金澤 富夫(かなざわ とみお、1933年〈昭和8年〉 - 2… 金澤 富夫(かなざわ とみお、1933年〈昭和8年〉 - 2015年〈平成27年〉)は、日本の実業家。Olympicグループ(旧・オリンピックショッピングセンター)の創業者。 東京都に生まれる。1956年、明治大学商学部を卒業後、家業である山金に入社し専務を務めた後に、オリンピックショッピングセンターを設立した。1962年、オリンピックショッピングセンター(現・Olympicグループ)の代表取締役に就任し、総合ディスカウントストア事業の拡大を進めた。1968年には吉祥寺名店会館社長、1969年にはオリンピックビル代表取締役を兼務するなど、関連会社の経営にも携わった。 1973年、オリンピックショッピングセンター社長に就任。
堀 威夫(ほり たけお、1932年(昭和7年)10月15日 … 堀 威夫(ほり たけお、1932年(昭和7年)10月15日 - )は、日本の芸能プロモーター、実業家。ホリプロ創業者。宇都宮ビジネス電子専門学校名誉顧問、宇都宮アート&スポーツ専門学校名誉顧問。社団法人日本音楽事業者協会理事長なども歴任した。 横浜市生まれ。浅野学園時代からサークルでバンド活動に勤しみ、1948年(昭和23年)にワイキキ・ハワイアンズを結成。明治大学商学部時代の52年には、小坂一也、井原高忠等とともに学生バンドのワゴン・マスターズにスカウトされ、ギタリストとして活躍した。 卒業後、文化放送でのアルバイトを経て、1957年(昭和32年)にスウィング・ウエストを結成しリーダーとなり、田辺昭知がドラムを叩いた。
諸橋 廷蔵(もろはし ていぞう、1932年(昭和7年)7月2… 諸橋 廷蔵(もろはし ていぞう、1932年(昭和7年)7月28日 - 2003年(平成15年)2月24日)は、福島県出身の日本の実業家。ゼビオホールディングスの創業者。ゼビオホールディングス代表取締役社長の諸橋友良は娘婿。 福島県にて出生。明治大学商学部卒業後の1962年、現在のいわき市に紳士服小売業サンキョウ(現ゼビオホールディングス)を創業。大型スポーツ店を中心に全国に100店舗以上を展開。子会社には、ゴルフパートナーやヴィクトリアなど。一代で、東証1部上場を果たした。また、上場益により、世界的なサルバドール・ダリのコレクションで知られる諸橋近代美術館を設立した。 諸橋友良ゼビオホールディングス代表取締役社長は娘婿。
清水 文人(しみず ふみと、1931年(昭和6年)11月25… 清水 文人(しみず ふみと、1931年(昭和6年)11月25日 - 1997年(平成9年)6月1日)は、日本の書籍編集者、実業家。 長野県南佐久郡佐久町(現佐久穂町)出身。明治大学大学院(商学研究科)修了、1956年に双葉社に入社。『世界の秘境』編集部などをへて、1965年「漫画ストーリー」の編集長に就任。 1967年、青年コミック誌のさきがけとして「週刊漫画アクション」を創刊。「漫画で文学をやる」として新機軸を打ち出し、初代編集長として「ルパン三世」、「子連れ狼」、「じゃりン子チエ」などのヒット作を生みだす。ルパン三世において石川五右衛門を登場させ、女性の細かい描き方を指示するなど、キャラクター設営にまで及んだ細かい指示出し等により、多くの劇画・漫画家を育てたとされる。
谷島 茂之(たにしま しげゆき、1931年11月5日 - 2… 谷島 茂之(たにしま しげゆき、1931年11月5日 - 2014年5月5日 )は、日本の経営者。広島県三原市出身。 1956年に明治大学商学部を卒業し、同年に西武百貨店に入社。1970年に西友に転じ、1974年に取締役に就任し、1980年に常務、1984年に専務、1986年5月に取締役を経て、1987年12月に忠実屋に転じ、1991年5月に社長に就任し、1994年3月にはダイエー副社長に就任。1996年6月から2000年6月までにサンテレビジョン社長を務めた。 2014年5月5日、死去。82歳没。
新井 裕(あらい ひろし、1929年〈昭和4年〉11月6日 … 新井 裕(あらい ひろし、1929年〈昭和4年〉11月6日 - 2018年〈平成30年〉8月18日)は、群馬県出身の実業家。第一勧業銀行副頭取、オリエントコーポレーション社長などを務めた。 1929年、群馬県前橋市出身。1947年旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業。1953年に明治大学商学部を卒業し、第一勧業銀行入行。1973年赤羽支店長となり、以降は神保町、堂島、昭和通、京橋支店の各支店長を歴任した。1982年に取締役営業第二部長、1984年に常務取締役、1987年に代表取締役専務、1988年に代表取締役副頭取に昇進。1992年に山万アーバンフロント代表取締役社長、翌1993年にオリエントコーポレーション社長に就任。
河野 典男(こうの のりお、1928年11月19日 - 20… 河野 典男(こうの のりお、1928年11月19日 - 2020年1月23日)は、日本の実業家。東急グループの建設会社である世紀東急工業株式会社の社長・会長を務めた。 1928年11月19日、東京府荏原郡東調布町(現・大田区)に生まれる。東京実業学校、海兵団砲術学校を経て、1953年に明治大学商学部を卒業した。 1953年、父・河野一三と五島慶太の縁で東急電鉄に入社し、改札係、車掌、運転士などを経験した。その後、私鉄経営者協会への派遣、本社勤労部勤務などを経て、1961年に東急建設へ出向した。 東急建設では総務課係長、総務部長、横浜副支店長などを歴任し、1973年に取締役、1976年に常務、1981年に専務、1988年に副社長に就任した。
内田 庶(うちだ ちかし、1928年11月6日 - 2019… 内田 庶(うちだ ちかし、1928年11月6日 - 2019年3月14日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、編集者、著作権コンサルタント、実業家。東京都出身。日本ユニ著作権センター代表理事理事兼顧問著作権相談員。本名は宮田 昇(みやた のぼる)。1953年、明治大学文学部文学科中退。 戦後、近代文学社、南雲堂などに勤務ののち、1952年から早川書房の編集者となり、ハヤカワ・ポケット・ミステリの創刊を企画する。のち1955年に退社し、チャールズ・イー・タトル商会で勤務するかたわら、ペンネーム内田庶(うちだ ちかし)名で数多くの児童書の執筆・翻訳を手がける。1967年、独立して矢野浩三郎と矢野著作権事務所を興す。
許 佶(ホ・ギル、朝鮮語: 허길、1928年7月10日 - … 許 佶(ホ・ギル、朝鮮語: 허길、1928年7月10日 - 2016年3月18日)は、大韓民国の実業家、政治家。第5代韓国国会議員。 本貫は陽川許氏。キリスト教徒。元法務法人太平洋顧問の許京旭(朝鮮語版)は息子。 日本統治時代の京畿道金浦郡(現・金浦市)出身。城東高等学校、東国大学(現・東国大学校)専門部文科大学卒。高麗大学校政法大学法科2年修了。明治大学政経学部3年卒、同大学院国際政治科2年修了。共盛染料株式会社専務理事・専務取締役、大韓行政学会理事、陽川許氏中央宗親会顧問、陽川許氏本山宗親会長・長安宗親会長、民主党中央党常務委員・中央委員・金浦郡党委員長を務めた。 2016年に死去。享年88。
藤井 一雄(ふじい かずお、1927年9月2日 - )は、日… 藤井 一雄(ふじい かずお、1927年9月2日 - )は、日本の実業家、馬主、競走馬生産者。 1960年代に障害競走で活躍したフジノオーの馬主として知られる。 1927年、山口県出身。明治大学商学部卒業後、1971年に果実、家畜などの貿易を行う藤井治商事株式会社の取締役社長に就任。1963年11月には日本バナナ輸入組合理事長、1969年7月には日本柑橘輸入組合理事長に就任している。1967年11月には農事功労章を受章した。1978年には、藤井治商事が日本中央競馬会の代理としてアメリカから種牡馬・ハンザダンサーを購入したが、その際に日本中央競馬会へ提出した明細と、アメリカの売主が証言した売却額に食い違いがあったことで、藤井治商事が「手数料」を不正に受領した疑惑が持ち上がった(詳細はハンザダンサー事件を参照)。
古賀 梶夫(こが かじお、1926年(大正15年)11月18… 古賀 梶夫(こが かじお、1926年(大正15年)11月18日 - )は、日本の実業家、建築技術者。国土総合建設(現:あおみ建設)元社長。神奈川県川崎市在籍。元通産・経産官僚、政治経済評論家の古賀茂明の父。 福岡県出身。古賀要市・ユクの次男として生まれる。1945年(昭和20年)海軍経理学校(36期)、1952年(昭和27年)明治大学商学部を卒業し、同年4月鉄鉱業に入社。 1961年(昭和36年)12月退社し、ブルドーザー工事(現:青木あすなろ建設)に入社。1967年(昭和42年)9月経理部長、1968年(昭和43年)5月取締役に就任。1971年(昭和46年)2月経理部長兼電算部長、1972年(昭和47年)7月事務本部副本部長委嘱。
若原 泰之(わかはら やすゆき、1926年2月26日 - 2… 若原 泰之(わかはら やすゆき、1926年2月26日 - 2005年8月8日)は岡山県出身の実業家。 明治大学出身。朝日生命保険社長の他、生命保険協会会長を二度に渡って務めた。また、経団連1%クラブの会長なども務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菅 貞人(かん さだと、1926年(大正15年)1月5日 -… 菅 貞人(かん さだと、1926年(大正15年)1月5日 - )は、日本の実業家。旧名は韓吉昌。 1926年に満洲で軍人の子として生まれる。1943年に満州国留学生として来日。終戦後に東京・小石川になった満州国留学生会館に住み、苦学して明治大学商学部(夜間)を卒業し、出版社を経営する一方で紙の特別配給を受けて大半の紙を闇で売りさばいて利益を上げた。その利潤を元手に高利貸しも行い、1954年頃から不動産業や自動車修理業を手広く経営し、1955年に北海道製糖を買収して製糖業界にも手を広げた。1959年に旧満州国籍から日本国籍に帰化した。1958年に共和製糖を買収し瞬く間に事業を拡大、1961年にはセブンアップの関西地方での販売権を獲得(のちのチェリオコーポレーション)。
神畑 重三(かみはた しげぞう、1926年 - 2017年1… 神畑 重三(かみはた しげぞう、1926年 - 2017年12月25日)は、日本の実業家。カミハタ養魚グループの創業者である。神畑養魚株式会社、株式会社キョーリンのCEOを務めた。探検家としても知られる。 1926年、兵庫県姫路市に生まれる。1949年、明治大学卒業後、兵庫県庁に勤めるが、3日で退職。家業であった食用鯉の養殖業を継ぐ。食文化の変遷から食用鯉に未来がないと判断、観賞魚である錦鯉に目をつけ業態を変換する。1961年に神畑養魚株式会社を設立後は、錦鯉の養殖から熱帯魚の輸入卸にシフトしていく。1968年に観賞魚飼料の商社である株式会社キョーリンを設立。1979年に工場部門としてキョーリンフード工業株式会社を立ち上げ、一代でカミハタ養魚グループを築き上げる。
井上 正治(いのうえ しょうじ、1925年11月14日 - … 井上 正治(いのうえ しょうじ、1925年11月14日 - 1990年5月23日)は、日本の経営者。東京証券社長を務めた。新潟県小千谷市出身。 1950年に明治大学政治経済学部を卒業し、同年に日興證券に入社した。1969年に取締役に就任し、1972年に常務、1977年に専務、1981年に副社長を経て、1985年12月に東京証券社長に就任。 1989年に藍綬褒章を受章。 1990年5月23日心筋梗塞のために在任中に死去。64歳没。
椎野 英之(しいの ひでゆき、1924年9月9日 - 197… 椎野 英之(しいの ひでゆき、1924年9月9日 - 1976年12月2日)は、日本の映画プロデューサー、実業家である。日本映画テレビプロデューサー協会事務局長、東宝映画常務取締役を歴任した。東京都出身。 19443年[疑問点 – ノート]に文学座に入団。終戦の年に明治大学を卒業し時事新報の記者として入社。文化・社会・政治を中心に活躍。1950年に菓子店を経営し1951年に「雲の会」発行の雑誌『演劇』の編集者となる。1952年に東宝撮影所に入社。文芸部を経て、1960年に東京映画に移籍し、佐藤一郎製作のもと、川島雄三監督の映画『赤坂の姉妹 夜の肌』で「企画」としてクレジットされる。翌1961年(昭和36年)には、永島一朗と連名で、女優・田中絹代の監督作品『女ばかりの夜』で「製作」にクレジットされる。
高木 吉友(たかぎ よしとも、1924年(大正13年)1月2… 高木 吉友(たかぎ よしとも、1924年(大正13年)1月25日 - 1991年(平成3年)6月3日)は、日本の実業家。 秋田県雄勝郡院内町出身。旧姓は伊藤。明治大学法学部中退。 養父から受け継いだ商店を企業として発展させ、不動産・旅行代理店・家電量販店等の事業にも進出。首都圏を代表するスーパーマーケットチェーン忠実屋を築き上げた。1954年に株式会社化すると社長に就任し、1991年に会長となった。同年6月3日、心不全のため死去。 1987年藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
豊田 善一(とよだ ぜんいち 1924年〈大正13年〉1月2… 豊田 善一(とよだ ぜんいち 1924年〈大正13年〉1月2日 – 2004年〈平成16年〉11月1日)は、日本の実業家。 1924年、出生。明治大学卒業後、野村證券に入社し、田淵節也会長と2人3脚で事業法人を立ち上げるなどして、ガリバーと言われた野村證券を築き上げた。 野村證券の副社長時代には、次期社長と思われたが、大蔵省から反対意見が入ったことなどもあり、系列の国際証券に転じ、社長、会長を歴任した。 後にKOBE証券会長も務めるなど、常に証券営業のトップで活躍し、証券業界を代表する人物の一人とも言われた。 1988年、藍綬褒章を受章。 2004年11月1日、肺炎のため死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
岩田 巌(いわた いわお、1923年10月7日 - 1986… 岩田 巌(いわた いわお、1923年10月7日 - 1986年5月22日)は、日本の実業家。 北海道出身。岩田徳治の長男。子息に岩田圭剛がいる。1944年に明治大学商学部を卒業したが、軍に召集を受けた。 1946年に復員後、岩田組に入社した。1949年に岩田建設専務取締役となり、1960年同社長に就く。 江別大橋、幌平橋、豊水橋、雁来大橋などを手掛け、父に続いて「橋の岩田」と称された。また北海道学芸大学附属小学校・北海道学芸大学附属中学校、北海道立図書館などを手掛けた。 公職として札幌建設業協会理事・北海道建設業協会理事(以上1972年就任)、札幌建設業協会副会長(1981年就任)を務め、1982年には札幌建友会会長に就任した。
中根 英郎(なかね ひでろう、1923年9月19日 - 19… 中根 英郎(なかね ひでろう、1923年9月19日 - 1982年2月25日)は、日本の経営者。日動火災海上保険社長、会長を務めた。 愛知県出身。1946年に明治大学商学部を卒業し、1950年11月に日動火災海上保険に入社。1963年6月に取締役に就任し、1966年2月に常務、同年6月に専務を経て、1972年6月に副社長に就任し、1977年7月には社長に昇格。 1982年2月25日、肝硬変のために死去。58歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中根 英朗(なかね ひでろう、1923年(大正12年)9月1… 中根 英朗(なかね ひでろう、1923年(大正12年)9月19日 - 1982年(昭和57年)2月25日)は、日本の実業家。 大衆保険市場のパイオニアとして長い歴史をもつ、安田財閥系の日動火災海上保険の社長に就任後、代理店連合会の発足、自動車保険損害調査を中心とするオンラインシステムの完成など、募集網強化と契約者サービス向上を推進。同社史上画期的と言われた首都圏営業体制の強化及び、全国拠点網の整備など、同社発展の礎をつくった。また、業容拡大と共に、資本金を86億円から120億円に増資し、業界上位企業としての地位を揺るぎないものにした。 社外に於いては、損保事業研究所幹事や、日本損害保険協会理事などを歴任し、業界の発展に尽力した。
李 鍾煥(イ・ジョンファン、韓国語:이종환、1923年5月〈… 李 鍾煥(イ・ジョンファン、韓国語:이종환、1923年5月〈戸籍上は1924年1月9日〉 - 2023年9月13日)とは、大韓民国の実業家、慈善家。三栄化学グループ(朝鮮語版)の創業者。号は「冠廷」。 慶尚南道宜寧郡生まれ。本貫は広州李氏。馬山中学校を卒業後、1942年に明治大学商経科に留学。「日本人を越えるには日本人より勉強しないといけない」と考えていたが、1944年に徴兵され満洲に送られた。1945年8月に部隊は沖縄へ移動となったが、その途中の朝鮮半島で終戦を迎える。この時の考えから、青年がお金の心配をせず勉強できなければならないという考えを抱いた。 戦後は精米所の事業を始め、朝鮮戦争後は東大門市場で小規模な商社を営み種銭を集める。
江頭 匡一(えがしら きょういち、1923年〈大正12年〉3… 江頭 匡一(えがしら きょういち、1923年〈大正12年〉3月25日 - 2005年〈平成17年〉4月13日)は、日本の実業家。ファミリーレストランロイヤルホストなどを展開するロイヤル(現・ロイヤルホールディングス)の創業者。 福岡県三潴郡城島町(現在の久留米市)に父・江頭佳造、母・照代の長男として生まれる。旧制嘉穂中学校(現福岡県立嘉穂高等学校)卒業。授業を抜け出してプールで泳いだり、買い食いをしたりと父親泣かせであり、教師泣かせであったと本人は振り返っている。中学校卒業から3か月たって米子地方航空機乗員養成所に入所する。明治大学専門部中退。 1946年、米軍春日原ベース内のPX(売店)の指定商人を始めたことを切っ掛けに、1950年、ロイヤルの前身会社・キルロイ特殊貿易を設立。
金 鍾喜(キム・ジョンギ、1922年11月12日 - 198… 金 鍾喜(キム・ジョンギ、1922年11月12日 - 1981年7月23日)は、韓国の実業家。ハンファグループの創設者。本貫は順天金氏。 1922年に出生。延禧専門学校(現延世大学校)を卒業後、1941年に日本の明治大学に留学。 1942年、朝鮮火薬共販株式会社に入社。 1952年に火薬メーカーの韓国火薬株式会社を設立。以降、次々に有力企業を立ち上げ、一代でハンファグループを創設。 1992年10月にグループの母体である韓国火薬株式会社を、株式会社ハンファへ社名変更すると共に、ハンファグループとして事業を展開。主なグループ企業に、ハンファ生命保険(旧・大韓生命)、ハンファ損害保険、ハンファ証券、ハンファケミカル、ハンファ建設、ハンファギャラリアなどがある。
工藤 榮(くどう さかえ、1922年9月28日 - 1993… 工藤 榮(くどう さかえ、1922年9月28日 - 1993年6月16日)は、日本の経営者。東京証券社長、会長を務めた。東京都出身。 1944年に明治大学専門部政治経済学部を卒業し、1947年4月に日興証券に入社。 1972年11月に専務に就任し、1975年11月には遠山証券社長に就任。1981年10月には東京証券社長に就任。1985年12月に会長に就任。 1992年7月から1993年2月までに日本証券業協会会長を務めた。 1985年11月に藍綬褒章を受章。 1993年6月16日呼吸不全のために死去。70歳没。
阿部 英雄(あべ ひでお、1922年7月20日 - 2007… 阿部 英雄(あべ ひでお、1922年7月20日 - 2007年7月10日)は富士経済グループ代表取締役(会長)であった財界人。 静岡県沼津市出身で、千本松原に程近い場所に生家がある。地元で静岡県立沼津商業高等学校(卒業の後に同校は駿東郡清水町に移転)卒業まで過ごした。 地元で腕白な子供の一人として育ち、小学生時代には学校の道すがら空腹から学友の家の乾物屋(綾市商店)が露天に干していた乾物をくすねてかじったこともあったという。 明治大学文学部史学科で東洋史学を専攻。卒業論文の題は「”世説新語”とその思想―特に老荘思想について―」であった。同大卒業後、1962年にマーケティング調査会社富士経済を設立。
古賀 愛人(こが あいと、1922年(大正11年)2月5日 … 古賀 愛人(こが あいと、1922年(大正11年)2月5日 - 2009年(平成21年)12月10日)は、元テレビ西日本(TNC)社長、日本民間放送連盟副会長・顧問。 福岡県出身。明治大学政治経済学部に入学後、柔道部に所属し、大学には柔道界の名人・三船久蔵の自宅から通学した。学徒動員で南方戦線に従軍し、九死に一生を得て帰還し、復学。占領軍の指示で柔剣道が禁止されていた中、柔道部の復活に中心的な役割を果し、明柔クラブ監督なども務めた。 1949年に明大を卒業し、西日本新聞社に入社。東京政治部で活躍し、内閣記者会の幹事などを務め、大平正芳、佐藤栄作など、多くの大物政治家と交流をもち、一時期は政界進出が検討された。
三宮 武夫(さんのみや たけお、1921年10月15日 - … 三宮 武夫(さんのみや たけお、1921年10月15日 - 2007年11月13日)は日本の実業家。 1921年、神奈川県大磯町にて出生。1942年、明治大学専門部卒業。 日本曹達入社後は、事業の柱のひとつとなるアグリビジネスなどを手掛け、現在に至る全国農業協同組合連合会との事業基盤などを築き上げた。 昭和期の十五大財閥の1つである、日曹コンツェルン(GHQによる財閥解体前の傘下企業数は42社)の中核企業であった日本曹達は、歴代トップが中央官僚トップ階層の天下りや、メインバンクであった日本興業銀行出身者などが主だったが、三宮は1983年に内部昇格により第10代社長に就任。後に会長となった。
大下 高明(おおしも たかあき、1921年9月3日 - 20… 大下 高明(おおしも たかあき、1921年9月3日 - 2010年7月1日)は、日本の経営者。フマキラー社長を務めた。広島県出身。長男は大下俊明。 1944年に明治大学商学部を卒業し、後に大下回春堂(現在のフマキラー)に入社。 1950年に取締役に就任し、1960年には社長に昇格。世界初の電気蚊取り器「ベープマット」の開発を進め、1963年には販売に漕ぎ着けた。1985年には会長に就任。 1981年4月に藍綬褒章を受章。 2010年7月1日老衰のために死去。88歳没。
塩澤 護(しおざわ まもる、1921年(大正10年)7月30… 塩澤 護(しおざわ まもる、1921年(大正10年)7月30日 - 2009年(平成21年)2月20日)は、日本の実業家。第8代養命酒製造社長。 長野県上伊那郡大草村(現中川村)出身。父の友茂は4代目と6代目と2度にわたって養命酒製造の社長をつとめた。明治大学商学部卒業。養命酒製造に入社。常務、専務をへて1973年、社長に就任。墓所は多磨霊園(22-1-29-2)
金 鍾哲(キム・ジョンチョル、朝鮮語: 김종철、1920年1… 金 鍾哲(キム・ジョンチョル、朝鮮語: 김종철、1920年11月7日 - 1986年11月4日)は、大韓民国の政治家、実業家。第4・7・8・9・10・12代韓国国会議員。 本貫は順天金氏(朝鮮語版)、号は白岩(ペガム、백암)。実業家の金鍾喜と第13代国会議員の金鍾植は弟、実業家の金升淵と金昊淵は甥。 忠清南道天安郡に生まれた。1942年、明治大学商科卒。解放後は右翼青年団体の大同青年団本部宣伝・教育部長を務め、士官学校と軍事英語学校の設立など韓国国軍の創設にも財政支援をした。1952年に弟の金鍾喜と共に現在のハンファグループ(当時は「韓国火薬」)を設立し、会長を務めた。他に韓国ベアリング・韓国化成・太平物産株式会社理事会会長、大韓フィールドホッケー協会会長も務めた。
竹井 博友(たけい ひろとも、1920年(大正9年)10月9… 竹井 博友(たけい ひろとも、1920年(大正9年)10月9日 - 2003年(平成15年)7月29日)は、日本の実業家。不動産会社である地産の代表取締役社長。徳間書店と致知出版社の事実上の創業者。 栃木県黒磯町生まれ。福島県立白河中学校、明治大学政治経済学部を卒業後、1943年(昭和18年)に読売新聞社 に入社 する。読売新聞社会部記者などを歴任し、読売争議の際は急進的な組合側の急先鋒となる。 1946年(昭和21年)に読売新聞を退社してアサヒ芸能新聞社を経営し、『アサヒ芸能新聞』、『日東新聞』を創刊する。 1952年(昭和27年)の大阪讀賣新聞創刊と1975年(昭和50年)の中部讀賣新聞創刊に「読売の大番頭」務臺光雄の命で携わり、「務臺(読売)の黒子役」とも言われる。
国枝 利通(くにえだ としみち、1920年6月23日 - 2… 国枝 利通(くにえだ としみち、1920年6月23日 - 2011年3月8日)は、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(内野手)、野球解説者、実業家。
大洞 國光(おおほら くにみつ、1920年2月27日 - 没… 大洞 國光(おおほら くにみつ、1920年2月27日 - 没年不明)は、日本の経営者。角川書店社長を務めた。愛媛県出身。 1941年に明治大学専門部貿易科を卒業し、1947年に角川書店に入社した。1979年に常務に就任し、1992年に専務を経て、1993年9月には社長に就任。大株主である角川家の意向でわずか1か月で退任。
片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997… 片山 豊(かたやま ゆたか、1920年1月6日 - 1997年3月18日)は、日本の実業家、起業家。マルマングループ創業者。 岡山県出身。島根県立隠岐水産高等学校卒業。明治大学商学部卒業。 大学卒業後、日本水産入社。気性が強く、入社半年後に、経営方針を重役に手紙で送りつけたエピソードなどがある。工場長などを務めたのち、1950年に独立し、日本ゴールドメタル工業株式会社を設立(1962年に株式会社マルマンに商号変更)。1959年に国産第一号のガスライターを販売開始し、後にゴルフ用品の製造販売も始め、1971年にはゴルフ用品部門を独立させてマルマンゴルフ株式会社を設立。1977年からはゴルフトーナメントの開催を開始。
岩澤 靖(いわさわ おさむ、1919年(大正8年)5月20日… 岩澤 靖(いわさわ おさむ、1919年(大正8年)5月20日 - 1993年(平成5年)1月12日)は日本の実業家。金星自動車、札幌トヨペット(現:AGHトヨタ札幌)、札幌観光、北海道テレビ放送の社長を務めた。許認可事業を手掛けることによって商機を見出し、政治力をつけることで事業を一気に拡大、北海道の政商と呼ばれた。 ほかに日本民間放送連盟、北海道乗用自動車協会の副会長、全国乗用自動車協会の常任理事、札幌地区乗用自動車協会、札幌ハイヤー協会の顧問、トヨタ自動車販売店協会、札幌第一高等学校の理事なども務めた。 岩澤弥衛八の次男として香川県で生まれる。1942年(昭和17年)明治大学商学部を卒業。 20代半ばで、姉が嫁いだ先が北海道拓殖銀行副頭取だったことを頼り、北海道に渡る。
菅 浦一(すが うらいち、1919年1月4日 - 2003年… 菅 浦一(すが うらいち、1919年1月4日 - 2003年11月23日)は、日本の実業家、馬主。 平和農産工業株式会社社長、日本馬主協会連合会第10代会長を務めた。 1919年、愛媛県出身。明治大学卒業後、三菱鉱業を経て1948年12月に製鉄原料の販売を手掛ける不二興産株式会社を設立した。ほかフェロアロイを取り扱う極東工業株式会社社長、ゴルフ場運営などを行う平和農産工業株式会社・西南観光開発株式会社各代表を歴任。2003年11月23日、肺気腫のため死去。83歳没。 趣味はゴルフ、読書。 日本中央競馬会に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は黄、赤鋸歯形、冠名には「アモン」を用いた。「株式会社アモン」の法人名義も存在し、そちらの勝負服の柄は黄、袖青一本輪、赤鋸歯形となっている。
朴 瓚鉉(パク・チャニョン、朝鮮語: 박찬현、1917年9月… 朴 瓚鉉(パク・チャニョン、朝鮮語: 박찬현、1917年9月23日 - 1991年9月24日)は、大韓民国の法学者、警察官僚、政治家、実業家、外交官。保健社会部次官、第12代交通部長官、第23代文教部長官、制憲・第4・5・9代韓国国会議員を歴任した。 本貫は密陽朴氏。号は霞庭。 釜山出身。釜山第二公立商業学校を経て、1941年明治大学法学部卒。同大法律特別研究室での国際司法研究を経て、1955年ミズーリ州立大学大学院政治科修了。満洲国奉天省での農場経営を経て、光復後は釜山水上警察署長、大学講師、第7管区警察庁・慶尚南道警察局公安課長、釜山東亜大学政治科副教授・教授(1951年、国際司法を担当)、国際新報社長、釜山日報社長(1951年)、釜山女子大学長、第4代国会財経委員、保健社会部政務次官、第12代交通部長官(1961年5月3日~1961年5月18日)、国民の党幹事長(1963年)、京郷新聞社長(1966年)、駐トルコ大使(サウジアラビア・ヨルダン兼任)、駐インド大使(アフガニスタン・バングラデシュ兼任)、韓インド協会長、第23代文教部長官(1977年12月20日~1979年12月13日)、韓国外国語大学校大学院教授(1981年)、世宗大学校財団理事長(1990年)を歴任した。
北田 正典(きただ まさのり、大正6年(1917年)1月10… 北田 正典(きただ まさのり、大正6年(1917年)1月10日 - 平成22年(2010年)8月28日 )は、日本の実業家。石油通信社社長。外交官北田正元は叔父。 代言人北田正董の子・正寅の長男。昭和9年(1934年)東京府立一中卒業。早稲田大学専門部修了、昭和16年(1941年)早稲田大学法科、昭和26年(1951年)明治大学政治科各卒業。日本精工会社などに勤め、昭和34年(1959年)米国に於ける世界石油会議に出席。米英独仏伊、スイス、ギリシャ、エジプト、レバノン、クウェート、印度、パキスタン、タイ等欧米中東の石油事情を視察す。 宗教は神道。東京都港区在籍。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
金子 操(かねこ みさお、1915年7月1日 - 1990年… 金子 操(かねこ みさお、1915年7月1日 - 1990年3月22日)は日本の実業家。死亡時の役職は東宝代表取締役副社長、生活衛生同業組合京都興行理事長。東京都小平市出身。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
竹内 啓治(たけうち けいじ、1913年〈大正2年〉6月20… 竹内 啓治(たけうち けいじ、1913年〈大正2年〉6月20日 - 1997年〈平成9年〉3月2日)は、日本の実業家。住金鋼材工業(株)(現・日鉄建材)社長、コスモ経済企画研究所会長、藤島町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。
大野 元美(おおの もとよし、1912年〈大正元年〉11月1… 大野 元美(おおの もとよし、1912年〈大正元年〉11月17日 - 1982年〈昭和57年〉4月19日)は、日本の政治家、実業家。埼玉県川口市長(第8・9・10・11・13・14代)。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 長男はライオンズクラブ国際理事やゼネラル・サービス代表取締役社長を務めた大野元昭。孫は第61代埼玉県知事の大野元裕。 埼玉県北足立郡川口町(現・川口市)出身。父は元川口市会議員の大野元次郎。1933年(昭和8年)3月、明治大学専門部商科を卒業。大野電機鋳造所社長に就任。 埼玉県水泳連盟会長、県教育委員、川口市議会議員などの公職を経て、1957年(昭和32年)2月から1972年(昭和47年)4月までの4期、1976年(昭和51年)5月から1981年(昭和56年)4月までの2期、通算6期22年の長きにわたり川口市長を務めた。
朴 哲雄(パク・チョルン、朝鮮語: 박철웅、1912年6月1… 朴 哲雄(パク・チョルン、朝鮮語: 박철웅、1912年6月14日 - 1999年1月8日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の教育者、公務員、政治家、実業家。朝鮮大学校の共同設立者で第1・4・7代総長、第2・4・5代韓国国会議員(第5代は参議員)。 本貫は密陽朴氏、族譜名は玟洙。漢字表記は朴喆雄とも。父は朝鮮末期の農民戦争に参加した農民軍の朴学俊。実業家の朴誠燮、コラムニストの朴誠賢(朝鮮語版)ら4男3女がいる。 全南高興出身。全州新興学校在学中光州学生運動に参加して全州刑務所に29日間収監された。1941年明治大学政経学部政治科卒。1943年日本高等科法制経済教員免許取得。全羅南道運輸課長、光州夜間大学院設立者、朝鮮大学園設立者・総長、朝鮮大学附属中学院・中学校設立者・校長・理事長、初代・第4・7代朝鮮大学校総長(1948年5月26日~1960年5月26日、1963年11月6日~1980年8月6日、1986年12月2日~1987年12月25日)、光州新報社長、無所属および自由党所属の民議員、無所属の参議員、国際連合韓国協会全南支部長・韓国首席代表、誠実工高技術学校設立者、木浦工業技術校設立者、木浦護国工高校設立者、全羅南道8郡農工技術校設立者、高麗セメント会長を務めた。
秋元 正雄(あきもと まさお、1911年11月7日 - 19… 秋元 正雄(あきもと まさお、1911年11月7日 - 1996年9月24日)は、日本の実業家。佐藤商事株式会社・代表取締役社長、会長。学校法人羽黒学園理事長。栄典・称号は、従五位・勲四等瑞宝章・紺綬褒章・羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。
朝長 厳(ともなが つよし、1911年9月20日 - 198… 朝長 厳(ともなが つよし、1911年9月20日 - 1983年12月31日)は、日本の経営者。日本冷蔵(現在のニチレイ)社長、会長を務めた。長崎県出身。 1935年に明治大学商学部を卒業し、同年に日本水産に入社した。1943年に帝国水産統制(のちの日本冷蔵)に転じ、1960年9月に取締役に就任し、1963年1月に常務、1965年3月に専務を経て、1967年3月に社長に就任。1975年3月に会長に就任。 1970年11月に藍綬褒章を受章。 1983年12月31日肺炎のために死去。72歳没。
花井 孝久(はない たかひさ、1911年5月13日 - 19… 花井 孝久(はない たかひさ、1911年5月13日 - 1999年1月30日)は日本の実業家。元大正海上火災保険(現三井住友海上火災保険)社長。愛知県出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 祐太郎(いとう ゆうたろう、1910年9月16日 - … 伊藤 祐太郎(いとう ゆうたろう、1910年9月16日 - 1983年2月5日)は、日本の経営者。千代田火災海上保険社長を務めた。東京都出身。 1933年に明治大学法学部政治学科を卒業し、1935年4月に千代田火災海上保険に入社。1960年6月に取締役に就任し、1963年6月に常務、1965年6月に専務、1969年6月に副社長を経て、1977年7月から1980年7月までに社長を務めた。 1980年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 1983年2月5日に急性心不全のために死去。72歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
岩堀 喜之助(いわほり きのすけ、1910年4月25日 - … 岩堀 喜之助(いわほり きのすけ、1910年4月25日 - 1982年10月8日)は日本の出版経営者。マガジンハウス創業者。娘にノンフィクション作家の新井恵美子。 神奈川県出身。新聞記者を志し、小田原中学から明治大学に入学。新聞部に所属するも退学処分となり、後に日本大学法学部に途中入学し、卒業。1933年に時事新報社に入社。後に退社し、1945年凡人社設立を経て、1954年に平凡出版(現マガジンハウス)設立。1982年死去。
片山 豊(かたやま ゆたか、1909年(明治42年)9月15… 片山 豊(かたやま ゆたか、1909年(明治42年)9月15日 - 2015年(平成27年)2月19日)は、日本の企業家である。 米国日産の初代社長を務め、1970年代に「ダットサン」ブランドで日産車を販売し、アメリカ国内での日本車トップに押し上げた。長男は元サッカー選手で1968年メキシコシティーオリンピック銅メダリストの片山洋。 静岡県周智郡気多村(現・浜松市天竜区春野町気田)で生まれる。日産自動車創業者の鮎川義介の親戚にあたる。 現在の鎌倉市立第一小学校から旧制中学校の神奈川県立湘南中学校、慶應義塾大学予科を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業後、1935年(昭和10年)に日産自動車へ入社。 当初は設計部門の配属を希望していた。
吉原 貞敏(よしはら さだとし、1909年5月3日 - 19… 吉原 貞敏(よしはら さだとし、1909年5月3日 - 1995年9月17日)は、日本の実業家、馬主。広島県向島(現・尾道市)出身。東京鐵鋼創業者である。東京鐵鋼現社長で、馬主の吉原毎文は長男。 祖父は広島県向島の八幡神社の神官で、祖父まで137代を数える家系。父・吉原敏(1885-1962)が明治大学在学中から清浦奎吾に私淑し卒業後、清浦の秘書として仕えたあと、日本兵器製造の東京支社長などを経て、長男にあたる貞敏とともに1940年に大和製鉄を買収して同社を名称変更したものが東京鐵鋼の創業となる。貞敏は明治大学商学部を1932年に中退し、飛島組に入社。1937年に有明鉄工所、1938年に高級鋳鉄研究所を設立した後、高級鋳鉄の生産を目指して父とともに東京鐵鋼を創業。