千早 猛彦(ちはやたけひこ、1913年(大正2年)9月26日… 千早 猛彦(ちはやたけひこ、1913年(大正2年)9月26日 - 1944年(昭和19年)6月11日)は、日本の海軍軍人。最終階級は、戦死による後二階級特進で海軍大佐。 1913年(大正2年)9月26日、台湾で台湾総督府官吏である父・千早清次郎の次男として生まれる。兄に千早正隆海軍中佐がいる。鹿児島二中を卒業。中学時代の猛彦は体が弱く運動は余り得意ではなかったが、兄に続いて海兵を志願した。しかし中学三年時に担任にこれを明かすと軍事教練の度にへばる事を叱責され発奮、山岳部に所属し体を鍛えた。五年進級時には軍人志望組の級長となり、二年間つとめた。 1934年(昭和9年)11月、海軍兵学校を卒業(第62期)。
窪 徳忠(くぼ のりただ、1913年〈大正2年〉9月25日 … 窪 徳忠(くぼ のりただ、1913年〈大正2年〉9月25日 - 2010年〈平成22年〉10月2日)は、日本の宗教民俗学者、東京大学名誉教授。 1913年(大正2年)東京生まれ。[1937年(昭和12年)東京帝国大学東洋史学科卒業。東京府立豊島師範学校教諭。1938年(昭和13年)応召され、1942年(昭和17年)召集解除となる。東方文化学院研究員、1949年(昭和24年)東京大学東洋文化研究所助教授。 40歳のころ、庚申信仰の起源を巡り中国伝来の道教三尸説起源説を主張し、それまで日本固有説を取っていた他の民俗学者たちと激論となり、国内の実地調査に入りまとめて論証した。 1962年(昭和37年)東京大学文学博士。
三輪 貞治(みわ さだはる、1913年〈大正2年〉9月25日… 三輪 貞治(みわ さだはる、1913年〈大正2年〉9月25日 - 1988年〈昭和63年〉1月31日)は、昭和期の農民運動家、政治家。参議院議員(1期)。 宮崎県児湯郡都農村(現都農町)出身。宮崎県立高鍋農学校(現宮崎県立高鍋農業高等学校)、宮崎青年師範学校を卒業した。大東亜省嘱託、満洲国興農部勤務、満洲拓殖公社勤務、開拓団団長などを務めた。 戦後、宮崎県農民連盟書記長、同委員長、宮崎県農地委員、宮崎県議会議員などを歴任。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で宮崎県地方区に日本社会党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。この間、社会党宮崎県連会長、同党中央執行委員、同会計部長、参議院商工委員長などを務めた。
高田 誠(たかだ まこと、1913年9月24日 - 1992… 高田 誠(たかだ まこと、1913年9月24日 - 1992年10月24日)は、埼玉県出身の洋画家、文化功労者。瑞宝章受章者。浦和画家の代表格として知られる。 埼玉県浦和町(のち浦和市、現・さいたま市)常盤町の代々医者として知られていた旧家である高田家に生まれた。父は医師のほか民政党の県議会議員を務めた高田源八。兄に、医師であり浦和医師会会長、埼玉県産婦人科医会会長、浦和教育委員などを務めた高田進、弟に斎藤工業株式会社代表取締役社長、社団法人埼玉建設産業団体連合会初代会長、社団法人全国建設産業団体連合会会長などを務めた斎藤裕がいる。埼玉県立男子師範学校付属小学校の5、6年生のころに初めて油絵を制作している。
田邊 國男(田辺 国男、または田邉 國男、たなべ くにお、1… 田邊 國男(田辺 国男、または田邉 國男、たなべ くにお、1913年9月24日 - 2005年12月19日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党衆議院議員、山梨県知事、鈴木改造内閣の総理府総務長官、沖縄開発庁長官を歴任したほか、田辺酒造店主でもある。 山梨県塩山市下於曽(現在の甲州市)に生まれる。造酒業を営む田辺家の次男。田邊宗英の甥にあたる。父の田邊七六は戦前に実業界から衆議院議員となった人物で、立憲政友会に所属し幹事長を務め、戦後も日本進歩党に所属し、自民党山梨県連初代会長を務め山梨県政に影響力を持っていた。 1938年(昭和13年)に早稲田大学政治経済学部を卒業し、1958年(昭和33年)に第28回衆議院議員総選挙において旧山梨全県区から立候補し初当選して以来、通算当選9回(当選同期に安倍晋太郎・倉成正・斎藤邦吉など)。
大内田 茂士(おおうちだ しげし、1913年 <大正2年> … 大内田 茂士(おおうちだ しげし、1913年 <大正2年> 9月24日 - 1994年 <平成6年> 2月1日)は、日本の洋画家。日本芸術院会員。位階は正五位。 福岡県朝倉郡大福村(朝倉町を経て、現 朝倉市)出身。1931年、福岡県立朝倉中学校(現 福岡県立朝倉高等学校)卒業。浜哲雄に画家となることを勧められ、高島野十郎らの指導を受ける。23歳で朝倉郡宝珠山小学校代用教員となり、翌年上京して東京新宿絵画研究所で学ぶ。1942年「静物」で国展入選、1943年「隈」が文展入選。1944年応召され、台湾で終戦を迎える。 戦後、父の教え子だった森部隆の後援を受け、1949年に後援会が結成された。示現会の創立に参加し、日展の審査員・評議員も務めた。
田邊 圀男(田辺 国男、たなべ くにお、1913年9月24日… 田邊 圀男(田辺 国男、たなべ くにお、1913年9月24日 - 2005年12月19日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員、山梨県知事、鈴木改造内閣の沖縄開発庁長官、総理府総務長官を歴任したほか、田辺酒造店主。
壬生 台舜(みぶ たいしゅん、1913年9月24日 - 20… 壬生 台舜(みぶ たいしゅん、1913年9月24日 - 2002年6月13日)は、日本の仏教学者、浅草寺第26世貫首。大正大学教授等を務めた。専門は天台教学、仏教学。 1913年生まれ。大正大学仏教学部で学び、卒業。 1962年、学位論文『チベット仏教の基礎的研究』を大正大学に提出して文学博士号を取得。2002年に遷化。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
杉江 敏男(すぎえ としお、1913年9月24日 - 199… 杉江 敏男(すぎえ としお、1913年9月24日 - 1996年10月10日)は、日本の映画監督。 静岡県静岡市(現静岡市清水区)出身。静岡県立静岡中学校卒業。早稲田大学卒業後、1937年にP.C.L(東宝の前身)に入社。山本嘉次郎、豊田四郎、島津保次郎、成瀬巳喜男、黒澤明らの助監督を務め、1950年、『東京の門』で監督に昇進する。以降、『その人の名は云えない』『忘却の花びら』などのロマンスもの、『ジャンケン娘』『お姐ちゃんシリーズ』『若大将シリーズ』などの青春映画、『密輸船』などのアクション映画、『社長シリーズ』やクレージーキャッツ主演のコメディと、多方面に撮り分ける監督として東宝を支えた。公開ベースで見ても、1955年6本、1956年7本、1957年5本、1958年4本、1959年4本、1960年5本、1961年6本・・・と、邦画界の量産時代に、休む間もなく次から次へと会社から回ってくる企画を撮り続け、20年満たない期間に68本もの監督作品を残した。
田中 朋次郎(たなか ともじろう、1913年9月24日 - … 田中 朋次郎(たなか ともじろう、1913年9月24日 - 2003年3月4日)は、日本の競馬騎手、調教師。旧姓・新井(あらい)。 1935年に騎手デビュー。1937年に騎乗馬ハッピーマイトで日本競馬会施行による第1回の帝室御賞典(後の天皇賞・秋)に優勝した。1955年に調教師に転身して以降は、1985年の皐月賞と菊花賞、1987年の天皇賞(春)などを制したミホシンザンなどを手がけた。1984~1988年、日本調教師会々長。1989年、勲五等双光旭日章受章。1992年、定年引退。 1913年、群馬県利根郡白沢村(現・沼田市)の農家に生まれる。白沢尋常小学校高等科を卒業後、村の馬喰の勧めで片品村の千明牧場へ奉公に入り、ここで乗馬の手ほどきを受けた。
右近 徳太郎(うこん とくたろう、1913年9月23日 - … 右近 徳太郎(うこん とくたろう、1913年9月23日 - 1944年9月15日)は、兵庫県武庫郡住吉村(現:神戸市東灘区)出身のサッカー選手。 豊富な運動量とパスの技術に長けるゲームメーカーで、フォワードからフルバックまでどこでも水準以上のプレーをして見せたという。 1913年9月23日、実業家・資産家の右近福次郎、とき(旧姓小寺)の子として、住吉村にて生まれる。兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)の4年生だった1930年、第12回全国中等学校蹴球選手権大会で全国優勝を経験。翌1931年に慶應義塾大学に入学し、ソッカー部では予科1年時から主力選手として活躍。在籍中、チームは関東大学リーグなど大学対抗大会において数々の好成績を挙げた。
吉田 秀和(よしだ ひでかず、1913年(大正2年)9月23… 吉田 秀和(よしだ ひでかず、1913年(大正2年)9月23日 - 2012年(平成24年)5月22日)は、日本の音楽評論家、随筆家。 クラシック音楽の豊富な体験・知識をもとに、音楽の持つ魅力や深い洞察をすぐれた感覚的な言葉で表現し、日本の音楽評論において先導的役割を果たす。音楽のみならず文学や美術など幅広い分野にわたる評論活動を続け、日本の音楽評論家としては初の個人全集が刊行されて、第2回大佛次郎賞を受けた。大の相撲好きでもあった。 1971年から朝日新聞に『音楽展望』を毎月書き続けたが、2003年11月に妻の吉田=クラフト・バルバラと死別した後、『音楽展望』だけでなく他の書く仕事も一切やめた。
平塚 八兵衛(ひらつか はちべえ、1913年(大正2年)9月… 平塚 八兵衛(ひらつか はちべえ、1913年(大正2年)9月22日 - 1979年(昭和54年)10月30日)は、警視庁に在籍した刑事警察官。茨城県新治郡土浦町(現:土浦市)出身。警察功労章、警察功績章受章。退職時の階級は警視。20世紀を代表する多くの事件に携わり、「昭和の名刑事」の異名を持つ。 旧制常総学院中学校卒業。卒業後は土浦で農業に従事していたが、ある事件で誤認逮捕され、土浦警察署での取調中に殴る蹴るの暴行を加えられた。平塚はこの暴行の経験に発憤し、警察官になろうと決意して上京、警視庁に入庁する。 1939年(昭和14年)、平塚は鳥居坂警察署(現・麻布警察署)に配置される。当初は外勤(交番勤務)であったが、のちに刑事係刑事を経て、検挙率が同庁でトップになり、間もなく「花の捜査一課」へ異動する。
生野 専吉(しょうの せんきち、1913年9月22日 - 1… 生野 専吉(しょうの せんきち、1913年9月22日 - 1989年6月6日)は、日本の経営者。三井信託銀行社長を務めた。東京都出身。 1937年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、三井信託銀行に入行した。1971年5月から1979年6月までに社長を務め、1979年6月に相談役に就任。 1983年に勲二等瑞宝章を受章。 1989年6月6日心不全のために死去。75歳没。
前田 泰次(まえだ やすじ、1913年9月21日 - 198… 前田 泰次(まえだ やすじ、1913年9月21日 - 1982年1月16日)は、工芸研究家、東京芸術大学名誉教授。日本金工史、東洋工芸史、工芸論を講じた。 鋳金家・田中後次の子として東京府大森町(現東京都大田区)に生まれる。東京府立第五中学、松本高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部宗教史学科卒。東京帝室博物館、大阪市立美術館勤務、東京美術学校助教授、1959年東京芸大教授。77年定年退官、名誉教授。文化財保護審議会専門委員、日本伝統工芸展鑑査委員。
中川 直木(なかがわ なおき、1913年(大正2年)9月20… 中川 直木(なかがわ なおき、1913年(大正2年)9月20日 - 2000年(平成12年)1月16日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県行田市長。行田市名誉市民。位階は正五位。 埼玉県北埼玉郡忍町(現行田市)出身。1931年(昭和6年)熊谷中学校を卒業し、忍町役場に奉職。行田市助役を経て、1959年(昭和34年)以来行田市長に8選。1975年(昭和50年)埼玉県市長会長、1983年(昭和58年)全国市長会副会長などを歴任し、1991年(平成3年)引退した。ほか、行田市農業委員会会長、行田市開発協会理事長を歴任した。2000年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
與曽井 章平(よそい しょうへい、1913年(大正2年)9月… 與曽井 章平(よそい しょうへい、1913年(大正2年)9月20日 - 1993年(平成5年)11月26日)は、日本の社会学者。愛知教育大学名誉教授。 長野県生まれ。1931年(昭和6年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。松本高等学校を経て、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部を卒業。 愛知学芸大学(現愛知教育大学)教育学部教授。1976年(昭和51年)定年退官。愛知教育大学名誉教授。退官後は、信州大学医療技術短期大学部教授を務めた。
齋藤 毅(さいとう つよし、1913年(大正2年)9月20日… 齋藤 毅(さいとう つよし、1913年(大正2年)9月20日 - 1977年(昭和52年)10月14日)は、昭和期の図書館学者。第4代の国立国会図書館副館長および第5代の図書館短期大学学長。 1913年、山口県大津郡三隅町(現・長門市)で生まれた。1934年に東京帝国大学文学部国文学科に入学。同期に金田一春彦らがいる。1937年3月に卒業。同大学大学院を経に進み、修了。 修了後は、仙台陸軍幼年学校国漢科教官として勤務。1941年、建国大学助教授を命じられ、満州国に渡った。 戦後は、1947年より衆議院事務局嘱託。同年国立国会図書館の職員として一般考査部部付室長、後に連絡調整課長、閲覧部長、総務部長を勤めた。
上田 泰(うえだ やすし、1913年9月20日 - 2008… 上田 泰(うえだ やすし、1913年9月20日 - 2008年4月8日)は、日本の内科学者。 長野県松本市生まれ。1939年東京慈恵会医科大学卒業、1949年医学博士。東京慈恵医大助教授、1958年教授となる。腎盂腎炎に関する研究や腎臓における細菌感染症の化学療法の研究などで知られる。厚生省中央薬事審議会委員などを務めた。佐藤栄作の主治医も務めた。
岡西 明貞(おかにし あきさだ、1913年(大正2年)9月1… 岡西 明貞(おかにし あきさだ、1913年(大正2年)9月19日 - 2003年(平成15年)7月16日)は、昭和期のジャーナリスト、政治家。衆議院議員(2期)。 長崎県西彼杵郡、現在の時津町出身。1939年(昭和14年)明治大学商学部を卒業した。 福岡日日新聞記者となる。長崎県物価統制協力会議事務局長、長崎県価格査定委員会事務局長、長崎民友新聞社取締役などを務めた。 1948年(昭和23年)11月に実施された、今村等の公職追放、本田英作の死去に伴う第23回総選挙の長崎県第1区補欠選挙に民主自由党公認で出馬して初当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
土井 宏二(どい こうじ、1913年9月19日 - 1993… 土井 宏二(どい こうじ、1913年9月19日 - 1993年10月5日)は、日本の実業家、馬主。 1913年、愛知県出身。1939年に慶應義塾大学法学部を卒業後、日本製鋼所を経て1941年に中央製作所庶務課長に就任。1944年に土井航空機工業を設立したのち翌年に土井産業に改称。1954年に土井商事を設立。1993年10月5日、肝不全のため死去。80歳没。 趣味はゴルフ、野球、競馬。 日本中央競馬会(JRA)に登録した馬主としても知られた。勝負服の柄は水色、袖赤三本輪、冠名には「ヤマニン」を用いた。没後は長男の肇がヤマニンゼファーなどの所有馬と服色を引き継いだ。 後述する土井家の馬主のほか、土井商事としても競走馬を所有し、所有馬には1994年の阪神3歳牝馬ステークスなどを制したヤマニンパラダイスや、種牡馬として活躍したヤマニンスキーがいた。
馬場 四郎(ばば しろう、1913年9月19日 - 1972… 馬場 四郎(ばば しろう、1913年9月19日 - 1972年6月15日)は、日本の教育社会学者。 滋賀県出身。1942年東京文理科大学倫理学科卒業。1946年文部省教科書局局員となり、「社会科」教科の誕生に努め、小、中学校教師と協力、社会科教育のあり方を追求した。1950年東京教育大学助教授、教授。1962年「明治以降日本史教科書の研究 その類型とContent analysis」で東京教育大文学博士。コア・カリキュラム連盟(のち日本生活教育連盟)の運動、日教組の教育研究運動にも参加した。
小川 修次(おがわ しゅうじ、1913年9月18日 - 20… 小川 修次(おがわ しゅうじ、1913年9月18日 - 2008年1月16日)は、日本の実業家。日本特殊陶業取締役社長や、同社取締役会長を務めた。 三重県伊勢市出身。三重県立宇治山田中学校(現三重県立宇治山田高等学校)を経て、1935年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業、日本碍子入社。1936年日本特殊陶業に転勤。1961年日本特殊陶業取締役。1965年日本特殊陶業常務取締役。1971年日本特殊陶業専務取締役。1972年日本特殊陶業取締役副社長。1973年日本特殊陶業取締役社長。1977年森村商事取締役。1978年藍綬褒章受章。1979年昭和法人会会長。同年ブラジル連邦共和国サンフランシスコ勲章グラン・クルース章受章。
細野 哲雄(ほその てつお、1913年〈大正2年〉9月18日… 細野 哲雄(ほその てつお、1913年〈大正2年〉9月18日 - 1995年〈平成7年〉5月6日)は、日本の国文学者。信州大学名誉教授。 新潟県北蒲原郡乙村大字荒井浜(現 胎内市荒井浜)出身。 1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1937年(昭和12年)3月に山形高等学校を卒業、4月に東京帝国大学文学部国史学科に入学、1938年(昭和13年)4月に東京帝国大学文学部国文学科に入学、1941年(昭和16年)3月に卒業。 1942年(昭和17年)1月に長野県師範学校教諭に就任、1943年(昭和18年)4月に長野師範学校助教授に就任、1950年(昭和25年)4月に信州大学助教授に就任、1967年(昭和42年)8月に信州大学教育学部教授に就任。
佐々木 秀一(ささき ひでいち、1913年(大正2年)9月1… 佐々木 秀一(ささき ひでいち、1913年(大正2年)9月17日 - 1996年(平成8年)12月19日)は、日本の実業家。佐々木硝子(現・東洋佐々木ガラス)社長、会長を務めた。 1937年(昭和12年)慶應義塾大学経済学部を卒業後、家業の佐々木硝子店に入社。1947年佐々木硝子に改組し、社長に就任。1957年(昭和32年)にはアジア初となるタンブラーグラス生産の自動化を行い、これにより佐々木硝子は成長した。1983年(昭和58年)に会長に就任。 社業以外では東京商工会議所副会頭を務めたほか、1968年(昭和43年)に藍綬褒章、1984年(昭和59年)に勲二等旭日重光章を受章している。
佐藤 長(さとう ひさし、1913年(大正2年)9月16日 … 佐藤 長(さとう ひさし、1913年(大正2年)9月16日 - 2008年(平成20年)1月6日)は、日本の歴史学者、チベット学者。古代チベット史を研究。京都大学名誉教授。 佐藤の住んでいた、京都市中京区丸太町堺町の築100年(明治42年建造)になる木造二階建ての町屋は、遺言により友人の瀬戸内寂聴に譲渡され、2009年(平成21年)に文化サロン「羅紗庵(らさ・あん)」としてオープン。名称はチベット仏教の聖地「ラサ」に因んで命名された。老朽化が進んでいたため、佐藤の没後2008年(平成20年)11月から3ヶ月かけて修理改修が進められた。佐藤と瀬戸内の親交は1943年(昭和18年)瀬戸内が新婚生活を送っていた北京の集合住宅の上階に留学中の佐藤が下宿して以来。
峯村 文人(みねむら ふみと、1913年〈大正2年〉9月14… 峯村 文人(みねむら ふみと、1913年〈大正2年〉9月14日 - 2004年〈平成16年〉3月6日)は、日本の国文学者。 長野県小県郡富士山村(現上田市)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1935年東京高等師範学校卒業、1935年から旧制新潟県立六日町中学教諭を務めた後、1940年東京文理科大学国文科卒業。東京府立第八高等女学校教諭から1942年小樽経済専門学校(学制改革により小樽商科大学)教授、1954年東京教育大学教授、1962年「新古今時代の研究」で東京教育大学文学博士。1977年定年退官、名誉教授、国際基督教大学教授。1984年同客員教授。1986年秋、勲三等旭日中綬章受勲。
鬼丸 勝之(おにまる かつゆき、1913年9月14日 - 1… 鬼丸 勝之(おにまる かつゆき、1913年9月14日 - 1977年2月14日)は、日本の官吏、政治家。自民党所属参議院議員(2期)。位階勲等は従三位勲二等。 福岡県みやま市(旧山門郡瀬高町)生まれ。三人兄弟の長男。父親が関東州民政署勤務で幼少期を旅順、金州、大連で過ごす。1934年、旧制福岡高等学校文科卒。1936年に高文試験合格。 1937年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、内務省に入省。社会局属。1938年より京都府、北海道、福島県にて経済、民生、教育、労働の各部課長、内閣総合計画局、戦災復興院参事官等を歴任。1950年から建設省住宅局企画、大臣官房人事、文書の各課長、首席監察官、住宅局長を経て、1958年 建設省大臣官房長に就任。
小秋元 隆輝(こあきもと たかてる、1913年9月14日 -… 小秋元 隆輝(こあきもと たかてる、1913年9月14日 - 2004年12月20日)は、日本光学工業(後のニコン)の技術者。電気露出計や光電素子を研究、カメラ用検査機器を開発して、高性能で安定した品質のニコン製品の供給を実現した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
堀江 忠男(ほりえ ただお、1913年9月13日 - 200… 堀江 忠男(ほりえ ただお、1913年9月13日 - 2003年3月29日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者、経済学者。早稲田大学名誉教授。 現役時代のポジションはポジションはフルバック(現在のディフェンダー)。静岡県浜名郡舞阪町(現:浜松市)出身。 静岡県立浜松第一中学校(現:静岡県立浜松北高等学校)時代にサッカーを始め、早稲田高等学院を経て早稲田大学政治経済学部に進学。在学中はア式蹴球部に所属した。 在学中の1934年5月に開催された第10回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出されて、5月15日のフィリピン代表戦で初出場した。また、1936年にはベルリンオリンピックの日本代表に選出された。
益田 哲夫(ますだ てつお、1913年9月13日 - 196… 益田 哲夫(ますだ てつお、1913年9月13日 - 1964年7月10日)は日本の労働組合運動活動家。第二次大戦後、自動車産業の労働組合として結成された全日本自動車産業労働組合(略称全自:1948〜1954)およびその支部である日産自動車分会(略称日産分会)で指導者として活躍し、マステツの愛称で知られる。益田の指導で行われた職場闘争や、1952年に起草した全自の「賃金原則」は現在でも高い評価を受けている。著書に『明日の人たち』(五月書房, 1954年)がある。 鹿児島県徳之島出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)から第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学法学部卒。在学中に高等文官試験(高文)に合格したとの伝説もある。
梅田 善司(うめだ ぜんじ、1913年9月13日 - 200… 梅田 善司(うめだ ぜんじ、1913年9月13日 - 2004年8月24日)は、日本の実業家。川崎重工業社長、会長を務めた。 和歌山県那賀郡岩出町出身。旧制高知高等学校を経て1939年に京都帝国大学法学部を卒業し、川崎造船所に入社した。1964年12月に取締役、1969年11月に常務、1975年5月に専務を経て、1976年11月から副社長に就任し、1977年6月に社長に就任した。在任中は、日本で初めて、LNG運搬船の受注を獲得したり、韓国の現代グループへの技術支援や中国で大口受注を獲得するなど海外展開にも積極的に取り組んでいった。1981年6月に会長、12月に取締役相談役を経て、1987年6月から2002年6月までに相談役を務めた。
高橋 一夫(たかはし かずお、1913年9月13日 - 20… 高橋 一夫(たかはし かずお、1913年9月13日 - 2004年10月24日)は、日本の実業家。中部日本放送社長を務めた。愛知県出身。 日本大学専門部法科に進学するも中退し、1951年に中部日本放送に入社した。 テレビ局営業部長、取締役、、常務、専務、副社長を経て、1987年6月から1993年6月までに社長を務めた。 また日本民間放送連盟副会長も務めた。 2004年10月24日呼吸不全のために死去。91歳没。
橋本 菊子(はしもと きくこ、1913年9月12日 - 20… 橋本 菊子(はしもと きくこ、1913年9月12日 - 2004年2月4日)は、日本の女優。東京都出身。 1934年、久松喜世子の内弟子として新国劇に入所。 1937年、文学座に入団。1度は結婚・子育てのために女優業を退いたものの、1951年、ラジオ東京放送劇団に1期生として入団。 1955年、再び文学座に所属、 1959年、鈴木事務所に所属し、劇団現代劇場、文芸ぷろ、エヌ・エー・シー、劇団手織座に所属していた。 1998年、脳梗塞を発症。 2004年2月4日、死去。 三回忌となる2006年に遺族が「遺句集 菊一輪」を出版した。
豊田 英二(とよだ えいじ、1913年(大正2年)9月12日… 豊田 英二(とよだ えいじ、1913年(大正2年)9月12日 - 2013年(平成25年)9月17日)は、日本の実業家。位階は正三位。勲等は勲一等。豊田佐吉の甥。 トヨタ自動車工業株式会社社長(第5代)、トヨタ自動車株式会社会長(初代)、同社名誉会長(初代)、同社最高顧問(初代)、社団法人日本自動車工業会会長(第2代)、財団法人トヨタ財団理事長(初代)、学校法人トヨタ学園理事長(初代)、学校法人トヨタ東京整備学園理事長(初代)、助成財団資料センター(現公益財団法人助成財団センター)理事長(初代)などを歴任した。石田退三と共に「トヨタ中興の祖」と呼ばれている。 愛知県西春日井郡金城村(現・名古屋市西区堀端町)に豊田平吉の二男として生まれた。
児玉 定子(こだま さだこ、1913年9月11日 - 199… 児玉 定子(こだま さだこ、1913年9月11日 - 1991年10月2日)は、日本の栄養学者。 東京出身。東京家政専門学校(現東京家政学院大学)卒。労働科学研究所の生化学栄養研究室研究員をへて,昭和女子大学助教授,福島県立会津短期大学教授、帝京短期大学教授を務めた。日本料理四条真流師範。
山崎 五郎(やまざき ごろう、1913年(大正2年)9月8日… 山崎 五郎(やまざき ごろう、1913年(大正2年)9月8日 - 1976年(昭和51年)4月6日)は、昭和期の労働官僚、政治家。参議院議員(2期)。 秋田県山本郡上岩川村(琴丘町上岩川を経て現三種町上岩川)で生まれる。1932年(昭和7年)秋田県立能代中学校(現秋田県立能代高等学校)を卒業した。 秋田県庁に入庁。内務省に転じ、戦後は厚生省労政局勤務、労働省労政局労働組合課長、公共企業体等労働委員会事務局長、中央労働委員会事務局長などを歴任した。 1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙で秋田県第1区から自由民主党公認で出馬して落選。1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で秋田県地方区から自民党公認で出馬して初当選。
関根 龍之焏(せきね りゅうのじょう、1913年(大正2年)… 関根 龍之焏(せきね りゅうのじょう、1913年(大正2年)9月8日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県岩槻市長(第6代 – 第8代)。 埼玉県出身。組合立中部実業学校(現・埼玉県立岩槻商業高等学校)卒。岩槻市教育委員、同市議会議員を経て、1967年、同市助役に就任する。1973年、岩槻市長であった折原一が収賄容疑で逮捕されて辞任した事に伴う岩槻市長選挙に立候補して当選し、第6代岩槻市長に就任。1985年に退任するまで、岩槻市長を3期務めた。
西谷 能雄(にしたに よしお、1913年9月8日 - 199… 西谷 能雄(にしたに よしお、1913年9月8日 - 1995年4月29日)は、出版社・未來社の創業者。新潟県佐渡島出身(北海道生まれ)。 旧制佐渡中学卒業後、ストライキで東京外国語学校ロシヤ語科を退学になり、1937年明治大学文藝科卒業。京都大学で哲学を教えていた従兄西谷啓治の世話により京都の弘文堂に勤務する。当時、弘文堂は学術出版社として名高く、「東の岩波、西の弘文堂」と言われたほどで、ほぼ官立大学・国立大学の教授の著書しか出版せず、権威主義の傾向が強かった。しかし西谷は当時まだ無名だった木下順二の『夕鶴』を弘文堂の啓蒙的叢書「アテネ文庫」に入れることを企画会議で頑強に提案した。この企画が当たって『夕鶴』が版を重ねたことから、無名の著者の原稿でも優れていれば刊行すべきであるとの信念を持つに至る。
小川 義男(おがわ よしお、1913年9月8日 - 2011… 小川 義男(おがわ よしお、1913年9月8日 - 2011年11月10日)は、日本の実業家。元住友軽金属工業(現・UACJ)社長・会長、名誉相談役、住軽アルミニウム工業社長、日本アルミニウム連盟会長。 北海道小樽市出身。1937年に東京帝国大学法学部を卒業し、住友金属工業に入社。企画課長、商務部長、東京支社長などを経て、1961年取締役、1962年支配人、1964年常務、1967年専務、1971年副社長。日向方斎社長の有力な後継者候補と言われたが、1974年に経営危機に陥っていた住友軽金属工業社長に転出。同社の再建に尽くした。1977年に住軽アルミニウム工業社長を兼任。1980年に住友軽金属工業会長となり、1986年に相談役となった。
武藤 保之助(むとう やすのすけ、1913年(大正2年)9月… 武藤 保之助(むとう やすのすけ、1913年(大正2年)9月7日 - 2003年(平成15年)2月25日)は、日本の政治家。埼玉県所沢市長。 家業は市内上安松の押絵羽子板製造業「ムトー人形」。所沢市議会議員、1968年 - 1971年市議会議長を経て、1983年 - 1987年市長。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
石本 茂(いしもと しげる、女性、1913年9月6日 - 2… 石本 茂(いしもと しげる、女性、1913年9月6日 - 2007年10月10日)は、日本の女性政治家、看護師。自由民主党参議院議員(4期)。日本赤十字社富山県支部赤十字病院救護看護婦養成所卒業。石川県小松市出身。 救護看護婦養成所卒業後、看護師となり、戦後は厚生省国立病院課看護係長、国立がんセンター初代総婦長などを経て、1965年の参議院議員選挙に全国区から無所属で立候補し初当選。5年後に自民党に入党。党内では福田赳夫→安倍晋太郎派に属し、1984年11月から1985年12月まで史上3人目の女性閣僚として第2次中曽根改造内閣の環境庁長官を務めた。 1986年4月の春の叙勲で勲七等から勲一等に叙され、瑞宝章を受章する。
霜多 正次(しもた せいじ、1913年9月5日 - 2003… 霜多 正次(しもた せいじ、1913年9月5日 - 2003年4月16日)は、日本の小説家である。元日本共産党員。 沖縄県国頭郡今帰仁村に生まれた。沖縄県立第一中学校から旧制五高に進学。同級の梅崎春生と親交を結び、文学の道をめざす。東京帝国大学英文科卒業後、1940年に応召し、各地を転戦したあとブーゲンビル島に配属される。日本の敗色が濃厚となった1945年5月、オーストラリア軍に投降し、捕虜となる。 復員後、故郷には戻らず、東京で文学をめざし、新日本文学会の事務局に勤務しながら小説を書く。1950年、雑誌『新日本文学』に「木山一等兵と宣教師」を発表、作家として認められるようになる。 このころから、西野辰吉・窪田精・金達寿たちと交流を深めていく。
丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年(大正2年)9月4日… 丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年(大正2年)9月4日 - 2005年(平成17年)3月22日)は、日本の建築家、都市計画家。一級建築士(登録番号第15182号)。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章、文化勲章受章。フランス政府よりレジオンドヌール勲章受章。カトリック信徒(洗礼名:ヨセフ)。 日本では「世界のタンゲ」と言われたように、日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍し、認知された一人。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がける。磯崎新、黒川紀章、槇文彦、谷口吉生などの世界的建築家を育成した。また、日本人並びにアジア人として初めてプリツカー賞を受賞した人物である。
高橋 政知(たかはし まさとも、1913年〈大正2年〉9月4… 高橋 政知(たかはし まさとも、1913年〈大正2年〉9月4日 - 2000年〈平成12年〉1月31日)は、日本の実業家。オリエンタルランドの元社長であり、東京ディズニーランドの誘致に関わった。太田政弘の二男。 福島県福島市出身。1961年にオリエンタルランドに専務として入社し、1978年8月に第2代社長に就任した。千葉県浦安沖の漁業権放棄に向けた補償交渉を地元漁業協同組合などと進めた後、東京ディズニーランドの建設に向けてディズニー社との交渉を担当した。 その後、世界初の「海」をテーマにしたディズニーパークである東京ディズニーシーーを含む「東京ディズニーリゾート」の実現に大きく貢献した。 東京ディズニーシーの完成を目前にした2000年1月31日午後0時38分、心不全のため東京都港区の病院で死去。
家永 三郎(いえなが さぶろう、1913年9月3日 - 20… 家永 三郎(いえなが さぶろう、1913年9月3日 - 2002年11月29日)は、日本の歴史学者。専門は思想史(日本思想)。学位は文学博士(東京大学)。東京教育大学名誉教授。甥に歴史学者の家永遵嗣がいる。 国民精神文化研究所の機関誌『国民精神文化』第九巻第二号によると、1月11日から3月20日までの課程修了者29人の1人。クラスの科目は、「皇国の道」(紀平正美)、「皇国哲理」(佐藤通次)、「国体と政治」(大串兎代夫)、「大東亜教育論」(伏見猛弥)など。なお、文部省発令事項の東京教育大学が作成した正規の年譜からは削除している。国民精神文化研究所の歴史部門責任者の東京高師の長老松本彦次郎に知られ、東京高師へ栄転。
南川 潤(みなみかわ じゅん、1913年9月2日 - 195… 南川 潤(みなみかわ じゅん、1913年9月2日 - 1955年9月22日)は東京府出身の小説家。風俗小説で知られた。本名、秋山賢止(けんじ)。
森川 晃卿(もりかわ こうきょう、1913年 <大正2年> … 森川 晃卿(もりかわ こうきょう、1913年 <大正2年> 9月2日 - 1989年 <平成元年> 11月23日)は、ドイツ文学者。位階は従三位。勲二等瑞宝章。 兵庫県生まれ。旧制姫路中学、旧制姫路高等学校を経て1936年東京帝国大学文学部独文科卒。1939年宇部工業専門学校教授、1946年姫路高等学校教授、1949年京都大学教養部助教授、1954年大阪市立大学教授、67年文学部長、71年学長、80年定年退官、名誉教授、相愛女子大学学長、相愛大学学長。1985年秋の叙勲で勲二等瑞宝章を受章。1988年流通科学大学学長。1984年大阪市民特別功労賞受賞。1989年死去。死没日付をもって従六位から従三位に進階した。
蘭 郁二郎(らん いくじろう、1913年9月2日 - 194… 蘭 郁二郎(らん いくじろう、1913年9月2日 - 1944年1月5日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家。本名は遠藤 敏夫(えんどう としお)。林田 葩子(はやしだ はなこ)というペンネームもある。 東京都生まれ。東京高等工業学校電気学科卒業。SF好きだった母の影響を受け、SF小説同人誌を学生時代に多数発表。その後、1931年に平凡社刊『江戸川乱歩全集』の月報付録「探偵趣味」にショートショート『息を止める男』を応募し、これがデビュー作となった。1935年には、大慈宗一郎、中島親、荻一之助らとともに同人誌『探偵文学』を創刊。1937年に『シュピオ』と改題してからは、海野十三、小栗虫太郎、木々高太郎とともに編集を務めた。
緒方 景俊(おがた かげとし、1913年(大正2年)9月1日… 緒方 景俊(おがた かげとし、1913年(大正2年)9月1日 - 1982年(昭和57年)12月26日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官、第8代航空幕僚長。 教員・緒方竜之進の息子として鹿児島県に生まれる。伊集院中学、東京府立四中を経て、陸軍士官学校に入校。陸軍大学校を恩賜軍刀組で卒業。第3飛行団司令部員、第51教導飛行師団参謀、大本営参謀等を務めたのち、陸軍省軍務局課員で終戦を迎える。 戦後は公職追放を経て、1952年(昭和27年)7月に警察予備隊に入隊。1954年(昭和29年)7月に航空自衛隊の発足と同時に転官。空自では航空保安管制気象群司令、空幕人教部副部長を務めたのち、陸自に転身して陸幕第5部副部長、その後は防衛研修所副所長、統合幕僚会議事務局長と空自の主流ポストを歩いてはこなかったが、術科教育本部長となり、1968年(昭和43年)7月にFX(次期主力戦闘機)の調査団長として渡米。