーズン中に創価学会を支持母体として船橋市市議会議員選挙に立候補して当選。
北田 正典(きただ まさのり、大正6年(1917年)1月10… 北田 正典(きただ まさのり、大正6年(1917年)1月10日 - 平成22年(2010年)8月28日 )は、日本の実業家。石油通信社社長。外交官北田正元は叔父。 代言人北田正董の子・正寅の長男。昭和9年(1934年)東京府立一中卒業。早稲田大学専門部修了、昭和16年(1941年)早稲田大学法科、昭和26年(1951年)明治大学政治科各卒業。日本精工会社などに勤め、昭和34年(1959年)米国に於ける世界石油会議に出席。米英独仏伊、スイス、ギリシャ、エジプト、レバノン、クウェート、印度、パキスタン、タイ等欧米中東の石油事情を視察す。 宗教は神道。東京都港区在籍。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
藤尾 正行(ふじお まさゆき、1917年〈大正6年〉1月1日… 藤尾 正行(ふじお まさゆき、1917年〈大正6年〉1月1日 - 2006年〈平成18年〉10月22日)は、日本の政治家。位階勲等は正三位勲一等。 衆議院議員(11期)、文部大臣(第109代)、労働大臣(第43代)、自由民主党政務調査会長(第31代)を歴任した。 東京生まれ。関東大震災で家が焼失したことから、移住先の神戸で少年時代を過ごす。教員への暴力事件で旧制神戸第一中学校を放校処分になった後、明治大学予科に進むが、ここでも教員への暴力により中退。応召し、2年間の兵役に従事して病気除隊後、上智大学文学部新聞学科卒業。 読売新聞社記者を経て、河野一郎に見出され1963年の第30回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧栃木2区から出馬し、初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫らがいる)。
長谷川 治(はせがわ おさむ、1916年6月9日 - 199… 長谷川 治(はせがわ おさむ、1916年6月9日 - 1993年5月10日[1])は、和歌山県出身の元プロ野球選手、高校野球監督。ポジションは投手。
姿 節雄(すがた せつお、1916年 <大正5年> 5月15… 姿 節雄(すがた せつお、1916年 <大正5年> 5月15日 - 1999年 <平成11年> 2月18日)は日本の柔道家(講道館9段)。広島県神石郡神石町(現・神石高原町)古川出身。 子供の頃から柔道を始め(記録上の講道館入門は1932年4月で15歳の時)、1934年の3月に県立府中中学校を卒業する時には全国でも数少ない中学生での3段位に列せられた。 卒業後は上京して明治大学の専門部へ入学し、名人・三船久蔵の内弟子に。入学から3ヵ月後に4段、翌35年1月には2年生の弱冠18歳ながら5段に昇段して同年秋の講道館紅白試合では5段の部で5人抜きを達成している。 3年次の1936年4月30日に福岡市で開催された第1回全日本東西対抗大会(両軍32人ずつの抜き試合)には大会最年少選手として出場し、武専の名手・阿部謙四郎5段をあっさり横四方固で降したものの、続く南満州鉄道の加藤幸蔵5段には跳巻込で敗れた。