伊藤 幹治(いとう みきはる、1930年1月4日 - 201… 伊藤 幹治(いとう みきはる、1930年1月4日 - 2016年3月29日)は、日本の人類学者・民俗学者。国立民族学博物館名誉教授。 東京都出身。1953年國學院大學文学部文学科卒、1955年同大学院文学研究科修士課程修了。1975年「稲作儀礼の研究」で國學院大學より文学博士の学位を取得。1954年東京都立明正高等学校教諭、1956年國學院大学日本文化研究所研究員、1959-1960年琉球国際短期大学助教授、1966-1968年ハーヴァード大学燕京研究所客員研究員、1969年國學院大學文学部助教授、1974年国文学研究資料館教授、同6月国立民族学博物館教授。1988年退職、名誉教授、成城大学教授に就任。
伊吹 一(いぶき はじめ、1930年 - 1986年6月5日… 伊吹 一(いぶき はじめ、1930年 - 1986年6月5日)は、言語心理学者。 北海道生まれ。1959年國學院大學大学院博士課程満期退学。國學院大學・工学院大学講師、NHK「じょうずな話し方講座」講師等を経て、NHK学園「美しい日本語講座」担当。学際教育センター理事長・学長。電話応対コンクール東京大会審査員。1986年死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岡田 精司(おかだ せいし、1929年12月23日 - 20… 岡田 精司(おかだ せいし、1929年12月23日 - 2019年1月25日)は、日本史学者。 東京生まれ。1954年國學院大學文学部史学科卒、1973年「古代王権の祭祀と神話」で大阪市立大学文学博士、立命館大学助教授、三重大学教授、1993年定年。
坪井 洋文(つぼい ひろふみ、1929年(昭和4年)7月28… 坪井 洋文(つぼい ひろふみ、1929年(昭和4年)7月28日 - 1988年(昭和63年)6月25日)は、日本の民俗学者。音読みで「ようぶん」と呼ばれることもある。 広島県出身。國學院大學卒。國學院大學助教授、教授、1981年国立歴史民俗博物館教授。1984年「稲を選んだ日本人 民俗的思考の世界」で國學院大學文学博士。 農耕文化を研究。柳田國男の稲作単一文化論を批判し、『イモと日本人』で焼畑文化を主張した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
南 和男(みなみ かずお、1927年12月19日 - 201… 南 和男(みなみ かずお、1927年12月19日 - 2017年9月24日)は、日本の日本史学者。 大阪府大阪市天王寺区上本町生まれ。1951年國學院大學文学部国史学科卒業。1981年「幕末江戸社会の研究」で立正大学より文学博士の学位を取得。東京都の公立中学校教諭、1958年東京都立航空工業高等専門学校講師となり、教授で定年退職、1988年駒澤大学文学部教授となり、1998年定年退職。江戸時代の風俗などを研究した。
上田 賢治(うえだ けんじ、1927年9月20日 - 200… 上田 賢治(うえだ けんじ、1927年9月20日 - 2003年3月27日)は、日本の神道学者。國學院大學名誉教授。宗教心理学・神道神学専攻。 1927年、大分県で生まれた。國學院大學文学部で二木謙一らの下で学び、1952年に卒業。同大学大学院神道学専攻に進学し、1954年に修士課程を修了した。 1956年、川村短期大学助教授に就いた。1958年、ハーバード大学大学院に留学。1967年、國學院大學文学部助教授となり、1973年に教授昇格。ボン大学日本学講座客員講師も務めた。1982年、学位論文『國學の研究:草創期の人と業績』を國學院大學に提出して文学博士号を取得。1984年より國學院大學日本文化研究所所長。
三隅 治雄(みすみ はるお、1927年8月6日 - 2026… 三隅 治雄(みすみ はるお、1927年8月6日 - 2026年2月2日)は、日本の民俗学者、芸能研究者。東京国立文化財研究所名誉研究員、文学博士。元実践女子大学教授 1927年、大阪府に生まれた。國學院大學国文学科で折口信夫、西角井正慶に師事し、日本芸能史研究を志す。1950年に國學院大學文学部国文学科を卒業。1952年、東京国立文化財研究所設立と同時に入所し、芸能部郷土芸能研究室長、芸能部部長を歴任。その間、「民俗芸能史研究」により、1976年3月16日に文学博士の学位を國學院大學から授与された。1990年、実践女子大学教授となる。1998年に実践女子大学を定年退任。 学界では、芸能学会会長。
金子 量重(かねこ かずしげ、1925年12月7日 -201… 金子 量重(かねこ かずしげ、1925年12月7日 -2017年5月20日 )は、日本のアジア民俗学者、図書館情報学者。 神奈川県横浜市に生まれる。1950年に國學院大學文学部史学科を卒業した。同年より新宿のCIE図書館に勤務した。1951年には慶應義塾大学図書館学科を修了する。 1952年から駐日アメリカ合衆国大使館図書館および同広報文化局審議室に勤務した。その後大使館のアメリカン・センターでも勤務し、1977年に退職する。図書館勤務のかたわらアジアの陶器などについて研究した。 このほか、大妻女子大学、東京造形大学などの非常勤講師を務めた。 アジア民族造形文化研究所所長,名誉学術博士。アジア民族造形学会会長。
鎌田久子(かまた ひさこ、1925年〈大正14年〉5月10日… 鎌田久子(かまた ひさこ、1925年〈大正14年〉5月10日 - 2011年〈平成23年〉1月17日)は、日本の民俗学者。成城大学名誉教授。 静岡県磐田郡天竜村(後の磐田市)生まれ。実践女子専門学校卒、国学院大学卒。柳田國男に師事、柳田の秘書も務めた。南方熊楠賞(1990年制定)では選考委員を務めた。2003年には「南方二書」の原本を発見した。 2011年1月17日、卵巣がんにより死去。
和田 利政(わだ としまさ、1925年 - 2022年6月1… 和田 利政(わだ としまさ、1925年 - 2022年6月19日)は、日本の国語学者、國學院大學名誉教授。専攻は国語学、特に敬語史研究。『旺文社国語辞典』の編纂者。 東京八王子生まれ。1951年國學院大學国文科(旧制)卒業。同大学助手、講師、助教授、1969年教授、1996年定年退任、名誉教授。
松浦 武(まつうら たけし、1924年 - ?)は、日本史学… 松浦 武(まつうら たけし、1924年 - ?)は、日本史学者、文芸評論家。旧姓・社本(しゃもと)。 愛知県生まれ。國學院大學文学部国史学科卒。名古屋市立保育短期大学助教授、名古屋市立短期大学教授、愛知工業大学教授。 松浦武の名で歴史研究、社本武の名で文芸評論を書く。豊田工業高等専門学校名誉教授・松浦由起(よしき、1950 - )は息子。
山上 伊豆母(やまかみ いずも、1923年(大正12年)7月… 山上 伊豆母(やまかみ いずも、1923年(大正12年)7月9日 - 2008年1月11日)は、日本の民俗学者。 京都府生まれ。父は神官、歌人の山上忠麿(1887年 - 1965年)。國學院大學卒、立命館大学卒、同志社大学大学院、帝塚山大学教養学部教授。1974年「古代祭祀伝承の研究」で國學院大學文学博士。1994年定年退任。
米原 正義(よねはら まさよし、1923年2月22日 - 2… 米原 正義(よねはら まさよし、1923年2月22日 - 2011年11月3日 )は、日本の日本史学者。國學院大學名誉教授。中世史専攻。 1923年、島根県で生まれた。國學院大學で学び、桑田忠親らに師事。同大学大学院博士課程を修了。卒業後は母校の國學院大學教授となった。1978年、学位論文『戦国武士と文藝の研究』を國學院大學に提出して文学博士の学位を取得。1995年、國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。 専門は日本中世史で、尼子氏、大内氏などを研究テーマとした。NHK大河ドラマ『毛利元就』では時代考証を担当した。のち、茶人や茶の湯の研究も行っている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
今村 充夫(いまむら みちお、1921年6月25日 - 20… 今村 充夫(いまむら みちお、1921年6月25日 - 2015年8月27日)は、日本の民俗学者、歌人。 朝鮮京畿道京城府(現・大韓民国ソウル特別市)生まれ。京城公立中学校(現・ソウル高等学校)卒。旧制國學院大學予科から学部国文学科卒。旧制福井県立小浜中学校教諭、新制若狭高校、石川県立各高等学校の教諭、教頭を経て、石川県立郷土資料館副館長、分館長。国立石川工業高等専門学校講師(1996年当時)。 加能民俗の会会長、石川県歌人協会会長、石川県立郷土資料館(石川県立歴史博物館の前身)副館長、日本民俗学会名誉顧問、金沢市文化財保護審議委員。国立民族学博物館国内資料調査委員。折口信夫に師事。1983年(62歳)の時に『日本の民間医療』弘文堂を公刊する。
小川 信(おがわ まこと、1920年12月31日 - 200… 小川 信(おがわ まこと、1920年12月31日 - 2004年11月15日)は、日本の日本史学者。日本学士院賞受賞者。國學院大學名誉教授。 専門は日本中世史。室町時代政治史をテーマとし、考証に重きをおいた。晩年、歴史地理的な研究にも取り組んだ。自身が中心となって『久我家文書』編纂・刊行に従事。 東京市に生まれる。1938年暁星中学校卒業。1940年國學院大學予科修了。1942年9月國學院大學史学科卒業。卒業論文は「荘園内に於ける番頭に就いて」。同年10月応召。後、陸軍少尉に至る。1945年8月シベリア抑留。1948年5月復員。10月埼玉県立浦和高等学校教諭。1949年暁星高等学校講師。1952年麻布高等学校講師。
筑紫 申真(つくし のぶざね、1920年(大正9年)3月28… 筑紫 申真(つくし のぶざね、1920年(大正9年)3月28日 - 1973年(昭和48年)1月9日)は、在野の神話学者、歴史学者、民俗学者。 1920年(大正9年)、広島県に生まれる。広島県三原市の沼田神社社家で沼田国造家を称する筑紫家に連なる家系であったため、筑紫家の養子となる。実父は侍従武官も務めた陸軍中将坪島文雄。國學院大學を卒業し、第59代沼田国造として沼田神社の神職を務めながら、郷里の中学校の教師ともなる。戦中は応召し、戦後は広島県内の中学・高校教師を歴任。1952年6月に転任した三重県立亀山高等学校を振り出しに、三重県立鳥羽高等学校・三重県立志摩高等学校・三重県立上野高等学校・鳥羽・三重県立四日市高等学校・三重県立明野高等学校の各高校へと転任した。
丹羽 基二(にわ もとじ、1919年9月5日 - 2006年… 丹羽 基二(にわ もとじ、1919年9月5日 - 2006年8月7日)は、日本の民俗学者、苗字・家紋研究家。イタリアのオリエンタル大学名誉教授、文学博士。日本家系図学会会長、日本伝統美保存会、地名を守る会代表などを歴任した。 1919年、栃木県で生まれた。1944年、國學院大學国文科を卒業する。卒論のテーマは『源氏物語』。柳田國男、樋口清之、折口信夫、太田亮らに師事した。高校教師の傍ら苗字調査を続け、1980年の退職後に本格的な研究活動に入り、全国の100万基の墓を巡った。 2006年8月7日、肺炎のため逝去。 栃木県佐野市に住んでいた幼少時に、隣組の住人の苗字、四十八願(よいなら)に関心を抱き、師事した柳田國男にその苗字について質問をしたところ、柳田に勧められ苗字の研究を開始する。
西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひ… 西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひさ)、1919年(大正8年)1月9日 - 2000年(平成12年)7月19日)は、日本の作詞家、元日本作詩家協会会長、文学博士。 東京府出身。1954年(昭和29年)から日本コロムビアの専属となり、島倉千代子「からたち日記」、「恋しているんだもん」「星空に両手を」、美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、「波止場だよ、お父つぁん」、水原弘「女の爪あと」、小林旭「さすらい」、舟木一夫「学園広場」など数々のヒット曲を世に送り、戦後の大衆音楽に多大な影響を与えた。 1974年(昭和49年)、休筆を宣言し、作詞活動の第一線から身を引く。その後、中世以降の歌謡曲研究に専念し、「日本近代歌謡史」、「雑学歌謡昭和史」などを著した。
田畑 英勝(たばた えいかつ、旧名:龍英勝、1916年8月1… 田畑 英勝(たばた えいかつ、旧名:龍英勝、1916年8月15日 - 1983年8月11日)は、日本の民俗学者。奄美群島の民俗調査、著作に功績がある。 奄美大島の旧家の長男として鹿児島県名瀬市で生まれる。名瀬尋常高等小学校(奄美市立名瀬小学校)、旧制鹿児島県立大島中学校(鹿児島県立大島高等学校の前身)を経て、國學院大學で折口信夫、柳田國男に師事する。旧制大島中では美術部と乗馬部、国学院大学では柔道部として活動。1939年に國學院大學本科国文科を卒業後、台湾での教職を経て、満洲国立新京法政大学(中国語版)教授。戦後は1947年に故郷奄美大島に帰り、旧制奄美高等女学校(鹿児島県立奄美高等学校の前身)および同専攻科の教員を務めながら、奄美の民俗研究に取り組む。
景山 春樹(かげやまはるき、1916年1月9日-1985年7… 景山 春樹(かげやまはるき、1916年1月9日-1985年7月22日)は、日本の神道・仏教美術学者。 1916年、滋賀県大津市で生まれた。景山家は比叡山公人の家系であった。國學院大学文学部国史学科で学び、1939年に卒業。 1939年5月、京都市教育局学務課に入職。1941年1月、恩賜京都博物館鑑査員となった。1944年に応召し、1946年に復員。 1947年に文部技官となり、京都国立博物館考古室長兼普及室長を務めた。1964年、学位論文『神道美術の研究』を國學院大學に提出して文学博士の学位を取得。1970年に京都国立博物館学芸課長となり、1976年に退官。 1976年4月からは帝塚山大学教授として教鞭をとった。
臼田 甚五郎(うすだ じんごろう、1915年〈大正4年〉1月… 臼田 甚五郎(うすだ じんごろう、1915年〈大正4年〉1月25日 - 2006年〈平成18年〉10月26日)は、日本の国文学者・民俗学者・歌人(雅号:碧洋)。文学博士(國學院大学・論文博士・1961年)(学位論文「日本歌謡の文学史的民俗学的考察」)。國學院大學名誉教授。 東京都大田区生まれ。東京府立第一中学校を経て、1937年國學院大學文学部卒。柳田國男、折口信夫、河野省三らに師事[要出典]。1953年國學院大學文学部助教授、1957年同教授。1961年「日本歌謡の文学史的民俗学的考察」で國學院大学より文学博士の学位を取得。1985年定年退職、同大学名誉教授。1990年、勲三等瑞宝章受章。学外では日本学術会議会員や歌謡学会会長などを歴任した。
内野 吾郎(うちの ごろう、1914年1月1日 - 1985… 内野 吾郎(うちの ごろう、1914年1月1日 - 1985年12月15日)は、日本の国文学者、國學院大學名誉教授。 神奈川県高座郡御所見村(現・藤沢市)に生まれる。 昭和7年(1932年)に芝中学校を卒業、昭和12年(1937年)に國學院大學国文学科を卒業。 昭和22年(1947年)に北海道第二師範学校教授、昭和25年(1950年)に北海道学芸大学(現・北海道教育大学)教授。昭和36年(1961年)に「日本文芸史の方法序説:その学史的展望と諸学派の批判」で國學院大學より文学博士の学位を取得。昭和38年(1963年)に國學院大學教授。 昭和43年(1968年)に西ドイツのボン大学客員教授として招聘される。
高階 成章(たかしな なりあき、大正3年〈1914年〉 - … 高階 成章(たかしな なりあき、大正3年〈1914年〉 - 昭和54年〈1979年〉9月24日)は、日本の神職、神道学者。橿原神宮権宮司。奈良芸術短期大学教授。 大正3年(1914年)、高階研一を父として、兵庫県に生まれた。昭和2年(1927年)、父が諏訪神社の宮司を拝命すると、共に長野県に移ったようであり、このころには#論文に見えるように諏訪信仰に関する論考を著している。昭和12年(1937年)3月、國學院大學史学科卒業。このときの卒業論文題目は「足利氏の郷土に於ける信仰」であった。内務省考証官補、神祇院考証官補、文部省国宝調査嘱託となった。 昭和24年(1949年)6月30日、父が宮司を務める橿原神宮の権宮司に就任した。
堀内 民一(ほりうち たみかず、1912年8月30日 - 1… 堀内 民一(ほりうち たみかず、1912年8月30日 - 1971年8月15日)は、日本の文学博士、元名城大学教授。専攻は国文学古代と近代詩歌。 奈良県北葛城郡河合町出身。國學院大學文学部国文学科卒。折口信夫に師事。万葉に関する著書を出版し、それらの業績を讃えられ奈良県文化賞を受賞した。他にも國學院大學の卒業者から優秀な研究業績をあげた者に授与される三矢博士記念賞も受賞した。また地元の学校河合町立河合第一小学校や河合町立河合第一中学校の校歌も作詞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
安津 素彦(あんづ もとひこ、1912年5月31日 - 19… 安津 素彦(あんづ もとひこ、1912年5月31日 - 1985年11月28日)は、神道学者。國學院大學名誉教授、信州豊南短期大学学長。専攻は神道思想史。 東京市下谷区(現・台東区東上野)生まれ。1930年開成中学校卒業。1935年國學院大學道義学科倫理科卒業。國學院大學道義研究室助手。1938年財団法人日本文化中央聯盟研究員。1940年國學院大學講師。1944年同大学に国学研究所が設置され、研究員に委嘱。1946年同大学に神道研究部が設置され、研究員に委嘱。1948年國學院大學文学部が発足し、宗教学科教授に就任。宗教学概論・教派神道概論を担当。1953年「神道研究序論」で文学博士(國學院大學)。
近藤 喜博(こんどう よしひろ、1911年 - 1997年)… 近藤 喜博(こんどう よしひろ、1911年 - 1997年)は、日本の民俗学者。文学博士(國學院大学・論文博士・1960年)(学位論文(「稲荷信仰研究序説」)。文化庁主任文化財調査官、文化財保護審議会専門委員等を歴任。 鳥取県生まれ。國學院大學神道科卒業。1960年「稲荷信仰研究序説」で國學院大學より文学博士の学位を取得。國學院大學講師、文化庁主任文化財調査官、文化財保護審議会専門委員。
吉田 常吉(よしだ つねきち、1910年〈明治43年〉3月1… 吉田 常吉(よしだ つねきち、1910年〈明治43年〉3月11日 - 1993年〈平成5年〉3月19日)は、幕末維新史専攻の日本史学者。元東京大学・駒澤大学教授、日本歴史学会理事。 1910年3月11日、東京府東京市(現在の東京都区部)で生まれた。東京市立四谷第二尋常小学校、四谷尋常高等小学校を経て、府立第六中学校(現・新宿高等学校)に入学。三年時から義兄の宮良當壯の下に寄宿。1928年に國學院大學予科に入学し、1930年に國學院大學文学部史学科に進んだ。大学では、植木直一郎、松本愛重に師事した。1933年3月、國學院大學の大学学部国史学科を卒業。卒業論文は、「平安朝時代における出産風俗の研究」であった。
岩崎 敏夫(いわさき としお、1909年8月21日 - 20… 岩崎 敏夫(いわさき としお、1909年8月21日 - 2004年10月28日)は、日本の民俗学者、歌人。 福島県相馬生まれ。國學院大學高等師範部卒。1962年「本邦小祠の研究」で國學院大學文学博士。相馬女子高等学校教頭。東北学院大学教授。1963年「本邦小祠の研究」で柳田賞受賞。歌人。
西田 長男(にしだ ながお、1909年3月31日 - 198… 西田 長男(にしだ ながお、1909年3月31日 - 1981年3月28日)は、日本の神道学者、國學院大學名誉教授。 三重県出身。國學院大學卒。宮地直一に師事。戦前は大倉精神文化研究所研究員、東京帝国大学講師、戦後は國學院大學教授。1955年「日本宗教の発生に関する一試論」で國學院大文学博士。
竹内 利美(たけうち としみ、1909年2月2日 - 200… 竹内 利美(たけうち としみ、1909年2月2日 - 2001年)は、日本の民俗学者、歴史学者。東北大学名誉教授。 長野県長野市生まれ。1944年國學院大學文学部国史学科卒業。日本の村落の実地調査研究を続け、社会学的見地に立って理論化を目指した。 1929年長野県上伊那郡川島村小学校、同本郷小学校で教諭となり、1940年日本常民文化研究所に勤務、1944年中央水産業会職員、1948年連合軍総司令部民間情報教育局世論及社会調査部顧問などを経て、1951年東北大学教育学部講師、1952年助教授、1954年教授。1972年定年退官、名誉教授、同年東北福祉大学教授、1983年退官。 1962年「日本村落構造の研究」により東洋大学から文学博士の学位を授与される。
石上 堅(いしがみ かたし、1908年〈明治41年〉6月26… 石上 堅(いしがみ かたし、1908年〈明治41年〉6月26日 - 1994年〈平成6年〉1月3日)は、国文学・民俗学者。東横学園女子短期大学名誉教授。 東京生まれ。1927年折口信夫に師事、1932年國學院大學文学部卒。1961年「神生誕発想胎生因子の研究」で國學院大學文学博士。東京都立大泉高等学校教諭、國學院大學講師、東横学園女子短期大学(現東京都市大学)教授を経て名誉教授。 1994年1月3日、胃潰瘍のため死去。
牛尾 三千夫(うしお みちお、1907年4月5日 - 198… 牛尾 三千夫(うしお みちお、1907年4月5日 - 1986年9月17日)は、日本の民俗学者、神職、歌人。現代に神がかりを残す大元神楽の伝承者で主に神楽と田植歌の分野で功績を残している。 1907年4月5日、島根県邑智郡市山村(現江津市桜江町市山)に生まれる。実家は神職を家職としていた。 1921年、市山村尋常高等小学校を卒業し島根県立浜田中学校に入学するも、長期の病気療養を経て1925年に退学、広島市の私立山陽中学校に編入し1927年に卒業した。医科大学進学を希望していたが、兄の死により牛尾が家業を継ぐことになり國學院大學神道部に進学する。なお母の死によって上京は1年遅れる。 在学中、鈴木棠三、三谷栄一らとともに方言研究会を創設し会誌「方言」を発刊するも3号で廃刊する。
祝 宮静(ほうり みやしず、1905年12月24日 - 19… 祝 宮静(ほうり みやしず、1905年12月24日 - 1979年4月20日)は、日本の民俗学者。 大分県宇佐市出身。京都の下鴨神社の宮司の長男として誕生する。父は子爵園池家からの養子、母方の家は大分県杵築の社家であった。1928年國學院大學卒業。その後、國學院大學助手、講師などを勤め、1933年より渋沢敬三のアチック・ミューゼアムで水産史関係資料を研究する。東京農業大学教授を1947年に辞職し郷里に帰る。[要出典]文化財保護委員会事務局から民俗資料の保護の担当者の人選を求められた渋沢の推薦により、1952年に文化財保護委員会事務局記念物課民俗資料係長、のち主任文化財調査官となり、1967年まで勤める。
石岡 久夫(いしおか ひさお、1905年2月12日 - 20… 石岡 久夫(いしおか ひさお、1905年2月12日 - 2000年1月14日)は、日本の兵法研究者、文学博士、弓道家(弓道範士十段)、本多流師範。國學院大學教授、國學院大學弓道部元師範。号は榊舎弓人。 広島県生まれ。学生時代に今まで余り史学者が手掛けてこなかった分野を研究したいと模索していた時に、休職中だった海軍大佐の有馬成甫(のち海軍少将)と知り合い、兵法学について関心を持つ。1934年國學院大學国史学科を卒業すると、有馬の推挙で多くの兵法文献を所蔵する江田島の海軍兵学校教育参考館に嘱託研究員として就職する。海軍兵学校教育参考館には、伊予松山藩の野沢文庫、上泉流を主体とする鳥取池田藩の鷲見文庫など膨大な兵書文献を所蔵していた。
本間順治(ほんま じゅんじ、1904年(明治37年)4月16… 本間順治(ほんま じゅんじ、1904年(明治37年)4月16日 - 1991年(平成3年)8月29日)は、日本の刀剣学者。文学博士、号は薫山(くんざん)。古刀研究の権威であり、本間美術館初代館長、日本美術刀剣保存協会会長などを務めた。山形県飽海郡(後の酒田市)出身。 1904年(明治37年)4月16日生。酒田本間家出身(9代当主・本間光弥の甥)。本間家は俗謡にうたわれたほどの日本有数の豪商。曽祖父の本間家7代当主・本間光美が大の刀好きで、幼少の頃より光美の日本刀の手入れを間近に見て育つ。外祖父も刀の目利きとして知られ、父も順治を目利きにすべく激励し、本家当主である伯父や従兄弟も大いに援助した。 國學院大學在学中、国文学と日本美術史を学ぶかたわら刀剣の鑑識を本格的に学びたく、遠縁で愛刀家の三矢宮松に相談し、今村長賀の高弟である刀剣鑑定師の神津伯(本職は海軍省水路部技師)に弟子入り、5年間修業する。
小野 祖教(おの もとのり、1904年 - 1990年)は、… 小野 祖教(おの もとのり、1904年 - 1990年)は、神道学者。 静岡県出身。旧姓木村、幼名政次。前名木村祖教。1930年国学院大学卒。大倉精神文化研究所所員、国民精神文化研究所嘱託、神社本庁教学部長・同常任講師、母校教授歴任。
高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - … 高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - 1982年3月2日)は、富山県生まれの国文学者、万葉学者、歌人。國學院大學名誉教授。國學院大學栃木短期大学名誉学長。文学博士。 折口信夫に師事(著書『折口学への招待』(桜楓社)がある)、折口信夫の五博士のうちの一人である。著作は『高崎正秀著作集』(桜楓社、全8巻、1971年)にまとめられている。
金沢 治(かなざわ おさめ、1899年(明治32年)2月14… 金沢 治(かなざわ おさめ、1899年(明治32年)2月14日 - 1981年(昭和56年)5月12日)は日本の歌人、郷土史家、方言研究家。飯田義資(1894-1973)・一宮松次(1897-1972)と共に徳島県郷土史研究の三大長老の1人とされる。徳島県郷土資料専門調査員を務めた。 1899年2月14日、徳島県美馬郡半田町(現:つるぎ町)に金沢与平の長男として生まれる。 1918年3月、徳島県師範学校本科第一部を卒業する。 1923年4月、上京し国学院大学高等師範部に入学する。在学中は折口信夫に師事する。 1926年、国学院大学高等師範部を卒業し、神奈川県立商工高等学校に就職する。 1927年、帰郷し徳島県立徳島中学校に転任する。
宮良 當壯(みやなが まさもり、みやら とうそう、1893年… 宮良 當壯(みやなが まさもり、みやら とうそう、1893年12月1日 - 1964年3月1日)は、沖縄出身の国語学者・方言学者。常用体の漢字表記で、「宮良 當壮」、「宮良 当壮」とも表記される。文学博士(國學院大學)、石垣市名誉市民。 1893年(明治26)沖縄県石垣村大川生まれ。 1909年(明治42)八重山高等小学校卒業後、沖縄本島の首里で人力車の後押しをするなど旅費を稼ぎ、大阪で帝国吃後矯正会での吃音矯正や音声学の学習を経て、18歳の時に上京、新聞配達や納豆売りなどをしながら1911年(明治44)8月郁文館中学校2年に編入学し、言語学者の前田太郎と出会い、研究の補助などを行った。1919年(大正8)國學院大學文学部に入学し、折口信夫の講義を受けるとともに、前田家で行われていた言語研究会で金田一京助、橋本進吉、東條操、安藤正次、神保格らと出会い、東條操から方言採録の依頼を受け、また、同年6月30日に柳田国男とも出会っている。
一志 茂樹(いっし しげき、 1893年11月12日 - 1… 一志 茂樹(いっし しげき、 1893年11月12日 - 1985年2月27日)は日本の郷土史家、教育者。
市橋 鐸(いちはし たく、1893年(明治26年) - 19… 市橋 鐸(いちはし たく、1893年(明治26年) - 1983年(昭和58年))は、愛知県犬山出身の郷土史家。 1893年(明治26年)、犬山藩成瀬氏に仕える御典医をしてきた鈴木家に鈴木鐸麿として生を受けた。國學院大學卒業後、函館商業学校で教鞭を執る。1920年(大正9年)、一宮の市橋家の養子となる。1927年(昭和2年)、小牧中学校に移る。同校において郷土室に勤め、郷土資料写真集を発行するなど、郷土歴史教育に取り組んだ。また、このときの教え子に後に郷土史家となる水谷盛光がいる。1941年(昭和16年)、名古屋市の依頼により、『名古屋叢書』の編纂に携わることとなった。この編纂事業の途中、名古屋大空襲などの困難はあったものの、1949年(昭和24年)に完成し、1959年(昭和34年)に発刊された。
小笠原 省三(おがさわら しょうぞう、1892年9月14日 … 小笠原 省三(おがさわら しょうぞう、1892年9月14日 - 1970年11月12日)は、神道学者。 青森県南津軽郡藤崎村(現・藤崎町)生まれ。1902年國學院大學教習科卒業。1922年神道評論社創立。『神道評論』創刊。1937年海外神社問題研究会設立。1938年夏北京神社奉斎会設立。1947年海外神社史編纂会発足。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
折口 信夫(おりくち しのぶ〈のぶを〉、1887年〈明治20… 折口 信夫(おりくち しのぶ〈のぶを〉、1887年〈明治20年〉2月11日 - 1953年〈昭和28年〉9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 折口の成し遂げた研究は、「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣(あざ)をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク、「靄煙渓」とも)と名乗ったこともある。 1887年2月11日、大阪府西成郡木津村(現:大阪市浪速区敷津西1丁目・鷗町公園)に父秀太郎、母こうの四男として生まれた。信夫の祖父の造酒之介が、飛鳥坐神社の社家の出身ということもあり、終生、折口はそれを自慢していた(養子なので直接血縁はないと言われている)。
河野 省三(こうの せいぞう、1882年8月10日 - 19… 河野 省三(こうの せいぞう、1882年8月10日 - 1963年1月8日)は、日本の神道学者。國學院大學学長。埼玉県出身。号は紫雲。
松下 大三郎(まつした だいざぶろう、1878年(明治11年… 松下 大三郎(まつした だいざぶろう、1878年(明治11年)10月24日 - 1935年(昭和10年)5月2日)は、日本の国語学者、文法学者。文学博士。國學院大學教授。号は曲水。 1878年、静岡県磐田郡下野部村(野部村、磐田郡豊岡村を経て、現在は磐田市)生まれ。父・久三郎は野部村村長。 明治19年(1886年)4月、野部尋常小学校(現・磐田市立豊岡北小学校)初等二級生に入学。同級生に河合亀太郎(日本薬剤師会会長、薬学博士)がいた。明治21年(1888年)2月、同校を卒業。 明治22年(1889年)7月、二俣高等小学校に進学。少年時代には落合直文・小中村義象共著の『中等教育日本文典』と『スキントン英文典』を比較研究していた。
植木 直一郎(うえき なおいちろう、明治11年(1878年)… 植木 直一郎(うえき なおいちろう、明治11年(1878年)3月29日 - 昭和34年(1959年)7月8日)は、日本の歴史学者、法学者。國學院大學名誉教授。新潟県出身。
小林 秀雄(こばやし ひでお、1876年(明治9年)11月3… 小林 秀雄(こばやし ひでお、1876年(明治9年)11月3日 - 1955年(昭和30年)1月26日)は、日本の西洋史学者。立教大学文学部長、初代史学科長、名誉教授。國學院大學名誉教授。専門は、ギリシャ・ローマ史、西洋史学。日本聖公会の信徒。 文芸評論家の小林秀雄と同姓同名であり、間違われたエピソードについては、野々上慶一『高級な友情:小林秀雄と青山二郎』(小沢書店、1989年)に詳しい。(書籍名の小林秀雄は、文芸評論家の小林秀雄) 1876年、旧会津藩士小林軍雄(ときお)・イシの長男として青森市に生まれる。1888年9月長崎県立長崎中学校に入学、1890年9月東京英語学校(私立) (後の日本中学校、現・日本学園中学校・高等学校)に入学、1893年國學院本科に入学し、1896年卒業。
山本 信哉(やまもと のぶき、明治6年〈1873年〉7月19… 山本 信哉(やまもと のぶき、明治6年〈1873年〉7月19日 - 昭和19年〈1944年〉12月18日)は、日本の歴史学者、神道学者。東京帝国大学史料編纂所史料編纂官。 元奈良国立博物館館長・山本信吉の父。
柴田 顕正(しばた けんせい、1873年7月15日 - 19… 柴田 顕正(しばた けんせい、1873年7月15日 - 1940年4月20日)は、日本の郷土史家、教育者、神官。 『岡崎市史』全8巻(1926年~1930年)とその別巻である『徳川家康と其周囲』全3巻(1934年~1935年)を半生を傾けて完成させた。正式には「柴田顯正」と表記。 愛知県額田郡伊賀村(現・岡崎市伊賀町)に伊賀八幡宮社司の柴田顯光の長男として生まれる。額田郡第十六番小学八幡学校(現・岡崎市立広幡小学校)を出たのち上京。1893年(明治26年)7月、國學院大學第一回生として同校を卒業後、史学者の三上参次のもとで教科書編集の仕事に携わった。 その後、1895年(明治28年) 石川県尋常中学校七尾分校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)の教諭を経て、1897年(明治30年)9月から1901年(明治34年)8月まで、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に勤務。
池田 蘆洲(いけだ ろしゅう、1864年7月22日(元治元年… 池田 蘆洲(いけだ ろしゅう、1864年7月22日(元治元年6月19日) - 1933年(昭和8年)1月24日)は、明治時代から昭和時代初期の漢学者。大坂の人。名は胤(いん)。通称は四郎次郎で蘆洲と号した。二松学舎専門学校、国学院大学教授。主著に『故事熟語大辞典』『日本芸林叢書』『定本史記補注』など。 大坂・道修町出身。坂本葵園、近藤元粋に師事し、東京に出て三島中洲にまなび陽明学を主とし、三島の創立した二松学舎専門学校で教授、理事をつとめ、のちに国学院大学の教授となる。編著には、未完に終わった『史記補注』130巻のほか、『日本詩話叢書(そうしょ)』10冊、『日本芸林叢書』12巻を編集し近世学芸の史料編集で知られる。