棚田 吾郎(たなだ ごろう、1913年10月23日 - 19… 棚田 吾郎(たなだ ごろう、1913年10月23日 - 1989年10月24日)は、日本の脚本家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
1913年(大正2年)生まれ:645人
棚田 吾郎(たなだ ごろう、1913年10月23日 - 19… 棚田 吾郎(たなだ ごろう、1913年10月23日 - 1989年10月24日)は、日本の脚本家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
木村 秀弘(きむら しゅうこう、1913年(大正2年)10月… 木村 秀弘(きむら しゅうこう、1913年(大正2年)10月22日 - 1975年(昭和50年)6月29日)は、国税庁長官。日本専売公社総裁。 福井県出身。1936年、高等試験行政科試験に合格。翌1937年、東京帝国大学法学部法律学科卒業。大蔵省に入る。主計局属。1942年、陸軍司政官となる。1946年6月、神戸税関監視部長、1949年6月1日、主税局税関部業務課長、1952年3月15日、大臣官房会計課長、1954年10月、印刷局業務部長、1955年10月、東京税関長、1957年6月11日、大蔵省主税局税関部長、1960年6月、防衛庁経理局長となり、1962年、国税庁長官に就任する。その後、東海製鉄常務、富士製鉄常務、新日本製鐵常任監査役を経て、1973年、専売公社総裁。
白勢 誠一(しろせ せいいち、1913年〈大正2年〉10月2… 白勢 誠一(しろせ せいいち、1913年〈大正2年〉10月22日 - 1982年〈昭和57年〉10月26日)は、日本の実業家。白勢商事社長。早稲田大学校友会 新潟市稲門会会長。新潟県損害保険代理業協会初代会長。 新潟県新潟市出身。白勢量作の長男。1938年、早稲田大学商学部卒業。1944年、白勢代表社員となる。1953年、白勢商事社長に就任。 1954年、新潟商工会議所監事に選ばれる。1959年、第四銀行監査役を兼ねる。1982年(昭和57年)10月26日死去。 趣味はゴルフ、囲碁。宗教は浄土真宗。住所は新潟県新潟市本町通八番町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
佐野 猛夫(さの たけお、1913年10月22日 - 199… 佐野 猛夫(さの たけお、1913年10月22日 - 1995年10月2日)は、日本のろうけつ染作家。京都市立芸術大学名誉教授。第4回改組日展出品作「噴煙の島」により日本芸術院賞を受賞した。 滋賀県野洲郡守山町(現在の守山市)に生まれる。1927年に京都市立美術工芸学校(現在の京都市立美術工芸高等学校)図案科に入学し、山田江秀、山鹿健吉に学んだ。1932年に京都市立美術工芸学校を卒業し、1933年の第20回商工省工芸美術展図案部に創作図案「祭礼の図額」で、同年の第14回帝展に「大阪天満祭ノ図鑞染壁掛」でそれぞれ初入選を果たした。 1930年代には京都市展や工芸院展でも受賞を重ね、京都染織繍芸術協会にも参加した。
東園 佐和子(ひがしぞの さわこ、1913年〈大正2年〉10… 東園 佐和子(ひがしぞの さわこ、1913年〈大正2年〉10月21日 - 2001年〈平成13年〉7月1日)は、日本の元皇族。北白川宮成久王と同妃房子内親王の第2王女子。東園基文子爵の妻。旧名は、佐和子女王(さわこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。兄に北白川宮永久王、姉に立花美年子(美年子女王)、妹に徳川多恵子(多恵子女王)がいる。明治天皇の孫にあたる。 1913年(大正2年)10月21日、北白川宮成久王とその妃で明治天皇の第7皇女子である房子内親王との間に第2王女子として生まれた。1923年(大正12年)4月1日、父宮成久王がパリ郊外で事故死し、母宮房子内親王も重傷を負う。
中山 正和(なかやま まさかず、1913年10月21日 - … 中山 正和(なかやま まさかず、1913年10月21日 - 2002年)は、日本の著作家・文筆家。創造工学研究所所長。 広島県または山梨県生まれ。第四高等学校卒、1939年北海道帝国大学理学部物理学科卒。 電電公社電気通信研究所調査役をへて、創造工学研究所を設立し所長。 川喜田二郎のKJ法に対し自身の方法をNM法と名づけた。 禅仏教に関心を深めていった。
宮澤 俊彌(みやざわ としや、1913年10月20日 - 2… 宮澤 俊彌(みやざわ としや、1913年10月20日 - 2012年12月12日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。長野県松本市生まれ。
熊田 為宏(くまだ ためひろ、1913年10月20日 - 1… 熊田 為宏(くまだ ためひろ、1913年10月20日 - 1993年)は、日本の作曲家、フルート奏者。 福島県出身。下総皖一と山口正男に師事し、1941年3月に東京音楽学校甲種師範科を卒業。富山師範学校教諭、土浦高等女学校教諭、NHK仙台放送合唱団・管弦楽団常任指揮者、山形大学音楽科、宮城学院女子大学にて教鞭を取る。日本指揮者協会会員、日本フルート協会理事を歴任。NHKラジオのインターバルシグナル音楽を作曲。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
九州山 義雄(きゅうしゅうざん よしお、1913年10月20… 九州山 義雄(きゅうしゅうざん よしお、1913年10月20日 - 1990年5月30日)は、福岡県山田市(現嘉麻市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は大坪 義雄。最高位は西小結。現役時代の体格は身長176cm、体重88kg。 昭和5年(1930年)1月場所で初土俵を踏み、負け越しなしで昭和7年(1932年)5月場所に十両昇進、春秋園事件からの帰還組との対戦でもまれたために十両では時間がかかったが、昭和9年(1934年)1月場所、大正生まれとして初の幕内力士となった。激しく動き回る相撲で相手を撹乱するのが得意であった。昭和13年(1938年)1月場所には小結昇進、その場所大負けはしたものの、横綱玉錦を素首落としで破る殊勲の星を挙げた。
小室 恒夫(こむろ つねお、1913年10月17日 - 20… 小室 恒夫(こむろ つねお、1913年10月17日 - 2001年11月1日)は、日本の官僚、経営者。茨城県出身。 1936年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に商工省に入省。貿易庁、通商産業省での勤務を経て、1958年に公益事業局長に就任し、1960年には通商局長に就任し、1961年までに務めた。 1961年に八幡化学工業(のちの新日鉄化学)副社長に就任し、1965年には社長に昇格。1979年に会長を経て、1984年から相談役を務めた。 1981年に藍綬褒章を受章し、1986年に勲二等瑞宝章を受章した。 2001年11月1日肺炎のために死去。88歳没。
柴田 健三(しばた けんぞう、1913年10月17日 - 2… 柴田 健三(しばた けんぞう、1913年10月17日 - 2004年6月27日)は、日本の経営者。 大阪府大阪市出身。1935年に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、同年に日本窒素肥料に入社した。1959年5月に取締役に就任し、1964年5月から1967年5月までに常務を務めた。 1966年5月に積水化学工業専務に就任し、1971年5月に副社長に就任し、1973年5月には社長に昇格した。1979年1月に取締役相談役に就任し、1982年6月から相談役を務めた。 1980年5月に藍綬褒章を受章し、1985年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2004年6月27日肺炎のために死去。90歳没。
堀 栄三(ほり えいぞう、1913年〈大正2年〉10月16日… 堀 栄三(ほり えいぞう、1913年〈大正2年〉10月16日 - 1995年〈平成7年〉6月5日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。 正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、「マッカーサー参謀」とあだ名された。戦中の山下奉文陸軍大将、そして戦後海外の戦史研究家にもその能力を高く評価されている。 参議院議員、国土交通大臣(2011年4月 - 2012年6月)の前田武志は堀の甥である。 奈良県吉野郡西吉野村(現五條市)出身。伊藤祐一郎の子に生まれる。陸軍航空本部長、第1師団長や留守航空兵団司令官を務めた陸軍中将堀丈夫(士官候補生13期)の養子となる。
渡辺 輝雄(わたなべ てるお、1913年10月16日 - 1… 渡辺 輝雄(わたなべ てるお、1913年10月16日 - 1998年12月8日)は、日本の経済学者で、特にフランソワ・ケネーなど、アダム・スミス以前の初期経済学説史を専門とした。 前身の大倉経済専門学校の時代を含め、東京経済大学に長く勤め、経済学部長や学長(1976年 - 1984年)などを歴任した。 大倉財閥が創設した大倉高等商業学校(東京経済大学の前身校)に学び、1934年に卒業して、神戸商業大学に進み、1937年に同大学を卒業して母校である大倉高商の専任講師となり、1939年には教授に昇任した。早くから大倉高商~大倉経専の大学への昇格を唱え、戦後の大学昇格運動において中心的役割を担った。 1949年、新制大学として東京経済大学が発足すると、教授として経済原理、経済学史を担当した。
布施 丑雄(ふせ うしお、1913年〈大正2年〉10月16日… 布施 丑雄(ふせ うしお、1913年〈大正2年〉10月16日 - 1966年〈昭和41年〉3月15日)は、日本の政治家、実業家。石川県鳳至郡穴水町長。布施林業部代表取締役。石川県山林協会副会長。大日本山林会評議員。穴水町森林組合長。 石川県鳳至郡(現鳳珠郡)穴水町出身。布施丑造の長男。1939年、法政大学経済学科卒業。1943年、北陸貨物自動車常務となり専務の後解散により退職する。 1952年3月、石川トヨタ自動車監査役に就任する。同年7月、町議に当選する。1954年4月、4ヵ町村合併の新穴水町初代町長に選ばれた。 趣味は読書。宗教は真宗大谷派。住所は石川県鳳至郡穴水町河内。別宅は金沢市味噌蔵町上中丁。
岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月… 岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月15日 - 1987年〈昭和62年〉1月25日)は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党衆議院議員(1期)・参議院議員(4期)。科学技術庁長官。 元衆議院議長林譲治の女婿。元衆議院議員岸田正記の妻・和子は従姉妹に当たる。 岩手県紫波郡赤石村(現・紫波町)に生まれた。岩動康治の二男。 盛岡中学、旧制府立高校を経て、1939年、京都帝国大学法学部卒業、大蔵省に入省。為替局属。広島税務署長、吉田内閣総理大臣秘書官、主計局主計官(文部・厚生担当)、管財局閉鎖機関課長、管財局特殊清算課長、外務省在英国大使館参事官などを歴任。1960年2月1日、東海財務局長。
小島 利男(こじま としお、1913年10月12日 - 19… 小島 利男(こじま としお、1913年10月12日 - 1969年6月1日)は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)、監督。
井坂 行男(いさか ゆきお、1913年(大正2年)10月12… 井坂 行男(いさか ゆきお、1913年(大正2年)10月12日 - 1994年(平成6年)8月10日)は、日本の教育学者。学位は、文学博士(東京教育大学)。筑波大学名誉教授。 茨城県生まれ。1938年東京文理科大学教育学科卒業。東京府立豊島師範学校教授、文部省事務官教育心理主任。第二次世界大戦後、東京教育大学助教授、教授、1962年「Kriminal pädagogikの研究」で、東京教育大学より文学博士の学位を取得。筑波大学教授、1977年定年退官、名誉教授。
吉永 治市(よしなが じいち、1913年(大正2年)10月1… 吉永 治市(よしなが じいち、1913年(大正2年)10月12日 - 2000年(平成12年)4月4日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。号・望蘇(ぼうそ)。 熊本県上益城郡、後の益城町で生まれた。陸軍に入隊し第106師団に配属され日中戦争に出征し、1939年(昭和14年)11月、独立混成第18旅団独立歩兵第92大隊に情報作戦担当として転属し、中支宋河鎮の警備中に陸軍士官学校将校学生として入学した。1943年(昭和18年)陸軍士官学校を卒業。その後、熊本歩兵第13連隊補充の教育主任となる。陸軍少佐で復員。 戦後、1951年(昭和26年) 日本大学経済学部を卒業した。全国農業会秘書課、西日本肥料工業社長、吉永興業社長、旭観光開発代表取締役などを務めた。
高橋 博(たかはし ひろし、1913年10月11日 - 19… 高橋 博(たかはし ひろし、1913年10月11日 - 1982年10月1日)は、芸能評論家、話芸家、アナウンサー。日本演劇協会会員、日本大学芸術学部講師。愛称は、博さん(はくさん)。 銀座生まれ浅草育ち。1936年にNHK入局(同期に志村正順等)。 学生時代から芝居好きで、脚本なども書き、芝居の世界との付き合いもあったせいもあり、主に舞台中継、朗読を担当。抑制した口調と独特の間の置き方で「語り」の世界を作り上げた。 敗戦後、戦意高揚に関わった責任を取ってNHKを辞職。1954年にニッポン放送へ移籍。同時期に坂本荘、中村要輔(両名ともNHKの後輩。当時はラジオ東京)とともに東北放送で教育も行った。
桂 ゆき(かつら ゆき、1913年10月10日 – 1991… 桂 ゆき(かつら ゆき、1913年10月10日 – 1991年2月5日)は、日本の洋画家。 東京府東京市本郷区出身。本名は桂 雪子(かつら ゆきこ)。初めは「ユキ子」、1970年代頃から「ゆき」と称する。日本における前衛女性画家の先駆者であり、第一人者として前衛美術の基礎を築いた。戦前から逸早く先端的なコラージュの手法を、シュルレアリスムから距離をおきながら独自に展開し、生活用具や動物など実在と抽象的な形を混在させた独自の表現を探求した。フランス、アメリカ、アフリカなど世界各地へ滞在し、1962年には『女ひとり原始部落に入る アフリカ・アメリカ体験記』を上梓したほか、絵本の挿絵なども手掛け、動物をモチーフとした特徴的な作品を数多く制作した。
木村 耕三(きむら こうぞう、1913年10月10日 - 1… 木村 耕三(きむら こうぞう、1913年10月10日 - 1983年6月7日)は、日本の気象学者。理学博士。気象庁在職中、アメダスを完成させた業績で知られる。 1913年10月10日、東京都に生まれる。自宅は赤坂。父は銀座で医院を開業する医師。第八高等学校(名古屋市瑞穂区瑞穂町)を経て東京帝国大学理学部地震学科卒業。 新京市(現・吉林省長春市)の満州国中央観象台に就職。戦中は航空軍の気象将校として召集され、新京市で働く。階級は中尉。後輩にあたる将校たちが次々と結婚していったが、本人は平然とした様子で独身を貫いた。この頃熱心に読んでいたのはクローモフの『天気解析と予報入門』。戦後はソ連に1年8ヶ月抑留されたのち帰国。
佐伯 喜一(さえき きいち、1913年10月10日 - 19… 佐伯 喜一(さえき きいち、1913年10月10日 - 1998年1月14日)は、日本の国際政治評論家。 元野村総合研究所社長、元防衛庁防衛研修所所長。 台湾・台北市生まれ。広島県出身。1936年東京帝国大学法学部卒業。満鉄調査部に入り、エコノミストのキャリアを積む。戦後経済安定本部に入り、日本経済の復興計画作りを行なった。1953年保安庁(のち防衛庁)に移り、1961年防衛研修所所長。1965年野村総合研究所副社長となり、1971年社長、1979年会長を経て、1983年相談役、1988年顧問。同社を日本の代表的シンクタンクに育て上げた。またワイズメン・グループの大来佐武郎のあとを継いで、1979年ワイズメンに選ばれる。
大池 弥三郎(おおいけ やさぶろう、1913年10月7日 -… 大池 弥三郎(おおいけ やさぶろう、1913年10月7日 - 1997年12月22日)は日本の医学者。専門は内科学。弘前大学元学長、日本脳卒中学会元会長。長野県出身。 著書に『脳卒中の臨床と研究』がある。
水野 健次郎(みずの けんじろう、1913年〈大正2年〉10… 水野 健次郎(みずの けんじろう、1913年〈大正2年〉10月7日 - 1999年〈平成11年〉4月15日 )は、日本の実業家。ミズノ社長・会長を務めた。父はミズノ創業者の水野利八(次男)。長男はミズノ会長の水野正人、次男はミズノ社長の水野明人。位階は正五位。 大阪府大阪市出身。1936年に大阪帝国大学理学部化学科を卒業。大日日本電線での勤務を経て、1942年5月に美津濃取締役に就任。1947年に副社長に就任し、1969年には社長に昇格した。社長在任時には、1969年にアメリカに現地法人を設立するなど、ミズノを世界有数のスポーツ用品メーカーに育て上げた。1988年に会長に就任。 1972年から1994年までに関西経済同友会幹事を務めた。
西岡 秀雄(にしおか ひでお、1913年10月6日 - 20… 西岡 秀雄(にしおか ひでお、1913年10月6日 - 2011年8月1日)は、日本の考古学者、人文地理学者。慶應義塾大学名誉教授。 仙台生まれ。1939年に慶應義塾大学文学部史学科卒業。1948年に慶應義塾大学予科講師、1956年に慶大助教授、1964年に教授、1979年に定年退任、名誉教授、大田区立郷土博物館館長に就任。2001年に退任。 1980年に東京都文化功労者。日本トイレ協会名誉会長、大森貝塚保存会名誉会長、日本旅行作家協会名誉会員なども務める。 音楽学者の西岡信雄は長男。
石原 登(いしはら のぼる、1913年(大正2年)10月6日… 石原 登(いしはら のぼる、1913年(大正2年)10月6日 - 2011年(平成23年)7月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 鹿児島県薩摩郡里村(現薩摩川内市)で、石原善之助の五男として生まれた。1930年熊本逓信講習所卒。1937年(昭和12年)中央大学経済科を卒業。日本特殊鋼管(のち八幡鋼管)創立委員となり、同総務課長、同企画課長を歴任した。 戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙において鹿児島県から諸派(民権同志会)から立候補して初当選する。当選後は協同民主倶楽部に入る(その後は協同民主党から無所属倶楽部)。翌年の第23回衆議院議員総選挙では鹿児島2区から立候補して再選。
今井 善衛(いまい ぜんえい、1913年(大正2年)10月5… 今井 善衛(いまい ぜんえい、1913年(大正2年)10月5日 - 1996年(平成8年)4月19日)は、日本の官僚。元通商産業事務次官。 1931年、東京府立第一中学校卒業、第一高等学校を経て、1937年、東京帝国大学法学部政治学科卒業、商工省入省。入省同期に、佐橋滋(通産事務次官)、松村敬一(経企事務次官、通商局長、繊維局長)、樋詰誠明(大丸副社長、中小企業庁長官)、川瀨健治(東京通産局長)など。佐橋、今井、樋詰で「昭和12年入省組の3羽烏」と呼ばれていた。 外務省出向(在米国大使館)、通商局通商政策課長、大臣官房総務課長、中小企業庁振興部長などを経て、1958年8月5日、繊維局長に就任。1959年2月、日米綿製品交渉のため、今井・牛場信彦外務省経済局長・ヘンリー・カーンズ米商務次官補らの三者間で意見交渉を持つ。
飯田 道雄(いいだ みちお、1913年10月5日 - 199… 飯田 道雄(いいだ みちお、1913年10月5日 - 1997年9月2日)は、日本の実業家。 神奈川県出身。1931年に京浜電気鉄道(のちの京浜急行電鉄)に入社し、1935年に日本大学専門部商科を卒業した。自動車部長、取締役、事業本部長、常務、専務を経て、1975年5月に副社長に就任し、1981年6月に社長に昇格し、1987年6月に会長に就任した。 1975年11月に藍綬褒章を受章し、1985年4月から勲二等瑞宝章を受章した。 1997年9月2日、心不全のために横浜市の病院で死去。83歳没
小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 197… 小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 1976年1月17日)は、日本の都市計画家研究者・交通計画研究者・歌人。岩手大学教授・北海道大学教授を歴任。 岩手県生まれ。学生時代から短歌をよくして、歌誌「地中海」や「満州短歌」の同人として活動。1975年には「カルル橋」で第11回「短歌研究賞」を受賞した。 1937年(昭和12年)、北海道帝国大学工学部土木工学科卒。在学中の満州事変勃発を契機に大陸に志を抱いたという。満州や朝鮮へ実習をかねて訪れている。大学卒業後、南満州鉄道株式会社へ入社する。 1943年、現職のまま大東亜省嘱託として東南アジア諸国の交通実態調査を命じられ、翌1944年から1946年まで、ベトナム、カンボジア、タイ王国、マレーシア、ビルマ(ミャンマー)などで調査にあたる。
望月 玉三(もちづき たまぞう、1913年(大正2年)10月… 望月 玉三(もちづき たまぞう、1913年(大正2年)10月3日 - 1998年(平成10年)6月24日)は、日本の実業家。東京電業建設、望月証券(現みずほ証券)、九曜社各社長。慶應義塾大学助教授。 東京都出身。九曜社社長望月軍四郎の三男、九曜社取締役望月太郎の弟。父・軍四郎は静岡県富士郡大宮町(現富士宮市)出身。 1936年、慶應義塾大学経済学部卒業、同助手を経て、助教授を務めた。 住所は東京港区赤坂青山南町。趣味は読書、碁、庭球。宗教は仏教、日蓮宗。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西 博(にし ひろし、1913年10月2日もしくは10月6日… 西 博(にし ひろし、1913年10月2日もしくは10月6日 - 1974年12月16日)は、日本の実業家、馬主。 1913年、石川県出身。1931年に中央商業高等学校を卒業。西清太郎商店業務執行社員を経て1941年に西商事株式会社社長。1943年に関東金属常務、1946年に西商店社長、1948年に加陽金属社長就任。1950年再び西商事社長、1957年に西製鋼株式会社を設立し社長に就任。1974年12月16日、病気のため死去。61歳没。なお、西死去後、西製鋼は1980年に大三製鋼に吸収合併されている。 趣味はゴルフ、謡曲(宝生流)、競馬。 日本中央競馬会に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は青、白三本輪。
志村 正順(しむら せいじゅん 本名:表記同じく「しむら ま… 志村 正順(しむら せいじゅん 本名:表記同じく「しむら まさより」、1913年10月2日 - 2007年12月1日)は、日本の昭和時代に活動したアナウンサー。NHKで主に大相撲、プロ野球等のスポーツ実況中継を担当した。 東京府北豊島郡南千住町(現・東京都荒川区南千住)の乾物・雑穀商「川萬商店」に生まれる。出生時の名は「正二」。日大付属中卒業後の1931年、一時僧侶を志し、大正大学予科に通うかたわら、滋賀県甲賀郡大原村(現・甲賀市)の親類の寺院で得度し、「正順」と改名するが、明治大学政治経済学部進学のため還俗している(のちも名を正二に戻さず、「まさより」ないし「せいじゅん」で通した)。 明大卒業後の1936年、ミシンの外交販売員を経て、NHKのアナウンサー採用試験に合格し、入局。
杉本 俊朗(すぎもと としろう、1913年10月1日 - 2… 杉本 俊朗(すぎもと としろう、1913年10月1日 - 2012年9月27日)は、マルクス経済学者。横浜国立大学名誉教授。専門は国際経済学、経済書誌学。経済学者の平田喜彦は娘婿。 神戸市生まれ。1934年武蔵高等学校高等科文科乙類卒業。東京帝国大学経済学部に入学。大内兵衛ゼミで学ぶ。東京学生消費組合赤門支部の委員として活動。1937年に大学を卒業し、東洋経済新報社編集局に勤務。1940年に東洋経済記者の禰屋不二夫が石橋湛山主幹の京城支局への転勤命令を断り、9月9日付で退社。同僚若手記者らは石橋のワンマンぶりに反発し、杉本俊朗、細野宰男(のち細野武男に改名)、遊部久蔵、中野正の4名が9月13日付で退社した(のちに国松藤一も退社。
河井 信太郎(かわい のぶたろう、1913年10月1日 - … 河井 信太郎(かわい のぶたろう、1913年10月1日 - 1982年11月15日)は、愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)出身の検事。「東京地検特捜部生みの親」とされる。 1913年(大正2年)10月1日に愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)に生まれ、愛知県立蒲郡農学校(現・愛知県立蒲郡高等学校)在学中に兄のいる東京に上京した。東京実業学校から中央大学法学部の夜間部を経て、高等文官試験に合格。官吏になるまでの間、海軍経理学校短期現役学生(いわゆる短現組)に選ばれたエリートであった。そこで経理・会計を修得したことが、のちの特捜時代に役立った。 東京地方検察庁の隠退蔵事件捜査部が1949年に東京地検特捜部に改組された時から特捜部に加わっており、経済事犯に対応するため中央大学経理研究所などで制度確立のための研究に没頭していた。
清水 慎三(しみず しんぞう、1913年10月1日 - 19… 清水 慎三(しみず しんぞう、1913年10月1日 - 1996年10月18日)は、日本の労働運動家、評論家。 岡山県岡山市出身。日本製鐵社員、内閣企画院嘱託、総理府事務官経済安定本部勤務、日本労働総同盟調査部長、鉄鋼労連初代書記長、日本社会党(左派)中央執行委員、総評長期政策委員会事務局長、信州大学教授、日本福祉大学教授を歴任した。 主な著書に『日本の社会民主主義』(岩波新書、1961年)、『戦後革新勢力』(青木書店、1966年)、『戦後革新の半日陰』(日本経済評論社、1995年)など。『清水慎三著作集』(高木郁朗編、日本経済評論社、1999年)がある。 岡山市の呉服商の家に生まれる。岡山県第一岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)、旧制第六高等学校、六高時代はボート部に属し、瀬戸内海で青春を謳歌。
鈴木 一(すずき はじめ、1913年(大正2年)10月1日 … 鈴木 一(すずき はじめ、1913年(大正2年)10月1日 - 1978年(昭和53年)2月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。参議院議員(1期)。 秋田県出身。1938年東京帝国大学文学部倫理学科卒。翌年文部省の嘱託となる。後に全国購買農業協同組合連合会課長、部長などになる。他、全国農業会書記長、委員長、労働組合委員長、会社社長などを務める。 1953年の第3回参議院議員通常選挙において秋田地方区から無所属で立候補して当選、当選後は日本社会党に入った。1958年の第28回衆議院議員総選挙では秋田1区から無所属で立候補して初当選。当選後の所属政党は日本社会党から民主社会党、民社党となった。
橋口 隆(はしぐち たかし、1913年〈大正2年〉10月1日… 橋口 隆(はしぐち たかし、1913年〈大正2年〉10月1日 - 2005年〈平成17年〉2月21日)は、日本の政治家、元商工・通産官僚、元自由民主党衆議院議員(6期)。 鹿児島県肝属郡根占町(現・南大隅町)出身。橋口順孝の長男。第七高等学校造士館を経て、1938年、東京帝国大学法学部を卒業。1937年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1938年、商工省に入省し貿易局属となる。 以後、商工省・情報局・軍需省・綜合計画局・戦災復興院・物価庁などの事務官、商工省木製品課長、通商産業省アルコール事業長、広島通商産業局長、福岡通商産業局長などを歴任。 1967年1月の第31回衆議院議員総選挙で鹿児島3区から自民党公認で立候補して初当選。
広田 稹(廣田、ひろた しげる、1913年 <大正2年> 1… 広田 稹(廣田、ひろた しげる、1913年 <大正2年> 10月1日 - 1987年 <昭和62年> 1月5日)は、日本の外交官。位階は正三位。 新潟県出身。1937年外交官試験に合格後、38年3月東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、外務省入省。アジア局第4課長、同第2課長、バンクーバー領事、大臣官房人事課長、経済局外務参事官、アラブ連合共和国大使館参事官等を歴任。1961年9月ハンブルク総領事、65年5月より中南米移住局長、翌年11月経済協力局長、68年1月より大臣官房審議官を務めた。 その後、ベネズエラ、マレーシア、オランダ駐在大使を歴任した。1975年12月退官。翌年、熊谷組顧問に就任。 1982年退社後、83年11月勲二等旭日重光章を受ける。
福田 治郎(ふくた じろう、1913年10月 - 2005年… 福田 治郎(ふくた じろう、1913年10月 - 2005年6月19日)は、日本の数学者(幾何学)。岐阜大学名誉教授。従四位勲三等旭日中綬章。岐阜県出身。 その他、数学学会誌Mathematicsなどへの投稿多数
内田祥文(うちだ よしふみ、1913年10月 - 1946年… 内田祥文(うちだ よしふみ、1913年10月 - 1946年3月26日)は、日本の建築家、建築研究者、都市計画家、都市研究者。工学博士。戦時下で木造建築の防災などに、戦後は戦災都市復興に取り組んだが、急逝した。 東京市麻布区(現・東京都港区)にて建築家内田祥三(後に東京帝国大学総長)・みね子の長男として生まれる。 |旧制開成中学から日本大学予科を経て、1938年に日本大学工学部(現・日本大学理工学部・大学院理工学研究科)建築学科を卒業する。同1938年、東京帝国大学大学院に進学し、高山英華らと都市の研究を続ける。大学院在学中、東京帝国大学で助手をしていた経済学者•難波田春夫の思想に強い影響を受け国民住宅や労働者住宅などを計画した。
飯島 淳秀(いいじま よしひで、1913年9月30日 - 1… 飯島 淳秀(いいじま よしひで、1913年9月30日 - 1996年)は、日本の英文学者、翻訳家。駒澤大学名誉教授。 京城生まれ。福岡、大阪、朝鮮と転々とし、11歳で関節炎のため左脚を切断、義足となる。 1937年立教大学英文学科卒。立教中学校教員、1946年立教大学予科講師、1947年予科教授、1949年立教大学助教授、1955年教授、1970年定年、駒澤大学教授。 英米文学の翻訳のほか、児童文学も多数翻訳する。1961年、飯島が共訳した『アラビアン・ナイト』が含まれる講談社『世界童話文学全集』が産経児童出版文化賞を受賞。(飯島淳秀先生略年表『英米文学』90年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
谷口 澄夫(たにぐち すみお、 1913年9月30日- 20… 谷口 澄夫(たにぐち すみお、 1913年9月30日- 2001年1月15日)は、日本の歴史学者・教育者。 岡山県牛窓町(現・瀬戸内市)に生まれる。1940年に広島文理科大学を卒業。1949年岡山大学教育学部助教授、1953年同教授となる。岡山藩の研究で大きな成果を残した。 1969年には前学長の退任を受け学長代行(学長事務取扱)に選ばれ、同年岡山大学の第7代学長となる。学園紛争期の難局を乗り切った。退任し名誉教授。後の1978年には、新たに開学した兵庫教育大学の初代学長に迎えられる。1986年まで同大学学長を務めた後、倉敷芸術科学大学学長、就実女子大学学長を歴任。その他、数々の教育・文化関連団体の要職に就いた。
高橋 誉冨(高橋 譽冨、たかはし たかよし、1913年9月2… 高橋 誉冨(高橋 譽冨、たかはし たかよし、1913年9月29日 - 2003年5月13日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 千葉県出身。1937年千葉県師範学校(現千葉大学教育学部)卒。卒業後は千葉県内の小学校で教鞭を執り、その後は、習志野市立津田沼小学校校長や船橋市立二宮中学校校長を務めた。[要出典]1963年千葉県議会議員(八千代市)を経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙(千葉地方区)で初当選、当選1回。福田赳夫内閣で北海道開発政務次官を務めた。1980年に引退。1984年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。 2003年5月13日午前2時39分、肺炎のため千葉県八千代市の病院で死去、89歳。
2代目根津 嘉一郎(2だいめ ねづ かいちろう、1913年(… 2代目根津 嘉一郎(2だいめ ねづ かいちろう、1913年(大正2年)9月29日 - 2002年(平成14年)2月15日)は、日本の実業家。根津財閥の二代目総帥。東武鉄道社長。日本陶磁協会第6代理事長。戦前から平成にかけて東武鉄道の社長を約53年務め、会長になった後も同社の経営を指揮してきた。「東武鉄道中興の祖」と称される。 初代根津嘉一郎の長男。初代嘉一郎が数え54の年に生まれた初の男子で唯一の実子である。出生名は根津 藤太郎(ねづ とうたろう)。 山梨県に生まれ、青南小学校から父の設立した武蔵高等学校へ進学。在学中は剣道部に在籍し、同期に佐々木陽信、広瀬真一がいた。その後東京帝国大学に進学、1936年(昭和11年)3月に経済学部を卒業した。
田辺 元三郎(たなべ もとさぶろう、1913年9月29日 -… 田辺 元三郎(たなべ もとさぶろう、1913年9月29日 - 1997年5月2日)は、日本の経営者。東京田辺製薬(現在の田辺ファーマ)2代目代表取締役社長を務めた。東京都出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
黒木 利克(くろき としかつ、1913年(大正2年)9月28… 黒木 利克(くろき としかつ、1913年(大正2年)9月28日 - 1978年(昭和53年)9月24日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。参議院議員、法学博士(明治大学・論文博士・1962年)(学位論文「日本社会事業現代化論」)。 宮崎県、現在の西都市で生まれた。妻中学校(現宮崎県立妻高等学校)、第五高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科に合格。1940年、厚生省に入り衛生局属に任官。秋田県産業課長。1948年厚生省社会局厚生課長、翌年まで米国に学ぶ。1949年社会局生活課長、庶務課長、保護課長、1956年厚生大臣官房企画室長。
星埜 保夫(ほしの やすお、1913年9月28日 - 199… 星埜 保夫(ほしの やすお、1913年9月28日 - 1992年12月6日)は、日本の実業家。日本長期信用銀行専務取締役、高千穂商科大学第6代学長。 広島県出身。東京府立第一中学校を経て東京帝国大学法学部卒業。1936年、日本勧業銀行に入行。1952年、日本長期信用銀行に入行し専務取締役を歴任。 その他、渋沢国際学園学園長、日本ランディック社長を歴任。 1983年11月から1987年11月まで高千穂商科大学の学長を務めた。
宍戸 福重(ししど ふくしげ、1913年9月27日 - 20… 宍戸 福重(ししど ふくしげ、1913年9月27日 - 2010年2月2日)は、日本の経営者。富士電機社長、会長を務めた。福島県出身。 1937年に神戸商業大学を卒業し、同年に第一銀行に入行。1963年2月に富士電機に出向し、同年11月に取締役に就任し、1965年11月に常務、1970年11月に専務を経て、1972年11月に副社長に就任し、1974年11月には社長に昇格。1981年6月に会長に就任し、1985年6月に常任相談役を経て、1987年6月から相談役を務めた。 1983年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2010年2月2日老衰のために死去。96歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
李 雨茁(イ・ウジュルまたはイ・ウチュル、朝鮮語: 이우줄ま… 李 雨茁(イ・ウジュルまたはイ・ウチュル、朝鮮語: 이우줄または이우출、1913年9月27日または1914年または1915年9月27日 - 1976年1月4日)は、大韓民国の教育者、政治家。大邱市議会議員、第3・4代韓国国会議員を歴任した。 祖父の李圭晙は韓方医である。 大邱府(現・大邱広域市)出身。日本大学法学部卒。慶尚北道民族自決闘争本部総司令、嶺南保安隊副隊長、徳化公民学院設立者、大邱市議会文教分科委員長、罹災民同胞自治会委員長、徳化中学校(現・青丘高等学校(朝鮮語版))校長(1954年時点)、大韓傷痍軍人会慶北支部顧問、自立更生院顧問を務めた。自由党所属で第4代国会議員に就任した直後、1958年7月の再検票により林文碩の方が2800票差で勝ったとわかったため、当選無効判決により議員資格を失った。
星 襄一(ほし じょういち、1913年9月27日 - 197… 星 襄一(ほし じょういち、1913年9月27日 - 1979年6月17日)は、日本の木版画家。国画会会員。日本版画協会会員。 新潟県北魚沼郡小出町(現・魚沼市)出身。台南師範学校を卒業後、台湾で初等教員を務め、終戦後に帰郷。後に上京し、1956年武蔵野美術学校を卒業。孔版画を習う。1949年、日本版画協会賞を受賞。木版画を学ぶ。1959年、国画賞受賞。1960年からは東京国際版画ビエンナーレ展に幾度か作品を出品。星座や雪、樹などを題材とした木版画作品を多く手掛けた。1979年、肺癌により千葉県八千代市の自宅で没した。65歳。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。