佐々木 行綱(ささき ゆきつな、1926年(大正15年)3月… 佐々木 行綱(ささき ゆきつな、1926年(大正15年)3月14日 - 2017年(平成29年)9月6日)は、日本の声楽家(バス)、オペラ歌手、音楽教育者、音楽評論家。音楽教育者、作曲家の佐々木すぐるの三男。 東京出身。幼少時はボーイソプラノの童謡歌手であり、代表曲は『四っつの兄ちゃん』『犬と小僧さん』『兵隊あそび』などがある。1944年(昭和19年)東京音楽学校声楽科に入学。木下保、中山悌一に師事。1948年(昭和23年)卒業。同年同校研究科に進み、柴田睦陸に師事。1950年(昭和25年)修了。畑中良輔を代表に結成された第二次東京交声楽団に参加し、その先頭に立って歌唱技能を磨く。1951年(昭和26年)芸大歌劇研究部 ベルリオーズ『ファウストの劫罰』(日本初演)ブランデルでデビュー。
鯖田 豊之(さばた とよゆき、1926年3月12日- 200… 鯖田 豊之(さばた とよゆき、1926年3月12日- 2001年10月25日)は、日本の歴史学者、評論家、京都府立医科大学名誉教授。 専攻は西洋中世史、比較史。 奈良県生まれ。1952年京都大学文学部史学科卒。島根大学助教授や京都府立医科大学教授を経て、1988年に定年退官し、名誉教授。 『肉食の思想』が話題となり、保守派評論家として知られた。
千住 文子(せんじゅ ふみこ、1926年〈大正15年〉3月4… 千住 文子(せんじゅ ふみこ、1926年〈大正15年〉3月4日 - 2013年〈平成25年〉6月27日)は、日本の教育評論家、エッセイスト。 夫は千住鎮雄。長男は千住博、二男は千住明、長女は千住真理子。父は角倉邦彦、祖父は角倉賀道。 東京都出身。日本女子専門学校国文科(旧制)を経て、共立女子大学家政学部生活科学科(新制)に一期生として入学。同大学を卒業後は高分子学会に勤務。その後、明治製菓株式会社に入社。同研究所薬品研究室研究員として抗生物質開発の研究に従事。経営工学者の千住鎮雄と結婚して退職。 芸術家三兄妹として知られる日本画家の千住博、作曲家の千住明、ヴァイオリニストの千住真理子を育てた。2000年に夫が他界した後、教育問題に関する講演会や執筆活動、テレビ・ラジオへの出演など多岐にわたって活躍。
川添 登(かわぞえ のぼる、1926年2月23日 - 201… 川添 登(かわぞえ のぼる、1926年2月23日 - 2015年7月9日)は、日本の建築評論家。 都市評論家、文明評論家でもあり、1953年から1957年まで雑誌『新建築』編集長をつとめ、往時に伝統論争を仕掛けた。以後、建築評論から民俗学に至る分野で活躍していく。1960年のグループメタボリズム結成に参画、また建築のほか旺盛な都市評論を展開。傍らで師・今和次郎の研究などをも手がける。建築の実作をつくらずして建築評論を展開することで日本の建築思想を牽引し、日本の建築家の作品や考え方に影響を与え続けたという。日本生活学会・日本展示学会・道具学会名誉会員。 東京都出身。駒込染井に生まれる。早稲田大学専門部工科建築専攻から早稲田大学文学部哲学科心理学専修に進学。
酒井 美意子(さかい みいこ、1926年(大正15年)2月1… 酒井 美意子(さかい みいこ、1926年(大正15年)2月18日 - 1999年(平成11年)10月5日)は、日本のマナー・皇室評論家。旧姓・前田。加賀前田家16代当主で侯爵・前田利為の長女。母は雅楽頭系酒井家宗家20代当主で伯爵・酒井忠興の次女菊子。同家22代当主・酒井忠元の妻。 女子学習院中等科の学生だった頃、同じ旧大名華族の娘である級友と幕末の前田家について次のような会話をしたという。
村上清(むらかみ きよし、1926年2月10日 - 2008… 村上清(むらかみ きよし、1926年2月10日 - 2008年12月14日)は、日本の年金評論家。 愛媛県出身。1954年東京大学経済学部卒、日本団体生命保険入社、1974年同取締役、1971年東大経済学部講師を務めた。年金に関する多くの著訳書がある。 1960年代中頃から年金評論家としてメディアで活動を始める。年金危機を早くから予見していた人物である。政府からは修正積立方式に基づく財政運営と説明されていた公的年金に対して、実際は賦課方式で運営されていることを初めて指摘した。また1973年に厚生年金の水準給付(モデル年金)が賃金の60%に設定されたことに対して、将来の過大負担による財政崩壊を防ぐために給付水準に上限を設定することを主張した。
百目鬼 恭三郎(どうめき きょうざぶろう、1926年(大正1… 百目鬼 恭三郎(どうめき きょうざぶろう、1926年(大正15年)2月8日 - 1991年(平成3年)3月31日)は日本の新聞記者、文芸評論家。匿名で発表した原稿も多い。 北海道小樽市に生まれ、群馬県前橋市に育ち、旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に学ぶ。旧制新潟高等学校で丸谷才一と知り合う。東京大学文学部英文学科を卒業後、母校群馬県立前橋高等学校勤務を経て、補欠社員募集に応じて朝日新聞社に入る。入社当初は宇都宮支局にて刑事事件の記事を書いていた。 入社4年後に東京本社学芸部に転属。まもなく安西均の後任として詩壇を担当したが、現代詩に疎いため、大学時代の友人である篠田一士にたびたび意見を訊いていた。
稲垣 真美(いながき まさみ、1926年2月8日- )は、日… 稲垣 真美(いながき まさみ、1926年2月8日- )は、日本のノンフィクション作家、評論家。美学、プラトンを専攻。2012年、筆名を稲垣太瑚に変更した。 日本文芸家協会、日本ペンクラブ各会員、全日本国際酒類振興会会長。 京都府八幡町(現八幡市)生まれ。浄土宗の仏教学者を父にもち、幼時から少年時まで京都・鴨川沿いで育つ。 当時の木内重四郎京都府知事の構想で、大正7年実験的に特殊な英才教育を実施した京都府立師範学校附属小第二教室で学んだ。 第一高等学校 (旧制)を経て東京大学文学部美学美術史学科卒。1955年、同大学院修士課程修了。 1965年「苦を紡ぐ女」で直木賞候補。「花粉になった女」で岸田戯曲賞候補。
志鳥 栄八郎(しどり えいはちろう、1926年1月24日 -… 志鳥 栄八郎(しどり えいはちろう、1926年1月24日 - 2001年9月5日)は日本の音楽評論家。 1926年、東京府北豊島郡日暮里町(現・東京都荒川区日暮里)で毛筆製造業者の八男として生まれる。旧制駒込中学校(現・駒込中学校・高等学校)在学中の同級生に大滝秀治がいる。文学と音楽に熱中して第一高等学校 (旧制)と慶應義塾大学予科の入試に失敗し、予備校生活を経て、1944年から旭電化工業に勤務。1945年3月10日の東京大空襲で実家が焼失したため、福島県石川郡石川町に疎開。1945年5月、召集令状を受け、二等兵として相模原の通信第一連隊に入営。敗戦後に復員し、1946年1月から日本造船に勤務。
浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003… 浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003年8月10日)は、日本の児童文学作家、評論家、教育者。専攻は近代文学。中学、高校での教師を務めたのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事を歴任した。日本児童文学者協会理事、日本児童文芸家協会理事、日本文芸家協会会員。 静岡県御殿場市出身。早稲田大学第一文学部国文科を卒業後、都内の中学、高校教師を務め、立教大学大学院を修了(近代文学専攻)。 上野高等学校教頭を最後に高校教師を退職したのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事などを歴任。
宮内 嘉久(みやうち よしひさ、1926年1月4日 - 20… 宮内 嘉久(みやうち よしひさ、1926年1月4日 - 2009年12月13日)は、日本の建築評論家、建築批評家、建築史家、編集者、建築ジャーナリスト。 東京生まれ。旧制府立高等学校を経て東京大学第二工学部建築学科卒業。 雑誌「新建築」(1957年のいわゆる「新建築問題」で退職)、雑誌「THE JAPAN ARCHITECT」(新建築社、1956年の創刊時の担当)、雑誌「国際建築」(美術出版社、1968年廃刊)、「建築年鑑」(美術出版社、1969年まで)などを編集する。 その他にも、1956年に大谷幸夫らと五期会を設立、1958年に宮内嘉久編集事務所を開設、1969年にAF(建築戦線)を結成する。
久保田 二郎(くぼた じろう、1926年 - 1995年4月… 久保田 二郎(くぼた じろう、1926年 - 1995年4月)は、日本のエッセイスト、ジャズ評論家、雑誌編集者。東京都渋谷区千駄ヶ谷生まれ。香川県出身。日本にモダン・ジャズを初めて紹介した一人。 千駄ヶ谷の鳩森八幡神社の裏の屋敷街で育つ。幼少からアメリカ文化の影響を強く受ける。青山師範付属小学校卒業。法政大学卒業。戦後、ジャズ・ドラマーを経て、博学なジャズ評論家として活躍し、キング・ジャズ・シリーズの監修者を担う。『スイングジャーナル』誌の編集長となり、ジャズについて書き始めていた植草甚一を起用した。 日本初のステレオLPレコードや、今のテレビ音楽番組のスタイルを確立するなど、日本の音楽界に大きく貢献。
藤永 茂(ふじなが しげる、1926年 - )は日本、カナダ… 藤永 茂(ふじなが しげる、1926年 - )は日本、カナダの物理化学者、評論家。アルバータ大学理学部名誉教授。
師岡 武男(もろおか たけお、1926年 - 2025年3月… 師岡 武男(もろおか たけお、1926年 - 2025年3月5日)は、日本の経済評論家、ジャーナリスト。元共同通信社論説委員。
亀岡 大郎(かめおか たろう、1926年(大正15年) - … 亀岡 大郎(かめおか たろう、1926年(大正15年) - 2019年6月28日)は、日本の実業家、経済評論家、ジャーナリスト。日本統治時代の朝鮮・京城府出身。本項目では亀岡が設立した「亀岡大郎取材班グループ」についても説明する。 近畿大学中退後、1947年広島新聞入社。社会部記者を経て、1949年野田経済研究所に入所、経済記者としての経験を積む。1952年、大阪の夕刊紙である新大阪新聞社入社。社会部で勤務後、証券、財界を担当。1957年から「北浜太郎」名義で「アスの投資戦術」を連載。同新聞で経済部長を務めたのち、経済評論家に転身。文藝春秋、週刊文春、週刊現代、サンデー毎日、週刊読売、週刊サンケイ、週刊ポストなど多くの雑誌や全国の新聞社にて記事を執筆した。
猿田 悳(さるた とく、1926年 - 1975年2月13日… 猿田 悳(さるた とく、1926年 - 1975年2月13日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家、音楽評論家。 茨城県生まれ。1951年東京大学独文科卒。富山大学講師、金沢大学助教授、慶應義塾大学経済学部助教授、教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
内垣 啓一(うちがき けいいち、1925年(大正14年)12… 内垣 啓一(うちがき けいいち、1925年(大正14年)12月20日 - 1989年(平成元年)8月17日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家、演劇・音楽評論家、舞台演出家、オペラ演出家。東京大学名誉教授。 京都府京都市に生まれる。京都第一中学校(旧制)、第一高等学校(旧制)を経て、1950年(昭和25年)京都大学文学部ドイツ文学科卒。1951年(昭和26年)に東京大学教養学部助手となり、1953年(昭和28年)戦後初めてのドイツ学術交流会招聘留学生としてハンブルクにおいて研究を続け、以後ドイツ文学、ドイツ演劇、比較文学、比較演劇の講師、助教授、教授を務め、1986年定年退官。 ドイツ文学のエキスパートとして古典から現代までの数多くの文学作品や戯曲を翻訳し出版しているのみならず、研究領域はドイツ演劇に加え、ドイツオペラから新劇や伝統芸能に至るまで舞台芸術全般に及んだ。
大木豊(おおき ゆたか、1925年12月14日 - 1976… 大木豊(おおき ゆたか、1925年12月14日 - 1976年9月1日)は、演劇評論家。東京生まれ。1949年早稲田大学文学部芸術科卒。演劇評論家協会会員。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。
永井 信一(ながい しんいち、1925年12月9日 - )は… 永井 信一(ながい しんいち、1925年12月9日 - )は、日本の美術史家、美術評論家。女子美術大学名誉教授。 神戸市生まれ。本籍は群馬県。京城帝国大学予科在学中に敗戦を迎え、引揚後、旧制松本高等学校理科甲類に編入。1948年東北帝国大学文学部東洋芸術史学科卒業後、東北帝国大学助手、1949年女子美術大学芸術学部講師、助教授、教授を歴任。1989年から1991年まで女子美術大学付属高等学校・中学校長(第十代)。1991年に女子美術大学を定年退職し、名誉教授の称号を得る。同年、沖縄県立芸術大学教授に就任し、1999年に沖縄県立芸術大学を退職。
峯島 正行(みねしま まさゆき、1925年12月7日 - 2… 峯島 正行(みねしま まさゆき、1925年12月7日 - 2016年11月18日)は、神奈川県出身の日本の編集者、評論家。 横浜市生まれ。1947年横浜専門学校(現・神奈川大学)を卒業。1950年早稲田大学文学部社会学専攻を卒業して実業之日本社に入社。1959年『漫画サンデー』創刊に伴い同誌編集長に就き、漫画集団の漫画家たちと交友した。 1970年に『漫画サンデー』を退いて文芸書出版の拡充事業に携わり、1972年に『週刊小説』創刊を企画し、同誌編集長に就任。同誌の創刊ブレーンは五木寛之、生島治郎、尾崎秀樹、筒井康隆だった。『漫画サンデー』時代の縁で梶山季之、その紹介で柴田錬三郎、黒岩重吾の連載で創刊号を飾った。
野坂 恒如(のさか つねゆき、1925年〈大正14年〉12月… 野坂 恒如(のさか つねゆき、1925年〈大正14年〉12月6日 - 1989年〈平成元年〉3月6日)は、日本のジャズ評論家。レコードコレクター。新潟県職員として定年まで務めた。 東京府東京市麹町区で生まれる。弟は作家の野坂昭如。 父・相如の後妻・笑子は活動弁士西村楽天の長女。その影響で頻繁に寄席に通い、一時は落語家を目指す。 1945年〈昭和20年〉東京農業大学専門部緑地土木科卒業。新潟県緑地部に土木技師として務める。 昭和30年代からジャズ評論、新潟県へのアーティスト招聘活動をはじめる。毎月50〜70枚のレコードを買い続け、ジャズ同好会「ニイガタ・ジャズ・フレンズ・アソシエイション」を発足すると、会員に輸入レコードを市価の3割引価格で斡旋。
針生 一郎(はりう いちろう、1925年12月1日 - 20… 針生 一郎(はりう いちろう、1925年12月1日 - 2010年5月26日)は、日本の美術評論家、文芸評論家。和光大学名誉教授。映画プロデューサー針生宏は弟。 宮城県仙台市生まれ。旧制第二高等学校卒業、東北大学文学部卒業。東京大学大学院で美学を学ぶ。 大学院在学中、岡本太郎、花田清輝、安部公房らの「夜の会」に参加。1953年、軍国少年だったことへの反省から日本共産党に入党したが、1961年、60年安保闘争時の時の共産党の指導方針を批判して除名される。 反権威的な美術評論・文芸評論で活躍、日本藝術院批判の急先鋒でもあった。1965年、赤瀬川原平の「千円札裁判」で特別弁護人となる。1970年の大阪万博に反対。
鎮目 恭夫(しずめ やすお、1925年11月27日 - 20… 鎮目 恭夫(しずめ やすお、1925年11月27日 - 2011年7月28日)は、日本の物理学者、評論家。 東京市(現新宿区)生まれ。鎮目和夫の弟。1947年東京帝国大学理学部物理学科卒業。科学思想史専攻、科学評論家。特にノーバート・ウィーナーを翻訳・紹介し、また人生論的な評論も執筆する。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
湯地 朝雄(ゆち あさお、1925年11月21日 - 201… 湯地 朝雄(ゆち あさお、1925年11月21日 - 2014年2月9日)は、日本の文芸評論家。 神奈川県生まれ。国文学者で淑徳大学学長を務めた湯地孝の子。東京大学文学部国文科卒。武井昭夫らと新日本文学会や活動家集団思想運動に所属し、同時代の文学状況を階級的視点から論じる批評を書き継いでいった。また、プロレタリア文学以来の文学運動を批判的にとらえ、どのように受け継ぐかの追及にも力を注いだ。淑徳大学・短期大学理事を務めた。1951年占領下の「反軍事裁判闘争が反戦・平和闘争として大衆的にたたかい抜かれ」,数万部を売り尽くしたパンフレット『吾が友に告げん』は,「湯地朝男の筆になる感動的な報告書として知られ」ている(安東仁兵衛『戦後日本共産党私記』(1976年,171頁)。
川上 武(かわかみ たけし、1925年11月20日 - 20… 川上 武(かわかみ たけし、1925年11月20日 - 2009年7月2日)は、日本の医師、医事評論家。 山梨県出身。順天堂医学専門学校(現順天堂大学)卒業。社会福祉法人康和会久我山病院、杉並組合病院、医療法人財団健和会柳原病院など民間の地域医療機関に勤務し、労働者の集団検診にとりくんだ。医療をめぐる問題を社会科学的に分析し、矛盾を追及した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
森田 浩一郎(もりた こういちろう、1925年11月17日 … 森田 浩一郎(もりた こういちろう、1925年11月17日 - 2017年3月8日)は、東京都出身の医学博士、医学者、医事評論家。
中村 雄二郎(なかむら ゆうじろう、1925年(大正14年)… 中村 雄二郎(なかむら ゆうじろう、1925年(大正14年)10月13日 - 2017年(平成29年)8月26日)は、日本の哲学者、評論家、文学博士。明治大学名誉教授。 東大哲学科卒。卒業後、文化放送に就職するが、1955年から明大に勤務し、1964年に教授となった。 早くからフランス人文主義に関心をもち、パスカルやデカルトを研究し『パスカルとその時代』(1965年)を書く。一方、近代合理主義を厳しく批判し、感性や情念の正当な位置づけを試みて『感性の覚醒』(1975年)を著した。また人間存在を根源から回復させる方法として、人間の共通感覚を重視する『共通感覚論』(1979年)を執筆。現代日本を代表する国際的な哲学者の一人。
森本 哲郎(もりもと てつろう、1925年〈大正14年〉10… 森本 哲郎(もりもと てつろう、1925年〈大正14年〉10月13日 - 2014年〈平成26年〉1月5日)は、日本のジャーナリスト、評論家。東京新聞記者、朝日新聞記者を経て評論家に転身し、東京女子大学教授なども歴任した。 東京府生まれ。府立十中、府立高等学校を経て、1948年(昭和23年)、東京大学文学部哲学科を卒業。文学部時代には風刺雑誌『VAN』の編集長を務めた。大学院に進学し、翌年には在学のまま東京新聞社に入社、社会部記者となる。1950年(昭和24年)、東京大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程を修了。 1953年(昭和28年)、招聘を受けて朝日新聞社に移り、学芸部に籍を置く。1954年(昭和29年)2月、マリリン・モンローが来日した際には握手を交わした。
上田 敏晶(うえだ としあき、1925年10月3日 - 19… 上田 敏晶(うえだ としあき、1925年10月3日 - 1988年10月25日)は、日本の経営評論家、翻訳家。 福岡県北九州生まれ。九州大学文学部哲学科卒業。1951年福岡県立八幡高等学校教諭、1957年ダイヤモンド社出版部に入社。書籍編集部次長を務めた後、1967年退社。1968年文化女子大学講師、1976年関東学院女子短期大学教授。
深作 光貞(ふかさく みつさだ、1925年9月27日 - 1… 深作 光貞(ふかさく みつさだ、1925年9月27日 - 1991年10月24日)は、日本の文化人類学者、評論家、歌人。 京都大学文学部仏文科卒、東京大学大学院で石田英一郎に文化人類学を学ぶ。1952年にパリ・ソルボンヌ大学留学、1953年よりNHK欧州総局、1957年より毎日新聞パリ支局勤務。日南貿易取締役のかたわらアンコール・ワットの研究をする。1960年より東南アジアでのフィールドワークの後、フランス文学から文化人類学へ専門を変更。ワシントン州立大学客員教授、京都精華短期大学教授、学長、京都精華大学教授、奈良女子大学教授、明治学院大学教授を歴任した。カンボジアの地域研究を専門に、幅広い批評活動を行った。
土師 政雄(はじ まさお、1925年9月27日 - 1998… 土師 政雄(はじ まさお、1925年9月27日 - 1998年6月9日)は、日本の政治運動家(市民運動)、予備校講師(数学)、評論家。野見隆介名義での著作もある。東京大学工学部卒業。 小田実、吉川勇一らとともに「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)で活動していたことでも知られる。また水道方式をめぐる算数・数学教育の評論、活動家としても有名。 同時期に代々木ゼミナール、河合塾、駿台予備学校の三大予備校を併任で教壇に立った稀有な経歴をもち、通信添削Z会の数学主任としても受験指導を行った。また、長年にわたり、代ゼミで「ベーシック数学ゼミ」を担当し、旺文社の「大学受験ラジオ講座」の講師も務めた。旺文社の『基礎問題精講』『標準問題精講』シリーズや、増進会出版社の『トレーニング』シリーズ、アレフ社の『微積分演習』『代数幾何演習』『行列』『積分』『整数』などを執筆。
山田庄一(やまだ しょういち、1925年9月25日 - )は… 山田庄一(やまだ しょういち、1925年9月25日 - )は、古典演劇の製作者、評論家。 大阪府大阪市船場生まれ。水落潔は実弟。1947年京都帝国大学医学部薬学科卒。岐阜薬科大学助教授、毎日新聞記者をへて、1966年国立劇場の開場にあたり創立メンバーとなり国立劇場に勤務。演出室長、芸能部副部長、調査養成部長、1982年国立劇場理事。国立文楽劇場理事を務めた。
森 秀男(もり ひでお、1925年9月25日 - 2002年… 森 秀男(もり ひでお、1925年9月25日 - 2002年10月30日)は、日本の演劇評論家。 東京都に生まれる。早稲田大学第一文学部国文科卒業。日本読書新聞編集部を経て、東京新聞文化部記者となる。1965年から同紙演劇担当となる。東京新聞が中日新聞に買収された後も同社に留り定年まで勤務したが、演劇担当からははずれ、外部媒体で演劇評論家として活動する。鈴木忠志、唐十郎、佐藤信らの初期舞台を積極的に劇評で取りあげ、アングラ演劇の定着に大きな役割を果たす。 日本大学芸術学部、郡山文化女子大学短期大学部で講師を務めた。
天谷 直弘(あまや なおひろ 1925年8月31日 - 19… 天谷 直弘(あまや なおひろ 1925年8月31日 - 1994年8月30日)は、日本の官僚、経済評論家。 資源エネルギー庁長官、通商産業審議官、電通総研初代所長、松下政経塾評議員。福井市名誉市民。天谷直次郎陸軍中将は父、国土交通官僚の天谷直昭は甥。 福井県吉田郡岡保村(現・福井市)出身。旧制福井中学(現・福井県立藤島高等学校)を卒業後、旧制静岡高校、東京大学法学部政治学科へと進学した。1948年、商工省(のちの通産省)に入省。入省同期に、矢野俊比古(通産事務次官、のち参議院議員)、金森久雄(日本経済研究センター理事長)、岸田文武、熊谷善二(特許庁長官)、生田豊朗、黒田四郎(名古屋通産局長)など。
丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月2… 丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月27日 - 2012年(平成24年)10月13日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 主な小説作品に『笹まくら』『年の残り』『たった一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』など。文字遣いは、1966年から74年までを除いて、独自の歴史的仮名遣いを使用。日本文学の暗い私小説的な風土を批判し、軽快で知的な作品を書くことを目指した。評論・随筆も『忠臣藏とは何か』『後鳥羽院』『文章読本』など長年にわたり多く刊行し、また英文学者としてジョイスの『ユリシーズ』の翻訳などにも携わった。座談や講演も多く行い「文壇三大音声」の一人と自負していた。
荻 昌弘(おぎ まさひろ、1925年8月25日 - 1988… 荻 昌弘(おぎ まさひろ、1925年8月25日 - 1988年7月2日)は映画評論家、料理研究家、オーディオ評論家。月曜ロードショーの解説者を長年務め、その落ち着いた語り口から、淀川長治、水野晴郎と並んで名解説者として知られた。身長165センチ、体重69キロ。
井上 太郎(いのうえ たろう、1925年7月14日 − 20… 井上 太郎(いのうえ たろう、1925年7月14日 − 2022年3月18日[要出典])は、日本の作曲家、クラシック音楽評論家、作家である。湘南モーツァルト愛好会名誉会長。日本音楽療法学会元理事。 江戸時代から日本橋本石町に続く薬種問屋の江戸っ子7代目。生まれたのは1925年7月、東京都渋谷区桜丘。女中がいつも4人はいる環境で育つ。姉に妹2人の真ん中の男で、特別大事にされた。祖父と父は薬よりも化粧品の製造に力を入れ、その結果生まれたオシドリ銘柄のポマード、香水、椿香油は、大正、昭和前半の花形となった。 近所の大和田小学校に入学した頃、近くに住む高という英語の通訳に英会話の基礎を習った。この通訳の息子はチェリストの高勇吉で、娘はヴァイオリニストの高珠枝である。
日沼 倫太郎(ひぬま りんたろう、本名:生沼正三、1925年… 日沼 倫太郎(ひぬま りんたろう、本名:生沼正三、1925年7月3日 - 1968年7月14日)は、日本の文芸評論家。 栃木県下都賀郡(現・小山市)生まれ。国際電気通信株式会社講習所に学ぶ。1944年朝鮮に赴任。戦後は通信技官、日本電信電話公社社員。そのかたわら文芸評論家として活動した。 1968年7月14日、心筋梗塞のため千葉県柏市の病院で死去。戒名は正教院法文信士。墓所は東京都立八柱霊園。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
長谷川 公之(はせがわ きみゆき、1925年6月25日 - … 長谷川 公之(はせがわ きみゆき、1925年6月25日 - 2003年6月15日)は、日本の脚本家、美術評論家。 東京都生まれ。旧制府立高等学校を経て、千葉医科大学医学部卒業。警視庁刑事部鑑識課法医学室に勤務した経験を活かして、科学捜査と論理的な推理を基本にした東映の『警視庁物語』シリーズ24作品やTBSテレビの『七人の刑事』など数々のテレビドラマの脚本を書いた。映画の原作となる小説や映画のノベライズ作品も書いている。一方、美術評論家としても知られる。 日本シナリオ作家協会、日本推理作家協会、東洋陶磁学会、各会員。 1950年、警視庁に入庁し、刑事部鑑識課法医学室で検死作業に従事する。一方、学生時代の著作が映画化されたことをきっかけに脚本家としての活動を並行し、警視庁総務部広報課をへて、1957年に筆業に専念するため警視庁を退職した。
山田 宗睦(やまだ むねむつ、1925年5月21日 - 20… 山田 宗睦(やまだ むねむつ、1925年5月21日 - 2024年6月17日)は、日本の評論家・哲学者。 1925年、山口県下関市生まれ。幼少期を下関、稚内、金沢、函館で過ごした。水戸高等学校で学び、1946年に京都帝国大学文学部哲学科に入学した。 卒業後は北海道第二師範学校助教授となった。東京大学出版会編集者などを務め、1959年より評論活動に入る。1962年「思想の科学」編集長。1965年には『危険な思想家』を出版。桃山学院大学教授を経て、1977年から1995年まで関東学院大学教授を務めた。1977年には作家の中山千夏らと革新自由連合を結成した。 1989年頃には神奈川県藤沢市辻堂に住んだ。
北川 太一(きたがわ たいち、1925年3月28日 - 20… 北川 太一(きたがわ たいち、1925年3月28日 - 2020年1月12日)は、日本の文芸評論家。 東京生まれ。東京工業大学卒。向丘高等学校教諭。高村光太郎記念会事務局長、高村光太郎一筋に研究をつづけ、『高村光太郎全集』『選集』の編纂にあたった。吉本隆明の盟友。
保昌 正夫(ほしょう まさお、1925年3月26日 - 20… 保昌 正夫(ほしょう まさお、1925年3月26日 - 2002年11月20日)は、日本の国文学者・文芸評論家。専門は近代文学。武蔵野美術大学教授・相模女子大学教授・立正大学文学部教授を歴任。 東京出身。早稲田大学高等師範部卒。早稲田高等学院教諭、早稲田大学講師をしながら同人誌『銅鑼』などに評論を発表。横光利一を中心に、牧野信一や結城信一など昭和文学を研究し、『定本横光利一全集』の編集校訂にあたる。日本近代文学館の設立にも関与。1968年武蔵野美術大学助教授、教授、1979年相模女子大学教授、1989年立正大学文学部教授、1995年退職。
田中 穣(たなか じょう、1925年(大正14年)3月25日… 田中 穣(たなか じょう、1925年(大正14年)3月25日 - 2005年(平成17年)4月25日)は、日本の美術評論家。 神奈川県平塚市生まれ。1949年(昭和24年)早稲田大学文学部英文学科卒。読売新聞社入社。1959年(昭和34年)美術部記者となり、1970年(昭和45年)から日曜版「日本の四季」の解説を担当した。1969年(昭和44年)『藤田嗣治』で直木賞候補。1981年(昭和56年)退社、美術評論家となる。写楽別人説では歌麿説を唱えた。 2005年(平成17年)4月25日、胃がんのため死去。葬儀は東京都文京区小石川の伝通院で行われた。
村島 健一(むらしま けんいち、1925年3月21日 - 1… 村島 健一(むらしま けんいち、1925年3月21日 - 1990年10月13日)は、日本の社会評論家。戸籍名は村嶋健一。矢野 八朗(「ヤナヤロー」のもじり)の筆名でも活動。 ジャーナリストの村嶋歸之の息子として兵庫県西宮市に生まれる。静岡高等学校で吉行淳之介と知り合う。東京大学文学部独文科卒業後、毎日新聞社東京本社に入社。10年間の記者生活を経て、1959年4月からフリーとなる。『オール讀物』連載の人物論シリーズで注目され、その他、文明時評、コント、ショートショート、小説なども執筆。 長男の村嶋帰一は日興シティグループ証券チーフエコノミスト(東京大学教養学部国際関係論学科→野村総合研究所→シティグループ証券)。
梅原 猛(うめはら たけし、1925年(大正14年)3月20… 梅原 猛(うめはら たけし、1925年(大正14年)3月20日 - 2019年(平成31年)1月12日)は、日本の哲学者、評論家。位階は従三位。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。碧南市哲学たいけん村無我苑名誉村長。京都市名誉市民。 京都大学文学部哲学科卒業。立命館大学文学部哲学教授、京都市立芸術大学教授・学長の他、国際日本文化研究センター所長(初代)、社団法人日本ペンクラブ会長(第13代)などを歴任した。 西洋哲学から日本の芸能や文学の笑いまで幅広く研究し、日本文化の本質を探究する。大胆で独創的な梅原日本学を確立。
井澤 純(いざわ じゅん、1925年〈大正14年〉3月18日… 井澤 純(いざわ じゅん、1925年〈大正14年〉3月18日 - 1996年〈平成8年〉5月12日)は、日本の図書館司書・評論家・著作家・歌人。 国立科学博物館附属自然教育園園長等を歴任。 東京大学文学部卒業。1946年、愛知県公立高校の教諭となり、1958年専任司書教諭。1961年文部省初等中等教育局勤務、1977年国立淡路青年の家、1981年国立沖縄青年の家所長を務めた後、国立科学博物館附属自然教育園園長となる。道徳教育・図書館学についての著作のほか、小説・短歌をものした。 1995年、勲三等瑞宝章受章。1996年5月12日、心不全のため死去。
折口 透(おりぐち とおる、1925年3月11日 - )は、… 折口 透(おりぐち とおる、1925年3月11日 - )は、日本の自動車評論家、翻訳家。 本名・伊藤 哲(さとし)。折口透の名で自動車評論や翻訳を、伊藤哲の名でSFや冒険小説の翻訳を行った。 宮城県仙台市生まれ。1952年東京大学理学部中退。1955年モーターマガジン社編集部長。1962年から1965年ホンヤク出版社取締役・編集長。1972年モーターマガジンインターナショナル社取締役・編集長。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
福田 一郎(ふくだ いちろう、 1925年2月16日 - 2… 福田 一郎(ふくだ いちろう、 1925年2月16日 - 2003年9月4日)は日本の音楽評論家。 日本大学を1947年に卒業後、1954年から『スイングジャーナル』誌で海外のジャズ・アルバムの紹介記事等を担当する。大橋巨泉らとの親交の影響でジャズ・クラブにも出入りし、大橋の代理で司会を担当した事から、DJなど自ら発信する役割も担っていく。ジャズの市場に限界を感じていた所にプレスリーらの台頭を見てロック市場の可能性に着目し、ロック主体の取材・評論活動に切り替えていく。1960年代末からビートルズなどの洋楽をラジオパーソナリティとして紹介するなど、洋楽評論の草分けとして活躍。若い頃から月に1度のペースでニューヨークを訪れ、現地のアーティストを取材したりライブを見ていた。
小川 正隆(おがわ まさたか、1925年1月29日 - 20… 小川 正隆(おがわ まさたか、1925年1月29日 - 2005年10月4日)は、日本の美術評論家。 静岡県出身。東京大学卒。1950年朝日新聞入社、学芸部、美術担当編集委員。80年富山県立近代美術館初代館長。88年嵯峨美術短期大学学長。浜村順の別名を持つ。
若林 繁太(わかばやし しげた、1925年〈大正14年〉1月… 若林 繁太(わかばやし しげた、1925年〈大正14年〉1月24日 - 2007年〈平成19年〉7月27日)は日本の教育者、教育評論家。篠ノ井旭高校(現・長野俊英高等学校)の経験をもとに『教育は死なず』を上梓したことで知られる。 1925年に中国撫順で生まれる。旧制撫順中学校卒業。1953年に明治大学法学部法学科を卒業、1956年に明治大学大学院修士課程修了。同年、明治大学法学研究所研究員。当初は作家を志し、吉川英治門下に連なっていたものの作品が作れず、先輩からの忠告を受けた末に挫折し、明治大学大学院に入り直し民法を修めた。後に長野大学法学部新設の折に教授として迎えられることになるものの、大学紛争の影響で中止になった。