花ヶ前 盛明(はながさき もりあき、1937年〈昭和12年〉… 花ヶ前 盛明(はながさき もりあき、1937年〈昭和12年〉11月2日 - )は、日本の歴史学者、郷土史学者、宮司。元高等学校教諭。 新潟県直江津市(現:上越市)出身。 新潟県立直江津高等学校を経て國學院大學文学部卒業。國學院大學大学院修士課程(日本史学専攻)修了。 越後一の宮居多神社宮司(第44代)。 元新潟県立安塚高等学校、新潟県立柿崎高等学校教諭、新潟県立直江津高等学校教諭。 新潟県文化財保護指導委員、上越市文化財調査審議会委員、上越郷土研究会会長、新潟出版文化賞選考委員などを務める。 大谷吉継や上杉氏に関する著書がある。 2010年(平成22年)、地域文化功労者文部科学大臣賞受賞。
梶栗 玄太郎(かじくり げんたろう、1937年〈昭和12年〉… 梶栗 玄太郎(かじくり げんたろう、1937年〈昭和12年〉 - 2012年〈平成24年〉12月26日)は、日本の宗教家、政治活動家。世界平和統一家庭連合の日本統一教会第12代会長、世界日報社社長、国際勝共連合会長、世界平和連合会長、国際ハイウェイ財団理事長などを歴任した。 福岡県宗像郡東郷町(現・宗像市東郷町)生まれ。玄太郎の名前は漢字は異なるが、日露戦争時の参謀の陸軍大将児玉源太郎にあやかったという。1960年、芝浦工業大学土木工学科卒業。 1963年11月、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に入信。1964年、全国大学連合原理研究会初代副会長に就任。 1969年5月1日、渋谷区松濤の教団本部で22組(12組と既成10組)の男女が文鮮明・韓鶴子夫妻から祝福を受けて合同結婚した。
片山 文彦(かたやま ふみひこ、1936年9月18日 - 2… 片山 文彦(かたやま ふみひこ、1936年9月18日 - 2016年7月16日)は、東京都生まれの神職、花園神社名誉宮司、医師、医学博士。神道時事問題研究会を主催。 東京市(現東京都新宿区)に生まれる。昭和医科大学卒業、1971年東京女子医科大学大学院修了(衛生学教室)、「東京女子医科大学病院の診療圏」で医学博士。國學院大學神道研修別科修了。 東京女子医科大学講師、立教大学講師、國學院大學講師を歴任。
薗田 稔(そのだ みのる、1936年〈昭和11年〉4月27日… 薗田 稔(そのだ みのる、1936年〈昭和11年〉4月27日 - 2024年〈令和6年〉12月31日)は、日本の神職、宗教学者。秩父神社元宮司。京都大学名誉教授。 宗教学や民俗学の視点を入れた神道研究、日本宗教史研究を行う。2002年5月、京都・賀茂御祖(下鴨)神社糺森研修道場において、上田正昭らとともにNPO法人社叢学会を設立した。 埼玉県秩父市出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1960年に東京大学文学部宗教学科を卒業、1965年に同大学院博士課程満期退学。1972年に國學院大學文学部講師、1974年に同助教授、1981年に同教授、1991年に京都大学教養部教授、のち京都大学総合人間学部教授、2003年に國學院大學神道文化学部特任教授、皇學館大学大学院特任教授を歴任。
小林 八郎(こばやし はちろう、1936年 - 2018年2… 小林 八郎(こばやし はちろう、1936年 - 2018年2月25日)は、日本の宗教家。 東京聖書学院、関東学院大学神学部卒業を経て愛知や神奈川の牧会を務める。1976年、宗教法人日本FEBCに入社し、日本支社次長就任。1979年日本FEBC代表。2005年まで代表を務める。2018年2月25日病気のため死去。満81歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
金光 平輝(こんこう へいき、1934年(昭和9年)10月3… 金光 平輝(こんこう へいき、1934年(昭和9年)10月31日 - 2024年(令和6年)7月21日)は、日本の宗教家。岡山県岡山市出身。金光教第5代教主。 岡山県岡山市出身。金光教第4代教主である金光鑑太郎の長男として1934年(昭和9年)10月31日に生まれる。 1952年(昭和27年)に私立岡山県金光中学校卒業後、早稲田大学にて西洋哲学を専攻し、1958年(昭和33年)に卒業。 1991年(平成3年)3月27日、父・鑑太郎が死去したことに伴い行われた教主選挙により、金光教の第5代教主に就任。2021年(令和3年)3月26日に退任するまで6期30年にわたり教主を務めた。教主として信仰活動「神人あいよかけよの生活運動」の開始や一般財団法人「金光財団」の立ち上げに尽力した。
田中 弘清(たなか ひろきよ、1934年〈昭和9年〉10月1… 田中 弘清(たなか ひろきよ、1934年〈昭和9年〉10月17日 - 2014年〈平成26年〉7月8日)は、日本の神職。石清水八幡宮宮司。 京都府神社庁監事・庁長、京都神社スカウト協議会副理事長、京都國學院院長などを務めた。 昭和9年(1934年)10月17日、田中文清の子として京都府に生まれた。 昭和41年(1966年)、國學院大學文学部神道学科を卒業した。 昭和42年(1967年)、春日大社出仕となり、翌昭和43年(1968年)に同社権禰宜、昭和54年(1979年)に禰宜に就任した。 昭和54年(1979年)、累代社家として奉職していた石清水八幡宮に還り、同宮権宮司に就任。また昭和55年(1980年)から昭和57年(1982年)まで、ボーイスカウト綴喜第1団の団委員長を務めた。
加藤 隆久(かとう たかひさ、1934年〈昭和9年〉8月28… 加藤 隆久(かとう たかひさ、1934年〈昭和9年〉8月28日 - )は、神職、神道学者、神戸女子大学名誉教授。 岡山県生まれ。号・白鳳。父錂次郎が生田神社の宮司になり神戸に移住。甲南大学文学部国文科卒、國學院大學大学院神道学科博士課程満期退学。1986年「神道津和野教学の研究」で國學院大學文学博士。1961年生田神社神職。神社本庁常務理事を経て86年生田神社宮司。神社本庁長老。神戸女子大学文学部教授、家政学部教授、名誉教授。1997年神戸市文化賞受賞。2000年兵庫県文化賞受賞。2013年兵庫県県勢高揚功労賞受賞。神戸史談会会長、神戸芸術文化会議議長、神戸ビエンナーレ組織委員会会長、日本会議兵庫会長。
九条 道弘(くじょう みちひろ、1933年〈昭和8年〉12月… 九条 道弘(くじょう みちひろ、1933年〈昭和8年〉12月13日 - 2017年〈平成29年〉9月16日)は、日本の神職、平安神宮名誉宮司。 五摂家の一つ、元公爵九条家の第34代当主。子に九条道成。第125代天皇・明仁(現・上皇)は再従弟に当たり、自身の誕生から10日後に誕生している。 1933年、東京府で公爵・九条道秀の長男として生まれる。学習院初等科、学習院中等科、学習院高等科を経て、関西学院大学文学部卒業。文化放送勤務。 1973年、神職に就く。平安神宮第14代宮司(1991年 - 2017年4月)。2002年、神職身分特級(神職身分の最高位)。藤裔会会長。 平安神宮宮司在任中の1994年には、平安神宮鎮座百年祭を執り行った。
九条道弘(くじょう みちひろ、1933年 - )は、日本の神… 九条道弘(くじょう みちひろ、1933年 - )は、日本の神職。
中川 君子(なかがわ きみこ、1932年〈昭和7年〉11月2… 中川 君子(なかがわ きみこ、1932年〈昭和7年〉11月21日 - )は、日本の宗教家。幸福の科学名誉秘書長。徳島県徳島市出身。徳島女子職業学校(現:徳島文理中学校・高等学校)卒業。 徳島県徳島市で生まれ、徳島女子職業学校(現:徳島文理中学校・高等学校)を卒業。理容師の資格を得て徳島市内で理容業を営む。 18歳で針の製造会社を経営する中川忠義と結婚し、理容業を続ける。忠義との間には1952年(昭和27年)に長男の力と1956年(昭和31年)に次男の隆(後の大川隆法)を出産する。 また理容師を営みながら、管理理容師の資格も得て、自宅の1階を理容店に改装して経営していた。 1986年(昭和61年)10月に次男の大川隆法が、幸福の科学を設立。
中山 善衞(なかやま ぜんえ、1932年(昭和7年)7月7日… 中山 善衞(なかやま ぜんえ、1932年(昭和7年)7月7日 - 2014年(平成26年)6月24日)は、日本の宗教家。天理教3代目真柱。 1932年(昭和7年)、天理教の2代目真柱である中山正善の長男として生まれた。 当時彼がまだ学生時代を送っていた1949年(昭和24年)10月26日に真柱継承者に推戴され、1951年(昭和26年)に慶應義塾大学文学部史学科に入学。大学卒業後は1958年(昭和33年)に結婚し、後に4代目真柱となる長男中山善司を筆頭に3男3女をもうける。 1967年(昭和42年)11月14日、2代目真柱である父・正善の死去に伴い3代目真柱に就任。1998年(平成10年)に長男の善司に真柱の理を継承させるまでの約31年間に渡り真柱を務めた。
赤司 美知子(あかし みちこ、1932年〈昭和7年〉 - 没… 赤司 美知子(あかし みちこ、1932年〈昭和7年〉 - 没年不明)は、日本の女性神職。日本橋に鎮座する水天宮の第4代宮司。 1932年(昭和7年)、福岡県久留米市に社家ではなく一般家庭に長女として生まれる。家事を手伝いつつも29歳になっても嫁がないさまを見かねた父親が日本橋水天宮で勤めることを勧め、1960年(昭和35年)に上京し、翌年より水天宮に勤務。勤務当初の宮司であった甲斐田有美より神職となることを勧められたが、職員数が少ない中で一か月の休み取らなければならなかったためこれを固辞した。しかし、植田茂宮司時代になると神職数が3人に増え、支援を受けられることを承けて、1978年(昭和53年)に國學院大學に通い始め、神職資格を取得。
浅見定雄(あさみ さだお、 1931年〈昭和6年〉10月12… 浅見定雄(あさみ さだお、 1931年〈昭和6年〉10月12日 - )は、日本の宗教学者、神学博士(Th.D.)。旧約聖書学、古代イスラエル宗教史を専攻。東北学院大学名誉教授、日本脱カルト協会顧問(元代表理事)、特定非営利活動法人「小諸いずみ会」理事(初代理事長)。 1931年、山梨県都留市に生まれる。東京神学大学神学部卒業。東京神学大学博士課程修了。1964年 ハーバード大学神学部博士課程修了。Th.D.。1965年東北学院大学助教授、同大学教授。1999年定年退職、同大学名誉教授。 旧約聖書学の他に、社会問題となった日本の宗教団体の問題にも取り組んでいる。1960年代から統一教会(統一協会)を巡る問題に取り組み、宗教トラブルの相談も受けるようになった。
榊原 康夫(さかきばら やすお、1931年9月21日 - 2… 榊原 康夫(さかきばら やすお、1931年9月21日 - 2013年1月6日 )は、日本の牧師、神学者、説教者、著作家。 新改訳聖書のイザヤ書、エレミヤ書、哀歌を翻訳した。福音主義神学会の創立に関わった。 兵庫県芦屋市出身。灘高等学校卒業。大阪大学工学部機械科中退。1957年、神戸改革派神学校卒業。日本基督改革派教会の和歌山伝道所、甲子園教会牧師を歴任し、1967年(昭和42年)より東京恩寵教会牧師となる。1977年(昭和52年)- 1981年(昭和56年)日本基督改革派教会大会議長。 2001年(平成13年)に定年によって正牧師を引退し、東京恩寵教会名誉牧師となる。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。
久保木 修己(くぼき おさみ、1931年〈昭和6年〉2月3日… 久保木 修己(くぼき おさみ、1931年〈昭和6年〉2月3日 - 1998年〈平成10年〉12月13日)は、日本の宗教家。世界基督教統一神霊協会(統一教会)の日本の初代会長、国際勝共連合の日本の初代会長。そのほか、世界日報社会長、世界平和連合会長、リトルエンジェルス芸術団理事長、国際文化財団理事長、アジアサファリクラブ会長、国際友好釣連盟会長、北米極真空手会長などを歴任。中華民国中華学術院名誉哲学博士。「久保木亮光(りょうこう)」と名乗っていたこともある。本名は久保木脩夫。 1931年に中華民国安東県(現:中華人民共和国遼寧省丹東市)で父・仙蔵と母・よしの長男として誕生。仙蔵(1902年7月 - 没年不明)は千葉県香取郡津宮村出身で、京城商業善隣学校(現:善隣インターネット高等学校)を卒業後、朝鮮銀行を経て、西安商工公会参事・満州興業銀行西安支店支配人代理を歴任。
出口 和明(でぐち やすあき、1930年(昭和5年)8月15… 出口 和明(でぐち やすあき、1930年(昭和5年)8月15日 - 2002年(平成14年)6月19日)は、日本の作家、宗教家。大本教祖・出口王仁三郎の孫。 代表作『大地の母』全12巻(出口なお・王仁三郎の伝記であり、大本初期の歴史を描いた小説)。本名以外に「野上竜」「十和田龍」というペンネームで書いた著作もある。 昭和50年代から大本の宗教改革運動に取り組み、仲間たちと共に「いづとみづの会」を設立。昭和60年代には宗教法人「愛善苑」として独立した。 綾部の大本の聖地の中で生まれる。母親は出口王仁三郎の第三女・八重野で、亀岡に住んでいたが、出産の時だけ綾部に滞在していた。生まれた場所は大本の御神体山の頂上(一番の聖域)に建つ穹天閣(きゅうてんかく)という建物で、綾部における王仁三郎の居館だった。
秋谷 栄之助(あきや えいのすけ、1930年〈昭和5年〉7月… 秋谷 栄之助(あきや えいのすけ、1930年〈昭和5年〉7月15日 - )は、日本の宗教家。創価学会前会長(第5代)。 1930年(昭和5年)7月15日、東京府東京市(現在の東京都文京区)に誕生する。 第三東京市立中学校(旧制中学校、現在の東京都立文京高等学校)を卒業する。早稲田大学第一文学部仏文科(現在の文学部文学科フランス語フランス文学コース)在学中、創価学会会長の戸田城聖に師事し、創価学会(日蓮正宗)に入会する。一時期、師の城聖にならって城永(じょうえい)を名乗っていた。 大学卒業後は聖教新聞社に勤務し、同社編集長、論説主幹などを歴任する。 創価学会青年部内で頭角を現し、男子部長、青年部長、総務、東京第四本部長(東京・文京区など)を歴任する。
佐々木の 将人(ささきの まさんど、佐々木将人、1929年〈… 佐々木の 将人(ささきの まさんど、佐々木将人、1929年〈昭和4年〉2月1日 - 2013年〈平成25年〉2月15日)は、日本の合気道家、神道家。山蔭神道上福岡斎宮(埼玉県ふじみ野市)宮司、合気道神明塾塾頭。合気道(合気会)八段。雅号は、乾舟(けんしゅう)。 1929年(昭和4年)山形県長井市成田に生まれる。太平洋戦争(大東亜戦争)下の小学生の頃特攻隊への入隊を目指し陸軍幼年学校を受験するが失敗、14歳で徴用により動員され、名古屋の三菱重工で飛行機の部品(ネジ)製造業務に就き、そこで終戦を迎える。戦後、大工となったが、19歳の時、飛んできた釘が当たって左目を失明する。その後は古本屋・黒板塗り・闇米売りなど、あらゆる仕事で食いつなぐ。
富岡 興永(とみおか おきなが、1928年〈昭和3年〉6月2… 富岡 興永(とみおか おきなが、1928年〈昭和3年〉6月26日 - 2012年〈平成24年〉7月20日)は、日本の神職。富岡八幡宮宮司(第19代)。 富岡盛彦・好子の次男として東京都に生れる。別名宰一郎か。1950年、國學院大學の旧制哲学科を卒業。同年、電通に入社。 1959年、京都府宮津市にある籠神社の禰宜となる。時期は不明だが、同神社宮司の海部穀玄の長女と結婚した。 1960年、東京都に戻り富岡八幡宮の禰宜となる。 1974年9月9日、父の富岡盛彦が死去。同年、父の後継として富岡八幡宮第19代宮司に就任。 1994年10月に宮司退任。1995年3月、長男の富岡茂永が宮司となり、興永は名誉宮司となった。
関田 寛雄(せきた ひろお、1928年 - 2022年)は、… 関田 寛雄(せきた ひろお、1928年 - 2022年)は、日本の宗教家、青山学院大学名誉教授。 1928年に北九州市で生まれ、幼少期に大阪府吹田市に転居する。父は牧師で母とは7歳で死別する。 吹田市に住んでいた幼い頃に洗礼を受ける。小学生の時には同級生から、アメリカのスパイや、キリスト教徒をやめるように罵声を浴びせられ、暴行を受ける。日中戦争が始まりアメリカとの緊張も高まっていた時期に日本でキリスト教徒でいることは危ないと感じる。 中学生になると軍事教練に積極的に励む。お国のために死ぬことが良いことと話して教師に褒められ、戦場に向かう先輩の姿を見て同級生に後に続こうと呼びかけ、そして周りから尊敬されていく自分を誇らしく思っていた。
高瀬 広居(たかせ ひろい、1927年11月11日 - 20… 高瀬 広居(たかせ ひろい、1927年11月11日 - 2006年5月28日)は日本の宗教家。 東京の浄土宗の寺に生まれる。昭和18年(1943年)に僧侶資格を得る。 東京都立第七中学校を経て早稲田大学第一文学部(西洋哲学および国文学専攻)を卒業後、日本放送協会(NHK)に入局、「国会討論会」他、政治・社会番組のプロデューサーを務める。 その後ニュースキャスター、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)常務取締役、放送批評懇談会理事長、講話塾「全国疏石会」会主。拓殖大学客員教授、拓殖大学理事。 創価学会・公明党の支持者であり、天皇崇拝家でもあった。 昭和62年(1987年)から、テレビ東京系『レディス4』(のちの『L4 YOU!』)で毎月最終金曜日の「月末対談」(12月の月末対談のみ「年末対談」と改題)に出演していた。
井上 洋治(いのうえ ようじ、1927年3月28日 - 20… 井上 洋治(いのうえ ようじ、1927年3月28日 - 2014年3月8日)は、日本のカトリック教会の司祭。神奈川県出身。 1927年(昭和2)3月28日父重明と母アキの次男として神奈川県津久井郡串川村の母の実家で生まれる。7歳年上の姉、5歳年上の兄、2歳年下の弟の4人兄弟だった。その後、父親の転勤により大阪・天王寺に移る。 1933年(昭和8)大阪天王寺第六尋常小学校入学。同年9月、父の転勤で東京・市ヶ谷に移り、愛日尋常小学校に転校。 1939年(昭和14)4月、府立四中(現在の東京都立戸山高校)に進学。 1943年(昭和18)4月、旧制東京高等学校(理科甲類)に進学し、入寮。 1944年(昭和19)高等学校2年からは勤労動員で亀有の工場に駆り出される。
粟本 昭夫(あわもと てるお、1927年2月12日 - 20… 粟本 昭夫(あわもと てるお、1927年2月12日 - 2025年)は、日本のイエズス会司祭、宗教家、教育者。
尾山 令仁(おやま れいじ、1927年1月15日 - 202… 尾山 令仁(おやま れいじ、1927年1月15日 - 2023年5月16日)は、日本の牧師、神学者、聖書学者、神学校教師、神学博士。聖書キリスト教会元会長牧師。日韓親善宣教協力会会長、厚木聖書キリスト教会主任牧師。号は「唯人」。 陸軍経理学校、早稲田大学大学院博士課程修了。戦後、日本の福音派指導者として聖書信仰の確立のために働く。大学時代にキリスト者学生会を設立。日本プロテスタント聖書信仰同盟の3代目実行委員長として日本福音同盟の結成に関わる。第2回日本伝道会議京都宣言起草委員長。 長男の尾山謙仁は牧師。娘婿の岡野俊之は牧師。次男の尾山清仁は聖書キリスト教会会長牧師。孫の岡野義喜は牧師。 会社員の家庭に生まれた。
葉室 賴昭(はむろ よりあき、1927年〈昭和2年〉1月3日… 葉室 賴昭(はむろ よりあき、1927年〈昭和2年〉1月3日 - 2009年〈平成21年〉1月3日)は、日本の医師、神職。葉室家37代当主。 葉室家36代当主葉室直躬の長男として東京府に生まれた。葉室家は公家の藤原藤原北家勧修寺流(藤原為房の次男藤原顕隆が家祖)の流れを汲む伯爵家。学習院に初等科から高等科まで通った。大阪大学医学部を卒業後、勤務医を経て、形成外科医院を開業した。診療を続けながら通信教育で神職資格を勉強し、神職の最高階位である明階を取得した。神社庁の推薦を受けて平成4年(1992年)に東大阪市の枚岡神社の宮司に就任。平成6年(1994年)8月、春日大社の宮司に就任した。平成20年(2008年)3月、春日大社宮司を退任。
森田 一哉(もりた かずや、1926年〈大正15年〉9月9日… 森田 一哉(もりた かずや、1926年〈大正15年〉9月9日 - 2007年〈平成19年〉5月19日)は、神奈川県横浜市出身の宗教家。 1926年、創価学会理事(財務部長)の森田悌二とカヤの長男として生まれる。 1942年、創価教育学会(後の創価学会)に入会する。少年の頃、創価教育学会会長・牧口常三郎(創価学会初代会長)の謦咳に接している。戦後、1951年、中央大学卒業。在学中から創価学会の活動を行う。創価学会第2代会長の戸田城聖の時代から、池田大作(後の同会第3代会長、現・名誉会長)と共に草創期に尽力する。 2007年5月19日、慢性腎不全のため死去。享年80。葬儀は本人の意向により、家族葬で行われた。
出村 龍聖(でむら りゅうせい、1926年 - 1989年)… 出村 龍聖(でむら りゅうせい、1926年 - 1989年)は、八大龍王神八江聖団の創始者、教祖・元海軍軍人。本名は出村 勝雄。北海道檜山郡江差町出身。 漁業を営む父母の元に長子として出生。幼少の砌より信仰心が殊の外厚く、地元の賢光稲荷や福幸稲荷の社の掃除を地元の高等小学校の登校前に率先して行い日課にしたという。10歳の時に霊夢をみて、以来霊感による予言を始める。その後、横須賀市の海軍航空技術廠付属工業学校を卒業し、海軍工作科予備補習生を経て、第1海兵団に入団。1943年千歳海軍航空隊に配属され、北千島や横須賀第1海兵団などに転属。空母「信濃」に従事し、戦闘機設計にも携わった。終戦後、復員し、混乱した世相の中、滝修行や断食など生命を賭した荒修行を重ね、その荒修行の中で、八大龍王神が龍聖の体に降臨したという。
本山 博(もとやま ひろし、1925年12月15日 - 20… 本山 博(もとやま ひろし、1925年12月15日 - 2015年9月19日)は、日本の超心理学者、心理学者、宗教家。国際宗教・超心理学会(IARP)初代会長、宗教心理学研究所初代所長、玉光神社名誉宮司、カリフォルニア人間科学大学院大学(CIHS)創設者。 香川県小豆郡(小豆島)出身。東京文理科大学(現筑波大学)卒業。 本山は、のちに玉光神社を開いた母の指導の下で、幼少の頃より滝行や断食、般若心経の読誦などの修行をしていた。 クンダリニー・ヨーガの研究者であり、立花隆によればその研究は世界的に有名であり、ユネスコ本部は、本山を世界の著名な超心理学者十人の一人に選出したという[要ページ番号]。心霊手術やユリ・ゲラーの超能力、外気功、福来友吉の念写の研究、霊の憑依現象、輪廻転生等に肯定的な発言をしている。
鹿島 俊郎(かしま としろう、1925年7月8日 - 196… 鹿島 俊郎(かしま としろう、1925年7月8日 - 1960年1月31日)は日本の宗教家。普明会教団創立者・初代会長。 1925年(大正14年)7月8日、熊本県熊本市に生まれる。1939年(昭和14年)叔母の導きにより霊友会に入会。1944年(昭和19年)4月、横浜高等工業学校(現横浜国立大学)入学。霊友会第七支部の傘下だった横浜支部(公称2万人)の導き親となる(後、横浜支部は鹿島監督下において4支部に分立)。1947年(昭和22年)3月、横浜高等工業学校卒業。同年4月、霊友会職員となり、久保継成の家庭教師となるかたわら、教団の組織・教義の研修、信徒の指導にあたる。一方で、霊友会の法華経の教えに限界と疑問を感じ始め、戸次貞雄の著書に巡り会い、霊友会と戸次との関係を知る。
増井 悟朗(ますい ごろう、1925年6月7日 - 2015… 増井 悟朗(ますい ごろう、1925年6月7日 - 2015年8月7日)は、大阪市浪速区生まれの宗教家。浄土真宗華光会前代表、浄土真宗本願寺派布教使。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石田 次男(いしだ つぎお、1925年〈大正14年〉2月24… 石田 次男(いしだ つぎお、1925年〈大正14年〉2月24日 - 1992年〈平成4年〉2月4日)は、日本の政治家、宗教家。公明党所属の参議院議員、創価学会理事、初代九州総支部長を務めた。 のちに、創価学会の反対派(批判者)になり、創価学会への批判活動を行っていた。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 1925年(大正14年)2月24日、秋田県鹿角市生まれ。芝浦工業専門学校を卒業後、1950年1月、創価学会に入会する。創価学会秘書室を経て、聖教新聞編集長、1951年7月11日、男子部第一部隊長(小岩、向島、城東各支部青年部担当)、1953年1月2日、創価学会小岩支部長に就任し、特に教学方面を担当する。
渡部 英麿(わたなべ ひでまろ、1924年9月24日 - 2… 渡部 英麿(わたなべ ひでまろ、1924年9月24日 - 2011年10月12日)は、広島県広島市西本浦町(現南区)出身の宮司。元サッカー選手、指導者。 実家は広島市の黄金山に面した邇保姫神社。國學院大學出身という異色の経歴は神社の神主だからである。 広島似島中学教諭時代に日本代表に選出され、1954年のワールドカップスイス大会予選と第2回アジア競技大会(マニラ)の国際Aマッチ2試合に先発出場した。体格も良く、ゴールキーパーとして安定したプレーを見せ、名ゴールキーパーと謳われた。視力が悪かったためメガネを掛けてプレーした。当時チームでのニックネームはやはり「神主」だったという。 指導者としても活動しており、山陽高校監督として1967年、同校を全国高校選手権優勝に導いた。
岡本 健治(おかもと けんじ、1924年〈大正13年〉3月4… 岡本 健治(おかもと けんじ、1924年〈大正13年〉3月4日 - 1999年〈平成11年〉1月26日)は、日本の神職。熱田神宮名誉宮司、愛知県神社庁名誉庁長。熱田神宮禰宜、権宮司、宮司を歴任し、愛知県神社庁副庁長、同庁長、神社本庁副総長、同総長、日本会議副会長などを務めた。 大正13年(1924年)3月4日、京都府舞鶴市にて、元外宮御師の家系であった岡本家の斎次郎・初枝夫妻の次男として生まれた。 昭和18年(1943年)9月、神宮皇學館附属専門部を卒業した。同年10月1日、熱田神宮雇となる。のち、宮掌を拝命するも解任、嘱託・宮掌を拝命するも昭和21年(1946年)の官国幣社職制廃止により解任、同年明階となり禰宜に任じられるが、翌昭和22年(1947年)に行われた神宮職制改革に伴い権禰宜に降任となるなど、戦時下・戦後の激動の時代にその職階も波瀾万丈であった。
谷口 恵美子(たにぐち えみこ、1923年(大正12年)10… 谷口 恵美子(たにぐち えみこ、1923年(大正12年)10月10日 - 2023年10月22日)は、日本の宗教家。元生長の家白鳩会総裁。谷口雅春と谷口輝子の長女。 富山県高岡市で生れる。香蘭女学校卒業。1946年、のちに生長の家総裁となる荒地清超(谷口清超)と結婚。 写真撮影を趣味とし、機関誌『生長の家白鳩会』に長く写真を掲載した。また、「母と子のうた」「こどものために」「あかるい窓」「地球の人よ」などの生長の家の聖歌を作詞作曲した。 1979年5月2日、立教五十周年記念白鳩会全国大会が日本武道館で開かれる。恵美子は同大会に登壇し、「議会というのは、日本の国を良くしてゆくために皆が寄り集まって話し合って、立派な日本を築き上げてゆくところであるのに、野党は、与党の言うことにはみんな反対、反対といって演説を聞こうとしない。
北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月1… 北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月11日 - 1981年〈昭和56年〉7月18日)は、日本の海軍軍人、政治家、宗教家。公明党所属の参議院議員(1期、1965年 - 1971年)、第4代創価学会会長。 前任会長の池田大作が執筆した小説『人間革命』の登場人物「十条潔」のモデルとなる。 神奈川県三浦郡葉山町生まれ。北条釐三郎の長男として生まれる。先祖は、後北条氏河内狭山藩初代藩主の北条氏盛(後北条氏第3代北条氏康の孫の一人)であり、その嫡流にあたる。ただし、祖父・北条氏恭が伊達政宗の子孫(伊達氏→堀田氏→狭山藩北条氏と養子入りした家系)であるため、男系の血筋上は伊達氏の末裔である。
上杉 千郷(うえすぎ ちさと、1923年4月3日 - 201… 上杉 千郷(うえすぎ ちさと、1923年4月3日 - 2010年6月30日)は、日本の狛犬研究家、神職。学校法人皇學館常任顧問。 岐阜県吉城郡古川町(現・飛騨市)の神社社家19代目に生まれる。神宮皇學館大學付属専門部在学中に学徒出陣、第一期海軍飛行専修予備生徒となり海軍少尉任官、沖縄戦に参加する。1944年9月に神宮皇學館大學付属専門部、1950年3月に國學院大學文学部を卒業。 1952年4月に総理府事務官となり、その後、法務大臣秘書官、郵政大臣秘書官を経て、全国神社総代会参事、全国神社会館館長、岐阜県神社庁副庁長(1971年3月)、鎮西大社諏訪神社宮司(1982年4月)、世界連邦日本宗教委員会議長(1995年4月)、長崎県神社庁長(1998年7月)、世界宗教者平和会議日本委員会評議員(1999年4月)を歴任。
真弓 常忠(まゆみ つねただ、1923年3月6日 - 201… 真弓 常忠(まゆみ つねただ、1923年3月6日 - 2019年4月3日)は、日本の神職・神道学者・歴史学者。皇學館大学名誉教授。住吉大社名誉宮司。 大阪市生まれ。神宮皇學館大學卒業後、1975年まで住吉大社禰宜、1993年まで皇學館大学教授。退任後は八坂神社宮司を経て、住吉大社宮司に就いた。2012年より同名誉宮司。2019年4月3日に死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
紀野 一義(きの かずよし、1922年8月9日 - 2013… 紀野 一義(きの かずよし、1922年8月9日 - 2013年 12月28日)は、日本の仏教学者、宗教家。真如会主幹。
大野 俊康(おおの としやす、1922年〈大正11年〉5月2… 大野 俊康(おおの としやす、1922年〈大正11年〉5月20日 - 2013年〈平成25年〉4月16日)は、日本の神職。靖國神社宮司(第7代)。本渡諏訪神社名誉宮司。 熊本県出身。1943年(昭和18年)10月、神宮皇學館大学祭祀専攻科に入学したが、学徒出陣により、同年12月1日、陸軍西部十六部隊(熊本市の陸軍歩兵連隊機関銃中隊大隊砲小隊)に入営。1944年(昭和19年)6月、第三期特操として熊谷飛行学校に入校したものの、訓練未了のまま終戦を迎えた。 1947年(昭和22年)2月、肥後本渡諏訪神社(天草島総鎮守)宮司。1948年(昭和23年)、九州帝国大学(現・九州大学)文学部卒。1986年(昭和61年)、熊本県神社庁長。
森脇 隆夫(もりわき たかお、1922年(大正11年)4月2… 森脇 隆夫(もりわき たかお、1922年(大正11年)4月28日 - 1996年(平成8年)2月27日) は、日本の化学工学者、司祭。学校法人上智学院理事長。 1945年名古屋帝国大学工学部応用化学科卒業。1952年上智大学文学部哲学科卒業。1954年上智大学大学院哲学研究科修了。 1957年カトリック司祭。1958年上智大学大学院神学研究科修了。1962年上智大学理工学部助教授。 1965年ノートルダム大学Ph. D. in Chemistry。 1967年上智大学学生部次長。1971年上智大学理工学部教授。 1975年学校法人上智学院理事。1975年学校法人上智学院評議員。1976年学校法人上智学院総務担当理事。
善川 三朗(よしかわ さぶろう、本名:中川 忠義、1921年… 善川 三朗(よしかわ さぶろう、本名:中川 忠義、1921年〈大正10年〉11月20日 - 2003年〈平成15年〉8月12日)は、日本の宗教家。実業家。農業・畜産指導者。幸福の科学名誉顧問。徳島県麻植郡東山村(現在の吉野川市鴨島町樋山地)出身。青年師範学校卒業。長男は富山誠。次男は幸福の科学総裁である大川隆法。妻は中川君子。姉は作家の中川静子。 宮大工である中川源左衛門輝房とその妻であるテルノの次男として1921年(大正10年)11月徳島県麻植郡東山村樋山地(現・吉野川市鴨島町樋山地)に生まれる。父の源左衛門は宮大工の棟梁をしており、県内各地の寺社にその仕事の履歴を残している。 父輝房が亡くなった8歳の1930年(昭和5年)頃、中川一家は川島町に移住し、この時に「汝は、今生に大いなる責任を持って生まれたものである。
小平 芳平(こだいら よしへい 1921年(大正10年)8月… 小平 芳平(こだいら よしへい 1921年(大正10年)8月13日 - 2001年(平成13年)6月18日)は、日本の政治家、宗教家。参議院議員(4期)。 長野県生まれ。1936年、高等科2年を卒業、造り酒屋に奉公、1937年愛知県名古屋市で水道局に勤める傍ら、夜学に通い、中学卒業検定試験に合格。1941年(昭和16年)春、上京し、中央大学に通う。 同年秋、時習学館の新聞の講師求人広告に応募し、創価教育学会の牧口常三郎に出会い、入会する。その後、学徒出陣で、徴兵検査を受け、入隊、終戦を迎える。 戦後、復員すると、創価教育学会から名前を改めた創価学会で、教学部長、機関誌『大白蓮華』編集長などを歴任。
上條 馨(かみじょう かおる、大正10年(1921年)3月7… 上條 馨(かみじょう かおる、大正10年(1921年)3月7日 - 昭和36年(1961年)1月3日)は、山梨県の郷土史家、神職。 山梨県甲府市に御崎神社の宮司を務める上條定久、多津の二男として生まれる。昭和13年(1938年)3月に山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を卒業後、神宮皇學館(現在の皇學館大学)に入学し同校を卒業。山梨県立甲府中学校、山梨県立甲府第一高等学校に勤務し、昭和23年(1948年)には母校である山梨県立甲府第一高等学校の校歌を作詞、また、父の後を継ぎ御崎神社宮司を務める。その後、病気のため同校教諭を辞職。後に山梨学院大学講師、山梨学院大学附属高等学校教諭となる。
清沢 哲夫(きよざわ てつお、1921年1月26日 - 20… 清沢 哲夫(きよざわ てつお、1921年1月26日 - 2000年1月20日)は、愛知県碧南市出身の宗教家・哲学者。大谷大学助教授を務め、晩年は石川県白山市「明達寺」(真宗大谷派)の住職としてすごした。清沢満之の孫。暁烏敏の孫・宣子と結婚し、暁烏 哲夫(あけがらす てつお) と改姓。 大正10年(1921年)愛知県碧南市の西方寺に生まれる。碧南市大浜尋常小学校、愛知県立刈谷中学校、大谷大学予科(ドイツ語科)を経て、昭和19年(1944年)大谷大学文学部西洋哲学科卒業。学徒動員され約2年間の軍隊生活を送る。戦争中に体験した「人間の獣性の事実」「人間の死の事実」を転機として復員後は社会の問題に向き合い、まず実家西方寺において「形骸化し死化した寺院制度」を改革しようとする。
谷口 清超(たにぐち せいちょう、1919年10月23日 -… 谷口 清超(たにぐち せいちょう、1919年10月23日 - 2008年10月28日)は、日本の宗教家。生長の家第2代総裁。生長の家創始者・谷口雅春の娘婿。実父はかつて裁判官をしていた荒地清介、実母は荒地多加代。 広島県広島市出身。東京帝国大学文学部心理学科卒業後、戦争の激化で軍役に就くものの、すぐ肺を病み療養のため病院に入院。そこで相部屋の上等兵より谷口雅春の『生命の實相』を見せられ、その教えに感動する。 終戦後、「万教帰一」を唱える雅春は、GHQの厳しい思想統制に対して西洋の光明思想を翻訳・紹介する文筆活動を開始、その翻訳助手を募集する広告を新聞に掲載。それを見た荒地清超はすぐに上京し、谷口宅を訪問。
山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 19… 山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 1988年8月1日)は、釣り研究者、エッセイスト、宗教家。 滋賀県甲賀郡甲南町(現甲賀市)生まれ。本名、山本幹二。日本随筆協会、日本釣振興会、日本渓流釣連盟、各会員。 各種学校や塾を遍歴して一つも卒業せず、職業も転々として自由業に終始。絵付け職人の傍ら、山釣りと渓魚とツチノコの研究にのめり込み、京都を拠点に北海道北端から九州南端、さらには離島、韓国江原道まで彷徨した。 昭和40年代のツチノコブームの火付役で、田辺聖子の小説「すべってころんで」のモデルにもなった。天理教滋京分教会会長、ノータリンクラブ会長。
花山院 親忠(かさんのいん ちかただ、1918年〈大正7年〉… 花山院 親忠(かさんのいん ちかただ、1918年〈大正7年〉8月3日 - 1994年〈平成6年〉2月28日)は、日本の華族、神職。花山院家36代目当主。佐賀県立三養基高等学校校長、春日大社宮司を歴任した。 1986年当時、奈良県神社庁常任理事、神社本庁評議員、奈良県教育委員会委員であった。 大正7年(1918年)8月3日、花山院親家の長男として、東京府に生まれる。 大正13年(1924年)3月11日に父の親家が薨去すると、7月15日、6歳で家督を継承し襲爵した。第二開成中学校を経て、昭和12年(1937年)、國學院大學国文学科に入学。武田祐吉や折口信夫に学び、『御湯殿上日記』を研究した。 昭和16年(1941年)、國學院大學国文学科を卒業。
金井 南龍(かない なんりゅう、1917年6月5日 - 19… 金井 南龍(かない なんりゅう、1917年6月5日 - 1989年2月27日)は、日本の宗教家、易者、治療師、画家。「神理研究会」創設者で、月刊誌『さすら』の編集発行人。本名、金井三吉。筆名、金井久蜘蛛(くくも)。「一人一宗」を提唱した。 1917年(大正6年)、群馬県北甘楽郡福島町星田(現・富岡市)に生まれる。父・谷五郎は福島町の町長だった。生まれつき霊能があり、日常的に神霊との交流があったという。20歳で近衛師団に召集され、皇居や御用邸の警備にあたる。22歳で満州に出征。ノモンハンの戦闘(1939年)に参加したが、途中で肺結核に罹患し兵役免除となる。 1947年(昭和22年)、30歳で自動車販売会社を興す。
白井 永二(しらい えいじ、1915年〈大正4年〉12月10… 白井 永二(しらい えいじ、1915年〈大正4年〉12月10日 - 2008年〈平成20年〉1月1日)は、日本の民俗学者、神職。神社本庁総長、日本会議顧問、鶴岡八幡宮名誉宮司などを務めた。 愛知県豊橋市花田町西羽田に生まれる。1928年、豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。國學院大學国文科卒業。折口信夫に師事し祝詞を研究。鶴岡八幡宮宮司を務め、かたわら菅江真澄などの研究を行った。 1979年2月24日、国際勝共連合と自民党の国防関係国会議員が中心となり、「スパイ防止法制定促進国民会議」が設立された。呼びかけ人は木内信胤、朝比奈宗源、宇野精一、郷司浩平、宝井馬琴、三輪知雄の6人。サンケイ会館で設立発起人総会が開かれ、白井は発起人に名を連ねた。