松田 毅一(まつだ きいち、1921年(大正10年)5月1日… 松田 毅一(まつだ きいち、1921年(大正10年)5月1日 - 1997年(平成9年)5月18日)は、日本の歴史学者。専門は、戦国時代から江戸時代初期の日欧交渉史、特にポルトガル・スペインとの関係史。京都外国語大学名誉教授。香川県高松市出身、大阪市育ち。 ヨーロッパ各地(ポルトガル・スペイン・バチカン等)やフィリピン、マカオ等の文書館に保存されている日本関係史料の発見・翻訳・紹介に取り組み、また多数の著書・論文を発表して日本における上記分野の研究の進展に貢献する一方、こうした研究成果の一般市民への啓発・普及、関係諸国との学術・文化交流にも尽力した。 清泉女子大学教授時代に、非常勤講師として横浜国立大学でスペイン語の講義をおこない、沢木耕太郎も授業を受けている。
藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007… 藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007年9月13日)は、日本の経営者。住友金属鉱山社長、会長、相談役、経済同友会幹事等を歴任。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。 旧制の東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を経て、1939年3月第一高等学校卒業。第一高等学校では水泳部主将。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1942年に住友金属鉱山に入社。1967年5月に取締役に就任し、1970年2月に常務を経て、1973年5月に社長に就任。1983年6月に会長に就任。1988年相談役に就く。 1979年4月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 2007年9月13日老衰のために死去。
草間 時彦(くさま ときひこ、1920年(大正9年)5月1日… 草間 時彦(くさま ときひこ、1920年(大正9年)5月1日 - 2003年(平成15年)5月26日)は、神奈川県出身(実際は東京生まれ)の俳人。 東京府に生まれ、神奈川県鎌倉で育つ。祖父・草間時福は愛媛県松山英学校(のちの松山中学)の校長を務めた後、東京で民権派ジャーナリストとして活躍した人物で、「渋柿」の俳人でもあった。父草間時光は水原秋桜子に師事した俳人で鎌倉市長を務めたこともある。 結核のため20歳で学業を断念、旧制武蔵高等学校中退。逗子にて療養し文学に熱中。1949年、水原秋桜子に師事して俳句を始める。同年結婚。1951年、三井製薬に入社、25年の間サラリーマンとして勤める。1953年、秋桜子の「馬酔木」を退会、55年、復刊した「鶴」に入会し石田波郷に師事。
坪内 正勝(つぼうち まさかつ、1920年5月1日 - 没年… 坪内 正勝(つぼうち まさかつ、1920年5月1日 - 没年不明)は、日本の経営者。富士紡績社長、会長を務めた。静岡県出身。 1945年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、1946年1月に富士紡績に入社。1968年6月に取締役に就任し、1971年12月に常務、1977年7月に専務を経て、1980年7月に社長に就任。1984年7月に会長に就任。 1990年11月に勲三等瑞宝章を受章。
弦田 英太郎(つるた えいたろう、1920年5月1日 - 2… 弦田 英太郎(つるた えいたろう、1920年5月1日 - 2014年9月21日)は日本の洋画家、日展会員、一水会常任委員を務めた。 舞妓や裸婦、バレリーナなどを得意とし、神秘的色香を追求した。 1920年、東京都大森区新井宿(現大田区中央)に生まれる。 東京美術学校(現東京芸術大学)に入学し、油絵科(藤島武二教室)を1942年に卒業する。卒業する年から1949年まで第二次世界大戦のためヨーロッパに戻れずにいたスイス人画家コンラッド・メイリ(Conrad Meili, 1895年-1969年)に師事する。1942年には第6回一水会展で初入選している。また、1949年には有島生馬にも師事している。 1950年に裸婦画「マヤ」で日展の特選となる。
宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6… 宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、日本の詩人・評論家・仏文学者・翻訳家。本名は古賀 照一(こが てるいち)。法政大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 福岡県遠賀郡戸畑町(後の北九州市戸畑区)に生まれる。天籟寺小学校、戸畑小学校、宮崎第二小学校、宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)、小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)を経て上京。旧制一高を卒業後、1942年、東京帝国大学哲学科に入学した。1945年4月、召集により横須賀海兵隊に入隊したが、精神錯乱を装い除隊というエピソードもある。 同年5月25日の東京大空襲により、母を亡くす。母と一緒に逃げ込んだ墓地の中で炎に取り囲まれた彼が「炎の一本道」(『絆――ドキュメント・わが母』)を通って脱出しようと走り去った時、母が転倒。
小島 直記(こじま なおき、1919年5月1日 - 2008… 小島 直記(こじま なおき、1919年5月1日 - 2008年9月14日)は、福岡県八女郡福島町(現・八女市福島)の生まれの小説家。経済人などの伝記小説で知られる。本名は小嶋直記。作家・小島英記は長男。 旧制福岡高等学校卒業。東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。河和海軍航空隊に配属。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進し、名古屋監督官事務所監査官付として終戦を迎えた。 戦後、私立八女津女子高等学校(現在の八女学院高等学校)や、母校でもある八女中学校(現在の福岡県立八女高等学校)で社会科の教師として教鞭を取り、詩人の松永伍一を教えたこともある。
新村 勝雄(しんむら かつお、1918年(大正7年)5月1日… 新村 勝雄(しんむら かつお、1918年(大正7年)5月1日 – 2003年(平成15年)6月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(日本社会党)、野田市長。 千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)に、地主の長男として生まれる。東葛飾中学(現・千葉県立東葛飾高等学校)を卒業後、地元の産業組合職員、兵役を経て、教師を目指し東京高等師範学校に入学する。終戦後東京高師を中退して地元に戻り、「民主同志会」を立ち上げる。1946年社会党に入党。翌1947年福田村の村長に当選、3期務める。 その後野田市議(1957年より2期)を経て、1962年野田市長に当選する。市議会で多数派を占める保守系会派の抵抗に遭い、1970年まで8年間助役が置けなかった。
酒沢 成治(さかざわ せいじ、1918年5月1日 - 200… 酒沢 成治(さかざわ せいじ、1918年5月1日 - 2002年5月6日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(内野手)、監督。1953年から1954年までの登録名は「酒沢 政夫」(さかざわ まさお)。
本明 寛(もとあき ひろし、1918年5月1日 - 2012… 本明 寛(もとあき ひろし、1918年5月1日 - 2012年12月6日)は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。1941年早稲田大学文学部心理学科卒業。1945年早稲田大学助教授、教授。1960年「刺激効果と認知特徴による自我機能診断の方法に関する研究」で早稲田大学文学博士。1989年定年退職、名誉教授。1983年紫綬褒章を受章。1988年11月勲三等旭日中綬章を受章 日本心理学会理事長(1983年 - 1989年)を務め、1988年には日本健康心理学会を創設して20年にわたり理事長を務めた。このほか、NPO健康心理教育実践センター理事長、日本認定心理士会顧問、日本心理職協会・現代QOL学会永世名誉顧問などを歴任した。
美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日… 美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日 - 1992年(平成4年)11月29日)は、日本の農業経済学者・教育学者・家政学者。専門は農業経済学・農民教育論・農業家政学・農業協同組合経営論など。農産物市場論において市場構造分析の基礎を築き、農協の経営主義を批判するなど、研究領域は多岐に渡る。教育学博士(北海道大学)。名寄女子短期大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1938年第一高等学校 (旧制)卒業。1942年東京帝国大学農学部卒業。同年、日本勧業銀行に入社。1945年東京帝國大学大学院(旧制)特別研究生修了。その後、病気療養。1955年協同組合短期大学協同組合科助教授に就任。
井野 正揮(いの まさき、1917年(大正6年)5月1日 -… 井野 正揮(いの まさき、1917年(大正6年)5月1日 - 1977年(昭和52年)6月7日)は、昭和期の国家公務員(厚生省)、政治家。日本社会党所属の衆議院議員(1期)、登別開拓農業協同組合長。 広島県出身。牛馬商・井野京一の息子として生まれた。小学校入学直前に北海道上川郡に移住。1931年(昭和6年)美瑛尋常高等小学校卒。20歳で徴兵され野砲兵第7連隊に所属し、衛生兵として満洲、中国を転戦し、陸軍軍曹で終戦を迎えた。 戦後、厚生事務官となり、国立八雲病院勤務、国立登別病院庶務課長、同事務長を歴任。日本社会党に入党し、1951年(昭和26年)北海道議会議員となり4期在任した。 1967年(昭和42年)の第31回衆議院議員総選挙において北海道4区から日本社会党公認で立候補したが落選。
小室 直人(こむろ なおと、1916年(大正5年)5月1日 … 小室 直人(こむろ なおと、1916年(大正5年)5月1日 - 1997年(平成9年)11月25日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、法学博士(東北大学・論文博士・1962年)(学位論文「上訴制度論」)。大阪市立大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。斎藤秀夫門下。弟子に松本博之、上野泰男など。 鳥取県の谷内家に生まれ、宮城県小室家へ養子に行く。 1939年広島高等学校 (旧制)卒、1940年学徒出陣、45年復員し、1948年東北帝国大学法文学部卒、1950年東北大学法学部大学院(旧制)修了(指導教員:斎藤秀夫)、1950年大阪市立大学法文学部助手、1951年講師、1952年助教授、1960年法学部教授。
長瀬 誠造(ながせ せいぞう、1916年5月1日 - 198… 長瀬 誠造(ながせ せいぞう、1916年5月1日 - 1982年1月6日)は、日本の経営者。長瀬産業社長を務めた。 ロンドンで出生し、京都府京都市出身。1938年に長瀬産業監査役に就任し、1943年に立命館大学法学部法文学科を卒業。 1945年に取締役に就任し、1947年に常務、1951年に専務、1962年に副社長を経て、1968年5月に社長に就任。 1982年1月6日心不全のために死去。65歳没。
中村 英雄(なかむら ひでお、1916年(大正5年)5月1日… 中村 英雄(なかむら ひでお、1916年(大正5年)5月1日 - 1988年(昭和63年)10月22日)は、日本のドイツ文学者。 広島県広島市に広崎英雄として生まれ、両親が離婚して父の中村姓を名のる。三歳で天津に移る。1941年早稲田大学文学部独文科卒、小林正樹らとシナリオ「われ征かん」を執筆したのち入隊、陸軍予備少尉となり南鳥島で敗戦を迎える。舟木重信を師とあおぎ、同人誌に小説を書く。1946年早大附属早稲田第一高等学校専任講師。1949年日本共産党に入る。早大理工学部専任講師、51年助教授、52年文学部助教授、教授、1987年定年退任、名誉教授。左翼的学者として行動した。
一色 次郎(いっしき じろう、本名:大屋典一(すけかつ)、1… 一色 次郎(いっしき じろう、本名:大屋典一(すけかつ)、1916年5月1日 - 1988年5月25日)は、日本の小説家。 鹿児島県にある沖永良部島の大島郡知名村(現知名町)余多で生まれ、すぐ鹿児島市に移る。幼少期に1年程、現在の兵庫県加古川市に居住。1919年、3歳の時に父が無実の罪で獄死し、母親と別居して親戚の家で育つ。 1936年に鹿児島朝日新聞(現・南日本新聞)で「隠密薩摩相」の連載小説を執筆。同年上京する。佐佐木茂索に師事、はじめは本名で執筆活動を行った。1945年西日本新聞東京支社に入社。1949年「冬の旅」で直木賞候補、1955年に児童読物で一色次郎の筆名を用いる。1961年「孤雁」で再度直木賞候補。
菊池俊吉(きくち しゅんきち、1916年5月1日 - 199… 菊池俊吉(きくち しゅんきち、1916年5月1日 - 1990年11月5日)は日本昭和時代の写真家である。 1916年(大正5年)、岩手県花巻市御田屋町生まれ。1937年(昭和12年)、オリエンタル写真学校を卒業後、1938年(昭和13年)東京光芸社写真部に入社し、報道写真家として始まり。1941年(昭和16年)岡田桑三が設立した東方社写真部に入社、1942年(昭和17年)2月に創刊された陸軍参謀本部の対外宣伝グラフ誌『FRONT』の写真部員となる。戦時中、日本本土及び外地の部隊、産業記録撮影など幅広く活躍した。 1945年(昭和20年)敗戦後、解散の東方社スタッフは文化社として再建。同年9月、文部省の学術調査団のもとで原爆被災地の医療状況を記録映画撮影、スチール写真担当として医学班に属し、10月1日~10月22日被爆後の広島を撮影。
坪井 東(つぼい はじめ、1915年〈大正4年〉5月1日 ‐… 坪井 東(つぼい はじめ、1915年〈大正4年〉5月1日 ‐ 1996年〈平成8年〉7月5日)は、日本の実業家。三井不動産の社長や会長を22年間務め、ツーバイフォー工法の導入や東京ディズニーランド開園事業に携わったほか、三井ホーム社長、世界不動産連盟会長、不動産協会理事長、不動産流通経営協会理事長等の公職も務めた。 千葉県市川市生まれ。旧制東京府立第三中學校(のちの都立両国高等学校)を経て、旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業。のちに三洋証券社長の土屋陽三郎、新日本証券社長の鷹尾寛、東京銀行頭取の横山宗一、鹿島建設副会長の原明太郎、マツダ会長の岩沢正二、丸井今井社長の今井道雄、日東製網社長の小林政夫、一橋大学学長の小泉明らとともに大学の同期会を結成した。
西治 辰雄(にしじ たつお、1915年5月1日 - 1988… 西治 辰雄(にしじ たつお、1915年5月1日 - 1988年8月1日)は、統計学者、数学者、商学博士。関西学院大学名誉教授、第九代関西学院大学学長、元関西学院大学商学部長。 数理統計学、オペレーションズ・リサーチを経済、経営の数量化の研究において数多くの研究、業績を残した。兵庫県生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
長田 正松(おさだ しょうまつ、1915年〈大正4年〉5月1… 長田 正松(おさだ しょうまつ、1915年〈大正4年〉5月1日 - 2003年〈平成15年〉12月25日)は、日本の実業家。有限会社つかれ酢本舗創業者。政治運動家。 以下は総て自費出版である。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
清水 正男(しみず まさお、1914年(大正3年)5月1日 … 清水 正男(しみず まさお、1914年(大正3年)5月1日 - 2014年(平成26年)8月29日)は、日本の教育学者、信州大学名誉教授、松商学園短期大学第6代学長。専門は、教育学、特に学校図書館の研究や、教育工学的な視聴覚教育の研究などであった。 長野県諏訪郡原村出身。長野県諏訪中学校、長野師範学校から、東京高等師範学校に進み、1944年に東京文理科大学教育学科を卒業した。同年、下諏訪小学校訓導、東京高等師範学校教諭、1946年に北海道第一師範学校助教授を務めた後、東京学芸大学講師を経て、1951年に信州大学教育学部助教授となり、1968年に教授に昇任した。1970年に文部省在外研究員としてコロンビア大学、オハイオ州立大学に留学。
岸本 英太郎(きしもと えいたろう、1914年〈大正3年〉5… 岸本 英太郎(きしもと えいたろう、1914年〈大正3年〉5月1日 - 1976年〈昭和51年〉3月11日)は、日本の経済学者。元京都大学教授。学位は、経済学博士(同志社大学)。 岡山県出身。第六高等学校を経て1937年京都帝国大学法学部卒業。出版社などの勤務を経て1946年専修大学講師、1948年京都大学経済学部助教授、1952年より広島大学、岡山大学の助教授を併任。同年学位論文「社会政策論の根本問題」により同志社大学より経済学博士の学位を取得。1957年京都大学経済学部教授、1965年同学部長。専門は労働問題・社会政策論。大河内一男らと社会政策本質論争を行う。教授在職中に逝去。享年61。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
山本 荘毅(やまもと そうき、1914年5月1日 - 199… 山本 荘毅(やまもと そうき、1914年5月1日 - 1999年2月14日)は、日本の地理学者・陸水学者。専門は、地下水水文学。筑波大学名誉教授、東京成徳短期大学名誉教授。 1914年、千葉県銚子市に生まれた。千葉県立匝瑳中学校(現在の千葉県立匝瑳高等学校)、千葉県師範学校本科第2部、東京高等師範学校文科第四部(地歴)を経て、東京文理科大学地学科に入学した。地理学専攻で学び、1940年に卒業。 卒業後は南満州鉄道に就職して、地下水資源の開発にあたった。 戦後は農林省に技官として勤務し、アメリカ地質調査所へ留学。その後は地盤沈下調査事務所長も務めた。1952年、学位論文『満洲の地下水の水理地質学的研究』を東京大学に提出して理学博士を取得した。
佐藤 一郎(さとう いちろう、1913年(大正2年)5月1日… 佐藤 一郎(さとう いちろう、1913年(大正2年)5月1日 - 1993年(平成5年)2月26日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(4期)。経済企画庁長官(第20代)。位階は正三位。 一高を経て、1937年(昭和12年)3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1936年(昭和11年)10月、高等試験行政科に合格。1937年4月、大蔵省入省。預金部兼大臣官房文書課属。入省成績はビリに近い方だったといわれている。戦争末期1944年(昭和19年)7月、神奈川県庁に出向し、教育、人事、庶務の各課長を歴任し、学徒動員をめぐって軍部とかなりやりあった。 戦後は、片山哲内閣総理大臣秘書官。
矢沢 大二(やざわ だいじ、1913年5月1日 - 1994… 矢沢 大二(やざわ だいじ、1913年5月1日 - 1994年5月29日)は、日本の地理学者である。(旧)東京都立大学教授、日本地理学会会長。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受章。 1913年、長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)で生まれた。旧制諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)時代に三沢勝衛の教えを受け、地理学を志した。旧制新潟高等学校理科乙類を経て、東京帝国大学理学部地理学科に進学。同大学を1936年に卒業した。 戦時中は陸軍参謀本部気象班長として勤務。 1950年、(旧)東京都立大学理学部助教授に就いた。1953年、学位論文『気候景観の地理学的研究』を東京大学に提出して理学博士号を取得。1959年に教授昇格。
西川 次郎(にしかわ じろう、1913年5月1日 - 199… 西川 次郎(にしかわ じろう、1913年5月1日 - 1994年3月17日)は、日本の経営者。古河鉱業(現在の古河機械金属)社長を務めた。和歌山県出身。 1937年に北海道帝国大学工学部鉱山科を卒業し、同年に古河鉱業に入社。1964年11月に取締役に就任し、1969年5月に常務、1971年3月に専務を経て、1976年11月に副社長に就任し、1980年6月に社長に昇格。1987年6月に会長に就任し、1989年6月から常勤相談役を務めた。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1986年4月に勲二等旭日重光章を受章した。 1994年3月17日脳梗塞のために死去。80歳没。
野津 康雄(のづ やすお、1911年〈明治44年〉5月1日 … 野津 康雄(のづ やすお、1911年〈明治44年〉5月1日 - 1987年〈昭和62年〉)は、日本の実業家。株式会社岡山日日新聞社代表取締役社長、岡山放送株式会社取締役相談役などを歴任した。弟である野津克巳の孫は池田基煕(旧名・野津基弘、旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第4皇女池田厚子の養子)である。 岡山県総社市真壁出身。國學院大學卒業。新聞聯合社に入社する。1936年、同盟通信社に入社する。1946年、時事通信社に転じ、岡山、高松、広島各支社長、本社事業本部長を経て1957年に夕刊新聞社(のちに岡山日日新聞社)代表取締役に就任する。 岡山日日新聞社代表取締役社長、会長、岡山放送取締役相談役のほか、岡山通信土木代表取締役、フジボーリング代表取締役、日本シール販売代表取締役、フジビル取締役、岡山県政経懇話会会長、瀬戸内海経済研究センター理事長、岡山商工会議所常議員、岡山県経団連常任理事、岡山経済同友会常任幹事などを歴任した。
山本 廣治(やまもと ひろじ、1911年(明治44年)5月1… 山本 廣治(やまもと ひろじ、1911年(明治44年)5月1日 - 1992年(平成4年)4月16日)は、日本の実業家。滋賀県出身。1935年(昭和10年)に日本銀行入行。東亜研究所主任研究員(交通)を経て、1945年(昭和20年)に国土計画へ入社。近江鉄道代表、西武鉄道取締役、西武バス社長などを歴任、同時に(社)東京バス協会会長、(社)日本バス協会副会長他、運輸省関連要職を務める。社主堤康次郎の衆議院議長時代は堤清二と共に議長秘書官として政治活動を支えた。 1986年(昭和59年)、勲三等旭日中綬章を受章。
恩田 清二郎(、1910年5月1日 - 1974年11月28… 恩田 清二郎(、1910年5月1日 - 1974年11月28日)は、日本の俳優、男性声優、元活動弁士である。本名同じ。恩田 清次郎と表記に揺れがある。 1910年(明治43年)5月1日、東京府東京市浅草区に生まれる、とされている。『山形県大百科事典』(山形放送)など一部の資料には、出生地は冒頭の通りだが、生年は「明治四十年」(1907年)である旨が記されている。父は埼玉県の地主であった。旧制東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校・附属中学校)卒業。 1925年(大正14年)、映画俳優を志し、当時東亜キネマに在籍していた近藤伊与吉(1894年 - 1944年)に師事。ところが芽が出ず、間もなく俳優業を辞退して浅草電気館の活動弁士に転向し、長く活動した。
浦田 正夫(うらた まさお、1910年5月1日 - 1997… 浦田 正夫(うらた まさお、1910年5月1日 - 1997年11月30日)は、日本画家、日本芸術院会員。 熊本県山鹿市生まれ。浦田家は祖父から続く画家の家系で、伯父に高橋廣湖がいる。松岡映丘らに師事。東京美術学校日本画科卒。1973年日展文部大臣賞受賞、1978年日本芸術院賞受賞、1988年芸術院会員。1993年、勲三等瑞宝章受章。 代表作に「蔓(かずら)」、「松」など。北関東や東北の自然を描いた。
佐々木 忠義(ささき ただよし、1910年5月1日 - 19… 佐々木 忠義(ささき ただよし、1910年5月1日 - 1983年10月11日) は、日本の海洋物理学者。元東京水産大学学長。理化学研究所名誉研究員。正三位勲二等旭日重光章。 1910年、広島県生まれ。1935年、東京物理学校(現東京理科大学)卒業。1941年、北海道帝国大学理学部物理学科を卒業。 卒業後は、京城帝国大学予科講師となった。同年、同校教授に昇進。1944年より理化学研究所所員。戦後の1949年、理学博士号を取得。1953年に東京水産大学教授となり、理化学研究所主任研究員。1956年、文部省在外研究員としてパリ大学海洋研究所に派遣される。1960年に日仏海洋学会創立し、同会長となった。
清水 澄子(しみず すみこ、1909年5月1日 - 1925… 清水 澄子(しみず すみこ、1909年5月1日 - 1925年1月7日)は、長野県上田市出身の詩人。没後に発表された遺稿集『さゝやき』により知られる。
土橋 一吉(どばし かずよし、1908年5月1日 - 198… 土橋 一吉(どばし かずよし、1908年5月1日 - 1982年12月17日)は日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(日本共産党公認)を通算3期務めた。日本共産党中央委員会顧問。 島根県簸川郡多伎町(現・出雲市)出身。1931年に明治大学法学部を卒業し、1934年に東京中央郵便局へ入る。戦後は全逓信労働組合(全逓、現・日本郵政公社労働組合)結成に関わり、初代委員長に就任。全日本産業別労働組合会議(産別会議)副議長として1947年の二・一ゼネストを主導した。翌年、1947年12月16日付全逓信従業員組合声明書及び同年12月29日付全逓新聞第79号記事に関する件に関し、衆議院逓信委員会に証人喚問された。
稲葉正夫(いなば まさお、1908年〈明治41年〉5月1日 … 稲葉正夫(いなば まさお、1908年〈明治41年〉5月1日 - 1973年〈昭和48年〉10月10日)は、日本の陸軍軍人、戦史研究家。最終階級は陸軍中佐。
樫山 欽四郎(かしやま きんしろう、1907年〈明治40年〉… 樫山 欽四郎(かしやま きんしろう、1907年〈明治40年〉5月1日 - 1977年〈昭和52年〉8月7日)は、日本の哲学者。元早稲田大学文学部教授。研究対象は、ドイツ近世哲学・実存哲学。 長野県北佐久郡小諸町(現・小諸市)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、早稲田大学文学部哲学科卒。同助教授、1949年教授。早稲田大学高等学院長、第二文学部長、第一文学部長を経て大学院文学研究委員長に就任。 ヘーゲル研究で知られ1951年ヤスパース協会、1957年実存主義協会設立に参画、理事を務めた。1960年「ヘーゲル精神現象学の研究」で文学博士。また1969年早大野球部長に就任、東京六大学野球連盟理事、日本学生野球協会理事を務めた。
杉山 誠(すぎやま まこと、1907年(明治40年)5月1日… 杉山 誠(すぎやま まこと、1907年(明治40年)5月1日 - 1968年(昭和43年)12月30日)は、日本の演劇評論家、翻訳家。 東京出身。東京帝国大学文学部卒。新関良三に師事。戦前は尾上菊五郎劇団文芸部長、戦時中は1943年召集されて南方に赴き、将校として芝居を上演したことは、部下だった加東大介の『南の島に雪が降る』に杉山大尉(マノクワリ守備隊司令部)と実名で描かれている。 戦後は俳優座付属俳優養成所主事・共立女子大学文芸学部教授。イプセンなどの近代戯曲を翻訳・紹介、新聞に歌舞伎評も書いた。妻は尾上菊子(きくし)の名で菊五郎に師事していたが戦時中死去。 1968年12月30日、劇団民芸稽古場での年忘れパーティで、スピーチのさなかに心筋梗塞で倒れ、死去。
南家 恭一(なんけ きょういち、1907年〈明治40年〉5月… 南家 恭一(なんけ きょういち、1907年〈明治40年〉5月1日 - 没年不明)は、日本の実業家。南家商事社長。 鳥取県西伯郡外江村(現・境港市外江町)出身。父は南家清一。鳥取県信用組合理事長、境港市監査委員会委員、境港商工会議所副会頭、鳥取県中小企業団体中央会理事などをつとめる。住所は境港市外江町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
須田 剋太(すだ こくた、1906年5月1日 - 1990年… 須田 剋太(すだ こくた、1906年5月1日 - 1990年7月14日)は、日本の洋画家。埼玉県出身。浦和画家。 当初具象画の世界で官展の特選を重ねたが、1949年以降抽象画へと進む。力強い奔放なタッチが特徴と評される。司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の挿絵を担当し、また取材旅行にも同行した。道元の禅の世界を愛した。文展に入選した翌年の昭和9年には寺内萬治郎が浦和の別所沼畔のアトリエを訪れ激励し、光風会に入ることを勧められ入会した。また、寺内萬治郎の門下生が集まる武蔵野会に参加した。浦和画家のひとり、光風会の里見明正とは同じ熊谷中学校で、別所沼のアトリエも隣り合っていた。また、四方田草炎や林倭衛とも交流していた。
岸 輝子(きし てるこ、本名:伊藤 キシ〈いとう キシ〉、1… 岸 輝子(きし てるこ、本名:伊藤 キシ〈いとう キシ〉、1905年5月1日 - 1990年5月10日)は、日本の女優。夫は千田是也。千田らとともに劇団俳優座を創設。 北海道出身。北海高等女学校卒業。一旦は就職したものの俳優を志し、1925年に築地小劇場に入り研究生となる。初舞台は、『寂しき人々』。築地小劇場の分裂を経て、1936年、新築地劇団に入団。1940年に弾圧による解散後、1944年2月に青山杉作、千田是也、東野英治郎、小沢栄太郎、東山千栄子ら10人で劇団俳優座を創立、以降俳優座の中心女優として活躍し、多くの舞台に立った。『肝っ玉おっ母とその子供たち』はその代表作で、1966年に芸術祭奨励賞を受賞している。
大久保 康雄(おおくぼ やすお、1905年5月1日 - 19… 大久保 康雄(おおくぼ やすお、1905年5月1日 - 1987年1月12日)は、日本の英米文学翻訳家。日本における専門翻訳家の草分けで多くの翻訳者を育成した。茨城県生まれ。本名・保雄。日本ペンクラブ、日本文芸家協会、日本翻訳家協会、各会員。 結城郡八千代町芦ケ谷舟戸の出身で、安静小学校から旧制水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)を経て慶應義塾大学英文科中退。大宅壮一のジャーナリスト集団に属して翻訳を修業、1931年、最初の訳本を刊行。1938年『風と共に去りぬ』の完訳を、友人・竹内道之助の経営する三笠書房から刊行。また1941年頃には翻訳活動と並行して、竹内・宮西豊逸・小出節子らと「霜月会」を結成、同人雑誌に小説を執筆していた。
犬塚 又太郎(いぬづか またたろう、1905年5月1日 - … 犬塚 又太郎(いぬづか またたろう、1905年5月1日 - 1994年)は、日本の漢学研究家、(財)致道博物館初代館長理事・常任顧問。
貝塚 茂樹(かいづか しげき、1904年〈明治37年〉5月1… 貝塚 茂樹(かいづか しげき、1904年〈明治37年〉5月1日 - 1987年〈昭和62年〉2月9日)は、日本の東洋学者、中国史学者、中国考古学者。京都大学名誉教授。勲二等瑞宝章叙勲、文化功労者顕彰、文化勲章受章。 1904年(明治37年)、東京で地質学者・小川琢治の次男として生まれた。旧制京都府立京都第一中学校(現・京都府立洛北高等学校)、旧制第三高等学校を経て、京都帝国大学文学部史学科に進学。1928年3月に卒業。同年4月、同大学院文学研究科に進学。1930年3月に修士課程を修了。1932年5月に博士後期課程を退学。 同1932年5月、東方文化学院京都研究所研究員に採用された。1938年4月、研究所の改組に伴い、以降東方文化研究所研究員。
大道 安次郎(だいどう やすじろう、1903年5月1日 - … 大道 安次郎(だいどう やすじろう、1903年5月1日 - 1987年1月11日)は、日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及びアダム・スミス研究。関西学院大学教授。初代社会学部長、図書館長。 福井県敦賀市出身。旧制敦賀商業学校(現福井県立敦賀高等学校)首席を経て、1927年関西学院高等商業学部(現関西学院大学)卒。同時に九州帝国大学へ進学し、1930年高等商業学部講師に就任。以後、助教授、教授となり、19944年、旧制大学法文学部教授に移籍。新制大学後、文学部教授となり、1960年の社会学部設立に際して中心的役割を果たし、初代社会学部長に就任。1972年定年退職。だが、おもにマルクス主義とアダム・スミスを研究した。
三木 行治(みき ゆきはる、1903年 <明治36年> 5月… 三木 行治(みき ゆきはる、1903年 <明治36年> 5月1日 - 1964年 <昭和39年> 9月21日)は、日本の医師、政治家。岡山県知事。位階は正三位。勲二等瑞宝章。水島臨海工業地帯の誘致など岡山県の発展に貢献したことが認められ、日本人で初めてマグサイサイ賞を受賞した。 マグサイサイ賞の受賞金は郷土の発展に役立てたいとの考えから副賞1万米ドル全額が県に寄付され、この受賞金と県民からの寄附金を中心に岡山県三木記念事業基金が1965年に設置された。 また岡山県下にアイバンクを設置して自ら第1号の登録者となったことから、二人の女性に三木の角膜が移植された。 亡くなった時、私財は着ていた服と眼鏡だけだったといわれる。
鹿地 亘(かじ わたる、本名:瀬口貢(せぐち みつぎ)、19… 鹿地 亘(かじ わたる、本名:瀬口貢(せぐち みつぎ)、1903年5月1日 - 1982年7月26日)は、日本の小説家。大分県西国東郡岬村(現・豊後高田市)出身。東京帝国大学国文科卒業、東京帝国大学大学院博士課程修了。妻は池田辛子。 東京帝国大学在学中から文学と社会運動に関心をもち、林房雄や中野重治たちと社会文芸研究会(のち、マルクス主義芸術研究会に改名)を運営した。大学の外でも、プロレタリア文学運動に参加し、1930年に『労働日記と靴』で注目を浴びる。ただ、当時は文学をプロパガンダに使うことを重視していた傾向があった。1932年に日本共産党に入党。 1934年に治安維持法違反で検挙された後、獄中で転向して出獄。
国松 久弥(國松 久彌、くにまつ きゅうや、1903年5月1… 国松 久弥(國松 久彌、くにまつ きゅうや、1903年5月1日 - 1986年4月14日)は、日本の経済地理学者。茨城大学名誉教授。 弟は独文学者の国松孝二。 千葉県船橋町(現船橋市)生まれ。1926年東京帝国大学経済学部卒。1931年上智大学講師、38年大東文化学院講師、1941年明治学院講師、1946年巣鴨経済専門学校教授、1949年千葉工業大学教授、1950年大東文化大学教授兼任、1952年茨城大学教授、69年定年退官、名誉教授、専修大学教授、金沢経済大学教授。
11代目 濱口 儀兵衛(はまぐち ぎへえ、1903年5月1日… 11代目 濱口 儀兵衛(はまぐち ぎへえ、1903年5月1日 - 1987年2月23日)は、日本の経営者。ヤマサ醤油株式会社社長を務めた。 1903年(昭和36年)5月1日、和歌山県に濱口梧洞(10代目濱口儀兵衛)の長男として生まれた。出生名は濱口勉太。濱口儀兵衛家は代々濱口儀兵衛商店を経営する旧家であり、濱口梧洞の代にはヤマサ醤油株式会社が設立された。弟には版画家の浜口陽三、ヤマサ醤油会長の浜口義郎、菊正宗酒造当主の嘉納毅六などがいる。 和歌山県出身。1927年(昭和2年)に東京帝国大学経済学部を卒業。日清製粉での勤務を経て、1928年(昭和3年)10月に生家のヤマサ醤油株式会社に転じ、1931年にはアメリカ合衆国を視察した。
内多 蔵人(うちた くらうと、1903年5月1日 - 198… 内多 蔵人(うちた くらうと、1903年5月1日 - 1980年10月6日)は、日本の経営者。富山県高岡市出身。 1927年に東京商科大学を卒業し、同年に大日本麦酒に入社。1949年に日本麦酒(のちのサッポロビール)に移り、東京支店長、理事、取締役を経て、1961年に常務に就任し、1967年2月に副社長に就任した。1971年2月に社長に昇格し、1973年2月には会長に就任した。 1980年10月6日台湾台北市で旅行中に脳溢血のために死去。77歳没。
山辺 六郎(山邊 六郎、やまべ ろくろう、1903年5月1日… 山辺 六郎(山邊 六郎、やまべ ろくろう、1903年5月1日 - 1983年1月18日)は、日本の会計学者。 東京市浅草区生まれ。1931年東京商科大学(現一橋大学)卒、1961年「原価計算論 管理会計としての原価計算」で一橋大学より商学博士の学位を取得。1931年横浜専門学校教授、1935年長崎高等商業学校教授、1949年学制改革により長崎大学経済学部教授となり、1950年横浜国立大学経済学部教授兼横浜経済專門学校教授兼九州大学講師兼長崎経済專門学校講師、1951年企業会計基準審議会臨時委員、1953年公認会計士審査会(第二次)試験委員、1963年学部長、1966年定年退官し名誉教授、1969年青山学院大学教授、1972年亜細亜大学教授となる。
石原須磨男(いしはら すまお、1903年5月1日 - ?)は… 石原須磨男(いしはら すまお、1903年5月1日 - ?)は、日本の俳優。兵庫県神戸市出身。 当初は、「石原須磨夫」名義で活動しており、中学を中退した後の1921年(大正10年)に新声劇に入団。後に、女優・栗島すみ子の父にあたる栗島狭衣に師事して栗島プロに参加。1930年(昭和5年)、松竹下加茂撮影所に入社、1932年12月の『忠臣蔵 前篇〜赤穂京の巻〜』にて初出演。 1947年大映に移籍。以後、『お遊さま』(1951年)『近松物語』(1954年)『山椒大夫』(同)などの溝口健二監督作品や時代劇で高齢者役を演じ、大映倒産後は『木枯らし紋次郎』(1972年)などテレビにも多数出演。 記録上最後の出演作は『丹下左膳 剣風!百万両の壺』(フジテレビ、1982年10月22日放送)だったとされている。