野口 聖(のぐち きよし、1941年(昭和16年)9月14日… 野口 聖(のぐち きよし、1941年(昭和16年)9月14日 - )は、日本の政治家。元大阪府岸和田市長(2期)。 1960年(昭和35年)3月、大阪府立岸和田高等学校卒業。1964年(昭和39年)3月、立命館大学経済学部卒業。同年4月、岸和田市役所に入所。1999年(平成11年)4月、岸和田市役所の収入役に就任。2005年(平成17年)3月、同市役所を退職。 2005年(平成17年)11月27日執行の岸和田市長選挙に無所属で出馬。大阪市立大学名誉教授の谷口誠、元岸和田市議会議員の〆野久寿喜、元岸和田市役所職員の西川治ら3人の候補者を破り、初当選。得票数は、野口:30,910票、谷口:26,827票、〆野:20,661票、西川:4,373票。
桑山 博之(くわやま ひろゆき、1941年〈昭和16年〉2月… 桑山 博之(くわやま ひろゆき、1941年〈昭和16年〉2月24日 - 2022年〈令和4年〉10月30日)は、日本の政治家、元岡山県津山市長(1期)。岡山県議会議員(自由民主党)。位階は正五位。旭日中綬章受章。 岡山県出身。立命館大学法学部卒業。行政書士、司法書士の資格を取得。津山市議会議員を2期務め、1983年、岡山県議会議員に初当選。6期務め、議長も務めた。2006年1月、津山市の再開発ビル「アルネ・津山」への税金投入が批判を浴び、津山市長・中尾嘉伸の解職(リコール)が成立。同年3月に行われた津山市長選挙に立候補し、前職の中尾らを破って当選した。津山市長を1期務め、2010年の選挙では元津山市職員の宮地昭範に敗れ、落選した。
島村 俊一(しまむら しゅんいち、1940年〈昭和15年〉8… 島村 俊一(しまむら しゅんいち、1940年〈昭和15年〉8月18日 - 2009年〈平成21年〉8月15日)は、日本の政治家、岡山県瀬戸内市長(1期)。 岡山県出身。立命館大学法学部卒。税理士の資格を取り、瀬戸内市で税理士事務所を開く。2008年、瀬戸内市長選挙に立候補し、現職の立岡脩二を破って当選する。当選の翌年、病気が悪化し、6月に市長を辞職した。辞職後の8月に死去した。
小川 竹二(おがわ たけじ、1937年(昭和12年)6月17… 小川 竹二(おがわ たけじ、1937年(昭和12年)6月17日 - 2014年(平成26年)2月18日)は、日本の政治家。元新潟県豊栄市(現・新潟市)長(5期)。位階は従四位。旭日中綬章。 新潟県北蒲原郡葛塚町(現・新潟市北区葛塚)出身。葛塚町立葛塚中学校(現・新潟市立葛塚中学校)、新潟県立新発田高等学校を経て、1960年立命館大学経済学部卒。卒業後は帰郷し、農業に従事した。1966年の下越水害で被災。1971年、豊栄市議会議員に当選し、4期務める。1987年、豊栄市長に当選し、2005年に新潟市に合併するまで5期務めた。新潟県市長会長、北信越市長会長、全国市長会副会長を歴任した。2002年に新潟市長選挙に立候補した篠田昭を支援した。
本村 和喜(もとむら かずき、1935年11月12日 - 1… 本村 和喜(もとむら かずき、1935年11月12日 - 1991年8月17日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。位階は正五位。勲等は勲三等。派閥は三塚派に所属した。 福岡県北九州市八幡東区生まれ。福岡県立八幡高等学校を経て、立命館大学法学部卒業。大学在学中は、ボクシング部と弁論部に所属し、大学代表として弁論大会に出場することもあった。 1964年、自民党衆議院議員小峰柳多の秘書。のちに参議院議員鬼丸勝之の秘書を経験。 1971年、福岡県議会議員選挙初当選。以後2期務める。 1980年の第12回参議院議員通常選挙と1983年の第13回参議院議員通常選挙に福岡県選挙区から自由民主党公認で立候補するも次点落選。
五十里 武(いかり たけし、1934年(昭和9年)5月15日… 五十里 武(いかり たけし、1934年(昭和9年)5月15日 - 2004年(平成16年)10月20日)は、日本の社会運動家、政治家。初代鹿嶋市長(1995年9月1日 - 1998年4月23日)、鹿島町長(1990年4月8日 - 1995年8月30日)。 富山県出身。立命館大学法学部を卒業。 1950年代前半に日本共産党の武装闘争に参加し、山村工作隊として活動していた。 組織の活動を優先する共産党に母親の死を秘匿されたことに憤った五十里は党を離れ、茨城県で農民運動を指導していた山口武秀配下のオルグとして活動する。 1962年、山口のもとから離れ、鹿島町役場に就職。総務部長などを務める。岩上二郎茨城県知事のもとで行われた鹿島臨海工業地帯プロジェクトに携わる。
西村 章三(にしむら しょうぞう、1933年(昭和8年)12… 西村 章三(にしむら しょうぞう、1933年(昭和8年)12月18日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(通算6期)。民社党委員長を務めた西村栄一の甥。衆議院議員の西村眞悟は従弟。 大阪府出身。1958年(昭和33年)立命館大学法学部卒。西村栄一の秘書を15年務めたあと、大阪府議会議員1期を経て、1976年(昭和51年)民社党から衆院議員に当選。1990年(平成2年)落選。1996年(平成8年)新進党の比例四国ブロックより返り咲く。1998年(平成10年)1月自由党に参加。通算6期務めた。2000年(平成12年)引退。2004年(平成16年)、旭日重光章を受章。
萩山 教嚴(はぎやま きょうごん、1932年3月20日 - … 萩山 教嚴(はぎやま きょうごん、1932年3月20日 - 2015年10月13日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党所属の元衆議院議員(6期)。伊吹派所属。 長男の萩山峰人は氷見市議会議員(2003年の富山県議選に立候補し落選)。 1932年、石川県羽咋郡北志雄村(現・宝達志水町)の寺院の次男として生まれる。1953年、石川県立羽咋高等学校卒業。1957年、立命館大学法学部を卒業し、衆議院議員・正力松太郎の秘書を1969年まで務めた。 1971年、富山県議会議員に初当選し、2期務めた。1979年、第35回衆議院議員総選挙で落選(富山2区)。1980年、第36回衆議院議員総選挙で落選。
木下 元二(きのした もとに、1929年(昭和4年)11月3… 木下 元二(きのした もとに、1929年(昭和4年)11月3日 - 2004年(平成16年)12月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、通算2期)。兵庫県の戦後初の自由法曹団員でもある。 兵庫県神戸市出身。旧制六甲中学校を経て、1949年(昭和24年)立命館大学専門部法政科を卒業。神戸市内で中学校教諭を2年間務める。その後司法試験に合格し1956年(昭和31年)4月に神戸弁護士会へ入会、1969年(昭和44年)には同会副会長を務める。この間総評系の法律事務所を自由法曹団所属の弁護士らと設立する。 1971年(昭和46年)第9回参議院議員通常選挙(兵庫県地方区、共産党)で落選。
北村 春江(きたむら はるえ、1928年(昭和3年)7月11… 北村 春江(きたむら はるえ、1928年(昭和3年)7月11日 - 2022年(令和4年)3月13日)は、日本の元政治家、弁護士。兵庫県芦屋市長(第15・16・17代)。夫は弁護士の北村巌。 京都府京都市左京区生まれ、大阪府育ち。女学校時代には学徒動員を経験し、 1945年に立命館専門学校に入学。1952年に立命館大学法学部を卒業。性別による職場での不平等を経験したことから法律家を目指す。1956年に立命館大学の女子卒業者で初めて司法試験に合格し、司法修習を経て1959年に弁護士登録。大阪家庭裁判所調停委員や1979年からは芦屋市教育委員会委員長を務める。 教育関係者や市民グループに推されて1991年、62歳で芦屋市長選挙に無所属で立候補し、現職に約2千票差をつけ初当選を果たした。
広島 了輔(ひろしま りょうすけ、1922年(大正11年)1… 広島 了輔(ひろしま りょうすけ、1922年(大正11年)11月6日 - 没年不明)は、日本の税理士、計理士、司法書士、政治家。広島税理士事務所所長。元境港市議会議員。第61代鳥取県議会副議長。 父は元境港市議会議員の広島馨。 鳥取県西伯郡境町(現在の境港市)出身。 立命館大学法学部中退。 1944年(昭和19年)から1950年(昭和25年)まで、組合立境高等家政女学校、組合立境女子商業学校→鳥取県立境高等女学校→鳥取県立境第二高校→鳥取県立境高等学校に勤務。 1950年、税務代理士となる。 1958年(昭和33年)、境港市議会議員に当選。 1967年(昭和42年)、鳥取県議会議員に当選。 元鳥取県米子市長森田隆朝によると「小学生時代の広島了輔氏はガキ大将だった。
3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日… 3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日 - 1987年11月11日)は、日本の政治家、実業家。旧名は九一。北海道札幌市出身。旧制小樽中学卒業、立命館大学経済学部中退。 3代目地崎宇三郎は、かつて北海道を代表するゼネコンであった地崎工業の前身、株式会社地崎組の3代目社主(オーナー社長)。1943年に父の2代目宇三郎から地崎組社長を継承し、1973年に地崎工業と改称、1981年に長男の地崎昭宇に社長の座を譲った。 父の公職追放直後の1947年の第23回衆議院議員総選挙に立候補するも選挙戦途中で辞退。1963年、第30回衆議院議員総選挙に旧北海道1区より立候補し、初当選。当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫・鯨岡兵輔・奥野誠亮など。
宇治田 省三(うじた しょうぞう、1917年(大正6年)1月… 宇治田 省三(うじた しょうぞう、1917年(大正6年)1月3日 - 1989年(平成元年)6月11日)は、日本の政治家。和歌山市長。長男は県議会議員で2006年(平成18年)の市長選に立候補して落選した宇治田栄蔵。旧制和歌山県立海草中学校、立命館大学卒業。市長としての長年の功績により、1986年(昭和61年)に和歌山市名誉市民として選ばれ、2003年(平成15年)には偉人顕彰が行われている。空手の師範免許を持っており、「カラテ市長」としても有名であった。 和歌山県海草郡湊村(現在の和歌山市)で宇治田増蔵の次男として生まれる。和歌山県立海草中学校(現:和歌山県立向陽高等学校)を経て立命館大学法文学部経済学科を卒業後、1946年(昭和21年)から拳武館空手道場を経営する。
清河 七良(きよかわ しちりょう、1915年〈大正4年〉2月… 清河 七良(きよかわ しちりょう、1915年〈大正4年〉2月10日 - 2004年〈平成16年〉8月24日)は、日本の政治家。富山県松倉村長および魚津市長を歴任。位階は従四位。 1915年2月10日、朝鮮半島の鎮海にて、池上家の七人兄弟姉妹の6番目の子供として生を受ける。1928年3月に鎮海尋常高等小学校卒業、1933年3月に釜山公立中学校卒業。1936年3月15日に立命館大学専門部文科を卒業。 1936年9月4日、富山県下新川郡松倉村北山の旅館業『仁右衛門家』を営む清河家(母方の実家)の清河さきと養子縁組をし、美智子と結婚。同年12月16日から1940年6月30日まで富山県中新川郡早月加積尋常高等小学校に代用教員として勤務し、続いて同年6月30日から1941年3月29日まで富山県公立青年学校教諭となり、下新川郡魚津青年学校に勤務。
河 泰煥(ハ・テファン、朝鮮語: 하태환、1913年1月17… 河 泰煥(ハ・テファン、朝鮮語: 하태환、1913年1月17日または1914年4月24日 - 1991年8月13日)は、大韓民国の教育者、実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。 第8代国会議員の金柄潤(朝鮮語版)は妻の弟である。 日本統治時代の慶尚北道迎日郡(現・浦項市)出身。立命館大学法文学部卒。大学在学中に東亜連盟事件により3年間服役した。その後は浦項女子中学校教員、同志商業中・高等学校設立校長、同志財団理事長、浦項水産大学学長、東海時報社創立社長、慶尚南道教育委員会副議長、浦項市教育委員・教育会会長、自由党浦項市党委員長・中央委員、第3代国会国防部原綿事件調査報告者、第4代国会国防委員長・台風災害対策特別委員会委員長、浦項実業専門学校校長を務めた。
堀安 成文(ほりやす なりふみ、大正元年(1912年)9月2… 堀安 成文(ほりやす なりふみ、大正元年(1912年)9月26日 - 昭和54年(1979年)6月8日)は、日本の柔道家、政治家。元鳥取県議会副議長。元県柔道連盟米子支部顧問。 堀安家は松江城主堀尾吉晴の末裔である。 鳥取県米子市出身。堀安憲の長男。立命館大学卒業。 昭和30年(1955年)から約10年間にわたって県公安委員長。昭和42年(1967年)県議初当選以来、連続三期当選。昭和52年(1977年)7月~昭和54年(1979年)4月県議会副議長。 代々堀安家は制剛流俰を伝える家であり、堀安成文は制剛流15代目であった。 大学在中柔道主将、卒業後講道館で柔道を錬磨し五段を授けらる。邸内に礎道館を設立、広く柔道の普及興隆に尽力。
宮崎 辰雄(みやざき たつお、1911年〈明治44年〉9月3… 宮崎 辰雄(みやざき たつお、1911年〈明治44年〉9月3日 - 2000年〈平成12年〉2月22日)は、日本の政治家。位階は正四位。勲等は勲一等。 神戸市長(第13代)、神戸市山岳連盟会長などを歴任した。 旧制神戸三中(現:兵庫県立長田高等学校)を経て、旧制姫路高校に入学するも、河本敏夫退学問題に端を発する全校ストライキに参加し放学処分となる。その後1936年(昭和11年)立命館大学専門部法学科卒業。大学卒業後は神戸市役所入庁。神戸市助役を経て、1969年(昭和44年)から神戸市長を5期20年務めた他、財団法人神戸都市問題研究所の創設者・理事長としても活動した。市長初当選時は自由民主党・日本社会党・公明党・民社党を与党としていたが、1973年の市長選では自民党が支持を撤回、替わって日本共産党が推薦に加わる。
野原 覚(野原 覺、のはら かく、1910年11月12日 -… 野原 覚(野原 覺、のはら かく、1910年11月12日 - 1999年4月6日)は、日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員(4期)。 長崎県出身。1938年(昭和13年)、立命館大学専門部法律科卒業。 大阪府にて教職に就き、大阪教職員組合執行委員長、大阪府労組連合協議会議長、日本教職員組合近畿地区協議会委員長などを歴任。 1953年の第26回衆議院議員総選挙において、左派社会党より旧大阪府第1区から立候補し初当選、以後当選4回。社会党左派に属し、党中央委員、遊説部長、国会対策副委員長、書記長などを経て、大阪府連合第一地区協議長、日本農民組合大阪府連顧問、党本部近畿圏整備副委員長に就任したほか、議院運営委員会理事、公職選挙法に関する調査特別委員会理事等も務めた。
小川 半次(おがわ はんじ、1909年9月9日 - 1994… 小川 半次(おがわ はんじ、1909年9月9日 - 1994年12月26日)は日本の政治家。衆議院議員(10期)、参議院議員(1期)。 京都予備学校(のちの京都商業)を経て、1932年、立命館大学法学部卒業。京都市議会議員(1936-1939年の3期)、京都府議会議員(左京区選出、1940年より1期)を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本進歩党より出馬し初当選。以後衆議院(京都1区)10回、参議院(京都府選挙区)1回当選。改進党、日本民主党を経て保守合同で自由民主党に参加。所属派閥は岸派→福田派。 厚生大臣秘書官、衆議院予算委員長・文化委員長、自民党副幹事長、全国組織委員長、中央政治大学院学長、国民運動本部長、参議院予算委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長などを歴任。
康 慶玉(カン・ギョンオク、朝鮮語: 강경옥、1907年11… 康 慶玉(カン・ギョンオク、朝鮮語: 강경옥、1907年11月11日 - 1999年3月10日)は、大韓民国の実業家、政治家。第2・3代大韓民国国会議員、第5代大韓民国参議院議員。本貫は信川康氏。 法制室長を務めた康明玉(朝鮮語版)、弁護士、商工部官僚の康龍玉(朝鮮語版)は弟。 この項目は、朝鮮に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:朝鮮)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田中 伊三次(たなか いさじ、1906年〈明治39年〉1月3… 田中 伊三次(たなか いさじ、1906年〈明治39年〉1月3日 - 1987年〈昭和62年〉4月11日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(15期)。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。 衆議院副議長(第44代)、法務大臣(第22・23・31代)、自治庁長官(第7・8代)等を歴任した。 兵庫県にて田中宗吉の二男として生まれる。家が貧しく、17歳の時に郷里の兵庫県姫路の在からナマ米をかじりながら鉄道線路を歩いて大阪に出る。新聞配達、めし屋の注文取りなどをしながら貯めた金で汽車に乗り、京都に移る。 立命館中学、府立第二中学校、京都予備学校(のちの京都商業)を経て、立命館大学に入学した。1931年、高等文官試験に合格。
溝淵 春次(みぞぶち はるじ、1903年(明治36年)6月1… 溝淵 春次(みぞぶち はるじ、1903年(明治36年)6月16日 - 1978年(昭和53年)11月7日)は、大正末から昭和期の弁護士、政治家。参議院議員(1期)。 香川県で溝淵岩吉の五男として生まれる。1919年(大正8年)立命館大学法科を卒業した。その後、日本大学研究室で研究した。 1924年(大正13年)高等試験司法科試験に合格し弁護士を開業した。1930年(昭和5年)大阪府会議員に選出され、立憲政友会大阪支部幹事長を務めた。その他、日本アンチモニイ鉱業社長も務めた。 戦後、日本自由党大阪府連幹事長、同選挙対策委員長などを務めた。1951年(昭和26年)5月の第1回参議院議員通常選挙・大阪府地方区補欠選挙に日本自由党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
矢尾 喜三郎(やお きさぶろう、1901年9月28日 - 1… 矢尾 喜三郎(やお きさぶろう、1901年9月28日 - 1975年6月21日)は日本の政治家、労働運動家。位階は従三位。 滋賀県大津市出身。日本社会党所属の元衆議院議員(9期)。日本労働総同盟滋賀県連合会会長を務めた。矢尾喜の愛称で親しまれた。 1901年(明治34年)9月、大津市高見町に生まれる。1927年、 立命館大学法律科卒業。同年、社会民衆党滋賀支部設立の中心メンバーとなる。1928年、滋賀合同労働組合の結成に参加、旭絹織膳所工場の労働争議など、主に繊維関係の労働運動を主導する。1929年の大津市議会議員選挙で次点で落選するも、1931年に繰り上げ当選。大津市議会で初の無産党議員となって、失業問題などに取り組む。
金光 邦三(かねみつ くにぞう、1897年〈明治30年〉2月… 金光 邦三(かねみつ くにぞう、1897年〈明治30年〉2月4日 - 2001年〈平成13年〉11月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。初代魚津市長(1期)。弁護士。 富山県下新川郡魚津町(現魚津市)で生まれた。1918年立命館大学法律科卒。弁護士となり、神戸市議、兵庫県議を経て、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)で兵庫1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。 戦後の1946年(昭和21年)1月19日に魚津町長に就任するが、推薦議員のため、公職追放となったため、同年10月2日に町長職を退いた。その後は富山県下新川郡下野方村(現:魚津市)で弁護士を営んでいた。
大野木 秀次郎(おおのぎ ひでじろう、1895年11月25日… 大野木 秀次郎(おおのぎ ひでじろう、1895年11月25日 - 1966年3月4日)は、日本の政治家。 京都府宇治郡山科村(現京都府京都市山科区)生まれ。大野木繁太郎の次男。清和中学校(現立命館高等学校)を経て、立命館大学経済科中退。 洛東織物工場社長を経て、1946年貴族院多額納税者議員に当選。翌1947年には第1回参議院議員通常選挙京都府選挙区に日本自由党より出馬し当選。以後通算当選4回。在任中は、サンフランシスコ講和条約の首席全権代理、参議院自由党議員会長、自民党京都府議連初代会長(連続4期)などを務めた他、第3次吉田内閣第3次改造内閣および第5次吉田内閣で国務大臣を務めるなど国政の要職を歴任した。
白波瀬 米吉(しらはせ よねきち、1887年(明治20年)4… 白波瀬 米吉(しらはせ よねきち、1887年(明治20年)4月11日 - 1986年(昭和61年)11月13日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 京都府出身。京都法政大学(現立命館大学)を修了した。 1914年(大正3年)京都府農業技手となる。以後、郡是製糸(現グンゼ)取締役、日本蚕糸統制常務理事、日本中央蚕糸会議員、日本蚕糸製造取締役、蚕糸調査会臨時委員、農林省生糸問屋審査会委員、日本セルローズ工業取締役、日本殖産興業取締役、岐阜紡績社長などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区に自由党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
竹上 藤次郎(たけがみ とうじろう、1887年(明治20年)… 竹上 藤次郎(たけがみ とうじろう、1887年(明治20年)1月17日)- 1961年(昭和36年)8月13日)は、大正から昭和期の日本の実業家、政治家。衆議院議員、京都府会議長、京都商工会議所会頭。 京都府 京都市上京区五辻通大宮五辻町で、生糸問屋「八文字屋」通称「八藤」当主・竹上藤造の二男として生まれる。桃薗校を経て京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校・附属中学校)に入学。1902年(明治35年)弁護士を目指して京都法政学校(現立命館大学)に転じたが、同年末、父の意思で第一商業に復帰し、1907年(明治40年)3月に卒業。その後、日本大学法律学科に進んだが、家業の継承のため中退し帰郷した。
田中 好(たなか こう、1886年〈明治19年〉12月30日… 田中 好(たなか こう、1886年〈明治19年〉12月30日 - 1956年〈昭和31年〉5月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(当選4回)。日本の道路法の基礎を築いた。 京都府船井郡園部町(現・南丹市)生まれ。京都府士族・田中勝次の長男。幼くして父を失う。1910年、立命館大学専門部法律科卒業。京都府庁、兵庫県庁、内務省等に勤務した。その後、臨時震災救護事務局事務官兼鉄道省事務官をつとめた。一貫して道路・交通・治水行政に従事した。 1936年には第19回衆議院議員総選挙に立憲政友会より立候補し初当選。その後も公職追放の期間を挟んで戦前2回(京都府第2区)、戦後1回(京都2区)、計4期に渡り国政に携わるなど活躍。
岩本 武助(いわもと ぶすけ、1882年(明治15年)12月… 岩本 武助(いわもと ぶすけ、1882年(明治15年)12月3日 - 1936年(昭和11年)9月6日)は、大正から昭和前期の林業家、政治家。衆議院議員。 奈良県吉野郡、のちの上北山村日裏で、林業・岩本善太郎の長男として生まれた。1888年(明治21年)父の死去に伴い家督を相続。1905年(明治38年)立命館大学法律科本科を卒業し、さらに同大高等研究科で経済学を修めた。1906年(明治39年)1月、一年志願兵として歩兵第37連隊に入隊し、経理部に配属され陸軍二等主計まで昇進して除隊。のちに帝国在郷軍人会上北山村分会長を務めた。 家業の林業を営み、パルプ材料として販売し、地方森林会議員、大日本山林会評議員、大和山林会理事、帝国林政研究会理事、吉野北山郷木材同業組合組長などを務めた。
奥村 安太郎(おくむら やすたろう、1876年(明治9年)8… 奥村 安太郎(おくむら やすたろう、1876年(明治9年)8月24日 - 1946年(昭和21年)12月11日)は、明治末から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・木島。 京都府京都市で、旧淀藩士・木島行吉の息子として生まれ、1901年(明治34年)8月、奥村つる の養子となり、その後家督を相続した。1903年(明治36年)京都法政大学(現立命館大学)法律科を卒業した。 1906年(明治39年)奥村合名会社を設立し代表社員に就任。清国、朝鮮に支店を設けた。1909年(明治42年)4月、三等郵便局長に任じられ1911年(明治44年)6月まで在任。その後、京都電気取締役、日本陶料取締役、朝鮮無煙炭礦取締役、阪東土地取締役、摂丹鉄道社長、台湾農林社長、京都火災保険社長、国民銀行頭取、西宮土地監査役、台湾総督府嘱託、樺太庁嘱託などを務めた。
7代 羽室 嘉右衛門(嘉右衞門、はむろ かうえもん / かえ… 7代 羽室 嘉右衛門(嘉右衞門、はむろ かうえもん / かえもん、1856年12月26日(安政3年11月29日)- 1924年(大正13年)8月25日)は、明治から大正期の地主・農業経営者・酒造家・実業家・政治家。京都府多額納税者、第一期及び第二期貴族院多額納税者議員互選人。衆議院議員、京都府何鹿郡中筋村長。幼名・逸郎、松逸郎。 郡是製絲株式会社(現・グンゼ株式会社)初代社長、明瞭銀行頭取。郡是製絲株式会社の第2代社長波多野鶴吉は次弟。比叡山鉄道株式会社初代社長、愛宕山鉄道株式会社取締役で京都法政学校(現・立命館大学)設立評議員・理事の羽室亀太郎は末弟。羽室亀太郎の妻ゆうは衆議院議員河原林義雄の妹。
山 登志浩 は、日本の政治家。
山花 郁夫 は、日本の政治家。
有田 芳生 は、日本の政治家、ジャーナリスト、テレビコメンテ… 有田 芳生 は、日本の政治家、ジャーナリスト、テレビコメンテーター。中道改革連合所属の衆議院議員(2期)。