スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
浅野 孝(あさの たかし、1937年2月7日 - ) は、日… 浅野 孝(あさの たかし、1937年2月7日 - ) は、日本出身でアメリカ合衆国の環境工学者。カリフォルニア大学デービス校名誉教授。 北海道札幌市生まれ。北海道札幌南高等学校卒業後、1959年北海道大学農学部農芸化学科卒業。1965年カリフォルニア大学バークレー校工学部土木・環境工学科工学修士(M.S.E.)。1970年ミシガン大学土木環境工学科工学博士(Ph.D.)。1978年から1999年までカリフォルニア州水資源管理局水質高度利用専門官兼務。1981年カリフォルニア大学デービス校教授。2002年カリフォルニア大学デービス校名誉教授。2009年科学技術振興機構水領域アドバイザー。
下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 201… 下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 2015年11月15日)は、日本の実業家。鹿島アントラーズ・エフ・シー取締役。元住友金属工業代表取締役社長。 北海道旭川市出身。1960年東京大学文学部社会学科を卒業し、同年、住友金属工業(現・日本製鉄)に入社。主に営業畑を歴任し、1989年に取締役経営企画部長就任。その後常務・専務・副社長を経て、2000年、社長に就任した。鉄鋼不況で株価が額面割れするなど住金の経営危機を乗り切るべく、2002年に新日本製鐵(新日鉄)、神戸製鋼所と三社間資本提携を締結。海外戦略では同年にイギリス・オランダ系の鉄鋼メーカー、コーラスと技術提携を結んだ。 住金の業績悪化の要因となっていた和歌山製鉄所は上工程部門を住金鋼鉄和歌山とし分社。
石橋 冠(いしばし かん、1936年 - )は、日本の演出家… 石橋 冠(いしばし かん、1936年 - )は、日本の演出家。山田太一、倉本聡らの脚本家と組み、多くの作品を手掛けた。日本テレビのディレクターを経て、現在はフリー。
白坂 道子(しらさか みちこ、1935年10月28日 - )… 白坂 道子(しらさか みちこ、1935年10月28日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。北海道札幌市出身(岩見沢市、または小樽市出身とする文献もある)。81プロデュース所属。 北海道札幌南高等学校卒業後、NHK札幌放送劇団に入る。1957年のラジオドラマ『赤い石』で、同年度の芸術祭文部大臣演技奨励賞を受賞。そのことがきっかけで、東京放送劇団に移る。その後プロダクションエム・スリーに所属した。この間俳優座養成所第13期生として入所し、3年間演技の基礎を学んでいた。 近年は朗読を中心に活動を続けている。 特技は東北弁。趣味はシャンソン。 札幌市立豊水小学校(現:札幌市立資生館小学校)時代の5年生の時に、卒業式で在校生総代として祝辞を読む時の皆から募集した祝辞の作文をはっきりと大きい声で、皆の前で聞こえるように読む課題で、子供たちにコンクールをしていた。
西里 静彦(にしさと しずひこ、1935年6月9日 - )は… 西里 静彦(にしさと しずひこ、1935年6月9日 - )は、カナダの行動計量学者(計量心理学)。学位は、Ph.D.(ノースカロライナ大学・1966年)。トロント大学名誉教授、アメリカ統計学会フェロー、日本行動計量学会名誉会員。北海道札幌市生まれ、十勝郡浦幌町育ち。 マギル大学心理学部研究員、マギル大学精神医学部統計コンサルタント、トロント大学オンタリオ教育大学院測定評価学部部長、トロント大学オンタリオ教育大学院教授、国際計量心理学会会長などを歴任した。 日本で生まれ、カナダで活躍した行動計量学者である。国際計量心理学会の会長を務めるなど要職を歴任し、計量心理学と非線型多次元データ解析の発展に尽くした。
岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 20… 岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 2020年5月31日)は、日本の俳優・演出家。東京都出身。國學院大學卒。趣味はスキー、水泳。 大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の子として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。伯父に医学者緒方知三郎、兄はジャーナリストの岡村昭彦。 北海道放送演劇養成所に学ぶ。北海道札幌南高等学校在学中に、加清純子や樫村幹夫らとともに文芸同人誌「青銅文学」を創刊。加清純子とは恋仲であった。札幌南高校を追い出されるようなかたちで退学となり、「青銅文学」は27号で終刊。
片岡 寛光(かたおか ひろみつ、1934年 - )は、日本の… 片岡 寛光(かたおか ひろみつ、1934年 - )は、日本の行政学者。学位は、博士(政治学)(早稲田大学)。称号は、早稲田大学名誉教授(2005年)、瑞宝中綬章受章(2012年)、早稲田大学名誉評議員(2014年)。専門は、行政学。 札幌市生まれ。北海道札幌西高等学校、早稲田大学政治経済学部卒。 1967年以降早稲田大学政治経済学部に助手から勤務。1976年から教授。1990年から1994年まで同学部長。1994年から1998年まで同大学大学院政治学研究科委員長。2003年から2005年まで同大学大学院公共経営研究科専任教授・委員長。カリフォルニア大学で在外研究を行う。1990年から1994年日本行政学会理事長。
渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年(昭和8年)10… 渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年(昭和8年)10月24日 - 2014年(平成26年)4月30日)は、日本の作家。北海道空知郡上砂川町朝陽台出身。1958年札幌医科大学医学部卒業。医学博士。
荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、… 荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、評論家、詩人。本名、荒巻邦夫、後に荒巻義雅と改名。『紺碧の艦隊』の大ヒットで、いわゆる架空戦記小説の世界を代表する小説家として広く知られている。静修女子大学(現・札幌国際大学)教授も務めた。 日本文芸家協会会員。日本SF作家クラブ会員。現代俳句協会会員(旭太郎名義)。 北海道小樽市で、荒巻山の名前の元になった、採石業を営む荒巻家に生まれる。荒巻によると荒巻家は平将門一門の末裔であり、両親は母方の祖父が小樽市色内町(現在の稲穂)で開いていた一万坪の採石場を継ぐため水戸市から移住してきたという。幼少期にはロース幼稚園というミッション系の幼稚園に通っており、その時に触れた聖書の世界観に影響を受ける。
横田 滋(よこた しげる、1932年11月14日 - )は、… 横田 滋(よこた しげる、1932年11月14日 - )は、日本の元銀行員。
正富 宏之(まさとみ ひろゆき、1932年 - )は、日本の… 正富 宏之(まさとみ ひろゆき、1932年 - )は、日本の生態学者。学位は、理学博士。専修大学北海道短期大学名誉教授。 1932年北海道浦河郡浦河町生まれ。北海道札幌南高等学校卒。1955年北海道大学理学部生物学科卒業。1961年北海道大学大学院理学研究科博士課程修了。同年、理学博士(北海道大学))。1964年釧路市立郷土博物館(現釧路市立博物館)館長。1968年より専修大学美唄農工短期大学の創立に伴い同短期大学農業経営科教授に就任。1989年専修大学北海道短期大学学長に就任。1992年同学長を退任。引き続き専修大学北海道短期大学造園林学科教授。2003年専修大学北海道短期大学を定年退職。同名誉教授。
能勢 之彦(のせ ゆきひこ、1932年 - 2011年10月… 能勢 之彦(のせ ゆきひこ、1932年 - 2011年10月13日)は、日本の医師および医学者、医学博士。ベイラー医科大学元教授。グレーター・ヒューストン日本人会元会長。
我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )… 我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )は、日本の地方公務員、航空実業家。北海道副知事、北海道住宅供給公社理事長、北海道空港代表取締役社長、北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長などを歴任した。日本棋院普及功労賞受賞。瑞宝中綬章受章。 北海道札幌南高等学校を経て、1954年北海道大学経済学部卒業、北海道庁入庁。1972年開発調整部参事。1977年開発調整部次長。1980年上川支庁長。1983年開発調整部長。1987年北海道副知事。1991年北海道住宅供給公社理事長。1994年北海道空港代表取締役社長。2000年北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長、北海道観光連盟会長。
布施豊正(ふせ とよまさ、1931年- )は、日本出身の、北… 布施豊正(ふせ とよまさ、1931年- )は、日本出身の、北米で活動した自殺学者、ヨーク大学名誉教授。 札幌生まれ。札幌第一高等学校(現札幌南高校)卒。1950年戦後初の占領軍によるアメリカ留学生選抜試験に合格し渡米。1954年ミズーリバレーカレッジ卒業後、1956年カリフォルニア大学バークレー校に進学、修士号取得。61年同大学にて博士号取得。アンティオク大学、コーネル大学客員教授。1968年ベトナム反戦運動の一環として他のアメリカ人反戦教授と共にカナダに移住。フランス語系のモントリオール大学に准教授として赴任。同年12月、ノーベル委員会による特別招待で川端康成のノーベル賞授賞式に参加。1972年ヨーク大学に正教授(自殺学)として迎えられる。
児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 … 児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 - 2023年(令和5年)5月31日)は日本の実業家。第3代日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長。位階は従三位、旭日大綬章受章。 北海道深川市生まれ。北海道立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)を経て、1953年北海道大学法経学部卒業。なお、ベストセラー作家の増田俊也は大学の後輩にあたる。日本電信電話公社入社。1980年職員局長。1983年総務理事。「電電公社始まって以来の乱暴者」と評されるほどの武闘派で知られ、郵政省の公社分割案に反対し、大学の後輩にあたる郵政省の五十嵐三津雄との折衝にあたるなどした。 日本電信電話公社民営化に尽力し、1985年に日本電信電話が設立されると常務に就任し、翌年の1986年には副社長に昇格。
中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日… 中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日)は、日本の俳優。本名は中村 正昭(なかむら まさあき)。北海道札幌市出身。妻は俳優座の女優・美苗。 北海道立札幌第一高等学校(現・北海道札幌南高等学校)卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科を中退。 親友から「新劇を受けたらどうだ」と助言を受け、演劇の道を志す。 1952年に俳優座養成所に第4期生として入所。同期には仲代達矢・宇津井健・佐藤慶・佐藤允らがいる。なお、このうち佐藤允、仲代、中谷の3人は、後年岡本喜八監督作品の常連として喜八一家と呼ばれるようになり、佐藤慶も2本の岡本作品に出演している。舞台のみならず、映画・テレビで存在感のある脇役として活躍した。
三宅 和助(みやけ わすけ、1930年9月27日 - 200… 三宅 和助(みやけ わすけ、1930年9月27日 - 2004年1月24日)は、北海道夕張郡由仁町出身の元外交官。外務省外務報道官、中近東アフリカ局長、駐シンガポール特命全権大使等を歴任。
廣瀬 量平(ひろせ りょうへい、1930年(昭和5年)7月1… 廣瀬 量平(ひろせ りょうへい、1930年(昭和5年)7月17日 - 2008年(平成20年)11月24日)は、日本の作曲家。 北海道函館市で、日魯漁業(現・マルハニチロ)に勤める父・理喜男と、レストラン五島軒店主の若山徳次郎の長女・柳の長男として生まれる。1943年(昭和18年)市立函館中学校(現市立函館高等学校)に入学するが、翌年父の転勤に伴い樺太豊原市へ引越し、樺太庁立豊原中学校に転入。1945年(昭和20年)3月函館に戻る。終戦後、北海道立札幌第一高等学校(現北海道札幌南高等学校)へ転校。1948年(昭和23年)、北海道大学予科文類に入学、この頃から作曲を始める。教育学部へ進み、1953年(昭和28年)に卒業後、上京。
助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 20… 助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 2015年9月26日)は、日本の作曲家・音楽評論家・雑誌編集者。 1930年札幌市生まれ。1948年北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て1952年東京芸術大学音楽学部作曲科入学。上京するまでは音楽全般の基礎を荒谷正雄に、東京芸術大学では池内友次郎に師事する。 1954年日本音楽コンクール作曲部門において第一位と特賞受賞。1957年同学を卒業。林光、間宮芳生、外山雄三の結成した作曲家同人「山羊の会」に参加。1960年に「オーケストラのためのパルティータ」で文部省芸術祭奨励賞を受賞したのをはじめとして後々まで数々の賞を獲得。
清水 昭典(しみず しょうすけ、1928年11月16日 - … 清水 昭典(しみず しょうすけ、1928年11月16日 - 没年不明)は、日本の政治学者・歴史学者。北海道の近代政治史を専門とし、北海道各地の市町村史の編纂・策定に関わった。学位は、法学博士(北海道大学)。北見工業大学及び札幌大学名誉教授。2008年瑞宝中綬章受章。北海道生まれ。 1947年北海道立札幌第一中学校卒業。1953年北海道大学法経学部政治学科卒業。1958年北海道大学大学院特別研究生修了。北海道大学法学部助手。 1961年北見工業短期大学応用化学科講師。1963年同応用化学科助教授。1966年北見工業大学工学部助教授。1972年同工学部教授。1991年北見工業大学停年退官。同名誉教授。
柳町 隆造(やなぎまち りゅうぞう、1928年8月27日 -… 柳町 隆造(やなぎまち りゅうぞう、1928年8月27日 - )は、日本の生殖生物学者(米国ハワイ州在住)。理学博士。ハワイ大学名誉教授。
唯是 康彦(ゆいぜ やすひこ、1928年-)は、日本の経済学… 唯是 康彦(ゆいぜ やすひこ、1928年-)は、日本の経済学者で、千葉経済大学客員教授。専門は、農業経済学、食糧問題。70~80年代の日本の農業政策に大きな影響を及ぼし、特に自由化論者の代表として知られる。農水大臣の候補に挙がったこともしばしば。
小野 州一(おの しゅういち、1927年9月3日 - 200… 小野 州一(おの しゅういち、1927年9月3日 - 2000年4月1日)は、日本の洋画家。
伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2… 伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2000年4月10日)は、日本の弁護士、元検察官。 平和相互銀行監査役を務め、同銀行をめぐる不正経理事件で逮捕された。 1926年12月25日、北海道札幌市にて生まれる。札幌師範付属小学校、札幌第一中学校を卒業し、東京都に出て武蔵高等学校(旧制)を経て東京大学(旧制)法学部に進学。二年生の時に高等文官試験に一発合格した。 卒業後は検事となり、1950年(昭和25年)、23歳時に宇都宮地方検察庁に赴く。初めて担当した詐欺事件では実刑判決まで持ち込んだ。その後は横浜地方検察庁を経て東京地方検察庁刑事部、同庁特別捜査部に勤める。検事としては経済犯罪の捜査に定評があったとされる。
伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2… 伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2023年12月5日)は、日本の実業家。北海道札幌市出身。伊藤組土建代表取締役社長、テレビ北海道代表取締役社長、全日本スキー連盟会長、日本赤十字社北海道支部長等を歴任した。 旧制北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て、早稲田大学に進学。1944年からは学徒動員に伴い川崎の日本鍛造へ勤務、渋谷で東京大空襲に被災し、市ヶ谷の東部軍司令部での事務作業の最中に終戦を迎え、一旦札幌に戻った後1年後に早大へ復学。 1950年に早稲田大学政経学部を卒業した。同年5月に伊藤組土建に入社。一方で終戦直後から「日本を負かしたアメリカはどのような国なのか見てみたい」との思いでアメリカへの留学を考えGHQ総司令部に相談し進駐米軍将校の住宅でハウスボーイとして働いた後1951年に渡米し近代経営学を学び、1952年にカリフォルニア大学大学院を修了し、1953年にコロンビア大学大学院を修了。
堀 淳一(ほり じゅんいち、1926年〈大正15年〉10月6… 堀 淳一(ほり じゅんいち、1926年〈大正15年〉10月6日 - 2017年〈平成29年〉11月15日)は、日本の物理学者、随筆家。北海道大学名誉教授。専門は理論物理学であるが、地図に関するエッセイを多く著した。 1926年、物理学者の父・堀健夫と母・志づの長男として京都府京都市に生まれる。弟妹が6人いる。経済学者で関西学院大学学長を務めた堀経夫は伯父、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は母方の叔父にあたる。父の北大着任に伴い、1935年(昭和10年)から北海道札幌市に在住。小学校の頃から地図の魅力に魅せられた。札幌一中(現・北海道札幌南高等学校)を経て、1950年に北海道大学理学部物理学科を卒業。
中村 圭彦(なかむら きよひこ、1926年 7月26日- 2… 中村 圭彦(なかむら きよひこ、1926年 7月26日- 2008年 3月25日)は、日本の元スキージャンプ選手、指導者、スキージャンプ台設計の世界的権威。札幌生まれ。 母方の叔父にガルミッシュ=パルテンキルヒェンオリンピックスキージャンプ代表の龍田峻次、札幌オリンピックでジャンプ競技委員長を務めた龍田鳳三の兄弟。叔父の影響で札幌一中(現在の札幌南高校)の時本格的にジャンプ競技を始め、1949年の全日本選手権で5位入賞。 現役を退いた後1957年から小樽市内の小中学生を対象にジャンプ学校を開いた。その教え子に板垣宏志や青地清二らがいる。1959年に小樽スキー連盟理事となり、1972年の札幌オリンピックではジャンプ競技副委員長を務めた。
安井 誠(やすい まこと、1926年5月19日 - 1997… 安井 誠(やすい まこと、1926年5月19日 - 1997年3月11日)は、北海道出身の大蔵官僚、実業家。
丸山 康雄(まるやま やすお、1926年 <大正15年> 2… 丸山 康雄(まるやま やすお、1926年 <大正15年> 2月26日 - 1994年 <平成6年> 6月25日)は、昭和時代の労働運動家。位階は従四位。 札幌市出身。1943年(昭和18年)、北海道庁立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1948年(昭和23年)に北海道庁に入庁し、労政課に勤務した。1955年(昭和30年)全道庁労組書記長、1975年(昭和50年)全日本自治団体労働組合(自治労)委員長、1976年(昭和51年)日本労働組合総評議会(総評)副議長を歴任。1981年(昭和56年)に第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員を務める(2年間)。労働界からは総評副議長の丸山と、同盟副会長の金杉秀信の2人が委員となった。
有馬 昌彦(ありま まさひこ、1925年7月22日 - 19… 有馬 昌彦(ありま まさひこ、1925年7月22日 - 1991年9月27日)は、日本の俳優。本名:有馬 昌(ありま しょう)。 北海道札幌市出身。旧制第二高等学校(東北大学の前身校のひとつ)卒業。テコジャパンエージェンシー、ファミリープロダクションに所属していた。 高校卒業後の1950年、文学座研究所に入所。後に文学座座員に昇格する。1963年、文学座を脱退し、劇団雲の創立に参加。1969年に雲を退団。フリーを経て、1982年に演劇集団 円に入団した。デビュー作品は1951年、三越劇場での『シラノ・ト・ベルジェラック』。 舞台のほか、多くのテレビドラマや映画などにも出演。1966年のテレビドラマ『ウルトラQ』以来、特撮ドラマへの出演もよくあった。
匠 秀夫(たくみ ひでお、1924年(大正13年)11月28… 匠 秀夫(たくみ ひでお、1924年(大正13年)11月28日 - 1994年(平成6年)9月14日)は、北海道出身の美術評論家。挿絵など近代日本美術史研究で著書多数がある。 札幌一中(現北海道札幌南高等学校)卒、京都大学文学部選科中退、北海道大学文学部西洋史学科卒、同大学院(旧制)修了。高校教諭を経て、1966年(昭和41年)から札幌大谷短期大学教授。1968年(昭和43年)から神奈川県立近代美術館に勤務、1981年(昭和56年)には同館長となる。1987年(昭和62年)に茨城県立美術博物館(現茨城県近代美術館)の館長となる。
島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月… 島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月22日 - 2014年12月11日)は、日本の放送評論家。 北海道札幌市出身。札幌一中(現・北海道札幌南高等学校)卒業、慶應義塾大学文学部国文学科中退。 慶應義塾大学在学中に学徒徴兵され、復員後に新聞界に入る。報知新聞の芸能記者を経て、報知新聞東京本社編集局次長、電通PRセンター企画局長、渡辺音楽出版制作部長などを歴任。その後は放送評論家として活躍。特に時代劇に造詣が深く、それに関する著書も多い。 2014年12月11日、急性心不全のため死去。92歳没。
和田 寿郎(わだ じゅろう、1922年3月11日 - 201… 和田 寿郎(わだ じゅろう、1922年3月11日 - 2011年2月14日)は、日本の心臓血管外科医。札幌医科大学名誉教授。ワダ弁(人工心弁)の開発や、後に「和田心臓移植事件」として様々な疑惑が浮上する日本初の心臓移植手術を執刀したことで有名な医師。
久保 赳(くぼ たけし、1920年 <大正9年> 4月1日 … 久保 赳(くぼ たけし、1920年 <大正9年> 4月1日 - 2011年 <平成23年> 4月1日)は、日本の建設技官。初代建設省下水道部長や、日本下水道事業団理事長、日本下水道協会理事長を務め、日本の下水道行政の基礎を築いた。1994年には日本人として初めてストックホルム水賞を受賞した。勲二等瑞宝章受章。位階は正五位。 北海道夕張市生まれ。北海道庁立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)を経て、1944年北海道帝国大学工学部土木工学科卒業。満洲国政府高等官試補、神戸市復興本部を経て、建設省が発足した1948年に同省に入省し、水道課に配属された。建設省下水道課長を経て、初代建設省下水道部長や、日本下水道事業団理事長、日本下水道協会理事長を務め、流域下水道計画を推進し、長與專齋、關一、ウィリアム・K・バートン、中島鋭治らと並んで、日本の下水道事業を軌道に乗せた技術者と評された。
石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18… 石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18日 - 1990年(平成2年)7月19日)は、日本の実業家。ニッポン放送・フジテレビジョン社長を務めた。北海道札幌市出身。 札幌一中(現:北海道札幌南高等学校)、慶應義塾大学経済学部を卒業。 鐘淵紡績、映画プロデューサーを経て、1954年(昭和29年)ニッポン放送に入社。74年社長、85年相談役。この間、フジテレビ社長、産経新聞代表取締役を兼任したほか、パシフィック音楽出版(PMP、現:フジパシフィックミュージック)、ポニー、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)、ディノス(現:DINOS CORPORATION)といった、フジサンケイグループで非放送・新聞事業の中核となる企業を設立した。
早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2… 早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2010年12月26日)は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。第5代千葉商科大学学長。 北海道札幌市生まれ。1935年札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業。杉本栄一ゼミ出身。同年末永隆甫とともに企画院嘱託となる。同年東京商科大学経済研究所員。1947年北海道大学法文学部助教授。1957年北海道大学経済学部教授。1960年理論・計量経済学会理事。1961年北海道同大学経済学博士。1965年北海道大学経済学部長。1968年北海道地方労働委員会公益委員、北海道開発委員会委員。1969年北海道地方最低賃金審議会委員。
中山 周三(なかやま しゅうぞう、1916年(大正5年)8月… 中山 周三(なかやま しゅうぞう、1916年(大正5年)8月13日 - 1999年(平成11年)9月22日)は、日本の歌人、国文学者。北海道出身。 札幌一中を経て、國學院大學高等師範に入学後、北原白秋『桐の花』や、釈迢空の歌との出会いで作歌を始める。卒業後、1936年(昭和11年)に「歌と観照」に入会し、岡山巌に師事する。札幌商業学校に就職し結婚。12月に応召を受けて満州に渡るが、1941年(昭和16年)に帰国して、札幌商業学校に復職。その後、母校札幌一中や、札幌東高校で教職に就く。1946年(昭和21年)「原始林」創刊に参加し、後に山下秀之助に師事して共同で作歌を始めた。 1953年(昭和28年)からは田辺杜詩花没後の後継として同誌編集発行の代表となる。
板垣 武四(いたがき たけし、1916年〈大正5年〉2月13… 板垣 武四(いたがき たけし、1916年〈大正5年〉2月13日 - 1993年〈平成5年〉8月12日)は、1971年初当選の第7代札幌市長。北海道上川郡和寒村(現:和寒町)出身。 1916年2月13日、呉服屋を営む家庭の13人兄弟の11番目として、北海道上川郡和寒村(現:和寒町)に生まれた。小学校4年時に兄や母親と死別し、継母と仲良くなれず別の兄の住む札幌に移る。山鼻小、札幌一中(現:札幌南高)を経て、北海道帝国大学予科へ進学するも、法学への道を諦めきれず予科を退学し上京。 旧制第一高等学校を経て、札幌一中時代の友人の下宿に居候しつつ三浪を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1941年に三菱電機神戸製作所入社、神戸大空襲に被災し緑豊かな六甲山地の光景から望郷の思いが募り、札幌への帰郷を決意、1946年、札幌市役所に入職。
湊 正雄(みなと まさお、1915年11月10日 - 198… 湊 正雄(みなと まさお、1915年11月10日 - 1984年4月16日)は、日本の地質学者。北海道大学名誉教授。
宮崎 吉政(みやざき よしまさ、1915年8月8日 - 20… 宮崎 吉政(みやざき よしまさ、1915年8月8日 - 2006年3月3日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。
堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)… 堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)6月2日 - 2004年(平成16年)2月2日)は、日本の技術官僚・政治家。東日本学園大学(後の北海道医療大学)の名付け親でもある。学校法人東日本学園名誉理事長。位階勲等は、従三位勲一等瑞宝章。学位は、工学士(北海道帝国大学)。称号は、剣道範士。 札幌市出身。札幌一中(現北海道札幌南高等学校)を経て、1938年(昭和13年)北海道帝国大学(後の北海道大学)工学部土木工学科卒業(工学士)。海軍省建設局に勤務。復員を経て、1946年(昭和21年)北海道庁に勤務。その後北海道開発庁へ出向し、1965年(昭和40年)同庁事務次官となる。1967年(昭和42年)北海道開発庁退官。
林 茂司(はやし しげじ、1912年3月29日 - 1984… 林 茂司(はやし しげじ、1912年3月29日 - 1984年2月8日)は、日本の経済学者。専門は労働経済学。元札幌商科大学学長。 1912年、北海道勇払郡早来町(現・安平町)生まれ。1929年北海道庁立札幌第一中学校(後の北海道札幌南高等学校)を卒業。1932年第二高等学校文科甲類卒業。1936年に東京帝国大学経済学部卒業し、満州国財政部に勤務する。その後終戦前に、北海道に戻り、産業復興会議北海道幹事となった。 戦後は北海道札樽工業地帯調査会事務局長などを経て、1952年北海道立総合経済研究所(北海道庁研究機関)に入所。1962年より北海道立総合経済研究所研究第2部長。1967年には北海道立総合経済研究所副所長。
竹内榮(たけうち さかえ、1911年-2006年5月25日)… 竹内榮(たけうち さかえ、1911年-2006年5月25日)は、日本の工学者。専門は金属工学・金属学。理学博士。室蘭工業大学元学長。東北大学名誉教授。宮城県出身で生後間もなく札幌市に移り住んだ。
高岡 周夫(たかおか かねお、1909年5月2日 - 200… 高岡 周夫(たかおか かねお、1909年5月2日 - 2005年1月31日)は、日本の統計学者・経済学者。経済学博士(北海道大学)。元北海学園大学学長代理・北海学園大学名誉教授。 この他、経済統計学会全国運営委員や北海道経済学会理事でもあった。 経営学を小島昌太郎に師事し、統計学を蜷川虎三に師事する。 父は第三代北海道帝国大学総長の高岡熊雄であり、叔父に高岡直吉がいる。夫人は世界的外科医であり九州大学医学部教授を務めた三宅速の娘。兄弟に北海道大学名誉教授の高岡道夫・北星学園大学名誉教授の高岡英夫がいる。
関 四郎(せき しろう、1909年3月29日 - 1990年… 関 四郎(せき しろう、1909年3月29日 - 1990年12月12日)は日本の電気技師。国鉄常務理事、明電舎社長、鉄道技術協会会長、電気学会会長などを務めた。ペンネーム芝山 倉平(しばやま くらへい)による探偵小説「電気機関車殺人事件」の作者としても知られる。 北海道札幌市生まれ。北海道帝国大学工学部卒。国鉄で技師を務めていた。1943年(昭和18年)に「国有鉄道1万キロ電化の提唱」を発表するなど国鉄の電化の必要性を強く訴えたが、戦時下にあって鉄道電化は遅々として進まなかった。終戦間もない1945年9月には上越線電化に向けて活動を開始。人材、食料、資材、資金が極度に不足する中で、1947年(昭和22年)4月には上越南線(高崎~水上間)、同10月には上越北線(石打~長岡間)の電化を完成させた。
佐々木 酉二(ささき ゆうじ、1909年(明治42年)2月6… 佐々木 酉二(ささき ゆうじ、1909年(明治42年)2月6日 - 1997年(平成9年)8月14日)は、日本の化学者。専門は、酵母菌などの細菌研究や微生物研究。学位は、農学博士(北海道帝國大學)。北海道大学名誉教授。北海道生まれ。 北海道庁乳規格調査会委員、文部省科学研究費等審議会委員、文部省学術奨励審議会委員、内閣資源調査専門委員などを歴任。 北海道大学教育学部、同医学部、同水産学部、帯広畜産大学、北海道教育大学、北海道栄養短期大学、天使女子短期大学、北星学園女子短期大学、北海道工業大学などの非常勤講師を務めた。
栗谷川 平五郎(くりやがわ へいごろう、1908年10月4日… 栗谷川 平五郎(くりやがわ へいごろう、1908年10月4日 - 1993年2月20日)は、北海道名寄市出身のクロスカントリースキー、ノルディック複合選手。 戦前を代表する名選手の一人である。 旧制札幌第一中学校 → 札幌鉄道管理局(現・JR北海道鉄道事業本部) → 明治大学 → 札幌鉄道管理局 札幌一中から札幌鉄道管理局に入り、1928年の第6回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキーの個人30kmとリレーで優勝。その後明大に進み、1929年から31年までの全日本学生スキー選手権大会の個人18kmで3連覇した他、1930年の全日本スキー選手権大会のノルディック複合で優勝する。1932年レークプラシッドオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)と個人耐久(50km)、ノルディック複合の3種目にエントリーする。
今川 憲次 (いまがわ けんじ IMAGAWA Kenji、… 今川 憲次 (いまがわ けんじ IMAGAWA Kenji、1908年1月20日 - 1984年4月17日)は、北海道・根室市出身の英文学者、南山大学名誉教授。 第八高等学校教授等を経て、南山大学で教鞭をとる。 中世英文学とカトリック系文学の解明をライフワークとした。 言語時評を中心とした軽妙洒脱なエッセイの書き手として活躍。 妻・蕁子(かずこ)は文化学院女学部の教師時代に、与謝野晶子の助手として師事。 同僚に、西村伊作、戸川秋骨、与謝野鉄幹、西脇マジョリーがいた。 今川の文学研究のありように関して、遠藤周作は他の欧米文学研究者と基本的にちがう点をあげ、「文学研究をとおして御自分の基督教を練磨」したことにあると、最高の賛辞をもって評した。
佐々 保雄(ささ やすお、1907年3月22日 - 2003… 佐々 保雄(ささ やすお、1907年3月22日 - 2003年5月16日)は、日本の地質学者・地球科学者・登山家。北海道大学名誉教授で日韓トンネル研究会名誉会長も務めた。北海道札幌市出身。父は函館高等水産学校校長を務めた佐々茂雄。 化石燃料などの資源開発に関する調査・立案や、青函トンネル建設の際の調査に携わった。
新保 幸太郎(しんぽ こうたろう、1906年9月26日 - … 新保 幸太郎(しんぽ こうたろう、1906年9月26日 - 2005年4月26日)は、日本の医学者。専門は病理学。学位は、医学博士(北海道帝國大學)。元札幌医科大学学長。 北海道瀬棚郡瀬棚町(現在の久遠郡せたな町)生まれ。1926年北海道庁札幌第一中学校卒業。北海道帝国大学予科修了。1933年北海道帝国大学医学部卒業。同医学部副手に就く。1936年同医学部助手。1937年同医学部講師。1938年同医学部病理学第一講座助教授。1944年樺太医学専門学校病理学講座教授。1946年樺太医学専門学校校長事務取扱。1950年札幌医科大学医学部病理学講座教授。1961年同附属癌研究所所長。1965年札幌医科大学学長に就任。