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小川原 正道(おがわら まさみち、1976年9月24日 - … 小川原 正道(おがわら まさみち、1976年9月24日 - )は、日本の政治学者。慶應義塾大学法学部教授。専門は日本政治思想史。学位は、博士(法学)。 1995年長野県上田高等学校卒業。1999年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2001年同大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。2003年同博士課程修了。博士(法学)の学位を取得。 武蔵野短期大学国際教養学科専任講師・助教授、武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部助教授・准教授などを経て、2008年慶應義塾大学法学部准教授、2013年同教授。 イリノイ大学ロースクール客員研究員、国際日本文化研究センター国内客員教員准教授、ハーバード大学ライシャワー日本研究所客員研究員、マサチューセッツ工科大学歴史学科客員研究員、東京大学大学院法学政治学研究科客員研究員なども歴任。
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鳥海 不二夫(とりうみ ふじお、1976年5月 - )は、日… 鳥海 不二夫(とりうみ ふじお、1976年5月 - )は、日本の計算社会科学者。東京大学大学院工学系研究科システム創成学専攻教授、情報法制研究所理事。学位は博士(工学)(東京工業大学・2004年)。研究分野は計算社会科学、人工知能技術の社会応用。ソーシャルメディアにおけるデマ情報拡散の研究で科学技術・学術政策研究所「科学技術への顕著な貢献 2018」に選定 長野県出身。長野県上田高等学校、東京工業大学工学部を経て、同大院理工学研究科制御工学専攻修士課程修了、同機械制御システム専攻博士課程修了。博士(工学)。 名古屋大学大学院情報学研究科助手、同助教、東京大学大学院工学系研究科准教授を経て、2021年より東京大学教授。
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村上 勇介(むらかみ ゆうすけ、1964年 - )は、日本の… 村上 勇介(むらかみ ゆうすけ、1964年 - )は、日本の政治学者、地域研究者。京都大学東南アジア地域研究研究所教授。専門は、ラテンアメリカ地域研究、政治学。 長野県上田市出身。1982年3月、長野県上田高等学校卒業。1986年3月、東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業後、筑波大学大学院修士課程地域研究研究科に進学。メキシコ国費留学生(外務省)としてメキシコ国立自治大学国際関係センターで研究に従事した後、在ペルー日本国大使館、国立民族学博物館地域研究企画交流センター、京都大学地域研究統合情報センターを経て、2018年2月より現職。筑波大学より博士(政治学)の学位の取得。 日本ラテンアメリカ学会理事(2006~2010年)、地域研究コンソーシアム事務局長(2007~2009年)、神戸大学経済経営研究所共同研究員などを兼任。
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松尾 弘(まつお ひろし、1962年11月19日 - )は、… 松尾 弘(まつお ひろし、1962年11月19日 - )は、日本の法学者。専門は民法、比較法。慶應義塾大学大学院法務研究科教授、法務省法制審議会幹事。長野県生まれ。
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塩入 諭(しおいり さとし、1958年 - ) は、日本の視… 塩入 諭(しおいり さとし、1958年 - ) は、日本の視覚科学者。東北大学電気通信研究所所長や、東北大学総長特別補佐、日本視覚学会会長、映像情報メディア学会副会長などを歴任した。 長野県上田市生まれ。長野県上田高等学校を経て、1981年東京工業大学工学部機械物理工学科卒業。1983年東京工業大学大学院総合理工学研究科物理情報工学専攻修士課程修了。1986年東京工業大学大学院総合理工学研究科物理情報工学専攻博士後期課程修了(工学博士)。 同年東京工業大学総合理工学研究科研究生、モントリオール大学博士研究員。1989年国際電気通信基礎技術研究所視聴覚機構研究所研究員。1990年千葉大学工学部画像工学科助手。
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柴田 寿子(しばた としこ、1955年 - 2009年2月4… 柴田 寿子(しばた としこ、1955年 - 2009年2月4日)は、日本の政治学者。元東京大学教授。専門は政治思想史。スピノザの研究で知られる。 長野県東御市出身。長野県上田高等学校を経て、1980年に一橋大学経済学部卒業。1990年、同大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。指導教官は岩崎允胤。田中浩門下。 一橋大学社会学部助手を経て、1993年から東京大学教養学部社会科学科助教授、2002年東京大学大学院総合文化研究科教授。2001年『スピノザの政治思想』で東大博士(学術)。2009年、横紋筋肉腫のため死去。
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松井 正文(まつい まさふみ、1950年 - )は、日本の動… 松井 正文(まつい まさふみ、1950年 - )は、日本の動物学者。京都大学名誉教授。両生類研究の第一人者で、日本動物学会賞を受賞した。元日本爬虫両棲類学会会長。 長野県上田市生まれ。長野県上田高等学校を経て、1972年信州大学繊維学部卒業。1975年京都大学大学院理学研究科博士課程中退、京都大学教養部助手。1984年理学博士。1987年京都大学教養部助教授。1991年京都大学大学院人間・環境学研究科助教授。1998年京都大学大学院人間・環境学研究科教授。2000年日本動物学会賞受賞。2015年京都大学名誉教授。両生類研究の第一人者で、日本爬虫両棲類学会会長などを歴任した。
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小林 淳一(こばやし じゅんいち、1948年9月23日 - … 小林 淳一(こばやし じゅんいち、1948年9月23日 - )は、日本の工学者。 専門は機械工学・流体力学など。 長野県小県郡西塩田村(現上田市)出身。 1967年3月- 長野県上田高等学校卒業。1971年3月- 東北大学工学部機械工学科卒業。 1976年3月- 東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了、工学博士。論文の題は「導電形MHD流路の特性に関する理論的研究」。 1976年10月- 日立製作所入社、機械研究所勤務。2005年4月- 日立製作所研究開発本部ソリューションセンター長。 2007年4月- 秋田県立大学システム科学技術学部教授。2017年4月- 秋田県立大学理事長兼学長就任。
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宮坂 信之(みやさか のぶゆき、1947年〈昭和22年〉9月… 宮坂 信之(みやさか のぶゆき、1947年〈昭和22年〉9月18日 - )は、日本の医学者。東京医科歯科大学名誉教授、同大学医学部附属病院元病院長。専門は膠原病内科学、臨床免疫学。大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授である宮坂昌之は双子の兄に当たる。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校へ進学し、中学時代から始めた剣道ではインターハイ出場を果たした。1973年(昭和53年)東京医科歯科大学医学部卒業後、同大学第一内科へ入局する。 1979年(昭和54年) カリフォルニア大学医学部へ留学し、1981年(昭和56年) には転じてテキサス大学医学部に留学する。帰国後には、1986年(昭和61年)東京女子医科大学リウマチ痛風センター助教授から、1989年(平成元年)には東京医科歯科大学難治疾患研究所教授となり、1995年(平成7年)に東京医科歯科大学第一内科教授となる。
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宮坂 昌之(みやさか まさゆき、1947年〈昭和22年〉9月… 宮坂 昌之(みやさか まさゆき、1947年〈昭和22年〉9月18日 - )は、日本の医学者。大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授。専門は免疫学、実験病理学。東京医科歯科大学名誉教授である宮坂信之は双子の弟に当たる。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校へ進学し、中学時代から始めた剣道ではインターハイ出場を果たした。のちに京都大学へ進学し、1973年(昭和48年)に医学部を卒業した後は、田附興風会北野病院内科へ勤務した。翌年1974年には9月に開院されたばかりの金沢医科大学血液免疫内科にて助手として入局した。1977年(昭和52年) にはオーストラリア国立大学ジョン・カーティン医学研究所へ留学し、1981年(昭和56年)には免疫学博士課程修了し、Ph.D.(免疫学)を取得する。
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遠山 曉(とおやま あきら、1946年2月12日 - )は、… 遠山 曉(とおやま あきら、1946年2月12日 - )は、日本の経営学者。専門は情報経営論、経営情報システム論。オフィスオートメーション学会会長、日本情報経営学会会長、システム監査学会会長などを歴任。現在、中央大学名誉教授。 長野県立科町生まれ。長野県上田高等学校卒業、中央大学商学部会計学科卒業、大学院商学研究科修士課程修了。1973年東洋大学研究助手、専任講師、助教授(1986年より情報科学研究教育センター研究室長)、1983年ノースキャロライナ大学・チャペルヒル(UNC-C)ビジネススクール客員研究員、1988年中央大学商学部助教授、1989年教授、1995年ノースキャロライナ大学・グリーンズボロ(UNC-G)経営経済大学院 併任・客員教授(Adjunct and Visiting Professor)、1998年 博士(経営学)学位取得(中央大学)、2001年中央大学大学院商学研究科委員長、2003年中央大学選任評議員、2010年中央大学副学長、2011年中央大学常任理事、2013年中央大学総長代行などを務めて、2016年より中央大学名誉教授。
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荻原 俊男(おぎはら としお、1944年1月16日 - )は… 荻原 俊男(おぎはら としお、1944年1月16日 - )は、日本の医学者。森ノ宮医療大学名誉学長。元大阪大学医学部附属病院 病院長、大阪大学名誉教授。群馬県太田市出身。 1944年(昭和19年)、群馬県太田市出身。1962年(昭和37年)3月に長野県上田高等学校卒業、1968年(昭和43年)3月25日に大阪大学医学部を卒業する。1970年(昭和45年)1月16日に大阪府立成人病センター調査部にて勤務する傍ら、その頃に大阪大学第1内科・臨床検査部の熊原雄一助教授(当時、後の臨床診断学教授)が率いていた内分泌研究室へ出入りしていたことから研究の道に進むきっかけとなった。1973年(昭和48年)4月1日より大阪大学医学部附属病院中央臨床検査部医員となり、その途中には1974年(昭和49年)1月18日から翌年6月末まで米国アリゾナ大学内科研究員として留学している。
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藤井 彰(ふじい あきら、1942年10月 - )は、日本の… 藤井 彰(ふじい あきら、1942年10月 - )は、日本の歯学者、薬理学者。日本大学松戸歯学部薬理学講座(口腔分子薬理学講座)教授、総合科学研究所教授、日本大学松戸歯学部臨床薬理学講座(寄付講座)教授を経て、現在、日本大学名誉教授。 長野県小県郡中塩田村(現上田市)で生まれる。中塩田小学校、中塩田中学校(現上田市立塩田中学校)、上田高等学校を経て、1965年信州大学工学部卒業、1970年 St. Thomas Institute大学院理学系研究科修了し、St. Thomas Institute博士研究員、助教授、准教授、日本大学松戸歯学部専任講師、助教授、教授、日本大学総合科学研究所教授、日本大学松戸歯学部寄附講座臨床薬理学講座教授を経て日本大学名誉教授。
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沓掛 良彦(くつかけ よしひこ、1941年1月1日 - )は… 沓掛 良彦(くつかけ よしひこ、1941年1月1日 - )は、日本の比較文学者・西洋古典学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。井伊 華言(いいかげん)名義の著書もある。 1941年、長野県上田市で生まれた。1959年、長野県上田高等学校を卒業。早稲田大学第一文学部ロシア文学科に進学し、1965年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻に進み、比較文学を専攻。西脇順三郎を読んで地中海世界に憧れ、寺田透と木村彰一に師事した。1971年に博士課程を中退。 その後は大阪市立大学専任講師に就いた。東北大学助教授を経て、東京外国語大学外国語学部教授となった。1990年、学位論文『サッフォー:詩と生涯』を東北大学に提出して文学博士の学位を取得。
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小宮山 淳(こみやま あつし、1939年 - )は日本の医学… 小宮山 淳(こみやま あつし、1939年 - )は日本の医学者(小児科学、血液学)。 長野県出身。長野県上田高等学校を経て、昭和39年(1964年)信州大学医学部卒業、同44年(1969年)同大学院医学研究科小児科学専攻博士課程修了、母校助手。同60年(1985年)医学部助教授、平成2年(1990年)教授、同7年(1995年)信州大学医学部附属病院長、同11年(1999年)医学部長、同15年(2003年)学長。同28年(2016年)瑞宝重光章受章。前・松本秀峰中等教育学校校長(2010年-2015年、2018年-2022年)。現・老人保健施設はびろの里施設長(2023年)。
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小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は… 小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は、日本の医学者、医師。専門は脳神経外科。米国脳神経外科学会専門医。前小諸厚生総合病院院長。相澤病院顧問、世界脳神経外科学会連盟名誉会長、信州大学名誉教授。 長野県千曲市出身。長野県上田高等学校を経て、1963年信州大学医学部卒業。脳神経外科を専攻し、在日米軍横須賀海軍病院でのインターンを経て、1965年から6年間メイヨー医科大学院に留学。帰国後は信州大学医学部附属病院で杉田虔一郎に師事し、脳神経外科の手術・研究に従事した。また、ロボット手術の機械を開発し、脳深部の腫瘍や動脈瘤の新たな手術方法を考案するなど脳外科分野の発展に大きく貢献し、米国脳神経外科学会の「国際功労賞」を日本人として初めて受賞。
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尾澤 正毅(おざわ まさき、1936年 - 2010年)は、… 尾澤 正毅(おざわ まさき、1936年 - 2010年)は、日本の彫刻家、教育者、教育学者(美術教育)。福井大学名誉教授。姓の「澤」は「沢」の旧字体のため、新字体で尾沢 正毅(おざわ まさき)と表記されることもある。 東京都公立高等学校講師、福井大学教育学部教授、福井大学教育地域科学部教授などを歴任した。 長野県出身の彫刻家である。東京芸術大学美術学部を卒業後、彫刻家として活動した。また、並行して、東京都の公立高等学校にて非常勤で教鞭を執った。のちに福井大学に奉職し、教育学部にて助教授や教授を務め、さらに教育地域科学部の教授を務めるなど、後進の育成にも力を注いだ。2005年の国民文化祭では彫刻部門の審査員を務めており、福井県立美術館では実技講座専門彫刻の講師を務めるなど、地域社会の芸術の振興にも力を尽くした。
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高畠 通敏(たかばたけ みちとし、1933年(昭和8年)11… 高畠 通敏(たかばたけ みちとし、1933年(昭和8年)11月16日 - 2004年(平成16年)7月7日)は、日本の政治学者。計量政治学の研究で知られる。立教大学名誉教授。 東京府(現東京都)生まれ。戦争中は長野県に疎開した。1949年長野県立上田松尾高等学校(現上田高等学校)入学。1950年東京都立日比谷高等学校編入学、1952年同校卒業。 1956年(昭和31年)東京大学法学部卒業。同年、東京大学法学部助手。 1961年(昭和36年)立教大学法学部助教授に就任。担当科目として政治原論、現代政治理論、平和研究を講義。 1965年(昭和40年)イェール大学留学。 1968年(昭和43年)立教大学法学部教授に就任。
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堀内 守(ほりうち まもる、1932年4月10日 - 201… 堀内 守(ほりうち まもる、1932年4月10日 - 2013年7月)は、日本の教育学者。名古屋大学名誉教授。 長野県小県郡真田町(現上田市)生まれ。長野県上田高等学校、東京大学教育学部卒業。同大学院社会学研究科(教育学)博士課程満期退学。1971年「コメニウス研究」で名古屋大学より教育学博士の学位を取得。1964年旧・東京都立大学講師、1968年名古屋大学教育学部助教授、1980年教授(教育原論)。名古屋大学大学院多元数理科学研究科教授(社会構造数理)。1996年定年退官、名誉教授、日本福祉大学知多半島総合研究所所長(地域総合研究)。 1982年から遡って約10年前に東京から名古屋に引っ越した際、当時小学生だった自身の息子が読売ジャイアンツ(巨人)の堀内恒夫と同姓であるという理由から学校でいじめを受けたことがあると語っており、その理由については息子が巨人のライバル球団であり、名古屋を本拠地とするプロ野球チームである中日ドラゴンズのファンが多い土地柄ゆえ、「ドラゴンズファンのヤリ玉に上げられたような気がする」と語っている。
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金子 宏(かねこ ひろし、1930年 <昭和5年> 11月1… 金子 宏(かねこ ひろし、1930年 <昭和5年> 11月13日 - 2022年 <令和4年> 8月23日)は、日本の法学者。専門は租税法。学位は、法学士(東京大学)。東京大学名誉教授。長島・大野・常松法律事務所顧問。位階は従三位。文化功労者。文化勲章受章。 長野県小県郡殿城村(現:上田市)出身。長野県上田高等学校を経て、1953年東京大学法学部卒業。指導教官は杉村章三郎。行政法の一分野でしかなかった租税法を、独立した学問分野として確立させた租税法学界の泰斗であり、著書の『租税法』(弘文堂)は一つのスタンダードとなっている。2005年4月瑞宝重光章受章。2012年度文化功労者。2018年度文化勲章受章。
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森泉 章(もりいずみ あきら、1928年9月24日 - 20… 森泉 章(もりいずみ あきら、1928年9月24日 - 2007年1月26日)は、日本の法学者。専門は民法・金融法・団体法・不動産法。学位は法学博士(東北大学・1966年)(学位論文『権利能力なき社団に関する研究』)。青山学院大学名誉教授。弁護士。中川善之助門下。 長野県小県郡丸子町(現上田市)生まれ。長野県立上田中学校などを経て、1951年に東北大学法学部を卒業する。 1954年静岡大学法経短期大学部助教授、1957年福島大学経済学部教授を務め、1968年青山学院大学法学部教授として民法の講義を長年していた。1979年学部長。その後、駿河台大学法学部教授、関東学院大学法科大学院教授を歴任し、生涯現役で教育・研究に従事した。
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武重 千冬(たけしげ ちふゆ、1926年10月16日 - 2… 武重 千冬(たけしげ ちふゆ、1926年10月16日 - 2001年3月3日)は、日本の医学者。昭和大学(現・昭和医科大学)学長を務めた。医学博士(1956年、千葉大学)。 長野県小諸市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、昭和27年(1952年)昭和医科大学医学部卒業。同31年(1956年)母校講師、同32年(1957年)助教授。同35年(1960年)から4年間ペンシルベニア大学留学。同47年(1972年)昭和大学医学部第一生理学教室主任教授、同62年(1987年)医学部長、平成6年(1994年)学長。同11年(1999年)昭和大学医療短期大学学長を併任。 著書に「生活習慣がつくる病気」(川口毅と共著)がある。
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片山 泰久(かたやま やすひさ、1926年2月18日 - 1… 片山 泰久(かたやま やすひさ、1926年2月18日 - 1978年1月24日)は、日本の理論物理学者。 京都大学工学部原子力工学教授。学位は理学博士。素粒子論専攻。湯川秀樹の共同研究者。 長野県小県郡丸子町(現上田市)生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、旧制松本高等学校理科甲類卒業。旧制京都帝国大学理学部卒業。1947年学術図書出版社に任務後、1957年7月京都大学基礎物理学研究所助教授、1961年4月同教授(1966年10月まで)、京都大学工学部に異動。
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横山 十四男(よこやま としお、1925年11月26日 - … 横山 十四男(よこやま としお、1925年11月26日 - 2019年)は、日本の郷土史家、環境運動家。ラテンアメリカ美術史家の横山和加子は娘。 長野県上田市仁古田生まれ。1943年、旧制上田中学校(長野県上田高等学校)卒業、陸軍経理学校入学。1945年、敗戦により同校は解散、東京高等師範学校文科に転入。1947年、東京文理科大学国史学科入学。1950年、同学科卒業。1950年、横浜市立港高校(定時制)教諭。1956年、東京教育大学附属中学校(現・筑波大学附属中学校)教諭。1980年、筑波大学助教授。1984年「義民伝承の研究」で筑波大学文学博士。1985年、筑波大学教授。1989年、定年退官、東京家政学院大学教授。
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小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )… 小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1949年早稲田大学文学部哲学科心理学卒業。1974年「乳幼児における自己制御機構の発達的研究」で文学博士。早大講師を経て、1959年文学部教授。家庭裁判所研修や国立公衆衛生院の講師も併任した。1995年定年退官、名誉教授。
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竹内 清(たけうち きよし、1924年4月1日 - 2000… 竹内 清(たけうち きよし、1924年4月1日 - 2000年5月22日)は、日本の統計学者。専門は統計学、理論経済学、行政計画など。東北大学名誉教授。元日本統計学会会長。 長野県埴科郡坂城町出身。旧制長野県立上田中学校(現長野県上田高等学校)を経て、1952年東京商科大学(現一橋大学)卒業、同年一橋大学大学院特別研究生。山田雄三ゼミ出身。1955年小樽商科大学専任講師。1959年同助教授。1964年文部省在外研究員及びテキサスA&M大学リサーチ・アシスタント。1986年小樽商科大学教授。1971年東北大学経済学部教授。1973年東北大学評議員。1977年ポーランド科学アカデミー客員教授。1980年東北大学経済学部長・大学院経済学研究科長。
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南沢 貞美(みなみさわ さだみ、1923年10月2日 - 2… 南沢 貞美(みなみさわ さだみ、1923年10月2日 - 2003年9月25日)は、日本の倫理学者。 長野県北佐久郡南大井村(現小諸市)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、旧制第二高等学校を経て、京都帝国大学文学部卒業。1950年京都工芸繊維大学講師、1967年同教授、のち名誉教授。佛教大学教授。2000年春、勲三等旭日中綬章受勲。
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久保田 晴寿(くぼた せいじゅ、1923年(大正12年)6月… 久保田 晴寿(くぼた せいじゅ、1923年(大正12年)6月26日 - 2004年(平成16年)8月31日)は、日本の薬学者。専門は薬品合成化学。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1946年京都帝国大学医学部薬学科卒業。1947年母校助手。1951年徳島大学薬学部助教授、1957年教授、1972年薬学部長を経て、1988年に徳島大学学長に就任し1991年に学長を退任。退任後の1992年に大阪薬科大学学長に就任、1995年に同大学学長を退任。1997年、勲二等旭日重光章受章。 1953年、京都大学薬学博士。論文名は「アセチレンとアンモニアの縮合に関する研究」。 2004年に急性呼吸不全のため徳島県小松島市の病院で死去。
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小林 直樹(こばやし なおき、1921年10月3日 - 20… 小林 直樹(こばやし なおき、1921年10月3日 - 2020年2月8日)は、日本の法学者。専門は、憲法・法哲学。学位は、法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「憲法の構成原理」)。東京大学名誉教授。総合人間学会初代会長。 長野県小県郡滋野村(現・小諸市)生まれ。旧制上田中学校(現・長野県上田高等学校)、旧制水戸高等学校(現・茨城大学文理学部)を経て、1942年東京帝国大学文学部哲学科入学も法学部政治学科に転じる。東京帝大在学中に学徒出陣。二等兵、少尉等を経て、1947年高等文官試験合格。復学して受けた法哲学者尾高朝雄のカントに関する講義に感動し、師事する。 法哲学者として出発し、1951年、東京大学教養学部で法学を教えていたが、1959年、宮沢俊義の後任として、憲法学に転籍し、2年間のドイツ留学を経て、1961年東京大学法学部教授(憲法学)となる。
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神津 善三郎(こうづ ぜんざぶろう、1919年12月31日 … 神津 善三郎(こうづ ぜんざぶろう、1919年12月31日 - 2002年5月15日)は日本の教育学者。専門は日本教育史。 長野県北佐久郡志賀村(現佐久市)生まれ、同郡小諸町(現小諸市)出身。旧制上田中学(現長野県上田高等学校)を経て、1944年慶應義塾大学文学部卒業。長野県短期大学(現長野県立大学)講師をへて、1961年教授、1976年学長就任。1984年長野大学学長に就任。1961年教育学博士(慶應義塾大学)(論文タイトルは『近代日本における義務教育の就学に関する研究:長野県における学齢期勤労児童の場合』) 長野県地方自治研究センター理事長やコープながの理事長を歴任した。1993年勲三等旭日中綬章。
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倉田 文作(くらた ぶんさく、1918年4月17日 - 19… 倉田 文作(くらた ぶんさく、1918年4月17日 - 1983年1月23日)は、日本の仏像学者。 千葉県安房郡生まれ。父は画家・倉田重吉。長野県立上田中学校を経て1940年青山学院文学部英文科卒業、1942年早稲田大学文学部文学科卒業、1944年東洋美術国際研究会嘱託。 1945年文部省社会教育局嘱託、1947年国立博物館に入り、調査課嘱託を経て、1948年文部技官、1950年文化財保護委員会事務局美術工芸課彫刻部勤務。1959年彫刻部主査、1964年文化財調査官、1966年事務局美術工芸課長、1969年東京国立博物館学芸部長に転じる。1972年文化庁文化財保護部文化財鑑査官、1975年奈良国立博物館長に就任、1981年博物館振興の功績により文部大臣より表彰を受け、1983年従四位に叙せられ勲二等瑞宝章を受章した。
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松井 正直(まつい まさなお、1917年12月9日 - 20… 松井 正直(まつい まさなお、1917年12月9日 - 2012年3月12日)は日本の農芸化学者。東京大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員。生理活性天然物の合成に関する研究領域の第一人者として活躍した。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1938年旧制静岡高等学校理科卒業、1941年東京帝国大学農学部農芸化学科卒業。同年台湾製糖に入社し、理化学研究所に研究員として派遣され、1942年に理研研究員のまま理研栄養食品に移り、1945年住友化学に勤務しながら京都帝国大学に4年間派遣された。1953年東大助教授となり、1956年同教授。1967年から1978年まで理研主任研究員を兼ねる。
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黒坂 周平(くろさか しゅうへい、1913年11月3日 - … 黒坂 周平(くろさか しゅうへい、1913年11月3日 - 2003年2月7日)は日本の地方史研究家、郷土史家、教師。 長野県小県郡西塩田村(現上田市)に生まれる。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て長野師範学校を卒業し、学校教師になる。1950年、『上田小県誌』史料編纂委員となる。1972年、上田市立第三中学校を退職し、郷土史研究に専念する。 1973年、東信史学会を創立し会長に就任、雑誌『千曲』を刊行。1979年、塩田平文化財研究所を設立し所長に就任。1990年喜寿を記念し論文選集(献呈論文集含む)『信濃の歴史と文化の研究』を刊行した。また平凡社の『日本歴史地名大系 20 長野県の地名』の監修を務めた。
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樫山 欽四郎(かしやま きんしろう、1907年〈明治40年〉… 樫山 欽四郎(かしやま きんしろう、1907年〈明治40年〉5月1日 - 1977年〈昭和52年〉8月7日)は、日本の哲学者。元早稲田大学文学部教授。研究対象は、ドイツ近世哲学・実存哲学。 長野県北佐久郡小諸町(現・小諸市)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、早稲田大学文学部哲学科卒。同助教授、1949年教授。早稲田大学高等学院長、第二文学部長、第一文学部長を経て大学院文学研究委員長に就任。 ヘーゲル研究で知られ1951年ヤスパース協会、1957年実存主義協会設立に参画、理事を務めた。1960年「ヘーゲル精神現象学の研究」で文学博士。また1969年早大野球部長に就任、東京六大学野球連盟理事、日本学生野球協会理事を務めた。
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小泉 清明(こいずみ きよあき、1904年12月17日 - … 小泉 清明(こいずみ きよあき、1904年12月17日 - 1977年10月26日)は、日本の生物学者。理学博士(1935年)。信州大学教授などを歴任。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1928年京都帝国大学農学部農林生物学科卒業。翌年、母校講師。理学博士(1935年)。 1930年台北帝国大学助教授、1944年熱帯医学研究所所長、1949年岐阜師範学校(学制改革により岐阜大学教育学部)教授、1958年信州大学教授、1960年同繊維学部長などを歴任し、1969年定年退官。 日本生態学会環境問題専門委員会委員長、長野県水質審議会委員、日本学術会議自然保護研究連絡委員会委員なども務める。
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倉沢 剛(くらさわ たかし、1903年9月22日 - 198… 倉沢 剛(くらさわ たかし、1903年9月22日 - 1986年9月4日)は、日本の教育学・教育史学者。 長野県小県郡川辺村(現上田市)生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を出て小学校の代用教員を務めたあと、1927年東京高等師範学校文科卒業。 同年、長野県上田高等女学校教諭。1933年東京文理科大学教育学部卒業、埼玉県女子師範学校教諭。1937年東京女子高等師範学校教諭ならびに同助教授。1944年東京女子高等師範学校教授ならびに同教諭。1952年東京学芸大学教授。1954年から1957年まで、東京学芸大学附属世田谷小学校校長。1957年「米国におけるカリキュラム研究の歴史的考察」で東京文理科大学文学博士。
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市村 今朝蔵(いちむら けさぞう、1898年10月8日 - … 市村 今朝蔵(いちむら けさぞう、1898年10月8日 - 1950年6月9日)は、日本の政治学者、地主。日本女子大学教授、早稲田大学教授を歴任。日本女子大学理事、森村学園理事、明星学園理事長等を歴任。 長野県北佐久郡東長倉村(現・軽井沢町)出身。雨宮敬次郎の妻の末弟・市村藤吉の子。旧制上田中学第15回卒業。早稲田大学政経学部卒。1923年4月、山岡製紙工場の娘・きよじと結婚。大山郁夫に師事、友人の我妻栄とシカゴ大学に学び、1925年帰国。次女信江は建築家・三輪正弘の妻、三女の令子は我妻洋の妻となる。軽井沢の大地主で、別荘地を開拓し、近衛文麿から雨宮荘を譲り受けた。 欧米遊学後、日本女子大学教授、早稲田大学講師を務める。
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宮入 近治(みやいり ちかじ、1896年12月21日 - 1… 宮入 近治(みやいり ちかじ、1896年12月21日 - 1963年6月24日)は日本の実業家、生物学者。 長野県埴科郡五加村(現千曲市)生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て1921年千葉医学専門学校卒業。1933年、改組後の千葉医科大学衛生学教室に入り、腸内菌の研究に携わる。1935年、「水素イオン濃度の腸内菌に及ぼす影響」で医学博士。1940年研究中に、腐敗菌に対して強力な拮抗現象を示す芽胞菌を発見し、これを「宮入菌」と命名し、整腸剤ミヤリサンの製薬特許を受ける。1947年ミヤリサン製薬を設立し、初代社長に就任する。1959年「整腸剤の製造法」について社団法人発明協会から発明賞を受賞。
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佐藤 武雄(さとう たけお、1895年10月17日 - 19… 佐藤 武雄(さとう たけお、1895年10月17日 - 1958年7月1日)は、日本の法医学者。医学博士(1928年、東京帝国大学)。 長野県小県郡大門村(現長和町)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1922年東京帝国大学医学部卒業。1926年東京医学専門学校教授、1929年京城帝国大学教授、1944年に東京で行われた法医学会出席のため帰国し、そのまま郷里で終戦を迎えた。1948年旧制松本医学専門学校教授、同法医学教室主任教授、1950年校長兼信州大学医学部長、1954年学長を歴任した。 俳人としては「眉峰」と号し、高浜虚子に師事し、「ホトトギス」同人。京城時代に俳句結社「水砧」を主宰した。
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勝俣 稔(かつまた みのる、1891年(明治24年)9月5日… 勝俣 稔(かつまた みのる、1891年(明治24年)9月5日 - 1969年(昭和44年)3月9日)は、大正から昭和期の医師、技官、公衆衛生学者、政治家。参議院議員(1期)、衆議院議員(1期)、厚生省顧問、藤楓協会理事。父は、医師で第2代上田市長を務めた勝俣英吉郎。日本の近代公衆衛生の父と称された。 長野県小県郡上田町馬場町(現上田市)で勝俣英吉郎の長男として生まれた。上田中学校(現長野県上田高等学校)、第八高等学校を経て、1919年(大正8年)東京帝国大学医学部を卒業。 北里研究所に入所。慶應義塾大学医学部に転じ細菌学教室助手に就任。 1923年(大正12年)内務省衛生局に移り防疫官に就任。関東大震災では医療救護に尽力。
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齋藤 明堯(さいとう あきたか、明治23年(1890年) -… 齋藤 明堯(さいとう あきたか、明治23年(1890年) - 没年不明)は、日本の医学者。 長野県出身。長野県立上田中学校卒業後、札幌農科大学に入学し、3か月で医学に転じ、府立大阪医科大学を卒業した(第1回生)。 その後、3年間助手となり、昭和7年3月まで研究を行い、「骨髄の細胞学的研究」を主論文とする「骨髄エキストラクトの血液凝固促進作用に就て」により医学博士の学位を取得した。 下記特許は薬品名を「メヅラン」といい、温血動物(主に鳥類)の骨髄及び骨組織中にある血液凝固促進物質であるトロンボキナーゼを抽出して精製濃縮したものである。
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塩入 松三郎(しおいり まつさぶろう、1889年11月12日… 塩入 松三郎(しおいり まつさぶろう、1889年11月12日 - 1962年10月1日)は、土壌学者。東京大学名誉教授。土壌学、肥料学の権威で、水田土壌、畑土壌化学、休閑期の土壌乾燥効果等の研究に於いて業績を残した。 長野県上水内郡水内村(現・長野市)の酒造業の家に生まれる。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1911年(明治44年)第二高等学校二部乙類卒業、1914年(大正3年)東京帝国大学農芸科学科卒業。農商務省農事試験場に勤務。1922年(大正11年)に農芸化学部長となり、1926年(大正15年)から1年間イギリス、アメリカ、フランス、ドイツに留学。 1942年(昭和17年)「土壤及肥料の無機主成分の微量定量法に就て」により農学博士(東京帝国大学)。
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高橋 信美(たかはし のぶよし、1884年1月5日 - 19… 高橋 信美(たかはし のぶよし、1884年1月5日 - 1958年2月24日)は、日本の医師・医学者。妻・ふく子は大沢岳太郎の次女。 長野県小県郡武石村(現上田市)生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、第四高等学校を経て、1910年東京帝国大学医学部卒業。同大助手を経て、1917年千葉医学専門学校(現千葉大学医学部)の第一外科主任教授となる。1919年から2年間欧米諸国に留学、1923年、千葉医科大学(同)教授となり、1929年には学長に就任した。1938年勲二等瑞宝章、1940年従三位に叙された。 その後、千葉県医師会会長、千葉県済生会長、日本外科学会会長、国際外科学会名誉会員などを歴任した。
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金子 筑水(かねこ ちくすい、明治3年1月10日〈1870年… 金子 筑水(かねこ ちくすい、明治3年1月10日〈1870年2月10日〉 - 1937年〈昭和12年〉6月1日)は、日本の哲学者・思想・文芸評論家。 本名は金子 馬治(うまじ)。 1870年、長野県小県郡赤坂村(現上田市)生まれ。旧制上田中学(現・長野県上田高等学校)を経て、1893年東京専門学校(現早稲田大学)卒業後、]母校講師となる。 『早稲田文学』1898年2月に評論「所謂社会小説」を発表した。1903年ドイツに留学し、ライプツィヒ大学、ベルリン大学、ハイデルベルク大学で学んだ。帰国後の1907年より早稲田大学教授となり、哲学、心理学、美学を講義した。同大学文学部長、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館長、常務理事を務めた。
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