小山 貴稀(こやま たかき、1997年11月23日 - )は… 小山 貴稀(こやま たかき、1997年11月23日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 兵庫県豊岡市出身。中学1年生の時に、顧問に誘われてバレーボールを始める。 2013年、尼崎市立尼崎高等学校に進学。2014年、U18日本代表としてアジアユース選手権に出場し、チームの準優勝に貢献。2015年、U19日本代表として、世界ユース選手権に出場。 2016年、大阪産業大学に進学。同年、U20日本代表としてアジアジュニア選手権に出場。2017年、U21日本代表として世界ジュニア選手権に出場。 2020年、ウルフドッグス名古屋に入団。 2025年3月、2024-25シーズン限りでの現役引退が発表された。
小西 杏奈(こにし あんな、1996年5月10日 - )は、… 小西 杏奈(こにし あんな、1996年5月10日 - )は、日本の女子競泳選手。兵庫県豊岡市出身。2020東京オリンピック日本代表。 明石市立望海中学校、豊川高等学校、中京大学出身。背泳ぎを専門とする。身長は他の選手と比較して低めだが、上半身の筋力を武器とする。 2018年のアジア大会では背泳ぎ100mで2位、2021年の第97回日本選手権水泳競技大会では背泳ぎ100m・200mで1位、同年のジャパンオープン2021-2022では50m・100m・200mで1位。 2021年の東京オリンピックでは女子400mメドレーリレーの第一泳者に選出され決勝戦まで進んだ。 2025年4月、自衛隊体育学校に入校、近代五種競技選手として活躍。
御崎 千結(みさき ちゆう、1996年2月8日 - )は競技… 御崎 千結(みさき ちゆう、1996年2月8日 - )は競技麻雀のプロ雀士。日本プロ麻雀協会所属。 兵庫県豊岡市出身。香川県立保健医療大学保健医療学部看護学科に進むが、自身が看護師に向いてないと思って中退し、高松市の雀荘でアルバイトを始め本格的に麻雀に接する。この時の店長だった岡本将弘にプロテスト受験を勧められ、2017年に日本プロ麻雀協会に正規合格、関西本部のリーグ戦に参戦するため大阪に引っ越す。 関西本部では雀王戦(リーグ戦)で毎期のように昇級を繰り返すと、雀王戦B2リーグ及び女流雀王戦が東京で開催されるのを機に2021年に活動拠点を関東に移す。 2025年、プロクイーン決定戦決勝に進み、りんのなおとの接戦を制して初優勝を果たす。
紀氏 隆秀(きし たかひで、1987年4月28日 - )は、… 紀氏 隆秀(きし たかひで、1987年4月28日 - )は、兵庫県出身の元サッカー選手。ポジションはGK。 豊岡FC、ヴィッセル神戸ジュニアユース、ヴィッセル神戸ユースを経て、2006年からヴィッセル神戸トップチームに加入。2012年、ガイナーレ鳥取に期限付き移籍。2013年シーズン終了後、契約満了により神戸を退団。 2014年、FC大阪へ移籍。 2015年でFC大阪との契約満了。 2016年1月2日、自身のSNSで現役引退を発表。 2017年からヴィッセル神戸伊丹U-15のGKコーチに就任。 2026年から、IKOMA FC 奈良のGKコーチに就任。
瀬藤 淳(せとう じゅん、1984年10月25日 - )は、… 瀬藤 淳(せとう じゅん、1984年10月25日 - )は、兵庫県豊岡市出身のサッカー選手。
清水 将也(しみず まさや、1980年11月12日 - )は… 清水 将也(しみず まさや、1980年11月12日 - )は、兵庫県豊岡市出身の陸上競技(長距離・マラソン)選手・指導者。西脇工業高校・日本大学出身。旭化成陸上部を経て、旭化成延岡陸上部所属。双子の弟である清水智也もマラソン・長距離の元選手。 弟の影響で小学5年生のときに陸上を始めた。高校は兄弟揃って県内の名門西脇工業高校に進み、ともに全国高校駅伝に出場し、大会2連覇に貢献。将也は2年連続区間賞を獲得している。日大進学後も兄弟揃って4年連続で箱根駅伝に出場した。 大学卒業後は旭化成に入社。一方、弟は佐川急便に入社し社会人で初めて兄弟別のチームとなった。 2005年のびわ湖毎日マラソンで初マラソンも14位と惨敗。
ミラクルひかる(1980年(昭和55年)4月9日 - )は、… ミラクルひかる(1980年(昭和55年)4月9日 - )は、日本のものまねタレント、歌手、元美容師。兵庫県豊岡市出身。2009年(平成21年)4月13日よりアヴィラ(アヴィラステージ)所属。以前はジンセイプロに所属していた(現在は業務提携の形で所属)。既婚。1児の母。 兵庫県立豊岡実業高等学校(現・兵庫県立豊岡総合高等学校)、山野美容芸術短期大学卒業。2008年(平成20年)1月23日に、ミニアルバム『Miracle 1』で歌手デビューを果たし、収録曲8曲中、4曲の作詞・作曲は本人が手がけた。 2019年7月11日に放送された『アウト×デラックス』(フジテレビ)の中で、同年4月11日に結婚していたことを発表。
能見 篤史(のうみ あつし、1979年5月28日 - )は、… 能見 篤史(のうみ あつし、1979年5月28日 - )は、兵庫県出石郡出石町(現:豊岡市)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ、野球解説者、野球評論家。 2005年から2020年まで投手として阪神タイガースへ在籍した後に、2021年から投手コーチ兼任でオリックス・バファローズへ移籍。2022年限りで現役を引退した。 阪神投手時代の2019年にNPBの一軍公式戦における40代の投手としてのシーズン最多登板数記録(2022年シーズン終了時点)、オリックス移籍後の2021年に通算1,500奪三振を歴代最年長(小宮山悟と並ぶ41歳11か月)で達成した。また、阪神・オリックスの両球団で、一軍公式戦におけるセーブとホールドの球団最年長記録を達成。
江戸川 じゅん兵(えどがわ じゅんぺい、1979年1月8日 … 江戸川 じゅん兵(えどがわ じゅんぺい、1979年1月8日 - )は、日本の俳優・ダンサー・振付師。兵庫県豊岡市出身。A.L.C.Atlantis(2023年8月31日廃業)所属。 大学在学中に劇団上田を旗揚し、また、まことクラヴの立ち上げより参加。2005年パルテノン多摩小劇場フェスにて、フォトジェニック賞受賞。好きな食べ物は苺とソーセージ。好きな店は東京靴流通センター。
小田垣 栄司(おだがき えいじ、1978年4月30日 - )… 小田垣 栄司(おだがき えいじ、1978年4月30日 - )は、兵庫県豊岡市出身の実業家・経営者 近畿大学附属豊岡高等学校を卒業後、東京学芸大学教育学部人間科学類総合社会システム学科に進学。大学在学中の1998年にインターネットに興味を持ち、広告代理店の営業支援やホームページ制作事業で起業した。 2006年2月にWEBマーケティングやシステム開発を行う株式会社ノヴィータを設立。リーマン・ショックの発生した2008年頃に事業が一度行き詰るようになるものの、社内の構造改革などに取り組んだことで2012年までに上向きに転じた。2015年4月に2代目(三好怜子)に社長職を譲り、小田垣自身は同社の会長となった。
メカイノウエ(1976年8月29日 - )は、日本のピン芸人… メカイノウエ(1976年8月29日 - )は、日本のピン芸人、シンガーソングライター。 兵庫県豊岡市出身。ニュースタッフプロダクション所属。 兵庫県立豊岡高等学校、島根大学卒業。目黒笑売塾1期生出身。 かつては「ムニエルエマニエル」、「僕らの街には山がない」というそれぞれの名前のお笑いグループを組んで活動していたことがあったが、2005年4月からピン芸人『メカイノウエ』として活動。所属事務所はかつてはアミューズに籍を置いていたことがあったが、その後フリーになり、現事務所に移籍。 中学校社会科、高等学校地理歴史のそれぞれの教員免許を持っている。芸名の名付け親はドラハッパーの西條。 ミヤシタガク、お侍ちゃん、頼知輝、テラシマニアック、浜辺のウルフと共に毎月「ポップスリー」という新ネタライブを開催している。
橋本 広美(はしもと ひろみ、1970年12月22日 - )… 橋本 広美(はしもと ひろみ、1970年12月22日 - )は、兵庫県豊岡市出身のフリーアナウンサー。 関西大学文学部国文学科を卒業後、1993年に鹿児島放送 (KKB) に入社。同期に同局アナウンサーの田中早苗がいる。 2001年に鹿児島放送を退社し、上京。以後は関東地方を拠点に活動していたが、オフィスキイワード大阪本社に所属してからは近畿地方での活動が主となっている。 特記のないデータは、すべて所属事務所公式プロフィールからの参考。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
上阪 徹(うえさか とおる、1966年〈昭和41年〉5月11… 上阪 徹(うえさか とおる、1966年〈昭和41年〉5月11日 - )は、日本の著作家、ブックライター、日本文藝家協会会員。兵庫県豊岡市出身、早稲田大学商学部卒業。 兵庫県豊岡市の田んぼや畑が囲まれた風光明媚な地域で、農家の長男に生まれる。2人の姉を持つ末っ子長男で、父からは農家を継ぐように言われて育った。豊岡市立三江小学校、豊岡市立豊岡南中学校、兵庫県立豊岡高等学校、早稲田大学商学部を卒業。 中学、高校時代はバスケットボール部に所属。ロックやヘヴィメタルなどのバンド活動に夢中になる。大学時代は、音楽サークル、フュージョンマニアに所属。担当はギター。ジャズ・フュージョンを中心に演奏するインストゥルメンタル専門サークル。
田上 正勝(たがみ まさかつ、1964年3月9日 - )は、… 田上 正勝(たがみ まさかつ、1964年3月9日 - )は、株式会社プラネット代表。兵庫県豊岡市出身生。1988年関西大学 法学部卒。 大学卒業後、システムコンサルティング会社を経て、1993年に株式会社プラネット入社。システム管理部、営業推進部を経て、ネットワーク企画部で16年、企画開発業務に従事。 業際統一伝送フォーマット、業界イントラネット、商品データベース、バイヤーズネットなどの業界インフラシステムの企画・開発を担当。 2006年 執行役員、2008年 取締役、2010年 常務取締役、2012年より現職。
西村 基(にしむら もと、1964年3月8日 - 2015年… 西村 基(にしむら もと、1964年3月8日 - 2015年11月30日)は、兵庫県豊岡市出身のエフエムたじま(FMジャングル)のラジオパーソナリティ。本名は西村 正昭(にしむら まさあき) 兵庫県豊岡市出身。高校卒業後は豊岡市の地場産業である鞄卸業の会社に就職、営業を担当し関東地方など各地を回った後、FMジャングル開局の準備のために豊岡市に戻る。そのため開局当初から関わりがあり、また2002年より放送局長も務めていた。 2000年8月中旬までは、平日の朝・昼の番組では本名名義、平日夕方及び週末番組では「アニ丸」名義で出演していたが、同月下旬より「西村 基」名義に変更した。 歌謡曲(特に1970年代~80年代)に詳しい。
東山 城(ひがしやま じょう、1963年 - )は、日本のソ… 東山 城(ひがしやま じょう、1963年 - )は、日本のソングライター・編曲家。兵庫県豊岡市生まれ。兵庫県但馬地方を中心にご当地ソングなどを制作する。
井上 強(いのうえ つよし、1962年9月23日 - )は、… 井上 強(いのうえ つよし、1962年9月23日 - )は、日本の映像作家・演出家。主にミュージック・ビデオを手掛ける。ライブ映像・イベント映像・CMなど映像全般に精通。兵庫県豊岡市出身。株式会社祭所属。
岡田 哲史 (おかだ さとし、1962年(昭和37年)4月7… 岡田 哲史 (おかだ さとし、1962年(昭和37年)4月7日‐ ) は, 日本の建築家。株式会社岡田哲史建築設計事務所、千葉大学院准教授。 兵庫県豊岡市出身。兵庫県立豊岡高等学校卒業。1986年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。早稲田大学理工学部建築学科卒業(1986年村野賞受賞)。1988年、早稲田大学大学院修士課程修了。大学院時代に建築家の伊東豊雄および建築専門誌『a+u』元編集長の中村敏男からコロンビア大学建築学部大学院(GSAPP)教授のケネス・フランプトン(Kenneth Frampton)を紹介され,早稲田大学大学院博士課程進学直後にコロンビア大学大学院に留学。コロンビア大学大学院留学時に美術史考古学学部教授のロビン・ミドルトン(Robin Middleton)が主催するジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ(Giovanni Battista Piranesi)のゼミナールに参加。
由利 佳一郎(ゆり けいいちろう、1962年 - )は、兵庫… 由利 佳一郎(ゆり けいいちろう、1962年 - )は、兵庫県豊岡市出身のバッグデザイナー。 2009年、ドイツの工業デザイン賞「iFデザインアワード」に、自身がデザインしたニューダレスバッグが受賞。その後もインテリア業界のパリコレといわれる「メゾン・エ・オブジェ」への出展やイタリアの世界的バッグショー「MIPEL」にてスタイル&イノベーション部門の最高賞「ミペル・アワード」などを受賞。 鞄生産の一大産地である兵庫県豊岡市を拠点に世界に通用するデザインを発信し、国内でも全国各地の伝統工芸士とタッグを組み、新たな製品・産業の創出を志向し、全国の百貨店などでチャレンジを行っている。2013年以降は各地のファッションアドバイザーを勤めながら、パリコレブランド【RYNSHU コレクション】にも参加。
松岡 俊二(まつおか しゅんじ、1957年 - )は、日本の… 松岡 俊二(まつおか しゅんじ、1957年 - )は、日本の経済学者。学位は、博士(学術)。兵庫県豊岡市生まれ。専門は、環境経済・政策学、国際開発研究、災害研究、レジリエンス論。 1988年, 京都大学大学院経済学研究科博士課程学修認定退学。広島大学にて博士号を取得。広島大学総合科学部講師・助教授, 広島大学大学院国際協力研究科教授を経て, 2007年から早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。早稲田大学レジリエンス研究所(WRRI)所長。早稲田大学ふくしま広野未来創造リサーチセンター長。
中貝 宗治(なかがい むねはる、1954年(昭和29年)11… 中貝 宗治(なかがい むねはる、1954年(昭和29年)11月4日 - )は、日本の政治家。兵庫県豊岡市出身。兵庫県職員、兵庫県議会議員を経て豊岡市長(5期)を務めた。山陰海岸ジオパーク推進協議会会長。 兵庫県豊岡市下宮で生まれる。豊岡南中学校・兵庫県立豊岡高等学校・京都大学法学部を卒業後、兵庫県庁に入庁し、兵庫県職員となり、兵庫県議会議員を3期務めたのち2001年に退職。 2000年には『鸛(こうのとり)飛ぶ夢』を執筆するなどコウノトリに懸ける思いは強く、2001年に市長に転身してからは、コウノトリの野生復帰をシンボルにしたまちづくりに取り組んでいる。「コウノトリも住める 豊かな自然環境や文化環境の創造は、人間にとってもすばらしいものに違いない」の信念のもと官民一体となった「コウノトリ育む農法(2003年)」、「子供野生復帰大作戦」、「豊岡市環境経済戦略(2005年)」など独自の政策を推進している。
沖村 孝(おきむら たかし、1944年 - )は、日本の土木… 沖村 孝(おきむら たかし、1944年 - )は、日本の土木工学者。神戸大学名誉教授。元日本地形学連合会長。 豊岡市出身。1967年、神戸大学工学部土木工学科卒業。1969年、神戸大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了し、神戸市役所に入庁する。 1971年から神戸大学工学部助手を務め、1977年からは神戸大学工学部講師を務めた。1984年、神戸大学工学部助教授に就いた後、1995年から神戸大学工学部教授を務める。1996年に神戸大学都市安全研究センター教授に就任した。 2002年からは人と防災未来センター上級研究員も務めた。2004年から神戸大学都市安全研究センター副センター長を務める。 2008年に神戸大学を定年退職し、神戸大名誉教授となる。
甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は… 甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は、検察官出身の元最高裁判所判事(2002年10月7日 - 2010年1月1日)。元東京高等検察庁検事長、元次長検事。弁護士。兵庫県豊岡市出身。
吉岡 賢治(よしおか けんじ、1938年3月5日 - 202… 吉岡 賢治(よしおか けんじ、1938年3月5日 - 2025年2月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期)。 兵庫県豊岡市出身。兵庫県立豊岡高等学校卒業。神戸大学電気電子工学科卒業。 電電公社(現在のNTT)に入社し、豊岡局に勤務しつつ、労組活動に入る。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧兵庫5区から出馬するが落選。1990年の第39回衆議院議員総選挙に再び出馬し初当選。以後2期連続当選。 議員在任中は外務委員などを務める。本岡昭次参議院議員らと共に自社さ連立政権反対派として知られた。1994年に土肥隆一と共に日本社会党を離党し、民主改革連合に入党。 1996年の第41回衆議院議員総選挙では民主改革連合公認及び連合・五党協議会統一候補として兵庫5区より出馬するも落選。
岸本 重陳(きしもと しげのぶ、1937年3月7日 - 19… 岸本 重陳(きしもと しげのぶ、1937年3月7日 - 1999年9月18日)は、日本の経済学者。元横浜国立大学教授。専門は経済学。兵庫県豊岡市出身。日本人の80パーセントが中流意識を持っているという報道がなされた際、これを批判する『中流の幻想』を刊行して話題になった。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
今井 和幸(いまい かずゆき、1931年4月13日 - 20… 今井 和幸(いまい かずゆき、1931年4月13日 - 2008年1月27日)は、日本の地方公務員、経営者。兵庫県副知事、サンテレビジョン会長を務めた。兵庫県豊岡市出身。勲三等旭日中綬章。位階は正五位。 1949年に兵庫県庁に入庁し、1954年に関西大学法学部を卒業。1993年から1997年までに副知事を務め、サンテレビジョン会長も務めた。 2008年1月27日肺炎のために死去。76歳没。
與田 純次(よだ じゅんじ、1925年11月19日 - )(… 與田 純次(よだ じゅんじ、1925年11月19日 - )(別名:與田治郎右衛門) は、日本の実業家、戦争体験語り部。元大使館員。兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市)出身。長男は東邦大学医学部医学科教授(医学博士)の与田仁志。元阪神タイガース監督兼選手の村山実、神戸大学名誉教授(農学博士)の保田茂は妻の従兄弟にあたる。2017年、父の代まで十数代に渡り襲名されていた名跡、與田治郎右衛門(よだじろうえもん)を襲名。 大正14年(1925年)、兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市)に生まれる。先祖は、江戸時代初期から寛文12年(1672年)頃、寛保2年(1742年)頃から寛政8年(1796年)まで庄屋(江戸時代の村役人である地方三役の一つ)を務めており、北前船(江戸時代に日本海海運で活躍した北国廻船)の船主でもあった。
日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> … 日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> 10月31日 - 2021年 <令和3年> 3月11日)は、日本の経営者。古河電気工業社長、会長を務めた。位階は正四位。 兵庫県豊岡市出身。1946年に京都帝国大学工学部電気化学科を卒業し、同年に古河電気工業に入社した。1972年11月に取締役に就任し、1975年5月に常務、1977年6月に専務、1982年6月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月から相談役を務めた。 1985年4月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2021年3月11日、心不全のために死去。
赤木 須留喜(あかぎ するき、1923年10月30日 - 2… 赤木 須留喜(あかぎ するき、1923年10月30日 - 2000年4月16日)は、日本の政治学者。 兵庫県豊岡市出身。旧制姫路高等学校を経て、1950年東京大学法学部政治学科卒。1955年同大学院研究奨学生修了。旧・東京都立大学人文学部講師、助教授、1966年法学部教授。1987年定年退官、名誉教授、明治学院大学教授。1994年退職。 父は中筋村(現豊岡市)村長の赤木一雄、兄は画家の赤木蘇夫二(そぶじ)、叔父は農学博士・政治家で「砂防の父」と呼ばれる赤木正雄である。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤井 重夫(ふじい しげお、1916年(大正5年)2月10日… 藤井 重夫(ふじい しげお、1916年(大正5年)2月10日 - 1979年(昭和54年)1月17日)は、兵庫県生まれの作家。 兵庫県豊岡市生まれ。豊岡商業学校卒(現兵庫県立豊岡総合高等学校)。 21歳で応召し、4年間を中国大陸の戦火の中で過ごした。1941年、25歳の時に朝日新聞に入社(姫路通信局専属通信員)。第二次世界大戦中は陸軍報道班員としてフィリピンやマレーなどに派遣され、約2年間を南方の地で従軍した。戦後の1951年、大阪本社から東京本社へ転勤。雑誌編集などに携わる傍ら、執筆した「佳人」(同人誌『作家』所収)が川端康成に激賞され、芥川賞候補となる。同作が1958年に日活で映画化されたことを機に、翌年朝日新聞社を退社し、作家業に専念する。
森田 子龍(もりた しりゅう、1912年〈明治45年〉6月2… 森田 子龍(もりた しりゅう、1912年〈明治45年〉6月24日 - 1998年〈平成10年〉12月1日)は、日本の書家。兵庫県豊岡市出身。本名は「森田 清」。蒼龍社主宰・墨美社主宰。豊岡中卒。上田桑鳩に師事。1952年に「墨人会」を創立し、抽象画としての墨象の地位を確立する。主な作品に『龍知龍』などがある。
東井 義雄(とうい よしお/ぎゆう、1912年(明治45年)… 東井 義雄(とうい よしお/ぎゆう、1912年(明治45年)4月9日 - 1991年(平成3年)4月18日)は、「いのちの教育」の探求に尽くした日本の教育者、浄土真宗僧侶。 兵庫県出石郡合橋村佐々木(現・豊岡市)にある浄土真宗の東光寺に生まれる。1932年(昭和7年)に姫路師範学校を卒業した。卒業後、豊岡小学校赴任を皮切りに小学校教師として奉職、多くの著作を著す。1972年(昭和47年)に八鹿小学校校長を最後に定年退職。翌年4月より姫路学院女子短期大学、兵庫教育大学の講師を務め、1987年(昭和62年)辞任。55年間の教員生活に終止符を打つ。1991年(平成3年)急性硬膜下出血で逝去。東光寺住職。
加藤美代三(かとう みよぞう、1912年1月25日 - 20… 加藤美代三(かとう みよぞう、1912年1月25日 - 2012年5月10日)は、日本画家。兵庫県豊岡市生まれ。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)卒業。中村大三郎に師事。日展に出品を続ける現役最高齢の日本画家として有名。朴土グループメンバー。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
木下 保(きのした たもつ、1903年(明治36年)10月1… 木下 保(きのした たもつ、1903年(明治36年)10月14日 - 1982年(昭和57年)11月11日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者、指揮者、合唱指揮者、オペラ歌手、音楽評論家、作曲家・編曲家。日本の洋楽の黎明期を代表する音楽家として多大な功績を残した。 兵庫県城崎郡豊岡町(現: 豊岡市)に三人兄弟の次男として生まれる。父・松吉は特産「柳行李」製造卸業。1920年(大正9年)3月上京。ヴァイオリンを川上淳、声楽を澤崎定之に師事。1922年(大正11年)4月東京音楽学校予科入学。1926年(大正15年)同校本科声楽部を卒業し研究科進級。ペツォード、ネトケ=レーヴェに師事。 ベートーヴェン『第九』は、学生時代に東京音楽学校定期演奏会での公式初演で合唱団メンバーとして参加し、1927年(昭和2年)5月新交響楽団(現「NHK交響楽団」の前身)による初演奏「ベートーヴェン没後百周年演奏会」でソリストとしてデビュー。
三木 瀧蔵(滝藏、みき たきぞう、1899年〈明治32年〉1… 三木 瀧蔵(滝藏、みき たきぞう、1899年〈明治32年〉11月22日 - 1981年〈昭和56年〉4月10日)は、日本の実業家。三共生興株式会社創業者で、神戸生絲取引所理事長など歴任した経済人。また、公益財団法人三木瀧蔵奨学財団(旧:財団法人三木記念会)を設立した、独自の「推譲の心」を持つ社会貢献者。 位階は正四位。 生家は兵庫県城崎郡港村津居山(現在の豊岡市)で代々栄えた主に生糸、絹織物を扱う廻船問屋。鉄道による代替で家業が傾き、学校で首席を通したにもかかわらず旧制中学校への進学かなわず、1913年(大正2年)高島屋飯田に入社、働きながら大倉商業学校(現東京経済大学)の夜間部に通い、1920年(大正9年)に独立して横浜で輸出織物商三木商店を創業、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災ですべてを失うが、同年9月30日神戸で匿名組合三共商会として再起、繊維製品を取り扱い、1938年(昭和13年)には株式会社に改組、1944年(昭和19年)には三共生興株式会社と改称、1981年(昭和56年)4月10日病身を厭うことなく自民党蚕糸絹業対策特別委員会に神戸生絲取引所理事長として出席し、国際情勢に後れをとる蚕糸行政に対し「経済原則に反する政策は必ずつぶれる、今や破壊の時になった。
甲斐中 文治郎(かいなか ぶんじろう、1898年(明治31年… 甲斐中 文治郎(かいなか ぶんじろう、1898年(明治31年)1月17日 - 1974年(昭和49年)12月24日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員 (1期) を務めた。 兵庫県城崎郡五荘村(現・豊岡市)栃江に生まれる。苦学の末、弁護士となり、内務省嘱託や斎藤隆夫の秘書になった。1947年五荘村長に就任、1950年に合併による豊岡市発足まで務めた。斎藤隆夫の死(1949年)を受けて地盤を受け継ぎ、1952年の第25回衆議院議員総選挙において兵庫5区から自由党公認で出馬して初当選。1953年の第26回衆議院議員総選挙で落選。1958年の豊岡市長選では現職の佐川辰夫に敗れた。
和田 完二(わだ かんじ、1896年 <明治29年> 6月1… 和田 完二(わだ かんじ、1896年 <明治29年> 6月12日 - 1968年 <昭和43年> 8月13日)は、日本の経営者。丸善石油(現在のコスモ石油)社長を務めた。位階は従四位。 兵庫県豊岡市出身。1914年に旧制豊岡中学校を卒業。満鉄での勤務を経て、1930年に丸善石油に転じ、1951年11月に専務に就任し、1952年10月には社長に昇格し、1963年までに務めた。 1959年に紫綬褒章を受章し、1967年に勲三等旭日中綬章を受章。 1968年8月13日、心筋梗塞のために死去。72歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
片岡 董(かたおか ただす、1894年(明治27年)4月12… 片岡 董(かたおか ただす、1894年(明治27年)4月12日 - 1963年(昭和38年)4月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 兵庫県城崎郡城崎町(現豊岡市)出身。旅館業・片岡平八郎の四男として生まれる。大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、陸軍騎兵少尉に任官し騎兵第4連隊付となる。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業した。 参謀本部付、参謀本部員を経て、1928年(昭和3年)3月、陸軍兵器本廠付となり、陸軍派遣学生として東京帝国大学法学部政治学科で1931年(昭和6年)3月まで聴講した。
小林 篤一(こばやし とくいち、1890年(明治23年)11… 小林 篤一(こばやし とくいち、1890年(明治23年)11月5日 - 1972年(昭和47年)11月23日)は、大正・昭和期の産業組合活動家、政治家。参議院議員(1期)。ホクレン農業協同組合連合会の創立者とされる。 兵庫県城崎郡、のちの日高町(現豊岡市)で生まれる。8歳で北海道に移住し、現在の岩見沢市峰延町で農業を営む。1914年(大正3年)峰延産業組合(現峰延農業協同組合)を設立し理事に就任し、組合長を30年務めた。1919年(大正8年)北海道信用購買販賣組合聯合會(北聯、現ホクレン農業協同組合連合会)を設立し理事に就任。1936年(昭和11年)北聯会長に就任。北海道食糧営団理事長、同農業会長、同青果物配給公社社長、北海道販売農協連会長、道購買農協連合会会長、道農協中央会会長、全販連理事、全購連理事などを歴任。
友田 一郎(ともだ いちろう、1888年〈明治21年〉11月… 友田 一郎(ともだ いちろう、1888年〈明治21年〉11月24日 - 1966年〈昭和41年〉7月13日)は、日本の政治家、実業家、友田酒造工場主。第46代兵庫県会議長。外交官の弟・友田二郎の孫に憲仁親王妃久子がいる。 兵庫県城崎郡日高町江原(現・豊岡市)出身。友田俊蔵の長男。1920年、家督を相続した。但馬銀行、甲子銀行各監査役などをつとめた。兵庫県参事会員であった。 兵庫県会議員に推され、1943年12月から1944年12月まで兵庫県会議長を務める。住所は兵庫県城崎郡日高町江原(現・豊岡市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
田尻 昌次(たじり しょうじ、1883年(明治16年)10月… 田尻 昌次(たじり しょうじ、1883年(明治16年)10月28日 - 1969年(昭和44年)6月21日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級。陸軍の船舶輸送制度を整備し「船舶の神」と呼ばれた。 1883年(明治16年)に兵庫県但馬、現豊岡市日高町浅倉で生まれた。1893年(明治26年)に父親の知人に引き取られ、神奈川県尋常中学校に編入学する。1901年(明治34年)に第三高等学校への進学が決まったが、郷里の祖父が病に倒れたため帰郷。府中尋常高等小学校の代用教員を経て、1904年(明治37年)に陸軍士官学校に入学。1905年(明治38年)に第18期卒業、歩兵第20連隊留守部隊に配属された。
西村 佐兵衛(にしむら さへい、1882年〈明治15年〉1月… 西村 佐兵衛(にしむら さへい、1882年〈明治15年〉1月15日 - 1963年〈昭和38年〉10月12日)は、日本の政治家(兵庫県城崎郡城崎町長)、実業家(西村屋会長)。 兵庫県城崎郡城崎町(現豊岡市)出身。東京専門学校(現早稲田大学)に学び、中途にて退学し家業の温泉旅館を経営する。地方有力者として各種の業務に関係する。1924年、町長に選任され震災後の城崎温泉復興に尽力。 1912年、早稲田大学推薦校友。宗教は日蓮宗。住所は兵庫県城崎郡城崎町。著書に『山陰空のあゆみ』、『日本海制空小史』、『建武中興と隠岐』などがある。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
加藤 信太郎(かとう しんたろう 1881年8月14日 - … 加藤 信太郎(かとう しんたろう 1881年8月14日 - 1962年1月15日)は、日本の実業家。デンツプライ三金の創業者、初代社長・初代会長。
4代 吉村 伊助(よしむら いすけ、1873年1月23日 -… 4代 吉村 伊助(よしむら いすけ、1873年1月23日 - 1928年3月15日)は、兵庫県城崎郡日高村(現・豊岡市)出身の実業家・政治家。株式会社吉村商店を設立して縮緬(丹後ちりめん)製造業を営み、峰山町長や衆議院議員(2期)を務めた。 1873年(明治6年)1月、兵庫県城崎郡日高村(現・豊岡市)の太田治右衛門の二男として生まれた。幼名は新太郎。1880年(明治15年)2月13日生まれとされることもあり、京都府出身とされることもある。長兄の太田寿之助は江原銀行株式会社専務取締役などを務めている。 小学校卒業後に京都市の西本願寺経営学校で学んだ。高等商業学校(後の旧制東京商科大学、現・一橋大学)を卒業したとされることもある。
塩井 雨江(しおい うこう、1869年2月13日(明治2年1… 塩井 雨江(しおい うこう、1869年2月13日(明治2年1月3日) - 1913年(大正2年)2月1日)は、日本の詩人、国文学者、翻訳家。本名・正男。 兵庫県豊岡市出身。豊岡藩士の子。1886年(明治19年)7月、第一高等中学校に入学。1892年(明治25年)7月、第一高等中学校文科を卒業。同月、東京帝国大学に入学。 1895年(明治28年)7月、東京帝国大学文科大学国文科卒。落合直文に師事。同年『帝国文学』の創刊とともに編集委員となり、擬古文で名を知られた。詩人として新体詩の普及に貢献する一方で、国文学者としても活躍。 1895年(明治28年)9月、立教学校(現・立教大学)の教授に就任し、国文国語を講じた。
高階 幸造(たかしな こうぞう、元治元年〈1864年〉8月 … 高階 幸造(たかしな こうぞう、元治元年〈1864年〉8月 - 大正10年〈1921年〉1月19日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の神職。 四條畷神社宮司、伊和神社宮司、廣田神社宮司を歴任したほか、草創期の全国神職会運営に携わり、「神社界の重鎮」と称されている。 元治元年(1864年)8月、但馬国豊岡町(現在の兵庫県豊岡市)に、豊岡藩士高階成章の三男として生まれた。 明治13年(1880年)、郷里の村社金刀比羅神社に奉職。 明治21年(1888年)、兵庫県皇典講究所理事兼教授となり、分所新築事業を担当し、これが明治31年(1898年)に竣工すると皇典講究所副総裁久我建通より『古史徴』一部を贈られた。
森本 駿(もりもと しゅん、1859年1月18日(安政5年1… 森本 駿(もりもと しゅん、1859年1月18日(安政5年12月15日)- 1944年(昭和19年)10月17日)は、明治から昭和前期の実業家・政治家。衆議院議員、兵庫県出石郡出石町長。旧姓は永井、桜井(櫻井)。 但馬国出石郡出石城下(兵庫県出石郡出石町を経て現豊岡市出石町)で、出石藩侍医・永井玄機(春嶽)の二男として生まれる。藩校弘道館で漢学を修めた。その後、東京に遊学し尺振八の塾で英学、経済学、財政学を修めた。のち森本家の養子となり、1898年(明治31年)1月に家督を相続した。 豊岡洋学校で助教を務めた。上京して桜井勉の書生となる。大蔵属に任じられ、科目条例取調委員、各庁営繕規則取調委員などを務めた。
松田 学(松田 學、まつだ まなぶ / がく、1856年9月… 松田 学(松田 學、まつだ まなぶ / がく、1856年9月17日(安政3年8月19日)- 1938年(昭和13年)1月10日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、札幌市会議長。 但馬国出石郡水上村(現兵庫県豊岡市)で、庄屋・松田甚次郎の長男として生まれる。 1881年6月、徳島県属に任じられ、以後、大蔵省属、根室県収税属、北海道庁属を歴任し、1891年に退官。実業に従事した後、1897年、北海道庁属に再任され、さらに台湾総督府新竹県属、台北県属を務め、1898年に退官した。 その後、札幌に移り、実業界に入った。1907年、札幌木材 (株) 取締役に就任。以後、札幌調帯 (株) 取締役社長、定山渓鉄道 (株) 取締役社長、札幌商業会議所第3代会頭などを歴任。
青木 匡(あおき ただす、1856年(安政3年9月) - 没… 青木 匡(あおき ただす、1856年(安政3年9月) - 没年不明)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。明治時代前期の政治結社「嚶鳴社」の主要メンバー。森鷗外による史伝小説の第一作「渋江抽斎」の一節にも登場する。 但馬国出石郡、現在の兵庫県豊岡市出身。私学校の教師となり、長野県で新聞社を興す。東京市会議員、東京府会議員、毎日新聞記者、大日本監獄協議会議員、本郷区衛生会幹事となる。 1878年(明治11年)に、青木匡訳の『政体論』で、Individualを「一個人」という言葉で訳した。1884年(明治17年)に文部省の訳ではじめて「個人」となる。日本語の「個人」という言葉は江戸時代にはみられなかった。
富田 仙助(冨田、とみた せんすけ、1855年12月31日(… 富田 仙助(冨田、とみた せんすけ、1855年12月31日(安政2年11月23日) - 1913年(大正2年)9月27日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 但馬国城崎郡豊岡内小井田町(のち兵庫県城崎郡豊岡町、現・豊岡市)に生まれる。漢学を学ぶ。酒造業と貿易業を営む。豊岡町戸長、豊岡町長を経て、城崎郡会議員となる。また、日本赤十字社終身社員に推薦された。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において兵庫9区から進歩党公認で立候補して初当選。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党から出馬して再選を果たした。1902年の第7回衆議院議員総選挙では兵庫県郡部で憲政本党から立候補したが落選した。