岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )… 岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )は、日本の児童文学研究者・作家、京都女子大学名誉教授。 埼玉県立浦和高等学校卒業、立教大学卒、同大学院、米国パシフィック・ウェスタン大学(ディプロマ・ミル)で学術博士。京都女子大学児童学科教授。附属小学校長を兼務。2010年定年、名誉教授。湯布院こども童話館館長。日本児童文芸家協会監事。日本児童図書評議会会員。
青山 英男(あおやま ひでお、1939年2月16日 - )は… 青山 英男(あおやま ひでお、1939年2月16日 - )は、日本の税理士、実業家、会計学者(財務会計学)。税理士法人青山&パートナーズ代表、LCホールディングス株式会社取締役会長、株式会社ロジコム取締役会長、静岡県立大学名誉教授。 青山会計事務所所長(初代)、大阪学院大学商学部講師、大阪学院大学経済学部教授、静岡県立大学経営情報学部教授、株式会社ロジコム代表取締役社長(初代)、静岡県立大学大学院経営情報学研究科研究科長(初代)、松蔭大学経営文化学部教授などを歴任した。 立教大学経済学部を卒業し、立教大学大学院在籍中に税理士試験、公認会計士試験二次試験に合格した。 大阪学院大学に採用され、商学部の講師や経済学部の教授を務めた。
鈴木辰治(すずき しんじ、1936年8月2日- )は、日本の… 鈴木辰治(すずき しんじ、1936年8月2日- )は、日本の経営学者、新潟大学名誉教授。 福島県生まれ。1960年立教大学経済学部卒、66年同大学院博士課程満期退学、79年「経営と経済体制 ドイツ経営学研究」で東北大学経済学博士。60年高島入社、61年スタンレー電気調査室勤務、65年北九州大学商学部助手、66年講師、69年助教授、立命館大学経営学部助教授、1971年新潟大学文学部経済学科助教授、79年経済学部教授。2002年定年退官、名誉教授となり、長岡大学教授、九州産業大学教授を務めた。
田原 博人(たばら ひろと、1936年〈昭和11年〉7月25… 田原 博人(たばら ひろと、1936年〈昭和11年〉7月25日 - 2025年〈令和7年〉5月30日)は、日本の宇宙物理学者。宇都宮大学名誉教授。宇都宮大学学長や日本天文学会理事長を務めた。 島根県益田市出身。実家は雑貨屋。1962年(昭和37年)立教大学理学部物理学科卒業。1968年(昭和43年)立教大学大学院理学研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員を経て、1970年(昭和45年)東京大学東京天文台宇宙電波部助手。東京天文台職員組合執行委員長を経て、1973年(昭和48年)東京天文台職員組合闘争委員長。1974年(昭和49年)、宇都宮大学で電波天文学の新学部を設立するため、同大教育学部助教授に赴任し、宇都宮大学職員組合執行委員長に就任。
廣瀬 健(ひろせ けん、1935年10月22日 - 1993… 廣瀬 健(ひろせ けん、1935年10月22日 - 1993年8月16日)は、日本の数学者・計算機科学者。専門は数学基礎論。元早稲田大学理工学部教授。 大分県出身。立教大学理学部数学科卒業。立教大学大学院理学研究科数学専攻に進学して赤攝也ゼミに所属。その後、東京教育大学助手、講師を経て、1970年早稲田大学理工学部数学科助教授、1977年早稲田大学理工学部教授。 子に、高圧地球科学者の廣瀬敬がいる。 1973年にヒルベルトの23の問題の第10問題(ディオファントス方程式の可解性の決定問題)を部分的に解決したが、廣瀬とは独立にユーリ・マチャセビッチによる証明が先に公表されたため、最初の証明者とはならなかった。
佐藤 悦子(さとう えつこ、1934年2月 - 2010年5… 佐藤 悦子(さとう えつこ、1934年2月 - 2010年5月10日)は、日本の心理学者。 青森市生まれ。立教大学文学部心理学科卒、いったん職についたのち、1962年立教大学大学院修士課程修了。1969年コロンビア大学大学院修士課程修了。1969年ダートマス大学講師、1973年ベイラー医科大学講師、1977年テキサス大学講師、1981年立教大学助教授、1986年教授、社会福祉研究所副所長。1999年立教大を定年退任、名誉教授。2000-2002年立教女学院短期大学学長を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
林 潔(はやし きよし、1934年 - )は、日本の心理学者… 林 潔(はやし きよし、1934年 - )は、日本の心理学者。白梅学園短期大学名誉教授、臨床心理士。 東京出身。1961年に立教大学大学院文学研究科(応用心理学)修士課程修了、白梅学園短期大学心理学科助教授、教授、2004年定年退任。日本応用心理学会常任理事。専門は青年心理学、臨床心理学、カウンセリングだが中でも認知行動療法が専門である。また、大学生のスタディスキルも研究。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
高畠 通敏(たかばたけ みちとし、1933年(昭和8年)11… 高畠 通敏(たかばたけ みちとし、1933年(昭和8年)11月16日 - 2004年(平成16年)7月7日)は、日本の政治学者。計量政治学の研究で知られる。立教大学名誉教授。 東京府(現東京都)生まれ。戦争中は長野県に疎開した。1949年長野県立上田松尾高等学校(現上田高等学校)入学。1950年東京都立日比谷高等学校編入学、1952年同校卒業。 1956年(昭和31年)東京大学法学部卒業。同年、東京大学法学部助手。 1961年(昭和36年)立教大学法学部助教授に就任。担当科目として政治原論、現代政治理論、平和研究を講義。 1965年(昭和40年)イェール大学留学。 1968年(昭和43年)立教大学法学部教授に就任。
三浦 恵次(みうら しげじ、1933年6月20日 - 201… 三浦 恵次(みうら しげじ、1933年6月20日 - 2016年5月?日)は、社会学・広報学者、明治学院大学名誉教授。 秋田県出身。1963年立教大学大学院応用社会学博士課程満期退学、明治学院大学社会学部助教授、教授、2002年定年、名誉教授。行政広報を専門とした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
林 一(はやし はじめ、1933年 - )は、日本の翻訳家・… 林 一(はやし はじめ、1933年 - )は、日本の翻訳家・物理学者・科学史家。昭和薬科大学名誉教授。専門領域は、理論物理学。 英語で書かれた一般向けの科学書(主に理論物理学関係のもの)を中心に多数の書籍を日本語に翻訳している。翻訳名義に「はやしはじめ」もある。有名な訳書に『エレガントな宇宙』、『ホーキング、宇宙を語る』などがある。 1933年、台北市生まれ。立教大学理学部物理学科卒業。昭和薬科大学教授、のち名誉教授。専攻、理論物理学、科学史。 以下、林が翻訳した本の一部を年代順に列挙する。
室 俊司(むろ しゅんじ、1931年11月23日 - 200… 室 俊司(むろ しゅんじ、1931年11月23日 - 2009年9月)は、日本の教育学者。立教大学名誉教授。 東京市(現墨田区)出身。1950年日本大学第一高等学校卒、1958年東京大学教育学部卒、64年同大学院博士課程満期退学、1963年『月刊社会教育』編集長、1964年立教大学文学部講師、66年助教授、73年教授、96年定年退任、名誉教授。
山田 昭次(やまだ しょうじ、1930年〈昭和5年〉1月8日… 山田 昭次(やまだ しょうじ、1930年〈昭和5年〉1月8日 - 2025年〈令和7年〉3月15日)は、日本の日本史学者、立教大学名誉教授。 1930年、埼玉県入間郡山口村(現・所沢市)に生まれる。1953年、立教大学文学部史学科卒業。1962年、立教大学一般教育部講師。後に助教授、教授。1995年、同大学を定年退職、名誉教授。 2025年3月15日、誤嚥性肺炎で死去。95歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
塚田 理(つかだ おさむ、1929年12月31日 - 201… 塚田 理(つかだ おさむ、1929年12月31日 - 2016年11月15日)は、日本の神学者。立教大学名誉教授。第7代学校法人立教学院院長。第15代立教大学総長。 新潟県上越市出身。立教大学文学部卒業。聖公会神学院卒業。オックスフォード大学大学院修了。 1957年より日本聖公会名古屋学生センター主事、聖公会神学院を経て立教大学文学部キリスト教学科勤務。 その後、同大学文学部長を経て、1994年大学総長(第15代)、1995年立教学院院長(第7代)。
髙橋 種昭(たかはし たねあき、1929年10月13日 - … 髙橋 種昭(たかはし たねあき、1929年10月13日 - 2021年10月22日)は、日本の児童福祉学者・教育者。 1956年立教大学大学院文学研究科児童福祉専攻修了。同年社会福祉法人母子愛育会愛育研究所に勤務、子どもの発達相談、母子福祉の研究調査に携わる。1976年淑徳短期大学社会福祉学科教授、1983年日本女子大学家政学部児童学科教授。1997年群馬社会福祉大学教授。日本児童学会名誉会員、日本子ども家庭総合研究所客員研究員。
嶌村 剛雄(しまむら つよお、1928年3月10日 - 19… 嶌村 剛雄(しまむら つよお、1928年3月10日 - 1994年6月4日)は、日本の会計学者。元明治大学教授(在職死亡)。 熊本市出身。立教大学卒、同大学院経済学研究科博士課程満期退学、1977年「会計上の資産概念に関する研究」で、明治大学より経営学博士の学位を取得。明治大学経営学部助教授、教授を務め、在任中に66歳で死去した。
川崎 淳之助(かわさき じゅんのすけ、1927年 - 201… 川崎 淳之助(かわさき じゅんのすけ、1927年 - 2018年)は、英文学者、立教大学名誉教授。 神奈川県生まれ。立教大学文学部英米文学科卒業。立教大学文学部教授、1992年定年退職、川並総合研究所をへて聖徳大学人文学部学部教授。日本ワイルド協会名誉会長。専攻はイギリス演劇(エリザベス朝演劇、風習喜劇)中央アジア・モンゴルの歴史にも造詣が深い。
敷田禮二(しきだ れいじ、1926年 - 1993年6月3日… 敷田禮二(しきだ れいじ、1926年 - 1993年6月3日)は、日本の経営学者。 石川県出身。1950年立教大学経済学部卒、1958年同大学院博士課程単位取得退学。1952年立教大学経済学部助手、1956年講師、1959年助教授、1966年教授となる。1983年「管理会計批判 戦後日米資本主義史と蓄積手段」で経済学博士。1992年定年、名誉教授。66歳で死去。
住谷 一彦(すみや かずひこ、1925年〈大正14年〉1月1… 住谷 一彦(すみや かずひこ、1925年〈大正14年〉1月1日 - 2022年〈令和4年〉8月15日)は、日本の経済社会学者、立教大学名誉教授。 経済学者・住谷悦治の子として京都市に生まれる。弟は住谷磬。松山中学校、旧制松山高等学校を経て、1949年東京大学文学部心理学科卒業。名古屋大学法経学部助手、東京都立大学 (1949-2011)人文学部助手、1957年立教大学経済学部講師。助教授を経て、1965年立教大学教授。この間、1958-1960年ウィーン大学民族研究所に留学し、アレクサンダー・スラヴィク教授の指導を受ける。 1969年「共同体の史的構造論」で早稲田大学文学博士。1969-1970年ケルン大学客員教授、1976年ウィーン大学客員教授、1990年立教大学を定年退任、名誉教授、帝京大学教授、東京国際大学教授を務めた。
牛窪 浩(うしくぼ ひろし、1924年 - 1987年9月2… 牛窪 浩(うしくぼ ひろし、1924年 - 1987年9月27日)は、経営学者。神奈川県生まれ。1950年立教大学文学部社会学科卒、同社会学部助教授、教授。1962年イリノイ大学産業関係研究所客員研究員、1966年シカゴ大学産業科学部客員教授。洗礼名アウガスティン。
内藤 則邦(ないとう のりくに、1923年8月20日 - )… 内藤 則邦(ないとう のりくに、1923年8月20日 - )は、日本の社会政策学者。立教大学名誉教授。 福島県田村郡三春町生まれ。実家の家業は味噌醤油の醸造業。1941年福島県立田村中学校卒業。1943年立教大学経済学部予科入学。在学中に学徒出陣で海軍に入隊するが、病気のため半年ほどで除隊。1945年立教大学経済学部本科入学。立教でも教鞭を執っていた東京大学教授の大河内一男と出会い、東大の大河内ゼミに参加。1947年に大河内に代わって隅谷三喜男が立教で社会政策を担当するようになり、隅谷ゼミに参加し、引き続き東大の大河内ゼミにも参加。1948年立教大学経済学部卒業、同研究科入学。籍は立教にあったが、実際は東大で大河内・隅谷の指導を受けた。
林 英夫(はやし ひでお、1920年12月10日 - 200… 林 英夫(はやし ひでお、1920年12月10日 - 2007年2月5日)は、日本の歴史家(日本史)。立教大学名誉教授。 織物業史・農村工業史を専門とし、マニュファクチュア論争に大きな影響を与える。『豊島区史』などの自治体史編纂にも従事した他、古文書解読字典の編纂など、近世古文書学にも通じる。 愛知県中島郡(現在の一宮市)生まれ。生家は美濃路・起宿の脇本陣。立教大学文学部史学科に進学し、当時講師として出講していた伊東多三郎の指導を受けて日本近世史を専攻するようになった。起宿を取り上げた卒業論文の採点も伊東が行った。1943年卒業。 台湾から復員後、本郷高等学校に勤務。1951年開成高等学校に転じ、文部省検定の教科書を使わずに、手作りの「開成日本史」を活用した。
山下 勝(やました まさる、1920年 - 2010年)は、… 山下 勝(やました まさる、1920年 - 2010年)は、日本の実業家、起業家、野球選手。山下ゴム株式会社元代表取締役社長。 1938年(昭和13年)3月、兵庫県立旧制姫路中学校(現・兵庫県立姫路西高等学校)卒業。 中学卒業前に立教大学野球部のセレクションを受けるが、この時、同じく野球部のセレクションを受け立教大学を受験する同志に、内野手の西本幸雄(和歌山中学)、中林正道(立教中学)、2塁手の辻勉(愛知商業)、捕手の伊藤治夫(亨栄商業)、外野手の高橋進(一宮中学)、後にマネージャーとして活躍する中島正明(関西学院中学)らがいた。このセレクション受ける中学生で1チームを構成し、大学予科のチームを相手に3試合したが、全て中学生のチームが勝利した。
神島 二郎(かみしま じろう、1918年4月18日 - 19… 神島 二郎(かみしま じろう、1918年4月18日 - 1998年4月5日)は、日本の政治学者。専門は日本政治思想史。立教大学名誉教授。 東京市四谷区四谷左門町(現・東京都新宿区左門町)生まれる。砧小学校、国士舘中学校を卒業。 1942年に第一高等学校文科乙類を卒業後、東京帝国大学法学部政治学科に入学するが、1943年4月から12月にかけて東部第六部隊に所属。1944年1月から8月まで仙台予備士官学校に配属され、1944年12月から1945年9月までフィリピン方面軍特別情報部。 1946年1月に復員。1947年に東京大学(旧制)法学部を卒業後、大学院特別研究生となる(1949年に修了)。 1950年に国立国会図書館嘱託、主事、調査員。
鈴木 圭介(すずき けいすけ、1912年9月29日 - 19… 鈴木 圭介(すずき けいすけ、1912年9月29日 - 1998年5月31日)は、日本の経済史学者。東京大学名誉教授。 愛知県渥美郡渥美町(現・田原市)生まれ。1937年3月、立教大学経済学部卒業。 1937年4月、立教大学助手、1939年4月、立教大学教授。1948年3月、病気のため立教大学を辞職。 1953年3月、東京大学経済学部研究員、1954年10月、東京大学社会科学研究所専任講師、その後助教授を経て、1968年5月、東京大学教授、1973年4月、東京大学を定年退官、名誉教授。1974年4月、東京都立商科短期大学教授。その後、愛知大学教授を歴任。 専門はアメリカ経済史。
遠藤 武(えんどう たけし、1911年(明治44年)12月1… 遠藤 武(えんどう たけし、1911年(明治44年)12月16日 - 1992年(平成4年)12月10日)は、日本の学者。専門は、近世日本の服飾及び生活文化史。文学博士。東京市出身。 1935年(昭和10年)、立教大学文学部史学科卒業。帝室博物館研究員、日本実業史博物館主事、文部省学術課史料館文部事務官兼和洋女子大学教授、文化女子大学主任教授並びに文化学園博物館館長、福島大学・大妻女子大学・静岡女子大学・関東学院女子短期大学・郡山女子短期大学・湘北短期大学講師、歴任。文化女子大学名誉教授。日本服飾学会会長、日本風俗史学会東京副支部長、文化財保護審議会専門委員、神奈川大学日本常民文化研究所理事、江戸東京博物館資料収集委員などを務める。
宮本 馨太郎(みやもと けいたろう、1911年7月30日 -… 宮本 馨太郎(みやもと けいたろう、1911年7月30日 - 1979年4月12日)は、日本の民俗学者。立教大学名誉教授。風俗史家・服飾史家の宮本勢助は実父。 東京市下谷区(現東京都台東区池之端)に宮本勢助の長男として生まれ、生涯をこの地に過ごした。 立教大学に入学し史学科で東洋史を専攻し、白鳥庫吉、同じく白鳥清の両氏の薫陶を受けるが、このことを終生誇りとした。 1935年立教大学文学部史学科卒業。1938年民族学研究所研究員、1942年日本民族学協会調査部主任、のち立教大学文学部教授、名誉教授。財団法人日本常民文化研究所創設理事、国立歴史民俗博物館設立準備委員会委員などを歴任。 1929年アチックミューゼアム同人。
細入藤太郎(ほそいり とうたろう、1911年2月16日 - … 細入藤太郎(ほそいり とうたろう、1911年2月16日 - 1993年12月29日)は、日本のアメリカ文学者、アメリカ史学者。元立教大学教授。 横浜市生まれ。実業家の細入富重の長男として生まれる。1936年、立教大学英文科卒、1937年、カールトン大学文学部英文学科卒、ハーバード大学大学院文学研究科G.Chaucer博士課程修了。戦中は、清水幾太郎、宮城音弥とともに、海軍技術研究所の実験心理研究部の顧問を務めた。1940年に立教大学予科講師となり、1945年に同大学予科教授に昇格、1946年に立教大学アメリカ研究所理事に就任したほか、清水幾太郎、大河内一男らとともに、財団法人二十世紀研究所を設立、のち理事長となる。
中川 秀恭(なかがわ ひでやす、1908年(明治41年)1月… 中川 秀恭(なかがわ ひでやす、1908年(明治41年)1月1日 - 2009年(平成21年)4月26日)は、日本の哲学者、文学博士、Ph.D.(イェール大学)。日本各地の大学の学長・理事長を歴任した。 1908年、島根県周吉郡西郷町(現・隠岐郡隠岐の島町)に生まれた。島根県立隠岐商船水産学校航海科(現・島根県立隠岐水産高等学校)を卒業後、三等航海士として日本・リバプール間を行き来するが、牧師になろうと決心してして大学に入学する。立教大学文学部哲学科で学び卒業。1938年、東北帝国大学法文学部哲学科を卒業。エール大学大学院修了。 帰国後、母校の東北帝国大学法文学部助手に着任。1945年、同学部講師に昇進。
武藤 重勝(むとう しげかつ、1904年2月4日 - 199… 武藤 重勝(むとう しげかつ、1904年2月4日 - 1990年6月19日)は、日本の詩人、図書館情報学者。 1904年(明治37年)、日本統治下の台湾に生まれる。幼少期を父の郷里である宮崎県児湯郡高鍋町で過ごし、東京府の旧制第三中学校(現在の東京都立両国高等学校)を経て旧制宮崎中学校(現在の宮崎県立宮崎大宮高等学校)へ移る。旧制宮崎中5年生の時には武者小路実篤が児湯郡木城町に開いていた「新しき村」を友人らと訪問し、実篤の薫陶を受けている。 旧制宮崎中を卒業後、立教大学文学部哲学科に進学。1930年(昭和5年)に卒業した後、そのまま大学図書館の職員となる。1938年(昭和13年)、神戸市が募集していた『神戸市歌』(初代、1951年廃止)の歌詞募集において応募作が一等入選で採用された。
李 如星(り じょせい、イ・ヨソン、이여성、1901年 - … 李 如星(り じょせい、イ・ヨソン、이여성、1901年 - 1958年?)は朝鮮のジャーナリスト、作家、政治家、社会主義運動家、美術史家。朝鮮日報社調査部長・社会部長、東亜日報社調査部長、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議議員。本名は李命鍵(イ・ミョンゴン、이명건)。 1901年に大邱の裕福な家庭に生まれる。 その後、日本統治時代の朝鮮において言論活動や社会運動に携わる。1918年に、金若水らと中華民国・南京にある金陵大学(現・南京大学)に留学するが、翌1919年に朝鮮に戻って三・一運動に参加し、投獄される。 1922年から1925年まで立教大学に留学し、北星会や一月会といった組織に関わりながら、社会主義思想を発展させる。
高松 孝治(たかまつ たかはる、1887年 - 1946年2… 高松 孝治(たかまつ たかはる、1887年 - 1946年2月13日)は、日本の神学者、教育者、聖職者。立教大学教授、大学チャプレン(牧師)、立教学院理事。ギリシア語の権威で語学の天才と呼ばれた。 立教大学文科(現在の文学部)を1回生として1911年(明治44年)に卒業した。小島茂雄(立教大学元文学部長、立教中学校元校長)や久保田正次(立教大学元教授、立教大学野球部元部長、商学部卒)と同級であった。 その後、聖公会神学院を経て渡米し、ケンブリッジ神学院、ハーバード大学神学部で学び神学博士(DD)を取得した。ギリシア語も修学する。 帰国後、京都聖マリア教会の牧師を務める。高松は立教学院のミッションでは1909年に伝道部主任、1910年には日曜学校部を担当する。
米田 實(米田 実、まいだ〈まいた〉 みのる、1878年12… 米田 實(米田 実、まいだ〈まいた〉 みのる、1878年12月7日 - 1948年1月9日)は、大正から昭和前期の日本の新聞記者、ジャーナリスト、外交評論家、国際法学者、外交史学者。東京朝日新聞社(現・朝日新聞社)論説委員長、同社編集顧問、同社初代外報部長。明治大学、立教大学で教授を務め、東京商科大学(現・一橋大学)、法政大学等でも講じた。専門は外交史。法学博士。別名(筆名)米田切水。20世紀前半の日本を代表する国際問題評論家である。 1878年(明治11年)12月7日、福岡県久留米に生まれる。 1893年(明治26年)、中学明善校を中退して上京する。立教学校(現・立教大学)、国民英学会で学ぶ。
伊藤 重治郎(いとう じゅうじろう、1878年1月9日 - … 伊藤 重治郎(いとう じゅうじろう、1878年1月9日 - 1964年2月26日)は、日本の商学者、法学者、教育者。立教大学経済学部元教授、早稲田大学元教授、東洋大学名誉教授。専門は交通論、商店経営。 山形県酒田市穂積の生まれの政治家、伊藤重治郎(1869年-1939年)とは異なる。 兵庫県明石市出身。東京英語専修学校(立教大学の前身校の一つ)で修学する。1903年(明治36年)早稲田大学英語政治科を卒業後、早稲田大学講師となる。1905年(明治38年)アメリカに留学し、シカゴ大学を経て、1906年(明治39年)にペンシルベニア大学に入学し、1908年(明治41年)に卒業。大学では交通論、商業学を専攻し、博士号(Ph.D.)を取得。
稲垣 陽一郎(いながき よういちろう、1876年〈明治9年〉… 稲垣 陽一郎(いながき よういちろう、1876年〈明治9年〉12月22日 - 1949年〈昭和24年〉4月1日)は、日本の神学者、聖職者、教育者、翻訳者。聖公会神学院校長、日本聖公会の司祭。 1894年(明治27年)和歌山聖救主教会で、アイザック・ドーマン宣教師から受洗。同年9月、開設された立教学校(現・立教大学)専修科に入学する。この時、信仰復興運動の中心となる永野武三郎(1877‐1898)も立教学校の3年に編入している。 翌1895年(明治28年)、稲垣、永野、池澤駿太郎(1876‐1956)らで、雑誌『廿八年』を発行して「十字同盟」を結成したことをきっかけに、寄宿舎の一室で祈祷会が朝夕開かれるようになり、盛んに伝道活動が行われた。
木村 重治(きむら しげはる、1874年5月4日 - 196… 木村 重治(きむら しげはる、1874年5月4日 - 1967年7月18日)は、日本の西洋史学者、教育者。立教大学元学長、立教大学経済学部元教授・学部長、長崎高等商業学校(現・長崎大学)元校長、東京商科大学(現・一橋大学)元教授、慶應義塾大学元教授、台湾協会学校(現・拓殖大学)元教授、山口高等商業学校(現・山口大学)元教授、啓明学園学園長。 1874年(明治7年)5月4日、奈良県で木村芳三郞の二男として生まれる。 1892年(明治25年)7月、立教大学の姉妹校である聖公会の奈良英和学校に入学。同校が中学校制に改め廃校となると、東京の立教学校(現・立教大学)に転学。1894年(明治27年)6月、立教学校卒業。
杉浦 貞二郎(すぎうら さだじろう、明治3年12月18日(1… 杉浦 貞二郎(すぎうら さだじろう、明治3年12月18日(1871年2月7日) - 昭和22年(1947年)4月24日)は、日本の哲学者、教育者。立教大学元学長、立教大学名誉教授、陸軍大学校教授。 若狭国小浜(現福井県小浜市)に生まれる。東京の真光教会牧師杉浦義道の弟である。1887年(明治20年)に兄・義道の影響を受けて、C・M・ウィリアムズより洗礼を受ける。立教大学校(現・立教大学)を経て立教学校(第2次)で学び、同級には吉田栄右がいた。立教大学校で学んだ岩佐琢蔵によると、当時の学生たちは勉学にとても熱心で、貞二郎はその頃の日本の哲学書は全て読破したと誇っていたという。 1892年(明治25年)に立教学校(第2次)を卒業した後、留学のため渡米する。
山縣 雄杜三(山県 雄杜三、やまがた おとぞう、1871年 … 山縣 雄杜三(山県 雄杜三、やまがた おとぞう、1871年 - 1941年)は、日本の教育者、神学者、歴史学者、聖職者。立教大学教授、聖公会神学院教授、日本聖公会の聖職者。教会史の権威で、東京聖三一教会、府中聖マルコ教会で司牧。 立教大学校(現・立教大学)に入学。1883年(明治16年)に築地で創設された米国式カレッジの立教大学校には日本の野球の先駆けとなる野球チーム(現・立教大学野球部)があり、試合は新橋停車場内の広場で行われていたが、山縣は優勝チームの選手の一員として活躍した。 留学し、神学士(Bachelor of Theology(英語版))の学位を取得。 その後、立教大学でチャプレンを務め、立教大学文学部の教授としても基督教史を教えた。
石井 亮一(いしい りょういち、慶応3年5月25日(1867… 石井 亮一(いしい りょういち、慶応3年5月25日(1867年6月27日) - 昭和12年(1937年)6月14日)は、明治時代から昭和時代初期にかけての心理学者・教育学者・社会事業家である。位階勲等は、従六位勲六等。 日本における知的障害児者教育・福祉の創始者として知られ、現在の社会福祉法人滝乃川学園および公益財団法人日本知的障害者福祉協会の創設者でもある。 「日本の知的障害児者教育・福祉の父」と称され、石井の業績は、知的障害児者教育・福祉の嚆矢として、現代に至るまで極めて高い評価を受けている。石井がいなければ、日本の知的障害に関する研究は、大幅に遅れていたと言われている。また、この障害を抱える多く人々にとって、それは不治の障害ではなく、発達の遅滞であるということを日本で初めて主張し、彼らへの教育や治療の必要性を訴えた。
岡見 彦蔵(おかみ ひこぞう、万延元年(1860年)2月10… 岡見 彦蔵(おかみ ひこぞう、万延元年(1860年)2月10日 - 昭和7年(1932年)3月25日)は、日本の農学者。目黒の自然園開設者。 岡見彦蔵は九州中津藩士・岡見清通の三男として、1860年(万延元年)2月10日に東京築地に生まれ、幼名は秀作であった。 叔父の岡見彦三/清熙(慶應義塾の起源である一小家塾創設者)が1862年に亡くなり、実子が無かったので秀作が3歳で養子に入り、以降彦蔵を名乗るようになった。築地の立教学校(立教大学の前身校の一つ)で学ぶ。1876年(明治9年)、農学者津田仙が創立した農学社農学校で学び、翌1877年(明治10年)には横浜のバラ学校に入って英語を学んだ。この学校は宣教師ヘボンが起こしたヘボン塾をジョン・クレイグ・バラが継承したものだった。
時重 初熊(ときしげ はつくま、安政6年11月28日(185… 時重 初熊(ときしげ はつくま、安政6年11月28日(1859年12月21日) - 大正2年(1913年)4月19日)は、日本の獣医学者。 東北地方の産馬地に蔓延した馬の仮性皮疽の原因究明および治療法の確立と予防、羊の腸結節の原因である寄生虫の発見や血清の創設、牛疫の国内流入を防ぐため朝鮮における牛疫調査に功績がある。その他ヒムシ病、結核、ダニ熱を研究し各種予防液血清、診断薬の製造、原因不明の伝染病の研究指導を行い日本獣医学の祖とされる。 周防国都濃郡戸田村(現在の山口県周南市)出身。1859年(安政6年)時重音二郎の長男として生まれる。1871年(明治4年)17才の時に小学校員養成所を卒業後、宮市小学(現在の防府市立松崎小学校)、末武北村立花岡小学校(現在の下松市立花岡小学校)の教員となるが、辞職し上京。
工藤 精一(くどう せいいち、1855年3月 - 1906年… 工藤 精一(くどう せいいち、1855年3月 - 1906年12月)は、明治時代の教育者、化学者、地質学者。開拓使派遣留学生として米国留学し、帰国後に札幌農学校(現・北海道大学)教授(助教)、立教学校及び立教大学校(現・立教大学)教授、専修学校(現・専修大学)教授を務めた。札幌農学校教員時代には、演武場(現・札幌市時計台)の時計保守も担い、運用を開始した。開拓使官員、陸軍通訳官も務めたほか、英語学習書を出版するなど、明治期の英語教育の発展に尽くした。別名、精一郎。 東京生まれ。1872年3月26日(旧暦明治5年2月18日)、17歳の時、開拓使派遣留学生として横浜港から飛脚船「アメリカ号」で米国サンフランシスコへ向けて出航。
多治見 十郎(たじみ じゅうろう、1851年 - 没年不詳)… 多治見 十郎(たじみ じゅうろう、1851年 - 没年不詳)は、日本の教育者、英学者、聖職者。聖教社教授、聖教社及び聖教社分校女子校の設立届出人、日本聖公会の伝道師。 岐阜県の士族の家に生まれる。文久元年から慶應3年まで7年間、松苗寛一郎に従い、漢学を修める。 1873年(明治6年)から1875年(明治8年)まで、鳴門塾において、英学及び洋算を修める。鳴門塾は通称であり。1872年(明治5年)に鳴門義民が芝露月町に創設した英学と洋算の塾であり、名称は単に英学所と呼ばれていた。 1875年(明治8年)から1878年(明治11年)まで、米国聖公会のチャニング・ウィリアムズに従い、立教学校(立教大学の前身の一つ)で英学及び洋算を修める。
大橋 健一(おおはし けんいち)は、日本の観光学者、文化人類… 大橋 健一(おおはし けんいち)は、日本の観光学者、文化人類学者。立教大学観光学部交流文化学科教授。日本観光研究学会常務理事。元静岡県観光審議会委員。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
片岡 洋一(かたおか よういち)は、日本の会計学者。目白大学… 片岡 洋一(かたおか よういち)は、日本の会計学者。目白大学大学院経営学研究科指導教授・研究科長、目白大学経営研究所所長、東京理科大学名誉教授。経済学博士(論文タイトルは『製品原価の測定に関する研究』)。専門は、原価計算、管理会計、財務会計、会計理論。 立教大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士満期退学。 現在の研究分野は会計学研究方法論、ABC(活動基準原価計算)モデルの開発、活動基準利益分析、デリバティブ会計の理論、ストック・オプション取引の測定、負債の本質、リース取引の測定、改善原価計算モデル、製品原価計算システムの開発、予算モデルの開発、バランス・スコアカード(BSC)、ファジイCVP分析モデルなどの研究を行っている。
末田 清子(すえだ きよこ)は、日本のコミュニケーション学者… 末田 清子(すえだ きよこ)は、日本のコミュニケーション学者、青山学院大学国際政治経済学部教授。専門は、異文化間コミュニケーション、社会学、社会心理学。 立教大学社会学部社会学科卒業。カンザス大学大学院修士課程修了、カリフォルニア州立大学フラトン校大学院修士課程修了。Ph.D.(Applied Social Science)。桜美林大学国際学部非常勤講師、株式会社プラディ非常勤講師、北星学園大学文学部専任講師、同大同学部助教授、フェリス女学院大学文学部コミュニケーション学科(異文化トレーニング担当)非常勤講師などを経て、現職。
神保 雅人(じんぼ まさと、Jimbo Masato)は、日… 神保 雅人(じんぼ まさと、Jimbo Masato)は、日本の素粒子物理学研究者、千葉商科大学サービス創造学部教授。 学位は理学博士(立教大学大学院理学研究科)で、南建屋グループのメンバーとして研究活動を行い、国際リニアコライダー(こくさいリニアコライダー;International Linear Collider 略称ILC)推進グループに関係している。 1984年より日本マイコンクラブの編集委員を務めた。日本マイコンクラブを法人化した学術団体の社団法人パーソナルコンピュータユーザ利用技術協会(2006年に解散した)では、情報委員、情報編集委員を歴任、2005年より理事を務めた。この学術団体の学会の機能を引き継いだパーソナルコンピュータ利用技術学会においても理事を経て常任理事を務めた。