スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
下遠野 邦忠(しもとおの くにただ、1944年 - ) は、… 下遠野 邦忠(しもとおの くにただ、1944年 - ) は、日本の分子生物学者、ウイルス学者。京都大学名誉教授。 福島県植田町(現:いわき市植田町)生まれ。1962年福島県立磐城高等学校卒業。1967年東北大学理学部化学科卒業。1969年東北大学大学院理学研究科修士課程修了。1973年北海道大学大学院薬学研究科博士課程修了、薬学博士。国立遺伝学研究所分子遺伝部で三浦謹一郎の下研究員を務め、ウィスコンシン大学MacArdle癌研究所に留学し、ハワード・マーティン・テミンの下で研究に従事。1985年国立がんセンター研究所ウィルス部長。1996年京都大学ウイルス研究所がんウイルス研究部門教授。2002年京都大学ウイルス研究所所長。
蛭田 史郎(ひるた しろう、1941年12月20日 - )は… 蛭田 史郎(ひるた しろう、1941年12月20日 - )は、日本の実業家。旭化成代表取締役社長、オリンパス取締役会議長、石油化学工業協会会長、日韓経済協会副会長等を歴任した。 福島県いわき市出身。福島県立磐城高等学校を経て、1964年横浜国立大学工学部応用化学科卒業、旭化成工業(現旭化成)入社。エンジニアリング樹脂工場長、レオナ工場長等を経て、1997年取締役。1999年常務取締役。2001年専務取締役。2002年取締役副社長。 山口信夫会長の指名により2003年に旭化成代表取締役社長に昇格し、持株・分社化やグローバル展開などを進めたが、やがて社内で絶対的な権力を握っていた山口と対立するようになり2010年に社長及び取締役を退任し最高顧問となった。
鈴木 久(すずき ひさし、1940年8月23日 - )は、日… 鈴木 久(すずき ひさし、1940年8月23日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。 福島県いわき市出身。磐城高校卒業後、電電公社に入社。いわき市議、福島県議を経て、1990年の総選挙で旧福島3区から立候補して当選。次の1993年の総選挙で落選した。1996年の総選挙で福島5区から民主党公認で立候補したが落選した。1997年と2001年のいわき市長選挙に立候補したがいずれも落選した。2009年の総選挙で民主党から比例東北ブロックで立候補したが、名簿順位が最下位だったため落選した。
小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年… 小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年)4月9日 - )は、日本の作曲家、指揮者。愛称は「(炎の)コバケン」、通称「炎のマエストロ」。 福島県石城郡小名浜町(合併により磐城市、いわき市へと変遷)生まれ。高校の体育教諭の父・正毅と小学校教諭の母・喜代子の長男として生まれる。父親は若い日に音楽家になることを目指したが挫折、家には多くの楽譜や音楽書籍があった。小学校3、4年生の頃、ラジオから流れてきたベートーヴェンの交響曲第9番を聴いて感動し、父親の持っている楽譜を見ながら独学で楽典の勉強を開始。小学5年生の時には、石川啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」によるピアノ伴奏付きの歌曲を作曲するほどの腕前になる。
中村 敦夫(なかむら あつお、1940年〈昭和15年〉2月1… 中村 敦夫(なかむら あつお、1940年〈昭和15年〉2月18日 - )は、日本の俳優、作家、脚本家、ニュースキャスター、政治家。 本名は中村 敦雄(読み同じ)。旧姓は遠藤()。身長179cm。株式会社中村企画(1976年 - 2014年)を経て、クロスポイント所属。 勲等は旭日中綬章。参議院議員(1期)、さきがけ代表、みどりの会議代表、同志社大学大学院総合政策科学研究科講師、日本ペンクラブ環境委員長などを歴任した。 東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)千早に遠藤家の長男として生まれる。父親は新聞記者。幼少期の1945年に東京大空襲をはじめとする連合国軍による空襲があり、福島県平市(現在のいわき市平地区)に疎開。
田中 裕康(たなか ひろやす、1939年4月4日 - 201… 田中 裕康(たなか ひろやす、1939年4月4日 - 2017年8月3日)は、福島県出身のプロ野球選手。 磐城高校から中央大学を経て1962年に中日ドラゴンズへ入団。1965年に引退。
石上 三登志(いしがみ みつとし、本名:今村昭、1939年1… 石上 三登志(いしがみ みつとし、本名:今村昭、1939年1月3日 - 2012年11月6日)は、日本のCMディレクター。映画評論家。 電通でCM制作に携わる傍ら、1960年代から映画・SFなどの評論活動をおこなってきた。大林宣彦監督の映画を中心に、俳優としての活動もある。 ペンネームの由来は、石の上にも三年。美術監督の今村力は、従兄弟。 東京都世田谷区池尻出身。福島県立磐城高等学校、明治大学文学部文学科(英米文学専攻)卒業。早稲田大学で結成されたワセダミステリクラブ(仁賀克雄、間羊太郎、山口剛、西田恒久ら)に、特別に参加。また、ワセダミステリクラブで知り合った曽根忠穂や宮田雪らと同人誌『OFF』の活動をした。
北条 常久(ほうじょう つねひさ、1939年1月 - )は、… 北条 常久(ほうじょう つねひさ、1939年1月 - )は、日本近代文学研究者。文学博士。福島県いわき市出身。
渡辺 誠(わたなべ まこと、1938年〈昭和13年〉11月1… 渡辺 誠(わたなべ まこと、1938年〈昭和13年〉11月18日 - 2021年〈令和3年〉9月14日)は、日本の考古学者。名古屋大学名誉教授。 福島県平市(現・いわき市)生まれ。福島県立磐城高等学校卒業、慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程満期退学、1995年「日韓交流の民族考古学」で慶應義塾大学より博士(史学)の学位を取得。古代学協会研究員、平安博物館、名古屋大学文学部助教授、教授。2002年定年退官、名誉教授、山梨県立考古博物館館長・山梨県埋蔵文化財センター所長。
櫛田 一男(くしだ かずお、1937年〈昭和12年〉7月6日… 櫛田 一男(くしだ かずお、1937年〈昭和12年〉7月6日 - 2022年〈令和4年〉9月7日)は、日本の政治家。元福島県いわき市長(1期)。
山口 太一(やまぐち たいち、1935年12月20日 - 2… 山口 太一(やまぐち たいち、1935年12月20日 - 2010年6月18日)は、日本の漫画家。本名:山口 太一(やまぐち たかかつ)。ナンセンス漫画や、児童向け学習漫画などで活躍した。 福島県石城郡内郷村(のちのいわき市)出身。1938年、公務員の父の赴任地だった満州・大連市に一家で渡る。終戦時は普蘭店で迎え、1946年12月に引き揚げ、母の郷里の千葉を経て、父の復員に合わせて内郷に戻る。 中学時代に『寒がり屋のサブちゃん』と題するストーリー漫画を『漫画少年』に投稿して特選に入賞。このほか毎日中学生新聞や、地元紙に漫画を投稿する。福島県立磐城高等学校卒業後、上京。東京芸術大学美術学部の受験に失敗するが、東京に残って漫画の持ち込み活動を開始し、文藝春秋社で加藤芳郎を紹介される。
岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2… 岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2018年12月6日)は、日本の作曲家・指揮者。日本作曲家協議会会員、日本電子音楽協会理事、仙台電子音楽協会代表、仙台作曲家集団所属、宮城県芸術協会参事、NHK仙台放送局合唱団音楽監督。常盤木学園高等学校音楽科講師。
大平 礼三(おおひら れいぞう、1935年3月7日 - 20… 大平 礼三(おおひら れいぞう、1935年3月7日 - 2024年6月6日)は、日本のバスケットボール選手である。 福島県いわき市に生まれる。福島県立磐城高校卒業。明治大学出身。1956年メルボルンオリンピックに出場した。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
戸田 邦司(とだ くにじ、1934年(昭和9年)11月18日… 戸田 邦司(とだ くにじ、1934年(昭和9年)11月18日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)。
福田 昌久(ふくだ まさひさ、1934年7月31日 - 19… 福田 昌久(ふくだ まさひさ、1934年7月31日 - 1988年11月29日)は、福島県いわき市出身のプロ野球選手(投手、外野手)・コーチ・監督、解説者。 磐城高校、常磐炭坑、専修大学を経て、1956年に南海ホークスへ投手として入団。3年目の1958年には外野手へ転向し、主に左腕対策として起用され、1960年には自己最多の6本塁打をマーク。1961年に27試合、1962年には10試合に先発出場を果たす。長打力と強肩が売りで、巨漢で怪力の福田は打撃練習こそ打球が凄まじく、タイヤを叩く打撃練習では軸のなる支柱を折ってしまったりするが、肝心の試合になると「扇風機」と仇名がつくほどカーブが全く打てなかった。
小野 正一(おの しょういち、1933年9月30日 - 20… 小野 正一(おの しょういち、1933年9月30日 - 2003年3月19日)は、福島県いわき市出身のプロ野球選手(投手)。 日本プロ野球 (NPB) で通算184勝155敗の成績を残し、NPB歴代13位(2021年終了時点)の通算2244奪三振を記録した、球史に名を残す速球投手。妻は元大映女優の仁木多鶴子。 実家が材木屋で、子どもの頃から30㎏から40㎏にもなる材木を担いでいたという。磐城高校では、1950年秋季東北大会県予選準決勝に進むが川俣高校に敗退。卒業後は社会人野球の常磐炭鉱(清峰伸銅)に入団。監督の谷口五郎から、背が高く的が大きいため内野手が投げやすいだろうと判断されて、当初は一塁手を務める。
二瓶 秀雄(にへい ひでお、1932年9月12日 - 200… 二瓶 秀雄(にへい ひでお、1932年9月12日 - 2001年10月9日)は、日本の俳優、声優。福島県いわき市出身。 福島県立磐城高等学校、早稲田大学卒業。 1956年、演出劇場に入団。1959年にフリーとなり、1964年の時点では文芸ぷろに所属。その後、ぷろだくしょん森、クレオ、サヴァーグループを経て、再びフリーとなる。 東映演技研修所などで講師の仕事も行っていた。
石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016… 石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016年6月22日)は、日本の合唱指揮者・合唱指導者・合唱曲の作曲家。合唱王国福島を築く。[要出典]福島県合唱連盟名誉理事長。福島県いわき市生まれ。
佐藤 安太(さとう やすた、1924年3月20日 - 201… 佐藤 安太(さとう やすた、1924年3月20日 - 2019年2月26日)は、日本の実業家。勲等は勲四等。学位は博士(工学)(山形大学・2010年)。山形大学工学部客員教授、福島工業高等専門学校客員教授、財団法人日本玩具文化財団名誉理事長、特定非営利活動法人ライフマネジメントセンター理事長。おもちゃの王様との異名を持つ。 有限会社佐藤ビニール工業所社長(初代)、株式会社宝ビニール工業所社長(初代)、株式会社タカラビニール工業所社長(初代)、株式会社タカラ社長(初・第3代)などを歴任した。 佐藤ビニール工業所を創業し、のちにタカラに改組し、一代で日本屈指の玩具メーカーにまで成長させた。タカラの社長として「ダッコちゃん」、「リカちゃん人形」、「人生ゲーム」、「チョロQ」、「トランスフォーマー」などのヒット商品を次々と開発したことから、「おもちゃの王様」と呼ばれた。
上坂 昇(こうさか のぼる、1918年〈大正7年〉7月6日 … 上坂 昇(こうさか のぼる、1918年〈大正7年〉7月6日 - 2013年〈平成25年〉7月2日)は、日本の政治家。 福島県いわき市出身。磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部を卒業。日本水素(現・日本化成)に入社し、労働組合書記長、同委員長、平市議会議員、福島県議会議員等を経て、1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙で、旧福島3区より日本社会党公認で初当選。連続6回当選し1990年(平成2年)の総選挙では立候補しなかった。その後、いわき市長選に立候補するが、岩城光英に敗北する。 1989年4月の春の叙勲で勲二等に叙され旭日重光章を受章する。 2013年7月2日、肺炎のため死去。
鈴木 新夫(すずき あらお、1915年3月17日 - 198… 鈴木 新夫(すずき あらお、1915年3月17日 - 1980年5月10日)は、日本の洋画家。主に具象画の制作を行った。
若松 光一郎(わかまつ こういちろう、本名みついちろう、19… 若松 光一郎(わかまつ こういちろう、本名みついちろう、1914年8月8日 - 1995年11月7日)は、日本の洋画家。コラージュの世界的第一人者。 「大地の歌」。グスタフ・マーラーの「大地の歌」を聞きながら、チベットの古代壁画のイメージで描いた150号超を3枚組み合わせた大作である。 東京国立近代美術館、福島県立美術館、いわき市立美術館、郡山市美術館、そしてアートスペースエリコーナに彼の作品が置かれている。
菅波 茂(すがなみ しげる、1913年〈大正2年〉2月25日… 菅波 茂(すがなみ しげる、1913年〈大正2年〉2月25日 - 1982年〈昭和57年〉12月23日)は、日本の政治家、医師。自由民主党衆議院議員。 福島県いわき市生まれ。磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)、昭和医学専門学校(現・昭和大学医学部)を卒業後、千葉医科大学第二内科研究室を経て、四倉町にて家業の病院を継ぐ。 1963年(昭和38年)、福島県議会議員に石城郡から自民党公認で立候補して初当選を果たした。1967年(昭和42年)1月8日に県議を辞職した。同月、第31回衆議院議員総選挙で旧福島3区から自民党公認で立候補し初当選(当選同期に塩川正十郎・加藤六月・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・水野清など)。
沼田 一夫(ぬまた かずお、1908年〈明治41年〉6月30… 沼田 一夫(ぬまた かずお、1908年〈明治41年〉6月30日 - 1965年〈昭和40年〉11月22日)は、福島県内郷市(現・いわき市)長。位階は従六位。勲五等双光旭日章。 青森県弘前市出身。福島県立磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)、旧制第二高等学校を経て、東北帝国大学を卒業する。 卒業後は満州国に渡り、大同学院に入り、満州国の官吏となる。1943年、上海の満州国総領事館領事となる。終戦後は日本に引揚げ、経済安定本部に入り、同嘱託から経済査察官となった。 1951年、福島県内郷町の町長選挙に立候補し、当選する。1954年、内郷町の市制施行により、市長となる。1955年の市長選挙で再選。1959年と1963年の市長選挙で連続当選した。
安住 敦(あずみ あつし、1907年7月1日 - 1988年… 安住 敦(あずみ あつし、1907年7月1日 - 1988年7月8日)は、俳人、随筆家。前号・安住あつし。 東京市芝区生まれ。1917年に福島県平町(現・いわき市)に移り磐城中学に入学。1923年、父の事業の失敗のため東京に戻り、立教中学校に転入、1926年卒業。逓信官吏練習所を卒業を経て1928年に逓信省簡易保険局に入所。父の事業の失敗で上級学校に進めなかったことは、俳人として名をなして以降もつねに意識のなかにあったという。 1930年、同僚に誘われて短歌結社「覇王樹」に入会し、短歌を橋田東声に師事。同時期にやはり同僚に誘われ、上司の富安風生が主宰する「若葉」に入会し俳句を風生に師事。以後8年の間短歌と俳句をともに続ける。
鈴木 喜政(すずき きせい、1906年〈明治39年〉11月2… 鈴木 喜政(すずき きせい、1906年〈明治39年〉11月23日 - 1984年〈昭和59年〉11月28日)は、福島県内郷市(現・いわき市)長。福島県議会議員。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 福島県石城郡夏井村出身。福島県立磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)に入り、陸上部で活躍する。1930年日本歯科医学専門学校(現・日本歯科大学)卒。内郷村(のち内郷町→内郷市、現・いわき市)で歯科医を開業する。1942年4月内郷村議となり、同年7月町制施行により内郷町議となる。 戦後は内郷町商工会長の傍ら、福島県陸上競技会会長・東北陸上競技会長を歴任。1955年に石城郡選挙区から福島県議会議員に立候補して当選、県議会土木委員長を務めた。
草野 心平(くさの しんぺい、1903年(明治36年)5月1… 草野 心平(くさの しんぺい、1903年(明治36年)5月12日 - 1988年(昭和63年)11月12日)は、日本の詩人。福島県石城郡上小川村(現・いわき市小川町)出身。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 慶應義塾普通部を中退、中国広東の嶺南大学芸術科に学んだ。1928年に『第百階級』を刊行。1935年に逸見猶吉創刊の詩誌「歴程」に参加。その後、日本の傀儡政権である南京の汪兆銘政府の宣伝部顧問となった。南京でできた『富士山』(1943年)に体制的思想の影響を指摘する評もある。戦後、「歴程」を復刊して多くの詩人を育て、蛙を愛した。 1903年(明治36年)5月12日、福島県石城郡上小川村に、父・草野馨、母・トメヨの次男として生まれる。
齋藤 晃(さいとう あきら、1902年11月11日 - 19… 齋藤 晃(さいとう あきら、1902年11月11日 - 1981年5月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。右翼活動家。 福島県出身。福島県立磐城中学校卒。1925年立憲養正会に入会。福島県の村議会議員を務めながら、立憲養正会福島県連支部長や同会復勢幹事長を歴任。1947年第23回衆議院議員総選挙に福島3区から出馬し初当選。片山哲首班指名では自分に一票を投じた。院内では第一議員倶楽部を組織し、衆議院厚生委員会委員や衆議院石炭鉱業特別委員会委員を務めたが、第24回衆議院議員総選挙では落選。その後も、福島県遺族会会長、日本遺族会厚生連盟委員長として、遺族の援護活動に尽力。立憲養正会顧問として自主憲法制定運動も展開した。
吉田 英三(よしだ ひでみ/えいぞう、1902年(明治35年… 吉田 英三(よしだ ひでみ/えいぞう、1902年(明治35年)3月5日 - 1978年(昭和53年)4月24日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。初代自衛艦隊司令。最終階級は海軍大佐、海将。 農業を営む吉田蔵之介の三男として生まれる。旧制福島県立磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)を経て、海軍兵学校第50期入校。1922年(大正11年)6月、海軍兵学校卒業。海軍大学校(甲種32期)卒業。海軍での最終階級は海軍大佐(軍務局第三課長)。 終戦に伴い旧海軍省は解体されたが、復員に必要な人事情報に精通していたため、第二復員局に引き続き勤務。この頃から、職務上接していた情報と人脈を用い、勤務時間外に「新海軍」再建計画を画策する。
木村 守江(きむら もりえ、1900年4月6日 - 1996… 木村 守江(きむら もりえ、1900年4月6日 - 1996年11月3日)は、日本の政治家、医師。福島県知事(公選第6-9代)、衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)を務めた。男性。 現在の福島県いわき市四倉生まれ。旧制磐城中学(現福島県立磐城高等学校)、慶應義塾大学医学部を経て医学博士、開業医となる。1938年1月、歩兵第65連隊の軍医として南京での捕虜の扱いについて『磐城時報』に軍事郵便で報告を寄せている。第二次世界大戦でも軍医でニューギニアなどで従軍。 1950年の第2回参議院議員通常選挙に福島県選挙区からで自由党から立候補し、当選。参議院議員を1期務めた後、衆議院に鞍替えし、1958年の第28回衆議院議員総選挙で旧福島3区から出馬して初当選(自民党)、以後3期連続当選を果たす。
関内 正一(關内、せきうち しょういち、1897年(明治30… 関内 正一(關内、せきうち しょういち、1897年(明治30年)3月4日 - 1962年(昭和37年)4月26日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・新妻。 福島県岩城郡大浦村上仁井田(四倉町を経て現いわき市)で素封家・新妻伊之助の長男として生まれ、岩城郡平町(平市を経て現いわき市平)の老舗・関内家の養子となる。福島県立磐城中学校(現福島県立磐城高等学校)を経て早稲田大学商科で学んだ。 28歳で平町会議員に就任。同議長、福島県会議員、平市会議員、同議長を務めた。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で福島県第3区から自由党公認で出馬して当選。第24回総選挙で再選され、1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙では次点で落選。
赤津 庄兵衛(あかつ しょうべえ、1895年(明治28年)2… 赤津 庄兵衛(あかつ しょうべえ、1895年(明治28年)2月4日 - 1981年(昭和56年)9月20日)は、福島県勿来市(現・いわき市)長(2期)。位階は正六位。 福島県菊多郡窪田村(のち石城郡窪田村→勿来町→勿来市、現・いわき市)に生まれる。1912年福島県立磐城中学校卒。卒業後は家業の味噌醤油醸造業に従事、1920年磐城造林会社を設立、取締役社長となる。1932年勿来町長を2期、1940年福島県会議員を2期務める。1950年植田信用金庫理事長、1953年福島県教育委員、1956年福島県公安委員を歴任する。1959年勿来市長に初当選。1963年に再選。勿来市長をいわき市に合併するまで務めた。
八木沼 丈夫(やぎぬま たけお、1895年(明治28年) -… 八木沼 丈夫(やぎぬま たけお、1895年(明治28年) - 1944年(昭和19年)12月12日)は、日本の陸軍軍属、歌人。日中戦争(支那事変)において日本軍が本格的に宣撫官を導入するきっかけとなった人物。 1895年(明治28年)、福島県東白川郡常豊村(現塙町)の小学校長の家に生まれる。旧制磐城中学に入学するも、学費を提供してくれていた親族が亡くなったため中退。1913年(大正2年)、志願兵として仙台の連隊に入営。除隊後の1917年(大正6年)には中国大陸へ渡り、1919年(大正8年)に現地で結婚。1929年(昭和4年)、南満州鉄道に入社し、その後関東軍に配属される。 1933年(昭和8年)、満州事変における熱河省攻略作戦で、日本軍が初めて宣撫官を投入することが決まると、宣撫班の班長に任命される。
高木 武雄(たかぎ たけお、1892年(明治25年)1月25… 高木 武雄(たかぎ たけお、1892年(明治25年)1月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。福島県石城郡大野村(現・いわき市)出身 。磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)卒。海軍兵学校(39期)、海軍大学校(23期)卒業。幼少のころから頭脳明晰で、同期中最年少の少尉任官であった。海軍兵学校同期に伊藤整一、山縣正郷、遠藤喜一、阿部弘毅、岡敬純、角田覚治、原忠一などがいる。 1911年(明治44年)7月、海軍兵学校(39期)を、148人中17位で卒業。 1912年(大正元年)12月、海軍少尉。 1914年(大正3年)12月、海軍中尉。 1917年(大正6年)12月、海軍大尉。
櫛田 民蔵(くしだ たみぞう、1885年〈明治18年〉11月… 櫛田 民蔵(くしだ たみぞう、1885年〈明治18年〉11月16日 - 1934年〈昭和9年〉11月5日)は、日本の経済学者。妻は女性解放運動指導者の櫛田ふき。子の櫛田克巳は朝日新聞社の学芸記者。 福島県磐城郡上小川村(現在のいわき市小川町)生まれ。福島県立磐城中学校から錦城中学に編入し、1908年、東京外国語学校卒。1912年京都帝国大学卒。 同志社大学教授、同法学部長、大阪朝日新聞論説委員を歴任。その後東京帝国大学経済学部助手となるが、1919年に高野岩三郎の勧誘を受けて大原社会問題研究所の研究嘱託となる。1920年から2年間久留間鮫造と渡欧し、主にドイツで書籍の蒐集に当たる。1922年、立教大学商学部教授に就任し、経済政策を講じた。
矢吹 荘司(やぶき そうじ、1884年(明治17年)4月6日… 矢吹 荘司(やぶき そうじ、1884年(明治17年)4月6日 - 没年不明)は、福島県常磐市(現・いわき市)長(1期)。 福島県磐前郡湯本村(のち石城郡湯本村→石城郡湯本町→常磐市、現・いわき市)出身。福島県立磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)中退。地元で農業、運送業、土建業、旅館業などを営む。湯本町会議員、湯本町助役を経て、湯本町長を2期務める。1954年湯本町が市制施行し、「常磐市」が発足、これに伴い常磐市長となる。 1957年の常磐市長選挙に立候補したが、常磐炭鉱労働組合長の磯野清治に敗れた。1964年の常磐市制施行10周年の記念式典には「自治功労者」として矢吹が表彰されたが、冊子には「故矢吹荘司」と書かれていた。
猪瀬 乙彦(いのせ おとひこ、1883年(明治16年)9月1… 猪瀬 乙彦(いのせ おとひこ、1883年(明治16年)9月14日 - 1951年(昭和26年)4月10日)は、大日本帝国海軍大佐。福島県平市(現・いわき市)長。 福島県磐前郡内郷村(のち石城郡内郷町→内郷市、現・いわき市)生まれ。福島県立磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)を経て、1902年(明治35年)12月、海軍兵学校に入る。1905年(明治38年)11月、同校を卒業(33期)し、少尉に任官する。任官後は各方面に勤務する。第一次世界大戦にも参加した。在外公館で海軍駐在武官としての経験があり、1924年(大正13年)には上海で勤務、総領事の矢田七太郎、陸軍の岡村寧次と連携して業務を進めた。大佐で退役となる。
吉江 一行(よしえ かずゆき、生年不明 - 1945年10月… 吉江 一行(よしえ かずゆき、生年不明 - 1945年10月3日) は、日本の元アマチュア野球選手。早稲田大学野球部で外野手として活躍した人物である。福島県出身。 磐城中学(現・福島県立磐城高等学校)から1941年早稲田大学に入学、翌1942年より東京六大学リーグ戦に出場した。 1943年10月16日には出陣学徒壮行早慶戦(最後の早慶戦と呼ばれる試合)に5番・中堅手として出場し、10-1の勝利に貢献した。翌1944年に笠原和夫の後を受けて、第35代早稲田大学野球部主将に就任。既に戦争の激化のため野球の試合は行われなくなっていたが、元監督飛田穂洲は「戦争が終わると必ず野球は復活する」との信念の下、当時のマネージャーだった相田暢一に野球用具の管理を任せていた。
飯塚 昭三 は、日本の声優、俳優、ナレーター。シグマ・セブン… 飯塚 昭三 は、日本の声優、俳優、ナレーター。シグマ・セブン最終所属。
鈴木 倫(すずき りん)は、日本の漫画家。福島県出身。血液型… 鈴木 倫(すずき りん)は、日本の漫画家。福島県出身。血液型B型。 福島県立磐城高等学校を卒業後、埼玉大学教育学部保健体育専修に進学する。在学中に『月刊チャンピオン』のオマケページを半年間担当。大学卒業後、アシスタントをしながら『月刊チャンピオン』の月例賞に投稿した『カンチョー戦士カンタロウ!』で期待賞、浜岡賢次特別賞を受賞する。 2014年12月に『とんでも先生アリエル!』で小学館による小学館新人コミック大賞児童部門佳作を受賞。 2016年12月よりリイド社のWEBマンガサイトリイドカフェにて『アゲぽよエージェントぽよ子!』を連載。 2017年5月より同ウェブ漫画媒体にて『ファッションビ〇チ明乃ちゃん!』を連載。
長瀬 萌々子(ながせ ももこ)は、NHKのアナウンサー。 福… 長瀬 萌々子(ながせ ももこ)は、NHKのアナウンサー。 福島県いわき市出身。福島県立磐城高等学校を経て、早稲田大学を卒業後、2022年にNHKへ入局。初任地は福岡放送局。