川上 哲治(かわかみ てつはる(現役時代は「てつじ」)、19… 川上 哲治(かわかみ てつはる(現役時代は「てつじ」)、1920年3月23日 - 2013年10月28日)は、熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身のプロ野球選手・監督、野球解説者。
1920年(大正9年)生まれ:687人
川上 哲治(かわかみ てつはる(現役時代は「てつじ」)、19… 川上 哲治(かわかみ てつはる(現役時代は「てつじ」)、1920年3月23日 - 2013年10月28日)は、熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身のプロ野球選手・監督、野球解説者。
猿橋 勝子(さるはし かつこ、1920年3月22日 - 20… 猿橋 勝子(さるはし かつこ、1920年3月22日 - 2007年9月29日)は、日本の地球科学者である。専門は地球化学。海洋放射能の研究などで評価された。東邦大学理事・客員教授を歴任。東京生まれ。 東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)を経て、帝国女子理学専門学校(現・東邦大学理学部)を卒業。中央気象台研究部(現・気象庁気象研究所)で三宅泰雄の指導を受けた。1954年のビキニ事件におけるいわゆる「死の灰」による大気・海洋汚染の研究以後、三宅と大気及び海洋の放射能汚染の調査研究を行い評価された。その研究成果は1963年の部分的核実験禁止条約成立に繋がった。 1957年、東京大学理学博士「天然水中の炭酸物質の行動について」。
黒田 能行(くろだ よしゆき、1920年3月22日 - 20… 黒田 能行(くろだ よしゆき、1920年3月22日 - 2014年5月10日)は、元衆議院決算委員会(現・決算行政監視委員会)調査室長、元衆議院国家公務員労働組合委員長。1947年、第001回国会予算委員会で書記として任命されて以来、戦後日本の財政経済の調査に尽力した。また、高橋正雄(経済学者)のもとで政治思想を学び、社会運動家としても活動した。位階は従四位。 1920年、大日本帝国陸軍の陸軍中将・フィリピン方面軍司令官であった黒田重徳の長男として福岡県に生まれる。母方の祖父は南部式拳銃を開発した南部麒次郎。幼少期に東京府に移り、成蹊小学校に入学。父親は不在が多く、母親・春子の女手ひとつで育てられる。
岸田 純之助(きしだ じゅんのすけ、1920年3月22日 -… 岸田 純之助(きしだ じゅんのすけ、1920年3月22日 - 2012年9月25日)は、日本の科学ジャーナリスト。 鳥取県出身。東京帝国大学第一工学部卒業。大日本帝国海軍で航空機設計に従事。1946年朝日新聞社に入社。『科学朝日』編集部員、論説委員を経て、1977年論説主幹。1985年日本総合研究所 (財団法人) 会長。1994年日本科学技術ジャーナリスト会議会長。日本原子力文化振興財団監事、日本総合研究所名誉会長。 2012年9月25日、肺炎のために死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
神尾 秀雄(かみお ひでお、1920年3月21日 - 200… 神尾 秀雄(かみお ひでお、1920年3月21日 - 2008年10月28日)は、日本の実業家。トヨタ自動車元副社長。千代田火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)元会長。トヨタ中興の祖である豊田英二最高顧問の懐刀と言われた。2013年時トヨタ広報部長の神尾隆は甥。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小巻 敏雄(こまき としお、1920年3月21日 - 199… 小巻 敏雄(こまき としお、1920年3月21日 - 1990年6月16日)は日本の教育者、政治家。元参議院議員(日本共産党公認)。 京都府与謝郡加悦町(現・与謝野町)生まれ。1944年、早稲田大学文学部卒業。その後、1947年に、京都府立宮津中学校(現・京都府立宮津高等学校)で、1951年に大阪府立生野高等学校でそれぞれ勤務する。生野高等学校時代に、大阪府立高校教職員組合の執行委員長に就任。委員長には1973年まで在職した。1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区から出馬し初当選を果たす。当選1回。党内では文教委員などを歴任した。1980年の第12回参院選に立候補したが落選した。 1990年6月16日、心筋梗塞のため奈良県奈良市の県立奈良病院で死去。
永山 光幹(ながやま こうかん、本名:茂、1920年3月21… 永山 光幹(ながやま こうかん、本名:茂、1920年3月21日 - 2010年3月22日)は、日本の刀剣研師。人間国宝(重要無形文化財保持者)。 神奈川県中郡相川村(現・厚木市)出身。1934年(昭和9年)、刀剣研磨、鑑定家の大家である本阿彌光遜に入門。1941年(昭和16年)に招集され、歩兵第49連隊に入営、中国へ出征する。現地でも軍刀研磨に従事。1946年(昭和21年)に復員し、本阿彌に再入門。 1955年(昭和30年)に本阿彌家免許皆伝。財団法人日本美術刀剣保存協会主催研磨技術等発表会において無鑑査、同審査員。翌年、神奈川県平塚市で研磨業を開業。1961年(昭和36年)6月、日本美術刀剣保存協会貴重刀剣審査員、同研磨技術等講習会講師。
樋笠 一夫(ひがさ かずお、1920年3月20日 - 200… 樋笠 一夫(ひがさ かずお、1920年3月20日 - 2007年6月17日)は、香川県坂出市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。
寺西 春雄(てらにし はるお、1920年3月20日-2003… 寺西 春雄(てらにし はるお、1920年3月20日-2003年6月22日)は、日本の音楽評論家である。 兵庫県出身。1944年、慶應義塾大学経済学部卒。野村光一らの指導を受け、1944年『音楽評論』に寄稿。戦後「子供のための音楽教室」設立に参加、のち桐朋学園大学教授。日本フィルハーモニー交響楽団事務局長。日ソ音楽家協会会長。
北 廉太郎(きた れんたろう、1920年(大正9年)3月20… 北 廉太郎(きた れんたろう、1920年(大正9年)3月20日 - 1940年(昭和15年)9月15日)は昭和期の歌手。 現在の山形県鶴岡市出身。 1936年(昭和11年)タイヘイレコードから紀多寛として「男の涙」でデビュー。ポリドールレコード移籍と共に瀧廉太郎をもじった北廉太郎に改名。 「潮来夜船」の大ヒットで知られ、他にも「青春の丘」、「出船の唄」、「追憶の馬車」、「シナの町」、「ヴォルガ旅愁」などヒット曲多数。アイドル歌手として人気を得たが、1940年(昭和15年)、白血病で急逝。享年20。 後に2代目北廉太郎の名前でポリドールよりデビューした小川耕平がいる。 ビクターから「雨の夜船」でデビューした後、ポリドールに移籍。
豊島 一(とよしま はじめ、1920年〈大正9年〉3月20日… 豊島 一(とよしま はじめ、1920年〈大正9年〉3月20日 - 1944年〈昭和19年〉8月5日)は、日本の海軍軍人、戦闘機搭乗員。最終階級は三等飛行兵曹。第57期普通科信号術練習生、丙飛7期卒業。 第二次世界大戦でのオーストラリアにおける日本兵捕虜第一号であり 、カウラ事件(日本兵脱走事件)の中心的人物でもある。 香川県三豊郡勝間村(三豊市高瀬町)出身。農家、豊島元兵衛とコマツの三男として生まれる。勝間尋常小学校(現三豊市立勝間小学校)、高等科、青年訓練所を経て戦闘機搭乗員を志し1938年(昭和13年)、佐世保海兵団に入団。普通科信号術練習生、長良乗組、陸戦隊、千歳・加賀乗組を経て、第五十六期操縦練習生に合格。
奥田 鑛一郎(おくだ こういちろう、1920年(大正9年)3… 奥田 鑛一郎(おくだ こういちろう、1920年(大正9年)3月19日 - 1995年(平成7年)3月17日)は、日本の会社経営者(三宅坂経営よろず相談所主宰、梁山泊・三宅坂倶楽部会長)、著述業、元陸軍軍人および陸上自衛官。陸士53期卒(歩兵)。最終階級は陸軍少佐、二等陸佐。旧名:奥田重武。 福島県会津若松市出身。奥田重栄少将の四男。ペンネームの「鑛一郎」は祖父の名で、家憲により1978年ごろ襲名した。 父の予備役編入に伴い京都市で育ち、京都府立第六中学より東京幼年学校を経て陸士53期卒。原隊は歩兵第9連隊。当時の第16師団長は石原莞爾であった。連隊旗手を拝命後、下志津陸軍飛行学校にて特別偵察学生としての訓練を受け、1941年6月、参謀本部課員として南方での空中偵察に従事。
達ノ里 寿弥(だてのさと としや、1920年3月19日 - … 達ノ里 寿弥(だてのさと としや、1920年3月19日 - 没年不明)は、北海道夕張市出身の元大相撲力士。振分部屋→玉ノ井部屋→振分部屋所属。本名は工藤 寿弥(くどう としや)。最高位は西十両5枚目。得意技は投げ、捻り。 振分部屋に入門し、1936年1月場所に初土俵を踏む。1941年1月場所に十両に昇進。再十両の1943年5月場所に応召される。1946年11月場所に復帰するが、その後は十両の地位にあるも勝ち越すことなく1947年11月場所に27歳で廃業した。非常に柔軟な体格で足腰も良く、軽量だが投げや捻りを駆使した激しい取り口が持ち味のの相撲巧者であった。
保田 隆芳(やすだ たかよし、1920年3月18日 - 20… 保田 隆芳(やすだ たかよし、1920年3月18日 - 2009年7月1日)は、日本の騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会(JRA))、調教師(日本中央競馬会)。 1936年に騎手デビュー。10代の頃から名門・尾形藤吉厩舎の主戦騎手として頭角を現し、数々の大競走を制する。1958年、アメリカ遠征を機に、従来の日本では見られなかったアメリカ式のモンキー乗りを習得し、日本における騎手の騎乗フォームに大きな変革をもたらしたことから、モンキー乗りの先駆者とされている。1959~1961年、中央競馬全国リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)。1963年、中央競馬史上初の通算1000勝を達成。
小坂 雄太郎(こさか ゆうたろう、1920年3月18日 - … 小坂 雄太郎(こさか ゆうたろう、1920年3月18日 - 1990年8月21日)は、日本の経営者。信越化学工業創業者小坂順造の甥で、信越化学工業社長を務めた。勲二等瑞宝章受章。 長野県上水内郡柳原村(現長野市)出身。地元の地方財閥の信越化学工業創業家小坂一族に生まれる。旧制長野中学・旧制松本高校を経て、1943年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業。海軍技術大尉を経て、1945年に信越化学工業に入社。 取締役、常務を経て、1975年8月に専務に就任し、1983年8月に社長に昇格。 1990年8月21日、肝不全のために死去。70歳没。同日勲二等瑞宝章受章。従兄に小坂善太郎、小坂徳三郎、従弟に小坂健介(信濃毎日新聞社社長)、岳父に舞出長五郎がいる。
内村 剛介(うちむら ごうすけ、1920年3月18日 - 2… 内村 剛介(うちむら ごうすけ、1920年3月18日 - 2009年1月30日)は、日本のロシア文学者、評論家。文芸誌『(第2次)同時代』同人。本名、内藤操。 栃木県那須郡境村大字大木須(烏山町を経て現・那須烏山市大木須)で零落した百姓の次男として生まれる。中学進学を断念させられて自らの意志で、1934年高等小学校卒業と同時に満州に渡る。満鉄育成学校に入学したのち、転校先の旧制大連第二中学校を経て、1940年ハルピン学院に入学してロシア語を学び、1943年同校を繰上卒業。同年、結婚するも束の間のうちに関東軍総司令部へ徴用される。 敗戦後の混乱の中でソ連のゲー・ペー・ウーにスパイ容疑で逮捕された後、イルクーツクやモスクワの監獄(ラーゲリ)につながれて11年余りの長きにわたって独房生活を送った。
土居 健郎(どい たけお、1920年3月17日 - 2009… 土居 健郎(どい たけお、1920年3月17日 - 2009年7月5日)は、日本の精神科医・精神分析家・評論家。東京大学名誉教授。学位は医学博士(東京大学・1960年)。 日本人の心理特性として「甘え」の概念を精神分析に導入し、その精神構造を解明した『「甘え」の構造』(1971年)は、日本人論に新局面をもたらした。他の著書に『表と裏』(1985年)、『時のしるし』(1990年)など。 1920年、東京生まれ。府立高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学医学部に入学。1942年に卒業し、陸軍軍医となった。 戦後、アメリカ・メニンガー精神医学校、サンフランシスコ精神分析協会に研修留学。自身、キリスト教カトリック教会の信徒であった。
宇治 家彦(うじ いえひこ、1920年〈大正9年〉3月17日… 宇治 家彦(うじ いえひこ、1920年〈大正9年〉3月17日 - 2008年〈平成20年〉10月24日)は、日本の華族、皇族、海軍軍人(皇族軍人)。階級は海軍技術大尉。多嘉王第2王子。皇族時代の名と身位は家彦王。1942年(昭和17年)に臣籍降下し、宇治伯爵家当主となる。 1920年(大正9年)3月17日午後5時35分、久邇宮家の多嘉王と同妃静子の第2男子として誕生。御七夜の3月23日に「家彦」と命名された。兄の宮賀彦王は早世しており、実質的な長男として育つ。1937年(昭和12年)に父と死別。父の多嘉王は久邇宮家本家とは独立していたものの、宮号は賜っていなかったため、家彦王は宮家の当主の地位を継承していない。
下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、192… 下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、1920年〈大正9年〉3月16日 - 2013年〈平成25年〉4月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員。厚生大臣、参議院議院運営委員長、同国際平和協力等に関する特別委員長などを歴任した。位階は従三位。貴族的な風貌から「まろ」の通称で呼ばれていた。 長野県松本市出身。下条康麿の長男。私立暁星小學校、武蔵高等学校、1944年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。同年大蔵省に入省するが、太平洋戦争の激化に伴い短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。
東郷 晴子(とうごう はるこ、1920年〈大正9年〉3月15… 東郷 晴子(とうごう はるこ、1920年〈大正9年〉3月15日 - 2011年〈平成23年〉3月3日)は、日本の女優。元宝塚歌劇団雪組組長。東京都出身。本名は森治子。 桜蔭高等女学校(現:桜蔭中学校・高等学校)卒業。宝塚歌劇団時代の愛称はハコちゃん。 1937年、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入る。宝塚入団時の成績は93人中2位。同期生に越路吹雪、乙羽信子、月丘夢路、大路三千緒らがいた。1955年、宝塚歌劇団を退団。 その後は、映画、舞台、テレビドラマに出演した。 2011年3月3日、呼吸不全のため横浜市の病院で死去。90歳没。 社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。
玉腰 忠義(たまごし ただよし、1920年3月15日 - 1… 玉腰 忠義(たまごし ただよし、1920年3月15日 - 1957年1月16日)は、愛知県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
岸田 綱太郎(きしだ つなたろう、1920年3月15日 - … 岸田 綱太郎(きしだ つなたろう、1920年3月15日 - 2006年9月13日)は、医学博士。位階は正五位。ラブレ乳酸菌(英語版)の発見、インターフェロンの研究などで知られる。 ウイルスなどの侵入から体を守るタンパク質・インターフェロンの研究を1960年代から始め、1972年に日本で初めてヒトインターフェロンを人工的に生成し、肝炎や白血病の患者らに投与した。原爆投下2カ月後の広島に京都府立医大調査団の一員として赴いた経験から、反核医師の会京都代表を務め、核兵器反対や平和を訴える講演活動なども続けていた。 東京都出身。京都府立医科大学名誉教授。鮎川哲也賞受賞作家の岸田るり子は長女。同志社大学文学部、京都府立医科大学卒。
西郷 竹彦(さいごう たけひこ、1920年3月15日 - 2… 西郷 竹彦(さいごう たけひこ、1920年3月15日 - 2017年6月12日)は、日本の文芸学者、児童文学研究者、ロシア文学翻訳家。 鹿児島市生まれ。幼くして両親に死なれ孤児として育つ。上京後、土方などをして苦学、東京帝国大学理学部応用物理学科に学ぶ。 第四航空師団に召集され朝鮮平壌航空隊に配属。敗戦時、ソ連の捕虜となり、のちモスクワ東洋大学日本学部講師として日本文化・文学を教え、1949年帰国。 ロシア児童文学の翻訳を多数行い、のち文学教育を中心として多数の翻訳、創作、論考、著書を著した。文芸教育研究協議会(文芸研)の理論的支柱であった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡田 重精(おかだ しげきよ、1920年3月15日 - 20… 岡田 重精(おかだ しげきよ、1920年3月15日 - 2013年8月11日)は、日本の宗教学者。学校法人皇學館大学理事長、皇學館大学名誉教授。文学博士(東北大学)。 高知県出身。1943年に神宮皇學館大學専門部を卒業し、兵役に服した後、1946年に東北帝国大学法文学部に入学、1949年に同大学を卒業。 ただちに同大学助手となり、1951年に退官。続いて大学院特別研究生。その後、1954年に東北大学文学部東北文化研究室研究員・宮城県工業高等学校教諭、1966年に皇學館女子短期大学助教授、1971年に皇學館短期大学教授、1975年に皇學館大学教授、神道研究所長・学生部長・文学部長等併任。北京大学・ハワイ大学ほか海外招聘講義。
甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920… 甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920年)3月15日 - 1997年12月26日)は、日本の画家、曹洞宗の僧侶(大分県中津市崇禅寺の13世住職)。白日会会員で油彩、日本画、彫刻をよくした。 大正9年、大分県宇佐市清水の清水寺に生まれる。地方画家であった祖父、叔父の絵画を見、また兄の作画する姿に接し、幼少時より絵画に憧憬を抱く。その後、兄から自分の果たせなかった夢を託され、東京美術学校(現東京芸術大学)図画師範科に進学し、小林萬吾、南薫造、伊原宇三郎、石橋犀水、川﨑小虎、矢澤弦月、関野聖雲に学び、1941年に卒業した。 1948年の創元展に「渓流」が初入選。1951年には「石彿」により受賞。
豊田 穣(とよだ じょう、1920年〈大正9年〉3月14日 … 豊田 穣(とよだ じょう、1920年〈大正9年〉3月14日 - 1994年〈平成6年〉1月30日)は、日本の小説家、作家、海軍軍人。海兵68期。最終階級は海軍中尉。本名は豊田 稔(とよだ みのる)。 満州の四平街に生まれる。その後、郷里の岐阜県本巣郡穂積町(現・瑞穂市)へ戻り、1937年(昭和12年)3月、岐阜県立本巣中学校(現・岐阜県立本巣松陽高等学校)を卒業。 1937年(昭和12年)4月、海軍兵学校に入校。1940年(昭和15年)8月、卒業(68期)。同期に鴛淵孝、伴勝久、広尾彰、松永市郎、酒巻和男がいる。 1941年(昭和16年)4月、第36期飛行学生になる。12月8日、真珠湾攻撃が行われ、特潜で出撃した10名のうち、酒巻和男が捕虜となる。
吉田 茂夫(よしだ しげお、1920年3月13日 - 200… 吉田 茂夫(よしだ しげお、1920年3月13日 - 2009年2月23日)は、日本の経営者。京都府福知山市出身。 1943年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に阪神急行電鉄(のちの阪急電鉄)に入社。1961年1月に阪急国際交通社(のちの阪急交通社)に転じ、1969年5月に取締役に就任し、1975年5月に常務、1980年5月に専務を経て、1985年6月に社長に就任。1991年6月に会長に就任し、1994年6月から1年間相談役を務めた 2009年2月23日に死去。88歳没。
原 久夫(はら ひさお、1920年(大正9年)3月12日 -… 原 久夫(はら ひさお、1920年(大正9年)3月12日 - 2008年(平成20年)8月14日)は、日本の政治家。長野県伊那市長。 長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)出身。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)卒業後、応召。朝鮮半島から南方戦線に転じ、フィリピンで収容所生活を送った後、復員。昭和22年(1947年)西箕輪村役場に入り、伊那市発足後、農林課長、総務課長を経て、同45年(1970年)収入役、同53年(1978年)助役となり、同61年(1986年)伊那市長選挙に当選した。平成元年(1989年)勲四等瑞宝章受章。
高橋 勇夫(たかはし いさお、1920年3月11日 - 19… 高橋 勇夫(たかはし いさお、1920年3月11日 - 1998年)は、日蓮宗の僧、仏教学者。 大阪市西成区生まれ。大阪府立住吉中学校(現大阪府立住吉高等学校)卒業、東洋大学文学部仏教学科卒業。兵役をへて、1948年大谷学園教諭。1964年から1977年東大谷高等学校副校長、大谷女子短期大学教授などを務めた。日蓮本宗正福寺住職。個人誌『菩提樹』主宰。
中川 幸次(なかがわ ゆきつぐ、1920年3月11日 - 2… 中川 幸次(なかがわ ゆきつぐ、1920年3月11日 - 2015年12月28日)は、日本のエコノミスト。元野村総合研究所社長。中曽根康弘元総理大臣のブレーンとして知られた。 山口県出身。高松高等商業学校を経て、1943年9月旧制東京商科大学(のちの一橋大学)本科を卒業し、日本銀行入行。大学では山田雄三ゼミナールに所属。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 戦後、日本銀行に復帰し、調査局次長、総務部長を経て、1973年営業局長、1975年理事を歴任。
大橋 鎭子(おおはし しずこ、1920年〈大正9年〉3月10… 大橋 鎭子(おおはし しずこ、1920年〈大正9年〉3月10日 - 2013年〈平成25年〉3月23日)は、日本の女性編集者・エッセイスト。暮しの手帖社社主・元社長で同社の雑誌『暮しの手帖』を創刊した。妹の大橋芳子も同社創業メンバーの一人で、エッセイスト。 父の大橋武雄は岐阜県大垣市出身。武雄は父親を結核で早くに亡くし、10歳の時に東京・深川の材木商をしていた親戚の大橋谷吉の養子となり、府立一中を経て北海道帝国大学農学部卒業後1919年4月中越製布(現・日本製麻)に就職。母、宮原久子は京都生まれ小樽育ちで、父の宮原満吉は新潟で油田を掘り当て財を築いた実業家だった。久子は女子美術学校を卒業後、北海道時代に知り合った武雄と1919年5月に結婚。
住野 敏郎(すみの としお、1920年3月10日 - 200… 住野 敏郎(すみの としお、1920年3月10日 - 2001年3月9日)は、日本の実業家。オートバックスの創業者。大阪府大阪市天王寺区出身。 1938年に大阪城東商業高校を卒業し、同年に日本自動車に入社した。1948年に大阪市に富士商会を設立し、1958年にオートバックスセブンの前身である大豊産業を設立した。1974年に社員の反対を押し切って、大東市に日本で初めてカー用品専門店1号店をオープンした。 1978年に大豊産業をオートバックスセブンに変更し、店舗数は急速に拡大し、1989年には株式上場を果たした。1975年にフランチャイズ店の展開にも着手し、1990年には台湾にも出店し、海外にも積極的に展開した。
佐藤 敬治(さとう けいじ、1920年(大正9年)3月10日… 佐藤 敬治(さとう けいじ、1920年(大正9年)3月10日 - 2009年(平成21年)9月16日)は、昭和から平成期の政治家、教員。衆議院議員(6期)、大館市長。 秋田県大館市出身。1944年(昭和19年)東京帝国大学文学部社会学科を卒業。秋田県立大曲高等学校教諭を経て、1951年(昭和26年)大館市長に初当選。以降4期務めた。 1972年(昭和47年)日本社会党公認で第33回衆議院議員総選挙において旧秋田1区で初当選。6期務めた。1993年(平成5年)に政界から引退した。 2009年9月16日、死去。89歳没。死没日付をもって正八位から正四位に叙され、旭日重光章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003… 影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003年7月4日)は、日本の外交官。法務省入国管理局長、外務省国際連合局長、駐イタリア特命全権大使、NTT特別参与などを歴任した。 鳥取県気高郡湖山村出身。武蔵高等学校尋常科、同校高等科文科甲組を経て、1941年高等試験外交科合格。同年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 終戦連絡中央事務局連絡官を経て、1947年外交官補、叙二級。在マニラ日本政府在外事務所一等書記官、日本国とフィリピン共和国との間の賠償協定及び経済開発借款協定につき交渉し且つ署名する全権委員随員を経て、1956年在フィリピン日本国大使館一等書記官。
三根谷 徹(みねや とおる、1920年3月7日 - 2000… 三根谷 徹(みねや とおる、1920年3月7日 - 2000年9月5日)は、日本の言語学者。
村松 幸雄(むらまつ ゆきお、1920年3月6日 - 194… 村松 幸雄(むらまつ ゆきお、1920年3月6日 - 1944年7月25日)は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。
新田 伸三(にった しんぞう、1920年(大正9年)3月6日… 新田 伸三(にった しんぞう、1920年(大正9年)3月6日 - 1997年(平成9年)7月)は、日本の造園学者・造園家・造園教育者。専門は、緑化工学・種子吹付での緑化工法・法面緑化手法・運動場の土質構造など。農学博士。九州芸術工科大学名誉教授。九州芸術工科大学学生部長・日本造園学会理事・同学会副会長・日本緑化工学会会長他を歴任。京都府京都市東山区出身。 (審議会委員歴)愛知県自然環境保全審議会委員、名古屋市都市景観審議会委員北九州市都市景観審議会委員、佐賀県名護屋城跡保存整備委員会委員、他
小林 福子(こばやし ふくこ、1920年3月6日 - 201… 小林 福子(こばやし ふくこ、1920年3月6日 - 2012年8月9日)は日本の作曲家、音楽教師。桐朋学園大学附属子供のための音楽教室で長年教師としてソルフェージュを指導した。 1920年、東京に生まれる。成城小学校6年生のときに成城学園教師の岡本敏明から作曲の手ほどきを受けた。1938年に東京音楽学校予科に入学。橋本國彦、ヘルムート・フェルマー、井口基成に師事し、作曲とピアノを学んだ。1942年9月に同校本科作曲部を卒業。同年の『著作権者名簿』に、小林は「作曲」家として掲載され、1948年と1949年の紳士録にも「作曲家」として掲載されている。 小林はピアニストとしても活動し、1949年11月22日には声楽家柴田睦陸の伴奏者としてフォーレ、ショーソンなどの作品を演奏した。
澤田 清(さわだ きよし、1920年3月5日 - 2019年… 澤田 清(さわだ きよし、1920年3月5日 - 2019年3月22日[要出典])は、日本の地理学者、日本大学名誉教授。 福井県武生市生まれ。東京文理科大学理学部地理学科卒、1961年「わが国における都市圏の変容に関する地理学的研究」で、理学博士(東京都立大学)。福井県立福井高等女学校教諭、金沢大学教育学部助教授、東京教育大学理学部助教授、日本大学文理学部教授。1991年定年退任、名誉教授。2019年3月22日死去。99歳没。[要出典]
伊丹 三樹彦(いたみ みきひこ、1920年3月5日 - 20… 伊丹 三樹彦(いたみ みきひこ、1920年3月5日 - 2019年9月21日)は、日本の俳人、写真家。本名は岩田 秀雄(いわた ひでお)。別号・写俳亭。 兵庫県伊丹町(現伊丹市)に生まれ、同三木町(現三木市)で育つ。三木市立三樹小学校、兵庫工業高等学校卒業。13歳から長谷川かな女の俳誌「水明」にて俳句を始める。高校卒業後は神戸大学工学部を受験するも失敗、神戸市役所に採用される。1937年、日野草城の「旗艦」に投句、のち「旗艦」が統合された「琥珀」同人。戦後、同門の桂信子や楠本憲吉らと「まるめろ」を創刊。また「太陽系」に参加。1949年、日野草城主宰の「青玄」創刊に参加し、編集・発行を行う。1956年の草城没後は「青玄」を継承し主幹となる。
4代 木村 誠道(よんだい きむら せいどう、1920年3月… 4代 木村 誠道(よんだい きむら せいどう、1920年3月5日 - ?)は、元三役格行司である。本名は金森庄一。高砂部屋所属。 1920年に生まれる。青森県弘前市出身。 1947年に十両格、1954年秋場所に幕内格に昇進。 行司名は木村庄次→木村朝之助→木村誠道→木村朝之助→木村誠道 1963年1月に三役格に昇進。 ところが同年秋場所、43歳の若さで突然廃業。 一説には金銭的トラブルがあったからと言われている。 その後の消息は不明。 廃業時の序列としては、3代木村正直→24代式守伊之助と2代式守伊三郎の間であり、彼の廃業に伴って伊三郎が三役格に昇格した。 弟子に33代木村庄之助がいる。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。
森下 節(もりした せつ、1920年(大正9年)3月5日 -… 森下 節(もりした せつ、1920年(大正9年)3月5日 - 1984年(昭和59年)8月11日)は、日本の作家。北海道夕張市紅葉山生まれ。本名・裕(ゆたか)。新聞・雑誌記者をへて作家生活に入る。1962年(昭和37年)から文芸同人誌『藝文』主宰。全国同人雑誌協会副会長。中河与一に師事し、戦時中、中河が左翼作家のリストを情報局に流したというデマを平野謙が流したと指摘した(『ひとりぼっちの戦い』)。
佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 20… 佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 2005年6月30日)は日本の洋画家。大正9年3月4日に山形県酒田市中之口町12番地(現-本町)に生まれる。旧制琢成第一小学校、山形県立酒田中学校、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業。山形師範学校(現・山形大学地域教育文化学部)助教授となる。山形大学を退職後、東京へ移住。上京後は美術団体展や個展等で作品を発表。昭和34年に同志とともに洋画の公募美術団体「蒼騎会」を創立。1978年には第18回蒼騎会展が文部大臣賞を受賞。練馬区文化事業功労者表彰。
関 俊治(せき しゅんじ、1920年〈大正9年〉3月4日 -… 関 俊治(せき しゅんじ、1920年〈大正9年〉3月4日 - 2001年〈平成13年〉11月29日)は、昭和時代に活躍した日本の随筆家・文芸評論家。群馬県立図書館長・群馬県文学会議議長などを歴任した。 1920年(大正9年)群馬県吾妻郡中之条町に生まれる。旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)から関西学院大学に進み卒業。 県立高校教諭として勤めたのち、群馬県教育委員会社会教育課に勤務。県立社会教育館長、県立図書館長などを歴任。『形成』『果実』『みやま』などの同人誌に評論・随筆の発表を続けた。 1970年(昭和45年)風雷文学賞、1972年(昭和47年)高橋元吉文学賞を受賞。1987年(昭和62年)群馬県文学会議議長となる。
荒金 天倫(あらかね てんりん、大正9年(1920年)3月4… 荒金 天倫(あらかね てんりん、大正9年(1920年)3月4日 - 平成2年(1990年)1月7日)は、日本臨済宗の禅僧。 臨済宗方広寺派第九代管長。道号は天倫、諱は義堂、室号は碧雲室(へきうんしつ)。俗姓荒金。禅僧からジャーナリスト、そして再び禅僧になるという、ユニークな経歴を持つ。
吉田 格(よしだ いたる、1920年〈大正9年〉3月3日- … 吉田 格(よしだ いたる、1920年〈大正9年〉3月3日- 2006年〈平成18年〉3月または4月)は、日本の考古学者。鳥取県八頭郡八頭町(旧・鳥取県八頭郡大伊村)出身。立正大学に学び、太平洋戦争後は同大学や東京学芸大学の教授として日本列島の先史時代(縄文時代)の研究を行った。称名寺式土器や花輪台式土器を関東地方の縄文土器の型式として設定し、縄文土器編年に学史的業績を残した。 1920年(大正9年)3月3日に、鳥取県八頭郡大伊村(現・同郡八頭町)大字下野464番地で、吉田辰次・せつ夫妻の次男として生まれた。 1923年(大正12年)3月、3歳前後で東京府北豊島郡滝野川町中里(現東京都北区滝野川)に転出し、府内の学校で教育を受ける。
角本 良平(かくもと りょうへい、1920年3月2日 - 2… 角本 良平(かくもと りょうへい、1920年3月2日 - 2016年2月7日)は、交通評論家。日本国有鉄道OB。経済学博士。 石川県金沢市出身。旧制第四高等学校、東京帝国大学法学部卒業。1941年鉄道省入省。東京、四国、門司などの鉄道管理局に勤務し、運輸省の官僚として1958年東海道新幹線の建設計画に参加。都市交通課長、国鉄新幹線総局営業部長、1966年国鉄監査委員、1970年運輸経済研究センター理事、のち理事長などを歴任。早稲田大学客員教授等も務めた。 国鉄分割民営化の際には、電力会社を参考に地域分割が必要であると主張した。 2016年2月7日、間質性肺炎のため死去。95歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
秋元 雅一朗(あきもと まさいちろう、1920年(大正9年)… 秋元 雅一朗(あきもと まさいちろう、1920年(大正9年)3月2日 - 1990年(平成2年)2月7日)は、日本の声楽家(バリトン、バス)・オペラ歌手・音楽教育者・翻訳家(訳詞家)。二期会の創設メンバーの一人。本名は秋元清一(あきもと せいいち)。旧字体秋元淸一。 作曲家の関口孝明は孫にあたる。 東京府(現: 東京都)出身。1945年(昭和20年)東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)研究科修了。本科では戸田敏子、畑中良輔らと同級。木下保に師事。 第二次大戦後まもなくの1946年(昭和21年)4月に藤原歌劇團 ビゼー『カルメン』エスカミリオでデビュー。その後オペラへの出演を続け、20年足らずの間に約90本ものプロダクションに出演している。
石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)… 石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)3月1日 - 1997年(平成9年)6月30日)は、日本の実業家。ブリヂストンの社長・会長を務めた。ブリヂストンタイヤ創業者の石橋正二郎の長男。 石橋正二郎の長男として福岡県久留米市に生まれる。旧制・中学明善校(現在の福岡県立明善高等学校)、福岡高等学校 (九州大学教養部の前身)を卒業後、1年間の浪人を経て1937年、東京帝国大学に進学。1943年に東京帝国大学法学部を卒業後、海軍主計科の短期現役(略称「短現」、短期現役海軍主計科士官(10期))に志願して、同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に卒業。東京監督官事務所監査官付となる。
柳生 直行(やぎゅう なおゆき、1920年3月1日 - 19… 柳生 直行(やぎゅう なおゆき、1920年3月1日 - 1986年9月3日)は、日本の英文学者、キリスト教学者、翻訳家。 横浜市保土ヶ谷生まれ。父の柳生光異は茅ヶ崎湧泉教会の牧師。1933年(昭和8年)、湧泉教会でキリスト教の洗礼を受ける。 1941年、大阪外国語学校を卒業。東京文理科大学英文科卒。米国コロンビア大学に留学。関東学院大学教授、文学部長、関東学院長を歴任。C・S・ルイス、ジョン・バニヤンなどキリスト教文学者を研究した。 また、湧泉教会の牧師としても活動した。