土屋 舞琴(つちや まこと、2003年7月25日 - )は、… 土屋 舞琴(つちや まこと、2003年7月25日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走。岡山県笠岡市出身。興譲館高等学校、立命館大学卒業。ダイハツ工業女子陸上競技部所属。 笠岡市矢掛町中学校組合立小北中学校、興譲館高等学校、立命館大学卒業。 立命館大で同期入学の柳井綾音とは互いに「相棒の間柄で、互いの活躍に刺激を受けている」と語っている。 全日本大学女子駅伝には3、4年次の2回、富士山女子駅伝には1、3、4年次の3回出走している。3年次の全日本大学女子駅伝では6区区間賞の走りで総合優勝に貢献。4年次は前を走っていた名城大の橋本和叶に追いつくが、最終6区で名城大に離され5位に終わる。 1年次の富士山女子駅伝では柳井が1区で区間最下位と出遅れたが、1人抜いたものの自身も区間16位に終わった。
藤井 皓哉(ふじい こうや、1996年7月29日 - )は、… 藤井 皓哉(ふじい こうや、1996年7月29日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。
岡山大樹(おかやま たいき、1996年4月15日 - )は、… 岡山大樹(おかやま たいき、1996年4月15日 - )は、岡山県笠岡市出身のプロモトクロスライダー。チームは西日本の名門SRF Team SBEに所属。マシンはスズキRM-Z250(〜2017年)。メーカーテストライダー・エンジニア(2019年〜)。 岡山県立笠岡商業高等学校卒業。吉備国際大学社会科学部スポーツ社会学科卒業。 2015年はフォーマットの変わった国際B級クラスの開幕戦ヒート1という記念すべきレースで勝利した。表彰式では「昨年は悔しいレースが続いたので、シーズンオフにしっかり準備して、絶対に勝てると信じてレースに臨みました。本当に優勝できてうれしいし、支えてくれているみんなに感謝しています」と涙ながらに語った。
長迫 吉拓(ながさこ よしたく、1993年9月16日 - )… 長迫 吉拓(ながさこ よしたく、1993年9月16日 - )は、岡山県笠岡市出身の自転車競技(BMX・トラックレース)選手。ブリヂストンサイクル所属。 この項目は、自転車に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。
幡司 一貴(はたし かずき、1985年10月2日 - )は、… 幡司 一貴(はたし かずき、1985年10月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。岡山県笠岡市出身。ポジションはミドルブロッカー。 金光学園高校を卒業後、中央大学へ進学。大学卒業後の2008年に豊田合成トレフェルサに入団した。 2008年の全日本代表登録メンバーに追加登録された。 2015年4月22日、豊田合成トレフェルサの公式サイトにて現役引退が発表された。 Vプレミアリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り。
黒田 淳(くろだ じゅん、1985年2月20日 - )は、岡… 黒田 淳(くろだ じゅん、1985年2月20日 - )は、岡山県笠岡市出身の競輪選手、BMX選手。 BMX選手として、神奈川大学を経て、三菱化学メディアに所属していた。 全日本BMX選手権大会のジュニア部門で通算6回優勝。2000年よりエリート部門で競技を行うようになった。 2004年、BMX世界選手権・17歳以上クラス 7位 2005年、全日本BMX選手権大会 優勝 2006年、BMXアジア自転車競技選手権 3位 2007年、全日本BMX選手権大会 優勝 2008年、同年開催の北京オリンピックよりBMXが正式種目として採用されることになり、BMX世界選手権はその出場権をかけた大会だったが、予選敗退に終わる。
今城 理菜(いまじょう りな、1984年9月12日 - )は… 今城 理菜(いまじょう りな、1984年9月12日 - )は日本の女性タレント兼リポーター。愛称はりにゃ、イマジョリーナ。ディスカバリー・エンターテインメント所属
SONPUB(サンパブ、1980年4月7日 - )は、日本の… SONPUB(サンパブ、1980年4月7日 - )は、日本の音楽プロデューサー、作曲家、トラックメイカー、DJ、レコーディング&ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニアである。 自身が在籍するMONSTER RIONのメンバーとしてのほかグラフィックデザインや映像制作など多岐にわたり活動している。 岡山県笠岡市で中学卒業までを過ごし、高校からイギリス・ロンドンに留学し勉学と共に音楽、ファッション、アートを学ぶ。 1999年、帰国後、東京で大学進学と共にバンドBrave Race Nationを結成。この頃にWISEとイベントを通じて出会っている。 2002年、バンドBrave Race Nation - 『EP: 0001』(8曲入アルバム)をリリース。
大悟(だいご、1980年〈昭和55年〉3月25日 - )は、… 大悟(だいご、1980年〈昭和55年〉3月25日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優。お笑いコンビ千鳥のボケ。本名、山本 大悟(やまもと だいご)。 岡山県笠岡市北木島出身。吉本興業所属。NSC大阪校21期と同期扱い。R-1ぐらんぷり2012ファイナリスト。 岡山県立笠岡商業高等学校卒業。高校最後のテストで教員が独り言と称して大悟に解答を教えてくれたことで高校を卒業できた。高校卒業後、芸人を志して大阪に移住。 高校卒業後、吉本総合芸能学院(NSC)大阪21期を受験した。通常NSCに落ちるということはなく、「99%が合格する」「学費さえ払えば誰でも入れる」とされているが、面接官に対して「さっきからお前ら偉そうにしているけど、ワシよりおもろいんか?」と悪態をついたことで、不合格になった。
塩田 慎二(しおだ しんじ、1978年5月3日 - )は、N… 塩田 慎二(しおだ しんじ、1978年5月3日 - )は、NHKのチーフアナウンサー。 岡山県笠岡市出身。金光学園中学校・高等学校、横浜国立大学教育人間科学部 卒業。 学生時代は、モダンダンス部に入って、創作ダンスに熱中していた。大学4年生の時に『全日本高校・大学ダンスフェスティバル』で上位入賞しており、その演技は当時の教育テレビで放送された。横浜国大在学中の2001年、TBS系列『学校へ行こう!』で「ミッチー塩田」として出演していたこともある。 2003年(平成15年)4月、NHKに入局。NHK徳島放送局で勤務。2007年4月から2008年7月まで、『ニュースとくしま610』でキャスターを担当。
萬木 善之(まんき よしゆき、1973年6月28日 - )は… 萬木 善之(まんき よしゆき、1973年6月28日 - )は、フラワーデザイナー。岡山県笠岡市出身。 実家は花屋でそこの長男として誕生。大学卒業後、専門学校に通いフラワーアートを学ぶ。その後スウェーデン等ヨーロッパ各国で腕を磨く。帰国後は出身地の笠岡市の生花店「フローリスト萬」に所属し、そこを拠点に置いている。 日本スケート連盟の依頼でフィギュアスケートの大会で選手に贈るメダリストブーケ作りを始める。2014年現在ではNHK杯国際フィギュアスケート競技大会など日本国内で開かれる多くの国際大会でブーケ作りを担当している。 その他、高校時代の先輩からブーケ作りを頼まれた事がきっかけで、地元産の野菜を使ったブーケを作る事を思いつく。
有岡 隆(ありおか たかし、1973年〈昭和48年〉4月4日… 有岡 隆(ありおか たかし、1973年〈昭和48年〉4月4日 - )は、日本の市民活動家・労働運動家。コロナウィルス対策に伴うマスクの強制に強い関心を抱き、TDCスタッフィングユニオン、後には大鹿行・東総ユニオン(現大鹿行アソシエイツ)、労働者再生機構などの労働組合を拠点として発達障害者などマスクの着用ができない者に合理的配慮を求める活動を続ける。2022年には「障害者差別解消法を啓発する市民の会」を発足し、2023年には「感染症法違憲訴訟」と称して岡山県や国のコロナ対策が違法行為であるとする国賠訴訟を提起した。 派遣会社のTDCスタッフィングに永年勤務。しかし、2020年、休業手当が支払われないとの不満を抱き、労働組合「TDCスタッフィングユニオン」を結成し代表者に就任。
田中 勝己(たなか かつみ、1968年8月16日 - )は、… 田中 勝己(たなか かつみ、1968年8月16日 - )は、日本の作曲家・編曲家・歌手・シンガーソングライター・ラジオパーソナリティ。 旧・株式会社コンパイルが開発したゲームソフトのBGM、『ぷよぷよ』シリーズのCMソングなどの音楽を手がけた。 1980年代より音楽活動を始め、株式会社コンパイルに営業として入社後、ゲームミュージックの製作を開始。同社製品のゲームミュージックのアレンジ曲を収録したCDを製品に同梱や、『電忍アレスタ』『シルフィア』『ZANAC×ZANAC』などのCD-ROMタイトルの音楽を主に担当。シューティングゲーム『電忍アレスタ』では、アメリカのゲーム雑誌にて「最優秀音楽賞」を受賞。
栗尾 典子(くりお のりこ、1967年(昭和42年)11月1… 栗尾 典子(くりお のりこ、1967年(昭和42年)11月10日 - )は、日本の政治家。岡山県笠岡市長(1期)。元笠岡市議会議員(1期)。 1967年(昭和42年)11月10日生まれ。岡山県笠岡市出身。 岡山県立笠岡高等学校、ノートルダム清心女子大学家政学部家政学科(現・人間生活学部人間生活学科)卒業。 岡山放送(OHK)社員、私立高等学校家庭科非常勤講師などを経て、2020年(令和2年)笠岡市議会議長だった父親の栗尾順三の後を継いで初当選。会派、創政みらい。 2024年(令和6年)4月7日、笠岡市長選挙が告示され、立候補の届出を出した。公職選挙法第90条の規定により、同日付で市議会議員の職は自動失職となった。
片山 大介(かたやま だいすけ、1966年10月6日 - )… 片山 大介(かたやま だいすけ、1966年10月6日 - )は、日本の政治家、ジャーナリスト。日本維新の会所属の参議院議員(2期)。兵庫維新の会代表、日本維新の会国会議員団政務調査会長代行・参議院政策審議会長を務めた。 父は総務大臣や自由民主党参議院幹事長、日本維新の会共同代表等を歴任した片山虎之助。 岡山県笠岡市生まれ。東京都世田谷区立船橋小学校、同船橋中学校、東京都立青山高等学校、慶應義塾大学理工学部管理工学科卒業。 大学卒業後、日本放送協会(NHK)に入局。水戸放送局、福島放送局勤務を経て、報道局社会部に配属され、警察や皇室の担当記者を務める。その傍ら、早稲田大学大学院公共経営研究科に入学し、地方自治を専攻した。
豊嶋 稔(とよしま みのる、1964年4月19日 - )は、… 豊嶋 稔(とよしま みのる、1964年4月19日 - )は、日本の俳優。芸名は「豊嶋 稔」、2004年に 豊嶋 みのる(とよしま みのる)に改名したが再び「豊嶋 稔」に戻す。福岡県北九州市生まれ。岡山県笠岡市で小学生から青春時代を過ごす。 笠岡工業高校出身。ジャパンアクションクラブ(現・ジャパンアクションエンタープライズ)13期生。スタントマンとしての活動通じて、タカハシレーシングに所属。少年時代に夢見ていたカースタントマンとなる。その後、役者になることを勧められ、ユニークマンシアターで学ぶ。 1990年のオリジナルビデオ『首都高速トライアル2』に準主役に抜擢()。カースタントの技術と演技を評価され、国内のドラマ、映画、舞台にとどまらず海外映画にも出演した。
吉岡 平(よしおか ひとし、1960年7月16日 - 202… 吉岡 平(よしおか ひとし、1960年7月16日 - 2023年1月13日)は、日本の小説家。岡山県笠岡市出身。 岡山県立笠岡高等学校卒業、早稲田大学第二文学部中退。早稲田大学漫画研究会出身。在学中より編集プロダクションのスタジオ・ハードで学生バイト、フリーライター経験。1982年 秋田書店刊 マイアニメ11月号 別冊付録 アニメ資料館『魔境伝説アクロバンチ』等を担当した。それらの縁により1984年劇場版『コータローまかりとおる!』のノベライズ『ハチャメチャ痛快学園活劇 コータローまかりとおる』(講談社X文庫)で作家デビュー。その後、X文庫にて『ターミネーター』『スパルタンX』などの映画ノベライズを執筆。
河本 昭義(かわもと あきよし、1953年4月7日 - )は… 河本 昭義(かわもと あきよし、1953年4月7日 - )は、日本のバレーボール指導者。岡山県笠岡市出身。現在はV・プレミアリーグの岡山シーガルズ部長兼総監督。
桑田 茂 (くわた しげる、1952年(昭和27年)10月3… 桑田 茂 (くわた しげる、1952年(昭和27年)10月31日 - 2021年(令和3年)4月9日 - )は、日本の実業家。RSKホールディングス、RSK山陽放送元社長。岡山県笠岡市生まれ。 法政大学経営学部を卒業後の1975年に当時の山陽放送に入社。2010年報道制作局長、2011年執行役員報道制作局長、同年執行役員総務局長、2013年取締役、2015年常務取締役、山陽映画代表取締役社長、2016年専務取締役、2017年、原憲一の後任として代表取締役社長に就任。社長就任後は岡山経済同友会代表幹事も務めた。2021年4月9日、死去。68歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
森安 秀光(もりやす ひでみつ、1949年8月18日 - 1… 森安 秀光(もりやす ひでみつ、1949年8月18日 - 1993年11月22日)は、将棋棋士。森安九段刺殺事件被害者。棋士番号99。岡山県笠岡市出身。藤内金吾門下。同じくプロ将棋棋士である森安正幸は実兄。 小学6年生の時に兄・正幸とともに奨励会入会。同期入会には小阪昇がいる。 1968年、兄より一足早く四段昇段。順位戦は数年間C級で足踏みするものの、古豪新鋭戦や新人王戦で優勝するなど、関西のホープとして脚光を浴びる。初の棋戦優勝となった第16回古豪新鋭戦決勝は、兄・正幸との兄弟決戦となり、188手の長手数の末勝利している。 1978年、七段昇段とともに初の十段戦リーグ入り。その2年後には晴れてA級八段となり、一流棋士の仲間入りを果たす。
大内 尉義(おおうち やすよし、1949年 -)は、日本の医… 大内 尉義(おおうち やすよし、1949年 -)は、日本の医師。東京大学名誉教授。専門は、老年医学。岡山県笠岡市出身。 東京大学医学部医学科卒業後、医学部第3内科に入局する。その後、東京大学医学部老年科講師をへて同教授に就任する。教授の間、東京大学附属病院副院長、金沢医科大学客員教授等を務めた。
森安 正幸(もりやす まさゆき、1947年5月20日 - )… 森安 正幸(もりやす まさゆき、1947年5月20日 - )は、将棋棋士。棋士番号108。岡山県笠岡市出身。藤内金吾門下。同じく将棋棋士である森安秀光は実弟。 (2025年3月4日現在) この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。 (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
南 一平(みなみ いっぺい、本名:荒木紀章、1947年-)は… 南 一平(みなみ いっぺい、本名:荒木紀章、1947年-)は、日本の漫画家、風景画家。日本漫画家協会会員。 金光学園高等学校を卒業後、専門学校東京デザイナー学院へ進学。東京デザイナー学院在学中に月刊漫画ガロで漫画家としてデビューし同誌新人賞を受賞する。以後、週刊少年ジャンプ、月刊少年ジャンプ、漫画ゴラクで連載を持つ。 1975年、『熱球の果てに…』で手塚賞佳作を受賞。 1980年代中頃、故郷の笠岡市にUターンし、知人に勧められ風景画を描くようになる。 1999年から2004年にかけて中国新聞井笠おかやま版で連載「みちくさ紀行」シリーズで挿絵を担当した。 岡山県川上町、岡山県新庄村、京都府八幡市などの地域プランナーの他、おかやま山陽高等学校、総合学園ヒューマンアカデミー広島校にて講師を務めている。
三島 紀元(みしま のりもと、1946年〈昭和21年〉12月… 三島 紀元(みしま のりもと、1946年〈昭和21年〉12月6日 - 2021年〈令和3年〉11月30日)は、日本の政治家。元岡山県笠岡市長(1期)。 岡山県笠岡市出身。武蔵工業大学卒業。 1970年(昭和45年)4月、笠岡市役所に入庁。2004年(平成16年)5月30日、笠岡市助役に就任。2007年(平成19年)4月1日、笠岡市副市長に就任。2012年(平成24年)1月31日、同副市長退任。 2012年(平成24年)4月15日に行われた笠岡市長選挙に無所属で立候補。元市職員の柚木義和を破り初当選(三島:15,674票、柚木:14,085票)。投票率は68.69%だった。4月24日、市長に就任した。
西井 正弘(にしい まさひろ、1946年9月16日 - )は… 西井 正弘(にしい まさひろ、1946年9月16日 - )は、日本の法学者。京都大学名誉教授。大阪女学院大学教授。専門は、国際法・国際人権法・国際環境法 (研究分野は、テロの国際的規制・国際人権法・国際環境法を中心とした国際法)。岡山県笠岡市出身。 略歴は以下のとおり。
小川富太郎(おがわ とみたろう、1945年4月16日 - )… 小川富太郎(おがわ とみたろう、1945年4月16日 - )は、日本の技術者、実業家。岡山県笠岡市出身。住友ベークライト代表取締役社長、代表取締役会長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小幡 正雄(おばたまさお、1943年 - 2010年1月2日… 小幡 正雄(おばたまさお、1943年 - 2010年1月2日)は日本のアウトサイダー・アーティスト。居住していた知的障害者施設の中で集めた段ボールに、主に赤の色鉛筆を用いて絵画を描いた。 1943年に瀬戸内海に浮かぶ岡山県笠岡市の真鍋島に生まれた。中学一年の時に両親が離婚し、その後は母の手によって育てられた。子どもの頃は「一人竹やぶの中で絵を描いているのが楽しかった」とのことで、幼い頃から絵画への興味はあった。 中学校卒業後、岡山県内で溶接工や建設作業員、金物屋の店員など職を転々とし、1975年の、母親の死の前後には精神病院に入退院を繰り返した。その後岡山県内の救護施設に入所する。土木会社に就職が決まっていったん施設を退所するが、人員整理に遭い解雇され、再び救護施設に戻った。
小見山 輝(こみやま てる、1930年10月1日 - 201… 小見山 輝(こみやま てる、1930年10月1日 - 2018年7月1日) は、日本の歌人。本名・輝(あきら)。龍短歌会代表(1995 - 2018)。 1930年、岡山県笠岡市神島に生れる。1945年14歳で満蒙開拓青少年義勇軍に参加し満州に渡り、1946年に引き揚げ帰郷。1950年「林間」に入会。1951年「龍」入会。服部忠志に師事。1953年加藤克巳の「近代」に参加。1995年「龍」代表。万葉集や釈迢空の歌に親しみ、人間存在の根源的な虚ろを見つめ、生の華やぎや、かそけさをすくいとる作風に特徴がある。岡山県歌人会会長、日本歌人クラブ中国地区代表幹事などを歴任。万葉歌碑建立にも尽力した。2012年岡山地域文化賞受賞。
長田 暁二(おさだ ぎょうじ、1930年〈昭和5年〉3月19… 長田 暁二(おさだ ぎょうじ、1930年〈昭和5年〉3月19日 - 2024年〈令和6年〉11月4日)は、日本の音楽文化研究家、音楽プロデューサー。ポリドール・レコード学芸部長、徳間音楽工業常務取締役、テイチクエンタテインメント顧問を歴任。 岡山県笠岡市生まれ。笠岡市の禅寺威徳寺の次男として育つ。1953年、駒澤大学英米文学科卒業。 大学在学中からコロムビアレコードでアルバイトをし、レコード業界に出入り。卒業後、同年キングレコード入社。童謡担当ディレクターを振り出しに22年間ディレクターを務めた。 1968年、芸術祭賞受賞(児童のための音楽入門レコード『チュウちゃんが動物園へいったお話』)に始まり、同奨励賞3回、批評家選賞1回。
江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月1… 江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月10日 - 2015年(平成27年)3月13日)は日本の医師、社会福祉事業者、教育者。学位は医学博士。岡山県名誉県民。 岡山県笠岡市生まれ。旧制広島県立福山誠之館中学校卒業後、岡山医科大学付属医科専門部(現岡山大学医学部)に進学し、勤務医を経て総合医療福祉施設・社会福祉法人旭川荘の創設に参加、旭川荘の第2代理事長(後に名誉理事長)となった。また日本で最初の医療福祉と健康科学を統合した大学である川崎医療福祉大学の初代学長を務めた他、国の福祉審議会委員も歴任した。2015年3月13日、心不全のため死去。88歳没。叙従四位。 岡山大学病院スペシャルニーズ歯科センター教授の江草正彦は次男。
野田 哲(のだ てつ、本名の読み:のだ さとし、1926年1… 野田 哲(のだ てつ、本名の読み:のだ さとし、1926年1月10日 - 2017年10月21日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。 現在の岡山県笠岡市出身。1942年岡山県立笠岡商業学校卒業。福山市役所に入り、労働組合で活動し、自治労広島県委員長、自治労中央本部組織部長、副委員長などを経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。3期務める。国会内では決算、地方行政の各委員長を歴任、党内では参議院国会対策委員長などを務めた。1992年の第16回参議院議員通常選挙に出馬せず引退した。 1996年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。 2017年10月21日、肺癌のため広島県福山市の病院で死去、91歳。
名越 二荒之助(なごし ふたらのすけ、1923年3月14日 … 名越 二荒之助(なごし ふたらのすけ、1923年3月14日 - 2007年4月11日)は、日本の思想史家、評論家。元高千穂商科大学教授。専攻は社会思想史。 岡山市生まれ。山口高等商業学校卒業後、新京の陸軍経理学校を経て出征。朝鮮半島で終戦を迎え、ソビエト連邦に抑留を経て1950年に帰国。岡山県に戻り高校教師となり、高千穂商科大学助教授を経て1982年に教授。1997年に退職後、著作活動に専念。 2007年4月11日、呼吸不全のため死去。 パラオでの戦没者の慰霊活動を多く行っており、その一環として南洋神社にパラオ挺身隊の顕彰碑を建立した。
加藤 武德(かとう たけのり、1915年〈大正4年〉11月2… 加藤 武德(かとう たけのり、1915年〈大正4年〉11月21日 - 2000年〈平成12年〉2月9日)は、日本の政治家。位階は正三位。 岡山県知事(公選第6・7代)、自治大臣(第26代)、国家公安委員会委員長(第35代)、北海道開発庁長官(第40代)、参議院議員(5期)。剣道範士、全日本剣道連盟顧問。 弟に農林水産大臣の加藤六月、次男に自由民主党参議院議員の加藤紀文、義理の甥に自由民主党衆議院議員の加藤勝信、義理の兄に渡辺武次郎がいる。 岡山県笠岡市出身。旧制中央大学法学部を経て、内務省入省。1950年の参議院議員選挙に岡山県選挙区から自由党公認で出馬し初当選、当時の最年少参院議員だった。保守合同後、自由民主党に移り通算当選5回。
山陽山 淺一(さんようざん せんいち、1915年8月7日 -… 山陽山 淺一(さんようざん せんいち、1915年8月7日 - 没年不明)は、岡山県小田郡(現在の笠岡市)出身で、出羽海部屋所属の1940年代に活躍した元大相撲力士。本名は、藤井 浅一(ふじい せんいち)。現役時代の体格は身長185cm、体重96kg。得意手は突っ張り、寄り、上手投げ。最高位は東十両3枚目。 1930年5月場所に初土俵。1940年1月場所に十両昇進。柔軟な体格から繰り出す突っ張りを持ち味とし、その取り口は闘志に溢れていた。新十両の場所を8勝7敗と勝ち越すと、1941年5月場所には自己最高位となる東十両3枚目まで番付を上げたが、2勝13敗と大敗し、幕下へ陥落した。翌1942年1月場所では幕下優勝を果たして1場所で十両へ復帰した。
山下 勝治(やました かつじ、1906年 <明治39年> 5… 山下 勝治(やました かつじ、1906年 <明治39年> 5月12日 - 1967年 <昭和42年> 12月5日)は、日本の会計学者。学位は、経営学博士(神戸大学・論文博士・1951年)。位階は従三位、勲等は勲三等旭日中綬章。 岡山県笠岡市出身。笠岡商業学校(現岡山県立笠岡商業高等学校)を経て、1927年大分高等商業学校卒、愛知県豊橋市立商業学校教諭、1932年神戸商業大学(現:神戸大学)卒。1934年同研究科修了。平井泰太郎研究室出身。1934年彦根高等商業学校講師、1936年教授、1944年神戸経済大学助教授、1951年大阪大学法経学部教授併任、1951年「損益計算制度の発展」で神戸大学より経営学博士の学位を取得。
大室 亮一(おおむろ りょういち、1893年〈明治26年〉1… 大室 亮一(おおむろ りょういち、1893年〈明治26年〉10月6日 - 1987年〈昭和62年〉10月16日)は日本の弁護士。第二東京弁護士会会長、A級戦犯松井石根の補佐弁護人。第二次世界大戦後に法務庁(現:法務省)の初代人権擁護局局長を務めた。日弁連副会長、国際法曹協会会長などを歴任。岡山県笠岡市出身。 1893年(明治26年)岡山県浅口郡大島村(現:笠岡市)に生まれる。1907年、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)に入学した。同期には、京大医学部名誉教授となる井上硬や、キリスト教伝導師の松田壽比古がいた。同校を卒業し、1912年(大正元年)第六高等学校文科甲類に進学、その後、1914年(大正3年)に同校卒業、同年に東京帝国大学法科大学へ進学した。
小野 竹喬(おの ちっきょう、 1889年(明治22年)11… 小野 竹喬(おの ちっきょう、 1889年(明治22年)11月20日 - 1979年(昭和54年)5月10日)は、近現代日本画を代表する日本画家。75年間の画業を通して、日本の自然の美しさを描き続けた。本名は小野英吉。 1889年(明治22年) 岡山県笠岡市西本町に四男として生まれる。祖父と長兄は画家であった。1903年(明治36年)長兄の勧めで京都に上り、竹内栖鳳に師事。「竹橋」の号を授かる。1909年(明治42年)栖鳳の勧めで同画塾の土田麦僊とともに、京都市立絵画専門学校(絵専、現:京都市立芸術大学)の第一期生として入学(1911年卒業)。 当時の栖鳳は写生派の伝統とカミーユ・コローの写実表現を融合した作品を描いていた。
上島 鳳山(うえしま ほうざん、明治8年(1875年)10月… 上島 鳳山(うえしま ほうざん、明治8年(1875年)10月23日 - 大正9年(1920年)7月25日)は、日本の明治から大正にかけて活動した日本画家。同時代の北野恒富や菅楯彦、岡本大更らと共に、近代の大阪を代表する画家の一人である。 岡山県小田郡笠岡村字八軒屋(現在の笠岡市笠岡)に、辻嘉平の次男として生まれる。本名は寿治郎で、鳳山は画号で、画房を鳳鳴画室と称した。父嘉平は、初め刀鍛冶、後に理化学機械製造を仕事としていた。祖父・辻鳳山は円山派の絵師で、小寺清先編『備中名勝考』の挿絵を描いており、鳳山の号もこの祖父に由来していると考えられる。幼少から画家を志し、はじめ大阪出身で円山応立の弟子・木村貫山に学び、ついで西山完瑛・渡辺祥益に師事する。
関藤 謙治(せきとう「せきどう」 けんじ、1875年9月1日… 関藤 謙治(せきとう「せきどう」 けんじ、1875年9月1日 - 1964年8月2日)は、岡山県笠岡市出身の実業家。元井笠鉄道代表取締役社長。 1875年9月1日、笠岡市西浜で生まれる。 1908年、井原笠岡軽便鉄道(後の井笠鉄道)の設立に尽力し、1934年、井笠鉄道取締役、1935年、専務取締役を経て、1941年、代表取締役社長となり、地方交通の発展に尽力した。 また、笠岡湾の浚渫、防波堤の築造、富岡湾の干拓などの事業に協力し、井笠地域の発展に尽力した。 1964年8月2日死去。享年88。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
関藤 碩衛(せきどう ひろえ、1871年7月24日(明治4年… 関藤 碩衛(せきどう ひろえ、1871年7月24日(明治4年6月7日)- 1957年(昭和32年)5月9日)は、岡山県小田郡陶山村(現・笠岡市)出身の官吏、地方政治家。初代倉敷市長。 1871年6月7日、小田郡陶山村に生まれる。私立関西学館を卒業し、小田郡書記となる。 その後、岡山県庁へ入り県知事官房主事まで昇進したが辞任し、1921年、赤磐郡長となる。その後、浅口郡長、倉敷町長を歴任。1928年、市制が発布され、初代倉敷市長に就任する。その後日比町長となる。 1940年、日比町と宇野町が合併し玉野市となり初代市長に就任する。初代市長に2度就任することは稀な出来事であった。戦後、公職追放となる。
安藤 橡面坊(あんどう とちめんぼう、1869年9月21日(… 安藤 橡面坊(あんどう とちめんぼう、1869年9月21日(明治2年8月16日) - 1914年(大正3年)9月25日)は、岡山県出身の俳人。本名錬三郎。別号に影人、橡庵など。小田郡新賀(現笠岡市)生。1897年に大阪毎日新聞社に入社。校正部長を務めた。俳句ははじめ高浜虚子選の『国民新聞』に投句、のち正岡子規選の『日本』紙に投句。1901年、初代選者の桜井芳水の死を受けて「毎日唫壇(ぎんだん)」の二代目選者。 子規の俳句革新運動に加わり関西俳壇を盛り立てる。亀田小蛄主宰の糸瓜会の同人として活躍し「車百合」「宝船」「アラレ」の選者も務めた。「鴨川は千鳥に交じる落ち葉かな」「草花を集めて地蔵祭かな」など、日本派風の温厚な写生句を作った 。
守屋 善兵衛(もりや ぜんべえ、慶応2年1月25日(1866… 守屋 善兵衛(もりや ぜんべえ、慶応2年1月25日(1866年3月11日) - 昭和5年(1930年)12月10日)は、日本の実業家。幼名は、久太。父は、彌作。 備中国小田郡大井村東大戸2087番地(現在の岡山県笠岡市)に生まれる。1876年、祖父の名を継いで善兵衛と改名する。地元の学校に学ぶが1880年上京し、東京外国語学校(旧外語)および独逸学協会学校でドイツ学を学ぶ。1883年、東京に欧亜学館を設立する。 1885年からは政府各省の依頼により、種々のドイツ語文書を翻訳する。その後台湾総督府の後藤新平、児玉源太郎などの知遇を得、1898年、台湾日報社と台湾新報社を合併して台湾日々新報社を創立し、社長となる。
森田 思軒(もりた しけん、1861年8月26日(文久元年7… 森田 思軒(もりた しけん、1861年8月26日(文久元年7月21日) - 1897年(明治30年)11月14日)は、日本のジャーナリスト・翻訳家・漢文学者。本名は文蔵。別号に埜客(やきゃく)、羊角山人(ようかくさんじん)、白蓮庵主人(びゃくれんあんしゅじん)、紅芍園主人(こうしゃくえんしゅじん)など。 1861年(文久元年)、備中国小田郡笠岡(現・岡山県笠岡市西本町)に岡山県議会議員や窪屋郡長を務めた森田佐平の子として生まれる。1874年(明治7年)、大阪慶應義塾に入塾し、1875年(明治8年)に徳島慶應義塾に移動し、1876年(明治9年)に三田の慶應義塾本校で英文学を学ぶ。1879年(明治12年)には岡山の興譲館で坂田警軒について漢学を修めた。
渡邊 一洋(わたなべ かずひろ)は、日本の国土交通官僚。内閣… 渡邊 一洋(わたなべ かずひろ)は、日本の国土交通官僚。内閣法制局参事官、気象庁次長等を経て、内閣官房内閣審議官として統合型リゾートの成立のため特命チームで環境整備を進めた。退官後、西武鉄道常務執行役員、西武バス代表取締役社長を経て、日本気象協会理事長。 岡山県笠岡市生まれ。岡山県立笠岡高等学校を経て、1980年東京大学法学部卒業、運輸省入省。2000年内閣法制局参事官(第二部)。2004年国土交通省鉄道局都市鉄道課長。2006年国土交通省自動車交通局総務課長。2007年国土交通省総合政策局政策課長。2008年7月4日国土交通省航空局空港部長。2010年8月10日国土交通省航空局監理部長。2011年7月1日初代国土交通省総合政策局公共交通政策部長。
畑中 平之丞(はたなか へいのじょう、天保14年〈1843年… 畑中 平之丞(はたなか へいのじょう、天保14年〈1843年〉 - 昭和5年〈1930年〉5月)は、日本の石材商。北木島において北木石の石材業の基盤を作ったことで知られる。畑中 平之烝とも。 笠岡諸島の北木島は北木石で知られる離島であり、豊臣秀吉による大坂城築城の際には盛んに切り出された。しかし、江戸時代には北木島の採石業が不振となり、幕末には有志が小規模な採石を試みていた程度だった。 天保14年(1843年)、畑中平之丞は北木島北岸の豊浦に生まれた。『笠岡市史』などは伊予国出身としている。 1872年(明治5年)1月、畑中は北木島における石材業の可能性に着目した。伊予国から石工を招き、第三者の持山を賃借りして採石を行った。