諸沢 莉乃(もろさわ りの、2001年12月18日 - )は… 諸沢 莉乃(もろさわ りの、2001年12月18日 - )は日本の実業家。 カレーハウスCoCo壱番屋(ココイチ)のフランチャイズなどを運営する株式会社スカイスクレイパー社長。秋田県鹿角市出身。 母親の実家のある秋田県鹿角市で誕生。神奈川県横浜市で育ち、2017年、高校1年生の時にアルバイトとして入社。高校卒業後にはボランティアを経て、改めてスカイスクレイパーに入社。 2021年、全国の「ココイチ」で当時15人しかいなかった接客のスペシャリストに認定。 20歳の時に次期社長への打診があり、その理由について創業者で社長(当時)の西牧大輔は「社長になってもらった人を信用するより、信用できる人に社長になってもらう」と述べている。
松橋 亜希(まつはし あき、1992年10月6日 -)は、秋… 松橋 亜希(まつはし あき、1992年10月6日 -)は、秋田県鹿角市出身の元スキージャンプ選手である。秋田県立花輪高等学校 - 東海大学 - マンマーノフーズ - 東海大学札幌スキークラブ - ドリームリンク。 9歳の時に鹿角ジャンプスポーツ少年団で競技を始める。国際大会初出場は2008年3月2日に山形県の蔵王ジャンプ台で開催されたコンチネンタルカップで、 27位、29位と初ポイントも獲得した。 翌年の蔵王大会では27位、22位であった。 2011年4月、東海大学に進学。2011年にはコンチネンタルカップ蔵王大会で自己最高の19位となった。2012年9月に サマーコンチネンタルカップリレハンメル大会に出場し、19位、26位となった。
川又 静香(かわまた しずか、1988年6月8日 - )は、… 川又 静香(かわまた しずか、1988年6月8日 - )は、日本の女流プロ雀士で、元タレント、元アイドル、元モデル。バラエティ番組、モデル、女優、グラビア、歌手、ナレーションなどマルチに活動していた。 秋田県鹿角市出身。有限会社スターブリッジプロモーションに所属していた。それ以前の所属事務所は、AIMであった。2015年10月末を以って芸能界を引退した。 その後日本プロ麻雀協会に入会し、現在は女流プロ雀士として活動するほか、アイドルグループ「More」のメンバーとして活躍している。 身長157cm。スリーサイズはバスト83cm、ウエスト56cm、ヒップ81cm。血液型はO型。 この項目は、ファッション関係の人物に関連した書きかけの項目です。
いつか(1986年10月3日 - )は、日本の女性歌手である… いつか(1986年10月3日 - )は、日本の女性歌手である。 姉妹ユニット「奈良姉妹」のメンバー。 秋田県鹿角市出身。レコード会社はavex io所属。
木村 優太(きむら ゆうた、本名:木村 雄太(読み同じ)、1… 木村 優太(きむら ゆうた、本名:木村 雄太(読み同じ)、1985年5月21日 - )は、秋田県鹿角市出身のプロ野球選手(投手)。NPBでは、千葉ロッテマリーンズに在籍していた2013年から、木村 優太という登録名を用いている。
松宮 隆行(まつみや たかゆき、1980年2月21日 - )… 松宮 隆行(まつみや たかゆき、1980年2月21日 - )は日本の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。コニカミノルタ陸上競技部⇒愛知製鋼陸上競技部所属。秋田県鹿角市出身、秋田県立花輪高等学校卒業。2008年北京オリンピック男子長距離トラック日本代表。男子5000mの元日本記録保持者。30km競走の前世界記録保持者である。
松宮 祐行(まつみや ゆうこう、1980年2月21日 - )… 松宮 祐行(まつみや ゆうこう、1980年2月21日 - )は、日本の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。コニカミノルタ陸上競技部⇒日立物流陸上部⇒セキノ興産陸上部所属。秋田県鹿角市出身、秋田県立花輪高等学校卒業。
木村 知貴(きむら ともき、1978年〈昭和53年〉8月31… 木村 知貴(きむら ともき、1978年〈昭和53年〉8月31日 - )は、日本の俳優。秋田県鹿角市出身。DASH所属。 小学生から高校生までアルペンスキーに明け暮れる日々を過ごす。その後京都の大学に進学。卒業後、自主映画に関わり役者を始め上京。劇団東京乾電池アクターズラボを経て自主・商業の枠に捉われず、映画を中心に活動している。 趣味はギター、路地裏散策、ビリヤード。特技はアルペンスキー、秋田弁、関西弁。普通自動車免許、普通自動二輪免許、調理師免許所持。
阿部 英俊(あべ ひでとし、1973年3月5日 - )は、地… 阿部 英俊(あべ ひでとし、1973年3月5日 - )は、地方競馬の岩手県競馬組合・水沢競馬場及川良春厩舎所属の騎手。秋田県鹿角市出身。 1992年10月24日のデビュー戦はキタノロックに騎乗し4着(8頭)。1993年4月12日にダートボーイに騎乗し24戦目で初勝利を挙げ、同年、ダイサンヒコーで岩鷲賞(がんじゅしょう)を制し、重賞初勝利。以後、年間40〜50勝を挙げ、岩手競馬のリーディング10位前後の常連として定着していたが、1999年の東京盃でサカモトデュラブに騎乗、9番人気ながら内枠からの逃げ切りでダートグレード競走初制覇。その後、セイントリーフとのコンビで重賞4勝、福島2歳ステークスで2着、ラジオたんぱ賞で5着など中央競馬 (JRA) でも好成績を残した。
巴富士 俊英(ともえふじ としひで、1971年1月27日 -… 巴富士 俊英(ともえふじ としひで、1971年1月27日 - )は、秋田県鹿角郡十和田町(現在の鹿角市)出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒澤 俊英(くろさわ としひで)。現役時代の体格は191cm、151kg。最高位は西張出小結(1992年7月場所)。得意手は左四つ、下手投げ。血液型はAB型。 農家の次男として生まれ、中学生時代は柔道と相撲の両方で活躍した。中学相撲で全国大会決勝まで進み、後の三代目若乃花と対戦。禁じ手の鯖折りを仕掛けたため反則負けとなったものの準優勝という輝かしい実績を残し1986年、元横綱・北の富士が率いる九重部屋に千代の富士の内弟子として入門。同年5月場所に於いて15歳で初土俵を踏んだ。
谷地 健吾(やち けんご、1970年8月9日 - )は、NH… 谷地 健吾(やち けんご、1970年8月9日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 東京都立清瀬高等学校、明治大学卒業後、1993年入局。 太字は、現在担当中の番組
浅利 純子(あさり じゅんこ、現姓・高橋純子。1969年(昭… 浅利 純子(あさり じゅんこ、現姓・高橋純子。1969年(昭和44年)9月22日 - )は、1990年代に活躍した秋田県鹿角市出身の元女子マラソン選手。現在三児の母。
黒沢 ひろみ(くろさわ ひろみ 1966年11月12日 - … 黒沢 ひろみ(くろさわ ひろみ 1966年11月12日 - )は、日本の元歌手、元タレント。本名は黒沢 裕美(読み方同じ)。センチュリー・プロモーション所属。秋田県鹿角市生まれ、埼玉県所沢市育ち。 中学3年生の時に弓道の試合のために明治神宮へ行ったその帰りに原宿でローラー族を見て感激したということで、いつしかそのローラー族に交じって活動するようになり、いつもカメラマンが群がる存在になったという。そこでセンチュリー・プロモーションのスタッフにスカウトされ、1984年2月25日、井上陽水が田所純一郎名義で書き下ろした楽曲シングル『不思議あげます』でデビュー。同年テレビ朝日系列の深夜番組『チャーム・ミントタイム』にレギュラー出演していた。
松橋 暁(まつはし さとる、1961年12月6日 - )は、… 松橋 暁(まつはし さとる、1961年12月6日 - )は、秋田県鹿角市出身の元スキージャンプ選手。 秋田尾去沢中学校 - 花輪高校 - 北海道拓殖銀行 1982年、1985年のノルディックスキー世界選手権と1984年サラエボオリンピックに日本代表として出場した。 松橋の出身地の鹿角市ではその功績を讃えて名前を冠した「松橋杯少年ジャンプ大会」(中学生対象)が開かれている。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
池田 まき子(いけだ まきこ、1958年4月18日 - )は… 池田 まき子(いけだ まきこ、1958年4月18日 - )は、日本のノンフィクション作家。 秋田県鹿角市生まれ。雑誌編集の仕事を経て[要出典]、1988年留学のためオーストラリアへ渡って以来[要出典]、首都キャンベラに在住。2018年に帰国して秋田県を活動拠点とする。主に、小中学生向けのノンフィクションを手がけている。
山本 喜代宏(やまもと きよひろ、1955年11月11日 -… 山本 喜代宏(やまもと きよひろ、1955年11月11日 - )は、日本の政治家、農業従事者。元衆議院議員(1期)。
奥寺 康彦(おくでら やすひこ、1952年3月12日 - )… 奥寺 康彦(おくでら やすひこ、1952年3月12日 - )は、秋田県鹿角市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー、ディフェンダー。元サッカー日本代表。現在は一般社団法人横浜FCスポーツクラブ(横浜FC)の代表理事兼シニアアドバイザー を務めた。 1.FCケルンの中心選手として、ブンデスリーガ優勝と、DFBポカールで優勝した最初の日本人であり、UEFAチャンピオンズリーグ(旧称UEFAチャンピオンズカップ)の準決勝でゴールを成し遂げた最初のアジア人でもある。 秋田県鹿角市十和田大湯(旧: 鹿角郡大湯町 → 十和田町)出身。二卵性双生児の妹がいる。
児玉 一(こだま ひとし、1947年(昭和22年)1月22日… 児玉 一(こだま ひとし、1947年(昭和22年)1月22日 - )は、日本の政治家。秋田県鹿角市長(4期)。 秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)出身。秋田県立十和田高等学校卒業後、家業の農業、旧花輪町役場の臨時職員を経て、1970年(昭和45年)4月に同町役場に正式採用される。 1972年(昭和47年)4月1日、花輪町、十和田町、尾去沢町、八幡平村が合併し、鹿角市が発足。鹿角市役所産業部長、総務部長などを務めたあと、2004年(平成16年)5月、鹿角市助役に就任。 2005年(平成17年)、佐藤洋輔鹿角市長が健康上の理由により任期途中で辞任。同年7月3日に行われた市長選挙に立候補し初当選した。 2009年(平成21年)、再選。
米村 天心(よねむら てんしん、1946年12月16日 - … 米村 天心(よねむら てんしん、1946年12月16日 - 2016年6月20日)は、秋田県鹿角郡花輪町(現在の鹿角市)出身の高島部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代の四股名は高昇 紀彰(たかのぼり としあき)で最高位は幕下75枚目。本名、米村勉(よねむら つとむ)。 高島部屋に入門して米村の四股名で1962年9月場所初土俵、その後四股名を鹿角山(かづのやま)、高昇(たかのぼり)と改め幕下まで昇進したが、伸び悩み1969年1月場所限りで廃業となった。 大相撲廃業後は、金子武雄が経営するボディビル・ジムでトレーナーをしていたが1972年に金子の勧めで国際プロレスに入団。国際プロレス崩壊後は、マイティ井上とともに全日本プロレスに移籍した。
佐藤 洋輔(さとう ようすけ、1943年(昭和18年)7月2… 佐藤 洋輔(さとう ようすけ、1943年(昭和18年)7月28日 - 2005年(平成17年)7月16日)は、日本の政治家。秋田県鹿角市長。 秋田県出身。1962年、秋田県立花輪高等学校卒。鹿角市議会議員、同議長を経て、2000年、鹿角市長に当選する。2004年に再選。翌2005年、病気のため辞任、同年7月に死去した。死没日をもって旭日小綬章追贈、正五位に叙される。
阿部 義平(あべ ぎへい、1942年9月 - 2011年9月… 阿部 義平(あべ ぎへい、1942年9月 - 2011年9月17日)は、日本の考古学者、国立歴史民俗博物館名誉教授。
杉江 宗祐(すぎえ むねゆう、1939年(昭和14年)10月… 杉江 宗祐(すぎえ むねゆう、1939年(昭和14年)10月28日 - 2019年(令和元年)11月29日)は、日本の政治家。秋田県鹿角市長。位階は従五位。 秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)六日町出身。秋田県立花輪高等学校を卒業後は花輪町(現・鹿角市)役場に勤める、総務部財政課長、同総務課長、民生部保健課長を歴任し、1988年、鹿角市長に初当選する。1992年、1996年に再選。2000年に落選。2003年に秋田県議会議員に当選した。2019年死去。死没日付をもって従五位に叙された。
菅原 武男(すがわら たけお、1938年5月23日 - )は… 菅原 武男(すがわら たけお、1938年5月23日 - )は、日本のハンマー投げ選手。秋田県鹿角市出身。秋田県立毛馬内高等学校、日本大学卒業。 1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック、1968年メキシコシティーオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピックに出場した。メキシコシティーオリンピックでは日本選手団の主将を務めた。 ハンマー投げを始めたのは高校3年と遅いスタートだったが、その年の県大会で優勝、東北大会で優勝、インターハイで4位入賞。日本大学4年時にローマオリンピックに初出場したが予選落ち。 大学卒業後、リッカーミシンに入社。東京オリンピックの前年に67m73の日本記録を打ち立てたが、1日12時間の猛練習で腰を痛め、東京オリンピックでは63m69の不本意な記録で13位に終わった。
諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 -… 諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 - 2011年(平成23年)3月2日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取。 秋田県鹿角市出身。慶大卒後、秋田銀行入行。 営業、企画、人事と幅広く経験。東北の金融界においても顔が広く行動派と目されていた。 1997年(平成9年)、頭取就任。2期4年の在任中は、1999年(平成11年)の創業120周年、新店頭体制への移行や共同バックアップセンターの設置また、融資パソコンシステムの導入やエリア営業体制の試行のほか、本部にIT戦略室を設置。次世代への布石を打った。 2001年(平成13年)、相談役に退き秋田経済研究所理事長に就任した。 2011年(平成23年)3月2日、肺がんのため死去。
阿部 牧郎(あべ まきお、1933年9月4日 - )は、日本… 阿部 牧郎(あべ まきお、1933年9月4日 - )は、日本の小説家。
村木 賢吉(むらき けんきち、1932年8月30日 - 20… 村木 賢吉(むらき けんきち、1932年8月30日 - 2021年6月19日) は、日本の男性演歌歌手。 秋田県鹿角郡尾去沢町(現鹿角市)出身。晩年は静岡県御殿場市に居を構えた。 当時、父親が働いていた三菱金属鉱業(現:三菱マテリアル)に入社。1967年に尾去沢鉱山(鹿角市)から直島製錬所(香川県香川郡直島町)に転勤。勤務中、同じ職場で直島出身の佐義達雄と出会う。 1972年、真木島人(まき しまんど)の芸名で、佐義の作詞作曲の「土方渡世/漁師一代」を出すが一部に注目されるだけで終わった。同年、再び佐義の作詞作曲、村木の唄で演歌「おやじの海」を500枚自主制作する。翌1973年、御殿場に転勤となり、「おやじの海」はその後、当人ですら存在を忘れかけていた。
井上 隆明(いのうえ たかあき、1930年12月6日 - 2… 井上 隆明(いのうえ たかあき、1930年12月6日 - 2021年1月9日)は、日本近世文学研究者、秋田経済法科大学元学長、同大名誉教授、ノースアジア大学名誉学長。秋田県鹿角市毛馬内生まれ。本籍は群馬県 父の転勤に従い、秋田や山形へ赴く。1950年(昭和25年)秋田中学校を卒業し、早稲田大学第一文学部卒業。傍ら金子光晴、八木義徳らに師事し、小説方法史を専攻した。卒業後は秋田魁新報記者となる。1987年「江戸戯作の研究: 黄表紙を主として」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。 秋田経済大学・秋田短期大学助教授、教授を経て、秋田経済法科大学教授。1995年から2001年まで同大学長(在任期間のうち、1997年までは秋田短期大学の学長、のち秋田経済法科大学短期大学部の学長を兼任)、同大名誉教授。
石田 次男(いしだ つぎお、1925年〈大正14年〉2月24… 石田 次男(いしだ つぎお、1925年〈大正14年〉2月24日 - 1992年〈平成4年〉2月4日)は、日本の政治家、宗教家。公明党所属の参議院議員、創価学会理事、初代九州総支部長を務めた。 のちに、創価学会の反対派(批判者)になり、創価学会への批判活動を行っていた。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 1925年(大正14年)2月24日、秋田県鹿角市生まれ。芝浦工業専門学校を卒業後、1950年1月、創価学会に入会する。創価学会秘書室を経て、聖教新聞編集長、1951年7月11日、男子部第一部隊長(小岩、向島、城東各支部青年部担当)、1953年1月2日、創価学会小岩支部長に就任し、特に教学方面を担当する。
沢田 政治(さわだ まさじ、1922年6月18日 - 198… 沢田 政治(さわだ まさじ、1922年6月18日 - 1985年10月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。 現在の秋田県鹿角市出身。東京帝国大学卒業後、三菱金属に入社。全日本金属鉱山労働組合副委員長、同事務局長、総評幹事などを歴任する。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で秋田1区から日本社会党公認で立候補して当選。1967年の第31回衆議院議員総選挙で落選した。同年、松野孝一(自由民主党)の死去による参議院議員補欠選挙で秋田地方区から立候補して初当選。2期務めた。この間、参議院建設委員長や参議院国会対策副委員長などを務めた。1977年の第11回参議院議員通常選挙では自民党公認の野呂田芳成に敗れて落選。
阿部 新(あべ あらた、1919年(大正8年)8月17日 -… 阿部 新(あべ あらた、1919年(大正8年)8月17日 - 2009年(平成21年)1月8日)は、昭和時代の政治家。秋田県鹿角市長。 鹿角市出身。1943年(昭和18年)九州帝国大学農学部卒業。 花輪町農業会長を経て、1948年(昭和23年)秋田県庁に奉職。鹿角地方事務所経済課長を経て、1956年(昭和31年)鹿角郡花輪町長に当選。1972年(昭和47年)合併により初代鹿角市長となった。3期務め、1988年(昭和63年)4月、落選した。ほか、尾去鉱山観光代表を歴任した。2009年(平成21年)1月8日死去、89歳。死没日をもって従四位に叙される。
児玉 政吉(こだま まさきち、1910年(明治43年)4月1… 児玉 政吉(こだま まさきち、1910年(明治43年)4月10日 - 1987年(昭和62年)10月27日)は、日本の政治家。秋田県鹿角市長。位階は従五位。 秋田県鹿角郡柴平村(のち花輪町、現・鹿角市)出身。1925年、柴平村立平本尋常高等小学校卒。1935年、三菱金属鉱業尾去沢鉱業所に入る。戦後、日本社会党に入り、1947年、尾去沢町議会議員に当選、3期務める。1959年、尾去沢町長に当選。鹿角市に合併するまで4期務めた。この間、鹿角郡町村会長、秋田県町村会副会長を務めた。1972年に鹿角市が発足、市政執行者となった。1976年、鹿角市長に立候補し、現職の阿部新を破って当選する。1980年に再選を目指したが、元市長の阿部新に敗れた。
内田武志(うちだ たけし、1909年 - 1980年12月3… 内田武志(うちだ たけし、1909年 - 1980年12月3日)は、日本の民俗学者。血友病で動けない体で研究を続け、菅江真澄研究の第一人者として知られる。柳田国男賞受賞者。 尾去沢鉱山碇発電所で働く修三とサトの二男・武として八幡平宮川村(現・秋田県鹿角市)に生まれる。大正12年(1923年)に鎌倉に転居したが関東大震災で家が全焼し、1年後に静岡へ転居、静岡商業学校に入学するも血友病を発病して退学。この頃蒲原有明の知遇を得て、柳田国男・渋沢敬三に師事し、昭和5年(1930年)に雑誌『⺠俗学』に「年中行事・鹿角郡宮川村地方」を発表、昭和11年には『鹿角方⾔集』を刊行した。 昭和20年、戦争により、親戚を頼って毛馬内に疎開し、江戸時代に東北の旅記録を残した菅江真澄の研究に没頭、翌年妹ハチとともに秋田市に転居し、柳田・渋沢の支援で「菅江真澄研究会」を設⽴。
乳井 義博(にゅうい よしひろ、1906年〈明治39年〉 -… 乳井 義博(にゅうい よしひろ、1906年〈明治39年〉 - 1975年〈昭和50年〉)は、日本の剣道家。高野佐三郎(修道学院)の高弟で、高野から剣道十段を授与された。 秋田県鹿角郡花輪村(現・鹿角市花輪)生まれ。1920年(大正9年)に上京し、14歳で高野佐三郎の道場修道学院に入門。中西派一刀流を学ぶ。 1922年(大正11年)頃、修道学院を抜け出し、単身武者修行の旅に出る。各地を渡り歩き、満州にまで上陸する。その後修道学院に戻る。修道学院三羽烏の一人に数えられ「白鬼」の異名をとる。 1929年(昭和4年)、高野の推薦により、22歳で宮城県仙台市の第二高等学校剣道師範に就任。育英中学校、小牛田農林高校、東北帝国大学などでも指導する。
児玉 作左衛門(こだま さくざえもん、1895年(明治28年… 児玉 作左衛門(こだま さくざえもん、1895年(明治28年)12月3日 - 1970年(昭和45年)12月26日)は、日本の解剖学者・人類学者。北海道大学名誉教授。アイヌ研究で知られる。秋田県鹿角郡生まれ。 1895年(明治28年)、秋田県鹿角郡柴平村(現鹿角市)に生まれる。1900年(明治33年)、父が眼科医院開業とクリスチャンとしての宗教教育を目的として、一家で函館に移住。函館中学校、第二高等学校を経て東北帝国大学医学部に進学。解剖学を専攻し、スイス留学後の1928年(昭和3年)に「中枢神経の解剖学的研究」で博士学位を取得。翌1929年(昭和4年)、北海道帝国大学医学部解剖学第二教室教授に任じられる。
安倍 豊造(あべ とよぞう、1891年 - 1979年)は日… 安倍 豊造(あべ とよぞう、1891年 - 1979年)は日本ホーリネス教会の牧師、戦後は日本基督教団ホーリネスの群の牧師。 秋田県鹿角郡宮川村に生まれた。幼少の頃は、医師になることを目指した。秋田県小坂町の東洋宣教会の伝道館で大沢豊助によって入信した。 後に、柏木聖書学院に入学して、卒業後に日本ホーリネス教会の伝道者として、福島、青森、千葉、仙台、東京で働いた。1933年のホーリネス分裂事件の際には委員側に加わり、1936年の和協分離後は日本聖教会の牧師になった。 1937年6月に日本聖教会の東京都中野区の更生教会の牧師に就任した。1941年日本基督教団第6部の牧師になる。1942年6月ホーリネス弾圧事件の時には、2年間拘禁された。
小田島 樹人(おだしま じゅじん、1885年3月19日 - … 小田島 樹人(おだしま じゅじん、1885年3月19日 - 1959年10月11日)は、日本の作曲家。童謡『おもちゃのマーチ』の作曲者。本名は小田島 次郎(おだしま じろう)。「樹人」は俳号。鹿角市先人顕彰館、秋田県立博物館に展示がある。 1885年、秋田県鹿角郡花輪町(現鹿角市)で、当時の花輪郡長 小田島由義の次男として出生する。1899年、 岩手県立盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)に進学。一年上に石川啄木がいた。1904年、鹿児島県の第七高等学校造士館に進学するも、翌年に中退する。1914年、東京音楽学校器楽科(現東京芸術大学)を卒業。同窓に中山晋平、梁田貞らがいた。同年、東京都芝区の三光小学校に音楽教師として奉職した。
内藤 湖南(ないとう こなん、1866年8月27日(慶応2年… 内藤 湖南(ないとう こなん、1866年8月27日(慶応2年7月18日) - 1934年(昭和9年)6月26日)は、近代日本の東洋史学者。名は虎次郎(とらじろう)。字は炳卿(へいけい)。湖南は号。別号に黒頭尊者。白鳥庫吉と共に戦前を代表する東洋学者であり、戦前の邪馬台国論争、中国における唐宋変革時代区分論争などで学界を二分した。 1866年 (慶応年間)陸奥国毛馬内村(現:秋田県鹿角市十和田毛馬内)にて、南部藩士・内藤調一(1832年 - 1908年。号は十湾)と容子の次男として生まれた。本名の「虎次郎」は、父の十湾が吉田松陰に心酔していたため、吉田松陰の通称である「寅次郎」から取って命名した。
石川 伍一(いしかわ ごいち、慶応2年(1866年)5月 -… 石川 伍一(いしかわ ごいち、慶応2年(1866年)5月 - 明治27年(1894年)9月19日)は、日清戦争期の海軍関連の民間人諜報活動家、大陸浪人の先覚者。清軍により29歳で銃殺された。甥は小説家の石川達三。 陸奥国鹿角郡毛馬内に生まれる。南部藩祐筆で毛馬内戸長の父・石川儀平に伴い9歳で盛岡に出て仁王小学校に学び、明治12年(1879年)に東京に出て攻玉社中学校・高等学校に入るも、転じて島田篁村について漢学を修め、次いで興亜会支那語学校に入って中国語を学ぶ。 明治17年(1884年)に上海に渡り、海軍大尉・曽根俊虎に従い清の情勢を研究。次いで、荒尾精らと共に漢口楽善堂の立ち上げに参加。北京、天津、四川方面までを幅広く調査にあたる。
和井内 貞行(わいない さだゆき、安政5年2月15日(185… 和井内 貞行(わいない さだゆき、安政5年2月15日(1858年3月29日) - 大正11年(1922年)5月16日)は、秋田県十和田湖開発の先駆者である。幼名は吉弥。 1858年、南部藩領陸奥国鹿角郡毛馬内村(現:秋田県鹿角市)に生まれた。和井内家は、南部藩重臣で毛馬内陣屋(柏崎新城)城代桜庭氏の筆頭家老職を代々務めていた。1866年、儒学者の泉沢恭助(修斉)の私塾に通った。1874年、毛馬内学校(現:鹿角市立十和田小学校)に助教員として採用され、1881年、工部省小坂鉱山寮に吏員として採用されて小坂鉱山に赴任する。1884年、十和田湖にはじめて鯉600尾を放流する。十和田湖への魚類放流は、貞行が6人目で、鯉の放流も3人目だった。
十田撓子(とだ とうこ、Tohko Toda)は、日本の詩人… 十田撓子(とだ とうこ、Tohko Toda)は、日本の詩人。 十田撓子は、秋田県鹿角市生まれ、東京女子大学文理学部哲学科を経て、日本大学大学院芸術学研究科に学ぶ。 詩集『銘度利加』で、第68回H氏賞を受賞した。 在学中、哲学とフランス文学を学び、マルグリット・デュラスをはじめ、ヌーヴォー・ロマンを愛読してきた。 第一詩集の表題でもある『銘度利加』(めとりか)とはロシア語の“МЕТРИКА”のことで、明治時代に日本へもたらされたロシア正教の信徒名簿を意味する。 小川類:歌曲『銘度利加』2023年