糸 文弘(いと ふみひろ、1931年5月9日 - )は、日本… 糸 文弘(いと ふみひろ、1931年5月9日 - )は、日本の映画監督、脚本家、劇作家、演出家である。本名は糸 弘毅(いと ひろき)。1950年代に松竹演劇部に所属して「石井均一座」等の軽演劇・喜劇の作家として活動し、1965年(昭和40年)には映画製作会社LL企画プロダクションの設立に参加して、成人映画の脚本・監督を手がける。その後、劇団三文館を設立、戯曲・演出を手がけてアングラ演劇に転向した。 1931年(昭和6年)5月9日、鹿児島県大島郡名瀬町(のちの同県名瀬市、現在の奄美市)に生まれる。 第二次世界大戦後、5年制の旧制・神奈川県立商工実習学校に進学、同校は1948年(昭和23年)4月1日に新制高等学校に切り替わり、神奈川県立商工高等学校と改称している。
あずさ 欣平(あずさ きんぺい、1931年5月1日 - 19… あずさ 欣平(あずさ きんぺい、1931年5月1日 - 1997年5月24日)は、日本の男性声優、演出家。千葉県本八幡生まれ、福島県出身。青二プロダクション所属であった。旧芸名に梓欣三・梓欣造がある。 千葉県本八幡で生まれ、福島県で育つ。 学生時代のあだ名は「豆タンク」だった。早稲田大学卒業。劇団ピッコロ、劇団制作座、劇団仲間、劇団現代座を経て、1962年5月1日、劇団芸協を設立して後進の指導に当たった。当時は、芝居の演出の他に、外国映画、アニメーションのディレクターもしていた。声優としては江崎プロダクション。オフィス央経て、最後は青二プロダクションに所属していた。 真山美保原作の『泥かぶら』の三郎兵衛役で初舞台。
円谷 一(つぶらや はじめ、1931年(昭和6年)4月23日… 円谷 一(つぶらや はじめ、1931年(昭和6年)4月23日 - 1973年(昭和48年)2月9日)は、演出家、プロデューサー。円谷プロダクションの2代目社長。作詞家として、東 京一(あずま きょういち)の名義がある。父は初代社長で特技監督の円谷英二。 学習院大学卒。19歳の時にキリスト教の洗礼を受ける(洗礼名パウロ)。 KRT入社前年に、父・英二が特撮を手掛けた映画『ゴジラ』に参加。 1955年にラジオ東京→KRT(テレビ事業は現在のTBSテレビ)に入社。演出部にてディレクターとしてテレビドラマを制作。『おトラさん』や「純愛シリーズ」といった作品にも演出として携わっていた。 中でも、1962年に「東芝日曜劇場」で放送された『煙の王様』(脚本:生田直親)は、芸術祭文部大臣賞を受賞するなど高い評価を得た。
団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月… 団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月1日) - 2011年5月6日)は、日本の小説家・脚本家・演出家・エッセイスト・映画プロデューサー・出版人。 SMものなどの官能小説の第一人者として著名である。代表作に『花と蛇』。多くの作品が映画化された。作家活動の他、鬼プロダクションを設立して、ピンク映画やSM雑誌を手掛けた。将棋雑誌の出版も行った。 本名は黒岩幸彦(くろいわ ゆきひこ)。初期のペンネームに黒岩松次郎、花巻京太郎。なお、本人の弁によると“鬼六”の読みは、“おにろく”でも“きろく”でもどちらでも構わないとのこと。 滋賀県彦根市の映画館「金城館」を経営する父のもとに生まれ、幼い頃から映画を楽しむと同時に実家の映画館は遊び場でもあった。
吉田 直哉(よしだ なおや、1931年4月1日 - 2008… 吉田 直哉(よしだ なおや、1931年4月1日 - 2008年9月30日)は日本の演出家、テレビディレクターである。元NHK特別主幹(理事待遇)。
西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本… 西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本の男性俳優、声優、演出家、映像ディレクター、吹き替えディレクター、翻訳家、劇作家。本名及び演出家としての名義は大西 桂太。翻訳家としての名義は秋元 良介。大阪府出身。 1956年、大学在学中にぶどうの会演出部に入団。早稲田大学演劇科卒業後はTBS放送劇団、青年工房、土の会で俳優・声優として活動後、フリーランスとなり、日本合唱センター、劇団アトリエ座、劇団どらま座、声の劇団イマージュ(代表を経て、顧問)、演劇企画集団「人」などを設立した。 日活芸術学院、東京アナウンス学院などで講師も行っていた。 2017年、親戚関係にあたる高嶺巌によって引退していることが明かされた。
青野 暉(あおの・あきら、1931年2月21日 - 2020… 青野 暉(あおの・あきら、1931年2月21日 - 2020年7月2日)は、日本の映画監督、演出家、脚本家。 愛媛県宇和島市出身。早稲田大学文学部仏文科卒業。就職に際しては大学の同級生だった今崎暁巳(ドキュメンタリー作家)と共にラジオ東京(後の東京放送)を受験するも、青野と今崎のふたりとも不合格であったという逸話が残る。 1954年に新東宝に入社。当初は企画部配属だったが、演出部へ異動となり石井輝男の下で宇津井健主演の『スーパージャイアンツ』シリーズの助監督を務める。 1961年に新東宝が倒産した後、国際放映へ移籍し、1964年放映のテレビドラマ『いまに見ておれ』(東京放送)で監督デビュー。 これ以後、青島幸男主演版の『意地悪ばあさん』第1作(1968年、よみうりテレビ)と第3作(1981年、フジテレビジョン)で演出と脚本を担当する。
高橋 繁男(たかはし しげお、1931年〈昭和6年〉1月30… 高橋 繁男(たかはし しげお、1931年〈昭和6年〉1月30日 - 1995年〈平成7年〉5月10日)は、日本のテレビドラマ監督・舞台演出家。「渥美清の泣いてたまるか」「遠山の金さん」などでお茶の間に親しまれた。群馬県沼田市出身。
田口 勝彦(たぐち かつひこ、1931年1月24日 - 20… 田口 勝彦(たぐち かつひこ、1931年1月24日 - 2020年4月27日)は、日本の映画監督、テレビドラマの演出家、アニメーション監督、脚本家。脚本家としてのペンネームは山崎久、田口章一。岡山県津山市出身。シナリオ協会作家会員。日本映画監督協会会員。 日本大学芸術学部卒業後、東映へ入社。編集業務を経て、1年後に演出部へ異動。東映東京撮影所で1961年の『ファンキーハットの快男児シリーズ』である『ファンキーハットの快男児』、『ファンキーハットの快男児 二千万円の腕』の助監督を経て、東映東京制作所でテレビドラマの監督として活動。1966年に『悪魔くん』で監督としてデビューし、初期の「仮面ライダーシリーズ」や「スーパー戦隊シリーズ」のローテーション監督として同シリーズを支えた。
有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月2… 有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月20日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。和歌山県和歌山市出身。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くのベストセラー小説を発表した。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレーナといった。代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』など。娘にエッセイストの有吉玉青がいる。正確には「吉」の字は下が長いのだが、小説を書いていた頃には活字がなかった。
三枝孝榮(さえぐさ こうえい、1930年11月2日 - 20… 三枝孝榮(さえぐさ こうえい、1930年11月2日 - 2021年5月11日)は、日本の演出家、番組制作者、音楽家、舞踊評論家。 九代目岩井半四郎の養女の福の子女である日本舞踊岩井流宗家の五代目岩井紫若を妻とし、実業家でプロデューサーの三枝孝臣は長男。 慶應義塾大学経済学部を1952年(昭和27年)に卒業後、NHKに入社した。1963年(昭和38年)にNHKを退職、1964年(昭和39年)に東京12チャンネル(テレビ東京)の開局に伴い移籍した。後にテレビ東京常務、制作社長を歴任する。 1996年(平成8年)に松竹の子会社として設立された伝統文化放送の初代代表取締役社長に就任し、歌舞伎チャンネルの運営を行った。
深町 幸男(ふかまち ゆきお、1930年10月26日 - 2… 深町 幸男(ふかまち ゆきお、1930年10月26日 - 2014年6月21日)は、日本のテレビドラマ演出家、舞台監督、映画監督。
横澤 英雄(よこざわ ひでお、1930年〈昭和5年〉8月2日… 横澤 英雄(よこざわ ひでお、1930年〈昭和5年〉8月2日 - 2009年〈平成21年〉10月13日)は、日本の演出家(レビュー)。元宝塚歌劇団理事。東京都出身。横沢 秀雄、横澤 秀雄名義で活動していた時期もある。 母:良子(芸名:花野春子)が宝塚歌劇団卒業生。また、父:横沢三郎の妹(芸名:尾上さくら)や、兄弟の妻たちもタカラジェンヌで、宝塚およびレビュー(少女歌劇)に縁の深い環境で育った。なお、妻:チエ子(芸名:虹乃千恵)は宝塚歌劇団44期生。 父の横沢三郎は東京セネターズや阪急ブレーブスで監督を務めた。東京都立西高等学校卒業。関西学院大学では硬式野球部マネージャー。第1回全日本大学野球選手権大会で慶応大学に敗れるも準優勝した。
内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 19… 内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 1994年3月27日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家、脚本家、演出家、映画監督。 岡山県出身。実家は岡山市内の古書店。鎌倉アカデミア中退。 若い頃には安部公房に師事。新日本文学会に入会して小説家としてデビューする。1974年には金子正次らとともに、劇団東京ザットマンを旗揚げするなど、アングラ演劇の活動も盛んに行っていた。 1930年(昭和5年)、岡山市に生まれる。生家は老舗の古書店。1945年、中学三年生のとき、高射砲の弾を作る工場に動員される。岡山大空襲で家を失い、愛媛県などに疎開。15歳の夏に終戦。戦後は、高校に通いながら、詩作と小説執筆に熱中。
和田 勉(わだ べん、1930年〈昭和5年〉6月3日 - 2… 和田 勉(わだ べん、1930年〈昭和5年〉6月3日 - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の演出家・映画監督で、NHKディレクター、プロデューサー。退局後はタレントとしても活動した。本名は名の読みが「つとむ」。 ワダベンカンパニー代表取締役で、生島企画室(現在のFIRST AGENT)と業務提携していた。 妻は衣装デザイナーのワダ・エミ(2021年没)。 三重県松阪市生まれ、鹿児島県鹿屋市出身。鐘紡勤務だった父・和田義太郎(後に鹿屋市議、鹿屋商工会議所会頭)は転勤が多く、生後半年で松阪から京都府福知山市に移り、小学校就学前に愛知県東春日井郡鷹来村(現・春日井市)(春日井市立鷹来小学校の前身にあたる鷹来尋常高等小学校)、小学校3年生時に福島県信夫郡庭坂村(現・福島市)へ引っ越し、1年半を過ごした。
木戸 文右衛門(きど ぶんえもん、本名:木戸 敏郎、1930… 木戸 文右衛門(きど ぶんえもん、本名:木戸 敏郎、1930年5月8日 - )は、日本の芸術舞台演出家である。 元国立劇場演出室長。同劇場を拠点に日本の儀礼音楽を芸術音楽に再構造化する音楽運動を展開。定年退職後は札幌大学、京都造形芸術大学(現京都芸術大学)教授として活躍の場をグローバルに拡大し、一層先鋭化した音楽、舞台芸術運動を演出家としても国内外公演で展開してきた。その成果は数多くセンセーショナルな実績を残してきた。2005年〜創造する伝統実行員会委員長就任。2011年以降は全ての公職を離れて、「日本文化が内包する美学」を物質に可視化する運動(文右衛門工房)を設立し、新たな日本文化の息吹を吹き込んでいる。
石澤 秀二(いしざわ しゅうじ、1930年4月10日 - 2… 石澤 秀二(いしざわ しゅうじ、1930年4月10日 - 2025年12月9日)は、日本の演劇評論家、演出家。石沢秀二とも表記する。本名は石澤秀男。妻は劇作家の石沢富子。 東京都出身。早稲田大学卒、同大学院演劇専攻修士課程修了。1964年、フランス政府招へい芸術留学生として渡仏し、1967年に青年座に入団。雑誌「新劇」編集長を経て、1968年の桐朋学園短期大学演劇専攻創設に参加し、教授。同退職後、青年座文芸部長を経て、日本演出者協会副理事長、国際演劇評論家協会日本センター会長、日韓演劇交流センター会長を歴任。2005年「祈りの懸け橋-評伝田中千禾夫」で河竹賞受賞。1974―1981年岸田国士戯曲賞選考委員を務めた。
高橋 昌也(たかはし まさや、1930年〈昭和5年〉3月16… 高橋 昌也(たかはし まさや、1930年〈昭和5年〉3月16日 - 2014年〈平成26年〉1月16日)は、日本の俳優、演出家。 『幸せの背くらべ』で1996年の読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。2004年の映画『透光の樹』の演技で第14回日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞。 東京府出身。東京都立第四中学校(東京都立戸山高等学校)卒業。俳優座養成所卒業(2期生)。1954年に劇団新人会設立に参加。 1956年に劇団四季に参加。 1961年から文学座へ入団するが、1963年に芥川比呂志、高木均、岸田今日子らと脱退し劇団雲結成に参加。 1975年、劇団の分裂により、演劇集団 円に参加。主に演出家として別役実作品を一手に手掛けた。
小西 通雄(こにし みちお、1930年1月1日 - )は、日… 小西 通雄(こにし みちお、1930年1月1日 - )は、日本の映画監督・演出家。岡山県備前市出身。東映製作の作品を中心に、数多くの映像作品に携わった。 旧制岡山二中に在学中陸軍航空士官学校に合格、軍事教練では「秀」の好成績を収めていた。その後岡山空襲での被災を経て終戦を迎える。 1954年3月、1年間の留年(しかも大手広告代理店に一度就職する)を経て、同志社大学文学部社会学科新聞学専攻を卒業。大学の同級生には、後に自身が演出する 『アイフル大作戦』『バーディー大作戦』『Gメン'75』にレギュラー出演していた藤木悠がいた。 当初は新聞記者を志したが、映画好きもあって(きっかけは黒澤明監督作品『酔いどれ天使』だという)東映を受験し、1954年4月に東映に入社。
久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 20… 久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 2010年1月1日)は、日本のテレビドラマおよびラジオドラマの演出家、ディレクター。福岡県北九州市出身。 九州大学卒業後、ラジオ九州(現:RKB毎日放送)に入社し、ラジオドラマのディレクターとして活躍。『魚と走る時』などを担当した。また、『中村一郎』で、劇作家として駆け出しだった寺山修司を見出した人物でもある。 その後、テレビドラマでも活躍し、特に「東芝日曜劇場」や「近鉄金曜劇場」など、TBS系列に全国放送されたRKB制作の単発ドラマを数多く演出。『死ぬほど逢いたい』、『ひとりっ子』(放送中止)、『山ほととぎす ほしいまま』、『海より深き』、『目撃者』といったテレビ創生期の名作を生み出した。
川井 秀幸(かわい ひでゆき、1929年7月21日 - 20… 川井 秀幸(かわい ひでゆき、1929年7月21日 - 2016年6月16日)は、元宝塚歌劇団所属の演出家、脚本家、翻訳家。兵庫県神戸市出身。関西大学法学部卒業。 1955年、宝塚歌劇団に入団、白井鐵造に師事する。1959年にはカナダ・アメリカ公演の、1965年にはフランス公演の舞台監督を務める。英語が堪能で「オクラホマ!」や「回転木馬」・「ミー・アンド・マイガール」・「キス・ミー・ケイト」などブロードウェイミュージカルの企画・交渉・翻訳・通訳などに携わる一方、郷土芸能研究会において「鯨」「ユンタ」などの日本の伝統文化を題材にした作品の脚本、演出も手掛ける。長年にわたり機関誌「歌劇」で主にブロードウェイミュージカルを紹介したエッセイ「ミュージカル」を掲載する。
高野 悦子(たかの えつこ、1929年5月29日 - 201… 高野 悦子(たかの えつこ、1929年5月29日 - 2013年2月9日)は、日本の映画運動家、岩波ホール総支配人、映画プロデューサー、放送作家、テレビドラマ演出家。 1929年(昭和4年)に満洲の大石橋に生まれた。太平洋戦争終戦前の1945年(昭和20年)5月、父親の郷里である富山県下新川郡桜井町(現・黒部市)に引き揚げ、魚津高等女学校(現・富山県立魚津高等学校)を卒業した。16歳の時に映画『キュリー夫人』を見て感銘を受け、職業を持って自立する決心をする。日本女子大学社会福祉学科に入学し、南博主任教授の下で「マスメディアと映画」を研究テーマとし、日本映画の観客の反応と内容分析と映画企業分析を行い、各新聞・雑誌に発表した。
太田昭和(おおたしょうわ、1929年5月12日 - )は、日… 太田昭和(おおたしょうわ、1929年5月12日 - )は、日本の映画監督・演出家・脚本家。 1929年福岡県に生まれる。京都大学に入学後、映画部に所属する。同部員の同僚に映画監督となった土井茂と松尾昭典がいた。1954年京都大学を卒業後、大映京都撮影所に入社。監督のみならず演出・企画・脚本など多方面の仕事をこなした。時代劇の撮影現場に幅広く精通しているからこそ、通り一遍で撮影されがちな作品群に苦言を呈している。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
森川 時久(もりかわ ときひさ、1929年(昭和4年)3月7… 森川 時久(もりかわ ときひさ、1929年(昭和4年)3月7日 - 2022年(令和4年)8月28日)は、日本の映画監督、テレビドラマ演出家。立教大学卒業。 立教大学卒業後、文化放送に就職。1959年にフジテレビのディレクターになり、社会派ドラマを多く手がける。1967年、人気ドラマ『若者たち』の劇場版で映画監督デビュー。その後はフリーランスとして活動した。 2022年8月28日、消化管出血のため死去。93歳没。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
五社 英雄(ごしゃ ひでお、1929年(昭和4年)2月26日… 五社 英雄(ごしゃ ひでお、1929年(昭和4年)2月26日 - 1992年(平成4年)8月30日)は、日本の映画監督、脚本家、演出家。本名の読みは「ごしゃ えいゆう」。明治大学商学部卒業。ニッポン放送プロデューサー、フジテレビ映画部長、五社プロダクション社長を務めた。テレビ業界出身の映画監督第1号である。 時代劇の殺陣において、竹光でなくジュラルミンの刀身を採用して俳優の迫真の演技を引き出し、刀と刀がぶつかる際の金属音や、人が斬られる時の効果音を音響スタッフと共に独自に開発したことで知られる。アウトローを主人公にした作品を一貫して手がけ、滅びに向かって走る人間の情念のきしみや美学を描くことを信条としていたその代表作には、『三匹の侍』、『御用金』、『人斬り』、『雲霧仁左衛門』、『鬼龍院花子の生涯』、『極道の妻たち』などがあり、丹波哲郎、仲代達矢、平幹二朗、安藤昇、夏八木勲、夏目雅子、岩下志麻、かたせ梨乃、名取裕子らの新たな魅力を引き出した。
福山 象三(ふくやま しょうぞう、1929年2月3日 - 1… 福山 象三(ふくやま しょうぞう、1929年2月3日 - 1996年10月2日)は、日本の俳優、演出家。本名及び別名義は福山 博寿(1954年から1966年頃まで使用)。別名義は福山 升三(1986年から1995年頃まで使用)、日本俳優連合理事。 鹿児島県出身。関西工業専門学校(後の関西大学工学部)卒業。生前は松竹芸能、東京アーチストプロを経て、芸峰制作、中里事務所に所属していた。 NHK大阪放送劇団出身。 数々の刑事ドラマ、時代劇、特撮作品で、主に悪役を演じた。 1996年10月2日4時13分、胸腹部大動脈瘤破裂のため、死去。67歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
吉沢 京夫(よしざわ たかお、1929年 - 1999年10… 吉沢 京夫(よしざわ たかお、1929年 - 1999年10月27日)は、日本の演出家、俳優、映画プロデューサーである[4][5][6][7][8][9][10][11]。旧漢字表記吉澤 京夫。劇団京の創立者・初代代表(1988年 - 1999年)[12]。大島渚監督の『日本の夜と霧』への出演、若松孝二監督の『壁の中の秘事』での共同脚本・主演で知られる[4][5][6][7][8][9][10]。
遠藤 啄郎(えんどう たくお、1928年12月4日 - 20… 遠藤 啄郎(えんどう たくお、1928年12月4日 - 2020年2月7日)は、日本の劇作家・演出家・舞台用の仮面作成者。横浜ボートシアター代表。本名は遠藤 琢郎。
村井 志摩子(むらい しまこ、1928年〈昭和3年〉7月12… 村井 志摩子(むらい しまこ、1928年〈昭和3年〉7月12日 - 2018年〈平成30年〉5月9日)は、日本の劇作家・演出家である。国内での活動よりも、むしろ国際的な活躍が目立つ。本名は葛井志摩子で、プロデューサー葛井欣士郎は夫。筆名は井村愛。 広島県広島市出身。広島県立広島第一高等女学校卒業。東京女子大学卒業。舞台芸術学院(第1期生)で土方与志に学び、卒業後、チェコに留学。カレル大学哲学部演劇科学科卒業。博士号取得。広島市の原爆ドーム世界遺産化推進委員(1994年 - 1996年)、日本チェコ協会理事などを務める。日本ペンクラブ会員。日本演出者協会会員。 代表作は「広島の女」。その他、劇作家の別役実、女優の楠侑子らと共に、かたつむりの会の公演に参加し、一貫して演出を担当していた。
竹本 弘一(たけもとひろかず 、1928年6月1日 - 19… 竹本 弘一(たけもとひろかず 、1928年6月1日 - 1993年3月18日)は、映画・テレビドラマ作品の監督・演出家。和歌山県出身。 東映映画撮影所で数々の映画作品に助監督として携わったが、当時の映画業界は斜陽を迎えていたため監督への昇進は叶わず、テレビの世界に活路を求めた。1966年、38歳の時に『悪魔くん』で監督デビューを果たす。以降は主に、東映のテレビ作品で辣腕を振るい『キイハンター』・『プレイガール』・『バーディー大作戦』などの大人向けアクション作品を演出する。他にも『仮面ライダー』・『秘密戦隊ゴレンジャー』など多くのキャラクター作品を演出し、幅広く活躍した。 長年活動を続けた東映を離れた後、大映テレビに移籍する。
土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 … 土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 - 1986年〈昭和61年〉1月21日)は、日本の舞踊家、振付家、演出家、俳優。暗黒舞踏の創始者として、国際的に知名度の高い舞踊家である。 『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』土方巽 著、吉増剛造 筆録(書肆山田、1992年) あんま(1963年・2007年、白黒、20分) バラ色ダンス(1965年・2007年、白黒、13分)
土井 茂(どい しげる、1928年2月5日 - 2013年5… 土井 茂(どい しげる、1928年2月5日 - 2013年5月29日 )は、日本の映画監督、テレビドラマ演出家である。広島県府中市府中町出身。 第六高等学校を経て1951年、京都大学経済学部卒業。京都大学に入学後、映画部に所属する。同部員の同僚に映画監督となった松尾昭典と太田昭和がいた。映画好きが高じ、大映京都撮影所の助監督募集に合格し入社。助監督として溝口健二監督の『新・平家物語』(1955年)や木村恵吾監督の『初春狸御殿』(1959年)などの作品に参加。さらに監督として2本の映画に参加するが、映画の衰退でテレビ映画の演出家に転じる。以降、『東京警備指令 ザ・ガードマン』(1965年 - 1971年)、『赤い疑惑』(1975年 - 1976年)、『赤い衝撃』(1976年)、『夜明けの刑事』(1976年)、『噂の刑事トミーとマツ』(1979年 - 1981年)、『少女に何が起ったか』(1985年)など、大映テレビの名作のほとんどを手がけた。
佐伯 孚治(さえき たかはる、1927年12月15日 - 2… 佐伯 孚治(さえき たかはる、1927年12月15日 - 2018年1月13日)は、日本の映画監督、演出家。 東京府東京市本郷区西片町(現在の文京区西片)出身。旧制・開成中学校から旧制第四高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒業。1954年に東映入社。東映東京撮影所の助監督として田坂具隆に師事し、1964年に『どろ犬』で監督デビューする。しかし1965年、労働争議に参加していた佐伯は社長大川博の逆鱗に触れ、テレビ映画製作専門の別会社・東映東京制作所に異動した。その後、数人のスタッフとともに「目黒PR分室」に配属となり、実質的に現場で仕事が出来ない状態になっていた。 1966年、佐伯の置かれた状況を心配した同期の脚本家・鈴木尚之の計らいもあって、『渥美清の泣いてたまるか』(製作国際放映)を監督。
中田 耕治(なかだ こうじ、1927年11月5日 - 202… 中田 耕治(なかだ こうじ、1927年11月5日 - 2021年11月26日)は、日本の評論家、小説家、翻訳家、演出家。 東京市大森区生まれ。明治大学文学部英文科卒。在学中の1946年より『近代文学』への投稿を始め、「戦後派」の最も若い批評家として注目を集める。初期評論はのちに『怪蛇(バジリスク)の眼』(1975年)にまとめられている。 1956年、「俳優座」養成所の講師として、戯曲論、アメリカ演劇研究などを講義し、やがて「青年座」などで演出にあたる。 1958年、アメリカ版『MANHUNT』誌の日本語版として創刊された雑誌『マンハント』に翻訳スタッフとして参加。同誌は創刊号で「珍訳誌、超訳誌」を宣言しており、中田も原文に縛られない自在な「超訳」を披露した。
岩淵 達治(いわぶち たつじ、1927年7月6日 - 201… 岩淵 達治(いわぶち たつじ、1927年7月6日 - 2013年2月7日 )は、日本のドイツ文学者、演劇評論家、演出家、劇作家。学習院大学名誉教授。ベルトルト・ブレヒト研究の第一人者だった。 1927年、東京市麻布区(現・東京都港区麻布)に開業医の子として生まれる。1944年都立一中四修卒、 1947年旧制東京高校卒、 1951年東京大学文学部独文科卒。 埼玉大学文理学部助手、 1953年学習院大学文学部独文科専任講師、 1956年助教授、1967年教授。1997年定年退職。 ドイツ演劇が専門で、千田是也の門下生である。ベルトルト・ブレヒトの全戯曲を翻訳した。演劇の現場にあって、ハイナー・ミュラーの『カルテット』(ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ『危険な関係』が原作)を訳し、渡邊守章と競演の形で演出を行った。
矢代 静一(やしろ せいいち、1927年〈昭和2年〉4月10… 矢代 静一(やしろ せいいち、1927年〈昭和2年〉4月10日 - 1998年〈平成10年〉1月11日)は、日本の劇作家、脚本家、演出家。日本文芸家協会、日本演劇協会の各会員。 東京市京橋区尾張町二丁目(現:中央区銀座六丁目)のヨシノヤ靴店(銀座ヨシノヤ)の2階で、父・矢代乙吉、母・園子の長男として誕生。祖父はヨシノヤ靴店の創業者であった。日比谷幼稚園・泰明小学校・東京府立第五中学校から第二早稲田高等学院を経て、1950年に早稲田大学文学部仏文科を卒業。 早稲田高等学院在学中の1944年(昭和19年)に診断書を偽造して大学を休学し、俳優座研究生となる。のち、戦時下の移動劇団に加わる。移動演劇隊の『父帰る』(菊池寛原作)などで主役を張ったが、東野英治郎の薦めで演出部に転向する。
早野 寿郎(はやの としろう、1927年2月26日 - 19… 早野 寿郎(はやの としろう、1927年2月26日 - 1983年2月20日)は、日本の演出家、俳優、声優。劇団俳小主宰、早野演劇研究所主宰。小劇場活動の先駆者。自宅は東京都港区六本木。 台湾生まれでその後岐阜県大垣市に移る。4歳から旧制中学4年まで沖縄で育つ。沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)の1学年上に大城立裕がいた。 旧制浦和高等学校を経て東京大学文学部仏文科中退。1949年に俳優座養成所を2期生として卒業し、1954年に小沢昭一たちと劇団新人会を結成。 1960年、小沢や小山田宗徳、宮崎恭子、楠侑子たちと劇団俳優小劇場の結成に参加し、新人会から分裂。 千田是也や田中千禾夫の影響下に小劇場運動の基礎を築く。
熊倉 一雄(くまくら かずお、1927年〈昭和2年〉1月30… 熊倉 一雄(くまくら かずお、1927年〈昭和2年〉1月30日 - 2015年〈平成27年〉10月12日)は、日本の俳優、声優、演出家。テアトル・エコー所属で、生涯に渡って代表取締役演劇担当を務めていた。 東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)三ノ橋出身。父は工作機械のセールスマン。母方の祖父は傘の会社の技師長。青山で1年ほど暮らして、5歳の時、一家は下町、東京府東京市京橋区入船町(現在の東京都中央区入船)に越して父の両親と同居。この町で小学校時代を送っていたが、元々虚弱体質であり、小学2年生の時に肋膜炎を罹り3ヶ月ほど自宅療養し、本ばかり読んでいた。将来は発明家になりたいと考えており、エジソンが好きだった。
富本 壮吉(とみもと そうきち、1927年1月2日 - 19… 富本 壮吉(とみもと そうきち、1927年1月2日 - 1989年5月27日)は、日本の映画監督、テレビドラマ演出家。 東京市生まれ。陶芸家の富本憲吉と「青鞜」同人の尾竹紅吉(富本一枝)の間に生まれる。都立第十中学校、旧制成城高校を経て、1952年、東京大学文学部仏文学科を卒業後、大映東京撮影所に入社。当初は企画部に所属していたが、翌年には助監督部に転属。溝口健二、伊藤大輔、豊田四郎、成瀬巳喜男、島耕二らの作品の助監督につく。1960年、『暁の翼』で監督に昇格。しかし、折からの邦画の斜陽化のあおりを受け、1968年、大映を退職しフリーに。以降はテレビ映画の演出に専念した。特に1983年、テレビ朝日の『土曜ワイド劇場』の一篇『松本清張の熱い空気』(サブタイトル「家政婦は見た!夫婦の秘密 “焦げた”」)は高い反響を得たため、翌年から『家政婦は見た!』に改題してオリジナルのシリーズとなった。
若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2… 若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2013年10月22日)は日本の俳優、演出家、戯曲翻訳家。本名は若林忠昭(わかばやし ただあき)。上海出身(一族は水戸市)、血液型はO型、身長178cm、趣味は鳥類飼育、犬猫ブリード。長男は若林忠宏、長女は若林マリ子で共に音楽家。 1926(昭和元)年12月26日、上海に生まれる。当時父親は、日本水産から独立し上海で海鮮問屋を経営。一家は、上海と若林家の地元茨城県水戸と東京荻窪の別宅を行き来する。代々一族は、水戸藩の足軽頭(馬廻組頭)もしくは書院番を勤め、長男には「忠」の文字を入れることが家訓であった。昭和元年に生まれたため「忠昭」となり、水戸藩士からは十一代目。
石井 ふく子(いしい ふくこ、1926年〈大正15年〉9月1… 石井 ふく子(いしい ふくこ、1926年〈大正15年〉9月1日 - )は、日本のテレビプロデューサー、舞台演出家。TBSテレビプロデューサー。 東京府東京市下谷区池の端(現・東京都台東区下谷池之端)出身。伊志井寛の長女にあたる。新東宝の女優活動から出発し、ラジオ東京(現・TBS)に入社。その後は、テレビドラマのプロデューサーとして、橋田壽賀子や平岩弓枝らとタッグを組み、多くのヒットドラマを世に送った。フリーとなった後は舞台演出なども手掛けている。また、橋田文化財団にも協力している。 父は、劇団新派の俳優伊志井寛(ただし、戸籍と血縁ともに関係がない)。母は分川本の君鶴と呼ばれた芸者で、小唄の家元になった三升延である(両親について詳しくは後述「人物」の欄)。
広渡 常敏(ひろわたり つねとし、1926年8月3日 - 2… 広渡 常敏(ひろわたり つねとし、1926年8月3日 - 2006年9月24日)は、福岡県宗像郡福間町(現福津市)出身の劇作家、演出家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
沢島 忠(さわしま ただし、旧字体:澤島、1926年〈大正1… 沢島 忠(さわしま ただし、旧字体:澤島、1926年〈大正15年〉5月19日 - 2018年〈平成30年〉1月27日)は、日本の映画監督、舞台演出家である。時代劇、ひばり映画、および東映任侠映画の先駆者・巨匠として知られ、舞台演出家としても活躍していた。沢島 正継(読みは同じ)とも。 滋賀県愛知郡(現在の東近江市)に生まれる。八日市中学校(現・滋賀県立八日市高等学校)卒業。1948年(昭和23年)、同志社大学文学部の聴講生となり、同大で教えていた野淵昶監督に師事、野淵の主宰する劇団「エランヴィタール」に参加し、演出助手となる。翌年大学を中退する。1950年(昭和25年)3月、同劇団が解散、俳優の月形龍之介の紹介で東横映画助監督部に入社する。
山下 武(やました たけし、1926年4月3日 - 2009… 山下 武(やました たけし、1926年4月3日 - 2009年6月13日)は東京生まれの文芸評論家、演出家。古本関係の著述活動で著名であった。 法政大学文学部卒業。日劇の舞台監督やNET(現・テレビ朝日)の演芸番組『大正テレビ寄席』のプロデューサーとディレクターを務めた。 椎名麟三に師事し、作家活動を行う。また近代文学研究者でも活動。工学院大学を経て、芝浦工業大学に勤務。 父は落語家の柳家金語楼、異母弟はロカビリー歌手として一世を風靡した山下敬二郎、異母妹は女優・声優の有崎由見子。祖父は三遊亭金勝。叔父は先代昔々亭桃太郎。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
塚田 茂(つかだ しげる、1926年(大正15年)3月9日 … 塚田 茂(つかだ しげる、1926年(大正15年)3月9日 - 2008年(平成20年)5月13日)は、日本の演出家、放送作家、構成作家、作詞家、タレント。東京府東京市(現・東京都特別区)豊島区池袋出身。血液型はB型。 東京府立商工学校(現・東京都立北豊島工科高等学校)卒。 太平洋戦争中の1945年2月に徴兵検査で第一種乙種合格、それを受けて翌3月に召集令状が来た。しかし、工科系学校に在籍する特権で2年の入営延期を認められ、日本無線に動員されるという形で勤務。その間に戦争は終結した。塚田は工科系の学生になったのは、特権が狙いだったとも話している。終戦後はしばらくの間、親類の時計店の居候となった。
栗山 昌良(くりやま まさよし、1926年(大正15年)1月… 栗山 昌良(くりやま まさよし、1926年(大正15年)1月18日 - 2023年(令和5年)6月23日)は、日本の演出家、オペラ演出家、教育者。国立音楽大学名誉教授。劇団青年座座友。妻は声楽家(メゾソプラノ)の松内和子。 東京出まれ。獨逸学協会学校中学部卒業。 1946年(昭和21年)千田是也、伊藤道郎主宰の舞台芸術アカデミーに入所、舞台芸術への道を歩み始める。舞台芸術アカデミー卒。1949年(昭和24年)劇団俳優座に入り、1950年(昭和25年) - 1965年(昭和40年)俳優座演劇研究所所員として近代リアリズム演劇の表現手法を研究。同時に附属俳優養成所発足に伴い、講師として演劇映画界の俳優養成にあたる。
中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1… 中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1月4日 - 1980年〈昭和55年〉11月25日)は、日本の演出家、俳優、劇団「仲間」主宰者。 神奈川県横浜市生まれ。松尾鉱業の2代目社長中村正雄の長男。父方の祖父は松尾鉱業、太洋鉱業、増田屋各社長などをつとめた中村房次郎。母方の祖父は日本の社会主義運動の先駆者で、早稲田大学野球部を創設したことでも知られる安部磯雄で、母・京はその次女である。 1945年に早稲田大学文学部国文科を中退。千田是也の知遇を得て俳優講習所に学び、1945年に俳優座に入団。演出助手や舞台監督を経て、1949年に養成所講師となる。1953年、俳優座養成所の2期生とともに劇団仲間を結成、主宰者となる。
内垣 啓一(うちがき けいいち、1925年(大正14年)12… 内垣 啓一(うちがき けいいち、1925年(大正14年)12月20日 - 1989年(平成元年)8月17日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家、演劇・音楽評論家、舞台演出家、オペラ演出家。東京大学名誉教授。 京都府京都市に生まれる。京都第一中学校(旧制)、第一高等学校(旧制)を経て、1950年(昭和25年)京都大学文学部ドイツ文学科卒。1951年(昭和26年)に東京大学教養学部助手となり、1953年(昭和28年)戦後初めてのドイツ学術交流会招聘留学生としてハンブルクにおいて研究を続け、以後ドイツ文学、ドイツ演劇、比較文学、比較演劇の講師、助教授、教授を務め、1986年定年退官。 ドイツ文学のエキスパートとして古典から現代までの数多くの文学作品や戯曲を翻訳し出版しているのみならず、研究領域はドイツ演劇に加え、ドイツオペラから新劇や伝統芸能に至るまで舞台芸術全般に及んだ。
瀬川 昌治(せがわ まさはる、1925年10月26日 - 2… 瀬川 昌治(せがわ まさはる、1925年10月26日 - 2016年6月20日)は、日本の映画監督、脚本家、舞台演出家。喜劇映画の名手とされ、1960年代に数多くの喜劇シリーズを監督した。 1925年10月26日、東京市神田区神保町(現在の東京都千代田区神田神保町)の官吏の家に生まれる。学習院初等科、中等科に学び、一学年上の三島由紀夫などと交流する。学習院高等科 (旧制)在学中に陸軍船舶兵として応召。終戦後、東京帝国大学(現・東京大学)文学部英文科に入学するが、在学中は野球部のレギュラー外野手として活躍し、東京六大学野球リーグ戦にも出場した(東京大学野球部出身の映画監督としては、他に井坂聡や秋原正俊らがいる)。
岡本愛彦(おかもと よしひこ、1925年10月11日 - 2… 岡本愛彦(おかもと よしひこ、1925年10月11日 - 2004年10月24日)は、日本の映画監督、テレビドラマの演出家、ジャーナリスト。 1925年10月11日に、日本統治時代の朝鮮または鳥取県で生まれる。陸軍士官学校在学中に敗戦を迎え、1946年には日本社会党へ入党。1950年に慶應義塾大学を卒業し、NHK東京放送局に放送記者・社会報道番組ディレクターとして入局。その後、鳥取・東京・大阪と放送局を転々とし、後にテレビドラマを手掛ける様になる。1957年にNHKを退社して、ラジオ東京(KRT、現・東京放送ホールディングス / TBSテレビ)へ入社する。 黎明期のテレビドラマにおいて、社会性のある作品を中心に活躍した演出家である。