富沢 美智恵(とみざわ みちえ、1961年10月20日 - … 富沢 美智恵(とみざわ みちえ、1961年10月20日 - )は、日本の声優、女優、歌手、ナレーター。 長野県上田市生まれ、群馬県高崎市育ち。青二プロダクション所属。 旧芸名は富沢 美智江(とみざわ みちえ)。 長野県丸子町(現:上田市)で誕生し、小学4年生の時に父の仕事の関係で群馬県新町(現:高崎市)へ転居する。幼い頃は山猿のような子供で、山に登ったり、木に登ったり、柿の実を取って食べたりと、いつも暗くなるまで外で遊んでいた。男の子とドッジボールをして遊んだり、鉄棒をするのも好きであったという。その頃はショートカットで、あまりお人形遊びはしないなど、全然女の子らしくなかった。幼少期を長野県で過ごしていた時は、四方八方全部山だったこともあり、四季折々の風景を見たり、野菜や果物を食べて育ったことから、とても幸せだったと語る。
伊倉 一恵(いくら かずえ、1959年3月23日 - )は、… 伊倉 一恵(いくら かずえ、1959年3月23日 - )は、日本の声優、女優、ナレーターである。長野県出身。
林 マヤ(はやし マヤ、1958年2月23日 - )は、日本… 林 マヤ(はやし マヤ、1958年2月23日 - )は、日本のファッションモデル、タレント、歌手である。本名、大内 理枝(おおうち りえ)。所属事務所はアップフロントクリエイト。一人称はマヤマヤ。長野県上田市出身。夫はカメラマンの笛風呂タオス(本名:大内流篤)。 長野県小県東部高等学校卒業後に上京して就職するが、就職先の寮で門限破りを繰り返し2週間で退社。その後、風呂なしのアパートに住みアルバイト生活を始める。その頃、東京でモデルをしていた高校時代の友人と銭湯で偶然再会し、モデル事務所を紹介された。 しかし、当時の日本は「可愛い系」のモデルが流行っていたため、個性派モデルである林は、3年間ほど売れない日々を過ごした。
塩入 諭(しおいり さとし、1958年 - ) は、日本の視… 塩入 諭(しおいり さとし、1958年 - ) は、日本の視覚科学者。東北大学電気通信研究所所長や、東北大学総長特別補佐、日本視覚学会会長、映像情報メディア学会副会長などを歴任した。 長野県上田市生まれ。長野県上田高等学校を経て、1981年東京工業大学工学部機械物理工学科卒業。1983年東京工業大学大学院総合理工学研究科物理情報工学専攻修士課程修了。1986年東京工業大学大学院総合理工学研究科物理情報工学専攻博士後期課程修了(工学博士)。 同年東京工業大学総合理工学研究科研究生、モントリオール大学博士研究員。1989年国際電気通信基礎技術研究所視聴覚機構研究所研究員。1990年千葉大学工学部画像工学科助手。
中畑正志(なかはた まさし、1957年8月12日 - )は、… 中畑正志(なかはた まさし、1957年8月12日 - )は、日本の西洋哲学研究者。 1957年、長野県上田市生まれ。長野県上田高等学校を経て、1976年、京都大学文学部哲学科に入学、藤澤令夫らに学ぶ。卒業後は同大学大学院に進み、1986年に同大学院文学研究科博士後期課程を学修指導認定を受けて退学。 1998年に東京都立大学人文学部助手に就任。2001年、九州大学文学部助教授に就任。2005年、京都大学文学研究科助教授に就任、後に教授昇進。2005年に学位論文『魂・心・世界 心的基礎概念の歴史的考察』を京都大学に提出して博士(文学)号を取得。2023年3月に京都大学を定年退官した。2025年5月より第13代日本西洋古典学会委員長。
土屋 陽一(つちや よういち、1956年〈昭和31年〉10月… 土屋 陽一(つちや よういち、1956年〈昭和31年〉10月28日 - )は、日本の政治家。元長野県上田市長(2期)。 長野県上田市出身。上田市立北小学校、上田市立第三中学校、長野県上田高等学校を経て、1981年早稲田大学第一文学部教育学専攻卒業。上田市役所に入庁。教育委員会の中央公民館、塩田公民館、総務部企画課に勤務。1990年(平成2年)、退職。 1991年(平成3年)、上田市議会議員(旧市制)に初当選。2003年(平成15年)に4期目の当選。 2006年(平成18年)3月6日、旧上田市は小県郡丸子町・真田町・武石村と新設合併と行い、新上田市が誕生する。同年4月の市議選で当選。2014年(平成26年)の市議選で旧市時代をあわせて7回目の当選を果たす。
三宅 彰(みやけ あきら、1956年7月27日 -)は、日本… 三宅 彰(みやけ あきら、1956年7月27日 -)は、日本の推理作家。 長野県上田市生まれ。 明治大学法学部を卒業して、上田市役所に入職し、25歳のときに、労働組合の機関紙に執筆を依頼されたのを契機として小説を書くようになり、公務員としての勤務のかたわらミステリー作品の執筆活動を行う。 上田市教育委員会に勤務していた1997年に、『風よ、撃て』が、第14回サントリーミステリー大賞を受賞し、これを原作としたテレビ・ドラマも放映された。これより前、1993年の第6回日本推理サスペンス大賞では「猟犬の日」が最終候補作品5篇に残ったが、受賞したのは天童荒太の「孤独の歌声」であった。また、1994年の第40回江戸川乱歩賞では、別名儀の平尾彰として応募した「白き煉獄」が候補作5編に残ったが、受賞したのは中嶋博行の「検察捜査」であった。
中牧 昭二(なかまき しょうじ、1956年3月6日 - )は… 中牧 昭二(なかまき しょうじ、1956年3月6日 - )は、日本の元衆議院議員秘書、元プロレスラー。長野県上田市出身。『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』の著者として知られる。 拓殖大学ではアメフト部に所属し、1979年に運動用具メーカーのカドヤスポーツに入社。販売促進課に勤務した。 1990年に出版した『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』がベストセラーとなり、1990年の単行本・ノンフィクション部門で年間売上8位を記録した。 後にプロレスラーに転向するためSWSの入団テストを受けたが不合格となり、大仁田厚率いるFMWに入団。 1992年5月31日に、ターザン後藤戦でデビュー。その後はW★ING→IWAジャパン→大日本プロレスとインディー団体を転々とし、画鋲デスマッチ等の流血の多い激しい試合を展開した。
堀場 秀孝(ほりば ひでたか、1955年6月26日 - )は… 堀場 秀孝(ほりば ひでたか、1955年6月26日 - )は、日本の政治家。長野県議会議員(2期)。長野県上田市出身。元プロ野球選手(捕手)。 中学時代に県大会優勝。丸子実業高在学時は春1回、夏2回、甲子園に正捕手として出場した。高校の後輩に桃井進がいる。 同校3年次の1974年に、作新学院高の江川卓、滝川高の中尾孝義らと受験合宿を行って、慶應義塾大学を受験したが、江川たちと一緒に不合格となった。江川が進路を変えて法政大学法学部第二部に入学し(のちに一部へ転籍)、1年生の秋のシーズンから法政大学野球部のエースとして活躍するのを尻目に、中尾と共に浪人による再挑戦の途を選び、一浪後の1975年に慶應義塾大学法学部法律学科に入学した。
小林 すすむ(こばやし すすむ、本名;小林 進、1954年4… 小林 すすむ(こばやし すすむ、本名;小林 進、1954年4月15日 - 2012年5月16日)は、日本の俳優、タレント。長野県上田市出身。身長165cm、体重66kg。
湶 純江(あわら すみえ、1952年8月19日 - 2007… 湶 純江(あわら すみえ、1952年8月19日 - 2007年10月17日)は、日本の陸上競技(走幅跳)選手。1976年モントリオールオリンピックに出場。1976年から1987年にかけて、女子走幅跳の日本記録保持者であった。 長野県上田市出身。きょうだい皆が学生スポーツで活躍したというスポーツ一家に育つ。長野県上田千曲高等学校卒業。東急に所属し、1974年の第14回実業団・学生対抗陸上競技大会の女子走幅跳において6m00cmの記録で優勝した。 その後、⻑野スズキに所属。1976年4月25日の長野県春季大会において、女子走幅跳で当時の日本タイ記録である6m41cmをマークした。同年のモントリオールオリンピックに出場した。
松井 正文(まつい まさふみ、1950年 - )は、日本の動… 松井 正文(まつい まさふみ、1950年 - )は、日本の動物学者。京都大学名誉教授。両生類研究の第一人者で、日本動物学会賞を受賞した。元日本爬虫両棲類学会会長。 長野県上田市生まれ。長野県上田高等学校を経て、1972年信州大学繊維学部卒業。1975年京都大学大学院理学研究科博士課程中退、京都大学教養部助手。1984年理学博士。1987年京都大学教養部助教授。1991年京都大学大学院人間・環境学研究科助教授。1998年京都大学大学院人間・環境学研究科教授。2000年日本動物学会賞受賞。2015年京都大学名誉教授。両生類研究の第一人者で、日本爬虫両棲類学会会長などを歴任した。
平林 孝一(ひらばやし こういち、1949年6月23日 - … 平林 孝一(ひらばやし こういち、1949年6月23日 - )は、長野県上田市出身のプロゴルファー。 19歳で初めてクラブを握り、1977年にプロテスト合格。 1978年の美津濃プロ新人では松岡金市・池田富茂・青木基正・市川良翁・藤木三郎を抑えて渡辺三男の2位に入り、1979年の関東プロでは初日に波多野修・山田健一・小林富士夫・草壁政治・中嶋常幸・日吉稔・日吉定雄と並ぶ7位タイでスタートする。 1984年のNST新潟オープンでは初日を河野高明・尾崎健夫・新井規矩雄・井上幸一・藤木三郎・栗原雅樹と共に67の6位タイでスタートし、2日目も栗原と共に67で安田春雄・飯合肇に次ぐ3位タイに着けた。 1985年の日本プロでは初日を佐野修一・鈴村照男・入野太・岩下吉久と並んでの4位タイでスタートし、1998年の全日空オープンを最後にレギュラーツアーから引退。
黒坂 黒太郎(くろさか くろたろう、本名:黒坂 正文、194… 黒坂 黒太郎(くろさか くろたろう、本名:黒坂 正文、1949年(昭和24年)6月22日 - )は、日本の音楽家。コカリナ(木製のオカリナ)の創始者、演奏者、作曲家、シンガーソングライター。 長野県上田市生まれ。長野県上田高等学校を経て早稲田大学卒業。大学在学中は早稲田大学合唱団に所属。「広場と僕らと青空と」を作詞作曲。高田馬場にあったライブハウス「うたの店十一時館」でシンガーソングライターとして音楽活動を始める。 1974年自主制作盤として水俣病の少女のことを歌った英語の歌「We Can Stand」(キングレコード・ベルウッド・レコード委託制作)をリリース。後に正式にメジャー盤として再リリースされる。
二宮 正人(にのみや まさと、1948年11月17日 - )… 二宮 正人(にのみや まさと、1948年11月17日 - )は、ブラジルの法学者、弁護士、翻訳家。サンパウロ大学法学部博士教授。専門は、比較法、国際法、日伯外交史、移民史。長野県上田市出身。 ブラジル連邦共和国の弁護士(ブラジル弁護士会サンパウロ支部登録26565号)として、日本企業の法務に携わるほか、ブラジルと日本の両国の大学で教鞭をとる。留学先の東京大学大学院法学政治学研究科においては、高野雄一、池原季雄および星野英一にそれぞれ指導を受ける。 日系人の移民の歴史にも造詣が深く、また、日本の公人がブラジルを訪問した際、逆にブラジルの公人が日本を訪問した際の通訳を務める。 CIATE 国外就労者情報援護センター理事長、一般財団法人あしなが育英会賢人達人会メンバー、日本学術振興会(JSPS)顧問(サンパウロ海外アドバイザー)、国際協力機構(JICA)顧問を務める。
飯島 裕一(いいじま ゆういち、1948年- )は、日本の医… 飯島 裕一(いいじま ゆういち、1948年- )は、日本の医学ジャーナリスト、評論家。 長野県上田市生まれ。北海道大学水産学部卒業。信濃毎日新聞社入社後、報道部、整理部、文化部を経て1994年編集委員。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。専門は医学・医療・健康問題。
宮坂 信之(みやさか のぶゆき、1947年〈昭和22年〉9月… 宮坂 信之(みやさか のぶゆき、1947年〈昭和22年〉9月18日 - )は、日本の医学者。東京医科歯科大学名誉教授、同大学医学部附属病院元病院長。専門は膠原病内科学、臨床免疫学。大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授である宮坂昌之は双子の兄に当たる。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校へ進学し、中学時代から始めた剣道ではインターハイ出場を果たした。1973年(昭和53年)東京医科歯科大学医学部卒業後、同大学第一内科へ入局する。 1979年(昭和54年) カリフォルニア大学医学部へ留学し、1981年(昭和56年) には転じてテキサス大学医学部に留学する。帰国後には、1986年(昭和61年)東京女子医科大学リウマチ痛風センター助教授から、1989年(平成元年)には東京医科歯科大学難治疾患研究所教授となり、1995年(平成7年)に東京医科歯科大学第一内科教授となる。
宮坂 昌之(みやさか まさゆき、1947年〈昭和22年〉9月… 宮坂 昌之(みやさか まさゆき、1947年〈昭和22年〉9月18日 - )は、日本の医学者。大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授。専門は免疫学、実験病理学。東京医科歯科大学名誉教授である宮坂信之は双子の弟に当たる。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校へ進学し、中学時代から始めた剣道ではインターハイ出場を果たした。のちに京都大学へ進学し、1973年(昭和48年)に医学部を卒業した後は、田附興風会北野病院内科へ勤務した。翌年1974年には9月に開院されたばかりの金沢医科大学血液免疫内科にて助手として入局した。1977年(昭和52年) にはオーストラリア国立大学ジョン・カーティン医学研究所へ留学し、1981年(昭和56年)には免疫学博士課程修了し、Ph.D.(免疫学)を取得する。
坂口 光治(さかぐち こうじ、1947年(昭和22年)8月2… 坂口 光治(さかぐち こうじ、1947年(昭和22年)8月29日 - )は、日本の政治家。元東京都西東京市長(2期)、元東京都議会議員(5期)。 長野県上田市出身。誕生地は小県郡泉田村。(泉田村小泉地区は後に川西村となり、その後上田市に編入)。農家の六人兄弟の末っ子、五男として稼業の米作り、酪農、養蚕等を手伝い18歳まで上田市で育つ。長野県上田千曲高等学校電気科卒業。高校時代は陸上部に所属。卒業後、布団袋一つを持ち進学の為、東京へ上京。 東京都武蔵野市の新聞専売所に勤め、午前3時半起きの新聞奨学生をしながら電子学園日本電子専門学校電子工学部を卒業(優秀表彰)。 卒業後は母校の助手を2年務め、同校の情報学部教員となり、コンピューターのプログラミング、システムデザイン及び経営事務管理論等を教える。
工藤 千博(くどう ちひろ、男性、1947年8月6日 - 2… 工藤 千博(くどう ちひろ、男性、1947年8月6日 - 2009年10月9日)は、日本のヴァイオリニストである。妻は同じくヴァイオリニストの小栗まち絵である。長野県小県郡丸子町(現上田市)生まれ。 1963年、桐朋女子高等学校音楽科(音楽科は男女共学)に入学し、鈴木共子に師事する。1965年、高校3年生の時、第19回全日本学生音楽コンクール東京大会高校の部で第1位を受賞した。1966年、桐朋学園大学に入学、1970年、文化放送音楽賞を受賞。 1971年、桐朋学園大学を中退し、インディアナ大学に留学、ジョーゼフ・ギンゴールド、フランコ・グッリに師事した。1973年、ローザンヌ・エンロー賞を受賞。
伊藤 眞(いとう まこと、1945年2月14日 - )は、日… 伊藤 眞(いとう まこと、1945年2月14日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法・民事執行法・民事保全法・倒産法・裁判法。東京大学名誉教授。早稲田大学客員教授。日本大学客員教授。日本学士院会員。三ヶ月章門下。弟子に菱田雄郷など。 長野県上田市生まれ。新訴訟物理論を提唱した三ヶ月章を師に持ちながら、実務の採用する旧訴訟物理論に立脚し理論を展開。 資格試験予備校「伊藤塾」の塾長である、伊藤真(いとう まこと)とは別人である。
永山 勝利(ながやま かつとし、1943年 - )は、日本の… 永山 勝利(ながやま かつとし、1943年 - )は、日本の実業家。ホテルルートイングループ創業者・会長、ルートインジャパン代表取締役会長。 長野県上田市出身。家業の青果店をスーパーマーケットにし、1977年永山興産(現・ルートインジャパン)設立。1985年に上田ロイヤルホテルを1号店として開業。以降、利益率を重視した施設整備を進め、業容を拡大させた。長野県庁への寄付で基金が作られ、2015年度に児童養護施設出身者を対象にした「長野県飛び立て若者!奨学金」が創設された。後任のルートインジャパン代表取締役社長を務める永山泰樹は息子。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
工藤 かずや(1941年 - )は、日本の小説家、劇画原作者… 工藤 かずや(1941年 - )は、日本の小説家、劇画原作者。長野県上田市出身。 小説を書きながら『週刊漫画アクション』(双葉社)「恵子のチャンピオン」で原作デビュー。 「マグナム」で第1回集英社青年漫画大賞原作賞受賞。 劇画原作で数百編、小説で五十数編の発表作品がある。 『ゴルゴ13』の脚本を手掛け、「アルヘンティーノ・ティグレ」・「死闘ダイヤ・カット・ダイヤ」など約20話を執筆している[要出典]。 その他の代表作に小説「異形の者」「恨み葵」原作『イリーガル』・『危険なジル』・『信長』・『パイナップルARMY』等がある。 (暫定的に50音順。) この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。
下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本の… 下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本のノンフィクション作家、画家。沖縄県をテーマとした著作で知られる。 長野県上田市に生まれる。中学1年生の時に上京する。武蔵野美術大学油絵学科を中退。 1975年から約1年間石垣島に妻子とともに移住した。この移住で沖縄の歴史や文化への興味を抱く。 1983年、沖縄県の洞窟「チビチリガマ」の調査を地元住民らとともにおこない、沖縄戦時に壕内で集団自決があったことを明らかにした。下嶋はもともと、アメリカ合衆国施政下でおこなわれた沖縄本島からの移民の調査のために沖縄を訪れ、出会った読谷村出身の女性から聞いた断片的な話をきっかけに関係者への聞き取りを重ねて証言を引き出し、それをもとに壕内の調査で自決を裏付けた。
栗谷川 虹(くりやがわ こう、1937年(昭和12年)7月1… 栗谷川 虹(くりやがわ こう、1937年(昭和12年)7月17日 - 2021年(令和3年)10月28日[要出典])は、日本の文芸評論家。本名は宇江 誠(うえ まこと)。 主として評伝、史伝を執筆。
依田米秋(よだ べいしゅう(よねあき)、1935年10月24… 依田米秋(よだ べいしゅう(よねあき)、1935年10月24日 - 1992年12月13日)は、日本の政治運動家。長野県上田市出身、野沢北高校、早稲田大学卒業。元進歩党常任幹事、元進歩自由連合党首。
竹下 悦男(たけした えつお、1935年(昭和10年)4月8… 竹下 悦男(たけした えつお、1935年(昭和10年)4月8日 - 2023年12月3日)は、日本の政治家。元長野県上田市長。 上田市出身。東京農工大学農学部卒業。1959年(昭和34年)長野県庁に入庁。1983年(昭和58年)商工部振興課長、1985年(昭和60年)商工参事、1986年(昭和61年)商工部長、1988年(昭和63年)総務部長、公営企業管理者を歴任した。1994年(平成6年)上田市長選挙に当選し、1期務めた。2005年(平成17年)旭日小綬章受章。 2023年12月3日、慢性腎不全などのため上田市内の診療所で死去。88歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
池田 義雄(いけだ よしお、1935年3月29日 - )は内… 池田 義雄(いけだ よしお、1935年3月29日 - )は内科学を専門とする日本の医学者。日本生活習慣病予防協会理事長、セルフメディケーション推進協議会会長、タニタ体重科学研究所所長、糖尿病治療研究会代表幹事などを務める。 長野県上田市出身。1961年に東京慈恵会医科大学医学部を卒業、同大学講師、助教授、教授を務め、2000年に退任。医学博士。 1997年度日本肥満学会会長。厚生労働省薬事・食品衛生審議会新開発食品調査部会委員。2005年日本糖尿病学会坂口賞を梶沼宏と共同で受賞。日本糖尿病・肥満動物学会第5回平成24年後藤賞受賞。2014年度(平成26年)日本肥満学会功労賞受賞。 2011年の池田の著書『量る・計る・食べるダイエット』がトーハン調べ「2011年 年間ベストセラー」に入った。
仲村 秀生(なかむら しゅうせい、本名:中村 秀男、1935… 仲村 秀生(なかむら しゅうせい、本名:中村 秀男、1935年3月9日 - 2014年7月30日)は日本の俳優、声優、ナレーター。現役時は、同人舎プロダクション、ぷろだくしょんバオバブを経て81プロデュースに所属していた。声質は端正なバリトン。血液型はO型。
丸山 瑛一(まるやま えいいち、1934年7月12日 - 2… 丸山 瑛一(まるやま えいいち、1934年7月12日 - 2019年12月24日)は日本の電子技術者。材料工学者、理化学研究所名誉研究員。工学博士(1977年、大阪大学)。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校を経て、昭和32年(1957年)東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。同34年(1959年)同理学部物理学科卒業。同年日立製作所中央研究所に入所し、同59年(1984年)主管研究長、同60年(1985年)基礎研究所長。のち研究開発推進本部技師長。平成5年(1993年)オングストロームテクノロジー研究機構常務理事。平成11年(1999年)政策研究大学院大学教授を経て、理化学研究所フロンティア研究システム長。
山口 あかり(やまぐち あかり、1934年5月26日 - 2… 山口 あかり(やまぐち あかり、1934年5月26日 - 2007年5月10日)は、日本の作詞家。長野県上田市出身。日本社会事業大学卒業。本名は山崎 裕世(やまざき ひろよ)。 2007年5月10日、大腸癌のため死去。72歳没。
中西 立太(なかにし りった、1934年3月18日 - 20… 中西 立太(なかにし りった、1934年3月18日 - 2009年1月11日)は、日本のイラストレーター。「歴史画」の第一人者といわれている。 長野県上田市生まれ。1952年長野県上田松尾高等学校卒業。 1955年小学館で小さなカットなどの仕事をはじめる。 1962年小学館科学図説シリーズ『人類の誕生』で第8回サンケイ児童出版文化賞受賞。1964年小学館科学図説シリーズ全体で第11回サンケイ児童出版文化賞大賞受賞。
平尾 哲男(ひらお てつお、1933年(昭和8年)7月24日… 平尾 哲男(ひらお てつお、1933年(昭和8年)7月24日 - 2016年(平成28年)8月8日)は、日本の政治家。長野県上田市長。 上田市出身。信州大学工学部卒業。上田市役所に入庁し、助役を経て、平成10年(1998年)上田市長選挙で当選し、1期務めた。同18年(2006年)旭日双光章受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
丸山 博(まるやま ひろし、1932年12月5日 - 201… 丸山 博(まるやま ひろし、1932年12月5日 - 2019年3月28日)は、プロ野球審判員で元セントラル・リーグ審判部副部長。審判員袖番号は30。 長野県上田市出身。終戦の1945年に旧制上田中学に入学、野球部に入部するも小柄だったためマネージャーを務めた。新制となった上田松尾高校(現在の長野県上田高等学校)を卒業後、長野県高等学校野球連盟を経て1957年セ・リーグ審判部に入局。 以後セ・リーグの中心審判の一人として活躍し、1989年に引退するまでの審判としての通算試合出場数は3515試合を数えたが、日本シリーズ出場は意外と少なく2回(1977年の日本シリーズと1982年の日本シリーズ)、またオールスターには6回出場した。
中山 典之(なかやま のりゆき、1932年9月3日 - 20… 中山 典之(なかやま のりゆき、1932年9月3日 - 2010年2月16日)は、囲碁のプロ棋士。長野県上田市出身。日本棋院東京本院所属。1951年、長野県上田松尾高等学校卒業。1953年、鈴木五良八段に入門。1962年入段。1992年六段に昇進。 アマチュア出身であり、入段が遅かった。タイトル戦などには縁がなかったが、文才に長け、『実録囲碁講談』『囲碁の世界』など囲碁界に関する多数の著作がある。またライターや編者としての100冊以上の棋書の編纂を行った。若い頃は名記録係といわれ、読売新聞の観戦記者である山田覆面子に重用された。アマチュアへの指導に高い評価があり、1982年からほぼ毎年海外に出て囲碁の普及に努めた。
山本 草二(やまもと そうじ、1928年(昭和3年)2月25… 山本 草二(やまもと そうじ、1928年(昭和3年)2月25日 - 2013年(平成25年)9月19日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(東京大学・1969年)(学位論文「宇宙通信の国際法-国際企業の法形態として-」)。東北大学名誉教授。国際海洋法裁判所裁判官。長野県上田市出身。長男は外交官の山本条太。
小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )… 小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1949年早稲田大学文学部哲学科心理学卒業。1974年「乳幼児における自己制御機構の発達的研究」で文学博士。早大講師を経て、1959年文学部教授。家庭裁判所研修や国立公衆衛生院の講師も併任した。1995年定年退官、名誉教授。
有賀 潤(あるが じゅん、1923年(大正12年)9月5日 … 有賀 潤(あるが じゅん、1923年(大正12年)9月5日 - 2013年(平成25年)1月2日)は日本の洋画家である。 風景、人物、静物など画材は広範。1970年頃から日本の伝統家屋(藁葺屋根)を取材した農村風景画の創作に力を注ぎ、日本列島全域を探訪した。現在では消失した伝統家屋を写実的手法で描かれた作品群は、日本人の心の故郷そのもであり、同時に民俗学史料としても国内外で高く評価されている。 長野県上田市出身。旧制小県蚕業学校(長野県上田東高等学校)卒業。太平洋戦争に従軍し、復員後の1945年から東京在住。1948年東京育英高等学校教諭、1950年東京美術学校卒業後、数年間、阿佐ヶ谷美術専門学校にて教師を務める。
久保田 晴寿(くぼた せいじゅ、1923年(大正12年)6月… 久保田 晴寿(くぼた せいじゅ、1923年(大正12年)6月26日 - 2004年(平成16年)8月31日)は、日本の薬学者。専門は薬品合成化学。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1946年京都帝国大学医学部薬学科卒業。1947年母校助手。1951年徳島大学薬学部助教授、1957年教授、1972年薬学部長を経て、1988年に徳島大学学長に就任し1991年に学長を退任。退任後の1992年に大阪薬科大学学長に就任、1995年に同大学学長を退任。1997年、勲二等旭日重光章受章。 1953年、京都大学薬学博士。論文名は「アセチレンとアンモニアの縮合に関する研究」。 2004年に急性呼吸不全のため徳島県小松島市の病院で死去。
中村 茂(なかむら しげる、1920年(大正9年)11月9日… 中村 茂(なかむら しげる、1920年(大正9年)11月9日 - 2012年(平成24年)12月19日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県小県郡殿城村(現上田市)生まれ。1938年名古屋逓信講習所卒業、上田郵便局に奉職。全逓長野地区書記長、全逓信越地方本部執行委員長などを経た後、1972年の第33回衆議院議員総選挙で長野2区から日本社会党公認で立候補して当選。以来連続6期務める。1990年の第39回衆議院議員総選挙には立候補せず引退した。 2012年12月19日、死去。92歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
松井 正直(まつい まさなお、1917年12月9日 - 20… 松井 正直(まつい まさなお、1917年12月9日 - 2012年3月12日)は日本の農芸化学者。東京大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員。生理活性天然物の合成に関する研究領域の第一人者として活躍した。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1938年旧制静岡高等学校理科卒業、1941年東京帝国大学農学部農芸化学科卒業。同年台湾製糖に入社し、理化学研究所に研究員として派遣され、1942年に理研研究員のまま理研栄養食品に移り、1945年住友化学に勤務しながら京都帝国大学に4年間派遣された。1953年東大助教授となり、1956年同教授。1967年から1978年まで理研主任研究員を兼ねる。
片岡 鶴八(かたおか つるはち、1917年7月7日 - 19… 片岡 鶴八(かたおか つるはち、1917年7月7日 - 1988年7月13日)は、日本の声帯模写芸人。 音楽家の片岡慎介は実息。 実家はハンコ職人。素人時代にNHKのど自慢、ラジオ東京の「しろうと寄席」に出演し名を馳せる。自転車でハンコの配達中に肩の怪我で玄人に転身。玄人になってからは1957年より8代目桂文楽の一門で落語協会に属した。 芸名は「しろうと寄席」の審査員であった安藤鶴夫と木下華声(2代目江戸家猫八)の「鶴」と「八」の字を貰った。 物まねのレパートリーは浪曲の節まね、歌手、政治家、評論家、歌舞伎俳優、映画俳優、動物のまねなど幅広かった。 1980年に脳出血で引退した。 弟子にお笑いタレントの片岡鶴太郎がいる。
土屋 敦博(つちや あつひろ、1916年11月23日 - 2… 土屋 敦博(つちや あつひろ、1916年11月23日 - 2002年10月6日)は、日本の保健学者。専門は障害児病理、スポーツ医学。博士(医学)。 長野県上田市出身。日本体育大学(旧制日本体育専門学校)卒業。信州大学教授を経て、長野大学教授。1972年から学長代行を務め、1977年正式に学長を歴任。 その他、1964年から1968年まで長野県サッカー協会会長を歴任。1960年上田市体育協会功労賞受賞。1964年長野県スポーツ協会スポーツ振興功績者有功賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
尾澤 千春(おざわ ちはる、1915年3月4日 - 2004… 尾澤 千春(おざわ ちはる、1915年3月4日 - 2004年)は、日本の工芸家、彫刻家。姓の「澤」は「沢」の旧字体のため、尾沢 千春(おざわ ちはる)とも表記される。 長野県農民美術連合会会長などを歴任した。 長野県小県郡神川村(現上田市)生まれの工芸家である。初代中村實の下で学び、主に木彫などを手掛けていた。長野県の「農民美術運動」の第一人者として知られている。長野県農民美術連合会の会長など要職を歴任した。また、後継者や愛好者の育成にも力を注ぎ、木彫の流行に対しても影響を与えた。 神川実業補習学校卒業。初代中村實に弟子入りし、木彫など工芸を学んだ。尾澤を指導した中村は、「農民美術運動」を提唱した版画家の山本鼎に共感し、山本の主宰する農民美術講習会に第1期生として馳せ参じ、山本の一番弟子となった。
真保 正子(しんぼ まさこ、1913年1月22日 - 199… 真保 正子(しんぼ まさこ、1913年1月22日 - 1995年12月19日)は、日本の陸上競技選手・陸上競技指導者。元大谷女子大学教授。日本陸上競技連盟終身1種審判員。長野県上田市出身。上田高等女学校(現在の長野県上田染谷丘高等学校)、日本女子体育専門学校(現在の日本女子体育大学)卒業。
北野 ミヤ(きたの ミヤ、1912年1月12日 - 2004… 北野 ミヤ(きたの ミヤ、1912年1月12日 - 2004年4月23日)は、メジロ商事株式会社、有限会社メジロ牧場の元会長。長野県上田市生まれ。 「メジロティターンの子で天皇賞を勝て」という夫・北野豊吉の遺言を受け、メジロ牧場を引き継ぐ。1991年には遺言どおりメジロティターンの仔・メジロマックイーンで天皇賞(春)を勝った。そのほか1986年の牝馬三冠馬・メジロラモーヌ、メジロライアン、メジロパーマー、メジロドーベル、メジロブライトなどGIホースを次々と生産。メジロ牧場の最盛期を築き、ファンや関係者からは「メジロのおばあちゃん」と呼ばれ親しまれたが、一方でメジロマックイーンが勝った1990年の菊花賞について「もう一頭のメジロに勝って欲しかった(同じく1990年の菊花賞で1番人気だったが3着に敗れたメジロライアンを指す)」と発言するなど、歯に衣着せぬ言動をすることもあった。
清水 澄子(しみず すみこ、1909年5月1日 - 1925… 清水 澄子(しみず すみこ、1909年5月1日 - 1925年1月7日)は、長野県上田市出身の詩人。没後に発表された遺稿集『さゝやき』により知られる。
石井 泉(いしい いずみ、1907年〈明治40年〉3月31日… 石井 泉(いしい いずみ、1907年〈明治40年〉3月31日 - 1982年〈昭和57年〉2月4日)は、日本の農業経営者、政治家。長野県小県郡泉田村長、上田市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 長野県小県郡泉田村(現上田市)で、石井基、うた の長男として生まれた。泉田実業補習学校を卒業。農業を営む。 1944年(昭和19年)泉田村半過区長に就任。1951年(昭和26年)6月、泉田村助役となり、1955年(昭和30年)5月、同村長となり、翌年上田市に合併し、同市専門委員となる。1959年(昭和34年)5月、上田市議会議員に当選し、1963年(昭和38年)同議長を務めた。1969年(昭和44年)上田市監査委員に就任。
小泉 清明(こいずみ きよあき、1904年12月17日 - … 小泉 清明(こいずみ きよあき、1904年12月17日 - 1977年10月26日)は、日本の生物学者。理学博士(1935年)。信州大学教授などを歴任。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1928年京都帝国大学農学部農林生物学科卒業。翌年、母校講師。理学博士(1935年)。 1930年台北帝国大学助教授、1944年熱帯医学研究所所長、1949年岐阜師範学校(学制改革により岐阜大学教育学部)教授、1958年信州大学教授、1960年同繊維学部長などを歴任し、1969年定年退官。 日本生態学会環境問題専門委員会委員長、長野県水質審議会委員、日本学術会議自然保護研究連絡委員会委員なども務める。
新田 潤(にった じゅん、1904年9月18日 - 1978… 新田 潤(にった じゅん、1904年9月18日 - 1978年5月14日)は、小説家。本名・半田 祐一。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、東京帝国大学英文科卒。1936年に高見順らと『人民文庫』を創刊、プロレタリア・リアリズムの作家として活動した。1943年から海軍報道班員として徴用され、復員後は風俗小説を書いた。1968年から東京電機大学講師。 1978年5月14日、肝硬変の末期症状である食道静脈瘤破裂のため東京都杉並区高円寺北の自宅で死去。戒名は無得豊潤居士。