葉室 賴昭(はむろ よりあき、1927年〈昭和2年〉1月3日… 葉室 賴昭(はむろ よりあき、1927年〈昭和2年〉1月3日 - 2009年〈平成21年〉1月3日)は、日本の医師、神職。葉室家37代当主。 葉室家36代当主葉室直躬の長男として東京府に生まれた。葉室家は公家の藤原藤原北家勧修寺流(藤原為房の次男藤原顕隆が家祖)の流れを汲む伯爵家。学習院に初等科から高等科まで通った。大阪大学医学部を卒業後、勤務医を経て、形成外科医院を開業した。診療を続けながら通信教育で神職資格を勉強し、神職の最高階位である明階を取得した。神社庁の推薦を受けて平成4年(1992年)に東大阪市の枚岡神社の宮司に就任。平成6年(1994年)8月、春日大社の宮司に就任した。平成20年(2008年)3月、春日大社宮司を退任。
桜井 修(さくらい おさむ、1927年1月3日 - 2020… 桜井 修(さくらい おさむ、1927年1月3日 - 2020年3月30日)は、日本の経営者。元住友信託銀行社長。東京都出身。 1952年に東京大学法学部政治学科を卒業、同年に住友信託銀行に入行。1976年6月に取締役に就任、1978年6月に常務、1981年6月に専務、1983年6月に副社長を経て、1984年6月には社長に就任。1989年6月に会長に就任し、1993年6月に取締役相談役を経て、1996年6月には相談役に就任。 2020年3月30日に不整脈のために死去。93歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中山 公男(なかやま きみお、1927年1月3日 - 200… 中山 公男(なかやま きみお、1927年1月3日 - 2008年2月21日)は、日本の西洋美術史家、美術評論家。 大阪府大阪市船場に生まれる。旧制新潟高等学校では丸谷才一の友人だった。1950年東京大学文学部美学美術史学科卒業、1953年まで大学院特別研究生。 女子美術大学講師、多摩美術大学講師、日本大学助教授を経て1959年国立西洋美術館主任研究官。1963年より文部省在外研修員としてヨーロッパに滞在し、1968年万国博覧会参事、西洋美術館学芸課長を務め、1971年退官。1986年より群馬県立近代美術館館長(2005年まで)、1987年筑波大学教授、1990年に退任し、1991年明治学院大学教授、1997年退職。
三宅 和夫(みやけ かずお、1927年1月3日 - 2014… 三宅 和夫(みやけ かずお、1927年1月3日 - 2014年10月13日)は、日本の心理学者。北海道大学名誉教授。幼児心理学・発達心理学専攻。 東京府生まれ。1952年東京大学文学部心理学科卒業。1953年北海道大学教育学部助手、1955年講師、1962年助教授、1970年教授、1990年定年退官、名誉教授、川村学園女子大学教授。1992年放送大学教授。1996年北海道医療大学教授。1999年日本教育心理学会名誉会員。
山本 満(やまもと みつる、1927年(昭和2年)1月3日 … 山本 満(やまもと みつる、1927年(昭和2年)1月3日 - 2013年(平成25年)1月10日)は、日本の政治学者。専門は国際政治学、国際政治経済学。一橋大学名誉教授。吉野作造賞受賞。 千葉県千葉市生まれ。父・山本猛之助は、革新派弁護士の団体である自由法曹団に所属する弁護士。 旧制水戸高等学校文科乙類を経て、1950年(昭和25年)東京大学経済学部を卒業。 2013年1月10日、急性心不全のため死去。
吉岡 昭彦(よしおか あきひこ、1927年1月3日 - 20… 吉岡 昭彦(よしおか あきひこ、1927年1月3日 - 2001年11月12日)は、日本の西洋史学者。東北大学名誉教授。 広島県出身。1951年東京大学経済学部卒。福島大学助教授をへて東北大学文学部助教授、1968年教授。90年定年退官し、名誉教授となり、二松学舎大学教授を務めた。岡田与好とともに、大塚久雄の愛弟子。マルクス主義史学の立場からイギリス近代経済史を専攻した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
羽田 澄子(はねだ すみこ、1926年1月3日 - )は、日… 羽田 澄子(はねだ すみこ、1926年1月3日 - )は、日本の映画監督。「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている。 旧満州大連市生まれ。1942年旅順高等女学校卒業。満州から引き揚げ、自由学園女子部高等科卒業後、1950年に恩師羽仁説子の紹介で、岩波書店と資本関係のない関連会社岩波映画製作所に入社し、岩波写真文庫を編集に携わる。 映画シナリオを任され、映画『歯』のシナリオを描いた際に、助監督も試験的に担当。羽仁進監督の下で助監督を務めた後、1957年に『村の婦人学級』(岩波映画)で監督デビューを果たす。 1977年『薄墨の桜』を初めて4年間かけ自主製作する。岩波ホールで他3本と上映の際、総支配人高野悦子がドキュメンタリー映画商業上映での史上初の入場料を取り、無料の慣例を変える。
平井 龍(ひらい とほる、1926年(大正15年)1月3日 … 平井 龍(ひらい とほる、1926年(大正15年)1月3日 - 2008年(平成20年)2月17日)は、日本の政治家。山口県知事(第37-41代)。従三位勲一等。山口県柳井市出身。
遠藤 保成(えんどう やすしげ、1926年1月3日 - )は… 遠藤 保成(えんどう やすしげ、1926年1月3日 - )は日本の地方公務員。神奈川県下水道公社理事長、テレビ神奈川社長。勲三等瑞宝章。 神奈川県出身。旧制新潟高等学校、京都大学法学部政治学科卒業。1948年 神奈川県庁に入庁。1954年 横須賀県税事務所長。1957年3月 教育庁社会教育課長。1959年7月 企画渉外部企画広報課長。1961年12月 企画渉外部企画課長。1963年6月 神奈川県労働委員会事務局長。1967年6月 企業庁管理局長。1971年6月 企画調査部長。1973年7月 総務部長。1975年6月 企業庁長。1981年6月 下水道公社理事長。1982年6月 テレビ神奈川代表取締役社長(〜1994年)。
島田 克美(しまだ かつみ、1926年1月3日 - )は、日… 島田 克美(しまだ かつみ、1926年1月3日 - )は、日本の経済学者。学位は、博士(商学)(大阪市立大学・1992年)。住友商事理事、京都学園大学教授等を歴任。 石川県生まれ。1947年東京帝国大学法学部卒。1948年人事院、1950年公正取引委員会、1957年経済企画庁、1967年住友商事入社、1974年業務本部調査計画部長、1981年理事、事務本部副本部長、京都学園大学経済学部教授、1989年流通経済大学特任教授、1997年客員教授。1992年「商社商権論」で大阪市立大学より博士(商学)の学位を取得。
栂野 泰二(とがの たいじ、1926年1月3日 ‐ 2002… 栂野 泰二(とがの たいじ、1926年1月3日 ‐ 2002年2月14日) は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(2期)。弁護士。 島根県出身。旧制広島高校を経て1950年東京大学法学部政治学科卒。司法試験合格後、日本生協連合会などの顧問弁護士を務める。1976年の第34回衆議院議員総選挙で郷里の島根県から日本社会党公認で立候補して当選する。1979年の第33回衆議院議員総選挙で落選。1980年の第35回衆議院議員総選挙で復帰。1983年の第36回衆議院議員総選挙で落選し、政界を引退した。2002年死去。
中平 康(なかひら こう、1926年1月3日 - 1978年… 中平 康(なかひら こう、1926年1月3日 - 1978年9月11日)は、日本の映画監督。香港名は楊樹希(ヤン・スーシー)。父は洋画家の高橋虎之助。娘は作家の中平まみ。 増村保造、岡本喜八、市川崑、鈴木清順らと共にモダン派と称された。代表作に『変奏曲』『混血児リカ』『月曜日のユカ』『狂った果実』などがある。 1926年(大正15年)1月3日、東京府滝野川町に生まれる。父は洋画家の高橋虎之助。一人娘だったバイオリニストの母・俊の中平姓を継ぐ。音楽学校を出た祖母もヴァイオリンを教えていたなどして芸術家になることを奨励されるような家庭で育つ。中学時代より映画に熱中し、好きだったルネ・クレール監督作品など同じ作品を10回くらいずつ繰り返し観るなどして研究を重ねる。
小川 光暘(おがわ こうよう、1926年1月3日 - 199… 小川 光暘(おがわ こうよう、1926年1月3日 - 1995年1月12日)は、日本の美術史学者。東西の古代文化・美術、日本の寝具史を研究。 奈良県奈良市に生まれる。父・小川晴暘と弟・小川光三は著名な写真家。 同志社大学文学部文化学科卒業。同志社大学大学院、同志社大文学部教授として日本美術史を担当。1995年1月12日、在職中に脳梗塞のため死去。
大倉 真隆(おおくら まさたか、1925年〈大正14年〉1月… 大倉 真隆(おおくら まさたか、1925年〈大正14年〉1月3日 - 1990年〈平成2年〉1月26日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、横浜銀行頭取。 浜松中学校、今宮中学校から第一高等学校に進学。第一高等学校の文甲をトップで卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、1944年9月、海軍経理学校に入学し海軍主計見習尉官。1945年に経理学校を卒業。第11海軍航空廠付となる。同年6月、主計少尉に任官され終戦を迎えた。同年9月、予備役に編入。 1947年3月、東京大学法学部政治学科卒業。同年4月に高等試験行政科を受け、5月に大蔵省入省(1947年前期入省。大臣官房文書課配属)。1949年6月 大臣官房財務官室、1950年6月米国オハイオ州立大学大学院留学。
斎賀 秀夫(齋賀 秀夫、さいが ひでお、1925年1月3日 … 斎賀 秀夫(齋賀 秀夫、さいが ひでお、1925年1月3日 - 2022年7月30日)は、日本の国語学者。位階は正五位。 大妻女子大学名誉教授、国立国語研究所名誉所員。 香川県生まれ。東京文理科大学国語国文科卒業。1948年国立国語研究所創立当初からの所員、大妻女子大学教授、1996年定年、名誉教授。東京成徳大学教授。文化庁国語審議会委員。 2022年7月30日、老衰のため死去。97歳没。死没日付をもって正五位に叙される。
佐藤 進(さとう すすむ、1925年1月3日 - 2006年… 佐藤 進(さとう すすむ、1925年1月3日 - 2006年11月28日)は、日本の経営者。東京都出身。 1947年に慶應義塾大学工学部応用化学科を卒業し、1950年に東京大学薬学科研究生を修了。 塩野義製薬での勤務を経て、1951年7月に佐藤製薬専務に就任し、副社長を経て、1968年9月に社長に就任した。1995年10月に会長に就任した。 2006年11月28日心不全のために死去。81歳没。
青木 脩(あおき おさむ、1925年1月3日 - 2004年… 青木 脩(あおき おさむ、1925年1月3日 - 2004年10月9日)は、日本の会計学者。経済学博士(論文博士・1978年)(学位論文「フランス会計制度論 付加価値会計制度の確立過程」)。愛知大学教授、名古屋工業大学教授、中京大学教授を歴任。名古屋工業大学名誉教授。 愛知県岡崎市生まれ。東京大学経済学部商業学科卒。1978年「フランス会計制度論 付加価値会計制度の確立過程」で経済学博士。名城大学講師、愛知大学助教授、教授、名古屋工業大学教授、1989年定年退官、名誉教授、中京大学教授。
津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 20… 津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 2015年6月2日)は、日本の建築家、都市計画家、評論家。愛知県岡崎市出身。 1945年に海軍技術士官として厚木飛行場に赴任するが終戦を迎える。1947年に新制東京大学に再入学する。 1951年、東京大学第一工学部建築学科卒業。丹下健三の下で住宅問題の研究をテーマに卒業論文に取り組む。前川国男の建築設計事務所への入所を希望するが前川と太田博太郎の推薦でアントニン・レーモンドの事務所に所属する。その後坂倉準三の建築設計事務所を経て、1955年日本住宅公団発足と共に入社。 日本住宅公団勤務時、多摩平・高根台団地、阿佐ヶ谷住宅をはじめとする多くの団地を設計するなど、公団初期の全体計画を手がける。
安田 三郎(やすだ さぶろう、1925年1月3日 - 199… 安田 三郎(やすだ さぶろう、1925年1月3日 - 1990年10月6日)は、日本の社会学者。文学博士(東京教育大学、1972年)。東京生まれ。「開放性係数」の開発で知られる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
米川 哲夫(よねかわ てつお、1925年1月3日 - 202… 米川 哲夫(よねかわ てつお、1925年1月3日 - 2020年9月18日)は、日本のロシア文学・ロシア近代史の研究者、東京大学教養学部名誉教授。 東京外国語学校露語科を経て東京大学文学部西洋史学科卒業。1963年東京大学教養学部助教授を経て教授(ロシア文学講座)、1985年に定年退官し名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
岡田 弘子(おかだ ひろこ、1925年〈大正14年〉1月3日… 岡田 弘子(おかだ ひろこ、1925年〈大正14年〉1月3日 - 2020年〈令和2年〉5月28日)は、北海道函館市の市立函館図書館の元館長、石川啄木関連の資料の保存に努める団体「函館啄木会」の事務局長、後に代表理事。父は市立函館図書館の初代館長の岡田健蔵。函館ゆかりの歌人である啄木の資料収集に尽力した父の跡を継ぎ、函館啄木会において、父から託された啄木関連の資料を守り、資料収集などに取り組んだ。北海道函館市出身。 1925年(大正14年)、岡田健藏の長女として誕生した。遺愛女学校、文部省図書館講習所(後の図書館情報大学)を経て、1943年(昭和18年)から市立函館図書館に勤務した。兄弟姉妹が皆死去しており、唯1人の父の実子であったことから、父の遺志を継ぎ、父直伝の図書館教育により、司書として勤めた。
鈴木 亭一(すずき ていいち、1925年1月3日 - )は、… 鈴木 亭一(すずき ていいち、1925年1月3日 - )は、日本の経営者。日本特殊陶業社長を務めた。 静岡県出身。1944年に名古屋経済専門学校(現名古屋大学経済学部)を卒業し、同年に日本特殊陶業に入社。1977年に取締役に就任し、1981年6月に常務、1983年6月に専務を経て、1985年6月に社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石井 隆匡(いしい たかまさ、本名: 石井 進(いしい すす… 石井 隆匡(いしい たかまさ、本名: 石井 進(いしい すすむ)、1924年1月3日 - 1991年9月3日)は、ヤクザ、暴力団・稲川会二代目会長、横須賀一家五代目総長。 石井 唯博とも。 神奈川県横須賀市出身。経済ヤクザと呼ばれた。
金 正濂(きん せいれん、キム・ジョンニョム、キム・ジョンヨ… 金 正濂(きん せいれん、キム・ジョンニョム、キム・ジョンヨム、朝鮮語: 김정렴 / 김정염、1924年1月3日 - 2020年4月25日)は、大韓民国の政治家。本貫は慶州金氏。日本名は玉井 正人(たまい まさと)。 もともと小樽高等商業学校(のちの小樽商科大学)志望だったが果たせず、1944年に大分経済専門学校(のちの大分大学)を卒業し、朝鮮銀行に入行した。クラーク大学大学院を卒業し、経済学の修士号を取得。第二次世界大戦後は財務部次官(1962年-1963年)、商工部次官(1964年-1966年)、財務部長官(1966年)、商工部長官(1967年-1969年)、大統領秘書室長(1969年-1978年)、駐日大使(1979年-1980年)を歴任。
三宅 三郎(みやけ さぶろう、1924年1月3日 - 201… 三宅 三郎(みやけ さぶろう、1924年1月3日 - 2012年2月5日)は日本の宇宙物理学者。大阪市立大学教授、東京大学教授、東京大学宇宙線研究所所長、宇宙線観測所初代専任所長、神奈川大学教授・学長。日本統治下の台湾生まれ。 大阪帝国大学卒業。インドのコラー金鉱(KGF: Kolar Gold Field)で宇宙線研究、1965年頃、大気ニュートリノ(宇宙線が大気中の原子核と衝突すると連鎖的に新たな粒子が生み出される「大気シャワー」と呼ばれる現象が起きるが、 その中で生まれるニュートリノを「大気ニュートリノ」と呼ぶ)を世界で初めて観測した。 神岡鉱山の坑道で核子崩壊の跡を検出する実験、宇宙線ミュー粒子およびニュートリノの研究。
早川 一光(はやかわ かずてる、1924年〈大正13年〉1月… 早川 一光(はやかわ かずてる、1924年〈大正13年〉1月3日 - 2018年〈平成30年〉6月2日)は、医師(外科医)、ラジオパーソナリティ。 満州奉天(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市)生まれ、愛知県知多郡横須賀町(現在の東海市)育ち。父は小児科の医者で、末っ子の次男として生まれる。 戸籍上の生年月日は1924年1月3日になっているが、早川の親によると実際は1923年12月26日であるとのこと。これは親が生まれて数日で2歳(数え年)になることを嫌い、1月3日で届け出たためだという。 父が満鉄病院に勤めていた関係で4歳まで満州に住んだ後、家族で愛知県知多郡横須賀町に移住した。当時のペチカの石炭の火とゴッゴッという石炭の音は晩年までなんとなく頭に残っていたとのこと。
小島 信一(こじま しんいち、1924年1月3日 - )は、… 小島 信一(こじま しんいち、1924年1月3日 - )は、日本の詩人、文芸評論家。 東京出身。中央大学卒。佐藤春夫に師事。1954年からエッソ・スタンダード石油に11年間勤務。万葉集を現代詩化した『万葉集―運命の歌』で1971年芸術選奨新人賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
岡本 喬(おかもと たかし、1924年1月3日 - 2008… 岡本 喬(おかもと たかし、1924年1月3日 - 2008年8月14日[要出典])は、詩人・作家。 群馬県生まれ。東京第一師範学校卒。『歴程』同人。小学校教師をしながら詩や小説、ノンフィクションなどを書いた。
三好 主(みよし ちから、1923年1月3日 - )は巨人に… 三好 主(みよし ちから、1923年1月3日 - )は巨人に在籍した元プロ野球選手。ポジションは二塁手、三塁手、遊撃手。
佐藤 晴夫(さとう はるお、1923年1月3日 - 2009… 佐藤 晴夫(さとう はるお、1923年1月3日 - 2009年)は、日本の刑務官、翻訳家。 北海道生まれ。東京帝国大学文学部心理学科卒業。法務省矯正研修所長をへて、東洋大学工学部教授、常盤大学兼任教授。 マルキ・ド・サドなどエロティック小説の翻訳を行う。
富田容甫(とみた よすけ、1923年1月3日 - 1984年… 富田容甫(とみた よすけ、1923年1月3日 - 1984年6月23日)は、昭和期の北海道を代表する政治学者・行政学者。恩師は尾形典男。 千葉県安房郡北条町(現・館山市)出身。1943年旧制第二高等学校文科卒業。東北帝国大学法学部に入学するも、同じ年に召集令状によって大日本帝国陸軍戦車連隊に入隊。1945年復員。1947年東北帝国大学法学部卒業。 北海道帝国大学法文学部助手。1952年北海道学芸大学学芸学部札幌分校岩見沢分教場助教授に就任。1954年北海道学芸大学学芸学部札幌分校助教授。1957年北海道大学法学部助教授。1962年北海道大学法学部教授。1965年北海道大学評議員に就任。1976年北海道大学評議員に再度就任。
朴 璟遠(パク・キョンウォン、朝鮮語: 박경원、1923年1… 朴 璟遠(パク・キョンウォン、朝鮮語: 박경원、1923年1月3日 - 2008年2月20日)は、大韓民国の政治家。第10代大韓民国国会議員。元内務部長官(3回)、第19代逓信部長官、第17代交通部長官。統一主体国民会議事務総長。 本貫は密陽朴氏。号は蓮牛(ヨヌ、연우)。カトリック教徒。 日本統治時代の全羅南道霊光郡に生まれた。木浦商業高等学校(現・木商高等学校(朝鮮語版))、長崎高等商業学校卒業。学徒出陣して日本軍少尉。千葉陸軍高射学校卒業。1946年6月12日付で軍事英語学校を卒業して任少尉(軍番10106番)。1960年に檀国大学校法律学科を卒業し、翌年に国防大学院を修了した。韓国陸軍入隊後は少将・中将を務めた。
大川 政三(おおかわ まさぞう、1923年1月3日 - 20… 大川 政三(おおかわ まさぞう、1923年1月3日 - 2007年3月21日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。専門は財政学。勲三等旭日中綬章受章。 日本財政学会代表理事、日本経済政策学会理事、日本地方自治研究学会理事、国際財政学会理事、財政制度審議会委員、大学設置審議会委員、日本学術会議会員、国税審議会会長などを歴任。 指導学生に堀場勇夫(青山学院大学名誉教授)、内藤忠顕(元日本郵船社長)、永田雄志(元東洋エンジニアリング会長)、伊藤隆敏(コロンビア大学教授)、金田勝年(元法務大臣)、進藤孝生(日本製鉄会長)、塚原治(元国税庁国税審議官)、鹿取克章(元駐インドネシア大使)、吉國眞一(元国際決済銀行アジア太平洋総代表)、星野茂夫(元国土交通省海事局長)など。
藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3… 藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3日 - 1996年(平成8年)5月27日)は日本の実業家、政治家。広島地方区選出の自由民主党参議院議員。第16代参議院議長(在任期間・1986年7月22日 - 1988年9月30日)、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、自由民主党参議院議員会長を歴任。
皆川 和子(みながわ かずこ、1922年1月3日 - 201… 皆川 和子(みながわ かずこ、1922年1月3日 - 2014年8月16日)は、日本の音楽家。 立正高等女学校(現・東京立正高等学校)、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)出身。 1943年から子供たちに始めた歌唱指導が、戦後はひばり児童合唱団へと発展し、安田祥子・由紀さおりの姉妹をはじめ幾多の才能を育てた。合唱団の現代表で元子役の皆川おさむは甥。個人レッスンで吉永小百合に歌を教えた。 2014年8月16日、中下咽頭腫瘍のため死去。92歳没。生涯独身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
内藤 初穂(ないとう はつほ、1921年1月3日 - 201… 内藤 初穂(ないとう はつほ、1921年1月3日 - 2011年10月20日)は、日本のノンフィクション作家。帝国海軍技術大尉。父内藤濯は仏文学者で『星の王子さま』の初訳者で著名。
賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日… 賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日 - 1991年〈平成3年〉2月20日)は、日本の女優、演出家。本名は塚原 初子。 文学座に入座して多くの舞台に立ち、地味な老け役で活躍した。喜びの琴事件で文学座を脱退後は劇団NLTを結成してその主宰となり、フランス喜劇の上演に意欲を燃やした。舞台のほか映画、テレビドラマへの出演も多い。メイクアップ技術の研究家としても有名で、入門書を出版している。主な出演舞台に『二十六番館』『島』、映画に『流れる』『女の歴史』など。演出家として『ロマノフとジュリエット』なども発表している。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市牛込区余丁町(現在の東京都新宿区余丁町)に生まれる。
岡本 則一(おかもと のりかず、1921年 <大正10年> … 岡本 則一(おかもと のりかず、1921年 <大正10年> 1月3日 - 1994年 <平成6年> 6月3日)は、日本の経営者。安田生命保険社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1943年に東京商科大学を卒業し、1946年に安田生命保険に入社。1965年に財務部長に就任し、1969年5月に取締役、1972年12月に常務、1979年7月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1985年7月には社長に昇格。1993年4月には会長に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1994年6月3日急性心不全のために死去。73歳没。死没日付をもって正七位から従四位に進階した。
小山 路男(こやま みちお、1921年1月3日 - 1995… 小山 路男(こやま みちお、1921年1月3日 - 1995年1月10日)は、日本の社会保障学者。学位は、経済学博士(関西学院大学)。横浜市立大学経済研究所所長、上智大学社会福祉学科教授、社会保障研究所(現国立社会保障・人口問題研究所)所長などを歴任。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。1941年(昭和16年)東京商科大学(現一橋大学)予科卒、1943年(昭和18年)同学部卒、1945年(昭和20年)同大学院特別研究生修了、東京産業大学助手。 1950年(昭和25年)横浜市立大学経済研究所助教授、1964年(昭和39年)教授。 1965年(昭和40年)「イギリス救貧法史論」で関西学院大学より経済学博士の学位を取得。
赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1… 赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1月3日 - 1994年6月26日)は、日本の脚本家、映画監督、テレビドラマ演出家、著述家、大学教官である。日本映像学会会員。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市神田区小川町(現在の東京都千代田区神田小川町)に、神保町の東京堂(現在の東京堂書店)支配人の子息として生まれる。 旧制・第一高等学校在学時の1940年(昭和15年)に、橋川文三と同級であり、橋川に保田與重郎の『後鳥羽院』等の著作を勧めている。自らも詩作を行い、『歴程』同人であった。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)、同校を卒業して東京帝国大学(現在の東京大学)文学部に進学した。
舘 豊夫(たて とよお、1920年(大正9年)1月3日 - … 舘 豊夫(たて とよお、1920年(大正9年)1月3日 - 1998年(平成10年)4月9日)は、日本の実業家。三菱自動車工業社長。 大日本炭鉱の専務を務めた舘香緑・すえ夫妻の四男として、東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区平河町)に生まれる。舘家は、旧伊勢国桑名藩士の家柄で、陸地測量師の館潔彦は祖父。 旧制東京高校、東京帝国大学経済学部を卒業後、1942年に三菱重工業に入社。三菱商事への出向時代には造船の営業を担当。 1970年6月、三菱重工と米・クライスラーとの合弁で発足する三菱自動車工業に移籍。1977年、取締役に選任され、常務を歴任後、1983年に社長となる。トップ時代には1988年に三菱自動車を東証1部に上場させ、「三菱自動車中興の祖」と呼ばれる。
寺沢 恒信(てらさわ つねのぶ、1919年1月3日 - 19… 寺沢 恒信(てらさわ つねのぶ、1919年1月3日 - 1998年1月4日)は、日本の哲学者。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。 愛知県出身。1942年東京帝国大学文学部哲学科卒、同大学院修了。東京都立大学 (1949-2011)助教授、教授、83年定年退官、名誉教授となり、東京電機大学教授を務めた。日本学術会議会員。マルクス思想を研究した。門下に牧野紀之、許萬元がいる。
高橋 英夫(たかはし ひでお、1919年1月3日 - 201… 高橋 英夫(たかはし ひでお、1919年1月3日 - 2013年8月9日)は、日本の元騎手(中山競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会)、元調教師(日本中央競馬会)。義父の鈴木信太郎は元調教師(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会)次男の高橋祥泰は元調教師(日本中央競馬会〈JRA〉)。北海道上川郡屈足村(現・新得町)出身。 実家は農家で農耕馬の繁殖も手掛けていたため、幼少期から馬に親しんで育った。 1935年に上京して中山競馬場の函館孫作に入門。翌1937年春に騎手免許を取得し、同年秋に騎手デビュー。太平洋戦争中は徴兵されて室蘭に配属され、終戦後競馬界に復帰。当時函館が調教師を引退していたため、はじめは東京競馬場の藤本冨良厩舎に所属したが、結婚したのを機に中山競馬場の鈴木信太郎厩舎に移籍した。
河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 198… 河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 1985年10月27日)は、日本の政治家。福島市長(2期)。 秋田県角館町(現仙北市)出身。1937年に福島高等商業学校を卒業し、横浜正金銀行に入る。1947年、福島県農地部開墾調査課勤務となり、翌年、福島県信用保証協会に入る。1956年福島市役所に入り、商工課長に就任する。その後、企画商工、厚生、総務の各部長を経て、助役に就任する。1979年から福島市長を2期務める。市長在職中の1985年10月27日死去。
宇治田 省三(うじた しょうぞう、1917年(大正6年)1月… 宇治田 省三(うじた しょうぞう、1917年(大正6年)1月3日 - 1989年(平成元年)6月11日)は、日本の政治家。和歌山市長。長男は県議会議員で2006年(平成18年)の市長選に立候補して落選した宇治田栄蔵。旧制和歌山県立海草中学校、立命館大学卒業。市長としての長年の功績により、1986年(昭和61年)に和歌山市名誉市民として選ばれ、2003年(平成15年)には偉人顕彰が行われている。空手の師範免許を持っており、「カラテ市長」としても有名であった。 和歌山県海草郡湊村(現在の和歌山市)で宇治田増蔵の次男として生まれる。和歌山県立海草中学校(現:和歌山県立向陽高等学校)を経て立命館大学法文学部経済学科を卒業後、1946年(昭和21年)から拳武館空手道場を経営する。
霧立 のぼる(きりたち のぼる、本名:島田キミ、1917年(… 霧立 のぼる(きりたち のぼる、本名:島田キミ、1917年(大正6年)1月3日 - 1972年(昭和47年)3月22日)は元宝塚少女歌劇団娘役で日本の女優。東京都出身。愛称はしまちゃん(本名に由来する。)。
金沢 誠(かなざわ まこと、1917年1月3日 - 1991… 金沢 誠(かなざわ まこと、1917年1月3日 - 1991年12月31日)は、日本の西洋史学者。学習院大学名誉教授。専攻は近代フランス史。 東京出身。1939年東京帝国大学卒、回教圏研究所入所。戦後、評論などを執筆、雑誌『スタイル』編集長。1951年、学習院大学教授。1987年定年退任、名誉教授。
森田 俊夫(もりた としお、1917年1月3日 - 201… 森田 俊夫(もりた としお、1917年1月3日 - 2010年1月9日)は、日本の経営者。光洋精工(現在のジェイテクト)社長を務めた。 東京都出身。1941年に日本大学工学部機械工学科を卒業し、同年4月にトヨタ自動車工業に入社。1968年7月に取締役に就任し、1975年7月に常務、1978年9月に専務、1981年7月に副社長、1982年9月に相談役を経て、1983年6月には光洋精工社長に就任。1987年6月に会長を経て、1989年6月には相談役に就任。 1983年4月に藍綬褒章を受章し、1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2010年1月9日心不全により、死去。93歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
秋月 辰一郎(あきづき たついちろう、1916年(大正5年)… 秋月 辰一郎(あきづき たついちろう、1916年(大正5年)1月3日 - 2005年(平成17年)10月20日)は、日本の医師で、元長崎聖フランシスコ病院院長。長崎へ原爆が投下された当時、自らも被爆しながら、医師として負傷した被爆者の治療にあたった。また、医師のかたわら、原爆の証言の収集を長年に渡って行った。 秋月平和賞は、生前の秋月辰一郎の平和貢献活動をたたえて長崎市の市民団体が2008年(平成20年)に創設した賞である。秋月平和賞は核兵器廃絶に貢献する活動をしている個人や団体に贈られ、2024年には15回目となった。 この項目は、医療関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:医学と医療、PJ:医学、PJ:歯学)。
西郷 信綱(さいごう のぶつな、1916年〈大正5年〉1月3… 西郷 信綱(さいごう のぶつな、1916年〈大正5年〉1月3日 - 2008年〈平成20年〉9月25日)は、日本の国文学者。専門は上代文学・古代文学。横浜市立大学名誉教授。 大分県生まれ。東京帝国大学英文科に進学したが、斎藤茂吉の短歌に傾倒して国文科に転じ、1939年3月卒業。丸山静とともに「アララギ」派の短歌に傾倒する。戦後、鎌倉アカデミアの創設に参加し教授、その後横浜市立大学教授を長く務め、定年後法政大学教授、この間ロンドン大学教授も務めた。 1990年、『古事記注釈』で角川源義賞受賞。1995年、文化功労者。「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。 2008年9月25日午後10時35分、急性心不全にて川崎市内の病院で逝去。