能見 正比古(のみ まさひこ、1925年7月18日 - 19… 能見 正比古(のみ まさひこ、1925年7月18日 - 1981年10月30日)は、日本の作家、編集者、放送作家。血液型と気質・性格を関連づける「血液型人間学」に関する著作で知られ、1970年代以降の日本における血液型性格分類の普及に影響を与えた。相撲、落語、スポーツなどに関する著作もある。 東京大学工学部電気工学科を卒業し、同大学法学部政治学科を中退した。三木鶏郎文芸部に入り、放送作家としてラジオの脚本やコントを執筆した。その後、学習研究社に勤務し、百科事典編集長などを務めた。相撲にも関心を持ち、『相撲部屋物語』『横綱物語』などを刊行した。1981年10月30日に死去した。 1971年に『血液型でわかる相性』を刊行した。
豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年… 豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年4月6日 - 2013年1月10日)は、日本の編集者、著作権研究者。 1925年生まれ。旧制獨協中学校、旧制第二高等学校を経て、陸軍予備士官学校で終戦を迎える。1943年(昭和18年)早稲田大学に入学。1946年(昭和21年)、師である言語学者・金田一京助の移動に伴い、國學院大學に転入。1949年(昭和24年)卒業。同年、小学館に入社。『小学一年生』から始まり、二年から六年まで学習雑誌の編集部に在籍、51年『小学六年生』編集長、1959年に日本初の週刊少年誌となる『週刊少年サンデー』を創刊、初代編集長に就任する。63年『女性セブン』初代編集長。
巌 浩(いわお ひろ、1925年 – 2019年6月12日)… 巌 浩(いわお ひろ、1925年 – 2019年6月12日)は、大分県出身の編集者。 書評紙『日本読書新聞』の黄金時代の編集長、雑誌『伝統と現代』の編集・発行人として知られる。 おさない頃におじ(父の兄弟)の、大分県津久見市の西教寺住職の巌義円(元津久見町長・市長、元大分県議会副議長)の養子となる。臼杵中学を卒業。 1942年に鹿児島の旧制七高に入学。のちに政界の黒幕といわれた四元義隆が柔道部の先輩にいた。1944年9月に東京大学に入学。だが同年12月に召集され、国内で陣地構築を行い、終戦を迎える。 戦後、復学して東京大学文学部卒業後の1949年、田所太郎が編集長をつとめていた『日本読書新聞』(刊行元:日本出版協会)に入社。
鎗田 清太郎(やりた せいたろう、1924年7月29日 - … 鎗田 清太郎(やりた せいたろう、1924年7月29日 - 2015年8月31日)は、日本の詩人、編集者。 東京生まれ。1949年國學院大學文学部哲学科卒。角川書店に勤務、1957年に編集部次長で退社、知性社出版部長、表現社出版部長、新人物往来社編集局長。1995年日本現代詩人会会長。詩誌『火牛』代表。2002年『思い川の歌』で丸山薫賞受賞。
高野 よしてる(たかの よしてる、本名:高野義輝、1923年… 高野 よしてる(たかの よしてる、本名:高野義輝、1923年8月22日 - 2008年11月15日)は、日本の雑誌編集者・漫画家である。九州生まれ。関東商業学校(現・関東第一高等学校)、法政大学出身。漫画家としては1950 - 1970年(昭和25 - 45年)頃まで月刊・週刊の漫画雑誌で活躍した。代表作は『赤ん坊帝国』『黒帯くん』『13号発進せよ』など。 1923年(大正12年)、九州に生まれる。4歳の頃に家族ともども東京に移り、以後東京で育つ。 中学の頃から漫画家を目指し、志を同じくする友人たちと共に「新世紀漫画集団」という名のグループを結成。日曜日になっては漫画について討論や研究、デッサンをしていた。
田村 義也(たむら よしや、1923年3月30日 - 200… 田村 義也(たむら よしや、1923年3月30日 - 2003年2月23日)は、日本の編集者、装幀家。 東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。1948年3月、初の公募社員として岩波書店に入社。当時の岩波では大卒社員が珍しかったため、かなりの反感と嫉妬を社内で受けたという。1985年に退社するまで、岩波新書編集部や『世界』、『文学』などの編集長をつとめた。 数多い書籍の装幀(ブックデザイン)を行い、その装幀は独特の書体と風合いを持つ特徴的なもので、多くのファンがいた。第13回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。2003年に、骨髄異形成症候群により、79歳で死去したが、人となりを偲び『田村義也—編集現場115人の回想』が刊行された。
牧野 武朗(まきの たけろう、1923年3月27日 - 20… 牧野 武朗(まきの たけろう、1923年3月27日 - 2012年5月)は、日本の編集者・出版社経営者。 講談社で『少女クラブ』編集部、『なかよし』初代編集長、『週刊少年マガジン』の初代編集長、『週刊現代』の第4代編集長を歴任。1974年に退社した後は、マイヘルス社、マキノ出版、わかさ出版を創立した。 講談社時代は漫画部門のトップとして業界で権力を誇った。1959年に『週刊少年マガジン』を創刊した際、トキワ荘を訪れ、藤子不二雄に執筆を依頼したが『週刊少年サンデー』の依頼の方が早かったため断られた。その後、内田勝が『週刊ぼくらマガジン』創刊で藤子・F・不二雄に『モジャ公』を依頼するまでの10年間、講談社での藤子の執筆は『たのしい一年生』連載の『てぶくろてっちゃん』だけで、『週刊少年マガジン』グループは執筆依頼しなかった。
松原 純一(まつばら じゅんいち、1923年3月10日 - … 松原 純一(まつばら じゅんいち、1923年3月10日 - 1966年6月22日)は、日本の編集者・近代文学研究者。元相模女子大学教授。角川書店創業当時の中心人物。 創業当初の角川書店の中心人物として活躍し、角川源義を助けた。のち相模女子大教授に就任。森鷗外に関心をもち、自ら推進した「表現」誌上に「舞姫」論及び小倉時代の鷗外について論考を発表、また森しげ女の小説についても言及している。
谷田 昌平(たにだ しょうへい、1923年2月26日 - 2… 谷田 昌平(たにだ しょうへい、1923年2月26日 - 2007年8月19日)は、日本の編集者、文芸評論家。堀辰雄の研究で知られる。妻は詩人の牟礼慶子。 徳島県生まれ。兵庫県神戸市出身。大阪府立池田師範学校、東京高等師範学校を経て、京都大学文学部卒。在学中から堀辰雄研究を行い、大阪府立桜塚高等学校教諭時代に遠藤周作と知り合った縁から、「三田文学」に「堀辰雄年表」が掲載される。1954年に新潮社に入社。出版部時代、『武者小路実篤全集』を皮切りに、室生犀星『杏っ子』、幸田文『流れる』、安部公房『砂の女』、遠藤周作『沈黙』など、編集者として数々の話題作を手掛けた。1976年『新潮』編集長。町田に転居した遠藤に誘われて「町田会」にも参加し、多くの文豪たちと交友を持った。
野平 健一(のひら けんいち、1923年2月2日 - 201… 野平 健一(のひら けんいち、1923年2月2日 - 2010年7月5日)は、東京府出身の編集者。
高橋 正衛(たかはし まさえ、 1923年1月9日 - 19… 高橋 正衛(たかはし まさえ、 1923年1月9日 - 1999年9月26日)は、日本の編集者、歴史学者、昭和史研究家。元みすず書房取締役。筆名は渡辺正治。 青森県八戸市出身。1943年中央大学専門部経済学科卒業。同年12月学徒動員で入隊。1946年みすず書房の創立に加わり同書房に勤務。1963年から小尾俊人編集長と協力し企画、刊行した「現代史資料」は、1965年第13回菊池寛賞を受賞した。1991年に退職した後は、昭和史研究に従事。
中井 英夫(なかい ひでお、本名同じ、1922年(大正11年… 中井 英夫(なかい ひでお、本名同じ、1922年(大正11年)9月17日 - 1993年(平成5年)12月10日)は、日本の短歌編集者、小説家、詩人。三大奇書とされる代表作の『虚無への供物』の作者として著名であるが、ノヴェレット主体のマニエリスティクな推理小説・幻想文学において知られている。 別名に、塔晶夫、碧川潭、緑川弓雄、黒鳥館主人、流薔園園丁、月蝕領主、ハネギウス一世。 東京市滝野川区田端に生まれ育つ。父は植物学者で国立科学博物館館長、陸軍司政長官・ジャワ・ボゴール植物園園長、小石川植物園園長等を歴任した東京帝国大学名誉教授の中井猛之進。祖父堀誠太郎も札幌農学校教授、小石川植物園御用掛を歴任しており、二代続いた植物学者の家系であった。
林 裕(はやし ゆたか、1922年7月7日 - 1986年1… 林 裕(はやし ゆたか、1922年7月7日 - 1986年10月19日)は、日本の囲碁に関する評論家、編集者、観戦記者、研究家。日本棋院所属の後に執筆に専念。 東京渋谷出身。姉が福原義虎七段と結婚した縁で、1941年頃から日本棋院に出入りするようになる。1943年に学徒動員で応召。 1946年、中央大学法学部卒。戦後1948年に、村島誼紀らが『碁の新聞』を出す際に編集を任される(3号で終刊)。その後『棋道』編集の手伝いをしていて、1950年日本棋院事務局に入り、『棋道』『囲碁クラブ』や棋書を編集。編集部長、中央会館事務局長を務め、1968年には「囲碁史展」(日本橋東急百貨店)を主導した。1969年退職。
宇賀田 達雄(うがた たつお、1922年5月7日 - 201… 宇賀田 達雄(うがた たつお、1922年5月7日 - 2012年5月24日)は、日本の民藝運動研究者、美術評論家、編集者、記者。妻の宇賀田けようは板画家棟方志功の長女。
川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 20… 川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 2006年4月3日)は、日本の俳優、脚本家、映画評論家、雑誌編集者である。旧芸名川部 守一(かわべ しゅいち)。筆名の秋田 謙三(あきた けんぞう)では、テレビ台本の執筆、記録映画の製作を行う。日本映画ペンクラブ会員。麹町区第22代区長の川部爽介は実父である。 1922年(大正11年)4月17日、東京府豊多摩郡渋谷町(現在の東京都渋谷区)に生まれる。父の爽介は旧天童藩士で、川部が満3歳であった1925年(大正14年)8月に東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)の区長に就任し、川部が満7歳を目前にし尋常小学校就学直前であった1929年(昭和4年)3月まで同職を務めた。
野原 一夫(のはら かずお、1922年(大正11年)3月30… 野原 一夫(のはら かずお、1922年(大正11年)3月30日 - 1999年(平成11年)7月31日)は東京府出身の編集者、作家。 東京府立第五中学校(現都立小石川高等学校)から浦和高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部独逸文学科卒業。1943年(昭和18年)12月、学徒出陣、二等水兵として横須賀市の武山海兵団に入隊。その後、海軍の第四期兵科予備学生となる。1944年(昭和19年)12月に海軍少尉任官、埼玉県大和田通信隊勤務。1945年(昭和20年)4月、南九州・鹿屋基地に第五航空艦隊司令部付として赴任。終戦を大分で迎える。 1946年(昭和21年)8月26日、700名中2名の被採用者のひとりとして新潮社に入社(もうひとりの被採用者は野平健一)。
小尾俊人(おび としと、1922年3月2日 - 2011年8… 小尾俊人(おび としと、1922年3月2日 - 2011年8月15日)は、日本の書籍・出版編集者。 長野県茅野市出身。羽田武嗣郎の出版社「羽田書店」の社員だったが、1945年に独立、山崎六郎、清水文男らとみすず書房を創業、編集長として「現代史資料」「荻生徂徠全集」などを編さん。1990年定年退職。
坂本 一亀(さかもと かずき、1921年12月8日 - 20… 坂本 一亀(さかもと かずき、1921年12月8日 - 2002年9月28日)は、日本の編集者。坂本龍一の父。 福岡県甘木市(現:朝倉市)生まれ。愛称は「ワンカメさん」。 旧制福岡県立朝倉中学校を卒業後、上京。1943年に学徒出陣により、日本大学法文学部文学科(国文学専攻)を繰上卒業し、佐賀の電信第2連隊補充隊に入営。その後、満洲・東安の通信隊に配属される。1945年(昭和20年)4月、福岡県筑紫野の通信基地に転じ、敗戦を迎えた。3ヵ月後に復員し、帰郷して近所の鋳物工場でなどで働く。文学書に読み耽りながら『朝倉文学』という小さな同人誌をやっていたところ、甘木に療養に来ていた元河出書房社員の眼にとまったのがきっかけとなり、1947年1月同社に入社。
新庄 哲夫(しんじょう てつお、1921年10月28日 - … 新庄 哲夫(しんじょう てつお、1921年10月28日 - 2006年1月10日)は、日本のアメリカ文学者、ジャーナリスト、編集者、翻訳家。本名は新庄 哲雄(読みは同じ)。 アメリカ合衆国サンフランシスコ生まれ、山口県岩国市が本籍。1943年学徒動員により青山学院英文科を繰り上げ卒業、東京新聞外報部勤務となり、戦時下の外務省、戦後のGHQを担当。1953年にハーマン・ウォークの『ケイン号の反乱』の翻訳を上梓しベストセラーとなる。1957年出版部勤務となり「週刊東京」担当、1960年の同誌廃刊とともに本社編集委員。朝夕刊のコラムを執筆、1968年に退社。 大妻女子大学短期大学部教授に就任後、数多くの英米の小説、ノンフィクションを翻訳。
大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 20… 大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 2014年7月25日)は、日本の編集者、作家。 三重県北牟婁郡紀伊長島町(現紀北町)生まれ。旧制津中学校を経て、慶應義塾大学国文科で折口信夫に師事する。学徒出陣で1943年に出征、海軍予備学生(第4期)を経て、1944年暮れに海軍少尉となる。敗戦により復員し、1945年10月に復学、1946年9月に卒業する。同年11月、講談社に入社する。1955年から1966年まで『群像』の編集長を務めた。石原慎太郎や有吉佐和子の作品を一切掲載しない一方で、吉行淳之介や安岡章太郎など「第三の新人」と呼ばれた作家たちを陰で支えた。その仕事ぶりは「文学の鬼」「純文学の鬼」などと称された。
田川 博一(たがわ ひろいち、1921年6月13日 - 20… 田川 博一(たがわ ひろいち、1921年6月13日 - 2000年2月10日)は、日本の編集者、経営者。文藝春秋社副社長を務めた。 新潟県出身。1937年に早稲田大学文学部仏文科を卒業し、同年に文藝春秋社に入社。1945年、陸軍航空機整備員として第三振武隊(後に第二十振武隊)の特攻機整備業務に従事した。第二次世界大戦後、文芸春秋の編集委員を経て、1952年に別冊文芸春秋編集局長に就任し、特集漫画読本・文藝春秋・週刊文春の各編集長、広告局長、取締役、常務、専務を経て、1986年5月に副社長に就任。1987年6月に常任監査役を経て、1989年6月に相談役に退く。 2000年2月10日、肺炎のために死去。
矢口 純(やぐち じゅん、1921年4月18日 - 2005… 矢口 純(やぐち じゅん、1921年4月18日 - 2005年4月30日)は、日本の編集者、エッセイスト。 東京雑司ヶ谷生まれ。本名読み・きよし。父は英文学者・矢口達。1943年早稲田大学政経学部を繰り上げ卒業し入隊、敗戦時には仙台陸軍飛行学校の将校生徒。千葉県の誉田で村会議員を務める。1948年婦人画報社に入社、『博愛』編集長として出向、十返千鶴子が編集員だった。1950年『婦人画報』編集部に戻る。55年、石原慎太郎は「太陽の季節」が芥川賞をとる前に編集部を訪ね、矢口がルポ「スポーツ・ゲート」を連載させた。62年取締役編集長となり、銀座の酒場で山口瞳と知り合い、「江分利満氏の優雅な生活」を連載させる。
長井 勝一(ながい かついち、1921年4月14日 - 19… 長井 勝一(ながい かついち、1921年4月14日 - 1996年1月5日)は、日本の編集者、実業家。青林堂の創業者で、漫画雑誌 『月刊漫画ガロ』の初代編集長。 白土三平、水木しげる、つげ義春、花輪和一、蛭子能収、矢口高雄、滝田ゆう、淀川さんぽ、楠勝平、佐々木マキ、林静一、池上遼一、安部慎一、鈴木翁二、古川益三、ますむらひろし、勝又進、つりたくにこ、川崎ゆきお、赤瀬川原平、内田春菊、丸尾末広、ひさうちみちお、根本敬、南伸坊、渡辺和博、みうらじゅん、杉浦日向子、近藤ようこ、やまだ紫、山田花子、ねこぢる、山野一、泉昌之、西岡兄妹、東陽片岡、魚喃キリコ、など有名作家にもなった異才を多数輩出した編集者の一人。
三田村 裕(みたむら ゆう / ひろし、1921年 - 19… 三田村 裕(みたむら ゆう / ひろし、1921年 - 1980年)は、日本の編集者、翻訳家。本名・三戸森 毅(みともり つよし)。早稲田大学文学部心理学科卒業。 実業之日本社の編集者だったが、福島正実からSFの編集者としてスカウトされ、早川書房に1年間在籍。その後タトル著作権部に入るが、のちに退社して翻訳家になる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月… 三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月4日 - 2023年(令和5年)1月12日)は、日本の編集者、著述家。中央公論社編集局長、商品科学研究所所長などを務めた。旧姓、若尾。 若尾金造の三女として山梨県甲府市に生まれる。生家の若尾家は甲州財閥の中心的存在だった。 1938年東洋英和女学院高等部、1941年日本女子大学を卒業。1942年、同郷の三枝守雄と結婚。守雄は東大生時代に本郷追分のYMCAに寄宿していたことから佐枝子と知り合った。 守雄が気付いた新聞の三行広告をきっかけに、1946年4月に中央公論社に入社。 1958年9月、嶋中鵬二に代わって『婦人公論』編集長となり、日本で初めて商業誌の女性編集長となった。
伊達 得夫(だて とくお、1920年9月10日 - 1961… 伊達 得夫(だて とくお、1920年9月10日 - 1961年1月16日)は日本の編集者、出版社経営者。書肆ユリイカ代表。 釜山広域市生まれ。旧制京城中学校卒業まで、京城で過ごす。旧制福岡高等学校を経て、1943年、京都帝国大学経済学部卒業。出征して北支や内蒙古で転戦し、戦後に上京して前田出版社に勤務。 原口統三『二十歳のエチュード』の出版を手がけ、同書をベストセラーとする。1948年、同書の紙型を持って独立し、書肆ユリイカを創立。1950年頃から主に詩書を出版。1956年、詩誌『ユリイカ』を創刊。没後の1962年に遺稿集『ユリイカ抄』が刊行され、その業績により第1回藤村記念歴程賞を受けた。
古山 高麗雄(ふるやま こまお、1920年〈大正9年〉8月6… 古山 高麗雄(ふるやま こまお、1920年〈大正9年〉8月6日 - 2002年〈平成14年〉3月11日)は、日本の小説家、随筆家、編集者。芥川賞作家。 主として太平洋戦争(大東亜戦争)下の徴兵での従軍体験や、復員後の生活を舞台にした小説を発表し、いかなる場においても変わることのない人間のありかたを描き出した。 PL教団主宰の『芸術生活』誌では編集専従のデスク(副編集長)で入社し、のち編集長。『季刊藝術』誌では、音楽を担当する遠山一行、文学を担当する江藤淳、美術を担当する高階秀爾と共に、専任の編集長として同人を組み発行した。 編集者として、森敦を見出すなど、広い識見を高く評価される。また人脈も広く、予備校時代の安岡章太郎をはじめ、遠藤周作、寺山修司、田中小実昌、吉田満、小島信夫、円地文子らと深い交流を持った。
北川 晃二(きたがわ こうじ、1920年6月4日 - 199… 北川 晃二(きたがわ こうじ、1920年6月4日 - 1994年2月27日)は、日本の編集者、ジャーナリスト、小説家。フクニチ新聞社社長。 福岡県添田町出身。 1938年福岡県中学修猷館を経て、1943年西南学院高等部英文科を卒業。 北京日本大使館調査課報道班に勤務。応召によって北支派遣軍第63師団から久留米師団に転属、同地で終戦を迎えた。 復員後、福岡市の図書出版惇信堂に入社し、南風書房を設立。1946年6月、真鍋呉夫らと文芸誌「午前」を創刊。創刊号に掲載された小説「逃亡」が火野葦平に賞賛され、第1回九州小説賞を受賞。編集者として檀一雄、三島由紀夫らの寄稿を得るなど手腕を発揮する一方、新鋭作家として注目され東京の文芸誌「群像」などに作品を発表した。
大橋 鎭子(おおはし しずこ、1920年〈大正9年〉3月10… 大橋 鎭子(おおはし しずこ、1920年〈大正9年〉3月10日 - 2013年〈平成25年〉3月23日)は、日本の女性編集者・エッセイスト。暮しの手帖社社主・元社長で同社の雑誌『暮しの手帖』を創刊した。妹の大橋芳子も同社創業メンバーの一人で、エッセイスト。 父の大橋武雄は岐阜県大垣市出身。武雄は父親を結核で早くに亡くし、10歳の時に東京・深川の材木商をしていた親戚の大橋谷吉の養子となり、府立一中を経て北海道帝国大学農学部卒業後1919年4月中越製布(現・日本製麻)に就職。母、宮原久子は京都生まれ小樽育ちで、父の宮原満吉は新潟で油田を掘り当て財を築いた実業家だった。久子は女子美術学校を卒業後、北海道時代に知り合った武雄と1919年5月に結婚。
那須 国男(なす くにお、1917年9月20日 - )は、日… 那須 国男(なす くにお、1917年9月20日 - )は、日本の作家、編集者、評論家、翻訳家。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。太平洋戦争時中ヴェトナムの日本大使館に勤務。 戦後、『個性』『人間』編集次長。1949年「還らざる旅路」で芥川賞候補。 フランス語の翻訳などしたのち、アフリカ評論家となる。
橋本 善次郎(はしもと ぜんじろう、1917年 - 1990… 橋本 善次郎(はしもと ぜんじろう、1917年 - 1990年)は探偵公論社の編集者兼経営者。江戸川乱歩等による連作小説『江川蘭子』や、探偵小説雑誌などを編集・発行した。日本推理作家協会所属。 中央大学・専修大学卒。 本業は会計士。江戸川乱歩によれば、「戦前の「ぷろふいる」の寄稿家で、古い探偵ファン」であり、「面白い風格の人で作家たちにも敬愛されていた」という。 1947年(昭和22年)4月に探偵公論社から『真珠』を創刊するが、1948年(昭和23年)8月発行の第7号で廃刊。1949年(昭和24年)1月に真珠文庫社から『探偵趣味』を創刊するが、1号限りで廃刊。このほか、探偵公論社からは『殺人迷路』『江川蘭子』などの探偵小説本も刊行した。
小池 喜孝(こいけ きこう (別名よしたか))、1916年(… 小池 喜孝(こいけ きこう (別名よしたか))、1916年(大正5年)9月11日 - 2003年(平成15年)11月28日)は、日本の教育者、編集者、歴史研究者。東京都出身。 1916年(大正5年)9月11日、東京府北多摩郡東村山村(現:東京都東村山市)に小池喜八(東村山化成小学校の校長)とキク(または喜久)の長男として出生。1936年(昭和11年)に東京府青山師範学校を卒業。小学校教師として東郷小学校に勤務する傍ら、法政大学高等師範部に通い、歴史や社会学の教科研究を続ける。太平洋戦争中は鷺宮国民学校(現:中野区立鷺宮小学校)に赴任し、福島県へ児童らと疎開した。 戦後は、東京都教育労働組合執行委員に選出され、書記局員を務めるが、1948年(昭和23年)にGHQから教職追放令が下ると公職追放となった。
塩谷 賛(しおたに さん、1916年8月28日 - 1977… 塩谷 賛(しおたに さん、1916年8月28日 - 1977年5月8日)は、編集者、幸田露伴研究家。本名は土橋利彦。 東京府生まれ。東京府立第三中学校を卒業後、1942年甲鳥書林に入社、44年幸田露伴の許を訪れ、そのまま助手となり『評釈芭蕉七部集』などの口述筆記にたずさわる。46年『中央公論』に「天皇」を発表。47年露伴の没後は、岩波書店「露伴全集」ほかの編纂に携わり、娘の「幸田文全集」中央公論社ほかの編纂にも関わった。 1960年失明。音声テープ等を用い約五年がかりで評伝『幸田露伴』を執筆、1968年に第20回読売文学賞を受賞。
清水 晶(しみず あきら、1916年8月27日 - 1997… 清水 晶(しみず あきら、1916年8月27日 - 1997年4月30日)は、日本の映画評論家、編集者である。『映画評論』編集長、フィルム・ライブラリー協議会(のちの川喜多記念映画財団)事務局長、川喜多記念映画財団常務理事、慶應義塾大学講師等を歴任した。 1916年(大正5年)、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。 東京帝国大学(現在の東京大学)文学部美学科に入学、在学中の1938年(昭和13年)、映画評論を開始する。1941年(昭和16年)、同学を卒業、日本映画雑誌協会に勤務する。1942年(昭和17年)、中国の上海に渡り、中華電影公司に入社する。1943年(昭和18年)、帰国し、『映画評論』誌の編集長に就任する。
小宮山 量平(こみやま りょうへい、1916年5月12日 -… 小宮山 量平(こみやま りょうへい、1916年5月12日 - 2012年4月13日)は、日本の編集者、元理論社社長。 長野県上田市の酒屋に生まれる。2歳で母、10歳で父と死別。父の死後まもなく酒屋は破産し、一家離散となる。小学校5年生のとき、親戚(叔母)を頼り東京に転校。小学校卒業後は、第一銀行で渋沢敬三の給仕をして働きながら大倉商業学校(東京経済大学の前身)の夜間部に通う。在学中、左翼運動サークルを結成。しかし、特別高等警察に勾留され拷問を受けて転向。釈放後、特高警官(給仕時代の先輩の父親)から支援を受け、旧制中学校への編入と卒業資格を得て、東京商科大学(現一橋大学)専門部に進学。在学中から雑誌「統制と経済」の編集を手掛ける。
石黒 清介(いしぐろ せいすけ、1916年3月17日 - 2… 石黒 清介(いしぐろ せいすけ、1916年3月17日 - 2013年1月27日)は、歌人、編集者、出版人。短歌新聞社元社長。 新潟県三条市生まれ、栃尾市育ち。本名は清作。1940年、同郷の詩人内藤鋠策と『抒情詩』を復刊する。1943年応召を受け、中国、仏領インドシナなどで従軍。戦後、郷里新潟県で「越後短歌」を創刊。 1953年東京で短歌新聞社を創立、月刊短歌情報誌『短歌新聞』を発刊。1977年に月刊短歌総合誌『短歌現代』を創刊した。以後、2011年12月の廃業まで一貫して社長を務めた。名歌集を安価で読める「短歌新聞社文庫」、新鋭歌人による「現代歌人叢書」「現代女流短歌全集」の創刊や、短歌現代新人賞の創設、『短歌現代』編集長に高瀬一誌を起用するなどの施策を打ち出し、戦後短歌に大きな影響を与えた。
川合 道雄(かわい みちお、1916年- )は、日本近代文学… 川合 道雄(かわい みちお、1916年- )は、日本近代文学・文化研究者、編集者。 京都府生まれ。川合信水(山月)の次男。早稲田大学文学部国文学科卒。博文館編集局、高校等に勤務の後、早稲田大学文学部非常勤講師。1977年国士舘短期大学教授、国士舘大学文学部教授、89年退職。早稲田大学国文学会名誉会員。
今井田 勲(いまいだ いさお 1915年8月1日 – 198… 今井田 勲(いまいだ いさお 1915年8月1日 – 1989年6月24日)は鹿児島県出身の編集者。 鹿児島県熊毛郡南種子町(種子島)生まれ。旧制中学校時代、今井田榕舟(ようしゅう)の名で自由律短歌を制作し、雑誌にたびたび入選。 1936年日本大学芸術科卒業。1938年、400倍以上の競争率を突破して主婦之友社(現在の主婦の友社)に入社。初代社長石川武美と『主婦の友』編集長本郷保雄に鍛えられる。『主婦之友花嫁講座』全12巻や『続主婦之友花嫁講座』全8巻、『世界名作家庭文庫』全50巻で成功を収める。 数年後に、主婦の友社・講談社・新潮社などの出資で設立された大東亜出版に出向、内閣情報局が大東亜共栄圏のための青年向けに発行した雑誌『ヒカリ』の編集長となる。
山本 夏彦(やまもと なつひこ、1915年6月15日 - 2… 山本 夏彦(やまもと なつひこ、1915年6月15日 - 2002年10月23日)は、日本の随筆家・編集者。東京市下谷根岸出身。 東京の下谷根岸に生まれる。父・山本三郎(1879-1928)は、坪内逍遥に傾倒し慶応から早稲田に転学し、詩人・山本露葉として児玉花外、山田枯柳らとともに若手の新体詩人として注目されたが、夏彦は三男で小学6年時に、父は50歳で亡くなった。なお祖父は高利貸しの山本義上(1848-1909)で、父の代は資産家であった。 父・露葉の友人であった武林無想庵に連れられ15歳で渡仏。3年後に帰国し、24歳のときにフランス童話『年を歴た鰐の話』の翻訳で文壇デビュー。戦後まもない1950年に工作社を創立、没時まで編集兼発行人、コラムニストとしても活動した。
荻原 秀夫(おぎわら ひでお、1915年〈大正4年〉4月23… 荻原 秀夫(おぎわら ひでお、1915年〈大正4年〉4月23日 - 2004年〈平成14年〉6月14日)は、日本の小説家、編集者、警察官。 群馬県佐波郡宮郷村(現・伊勢崎市)に生まれる。内務省警察講習所(警察大学校)卒。警視庁に十年間勤務し、山岡荘八に師事、戦後犯罪小説や推理小説を書いた。1951年日本出版タイムス社に迎えられ、『週刊タイムス』編集局長を勤める。妻は詩人の荻原欣子(1925-2018)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山本 悍右(やまもと かんすけ、1914年3月30日 - 1… 山本 悍右(やまもと かんすけ、1914年3月30日 - 1987年4月2日)は、名古屋市を拠点に、戦前から戦後にかけて活動した日本の写真家、詩人、編集者である。 1930年代から1940年代にかけて、名古屋の前衛的な詩・写真・出版のネットワークのなかで、シュルレアリスム写真やフォトモンタージュを制作し、詩誌『夜の噴水』の編集・発行、VOUへの参加、写真グループ青憧社の会報『CARNET BLEU』の編集など、詩・写真・出版をまたぐ活動を展開した。 その活動は戦時下の統制強化と重なり、『夜の噴水』の終刊や警察の取り調べを経験し、ナゴヤ・フォトアバンガルドの改称と解散にも直面した。 没後は2001年の東京ステーションギャラリーにおける回顧展、2013年のJ・ポール・ゲティ美術館での「Japan's Modern Divide」展、2021年・2022年のメトロポリタン美術館・テート・モダン共同企画「Surrealism Beyond Borders」展、名古屋市美術館、東京都写真美術館の展覧会などを通じて再評価が進んだ。
十返 肇(とがえり はじめ、1914年〈大正3年〉3月25日… 十返 肇(とがえり はじめ、1914年〈大正3年〉3月25日 - 1963年〈昭和38年〉8月28日)は、香川県出身の作家、文芸評論家、編集者。 本名は十返 一(とがえり はじめ)。筆名=大方宗多(オオカタ ソウダ)。 高松市生まれ。料亭・淀川楼の長男に生まれる。 旧制高松中学校を経て、1935年(昭和10年)日本大学芸術科卒業。在学中から中河与一主宰「翰林」の同人となり、文芸時評を連載。東京市麹町区土手三番町に下宿していたとき、近所の吉行エイスケに師事。 森永製菓宣伝部に勤務。後に、第一書房に入社して「新文化」(「セルパン」改題) 編集長。 戦後、丹羽文雄に勧められて十返肇という筆名を名乗る。
木呂子 敏彦(きろこ としひこ、男性、1914年(大正3年)… 木呂子 敏彦(きろこ としひこ、男性、1914年(大正3年)3月11日 - 2005年(平成17年)4月)は、農業家・教育者・アイヌ史研究家・編集者。館林藩の自由民権運動家・木呂子退蔵の孫。
斎藤 十一(齋藤 十一、さいとう じゅういち、1914年(大… 斎藤 十一(齋藤 十一、さいとう じゅういち、1914年(大正3年)2月11日 - 2000年(平成12年)12月28日)は、昭和期の編集者・出版人。
宮崎 宣久(みやざき のぶひさ、1914年(大正3年) - … 宮崎 宣久(みやざき のぶひさ、1914年(大正3年) - 1992年(平成4年))は、日本の出版人、編集者である。1914年(大正3年)、福岡市博多区須崎の生まれ。1932年(昭和7年)3月、福岡中学卒業。1936年(昭和11年)3月、福岡高等学校文科甲類を卒業。中学・高校時代の同級生には大西巨人がいる。 その後、東京帝国大学経済学部経済科に進学し、在学中は帝大新聞の編集に参画。卒業後は朝日新聞社の記者を務める。 1946年(昭和21年)4月、福岡で三帆書房を設立し、総合文化誌「文化展望」を創刊。編集には宮崎宣久・高田康治・大西巨人・牟田口宗一郎があたった。創刊号には太宰治の「十五年間」が掲載され、他にも織田作之助は「都市展望 大阪」を、坂口安吾は「ぐうたら戦記」、野間宏は「兄弟」などの作品が掲載された。
桑原 甲子雄(くわばら きねお、1913年〈大正2年〉12月… 桑原 甲子雄(くわばら きねお、1913年〈大正2年〉12月9日 - 2007年〈平成19年〉12月10日)は、日本の写真家、写真評論家、編集者。 東京府東京市下谷車坂町(現東京都台東区東上野)に生まれる。濱谷浩とは幼なじみ。1926年に東京市立第二中学校(現都立上野高校)入学。1931年の卒業後、体をこわし進学を断念。家業の質屋を手伝うが商売が厭わしく、同じ町内に住んでいた濱谷の影響もあって、中古のベスト・ポケット・コダックを手に入れ写真を撮りはじめる。1934年にはライカI(C)型をフォーディス距離計付きで父親に200円で買ってもらい、アマチュア写真家として活発に活動を始め、1934年のうちに浅沼商会発行の写真雑誌『写真新報』主催、シュミット商会協賛のライカ作品公募コンクール第2回の特賞を獲得している。
扇谷 正造(おうぎや しょうぞう、1913年3月28日 - … 扇谷 正造(おうぎや しょうぞう、1913年3月28日 - 1992年4月10日)は日本の文筆家、編集者、ジャーナリスト。 "週刊誌の鬼"の綽名で知られた。 宮城県遠田郡涌谷町出身。旧制石巻中学、旧制二高を経て、1935年に東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、朝日新聞社に入社。青森支局、仙台支局を経て、1937年に社会部記者、1938年に従軍記者として第101師団に配属され、武漢作戦に参加。1941年12月、再度従軍記者となり、フィリピンのリンガエン湾に上陸。 1944年(昭和19年)3月に補充兵として召集され、歩兵第4連隊に入営。朝鮮の羅南で三カ月の訓練を受け、通信兵となる。湘桂作戦(ト号作戦)に参加。
戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日… 戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日 - 1997年〈平成9年〉11月7日)は、日本の紀行文作家、編集者。1983年(昭和58年)に第1回日本旅行作家協会賞を受賞した。 東京府(後の東京都)日本橋浜町生まれ。父の仕事の関係で、5歳の頃から小学4年までを横浜市神奈川区で過ごし、日本国外への憧れを抱いて育った後に、東京への転居を経て兵庫県神戸市に移った。 1934年(昭和9年)に日本女子大学英文科卒業後、女性として初めてジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)に入社した。東京駅案内所の案内係を経て、同社発行の雑誌『旅』編集部に移り、世界各国の数々の旅行情報を読者へ紹介した。
中原 淳一(なかはら じゅんいち、1913年〈大正2年〉2月… 中原 淳一(なかはら じゅんいち、1913年〈大正2年〉2月16日 - 1983年〈昭和58年〉4月19日)は、日本の画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーター、人形作家。 妻は宝塚歌劇団元男役トップスターの葦原邦子。長女芙蓉、長男洲一、次男蒼二、次女すみれの二男二女があり、長男は画家。姪はシャンソン歌手の中原美紗緒。俳優・声優の加古臨王は孫。 先祖は物部姓中原氏といわれる。 幼少の時より絵や造形に才能を示し、18歳の時、趣味で作ったフランス人形が認められて東京の百貨店で個展を開催。それがきっかけで雑誌『少女の友』の挿絵、口絵、表紙絵、付録等を手掛けるようになり、一世を風靡する人気画家となる。
松田 銑(まつだ せん、1913年 - 2002年)は、日本… 松田 銑(まつだ せん、1913年 - 2002年)は、日本の翻訳家、編集者。岡山県岡山市出身。 1913年(大正2年)岡山県岡山市に生まれる。旧制岡山第一中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)、旧制第六高等学校を経て、1939年(昭和14年)東京帝国大学経済学部を卒業する。実家の家業を手伝うが、戦時下、上京して農業関係の団体に就職。横浜正金銀行、日本銀行、ワシントンD.C.の世界銀行、メルボルンのオーストラリア放送協会、『リーダーズ・ダイジェスト』日本語版編集長などを務め、翻訳家となる。アレックス・ヘイリー『ルーツ』の翻訳で知られる。 映画監督の内田吐夢の甥にあたる。