野田 夏梨(のだ かりん、英: Karin Noda、198… 野田 夏梨(のだ かりん、英: Karin Noda、1983年9月4日 – )は、廿日市市を拠点とする日本の実業家・ファッションデザイナー・エッセイスト。株式会社瀬戸内ミライデザイン代表取締役。着物や帯などの廃棄予定の和装素材を再利用したエシカルファッションブランド「Re:ADY B(レディ ビー)」の創設者。 広島市出身、廿日市市在住。広島市立美鈴が丘高等学校を卒業後、比治山大学短期大学部美術科(陶芸学科)に進学した。2006年に地球一周の船旅を経験し、帰国後は広島市内のイタリアンレストランでパティシエールとして働きながら通販サイトや食器の輸入管理に携わった。 2015年に出産を機にフリーランスの活動を一時離れたが、自身の経験として「仕事に救われた」と語り、出産・病気・介護などで働きにくい状況にある人々への就労支援を事業方針の柱のひとつとした。
もっと読む
岡田 直子(おかだ なおこ、1978年6月7日 - )は、日… 岡田 直子(おかだ なおこ、1978年6月7日 - )は、日本の実業家。広島県広島市生まれ。 立ち技格闘技シュートボクシング(Shoot Boxing、略称SB)のプロ選手としても活動。 神戸女学院大学文学部英文学科卒業後、外資系メーカーにて営業として勤務した後、2005年にITベンチャー企業にて広報部門の立ち上げを担う。同時期に立教大学大学院ビジネスデザイン研究科にてMBA取得。広報部門着任1ヶ月で新聞、インターネットなどへの露出を実現し、その後テレビや雑誌、新聞などで毎週のように情報が取り上げられるようになる。広報部門を立ち上げ、広報部門責任者からバックオフィス全般を司る経営本部長を歴任した。
もっと読む
糸曽 賢志(いとそ けんじ、1978年5月30日 - )は、… 糸曽 賢志(いとそ けんじ、1978年5月30日 - )は、広島県広島市出身の映画監督、経営者、投資家。大阪成蹊大学芸術学部長・教授、早稲田大学招聘研究員。 東京造形大学卒業。早稲田大学大学院 修士課程修了。慶應義塾大学大学院 博士課程単位取得後自主退学。 大学在学中から商業アニメーション制作に参加。同時期に読切漫画を多数執筆し少年ジャンプの新人賞にて評価される。1998年にスタジオジブリが公募した東小金井村塾に合格し、アニメ監督の宮崎駿に師事。この面接試験時に宮崎駿と交わされた「トトロは肉食」エピソードが話題となり、TVのクイズ番組にて出題されたほか、再現ドラマVTRが全国放映された。 「遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム」「機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-」等の作品に参加後、渡米を機に活動の幅を広げる。
もっと読む
大張 高己(おおばり・たかみ、1974年8月15日 - )は… 大張 高己(おおばり・たかみ、1974年8月15日 - )は、日本の実業家。元新日本プロレスリング株式会社代表取締役社長(第10代)、NEW JAPAN Pro-Wrestling of America Inc. CEO(初代)、株式会社ブシロード執行役員。 広島県広島市出身。兄はアニメーターの大張正己。 少年時代からバレーボールをやっており、日本専売公社広島地方専売局(専売広島、現・JTサンダーズ広島)が憧れのチームであったという。その一方ではプロレス好きでもあり、プロレスラーになりたい夢もあったと語っている。 広島から東京学芸大学、日本電信電話とバレーボール選手として過ごし、NTT東日本-神奈川のチームで25歳までプレーしていた。
もっと読む
ドロンズ石本( - いしもと、本名:石本 武士(いしもと た… ドロンズ石本( - いしもと、本名:石本 武士(いしもと たけし)、1973年10月11日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、実業家。広島県出身。マセキ芸能社所属。いすみ大使(千葉県いすみ市、2015年12月13日委嘱)。 広島市立五月が丘中学校を経て広島県立広島工業高等学校卒業。身長175cm、体重115kg、足28.5cm。A型。父は元中国新聞報道記者 の石本利康。 1995年に大島直也とお笑いコンビ「D.R.U.G(ドラッグ)」を結成。その後、1996年に「ドロンズ」に改名。同年、『進め!電波少年』で「南北アメリカ大陸縦断の旅」に挑戦。そこでスペイン語を習得、後にNHK『スペイン語会話』に出演。
もっと読む
谷口 行規(たにぐち ゆきのり、1968年9月27日 - )… 谷口 行規(たにぐち ゆきのり、1968年9月27日 - )は、日本の実業家、レーサー、ゲームクリエイターにしてユークスの創業者。広島県広島市出身。 小学生の時、大流行したインベーダーゲームに始まり、ゲーム好きが高じて高校時代はゲームソフト作りに熱中した。1年の時、広島のゲーム製作会社と契約し、2年時にアメリカの高校に編入して1989年に卒業すると、大阪府立大学工学部への入学と同時にコンパイル大阪開発室長に就任した。1993年、大学3年で24歳の時には堺市のマンションでユークスを創業し、大学卒業までに約20本の作品を開発した。卒業後はPlayStationの立体表現を活かそうとプロレスゲームを開発し、1995年に製作したPlayStation用ゲームソフト『新日本プロレスリング闘魂烈伝』はトミーから発売されてシリーズ化され、累計販売100万本の大ヒットとなった。
もっと読む
山本 孝昭(やまもと たかあき、1965年2月12日 - )… 山本 孝昭(やまもと たかあき、1965年2月12日 - )は、広島県出身の実業家。株式会社ドリーム・アーツ代表取締役社長。 1965年、広島県広島市生まれ。大学卒業後、株式会社アシストに入社。1993年にインテルジャパン株式会社に転職し、テクノロジ・マーケティング担当マネージャとしてマルチメディア関連技術のマーケティングと国内の家庭用パソコン市場拡大戦略の立案、実施を担当。 1996年にドリーム・アーツを東京都に設立し、代表取締役に就任。自らコンセプトをまとめ上げたソリューションをはじめ、ナレッジマネジメントや情報共有、コミュニケーション促進といった分野の大企業向けクラウド製品を企画・開発・販売している。
もっと読む
田中貴志(たなか たかし、1963年12月12日 - )は、… 田中貴志(たなか たかし、1963年12月12日 - )は、広島市中区鉄砲町出身の ミュージシャン・キーボーディスト・音楽プロデューサー・飲食店経営者。 本名同じ。愛称は「TAKA」。血液型はA型。 現在は「THE BOPS」(ザ・バップス)のリーダー&キーボード&ヴォーカル。
もっと読む
楠 雄治(くすのき ゆうじ、1962年11月21日 - )は… 楠 雄治(くすのき ゆうじ、1962年11月21日 - )は、日本の実業家。楽天証券代表取締役社長。一般社団法人日本STO協会副会長。 広島県広島市出身。父は叔父が経営するマツダの下請けの会社の工場でずっと働いていた。母も同じところで働いていた。 広島市立基町高等学校、広島大学文学部卒業後、1986年に日本ディジタルイクイップメントに入社。日本ディジタルイクイップメントではシステムエンジニアとして銀行や生命保険会社、損害保険会社を担当し、主にディーリングシステムの構築を担った。 その後、日本ディジタルイクイップメントを退社し、1994年にシカゴ大学ビジネススクールへ留学。1996年にMBAを取得する。
もっと読む
原 恭(はら やすし、1961年12月31日 - )は、日本… 原 恭(はら やすし、1961年12月31日 - )は、日本の実業家、近畿日本鉄道代表取締役社長。 広島県広島市出身。1984年に一橋大学法学部を卒業し、近畿日本鉄道(法人としては現在の近鉄グループホールディングス=近鉄GHD)に入社した。 近畿日本鉄道の鉄道事業本部企画統括部計画部長や、秘書広報部長、東京支社長、執行役員鉄道本部名古屋統括部長、取締役常務鉄道本部大阪統括部長兼大阪高速鉄道取締役、四日市あすなろう鉄道代表取締役社長、養老鉄道代表取締役社長などを経て、2019年伊賀鉄道代表取締役社長。 2020年三重交通グループホールディングス代表取締役社長、三重交通代表取締役会長、三交不動産代表取締役会長、名阪近鉄バス代表取締役会長、三重県観光開発取締役、三重テレビ放送取締役、三重県経営者協会会長、津商工会議所副会頭、三重県労使雇用支援機構会長。
もっと読む
大下 一明(おおしも かずあき、1958年5月16日 - )… 大下 一明(おおしも かずあき、1958年5月16日 - )は、日本の経営者。フマキラー社長を務めている。広島県広島市出身。父親は大下高明。兄は大下俊明。 1981年に日本大学商学部を卒業し、稲畑産業での勤務を経て、1984年4月にフマキラーに入社した。1998年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務、2004年6月に副社長を経て、2005年4月には大下俊明の後任として社長に就任。2010年5月には「商品の重複が少なく、高いシナジー効果が見込める。」という理由で、エステーとの資本業務提携を結んだ。 大学在学時には、剣道部に所属していた。
もっと読む
畦元 将吾(あぜもと しょうご、1958年〈昭和33年〉4月… 畦元 将吾(あぜもと しょうご、1958年〈昭和33年〉4月30日 - )は、日本の診療放射線技師、実業家、政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。自由民主党政務調査会環境部会長代理。 厚生労働大臣政務官、党副幹事長、環境委員会理事などを歴任。 広島市出身。安田学園安田小学校、あきる野市立秋多中学校、山陽学園山陽高等学校を経て1980年3月、国際医学総合技術学院(現:岐阜医療科学大学) 診療放射線技師科を卒業。 同年、社会保険広島市民病院 (現:広島市民病院)放射線科。1985年、横河メディカルシステム株式会社(現:GEヘルスケア・ジャパン株式会社)入社。1999年、有限会社オフィス・アゼモト設立 (後の株式会社AZE)代表取締役社長 就任。
もっと読む
吉田 康(よしだ やすし、1955年5月24日 - )は、日… 吉田 康(よしだ やすし、1955年5月24日 - )は、日本の実業家。ブルボンの代表取締役会長。公益財団法人ブルボン吉田記念財団理事長。 広島県広島市出身。1979年、北日本食品工業株式会社(現ブルボン)入社。1996年より四代目代表取締役社長。ブルボン三代目社長・吉田高章の娘婿。1982年に進出したチョコレート菓子部門の成長に貢献した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
もっと読む
濱本 康男(はまもと やすお、1952年(昭和27年)6月2… 濱本 康男(はまもと やすお、1952年(昭和27年)6月20日 - )は、広島県広島市出身の実業家。広島高速交通株式会社代表取締役社長などを務める。
もっと読む
松田 元(まつだ はじめ、1951年2月11日 - )は、プ… 松田 元(まつだ はじめ、1951年2月11日 - )は、プロ野球・広島東洋カープオーナー・代表取締役社長。広島県広島市、現在の中区出身。 曾祖父はマツダの実質的な創業者で2代目社長の松田重次郎、祖父はマツダ3代目社長の松田恒次、父はマツダ4代目社長の松田耕平。弟はアンフィニ広島・広島エフエム放送社長の松田弘、弘の子はオーナー代行の松田一宏。広島マツダ会長の松田哲也ははとこに当たる。 祖父から3代続けてカープオーナーである。 松田耕平の長男として広島で生まれる。広島大学附属高校卒業後、慶應義塾大学へ入学。1973年に大学卒業、その後アメリカ留学を経て1977年に東洋工業(現・マツダ)に入社した。
もっと読む
大下 俊明(おおしも としあき、1948年10月16日 - … 大下 俊明(おおしも としあき、1948年10月16日 - )は、日本の経営者。フマキラー社長、会長を務めた。広島県広島市出身。父親は大下高明。 1971年に広島修道大学商学部を卒業し、同年に父親の配慮により、長野県にある日精樹脂工業に入社した。1973年にフマキラーの子会社である大下産業に転じ、1976年10月に取締役に就任し、1983年10月には社長に昇格した。一方で、1978年2月にフマキラー監査役に就任し、1991年2月には社長に昇格。2005年4月にはフマキラー社長の後任に弟の大下一明が就任したことにより、自身は会長に就任した。 2019年3月には第48回大倉喜七郎賞を授賞。 学生時代はジャズが好きで、ピアノに夢中で、プロのミュージシャンになることを夢見て、友人と演奏に明け暮れていた。
もっと読む
福田 幸雄(ふくだ ゆきお、1948年3月5日 - )は、日… 福田 幸雄(ふくだ ゆきお、1948年3月5日 - )は、日本の実業家。株式会社アスカネット創業者で同社の代表取締役会長兼CEOを務めた。 広島県広島市出身。広島県立広島観音高等学校を経て、大阪の私立大学経営学部を2年で中退。1971年に文化服装学院を卒業し、青山でファッションメーカーを立ち上げ一時は躍進するも、資金難により3年あまりで会社を解散。その後広島に戻り、趣味を活かしてフォトグラファーとなった。1982年飛鳥写真工芸社創業。1983年飛鳥写真館設立。1995年アスカネット設立、代表取締役社長就任。2005年東京証券取引所マザーズに上場。2007年アスカネット代表取締役社長兼CEO。2018年アスカネット代表取締役会長兼CEO。
もっと読む
佐々木 隆之(ささき たかゆき、1946年8月24日 - 2… 佐々木 隆之(ささき たかゆき、1946年8月24日 - 2020年2月20日)は、日本の実業家。JR西日本代表取締役社長、同社取締役会長等を務めた。 広島市出身。広島大学教育学部附属高等学校を経て、1970年に一橋大学経済学部を卒業し、日本国有鉄道に入社。当時、一橋大学から国鉄に就職する学生は毎年1、2名と少なかったが、情報学ゼミの教授の勧めで入社した。 研修では機関士として、寝台特急「みずほ」の運転に当たったこともある。その後企画・総務畑を歩み、大阪鉄道管理局総務部長等を務めた。 1987年国鉄分割民営化により新たに発足したJR西日本に移る。同社では主に営業部門、経営企画部門、人事部門、財務部門等を幅広く経験し、人事部長、取締役財務部長、取締役営業部長等を務めたのち、2002年にキヨスクやコンビニエンスストアの運営等を行う完全子会社のジェイアール西日本デイリーサービスネット社長に転出した。
もっと読む
檜山 俊宏(ひやま としひろ、1944年(昭和19年)12月… 檜山 俊宏(ひやま としひろ、1944年(昭和19年)12月7日 - )は、日本の実業家、政治家。平和広告代表取締役。広島県議会議員(自由民主党所属)。第58、59、60代広島県議会議長。 広島県広島市出身。慶應義塾大学法学部卒業。南カリフォルニア大学を経て1970年に日本教育テレビ(通称NETテレビ。現:テレビ朝日)に入社。翌年に広島ホームテレビに入社。1973年に平和広告を設立し代表取締役社長、鴻治組監査役を兼任する。 1979年4月、広島県議会議員に初当選。1984年6月から1986年6月まで新空港建設特別委員会副委員長。1986年6月から1987年4月まで行財政改革特別委員会委員長。1987年7月から1988年7月まで交通対策特別委員会委員長。
もっと読む
岡崎 洋一郎(おかざき よういちろう、1942年12月16日… 岡崎 洋一郎(おかざき よういちろう、1942年12月16日 - )は、日本の経営者。 広島県広島市出身。1965年に早稲田大学第一理工学部機械工学科を卒業し、同年に三菱重工業に入社。 1970年に三菱自動車工業に転職し、1999年6月に取締役に就任し、2001年6月に常務を経て、2004年4月に社長に就任した。同年6月に会長に就任し、2005年に辞任。
もっと読む
溝手 顕正(溝手 顯正、みぞて けんせい、1942年〈昭和1… 溝手 顕正(溝手 顯正、みぞて けんせい、1942年〈昭和17年〉9月13日 - 2023年〈令和5年〉4月14日)は、日本の実業家、政治家。従三位。 幸陽船渠代表取締役社長、国家公安委員会委員長(第74代)、内閣府特命担当大臣(防災)、自由民主党参議院議員会長(第28代)、自由民主党参議院幹事長、参議院議員(5期)、参議院予算委員長・議院運営委員長・国家基本政策委員長・総務委員長・懲罰委員長・政府開発援助等に関する特別委員長、自由民主党広島県支部連合会会長を歴任した。 広島県広島市南区皆実町生まれ。その後は安芸郡や父方の郷里の賀茂郡原村(現東広島市八本松町原)を経て、日本通運に勤めていた父親の転勤に伴い三原市に転居した。
もっと読む
深山 英樹(ふかやま ひでき、1941年(昭和16年)10月… 深山 英樹(ふかやま ひでき、1941年(昭和16年)10月25日 - )は、広島県広島市出身の実業家。広島ガス社長、広島商工会議所会頭などを務める。
もっと読む
松尾 雅彦(まつお まさひこ、1941年2月20日 - 20… 松尾 雅彦(まつお まさひこ、1941年2月20日 - 2018年2月12日)は、日本の実業家。広島県広島市出身。 カルビー第3代社長。「カルビー中興の祖」。スマート・テロワール(農村自給圏構想)提唱者。 カルビー創業者松尾孝の三男。広島市楠木町(現西区)で生まれる。 1945年8月6日、4歳の時に広島市への原子爆弾投下により被爆。自宅近くで母と一緒に疎開する荷物を積んだ馬車の上にいた(爆心地から1.5km)ものの、両側の家屋が倒壊したことでそれに遮られて助かったという。松尾は被爆後の火の粉で軽い火傷をおったが怪我はそれだけで、三篠橋から旧太田川に入り夕方まで過ごした。母と一緒に筏につかまっていると、貴重品袋に入っていた砂糖が溶けて流れていった様子を鮮明に覚えている、とのちに回想している。
もっと読む
松田 欣也(まつだ きんや、1937年1月10日 - )は、… 松田 欣也(まつだ きんや、1937年1月10日 - )は、広島県広島市出身の実業家。広島マツダ社長などを務めた。
もっと読む
成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - … 成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - )は、日本の実業家。ナルミヤ・インターナショナル創業者・社長。広島県広島市出身。 家業は明治期の1899年、広島市の元柳町(現在の広島平和記念公園)に創業した呉服問屋の老舗。その後広島市中心部鉄砲町に移転。戦時中は軍服製造などを手がけ戦後の1952年、成宮織物株式会社、1979年ナルミヤと改称して婦人服・洋品部門を拡張させた。成宮は三兄弟の末っ子として生まれ、広島大学附属高校を経て1959年慶應義塾大学法学部を卒業。大学卒業後、髙島屋に入社。ニューヨーク店などに勤務。父の病気で1975年退職し、二番目の兄が東京青山でやっていた洋服卸部門を引き継ぐ。
もっと読む
大下 龍介(おおしも りゅうすけ、1936年(昭和11年)7… 大下 龍介(おおしも りゅうすけ、1936年(昭和11年)7月5日 - )は、広島県広島市出身の実業家。福屋社長、広島経済同友会代表幹事などを務めた。
もっと読む
松尾 聰(まつお さとし、1935年12月28日 - 202… 松尾 聰(まつお さとし、1935年12月28日 - 2020年7月3日)は、日本の実業家。カルビー代表取締役社長や、代表取締役会長を務めた。一般社団法人グリーン・ファミリー代表理事である。 広島市生まれ。1954年広島県立広島国泰寺高等学校卒業。1958年広島大学工学部卒業。竹林守元マツダ代表取締役会長は高校の同期。カルビー創業者松尾孝の長男で、1987年から第2代カルビー代表取締役社長を務めた。1992年カルビー代表取締役会長。2001年会長退任。一般社団法人グリーン・ファミリー代表理事も務め、2014年には母校広島大学に給付型奨学金・グリーン・ウィング教育奨学金を設立した。2020年没。 カルビー創業者松尾孝は父。
もっと読む
南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日… 南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。広島県広島市出身。 1956年に広島大学工学部を卒業し、同年に日立造船に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年4月に常務、1992年4月に専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。2001年6月に相談役に就任。
もっと読む
堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1… 堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1日 - 2016年 <平成28年> 12月15日)は、日本の経営者。中国放送社長、会長を務めた。位階は正五位。 広島県広島市出身。1953年に広島大学工学部工業経営科を卒業し、同年に中国新聞社に入社。 1980年3月に取締役に就任し、1984年に常務を経て、1990年12月に広島市長選挙に出馬した平岡敬社長に代わり、中国放送社長に就任。1999年6月から2002年6月までに会長を務めた。 2002年11月に勲三等瑞宝章を受章。2016年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
もっと読む
重松 良典(しげまつ よしのり、1930年 - 2018年)… 重松 良典(しげまつ よしのり、1930年 - 2018年)は、日本の実業家。広島県広島市出身。 元サッカー日本代表。1965年日本サッカーリーグ(JSL)創設に尽力した人物の一人。のちに日本プロ野球界に転じ1970年代の赤ヘル旋風時の広島東洋カープ球団代表。Jリーグ・ベルマーレ平塚における最後の社長であり、湘南ベルマーレ創設に尽力した人物の一人。 1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により被爆した。 重松ら旧制広島県立第一中学校(現国泰寺高校)3年生60人は、爆心地から2.2キロメートルに位置した舟入川口町の軍需工場に学徒勤労動員で来ており、ちょうど8時の朝礼が終わった後のことだった。倒れてきた設備機械により級友の一人が亡くなり、多数の怪我人を出した。
もっと読む
田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 … 田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 - 2022年(令和4年)5月7日)は、日本のジャーナリスト、編集者、実業家。『諸君!』、『文藝春秋』、『週刊文春』編集長を経て、文藝春秋社長(第7代)。 広島県広島市出身。海軍兵学校教授であり、高松宮宣仁親王に英語を指導したことでも知られる田中酉熊の五男として生まれる。 都立一中から1945年(昭和20年)4月、海軍兵学校に第77期生として入学するも敗戦により退校、旧制東京高校を経て、1953年東京大学文学部独文科を卒業。就職難の時代、たまたま文藝春秋新社(現・文藝春秋)の試験を受け入社。半藤一利は同期生。当時の文藝春秋は社員数100人にも満たない小さな会社だった。
もっと読む
土居 君雄(どい きみお、1926年3月23日 - 1990… 土居 君雄(どい きみお、1926年3月23日 - 1990年10月2日)は、日本の実業家。ドイ(カメラのドイ)創業者。広島県広島市出身。 1943年、関西甲種商業学校(現関西大学第一高校)卒業。戦後大阪で伯父の写真材料会社に勤務。左前となったため1956年、妻の郷里・福岡県福岡市で土居商店として独立した。当初は問屋から製品を仕入れ小売店に納入する二次卸だった。メーカー直結の問屋が流通経路を牛耳る時代、新参者が食い込む隙はなく苦戦。悩んだ末、末端の写真館やDPE店、土産物屋へのダイレクトメールを思いつく。これも当時は簡単に資料が集められず、市町村役場の商工係にアンケート用紙を送り顧客名簿を作成した。
もっと読む
八木 直彦(やぎ なおひこ、1924年9月25日 - 202… 八木 直彦(やぎ なおひこ、1924年9月25日 - 2020年10月16日)は、日本の経営者。日本製鋼所社長を務めた。広島県広島市出身。 1947年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日本製鋼所に入社。1977年に取締役に就任し、1979年に常務、1981年に専務を経て、1985年に社長に就任。1995年に相談役に就任。 1998年に勲二等旭日重光章を受章した。 2020年10月16日脳出血のために死去。96歳没。
もっと読む
藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3… 藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3日 - 1996年(平成8年)5月27日)は日本の実業家、政治家。広島地方区選出の自由民主党参議院議員。第16代参議院議長(在任期間・1986年7月22日 - 1988年9月30日)、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、自由民主党参議院議員会長を歴任。
もっと読む
小泉 重則(こいずみ しげのり、1920年12月10日- 2… 小泉 重則(こいずみ しげのり、1920年12月10日- 2003年4月23日 )は、日本の経営者。広島ホームテレビ社長を務めた。 広島県広島市出身。1942年に法政大学予科を卒業し、1943年に芸備銀行(現在の広島銀行)に入社した。1971年に取締役に就任し、1981年に常務、1984年に専務を経て、1985年に広島ホームテレビ社長に就任。1989年に名誉会長に就任し、1990年から相談役を務めた。 2003年4月23日、心不全のために死去。82歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
もっと読む
藤田 一暁(ふじた かずあき、1920年〈大正9年〉4月1日… 藤田 一暁(ふじた かずあき、1920年〈大正9年〉4月1日 - 1991年〈平成3年〉5月16日)は、日本の実業家。フジタ社長・会長。フジタドルフィンクラブ設立者。 広島県広島市出身。広島済美小学校(広島偕行社付属済美学校)、旧制広島一中を経て、1943年に日本大学旧工学部建築学科卒業。藤田組に入り、1949年に監査役、1951年に取締役、1957年に副社長を経て、1962年に社長に就任。 1945年(昭和20年)8月6日の広島市への原子爆弾投下により、東白島町の藤田家はぺしゃんこにつぶれた。自宅にいた一暁は気を失ったが、何秒後かに気がつき、ケガもないため自力で這い出した。家の下にある両親とお手伝いさんを助けようとしたが、一人ではどうにもならず、通りがかりの兵隊の助けを借りて救出した。
もっと読む
井関 章(いせき あきら、1919年〈大正8年〉9月16日 … 井関 章(いせき あきら、1919年〈大正8年〉9月16日 - 2011年〈平成23年〉1月7日)は、日本の実業家、1級建築士。フジタ工業(現在のフジタ)副社長、フジタ顧問を務めた。 広島県広島市出身。1936年、広島県立広島工業学校を卒業し、同年に当時の藤田組に入り広島支店次長を経て1967年に取締役広島支店長に就任する。 フジタ工業常務、同副社長、廿日市観光開発社長を務めた。2011年1月7日、多臓器不全のため死去した。 趣味はゴルフ、登山、園芸。住所は広島県広島市東区牛田本町1丁目、廿日市市阿品4丁目。
もっと読む
山本 朗(やまもと あきら、1919年〈大正8年〉8月20日… 山本 朗(やまもと あきら、1919年〈大正8年〉8月20日 - 1998年〈平成10年〉1月11日)は、日本の新聞記者、実業家。中国新聞社第4代社長。 広島県広島市出身。中国新聞創業家に生まれる。子供時代から優等生で広島高等師範学校附属小学校を5年で修了し、広島県立広島第一中学校に入学。旧制中学を4年修了で旧制広島高等学校に進学。自転車通学で3年間無遅刻、無欠席を続け卒業時には皆勤賞を受けた。同期に永野厳雄(広島県知事)、1年後輩に松谷健一郎(中国電力会長)などがいる。 旧制高校卒業後、東京帝国大学経済学部に進学。1941年4月、実父の山本實一が社長を務める中国新聞社に入社。県政記者などを担当していたが、1944年(昭和19年)3月召集令状が来て呉海兵団へ入隊。
もっと読む
久保 道正(くぼ みちまさ、1918年〈大正7年〉3月16日… 久保 道正(くぼ みちまさ、1918年〈大正7年〉3月16日 - 1992年〈平成4年〉6月28日)は、広島県広島市出身の実業家。第一産業(後のダイイチ/デオデオ/エディオンWEST、現エディオン WESTカンパニー)創業者。現エディオン社長、サンフレッチェ広島会長・久保允誉は長男、上新電機取締役を経てエディオン専務取締役の浄弘晴義は次男。 広島県広島市大手町(現在の同市中区大手町)生まれ。久保家は代々江州屋の屋号で刀剣商を営んでいた。寺下辰夫の小説『サンパギタ咲く戦線で』に太平洋戦争中、陸軍報道班員として広島宇品港からフィリピンに向かう寺下、尾崎士郎、石坂洋次郎らが、その前日、今日出海の短刀を軍刀に拵えるため、ふと久保刀剣店に立ち寄り、刀が出来る間、店の二階で御馳走に与り、訣れの酒宴を行なったエピソードが書かれている。
もっと読む
松谷 健一郎(まつたに けんいちろう、1918年〈大正7年〉… 松谷 健一郎(まつたに けんいちろう、1918年〈大正7年〉1月1日 - 2002年〈平成14年〉10月23日)は、日本の実業家。元中国電力代表取締役社長、元中国経済連合会会長。 広島市生まれ。旧制広島高等師範学校附属中学、旧制広島高等学校を経て、1941年(昭和16年)京都帝国大学工学部を卒業し、海軍を経て、中国配電入社。 1975年(昭和50年)中国電力株式会社取締役総合企画室第一企画室長、1977年(昭和52年)中国電力株式会社常務取締役、1979年(昭和54年)中国電力株式会社取締役副社長、1981年(昭和56年)中国電力株式会社代表取締役社長、1987年(昭和62年)中国経済連合会会長、1989年(平成元年)中国電力株式会社代表取締役会長、1995年(平成7年)中国電力株式会社相談役。
もっと読む
山内 敕靖(やまうち ただやす、1918年〈大正7年〉 - … 山内 敕靖(やまうち ただやす、1918年〈大正7年〉 - 1983年〈昭和58年〉8月28日)は、日本の実業家。元広島ガス社長、元広島商工会議所会頭。 広島市出身。広島県立広島第一中学校を経て旧制広島高等学校に入学。旧制高校では松谷健一郎元中国電力社長、山本朗元中国新聞社社長、永野厳雄元広島県知事らと同期で、友人だった。旧制高校では寮委員を務め留年したが、非常に人望があった。 旧制高校を卒業後は九州帝国大学工学部に進学、卒業後は住友金属工業に入社するも間もなく海軍に応召。終戦により復員するも、財閥解体により復職できず、四国ガスに勤務した後、1947年(昭和22年)、実父が重役をしていた広島ガスに入社。
もっと読む
岡野 良定(おかの よしさだ、1916年9月10日 - 20… 岡野 良定(おかの よしさだ、1916年9月10日 - 2008年1月30日)は、実業家、元三菱自動車工業会長。サッカー選手、サッカー指導者、三菱重工業サッカー部(現:浦和レッズ)創設者、初代監督。選手時代のポジションはフォワード。 広島県広島市白島(現:中区白島)出身。広島一中(現:広島県立国泰寺高校)、広島高等学校卒業。一中時代からサッカー一筋で一中の2つ上の先輩にのちに東洋工業サッカー部を創設する山崎芳樹がいる。広高時代、1938年の第14回全国高等学校ア式蹴球大会では主将・フォワードとしてチームを優勝に導く。京都帝国大学経済学部進学後も蹴球部で活躍、1941年卒業。同年、三菱重工業入社。
もっと読む
山﨑 芳樹(やまさき よしき、1914年(大正3年)4月8日… 山﨑 芳樹(やまさき よしき、1914年(大正3年)4月8日 - 2014年(平成26年)3月10日)は、広島県広島市出身の実業家。 マツダ5代目社長。元広島商工会議所会頭。元サッカー選手・東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)創設者、初代監督。 広島県安芸郡仁保島村大河(現・広島市南区北大河町)生まれ。生家は広島の旧家、父も技術者。 広島高等師範学校附属小学校(現広島大学附属小学校)5年生からサッカーを始め、広島県立第一中学校(現広島県立広島国泰寺高等学校)でもサッカー部に所属する。二浪した後、広島高等工業学校機械工学科(現広島大学工学部)に入学。 1938年(昭和13年)、東洋工業へ入社、以降生産技術畑を歩む。
もっと読む
松尾 孝(まつお たかし、1912年(明治45年)7月15日… 松尾 孝(まつお たかし、1912年(明治45年)7月15日 - 2003年(平成15年)10月28日)は、日本の実業家。カルビー創業者。広島県広島市出身。 カルビーの前身は1905年(明治38年)広島市宇品で創業した広島名産柿ようかん製造の松尾巡角堂である。ただ、松尾が幼少時代の家業は、米ぬかを中心とした穀粉製造販売を行っていた。幼少期は比較的不自由なく生活していた。太田川(旧太田川)で捕った小エビで母親が作ってくれたかき揚げが大好物で、これがのちにかっぱえびせんにつながっていく。 もち米の暴落で父が相場で失敗し、当時の金額で1万円の莫大な借金を抱えた。さらに1927年(昭和2年)広島第一中学校(現広島県立広島国泰寺高等学校)5年のとき、母が亡くなり、病弱で足も不自由な父と弟を養わなくてはならなくなり家業を始めた。
もっと読む
永野 治(ながの おさむ、1911年(明治44年)10月9日… 永野 治(ながの おさむ、1911年(明治44年)10月9日 - 1998年(平成10年))は、日本の航空技術者、実業家。元海軍技術少佐、元石川島播磨重工業(IHI)副社長。国産のジェットエンジンを開発した技術者。
もっと読む
入江 仁士(いりえ ひとし、1910年 <明治43年> 2月… 入江 仁士(いりえ ひとし、1910年 <明治43年> 2月26日 - 1973年 <昭和48年> 9月28日)は、日本の経営者。大阪建物(現在のダイビル)社長を務めた。 広島県広島市出身。1935年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に大阪商船に入社。 1963年5月に取締役、1964年4月に大阪商船三井船舶常務、1965年5月に大阪建物常務を経て、1972年9月に社長に就任。 1973年9月28日、肝癌のために死去。63歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
もっと読む
中野 重美(なかの しげみ、1909年(明治42年)10月5… 中野 重美(なかの しげみ、1909年(明治42年)10月5日 - 1991年(平成3年)8月9日)は、広島県広島市出身の実業家。中国電力副社長、中国電気工事(中電工)社長、広島商工会議所会頭などを務めた。
もっと読む
辻 良雄(つじ よしお、1909年1月1日 - 1980年1… 辻 良雄(つじ よしお、1909年1月1日 - 1980年11月30日)は、日本の経営者。広島県広島市出身。鴻池運輸創業家に婿入りした辻卓史は子。 1934年に神戸商業大学(現神戸大学)を卒業。サンマス貿易での勤務を経て、1939年に日商に転じ、取締役、常務、専務を経て、1968年10月に日商岩井専務に就任し、1969年11月には社長に昇格。 1971年10月に藍綬褒章を受章。 1980年11月30日急性肝炎のために死去。71歳没。
もっと読む
清宮 博(せいみや ひろし、1908年8月6日 - 1976… 清宮 博(せいみや ひろし、1908年8月6日 - 1976年4月27日)は電気工学者、実業家。元富士通社長、会長。日本のコンピューターパイオニアの一人。旧姓根岸。 広島県広島市大手町(現在の同市中区)出身。広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属高校)から第一高等学校をへて東京帝国大学電気工学科卒(1932年)。逓信省電気試験所第4部に入り、光通信、電子管(マグネトロン、速度変調管)などの研究を担当。1936年、関杜夫とともにグラスファイバーを光通信に使うアイデアを発明した。 終戦後の1947年12月23日、アメリカベル電話研究所でトランジスタが発明され、翌1948年6月30日公表された。
もっと読む
高橋 敏雄(たかはし としお、明治41年(1908年)1月1… 高橋 敏雄(たかはし としお、明治41年(1908年)1月13日 - 不明)は、広島県広島市出身の実業家・経営者である。萬国製針二代目社長・会長を歴任。父は萬国製針創業者の高橋誠太郎。 1908年1月13日に広島県広島市で生まれる。1926年に旧制崇徳中学校を卒業し、家業を継ぐべく萬国製針商会に入社する。1936年に同会代表者となる。1945年8月6日に原子爆弾の被害により、工場・設備の一切を失い、自宅も焼かれ、長男を始め近親者の10名が亡くなった。高橋自身、原爆を恨み、アメリカに対する憎悪の念を燃やしながら終戦を迎えたとされる。アメリカに対する憎悪は、やがてアメリカへの積極的な針の輸出という企業化精神へと転化されていった。
もっと読む