上條 優奈(かみじょう ゆうな、2005年6月21日 - )… 上條 優奈(かみじょう ゆうな、2005年6月21日 - )は、長野県塩尻市出身の女子野球選手(外野手)、コーチ。右投左打。読売ジャイアンツ女子チーム所属。 父や4歳年上の兄の影響で、小学2年時に吉田スポーツ少年団に入団し野球を始めた。当初のポジションは投手。塩尻市立丘中学校では男子選手とともに練習を積み、全国大会にも出場した。 父の勧めにより女子硬式野球部のある岐阜第一高等学校へ進学。2年時の第26回 夏の大会では準決勝で開志学園に敗れ、甲子園での決勝出場を逃したが、翌年の第27回 夏の大会では準決勝で福井工業大学附属福井に勝利し、甲子園出場を果たした。2023年8月1日に甲子園で行われた決勝では神戸弘陵学園と対戦し、試合は1-8で敗れたものの、2番手投手として2回無失点の好投を見せ、安打も記録した。
樋口 大輝(ひぐち だいき、2001年9月10日 - )は、… 樋口 大輝(ひぐち だいき、2001年9月10日 - )は、長野県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・松本山雅FC所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 松本山雅FC U-18出身。 専修大学在学中の2023年4月に松本山雅FCの2024年からの加入と2023年シーズンの松本山雅FCの特別指定選手として選手登録された。 2023年7月8日、J3リーグ第17節のFC琉球戦でJリーグデビューを果たした。 2024年、前年から監督に就任した霜田正浩のもと2月26日のテゲバジャーロ宮崎戦で左サイドバックとして開幕スタメンに抜擢され、前半15分にCKのこぼれ球を押し込みプロ初ゴールを記録した。 この年はリーグ戦33試合の出場でサイドバックながら6ゴールを記録し、12月7日に行われたJ2昇格プレーオフ決勝のカターレ富山戦でも追加点となるゴールを決めた。
若菜 みさ(わかな みさ、2001年3月8日 - )は、日本… 若菜 みさ(わかな みさ、2001年3月8日 - )は、日本の画家、女優。長野県塩尻市出身、身長は158cm。血液型A型。 抽象画と現代アートを中心に描き、アクリルとデジタルを融合する新しい手法を用いる。生まれつき絶対音感を持ち、楽曲は1度聴けば弾くことができる。人の喋り声もコピーが可能。またピアノでは、「ピティナ・ピアノコンペティション」において合格と優秀賞を獲得した実績を持つ。 2016年 15歳の頃にSMAの音楽オーディションに参加。 アニソンシンガーに強く憧れていた。またクラシックピアノを幼い頃から習っており、音楽の道を志したことがのちに芸能活動への架け橋となる。 2017年、SMA主催 「アニストテレスvol.6」のファイナリストとして抜擢。
出口 ケリー(でぐち ケリー、ケリー・デグチ〈英語: Kel… 出口 ケリー(でぐち ケリー、ケリー・デグチ〈英語: Kelly Deguchi〉, 1999年2月13日 - )は、日本出身のカナダの元柔道家。 長野県塩尻市出身。父はカナダ人の写真家、母は日本人であり、姉はカナダ国籍の柔道家たる出口クリスタである。 姉の後を追う形で塩尻の長野誠心館道場で柔道を始め、姉同様に松商学園高等学校、山梨学院大学と進んだ。 松商学園高等学校時代は女子63kg級の選手であり、高校3年時の2016年「全国高等学校柔道大会」(鳥取県)の個人女子63kg級で出場しているが、一回戦敗退の記録が残っている。 姉がカナダ国籍を選択したことに続き、自身もカナダ国籍を選択。 2021年に大学を卒業し、姉の所属先でもある日本生命保険に入社。
出口 クリスタ(でぐち クリスタ、1995年10月29日)は… 出口 クリスタ(でぐち クリスタ、1995年10月29日)は、日本の長野県塩尻市出身のカナダの女子柔道家。組み手は右組み。得意技は大外刈。2016年までは全日本の強化指定選手だった。2024年パリオリンピック57kg級金メダリスト。 妹は同じくカナダ代表柔道家の出口ケリー。 父親が空手を薦めるも母親は柔道を推したこともあって、3歳の時に祖母の理容室の常連だった師範のいる誠心館道場で柔道を始めた。道場の練習は厳しかったものの、体を動かすのが好きだったので最初は楽しく思えた。しかし小学校高学年の頃は、祖父の家で一緒に『水戸黄門』(TBS)を見て夕食を済ませた後に道場へ通う日々が憂鬱に思えたという。なお、両親は普段英語で会話しており、家の中ではカナダのようだったという。
津金 恵(つがね めぐみ、1995年10月18日 - )は長… 津金 恵(つがね めぐみ、1995年10月18日 - )は長野県塩尻市出身の日本人の女子柔道選手である。階級は63kg級。身長160cm。バスト99cm。リーチ162cm。握力は右36kg、左36kg。血液型はA型。組み手は右組み。段位は参段。得意技は内股。尊敬する柔道家は谷本歩実。現在はパーク24所属。2020年7月に警視庁所属の柔道選手と結婚して堀川姓となった。 松本第一高校の柔道部監督を務めている父親の影響を受けて、柔道は5歳の時に兄と姉に続いて一誠館で始めた。練習は週2日ほどでそれほどきつくなかったという。小学生の時は身長が160cm近くで体重が70kgほどあったことも手伝って、軽量級の出口クリスタを軽く一蹴するなど、長野県内では無敵だった。
小平 渓介(こだいら けいすけ、英語:Keisuke Kod… 小平 渓介(こだいら けいすけ、英語:Keisuke Kodaira、1994年6月17日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(男子シングル)、現在はプロフィギュアスケーター、フィギュアスケートインストラクター、コレオグラファーである。 長野県塩尻市出身。長野県塩尻志学館高等学校、日本大学卒業。身長175センチ、血液型はA型。高い柔軟性と身体能力を活かしたパフォーマンスと、曲の世界観を体現する表現力、穏やかな透明感と男らしさを兼ね備えた個性に現役時代からファンが多い。2017年に地元長野県で開催された第72回国民体育大会では自身の個人最高の15位に入り、渾身のFSプログラム「白夜行」は同大会を期に小平渓介を代表するプログラムとなった。
田中 あさみ(たなか あさみ、Asami Tanaka、19… 田中 あさみ(たなか あさみ、Asami Tanaka、1993年6月6日 - )は、日本の元女性ファッションモデル、女優。 なお、後述の芸能界引退後の後年に女性アイドルグループ「放課後プリンセス」で活動していた田中あさみとは、同姓同名の別人である。 1993年(平成5年)6月6日、長野県で生まれる。父の仕事の関係で4歳から10歳までシンガポールで育つ。 小学4年生の時に映画『ハリー・ポッター』を見て、「お話の中だけでも魔法使いになれるなんて素敵」と芸能界に憧れたものの自分が芸能人になるのは無理だと思っており、普通に進学して就職するつもりだったが、友達が持っていたオーディション雑誌を見て、ファンであった戸田恵梨香の所属事務所のオーディション情報を発見し、応募した。
代田 敦資(しろた あつし、1991年11月6日 - )は、… 代田 敦資(しろた あつし、1991年11月6日 - )は、長野県塩尻市出身のサッカー選手。ポジションは、ディフェンダー。 前橋育英高校に進学後、第88回全国高校サッカー選手権に出場。 鹿屋体育大学ではサッカー部に所属。4年次には主将を務め、CBとして最終ラインを統率した。 2014年、V・ファーレン長崎へ加入。2016年よりアルビレックス新潟シンガポールへ加入した。2017年よりホウガン・ユナイテッドFCへ移籍。2018年、カンボジアのプノンペン・クラウンFCへ移籍。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
村澤 明伸(むらさわ あきのぶ、1991年3月28日 - )… 村澤 明伸(むらさわ あきのぶ、1991年3月28日 - )は、長野県塩尻市出身の陸上競技選手。専門は長距離種目。佐久長聖高等学校、東海大学体育学部卒業。SGホールディングス所属。 入学した楢川中学校には陸上部が存在せずサッカー部に所属していたが、兄の影響を受けて2年生から陸上競技を始めた。高校は、兄と同じ地元の高校ではなく、長距離走の名門佐久長聖高校に進学した。佐久長聖高校では両角速監督の下、インターハイ・国体などで活躍。2008年には世界ジュニア5000mの日本代表に選出され12位の成績を残した。また、千葉国際クロスカントリー大会・福岡国際クロスカントリー大会で好成績を残し、2008年英国・エディンバラ、2009年ヨルダン・アンマンで開催された世界クロスカントリー選手権ジュニア日本代表に選ばれた。
百瀬 優(ももせ まさる、1989年10月17日 - )は、… 百瀬 優(ももせ まさる、1989年10月17日 - )は、長野県塩尻市出身の、日本の柔道選手である。階級は100 kg超級。身長186 cm、体重120 kg。得意技は体落。現在は旭化成所属。 柔道は3歳の時に誠心館道場で始めた。小学校6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で3位になった。丘中学3年の時に全国中学校柔道大会90kg超級で2位となった。その後、国士舘高校に進学すると、2年の時に金鷲旗で優勝を果たしたが、インターハイ団体戦では3位だった。さらに翌年の全国高校選手権団体戦では2位だった。3年の時にはインターハイ100kg超級の準決勝で崇徳高校の上川大樹に上四方固で敗れて3位だったが、団体戦では優勝を飾った。
小松 憲太(こまつ けんた、1988年1月19日 - )は、… 小松 憲太(こまつ けんた、1988年1月19日 - )は、長野県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは、MF。 武蔵工業大学第二高等学校(現:東京都市大学塩尻高等学校)から東海学園大学を経て、2010年松本山雅FCへ加入。大学時代は大学がサッカー部の強化に乗り出した時期と重なったため、1年生から主将を務めた。2014年7月、タイ・ディヴィジョン1リーグ(タイ2部相当)のアユタヤFCへ移籍。 2015年2月、現役を引退し、松本山雅FCユースアカデミーのスクールスタッフに就任すると発表された。 2017年4月から、母校の東京都市大塩尻高等学校で体育科の教員を務めている傍らサッカー部のコーチとして指導に当たる。
続木 美香(つづき みか、1987年8月1日 - )は、ショ… 続木 美香(つづき みか、1987年8月1日 - )は、ショップチャンネルのキャスト。元北海道文化放送(UHB)所属のアナウンサー。 長野県塩尻市出身。身長165cm。長野県松本県ヶ丘高等学校、駒澤大学卒業後、長野県内の企業で受付係をしていたが、Jリーグの試合観戦中女性アナウンサーが選手にマイクを向ける姿に憧れて、自分も「人を楽しませる仕事がしたい」という思いからアナウンサーに転身することを決意した。 2012年4月、NHK釧路放送局に契約キャスターとして入局。情報番組のキャスター・レポーターとして活動。2015年4月にUHBへ中途入社。同期入社は石井しおり(九州朝日放送→フリーアナウンサーから移籍)、柴田平美(北海道根室高等学校→藤女子大学文学部日本語・日本語文学科卒業)。
アキラ(1987年1月18日 - )は、日本の元総合格闘家。… アキラ(1987年1月18日 - )は、日本の元総合格闘家。長野県塩尻市出身。武蔵村山さいとうクリニック/&MOSH所属。元ライト級キング・オブ・パンクラシスト。 中学校・高校時は剣道部に所属し、日本体育大学では体操部に所属。しかし、格闘家への憧れは昔から抱いており、2005年にPRIDEライト級グランプリの決勝戦、五味隆典対桜井"マッハ"速人の一戦を見て、その気持ちはますます膨らみ、友達に五味のジムの見学を誘われた事がきっかけとなり久我山ラスカルジムに入門。体操部を退部し、大学2年からは総合格闘技一本にしぼってトレーニングを積んだ。 その後、アマチュア総合格闘技で経験を積み、全日本コンバットレスリング選手権では2010年と2012年に73㎏級で優勝した。
山岸 絵美(やまぎし・えみ 1986年8月22日 - )は、… 山岸 絵美(やまぎし・えみ 1986年8月22日 - )は、日本の女性柔道選手。階級は48kg級。身長152cm、体重48kg。長野県塩尻市出身。得意技は内股、巴投げ、寝技。組み手は左組み。段位は六段。血液型はB型。趣味は絵を描くこと。のちに三井住友海上女子柔道部の特別コーチに就く。会社では広報部に所属。損害保険の普通資格と、アロマセラピストの資格を持つ。 柔道は7歳の時に父親の影響で弟に続いて誠心館道場で始めた。小中学校時代は毎日のように父や弟と一緒に、腕立て伏せや腹筋などの基礎トレーニングを積んだり、5-6kmの道のりを1時間ほど早朝ランニングしていた。小学生の時は後に会社の同僚となるライバルの清水千晶にいつも負けていたが、6年生の時にようやく勝利して県のチャンピオンとなった。
小澤 美夏(おざわ みか、1985年8月9日 - )は、長野… 小澤 美夏(おざわ みか、1985年8月9日 - )は、長野県塩尻市出身のショートトラックスピードスケート選手。2001年世界ジュニア選手権出場を皮切りに、2002年ソルトレークシティオリンピック出場、2006年トリノオリンピックでは1000mで9位と着実に成績を上げてきている。2010年バンクーバーオリンピックで3大会連続出場。 堺女子高校、阪南大学を卒業し、現在は阪南大学職員。
波切 敦(なみきり あつし、1985年 - )は、日本の漫画… 波切 敦(なみきり あつし、1985年 - )は、日本の漫画家。長野県塩尻市出身。男性。2022年より『週刊少年サンデー』(小学館)にて、『レッドブルー』を連載している。 1985年、長野県塩尻市で誕生。人生で初めて読んだ漫画は『OH!MYコンブ』で、子どものころは『ラストレジオン UX』と『ガチャフォース』のゲームを好み、青春時代には星新一の作品を愛読して過ごす。町田・デザイン専門学校を卒業後、『チャゲチャ』や『黒子のバスケ』や『ハイキュー!! 』のアシスタントを経験。作品では体育館のシーンをよく任されていた。 2017年、『ガリバク合気』が第79回小学館新人コミック大賞で佳作を受賞。その後、読み切りが掲載された際に波切は「漫画家になった」と実感している。
寺沢 拓敬(てらさわ たくのり、1982年 - )は、日本の… 寺沢 拓敬(てらさわ たくのり、1982年 - )は、日本の応用言語学者、教育社会学者。関西学院大学社会学部准教授。 長野県塩尻市出身。東京都立大学人文学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学、2013年「新制中学校英語の「事実上の必修化」成立に関する実証的検討 《国民教育》言説および社会構造の変化との連関を中心に」で博士(学術)。千葉商科大学非常勤講師、国立音楽大学非常勤講師、日本学術振興会特別研究員(PD)、オックスフォード大学ニッサン日本問題研究所客員研究員を経て現職。専門分野は言語社会学、英語教育制度とその歴史。 英語をめぐるイデオロギーの計量的分析や、英語教育における制度に関して歴史的アプローチによる分析を行う。
臼井 弘貴(うすい ひろたか、1980年4月6日 - )は、… 臼井 弘貴(うすい ひろたか、1980年4月6日 - )は、長野県塩尻市出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。日本サッカー協会指導者ライセンス(公認S級ジェネラル)を保有している。 松商学園高等学校のエースストライカーとして全国高等学校サッカー選手権大会に出場。日本大学関東大学サッカーリーグ2部で阿部吉朗、中村憲剛らと共にベストイレブンを獲得した。卒業後、長野都市ガスに就職。アマチュア契約で長野エルザに加入。 2018年、シンガポールのゲイラン・インターナショナルFC監督に就任するが、8位の成績に終わった。 2021年、岩瀬浩介の日大人脈によりブラウブリッツ秋田のコーチに就任する。
平波 亘(ひらなみ わたる、1978年12月13日 - )は… 平波 亘(ひらなみ わたる、1978年12月13日 - )は、日本の映画監督である。 長野県塩尻市出身。長野県松本美須々ヶ丘高校を経て、2001年に旭川大学を卒業。2004年ENBUゼミナール卒業を経て自主制作活動を開始。2008年にぴあフィルムフェスティバルのPFFアワードに入選。以降も国内外の映画祭やイベントで作品が上映される。映画監督だけでなく、TVドラマの監督、舞台演出、ミュージックビデオの製作もコンスタントに行い、また商業・インディペンデント問わず助監督としても数多くの作品に参加している。 『きさらぎ駅』の監督・永江二朗は大学の同期(永江は中退)。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。
清水 直樹(しみず なおき、1973年11月15日 - )は… 清水 直樹(しみず なおき、1973年11月15日 - )は、日本のモーターサイクルレーサー。長野県塩尻市出身。愛称は「TOKEN」。 大学卒業後にレーサーの道を進んだ異色の経歴を持つ。1998年にロードレースデビュー。当初はGP125で活動していたが、2001年にGP250へ移行。2003年、2004年には東日本エリア選手権で2年連続クラス優勝を果たす。 2008年には、岡山国際で全日本初表彰台に立つ。 この項目は、モータースポーツに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。
古厩 智之(ふるまや ともゆき、1968年11月14日 - … 古厩 智之(ふるまや ともゆき、1968年11月14日 - )は、日本の映画監督、テレビドラマ演出家。長野県塩尻市出身。長野県田川高等学校を経て、日本大学藝術学部卒業。C&Iエンタテインメント所属。 妻は女優・作家・映画監督の唯野未歩子。 大学在学中に撮った『灼熱のドッジボール』が、1992年ぴあフィルムフェスティバル (PFF) でグランプリ受賞を果たす。これでスカラシップ権を獲得し、1995年に『この窓は君のもの』で長編デビュー。同作で第35回日本映画監督協会新人賞を受賞。当時26歳であり、これは現在も同賞の最年少受賞である。1995年秋には塩尻市の塩尻東座で『この窓は君のもの』が自主上映され、地元紙にも大きく取り上げられるような成功を収めるとともに、自主上映会フロム・イースト(FROM EAST)発足のきっかけとなった。
松浦 篤志(まつうら あつし、1968年5月10日 - )は… 松浦 篤志(まつうら あつし、1968年5月10日 - )は、長野県塩尻市出身の日本人ギタリスト。現在はフィリピン在住。 ザ・ドーン(英語版)元メンバー。当時フィリピンに駐在していた日本人の子供のための専属学校であるマニラ日本人学校に通っていた。後に高校入学のために日本に戻り、翌年マニラのインターナショナルスクールに転校し、1986年卒業。再び日本に戻り、東京の上智大学に進学。 祖父はヴァイオリニスト、母親はピアニストであったため松浦にとっては音楽は自然なものであった。7歳からピアノを習い、11歳までエレクトーン(ヤマハエレクトリックオルガン)教室に通う。コース修了まで残り1レッスンの時に興味がギターに移った。
御子柴 進(みこしば すすむ、1964年6月29日 - )は… 御子柴 進(みこしば すすむ、1964年6月29日 - )は長野県塩尻市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。
小口 久仁子(おぐち くにこ、1963年9月30日 - )は… 小口 久仁子(おぐち くにこ、1963年9月30日 - )は、日本の女性声優、女優。長野県塩尻市出身。プロダクション・タンク所属。 日本大学法学部卒業。青二プロダクション付属俳優養成所、アクセントを経て、現在はプロダクション・タンクに所属。 趣味・特技は日本舞踊(花柳流)、スキューバダイビング。
東原 伸明(ひがしはら のぶあき、1959年5月 - )は、… 東原 伸明(ひがしはら のぶあき、1959年5月 - )は、日本の国文学者、高知県立大学教授。 長野県塩尻市出身。國學院大學文学部国文科卒業、同大学院博士課程後期単位取得満期退学。2009年「古代散文文学史における語り・言説・テクストの研究」で文学博士(名古屋大学)。1997年県立高知女子大学文学部助教授、2007年教授、2011年校名変更で高知県立大学文化学部・人間生活学研究科教授。専門は中古の物語・日記。
碓井 稔(うすい みのる、1955年4月22日 - )は、日… 碓井 稔(うすい みのる、1955年4月22日 - )は、日本の実業家、機械工学者。セイコーエプソン取締役会長。前・代表取締役社長。 長野県塩尻市生まれ。父親は国鉄職員であった。 長野県松本深志高等学校から東京大学工学部へ進学。大手自動車関連メーカー勤務を経て、1979年11月に信州精器(現セイコーエプソン)に入社。 1988年、インクジェットプリンターの新方式ヘッド開発メンバーとなり、1990年にはKH(緊急ヘッド)プロジェクトのリーダーとなった。これがマイクロピエゾ方式インクジェットプリンターの開発、商品化につながったことから「プリンターの父」とも称される。 その後、役員、取締役を歴任し、2008年6月に代表取締役社長に就任。
碓井 広義(うすい ひろよし、1955年 - )は、日本のテ… 碓井 広義(うすい ひろよし、1955年 - )は、日本のテレビプロデューサー。メディア文化評論家。元上智大学文学部新聞学科教授。 専門はメディア文化論。学位は博士(政策研究)(千葉商科大学・2006年)、博士論文は「地域メディアとしてのポータルサイトの研究と開発 : 情報コモンズ構築による地域情報化の実践」である。 長野県塩尻市出身。長野県松本深志高等学校を経て、1978年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業、2006年に千葉商科大学大学院政策研究科政策専攻博士課程修了。 1981年にテレビマンユニオンに参加し、20年間にわたってドキュメンタリーやドラマの制作を行った。番組制作の傍ら、1994年より慶應義塾大学環境情報学部の非常勤講師を務めた。
川上 恵一(かわかみ けいいち、1952年 - )は、日本の… 川上 恵一(かわかみ けいいち、1952年 - )は、日本の建築家。信州大学工学部社会開発工学科建築コースや早稲田大学理工学部建築学科非常勤講師。長野県塩尻市出身。 1975年、早稲田大学理工学部建築学科卒。北野建設、 降幡建築設計事務所を経て1993年に現事務所を設立。縄手通り商店街で2001年に国土交通省手づくり郷土賞と松本市都市景観賞を受賞。松本市の建築設計事務所・有限会社かわかみ建築設計室を主宰。 著書に、住み継ぐ家の物語 設計職人の仕事とその家族たち (発行:オフィスエム、ISBN 978-4-904570-00-5 C0055)
小口 利幸(おぐち としゆき、1951年(昭和26年)8月2… 小口 利幸(おぐち としゆき、1951年(昭和26年)8月24日 - )は日本の政治家。塩尻市長(第6代)。 長野県塩尻市出身。1976年慶應義塾大学工学部卒業。セイコーエプソンに入社、設計課長を務める。1998年に退社した後は塩尻市議会議員を2期務め、2002年に市長に初当選。平成の大合併では楢川村との合併を実現した。また、JR塩尻駅を中心とした市街地の活性化に取り組み、基本計画(2008年11月11日承認)を策定、2010年には旧塩尻市立図書館を移転、新築した市民交流センター「えんぱーく」の開業を実現した。2022年1月14日、6選不出馬を表明した。2023年11月3日、秋の叙勲で旭日中綬章を受章。
吉江 喜一(よしえ よしかず、1948年6月14日 - 20… 吉江 喜一(よしえ よしかず、1948年6月14日 - 2018年8月29日)は、長野県塩尻市出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 塚原高校では1966年の夏の甲子園に出場。1回戦で松山商の西本明和投手と投げ合い、延長11回の投手戦の末、0-1xでサヨナラ負けした。松山商はこの大会に準優勝。1966年第1次ドラフト会議でサンケイアトムズから2位指名を受け入団。 がっちりとした体つきで、速球とカーブ、シュートを武器に真向から勝負していくピッチングが持味。しかし、一軍では1年目終盤の10月14日の阪神25回戦(東京)の1試合だけの登板に留まり、この試合では山内一弘に史上2人目の2000本安打を打たれている。
高山 憲之(たかやま のりゆき、1946年4月 - )は、日… 高山 憲之(たかやま のりゆき、1946年4月 - )は、日本の経済学者。専門は、公共経済学・経済政策、年金論。本名、平井。一橋大学名誉教授。(公益財団法人)年金シニアプラン総合研究機構研究主幹。長野県塩尻市生まれ。 この間ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE)・ハーバード大学、オックスフォード大学 の各客員研究員、経済企画庁経済研究所客員主任研究官(システム分析調査室長)、郵政研究所特別研究官、通商産業研究所特別研究官、国立社会保障・人口問題研究所特別研究官、世界銀行、国際通貨基金(IMF)、欧州委員会(EC)、経済協力開発機構(OECD)の各コンサルタント、アジア開発銀行研究所(ADBI)の客員研究員を歴任。
塩沢由典(しおざわ よしのり、1943年10月1日 - )は… 塩沢由典(しおざわ よしのり、1943年10月1日 - )は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授、前中央大学商学部教授。長野県塩尻市生まれ。
竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本の… 竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、演出家。長野県塩尻町(現・塩尻市)出身。 テレビ番組『笑点』のオープニング・アニメーションやイラストを手掛けていることで知られる。 小学生の頃より、通信教育で大人向け漫画を学び描いていた。その一方で、落語にも傾倒していたという。 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。卒業と同時に上京し絵本出版社に就職したのち、美術大学の通信学生にもなる。 1963年、20歳の時に東映動画へ入社。同期には宮崎駿がいる。 東映動画退社後は放送動画制作を経て、フリーで活動。アニメのほか、絵本や漫画、似顔絵など様々な仕事をこなす。
中野 幹隆(なかの みきたか、1943年 - 2007年1月… 中野 幹隆(なかの みきたか、1943年 - 2007年1月14日)は、日本の書籍・雑誌の編集者である。1970年代に『現代思想』、『エピステーメー』両誌の創刊編集長を歴任、1980年代に「週刊本」を手がけた。哲学書房、セーマ出版創立者・社主。 1943年(昭和18年)、長野県東筑摩郡宗賀村(現塩尻市)に生まれる。 1967年(昭和43年)、日本出版協会に入社、20代半ばで『日本読書新聞』編集長を務め、1970年(昭和45年)前後に竹内書店に移籍、季刊誌『パイデイア』の編集を手がける。1972年(昭和47年)に同社を退社し、青土社に移籍、三浦雅士らとともに1973年(昭和48年)、『現代思想』を創刊、編集長に就任する。
百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月… 百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月23日 - )は、日本の実業家。長野県塩尻市出身。
丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、… 丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、日本の国際ジャーナリスト、中国研究家。 長野県塩尻市生まれ。1963年京都大学文学部東洋史学科卒、読売新聞記者となる。1971年から1973年までインドネシア・ジャカルタ特派員、1975年から1978年までケニア・ナイロビ特派員を務めた後、中華人民共和国・北京支局長、アジア総局長、外報部次長、読売新聞調査研究本部主任研究員を務めた。 1994年から1998年まで文教大学文学部で非常勤講師、また台湾国策研究院客員研究員を務めた。目白大学社会学部メディア表現学科教授として国際ジャーナリズム論の教鞭を執った。
田中 虔一(たなか けんいち、1937年 - 2018年3月… 田中 虔一(たなか けんいち、1937年 - 2018年3月18日)は、日本の化学者。専門は、触媒化学。 長野県塩尻市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1961年横浜国立大学工学部応用化学学科卒業。1972年北海道大学工学部助教授。1979年北海道大学触媒研究所(現・北海道大学触媒科学研究所)助教授。1984年東京大学物性研究所助教授。1987年同研究所教授。退官後、同大学名誉教授。1999年埼玉工業大学先端科学研究所教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月… 中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月13日 - )は、日本の経営者。三越社長・会長、相談役、特別顧問を歴任。長野県塩尻市生まれ。 名橋「日本橋」保存会会長、ECO EDO 日本橋 実行委員会 会長、慶應義塾大学評議員。
山本 惠朗(やまもと よしろう、1936年(昭和11年)3月… 山本 惠朗(やまもと よしろう、1936年(昭和11年)3月8日 - )は、日本の実業家。みずほフィナンシャルグループ名誉顧問。元富士銀行代表取締役頭取で、元みずほホールディングス代表取締役会長兼Co-CEO。長野県塩尻市出身。 企画畑などを経て、1986年から二年間、シカゴのヘラーインターナショナルコーポレーション(富士銀行が1984年に買収した米国の金融会社、後にGEキャピタルに売却)に副社長として出向。 第一勧業銀行会長兼頭取の杉田力之、日本興業銀行頭取の西村正雄とともに、みずほフィナンシャルグループ発足を率いた。 退任直後である2002年4月に発生した大規模なシステム障害の責任を問われ、退職慰労金の支払いは見送られていたが、みずほFGが公的資金の返済を終えたことから、退任から5年後の2007年、山本、杉田、そして西村の遺族に慰労金は支払われた。
熊井 英水(くまい ひでみ、1935年10月10日 - )は… 熊井 英水(くまい ひでみ、1935年10月10日 - )は、日本の水産学者。近畿大学農学部名誉教授、学校法人近畿大学本部理事。農学博士。近畿大学水産研究所元所長。 長野県塩尻市出身。長野県松本深志高等学校を経て、1958年、広島大学水畜産学部を卒業、近畿大学白浜臨海研究所(現・水産研究所)副手に就任。以来、約半世紀にわたり、一貫して魚類の養殖にたずさわる。数々の海産魚の完全養殖に成功したほか、交雑魚の研究でも成果をあげた。1983年同農学部教授。1991年から2008年まで同水産研究所所長。 2002年には、研究チームのリーダーとして、難しいと思われていたクロマグロの完全養殖を成功に導いた。世界初の成果である。
はま みつを(本名:浜 光雄(はま みつお)、1933年9月… はま みつを(本名:浜 光雄(はま みつお)、1933年9月20日 - 2011年2月22日)は、日本の児童文学作家。 長野県塩尻市出身。旧制松本中学を経て、信州大学教育学部修了。信州児童文学会会長を務めていた。 高橋忠治、和田登らとともに「とうげの旗」創刊の参加を機に創作活動に専念。1970年処女作『わが母の肖像』を刊行。1979年『春よこい』で赤い鳥文学賞) 1983年『レンゲの季節』で塚原健二郎文学賞) 1989年『赤いヤッケの駅長さん』で産経児童出版文化賞を受賞。 2011年2月22日、肺炎のため長野県松本市の病院で死去。77歳没。 はま自身が担任を務めた塩尻市の中学校の教え子の一人に、テレビプロデューサーで上智大学文学部新聞学科教授の碓井広義がいる。
嶋崎 昭典(しまざき あきのり、1928年8月20日 - 2… 嶋崎 昭典(しまざき あきのり、1928年8月20日 - 2025年8月5日)は、日本の農学者。長野県塩尻市出身。信州大学繊維学部 名誉教授、農学博士(1960年 東京大学)。 高度経済成長期、製糸業も自動繰糸機全盛期へと向かう中(1950~1960年代)、製糸工程の統計的管理法、定粒繰糸・定繊自動繰糸の基礎理論を確立。戦後日本の製糸業界発展に寄与すると共に、現在は世界的に普及した自動繰糸機の工程管理手法の礎を築いた。 信州大学教授就任後(製糸・管理工学)は、数多くの学生を指導、国際的にも門戸を拡げ世界各国の学生を受け入れた。 教授時代の中国蘇州丝绸工学院(現:蘇州大学)との交流は、後に岡谷蚕糸博物館名誉館長就任後に、岡谷市と蘇州絲博物館(英語版)との学術交流協定締結へと繋がった。
中村 拡三(なかむら こうぞう、1923年3月21日 - 2… 中村 拡三(なかむら こうぞう、1923年3月21日 - 2002年9月10日)は、日本の解放運動家・教育家。 長野県塩尻市出身。1943年長野師範学校卒業。長野県、奈良県、京都府で小中学校の教諭として勤務した後、解放教育研究所事務局長をへて、近畿大学人権問題研究所助教授、教授。1993年定年退職。部落解放運動に挺身し「解放の学力」を提唱した。
下平 正一(しもだいら しょういち、1918年1月10日 -… 下平 正一(しもだいら しょういち、1918年1月10日 - 1995年8月25日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(10期)。 長野県塩尻市出身。長野県東筑摩農学校(現:長野県塩尻志学館高等学校)中退。国鉄労働組合長野地方本部委員長や塩尻町議などを歴任し、1955年の衆院選に左派社会党から立候補しトップで初当選、続く1958年の衆院選でも、社会党を脱党して立候補・当選した小沢貞孝との革新分裂選挙となったが連続当選。以後小沢が民社党へと移った後も同じ選挙区で相争う様になるが、最終的に10回連続当選した。60年安保闘争では国会内に警官隊を導入した際に負傷する。 1969年8月9日、愛知県内を自動車で走行中に後部から追突される交通事故に遭遇。
酒井 琢朗(さかい たくろう、1917年 - 2005年11… 酒井 琢朗(さかい たくろう、1917年 - 2005年11月14日)は、日本の人類学者。長野県塩尻市出身。東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)卒。愛知学院大学名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
小松 多喜雄(こまつ たきお、1909年(明治42年)3月2… 小松 多喜雄(こまつ たきお、1909年(明治42年)3月20日 - 1982年(昭和57年)8月4日)は、昭和期の実業家、政治家。塩尻市長(初代)。位階は正六位。勲四等旭日小綬章。 長野県東筑摩郡塩尻村(塩尻町を経て現塩尻市)で生まれた。1922年(大正11年)旧制松本商業学校5年次中途退学。家業の運送業に従事。1928年(昭和3年)から鉄道小運送業に従事(美勢運送合資会社勤務)し、1941年(昭和16年)から貨物自動車業を営む(塩尻陸運取締役)。1944年(昭和19年)5月、中信興業代表取締役に就任。1946年(昭和21年)に小松組(信州急送などを経て現信州名鉄運輸)を創業し、長野県内におけるトラック運送業の先駆けとなる。
花村 政温(はなむら まさはる、1903年(明治36年)7月… 花村 政温(はなむら まさはる、1903年(明治36年)7月22日 - 1978年(昭和53年)8月20日)は、日本の農業技術者、政治家。長野県東筑摩郡宗賀村長(3期)、長野県塩尻市議会議員、長野県塩尻市長(第3代、2期)を歴任した。位階は正六位。勲四等瑞宝章。 長野県東筑摩郡宗賀村本山(現・塩尻市)生まれ。1920年(大正9年)3月、東筑摩郡立農学校を卒業。小学校代用教員、村立宗賀実業補習学校助教諭を務めた後、1932年(昭和7年)に穀物検査員として長野県庁に勤務し、同県農産物検査技術補、農産物検査監督員、食糧検査所支所長などを務め、後に食糧事務所長となる。1945年(昭和20年)の終戦後は、GHQ軍政部と折衝して、長野県内の窮迫した食糧事情の好転に一役買った。
潮 みどり(うしお みどり、1897年6月12日 - 192… 潮 みどり(うしお みどり、1897年6月12日 - 1927年10月13日)は日本の歌人。本名は長谷川桐子。旧姓は太田。姉の若山喜志子も歌人。 長野県東筑摩郡広丘村(現塩尻市)生まれ。大正4年(1915年)三浦半島に療養中の姉・喜志子を見舞い、翌年まで滞在した。大正4年から歌作を始め、義兄の若山牧水に師事し、詩歌雑誌「創作」に作品を発表する。同7年(1918年)に上京し、翌年、喜志子・牧水夫妻の仲人により、牧水の弟子である長谷川銀作と結婚したが、同10年(1921年)ころから結核に罹患し、療養を続けながらも創作を続けたが、31歳で夭逝した。遺歌集に「潮みどり歌集」が刊行された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
金井 満(かねい みつる、1894年(明治27年)1月20日… 金井 満(かねい みつる、1894年(明治27年)1月20日 - 1974年(昭和49年)5月24日)は、大日本帝国陸軍軍人。陸士27期次席。最終階級は陸軍少将。功四級。 1894年(明治27年)に長野県塩尻市で生まれた。名古屋陸軍幼年学校台賜、中央幼年学校および陸軍士官学校第27期をいずれも恩賜で卒業。原隊は工兵第18大隊。陸軍砲工学校高等科卒業後、兵器局、整備局勤務を経て、1939年(昭和14年)3月9日に工兵第3連隊長(第11軍・第3師団)に就任し、8月1日に陸軍工兵大佐に進級した。日中戦争に出動し、冀東作戦、宜昌作戦、漢水作戦などを連戦した。1941年(昭和16年)3月に陸軍築城部部員に転じた。