スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
青木 範充(あおき のりみつ、1936年 - )は、日本の医… 青木 範充(あおき のりみつ、1936年 - )は、日本の医師。旧国立東信病院元院長。旧東長野病院名誉院長。長野県出身。 1936年(昭和11年)長野県生まれ。1954年(昭和29年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1961年(昭和36年)信州大学医学部卒業。同大学院修了。 信大大学院修了後は、国立病院機構信州上田医療センターの前身である旧国立東信病院に入り、整形外科医としてまた院長として30年余り勤務。その間、新病院建設にも関わり「増え続けるがん患者にしっかり対応し、救急医療など地域のニーズにこたえられる病院」を目指した。上田市の旧国立東信病院で5年間、長野市の東長野病院で4年間院長を務め、地域医療の発展に力を注いだことにより、2011年(平成23年)「瑞宝中綬章」(保健衛生功労)を受勲した。
田口 喜一郎(たぐち きいちろう、1935年 - )は、日本… 田口 喜一郎(たぐち きいちろう、1935年 - )は、日本の医学者。医師。信州大学名誉教授。 1935年 (昭和10年)長野県松本市生まれ。1954年(昭和29年)長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業、同年信州大学医学部医学研究科入学。1960年 (昭和35年)信州大学医学部医学研究科卒業 。以降、信州大学助教授、教授。1999年(平成11年)信州大学名誉教授。 現在、耳鼻咽喉科学の講義や講演のほか、独立行政法人 労働者健康安全機構 長野産業保健総合支援センターにて産業医の研修にも力を入れ、病める人を病気だけを治すということではなく、東洋医学の思考過程を通して全人格的に観察し、精神面も含めて全身的な改善を計ることの必要性を説き、中高年者の転倒、睡眠、男女の更年期障害 、メタボリック症候群、自律神経異常などの研究を行っている。
野村 哲(のむら さとし、1935年(昭和10年) - )は… 野村 哲(のむら さとし、1935年(昭和10年) - )は、日本の地球科学者。群馬大学名誉教授。 長野県生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校、信州大学理学部を経て、1962年(昭和37年)東京教育大学大学院理学研究科修了。理学博士。 群馬大学社会情報学部教授、学部長を務めた。2000年(平成12年)定年退官。 その後、下仁田町自然学校校長を務めた。 1950年代の後半から海洋の地磁気測定が始まったが、1960年代の前半にはほぼ全海洋の地磁気の資料が出そろった。その結果、平行する磁気異常のしま模様は海底山脈の中軸部を境に左右対称であることがわかった。これは『海洋底が開いているために左右対称になった』という「海洋底拡大説」が生まれる。
山本 尚志(やまもと たかし、1934年 - )は、日本の工… 山本 尚志(やまもと たかし、1934年 - )は、日本の工学者。専門は生産工学。東京大学生産技術研究所助教授、東洋大学教授、関東学院大学教授、相模工業大学教授などを経て、湘南工科大学名誉教授。 1934年(昭和9年)、長野県松本市生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校、東京大学工学部を経て、1958年(昭和33年)東京大学大学院修了。1961年(昭和36年)より東京大学生産技術研究所助手、助教授を経て、東洋大学理工学部教授、関東学院大学工学部教授、相模工業大学(現在の湘南工科大学)教授を務めた。2000年(平成12年)定年退官。湘南工科大学名誉教授。 山本が教授としての在任期間中の大半を占める1986年(昭和61年)から2007年(平成19年)まで、湘南工科大学では大学理事会(糸山英太郎理事長)と湘南工科大学教職員組合との間で「湘南工科大学事件」と呼ばれる法廷闘争が続いた。
小松 敏明(こまつ としあき、1934年 - 2021年3月… 小松 敏明(こまつ としあき、1934年 - 2021年3月29日)は、日本のデザイナー。東京芸術大学名誉教授。長野県出身。 1953年(昭和28年)、長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1959年(昭和34年)、東京芸術大学美術学部デザイン科、同大学院修了。 東京芸術大学美術学部助教授、教授を務めた後、2002年(平成14年)定年退官。東京芸術大学名誉教授。 小松のデザインは、通信機器や登山・スキー用具などのデザインにはじまり、 教育・研究の場においては、"はたらきと美の統合"をテーマとして、工業デザインを軸に幅広いフィールドで展開されてきた。 東京芸術大学大学美術館で開催された退官記念展では、1980年代以降のデザインに関わった製品及び試作的作品を中心に、 その一端を"生活のどうぐ"、"生産のどうぐ"に大別し、「どうぐデザイン展」と題して展示紹介された。
金宇 満司(かなう みつじ、1933年3月19日 - 202… 金宇 満司(かなう みつじ、1933年3月19日 - 2022年10月27日)は、日本の映画カメラマン。松本市出身。 長野県東筑摩郡里山辺村(現松本市)出身。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1953年東京写真短期大学卒業後、岩波映画製作所に入社。数多くの作品にて撮影技師として活躍し、1967年に退社。 1970年、芸術選奨新人賞、三浦賞受賞。 1971年、石原プロモーションに移籍。以降、石原プロモーション作品のカメラマンとして数多くの作品で活躍する傍ら、専務の小林正彦と共に常務として石原プロの経営を支える。 2005年、石原プロモーションを定年退職。それを機に2006年、晩年の石原裕次郎の看病に専念した日々の回顧録である『社長、命。
早川 章(はやかわ あきら 1933年 - 2003年)は、… 早川 章(はやかわ あきら 1933年 - 2003年)は、日本の官僚。運輸省地域交通局長を経て、日本アジア航空副社長、東京空港交通会長等を歴任。
滝澤 行雄(たきざわ ゆきお、1932年12月8日 - )は… 滝澤 行雄(たきざわ ゆきお、1932年12月8日 - )は、日本の医学者、医師。秋田大学名誉教授。 1932年(昭和7年)長野県塩尻市生まれ。1951年(昭和26年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1957年(昭和32年)新潟大学医学部医学研究科卒業。専攻分野は公衆衛生。以降、新潟大学助教授、秋田大学教授、金沢大学放射線実験施設教授(併任)。国立水俣病総合研究センター所長、同センター顧問、UNEP環境影響評価パネル委員、水俣市助役を歴任。 現在、医療法人財団青葉会理事・老健ホスピア玉川施設長。要職にはOECD化学品セクター検討会委員、WHO有機水銀の健康影響に関する研究協力センター長を務め、UNEP環境影響パネル委員にある。
小平 修(こだいら おさむ、1932年2月7日 - 1998… 小平 修(こだいら おさむ、1932年2月7日 - 1998年6月4日)は、日本の政治学者。京都産業大学教授。 長野県松本市出身。1952年(昭和27年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1956年早稲田大学政治経済学部卒業、1959年同大学院政治学研究科修了。1970年京都産業大学法学部助教授、1972年教授を務めた。専門は比較政治学。教授在職中の1998年(平成10年)逝去。日本選挙学会会員。政治の世界でいう「左派」「右派」などの定義を提唱し定着させた功績は彼によるところが大きい。
千村 洋一郎(ちむら よういちろう、1932年 - )は、日… 千村 洋一郎(ちむら よういちろう、1932年 - )は、日本の教育学者。東京女子体育大学名誉教授。
汲田 克夫(くみた かつお、1931年12月26日 - )は… 汲田 克夫(くみた かつお、1931年12月26日 - )は、日本の教育学者。大阪教育大学名誉教授。 1931年(昭和6年)長野県生まれ。 1950年(昭和25年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1955年(昭和30年)東京大学教育学部(学校教育学科)卒業。1957年(昭和32年)東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1957年(昭和32年)東京大学教育学部助手、1960年(昭和35年)愛媛大学教育学部助手、1965年(昭和40年)愛媛大学教育学部講師、1967年(昭和42年)大阪教育大学講師、1972年(昭和47年)大阪教育大学助教授を経て、1976年(昭和51年)大阪教育大学教授。 1979年(昭和54年)より、大阪教育大学天王寺分校主事、1983年(昭和58年)大阪教育大学補導部長、1988年(昭和63年)大阪教育大学教養学科主事などを務めた。
有賀 正(あるが ただし、1931年(昭和6年)4月29日 … 有賀 正(あるが ただし、1931年(昭和6年)4月29日 - 2017年(平成29年)4月22日)は、第12代松本市長、松本広域連合長(初代)、長野県議会議員(民社党公認)、長野県農業後継者育成協会長。長野県松本市並柳生まれ。ハード事業(箱物行政)に積極的であった。 長野県松本市出身。1949年(昭和24年)に長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業、農業に従事した、1964年(昭和39年)から1970年(昭和45年)にかけて松本市農業委員を務める。1971年(昭和46年)に民社党公認で長野県議会議員に初当選し、1992年3月に松本市長に初当選、以降3期を務め、行政改革を推進するとともに、福祉ひろばを全地区に設置するとともに、美術館や市民芸術館の建設など芸術文化の振興に尽力した。
小西 昭之(こにし あきゆき、1931年4月7日 - 199… 小西 昭之(こにし あきゆき、1931年4月7日 - 1994年8月1日)は、日本のジャーナリスト。 長野県出身。長野県松本県ヶ丘高等学校、東京大学教養学部教養学科卒業後、1955年毎日新聞入社。イギリス留学(ロンドン大学政治経済大学院修了)、外信部記者、ロンドン特派員を経て、北米総局長、外信部部長を歴任。 縣陵新聞部時代(1949年~1951年)、小西が部長を務めた1950年の中日新聞社主催全国新聞コンクールで第2位、1951年の朝日新聞社主催全国新聞コンクールで第3位の成績を残している。
田中 美郷(たなか よしさと、昭和6年(1931年)2月25… 田中 美郷(たなか よしさと、昭和6年(1931年)2月25日 - 没年不明)は、日本の医師。帝京大学名誉教授。 長野県生まれ。信州大学医学部付属病院講師(耳鼻咽喉科)、国立聴力言語障害センター聴能課長、帝京大学医学部助教授(耳鼻咽喉科)、上智大学大学院言語障害研究コース非常勤講師などを勤める。平成11年 (1999年) 帝京大学名誉教授。田中美郷教育研究所所長、平成25年 (2013年)大阪保健医療大学大学院教授。ほかに都内の神尾記念病院で週二回診療を行い、土曜は聴覚障害の子供や家族の支援なども行っている。
石川 元也(いしかわ もとや、1931年2月9日 - )は、… 石川 元也(いしかわ もとや、1931年2月9日 - )は、日本の弁護士。日弁連刑事法制委員会委員長、法務省法制審議会刑事法部会委員、自由法曹団団長などを歴任した。 長野県松本市に生まれる。松本第二中学(現:長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1954年に東京大学法学部を卒業。学生時代にはメーデー事件で逮捕されたことがある。 1957年大阪弁護士会に弁護士登録。以降は証拠開示をはじめとする多くの新判例を引き出し、戦後の刑事訴訟法を憲法に基づいて実質化していく実践的な活動に尽力していく。 刑事弁護人の在り方について教えを受けた人物として毛利与一を挙げている。
千野 武廣(ちの たけひろ、1931年1月9日 - 2012… 千野 武廣(ちの たけひろ、1931年1月9日 - 2012年)は日本の歯学者、歯科医師。松本歯科大学名誉教授、松本歯科大学付属病院元院長。医学博士。 長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1959年(昭和34年)大阪大学歯学部卒業。 1962年(昭和37年)九州大学より医学博士号の学位取得。 札幌医科大学教授、松本歯科大学教授を務めた後、定年退官。松本歯科大学名誉教授。松本歯科大学副学長、松本歯科大学付属病院院長を務めた。
野口 昌巳(のぐち まさみ、1931年 - )は、日本の森林… 野口 昌巳(のぐち まさみ、1931年 - )は、日本の森林学者。京都大学名誉教授。 長野県生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て京都大学農学部卒業、同大学院修了。 東京農工大学農学部教授、京都大学農学部教授を務めた後、1992年(平成4年)定年退官。京都大学名誉教授。 野口は、1982年から1991年にかけて、シロアリの木材食害によって発生するAE(アコースティック・エミッション)をモニタリングすることによって、シロアリの活動を検出する研究を、今村祐嗣教授(現:京都大学名誉教授)と共に始める。 当時、住宅の耐久性向上に環境負荷の低い方法を導入する社会的気風が高まってきたことや、非破壊検査技術の分野における技術進歩を受け、木材の劣化診断法の開発研究に着手した。
花村 治郎(はなむら じろう、1931年 - )は、日本の法… 花村 治郎(はなむら じろう、1931年 - )は、日本の法学者。千葉大学名誉教授。 長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1957年(昭和32年)東北大学大学院法学研究科修了。東北大学法学部講師、助教授を経て、1977年(昭和52年)千葉大学法経学部(現法政経学部)教授。 1997年(平成9年)、定年退官。千葉大学名誉教授。専門は民事訴訟法。
原 徳安(はら のりやす 1931年 - )は、日本の自治官… 原 徳安(はら のりやす 1931年 - )は、日本の自治官僚。長野県出身。 1950年(昭和25年)長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業、1954年(昭和29年)東京大学法学部を卒業。同年、自治省(現総務省)入省。以降、自治省から消防庁消防課長、香川県企画部長を経て、大阪府総務部長を務めた。 原の名前は、第65回通常国会「決算委員会」の中で二宮文造議員の都道府県主要ポストが中央省庁出身者で占められているという指摘の中で登場する。一例として、香川県の主要ポストが自治省出身派閥で占められ、権力関係が出来上がっているというものであり、原は当時自治省から香川県に出向し企画部長の職にあった。 消防庁消防課長時代には、第75回通常国会「災害対策特別委員会」での兒玉末男議員の質疑に対し説明員として答弁している。
細川 磐(ほそかわ いわお、1931年(昭和6年) - )は… 細川 磐(ほそかわ いわお、1931年(昭和6年) - )は、日本の体育学者。大阪体育大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1954年(昭和29年)東京教育大学体育学部体育学科卒業。大阪体育大学教授を務めた後、1992年(平成4年)定年退官。大阪体育大学名誉教授。1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)にかけて、同志社大学バスケットボール部コーチを務め、この間、西日本学生3年連続優勝を果たしている。公益財団法人ライフスポーツ財団常務理事を務めた。
吉江 信夫(よしえ のぶお、1931年 - )は、日本の医学… 吉江 信夫(よしえ のぶお、1931年 - )は、日本の医学者。筑波大学名誉教授。 1931年(昭和6年)長野県生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校 を経て、1956年(昭和31年)信州大学医学部医学研究科卒業。1964年(昭和39年)「条件瞬目反応による聴力測定」の論文で信州大学より博士号。 筑波大学助教授、教授を経て、1994年(平成6年)筑波大学名誉教授(臨床医学系)。 1970年代初期、蝸牛の臨床的研究法として電気生理学的検査法である蝸電図(EcoG:electrocochleography)を開発したことで知られる。
保刈 恒雄(ほかり つねお、1931年 - )は、日本の医学… 保刈 恒雄(ほかり つねお、1931年 - )は、日本の医学者。千葉大学名誉教授。
山田 喜紹(やまだ よしつぐ、1931年 - 2025年9月… 山田 喜紹(やまだ よしつぐ、1931年 - 2025年9月27日)は、日本の細菌学者、ウイルス学者、エイズ研究者。信州大学医療技術短期大学部名誉教授。医学博士。 1931年(昭和6年)、長野県松本市生まれ。1950年(昭和25年)、長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1953年(昭和28年)、信州大学文理学部自然科学学科卒。信州大学医学部大学院細菌学教室を経て、信州大学医療技術短期大学部教授。医学博士。信州大学医療技術短期大学部名誉教授。 エイズ研究の傍ら、地域のエイズ感染予防を訴え、講演活動を行っていた。 2025年9月27日、肺炎のため松本市里山辺で死去。死没日付をもって従四位に叙され、瑞宝小綬章を追贈された。
百瀬 和夫(ももせ かずお、1930年3月2日 - 1992… 百瀬 和夫(ももせ かずお、1930年3月2日 - 1992年12月20日)は、日本の医学者。東邦大学医学部教授。医学博士。 1930年(昭和5年)長野県生まれ。1946年(昭和21年)旧制松本第二中学19回(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。旧制松本高等学校を経て、1954年(昭和29年)東京大学医学部医学研究科を卒業。1960年(昭和35年)博士論文「卵管分泌現象に関する研究」で東京大学より医学博士授与。東京大学医学部助手、助教授を務めたのち、1982年(昭和57年)より東邦大学医学部教授(第1産科婦人科学教室)を務めた。 医学者の竹内一夫氏は「脳死出産、産婦人科の世界」の中で、脳死出産の実態について分析しているが、その中で百瀬和夫、前田光士両教授の「妊婦の脳死をめぐる諸問題、医学の歩み」(東邦大学医学部産婦人科教室)を取り上げ、「ここで我々は、死後(心停止後)の出産例の報告が散見されることにも注目しなければならない。
井口 健一郎(いぐち けんいちろう、1930年 - 2002… 井口 健一郎(いぐち けんいちろう、1930年 - 2002年3月21日)は、日本の企業家。太陽神戸銀行元常務。ジェーシービー元専務。 長野県松本市生まれ。1948年(昭和23年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1953年(昭和28年)東京大学法学部卒業。 1953年(昭和28年)、太陽神戸銀行の前身である神戸銀行入行。太陽神戸銀行(現三井住友銀行)元常務。1986年(昭和61年)、ジェーシービー入社。専務取締役を務めた。1997年(平成9年)6月退任。 退任後は、2005年第8回日経アニュアルリポート・アウォード審査員などを務めた。
松林 尚志(まつばやし しょうし、1930年 – 2022年… 松林 尚志(まつばやし しょうし、1930年 – 2022年10月16日)は、日本の詩人、俳人。 長野県松本市出身。松本県ヶ丘高校、慶應義塾大学経済学部卒業。現代俳句協会、現代詩人会の各会員。俳句雑誌「木魂」代表、「海原」同人。 1985年、第4回現代俳句評論賞受賞。1998年–2018年[要出典]、現代俳句協会現代俳句評論賞選考委員。
山田 尚勇(やまだ ひさお、1930年 - 2008年5月2… 山田 尚勇(やまだ ひさお、1930年 - 2008年5月21日)は、日本の情報処理学者、東京大学名誉教授。東京府出身、日本統治下の台湾育ち。米国ペンシルベニア大学電気工学部準教授、東京大学理学部教授、学術情報センター副所長(現・国立情報学研究所)などを務めた。キーボードの無連想式漢字直接入力(T-Code)の発案者として知られる。 1945年(昭和20年)8月、日本統治下の台湾の台北で敗戦を迎えた。昭和21年春、長野県東筑摩郡中山村(現松本市大字中山)に引揚げ、旧制松本二中4年に転入。昭和22年3月旧制松本二中21回・4年修了。4月旧制松本高校に入学。昭和25年4月旧制東京大学工学部電気科に入学。
野口 元大(のぐち もとひろ、1929年5月26日 - 20… 野口 元大(のぐち もとひろ、1929年5月26日 - 2016年12月2日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1992年)。上智大学名誉教授。 長野県小諸市生まれ。埼玉県児玉郡神泉村育ち。旧制松本第二中学校(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校文科を経て、1953年東京大学文学部国文学科卒、1958年同大学院国文学専攻修了。 都立高校教諭を経て、1960年熊本大学法文学部助教授、1966年文部省教科書調査官、1974年茨城大学人文学部教授、1977年文部省主任教科書調査官、1982年上智大学文学部教授、1992年「夜の寝覚研究」で東大文学博士。この間、文部省にて主任教科書調査官を務める。
嶋崎 昭典(しまざき あきのり、1928年8月20日 - 2… 嶋崎 昭典(しまざき あきのり、1928年8月20日 - 2025年8月5日)は、日本の農学者。長野県塩尻市出身。信州大学繊維学部 名誉教授、農学博士(1960年 東京大学)。 高度経済成長期、製糸業も自動繰糸機全盛期へと向かう中(1950~1960年代)、製糸工程の統計的管理法、定粒繰糸・定繊自動繰糸の基礎理論を確立。戦後日本の製糸業界発展に寄与すると共に、現在は世界的に普及した自動繰糸機の工程管理手法の礎を築いた。 信州大学教授就任後(製糸・管理工学)は、数多くの学生を指導、国際的にも門戸を拡げ世界各国の学生を受け入れた。 教授時代の中国蘇州丝绸工学院(現:蘇州大学)との交流は、後に岡谷蚕糸博物館名誉館長就任後に、岡谷市と蘇州絲博物館(英語版)との学術交流協定締結へと繋がった。
奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1… 奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1990年3月28日)は、日本の法学者、憲法学者、弁護士。 東京府で出生。長野県北安曇郡松川村出身。1946年(昭和21年)旧制松本第二中学19回(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。中央大学法学部卒、1958年早稲田大学大学院政治学研究科修了。神奈川大学講師・助教授、近畿大学教授。近畿大学比較法政治研究所長・法学部教授。法と秩序研究会理事長、日本学術会議会員。世界平和教授アカデミー会員。
松本 弘明(まつもと ひろあき、1927年3月28日 - 2… 松本 弘明(まつもと ひろあき、1927年3月28日 - 2014年9月30日)は、日本の物理学者。福井大学名誉教授。兵庫県出身。 1927年(昭和2年)兵庫県神戸市生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)を経て、1950年(昭和27年)京都大学理学部卒業。 和歌山大学教授、福井大学工学部教授を務めた後、1990年(平成2年)定年退官。福井大学名誉教授。 専門は電子物性物理学。
近藤 正三(こんどう しょうぞう、1924年2月24日 - … 近藤 正三(こんどう しょうぞう、1924年2月24日 - 没年不詳)は、日本の法学者。島根大学名誉教授、岡山商科大学名誉教授。 長野県東筑摩郡塩尻町(現塩尻市)生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校を経て、1947年(昭和22年)京都大学法学部卒業。専門は労働法。 島根大学法文学部助教授、教授を務めた後、1987年(昭和62年)定年退官。島根大学名誉教授、岡山商科大学名誉教授。島根県労働委員会会長を務めた。
望月 公子(もちづき こうし、1924年 - )は、日本の獣… 望月 公子(もちづき こうし、1924年 - )は、日本の獣医学者。東京大学名誉教授。元東京大学農学部長。 長野県松本市生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、東京大学農学部卒業。 東京大学農学部助教授、東京大学農学部教授を経て東京大学農学部学部長。退官後は日本大学農獣医学部教授を務める。 1980年(昭和55年)に「国公立大学における獣医学教育の改善を図ること」を目的に国公立大学獣医学協議会が設立されると、望月は第8回1983年(昭和58年)から第16回1985年(昭和60年)の協議会会長を務た。この間主として「新学部教育制度に対応した大学院制度」、「獣医学教育の改善に向け、国立大学の再編整備を行なう」ことなどについての討議が行われた。
宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989… 宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989年9月26日)は、日本の工学者。日本大学名誉教授。 長野県生まれ。1941年(昭和16年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1955年(昭和30年)日本大学大学院旧工学研究科(現理工学研究科)課程修了。1977年(昭和52年)~1985年(昭和60年)、1987年(昭和62年)~1989年(平成元年)の間、日本大学理工学部電気工学科主任を務めた。 1983年(昭和58年)8月、当時の宮城弘教授、木方靖二専任講師(後に理工学部教授)、鈴木勝行助手(後に理工学部教授)らにより、愛媛県来島海峡沖に設置された海上設置型潮流発電装置により、世界初の潮流発電(850w)に成功した。
二村 忠元(にむら ただもと、1917年11月9日 - 19… 二村 忠元(にむら ただもと、1917年11月9日 - 1982年12月18日)は、日本の工学者。東北大学名誉教授。専門は電気音響工学。 長野県松本市出身。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校理科甲類を経て、1940年(昭和15年)京都帝国大学工学部電気工学科卒業。 東京大学、東北大学で1年間研究に従事した後、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで、創設時の京城帝国大学理工学部助教授を務める。1946年(昭和21年)、東北大学助教授。1951年(昭和26年)、東京大学から理学博士の学位を取得。1955年(昭和30年)、東北大学教授に昇任。 ダイナミックスピーカーの改良、スピーカアレイの設計法、残響可変装置、電気的な残響付加装置など先進的な研究に取り組む。
横内 寿八郎(よこうち じゅはちろう、1917年 - 200… 横内 寿八郎(よこうち じゅはちろう、1917年 - 2002年8月1日)は、日本の医師。国立病院機構東名古屋病院元院長。長野県生まれ。 1933年(昭和8年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。旧制松本高等学校理科を経て、1941年(昭和16年)九州帝国大学医学部を卒業。1971年(昭和46年)、国立療養所中部病院を経て、国立病院機構東名古屋病院院長を務めた。 1986年、勲二等瑞宝章を受章。2002年8月1日、多臓器不全のため死去。 当時、寿八郎のもとで医師を務めた加古健は、名古屋大学第二外科同門会誌「素友」に起稿した「横内寿八郎先生を偲んで」の中で寿八郎の人柄を偲んでいる。
草間 俊一(くさま しゅんいち、1915年(大正4年)6月2… 草間 俊一(くさま しゅんいち、1915年(大正4年)6月24日 - 1997年(平成9年)1月15日)は、日本の歴史学者。岩手大学名誉教授。盛岡短期大学元学長。 長野県生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校を経て、1939年(昭和7年)京都帝国大学文学部史学科卒業。 高知県女子師範学校教授、岩手県女子師範学校、岩手師範学校教授を経て、1949年岩手大学学芸学部(現人文社会科学部)助教授、1962年教授。1976年(昭和51年)定年退官、名誉教授。 退官後は、盛岡短期大学学長を務めた。 1986年(昭和61年)、戦後40年間にわたり郷土史研究と文化財愛護に取り組み歴史研究の発展に貢献したことにより、第39回岩手日報文化賞(学芸部門)を受賞した。
高田 久寿(たかだ ひさとし、1914年(大正3年)3月 -… 高田 久寿(たかだ ひさとし、1914年(大正3年)3月 - 1984年(昭和59年)5月20日)は、日本の英文学者、イギリス文学者。大正大学名誉教授。 長野県生まれ。1931年(昭和6年)、旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1937年(昭和12年)、大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)卒業。東京都立高校教諭を経て、大正大学名誉教授。 終戦直後の「上海残留日僑子弟補習室」で英語教師などを務めたほか、東京都立石神井高等学校校歌の作詞を行っている。 平和祈念展示資料館には先の大戦で経験された方の「苦労体験手記」が収められている。その中に中国での体験手記として、景山澈氏の『上海日僑中学生の終戦日記』がある。
與曽井 章平(よそい しょうへい、1913年(大正2年)9月… 與曽井 章平(よそい しょうへい、1913年(大正2年)9月20日 - 1993年(平成5年)11月26日)は、日本の社会学者。愛知教育大学名誉教授。 長野県生まれ。1931年(昭和6年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。松本高等学校を経て、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部を卒業。 愛知学芸大学(現愛知教育大学)教育学部教授。1976年(昭和51年)定年退官。愛知教育大学名誉教授。退官後は、信州大学医療技術短期大学部教授を務めた。
白澤 正二(しらさわ しょうじ、1913年2月2日 - 19… 白澤 正二(しらさわ しょうじ、1913年2月2日 - 1995年1月23日)は、日本の実業家。茨城放送(現在のLuckyFM茨城放送)社長・会長、朝日新聞編集委員などを務めた。 長野県南安曇郡明盛村(三郷村を経て、現在の安曇野市)生まれ。1930年(昭和5年)旧制松本第二中学校(現在の長野県松本県ヶ丘高等学校)を卒業した。1936年(昭和11年)旧制松本高校を経て、京都帝国大学法学部を卒業した。 1937年、朝日新聞社に入社した。東京本社整理部次長、同学芸部次長、西部本社運動部長、東京本社編集委員を経て、1965年に茨城放送代表取締役社長に就任し、その後は会長を務めた。 また、1972年に日本記者クラブ会員、1978年(昭和53年)7月から1979年(昭和54年)6月まで、水戸ロータリークラブ会長(第29期)を務めた。
神澤 康夫(かみざわ やすお、1913年 - 没年不明)は日… 神澤 康夫(かみざわ やすお、1913年 - 没年不明)は日本の歯学者(歯科理工学)。東京医科歯科大学名誉教授。
藤牧 直(ふじまき なおし、1912年9月23日 - 198… 藤牧 直(ふじまき なおし、1912年9月23日 - 1980年3月22日)は、日本の総務官僚。元拓務省南洋庁ヤップ支庁長、郵政省監察局長。 長野県生まれ。1929年(昭和4年)旧制松本第二中学(現:長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1934年(昭和9年)、旧制富山高等学校を経て、京都帝国大学経済学部卒業。 戦前は、拓務省南洋庁ヤップ支庁長を務めたほか、戦後は1949年(昭和24年)人事院給与局実施課長、1954年(昭和29年)郵政省(現:総務省)人事部厚生課長、1962年(昭和37年)監察局長を務め、翌年に退官、郵政弘済会長となり、1967年(昭和42年)福島テレビ専務取締役、1972年(昭和47年)民間放送テレビ回線運営センター常任監事などを務めた。
旭 興正(あさひ おきまさ、1911年(明治44年) - 1… 旭 興正(あさひ おきまさ、1911年(明治44年) - 1998年(平成10年))は、日本の獣医学者。獣医学博士。北里大学獣医学部教授、動物衛生研究所東北支場長を務めた。 長野県生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校を経て、東京帝国大学農学部卒業。1955年(昭和30年)北海道大学より獣医学博士授与。獣医学領域でのリステリア症やヨーネ病の研究を行った。北里大学獣医学部獣医畜産学研究科教授、1959年(昭和34年)から1967年(昭和41年)まで動物衛生研究所東北支場長を務めた。 興正は、同じ獣医学者で弘前大学名誉教授佐々木直亮の記した「親戚覚書」によれば、直亮の祖父(佐々木哲之進)の姉(なよ)で、その孫にあたるあき子と結婚した。
松沢盛茂(まつざわ もりしげ、1911年(明治44年) - … 松沢盛茂(まつざわ もりしげ、1911年(明治44年) - 1999年(平成11年)11月25日)は、日本の農業経済学者。
降旗 憲二郎(ふりはた のりじろう、1910年12月5日 -… 降旗 憲二郎(ふりはた のりじろう、1910年12月5日 - 2002年6月2日)は、日本の企業家。三菱銀行元常務。 長野県北安曇郡常盤村(現大町市)生まれ。1928年(昭和3年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1934年(昭和9年)慶応義塾大学経済学部卒業。 同年、三菱銀行の前身である千代田銀行入行。三菱銀行代表取締常務、富士紡績監査役を務めた。 1950年(昭和25年)の第7回通常国会において、商法改正に関する小委員会の設置に際し、財界より広く意見を聴取することを目的として以下の参考人メンバーが決定されたが、その中に降旗の名前も挙げられている。
樋口 和博(ひぐち かずひろ、1909年12月1日 - 20… 樋口 和博(ひぐち かずひろ、1909年12月1日 - 2009年2月7日)は、日本の裁判官、弁護士。 長野県上伊那郡川島村(現辰野町)生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校文科甲類、京都帝国大学法学部卒業。昭和11年司法官試補、以後、大阪、青森、高松、長野、東京の各地裁で約38年間裁判官生活を送る。昭和49年定年退官。昭和50年1月、弁護士登録(東京弁護士会)。
佐倉 直男(さくら なおお、1909年11月23日 - 没年… 佐倉 直男(さくら なおお、1909年11月23日 - 没年不明)は、日本の数学者。信州大学名誉教授。専門は微分積分学。 長野県東筑摩郡塩尻町(現・塩尻市)出身。旧制松本第二中学(現・長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1932年(昭和7年)東北帝国大学卒業。旧制上田中学(現・長野県上田高等学校)教諭を経て1938年(昭和13年)京城高等工業学校教授。1944年海軍兵学校教官。1946年松本高等学校教授、1950年信州大学文理学部助教授、1966年理学部教授を務めた後、1970年(昭和45年)定年退官、名誉教授。 佐倉の名「直男」は「ただお」ではなく「なおお」と読む。彼の教え子の一人で、信州大学文理学部最後の入学生でもある猪岐(いのまた)英夫は、信州大学理学部同窓会報の中で佐倉の想い出をこう記している。