平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19… 平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19日 - 1996年(平成8年)1月9日)は、日本の外交官。作家三島由紀夫の弟。駐モロッコ特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使、赤坂迎賓館館長などを歴任した。位階は正三位。 1930年(昭和5年)1月19日、東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番)に、父・平岡梓(農商務官僚)と母・倭文重(漢学者・橋健三の次女)との間に二男として生まれる。2歳上に、1928年(昭和3年)2月23日生まれの姉・美津子と、5歳上の1925年(大正14年)1月14日生まれの兄・公威がいた。千之の名は、祖父・平岡定太郎の恩人・江木千之に由来する。
村角 泰(むらずみ やすし、1929年12月2日 - )は、… 村角 泰(むらずみ やすし、1929年12月2日 - )は、日本の外交官。外務省儀典長、駐スウェーデン特命全権大使、駐ブラジル特命全権大使などを務めた。 関東州大連市出身。郷里和歌山県で中学校教諭を務めたのち、1953年一橋大学を卒業して外務省入省。同期入省には栗山尚一、平岡千之、三宅和助などがいる。 外務省海外広報課長、外務大臣官房文書課長を経て、外務省情報文化局参事官として、広報を担当。東京サミットでは、国内外のジャーナリストの対応を行った。1979年に設置された内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議事務局の初代事務局長に就任し、難民定住者受け入れのための法人作りなどにあたった。 経済協力開発機構日本政府代表部特命全権公使を経て、1983年7月から在アメリカ合衆国日本国大使館特命全権公使、1985年8月からイラク駐箚特命全権大使を務めたのち、1987年10月に外務省儀典長に就任。
平泉 渉(ひらいずみ わたる、1929年11月26日 - 2… 平泉 渉(ひらいずみ わたる、1929年11月26日 - 2015年7月7日)は、日本の政治家、外交官。衆議院議員・参議院議員、科学技術庁長官・経済企画庁長官を歴任。 1929年に福井県勝山市で生まれる。父は当時東京帝国大学助教授で後に教授となる国史学者の平泉澄。旧制東京高等学校を経て、1952年に東京大学法学部政治学科を卒業後、外務省入省。フランス語研修員として、フランスのグルノーブル政治学院、エクス=マルセイユ大学などに学んだ。その後、在フランス大使館に勤務し、1954年に訪仏した鹿島守之助を案内したことがきっかけで守之助に見込まれ、その三女・三枝子と結婚。やがて国連代表部二等書記官、在イラン大使館一等書記官を経て、1965年、守之助に日本に呼び戻されて鹿島建設の専務取締役となり、同年、第7回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から立候補し、初当選。
村田 良平(むらた りょうへい、1929年(昭和4年)11月… 村田 良平(むらた りょうへい、1929年(昭和4年)11月2日 - 2010年(平成22年)3月18日)は、日本の外交官。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使、駐ドイツ連邦共和国大使などを歴任した。退官後、日米核持ち込み問題について、日米核密約の存在を実名で証言した。 京都府出身。旧制桃山中学校、旧制第三高等学校を経て、京都大学法学部卒業後、1952年(昭和27年)外務省入省。 ドイツ語研修、在ドイツ連邦大使館、経済局欧州課、在オーストリア大使館などを経て、経済局国際機関第二課長、在アメリカ合衆国日本大使館参事官、条約局参事官、中近東アフリカ局長、駐アラブ首長国連邦大使、駐オーストリア大使、経済局長、外務審議官(政務担当)、外務事務次官を歴任。
矢田部 厚彦(やたべ あつひこ、1929年9月17日 - )… 矢田部 厚彦(やたべ あつひこ、1929年9月17日 - )は、日本の元外交官。筆名綾部克人(あやべ かつひと)。 東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、中退して外務省に入る。駐ベトナム大使、海外経済協力基金理事、1986年大臣官房付。1987年駐オーストリア大使、1989年帰国し待命、1990年駐ベルギー大使、兼ルクセンブルク大使、1992年駐フランス大使。兼ジブチ大使、1994年EC日本政府代表部特命全権大使、同年退官後はソニー顧問を務めた。1999年秋、勲二等旭日重光章受勲。NPO日本アンリ・ファーブル会会長を務める。 父は駐タイ特命全権公使の矢田部保吉。矢田部和彦(パリ第7大学助教授)は長男、矢田部吉彦(元東京国際映画祭プログラミングディレクター)は次男。
赤松 良子(あかまつ りょうこ、1929年〈昭和4年〉8月2… 赤松 良子(あかまつ りょうこ、1929年〈昭和4年〉8月24日 - 2024年〈令和6年〉2月6日)は、日本の労働官僚、外交官、政治家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。筆名は青杉 優子。在ウルグアイ大使、文部大臣、公益財団法人日本ユニセフ協会会長を歴任した。女性の政治参画拡大を目指す市民団体「Qの会」代表。労働省の婦人局長として、1986年に施行された男女雇用機会均等法の成立に尽力し「均等法の母」と呼ばれた。 労働省婦人局長時代、男女雇用機会均等法制定の中核となった。細川護熙、羽田孜両内閣で文部大臣を務めたほか、国際女性の地位協会会長なども務めた。選択的夫婦別姓制度実現をめざす民法改正運動を行っているネットの呼びかけ人でもある。
関 榮次(せき えいじ、1929年7月 - 2020年7月2… 関 榮次(せき えいじ、1929年7月 - 2020年7月21日[要出典])は、日本の外交官、ノンフィクション作家。沖縄県北大東島出身。 沖縄県北大東島生まれ。旧制松山高等学校を経て、1953年に東京大学法学部卒業、外務省入省。 1954年オハイオ州アンティオーク大学留学、1955年在米国日本大使館外交官補 。 帰国後は、経済局、通商産業省出向、経済協力局を経て、インドネシア、連合王国(イギリス)、タイ、ユーゴスラビア、ブラジルに在勤 。本省では、国際連合局経済課長、法務省入国管理局総務課長、国際連合局担当審議官などを歴任。 1981年‐1983年駐ザンビア大使、駐連合王国特命全権公使、海外経済協力基金理事、1989年‐1992年駐ハンガリー大使を歴任した。
今井 隆吉(いまい りゅうきち、1929年2月16日ー201… 今井 隆吉(いまい りゅうきち、1929年2月16日ー2012年10月10日)は、日本の原子力問題の専門家、外交官、新聞記者、原子力技術者、科学評論家。専門は核不拡散、保障措置など。 1929年(昭和4年)、父今井文平(元大倉鉱業、元大倉商事会長)、母信子(または信、小坂善之助五女)の五男として東京に生まれる。兄に今井兼一郎(元日本機械学会会長)がある。元外務大臣小坂善太郎、元運輸大臣小坂徳三郎兄弟らは従兄弟にあたる。 少年時代、エドウィン・O・ライシャワー夫人から英語を習った。 旧制東京府立高等学校から、1952年東京大学理学部数学科卒、ガリオア資金で米国留学し、フレッチャー法律外交大学院(M.A)および1956年ハーバード大学大学院国際関係学修士(A.M)。
海野 芳郎(うんの よしろう、1928年6月30日 - 20… 海野 芳郎(うんの よしろう、1928年6月30日 - 2012年12月21日)は、日本の歴史学者・国際政治学者・外交官。専門は国際政治史、日本外交史。静岡県出身。 富士宮市生まれ。富士中学校(旧制)、静岡高等学校 (旧制)を経て、東京大学文学部西洋史学科に進む。1953年に卒業し、事務官として外務省に入省。1961年から在フランス日本国大使館に勤務し、1965年に帰国。その後、外務省百年史編纂委員・日本外交文書編纂委員となり、1971年からは外交史料館編纂室に勤務。1979年に専門官となり、翌年に外交文書編纂室長に就任した。1982年から新潟大学法学部教授を務め、1994年には新潟国際情報大学教授となった。
色摩 力夫(しかま りきを、1928年5月13日 - 202… 色摩 力夫(しかま りきを、1928年5月13日 - 2022年11月24日)は、日本の外交官。国家基本問題研究所客員研究員。浜松大学教授。 神奈川県横浜市生まれ。仙台陸軍幼年学校卒業、陸軍士官学校61期。東京大学文学部仏文学科卒業。 1954年、外務省入省、スペイン留学、国際連合局社会課長、アメリカ局中南米参事官、内閣官房インドシナ難民連絡調整会議事務局長、サン・パウロ総領事を経て、ホンジュラス大使、コロンビア大使、チリ大使を歴任。 1992年に退官し、浜松大学国際経済学部教授。2003年退職。 1998年、勲二等瑞宝章受章。
大鷹 弘(おおたか ひろし、1928年2月25日 – 200… 大鷹 弘(おおたか ひろし、1928年2月25日 – 2001年4月21日)は、日本の外交官。駐ビルマ(ミャンマー)大使、法務省入国管理局長などを務めた。父は外交官の大鷹正次郎、妻は女優で参議院議員を務めた大鷹淑子。双子の弟、大鷹正、正の子である大鷹正人も外交官である。 東京府出身。父親の転勤で青島第二小学校を5年終了で東京に移り、東京市立番町尋常小学校に転校する。旧制武蔵高等学校を経て、1950年東京大学法学部卒業後、1951年に外務省に入省する。ベルギー公使、フィジー、スリランカ各大使などを歴任し、1987年から1990年まで駐ビルマ(ミャンマー)大使を務めた。 2001年4月21日午前11時21分、肺炎のため、東京都足立区の病院で死去。
大鷹 正(おおたか ただし、1928年2月25日 - )は、… 大鷹 正(おおたか ただし、1928年2月25日 - )は、日本の外交官。元駐オランダ大使。 妻は日本チェコ友好協会名誉会長の大鷹節子。父の大鷹正次郎と双子の兄・大鷹弘、弟の大鷹市郎、長男の大鷹正人も外交官。 東京都出身。陸軍幼年学校を経て航空士官学校在学中に終戦。復員後、都立高校を経て東京大学法学部卒業後、外務省に入省。パラグアイ、チェコスロバキア、オランダ大使を歴任。迎賓館長を経て退官。
武田 龍夫(たけだ たつお、1928年(昭和3年)- 200… 武田 龍夫(たけだ たつお、1928年(昭和3年)- 2007年(平成19年))は、日本の随筆家、外交官で、北欧文化協会理事長などを務めた。 武田竜夫とも表記する。夫人の武田和子(1938年生)は絵本画家。 北海道室蘭市出身。1954年に中央大学法学部卒。1954年(昭和29年)から外務省よりストックホルム大学にスウェーデン語留学生として派遣された。日本帰国後は在スウェーデン、デンマークの各・大使館の一等書記官、外務省北欧担当官などを経て、宮内庁式部官、イスタンブール総領事、東海大学教授、大阪外国語大学、立教大学非常勤講師などを歴任し、北欧関係の執筆著述を多く行った。 「世界日報」紙の常連寄稿者の1人で、同紙を賛美するメッセージを寄せている。
伊達 宗起(だて むねおき、1927年10月 - )は、日本… 伊達 宗起(だて むねおき、1927年10月 - )は、日本の外交官。外務大臣官房長、外務省条約局長等を経て、欧州共同体日本政府代表部特命全権大使在任中譴責処分を受け解任された。 東京府出身。東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)、浦和高等学校、東京大学法学部を経て、1950年外務省入省。在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部二等書記官、同一等書記官を経て、1965年内閣法制局参事官(第三部)。1968年外務省アジア局北東アジア課長。 1970年在ベルギー日本国大使館一等書記官。同参事官を経て、1973年外務省条約局外務参事官。1974年外務公務員採用上級試験委員。1976年外務省情報文化局外務参事官。
木内 昭胤(きうち あきたね、1927年〈昭和2年〉9月1日… 木内 昭胤(きうち あきたね、1927年〈昭和2年〉9月1日 - )は、日本の外交官。フランス駐箚特命全権大使などを歴任した。 東京都出身。父は外交官の木内良胤、母は宮内次官、枢密顧問官を歴任した関屋貞三郎の長女淑子。次男は元衆議院議員の木内孝胤。 東京大学法学部を卒業し、1951年(昭和26年)4月、外務省に入省する。外務省ではパリ、モスクワ、ワシントンD.C.、ロンドン等の在外公館勤務を経て、田中角栄が首相時代、総理大臣秘書官を務めた。 退官後は、住友銀行顧問、アクサ生命保険会長、アジア開発キャピタル会長などを歴任した。また、細川内閣では細川護熙首相の私的諮問機関であった「経済改革研究会」のメンバーとして規制改革に関するレポートを作成した。
大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 … 大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 2015年〈平成27年〉11月13日)は、日本の政治家、外交官。全国地球温暖化防止活動推進センター代表。位階は従三位。 環境大臣(第3代)、環境庁長官(第35代)、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。 愛知県西春日井郡西枇杷島町(現清須市)出身。愛知県立第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)時代は岡井隆と同級生で仲が良かった。第八高等学校を経て、旧制松本高校文科卒業後、海軍兵学校(第76期)で終戦を迎え、東京大学法学部卒業。 1952年東大卒業後、外務省に入省した。ワシントン、ベオグラード、ジュネーブでの在外公館勤務。外務省欧亜局東西通商課長、欧亜局東欧第一課長、報道課長、官房総務参事官を経て、1978年官房審議官・多角的貿易交渉担当大使、1979年在ホノルル総領事。
天羽 民雄(あもう たみお、1927年 - 1994年)は、… 天羽 民雄(あもう たみお、1927年 - 1994年)は、日本の外交官、国際政治学者。 中国ハルビン生まれ。東京大学法学部卒業後、外務省に入り数々の要職を歴任。ジョージタウン大学で学び外務省情報文化局長、駐ユーゴスラヴィア兼アルバニア大使、関西等担当特命全権大使を経て退官後、青山学院大学国際政治経済学部教授を務めた。 土山實男は同学部の特色として、学者以外に外交官や国際ジャーナリストを多く教員に迎えてきたと述べ、その一人に天羽の名を挙げている。また、政治学的にはリアリズムの立場を取っていたと指摘している。なお、『青山国際政経論集』33号(1995年)は「天羽民雄教授追悼号」となっている。
手島 冷志(てじま れいし、1927年 - )は、日本の外務… 手島 冷志(てじま れいし、1927年 - )は、日本の外務官僚、外交官。外務省経済局長、外務審議官(経済担当)などを歴任し、GATT35条援用(GATT協定不適用)問題等に関わった。 1927年、石川県金沢市生まれ。父は手島治雄(元日本陸軍情報将校)で、戦後は出光興産専務を務め日章丸事件に関わった。東京府立一中、一高、陸軍士官学校を経て、東大法学部入学。東大在学中の1950年3月に外交官領事官採用試験に合格し外務省入省。一高では英語・独語クラスに入ったが独語は理解能力を超えると自覚し、アテネ・フランセに通い、陸士では語学の授業は全く無かったが英文法の本を持参し、空襲退避中に自習した。大学も外務省もフランス語で受験し、入省後は「フレンチスクール」とされたが、外務省研修所ではフランス語の授業はなく、在外研修制度もなく仏留学の機会も無かった。
野田 英二郎(のだ えいじろう、1927年 - )は、日本の… 野田 英二郎(のだ えいじろう、1927年 - )は、日本の元外交官。
賀陽 治憲(かや はるのり、1926年〈大正15年〉7月3日… 賀陽 治憲(かや はるのり、1926年〈大正15年〉7月3日 - 2011年〈平成23年〉6月5日)は、日本の外交官。旧皇族、賀陽宮恒憲王の第2王子。海軍兵学校75期。1947年10月14日の皇籍離脱までは、治憲王(はるのりおう)。 1926年〈大正15年〉7月3日午前8時50分、賀陽宮恒憲王と同妃敏子の第2男子として誕生。御七夜の7月9日に「治憲」と命名された。 学習院初等科・学習院中等科を経て、1943年(昭和18年)12月1日、江田島海軍兵学校(75期)に入学。井上成美中将のもとで学んだ。入校式においては皇族の生徒として紹介を受け、同期生の敬礼を受けている(広島中央放送局ニュース再録に記録あり)。
橋本 恕(はしもと ひろし、1926年〈大正15年〉4月7日… 橋本 恕(はしもと ひろし、1926年〈大正15年〉4月7日 - 2014年〈平成26年〉4月6日)は、日本の外交官。駐中華人民共和国特命全権大使を歴任。徳島県鳴門市出身。位階は従三位。 駐中国特命全権大使であった1991年11月28日、外相兼副総理であった渡辺美智雄宛ての極秘電報「天皇御訪中(本使意見具申)」で、「中国は明年の国交正常化20周年に際し、官民あげて天皇訪中を切望し、これが実現すれば名実ともに日中間の戦後は終わり友好協力の新時代が確固不動になると強い期待を表明している」と天皇訪中の実現を強く訴えた。 また、天皇訪中の実現のため、政界工作やマスコミ工作を行った。橋本は1992年6月26日、共同通信社社長の犬養康彦と面会。
野村 豊(のむら ゆたか、1926年3月14日 - )は、日… 野村 豊(のむら ゆたか、1926年3月14日 - )は、日本の外交官、国際公務員。駐ヴェネズエラ特命全権大使等を経て、駐イラン特命全権大使。イランに在任中、「トルコ航空機によるテヘラン邦人救出事件」が発生。 第八高等学校を経て、1947年東京帝国大学法学部法律学科卒業、外務省入省、1951年イェール大学留学。 在連合王国日本国大使館一等書記官等を経て、1965年外務省経済協力局技術協力課長。1967年外務省経済協力局国際協力課長。 同年外務省経済協力局政策課長。1969年経済協力開発機構日本政府代表部参事官。1970年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1973年外務省国際連合局外務参事官。1974年外務省経済局次長。
中島 敏次郎(なかじま としじろう、1925年9月2日 - … 中島 敏次郎(なかじま としじろう、1925年9月2日 - 2011年12月13日)は、日本の外交官。条約局長、外務審議官、駐オーストラリア大使、駐中国大使、最高裁判所判事、あさひ法律事務所顧問等を歴任[要出典]。妻の康子は、第61代警視総監、のちに自由民主党衆議院議員であった田中栄一の次女[要出典]。 中島房吉、中島静子の間の4人兄弟の二男として生まれる。旧制第一高等学校、東京大学法学部を卒業し、1948年に外務省入省。在中国日本国特命全権大使として在任中に六四天安門事件が起こり、在留邦人を無事国外に避難させた。 婚外子相続差別訴訟の1995年7月5日の最高裁大法廷の判決では民法の婚外子相続差別規定を合憲とする多数意見に対して、違憲とする少数意見を表明した。
西田 誠哉 (にしだ せいや、1925年4月 - 2003… 西田 誠哉 (にしだ せいや、1925年4月 - 2003年8月20日)は、日本の外交官。国連大使、駐スイス特命全権大使、駐イタリア特命全権大使、外務省参与、愛知県顧問等を歴任。 鳥取県鳥取市出身。1945年旧制東京産業大学(のちの一橋大学)卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1946年外務省入省、経済部総務課。1951年-1952年ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院留学。1952年欧米局第一課。 1955年在連合王国大使館三等書記官、1958年国際連合局政治課、1962年大臣官房書記官、1963年在米国日本大使館一等書記官、1964年在イラン大使館一等書記官、1966年大臣官房書記官、1967年経済局スターリング地域課長。
柳谷 謙介(やなぎや けんすけ、1924年〈大正13年〉6月… 柳谷 謙介(やなぎや けんすけ、1924年〈大正13年〉6月19日 - 2017年〈平成29年〉11月18日)は、日本の外交官。 外務事務次官(第21代)、オーストラリア国駐箚特命全権大使、外務審議官、外務省大臣官房長、外務省情報文化局長などを歴任した。 東京府出身。学生時代は学徒出陣のため海軍に召集され、短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 その後、1948年(昭和23年)東京大学法学部を卒業。同年、外交官領事官採用試験に合格。外務省入省後、フランス、パキスタン、イギリスなどで勤務し、1959年(昭和34年)からは北東アジア課首席事務官を5年間務め、1965年(昭和40年)の日韓国交正常化への交渉を支えた。
本野 盛幸(もとの もりゆき、1924年3月15日 - 20… 本野 盛幸(もとの もりゆき、1924年3月15日 - 2012年8月24日)は、日本の外交官。元駐フランス大使。元日仏会館名誉理事長。元外務大臣本野一郎は祖父。 父親は外交官の本野盛一 (1895-1953)、母親は伊東義五郎の三女で日仏混血の清子(仏名レネー・マリー)。幼少時代は日本国外で暮らし、10歳になって日本に戻った。旧制学習院高等科から東北帝国大学を経て海軍に入り、軍令部特務班員となる。終戦後は東京大学法学部を経て外務省に入省し、外務公務員、外交官となった。 外務省経済局長、1978年から在モロッコ大使、在ニューヨーク総領事等を経て、1983年に外務審議官(経済担当)、1984年からフランス大使。
伴 正一(ばん しょういち、1924年1月1日 - 2001… 伴 正一(ばん しょういち、1924年1月1日 - 2001年5月26日)は、日本の弁護士、外交官。1972年から1977年まで第2代青年海外協力隊事務局長を務め、青年海外協力隊事業の立ち上げに尽力した。 1924年1月1日、香川県丸亀市に生まれる。父親は、税務署に勤務する官吏。1936年、(旧制)土佐中学校に入学。 1938年、海軍経理学校へ入学(33期)。卒業後、霜月に配属され、同艦艇でマリアナ沖海戦にも参戦した。1945年6月、内海海軍航空隊に異動。8月15日の終戦は、出張中の大分市で迎えた。 1946年、第二復員省を辞し、東京大学に入学。1948年、高等文官試験司法科に合格。大学卒業後、弁護士として活動を始める。
澤田 久雄(さわだ ひさお、1924年 - 2001年8月3… 澤田 久雄(さわだ ひさお、1924年 - 2001年8月30日)は、日本の外交官。 澤田廉三・美喜夫妻の次男として生まれた。京都帝国大学在学中に海軍に召集され予備少尉となる。特別攻撃隊に入隊するが出動の2週間前に終戦となり復員した。 復学後、1947年1月に国公立大学では初めてとなる京都大学アメリカンフットボール部・京都大学ギャングスターズを創設し、初代主将を務めた。ポジションはセンターであった。 創部当初は、同志社大学ワイルドローバーの主将・伊藤荘造からユニフォームの貸し出しや練習に付き合ってもらうなど多くの手助けを受けたという。その後、ダンスパーティーを主催し、その売上でユニフォームや防具の費用を賄った。
宮澤 泰(みやざわ やすし、1923年〈大正12年〉8月5日… 宮澤 泰(みやざわ やすし、1923年〈大正12年〉8月5日 - 2010年〈平成22年〉9月10日)は、日本の外交官。駐西ドイツ大使。位階は従三位。 宮澤裕の三男として生まれる。東京高師附属小(現・筑波大附属小)、武蔵高等学校を経て東京大学法学部政治学科卒業。外務省に入り、西ドイツ公使、1977年2月から欧亜局長、外務省大臣官房審議官を経て、1980年12月から駐アルジェリア大使、1983年4月から駐オーストリア大使、1986年1月から駐西ドイツ大使を歴任。1993年11月、勲二等旭日重光章受勲。2010年死去。死没日付をもって従三位に叙された。 宮澤三兄弟の幼少の頃を知るいとこの和田貞子は「三人はいずれも2歳違いで、とても仲の良い兄弟だった。
松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月1… 松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月16日 - 2011年(平成23年)12月1日、満88歳没)は、日本の外交官、外務省官僚。位階は正三位。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使を歴任。 1965年(昭和40年)6月22日日韓基本条約交渉の際には条約課長として交渉の実担当となり、論点の一つだった韓国の対日請求権について「日韓請求権並びに経済協力協定によって韓国の日本に対する一切の財産及び請求権問題に対する外交的保護権は放棄されている」とした内容で締結に導いた。
中江 要介(なかえ ようすけ、1922年12月30日 - 2… 中江 要介(なかえ ようすけ、1922年12月30日 - 2014年3月6日)は、日本の外交官。駐中華人民共和国大使などを務めた。位階は従三位。 1922年(大正11年)、大阪府生まれ。北野中学校、旧制第三高等学校を経て、京都大学法学部卒業、外務省に入省。チャイナ・スクールと誤解されることが多いが、実際はフランス語研修を受けたフレンチ・スクールで、条約局と国連外交が長い。 若い頃は演劇青年で学徒動員の経験をもち、「霞完(かすみ かん)」のペンネームでバレエの台本を執筆しており、『いのち』は東京とベオグラードにおいて、『動と静』は東京とカイロにおいて、『蕩々たる一衣帯水』は東京と北京において、それぞれ上演された。
大川 美雄(おおかわ よしお、1922年12月3日 - 20… 大川 美雄(おおかわ よしお、1922年12月3日 - 2008年12月9日)は、日本の外交官。外務省国際連合局長や、駐フィリピン特命全権大使、駐カナダ特命全権大使などを歴任した。 大阪府出身。旧制灘中学校、第三高等学校文科丙類を経て、1946年東京帝国大学法学部卒業。在連合王国日本国大使館一等書記官を経て、1964年外務省経済局スターリング地域課長。1965年外務公務員採用上級試験委員(英語)。 1967年外務省国際連合局政治課長。1969年在フィリピン日本国大使館参事官。1970年在ジュネーヴ日本国総領事館総領事、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部参事官。 1975年外務省国際連合局長。1979年軍縮委員会日本政府代表部特命全権大使。
朴 東鎭(パク・トンジン、박동진、1922年10月11日 -… 朴 東鎭(パク・トンジン、박동진、1922年10月11日 - 2013年11月11日)は、大韓民国の外交官、国会議員。民主正義党に所属した。本貫は密陽朴氏。 大邱府出身。大邱高等普通学校と日本の中央大学を卒業。 総理秘書、大統領秘書を経て、1951年に外務部に入省。儀典局長、駐イギリス参事官、外務部次官、駐ベトナム大使、駐ブラジル大使、駐ジュネーブ大使、国連大使、外務部長官(1975年-1980年)、国会議員(1981年-1985年)、国土統一院長官(1985年-1986年)、駐アメリカ大使(1988年-1991年)、韓国電力公社理事長、韓国外交協会会長を務めた。 2013年11月11日、京畿道龍仁市の病院にて老衰により死去。
山崎 敏夫(やまさき としお、1922年 <大正11年> 8… 山崎 敏夫(やまさき としお、1922年 <大正11年> 8月13日 - 2000年 <平成12年> 6月7日)は日本の外交官。駐英特命全権大使。位階は正三位。勲一等瑞宝章。駐シンガポール大使や駐スウェーデン大使を歴任した山崎純は息子で、駐フランス大使や内閣法制局長官を歴任した小松一郎は義理の息子。 大阪府出身。東京大学法学部を卒業。1946年に外務省に入省。官房長やアメリカ局長、駐エジプト大使、駐南イエメン大使、駐インドネシア大使、駐英大使を歴任した。 1988年10月から公安審査委員会委員を務める。在任中の1995年3月にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生して一連のオウム真理教事件が注目されたことにより、公安調査庁がオウム真理教について破壊活動防止法が規定する解散請求を公安審査委員会に行なったことから、公安審査委員会委員の1人としてオウム真理教破壊活動防止法問題の審査にあたった(1997年1月に解散請求は棄却となった)。
小崎 昌業(おざき まさなり、1922年4月25日 - 20… 小崎 昌業(おざき まさなり、1922年4月25日 - 2022年[要出典])は、日本の元外交官。中華民国青島市生まれ。滋賀県甲賀市出身。財団法人霞山会顧問、愛知大学名誉役員、東亜同文書院大学記念センター委員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
武田 實(たけだ みのる、1922年3月28日 - 2009… 武田 實(たけだ みのる、1922年3月28日 - 2009年3月6日)は、日本の外交官。駐アイルランド特命全権大使等を経て、迎賓館長を務めた。 東京府立第一商業学校(現東京都立第一商業高等学校)を経て、1944年東京商科大学(現一橋大学)卒業。科学技術庁原子力局国際協力課長、在トルコ日本国大使館一等書記官、同参事官等を経て、1967年在オーストラリア日本国大使館参事官。1969年在ブルガリア日本国大使館参事官。1972年参議院参事、参議院事務局渉外部長兼列国議会同盟課長事務取扱。1976年シドニー総領事。1978年駐ラオス特命全権大使。1982年駐アイルランド特命全権大使。1985年迎賓館長。
橘 正忠(たちばな まさただ、1922年2月2日 - 200… 橘 正忠(たちばな まさただ、1922年2月2日 - 2004年4月1日)は、日本の外交官。 1944年東京大学法学部卒、1945年外務省に入省後、1950年米国留学、カナダ在勤、シドニー領事、報道課長、香港領事、1969年在オーストリア日本大使館参事官、1970年アメリカ局参事官などを歴任。 1972年アメリカ局長心得、1975年-1977年欧亜局長、1977年-1980年駐デンマーク大使、1980年10月から在ビルマ日本大使館特命全権大使、1983年10月から1986年まで在タイ日本国大使館特命全権大使となる。 後に国立京都国際会館館長、京都市国際交流協会理事や上場企業役員を歴任した。 1980年11月にヤンゴン日本人学校名誉校長に就任する。
伊藤 啓介(いとう けいすけ、1922年(大正11年)- 没… 伊藤 啓介(いとう けいすけ、1922年(大正11年)- 没年不詳)は、日本の外交官、軍属、スパイ。 タイのシンゴラ領事館に外交官として赴任、現地で諜報活動を行う。太平洋戦争においてF機関に参加。インド国民軍の編成や戦後のインド独立に影響を与えた藤原岩市を補佐した。戦後、日本バングラデシュ協会事務局長。2008年時点で在命。 山形県酒田市生まれ。1938年、東亜経済調査局付属研究所こと大川塾の一期生として入学。1940年、同研究所卒業後、助手として採用。1941年8月、タイのシンゴラ領事館に赴任。開戦に備えるためスパイとなり、タイの田舎を回り兵要地理の視察を行う。伊藤の調査対象は飛行場の立地、滑走路の長さ、井戸の位置や道路の状況、シャム湾の気候、風の方角であった。
山根 敏子(やまね としこ、1921年11月14日 - 19… 山根 敏子(やまね としこ、1921年11月14日 - 1956年8月29日)は、日本の外交官。 北海道帝国大学の助教授で畜産学者の山根甚信の2女として、札幌市北13条に生まれる。台北州立第一高等女学校(現台北市立第一女子高級中学)を経て、1941年津田英学塾(後の津田塾大学)を繰り上げ卒業。1945年台北帝国大学(国立台湾大学の前身)文政学部文学科英文学専攻を繰り上げ卒業。 1950年、外交官及び領事試験に唯一の女性として合格し外務省研修所研修員となる。ガリオア奨学金を得て、クイーンズ・カレッジでのオリエンテーションを経て、1951年バーモント大学政治学課程修了。 1951年外務省条約局国際協力課事務官、同年外務省国際協力局第1課事務官。
鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 200… 鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 2003年1月11日)は、日本の外交官。位階は正三位。 外務大臣官房長、外務審議官、駐中国特命全権大使、駐ソ連特命全権大使。 宮城県仙台市出身。1941年浦和高等学校文科乙類卒業。1943年東京帝国大学法学部政治学科中退、外務省入省。ドイツ語研修を受ける。在ドイツ日本国大使館一等書記官を経て、1963年外務省欧亜局西欧課長。1965年外務省外務大臣官房会計課長。1967年外務省北米局外務参事官。同年在シアトル日本国総領事館総領事。1969年在インド日本国大使館参事官。1970年外務省経済協力局外務参事官。1972年外務省外務大臣官房長。1974年外務省経済協力局長。
崔 栄喜(チェ・ヨンヒ、1921年3月1日 - 2006年1… 崔 栄喜(チェ・ヨンヒ、1921年3月1日 - 2006年1月11日)は、大韓民国の軍人、外交官、政治家。朝鮮戦争の指揮官であり、陸軍中将で陸軍参謀総長(第12代)を務めた。退役後は国会議員(第7代・第8代・第9代・第10代)、国防長官(第16代)、維新政友会院内総務などを歴任した。太極武功勲章授与者。本貫は隋城崔氏(朝鮮語版)、仏教徒。 1921年、日本統治下の朝鮮京城府(現ソウル特別市)生まれ。1944年に日本の専修大学法学部卒業後、日本陸軍工兵学校に入校し、日本陸軍工兵少尉に任官される。 戦後、韓国に帰国した後、1946年2月18日付で軍事英語学校を卒業し、任少尉(軍番10051番)。1947年、第1旅団人事参謀。
岡田 富美也(おかだ ふみや、1921年 - )は、日本の外… 岡田 富美也(おかだ ふみや、1921年 - )は、日本の外交官、国際公務員。駐ジョルダン(ヨルダン)特命全権大使、北海道派遣特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使等を歴任した。 千葉県出身。成田中学校、第一高等学校文科甲類を経て、1948年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。1964年外務大臣官房書記官。1966年外務省国際連合局経済課長。1969年外務省経済局国際貿易課長。1970年外務省経済局外務参事官。 1971年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1972年在インド日本国大使館参事官。1974年外務大臣官房調査部外務参事官兼経済協力局。同年在オーストラリア日本国大使館公使。1976年在トロント日本国総領事館総領事。
李寿栄(イ・スヨン、이수영、1921年-1972年)は大韓民… 李寿栄(イ・スヨン、이수영、1921年-1972年)は大韓民国の外交官。漢字を日本語読みすると「りじゅえい」のため愛称は「リッジウェイ」であった。 1921年、平安北道鉄山に生まれる。 1943年、早稲田大学英文科卒業。 1946年、梨花女子中学教諭 1947年、ソウル大学校師範学校講師。 1950年、特任陸軍中佐、参謀総長付通訳官。そのため米軍顧問に親友知己が多い。 朝鮮戦争中は板門店高級政治会議予備会談韓国代表主席補。 1953年11月、外務部情報局長。 1954年4月、ジェネーブ会議韓国首席代表補佐官。 1955年2月、外務部邦交局長。 1956年1月、駐フランス公使館一等書記官。ついで参事官、駐イギリス大使館参事官。
太田 正己(おおた まさみ、1920年 〈大正9年〉11月2… 太田 正己(おおた まさみ、1920年 〈大正9年〉11月28日 - 2004年〈平成16年〉1月24日)は、日本の外交官。OECD環境委員会議長、駐ケニア特命全権大使兼国連環境計画政府代表、外務省参与兼ユネスコ執行委員会委員・政府代表などを務めた。 1942年東京商科大学(現一橋大学)卒業、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。 1946年終戦連絡中央事務局総裁官房連絡官。1949年外務省総務局経済課外交官補。 1951年外務省条約局条約課外務事務官。
平原 毅(ひらはら つよし、1920年10月25日 - 19… 平原 毅(ひらはら つよし、1920年10月25日 - 1999年4月24日)は、外交官。 中国広東生まれ。鹿児島県鹿児島市出身。外交官藤田栄介の二男。旧制東京高校を経て東京帝国大学入学。1941年高等文官試験外交科合格。1943年東京帝国大学法学部卒業後、ハルピンでロシア語研修中に学徒動員で出征。戦後の1946年外務省に戻る。在パリユネスコ本部アジア局長、ミラノ総領事、1968年臨時代理でベルギー公使。1969年外務省経済局次長。1970年外務省経済局長時には日米繊維交渉にあたる。1972年モロッコ大使、75年OECD代表部大使、81年英国大使。 1982年フランス政府からレジオンドヌール勲章コマンドール章受章。
崔 慶禄(チェ・ギョンノク、최경록、1920年9月21日 -… 崔 慶禄(チェ・ギョンノク、최경록、1920年9月21日 - 2002年9月2日)は、大韓民国の軍人、外交官、政治家。本貫は慶州崔氏。創氏改名時の日本名は新田慶吉。 5・16軍事クーデター当時は朴正煕の直属の上官であり、第四共和国期に22代交通部長官、第五共和国期には国会議員を経て7代駐日大使を務めた。 1920年9月、日本統治時代の忠清北道陰城郡に生まれる。陰城三成普通学校を卒業した後、内地に留学し豊橋中学校で学んだ。 1938年、日本陸軍に志願(志願兵1期)。1939年12月、陸軍兵志願者訓練所を修了して歩兵第79連隊に配属。同世代の中で最も優秀な成績であり、下士官候補生に選ばれた。そこで中隊長の松田靖彦大尉に目をかけられ、彼の推薦で陸軍士官学校の試験にも合格したほか、1942年秋、汝威島での演習中に引き合わされた小野武雄中佐に薫陶を受ける。
影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003… 影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003年7月4日)は、日本の外交官。法務省入国管理局長、外務省国際連合局長、駐イタリア特命全権大使、NTT特別参与などを歴任した。 鳥取県気高郡湖山村出身。武蔵高等学校尋常科、同校高等科文科甲組を経て、1941年高等試験外交科合格。同年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 終戦連絡中央事務局連絡官を経て、1947年外交官補、叙二級。在マニラ日本政府在外事務所一等書記官、日本国とフィリピン共和国との間の賠償協定及び経済開発借款協定につき交渉し且つ署名する全権委員随員を経て、1956年在フィリピン日本国大使館一等書記官。
西宮 信安(にしのみや のぶやす、1920年2月1日 - )… 西宮 信安(にしのみや のぶやす、1920年2月1日 - )は、日本の外交官。駐アイルランド特命全権大使、駐トルコ特命全権大使、外務省参与などを歴任した。勲二等旭日重光章受章。 東京出身。1937年東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1942年同大学学部卒業。1945年在ポルトガル外交官補。同年経済安定本部部員。在オランダ日本国大使館二等書記官、同一等書記官を経て、1956年在ジャカルタ日本国総領事館領事。1958年在インドネシア日本国大使館一等書記官兼在ジャカルタ日本国総領事館領事。1958年通商産業省通商局市場第三課長。1959年通商産業省通商局市場第一課長。1963年在スウェーデン日本国大使館参事官兼在アイスランド日本国公使館参事官。
太田 新生(おおた あらお、1920年 - 2015年)は、… 太田 新生(おおた あらお、1920年 - 2015年)は、日本の外交官。ヒューストン総領事や、駐リビア特命全権大使を務めた。 兵庫県姫路市出身。1939年成蹊高等学校文科甲類卒業。1943年高等試験行政科試験合格。同年東京帝国大学法学部政治学科卒業。 太平洋戦争中は大日本帝国海軍で通信関係の仕事に従事していたが、南方への赴任の前に日本の降伏となり難を逃れた。海軍時代にのちに妹の夫となった縫田清二と友人となる。 1948年外務事務官任官、叙二級、北海道連絡調整地方事務局連絡調整官。1964年外務省経済局書記官。1965年外務省移住局移住振興課長。同年外務省中南米・移住局移住課長。1966年外務省中南米・移住局総務課長。
小山田 隆(おやまだ たかし、1919年12月18日 - 2… 小山田 隆(おやまだ たかし、1919年12月18日 - 2009年11月20日)は、日本の外交官。初代バングラデシュ人民共和国駐箚日本国特命全権大使として知られる。