鳴海 四郎(なるみ しろう、1917年9月3日 - 2004… 鳴海 四郎(なるみ しろう、1917年9月3日 - 2004年10月7日)は、日本の英文学者、英米演劇研究家、翻訳家。本名は鳴海 弘。 テネシー・ウィリアムズ、エドワード・オールビー、ニール・サイモンの戯曲やアガサ・クリスティなどの小説を翻訳した。文学座座友。 1919年新潟県長岡市に、1922年に東京市に移り関東大震災に遭う。東京府立第五中学校、東京商科大学予科を経て、1940年に東京商科大学(現・一橋大学)卒業。会社員となるがアマチュア演劇団体に所属。 1944年弘前市歩兵連隊に応召。敗戦後、田舎にこもる。1949年帰京。1951年慶應義塾高校教諭、コロンビア大学に留学。1952年帰国、文学座の文芸演出部員となる。
浅井 淑子(あざい よしこ、1917年7月4日 - 1980… 浅井 淑子(あざい よしこ、1917年7月4日 - 1980年1月4日)は、教育者、服飾研究家、学校法人浅井学園元学園長、専門学校北海道ドレスメーカー学院初代院長、北翔大学の前身にあたる北海道女子短期大学創立者。 北海道札幌市生まれ。叔父を頼って上京し、1934年、東京国華高等女学校卒業。その後、東京女子医学専門学校に合格するも、両親に反対されて女医の道を断念。生家の家事を手伝いながら学費を貯め、1937年再上京して、1939年杉野ドレスメーカー女学院師範科卒業。同年9月、洋裁教育を通じて女子の教養を高め、専門的技術修得によって女子に経済的独立の能力を習得させることを目的として、各種学校「北海ドレスメーカ一女学園」を創設した。
織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日… 織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日 - 1995年(平成7年))は、大阪通管工業所の創業者で、アマチュアの古代史研究家。フィギュアスケート選手・織田信成の祖父。 兵庫県神戸市生まれ。1966年(昭和41年)家庭用下水配管の洗浄業を大阪市浪速区桜川で個人経営として創業。1968年(昭和43年)4月、家庭用下水配管の洗浄業を有限会社大阪通管工業所に改組する。 1983年(昭和58年)大阪医科大学の解剖学実習のための献体組織「さつき会」の初代会長となる。1985年(昭和60年)3月、「好太王碑文」の改竄説否定と碑文の再解析のために、古田武彦に従い藤田友治ら21名と訪中して「好太王碑」の現地調査を行う。
青園 謙三郎(あおぞの けんざぶろう、1917年〈大正8年〉… 青園 謙三郎(あおぞの けんざぶろう、1917年〈大正8年〉6月3日 - 1993年〈平成5〉3月2日)は、福井県の郷土史研究家、実業家。位階は従五位。身をマスコミ業界に置きながら、生涯にわたり郷土の歴史を研究した。郷土史に関する著作が多くある。 1963年(昭和38年)4月、個人蔵の紙本著色柴田勝家像を発見した。 特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡の保存には、金沢大学法文学部教授・井上悦夫の奔走と福井県教育委員会の迅速な対応があったが、その際、青園も関係していた。すなわち1970年(昭和45年)8月18日、井上が農業構造改造事業の工事で遺構が破壊されていることを発見し、その夜当時福井テレビ副社長であった青園を通じて、須知邦武副知事に工事中止を申し入れたのである。
宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 19… 宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 1980年3月16日)は、日本の古代史研究家、作家、元会社役員。『まぼろしの邪馬台国』によって邪馬台国論争に参入した。本名は懋、失明後に一章に改名。 正確な表記は「宮﨑」(「崎」の字は山偏に竒)であるが「宮﨑」と表記出来ない環境が一部存在するので「宮崎」で通すことが多い。以下本項でも「崎」の字を用いる。 本名は宮崎懋(みやざきつとむ)。のちに一章(墓誌名)、一彰と改名する。ペンネームは当初、日夏耿之介の名前から一字を取って「宮崎耿平」(みやざきこうへい)としていたが、人から正しく「こうへい」と呼んでもらえなかったことからその後「康平」に変更している。
宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 19… 宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 1980年3月16日)は、長崎県島原市生まれの古代史研究家、作家、元会社役員。『まぼろしの邪馬台国』によって日本中に邪馬台国論争を巻き起こした。正確な表記は「宮﨑」(「崎」の字は山偏に竒)であるが「宮﨑」と表記出来ない環境が一部存在するので「宮崎」で通すことが多い。以下本項でも「崎」の字を用いる。
笹間 良彦(ささま よしひこ、本名: 笹間 恒雄(ささま つ… 笹間 良彦(ささま よしひこ、本名: 笹間 恒雄(ささま つねお)、1916年10月6日 - 2005年11月5日)は、日本の歴史家、武具研究家。文学博士。 専門の武具関係を中心に、歴史・民俗に関する著書多数。 1916年、東京府東京市下谷区(現在の台東区)にて生まれる。1935年、埼玉県立浦和中学校卒業。 30歳前後から、武具、風俗史、民俗学研究の為、長期間日本全国を行脚し資料を収集する。以来半世紀以上にわたって歴史学研究を続ける事となる。甲冑研究の第一人者で、日本甲冑武具歴史研究会会長に就任し、武具の歴史研究で成果を上げた。その後も江戸時代の制度や司法に関する著作を著し、『江戸幕府役職集成』では海音寺潮五郎から推薦の辞を寄せられる。
塩谷 賛(しおたに さん、1916年8月28日 - 1977… 塩谷 賛(しおたに さん、1916年8月28日 - 1977年5月8日)は、編集者、幸田露伴研究家。本名は土橋利彦。 東京府生まれ。東京府立第三中学校を卒業後、1942年甲鳥書林に入社、44年幸田露伴の許を訪れ、そのまま助手となり『評釈芭蕉七部集』などの口述筆記にたずさわる。46年『中央公論』に「天皇」を発表。47年露伴の没後は、岩波書店「露伴全集」ほかの編纂に携わり、娘の「幸田文全集」中央公論社ほかの編纂にも関わった。 1960年失明。音声テープ等を用い約五年がかりで評伝『幸田露伴』を執筆、1968年に第20回読売文学賞を受賞。
石川 悌二(いしかわ ていじ、1916年8月24日 - 19… 石川 悌二(いしかわ ていじ、1916年8月24日 - 1987年)は、日本の作家、文学・地理研究家。 台湾・台北生まれ、東京出身。1943年早稲田大学文学部国文科卒。1947年「魚紋」を発表して小説家を志し、1973年「近代作家の基礎的研究」を刊行。東京都公文書館主任調査員の傍ら、ライフワークとして「江戸東京坂道辞典」「東京の橋」などを執筆した。
上田 修一郎(うえだ しゅういちろう、1916年〈大正5年〉… 上田 修一郎(うえだ しゅういちろう、1916年〈大正5年〉4月15日 - 1973年〈昭和48年〉5月11日)は、日本の戦史研究家、軍人。防衛大学校教授を歴任。戦中に軍事史と出会って以来研究し、近世を中心とした体系的な軍事思想書を執筆した。 高知県吾川郡春野村(現・高知市)出身。1936年(昭和11年)、高知高等学校文科乙類卒業後、東京大学文学部西洋史科に入学し、林健太郎が研究室の副手をしていたため、上田と親交をそれ以来持つ。1939年(昭和14年)、東京大学大学院に進学し、参謀本部の委嘱により大場弥平少将(但し当時は予備役になっていた)の指導を受ける。この頃から軍事史を研究し始め、軍務に服して陸軍少尉になる。
和泉 克雄(いずみ かつお、1916年 - 2010年2月1… 和泉 克雄(いずみ かつお、1916年 - 2010年2月1日)は、日本の詩人、俳人、グッピー研究家。 東京府東京市深川区(現東京都江東区)本所柳島生まれ。本名・牛次。中央大学商業学校卒業、アテネ・フランセ中退。1950-1980年「和泉熱帯魚研究所」を経営、おもにグッピー、卵生メダカ・卵胎生メダカを研究・繁殖。日本グッピー協会会長を務めた。
飛鳥 寛栗(あすか かんりつ、1915年7月5日 - 201… 飛鳥 寛栗(あすか かんりつ、1915年7月5日 - 2016年9月30日)は、浄土真宗の僧、仏教音楽研究家、元飛鳥山善興寺住職。近代日本の仏教音楽を体系化した人物である。 浄土真宗本願寺派善興寺(富山県高岡市)に生まれる。父は、同寺第17代住職で、浄土真宗本願寺派の監正局長をつとめた飛鳥寛徹。1939年龍谷大学文学部仏教学科卒業。学校法人清光学園清光女子高等学校(現高岡龍谷高校)初代常務理事、浄土真宗本願寺派教学伝道研究センター顧問をはじめ、財団法人国際仏教文化協会顧問や社会福祉法人中田保育園理事長などを歴任。仏教音楽コレクション・A主宰(現在は相愛大学の図書館に寄贈)。東洋音楽学会会員。善興寺第18代住職。
吉岡 たすく(よしおか たすく、1915年4月24日 - 2… 吉岡 たすく(よしおか たすく、1915年4月24日 - 2000年5月22日)は、大阪府出身の児童文化研究家。テレビの教育相談番組で活動した。本名は吉岡 佐(読みは同じ)。 大阪府立生野中学を経て大阪府天王寺師範学校を卒業し、後に泉大津市に移住。1935年から大阪府高石市の小学校の教員や校長を務める傍ら、幼児教育・文化、童話などの研究を進めた。元日本サッカー協会会長である川淵三郎は、高石小学校教諭時代の教え子である。 1975年3月に退職後、研究活動を続けながら、全国各地で講演を行い、著作を発表。毎日放送『八木治郎ショー』レギュラー出演のほか、NHK教育テレビ『おかあさんの勉強室』にたびたび出演した。
杉原 丈夫(すぎはら たけお、1914年 <大正3年> 5月… 杉原 丈夫(すぎはら たけお、1914年 <大正3年> 5月25日 - 1999年 <平成11年> 11月6日)は、日本の哲学者、民話研究家。位階は正四位。 福井県福井市出身。1940年京都帝国大学文学部哲学科卒、同大学院修了、1965年「様相論理学研究」で京都大学文学博士。1949年福井大学助教授、1957年教授、1976年定年退官、名誉教授、岡山大学教授となり、1980年福井県立博物館長に就任。1970年福井県文化賞、1983年郷土史研究賞「忠直配流―その説話と史実」で受賞、1987年勲二等瑞宝章受勲。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
古賀 守(こが まもる、1914年(大正3年)5月9日 - … 古賀 守(こが まもる、1914年(大正3年)5月9日 - 2003年(平成15年)4月28日)は、日本のワイン研究家。日本におけるドイツワインの権威。 長崎県佐世保市出身。生家は醸造家。東京農業大学農芸化学科を卒業後、1936年から1945年にドイツ遊学。ハイデルベルク、ライプツィヒ、ベルリンの大学で学んだ。 メッセで日本代表としてゲッベルス宣伝相の隣に座った経験も持つ。ベルリンにてドイツの敗戦を体験、捕虜交換のシベリア鉄道で帰国後、故郷近郊から長崎の原爆雲を目撃、日本の終戦も経験する。一時高校教諭を務めた後、カメラのライカ、医薬のメルクの日本輸入総代理店であったシュミット商会に入社、井上鍾社長の下、薬品部長から、初代ワイン部長となった。
嶋津 千利世(しまづ ちとせ、1914年5月9日 - 200… 嶋津 千利世(しまづ ちとせ、1914年5月9日 - 2000年12月28日)は、日本の女性問題研究家。島津千利世とも。 茨城県生まれ。1949年日本大学法文学部卒。群馬大学教育学部助教授、教授。80年定年退官。
西野 照太郎(にしの てるたろう、1914年3月31日 - … 西野 照太郎(にしの てるたろう、1914年3月31日 - 1993年12月30日)は、日本のアフリカ研究家。徳島県出身。京都帝国大学卒。海軍嘱託として蘭印ジャカルタに駐在。1948年から国立国会図書館勤務、専門調査員としてアフリカや南太平洋の問題を研究し著述をなした。
木呂子 敏彦(きろこ としひこ、男性、1914年(大正3年)… 木呂子 敏彦(きろこ としひこ、男性、1914年(大正3年)3月11日 - 2005年(平成17年)4月)は、農業家・教育者・アイヌ史研究家・編集者。館林藩の自由民権運動家・木呂子退蔵の孫。
錦 三郎(にしき さぶろう、1914年 - 1997年5月8… 錦 三郎(にしき さぶろう、1914年 - 1997年5月8日)は、日本のエッセイスト、歌人、蜘蛛研究家、特にバルーニングの研究で著名。山形県山形市出身。1936年山形師範学校卒業、小学校教員となる。1929年頃から斉藤茂吉の弟子の結城哀草果に師事して作歌を始める。1937年アララギ入会。晩年は短歌結社「山麓」の選者を務めた。1958年日本蜘蛛学会に入会。蜘蛛に関連する書籍で数多くの賞を受賞する。1973年退職、1975年南陽市芸術文化協会会長。翌年、市史編さん嘱託(編集委員長)に就任。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月… 澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月28日 - 2007年〈平成19年〉7月20日)は、日本の解剖学者、医師、トンボ研究家。医学博士。広島大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員、日本蜻蛉学会名誉会員、広島虫の会名誉会長。 新潟県新潟市関屋松波町(現 新潟市中央区関屋松波町)出身。1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学を卒業。 1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学副手に就任、1942年(昭和17年)に新潟医科大学助手に就任、1944年(昭和19年)に新潟医科大学臨時附属医学専門部助教授に就任、新潟医科大学講師を兼任。
数江 教一(かずえ きょういち、1913年11月18日 - … 数江 教一(かずえ きょういち、1913年11月18日 - 2003年5月28日)は、日本の倫理学者、茶道研究家。茶号は瓢鮎子(ひょうねんし)。 長野県茅野市出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、旧制松本高等学校を経て東京帝国大学文学部倫理学科卒。和辻哲郎に師事。1962年「日本の末法思想」で東京大学より文学博士の学位を取得。1952年中央大学文学部非常勤講師、1953年専任講師、1955年助教授、1960年教授、1984年定年、名誉教授となる。東大在学中に茶の湯同好会を作り茶道を研究する。 日本倫理学会、日本思想史学会、日本哲学会に所属した。
黒坂 周平(くろさか しゅうへい、1913年11月3日 - … 黒坂 周平(くろさか しゅうへい、1913年11月3日 - 2003年2月7日)は日本の地方史研究家、郷土史家、教師。 長野県小県郡西塩田村(現上田市)に生まれる。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て長野師範学校を卒業し、学校教師になる。1950年、『上田小県誌』史料編纂委員となる。1972年、上田市立第三中学校を退職し、郷土史研究に専念する。 1973年、東信史学会を創立し会長に就任、雑誌『千曲』を刊行。1979年、塩田平文化財研究所を設立し所長に就任。1990年喜寿を記念し論文選集(献呈論文集含む)『信濃の歴史と文化の研究』を刊行した。また平凡社の『日本歴史地名大系 20 長野県の地名』の監修を務めた。
福井 静夫(ふくい しずお、1913年(大正2年)10月25… 福井 静夫(ふくい しずお、1913年(大正2年)10月25日 - 1993年(平成5年)11月4日)は、大日本帝国海軍の技術科士官(最終階級は少佐)、艦艇研究家。 専攻は造船。三男・威夫は本田技術研究所社長、本田技研工業代表取締役社長などを歴任した。 横浜市で生まれ、東京帝国大学では造船を学び、試験に合格して海軍造船学生となる。1941年(昭和16年)には目黒区三田にあった海軍技術研究所造船研究部に所属しており、静かな環境で学際的な雰囲気の元、海軍のみならず日本の基礎工業に技研が果たした役割を高く評価している。戦時中にはシンガポールに派遣され、英軍によって破壊されたセレター軍港を接収して開設された第101工作部にて施設復旧等に従事、訪独の帰途英軍の敷設した機雷に触れて沈没した伊30の引揚げにも関わっている。
前田 泰次(まえだ やすじ、1913年9月21日 - 198… 前田 泰次(まえだ やすじ、1913年9月21日 - 1982年1月16日)は、工芸研究家、東京芸術大学名誉教授。日本金工史、東洋工芸史、工芸論を講じた。 鋳金家・田中後次の子として東京府大森町(現東京都大田区)に生まれる。東京府立第五中学、松本高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部宗教史学科卒。東京帝室博物館、大阪市立美術館勤務、東京美術学校助教授、1959年東京芸大教授。77年定年退官、名誉教授。文化財保護審議会専門委員、日本伝統工芸展鑑査委員。
増山 太助(ますやま たすけ、1913年8月20日 - 20… 増山 太助(ますやま たすけ、1913年8月20日 - 2007年5月27日)は、日本の社会運動家、社会運動研究家である。 東京・日本橋新堀町生まれ。開成中学を1931年3月に卒業。翌4月成城高等学校に入学、2学年のとき自由主義教育の理念を掲げる小原國芳主事の解雇反対運動(成城事件)で生徒側の闘争委員を務めた。1935年4月京都帝国大学経済学部に入学、農業経済を専攻しのち地代論を学んだ。在学中、新村猛・中井正一らの『世界文化』の発行に呼応し、反ファシズム人民戦線運動の一環として、1936年5月『学生評論』を創刊した。1938年9月「日本共産主義者団」の事件に連座して検挙されたが、同年12月不起訴で釈放され、1939年3月大学を卒業した。
渡辺 武(渡邊武、わたなべ たけし、1913年4月18日 -… 渡辺 武(渡邊武、わたなべ たけし、1913年4月18日 - 2004年2月11日)は、日本の漢方薬・椿研究家。 京都市生まれ。1935年京都薬学専門学校(現京都薬科大学)卒業。1939年東京帝国大学医学部薬学科選科修了。在学中に湯本求真の紹介により荒木性次に師事。1941年武田薬品株式会社研究所入社。1947 - 62年厚生省日本薬局方制定委員会委員。宮内庁より正倉院薬物調査を委嘱され、1956年「正倉院薬物の研究」で京都大学薬学博士。67年武田薬品を定年退社。1976年薬局・薬店・薬剤師、薬種商の東洋医学及び漢方の食養の研鑽の場として草古堂薬室方技塾を発足、77年日中医薬研究会に改称(会長)。
金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年〈大正2年〉4… 金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年〈大正2年〉4月3日 - 2004年〈平成16年〉5月19日)は、日本の言語学者、国語学者、邦楽研究家。日本語の音韻が専門。国語辞典などの編纂、日本語の方言におけるアクセント研究で知られる。邦楽にも造詣が深く、平曲研究の第一人者。著書に『日本語の特質』(1980年)、『日本語(新版)』(1988年)、『平曲考』(1997年)など。文学博士。栄典は勲三等旭日中綬章、紫綬褒章、瑞宝重光章。 その他の表彰歴として文化功労者、東京都名誉都民など。 父の京助も文学博士で日本学士院会員。長男の真澄も文学博士で慶應義塾大学名誉教授、次男の秀穂は言語学者で杏林大学外国語学部教授、長女の美奈子はフリーライター。
佐久間 英(さくま えい、1913年2月1日 - 1975年… 佐久間 英(さくま えい、1913年2月1日 - 1975年12月16日)は、新潟県出身の人名研究家、歯学博士。日本歯科大学講師。 当時の高田市(後の上越市の一部)に生まれる。日本歯科大学卒業。日本医大で歯学博士号を取得。論文の題は 「成人口腔粘膜の組織学的研究、特に上皮の厚さ及び乳頭の高さについて」。 歯学研究の傍ら、1935年ごろ長野県における歯科検診がきっかけで姓名に興味を持ち始め、家族揃って姓名研究に打ち込む。日本橋三越本店「名前相談室」担当者として活動し、「お名前博士」と呼ばれた。 その後、日本人の名字を多い順に並べるランキングを日本国内で初めて発表し、佐久間の名は知られるようになった。
小野 正文(おの まさふみ、1913年(大正2年)1月4日 … 小野 正文(おの まさふみ、1913年(大正2年)1月4日 - 2007年(平成19年)9月21日)は、日本の教育者、太宰治研究家。筆名は斧稜(おのりょう)。日本近代文学研究者の小野隆祥は兄。 青森県北津軽郡生まれ。青森中学在学中に、先輩の太宰治と知り合う。1938年東京帝国大学法学部卒業。青森県で教職につく。青森県立図書館長、1963 - 69年青森県立弘前南高等学校初代校長、青森中央短期大学教授、1982年同学長。青森中央学院大学客員教授。長年にわたる太宰治研究を評価され、2005年弘前大学から名誉博士号が授与された。多くの学校の校歌を作詞した。
近藤 鏡ニ郎(こんどう きょうじろう、1913年 - 197… 近藤 鏡ニ郎(こんどう きょうじろう、1913年 - 1975年)は、日本のアイヌ音楽研究家。アイヌ民族の歌謡や文化の記録・研究に尽力した。本名は近藤善兵衛。 宮城県古川市(現・大崎市古川)に生まれる。宮城県立古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒業後、朝日新聞社に入社。戦時中に海軍に応召され、復員後に郷土芸能・アイヌ歌曲の採譜に尽力した。1957年に「ピリカ・ピリカ」の採譜・編曲により芸術祭文部大臣賞、1960年にユーカラ劇「コタンの森」で北海道芸術新賞を受賞。その他、松前神楽の保存活動・研究にも当たった。1969年、北海道文化団体協議会事務局長に就任。 近藤がアイヌ音楽研究家として活動した時期、日本は高度経済成長期にあり、伝統文化や少数民族の文化保存の重要性が再認識されていた。
川島 宙次(かわしま ちゅうじ、1912年10月15日 - … 川島 宙次(かわしま ちゅうじ、1912年10月15日 - 1998年)は、日本の民家研究家・画家。 東京生まれ。1932年大阪市立都島工業学校建築科卒。一級建築士。大林組に入り、住宅部長、大林ハウジング取締役を歴任。欧米、東南アジア諸国を歴訪し住居建築を研究。1990年第1回竹内芳太郎賞受賞。日本民族建築学会評議員、東京民芸協会会員、日本美術家連盟会員。
浜名 志松(濱名 志松、はまな しまつ、1912年10月12… 浜名 志松(濱名 志松、はまな しまつ、1912年10月12日 - 2009年1月9日)は、日本の民俗学者、天草文化研究家、キリシタン研究家。 熊本県天草郡魚貫村(現・天草市魚貫町)出身。1936年より小学校・中学校教員、熊本県立本渡高等女学校(現・熊本県立天草高等学校)教諭、熊本県教育庁指導主事、天草教育研究所長、1972年天草町教育長。1959年天草文化賞、1987年信有社賞受賞、1991年熊日賞受賞、勲五等双光旭日章受章、1992年荒木精之賞受賞、1995年地域文化功労者文部大臣表彰受賞、1998年天草観光協会賞、日本観光協会九州支部長賞受賞。
藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 199… 藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 1995年2月11日)は、日本の歴史学者、部落問題研究家である。 京都府京都市出身。生家は真宗大谷派の即現寺。京都府立第二中学校卒業後、1934年に高知高等学校文科甲類、1937年京都帝国大学文学部史学科卒業。1938年、治安維持法違反で検挙。その後、生家の住職、また京都市史編纂に参加。 戦後、日本史研究会創設に参加。また1966年には部落問題研究所理事長兼所長に就任し、文化厚生会館問題によって奈良本辰也・林屋辰三郎・原田伴彦らが去った後の研究所再建に尽力。
三谷 一馬(みたに かずま、1912年(明治45年)3月16… 三谷 一馬(みたに かずま、1912年(明治45年)3月16日 - 2005年(平成17年)6月15日)は、日本画家、江戸風俗研究家。 香川県高松市に生まれる。実家は古くから歌舞伎芝居などの背景画や小道具、看板等を描く仕事をしていた。 東京美術学校日本画科卒業。岡本綺堂「半七捕物帳」など挿絵の分野で活躍ののち、江戸時代の風俗考証画を描くことに専念する。 日本文芸家協会会員。江戸を語る「江戸会」に属した。1988年、「失われてゆく江戸風俗を四十年の歳月をかけ、『江戸職人図聚』はじめ数著に集大成、江戸風俗の”絵引き”として貴重な資料を提供」した功績により、吉川英治文化賞を受賞した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
仁井田 一郎(にいだ いちろう 1912年(明治45年) -… 仁井田 一郎(にいだ いちろう 1912年(明治45年) - 1975年(昭和50年))は栃木県足利郡御厨町(現足利市)町議会議員・実業家・農業技術研究家。栃木県のイチゴ栽培技術を確立し、同県を日本有数のイチゴ生産地に発展させた。
奥瀬 平七郎(おくせ へいしちろう、1911年〈明治44年)… 奥瀬 平七郎(おくせ へいしちろう、1911年〈明治44年)11月13日 - 1997年〈平成9年〉4月10日)は、日本の忍術研究家、小説家、三重県上野市(現・伊賀市)の元市長。三重県阿山郡上野町(現・伊賀市)生まれ。 1911年(明治44年)、三重県阿山郡上野町(現・三重県伊賀市)で代々続く醤油製造販売業「細平(こまへい)」の二男として生まれる。父の平十郎(1887年〜1956年)は、家業を従業員に任せ上京。霞翠の号で当時の代表的な投稿雑誌や文芸誌、詩歌誌に数多くの作品を発表、文芸誌『初楓』を創刊、また東京二六新聞記者として、上野町の『伊賀新聞』に小説『鞠子』を71回にわたって連載するなど文筆家として活躍した人物だった。
安斎 実(あんざい みのる、1911年10月7日 - 199… 安斎 実(あんざい みのる、1911年10月7日 - 1997年12月22日)は、ライフル選手、砲術史研究家。 東京出身。暁星中学校卒、1935年明治大学卒。中学時代から射撃を始め、1950年全日本選手権、51年国体で優勝、1969年JOC常任委員、監督としてオリンピックに六回出場、86年のアジア大会では選手団長、87年日本ライフル射撃協会会長、のち名誉会長。三協食品工業勤務、相談役。砲術史についても著作がある。
高嶋 雄三郎(たかしま ゆうざぶろう、1911年10月2日 … 高嶋 雄三郎(たかしま ゆうざぶろう、1911年10月2日 - 1993年6月27日)は、医療研究家、文筆家。 東京市小石川区(現:東京都文京区)に東洋大学学長などを務めた高島米峰の三男として生まれる。東京府立第五中学校を経て、法政大学文学部国文科卒。東京宝塚劇場文芸部勤務、1939年中央公論社勤務、1949年学風書院を創設。健康雑誌『主治医』編集長、日本植物友の会参与、松葉を食べる会主宰。
弥吉 菅一(彌吉菅一、やよし かんいち、1911年9月27日… 弥吉 菅一(彌吉菅一、やよし かんいち、1911年9月27日 - 2000年3月14日)は、児童詩研究家・日本文学研究家。 福岡県浮羽郡(現うきは市)生まれ。広島文理科大学(現・広島大学)国文科卒。大阪学芸大学助教授、校名変更で大阪教育大学教授、1977年定年退官、名誉教授、梅花女子大学教授。1984年「日本児童詩教育の歴史的研究」で広島大学教育学博士。1997年日本児童文学学会特別賞受賞。1977年度博報賞受賞。
斎藤 良輔(さいとう りょうすけ、1911年〈明治44年〉5… 斎藤 良輔(さいとう りょうすけ、1911年〈明治44年〉5月20日 - 1996年〈平成8年〉11月27日)は、日本の玩具研究家、新聞記者。 群馬県伊勢崎市生まれ。旧制太田中学校を経て、1935年(昭和10年)に早稲田大学文学部英文科を卒業。 1936年(昭和11年)朝日新聞社に入社。社会部に勤務する。編集出版局、応召でジャワに渡る[要出典]。1954年(昭和29年)からは『週刊朝日』副編集長を務めた。1966年(昭和41年)定年退職し、朝日新聞社客員となる。 1970年(昭和45年)より女子聖学院短期大学の講師を勤める。 1996年(平成8年)心不全により死去。 弟は芸能音楽評論家の斎藤茂(1922年 - )。
北川 省一(きたがわ せいいち、1911年4月7日 - 19… 北川 省一(きたがわ せいいち、1911年4月7日 - 1993年1月5日)は、日本の詩人、良寛研究家。 新潟県刈羽郡柏崎町(現在の柏崎市)生まれ。塗師の父が出奔して母と兄との家庭に育つ。第一高等学校在学時代には絵画、詩を創作。東京帝国大学仏文科に入学するが左翼活動のため1年で中退。郷里で私塾経営などをしたのち再度上京、兵役で千島で特攻訓練をするうち敗戦を迎えた。戦後は郷里で貸本屋をし、たびたび日本共産党から衆議院に立候補するが、田中角栄に敗れ続ける。66歳以後良寛研究家として多くの著書を著す。椎名麟三とは鉄工場の同僚だった。1993年1月5日、胃癌のため死去。 息子は北川フラム。娘の原若菜は原広司夫人であり、その名付け親は中野重治である。
田中 正明(たなか まさあき、明治44年(1911年)2月1… 田中 正明(たなか まさあき、明治44年(1911年)2月11日 - 平成18年(2006年)1月8日)は、日本の歴史研究家、政治思想家、近現代史評論家、著述家、新聞編集者。戦前・戦時中は松井石根の私設秘書としてアジア解放運動に従事した。 大亜細亜協会編集責任者、戦後は、拓殖大学講師、世界連邦建設同盟事務局長、財団法人国際平和協会専務理事を務めるほか、近現代史評論家として著述活動を活発に行った。 長野県下伊那郡喬木村出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)卒業。1933年、興亜学塾卒業。松井石根の元私設秘書、松井が設立発起人となった大亜細亜協会編集責任者となる。応召し、無錫で終戦を迎える[要出典]。
中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 19… 中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 1987年3月28日)は、日本のアメリカ史研究家。
中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 19… 中屋 健一(なかや けんいち、1910年12月9日 - 1987年3月28日)は、日本のアメリカ史研究家。 福岡市生まれ。本名は健弌。1933年、東京帝国大学西洋史学科卒。大学院では高木八尺の研究室にいたが、助手時代の松本重治とは入れ替わりだった。大学院時代に趣味である登山を始め松方三郎の指導を受けた。同盟通信社の岩永裕吉は高木とは同じ新渡戸稲造門下で、松本と松方の兄貴分であった。1936年2月に同盟入社。社会部、ついで外信部にうつって日中戦争で華北戦線に従軍した。当時の前線記者は携帯用無線機の技師、それと連絡員の三人で行動し定時に支局と連絡、記事をモールスで送ったり支局からの指令を受け取っていた。
山本 藤枝(やまもと ふじえ、1910年〈明治43年〉12月… 山本 藤枝(やまもと ふじえ、1910年〈明治43年〉12月7日 - 2003年〈平成15年〉7月7日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、女性史研究家。 本名・フジヱ(旧姓・岡村)。筆名に露木 陽子(著書節、再話・翻訳節参照)。夫は児童文学作家、詩人の山本和夫。ロシア児童文学の翻訳・研究家の松谷さやかはその子にあたる。 和歌山県伊都郡笠田村(現・かつらぎ町)生まれ。高等女学校を経て東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業。卒業後は神奈川高等女学校(現・神奈川学園中学校・高等学校)の教諭を務め、のちに結婚退職した。 1977年『細川ガラシャ夫人』で産経児童出版文化賞受賞。 子ども向けの伝記、海外作品の再話・翻訳した著作を多く物するとともに、とりわけ日本史上の女性の生涯の執筆に意を注いだ。
吉永 孝雄(よしなが たかお、1910年5月24日 - 19… 吉永 孝雄(よしなが たかお、1910年5月24日 - 1992年10月17日)は日本の文楽研究家、教育者。大阪府出身。 旧制大阪府立生野中学校、大阪高等学校から東京帝国大学に進み、国文学を専攻。浄瑠璃の研究で文学博士。 大阪府立大手前高等学校などで国語科教諭として教壇に立ち、大阪府立勝山高等学校教頭、大阪府立清水谷高等学校校長を務めた。 その傍ら、文楽の研究に取り組み、番付、ちらしなど興行関係資料、ビデオテープ、レコード、新聞・雑誌の記事切抜、写真など多数の資料を収集。その一部は、園田学園女子大学近松研究所に「吉永孝雄文庫」として寄贈されている。 後年は羽衣学園短期大学教授、学長となり、文楽の教育に従事。
高橋 喜平(たかはし きへい、1910年4月25日 - 20… 高橋 喜平(たかはし きへい、1910年4月25日 - 2006年2月1日)は、日本の雪崩研究家、エッセイスト。 独学で長年、雪崩の研究に従事。雪氷学・氷雪研究の権威であり、日本雪氷学会賞受賞、吉川英治文化賞を受賞。また、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した、エッセイストでもある。日本雪氷学会名誉会員で、岩手県在住。 東京大学名誉教授の高橋延清は弟、直木賞作家の高橋克彦は甥にあたる。 1910年、秋田県六郷町(現・美郷町)に生まれる。7歳で、母の郷里である岩手県沢内村(現・西和賀町)に移る。1929年、岩手県立黒沢尻中学校(現・岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業後、卯根倉(うねくら)鉱山で代用教員をしながら独学。
春名 好重(はるな よししげ、1910年4月5日 - 200… 春名 好重(はるな よししげ、1910年4月5日 - 2004年6月27日)は、書の研究家、国士舘大学名誉教授。 岡山県生まれ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。国士舘大学教授・文学部長を務めた。日本書道史を研究。本名・斎藤秀雄。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
高柳 金芳(たかやなぎ かねよし、1910年 - 1985年… 高柳 金芳(たかやなぎ かねよし、1910年 - 1985年5月)は、在野の歴史家、江戸時代研究家。 埼玉県川越市生まれ。1931年明治大学政治経済学部卒業。会社生活のかたわら、江戸時代史に関する研究と執筆を続ける。
大牟羅 良(おおむら りょう、1909年7月20日 - 19… 大牟羅 良(おおむら りょう、1909年7月20日 - 1993年2月20日)は、日本の編集者、農村研究家。エッセイスト。 本名は大村次則。東京物理学校予科卒。 岩手県久慈市に生まれ、17歳で代用教員となる。1938年、満州に渡り、共和会中央本部に勤務、1944年応召、宮古島で敗戦を迎える。 復員後、盛岡に帰って古着の行商人となり、4年間岩手の山村を歩いた。1951年から岩手県国民健康保険団体連合会に勤務、同会発行の雑誌「岩手の保健」を編集、農民の声を活字にする。 1958年、著書『ものいわぬ農民』で毎日出版文化賞、日本エッセイスト・クラブ賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。