スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高橋 温(たかはし あつし、1941年7月23日 - )は、… 高橋 温(たかはし あつし、1941年7月23日 - )は、日本の経営者。住友信託銀行社長・会長を務めた。岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)出身。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1965年に京都大学法学部を卒業し、住友信託銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1998年3月に社長に就任。2005年6月に会長を経て、2011年4月には相談役に就任。 2007年6月に京阪電気鉄道社外取締役に就任。 岳父は通産省大臣官房審議官の池永光弥、光弥の母方叔父に青柳瑞穂がいる。
中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - … 中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - ) は、日本の工学者。専門は電子工学。東北大学名誉教授。東北大学電気通信研究所所長や、岩手県立大学学長、映像情報メディア学会会長、公立大学協会副会長、全国公立短期大学協会副会長等を歴任した。 東京府生まれ。父は岩手県滝沢村出身のエンジニア。中学校から岩手県盛岡市で過ごし、1959年岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1963年東北大学工学部通信工学科卒業。1968年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。指導教官は岩崎俊一だが、永井健三も君臨していた。 1968年東北大学電気通信研究所助手。1971年東北大学電気通信研究所助教授。1987年東北大学電気通信研究所教授。
大宮 政志(おおみや まさし、1938年3月10日 - )は… 大宮 政志(おおみや まさし、1938年3月10日 - )は、日本競輪選手会東京支部に所属していた元競輪選手。岩手県岩手郡滝沢村(現・滝沢市)出身。滝沢市スポーツ功労者。 盛岡第一高等学校時代の1956年、鎌倉で行われた第一回・全国高等学校自転車道路競走中央大会の個人、団体の部で優勝。また同年、大宮競輪場で開催された全国高等学校自転車競技選手権大会(インターハイ)ロード・レース「第1回全国高等学校自転車道路競走中央大会」(鎌倉~江の島~平塚の周回路)で優勝。 日本大学時代には世界自転車選手権、ローマオリンピックにも出場。1962年の第4回アジア競技大会個人ロードレースでは2位に入る。1964年東京オリンピックの個人・団体ロードに出場。
工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月1… 工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月18日 - 2010年(平成22年)1月29日)は、日本の考古学者、歴史学者。福島大学名誉教授。専門は蝦夷を中心とした東北地方の古代史。 岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て東北大学文学部史学科入学、1966年には東北大学大学院文学研究科の博士課程を修了した。その後は東北歴史資料館(現在の東北歴史博物館)勤務を経て、宮城学院女子大学に教授として迎えられた。1989年からは福島大学の教授となり、2003年に退官するまで務めた。2004年には再び東北歴史博物館へと戻り、館長を2年間務めた。 2004年からは平泉の世界遺産登録を目指した推薦書作成委員会委員長になったが、2008年7月6日、国際記念物遺跡会議より普遍的価値の証明が不十分との指摘を受け、世界遺産の登録は見送りとなった。
玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937… 玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937年〈昭和12年〉12月16日 - )は、日本の政治家。 農林水産大臣(第28・29代)、防衛庁長官(第56代)、衆議院議員(9期)などを歴任。 選挙などの際には旧字体の「澤」でなく、画数の少ない「沢」を用い「玉沢徳一郎」と表記されることが多い。 岩手県下閉伊郡田老町(現在の宮古市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業後、早稲田大学第二政治経済学部政治学科に入学。大学では早稲田大学雄弁会に所属。雄弁会の一期上に森喜朗、一期下に小渕恵三がいた。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士。学生時代から左翼が大嫌い(当時は学生運動の嵐の真っ只中)であることを公言していた。
みや こうせい(1937年9月26日 - )は、日本の写真家… みや こうせい(1937年9月26日 - )は、日本の写真家、エッセイスト。 岩手県盛岡市出身。本名は宮暠成。岩手県立盛岡第一高等学校卒業。ルーマニアを題材とした批評、ルポ、ノンフィクション、翻訳など幅広く活動する。 1998年、ルーマニア文化功労賞受賞。
坂本 宗仙(さかもと むねのり、1936年 - 2012年4… 坂本 宗仙(さかもと むねのり、1936年 - 2012年4月12日)は、日本の化学者。東京工業大学名誉教授。専門は高分子機能加工、繊維の化学改質、染色加工など。 同大学助手、助教授を経て教授に就任。 セルロース繊維や絹糸の機能向上を目的とした化学反応(ハロゲン化、架橋、イソシアネート系化合物による改質など)を中心に研究。羊毛のセット機構や染色加工に関する知見も深い。主な受賞・役職繊維学会功績賞(平成12年度)。 主な著書・訳書『反応射出成形入門』(F.メルヴィン・スウィーニイ著、坂本宗仙・本宮達也訳、1990年、工業調査会)。
小田中 聰樹(おだなか としき、1935年(昭和10年)7月… 小田中 聰樹(おだなか としき、1935年(昭和10年)7月20日 - 2023年(令和5年)6月9日)は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1978年、学位論文「刑事訴訟法の歴史的分析」)。東北大学名誉教授。岩手県盛岡市生まれ。 日本刑法学会理事、民主主義科学者協会法律部会理事長、日本法社会学会理事等を歴任。「九条科学者の会」呼びかけ人を務めている。 息子に東北大学大学院経済学研究科教授の小田中直樹がいる。
川村 六郎(かわむら ろくろう、1935年5月23日 - )… 川村 六郎(かわむら ろくろう、1935年5月23日 - )は元京王百貨店代表取締役相談役。岩手県盛岡市出身。趣味・特技は茶道(南坊流)とそば打ち。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1959年に中央大学法学部を卒業と同時に京王帝都電鉄に入社。1963年に京王食品に出向。1978年に取締役。1988年に専務取締役。1990年に京王ストア代表取締役社長となる。1992年に京王百貨店取締役を経て、1993年6月に同社代表取締役社長に就任。2000年に同社代表取締役会長となる。
高橋 令則(たかはし よしのり、1934年(昭和9年)9月2… 高橋 令則(たかはし よしのり、1934年(昭和9年)9月29日 - 2016年(平成28年)9月3日)は、日本の政治家。 岩手県出納長、岩手県副知事、参議院議員(1期)、自由党岩手県総支部連合会会長などを歴任した。 1934年に岩手県岩手郡松尾村(現八幡平市)で生まれた。岩手県立盛岡第一高等学校、早稲田大学法学部を卒業。 1962年(昭和37年)岩手県庁に入庁した。要職を歴任し、岩手県知事の中村直の下では出納長を務めた。後任の知事である工藤巌の下では副知事を務めた。工藤の退任にともない、1995年4月29日に副知事を退任した。同年、第17回参議院議員通常選挙への立候補を表明した。新進党の公認を受け、岩手県選挙区にて当選を果たした。
長岡 洋介(ながおか ようすけ、1933年7月21日 - 2… 長岡 洋介(ながおか ようすけ、1933年7月21日 - 2024年5月7日)は、日本の物理学者。専門は物性理論。京都大学名誉教授。名古屋大学名誉教授。理学博士。第57期日本物理学会会長。 1933年7月21日、岩手県盛岡市に生まれた。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1956年に東京大学理学部を卒業し、1961年に同大学大学院数物系研究科の博士課程を修了した。指導教員は久保亮五であった。 京都大学基礎物理学研究所の助手、名古屋大学理学部の助教・教授、京都大学基礎物理学研究所の教授・所長を歴任した。1997年に定年退職後、同年に関西大学工学部教授に就任した。 2001年9月からの1年間、日本物理学会会長を務めた。
八重樫 茂生(やえがし しげお、旧名:茂夫、1933年3月2… 八重樫 茂生(やえがし しげお、旧名:茂夫、1933年3月24日 - 2011年5月2日)は、岩手県和賀郡東和町(現・花巻市)出身(朝鮮・大田生まれ)の元サッカー選手(FW、MF)・監督。 大田中学1年時に太平洋戦争が終結し、一家は岩手に引き揚げ、転校した盛岡中学でサッカーに出合う。盛岡一高では郷里の先輩である工藤孝一の指導を受け、3年次の1951年には高校選手権に東北代表として出場。FWでプレーしたが1回戦で高知農業に敗退し、同年5月の天皇杯では盛岡サッカークラブのメンバーとして参加するが、こちらも1回戦で敗退。 高校卒業後の1952年に中央大学へ進学し、同年の関東大学リーグで新人王を獲得。3年次の1954年に工藤が監督を務める早稲田大学へ編入し、関東大学リーグ優勝3回・東西学生王座決定戦2回・大学選手権優勝1回に貢献。
山中 邦紀(やまなか くにき、1933年(昭和8年)3月1日… 山中 邦紀(やまなか くにき、1933年(昭和8年)3月1日 - 2001年(平成13年)1月3日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。弁護士。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1955年(昭和30年)東京外国語大学英米科卒、1957年(昭和32年)東京大学法学部卒、東京大学大学院法学研究科中退。千葉県立千葉商業高等学校の講師、同教諭を経て、衆議院議員の父山中吾郎の秘書を務め、1966年(昭和41年)に弁護士登録し、開業。1983年(昭和58年)から1年間岩手県弁護士会会長を務めた。 1990年(平成2年)第39回衆議院議員総選挙で旧岩手1区から立候補して初当選。1993年(平成5年)第40回総選挙で落選、1996年(平成8年)第41回総選挙で岩手1区から社会民主党公認で出馬したが、再び落選した。
小山田 了三(おやまだ りょうぞう、1932年12月31日 … 小山田 了三(おやまだ りょうぞう、1932年12月31日 - 2009年10月2日)は、日本の物性工学者、技術史学者。富士大学元学長。 岩手県盛岡市出身。小山田信茂の子孫。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1955年岩手大学教育学部卒、59年まで中学校教師、1961年東京理科大学卒、東京教育大学理学部をへて、1964年東京工業大学大学院修士課程修了、科学技術庁金属材料技術研究所研究員、71年同主任研究官、73年「溶融塩の基礎研究 二・三の基礎的性質とイオン間の相互作用について」で大阪大学工学博士。1974年長崎大学教育学部助教授、1978年教授、ニューマテリアル開発研究所・シンクタンク代表。1984年東京電機大学講師、1987年山梨学院大学商学部教授。
本堂 寛(ほんどう ひろし、1932年8月2日 - 2021… 本堂 寛(ほんどう ひろし、1932年8月2日 - 2021年11月30日)は、日本の国語教育学者・日本語学者。青山学院大学名誉教授。 岩手県盛岡市大通生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校卒、1955年東北大学文学部国語学科卒業、1957年同大学院修士課程修了。岩手県立黒沢尻南高等学校教諭、1959年岩手県立盛岡第一高等学校教諭、1965年一関工業高等専門学校助教授、1968年国立国語研究所研究員、研究室長、1974年岩手大学教育学部教授、1977年教授、ブラジルサンパウロ大学文学部客員教授、1982年文部省初等中等教育局小学校教科調査官、東北大学教養部教授、青山学院大学文学部教授、2003年定年退職、名誉教授。
及川 昭伍(おいかわ しょうご、1932年〈昭和7年〉3月2… 及川 昭伍(おいかわ しょうご、1932年〈昭和7年〉3月29日 - 2020年〈令和2年〉2月14日)は、日本の官僚。元国民生活センター理事長、元経済企画庁総合計画局長。岩手県盛岡市出身。
円子 修平(圓子修平、まるこ しゅうへい、1931年12月2… 円子 修平(圓子修平、まるこ しゅうへい、1931年12月24日 - 2003年9月28日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。東京都立大学名誉教授。 岩手県立盛岡第一高等学校卒。トーマス・マン、ロベルト・ムージルなどを研究、翻訳した。1995年に東京都立大学教授を定年退任後は、明治大学法学部兼任講師を務めた。
平井 俊榮(平井俊栄、ひらい しゅんえい、1930年〈昭和5… 平井 俊榮(平井俊栄、ひらい しゅんえい、1930年〈昭和5年〉11月20日 - )は、日本の曹洞宗の僧侶、仏教学者。駒澤大学名誉教授。中国仏教専攻。 岩手県岩手郡雫石町出身。盛岡中学、駒澤大学仏教学部卒。東京大学大学院印度哲学博士課程中退。1974年「吉蔵を中心とする三論学派の研究」で東大文学博士。1964年に駒澤大学仏教学部講師、1970年仏教学部助教授、1976年教授、1986年副学長を経て、1990年学長に就任。2001年名誉教授となる。以後山田町に住所を移し現在に至る。 1979年より岩手県山田町豊間根の鞍東山宝珠院(あんどうさん ほうじゅいん)の住職を務める。 1980年「阿毘達磨倶舎論索引」(平川彰ら全5名での共同研究、全3巻、大蔵出版)で日本学士院賞受賞。
阿久井 喜孝(あくい よしたか、1930年 - 2024年1… 阿久井 喜孝(あくい よしたか、1930年 - 2024年1月)は、日本の建築家。端島(軍艦島)の研究で知られる。 東京電機大学名誉教授。 岩手県に生まれる。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1956年に東京大学工学部建築学科を卒業し、東京大学大学院数物系研究科修士課程に進学する。1958年に修士課程修了後、丹下健三研究室を経て、1961年丹下健三・都市・建築設計研究所に入所する。 1963年から1965年まで、設計事務所を営む。その後1967年までヨーロッパに滞在し(チューリヒおよびベルリン)、都市デザイン活動に参加した。 1967年に帰国後、東京電機大学建築学科助教授(のちに教授に昇進)となり、教育研究とともに設計活動をおこなった。
兼平 慶一郎(かねひら けいいちろう、1930年 - 198… 兼平 慶一郎(かねひら けいいちろう、1930年 - 1985年10月6日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。岩手県盛岡市生まれ。 盛岡中学校から陸軍幼年学校へ入るが、終戦。盛岡中学校へ戻って、1948年、第二高等学校(仙台)へ進むが、1949年、学制改革となり、東京大学理学部地質学科へ進学。1953年、東京大学理学部地学科(地質学課程)卒業。鉱床学の渡辺武男教授の指導を受けて大学院へ進学し、1958年、博士課程を修了(理学博士)、理学部地質学教室助手となる。1962年、千葉大学文理学部地学科へ移り、1978年、教授となる。1985年、病に倒れ、死去。 研究のテーマは、卒業論文以来一貫して、日本の別子型と呼ばれる塊状硫化物鉱床の成因であった。
猪瀬 慎一郎(いのせ しんいちろう、1929年8月5日 - … 猪瀬 慎一郎(いのせ しんいちろう、1929年8月5日 - 2006年8月23日)は、日本の裁判官、法学者。専門は少年法・少年司法制度。東京家庭裁判所所長、福岡高等裁判所長官、元東洋大学法学部教授などを歴任した。 最高裁判所家庭局付、札幌家庭・地方裁判所判事、司研刑裁教官、最高裁判所家庭局第三課長・第一課長、東京家庭裁判所判事・家事第6部総括判事、最高裁判所家庭局長、千葉家庭裁判所所長、東京高等裁判所第2民事部総括判事などを歴任。 退官後は東洋大学で教鞭を執り、少年法改正論議が活発化した1990年代後半から2000年代初頭にかけて、少年審判制度の実務的視点からの研究・提言を行った。 共編著『少年法のあらたな展開 理論・手続・処遇』(有斐閣、2001年、ISBN 4-641-04192-X) - 森田明、佐伯仁志と共編。
菅野 恒雄(かんの つねお、1929年頃 - 2011年3月… 菅野 恒雄(かんの つねお、1929年頃 - 2011年3月11日)は、日本の数学者。専門は代数学。東京工業大学名誉教授。 岩手県生まれ。1945年に盛岡中学を卒業、1953年に東北大学理学部数学科を卒業。同大学院を経て東京工業大学で長年にわたり教鞭を執った。代数学(特に群論・体論など)の教育・研究に貢献した。 主な著書に『代数学 I・II』(森北出版、数学全書)があり、長期間にわたり大学教育で広く用いられた。 退官後は故郷である岩手県陸前高田市に戻って生活していた。 2011年3月11日の東日本大震災の際、陸前高田市の自宅で津波に巻き込まれ死去した(82歳没)。自宅は津波で流失した。 妻の菅野樅子は外出先で難を逃れた。
横田 綾二(よこた りょうじ、1927年(昭和2年)7月14… 横田 綾二(よこた りょうじ、1927年(昭和2年)7月14日 - 2017年(平成29年)6月17日)は、日本共産党岩手県議会議員(6期) 。盛岡市議会議員(1期) 。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県岩手郡米内村(現在の盛岡市)に無産運動家の横田忠夫とチエ(のち岩手県議)の子に生まれる。一家はその後、盛岡市に移る。盛岡市立仁王小学校を経て、旧制盛岡中学(現在の岩手県立盛岡第一高等学校)に入る。在学中に父忠夫が死去する。盛岡中学を3年で中退。仙台市にある私立南光学園東北中学校(現在の東北高等学校)に編入し、同校を卒業する。卒業後は仙台工業専門学校(現在の東北大学工学部)に入る。在学中は日本社会党に入り、同校生徒自治会総合委員長、社会党宮城県連常任書記となる。
村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21… 村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21日 - 2002年(平成14年)9月30日)は、日本の政治家。岩手県稗貫郡大迫町(現花巻市)長(9期)。岩手県議会議員(2期)。 岩手県稗貫郡大迫町に生まれる。旧制盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1950年早稲田大学政治経済学部卒。1951年旧大迫町議会議員に当選し、合併までの2期務める。1955年の合併後も町議会議員を2期務める。1960年大迫町長に当選。1988年まで8期連続で務める。町長時代は特産品のブドウ栽培やワイン造りに力を入れ、エーデルワインを設立し、社長に就任した。また、町長在任中には早池峰神楽の国の重要無形文化財指定や早池峰山の国定公園の指定、早池峰山に自生する高山植物ハヤチネウスユキソウが縁でオーストリアのベルンドルフ市との姉妹都市の締結、山岳博物館の開館などがあり、福祉向上と町の発展に努めた。
太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6… 太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6月30日 - 2001年 <平成13年> 12月17日)は日本の政治家。盛岡市長(4期) 。位階は従五位。 岩手県盛岡市出身。1948年京都大学農学部卒。同年盛岡市役所に入り、経済課に配属され、産業部農林課長代理、農林課長、庶務部職員課長、財政部財政課長、産業、財政の各部長や市助役を歴任する。1979年、盛岡市長選挙に立候補して初当選した。市長は1995年まで4期務めた。市長在職中は全国市長会理事、副会長、相談役を歴任、東北市長会副会長、岩手県市長会会長も務めた。 市長在職中の主な出来事として東北自動車道盛岡IC開通(1979年)、東北新幹線盛岡開業(1982年)、盛岡市動物公園開園(1989年)、都南村との合併(1992年)が挙げられる。
川村 禎三(かわむら ていぞう、1922年7月14日 - 2… 川村 禎三(かわむら ていぞう、1922年7月14日 - 2003年1月16日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 岩手県矢巾町に生まれ、旧制盛岡中学校(のちの県立盛岡第一高校)へ進学。中学時代には、東北の団体戦柔道大会で圧倒的な体格と強さを発揮し、旧制盛岡中学を優勝に導いた。また中学5年次の1940年6月には、岩手県予選を勝ち抜き府県選士として紀元二千六百年奉祝天覧武道大会にも出場、予選リーグ戦を勝ち抜くには及ばなかったものの、20代・30代の精鋭が集う中にあって弱冠17歳(最年少)での川村の出場は快挙であった。 1941年に東京高等師範学校体育科二部(柔道専攻)に入学し、また同年5月に講道館へ入門して僅か2カ月後には4段位を許された。
工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18… 工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18日 - 1998年(平成10年)8月25日)は、日本の政治家。岩手県知事(1期)、衆議院議員(5期)、盛岡市長(3期)。 文教政策に精通。衆議院議員時代には文教委員長を務めたほか、知事在任中には岩手県立大学の総合大学としての設立を決めた。 盛岡中学校、第一高等学校、東京大学法学部卒業後、岩手県立盛岡高等学校に教師として赴任。その後岩手県庁に入庁。企画部長などを経て、1969年盛岡市長に立候補して当選。 3期目途中の1979年、政界を引退した野原正勝の後継者として旧岩手1区から衆議院議員選挙に立候補し初当選。以後5回連続当選。自由民主党の河本派に所属し、国土政務次官、文部政務次官、衆議院文教委員長、党人事局長、政務調査会副会長などを歴任。
樋渡 宏一(ひわたし こういち、1921年2月11日 - 2… 樋渡 宏一(ひわたし こういち、1921年2月11日 - 2009年3月7日) は、日本の細胞生物学者、遺伝学者。東北大学名誉教授。元日本学士院会員。日本における、ゾウリムシを用いた生物学研究の先駆者とされる。 宮城県仙台市生まれ。旧制盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を経て、東北帝国大学理学部を卒業後、東北帝国大学大学院特別研究生となる。 山形大学講師に赴任後、東北大学教育学部で教授に就任、宮城教育大学教授を経て、1968年に東北大学理学部教授となる。東北大学理学部教授時の1971年に日本動物学会賞を受賞した。 1984年に定年退職し、東北大学名誉教授となる。
福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日… 福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日 - 1991年〈平成3年〉11月13日)は、岩手県出身の染絵作家、美術教師である。 1917年(大正6年)、岩手県遠野市に生まれ、翌年に家族で盛岡市に移り住んだ。1930年、旧制盛岡中学校に入学し、絵画部に入部。その当時に京都から赴任していた中井汲泉の薫陶を受けた。1939年に日本大学芸術科に進学し油絵を専攻したが、戦争のため繰上げ卒業となり、軍に入隊。満洲で終戦を迎えたのち、ソビエト連邦によりシベリアに抑留され、日本に帰国できたのは1948年であった。盛岡に戻ると実家のある法泉寺(現在の 北山)に居住し、盛岡高等学校の美術科の教員職に就いた。
中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月… 中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月27日 - 2007年(平成19年)1月2日)は、政治家。元日本社会党衆議院議員。岩手県宮古市出身。 1935年、岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒。早稲田大学に入るが中退する。中退後は帰郷し、家業の(株)中居製材所を継ぎ、社長となる。戦後、日本社会党に入党し、1947年、岩手県議会議員に当選し、2期務める。その後、石川金次郎の後継として1953年の衆議院議員選挙に当時の岩手1区から右派社会党公認で出馬し初当選。2期務めた後に民主社会党に参加し、1970年から1974年、1989年から1993年まで通算2期、地元の宮古市長を務めた。
熊谷 清一郎(くまがい せいいちろう、1914年6月16日 … 熊谷 清一郎(くまがい せいいちろう、1914年6月16日 - 没年不詳)は、日本の機械工学者、東京大学名誉教授。 岩手県盛岡市出身。1932年に盛岡中学を卒業。1940年に東京帝国大学工学部卒業、1943年東京帝国大学大学院満期退学。戦後東京大学教授となり、定年後名誉教授となる。その後は岩手大学で教授を務め、退職後はノーリツ基礎研究所所長もつとめた。 内燃機関研究を主に行い、国際燃焼学会で活躍した。 一般向け著作として、「火」(1979年)、「エンジンの話」(1981年)(いずれも岩波新書)がある。
神谷 尚男(かみや ひさお、1914年4月17日 - 201… 神谷 尚男(かみや ひさお、1914年4月17日 - 2015年2月6日)は、日本の検察官。元検事総長、弁護士。岩手県出身。位階は正三位。 盛岡中学、旧制静岡高等学校、1937年東京帝国大学法学部卒業。法務省人事課長、東京地方検察庁検事正、法務事務次官を歴任。 ロッキード事件では東京高検検事長として、検察首脳会議では布施健検事総長と共に事件の積極的な解明を主張した。1977年、布施の後任として検事総長に就任後は、ダッカ日航機ハイジャック事件、ダグラス・グラマン事件などに関わる。1979年に退官し、帝京大学教授、弁護士となった。 2015年2月6日、老衰のため死去。100歳没。没後に正三位を追叙された。
岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月… 岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月15日 - 1987年〈昭和62年〉1月25日)は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党衆議院議員(1期)・参議院議員(4期)。科学技術庁長官。 元衆議院議長林譲治の女婿。元衆議院議員岸田正記の妻・和子は従姉妹に当たる。 岩手県紫波郡赤石村(現・紫波町)に生まれた。岩動康治の二男。 盛岡中学、旧制府立高校を経て、1939年、京都帝国大学法学部卒業、大蔵省に入省。為替局属。広島税務署長、吉田内閣総理大臣秘書官、主計局主計官(文部・厚生担当)、管財局閉鎖機関課長、管財局特殊清算課長、外務省在英国大使館参事官などを歴任。1960年2月1日、東海財務局長。
小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 197… 小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 1976年1月17日)は、日本の都市計画家研究者・交通計画研究者・歌人。岩手大学教授・北海道大学教授を歴任。 岩手県生まれ。学生時代から短歌をよくして、歌誌「地中海」や「満州短歌」の同人として活動。1975年には「カルル橋」で第11回「短歌研究賞」を受賞した。 1937年(昭和12年)、北海道帝国大学工学部土木工学科卒。在学中の満州事変勃発を契機に大陸に志を抱いたという。満州や朝鮮へ実習をかねて訪れている。大学卒業後、南満州鉄道株式会社へ入社する。 1943年、現職のまま大東亜省嘱託として東南アジア諸国の交通実態調査を命じられ、翌1944年から1946年まで、ベトナム、カンボジア、タイ王国、マレーシア、ビルマ(ミャンマー)などで調査にあたる。
舟越 保武(ふなこし やすたけ、1912年12月7日 - 2… 舟越 保武(ふなこし やすたけ、1912年12月7日 - 2002年2月5日)は、日本の彫刻家。佐藤忠良と共に戦後日本を代表する具象彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。東京藝術大学名誉教授。文化学院出身。直彫りによる石彫の第一人者とされ、日本でまだ石彫が珍しかった時代に、大理石や砂岩を使った作品に取り組み、独自のスタイルを築いた。 画家・俳人の妻道子との間に子供6人。次男の舟越桂や三男の舟越直木も彫刻家として活躍。長女の末盛千枝子(末盛憲彦の妻)は、児童文学編集者で「すえもりブックス」経営者。四女の舟越カンナはアーティスト・絵本作家。 1912年、岩手県二戸郡一戸町小鳥谷生まれ。父親が熱心なカトリック信者だった。
松本 竣介(まつもと しゅんすけ、1912年4月19日 - … 松本 竣介(まつもと しゅんすけ、1912年4月19日 - 1948年6月8日)は、日本の洋画家。太平洋戦争が始まる8ヶ月前の1941年(昭和16年)4月、軍部による美術への干渉に抗議して、美術雑誌『みづゑ』437号に「生きてゐる画家」という文章を発表したことはよく知られている。都会の風景やそこに生きる人びとを、理知的な画風で描いた。 1912年(明治45年)に東京府渋谷に生まれ、その後、岩手県で育った。17歳になる年に再び上京し、その後は東京で絵を描き続けた。一方、文筆活動の活発だった画家でもある。中学にあがった時に聴力を失った。1944年(昭和19年)制作の作品以降、名前の文字を、本名の「俊介」から「竣介」に改めた。
菊池 信(きくち しん、1911年(明治44年) - 198… 菊池 信(きくち しん、1911年(明治44年) - 1981年(昭和56年)1月4日)は、日本のホッケー選手。1936年ベルリンオリンピックに日本代表として出場した。 1924年に旧制盛岡中学校に入学。在学中はフットボールに親しんだ。 1929年に中学を卒業し、東京商科大学予科(現・一橋大学)に進学。大学在学中にフィールドホッケーに転向し、全日本選手権で連覇を達成するなど頭角を現した。得点の6割を占めるポイントゲッターとしてチームを牽引した。 1936年に開催された1936年ベルリンオリンピックに日本代表として出場。グランドホッケー競技で予選リーグを戦い、2勝1敗の成績を収めたが、決勝トーナメント進出はならなかった。
石上 玄一郎(いしがみ げんいちろう、1910年3月27日 … 石上 玄一郎(いしがみ げんいちろう、1910年3月27日 - 2009年10月5日)は日本の小説家。姓は「いそのかみ」と読まれていた時期もあるが、1981年頃から「いしがみ」と訂正した。 郷里東北の風土を背景に、現象学や仏教思想などの影響を受けた独自の実存主義的作風を展開した。 北海道札幌市生まれ。本名、上田重彦。父上田寅次郎は岩手県盛岡市出身。上田家は南部藩士で、代々御蔵奉行などを勤めていたが、維新後没落。寅次郎の母・綱は寅次郎ら幼い子供を連れて、実弟の栃内元吉(当時屯田司令官幕僚)・曽次郎(後に海軍大将)が住む札幌に移り住む。寅次郎は長じて札幌農学校・東京専門学校に学び、岩手県・北海道で中学教師の傍ら、新聞に読み物を書いていた。
太田 俊穂(おおた としほ、1909年12月5日 - 198… 太田 俊穂(おおた としほ、1909年12月5日 - 1988年1月15日)は、日本の経営者・評論家。 岩手県盛岡市出身。岩手縣立盛岡中學校(現在の岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、東京外国語学校中退。東京日日新聞盛岡支局を経て、1944年岩手日報に入り、編集局長。岩手放送の開局に参与、1961年社長となる。日本現代詩歌文学館初代館長であり、郷土史家としても知られ、多くの著作を書いた。
和村 幸得(わむら こうとく、1909年 <明治42年> 2… 和村 幸得(わむら こうとく、1909年 <明治42年> 2月21日 - 1997年 <平成9年> 10月18日)は日本の政治家。岩手県普代村長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 普代村出身。盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)から慶應義塾大学に進むが、健康を害して中退、普代に戻った。 1933年、普代村で約600人の死傷者を出した昭和三陸地震の津波を体験した。後に著した回想録『貧乏との戦い四十年』では「阿鼻叫喚とはこのことか。堆積した土砂の中から死体を掘り起こしている所を見た時にはなんと申し上げてよいか、言葉も出なかった」と述懐している。 普代村役場で働いたのち、1947年に村長選挙に出馬して当選し、以後1987年まで10期40年に亘り務める。
工藤 孝一(くどう こういち、1909年2月4日 - 197… 工藤 孝一(くどう こういち、1909年2月4日 - 1971年9月21日)は、岩手県岩手郡川口村(現:岩手町)出身のサッカー選手、サッカー指導者。ベルリンオリンピックのサッカー日本代表コーチを務めた。 旧制・岩手県立盛岡中学校(現:岩手県立盛岡第一高等学校)から1927年に第一早稲田高等学院へ進学。ゴールキーパーとして全国高等学校ア式蹴球大会に出場、1929年の第6回大会の優勝に貢献した。1930年に早稲田大学商学部に入学し、ア式蹴球部に入部。一時はフォワードに転向して競技を続けたが、体格に劣ることから選手生活に見切りを付け、マネージャーとして活動するようになった。 1933年に大学を卒業後、一時大同生命保険に就職したが、後に同盟通信社に転職。
古沢 元(ふるさわ げん、1907年12月11日 - 194… 古沢 元(ふるさわ げん、1907年12月11日 - 1946年5月3日) は、日本の小説家。本名は古沢 玉次郎(ふるさわ たまじろう)、別筆名・秦 巳三雄(はた みさお) 岩手県沢内村(現・西和賀町)出身。岩手県盛岡中学(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒業、旧制第二高等学校(現・東北大学)中退。「戦旗」編集部で秦巳三雄のペンネームで評論、翻訳を発表。その後古沢元のペンネームで「日暦」同人、武田麟太郎主宰の「人民文庫」同人となり小説、評論を発表した。1940年同人雑誌「麦」に発表した「紀文抄」(きぶんしょう)が、第12回直木賞候補作品となる。 第二高等学校では非合法政治活動に身を投じ、学業半ばで放校となったが、上京して新風を巻き起こしていたプロレタリア文学運動に加わり、「日暦」では高見順の「故旧忘れ得べき」に続いて「びしゃもんだて夜話」を三回にわたって連載、郷里の沢内村を題材にした小説を書いた。
森 荘已池(もり そういち、1907年〈明治40年〉5月3日… 森 荘已池(もり そういち、1907年〈明治40年〉5月3日 - 1999年〈平成11年〉3月13日)は、日本の作家。 岩手県盛岡市出身。本名:森 佐一(もり さいち)。旧制盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)、東京外国語学校(現東京外国語大学)ロシア語科中退。岩手日報記者をへて、文筆業へ。岩手県在住で最初の直木賞作家。宮沢賢治と深い親交があり、賢治作品や賢治に関する文章を多く残している。 妹の夫である大村次信(写真家大村次郷、考古学者大村幸弘の父)は、盛岡藩で火業師(砲術師)をつとめ、エトロフ島事件に遭遇しロシア人の捕虜となった大村治五平の子孫にあたる。その縁から、大村家で門外不出の書として伝えられていた治五平の手記『私残記』を託され、1943年6月に現代語訳と解説をつけて大和書店より翻刻出版した。
北山 愛郎(きたやま あいろう、1905年7月16日 - 2… 北山 愛郎(きたやま あいろう、1905年7月16日 - 2002年2月22日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員。 岩手県花巻市生まれ。盛岡中学と東京帝国大学で学び、中国へ渡って貿易統制機関で働く。戦後引き揚げて社会党結成に参加し、1947年まで花巻町長を2期務める。1953年の衆院選に岩手2区から左派社会党公認で出馬、当選して1983年の衆院選で落選するまで通算10期務める。 この間、党政策審議会長(1970年 - 1972年)・党中央執行副委員長(1978年 - 1981年)を歴任。国民服(中国の人民服)で国会に登壇したり、政界を退いた後もミニコミ紙を発行して政治評論活動を続けるなど、独特の活動を行っていた。
宮澤 清六(みやざわ せいろく、新字体:宮沢 清六、1904… 宮澤 清六(みやざわ せいろく、新字体:宮沢 清六、1904年(明治37年)4月1日 - 2001年(平成13年)6月12日)は、日本の実業家、児童文学研究者。宮沢賢治と宮沢トシの実弟で、全集の編纂をはじめとする賢治の文学研究に携わった。宮沢和樹は孫。 宮澤政次郎の次男として岩手県稗貫郡花巻川口町(現・花巻市)に生まれ育つ(賢治の8歳年下)。 1922年、旧制岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)を卒業し、家業を手伝った。同年11月27日、6歳上の姉トシが死去。「家業への嫌悪」とトシ死去などの「暗欝な家庭からの脱出、息抜き」として家族の了解を得た上で、同年12月から東京市本郷区龍岡町(現・東京都文京区湯島)に下宿して、図書館や研数学館で数学(主として幾何学)と科学(主として電気)を学ぶ。
森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981… 森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981年4月8日)は、日本の歴史学者、岩手大学名誉教授、経済学博士。主な研究テーマは南部藩を中心とする近世史だが、中尊寺金色堂の調査にも参加するなど、活動分野は多岐にわたった。 岩手県盛岡市の豪商の家に生まれる。盛岡中学から法政大学経済学部に進み、小野武夫の下で近世日本経済史を研究した。1929年卒業。岩手県教育会書記を務め、岩手師範学校教授。 1947年、昭和天皇が岩手県に戦後巡幸された際に拝謁し、岩手県の開拓史について奏上する。その後、1949年に岩手大学教授、1969年定年退官。学内では学芸学部長、教育学部長を歴任した。退官後は、盛岡短期大学講師や富士大学教授を務めた。
横田 忠夫(よこた ただお、1900年(明治33年)5月15… 横田 忠夫(よこた ただお、1900年(明治33年)5月15日 - 1940年(昭和15年)10月3日)は、日本の社会運動家。 山形市出身。少年期に母の実家の盛岡市に移る。岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)に入るが、ストライキを指導したとして退学処分となる。のち、石川金次郎の「牧民会」に入るが、退会する。その後「下層民社」を設立する。1927年(昭和2年)、労働農民党の岩手県支部の結成に参画する。弾圧により同党が解散させられると、岩手無産党を組織し、書記長となり、県内各地の争議を指導した。1933年(昭和8年)、盛岡市議に当選する。1940年(昭和15年)、検挙され、盛岡市内の警察で剃刀で首を切って自殺した。
雫石 隆孝(しずくいし たかよし、1900年2月26日 - … 雫石 隆孝(しずくいし たかよし、1900年2月26日 - 1988年12月23日)は、日本の銀行家。岩手県出身。 盛岡中学を経て、1926年に東京帝国大学経済学部を卒業。澁澤倉庫、地方事務官、岩手県出納長を経て、1947年10月に岩手銀行頭取に就任。1973年12月には会長に就任し、1977年12月に取締役を経て、1979年12月には相談役に退いた。 1978年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 1988年12月23日急性肺炎のために死去。88歳没。
石川 準十郎(いしかわ じゅんじゅうろう、1899年(明治3… 石川 準十郎(いしかわ じゅんじゅうろう、1899年(明治32年)6月1日 - 1980年(昭和55年)2月22日)は、日本の思想家、活動家。戦前・戦後にかけ、一貫して国家社会主義者として活動した[要出典]。 岩手県盛岡近郊に生まれた石川は、日清戦争の戦災者の関係者として成長し、兄・石川金次郎の援助の下、早稲田大学政経学部に入学。在学中に高畠素之の知遇を得、以後、高畠門下として国家社会主義運動に没頭した。高畠の死後も国家社会主義理論を発展させ、1931年に赤松克麿、津久井龍雄らとともに日本社会主義研究所を創設、『日本社会主義』『国家社会主義』を刊行。次いで日本主義に傾倒した赤松らと袂を分かち、1934年(昭和9年)3月10日、大日本国家社会党を設立、総理(党首)となる。
深沢 省三(ふかざわ しょうぞう、1899年(明治32年)3… 深沢 省三(ふかざわ しょうぞう、1899年(明治32年)3月24日 - 1992年(平成4年)3月24日)は、日本の洋画家、童画家。岩手県内の美術教育にも尽力した。