井桁 貞敏(いげた さだとし、1907年3月22日 - 19… 井桁 貞敏(いげた さだとし、1907年3月22日 - 1980年1月11日)は、日本のロシア語学者。 1929年東京帝国大学文学部言語学科卒業。東京外国語学校講師を経て、1937年から1943年まで海軍兵学校ロシア語教授、戦後は防衛大学校教授。1972年定年退官。ほかに東京大学、慶應義塾大学、埼玉大学、東京都立大学等でロシア語を講ずる。『コンサイス露和辞典』同和露辞典を編纂した。ロシア文学者・井桁貞義は息子。
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真下 三郎(ましも さぶろう、1907年1月15日 - 20… 真下 三郎(ましも さぶろう、1907年1月15日 - 2007年3月7日)は、日本の国語学者、広島大学名誉教授。専攻は近世文学・国語学。女性語について研究した。 京都府京都市出身。1933年、東京帝国大学国語国文学科卒。広島文理科大学助教授、広島大学教授。1971年、定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授。 2007年3月7日、慢性腎不全のため死去。100歳没。 真下は多彩な文献から多くの用例を収集し、そこから言語体系を抽出するよりも、個々の用例そのものを検討した。言語体系の抽出が現代言語学の要件だとすれば、一見すると真下は古いタイプの国語学者のように思えるが、そもそも真下が研究活動に従事していた当時は、ソシュールを批判した時枝誠記の言語過程説が強い影響力を持っていた時期でもあることから、真下が体系の抽出ではなく個々の用例に目を向けたのは、差異や体系に言語の本質を求めるソシュールへの批判が込められていたとされる。
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牛山 初男(うしやま はつお、1907年 - 1983年)は… 牛山 初男(うしやま はつお、1907年 - 1983年)は、現在の長野県茅野市出身の日本語学者。教育者。専門は方言学。 長野県諏訪郡湖東村(現茅野市)生まれ。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)から東洋大学に進み、橋本進吉、小林好日らに学ぶ。 1930年に卒業・帰郷し、西筑摩郡福島小学校(福島町)、諏訪郡永明小学校、永明高等家政女学校(現:長野県茅野高等学校)に勤務する。 教職の傍ら文法を中心に方言の分布調査を進め、1952年「語法上より見たる東西方言の境界線について」(『国語学』12輯)を発表。引き続き、『東洋大学文学論藻』などに論文を発表し、東西方言の解明に尽くした。
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矢吹 勝二(やぶき かつじ、1907年 - 1986年)は、… 矢吹 勝二(やぶき かつじ、1907年 - 1986年)は、日本の英語学者。 広島県生まれ。1931年早稲田大学高等師範部英語英文学科卒業、ジャパン・ツーリスト・ビューロー入社。1967年定年退職、調布学園女子短期大学教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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輿水 実(こしみず みのる、1906年9月 - 1986年3… 輿水 実(こしみず みのる、1906年9月 - 1986年3月5日)は、日本の国語学者・国語教育学者。国立国語研究所名誉所員。山梨県生まれ。1931年東京帝国大学文学部哲学科卒。三重師範学校教授、1941年青年文化協会東南アジア学院教授、国立国語研究所第二研究部長、のち同名誉所員、国語教育研究所長。長男は中国語学者の輿水優。
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山田 和男(やまだ かずお、1906年1月2日 - 1985… 山田 和男(やまだ かずお、1906年1月2日 - 1985年12月15日)は、日本の英語学者。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡商業学校卒業、1927年東京外国語学校英語部貿易科卒業。京北実業学校教諭、1928年米沢高等工業学校講師、助教授、1935年東京商科大学予科講師、1938年同付属商学専門部教授、1949年一橋大学商学部教授、1969年定年退職、名誉教授。
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岩淵 悦太郎(いわぶち えつたろう、1905年12月14日 … 岩淵 悦太郎(いわぶち えつたろう、1905年12月14日 - 1978年5月19日)は、日本の国語学者。専門は音韻史。『岩波国語辞典』の編者として知られる。 福島県白河市出身。1917年、東京市下谷区に転居。京北中学校、旧制静岡高等学校を経て、1930年、東京帝国大学文学部を卒業。 同年、東京帝国大学文学部助手に就任。1938年、大阪高等学校(現 大阪大学)教授、1942年、第一高等学校教授、1946年東京女子高等師範学校(現 お茶の水大学)教授。1947年、文部省文部事務官。1949年、国立国語研究所研究第一部長を経て、1960年、同研究所2代目所長に就任。1963年、『岩波国語辞典』(共編)を刊行する。
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浅野 信(あさの しん、1905年〈明治38年〉12月11日… 浅野 信(あさの しん、1905年〈明治38年〉12月11日 - 1984年〈昭和59年〉11月16日)は、日本の国語学者・国文学者。文学博士。和洋女子大学教授、國學院大學講師。本名は浅野信(のぶ)。 1905年(明治38年)、栃木県に生まれる。1929年(昭和4年)、國學院大學卒。松下文法の松下大三郎に学んだ。浅野の文法論も浅野文法とも言われ、「国語学・国文学の泰斗」とされ、文法学のみならず、すぐれた俳諧文芸の研究者としても評価された。1958年(昭和33年)3月、「切字の研究」によって國學院大學より文学博士号を授与される。 著書として、『切字の研究』のほか、『音韻上より見たる俳諧文法論』『日本文法辞典』『日本文法文章論』『日本文法語法論』『日本文法文体論』『日本文法発想論』『文法と文学』『俳諧の語意と文法』など。
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新村 猛(しんむら たけし、1905年(明治38年)8月2日… 新村 猛(しんむら たけし、1905年(明治38年)8月2日 - 1992年(平成4年)10月31日)は、日本のフランス文学者・言語学者・国語辞書編纂者。名古屋大学名誉教授。元橘女子大学学長。 新村出の次男。息子新村徹は中国文学者(妻は中井正一の三女)。他に学術編集者の新村恭がいる。 東京府で生まれた。京都第一中学校、第三高等学校を経て、京都帝国大学文学部史学科に入学。すぐに仏文科へ転攻し卒業する。 1935年2月、中井正一や真下信一や武谷三男たちと共に同人誌『世界文化』を創刊、また週刊紙『土曜日』の常連執筆者として反ファシズム運動に関わった。このため、同志社大学予科教授であった1937年11月に真下信一らとともに治安維持法違反で逮捕され、2年間の獄中生活を送る。
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泉井 久之助(いずい ひさのすけ、1905年7月2日 - 1… 泉井 久之助(いずい ひさのすけ、1905年7月2日 - 1983年5月28日)は、日本の言語学者。京都大学を中心に、第二次世界大戦前後に活動した。 (出典:堀井令以知「泉井久之助先生 (1905-1983)」『言語研究』1983年1に所収) 月刊『言語』(大修館書店刊行)が、1977年5月号で当時の著名な言語学者に「かつて最も印象深く読まれた言語学及び言語論の図書を三点挙げていただき、簡単な感想をつけて」もらう特集を組んだ。泉井はそれに、以下の3点を挙げている。(なお感想も省略して付記する) なお、泉井は最後のメイエ『印欧語比較研究入門』を臨終の直前まで手放さず、4回目の購入本を使用していたという。
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遠藤 嘉基(えんどう よしもと、1905年5月31日 - 1… 遠藤 嘉基(えんどう よしもと、1905年5月31日 - 1992年6月23日)は、日本の国語学者、京都大学名誉教授。 父は、遠藤金市(熊本高等工業学校第4代校長)。祖父(金市の義父)は、遠藤董(鳥取盲聾唖学校創立者)。 1930年に京都帝国大学国文科を卒業。京都府立第一中学校嘱託、成城高等学校講師、大阪外国語学校講師を経て、1935年に京都帝大講師、1939年に助教授、1949年に京都大学文学部教授、1950年に文学博士。1953年に国語審議会委員。 1969年に定年退官、大谷女子大学教授。 1975年に叙勲三等授旭日中綬章。1992年に叙正四位。 研究範囲は多岐にわたるが、その中核をなすものは「訓点語と訓点資料」と「王朝仮名文学作品」である。
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岩倉 具実(いわくら ともざね、1905年2月1日 - 19… 岩倉 具実(いわくら ともざね、1905年2月1日 - 1978年10月18日)は、日本の言語学者。同志社大学名誉教授。東京府出身。 公爵岩倉具張の次男として東京市麹町区裏霞ヶ関に生まれる。母方の祖父は西郷従道。1917年に学習院初等科を卒業して学習院中等科に進んだが、母から陸軍大将になることを望まれたため2年次の途中で退学し、1918年、陸軍中央幼年学校に入学。1921年、陸軍士官学校に入ったが肺炎カタルのため療養を命じられ、1922年に健康上の理由で陸軍士官学校を退学し、獨逸学協会学校中等部4年次に編入学。1924年に獨逸学協会学校中等部を卒業し、静岡高等学校理科乙類に入学。1925年、持病の脚気により静岡高校を退学し、1926年、成城高等学校入学。
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岩崎 克己(いわさき かつみ、1905年1月21日(明治38… 岩崎 克己(いわさき かつみ、1905年1月21日(明治38年) - 1993年11月20日)は日本の言語学者、歴史学者。 1905年1月21日、愛知県豊橋市で生まれた。旧制第八高等学校を卒業後上京し、東京帝国大学英文科に進学。同大学大学院に進み、修了。その後、東京外国語大学に入学。東京外国語大学ではオランダ語、ポルトガル語、スペイン語、ロシア語、ドイツ語、中国語、チベット語等を習得し、卒業した。 修了後は、郁文館、早稲田実業学校、桜蔭学園などで英語教師として勤務。専門は語学であったが、東洋史に関する問題についても研究し、『書物展望』、『歴史地理』、『学鐙』などの論文を残した。1943年に応召し、中華民国に渡った。
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大井 征(おおい ただす、1905年〈明治38年〉1月21日… 大井 征(おおい ただす、1905年〈明治38年〉1月21日 - 1960年〈昭和35年〉4月15日)は、昭和のフランス文学者・フランス語学者・翻訳家。筆名は、映画評論で用いた春巴。戦前はアナトール・フランス、戦後はジャン=ジャック・ルソーの作品を主に翻訳したことで知られる。 山口県山口市に生まれ、幼少の頃に東京へ移った。1927年(昭和2年)3月、法政大学を卒業。1929年(昭和4年)1月から法政大学予科でフランス語を講じ、1939年(昭和14年)まで在任した。同年、広島陸軍幼年学校陸軍教授として赴任し、1941年(昭和16年)には東京陸軍幼年学校教授へ転じ、終戦を迎えている。戦後は法政大学に戻り、文学部教授や第二教養部長となった。
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木曽 栄作(きそ えいさく、1905年1月19日 - 198… 木曽 栄作(きそ えいさく、1905年1月19日 - 1984年)は、日本の英語学者。専門は商業英語。 北海道小樽市出身。1927年(昭和2年)小樽高等商業学校卒業。1931年(昭和6年)小樽高等商業学校助教授。1937年、アメリカペンシルベニア大学経営学部大学院に入学し、商業英語と国際貿易の研究のため、文部省在外研究員として在留。1939年、同大学修士課程修了。1943年、正六位に叙される。1944年、小樽経済専門学校教授。翌年、勲六等に叙せられ瑞宝章を授与される。1950年、小樽商科大学教授と小樽経済専門学校教授を兼務。1960年、再びアメリカへの出張を命じられ、ミシガン大学大学院言語学科において、英語学と外国語教授法を学ぶ。
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大島 義夫(おおしま よしお、1905年 - 1992年8月… 大島 義夫(おおしま よしお、1905年 - 1992年8月30日)は、日本の言語学者、エスペラント学者。財団法人エスペラント学会理事。 東京生まれ。中学生時代にエスペラントと出会い、1924年に日本エスペラント学会入会。1929年、早稲田大学政治経済学部卒。 昭和初期から比嘉春潮・伊東三郎らとプロレタリア・エスペラント運動(プロ・エス)に従事。『プロレタリア・エスペラント講座』(鉄塔書院)全6巻の編集にあたり、運動の理論的指導者となる。また「高木弘」のペンネームでソ連のエスペランチスト、ドレーゼンの『世界語の歴史』を翻訳・出版。唯物論の立場から言語学にアプローチし、ソビエト言語学の紹介につとめる。
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山本 忠雄(やまもと ただお、1904年12月1日 - 19… 山本 忠雄(やまもと ただお、1904年12月1日 - 1991年7月28日)は、日本の英語学者。 大阪府出身。1928年東京帝国大学英語英文科卒。広島高等師範学校教授、広島文理科大学(のち広島大学)教授。1946年「Growth and system of the language of Dickens : an introduction to a Dickens lexicon」で東大文学博士、同論文で1953年日本学士院賞受賞。神戸大学教授、1968年定年退任、大谷女子大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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中島 文雄(なかじま ふみお、1904年11月11日 - 1… 中島 文雄(なかじま ふみお、1904年11月11日 - 1999年12月28日)は、日本の英語学者。
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佐々木 達(ささき たつ、1904年2月2日 - 1986年… 佐々木 達(ささき たつ、1904年2月2日 - 1986年4月10日)は、日本の英語学者、東京外国語大学名誉教授。神奈川県出身。東京帝国大学英語英文学科卒業。卒業論文で第1回シェークスピアメダル受賞。1949年、東京外国語大学教授。1966年、定年退官、名誉教授。英語文体論が専門で、『コンサイス英和辞典』の編者として知られる。
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森下辰夫(もりした たつお、1904年 - 1970年)は、… 森下辰夫(もりした たつお、1904年 - 1970年)は、日本のフランス文学の言語学者である。 大阪府に生まれる。1928年京都帝国大学文学部仏文科卒業。外資系会社オデオン、天理外国語学校、関西日仏協会勤務、1938年満州建国大学教授。1941年霊能力を得たと信じる。敗戦後公職追放。1949年京都工芸繊維大学教授。1967年京都産業大学教授。没後勲三等遺贈。英文で書き未発表だった『心霊問題と人間』が没後邦訳された。 失職した森下が大阪の帝塚山学院で開いていた仏独語の塾で、谷沢永一と開高健が出会った(谷沢『回想開高健』)。日東蓄音機ツバメ印ニットーレコード社長、森下辰之助の長男として生まれる。「皇国史観」の代表的歴史家の平泉澄の義弟である。
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中内 正利(なかうち まさとし、1903年8月25日 - 1… 中内 正利(なかうち まさとし、1903年8月25日 - 1985年10月15日)は、英語学者。 大阪市生まれ。1925年大阪市立高等商業学校(現大阪公立大学)卒業、横浜正金銀行入行、大阪支店勤務。36-45年マニラ、ニューヨーク、リオデジャネイロ、青島の各支店に勤務。39年ニューヨーク市立大学で英語学を学ぶ。46年横浜正金銀行大阪支店、47年東京銀行に移行し、48年東京本店勤務。58年定年退職、60年早稲田大学専任講師、66年教授、74年定年退職。75―84年日本実用英語学会会長。84年名誉会長。墓所は小平霊園(13区2側)。
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三上 章(みかみ あきら、1903年〈明治36年〉1月26日… 三上 章(みかみ あきら、1903年〈明治36年〉1月26日 - 1971年〈昭和46年〉9月16日)は、日本の言語学者。数学教師。筆名に、加茂 一政(かも いっせい)。従来の主語概念を否定して、「何々は」と「何々が」との機能差を明確にした「主語廃止論(主語否定論)」などで知られる。数学史家の三上義夫は大叔父にあたる。 広島県高田郡甲立村大字上甲立(現・安芸高田市)出身。1960年に『構文の研究』で文学博士(東洋大学、1960年)。『象は鼻が長い』などの日本語研究で知られている。三上自身が創立期に参加していた奥田靖雄・鈴木重幸らの言語学研究会での評価のほか、世界的な評価もあり1970年にはハーバード大学に招かれて講義を行ったことがある。
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小林 英夫(こばやし ひでお、1903年1月5日 - 197… 小林 英夫(こばやし ひでお、1903年1月5日 - 1978年10月5日)は、日本の言語学者、東京工業大学名誉教授。 東京府出身。1927年東京帝国大学言語学科卒。1928年、ソシュールの『一般言語学講義』(仏: Cours de linguistique générale)を『言語学原論』として世界にさきがけて翻訳する。1929年京城帝国大学講師、1932年助教授(ギリシア語、言語学)、敗戦により東京に引き揚げ、1946年京都帝国大学文学博士。1948年東京工業大学教授(フランス語、言語学)、1950年名古屋大学教授兼任。1963年東工大を定年となり名誉教授、早稲田大学教授、1973年退職。
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鳴瀬 恒太郎(なるせ つねたろう、1903年〈明治36年〉1… 鳴瀬 恒太郎(なるせ つねたろう、1903年〈明治36年〉1月1日 - 1976年〈昭和51年〉)は、日本の哲学者であり言語学者でもある。関東学院大学等の大学講師も努めた。岡山県高梁市出身。 1903年(明治36年)岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)に生れる。地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、同期には、京都大学医学部名誉教授になる三宅儀がいる。1920年(大正9年)3月に同校を卒業。同年旧制第六高等学校へ入学する。1924年(大正13年)3月に卒業し、京都帝国大学文学部哲学科へ入学。 その後、1927年(昭和2年)3月に京大を卒業し、そのまま京都帝国大学大学院文学研究科宗教学専攻科へ進学する。
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桜井 和市(さくらい わいち、1902年(明治35年)7月1… 桜井 和市(さくらい わいち、1902年(明治35年)7月11日 - 1986年(昭和61年)1月12日)は、日本のドイツ語学者。 明治35年7月11日長野県南佐久郡岸野村(現佐久市)生まれ。 1919年 旧制野沢中学(現長野県野沢北高等学校)卒業。 1922年(大正11年3月31日) 旧制松本高等学校文科乙類卒業。 1925年(大正14年3月31日) 東京帝国大学独文科卒業 1925年(大正14年9月30日)旧制静岡高等学校教授。 1937年 (昭和12年3月31日)文部省在外研究員として独逸語独逸文学及び語学教授法研究のためドイツ出張(昭和13年11月30日まで) 1939年(昭和14年4月1日) 学習院教授 1944年(昭和19年1月10日)学習院高等科独語科主任 1947年(昭和22年3月31日)組織変更により学習院は財団法人学習院となる学習院教授、学習院高等科長 1947年(昭和22年4月1日)日本独文学会理事(46年5月8日まで) 1947年(昭和22年10月7日)学習院理事(26年5月31日まで) 1949年(昭和24年3月31日)法の定めるところにより財団法人学習院は学校法人学習院となる 1951年(昭和26年6月1日)学習院評議員(45年8月31日まで) 1956年(昭和31年4月1日)学習院大学文学部独文学科主任(37年4月30日まで) 1957年(昭和32年7月12日)学習院理事(45年8月31日まで) 1959年(昭和34年4月1日)文部省大学基準等研究協議会委員(35年3月31日まで) 1963年(昭和38年4月1日)学習院大学文学部長(45年5月31日まで) 1964年(昭和39年5月1日)財団法人ドイツ語学文学振興会理事長(52年7月19日まで) 1965年(昭和40年3月22日)ゲーテ・インスティトゥート(西独)からゲーテ牌(銀)受賞 1968年(昭和43年6月23日)私立学校教職員共済組合運営審議会委員(45年6月22日まで) 1968年(昭和43年7月1日)文部省国立高等専門学校ドイツ語教員選考および高等専門学校教員資格認定委員(50年3月31日まで) 1970年(昭和45年9月1日)学習院長(理事長)(56年8月13日まで) 1972年(昭和47年4月1日)私立大学懇話会副会長(52年6月9日まで) 1972年(昭和47年10月1日)文部省私立大学審議会委員(53年10月31日まで)
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桜井 和市(さくらい わいち、1902年(明治35年)7月1… 桜井 和市(さくらい わいち、1902年(明治35年)7月11日 - 1986年(昭和61年)1月12日)は、日本のドイツ語学者。長野県南佐久郡岸野村(現佐久市)生まれ。
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吉田 澄夫(よしだ すみお、1902年〈明治35年〉6月17… 吉田 澄夫(よしだ すみお、1902年〈明治35年〉6月17日 - 1987年〈昭和62年〉2月26日)は、日本の国語学者、文部官僚。文学博士(東洋大学・論文博士・1958年5月14日)。埼玉大学名誉教授、武蔵野女子大学名誉教授、国語学会名誉会員。筆名は伊夜彦。 新潟県新潟市医学町通1番町(現 新潟市中央区医学町通1番町)の吉田真澄の次男として出生。 新潟師範学校附属小学校を経て、1919年(大正8年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1922年(大正11年)3月に新潟高等学校を卒業、1926年(大正15年)3月に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。 1926年(大正15年)4月に文部省図書局国語調査嘱託に就任、5月から文部省臨時国語調査会嘱託を兼任、1934年(昭和9年)12月から文部省国語審議会書記を兼任、1940年(昭和15年)12月に文部省図書局国語課国語調査官に就任、1944年(昭和19年)11月から文部省国語審議会幹事を兼任。
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松原 秀治(まつばら ひでじ、1902年 - 1984年12… 松原 秀治(まつばら ひでじ、1902年 - 1984年12月)は、日本の外交官、言語学者。 慶應義塾大学卒業、外務省に勤務し、翻訳課で仏訳などを手がけるうちに、冠詞研究を深めていった。三宅徳嘉によれば、その業績は日本人の仏語研究としてフランス本国で高い評価を得た最初のものであるという。以後も外務省勤務の傍ら仏語研究や著述を続けた。 コンゴ代理大使などを経て、退官後は白百合女子大学教授。 1929年から32年までパリ、リヨン、グルノーブルに留学・勤務した。グルノーブル大学(フランス語版、英語版)に留学中、フランス文学者松原秀一が生まれている。青柳瑞穂の友人。娘は小山七々子の名で著作活動をしている。
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楳垣 実(うめがき みのる、1901年〈明治34年〉2月18… 楳垣 実(うめがき みのる、1901年〈明治34年〉2月18日 - 1976年〈昭和51年〉2月29日)は、日本の言語学者。専門は、比較語学・方言・隠語。外来語辞典や隠語辞典を編纂したことで知られるが、語源についての随筆もある。 京都府生まれ。1923年同志社大学文学部英文学科卒業。1924年長野県木曽中学校(現長野県木曽高等学校)嘱託。同志社大学教授、太平洋戦争では南支に従軍。和歌山大学教授、1952年帝塚山学院短期大学教授、1966年定年、関西外国語大学教授。1972年紫綬褒章受勲。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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熊沢 龍(くまざわ りゅう、1901年2月3日 - 1974… 熊沢 龍(くまざわ りゅう、1901年2月3日 - 1974年2月28日)は、昭和時代の言語学者、国語教育者。東京教育大学名誉教授、東京成徳短期大学学長、日本国語教育学会理事長を務めた。位階および勲等は正三位・勲三等。 東京府南多摩郡忠生村大字上小山田(現在の東京都町田市常盤町)の寺子屋師匠である斎藤楓山の長男として生まれる。後に熊沢家の養子となる。父は1873年、現在の小山田小学校の前身である有隣学舎の訓導となった。1908年5月、病気のため辞職し同年12月17日に没したが、村民の教育のために一生を捧げた。祖父は本山派修験の持宝院不動尊の山主であった阿闍梨芳山。 東京文理科大学文学科を1932年に卒業後、同大学の研究科に入り、1934年に助手となる。
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上野 直蔵(うえの なおぞう、1900年12月7日 - 19… 上野 直蔵(うえの なおぞう、1900年12月7日 - 1984年10月2日)は、日本の英文学者・英語学者。同志社大学名誉教授。専門は中世英文学・米文学。 京都府京都市生まれ。1927年、同志社大学文学部英文学科卒。1934年から1936年まで、シカゴ大学に留学。1936年、同志社大学文学部講師、のち1938年に助教授、1941年に教授。1949年から1950年まで文学部長。1952年、チョーサーに関する論文で同志社大学より文学博士の学位を取得。1954年から1956年まで再び文学部長。1960年から1965年まで学長。1968年から1970年までアメリカ学会会長。1970年、定年退職、名誉教授となる。
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時枝 誠記(ときえだ もとき、1900年〈明治33年〉12月… 時枝 誠記(ときえだ もとき、1900年〈明治33年〉12月6日 - 1967年〈昭和42年〉10月27日)は、日本の国語学者。学位は、文学博士(東京帝国大学・論文博士・1943年)(学位論文「言語過程説の成立とその展開」)。東京大学名誉教授。 横浜正金銀行サンフランシスコ支店長を務めた時枝誠之の子として東京神田に生まれる。 暁星中学校、第六高等学校(現・岡山大学)を経て、1925年に東京帝国大学文学部国文科を卒業。卒業論文は『日本に於ける言語意識の發達及び言語研究の目的と其の方法』。1943年に学位論文「言語過程説の成立とその展開」で東京帝国大学より文学博士の学位を取得。 1925年に旧制第二東京市立中学校(現・東京都立上野高等学校)教諭。
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今泉 忠義(いまいずみ ただよし、1900年7月17日 - … 今泉 忠義(いまいずみ ただよし、1900年7月17日 - 1976年11月5日)は、日本の国語学者。國學院大學名誉教授、立教大学文学部教授。 三矢重松、折口信夫に師事し、折口信夫の五博士のうちの一人。日葡辞書の研究や、源氏物語の現代語訳・語法の研究で知られる。主著は『国語発達史大要』、『国語学史概説』、『現代語の性格』、『日葡辞書の研究』、『源氏物語全現代語訳』など。 (以上はすべて関根賢司「今泉忠義の現代語訳」『解釈と鑑賞』2007年1月号 より)
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土井 忠生(どい ただお、1900年(明治33年)3月16日… 土井 忠生(どい ただお、1900年(明治33年)3月16日 - 1995年(平成7年)3月15日)は、日本の国語学者。キリシタン文献の国語学的研究を専門とする。
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辻 直四郎(つじ なおしろう、1899年11月18日 - 1… 辻 直四郎(つじ なおしろう、1899年11月18日 - 1979年9月24日)は、日本の古代インド学者・言語学者で、日本におけるインド古典学研究を開拓し、業績は海外の学会でも高く評価された。 ヤジュル・ヴェーダ サーマ・ヴェーダ アタルヴァ・ヴェーダ (アーラニヤカ) (ウパニシャッド)
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倉石 五郎(くらいし ごろう、1899年8月8日 - 197… 倉石 五郎(くらいし ごろう、1899年8月8日 - 1976年5月2日)は、日本のドイツ語学者。成蹊大学名誉教授。中国文学者の倉石武四郎の弟でもある。
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小辻 節三 (こつじ せつぞう、アブラハム・ベン・アブラハム… 小辻 節三 (こつじ せつぞう、アブラハム・ベン・アブラハム・コツジ、1899年〈明治32年〉2月3日- 1973年〈昭和48年〉10月31日)は、日本の言語学者、古代オリエント学者である。 1899年10月31日、賀茂神社の代々続いていた神主の家系の末子として京都に生まれた。神主であった父の影響で幼少期から神道を学び、学校教育では武士道を学んだ。 小辻が13歳の頃、明治天皇が崩御し、それに続いて乃木希典が殉死したことをきっかけに、生きる意味について考えるようになった。そこからたまたま古本屋で見つけたヘブライ語聖書を購入し、読むようになっていった。その後、父の反対を押し切り、明治学院大学神学部に進学した。
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佐伯 梅友(さえき うめとも、1899年1月13日 - 19… 佐伯 梅友(さえき うめとも、1899年1月13日 - 1994年10月12日)は、日本の国語学者。
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萩原 恭平(はぎわら きょうへい、1898年11月19日 -… 萩原 恭平(はぎわら きょうへい、1898年11月19日 -1969年7月13日 )は、日本の言語学者。ロンドン大学客員教授、早稲田大学教育学部英語英文学科教授等を歴任した。稲村松雄、竹沢啓一郎との共著『Jack and Betty』は発行部数4,000万部を超えるベストセラーとなり、戦後日本の中・高等教育課程における代表的な英語教科書となった。埼玉県上里町出身。墓所は寛永寺第3霊園。 埼玉県児玉郡賀美村(現:上里町)大字黛にて出生。旧制高崎中学校を経て早稲田大学高等師範部卒業。千葉県立大多喜中学校教諭、東京府立第五中学校教諭、早大高師部講師等を経て1935年に早大教授に就任。同校を1969年に定年退職するまでの間に、1938年に渡英しロンドン大学で客員教授を務め、1960年代に跡見学園女子大学で客員教授を務めた際には同大学英文科開設に尽力した。
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岡田 希雄(おかだ きゆう、1898年(明治31年)3月15… 岡田 希雄(おかだ きゆう、1898年(明治31年)3月15日 - 1943年(昭和18年)1月31日)は、日本の国語学者、国文学者、辞書学者。 京都府葛野郡七条村(現在の京都市下京区)に農家の服部家の次男として生まれる。名は市治郎。3歳で父の浅吉を亡くし、5歳で母のヤヱを亡くした後、乙訓郡久世村(現在の京都市南区)にある曹洞宗の鷲尾寺の住職である岡田希僊に引き取られる。1904年(明治37年)に養子として入籍し、1910年(明治43年)に得度を受けて「希雄」と名前を改め、翌1911年(明治44年)3月に僧籍に登録された。 1915年(大正4年)に京都府立京都第二中学校を卒業後、第三高等学校に入学する。
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石橋 幸太郎(いしばし こうたろう、1898年2月18日 -… 石橋 幸太郎(いしばし こうたろう、1898年2月18日 - 1979年8月22日)は、日本の英語学者。学位は、文学博士(日本大学・論文博士・1965年)(学位論文「英文法論」)。東京教育大学名誉教授。 福岡県福岡市出身。東京高等師範学校卒。旧制埼玉県立熊谷中学校(現在の埼玉県立熊谷高等学校)教諭をへて東京教育大学教授、1959年定年退官、名誉教授、日本大学教授、1968年大妻女子大学文学部長。1965年「英文法論」で日本大学より文学博士の学位を取得。 1979年8月22日、肝硬変のため東京女子医科大学病院で死去。81歳。
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大塚 高信(おおつか たかのぶ、1897年10月29日 - … 大塚 高信(おおつか たかのぶ、1897年10月29日 - 1979年11月23日)は、日本の英語学者。関西学院大学教授・甲南大学教授・関西外国語大学教授・京都外国語大学教授を歴任。 岡山県生まれ。東京帝国大学英文科卒業。1930年、東京高等師範学校教授。第二次世界大戦後、関西学院大学教授、甲南大学教授、1968年、関西外国語大学教授、京都外国語大学教授。
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倉石 武四郎(くらいし たけしろう、1897年〈明治30年〉… 倉石 武四郎(くらいし たけしろう、1897年〈明治30年〉9月21日 - 1975年〈昭和50年〉11月14日)は、日本の中国語学者、中国文学者。文学博士。東京大学名誉教授、京都大学名誉教授。 1897年、新潟県高田町(現・上越市)に、十三人兄弟の四男として生まれる。倉石家は地元の名家で、一族には漢学者の高田藩校教授の倉石侗窩がいる。 高田第二尋常小学校(現上越市立東本町小学校)、新潟県立高田中学校(現新潟県立高田高等学校)、第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学文学部支那文学科卒。一高時代は三木清や瀧川政次郎とともに岩元禎らの下で学び、東大では塩谷温・服部宇之吉・岡田正之らの下で学ぶ。卒業論文では中国天文学(英語版)を扱う。
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大西 雅雄(おおにし まさお、1897年(明治30年)7月2… 大西 雅雄(おおにし まさお、1897年(明治30年)7月24日 - 1994年(平成6年)3月9日)は、大正から平成時代の言語学者、音声学者。別名に大星 雅光。 兵庫県多紀郡城南村野中(現・兵庫県丹波篠山市野中)出身。 1912年(明治45年)篠山高等小学校卒業後、三菱造船所に入社。勤務の傍ら夜学に通い英語を習得し、英文印刷職工に転じ、ついでキリスト教青年会給仕書記を務める。その間、小学校教員検定試験を受け、1917年(大正6年)上京し、中学4年に編入する。 1922年(大正11年)東京外国語学校(現・東京外国語大学)を、さらに駒澤大学人文学部を卒業し、上智大学教授となる。ついで日本女子高等学院(現・昭和女子大学)教授、法政大学教授、駒沢大学教授、日本音声学会会長、日本言語科学研究所長などを歴任した。
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神田 盾夫(かんだ たてお、1897年6月30日 - 198… 神田 盾夫(かんだ たてお、1897年6月30日 - 1986年7月19日)は、日本の言語学者、聖書学者(新約聖書学)。国際基督教大学の設立に尽力した一人である。 1897年、東京市麹町区で英語学者神田乃武の四男として生まれた。1916年に第一高等学校英法科に入学。この頃、内村鑑三門下となった。1919年、東京帝国大学英文科に入学。しかし、翌1920年に師事した田中秀央の転出に伴い、神田も京都帝国大学文学部言語学科に転じた。京都では、田中秀央のほか、新村出、波多野精一らに師事した。1924年に同大学を卒業。その後は同大学大学院に進んだ。オックスフォード大学、ハイデルベルク大学に留学し、英国ではC・H・ドッドに、ドイツではマルティン・ディベリウスに師事し、主として西洋古典学を修めた。
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安田 喜代門(やすだ きよもん、1896年(明治29年)8月… 安田 喜代門(やすだ きよもん、1896年(明治29年)8月10日 - 1980年(昭和55年)4月7日)は、日本の国語学者。 主著『国文法概論』で新たに「感動助詞」という分類を作った。 1896年(明治29年)8月10日に兵庫県津名郡五色町鮎原西(現、洲本市鮎原西)に父金吉、母すみの長男として生まれる。鮎原村立小学校、洲本中学校を卒業後、1916年(大正5年)9月に國學院大學に入学。1919年(大正8年)7月に同大学師範部国語漢文科を卒業した。 教員として静岡県立浜松中学校、兵庫県立洲本中学校、山梨県立日川中学校、岐阜県立武義中学校に勤務。1925年(大正14年)に福岡高等学校助教授。1930年(昭和5年)福岡高等学校(現在の九州大学)教授。
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久野 朔郎(くの さくろう、1896年(明治29年)8月1日… 久野 朔郎(くの さくろう、1896年(明治29年)8月1日 - 1968年(昭和43年)9月6日)は、日本の英語学者。 愛知県出身。1918年第八高等学校卒。東京帝国大学文学部英吉利文学科にて市川三喜に師事し1921年卒業。1922年4月–1946年3月学習院大学教授、1950年3月愛知女子短期大学教授、1957年4月–1965年3月愛知県立女子大学教授、1958年4月–1964年7月同学長、1965年4月–1968年立正大学大学院英文学専攻教授。久野昭、小笠原暁、久野暲は息子。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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浅井 恵倫(あさい えりん、1894年12月25日 - 19… 浅井 恵倫(あさい えりん、1894年12月25日 - 1969年10月9日)は、日本の言語学者。台湾を中心としたオーストロネシア語族諸言語を研究した。日本言語学会評議員、日本民族学会評議員、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所運営委員を務めた。 1894年、石川県能美郡苗代村(現・小松市)で浄土真宗大谷派住職・浅井恵定の長男として生まれた。1912年、県立小松中学校を卒業。第四高等学校に進学し、在学中にエスペラントを独学。1915年に卒業し、東京帝国大学文科大学に進学した。言語学科専攻で学び、1918年に卒業。 卒業論文『ポリネシア諸民族とその諸言語』はエスペラントで執筆した。1919年、日本エスペラント学会の創立に関わった。
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関口 存男(せきぐち つぎお、正字は關口存男、1894年11… 関口 存男(せきぐち つぎお、正字は關口存男、1894年11月21日 - 1958年7月25日)は、日本のドイツ語学者(ゲルマニスト)。通称:ゾンダン(ドイツ語のsondernにかけてある)。 ドイツ語以外にも様々な言語に通じており、「不世出の語学の天才」と呼ばれた。また、村田実らの新劇運動に参加、主役級の俳優として大正期の無声映画に出演していた。 兵庫県姫路市生まれ。父・関口存啓は陸軍主計大尉。大阪陸軍地方幼年学校を経て1913年に陸軍中央幼年学校本科を卒業し、士官候補生として千葉県佐倉市の歩兵第57連隊に勤務。1915年、東京の陸軍士官学校を卒業(第27期)。同年12月、陸軍歩兵少尉となるも肋膜炎を患い休務を続ける。
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宮良 當壯(みやなが まさもり、みやら とうそう、1893年… 宮良 當壯(みやなが まさもり、みやら とうそう、1893年12月1日 - 1964年3月1日)は、沖縄出身の国語学者・方言学者。常用体の漢字表記で、「宮良 當壮」、「宮良 当壮」とも表記される。文学博士(國學院大學)、石垣市名誉市民。 1893年(明治26)沖縄県石垣村大川生まれ。 1909年(明治42)八重山高等小学校卒業後、沖縄本島の首里で人力車の後押しをするなど旅費を稼ぎ、大阪で帝国吃後矯正会での吃音矯正や音声学の学習を経て、18歳の時に上京、新聞配達や納豆売りなどをしながら1911年(明治44)8月郁文館中学校2年に編入学し、言語学者の前田太郎と出会い、研究の補助などを行った。1919年(大正8)國學院大學文学部に入学し、折口信夫の講義を受けるとともに、前田家で行われていた言語研究会で金田一京助、橋本進吉、東條操、安藤正次、神保格らと出会い、東條操から方言採録の依頼を受け、また、同年6月30日に柳田国男とも出会っている。
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