由水 常雄(よしみず つねお、1936年8月2日 - )は、… 由水 常雄(よしみず つねお、1936年8月2日 - )は、日本の歴史研究者、ガラス工芸家。徳島県生まれ。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学大学院博士課程修了。1968年より1970年までチェコ政府招聘留学生としてプラハ大学でガラス工芸史、東西美術交渉史を専攻。
8月2日生まれ:373人
由水 常雄(よしみず つねお、1936年8月2日 - )は、… 由水 常雄(よしみず つねお、1936年8月2日 - )は、日本の歴史研究者、ガラス工芸家。徳島県生まれ。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学大学院博士課程修了。1968年より1970年までチェコ政府招聘留学生としてプラハ大学でガラス工芸史、東西美術交渉史を専攻。
宮岡 伯人(みやおか おさひと、1936年8月2日 - )は… 宮岡 伯人(みやおか おさひと、1936年8月2日 - )は、日本の言語学者、京都大学名誉教授である。エスキモー語専門で、なかでもユピック語(中央アラスカユピック語)を研究している。 兵庫県神戸市生まれ。大阪外国語大学外国語学部卒、1965年京都大学大学院博士課程満期退学、1998年「エスキモー語文法 -中央アラスカ・ユピック語」で文学博士(京都大学)。 1965年小樽商科大学商学部助手、助教授、教授、1982年東京外国語大学外国語学部教授、1987年北海道大学文学部教授、1994年京都大学文学部・文学研究科教授、名誉教授、2000年大阪学院大学情報学部教授、2007年退職。 1987年に「『エスキモー――極北の文化誌』(岩波書店)を中心としてサントリー学芸賞(芸術・文芸部門)を受賞。
柴田 章平(しばた しょうへい、1936年8月2日 - 20… 柴田 章平(しばた しょうへい、1936年8月2日 - 2021年9月)は日本の大蔵・公取官僚。 公正取引委員会事務局長、神奈川銀行会長、財団法人公正取引協会会長、公益財団法人公正取引協会会長(初代)などを務めた。 京都府京都市出身(父は愛知県、母は東京都)。1955年3月:京都市立紫野高等学校卒業。1959年3月:京都大学経済学部卒業。 1959年4月:大蔵省入省(為替局総務課)。1964年7月:大臣官房調査課調査第一係長 兼 大臣官房調査課調査第二係長。1965年7月:大臣官房調査課調査第一係長。1966年7月:倉敷税務署長。1967年7月:通商産業省企業局商務第一課長補佐。 1969年7月:大臣官房調査企画課長補佐(内国調査)。
新井 克昌(あらい かつまさ、1936年8月2日 - 202… 新井 克昌(あらい かつまさ、1936年8月2日 - 2022年 )は、群馬県出身の小説家。 浪曲師出身の人気コメディアン玉川良一の甥。娘は声優・ナレーターの景山聖子。 1957年、日本シナリオ作家協会・第1期研究生修了。1962年、高崎経済大学経済学部卒業。商業ビデオの制作、脚本等を手がけたのち著作活動に。 2007年12月、『日本列島放棄』(文藝春秋企画出版部)を発表。翌月の週刊新潮に「圧倒的リアリティーで迫る日本崩壊のシナリオ…」と推薦小説として取り上げられた。 2010年6月、『百年の封印』(文藝春秋企画出版部)を発表。
鈴木辰治(すずき しんじ、1936年8月2日- )は、日本の… 鈴木辰治(すずき しんじ、1936年8月2日- )は、日本の経営学者、新潟大学名誉教授。 福島県生まれ。1960年立教大学経済学部卒、66年同大学院博士課程満期退学、79年「経営と経済体制 ドイツ経営学研究」で東北大学経済学博士。60年高島入社、61年スタンレー電気調査室勤務、65年北九州大学商学部助手、66年講師、69年助教授、立命館大学経営学部助教授、1971年新潟大学文学部経済学科助教授、79年経済学部教授。2002年定年退官、名誉教授となり、長岡大学教授、九州産業大学教授を務めた。
小畠 廣志(こばたけ ひろし、1935年8月2日 - 199… 小畠 廣志(こばたけ ひろし、1935年8月2日 - 1996年11月8日)は、東京都武蔵野市出身の彫刻家。東京芸術大学卒業後、二科会に出品するとともに個展、グループ展、野外展などで作品を発表した。 初期の抽象的で有機的形態の石彫、白セメント、硬質石膏と鉄などによる作品から1963年を境に具象的な木彫作品を制作するようになる。1969年に開校した美学校に木彫刻工房を開く。1972年頃から吉祥寺のアトリエでイタリア蝋型美術鋳造を始め、木彫と共にブロンズ作品を多く発表する。美学校から独立したKOBATAKE彫刻工房で後進の指導を続けるとともに、工房内に大型の鋳造設備を備えスケールのある公共彫刻を各地に制作した。
高橋 悦史(たかはし えつし、1935年〈昭和10年〉8月2… 高橋 悦史(たかはし えつし、1935年〈昭和10年〉8月2日 - 1996年〈平成8年〉5月19日)は、日本の俳優。 宮大工の息子として大阪府岸和田市宮本町に一人息子として生まれた。幼くして父を亡くし、母の手一つで育てられた。大阪府立岸和田高等学校では野球部に在籍し、甲子園にあと一歩まで迫った。視力の減退で野球は断念した。高校時代に観劇した文学座の芝居に魅せられ、演劇への興味が沸く。大学受験と一緒に俳優座養成所のテストも受けたが不合格。 1954年立教大学文学部英米文学科に入学(野際陽子は同学科の同期であり、大沢啓二は同校の3年先輩。長嶋茂雄と杉浦忠も立教大の同期)。在学中から演劇に関わり、演出も手がける。
片山 虎之助(かたやま とらのすけ、1935年〈昭和10年〉… 片山 虎之助(かたやま とらのすけ、1935年〈昭和10年〉8月2日 - 2025年〈令和7年〉12月18日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。 総務大臣(初代・第2代)、郵政大臣(第68代)、自治大臣(第57代)、総務庁長官(第26代)、参議院議員(5期)、参議院予算委員長、自由民主党参議院幹事長・参議院国会対策委員長、たちあがれ日本参議院幹事長、旧日本維新の会国会議員団政策調査会長兼参議院議員団会長、維新の党総務会長兼参議院会長、日本維新の会共同代表兼国会議員団代表兼参議院会長、日本消防協会会長、日本防火協会会長等を歴任。 日本維新の会所属の参議院議員の片山大介は次男。
福田 博(ふくだ ひろし、1935年8月2日 - )は、日本… 福田 博(ふくだ ひろし、1935年8月2日 - )は、日本の元外交官、元最高裁判所判事、弁護士(西村あさひ法律事務所)。
鈴木 喜久子(すずき きくこ、1935年8月2日 - )は、… 鈴木 喜久子(すずき きくこ、1935年8月2日 - )は、九段法律事務所所属の日本の弁護士(登録番号:18585)。元日本社会党衆議院議員(1期)。東京都出身。
堀田 哲爾(ほった てつじ、1935年8月2日 - 2012… 堀田 哲爾(ほった てつじ、1935年8月2日 - 2012年7月23日)は、日本のサッカー指導者。「清水サッカーの生みの親」といわれ、静岡県のサッカー普及に大きな足跡を残した。 1935年(昭和10年)に生まれる。生家は静岡市(現・静岡市葵区)の華陽院 (寺院)。7人兄弟の5番目(四男)。 小学生時代は野球をやり、当初は外野手、後に捕手を担当した、中学生よりサッカーを始める。静岡大学教育学部短期大学部を卒業。1956年に清水市立江尻小学校(現・静岡市立清水江尻小学校)に教師として赴任。同校に日本で初めてとなる小学生サッカーチームを創部。1964年に同チームを「江尻サッカースポーツ少年団」に組織変更。
佐々木 秀典(ささき ひでのり、1934年8月2日 - )は… 佐々木 秀典(ささき ひでのり、1934年8月2日 - )は、日本の政治家、弁護士(登録番号:9171)。元衆議院議員(5期)。 北海道旭川市出身。父・佐々木秀世は自由民主党・宏池会所属の衆議院議員であり、第1次田中角栄内閣の運輸大臣を務めた。 旭川市立日章国民学校、旭川市立常盤中学校卒。旭川西高校3年時にサッカー部の主将を務め、旭川市・上川支庁地区大会で優勝し全道大会出場。1957年早稲田大学法学部を卒業。1961年に26歳で司法試験に合格し、翌1962年に早稲田大学大学院を修了する。司法修習16期(同期に日野市朗)経て1964年、弁護士登録。1969年、青年法律家協会(青法協)議長となり、社会派弁護士として活躍する傍ら、石田和外最高裁判所長官による青法協会員裁判官の排除に抵抗する。
吉田 辰雄(よしだ たつお、1934年8月2日 - 2010… 吉田 辰雄(よしだ たつお、1934年8月2日 - 2010年12月10日)は、日本の教育心理学者。東洋大学名誉教授。 東京生まれ。1959年横浜国立大学学芸学部心理学科卒、1970年早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学、東京都立青鳥養護学校教諭、東洋大学文学部助教授を経て、教授、2004年定年となり、名誉教授。
小林 勝巳(こばやし かつみ、1933年8月2日 - )は、… 小林 勝巳(こばやし かつみ、1933年8月2日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。 前橋高校から大生相互銀行を経て1955年に国鉄スワローズへ入団。1956年に退団。
本堂 寛(ほんどう ひろし、1932年8月2日 - 2021… 本堂 寛(ほんどう ひろし、1932年8月2日 - 2021年11月30日)は、日本の国語教育学者・日本語学者。青山学院大学名誉教授。 岩手県盛岡市大通生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校卒、1955年東北大学文学部国語学科卒業、1957年同大学院修士課程修了。岩手県立黒沢尻南高等学校教諭、1959年岩手県立盛岡第一高等学校教諭、1965年一関工業高等専門学校助教授、1968年国立国語研究所研究員、研究室長、1974年岩手大学教育学部教授、1977年教授、ブラジルサンパウロ大学文学部客員教授、1982年文部省初等中等教育局小学校教科調査官、東北大学教養部教授、青山学院大学文学部教授、2003年定年退職、名誉教授。
小林 一仁(こばやし かずひと、1932年8月2日- )は、… 小林 一仁(こばやし かずひと、1932年8月2日- )は、日本の国語教育学者、桜美林大学名誉教授。 東京教育大学大学院修士課程修了。東京都公立高校教諭、文化庁国語課調査官、筑波大学専任講師、文部省初等中等教育局中学校課、高等学校課教科調査官、茨城大学教育学部教授・附属中学校長、桜美林大学教授、2003年定年、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石黒 昇(いしぐろ のぼる、1932年8月2日 - 2021… 石黒 昇(いしぐろ のぼる、1932年8月2日 - 2021年2月11日)は、日本の競歩の選手である。 元々は長距離走の選手であったが、法政大学在学時に結核を患い、断念。数年後に退院し、健康維持のために独学で競歩を始める。 32歳で、1964年東京オリンピックの男子20キロメートル競歩に出場。1時間39分40秒0で23位だった。旧郵政省東京貯金局(現ゆうちょ銀行貯金事務センター)に勤務していたが、競歩自体が当時社会的に認知されていなかったので、大会出場中の欠勤を理由に解雇されていた。その後、埼玉県庁に勤務する傍ら、日本陸上競技連盟で審判や強化の委員などを務めた。また、「日本競歩を強くする会」の副会長になり、年2回の合宿開催や強化費集めに奔走した。
天津灘 福一(あまつなだ ふくいち、1932年8月2日 - … 天津灘 福一(あまつなだ ふくいち、1932年8月2日 - 2001年3月28日)は、佐賀県小城郡牛津町(現:同県小城市牛津町)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は田村 福一(たむら ふくいち)→田 福喜(でん ふくき(韓国名, 朝: 전호동))。現役時代の体格は183cm、100kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げなど。最高位は西前頭18枚目(1958年7月場所)。 18歳の時上京し、二所ノ関部屋に入門。1950年9月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ「田村」。 左四つからの吊り寄りを得意とし、闘志溢れる相撲を取った。3歳年下の羽子錦徳三郎(高嶋部屋→友綱部屋。後、前頭10枚目まで昇進)とは、所属する一門は違っていたが、親友同士であった。
高林 隆(たかばやし たかし、1931年8月2日 - 200… 高林 隆(たかばやし たかし、1931年8月2日 - 2009年12月27日)は、埼玉県さいたま市出身のサッカー選手。ポジションはMF。 埼玉県立春日部高校時代に頭角を現し3年次に高校選手権埼玉県予選優勝。1950年に立教大学へ進学し3年次の1953年に大学選手権優勝に貢献すると、4年次に日本代表に選出された。また関東大学選抜にも1年次から選出されている。 1953年に、日本学生選抜に選出され西ドイツのドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場。この選抜員には長沼健、岡野俊一郎らといった日本サッカーの中枢となる人物が多数参加していた。 卒業後の1954年に田辺製薬に加入、3度の全日本実業団選手権優勝(1954年、1955年、1957年)に貢献した。
朝倉 哲彦(あさくら てつひこ、1931年8月2日 - 20… 朝倉 哲彦(あさくら てつひこ、1931年8月2日 - 2014年9月14日)は、日本の脳神経外科医、医学者。 鹿児島県出身。1948年鹿児島県立鹿屋中学校4年修了、1955年鹿児島医科大学学士試験合格、1956年医師国家試験合格、国立東京第一病院外科研究員として勤務、1959年鹿児島大学医学部研究員(神経精神科)、1961年助教授、1969年東京女子医科大学講師、1971年助教授、1975年鹿児島大学医学部教授に戻り、1985-1989年附属病院長、1997年定年退官、名誉教授、医療法人猪鹿倉会パールランド病院名誉院長、和風会加世田病院顧問、脳神経疾患研究所付属てんかん研究所所長、2002年慈風会厚地記念放射線医学研究所所長、2005年和風会加世田病院理事長・院長、2012年慈風会厚地脳神経外科・放射線科クリニック院長。
原島 礼二(はらしま れいじ、1931年8月2日 - )は、… 原島 礼二(はらしま れいじ、1931年8月2日 - )は、日本の昭和期から平成期にかけての歴史学者である。埼玉大学名誉教授。専門は、日本古代史。 東京府に生まれる。1957年、埼玉大学文理学部文学科卒業。埼玉大学教養部教授を経て、1996年に定年退官。同大学名誉教授。
横澤 英雄(よこざわ ひでお、1930年〈昭和5年〉8月2日… 横澤 英雄(よこざわ ひでお、1930年〈昭和5年〉8月2日 - 2009年〈平成21年〉10月13日)は、日本の演出家(レビュー)。元宝塚歌劇団理事。東京都出身。横沢 秀雄、横澤 秀雄名義で活動していた時期もある。 母:良子(芸名:花野春子)が宝塚歌劇団卒業生。また、父:横沢三郎の妹(芸名:尾上さくら)や、兄弟の妻たちもタカラジェンヌで、宝塚およびレビュー(少女歌劇)に縁の深い環境で育った。なお、妻:チエ子(芸名:虹乃千恵)は宝塚歌劇団44期生。 父の横沢三郎は東京セネターズや阪急ブレーブスで監督を務めた。東京都立西高等学校卒業。関西学院大学では硬式野球部マネージャー。第1回全日本大学野球選手権大会で慶応大学に敗れるも準優勝した。
神野 信郎(かみの のぶお、1930年(昭和5年)8月2日 … 神野 信郎(かみの のぶお、1930年(昭和5年)8月2日 - 2018年(平成30年)11月12日 )は、日本の実業家。サーラグループ名誉顧問、中部ガス元社長、相談役。勲三等旭日中綬章。長男は神野吾郎。父は神野太郎。祖父は神野三郎。 祖父・神野三郎が創立した中部ガスの社長を29年間、会長を16年間にわたって務める一方、日本青年会議所会頭をはじめとして、豊橋商工会議所会頭、中部経済連合会副会長などを歴任。この功績から、2016年には豊橋市名誉市民に推挙された。 神野新田の管理のために八開村(現・愛西市)から移り住んだ神野金之助を初代とする神野家の4代目。出生地は父である神野太郎の仕事の関係で東京都であるが、1933年に豊橋市に転居。
杉山 洋子(すぎやま ようこ、1930年8月2日 - )は、… 杉山 洋子(すぎやま ようこ、1930年8月2日 - )は、日本の英文学者、関西学院大学名誉教授。 台湾生まれ。関西学院大学文学部英文科卒、ミシガン大学に学ぶ。1971年ヴァージニア・ウルフ論で関西学院大学文学博士。関西学院大学文学部助教授、教授、2001年定年退任、名誉教授、帝塚山学院大学教授。
太刀風 義経(たちかぜ よしつね、1930年8月2日 - 没… 太刀風 義経(たちかぜ よしつね、1930年8月2日 - 没年不明)は、鹿児島県薩摩郡樋脇町(現役当時、現・同県薩摩川内市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は岩下 義経(いわした よしつね)。最高位は東前頭20枚目(1957年1月場所)。得意手は右四つ、寄り、下手投げなど。現役時代の体格は175cm、90kg。 18歳の時、上京して井筒部屋に入門し、1949年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の前頭・高錦らがいる。同年10月場所では、12勝3敗と大勝ちし、序ノ口優勝を果たした(当時は、幕下以下も初日から千秋楽まで取組があった)。初めて番付に付いた時より「太刀風」を名乗り、以後、廃業までこの四股名で通している。
中坊 公平(なかぼう こうへい、1929年〈昭和4年〉8月2… 中坊 公平(なかぼう こうへい、1929年〈昭和4年〉8月2日 - 2013年〈平成25年〉5月3日)は、日本の弁護士(大阪弁護士会)。法学士(京都大学)。元日弁連会長。新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)特別顧問。 森永ヒ素ミルク中毒事件や豊田商事事件の被害者救済に弁護団長、破産管財人として尽力し、日本弁護士連合会会長や整理回収機構の初代社長を務めた。 1999年に設置された司法制度改革審議会において委員として参加し、法科大学院や裁判員制度の導入に尽力した。戦後日本を代表する弁護士であり、「平成の鬼平」とマスコミ各社に名付けられ呼ばれた。 京都府京都市で、父・中坊忠治、母・富の次男として生まれる。
小松 英雄(こまつ ひでお、1929年8月2日 - 2022… 小松 英雄(こまつ ひでお、1929年8月2日 - 2022年2月20日)は、日本の国語学者。筑波大学名誉教授。文学博士。専門は日本語史。 東京生まれ。東京教育大学大学院修了。 (東京都以外は集中講義、※は複数年度) 宇都宮大学 愛媛大学 ※学習院大学 ※金沢大学 千葉大学 東京大学 ※東洋大学 名古屋大学 新潟大学 ※二松学舎大学 弘前大学 ※北海道大学(札幌校) ※山形大学 琉球大学 ※早稲田大学 (現在)※四国大学(大学院文学研究科日本文学書道文化専攻) 文献学的アプローチによる表現解析により、日本語古典文学における定説を覆すような新しい仮説の提案を数多く行なってきた。 平安前期の仮名文に独特の構文を「連接構文」と名づけた。
清水 嘉治(しみず よしはる、1929年8月2日- 2012… 清水 嘉治(しみず よしはる、1929年8月2日- 2012年9月9日)は、日本の経済学者。専攻、世界経済論、ヨーロッパ経済論。 茨城県生まれ。1953年横浜市立大学商学部卒、55年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了、関東学院大学経済学部助手、講師、助教授、教授、74年「帝国主義論研究序説」で京都大学経済学博士。83年神奈川大学経済学部教授、2000年定年退任、名誉教授。
谷 洋子(たに ようこ、1928年8月2日 - 1999年4… 谷 洋子(たに ようこ、1928年8月2日 - 1999年4月19日)は、日本の女優。国際映画俳優の草分けとして知られる。『風は知らない』『バレン』などに出演。 父は経済学者の猪谷善一、母・妙子は儒学者江木鰐水の曾孫である。 江木鰐水の長男保男は明治時代に江木写真館を開業する。妙子の父となる定男は、保男の後妻である悦子に育てられる。悦子の父は愛媛県令などを歴任した関新平である。また、悦子の妹にませ子(aka万世子)が、異母姉妹に大正三美人の一人江木欣々がいる。ませ子は鏑木清方の美人画「築地明石町」のモデルとなった女性である。 定男は悦子の妹・ませ子と結婚し、妙子と二人の妹を儲ける。作家の中勘助は、定男と一高で知り合い江木家にも出入りするようになるが、妙子を幼女のころから熱愛し、作品にも描いた。
中村 昌生(なかむら まさお、1927年8月2日 - 201… 中村 昌生(なかむら まさお、1927年8月2日 - 2018年11月5日)は、日本の建築家、建築史家(日本建築史)。京都工芸繊維大学名誉教授、福井工業大学名誉教授。京都伝統建築技術協会を設立、理事長を務める。専攻は日本建築。工学博士。 愛知県出身。それまで建築史研究の対象としてはまれであった茶室や数寄屋建築を本格的に研究し、研究によって得られた知見を生かして設計活動を行った。また、桂離宮修理事業をはじめ、伝統建築の保存に貢献した。 1927年、愛知県名古屋市生まれ。彦根工業専門学校建築学科(現滋賀大学)を卒業した後、京都大学工学部の研修員となる。同大学助手等を経て、1973年、京都工芸繊維大学教授。
渡辺 義愛(わたなべ よしなる、1927年8月2日 -201… 渡辺 義愛(わたなべ よしなる、1927年8月2日 -2018年8月3日)は、フランス文学者、上智大学名誉教授。 富山県出身。1959年東京大学文学部仏文科卒、1959年同大学院修士課程修了。1964年上智大学文学部講師、助教授、1972年教授。1998年定年退任、名誉教授。キリスト教的な著作を翻訳した。 2018年8月3日、心不全のため死去。91歳没。
丹生 潔(にう きよし、1925年8月2日 - 2017年1… 丹生 潔(にう きよし、1925年8月2日 - 2017年1月30日)は、日本の物理学者。名古屋大学名誉教授。専門は素粒子物理学。世界で最初の、第4のクォークである「チャームクォーク」の発見者。東京出身。従四位。 1971年から名古屋大理学部教授を務め、原子核乾板の実験装置で得られた宇宙線の素粒子反応の中から、特異な様式で崩壊する新粒子を発見。同年の物理学会で、それを「X粒子」と名付けて報告した。この粒子は、広島大学の小川修三(後に名古屋大学)らによって、4つめのクォーク(当時の表現では「第4の粒子」)であると主張されたが、当時においては広く認められるまでには至らなかった。 しかしこのことが、小林誠や益川敏英に4つめのクォークの存在を確信させ、両者が小林・益川理論(クォーク6個の理論)を生み出す契機となった。
梶 哲夫(かじ てつお、1925年(大正14年)8月2日 -… 梶 哲夫(かじ てつお、1925年(大正14年)8月2日 - )は、日本の教育学者。筑波大学名誉教授。社会科教育学専攻。 東京府東京市浅草区田町生まれ。1945年東京高等師範学校卒業、同年4月東京文理科大学倫理学科に入るが、5月に陸軍特別甲種幹部候補生となり、前橋陸軍予備士官学校の士官候補生で敗戦を迎える。1948年、東京文理科大学卒業、副手、東京教育大学助手。1952年、同附属中学高校教諭。1966年、文部省初等中等教科調査官。1972年、東京教育大学助教授、1974年同教授。1976年、筑波大学教授。1989年定年退官、名誉教授。
野呂 芳男(のろ よしお、1925年8月2日 - 2010年… 野呂 芳男(のろ よしお、1925年8月2日 - 2010年4月26日)は、日本のキリスト教神学者、牧師。 1925年、東京都江東区で生まれた。1945年、徴兵により慶應義塾大学法学部を中退。除隊後に日本基督教神学専門学校(現東京神学大学)で学び、1948年に卒業。1949年にアメリカ合衆国へ留学し、1952年までドルー大学神学部で学び、学士号(B.D.)を取得。1955年までニューヨーク・ユニオン神学校で学び、神学博士号(Th.D.)を取得。 帰国後、青山学院大学文学部神学科教授に就いた。立教大学文学部キリスト教学科教授に転じた。日本においてウェスレー研究を進め、その基礎となるウェスレー学会を組織して委員長を務め、またウェスレー著作集刊行会委員長などを務めた。
盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 19… 盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 1995年6月12日)は、日本の臨済宗の僧。 大正14年(1925年)、富山県に生まれた。後藤瑞巌について出家し、小田雪窓より印可を受けた。妙心寺・龍安寺の塔頭である大珠院住職を務めた。 昭和61年(1986年)4月から平成6年(1994年)3月まで、花園大学学長。平成7年(1995年)6月12日没。 1925年(大正14年)に富山県魚津市で、姉が三人と弟の五人姉弟の長男として生まれた。家は元来、先祖代々百姓で、祖父の代までは百姓であった。そんななか宗興の父が突然医学の勉強を志して、開業医となった。そのため田畑は全て小作に出すこととなった。
山本 智子(やまもと さとこ、1924年8月2日 - 202… 山本 智子(やまもと さとこ、1924年8月2日 - 2022年9月2日)は、日本の声楽家。 大阪府出身、神戸女学院大学音楽部卒業。父は日本卓球協会名誉副会長で日本卓球界永年の功労者である山本弥一郎、夫は卓球の元日本チャンピオンの今孝。 関西二期会オペラ公演「泥棒とオールドミス」の主役でデビュー後、数多くのオペラに出演。NHKや民放にも数多く出演する。 卓球の元日本チャンピオン今孝と1945年に結婚し子供をもうけるが、1946年に夫と死別、2年後には長女を亡くす。 1996年から亡くなるまで「サルビア・ゾリステン」を主宰していた。 2022年7月21日に膝を骨折して入院、8月22日に退院したものの、一切食事をとらず、9月2日に老衰のため堺市の高齢者施設で死去した。
長澤 勝俊(ながさわ かつとし、1923年8月2日 - 20… 長澤 勝俊(ながさわ かつとし、1923年8月2日 - 2008年1月10日)は、日本の作曲家。 東京出身、日本大学芸術学部を卒業。作曲を清瀬保二に師事した。1964年、現代邦楽の演奏団体である日本音楽集団が設立された際、創設メンバーの一人となった。1990年、紫綬褒章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
中内 㓛(なかうち いさお、1922年〈大正11年〉8月2日… 中内 㓛(なかうち いさお、1922年〈大正11年〉8月2日 - 2005年〈平成17年〉9月19日)は、日本の実業家。ダイエー創業者。 戦後の日本におけるスーパーマーケット (GMS) の黎明期から立ち上げに関わり、近年の消費者主体型の流通システムの構築を確立させ、日本の流通革命の旗手として大きく貢献した。 ダイエー会長・社長・グループCEOを歴任したほか、日本チェーンストア協会会長(初代、10代、14代)・名誉会長(初代)、日本経済団体連合会副会長を務めたほか、自身が設立した学校法人中内学園(流通科学大学)学園長・理事長、財団法人中内育英会の理事長も務め、教育者としての一面もあった。 名前の正式な用字は「功」ではなく「㓛」(「工+刀」、㓛:U+34DB)。
中内 功(なかうち いさお、1922年〈大正11年〉8月2日… 中内 功(なかうち いさお、1922年〈大正11年〉8月2日 - 2005年〈平成17年〉9月19日)は日本の実業家。ダイエーを創業し、会長・社長・グループCEOを務める。日本チェーンストア協会会長(初代、10代、14代)・名誉会長(初代)、日本経済団体連合会副会長、自身が設立した学校法人中内学園(流通科学大学)学園長、理事長と、財団法人中内育英会理事長を歴任した。
高橋 国一郎(たかはし くにいちろう、1921年(大正10年… 高橋 国一郎(たかはし くにいちろう、1921年(大正10年)8月2日 - 2013年(平成25年)4月18日)は、昭和から平成時代の土木工学者。内務技師、建設技監。建設事務次官。日本道路公団総裁。 新潟県柏崎市出身。1944年(昭和19年)東京帝国大学工学部土木科を卒業後、内務省(土木局)に入る。 1945年(昭和20年)秋に復員し関東土木出張所に勤務。1950年(昭和25年)五十里ダム出張所長、1956年(昭和31年)関東地建4号国道、1958年(昭和33年)東京国道の両工事事務所長、1964年(昭和39年)高速道路課高速道路調査室長、1966年(昭和41年)地方道課長、国道第一課長、1970年(昭和45年)道路局長、1972年(昭和47年)建設技監、1974年(昭和49年)建設事務次官、1976年(昭和51年)日本道路公団副総裁、1978年(昭和53年)総裁を経て、1986年(昭和61年)辞任した。
山根 幸夫(やまね ゆきお、1921年8月2日 - 2005… 山根 幸夫(やまね ゆきお、1921年8月2日 - 2005年6月24日)は、日本の東洋史学者。専門は明代史および中国近現代史。東京女子大学名誉教授。 兵庫県神崎郡越知谷村(現・神河町)に生まれる。1941年4月東京帝国大学文学部東洋史学科入学。同期の神田信夫(専門は清代史)とは後に共著を出版。1942年10月から1945年9月まで肺結核のため休学する。1947年9月に東京帝国大学卒業。同年10月、東京大学大学院特別研究生(文部省給費)に採用される。 1952年4月東洋大学文学部講師、1953年同助教授。1954年4月から4年間、公益財団法人 東洋文庫研究員をつとめ、1958年東京女子大学文学部助教授、東洋文庫兼任研究員となる。
佐多 宗二(さた そうじ、1921年(大正10年)8月2日 … 佐多 宗二(さた そうじ、1921年(大正10年)8月2日 - 1996年(平成8年)11月10日)は、日本の政治家。全国商工会連合会会長、参議院議員(1期)。 鹿児島県揖宿郡頴娃村(頴娃町を経て現南九州市)出身。1936年(昭和11年)松原高等小学校を卒業。酒造業、製飴業などを経て、1948年(昭和23年)に酒造業を法人化し有限会社佐多宗二商店を設立。 1955年(昭和30年)鹿児島県議会議員に初当選し、1975年(昭和50年)まで務め、県議会議長にも就任。田中角栄から声が掛かった事がきっかけで、1975年(昭和50年)自由民主党参議院議員に当選。1982年(昭和57年)全国商工会連合会会長に就任。
辻 輝子(つじ てるこ、1920年〈大正9年〉8月2日 - … 辻 輝子(つじ てるこ、1920年〈大正9年〉8月2日 - 2017年〈平成29年〉10月23日)は、女流陶芸家。日本の女性陶芸家第1号。仙台万華鏡美術館名誉館長。夫は日本犬研究家の斎藤弘吉。弟に陶芸家の辻清明、子に陶芸家の辻厚成、孫に陶芸家の辻厚志がいる。
氏原 正治郎(うじはら しょうじろう、1920年8月2日 -… 氏原 正治郎(うじはら しょうじろう、1920年8月2日 - 1987年8月21日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。愛知県出身。 東京帝国大学経済学部卒。同助手、1949年東京大学社会科学研究所助手、1951年助教授、1962年教授、1968年所長事務取扱、1969-1970年所長、1981年定年退官、名誉教授。雇用促進事業団雇用職業総合研究所長。1987年死去。叙正四位、勲二等瑞宝章追贈。 実態調査によって戦後の労働問題を追究、労使慣行の解明、社会保障や高齢者雇用の政策立案に尽くした。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
大給 湛子(おぎゅう きよこ、1919年(大正8年)8月2日… 大給 湛子(おぎゅう きよこ、1919年(大正8年)8月2日 - 2019年(令和元年)8月1日)は、日本の元皇族。朝香宮鳩彦王第2王女子。旧名は湛子女王。兄に孚彦王・正彦王、姉に紀久子女王がいる。大給義龍伯爵夫人。明治天皇の孫世代では最後の存命者であった。
今井 則義(いまい のりよし、1918年8月2日 - 199… 今井 則義(いまい のりよし、1918年8月2日 - 1997年4月15日)は、マルクス経済学者。法政大学経営学部名誉教授。元東京交通短期大学学長。専攻は産業論、景気変動論。筆名・西原文夫。 広島県生まれ。1935年広島高等師範付属中学校卒業。1938年広島高等学校文科乙類卒業。1941年東京帝国大学経済学部経済学科卒業。石油統制会社調査課勤務(1946年石油公団に改組)。1951年運輸調査局経済調査部勤務。1957年法政大学経営学部助教授。1960年「戦後循環の分析」で経済学博士(法政大学)。1961年法政大学経営学部教授。1967-68年法政大学経営学部長。1968-72年法政大学常務理事。
河毛 一郎(かわけ いちろう、1918年8月2日 - 198… 河毛 一郎(かわけ いちろう、1918年8月2日 - 1988年6月20日)は、日本の官僚。海上保安庁長官を務めた。石川県出身。双子の弟に王子製紙社長を務めた河毛二郎がいる。 1953年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に運輸省に入省した。大臣官房審議官、船員局長などを経て、1968年に海上保安庁長官に就任。1978年には日本海員掖済会会長に就任。 1988年6月20日肝臓癌のために死去。69歳没。
河毛 二郎(かわけ じろう、1918年8月2日 - 2004… 河毛 二郎(かわけ じろう、1918年8月2日 - 2004年5月24日)は、日本の経営者。王子製紙社長、会長を務めた。 石川県出身。幼くして父を亡くし、母とともに祖父のもとで育つ。旧制四高を経て1941年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に王子製紙に入社。 1968年11月に取締役に就任し、1971年11月に常務、1976年6月に専務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1982年12月には社長に昇格。1989年6月に会長に就任し、1993年10月に名誉会長を経て、1995年6月から相談役を務めた。 1990年から1995年までに日本経営者団体連盟副会長を務めた 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲一等瑞宝章を受章。
金 正斗(キム・ジョンドゥ、朝鮮語: 김정두、1918年8月… 金 正斗(キム・ジョンドゥ、朝鮮語: 김정두、1918年8月2日 - 1985年4月5日)は、大韓民国の裁判官、弁護士、政治家。大邱弁護士会(現・大邱地方弁護士会)会長、第8代韓国国会議員、民権党総裁権限代行を歴任した。 本貫は慶州金氏。元ソウル高等法院院長の金東建(朝鮮語版)は娘婿、裁判官の潘侹佑は孫娘婿。 日本統治時代の慶尚北道高霊郡出身。京城第1高等普通学校(現・京畿高等学校)、1941年明治大学法科卒。1945年司法要員考試合格。1948年大邱地方法院(朝鮮語版)判事、1951年大邱高等法院(朝鮮語版)判事、大邱地方法院・ソウル高等法院(朝鮮語版)部長判事、1968年第21代大邱弁護士会(現・大邱地方弁護士会)会長、第8代国会議員、慶州金氏宗親会中央会副会長、崇恵殿陵保存会専務理事、新民党統一分科委員長・大邱東地区党委員長、民権党中央党事務総長・慶北第2地区党委員長・総裁代行を務めた。
小柳 富男(こやなぎ とみお、1916年(大正5年)8月2日… 小柳 富男(こやなぎ とみお、1916年(大正5年)8月2日 - 1971年(昭和46年)12月14日)は、日本の飛込競技選手。1936年ベルリンオリンピックに出場した。 1916年8月2日、福岡県に生まれる。大阪府立今宮中学校(現在の大阪府立今宮高等学校)を卒業し、早稲田大学に進学する。早稲田大学では競泳が一般的であった中で飛込競技の実力を大いに伸ばし、1935年8月6日にベルリンオリンピック飛込競技の日本代表となることが発表された。ベルリンオリンピックでは飛板飛込と高飛込の両方に出場し、飛板飛込で133.07点、高飛込で94.54点を獲得しいずれも8位となった。その後、1939年の日本選手権では高飛込で優勝、1940年の日本選手権では飛板飛込で優勝、1946年の日本選手権では再び高飛込で優勝した。