スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
一本松 康雄(いっぽんまつ やすお、1929年 <昭和4年>… 一本松 康雄(いっぽんまつ やすお、1929年 <昭和4年> 9月12日 - 2012年 <平成24年>11月5日)は、日本の経営者。神戸電鉄社長を務めた。一本松珠璣の息子。位階は正五位。 兵庫県出身。1950年に第一高等学校を経て、1953年に東京大学法学部を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1983年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1988年6月に専務となった。 約22年間にわたって神戸電鉄の発展に尽力した中田大三の後任として、1992年(平成4年)6月25日の取締役会において神戸電鉄社長に就任する役員人事が決定した。前社長である中田大三の社長方針「ルールを守れ。
猪熊 時久(いのくま ときひさ、1926年〈大正15年〉5月… 猪熊 時久(いのくま ときひさ、1926年〈大正15年〉5月17日 - 2002年〈平成14年〉6月20日)は、日本の経営者。明電舎社長、会長を務めた。群馬県前橋市出身。妻は聖心女子大学名誉教授・猪熊葉子。カトリック教徒。 1947年第一高等学校を卒業。1950年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に住友銀行に入行。1977年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1983年6月には明電舎副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格。1991年6月には会長も兼任、1992年6月に会長に専任し、1998年6月から相談役を務めた。 2002年6月20日呼吸不全のために死去。
杉浦 喬也(すぎうら たかや、1925年8月15日 - 20… 杉浦 喬也(すぎうら たかや、1925年8月15日 - 2008年1月16日 )は、日本の運輸官僚、実業家。第10代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1985年 - 1987年)。従三位勲一等。 東京市大森区で生まれ、4歳のとき父親が死亡し母親が美容師となって生計を立てた。東京府立電機工業学校(現在の東京都立産業技術高等専門学校)、旧制第一高等学校、東京大学経済学部卒業。1951年に運輸省へ入省。入省同期に、山地進(日本航空社長・会長、運輸省鉄道監督局長)、妹尾弘人(海上保安庁長官)などがいる。1969年鉄道監督局国鉄部財政課長に就任の後、国鉄部長になる。このころ自由民主党の有力な運輸族であった三塚博・加藤六月らと親しくなる。
遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1… 遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1月12日 - 1977年〈昭和52年〉5月4日)は、日本の官僚、実業家。妻は、遠藤マツ子。遠藤周作は、実弟。ペンネームは吹田紀夫。 鳥取県生まれ。1926年、父常久の転勤(第三国立銀行から安田銀行)で、一家で満洲関東州大連に移る。1935年6月23日、カトリック夙川教会聖テレジア大聖堂で主任司祭永田辰之助神父より兄弟で受洗。1933年、旧制灘中学校に入学。四修で第一高等学校に合格。1942年に東京帝国大学法学部を卒業し逓信省へ入省、1971年に電電公社理事、1973年に総務理事に就任。1977年2月に田村電機製作所社長に内定。趣味は、ゴルフ、観劇。
福田 敏南(ふくだ としなみ、1920年 - 没年不詳)は、… 福田 敏南(ふくだ としなみ、1920年 - 没年不詳)は、日本の学校経営者、学校法人福田学園(現・学校法人純真学園)理事長を長く務め、東和大学学長、純真女子短期大学学長なども歴任した。 父親は裁判官で、兄福田喜東と長姉福田昌子は後にそれぞれ衆議院議員となった。 1938年福岡県中学修猷館、1942年第一高等学校文科丙類を経て、東京帝国大学法学部在学中に満州へ出征して3年間のシベリア抑留を経験し、復員後は官僚となり、商工省(後の通商産業省)に入省した。1972年から1974年にかけて勤めた福岡通産局長を最後に通産省を退職し、1976年1月28日付で学校法人福田学園(現・学校法人純真学園)理事長および純真女子短期大学第二代学長となって、同年の第34回衆議院議員総選挙に福岡県第1区から出馬したが、落選した。
村上七郎(むらかみ しちろう、1919年〈大正8年〉9月14… 村上七郎(むらかみ しちろう、1919年〈大正8年〉9月14日 - 2007年〈平成19年〉9月18日)は、日本の実業家。テレビ新広島副社長、フジテレビジョン専務取締役、関西テレビ放送社長、日本民間放送連盟副会長などを務めた。 陸軍大将を務めた菅野尚一・ハルの七男に生まれる。東京で誕生後、山口県に転居(一部のプロフィールには山口県出身と明記)。末子であるため、学生時代に村上水軍の末裔である母方の血筋を継ぎ、村上健三の養子となる。第22代因島村上家当主。 第一高等学校を経て、1947年東京大学法学部卒業後、共同通信社に入社。社会部記者として出発し、同期にはのちにTBSニュースキャスターを経て参議院議員となる田英夫がいた。
栃内 一彦(とちない かずひこ、1914年(大正3年)8月2… 栃内 一彦(とちない かずひこ、1914年(大正3年)8月28日 - 2009年(平成21年)11月8日)は、昭和期の官僚、実業家。第10代海上保安庁長官。 東京府(現東京都)出身。第一高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学経済学部を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科に合格。大学卒業後、逓信省に入省し管船局に配属された。 1940年、短期現役海軍主計科士官(4期)を志願。同年5月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。同年9月に経理学校を卒業。摩耶に配属。佐世保海軍航空隊、佐世保鎮守府第一特別陸戦隊をへて、1942年(昭和17年)3月、主計大尉に昇進し、同年10月、セレベス島(現・スラウェシ島)のケンダリで第753海軍航空隊の主計長として勤務。
堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 20… 堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 2005年5月11日)は、日本の詩人、官僚、実業家。 埼玉県熊谷市生まれ。国鉄御徒町駅に勤めながら苦学して専門学校入学資格検定試験(専検)に合格し1934年 第一高等学校に入る。1940年、高等試験に合格。1941年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。大蔵省入省。管財局属。1959年、東京国税局総務部長。1960年、熊本国税局長。1961年、国税庁徴収部長。1962年調査査察部長、1964年、直税部長。1965年、原子燃料公団理事。1967年、動力炉核燃料事業団理事。1969年、忠勇社長。1975年、相談役。1976年、大阪証券金融社長。社業の傍ら、詩を書き、1978年「弾道」で日本詩人クラブ賞受賞。
吉山 博吉(よしやま ひろきち、1911年(明治44年)12… 吉山 博吉(よしやま ひろきち、1911年(明治44年)12月1日 - 2007年(平成19年)5月2日)は、日本の実業家、第4代日立製作所社長・会長、電気学会会長、環太平洋産業連関分析学会設立発起人等を歴任した。 山口県萩市に生まれた。旧制第一高等学校から東京帝国大学工学部電気工学科に進み、1935年(昭和10年)大学卒業と同時に日立製作所に入社した。入社後は主として重電畑を歩み、1952年(昭和27年)電機事業部技術部長となり、1961年(昭和36年)11月取締役、1964年(昭和39年)11月常務、1968年(昭和43年)5月専務、1969年(昭和44年)11月副社長などを経て1971年(昭和46年)11月社長に就任、1981年(昭和56年)6月に社長退任、会長に就任、1987年(昭和62年)6月に会長退任。
吉田 四郎(よしだ しろう、1910年9月 - 1997年1… 吉田 四郎(よしだ しろう、1910年9月 - 1997年12月18日)は、日本の実業家・技術者。旭硝子株式会社(現・AGC株式会社)で常務取締役を務め、戦後のブラウン管テレビ用ガラスの国産化および量産体制の確立に貢献。日本の高度経済成長を支えた素材産業の技術系経営者の一人である。 鳥取県八頭郡安井宿(現八頭町)に生まれ、鳥取県立鳥取中学校(旧制)、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学工学部応用化学科を卒業。 卒業後、旭硝子株式会社(現・AGC)に入社し、技術者としてガラス製造現場に携わる。1950年代、白黒テレビの急速な普及を背景に、テレビ用ブラウン管ガラス(バルブ)の国産化プロジェクトに参画。
山田 匡蔵(やまだ きょうぞう、あるいは山田耕雲、- こうう… 山田 匡蔵(やまだ きょうぞう、あるいは山田耕雲、- こううん、1907年3月18日 - 1989年9月13日)は、日本の実業家(日本油脂常務、東京顕微鏡院理事長)、禅指導者(三宝教団2代管長・正師家、耕雲軒山田円光禅心)。 1907年3月18日、山田脩(二本松町長・二本松製糸会社副社長)の次男として福島県二本松市に生まれる。 第一高等学校 (旧制)から東京帝国大学法学部に進む。在学中に高等文官行政科試験に合格。1930年に卒業。 千代田生命に入社するも長兄が亡くなり、家業を助けるため、妹の友人で小児科医の山田和江(旧姓:阿部)と結婚後、満州に渡り満州鉱山で人事課長となる。引き揚げ後鎌倉に居住。
岩本 常次(いわもと つねじ、1903年 <明治36年> 8… 岩本 常次(いわもと つねじ、1903年 <明治36年> 8月28日 - 1993年 <平成5年> 10月8日)は、日本の経営者。北海道電力社長を務めた。位階は従三位。 兵庫県出身。開成中学校や第一高等学校を経て、1927年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、同年に上毛電力に入社。片品川水系の丸沼発電所などの水力発電所の建設に携わる。 日本発送電への統合後は藤波収建設局長の下で九州や北海道での土木部長を務め、戦後は藤波の推薦を得て1951年9月に北海道電力に転じ理事・土木部長となり、1952年11月に取締役に就任。常務、副社長を経て、1966年5月に社長に就任した。1974年5月に会長に就任し、1983年6月に取締役相談役を経て、1985年6月から相談役を務めた。
小川 一平(おがわ いっぺい、1902年(明治35年)5月1… 小川 一平(おがわ いっぺい、1902年(明治35年)5月16日 - 1982年(昭和57年)8月8日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 政治家小川平吉の長男として長野県諏訪郡富士見村(現富士見町)に生まれる。東京高等師範付属小学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学政治学科卒業。昭和4年(1929年)三菱銀行に入行、同17年(1942年)に退社、同年戦時生活相談所常任理事に就任し、岡谷市に支所を設けて、首都圏から諏訪地方への工場疎開を推進した。 同21年(1946年)第22回衆議院議員総選挙に長野県から出馬し当選。同26年(1951年)後楽園スタヂアム取締役、同32年(1957年)常務、同42年(1967年)副社長、同46年(1971年)花月園観光社長を歴任した。
戸沢 盛男(とざわ もりお、1901年(明治34年)2月 -… 戸沢 盛男(とざわ もりお、1901年(明治34年)2月 - 1954年(昭和29年)7月12日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。佐賀県知事、陸軍司政官。 秋田県出身。戸沢清蔵の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1927年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。大阪毎日新聞社を経て、1929年、内務省に入省し、北海道庁属となる。 以後、北海道庁社会課長、香川県警察部特別高等警察課長、長崎県警察部特別高等警察課長、大阪府警察部経済保安課長、宮崎県書記官・警察部長、福島県書記官・警察部長、同県部長・警察部長、陸軍司政官、静岡県内務部長などを歴任。 1946年7月、佐賀県知事に就任。
高木 幹夫(たかぎ みきお、1899年3月21日 - 196… 高木 幹夫(たかぎ みきお、1899年3月21日 - 1966年8月14日)は、日本の実業家。元東京海上火災保険社長。 高木磯太郎の長男として、福岡県筑紫郡大野村牛頸(現・大野城市牛頸)に生まれる。1917年、福岡県立中学修猷館、1920年、第一高等学校英法科を経て、1923年、東京帝国大学法学部英法科を卒業し、東京海上火災保険に入社する。なお、東京帝国大学在学中の1922年には、高等文官試験行政科に合格している。 1924年から5年間、海上保険研究のため英国に留学し、将来の最高幹部の基礎を作った。1939年、大阪支店長に抜擢され、その後海上営業部長となる。1944年の明治火災保険、三菱海上火災保険との合併後も、海上部長、総務部長、取締役と進み、1947年1月、常務取締役となり、1957年6月、社長に就任する。
橋本 昂蔵(昻蔵、はしもと こうぞう、1898年(明治21年… 橋本 昂蔵(昻蔵、はしもと こうぞう、1898年(明治21年)4月10日 - 1970年(昭和45年)3月29日)は、日本の大蔵官僚、陸軍司政官、実業家。 鳥取県出身。第一高等学校、東京帝国大学法学部政治学科卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科に合格し、1922年、大蔵省に入省(主計局属)。戦時中にはシンガポールへの赴任や南方軍、昭南軍で部長職なども務めた。戦後、公職追放された。退官後は理研鍛造会社で社長や会長などを務めた。墓所は多磨霊園。
大塚 万丈(萬丈、おおつか ばんじょう、1896年11月24… 大塚 万丈(萬丈、おおつか ばんじょう、1896年11月24日 - 1950年3月8日)は、日本の実業家。元経済同友会代表幹事。発足直後の経済同友会において、「企業民主化試案」を取りまとめた。 愛媛県出身。旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部で岸信介元首相と同期であった。学生時代は剣道の達人として鳴らす。1920年卒業後、朝鮮銀行(現在のあおぞら銀行の前身行)に入行。1925年に、設立後間もない大阪野村銀行(現在のりそな銀行の前身行)に移る。銀座支店長、丸の内支店長などを歴任。 大阪野村銀行時代、理化学研究所所長の大河内正敏が、各種の発明を自主的に工業化する方針を打ち出すと、大塚はその意義を認め、積極的に融資を行った。
加藤 於兎丸(かとう おとまる、1896年(明治29年)7月… 加藤 於兎丸(かとう おとまる、1896年(明治29年)7月19日 - 1983年(昭和58年)8月11日)は、日本の内務・厚生官僚、実業家。官選県知事。 岐阜県益田郡下原村(現下呂市)出身。下原郷16ヶ村兼帯名主10代加藤三郎右衛門雅文の甥である加藤市兵衛の五男として生まれる。万延元年遣米使節随行員の加藤素毛と父の市兵衛とは従兄にあたる。 第一高等学校を卒業。1920年11月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し衛生局属となる。 以後、山口県・栃木県・大阪府・京都府・岡山県で勤務、内務省地方局地方債課長、同行政課長、同大臣官房会計課長などを歴任。
伊藤 武雄(いとう たけお、1894年〈明治27年〉12月1… 伊藤 武雄(いとう たけお、1894年〈明治27年〉12月13日 - 1966年〈昭和41年〉11月19日)は、日本の実業家。大阪商船社長を務めた。 1894年(明治27年)12月13日、名古屋市にて父・釤平、母・みやの長男として誕生。幼少期は陸軍経理部の軍人であった父に伴われて東京、岡山などで暮らした。1913年(大正2年)、旧制岡山中学校を卒業、旧制第一高等学校文科丙類に入学。1916年(大正5年)、同校を卒業、東京帝国大学法学部法律学科に入学。1918年(大正7年)、高等文官試験行政科に合格、翌1919年(大正8年)、東京帝国大学を卒業、大阪商船に入社。 大阪商船では遠洋課に属し、上海、ロンドン、シンガポールに駐在した。
早田 喜稔(そうだ よしとし、1894年〈明治27年〉6月1… 早田 喜稔(そうだ よしとし、1894年〈明治27年〉6月10日 - 1975年〈昭和50年〉4月12日)は、日本の実業家。帝国化学工業社長。族籍は東京士族。 東京府出身。佐賀県士族で内務省土木技師の早田喜成の長男。1912年、東京府立第一中学校を卒業。1913年、家督を相続。 1915年、第一高等学校を卒業。1918年、東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業。新田ベニヤ製造所重役を経て1935年、帝国化学工業を創立。 趣味は読書、打球、テニス、ゴルフ。宗教は曹洞宗。住所は東京府東京市大森区(現・東京都大田区)田園調布。 早田家は代々の佐賀藩士で、父祖は槍術指南役を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
山岡 慎一(やまおか しんいち、1894年(明治27年)1月… 山岡 慎一(やまおか しんいち、1894年(明治27年)1月19日 - 没年不明。旧字体:山岡愼一)は、日本の陸上競技選手(短距離走)、実業家。東京帝国大学在学中に1920年アントワープオリンピックに出場した。 山岡清直の長男として、京都府に生まれる。東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学工学部に入学。 在学中に1920年アントワープオリンピックの男子100m・200m走に出場。男子100mは8組4着で記録なし、男子200mは1組4着の23秒9でいずれも予選落ちに終わった。 1922年(大正11年)同大を卒業し、1924年(大正13年)父の経営する高野捺染工業所に入り、翌年取締役に就任。
高垣 勝次郎(たかがき かつじろう、1893年10月26日 … 高垣 勝次郎(たかがき かつじろう、1893年10月26日 - 1967年4月30日)は、日本の実業家。 旧三菱商事最後の社長で、戦後財閥解体された三菱商事を再興し初代社長も務めた。広島県尾道市出身。東京銀行の最後の頭取及び東京三菱銀行の初代頭取を務めた高垣佑は息子。 第一高等学校から1918年、東京帝国大学法学部を卒業後、新設された三菱商事に入社。ロンドン支店他、上海支店長、新京支店長、ハルビン支店長など、大半を大陸で過ごし三井物産に引けを取らない業績を上げた。1944年取締役、満州で終戦を迎え1946年帰国。同年常務取締役、翌1947年同社代表取締役社長就任。しかしGHQによる解散命令(財閥解体)を受け同社清算人となる。
実吉 雅郎(さねよし まさお、1893年(明治26年)6月2… 実吉 雅郎(さねよし まさお、1893年(明治26年)6月25日 - 1967年(昭和42年)9月4日)は東京都出身の実業家。日揮の創業者。 学習院初等科・中等科、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒業。卒業後、株式会社横浜正金銀行(現在三菱東京UFJ銀行)、株式会社島商店を経て、1928年(昭和3年)10月25日に日揮株式会社の前身日本揮発油株式会社を創立。 1928年(昭和3年)10月から1966年(昭和41年)5月まで社長を務めたのち会長に就任。翌1967年(昭和42年)9月4日病気のため急逝(享年74)。 その後、遺産を寄附し、日揮・実吉奨学会前身の実吉奨学会を、1968年(昭和43年)、人材の育成と科学・技術の発展に貢献するため、理工系の学科を専攻する大学生・大学院生に対する奨学金の貸与(日本の学生対象)ならびに給与(日本国外から日本国内の学校への留学生のみを対象)、および、若手研究者への研究費助成を行うことを目的として、設立した。
黒川 武雄(くろかわ たけお、1893年3月5日 - 197… 黒川 武雄(くろかわ たけお、1893年3月5日 - 1975年3月8日)は、日本の実業家、政治家。位階は正三位。虎屋15代当主、参議院議員(3期)、厚生大臣(第19代)。旧姓は福田。 熊本県出身。製菓業、虎屋・黒川家の養子となる。第一高等学校を経て、1917年(大正6年)、東京帝国大学法学部英法科を卒業し、第一銀行に入社。1919年(大正8年)、家業に専念し虎屋店主、さらに同会長を務め、東京和生菓子商工業協同組合理事長、全国生菓子協会会長となる。 1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙に東京地方区で日本自由党から出馬し当選。のち自由党、自由民主党に所属。第3回、第5回参議院議員通常選挙で再選され3期務め、1965年(昭和40年)7月、第7回参議院議員通常選挙には出馬せず引退した。
小林 光政(こばやし みつまさ、1892年(明治25年)1月… 小林 光政(こばやし みつまさ、1892年(明治25年)1月13日 - 1962年(昭和37年)7月9日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事、読売新聞社専務取締役。 栃木県下都賀郡絹村延島(現小山市)出身。小林長蔵の長男として生まれた。第一高等学校を卒業。1916年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1917年3月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し警視庁警部となる。 以後、警視庁警視、同特別高等課長、兼警察講習所教授、朝鮮総督府事務官、台湾総督府事務官・警務局保安課長、警視庁書記官・官房主事、内務省警保局勤務、福岡県内務部長、埼玉県書記官・内務部長などを歴任。
坂口 忠次(さかぐち ちゅうじ、1890年12月3日 - 没… 坂口 忠次(さかぐち ちゅうじ、1890年12月3日 - 没年不詳)は、日本の鉄道官僚、実業家。 坂口貫太郎の長男として福岡市東中洲町に生まれる。1910年福岡県立中学修猷館、1914年7月第一高等学校英法科を経て、1917年7月東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。高等文官試験行政科に合格する。 鉄道院に入省し、鉄道省事務官兼参事官、鉄道大臣秘書官を務め、欧米各国に留学後、鉄道局参事となり、仙台鉄道局庶務課長、鉄道省監督局業務課長・総務課長、大臣官房人事課長、広島鉄道局長、東京鉄道局長、鉄道監督官を歴任し、1940年退官する。その後、西武鉄道(旧)社長を務めた。
宮原 幸三郎(みやはら こうざぶろう、1890年(明治23年… 宮原 幸三郎(みやはら こうざぶろう、1890年(明治23年)1月22日 - 1966年(昭和41年)9月30日)は、大正から昭和期の内務官僚、実業家、政治家。衆議院議員。旧名・顕三。父は衆議院議員の宮原幸三郎。 広島県安芸郡、のちの呉市胡町で先代宮原幸三郎の長男として生まれる。第一高等学校を経て、1916年(大正5年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 内務省に入省し、長野県属、同県下高井郡長、和歌山県伊都郡長、熊本県理事官、帝都復興院事務官兼書記官、内務省復興局書記官、兵庫県理事官などを歴任し、1928年(昭和3年)に退官した。 1935年(昭和10年)呉市助役に就任。
明石 和衛(あかし かずえ、1888年(明治21年)8月30… 明石 和衛(あかし かずえ、1888年(明治21年)8月30日 - 1956年(昭和31年)5月6日)は、日本の機械工学者(精密工学)、実業家。東京帝国大学卒業後、明石製作所を創業。工学博士となり、精密工学会会長を務めた。 日本の陸上競技黎明期に短距離走・中距離走・走幅跳の選手として活躍したほか、昭和初期にはゴルフに傾倒してゴルフコースの設計を行うなど、スポーツの世界にも足跡を残した。 東京生まれ。第一高等学校から東京帝国大学に進む。1913年(大正2年)東京帝国大学工科大学機械工学科を卒業。「恩賜の銀時計」を受け、大学院特選給費学生として母校に残った。 学生時代には陸上競技選手として活躍。一高在学時、英米の陸上競技書を多数読んで練習に活かしたという。
寺井久信(てらい ひさのぶ、1887年〈明治20年〉11月1… 寺井久信(てらい ひさのぶ、1887年〈明治20年〉11月15日 - 1958年〈昭和33年〉11月30日)は、昭和期の実業家。和歌山県日高郡志賀村(現・日高町)出身。 1909年(明治42年)第一高等学校英法科卒業。1913年(大正2年)、東京帝国大学法科大学経済科を卒業して日本郵船に入社。ロンドン支店副長、カルカッタ支店長、上海支店長、貨物課長などを務める。1935年(昭和10年)依願退職し、南洋海運の専務取締役に就任。1938年(昭和13年)日本郵船副社長に就任、1942年(昭和17年)社長に就任、1946年(昭和21年)まで務めた。 戦後、公職追放となり、1951年追放解除、同年日本郵船相談役。
三村 起一(みむら きいち、1887年8月15日 - 197… 三村 起一(みむら きいち、1887年8月15日 - 1972年1月28日)は、日本の実業家。住友鉱業(現住友金属鉱山)初代社長、石油開発公団初代総裁などを歴任。 東京・銀座尾張町出身。実父の山口慎、養父の三村直ともに旧信濃上田藩士。第一高等学校を経て、1914年(大正3年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、同年に大阪の住友総本店に入社する。住友伸銅所勤務を経て、1919年(大正8年)~1921年(大正10年)欧米出張。1931年(昭和6年)住友伸銅鋼管取締役、1932年(昭和7年)住友別子鉱山常務、専務を経て、1941年(昭和16年)住友鉱業(現住友金属鉱山)初代社長兼住友本社理事。この間、住友機械製作(現住友重機械工業)、大日本産業報国会理事などの役員を兼務。
吉村 哲三(よしむら てつぞう、1887年(明治20年)3月… 吉村 哲三(よしむら てつぞう、1887年(明治20年)3月10日 - 1967年(昭和42年)3月1日)は、日本の内務官僚、実業家。政友会系官選県知事、鳥取市長、鳥取銀行頭取。 現在の鳥取市立川町出身。第一高等学校を卒業。1911年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。日本銀行に入るが三カ月で退職。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1913年、内務省に入省し東京府属となる。 以後、鳥取県八頭郡長、宮城県理事官、内務事務官・大臣官房都市計画課勤務、同都市計課長兼鉄道書記官、兼土木局河川課長などを歴任し、1924年、大阪府書記官・内務部長に就任。 1927年11月、青森県知事に就任。
渋沢 武之助(しぶさわ たけのすけ、1886年〈明治19年〉… 渋沢 武之助(しぶさわ たけのすけ、1886年〈明治19年〉12月26日 - 1946年〈昭和21年〉6月4日)は、日本の実業家。子爵・渋沢栄一の二男。族籍は東京府平民。 渋沢栄一の二男で、渋沢正雄、渋沢秀雄の兄、渋沢篤二の弟、渋沢敬三、渋沢信雄、渋沢智雄の叔父。第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学に学んだが、病を得て半途退学し実業界に入った。 石川島飛行機製作所社長、国産電機相談役、国際産業、十勝開墾、仏国通商、浅野セメント各取締役、日本醋酸製造、大島製鋼、渋沢同族、浅野セメント、東京石川島造船所各監査役、帝国飛行協会理事などをつとめた。 1914年、分家した。趣味は運動。住所は東京市滝野川区西ヶ原町。
清水 収吉(しみず しゅうきち、1885年(明治18年)8月… 清水 収吉(しみず しゅうきち、1885年(明治18年)8月 - 1967年(昭和42年)8月5日)は、明治末期から昭和にかけて活動した日本の官僚、実業家。逓信官僚から実業界に転じて東邦電力副社長や四国配電社長を務めた。岐阜県出身。 清水収吉は、1885年(明治18年)8月、岐阜県の田中清兵衛の次男として生まれた。1906年(明治39年)7月東京の第一高等学校第一部英法科を卒業。次いで1910年(明治43年)7月東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。その後清水やすの養子となり、清水家を相続する。 大学卒業後はただちに逓信省へ入省した。同年の文官高等試験に合格し、翌1911年(明治44年)12月高等官に叙され逓信管理局事務官補に任ぜられる。
鷲尾 勇平(わしお ゆうへい、別名:鷲尾 雅史、1883年〈… 鷲尾 勇平(わしお ゆうへい、別名:鷲尾 雅史、1883年〈明治16年〉12月10日 - 1952年〈昭和27年〉9月10日)は、日本の紡績技術者、実業家。日清紡績第3代社長。 新潟県新潟市本町通14番町(現 新潟市中央区本町通14番町)の鷲尾甚平の長男として出生。 1901年(明治34年)3月に新潟中学校を卒業、1904年(明治37年)7月に第一高等学校を卒業、1908年(明治41年)7月に東京帝国大学工科大学機械工学科を卒業。 1908年(明治41年)9月に日清紡績に技師として入社、見習生、主任を経て、1915年(大正4年)12月に高岡工場長に就任、1917年(大正6年)2月から東京紡績の創立とともに工務部長として工場建設に従事。
池田 長康(いけだ ながやす、1883年(明治16年)7月2… 池田 長康(いけだ ながやす、1883年(明治16年)7月24日 - 1962年(昭和37年)5月23日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。旧姓・千坂。 本籍・岡山県。内務官僚・千坂高雅の六男として生まれ、男爵・池田長準の養子となる。養父の死去に伴い、1913年(大正2年)4月10日、男爵を襲爵した。 第一高等学校を経て、1911年(明治44年)7月、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年、三井銀行に入行。以後、日本鉄工取締役、富士護謨工業取締役、山城銀行頭取、桑船銀行取締役、萩電灯取締役などを務めた。 1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した。
矢吹 省三(やぶき しょうぞう / せいぞう、1883年(明… 矢吹 省三(やぶき しょうぞう / せいぞう、1883年(明治16年)7月23日 - 1950年(昭和25年)12月27日)は、明治末から昭和前期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。 東京府出身。旧幕臣・陸軍中将、矢吹秀一の三男として生まれる。旧制第一高等学校を経て、1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。父の死去に伴い1910年(明治43年)1月19日、男爵を襲爵。 横浜正金銀行書記、富士生命保険 (株) 取締役、東京タクシー自動車 (株) 取締役、東京貿易 (株) 社長などを務めた。 1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され公正会に属して活動した。
関口 寿(關口 壽、せきぐち ひさし、1882年〈明治15年… 関口 寿(關口 壽、せきぐち ひさし、1882年〈明治15年〉11月21日 - 没年不詳)は、明治末期から昭和戦前期にかけて活動した日本の電気技術者、実業家。逓信省の技官を経て実業界入りし、大阪電灯技師長や大同電力常務取締役、日本揮発油(現・日揮ホールディングス)初代専務取締役などを務めた。 関口寿は1882年(明治15年)11月21日、東京府関口慶吉の長男として生まれた。1901年(明治34年)7月東京の第一高等学校第二部工科を卒業、次いで1904年(明治37年)7月東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業する。卒業後は逓信省に入り通信技手となる。翌年時点の職員録には逓信省通信局所属の通信技手とある。
高柳 淳之助(たかやなぎ じゅんのすけ、1882年〈明治15… 高柳 淳之助(たかやなぎ じゅんのすけ、1882年〈明治15年〉10月16日 - 1964年〈昭和39年〉11月17日)は、日本の実業家、政治家、著述家、詐欺師。筆名に高柳 曲水(-きょくすい)、翠崖(-すいがい)、鬼外(-きがい)などがある。 実業家としては「鉄道に賭けた男」、「通販史上に輝く巨星」、「今でいう企業再生ファンドのような・・・」などと、その創造力や先見性が注目された。その一方で、蓄財書を出版して投資家を集めるなか池上電気鉄道事業で詐欺・横領などの容疑で逮捕され、「貯金魔」「虚業家」などと呼ばれた。 1882年(明治15年)、茨城県行方郡要村(現在の行方市小幡)に生まれる。同村の旧制要小学校(後の行方市立要小学校)を卒業し、茨城県立尋常中学校(旧制茨城県立水戸中学校→茨城県立水戸第一高等学校)に入学。
加勢 清雄(かせい きよお / かせ きよお、1882年〈明… 加勢 清雄(かせい きよお / かせ きよお、1882年〈明治15年〉7月13日 - 1971年〈昭和46年〉11月24日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。 現在の山形県米沢市出身。加勢清隆の二男、あるいは三男。第一高等学校を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1911年、内務省に入省し秋田県警視となる。 以後、秋田県事務官、新潟県事務官、埼玉県警察部長、新潟県警察部長、愛知県内務部長、福岡県書記官・内務部長、北海道庁土木部長などを歴任。 1926年9月、宮崎県知事に就任。日向カボチャの宣伝を行った。1927年5月、高知県知事に転任。
山岡 国利(やまおか くにとし、1882年〈明治15年〉2月… 山岡 国利(やまおか くにとし、1882年〈明治15年〉2月 - 1945年〈昭和20年〉3月25日)は、日本の内務・農商務官僚、実業家。官選県知事。旧姓・奥、旧名・堅次。 鹿児島県川内市(薩摩川内市)出身。奥斎之助の二男として生まれた。1900年(明治33年)、山岡国吉の養子となり、1930年(昭和5年)、名を国利と改名。 第一高等学校を首席で卒業。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し山形県属となる。 以後、警視庁方面監察官、農商務大臣秘書官兼農商務省参事官、同省山林局書記官、同事務官、三重県警察部長、福岡県警察部長、兵庫県警察部長、内務省土木局河川課長などを歴任。
長 延連(ちょう のぶつら、1881年〈明治14年〉8月4日… 長 延連(ちょう のぶつら、1881年〈明治14年〉8月4日 - 1944年〈昭和19年〉4月21日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事、警視総監。 静岡県敷知郡浜松常盤町(浜名郡浜松町大字常盤を経て現浜松市中央区常盤町)出身。長唯連の二男として生まれる。第一高等学校を経て、1907年に京都帝国大学法科大学を卒業。文部省に入り普通学務局属となる。1908年11月、文官高等試験行政科試験に合格。文部省普通学務局第三課長を務める。 内務省に移り、香川県事務官、高知県事務官・警察部長、山梨県警察部長、福岡県警察部長兼港務部長、大分県・山口県・京都府の各内務部長などを歴任。 1922年6月、岡山県知事に就任。
渡辺 三郎(渡邊 三郎、わたなべ さぶろう、1880年(明治… 渡辺 三郎(渡邊 三郎、わたなべ さぶろう、1880年(明治13年)12月2日 - 1951年(昭和26年)1月8日)は、日本の工学者、実業家、政治家。工学博士、貴族院勅選議員。旧姓・大河原。「特殊鋼」の命名者。 群馬県碓氷郡松井田駅(現安中市)で、商業・大河原新七、野恵夫妻の三男として生まれる。松井田町尋常高等小学校、群馬尋常中学校、第一高等学校工科を経て、1907年(明治40年)6月、東京帝国大学工科大学採鉱冶金学科を卒業。 大学卒業後、古河鉱業所 (株)(現古河機械金属)に入社し足尾鉱業所精錬課溶鋼係長に就任。1908年(明治41年)6月、実業家・渡辺福三郎、多満子夫妻の五女で従姉妹の那べと入夫縁組して渡辺と改姓。
桜木 亮三(櫻木 亮三、さくらぎ りょうぞう、1880年〈明… 桜木 亮三(櫻木 亮三、さくらぎ りょうぞう、1880年〈明治13年〉2月6日 - 1955年〈昭和30年〉11月7日)は、大正から昭和にかけて活動した日本の実業家。主として電気事業に関与し、東邦電力常務、中央電力会長(前身の三河水力電気では社長)、伊那電気鉄道社長などを務めた。また1920年代の一時期に福岡市会議員にもなっている。佐賀県出身。 桜木亮三は、1880年(明治13年)2月6日、佐賀県士族吉岡卯八の三男として生まれた。1897年(明治30年)より絶家の桜木家を再興して桜木姓を称する。1901年(明治34年)7月東京の第一高等学校第一部法科(英法)を卒業、次いで1906年(明治39年)7月東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。
吉野 小一郎(よしの こいちろう、1879年(明治12年)5… 吉野 小一郎(よしの こいちろう、1879年(明治12年)5月1日 - 1948年(昭和23年)6月20日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。神奈川県津久井郡吉野町長。 吉野十郎の長男として神奈川県津久井郡吉野駅(吉野町、藤野町、相模原市を経て現同市緑区吉野)に生まれ、1900年(明治33年)12月、家督を相続する。学習院から第一高等学校を経て、1906年(明治39年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、台湾銀行に入行。同行秘書課勤務・助役補を務めた。 1931年(昭和6年)奉天にて事業を興し、満州中央銀行の創立に関わり、奥地開発や日満経済の連携に尽くした。また、醸造酒販売会社を設立し日本酒の中国進出を行った。
岡本 櫻(おかもと さくら、1878年〈明治11年〉4月3日… 岡本 櫻(おかもと さくら、1878年〈明治11年〉4月3日 - 1935年〈昭和10年〉2月22日)は、日本の実業家。東邦瓦斯初代社長。「ガス王」とも称された。 兵庫県大書記官であった父、岡本貞の次男として兵庫県神戸町(現:神戸市)に生を受けた。同志社普通部・第一高等学校に進む。帝国大学工科大学(現:東京大学工学部)応用化学科卒業。このときの卒業論文である「セルロイドについて」は『工業化学雑誌』に連載されたという。1903年(明治36年)に東京瓦斯に入社するも、翌1904年(明治37年)には大阪瓦斯に移り、ここで外国人技師長であったミラーより最新技術を学んだ。1906年(明治39年)名古屋瓦斯設立に際して、同社に技師長として入社。
本間 利雄(ほんま としお、1877年(明治10年)3月3日… 本間 利雄(ほんま としお、1877年(明治10年)3月3日 - 1970年(昭和45年)2月2日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。 山形県出身。酒田本間家の一族、本間東三郎の長男として生まれる。東京外国語学校を経て第一高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業し大学院に進んだ。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し富山県属となる。 以後、富山県事務官、同理事官、島根県警察部長、愛媛県警察部長、広島県警察部長、警視庁官房主事、同高等警察課長、兵庫県内務部長などを歴任。 1922年10月、長野県知事に就任。ブラジル移民の推進、郡制廃止への対応、中等学校の整備、道路網の改良などを推進。
馬渡 俊雄(まわたり としお、1876年(明治9年)12月1… 馬渡 俊雄(まわたり としお、1876年(明治9年)12月14日 - 1946年(昭和21年)2月1日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。旧姓・加藤。 東京府豊多摩郡淀橋町で加藤弘之の三男として生まれる。1885年7月、佐賀藩の家老諫早一学の家臣で、判事や弁護士を務めた馬渡俊猷の養子となる。第一高等学校を経て、1901年9月、東京帝国大学法科大学政治学科に入学。1905年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1906年、東京帝大を卒業し内務省に入省、愛知県属となる。 以後、滋賀県事務官、大阪府事務官、山口県事務官・警察部長、福岡県事務官・警察部長、神奈川県警察部長、和歌山県内務部長、新潟県内務部長などを歴任。
佐竹 義文(さたけ よしふみ / よしぶみ、1876年(明治… 佐竹 義文(さたけ よしふみ / よしぶみ、1876年(明治9年)11月4日 - 1952年(昭和27年)12月28日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。 後の東京市四谷区四谷舟町(現新宿区舟町)出身。佐竹万三の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1903年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。逓信省に入省し管船局属となる。1905年、内務省に転じ神奈川県属に就任した。 1906年、福井県事務官となる。以後、岡山県事務官・第二部長、山梨県事務官・警察部長、鹿児島県事務官・警察部長、奈良県事務官・内務部長、滋賀県内務部長、福岡県内務部長などを歴任。
河合 亀太郎(かわい かめたろう、1876年6月8日 - 1… 河合 亀太郎(かわい かめたろう、1876年6月8日 - 1959年7月19日)は、日本の薬学博士、実業家、薬剤師。肝油ドロップの創製者でもある。 静岡県豊田郡中瀬村(現浜松市浜名区中瀬)で河合八蔵の子として生まれ、1888年に豊田郡下野部村(現磐田市下野部)にある野部小学校(現磐田市立豊岡北小学校)を卒業する。その後、将来は官吏になる夢を描いていたが、父親の病死のために16歳の時に官吏になる夢を諦めて中学を中退する。中学を中退した後は、東京薬学校(現東京薬科大学)に入学する。1893年には東京薬学校(現東京薬科大学)を首席で卒業し薬剤師となり、北里研究所に入り第一高等学校教授の助手をつとめた。
斯波 孝四郎(しば こうしろう、1875年(明治8年)1月2… 斯波 孝四郎(しば こうしろう、1875年(明治8年)1月24日 ‐ 1971年(昭和46年)6月13日)は、日本の実業家、技術者。妻・アイ子は白根専一の娘。 元加賀藩家老斯波蕃の次男として石川県金沢市に生まれる。第一高等学校を経て、1899年(明治32年)東京帝国大学工科大学造船科を卒業。同年三菱造船株式会社に入社。長崎造船所所長、三菱造船常務を務め、1934年(昭和9年)、三菱造船と三菱航空機を統合して三菱重工業を発足させその初代会長に就任した。1942年(昭和17年)に三菱重工業会長を退任し、造船統制会会長に就任、1945年(昭和20年)まで務めた。 第二次世界大戦後はGHQにより公職追放[要出典]。