木村 和久(きむら かずひさ、1959年6月19日 - )は… 木村 和久(きむら かずひさ、1959年6月19日 - )は、日本のコラムニスト、作家である。自称・トレンドウォッチャー。 宮城県石巻市出身。宮城県石巻高等学校を経て、明治学院大学社会学部卒業。 バブル経済全盛期以降、世の中のトレンドを追求。雑誌や新聞で恋愛などについて執筆するほか、ゴルフ、株式取引関係でも長期連載を行う。
宮城県 石巻市:118人
木村 和久(きむら かずひさ、1959年6月19日 - )は… 木村 和久(きむら かずひさ、1959年6月19日 - )は、日本のコラムニスト、作家である。自称・トレンドウォッチャー。 宮城県石巻市出身。宮城県石巻高等学校を経て、明治学院大学社会学部卒業。 バブル経済全盛期以降、世の中のトレンドを追求。雑誌や新聞で恋愛などについて執筆するほか、ゴルフ、株式取引関係でも長期連載を行う。
阿部 俊子(あべ としこ、1959年〈昭和34年〉5月19日… 阿部 俊子(あべ としこ、1959年〈昭和34年〉5月19日 - )は、日本の政治家、看護師。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。 文部科学大臣(第31・32代)、文部科学副大臣(第2次岸田第2次改造内閣)、外務副大臣(第4次安倍第1次改造内閣)、農林水産副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、外務大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院外務委員長、自由民主党副幹事長、同国会対策委員会副委員長、日本看護協会副会長、東京医科歯科大学助教授などを歴任。衆議院議員としての名義は、あべ俊子。 宮城県石巻市出身、現住所は岡山県津山市伏見町。宮城学院中学校・高等学校、宮城学院女子短期大学卒業、栄養士として勤務しつつ准看護師学校在籍。
半海 一晃(はんかい かずあき、1958年〈昭和33年〉8月… 半海 一晃(はんかい かずあき、1958年〈昭和33年〉8月11日 - )は、日本の俳優。宮城県石巻市貞山(旧町名:南谷地)出身。マックス・プロモート所属。宮城県石巻高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒業。既婚。 1981年にオンシアター自由劇場に入団。 1988年にはオフオフ東京を結成。 金田明夫とは親交があり、友人の間柄である。 課長・教頭などの役柄が多いためか、「中間管理職俳優」を自称している。 堤幸彦作品にたびたび起用されている。
たなか 亜希夫(たなか あきお、1956年1月6日 - )は… たなか 亜希夫(たなか あきお、1956年1月6日 - )は、日本の漫画家。 宮城県石巻市出身。小池一夫の主宰した漫画・劇画製作者を養成する私塾「劇画村塾」出身。代表作は『軍鶏』など。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
杉山 光男(すぎやま みつお、1956年 - )は、日本の作… 杉山 光男(すぎやま みつお、1956年 - )は、日本の作家、劇画原作者、歴史研究家、ゴルゴ13研究家。宮城県石巻市生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業。 出版社勤務を経て、1990年より執筆活動を始める。また、歴史研究家として、テレビ東京「新説!?みのもんたの日本ミステリー!〜失われた真実に迫る〜」「新説!? 日本ミステリー」にしばしば出演。「武田信玄と上杉謙信は信長に暗殺されていた」「武田信玄と徳川家康は親子だった」「佐々木小次郎はキリシタンだった」「千利休は家康の指令で秀吉暗殺を企んだ」「篤姫は将軍家定と大老井伊直弼暗殺の黒幕だった」等の奇説を展開している。 ゴルゴ13研究家としては、書籍やWebサイト『THEゴルゴ道』等の企画・執筆・解説等を担当。
鈴鹿 景子(すずか けいこ、1955年〈昭和30年〉11月2… 鈴鹿 景子(すずか けいこ、1955年〈昭和30年〉11月21日 - 2023年〈令和5年〉7月18日)は、日本の女優。本名:鈴木 克枝。 宮城県石巻市出身。両親は雀荘を運営していた。宮城県石巻女子高等学校(現・宮城県石巻好文館高等学校)卒業。 高校卒業後、文学座研究所を経て文学座座員となる。文学座映画放送部に所属していた。 1976年、オーディションで314人の中から選ばれ、NHK朝の連続テレビ小説『火の国に』のヒロインとしてデビュー。以後、テレビや舞台などで活躍する。 1989年に文学座退座後、1994年に個人事務所を設立し、舞台を中心に活躍。 宮城の方言で民話を語る一人芝居をライフワークとし、1998年には語りを務めたラジオ番組『民話のなかの女たち』(tbcラジオ)が文化庁芸術祭で優秀賞などを受賞した。
原田 康弘(はらだ やすひろ、1955年4月17日 - )は… 原田 康弘(はらだ やすひろ、1955年4月17日 - )は、宮城県石巻市出身の日本陸上競技・短距離走元選手、指導者、教育者。 1977年に200mと400mで日本記録を打ち出した。 日本体育大学体育学部を卒業。 日本学生陸上競技対抗選手権で200m4連覇。日本陸上競技選手権では100m、200m、400mで優勝した。300mの日本最高記録を樹立したこともある。 日本陸上競技連盟で理事や強化委員長を歴任した。 日本オリンピック委員会で理事、アンチ・ドーピング委員長、ナショナルトレーニングセンター委員会の副委員長を務めた。
齋藤 正美(さいとう まさみ、1954年(昭和29年)12月… 齋藤 正美(さいとう まさみ、1954年(昭和29年)12月19日 - )は、日本の政治家、一級建築士。宮城県石巻市長(2期)。宮城県議会議員(7期)、石巻市議会議員(1期)を歴任。 宮城県石巻工業高等学校土木科、日本大学工学部建築学科を卒業。一級建築士として活動する。 1984年、石巻市議会議員選挙に初当選。1987年に宮城県議会議員となり通算4期務めた。 2003年、自由民主党宮城県第5区総支部長となり、国政進出を図った。2003年、2005年、2009年の3度衆議院選挙に出馬するも、いずれも民主党公認の安住淳に敗れ落選した。 2011年の宮城県議会議員選挙に出馬し県議に復帰。2019年から2021年まで県議会副議長を務めた。
藍 美代子(あい みよこ、旧芸名:純 エリ子(じゅん えりこ… 藍 美代子(あい みよこ、旧芸名:純 エリ子(じゅん えりこ)、本名:宮澤 美代子(みやざわ みよこ)、1954年6月20日 - )は、宮城県石巻市出身の元歌謡曲、現在ジャズの歌手で、パブスナック経営者。 小学校低学年の頃から声楽、ピアノ、日本舞踊および三味線を習った(仙台市青葉区に本社・本店のある大井時計店(現・大井ジュエリー)のコマーシャルソング(1965年)では、当時小学生とは思えない素晴しい歌唱を披露している)。1970年に日本コロムビアのオーディション番組『全国歌謡コンクール』で優勝。同年に「純エリ子」の芸名で日本コロムビアレコードよりデビュー。デビューシングル『初めての約束/悲しみのバラード』他3枚のシングル盤を発表。
菊地 由希子(きくち ゆきこ、1954年2月6日 - )は、… 菊地 由希子(きくち ゆきこ、1954年2月6日 - )は、日本の女優。宮城県石巻市出身。サイアン所属。 身長155cm。体重45kg。血液型AB型。 特技はジャズダンス、キャットカーヴィング。保母資格、幼稚園教諭2級の資格を持つ。
大島幹雄(おおしま みきお、1953年8月20日 - )は、… 大島幹雄(おおしま みきお、1953年8月20日 - )は、日本のノンフィクション作家。サーカス学会会長、石巻学プロジェクト代表、石巻若宮丸漂流民の会事務局長。 宮城県石巻市出身。早稲田大学文学部露文科卒業。アフタークラウディカンパニー(ACC)勤務。世界からサーカスや道化師を呼んで、日本でプロデュースしていた。 2018年アフタークラウディカンパニーを退職。2019年6月にサーカス学会を立ち上げ、会長に就任。 東日本大震災後生まれ故郷である石巻で、さまざまな復興活動に従事、2015年石巻学プロジェクトを結成、代表となる。同年石巻地区の歴史・文化の発掘、さらには石巻地区の過去・現在・未来を繋ぐための地域誌『石巻学』を創刊、現在まで8号を刊行している。
佐々木 幸男(ささき ゆきお、1950年9月3日 - )は、… 佐々木 幸男(ささき ゆきお、1950年9月3日 - )は、日本のシンガーソングライター。宮城県桃生郡(現石巻市)生まれ。小学校1年生の時、北海道札幌市に移住。高田みづえ、倉橋ルイ子などへ楽曲も提供した。現在は札幌を中心に活動を続けている。 札幌市の進学校である北海道札幌東高等学校へ進学。 北海道教育大学在学中の1970年に、いなむら一志らとバンド「第一巻第百章」を結成し、音楽活動を開始。大学卒業後の1976年に、『第11回ヤマハポピュラーソングコンテストつま恋本選会』にソロとしてエントリーし、「君は風」で優秀曲賞を受賞。また、同年11月に開催された『第7回世界歌謡祭』の本選にも出場した。 その後、1977年6月に「君は風」でディスコメイトレコードからデビュー。
岩渕 明(いわぶち あきら、1949年9月18日 - )は、… 岩渕 明(いわぶち あきら、1949年9月18日 - )は、日本の機械工学者。岩手大学学長や、日本機械学会副会長を務めた。
和泉 耕二(いずみ こうじ、1947年(78 - 79歳) … 和泉 耕二(いずみ こうじ、1947年(78 - 79歳) - )は、日本の作曲家。 宮城県石巻市出身。国立音楽大学大学院音楽研究科作曲専攻修了。高田三郎、廣瀬量平、島岡譲らに師事する。尚美学園講師を経て、1997年より大阪音楽大学教授、ほかに京都市立芸術大学で教える。日本現代音楽協会と日本作曲家協議会会員、オーケストラ・プロジェクト同人。作風は最初の戦後世代らしくはっきりした語法と主張が特徴的。
阿部 良男(あべ よしお、1946年5月15日 - 2017… 阿部 良男(あべ よしお、1946年5月15日 - 2017年6月29日[要出典])は、宮城県石巻市出身のプロ野球選手(外野手)。 宮城水産高校を卒業後、クラブチームのオール常磐(旧:常磐炭鉱)に進む。1966年の都市対抗で活躍、準々決勝に進出するが日本石油(エースは平松政次)に抑えられ敗退。チームメイトに、後にプロ入りする矢部祐一がいた。1968年のドラフト4位指名で、西鉄ライオンズへ入団。 1969年から一軍で活躍し、右翼手、中堅手として69試合に先発出場、同年のジュニアオールスターにも選出される。 1971年には開幕から一番打者として起用され、104試合に出場。 1972年には中堅手の定位置を得て、初の規定打席(打率.256)に達する。
三浦 亨(みうら とおる、1946年 - )は、日本の振付師… 三浦 亨(みうら とおる、1946年 - )は、日本の振付師、ダンサー。宮城県桃生郡桃生町(現・石巻市)出身。 カーニバル三浦という芸名での活動もしている。 宮城県桃生郡桃生町(現・石巻市)出身。宮城県石巻高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒業。 1970年、西条満の元でダンサーとしてデビュー。1973年に天地真理「恋する夏の日」で振付師としてデビュー。1970年代中盤から1980年代まで放送されたNHKの音楽番組『レッツゴーヤング』でダンス指導を担当し、所謂「80年代アイドル」やバックダンサーのスクールメイツの振り付けを多く担当する。 1985年からはおニャン子クラブの振り付けを担当。以降フジテレビの番組の振り付けを多く担当する。
日下 正勝(くさか まさかつ、1944年10月17日 - )… 日下 正勝(くさか まさかつ、1944年10月17日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 東北高等学校では1961年、2年生の時に夏の甲子園に左翼手として出場。2回戦で岐阜商に敗退。高校同期に及川宣士投手、村上宏通二塁手(阪急)がいる。 1962年に大洋ホエールズへ入団。1964年にイースタンリーグの本塁打王と打点王を獲得。同年のジュニアオールスターにも出場する。翌1965年もイースタンリーグ本塁打王を再度獲得。1966年には一軍に定着し、左翼手として16試合に先発出場。その後は守備固め外野手としての出場が多かったが、次第に粘り強い打撃が評価され、左投手への代打として起用される。
勝又 進(かつまた すすむ、1943年12月27日 - 20… 勝又 進(かつまた すすむ、1943年12月27日 - 2007年12月3日[要出典])は、日本の漫画家、イラストレーター。宮城県桃生郡河北町(現:石巻市)出身。 1943年、宮城県百生郡河北町(現:石巻市)に生まれる。父親は生まれてすぐ亡くなったと聞かされて少年時代を過ごす。 1949年8月、母きしえ病死。家を継いだ姉の重子、義兄の栄夫婦に育てられる。 1962年3月、大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川工業高等学校電気科卒業。卒業後は東京の専門商社・日製産業株式会社で電子顕微鏡や理化学機器を研究者に売り込む営業マンとして3年間働いていたが、1965年3月に退職。 1965年4月、東京教育大学物理学科に入学。
土井 喜美夫(どい きみお、1943年〈昭和18年〉9月28… 土井 喜美夫(どい きみお、1943年〈昭和18年〉9月28日 - 2011年〈平成23年〉3月11日)は、日本の政治家。宮城県石巻市長。 石巻市出身。石巻高等学校、中央大学経済学部卒業。 1974年から内海英男衆議院議員の第一秘書を務め、内海が政界を引退した第40回衆議院議員総選挙(1993年)に内海の事実上の後継として旧宮城2区に無所属で出馬するも次点で落選(当選は菊池福治郎、日野市朗、大石正光)。次の第41回衆議院議員総選挙(1996年)には新進党公認として宮城5区から出馬したが旧民主党の安住淳に敗れた。 その後、市川一朗の宮城県知事選出馬に伴う議員辞職で行われた参議院議員補欠選挙(1997年)に出馬したが前衆議院議員岡崎トミ子に敗れた。
庄司 捷彦(しょうじ かつひこ、1943年8月30日 - )… 庄司 捷彦(しょうじ かつひこ、1943年8月30日 - )は、日本の弁護士・詩人。仙台弁護士会所属。自由法曹団所属。
北原 耕也(きたはら こうや、1943年 - )は、日本の作… 北原 耕也(きたはら こうや、1943年 - )は、日本の作家。宮城県牡鹿郡蛇田村(現石巻市)出身。仙台市在住。 大学を中退して演劇の世界に身を投ずる。その間、十指に余る職業を経験。この体験から、長く労働組合運動に関わる。のちに一線を退き、作家。小説のほか、ノンフィクション、文芸評論など幅広い分野で執筆活動をおこなっている。 日本民主主義文学会会員。 2011年3月11日、仙台市若林区にいて東日本大震災に遭遇。その体験と大勢の児童・教師が犠牲になった郷里石巻市の市立大川小学校の惨事から、管理下にあった児童・生徒全員が助かった釜石市への取材を思い立ち、ルポルタージュ『津波の町に生きる』を執筆、出版する。
大木 英夫(おおき ひでお、1943年 - 2010年3月2… 大木 英夫(おおき ひでお、1943年 - 2010年3月25日)は、日本の歌手。 宮城県石巻市出身。 本名:佐藤政穐(さとう まさあき)。
亀山 紘(かめやま ひろし、1942年(昭和17年)10月2… 亀山 紘(かめやま ひろし、1942年(昭和17年)10月26日 - )は、日本の政治家、元大学教授。元宮城県石巻市長(3期)。工学博士(東北大学)。 宮城県石巻市出身。石巻市立住吉小学校、石巻市立住吉中学校、宮城県石巻高等学校、神奈川大学工学部応用化学科卒業。 2012年(平成24年)、市教育委員会が開いた、児童23人が津波の犠牲になった石巻市立大川小学校の保護者への説明会で「もし自分の子どもが亡くなったら、思いを償っていくという、自分自身に問うということしかない。これが自然災害における宿命だと思っております」と述べ、遺族から批判を受けた。 2016年(平成28年)10月26日、大川小津波訴訟で仙台地裁が宮城県と石巻市に対し損害賠償の支払いを命じる。
小山 金七(こやま きんしち、1942年7月5日 - 200… 小山 金七(こやま きんしち、1942年7月5日 - 2000年3月31日)は、日本の警察官。「落とし」の名刑事といわれる。 宮城県石巻市生まれ。宮城県立飯野川高等学校定時制(現宮城県石巻北高等学校飯野川校)卒業。 1962年警視庁巡査。1963年上野警察署警ら係、1967年同署刑事課捜査係。1973年警視庁巡査部長、尾久警察署刑事課捜査係。1976年刑事部捜査第一課。 以後、丸の内警察署刑事課捜査係長、刑事部捜査第一課主任、小松川警察署刑事課長代理、刑事部捜査第一課係長、八王子警察署刑事課長、刑事部捜査第一課管理官を歴任。 巡査部長、警部補、警部、警視の各階級で通算17年間にわたり刑事部捜査第一課に所属し、ロス疑惑、坂本弁護士一家殺人事件、トリカブト殺人事件、地下鉄サリン事件、警察庁長官狙撃事件、南長崎6丁目警察官殺害事件などを担当した。
三浦 信行(みうら のぶゆき、1942年 - )は、日本の政… 三浦 信行(みうら のぶゆき、1942年 - )は、日本の政治学者。国士舘大学名誉教授、1994年-2003年、2012年-2015年に国士舘大学学長を歴任。専門は政治思想史、国際政治。 宮城県石巻市(旧河北町)出身。南カリフォルニア大学留学を経て、1972年 国士舘大学大学院政治学研究科博士課程修了。博士(政治学)。博士論文審査の主査は、田村幸策、神川彦松。1994年より2002年までと、2012年より2015年まで、通算4期12年、学長を務める。現在は同大学教学顧問。初回在任中の2002年に「21世紀アジア学部」(2022年現在、国士舘大学にしかない)を開設した。みやぎ絆大使、石巻・川の上プロジェクト理事長を務める。
安倍 吉輝(あべ よしてる、1941年9月28日 - 200… 安倍 吉輝(あべ よしてる、1941年9月28日 - 2009年10月25日)は、日本棋院に所属する囲碁の棋士(東京本院所属、九段)。門下に金川正明、釼持丈。女流棋士の岡田結美子は実娘、イラストレーターの安倍吉俊は息子。 宮城県石巻市出身。1954年に院生。1960年入段。1962年、藤沢朋斎の門下となる。 1986年九段へ昇段。この間藤沢秀行の主宰する研究会(通称「秀行塾」)で薫陶を受ける。低段時代はよく一次・二次予選突破を果たし、「枠抜けのアベちゃん」の異名を取った。大手合の第二部で、三等に三回連続入賞。1965年、梶原武雄を団長、林裕を副団長とする囲碁使節団の一員として工藤紀夫とともに、1ヶ月中国を訪問。
奥山 興悦(おくやま こうえつ、1941年3月28日 - )… 奥山 興悦(おくやま こうえつ、1941年3月28日 - )は、日本の裁判官、公証人、弁護士。最高裁判所家庭裁判所調査官研修所長や、釧路地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任した。瑞宝重光章受章。 宮城県石巻市生まれ。宮城県石巻高等学校を経て、1964年東北大学法学部卒業。1966年東京地方裁判所判事補。1969年仙台地方裁判所判事補。1972年最高裁判所事務総局家庭局付。1975年家庭裁判所調査官研修所教官。1977年盛岡地方裁判所一関支部長。1979年最高裁判所事務総局家庭局第三課長。1983年最高裁判所事務総局家庭局第一課長。1985年東京地方裁判所判事。1988年司法研修所民事裁判教官、法務省司法試験考査委員(民事訴訟法担当)。
高橋 資祐(たかはし もとすけ、1941年〈昭和16年〉1月… 高橋 資祐(たかはし もとすけ、1941年〈昭和16年〉1月11日 - 2007年〈平成19年〉11月8日)は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家・監督、キャラクターデザイナー。宮城県石巻市出身。 1959年3月に宮城県石巻高等学校卒業後、石巻市役所に就職。美術を学ぶため、日本デザインスクールに入学するも1963年に同校を中退。第一広告(現・I&S BBDO)、文珠デザインスタジオの商業デザイナーを経て、草月アニメフェスティバルでアニメに興味を持ち、1966年8月に新聞の社員募集広告に応募して竜の子プロダクション(タツノコプロ)へ入社。 同プロでは笹川ひろしや吉田竜夫らの下で『おらぁグズラだど』『昆虫物語 みなしごハッチ』などの原画・演出を担当した他、作画チーフも務めた。
徳増 俊郎(、1938年〈昭和13年〉2月14日 - )は日… 徳増 俊郎(、1938年〈昭和13年〉2月14日 - )は日本の映画プロデューサー。宮城県石巻市出身。東宝映画所属。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 200… 日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 2003年7月6日)は、日本の弁護士、政治家。位階は従三位、勲章は勲一等瑞宝章。 仙台弁護士会副会長、衆議院議員(8期)、日本社会党政策審議会長(第14代)、衆議院災害対策特別委員長、衆議院農林水産委員長、郵政大臣(第61代)、社会民主党副党首などを歴任した。 宮城県桃生郡河北町(現石巻市)生まれ。仙台第二高等学校を経て、1956年中央大学法学部法律学科卒業、同大学院修了。1961年に司法試験に合格し、司法修習第16期を修了(同期に佐々木秀典)。1964年、宮城県仙台市で弁護士事務所を開業。1973年には仙台弁護士会副会長に就任した。 父である日野吉夫の衆議院議員引退に伴い、成田知巳日本社会党委員長(当時)の勧めを受け、1976年の第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧宮城県第2区から立候補し、初当選。
石野 博信(いしの ひろのぶ、1933年 - )は、日本の考… 石野 博信(いしの ひろのぶ、1933年 - )は、日本の考古学者。奈良県立橿原考古学研究所研究嘱託、兵庫県立考古博物館名誉館長。主として古墳時代を研究領域としており、とくに纒向遺跡の発掘調査に携わったことで知られる。 1933年、宮城県牡鹿郡渡波町(現・石巻市)で生まれた。宮城県石巻高等学校を経て、関西学院大学文学部に入学し、考古学を専攻。関西大学大学院に進み、修了。 大学院修了後、兵庫県教育委員会に勤務して文化財の調査と研究にあたった。のち、奈良県立橿原考古学研究所所員に転じた。同研究所では、1971年より関川尚功とともに奈良県桜井市の纒向遺跡の発掘調査に携わった。纒向遺跡出土土師器の分類によって纒向編年を行い、また、外部からもたらされた大量の土器の存在から纒向遺跡を3世紀の都市的な遺跡であることを明らかにした。
矢口 以文(やぐち よりふみ、1932年(昭和7年)11月1… 矢口 以文(やぐち よりふみ、1932年(昭和7年)11月1日 - )は、日本の詩人、英文学者、北星学園大学名誉教授。 宮城県石巻市生まれ。1955年東北学院大学文経学部英文学科卒業。1962年国際基督教大学大学院博士課程満期退学。1965年米国インディアナ州ゴーシェン大学大学院修了。1966年北星学園大学助教授、教授、1999年退職、名誉教授、北海道文教大学教授。2009年退職。日本現代英米詩学会会長、日本キリスト教文学会北海道支部会会長などを歴任。現代英米詩の翻訳を手がけ、多数日本に紹介した。詩誌「新現代詩」「Aurora」同人 。アナバプテスト・メノナイト教会シャローム集会責任者。 長男の矢口洋生は仙台白百合女子大学学長。
青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日… 青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日 - 2019年(令和元年)5月4日)は、日本の政治家、実業家。石巻ガス創業者で、同社代表取締役社長を経て、石巻市長を務めた。位階は従五位。 宮城県雄勝町(現石巻市)生まれ。石巻町立石巻商業学校(現宮城県石巻商業高等学校)、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を経て、1952年(昭和27年)一橋大学を卒業後、同年三井船舶入社。三井船舶の出入り業者に東京ガスがいたことなどで都市ガスの時代が来ることを予感し、1959年(昭和34年)に石巻ガスを創業して同社代表取締役社長に就任。1967年(昭和42年)石巻青年会議所理事長。 1972年(昭和47年)石巻市長に初当選。
小杉 太一郎(こすぎ たいちろう、1927年6月6日 - 1… 小杉 太一郎(こすぎ たいちろう、1927年6月6日 - 1976年8月9日)は、日本の作曲家。宮城県石巻市出身。 父は俳優・映画監督の小杉勇。同じ伊福部昭門下の作曲家山内正は義兄(妻の兄)にあたる。 当初は獣医師を志望し、東京府立第十五中学校を経て麻布獣医専門学校(現 麻布大学)に進んだが、1949年、東京音楽学校作曲科に入学。池内友次郎に対位法と和声学を、伊福部昭に作曲と管弦楽法を学ぶ。 1952年、『六つの管楽器の為のコンチェルト』で第21回毎日音楽コンクール室内楽作曲部門第1位入賞を果たす。 東京音楽学校との方針の違いから辞任した伊福部を追って中退、多くの門下生と共に伊福部のアシスタントを務める。
西山 良雄(にしやま よしお、1927年 - )は、日本の英… 西山 良雄(にしやま よしお、1927年 - )は、日本の英文学者、東北学院大学名誉教授。 宮城県石巻市出身。東北大学文学部英文科卒、同大学院博士課程中退、東北学院大学助教授、教授を務め、1998年定年、名誉教授。1991年「憂鬱の時代 文豪ジョン・ダンの軌跡」で東北学院大学文学博士。
菊田 昇(きくた のぼる、1926年5月31日 ‐ 1991… 菊田 昇(きくた のぼる、1926年5月31日 ‐ 1991年8月21日)は、日本の産科婦人科医師、医学博士。1970年代に「赤ちゃん斡旋事件」(菊田医師事件)と呼ばれる事件を起こし「実子特例法」を提唱し、現在の特別養子縁組制度の制定に大きな影響を与えた。1991年、世界生命賞を受賞。 宮城県石巻市生まれ。旧制宮城県石巻中学校、東北帝国大学医学部卒業。当初は精神科を志望していたが、最終的には産婦人科を選んだ。大学卒業後は東北大学医学部附属病院などに勤務した。1956年、学位論文「妊娠中毒症眼球結膜血管の顕微鏡撮影による研究」で東北大学より医学博士の学位を取得。市立秋田総合病院産婦人科医長を務めた後、故郷の石巻市で開業。
阿部 保夫(あべ やすお、1925年9月15日 - 1999… 阿部 保夫(あべ やすお、1925年9月15日 - 1999年12月26日)は、日本のギタリスト。宮城県石巻市出身。息子の阿部恭士もギタリスト。 兄の影響からギターに興味を示し、1938年より管ノ又信太郎に師事。1947年、古賀政男主宰の古賀ギター歌謡学院で講師を務めることとなる。1948年、第一回全国ギターコンクールで一位。1953年にはイタリアへ留学しA・セゴビア、E・プジョールに師事する。1966年からはNHK教育の『NHKギター教室』の初代講師を5期に渡り担当した。1969年、日本ギタリスト協会発足にともない初代委員長を務め多くのコンクール・コンサート等を開き、晩年に至るまで日本のギター界全体の発展に大きく貢献した。
和賀井 敏夫(わがい としお、1924年(大正13年)9月2… 和賀井 敏夫(わがい としお、1924年(大正13年)9月21日 - 2020年(令和2年)11月30日)は、日本の医学者である。 宮城県石巻町(現在の石巻市)の生まれ。一浪を経て、旧制の宮城県仙台第二第二高等学校に入学する。1945年(昭和20年)に卒業後、新潟医科大学(現在の新潟大学医学部)に入学し医学の研究に携わる。1949年(昭和24年)に卒業後は上京し個人病院での研修を経て、翌1950年(昭和25年)には石川島播磨重工業(現在のIHI)に勤務していた友人の紹介により、順天堂大学内における外科学者として入局した。 入局後は主に脳内におけるX線検査の研究に携わり、その応用として東北大学電気研究所に勤務していた菊池喜充らと共に、心疾患や悪性腫瘍、胎児等の早期発見や診断を目的に超音波療法の実験に携わった。
石母田 達(いしもだ たつ、1924年5月11日 - 202… 石母田 達(いしもだ たつ、1924年5月11日 - 2022年2月12日)は、日本の政治家、労働運動家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。日本共産党名誉幹部会顧問。 石巻市長を務めた石母田正輔の五男。兄は国民的歴史学運動で知られる歴史学者の石母田正。 宮城県石巻市出身。東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)卒業後、池貝鉄工所に就職。第二次世界大戦中は相模補給廠(相模原市淵野辺)に属し、陸軍の技術将校として誘導爆弾や特攻兵器製作に携わる。自らも特攻乗員となり出撃の日を待ちながら終戦を迎えた。 復員後は池貝鉄工所に戻り、旋盤技師を務める傍ら日本共産党へ入党。兄の正に諭され同所の労働組合長に立候補し、1票差で対立候補を躱し組合長に当選する。
菅野 壽(かんの ひさし、1923年4月1日 - 2006年… 菅野 壽(かんの ひさし、1923年4月1日 - 2006年8月21日)は日本の政治家、医師。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 参議院議員(連続2期・在職12年)、日本医師会常任理事。医学博士(新潟大学)。 宮城県桃生郡北村(現石巻市)出身。旧制石巻中学から1947年日本大学医学部卒業。1972年東武中央病院(埼玉県和光市)開設。菅野総合病院(同)理事長、埼玉県医師会理事、常任理事を経て、1982年から1984年まで花岡堅而会長のもとで日本医師会常任理事を一期務めた。 1989年第15回参議院議員通常選挙比例代表区に日本社会党から出馬し初当選、連続二期。参議院厚生委員会理事、地方行政委員長、環境特別委員長を歴任。
遠山 徳男(とおやま とくお、1923年3月 - 1981年… 遠山 徳男(とおやま とくお、1923年3月 - 1981年8月)は日本の農家、作詞家。 第二次世界大戦後の復興期に作られた宮城県の2代目県民歌「輝く郷土」の作詞者。名前の表記を「徳雄」とする資料も見られる。 1923年(大正12年)3月、宮城県桃生郡桃生村永井表(現在の石巻市桃生町永井)で農家の長男として生まれる。桃生尋常小学校(現在の石巻市立桃生小学校)在学中より成績優秀で、雑誌に短歌を投稿して何度か掲載されたことがある。 1944年(昭和19年)9月に応召、配属先の仙台東部第22連隊で終戦を迎え、復員する。1946年(昭和21年)、宮城県が河北新報社と合同で1938年(昭和13年)制定の「宮城県民歌」に代わる2代目の県民歌を懸賞募集した際に応募作が一等入選で採用され、村を挙げた祝賀行事が盛大に行われた。
由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 … 由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 - 1999年〈平成11年〉5月20日)は、日本の喜劇俳優。本名:奥田 清治(おくだ きよはる)。1950年代半ばからお笑いユニット“脱線トリオ”の一人として有名になり、解散後は喜劇役者、またコメディアンとして東北弁を駆使した言い回しや持ちギャグを用いてお茶の間を沸かせた。 宮城県石巻市にて、大工の親方である佐々木庄治と母きよの子として生まれる(3男3女の6人兄弟の長男)。父は腕のいい大工として知られていた。幼少期から茶目っ気があり、父の宴会で芸を披露するなどしていた。現在の石巻市立門脇小学校へ入学すると、学芸会で毎年主役を演じた。1930年小学3年次にレビュー劇団を見て感動し、後日東京に行くため、家出して入団を希望するが父親に連れ戻されたため断念したことがある。
天津 敏(あまつ びん、1921年2月16日 - 1979年… 天津 敏(あまつ びん、1921年2月16日 - 1979年7月24日)は、日本の俳優。本名は天都 敏(あまつ とし、旧姓:佐藤)。身長182cmの体格、ドスの利いた声、鋭い眼光などを活かし、映画・テレビドラマで悪役・敵役スターとして活躍した。宮城県桃生郡河南町(現・石巻市)出身。 両親および兄弟はすべて教員という一家に育つ。歌と水泳が得意な少年だったという。宮城県師範学校を卒業後、教職に就く。戦時中は海兵団で少年兵の教官の職にあった。1944年に結婚、婿養子となり姓を天都(あまつ)とした。戦後は教職から離れ、鎌倉の夫人の実家の工場を手伝い、水道工事などの仕事をしていた。戦後、教職を離れたのは、戦前と正反対の教育をすることはできないという理由であった。
多々良 純(たたら じゅん、1917年8月4日 - 2006… 多々良 純(たたら じゅん、1917年8月4日 - 2006年9月30日)は、日本の俳優。本名:田足井 重二〈たたらい しげじ〉。 宮城県牡鹿郡石巻町(現在の石巻市)出身。東京府立第九中学校卒業。新倉事務所に所属していた。 新築地劇団研究生、苦楽座、劇団民藝など舞台俳優として活動し、数多くの映画・テレビドラマに出演。頑固ながら根は優しい役などに定評があり、軽妙な役もこなせる貴重なバイプレーヤーとして活躍した。 1917年(大正6年)8月4日、宮城県牡鹿郡石巻町(現在の石巻市)に、父・重一と母・利の次男として生まれる。幼少時代は家業の都合で石巻、仙台、東京と居を移す。西巣鴨第二小学校を経て、1935年(昭和10年)に東京府立第九中学校を卒業後、国際ホテル学校に入学し、5カ月で中退、帝国ホテル食堂部に就職する。
生江 義男(なまえ よしお、1917年(大正6年)3月2日 … 生江 義男(なまえ よしお、1917年(大正6年)3月2日 - 1991年(平成3年)4月28日)は、日本の教育者、専門は比較文化論。元学校法人桐朋学園理事長。 宮城県石巻市生まれ。石巻市立石巻中学校、東京高等師範学校卒、1941年(昭和16年)病のため東京文理科大学史学科を中退(のち53年卒業)。 1941年石巻市立石巻中学校教諭となるが、43年応召で中国に渡る。復員後、48年から桐朋学園に勤務。桐朋女子部教務・事務主任のときの51年、音楽科を併設して小沢征爾らの人材を輩出させた。60年から桐朋幼稚園・桐朋小学校・桐朋女子中学校・高等学校の専任校長となり、通信簿廃止・入学時の筆記試験廃止など個性重視の教育を実践し、62年桐朋学園大学教授兼務、86年から桐朋学園理事長を務めた。
山形 敞一(やまがた しょういち、1913年2月27日 - … 山形 敞一(やまがた しょういち、1913年2月27日 - 1998年9月14日)は、日本の内科医。専門は、消化器病学(特に膵臓疾患)。東北大学名誉教授。1986年勲二等瑞宝章受章。 宮城県石巻市生まれ。石巻中学校(旧制)、第二高等学校(旧制)、東北帝国大学医学部卒業。1936年、内科学第三講座(教授山川章太郎、助教授黒川利雄)に入局。1957年に黒川利雄の後任として東北大学医学部第三内科講座教授、尚仁会第二代会長に就任。 宮城県対がん協会会長、日本癌治療学会総会会長、日本内科学会総会会頭、日本医史学会会長などを歴任。日本対がん協会賞、石巻市民功労賞などを受賞。アララギ派歌人としても著名で、多くの歌集があるほか、医学史特に仙台藩の医学史を研究した。
石母田 正(いしもだ ただし/しょう、1912年9月9日 -… 石母田 正(いしもだ ただし/しょう、1912年9月9日 - 1986年1月18日)は、日本の歴史学者。法政大学法学部名誉教授。専攻は古代史および中世史で、多数の著作・論文がある。 1912年、北海道札幌市の母方の実家で生まれ、宮城県石巻市で育った。父・石母田正輔は旧仙台藩出身で、石巻の町長・市長を長く務めた。二高を経て、東京帝国大学文学部哲学科に入学。後に国史学科へ転科し、1937年に卒業。 冨山房、日本出版会に勤務の後、朝日新聞記者を経て、1947年から法政大学法学部講師、1948年に同教授。この間、1963年から法学部長、1967年から附属図書館長などの役職にあり、1981年に定年退職、名誉教授となる。
高橋 英吉(たかはしえいきち、1911年4月13日 - 19… 高橋 英吉(たかはしえいきち、1911年4月13日 - 1942年11月2日)は日本の彫刻家。宮城県石巻市出身。 東京美術学校(現東京芸術大学)で木彫を学び、文展(現・日展)を中心に活躍した。「黒潮閑日」「潮音」「漁夫像」の《海の三部作》などにより将来を嘱望されたが兵役に就き、1942年にガダルカナル島の戦いで死亡した。 1911年4月13日、宮城県牡鹿郡石巻町(現・石巻市)湊本町に生まれる。生家は遠洋漁業や缶詰工場を経営する網元であった。1924年、旧制石巻中学(現・宮城県石巻高等学校)に入学。 1931年、東京美術学校彫刻科木彫部に入学する。1936年同校を卒業すると、研究科に進み、文部省美術展覧会(現・日展)に「少女像」を出展し、入選する。
小杉 勇(こすぎ いさむ、本名・小杉 助治郎、1904年2月… 小杉 勇(こすぎ いさむ、本名・小杉 助治郎、1904年2月24日 - 1983年4月8日)は、日本の映画俳優、映画監督。作曲家の小杉太一郎は息子。息子の妻は漫談家の山野一郎の娘。 宮城県石巻市に生まれる。石巻商業学校を卒業後、上京し、「日本橋白木屋百貨店」に就職する。しかし、1923年、日本映画俳優学校設立と同時に入学する。同期に八木保太郎、吉村廉、島耕二などがいる。 1925年、日活京都撮影所に入社する。当時の日活は看板スターであった鈴木傳明や岡田時彦などが去り、新しいスターを必要としていた。また、左翼思想の台頭などもあり、たくましさも兼ね備えた小杉が新しい時代を象徴する存在として注目された。
志賀 直哉(しが なおや、1883年〈明治16年〉2月20日… 志賀 直哉(しが なおや、1883年〈明治16年〉2月20日 - 1971年〈昭和46年〉10月21日)は、日本の小説家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 宮城県石巻生まれ、東京府育ち。明治から昭和にかけて活躍した白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に「暗夜行路」「和解」「城の崎にて」「小僧の神様」など。 志賀直哉は1883年(明治16年)2月20日、宮城県牡鹿郡石巻町に、父・志賀直温と母・銀の次男として生まれた。父・直温は当時第一銀行石巻支店に勤務していた。明治期の財界で重きをなした人物である。母・銀は、伊勢亀山藩の家臣・佐本源吾の娘であった。