スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
簗瀬 進(やなせ すすむ、1950年〈昭和25年〉4月23日… 簗瀬 進(やなせ すすむ、1950年〈昭和25年〉4月23日 - )は、日本の元政治家、弁護士、教育者。昭和音楽大学学長。衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)、栃木県議会議員(2期)を歴任。 1950年4月23日、宇都宮市一条に生まれる。1966年3月、宇都宮市立一条中学校卒業。1969年3月、栃木県立宇都宮高等学校卒業。1974年3月、東北大学法学部卒業。 1978年4月、栃木県庁入庁。司法試験合格。なお、北側一雄は司法修習33期の同期生。 1990年、第39回衆議院議員総選挙に森山欽司の後継者として自由民主党公認で出馬して初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・小坂憲次・山本拓など)。
中村 彰彦(なかむら あきひこ、1949年6月23日 - )… 中村 彰彦(なかむら あきひこ、1949年6月23日 - )は、日本の小説家。本名は加藤 保栄(かとう やすえい)。 栃木県栃木市出身。栃木県立宇都宮高等学校卒業、東北大学文学部国文科在学中に『風船ガムの海』で第34回文學界新人賞佳作入選(加藤保栄名義)。 大学卒業後の1973年から1991年まで文藝春秋に編集者として勤務し、お茶の水女子大学教授・外山滋比古、産業能率大学教授・安本美典らに勧められて文章論、小説論を執筆・発表、のち作家に転じた。 『週刊文春』『諸君!』『オール讀物』『別冊文藝春秋』の各編集部および文藝出版部次長を歴任。1987年、『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。
澤井 英一(さわい えいいち、1949年3月11日 - )は… 澤井 英一(さわい えいいち、1949年3月11日 - )は、日本の建設・国土交通官僚。長崎県副知事や、国土交通省総合政策局長、内閣官房都市再生本部事務局長、日本下水道事業団理事長等を歴任した。瑞宝重光章受章。 1967年栃木県立宇都宮高等学校卒業1971年 東京大学法学部卒業。建設省入省。1998年 長崎県副知事。2001年 国土交通省大臣官房総括審議官。同年 国土交通省都市・地域整備局長。2003年国土交通省総合政策局長。2004年内閣官房都市再生本部事務局長。2006年内閣官房都市再生本部事務局長兼中心市街地活性化本部事務局長。2007年日本下水道事業団副理事長。2008年日本下水道事業団理事長。
亀山 郁夫(かめやま いくお、1949年2月10日 - )は… 亀山 郁夫(かめやま いくお、1949年2月10日 - )は、日本のロシア文学者、翻訳家。名古屋外国語大学学長、東京外国語大学名誉教授。日本芸術院会員。 1949年栃木県宇都宮市生まれ。栃木県立宇都宮高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部ロシア語学科に進学。卒業後は、同大学大学院外国語学研究科に進み、修士課程を修了。東京大学大学院人文科学研究科に進み、博士課程を単位取得退学。 1977年、日本学術振興会奨励研究員に採用された。1978年に天理大学外国語学部助手となり、後に講師、助教授に昇格。1984年より1年間、日本学術振興会の派遣でソ連科学アカデミー世界文学研究所で在外研究。1987年、同志社大学法学部助教授に就いた。
福田 俊司(ふくだ としじ、Toshiji Fukuda、1… 福田 俊司(ふくだ としじ、Toshiji Fukuda、1948年7月3日 - ) 日本の動物写真家。極東の自然を撮り続け、世界初のシーンをとらえた作品も多い。 1948年に栃木県の宇都宮市で生まれる。幼少時より感受性が強く、生き物全般に関心が高かった。小学生時代には宇都宮大学の学生達に交じってムシの研究をしていたほど。宇都宮市の中心部とはいえ、幼い頃は木に覆われた広い敷地の家で育ち、自然への愛着が深く、休みの度に山を散策していたらしい。 地元の栃木県立宇都宮高等学校を卒業後、上智大学法学部へ進学。上智大学在学中、動物写真家である田中光常に師事。 1973年に結婚し、その後は実家のビジネスホテルを経営しながら、地元である栃木県の自然(主に日光市)を撮影する。
立松 和平(たてまつ わへい、1947年〈昭和22年〉12月… 立松 和平(たてまつ わへい、1947年〈昭和22年〉12月15日 - 2010年〈平成22年〉2月8日)は、日本の小説家である。日本ペンクラブ会員。本名:横松 和夫(よこまつ かずお)。筆名は本名の「横松」のもじりで「立松」にした。 早大政経学部卒。在学中から国内外を放浪。肉体労働などを経て、郷里の市役所に勤めながら作家を志した。 都市近郊の農村を描く『遠雷』(1980年)で野間文芸新人賞受賞。ほかに『ふたつの太陽』(1986年)、『沈黙都市』(1993年)など。 栃木県宇都宮市生まれ。栃木県立宇都宮高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部へ進学。 1966年大学入学時は学生運動で騒然としていた。
木島 日出夫(きじま ひでお、1946年9月5日 - )は、… 木島 日出夫(きじま ひでお、1946年9月5日 - )は、日本の政治家、弁護士。栃木県鹿沼市出身、栃木県立宇都宮高等学校卒業、東京大学法学部中退。
慶野 義雄(けいの よしお、1946年(昭和21年) - )… 慶野 義雄(けいの よしお、1946年(昭和21年) - )は、日本の政治学者。平成国際大学法学部名誉教授。専門は、政治社会学・政治学・天皇論・立憲政治論[要出典]。 栃木県小山市出身。栃木県立宇都宮高等学校卒業。京都大学法学部卒業。同大大学院法学研究科博士課程中退。国際政治学者の高坂正堯に師事。防衛医科大学校講師、同校助教授、大阪国際大学教授、平成国際大学教授兼同大大学院教授を歴任。 「日本会議」[要出典]理事、第11代憲法学会理事長、日本教師会第5代会長。
梶 克之(かじ かつゆき、1944年(昭和19年)12月22… 梶 克之(かじ かつゆき、1944年(昭和19年)12月22日 - 2023年(令和5年)5月7日)は、日本の政治家。栃木県宇都宮市旭町出身。元栃木県議会議長で、元県議会議員(宇都宮市・上三川町選挙区選出、8期)。
大塚 吉兵衛(おおつか きちべえ、1944年(昭和19年)6… 大塚 吉兵衛(おおつか きちべえ、1944年(昭和19年)6月19日 - )は、日本の医学者(歯科医師)、歯学博士。第13代日本大学総長、元日本大学歯学部生化学講座教授。硬組織再生生物学会理事長。
西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月… 西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月26日 - )は、日本の政治家。 栃木県議会議員(5期)、栃木県議会議長(第81代)、衆議院議員(6期)。内閣府副大臣、衆議院農林水産委員長、農林水産大臣(第55・56代)、衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員長(初代)、自民党たばこ議員連盟副会長、自由民主党幹事長特別参与、内閣官房参与を歴任した。 栃木県塩谷郡氏家町(現・さくら市)生まれ。栃木県立宇都宮高等学校、東京農工大学農学部農業生産工学科卒業。東京農工大学大学院修士課程修了。1967年、栃木県庁に入庁。 1979年、栃木県議会議員選挙に出馬し、初当選した。 1993年から1994年まで県議会議長を務めた。
塩田薫範(しおだ しげのり、1942年5月13日 - )は、… 塩田薫範(しおだ しげのり、1942年5月13日 - )は、日本の大蔵官僚・弁護士。公正取引委員会事務総長、商工組合中央金庫副理事長などを歴任。血液型はB型。 栃木県芳賀郡出身(父母も栃木県)。栃木県立宇都宮高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)と司法試験に合格。1966年4月 大蔵省入省(主計局総務課)。主計局法規課などで勤務した後、1971年7月 仙台国税局いわき税務署長。1989年6月 国税庁長官官房会計課長。1990年6月 福岡国税局長。1991年6月 公正取引委員会事務局官房審議官(渉外担当)。1992年7月 公正取引委員会事務局官房審議官(総務担当)。
楡木 満生(にれぎ みつき、1938年7月23日 - 201… 楡木 満生(にれぎ みつき、1938年7月23日 - 2012年10月11日)は、日本の臨床心理学者。臨床心理士・上級産業カウンセラー・日本カウンセリング学会認定カウンセラー/スーパーバイザー。医学博士(自治医科大学)。栃木県生まれ。立正大学心理学部教授を経て、同大学名誉教授。専攻は発達臨床心理学。
橋本 康(はしもと やすし、1936年5月29日 - )は、… 橋本 康(はしもと やすし、1936年5月29日 - )は、日本の農業工学者。学位は、農学博士(東京大学)。愛媛大学名誉教授。日本学術会議会員、デューク大学客員教授、国際自動制御連盟(英語版)(IFAC)理事、日本農業工学会長、日本生物環境調節学会長、日本植物工場学会長、農業情報学会長などを歴任。専門は植物生体計測学、植物環境調節学、太陽光植物工場のシステム制御工学。 栃木県立宇都宮高等学校を経て東京大学に入学し、同農学部農業工学科に進んで農業機械学を学んだ。1962年に同大学を卒業、東京大学大学院数物系研究科修士課程、さらに同大学院農学系研究科博士課程に進学した。そして、生物環境調節学講座を専攻し、杉二郎教授に師事した。
野本 真也(のもと しんや、1935年(昭和10年)10月1… 野本 真也(のもと しんや、1935年(昭和10年)10月12日 - 2021年(令和3年)10月10日)は、日本の神学者、聖書学者。専門は旧約聖書。Dr.theol.(ハンブルク大学、1966年)。同志社大学名誉教授。岡山県高梁市出身。キリスト教徒。
西村 文夫(にしむら ふみお、1935年10月11日 - 2… 西村 文夫(にしむら ふみお、1935年10月11日 - 2021年1月12日)は、日本の国際政治学者。静岡薬科大学教授・静岡県立大学教授などを歴任。 栃木県足尾市生まれ、宇都宮市戸祭育ち。1954年 栃木県立宇都宮高等学校卒、1958年 東京大学教養学部卒(ドイツの文化と社会専攻、教養学士)、富士通信機製造株式会社(現富士通)勤務後、東京大学に戻り、62年同大学法学部卒、64年東京大学大学院社会科学研究科国際関係論過程修士課程修了(国際学修士)、64年東京大学大学院社会科学研究科国際関係論過程博士課程入学、69年 同大学院社会科学研究科国際関係論博士課程満期退学。 1966年 日本国際問題研究所、68年研究員 、71-73年 外務省に出向。
大場 啓仁(おおば ひろよし、1935年 - 1973年9月… 大場 啓仁(おおば ひろよし、1935年 - 1973年9月4日)は、日本の英米文学者。元立教大学一般教育部助教授。1973年に不倫関係にあった教え子を殺害後、一家心中した。 静岡県の森町で煙草販売所長の子として生まれたが、幼い頃に結核患者の両親から隔離されて親戚に預けられた後、袋井町の左官職人の養子となり、さらに東京市の堀切に移り住んだ。 戦時中に栃木県宇都宮市に疎開し、そのまま中学と栃木県立宇都宮高等学校を卒業した後、立教大学文学部英米文学科に入学する。そして1958年に学部を卒業後、さらに同大学大学院文学研究科英米文学科に進学し、細入藤太郎教授に師事している。修士課程を修了後、さらに博士課程後期課程に進み、単位取得退学した。
岩淵 功(いわぶち いさお、1933年11月17日 - 20… 岩淵 功(いわぶち いさお、1933年11月17日 - 2003年4月16日)は、栃木県出身のサッカー選手。ポジションはFW。娘婿は元プロ野球選手の吉村禎章。 栃木県立宇都宮高等学校3年次の1950年には小沢通宏と共に全国高等学校蹴球選手権大会(全国高等学校サッカー選手権大会の前身)で優勝。卒業後には慶應義塾大学文学部に進学し体育会ソッカー部に入部。慶應BRB(現役、OBの混成チーム)の一員として1954年、1956年の全日本サッカー選手権大会 (天皇杯全日本サッカー選手権大会の前身)優勝に貢献した。 大学卒業後は東京トヨタ自動車に入社したが、勤務先でサッカー部活動を行ったかは不明。 また1955年に松永碩、加納孝らと共に東京クラブに加入。
水戸 巌(みと いわお、1933年3月2日 - 1986年1… 水戸 巌(みと いわお、1933年3月2日 - 1986年12月30日?)は、日本の物理学者・反原発活動家・市民活動家。専門は放射線物理学。理学博士。最終職歴は芝浦工業大学電気工学科教授。神奈川県横浜市出身。 1933年(昭和8年)3月2日、神奈川県横浜市鶴見に生まれる。 第二次世界大戦中、福島県に疎開し、同地の中学校を終戦後に卒業。栃木県立宇都宮高等学校卒業後、東京大学理学部Ⅰ類に進学、在学中に理学部自治会委員長を務める。1960年(昭和35年)3月、同大学大学院博士課程を修了、博士号を取得。 その後甲南大学教員となり6年間勤務する。 1967年(昭和42年)、東京大学原子核研究所助教授となる。
斎藤 誠治(さいとう せいじ、1933年 - )は栃木県宇都… 斎藤 誠治(さいとう せいじ、1933年 - )は栃木県宇都宮市出身の彫刻家、石彫作家。 1933年に栃木県宇都宮市に生まれる。東京芸術大学彫刻科に入学し、石井鶴三教室にて素描、彫像、木彫を学ぶ。1958年東京芸術大学専攻科で昭和の名工の一人である明石亀太郎に石彫を学ぶ。1960年大晦日に貨客船でアメリカに向かう。ブルックリン美術学校(ニューヨーク)に奨学金を得て入学し、イタリアの彫刻家オデリオ・ベッジに御影石による彫刻技法を学ぶ。全米彫刻協会の特別会員(Fellow of NSS)、アート・スチューデンツ・リーグのインストラクターを務める。現在もニューヨーク、ブルックリンのスタジオにて制作を続けている。
小沢 通宏(小澤 通宏、おざわ みちひろ、1932年12月2… 小沢 通宏(小澤 通宏、おざわ みちひろ、1932年12月25日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー日本代表、サッカー指導者。 1962年第2回日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)受賞のディフェンダー。2014年日本サッカー殿堂入り。 生まれは兵庫県。父親の仕事の関係で東京に移り住み、太平洋戦争中に宇都宮市へ疎開し、以降宇都宮に住む。幼少期には体は弱く、激しい運動は両親に止められていたほどだった。 栃木県立宇都宮高等学校入学とともに、親の反対を押し切ってサッカーを始める。FW岩淵功とともに活躍、高校1年から全国高等学校蹴球選手権大会(現全国高等学校サッカー選手権大会)に出場、高校2年時に準優勝、3年時に優勝を果たす。
野田 秀(のだ しげる、1932年 - 2023年)は、日本… 野田 秀(のだ しげる、1932年 - 2023年)は、日本のプロテスタント系東京フリー・メソジスト教会の牧師。長年、東京フリー・メソジスト教会の指導的な立場にあった。
野口 存彌(のぐち のぶや、1931年8月27日 - 201… 野口 存彌(のぐち のぶや、1931年8月27日 - 2015年12月5日)は、児童文学・文芸評論家。父は野口雨情。文芸誌「群系」創刊同人。 東京府北多摩郡武蔵野町(現武蔵野市)生まれ。父・雨情の病気療養と疎開のため栃木県河内郡姿川村(現・宇都宮市)に引っ越し、栃木県立宇都宮高等学校卒業後、1954年早稲田大学第一文学部仏文科卒。55年金の星社に入り、57年財団法人大蔵財務協会に勤務。のち武蔵野女子大学客員教授。同人誌「群系」創刊同人。2012年12月、長年の執筆活動により、第一回群系賞を受賞。墓所は小平霊園。
上野 武志(うえの たけし、1931年4月9日 ‐ 2013… 上野 武志(うえの たけし、1931年4月9日 ‐ 2013年9月8日)は、日本の高校野球指導者。東京都(当時は東京府)出身。 現在の豊島区池袋に生まれた。母は宇都宮学園高等学校を経営する上野家の長女で、その弟の上野秀文が同校の校長を務めていた。宇都宮中学を経て、栃木県立宇都宮高等学校では三塁手、早稲田大学教育学部に進み、卒業後は富士機械製造でプレーし、監督も務めた。1959年秋に叔父の秀文から誘われ、宇都宮学園高校野球部コーチとなり、翌年6月から監督に就任。1961年の第43回全国高等学校野球選手権大会に同校を出場させて以降、甲子園常連校となった。1995年の第77回全国高等学校野球選手権大会後に監督を退き総監督になったが、1999年末に引退。
高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2… 高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2023年11月23日)は、日本の元小説家、外交官。 栃木県宇都宮市生まれ。栃木県立宇都宮高等学校卒業、京都大学文学部独文科卒業。同大学大学院文学研究科修士課程修了。 1957年、外務省入省。在独大使館、ベルリン総領事館副総領事等を歴任。 1971年、「『黒い森』の宿」で第10回オール讀物推理小説新人賞受賞。1973年、「『禿鷹城』の惨劇」で第19回江戸川乱歩賞候補になるが落選。松本清張の推薦もあって刊行されるが、外務省研修所教務主事に左遷され、1977年に退職。 1979年、プラハの春以後の国際情勢を題材とした「プラハからの道化たち」で第25回江戸川乱歩賞受賞。
渡辺 文雄(渡邉 文雄、わたなべ ふみお、1929年1月8日… 渡辺 文雄(渡邉 文雄、わたなべ ふみお、1929年1月8日 - 2020年3月7日)は、日本の政治家。位階は従三位。元栃木県知事(在任期間は1984年12月9日 - 2000年12月8日)。 栃木県出身。旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)から、東京陸軍幼年学校へ。終戦後に旧制宇都宮中学校へ復学。水戸高等学校 (旧制)を経て1953年3月、東京大学法学部を卒業、農林省に入省。食品流通局長や水産庁長官などを経て1984年7月に農林水産事務次官に就任。同年11月に事務次官を辞任し、同年12月9日に行われた船田譲の辞職に伴う栃木県知事選挙に立候補し当選。5期目を目指して立候補した2000年11月19日の栃木県知事選挙でわずか875票の差で前今市市長の福田昭夫に敗れた。
平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本… 平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本の教育者・教育評論家。 栃木県宇都宮生まれ。栃木県立宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)卒業。栃木県の小学校国語教員、宇都宮市立平石南小学校教諭、1959年藤岡町立赤麻小学校教諭、1975年三鴨小学校教諭、86年赤麻小学校校長。91年退職。作文教育に力を入れた。
五十嵐 豊(いがらし ゆたか、1928年5月20日 - 19… 五十嵐 豊(いがらし ゆたか、1928年5月20日 - 1982年3月4日)は、日本の芸術家、郷土民芸作家、スキー選手。 スキーの国体選手・監督(栃木県)でもある。 作品は、那須町の自然や動物、子供を題材にした作品が多く特に駒やりんどうが描かれていることが多い。木工品や益子焼、黒羽藍染、烏山和紙、木彫、布絵など作品は多岐にわたるが、栃木県の伝統工芸を使用しているのが特徴である。 栃木県那須郡那須村(現・那須町)出身。 那須温泉郷の1つ八幡温泉五十嵐旅館の次男坊として誕生。 旧制宇都宮中学を卒業後、1947年(昭和22)東京美術学校(東京美術学校最後の卒業生)に入学。在学中は高田正二郎などに師事し、1952年(昭和27)に卒業した。
島 桂次(しま けいじ、1927年8月30日 - 1996年… 島 桂次(しま けいじ、1927年8月30日 - 1996年6月23日)は、日本のジャーナリスト。第15代日本放送協会(NHK)会長、元NHK政治部記者。 栃木県上都賀郡足尾町(現在の日光市足尾町)出身。旧制宇都宮中学、旧制新潟高校を経て、海軍兵学校2年生の時に終戦。東北大学文学部美学科卒業後、1952年4月NHKに入局。初任地はNHK盛岡放送局。政治部記者となり池田勇人の総理番記者となり、その後、宏池会を担当。1973年、ニュースセンター次長となり、1973年9月に放送総局副総局長の堀四志男の指示の下、報道番組部長として、1974年4月『ニュースセンター9時』、1976年4月に『NHK特集』をスタートさせる。
生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日… 生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日 - 2006年(平成18年))は、日本の小説家・作家、実業家。大日本帝国海軍軍人(海兵74期、最終階級は海軍少尉)。(株)ことば社 社長。 栃木県宇都宮市出身。栃木県立宇都宮中学校(現:栃木県立宇都宮高等学校)5年生で、1942年12月に海軍兵学校74期に進み、1945年3月に卒業。海軍潜水学校普通科学生(波二百一型潜水艦に乗組予定であった)として、海軍少尉で終戦を迎えた。終戦後東京大学に入学して仏文学科を卒業するが、この間に公職追放を受けた。大学卒業後、アサヒ芸能新聞社(現:徳間書店)に入社し、同社常務取締役を経て、(株)ことば社 社長となった。
須賀 淳(すか あつし、1924年9月20日 - 2023年… 須賀 淳(すか あつし、1924年9月20日 - 2023年10月21日)は、学校法人須賀学園元理事長。栃木県宇都宮市出身。 須賀学園創設者の須賀栄子(すか えいこ)を祖母を持つ須賀は、1924年9月に誕生し、旧制宇都宮中学(現:栃木県立宇都宮高等学校)から1年浪人し1943年(昭和18年)旧制成城高校へ入学したが学徒出陣で陸軍輜重兵学校に入校しトラックの運転訓練などを受ける。軍隊入隊後に東京大学経済学部の合格通知が届いた。1945年に軍隊の訓練で体を壊し、約1ヶ月間の自宅療養のため宇都宮に帰省中に宇都宮空襲に遭う。7月中旬には軍隊へ戻ったが約1ヶ月後に終戦を迎えた。終戦後は須賀学園校長であった父友正(ともまさ)とともに須賀学園復旧に尽力し、睦町の現在地へ移転を終えてから、1946年(昭和21年)4月より東京大学経済学部に復学した。
廣田 和民(ひろた やすたみ、1922年(大正11年)5月5… 廣田 和民(ひろた やすたみ、1922年(大正11年)5月5日 - 2008年(平成20年)5月27日)は、元日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍主計大尉。戦後は印刷会社を経営。 北海道旭川市出身。父の転勤の関係で旭川市で出生するが、その後地元栃木県宇都宮市で育つ。士族。祖父は宇都宮藩士。父と二代ともに帝国陸軍士官。 旧制栃木県立宇都宮中学(現宇都宮高校)を経て1939年(昭和14年)12月に陸軍経理学校に進学(第5期、陸士56期相当)。ラバウル、フィリピン、インドシナ各地を転々とし、ボルネオ島にて終戦。終戦時階級は陸軍主計大尉。 終戦直後、オーストラリア軍に投降、同軍収容所にて捕虜生活を送り、翌年1946年(昭和21年)に復員後、鉄道教科書会社に就職。
福田 武(ふくだ たけし、1921年〈大正10年〉6月5日 … 福田 武(ふくだ たけし、1921年〈大正10年〉6月5日 - )は、日本の政治家。元栃木県鹿沼市長(2期)。 栃木県出身。旧制宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)、慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学経済学部卒。卒業後は陸軍に入隊する。 戦後は地元で肥料商を始め、鹿沼相互信用金庫に入り、理事長、会長となる。ほか、鹿沼商工会議所会頭、栃木県信用金庫協会会長、全国信用金庫協会理事などを歴任する。 1992年(平成4年)鹿沼市長稲川武が2回目の当選を決めた直後に急逝したために行われた市長選挙に立候補し、対立候補に大差を付け、当選。1996年(平成8年)に再選。2000年(平成12年)に三選を目指したが、元鹿沼市議会議長の阿部和夫に敗れた。
村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月2… 村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月24日 - 1975年(昭和50年)3月29日)は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。日本浪曼派に共感した。 東京で生まれ、父はホーリネス教会派のクリスチャンだった。栃木県宇都宮市で育つ。旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)予科に進学。高島善哉ゼミ出身。 1943年に大学を卒業後、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入校。小島直記らは同期生にあたる。1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 戦後は三菱化成(現三菱ケミカルホールディングス)に入社したがやがて退社。
両角 良彦(もろずみ よしひこ、1919年10月 -)は、日… 両角 良彦(もろずみ よしひこ、1919年10月 -)は、日本の官僚。通商産業事務次官。ナポレオン研究家。
伊藤 国雄(いとう くにお、1918年5月14日 - 没年不… 伊藤 国雄(いとう くにお、1918年5月14日 - 没年不明)は、栃木県出身のプロ野球選手。 宇都宮中学校から宇都宮鉄道管理局を経て、1937年に名古屋軍へ入団。春のシーズン終了後に退団し、1938年の春に復帰。同年秋のシーズン終了後に再び退団。
加藤 敏夫(かとう としお、1917年8月25日 - 199… 加藤 敏夫(かとう としお、1917年8月25日 - 1999年10月2日)は、日本の数学者。専門は、偏微分方程式・数理物理学・関数解析学。 1917年、栃木県鹿沼市に生まれた。1941年東京帝国大学理学部物理学科を卒業。太平洋戦争による学業の中断を経て、1951年東京大学助教授、1958年に東京大学教授となる。1962年よりカリフォルニア大学バークレー校教授。1988年に定年退職し、カリフォルニア大学バークレー校名誉教授となった。1999年、カリフォルニア州オークランドの自宅にて病没。 数理物理学に関する業績が多く、1951年には量子力学において現実的な(特異性のある)ポテンシャルでのシュレーディンガー作用素の自己共役性を示した。
林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983… 林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983年1月21日)は、日本の経済学者。東京都立大学名誉教授。専門は財政学。経済学博士(東京大学、1962年)。栃木県宇都宮市生まれ。
佐藤 誠治(さとう せいじ 1912年 - 1938年)は、… 佐藤 誠治(さとう せいじ 1912年 - 1938年)は、日本の元アマチュア野球選手。栃木県出身。 宇都宮中学(現・栃木県立宇都宮高等学校)から早稲田大学に進み、野球をプレーした。ポジションは遊撃手だったと伝わる。 早大卒業後応召され、中国で従軍。しかし、戦地で病を得て1938年(正確な死没月日は不明)に韓国の龍山陸軍病院で戦病死した。享年26。 東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている。
藤原 繁(ふじわら しげる、1907年(明治40年)10月8… 藤原 繁(ふじわら しげる、1907年(明治40年)10月8日 - 1978年(昭和53年)11月2日)は、東京市小石川生まれの教育者。父・藤原保次郎(岡山県議会議長)、母・ゆきの長男として出生。亜細亜大学の前身である興亜専門学校、また、その前身である国士舘専門学校興亜科創立を首唱。実質的創立者。 菊池武夫、岩田愛之助、太田耕造(のちの亜細亜大学初代学長)松尾忠二郎、副島義一(衆議院議員)らとともに大学発展に尽力した。 辞世の句は、「教え子に情けを夢の50年」
能勢一男(のせ かずお、1905年11月18日 - 没年不明… 能勢一男(のせ かずお、1905年11月18日 - 没年不明)は、大日本帝国のボート競技選手(ローイング競技選手)。1928年アムステルダムオリンピックに日本代表として出場した。 1905年11月18日、現在の東京都豊島区目白に生まれる。旧制栃木県立宇都宮中学校(現在の栃木県立宇都宮高等学校)を卒業後、1923年に明治大学商科に入学した。1924年に端艇部に入部し、四番手として活躍した。その技量を買われ、1928年に主将に就任する。同年に開催されたアムステルダムオリンピックに主将・二番手として出場し、整調手も務めた。海や大きな川がない宇都宮出身の人物がボート競技で活躍するのは当時珍しいことであった。
猪野 省三(いの しょうぞう、1905年7月20日 - 19… 猪野 省三(いの しょうぞう、1905年7月20日 - 1985年1月8日)は、日本の児童文学作家。プロレタリア児童文学の活動などに参加した。 栃木県上都賀郡鹿沼町(現:鹿沼市)で生まれた。父・春吉は一時鹿沼町の町長も務めていた。1923年に、宇都宮中学校を卒業。卒業後は小学校の代用教員として勤務した。 1926年に教職を辞めて上京し、画家を志して太平洋画研究所に入所。江馬修らと知り合い、翌年江馬の紹介で日本プロレタリア芸術連盟に加入。はじめは画家として参加していたが、次第に文学に関心を持ち、1928年に初の童話「ドンドンやき」を『プロレタリア芸術』に発表。その後も相次いで童話を発表し、プロレタリア児童文学者として認知されるようになった。
安藤 輝三(あんどう てるぞう、1905年(明治38年)2月… 安藤 輝三(あんどう てるぞう、1905年(明治38年)2月25日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は歩兵大尉。二・二六事件に関与した皇道派の人物で、軍法会議で首謀者の一人とされ死刑となる。 1905年(明治38年)2月25日、岐阜県揖斐郡揖斐町が本籍、父・栄次郎が石川県立金沢第二中学校の英語教師を在職中(1903年4月 - 1907年8月)に金沢市で三男として生まれる。父はその後慶応普通部の英語教師となる。輝三は宇都宮中学校、仙台陸軍幼年学校、陸士予科を経て、1926年(大正15年)7月に陸軍士官学校38期を207番/340名で卒業する。同期に二・二六事件の首魁のひとり磯部浅一(元近衛歩兵第4聯隊附、元一等主計)がいた。
手塚 富雄(てづか とみお、1903年11月29日 - 19… 手塚 富雄(てづか とみお、1903年11月29日 - 1983年2月12日)は、日本のドイツ文学者・評論家。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京大学名誉教授。 栃木県宇都宮市生まれ。旧制第一高等学校を経て、1926年東京帝国大学文学部独文科卒。旧制松本高等学校教授、1943年東京帝国大学文学部独文科助教授、1949年教授。1961年に学位論文「ゲオルゲとリルケの研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。1963年より文学部長をつとめる。1964年定年退官後は立教大学教授、共立女子大学教授を歴任。1967年日本学士院会員、1972年、NHK放送文化賞受賞、1981年文化功労者。
川口 篤(かわぐち あつし、1902年9月29日 - 197… 川口 篤(かわぐち あつし、1902年9月29日 - 1975年6月25日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 栃木県栃木市生まれ。旧制宇都宮中学・旧制一高を経て、東京帝国大学文学部仏文科卒。戦後、東京大学教養学部教授、1958年から1960年まで教養学部学部長、1961年まで評議員。1963年定年退官、学習院大学教授を務めた。 アンドレ・ジイド、エミール・ゾラをはじめ翻訳多数がある。
横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 197… 横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 1975年11月10日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)、栃木県知事(公選第4-7代)。 栃木県宇都宮市の出身。宇都宮中学校、第二高等学校理科甲類を経て、1925年東京帝国大学農学部卒業、農林省に入省。青森営林局の技手を振り出しに林野畑を歩き、1939年満洲国林野局計画課長、1944年同林野総局林産課長、1945年東満総省林政庁長となる。 同年、ソ連軍の侵攻によりシベリアに抑留される。1948年に帰国。林野庁に入り、1950年に林野庁長官になる。 退官後の1953年の第3回参議院議員通常選挙全国区に自由党から出馬して当選する。
荒井 退造(あらい たいぞう、1900年9月22日 - 19… 荒井 退造(あらい たいぞう、1900年9月22日 - 1945年6月26日?)は、日本の内務官僚。沖縄戦時、沖縄県警察部長として県民の避難・保護に尽力したとされるが、近年は北部疎開・義勇隊の編成など研究者から沖縄戦において戦争責任の声もあがっている。長男は国土庁審議官などを歴任した自治官僚の荒井紀雄。 栃木県芳賀郡清原村(現在の宇都市上籠谷町)に農家の次男として出生。鐺山尋常小学校、清原尋常高等小学校、栃木県立宇都宮中学校と進み、その後上京し高千穂高等商業学校(現高千穂大学)に進学した後、巡査をしながら明治大学夜間部を卒業、1927年高等文官試験に合格、同年内務省に入省した。 1932年、麻布六本木警察署長に就任。
横山 通夫(よこやま みちお、1900年1月25日 - 19… 横山 通夫(よこやま みちお、1900年1月25日 - 1983年5月12日)は、日本の経営者。栃木県出身。 1917年に旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を卒業。慶應義塾大学予科に入学 1922年に慶應義塾大学部理財科を卒業。九州電灯鉄道、東邦電力での勤務を経て、1942年に中部配電(のちの中部電力)理事に就任し、常務を経て、1951年に副社長に就任し、1961年4月に社長に昇格した。1969年5月には会長に就任し、1977年6月から相談役を務めた。 中部経済連合会会長、日本電気協会会長、日本ラグビーフットボール協会会長、名古屋鉄道監査役、東海銀行参与なども歴任した。 1960年11月に藍綬褒章を受章し、1974年11月に勲一等瑞宝章を受章した。
川上 澄生(かわかみ すみお、明治28年(1895年)4月1… 川上 澄生(かわかみ すみお、明治28年(1895年)4月10日 - 昭和47年(1972年)9月1日)は、日本の版画家。神奈川県出身。
千葉 省三(ちば しょうぞう、1892年(明治25年)11月… 千葉 省三(ちば しょうぞう、1892年(明治25年)11月27日 - 1975年(昭和50年)10月13日)は、日本の児童文学者、編集者。 1892年(明治25年)12月12日、栃木県河内郡篠井村(現・宇都宮市)で小学校教員の父・亀五郎と母・ハマの長男として出生。1894年(明治27年)に亀五郎が吉沢尋常小学校(現・日光市立第三小学校)の校長になったため、一家で吉沢に引っ越した後、1898年(明治31年)に吉沢小の2年生に入学。1899年(明治32年)には亀五郎が楡木尋常小学校(現・鹿沼市立楡木小学校)に赴任したため転校し、現在の鹿沼市楡木町で育つ。1901年(明治34年)、南押原高等小学校(現・鹿沼市立南押原中学校)入学。