スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
鳴海 邦碩(なるみ くにひろ、1944年7月27日 - )は… 鳴海 邦碩(なるみ くにひろ、1944年7月27日 - )は、日本の都市環境デザイン研究家。アーバンデザイナー。大阪大学大学院ビジネスエンジニアリング専攻教授。専門は環境工学専攻都市環境デザイン学領域。 青森県出身。1968年京都大学工学部建築学第二学科卒業。1970年同大学院修士課程修了。1972年から兵庫県技師。その後京都大学建築系学科助手から1979年大阪大学環境工学科助教授に赴任。主な作品に、堺市の大小路通りシンボルロード(竹中工務店開発計画本部井口勝文らと)、奈良町100年計画:Creating The Future Tradition(1993年、田端修、江川直樹他と)、湊町地区環境・サイン計画(1994年、大阪市 小浦久子他と)、エコシティ - 新・水の都大阪(1995年 日建設計増田昇らと)北摂住宅地区ゆりのき台環境共生住宅街区基本計画「自然に親しみ自然を育てる街」 がある。
藤本 一美(ふじもと かずみ、男性、1944年3月15日 -… 藤本 一美(ふじもと かずみ、男性、1944年3月15日 - )は、日本の政治学者、専修大学法学部名誉教授。専門は、アメリカ政治。日本政治学会理事。日本臨床政治学会第二代理事長。日本臨床政治研究所所長。 青森県五所川原市出身。弘前高校卒業後松木屋に就職するが退職し、2浪後明治大学農学部農芸化学科に入学。1969年、同学部卒業。1974年、同大学院政治経済学研究科博士課程修了。田口富久治に師事。日米友好基金賞受賞、2013年、日本政治法律学会より学会賞受賞。国立国会図書館職員、明治大学、東京大学講師、明海大学不動産学部教授を経て現在に至る。国立国会図書館では主に調査員として勤務した。また、近年では郷里・青森県の戦後政治史についての論文・著作を多数発表。
中野善壽(なかの よしひさ、1944年 - )は、日本の実業… 中野善壽(なかの よしひさ、1944年 - )は、日本の実業家。東方文化支援財団 代表理事。元・ACAO SPA & RESORT代表取締役会長。元・寺田倉庫株式会社代表取締役社長、元・亜東百貨COO、元・株式会社鈴屋代表取締役専務。 東京都生まれ。青森県立弘前高等学校を経て、1967年千葉商科大学商経学部卒業。株式会社伊勢丹(現・株式会社三越伊勢丹)を経て、株式会社鈴屋へ入社。代表取締役専務就任を経て1997年台湾へ渡り、力覇集団百貨店部門代表、遠東集団董事長特別顧問、ならび亜東百貨COO等を歴任。 2011年寺田倉庫株式会社入社。2012年代表取締役社長就任。2019年6月26日退社。 2019年8月、地域や国境を越えた信頼感の醸成をはかり、東方文化を極めたいというビジョンを持つ東方文化支援財団を設立し、代表理事に就任。
佐藤 昭郎(さとう あきお、1943年2月10日 - )は、… 佐藤 昭郎(さとう あきお、1943年2月10日 - )は、自由民主党の元参議院議員(2期)。広島県生まれ。青森県立弘前高等学校、東京大学農学部農業工学科卒業。血液型はB型。 1966年、農林水産省入省。北陸農政局長や構造改善局次長を歴任。1998年の第18回参議院議員通常選挙に全国土地開発事業団を支持団体として比例区より出馬し当選。第1次小泉内閣第1次改造内閣では防衛庁長官政務官をつとめた。政治家の年金未納問題では1年7か月分が未納だった。 2010年の第22回参議院議員通常選挙には出馬せず、引退。
平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 20… 平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 2018年8月14日)は、日本の政治家。青森県五所川原市長(3期)。元・青森県議会議員(2期)。 青森県五所川原市出身。青森県立弘前高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。 1999年(平成11年)4月30日、青森県議会議員となる。2003年(平成15年)、再選。 2006年(平成18年)5月27日、五所川原市長の成田守が健康上の理由により辞職。これに伴って7月9日に行われた市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて立候補。前市議の前田清勝、「羽柴誠三秀吉」や「羽柴秀吉」名義の政治活動で知られる三上誠三らを破り初当選した(平山:21,174票、前田:12,713票、三上:1,415票)。
長内 美那子(おさない みなこ、1939年〈昭和14年〉2月… 長内 美那子(おさない みなこ、1939年〈昭和14年〉2月17日 - )は、日本の女優。本名、宗像 美那子。旧姓名は芸名と同じ。身長155 cm、体重41 kg。夫は俳優の宗方勝巳。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校、共立女子大学卒業。プロマージュ、アイティ企画所属(業務提携)。 大学進学と同時に演劇部に入部。 在学中の1959年に劇団青年座に所属し、1960年の舞台『八段』でデビュー。1971年に退団するまで『天一坊七十番』『肥前風土紀』などの舞台に出演する。 1964年、日活『生きている狼』で映画初出演。以後、『男の紋章・俺は斬る』(1965年)、『東京ナイト』(1967年)、などの映画に出演する。
須藤 貢明(すどう つぐあき、1939年 - )は、日本の聴… 須藤 貢明(すどう つぐあき、1939年 - )は、日本の聴覚障害児教育の研究者、東京学芸大学名誉教授である。青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校を経て、1962年電気通信大学電波通信学部卒業。玉川大学工学部専任講師、東京学芸大学専任講師を経て、1992年に東京学芸大学教授に、2003年に同学名誉教授に就任した。聴覚心理学、言語指導論を研究する。 1992年に「聴覚障害児教育における言語指導の方法に関する実験的研究」で博士(教育学)を取得した(筑波大学、第471号)。
鎌田 慧(かまた さとし、1938年6月12日 - )は、日… 鎌田 慧(かまた さとし、1938年6月12日 - )は、日本のルポライター。シューレ大学アドバイザー。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校卒業後に上京し、零細工場で働く。カメラ工場の見習工などを経て、1959年10月中央謄写学院印刷部を退職、1960年4月早稲田大学第一文学部 [要検証 – ノート]露文科に入学。 大学卒業後、業界紙(鉄鋼新聞社)記者、月刊誌「新評」編集部を経て、フリーのルポライターとなる。トヨタ自動車の期間工の経験をもとに『自動車絶望工場』を発表した。 1990年(平成2年)、『反骨 鈴木東民の生涯』で新田次郎文学賞受賞。翌年、『六ヶ所村の記録』で毎日出版文化賞受賞。1994年(平成6年)に発表した葛西善蔵の評伝『椎の若葉に光あれ』をはじめ、大杉栄、太宰治、鈴木東民、坂本清馬などを題材に、伝記も多数執筆している。
赤羽 尭(あかばね たかし、1937年8月26日 - 199… 赤羽 尭(あかばね たかし、1937年8月26日 - 1997年1月22日)は、日本の作家。本名は庄司英樹。 青森県弘前市生まれ。明治大学文学部卒。 20代の前半に世界各地を放浪し、国際情勢を身をもって体験。帰国後、週刊誌の記者を経て、『スパイ特急』で文壇にデビュー。1986年『脱出のパスポート』が第96回直木賞候補に選ばれた。主として海外を舞台にしたスパイ小説・歴史小説を書く。
八木橋 惇夫(やぎはし あつお、1937年4月8日 - )は… 八木橋 惇夫(やぎはし あつお、1937年4月8日 - )は、日本の官僚。環境事務次官、商工組合中央金庫副理事長、沖縄振興開発金融公庫理事長などを務めた。
長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年〈昭和9年〉9月3日… 長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年〈昭和9年〉9月3日 - 2018年〈平成30年〉10月18日)は、日本の小説家、評論家。ミュージシャンの大友康平は甥。 青森県弘前市出身。弘前市第一大成国民学校、弘前市立第三中学校、青森県立弘前高等学校卒業。早稲田大学第二文学部哲学科を中退し、読売新聞社に入社。1957年『週刊読売』記者となる。大島渚、永六輔、野坂昭如、筒井康隆、小林信彦らをいち早く評価し、彼らと交友する[要出典]。その後退職し、雑誌『映画評論』編集者、映画評論家・ルポライターを経て、作家となる。 1973年『津軽じょんから節』と『津軽世去れ節』により、第69回直木賞を受賞。1979年『鬼が来た-棟方志功伝』により、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
獏 不次男 (ばく ふじお、1934年4月14日 - 201… 獏 不次男 (ばく ふじお、1934年4月14日 - 2011年12月19日)は、日本の小説家、詩人。本名は阿部次男。 青森県弘前市百石町九番地「文化堂阿部煎餅店」店主の長男として生まれた。父は阿部幸一、母はいわ。養生幼稚園、弘前市立時敏国民学校へ入学した。病弱な幼少期を送り、若くして母が死去したことから、母への追慕の念がたびたび作品に現れる。弘前市立第一中学校に入学後、当時の国鉄・NHK・東奥日報共催の作文コンクールで入賞し、NHKラジオで朗読放送をした。この時、長部日出雄(後の直木賞作家、当時弘前市立第三中学校在校)も入賞している。高校に入ると長部日出雄も青森県立弘前高等学校に入学しており、後々まで親交が続いた。
三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本… 三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、青森県議会議員(3期)、相馬村議(5期)を務めた。 青森県中津軽郡相馬村のリンゴ農家出身。青森県立弘前高等学校中退。1971年、相馬村議会議員、同議長を経て、1989年の第15回参議院議員通常選挙青森県選挙区で、反核燃料を掲げ無所属で立候補し現職の松尾官平を破り、初当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選。1999年の青森県議会議員選挙弘前選挙区に出馬し、初当選。以後3期務める。2008年、民主党会派に入る。2009年の第45回衆議院議員総選挙で青森4区の津島恭一の選対本部長を務める。2011年4月、民主党公認で立候補した青森県議会議員選挙で落選。
杉浦 銀策(すぎうら ぎんさく、1933年10月2日- )は… 杉浦 銀策(すぎうら ぎんさく、1933年10月2日- )は、日本のアメリカ文学者。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。 青森県南津軽郡常盤村(現藤崎村)出身。旧姓・能登谷。青森県立弘前高等学校卒、東京大学文学部英文科卒、1961年同大学院修士課程修了。1961年宇都宮大学専任講師、1965年横浜国立大学助教授、1969年東京都立大学助教授、教授となる。97年定年退官、名誉教授、駒澤大学教授。2004年退職。81年「ハーマン・メルヴィルー破滅への航海者」で日米友好基金賞受賞。
三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 … 三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 - )は、日本のスキー選手、登山家、獣医師。青森県出身。クラーク記念国際高等学校名誉校長、一般社団法人全国森林レクリエーション協会会長、特定非営利活動法人グローバル・スポーツ・アライアンス理事長、株式会社ミウラ・ドルフィンズ代表取締役、株式会社三浦雄一郎事務所代表取締役。 北海道大学獣医学部助手、青森大学教授、日本プロスキー連盟会長、社団法人日本職業スキー教師協会顧問、日本プロモーグルスキー協会会長などを歴任した。 クラーク記念国際高等学校の校長に就任するとともに、全国森林レクリエーション協会の会長などを務めている。また、札幌市手稲区親善大使に委嘱されると同時に、青森市の名誉市民にも選ばれている。
村上 真完(むらかみ しんかん、1932年7月25日 - 2… 村上 真完(むらかみ しんかん、1932年7月25日 - 2024年9月1日)は、日本の仏教学者・インド哲学者。東北大学名誉教授。 青森県黒石市出身。東北大学文学部印度学仏教学科卒。1963年同大学院文学研究科博士課程退学。1979年「サーンクヤ哲学研究 インド哲学における自我観」で文学博士。八戸工業高等専門学校助教授、1969年東北大学文学部助教授、1989年教授、1996年定年退官、名誉教授、聖和学園短期大学教授。2009年『パーリ仏教辞典』で日本翻訳出版文化賞受賞。
今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4… 今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4月14日)は、日本の医学者。弘前医療福祉大学特任教授、弘前大学名誉教授。学位は医学博士(弘前大学)。専門は一般外科・消化器外科(特に大腸外科・肛門括約筋機能温存術)高齢者・福祉医療、緩和・終末期医療。 青森県弘前市出身。1962年に弘前大学大学院医学研究科を修了後、弘前大学第二外科助手に就任。66年から2年間、人癌研究のため米国ロズウェルパーク記念研究所へ出張する。91年から第二外科学教室教授として昇任。大腸癌、特に直腸癌における低位前方切除術の先駆者として自律神経温存手術などの治療に注力。94年には青森県で初めての生体部分肝移植を指揮。
津島 康一(つしま こういち、1931年5月6日 - 200… 津島 康一(つしま こういち、1931年5月6日 - 2004年3月21日)は、日本の俳優。政治家・津島文治の長男。作家・太宰治の甥。 青森県出身。青森県立弘前高等学校卒業。 俳優座養成所を経て、1955年、劇団仲間に参加。「森は生きている」などの舞台で活躍した他、1967年にはNHK大河ドラマ「三姉妹」に出演。1986年、NHK大河ドラマ「いのち」に出演。 山口市民会館での劇団仲間公演中に舞台上で脳出血を起こして倒れ、山口市内の病院で死亡。子供はない。
工藤 政司(くどう まさし、1931年 - )は、日本の翻訳… 工藤 政司(くどう まさし、1931年 - )は、日本の翻訳家。元東京国際大学教授。 弘前大学文理学部卒業。主として推理小説の翻訳をしてきたが、近年はジョージ・スタイナー、ジェイン・オースティンなどの文学作品も翻訳している。
工藤 昭雄(くどう あきお、1930年12月3日 - 201… 工藤 昭雄(くどう あきお、1930年12月3日 - 2010年12月17日)は、日本の英文学者、旧・東京都立大学名誉教授。 青森県北津軽郡板柳町生まれ。東京大学文学部英文科卒業。東京都立大学助教授、教授、1994年に定年退官、名誉教授、学習院大学教授を務め、2001年退任。 当初英国の現代文学を研究、翻訳し、のちV・S・ナイポールなど植民地文学に移った。 2010年12月17日、肺炎のため東京都文京区の病院で死去。80歳没。叙従四位、瑞宝中綬章追贈。
下山 一二三(しもやま ひふみ、1930年6月21日 - 2… 下山 一二三(しもやま ひふみ、1930年6月21日 - 2023年12月16日)は日本の現代音楽の作曲家。 青森県弘前市出身。1945年の第二次世界大戦終戦が一つのきっかけとなり、音楽を独習し始める。青森県立弘前高等学校卒業、弘前大学卒業。大学卒業後の1955年に上京し、松平頼則に師事。1956年「グループ20.5」を結成、第1回作品発表会を開く。1961年の第6回でグループを解散。 1969年、ISCM主催世界音楽祭(ハンブルク)に「3群の弦楽オーケストラのためのリフレクション」が入選。以後、国際的に活躍した。1979年、文化庁主催芸術祭で「管弦楽のための彩響」が芸術祭優秀賞受賞。1992年「6人の奏者とテープのための風紋V」が「ワルシャワの秋92」で世界初演。
山内 弘(やまうち ひろし、1929年2月22日 - 200… 山内 弘(やまうち ひろし、1929年2月22日 - 2006年6月30日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。息子は、元青森県議会議員の山内崇(2011年青森県知事選挙立候補者、立憲民主党青森県連合代表)。 青森県中津軽郡相馬村(現・弘前市)生まれ。弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を卒業。卒業後は、弘前郵便局、弘前電話局、弘前電気通信管理所、黒石電報電話局、弘前電報電話局で勤務した。1959年に弘前地方労働会議議長となった。1967年に青森県議会議員に初当選した。1990年第39回衆議院議員総選挙で反核燃を訴え、旧青森2区から立候補し当選。1期務める。1993年の第40回衆議院議員総選挙で落選した。
小西 正泰(こにし まさやす、1927年8月9日 - 201… 小西 正泰(こにし まさやす、1927年8月9日 - 2013年8月25日)は、日本の昆虫学者。 1927年、兵庫県西宮市に生まれる。父の小西正倫は、三重県出身で麹町区平河町の日本赤十字医師小西功の次男として1891年生まれた。祖父の小西正職は津藩士であった。父は俳人として翠雨と号し、のちに藤田組の監査役となっている。父の兄の正道は園芸家で駒沢で農園を営んだ。 父親の仕事の関係で小学生時代は秋田県で過ごす。青森県立弘前中学校(現:青森県立弘前高等学校)を卒業。北海道大学農学部農業生物学科を卒業。北海道大学大学院農学研究科修士課程修了、1961年「日本列島産キクイゾウムシ亜科(鞘翅目、象鼻虫科)の分類学的研究」で農学博士。
原子 昭三(はらこ しょうぞう、1927年(昭和2年) - … 原子 昭三(はらこ しょうぞう、1927年(昭和2年) - 2013年(平成25年)9月3日)は、日本の著作家、教育者。元中学校教諭、元弘前市議。青森県弘前市出身。 青森県神社総代連合会理事、財団法人養生会理事、日本会議青森県本部運営委員長。 「東京裁判史観」、「日本侵略論」を批判する立場で、数冊の著書がある。
竹浪 祥一郎(たけなみ しょういちろう、1923年- )は、… 竹浪 祥一郎(たけなみ しょういちろう、1923年- )は、日本の経済学者、桃山学院大学名誉教授。 青森県北津軽郡板柳町出身。弘前中学校(現青森県立弘前高等学校)、旧制弘前高等学校卒、1947年東京帝国大学(現・東京大学)経済学部卒、大学院、東京大学社会科学研究所助手、中部日本新聞の記者をへて、1963年桃山学院大学経済学部助教授、1965年教授、1969年経済学部長、図書館長、1992年定年退任、名誉教授。
野崎 孝(のざき たかし、1917年〈大正6年〉11月8日 … 野崎 孝(のざき たかし、1917年〈大正6年〉11月8日 - 1995年〈平成7年〉5月12日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 『ライ麦畑でつかまえて』など一連のサリンジャー作品のほか、フィッツジェラルドやヘミングウェイ、スタインベックなどの翻訳で知られる。 パン屋の長男として青森県弘前市に生まれる。1929年、旧制弘前中学校(青森県立弘前高等学校の前身)に入学、4年間を首席を通し、語学の天才と讃えられる。4年修了で旧制弘前高等学校(弘前大学の前身)に入学。1937年、東京帝国大学文学部イギリス人文学科に進み、中野好夫に師事。卒業後は東京の商業学校などで教鞭を執る。第二次世界大戦で出征、中国大陸で転戦する。
盛田 稔(もりた みのる、1917年3月15日 - 2019… 盛田 稔(もりた みのる、1917年3月15日 - 2019年6月10日)は、日本の経済史学者。青森山田学園特別顧問、青森大学名誉教授。 青森県七戸町生まれ。県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)、弘前高等学校文化乙類卒、1941年、東京帝国大学(現・東京大学)経済学部卒業。 翌年より近衛歩兵第5連隊補充隊に入営、陸軍経理学校を経て主計将校となり、歩兵第31連隊に配属。1944年(昭和19年)に主計大尉に累進し、歩兵第131連隊(長:重広三馬大佐)本部高級主計となる。7月の動員下令後、八戸市に宿営し物資調達のため奔走した。11月、派兵先が中支と決まり漢口に上陸。1945年3月、宝慶に新規編成された独立混成第86旅団(長:上野源吉少将)司令部に転じ、終戦を迎える。
葛西 清美(かさい きよみ、1914年(大正3年)4月10日… 葛西 清美(かさい きよみ、1914年(大正3年)4月10日 - 1995年(平成7年)2月20日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取、青森朝日放送初代社長を務めた。 青森県出身。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)、東北帝國大学法学部法律学科を卒業後、東北興業に入社。子会社等を担当する。 その後、持病を再発したこともあり、前夫人の祖父にあたる唐牛敏世のすすめで弘前無尽(弘前相互銀行の前身)に入社する。入社早々、いきなり支配人兼営業部長をまかせられ困惑したという。役員昇格後は、主に内部改革をまかせられ、コンピューターを業界に先駆けて導入するなどして、弘前相銀は、バイタリティあふれる相互銀行として急成長を果たした。
山田 伸三(やまだ しんぞう、1914年1月17日 - 20… 山田 伸三(やまだ しんぞう、1914年1月17日 - 2000年3月20日)は、日本のスキー選手・指導者。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックにノルディック複合、クロスカントリースキーで出場。青森県出身。 青森県南津軽郡大鰐町出身。旧制弘前中学校を卒業。中学在学中の1928年、樺太の豊原で行われた大会に出場して複合で6位、距離で8位の成績を残し、将来を嘱望される。 中学卒業後は、青森営林局(青森林友)に入る。 1934年の第12回全日本スキー選手権大会ノルディック複合個人、翌年の同大会クロスカントリースキー個人長距離(17km)で優勝。 1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で49位、4x10kmリレーで12位、ノルディック複合個人で43位だった。
野村 三郎(のむら さぶろう、1911年1月1日 - 198… 野村 三郎(のむら さぶろう、1911年1月1日 - 1985年)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校在籍時に五・一五事件に連座して服役し、釈放後は満州での軍務を経て、ルーマニアなど東ヨーロッパにおける諜報活動に従事したとされる。音楽プロデューサーとして知られるジョニー野村の父、プロデューサー兼俳優の野村祐人の祖父。 士族であった父・野村興市(ないし、興一)と、母みねの三男として、青森県弘前市に生まれた。 弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)二年修了後、東京陸軍幼年学校卒業。歩兵第31連隊に入隊し、陸軍士官学校へ派遣された(第44期)。1932年5月15日の五・一五事件において首相官邸襲撃隊に加わり、1933年に陸軍軍法会議において懲役4年の判決が下り、豊多摩刑務所で服役した。
常田 健(つねだ けん、1910年10月21日 - 2000… 常田 健(つねだ けん、1910年10月21日 - 2000年4月26日)は、日本の画家。 青森県生まれ。1928年、川端画学校入学。1930年からプロレタリア美術家同盟研究所で学ぶ。1933年、青森県に帰郷。農民運動の関係者として検挙、拘留される。1936年、第26回二科展に≪ひるね≫≪飲む男≫を出品し、前者は入選。1944年、出征。1950年、青森県美術会の創立に参加。1955年、日本美術会会員。1991年、第12回青森県文芸協会賞受賞。1997年、第39回青森県文化賞受賞。 青森市浪岡北中野には「常田健 土蔵のアトリエ美術館」がある。しかし、新型コロナウイルス禍の影響を受け、2022年5月23日から休館となる(再開時期未定)。
津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 198… 津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 1988年9月4日)は、日本の政治家、精神科医、作家である。 青森県南津軽郡五郷村(現青森市浪岡地区)に生まれ、小作人の子どもとして育つ。学業成績が優秀であったため、小学校の教師のすすめで弘前中学校に進学し、その後旧制弘前高等学校に進む。弘前高時代は、石上玄一郎と交友をもつ。なお、太宰治とも同時期に弘前高に在学していたが、そのころは交流はなかったという。なお、津川、石上、太宰は、いずれも旧制中学四修で高校入学組の秀才だった。ただし、太宰は高等小学校1年就学後に中学入学のため津川と石上よりは一歳上だった。 1930年、東京帝国大学医学部に進学。
井沼 清七(いぬま せいしち、1907年7月27日 - 19… 井沼 清七(いぬま せいしち、1907年7月27日 - 1973年10月1日)は、日本の男子陸上競技(短距離走)選手。青森県出身。早稲田大学在学中、1928年アムステルダムオリンピックに4×100メートル (m)リレーで出場した。青森県初のオリンピック選手である。 1907年、青森県北津軽郡中里村(現・中泊町)において、井沼覚五郎の四男として生まれる。井沼家は大地主で、覚五郎は村政にたずさわり、郡会議員も務めた人物である。兄の井沼豊助は実業家(津軽鉄道取締役、津軽酒造会社社長など)として活動し、第2代中里町長を務めるとともに、青年相撲の振興にあたり、県相撲連盟幹部を務めた。 中里尋常小学校高等科(現・中泊町立中里小学校)卒業後、青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)に進む。
明本 京静(あけもと きょうせい、1905年3月23日 - … 明本 京静(あけもと きょうせい、1905年3月23日 - 1972年10月17日)は、日本の作詞家、作曲家。本名は明本 教成。 青森県黒石市出身。旧制青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、旧制弘前高等学校卒業。東京帝国大学工学部中退。 近衛秀麿に師事し、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)でベートーヴェンの「第九」のテナー独唱者となる。 その後、しばらく鳴かず飛ばずの時代が続いたが、昭和14年(1939年)、朝日新聞社が募集した「皇軍感謝の歌」の当選作、「父よあなたは強かった」の作曲依頼が日本コロムビアに依頼され、専属作曲家12人の競作になり、採用されたのは最も無名に近かった明本の曲であった。
漆野 寿一(うるしの じゅいち、1905年2月3日 - 19… 漆野 寿一(うるしの じゅいち、1905年2月3日 - 1992年8月4日)は、茨城県出身の実業家。山下汽船(現:商船三井)常務、山栄船舶社長等を歴任した。 1905年2月3日、茨城県新治郡志士庫村宍倉に於いて漆野佐一郎と孝子の長男として生まれる。父佐一郎は1903年に東京帝国大学工学部を卒業後、大倉鉱業や入山採炭などの重役を務めた。母孝子は利根運河開鑿など地方産業開発に貢献した、茨城県北相馬郡高井村の広瀬誠一郎の次女。 1928年に弘前高校を卒業後、京都帝国大学経済学部に入学。在学中は剣道に打ち込んだ。1931年に同大学を卒業して山下汽船に入社。1935年、会社に命じられてアメリカ・カナダを視察。
高橋 一智(たかはし かずとも、1904年(明治37年) -… 高橋 一智(たかはし かずとも、1904年(明治37年) - 1983年(昭和58年))は、日本の陶芸家。弘前中学時代から絵画、彫刻に取り組んでいたが、バーナード・リーチの作品に感銘を受けて陶芸の道へ。帰郷後は、故郷の素材による陶芸の道を歩み、土探しに心血を注いだ。また、こぎん刺しの図案を収集し、その研究も行った。
藤森 睿(ふじもり さとる、1903年 〈明治36年〉12月… 藤森 睿(ふじもり さとる、1903年 〈明治36年〉12月8日 - 1984年〈昭和59年〉8月30日)は日本の政治家。青森県弘前市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 青森県弘前市出身。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、東洋大学倫理学東洋文学科卒。卒業後は青森県立青森高等女学校(現・青森県立青森高等学校)、青森県女子師範学校(現・弘前大学)、青森県立五所川原高等女学校(現・青森県立五所川原高等学校)の各教諭となり、五所川原高等女学校、青森高等女学校の各校長となる。1946年に青森県庁に入り、県視学官、教育、人事の各課長、民生部長を歴任し、1954年、弘前高校校長となり、教育現場に復帰した。
平田 小六(ひらた ころく、1903年11月1日 - 197… 平田 小六(ひらた ころく、1903年11月1日 - 1976年5月18日)は、日本の作家。 秋田県生まれ。弘前中学校卒。プロレタリア文学の作家として出発、農民小説を書く。戦後は新日本文学会所属。 英語教師である父・孝次郎の勤務先である秋田県大館町に生まれる。第五十九国立銀行の行員となった父の転勤に伴い、幼い時期は青森県内を転々とする。1923年(大正12年)に弘前中学校を卒業すると、家計を助けるために進学を断念して代用教員に就く。1924年、北津軽郡小泊村下前尋常小学校(後の下前小学校。2010年に小泊小学校に統合され閉校)に訓導として着任する。(下前尋常高等小学校は明治9年に完成しました)この下前での2年弱の体験が、後の『囚はれた大地』の原型となった。
奈良 治二(なら はるじ、1903年(明治36年)4月8日 … 奈良 治二(なら はるじ、1903年(明治36年)4月8日 - 1965年(昭和40年)7月19日)は、昭和期の農業協同組合指導者、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・成田。 青森県北津軽郡六郷村胡桃館(現鶴田町)で、成田治の二男として生まれる。1923年(大正12年)青森県立弘前中学校(現青森県立弘前高等学校)を卒業した。 中津軽郡新和村(現・弘前市)種市の奈良家の養子となる。新和村農業会長、(有) 北隆造船鉄工所取締役社長、北日本化学工業取締役社長、新和村農業協同組合長、同村農業共済組合長、青森県農業共済保険組合理事、同県利用農業協同組合連合会長などを務めた。 政界では1930年(昭和5年)新和村会議員に選出された。
松木明(まつき あきら、1903年 - 1981年12月3日… 松木明(まつき あきら、1903年 - 1981年12月3日)は、日本の血清学者、民俗学者。 第八師団軍医広田守の長男として青森県弘前市に生まれ、母親の実家を次いで松木姓になる。弘前中学から弘前高等学校、東京帝国大学医学部を卒業後、同大学の三田定則教授のもと血清学を学び、1934年弘前に帰って開業。血清人類学の研究を行う。津軽民俗の会会長。息子は松木明知。
大和田 弥一(おおわだ やいち、1902年(明治35年)9月… 大和田 弥一(おおわだ やいち、1902年(明治35年)9月10日 - 1999年(平成11年)3月13日)は、日本の政治家。初代福島県いわき市長。旧平市(現・いわき市)長。 福島県出身。弘前高校を経て、1927年、高等文官試験(行政科)に合格。1928年、京都帝国大学法律学科卒。卒業後は関東庁に勤務する。1936年、関東庁警察部長となり、1939年、帰国。帰国後は岩手、鳥取、茨城、京都、福島の各府県に勤務する。この間、司政官としてシンガポールに派遣される予定だったが、出発直前に終戦となり、派遣は取りやめになった。 終戦後は福島県総務部長となり、1947年、福島県副知事に就任。1953年の第3回参議院議員通常選挙において福島地方区から自由党公認で立候補したが落選した。
石坂 洋次郎(いしざか ようじろう、1900年〈明治33年〉… 石坂 洋次郎(いしざか ようじろう、1900年〈明治33年〉1月15日 - 1986年〈昭和61年〉10月7日)は、日本の小説家。青森県弘前市代官町生まれ。慶應義塾大学国文科卒。『若い人』で文壇に登場。戦後は新聞小説に活躍。『青い山脈』をはじめとする青春物で、国民的な人気を博した。数多くの作品が映像化されている。 弘前市立朝陽小学校、青森県立弘前中学校(現在の青森県立弘前高等学校)に学び、慶應義塾大学文学部を卒業。大学時代、心酔していた郷里の作家葛西善蔵を鎌倉建長寺の境内の寓居に訪ねるも、酒に酔った葛西から故郷の踊りを強要され、さらに相撲で捻じ伏せられた上、長刀を頭の上で振り回されて幻滅と困惑を感じる。
佐藤 一村(さとう いっそん、明治32年(1899年)10月… 佐藤 一村(さとう いっそん、明治32年(1899年)10月18日 - 1991年11月、本名: 佐藤 武市(さとう たけいち))は、日本の銀行員、大学教員、俳人である。ホトトギスの同人であった。 明治32年、青森市に生まれる。弘前中学校に通う。大正9年に小樽高等商業学校を卒業した後、太平洋戦争終結による解体まで台湾銀行に勤める。台南勤務、スラバヤへの駐在を経て、蘇州支店長、漢口支店長を歴任する。佐藤は武漢での勤務は「文字どうりの滅私奉公の四年であった」と振り返っている。戦後は日本に引き揚げ、GHQ大阪軍政部の技術顧問となった。後に大阪工業高等専門学校および大阪工業大学短期大学部で講師を務めた。
一戸 謙三(いちのへ けんぞう、1899年2月10日 - 1… 一戸 謙三(いちのへ けんぞう、1899年2月10日 - 1979年10月1日)は、日本の詩人。 青森県弘前市出身。青森県立弘前中学校(現:青森県立弘前高等学校)卒業。1919年、帰省した際、青森県で初めての詩人団体「パストラル詩社」を結成。福士幸次郎に師事し、一戸玲太郎の筆名で口語自由詩人として活躍した。1920年、経済的事情により慶應義塾大学医学部中退。1936年方言詩集『ねぷた』を刊行。1960年青森文化賞、1962年青森県褒賞を受ける。1979年10月1日、心不全のために死去。 昭和初期にはエスプリ・ヌーボーの影響を蒙り、知的観照性の高い散文詩へと移行したが、やがて方言詩に転身、高木恭造とならんで津軽方言詩人としても活動した。
加藤 謙一(かとう けんいち、1896年〈明治29年〉5月2… 加藤 謙一(かとう けんいち、1896年〈明治29年〉5月28日 - 1975年〈昭和50年〉6月30日)は、昭和期の雑誌編集者。戦前は大日本雄辯會講談社『少年倶楽部』の編集長を務め、戦後は独力で起こした学童社から『漫画少年』を編集・刊行し、多くの漫画家を世に送り出した。国立公文書館館長の加藤丈夫は四男。 1896年、青森県弘前市に生まれる。旧制弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)卒業後、学費の不要な陸軍経理学校への進学を目指し、学科試験は合格したものの体格試験に扁平足という理由で不合格となり、やむなく弘前市立三省尋常小学校で代用教員となる。小学校長の薦めで、当時の青森師範学校(現在の弘前大学教育学部)の二部(夜間部)に1916年に入学。
増田 清(ますだ きよし、1888年(明治21年)9月9日 … 増田 清(ますだ きよし、1888年(明治21年)9月9日 - 1977年(昭和52年)2月9日)は、日本の建築家。 主に大阪を拠点に活動したが、現存するものは少ない。 功績に対して知名度が低く「知られざる名建築家」「戦前活躍しながら忘れられていた名建築家」などと紹介されている。 娘婿は阿川弘之、阿川尚之と阿川佐和子は孫にあたる。 増田は日本の初期鉄筋コンクリート構造(RC構造)建築普及に貢献した建築家である。大阪を中心に京都・奈良・兵庫で、更に東京や広島・呉で仕事し、設計したすべての建築物がRC構造であった。大きな特徴として、芸術・造形美よりも構造美・機能美、特に耐震を重視し極めて頑丈な建物を設計していることが挙げられる。
岩淵 勉(いわぶち つとむ、1888年〈明治21年〉2月 -… 岩淵 勉(いわぶち つとむ、1888年〈明治21年〉2月 - 1956年〈昭和31年〉1月14日)は、日本の実業家、政治家。青森県弘前市長。位階は従六位。勲六等瑞宝章。 青森県中津軽郡弘前に生まれる。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、慶應義塾大学部理財科卒。卒業後は弘前電燈株式会社に就職し、会社支配人となる。その後、陸奥鉄道支配人、津軽鉄道常務となった。 1945年暮れに弘前市長の葛原運次郎が死去、1946年1月にその後任の市長に就任した。翌1947年、弘前市長選挙に立候補して当選した。4年後の市長選挙には不出馬、1955年の市長選挙に立候補して市長に返り咲いた。しかし、病気に倒れ、1956年、在職中のまま死去。
阿部 規秀(あべ のりひで、1887年(明治20年) 9月8… 阿部 規秀(あべ のりひで、1887年(明治20年) 9月8日 ‐ 1939年(昭和14年) 11月7日)は、日本陸軍の軍人。陸士19期。最終階級は中将。正四位勲一等功三級(追贈)。 日中戦争にて八路軍との交戦中に戦死し、中将としては帝国陸軍の創設以来初の戦死者となった。 青森県旧北津軽郡七和村羽野木沢(現五所川原市)出身。衆議院議員・阿部武智雄の次男。就学前から一つ上の兄について行って小学校に出入りしており、教師の計らいで二年生に中途入学扱いとなる。そのため、兄と同学年として青森県立第一中学(現:青森県立弘前高等学校)に進学した。弘前では中士士族の鎌田家に下宿し、城陽館で剣道に打ち込んだ。 1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校を卒業。
阿部 義宗(あべ よしむね、1886年(明治19年)12月3… 阿部 義宗(あべ よしむね、1886年(明治19年)12月3日 - 1980年(昭和55年)3月1日)は、日本の牧師・教育者。青山学院第6代院長。 日本メソジスト教会の初代監督の本多庸一は伯父。 弘前市に生まれる。母親は本多庸一の妹で、中田重治の近所に住んでいた。阿部の母親は、暴れん坊だった6,7歳頃の中田少年によく水をかけられていた。1901年(明治34年)8月中田重治が聖書学校の修養生たちで大伝道団を編成して、弘前で伝道集会をした時に、中田の説教を聴いて入信を決意する。 1905年(明治38年)、青森県立第一中学校を卒業する。1912年、青山学院高等科、および青山学院神学部を卒業する。その後、アメリカとカナダに留学する。
乳井 英夫(にゅうい ひでお、1886年(明治19年)8月1… 乳井 英夫(にゅうい ひでお、1886年(明治19年)8月10日 - 1977年(昭和52年))は、大正から昭和時代前期の政治家。青森県弘前市長。 青森県弘前市出身。1906年(明治39年)3月、青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を卒業後、南津軽郡注目小学校の教員となる。1912年(明治45年)6月、官界に転じ、青森県属となり、ついで福島県書記、栃木県属、栃木県警部、秘書課長、地方事務官学務部教育課長、知事官房主事を経て、1929年(昭和4年)7月に休職。 1931年(昭和6年)9月に弘前市助役に就任。翌年1月に辞任後、宇都宮市主事、社会課長、職業紹介所長、水道課長などを経て、1936年(昭和11年)2月に再度弘前市助役に就任した。