李 方子(り まさこ、朝: 이방자〈イ・バンジャ〉、1901… 李 方子(り まさこ、朝: 이방자〈イ・バンジャ〉、1901年〈明治34年〉11月4日 - 1989年〈平成元年〉4月30日)は、日本の元皇族であり、李王垠の妃。梨本宮守正王と同妃伊都子の第1王女子。肥前佐賀藩主・鍋島直正の曾孫。旧名は、方子女王(まさこじょおう)。皇室典範における敬称は殿下。 宮家(梨本宮家)の第1王女子(女王)として生まれ、日本国内で王公族として皇族に準じる待遇をうけた李垠(旧大韓帝国、高宗第七皇子)に嫁した。「李方子」とは、第二次世界大戦後、王公族としての身分を喪失したことにより夫の姓を名乗ったものである。 1901年(明治34年)11月4日、梨本宮守正王と同妃伊都子夫妻の第1王女子(第1子)として誕生し、御七夜の11月11日に「方子」と命名された。
有吉 義弥(ありよし よしや、1901年(明治34年)11月… 有吉 義弥(ありよし よしや、1901年(明治34年)11月4日 - 1984年(昭和59年)9月7日)は、昭和期の日本の実業家。日本郵船の元代表。 父・忠一は内務官僚で元貴族院議員。初代中国大使の有吉明と元尼崎市長の有吉実は叔父。三菱重工業横浜造船所所長及び同社常務を歴任した有吉煕は次男。忠一の長女は政治家の山崎巌に、三女は元建設事務次官の柴田達夫に、四女は元日本電信電話公社総裁の米沢滋に、五女は川上嘉市の次男で東宝アドセンター社長を務めた川上流二に嫁いでいるため、山崎・柴田・米沢・流二はいずれも義弥の義弟にあたる。川上嘉市の後妻(旧姓・中島)は天文学者・寺尾寿の後妻(旧姓・大野)の姪にあたるため、有吉家は川上家・中島家・大野家を通じて寺尾家とも姻戚関係で結ばれているといえる。
八並 達雄(やつなみ たつお、1901年(明治34年)11月… 八並 達雄(やつなみ たつお、1901年(明治34年)11月4日 - 1981年(昭和56年)6月5日)は、日本の裁判官、弁護士、政治家。衆議院議員。 大分県出身。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 東京地方裁判所兼同区裁判所判事、横浜地方裁判所兼同区裁判所判事、前橋地方裁判所兼同区裁判所判事、東京刑事地方裁判所判事、東京民事地方裁判所判事、東京控訴院判事、横浜地裁部長、東京控訴院部長などを務めた。その後、弁護士となる。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で東京都第7区から民主党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。 1981年6月、急性心不全により東京都品川区上大崎の自宅で死去した。
水谷 長三郎(みずたに ちょうざぶろう、1897年(明治30… 水谷 長三郎(みずたに ちょうざぶろう、1897年(明治30年)11月4日 - 1960年(昭和35年)12月17日)は大正、昭和期の日本の政治家、弁護士、労働運動家。位階は正三位。 片山内閣、芦田内閣の商工大臣を務めた。愛称「水長」(みずちょう)。 1897年(明治30年)11月4日京都府紀伊郡伏見町京橋(現在の京都市伏見区)に生まれる。1921年(大正10年)京都帝国大学法学部を卒業する。京都帝大ではマルクス経済学者の河上肇に師事、高山義三とともに河上を顧問とする労学会を結成した。京都帝大在学中に友愛会に参加し、河上の紹介で大原社会問題研究所の嘱託となる。京都帝大卒業後、弁護士を開業した。 1926年(大正15年)普通選挙法が通過し、25歳以上の成人男子に普通選挙が認められると、1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙に無産政党の一つ労働農民党から立候補し山本宣治とともに当選、日本初の社会主義政党の代議士となる。
4代 瀬川 弥右衛門(せがわ やえもん、1893年〈明治26… 4代 瀬川 弥右衛門(せがわ やえもん、1893年〈明治26年〉11月4日 - 1967年〈昭和42年〉11月21日)は、日本の資産家、実業家、政治家(貴族院多額納税者議員)。「弥右衛門」の名前は代々襲名されており、本記事に記載するのは4代目である。 岩手県稗貫郡花巻町出身。出生名は周蔵。花巻町でも有数の豪農である瀬川家に、3代弥右衛門の子として生まれ、父の死去に伴い1922年(大正11年)1月に家督を相続し弥右衛門を襲名した。 慶應義塾大学経済学部を卒業。父が没した1922年の時点では瀬川家は県下一の多額納税者であった。この時期には農家から貸金業に中心は移っていたとみられている。豊富な資金を岩手軽便鉄道・花巻電気などに投資し、その役員となった。
加藤 千一(かとう せんいち、1893年(明治26年)11月… 加藤 千一(かとう せんいち、1893年(明治26年)11月4日 - 1981年(昭和56年)8月20日)は、日本の政治家。愛知県守山市長。 現在の愛知県瀬戸市生まれ。瀬戸窯業専門学校、名古屋高等工業学校卒。大倉孫兵衛・和親父子が設立した日本陶器合名会社大倉製陶研究所に所属していたが、同研究所が九州に移転する際、加藤は愛知に残った。陶磁器絵付師の杉村作太郎に招かれ、1916年、愛知県瀬戸市に設立された合資会社杉村組で工場長を務める。その後採算が取れなくなり、東京紙器社長の松井氏より紹介された、東京財界有力者の星野錫とともに、1917年、名古屋市北区に移転し設立された中央窯業株式会社で工場長を務める。
平島 敏夫(ひらしま としお、1891年(明治24年)11月… 平島 敏夫(ひらしま としお、1891年(明治24年)11月4日 - 1982年(昭和57年)2月14日)は、日本の政治家、弁護士、教育者。衆議院議員(1期)、参議院議員(3期、自由民主党)、南満洲鉄道副総裁、2代目大東文化大学学長。 宮崎県児湯郡高鍋村(現高鍋町)出身。平島重綱の長男。幼少時より秀才の誉れが高く、高鍋学校(現宮崎県立高鍋高等学校)、宮崎中学校(現宮崎県立宮崎大宮高等学校)から学校推薦で第一高等学校に進学。1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)卒。内務属、長崎県理事官、南満洲鉄道秘書役、同参事、台湾総督府秘書官兼事務官などを務め、弁護士を経て司法大臣秘書官となる。
野村 不二(のむら ふじ、1891年11月4日-1987年)… 野村 不二(のむら ふじ、1891年11月4日-1987年)は、日本の弁護士(元裁判官)、林業経営者、地方政治家。鹿児島県弁護士会会長、日本治山治水協会理事などを歴任。九州経済林業社長。 鹿児島県肝属郡高山村(高山町を経て現肝付町)前田出身。父は高山町長を務めた。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)と第五高等学校 (旧制)を経て、1917年東京帝国大学法科大学を卒業。1918年司法官試補、1919年~1923年判事(浦和、名古屋、鹿児島各地方裁判所)。1921年弁護士登録。判事退官後に鹿児島市で弁護士開業し、鹿児島県会議員に推されて3期10年務める。第二次世界大戦の鹿児島市街地大空襲で子供を亡くす。
山本 冬郷(やまもと とうごう、1886年11月4日 - 1… 山本 冬郷(やまもと とうごう、1886年11月4日 - 1952年3月24日)は、日本の元俳優である。本名:山本 鎌藏(やまもと けんぞう)。ハリウッド映画からスタートした日本人俳優で、帰国後は松竹蒲田撮影所、日活太秦撮影所、新興キネマ東京撮影所などで活躍した名脇役として知られる。 1886年(明治19年)11月4日、神奈川県横浜市根岸(現在の同県同市中区根岸町)に生まれる。旧制錦城中学校(現在の錦城学園高等学校)を卒業後、早稲田大学政治経済科に進学する。 1904年(明治37年)2月、早稲田大学を中退して渡米。種々の職業に従事していたが、日本から来た在留邦人相手の新派劇団に急遽加入し、各地を巡業する。
前田 利男(まえだ としお、1886年〈明治19年〉11月4… 前田 利男(まえだ としお、1886年〈明治19年〉11月4日 - 1966年〈昭和41年〉12月29日)は、大正・昭和期の宮内官、政治家、華族。貴族院伯爵議員。旧名・溝口 正男。 旧新発田藩主家当主・溝口直正の五男として生まれ、1911年(明治44年)4月、伯爵・前田利同の養子となる。養父の死去に伴い利男と改名し、1922年(大正11年)1月20日に伯爵を襲爵した。 学習院を経て、1913年(大正2年)6月、東京帝国大学農科大学を卒業。1915年(大正4年)以降、内閣総理大臣秘書官、皇子傅育官(秩父宮附)、宮内事務官兼式部官などを務めた。 1946年(昭和21年)5月9日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
酒井 鎬次(さかい こうじ、明治18年(1885年)11月4… 酒井 鎬次(さかい こうじ、明治18年(1885年)11月4日 - 昭和48年(1973年)3月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。鎬次を「たかつぐ」と読む文献もあり、注意を要する。 愛知県出身。農業・酒井鐘之助の二男として生れる。愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、明治38年(1905年)11月、陸軍士官学校(第18期、2番/920名)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第4連隊付となる。大正元年(1912年)11月、陸軍大学校(第24期)を優等で卒業した。 陸軍省軍務局付勤務(軍事課)、フランス駐在、参謀本部員、参謀本部付(平和条約実施委員・欧州駐在)、陸大教官、近衛歩兵第2連隊付、参謀本部員、参謀本部付(国際連盟陸軍代表随員)、歩兵第22連隊長、陸大教官などを歴任し、昭和9年(1934年)3月、陸軍少将に進級。
喜安 健次郎(きやす けんじろう、1885年(明治18年)1… 喜安 健次郎(きやす けんじろう、1885年(明治18年)11月4日 – 1947年(昭和22年)8月29日)は、日本の鉄道官僚。帝都高速度交通営団総裁。 愛媛県伊予郡岡田村(現在の松前町)出身。1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。鉄道院副参事、同総裁秘書、同参事、鉄道省参事官、大臣官房文書課長、鉄道書記官、鉄道監察官、大臣官房法規課長、監督局長を歴任した。1934年(昭和9年)、鉄道次官に就任し、1940年(昭和15年)まで在任した。 退官後の1941年(昭和16年)に帝都高速度交通営団副総裁に就任し、1944年(昭和19年)に総裁に昇格した。
楠山 正雄(くすやま まさお、1884年11月4日 - 19… 楠山 正雄(くすやま まさお、1884年11月4日 - 1950年11月26日)は、日本の演劇評論家、編集者、翻訳家、児童文学者。主に大正時代から昭和時代戦後初期にかけて活動した。 東京府京橋区新橋竹川町(現在の銀座)で、小売と卸売を兼業し、印刷業の写真画問屋も営む楠山秀太郎の子として生まれる。祖父で幕臣の楠山孝一郎は、同じく幕臣で編集者の成島柳北の兄にあたる。俳優・森繁久弥とも縁戚にあたる。 しかし3歳になった1886年2月15日、父秀太郎が急死。後に母親が再婚するが、再婚相手の起こした不祥事から会社が倒産して苦しい家計に追われることになり、親戚の家を盥回しにされるなど、多難な少年時代を送る。
佐竹 義文(さたけ よしふみ / よしぶみ、1876年(明治… 佐竹 義文(さたけ よしふみ / よしぶみ、1876年(明治9年)11月4日 - 1952年(昭和27年)12月28日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。 後の東京市四谷区四谷舟町(現新宿区舟町)出身。佐竹万三の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1903年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。逓信省に入省し管船局属となる。1905年、内務省に転じ神奈川県属に就任した。 1906年、福井県事務官となる。以後、岡山県事務官・第二部長、山梨県事務官・警察部長、鹿児島県事務官・警察部長、奈良県事務官・内務部長、滋賀県内務部長、福岡県内務部長などを歴任。
友枝 高彦(ともえだ たかひこ、1876年11月4日 – 1… 友枝 高彦(ともえだ たかひこ、1876年11月4日 – 1957年7月7日)は、日本の倫理学者。 1876年、福岡県上毛郡大村(現豊前市大村)の大庄屋の家に生まれた。豊津中学校、第五高等学校を経て、1901年東京帝国大学文科大学哲学科に進んだ。学部卒業の後、同大学大学院に進んだ。 1908年、京都帝国大学助教授に任ぜられる。研究のため、英国、米国、ドイツで学ぶ。1914年に帰国し、東京高等師範学校教授となった。1916年からは東京帝国大学教授を兼ねた。1929年、東京文理科大学教授となり、日本女子大学教授を兼任した。1949年に退任し、東京教育大学名誉教授となった。 戦後の1955年、山梨県立臨時教員養成所を母体に都留市立都留文科短期大学(都留短期大学)が設立されると、初代学長となった。
金城 紀光(かなぐすく / きんじょう きこう、1875年(… 金城 紀光(かなぐすく / きんじょう きこう、1875年(明治8年)11月4日 - 1967年(昭和42年)8月10日)は、沖縄県出身の医師、政治家。衆議院議員、那覇市長。
下田 勘次(しもだ かんじ、1875年(明治8年)11月4日… 下田 勘次(しもだ かんじ、1875年(明治8年)11月4日 - 1939年(昭和14年)7月3日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。大正鳥取銀行監査役。鳥取新報社長。鳥取県平民。 元鳥取大学長下田光造、元参議院議員田中信義の兄。 鳥取県八頭郡佐貫村和奈見(現鳥取市河原町)出身。下田弥平の長男。 鳥取一中(現鳥取西高)に学び、また漢籍を林良造に学んだ。 1904年(明治37年)村会議員、1907年(明治40年)に八頭郡会議員、1911年(明治44年)鳥取県会議員となり、引き続き1920年(大正9年)まで3期当選した。この間佐貫村長も務めた。 1920年(大正9年)5月、原内閣のときの第14回衆議院議員総選挙では、憲政会に推されて鳥取県第2区から立候補して当選し、1期在任した。
泉 鏡花(いずみ きょうか、本名:泉 鏡太郎〈いずみ きょう… 泉 鏡花(いずみ きょうか、本名:泉 鏡太郎〈いずみ きょうたろう〉、1873年〈明治6年〉11月4日 - 1939年〈昭和14年〉9月7日)は、日本の小説家。明治後期から昭和初期にかけて活躍した。小説のほか、戯曲や俳句も手がけた。帝国芸術院会員。 金沢市下新町生まれ。尾崎紅葉に師事した。『夜行巡査』『外科室』で評価を得、『高野聖』で人気作家になる。江戸文芸の影響を深く受けた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで、幻想文学の先駆者としても評価されている。ほかの主要作品に『照葉狂言』『婦系図』『歌行燈』などがある。 1873年(明治6年)11月4日、石川県金沢市下新町に生まれる。父・清次は、工名を政光といい、加賀藩細工方白銀職の系譜に属する象眼細工・彫金などの錺職人であった。
大谷 吟右衛門(おおたに ぎんえもん、1872年11月4日(… 大谷 吟右衛門(おおたに ぎんえもん、1872年11月4日(明治5年10月4日) - 1928年(昭和3年)3月26日)は、明治から大正時代の実業家、銀行家。 大谷秋蔵の長男として飾磨県佐用郡平福村(兵庫県佐用郡平福町を経て現佐用町平福)に生まれ、1901年(明治34年)3月に家督を相続する。1899年(明治32年)東京帝国大学法科を卒業し、大阪商船に入社し、釜山支店長を経て運輸助役となる。1902年(明治35年)兵庫県農工銀行支配人となり、1910年(明治43年)専務取締役に就任。1917年(大正6年)には同行頭取となった。ほか、神戸信託、神栄、播美鉄道各監査役のほか、神戸瓦斯、ベルベット石鹸などの役員も務めた。
林 重浩(はやし しげひろ、明治4年9月22日(1871年1… 林 重浩(はやし しげひろ、明治4年9月22日(1871年11月4日) - 1944年(昭和19年)5月15日)は、日本の教育者である。 鳥取県邑美郡向国安村(後の気高郡美穂村大字向国安、現在の鳥取市向国安)生まれ。東京音楽学校で岡野貞一、永井幸次らとともに学ぶ。各地の県立師範学校や中学校で数学・音楽を担当した。1895年(明治28年)から1933年(昭和8年)まで39年間にわたり子弟の教育に努めた。1906年(明治39年)、36歳の若さで鳥取県立第二中学校(のち米子中学校に改称、現米子東高校)校長に就任。1911年(同44年)には鳥取中学校(現鳥取西高校)校長となり、山積する難問に対処して学校を再建するとともに野球を奨励し、野球部の強化を図った。
皿井 立三郎(さらい たつさぶろう、明治3年10月11日(1… 皿井 立三郎(さらい たつさぶろう、明治3年10月11日(1870年11月4日) - 昭和20年(1945年)12月18日)は日本の医師、俳人。大阪府士族。元皿井耳鼻咽喉科医院長。 妻・清江は本田親雄男爵の三女。五男五郎の妻昭子は女優司葉子の姉。長女慶子は旧伯太藩主家の渡辺英綱子爵に嫁いだ。 岡山県士族・武市文太郎の二男。皿井安太郎の養子となる。明治20年(1887年)家督を相続する。 明治28年(1895年)、岡山医専卒業。同校講師。独逸に留学しロストック大学に学び帰朝、耳鼻咽喉科医師となる。 趣味は俳句。俳人としても活動。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
福田 辰五郎(ふくだ たつごろう、明治2年10月1日(186… 福田 辰五郎(ふくだ たつごろう、明治2年10月1日(1869年11月4日) - 大正7年(1918年)8月5日)は、衆議院議員(維新会→新政会)、弁護士。旧姓・丸山。 武蔵国入間郡南畑村(現在の埼玉県富士見市)出身。自由民権運動活動家で埼玉県会議員・衆議院議員の福田久松の養子となる。1890年(明治23年)、東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業し、翌年には東京法学院(現在の中央大学)を卒業。高等文官試験に合格して、前橋地方裁判所検事に任命された。1894年(明治27年)、横浜地方裁判所上席検事に昇進した。1898年(明治31年)、司法大臣曾禰荒助の勧めでアメリカ合衆国に留学した。アメリカではイェール大学・コロンビア大学で学び、博士号を取得した。
水上 斉之助(みずかみ さいのすけ / せいのすけ、1869… 水上 斉之助(みずかみ さいのすけ / せいのすけ、1869年11月4日〈明治2年10月1日〉 - 1944年〈昭和19年〉10月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 陸前国気仙郡吉浜村(のち岩手県気仙郡吉浜村→三陸村→三陸町、現・大船渡市)出身。気仙郡唐丹村(現・釜石市)で長年にわたり、水産業に従事する。兄の水上助三郎とともに千島列島近海のサケ・マス漁業やラッコ・オットセイ猟、メキシコ沿岸でのマグロ・カツオ漁に出漁し、帰国後は吉浜湾でのアワビの養殖に手を染め、中国への輸出を手掛けた。 政治面では、1910年に唐丹村会議員となり、3期務める。ほか、気仙郡会議員となり、1930年の第17回衆議院議員総選挙において岩手2区から立憲民政党公認で立候補して当選し、衆議院議員を1期務めた。
矢部 規矩治(やべ きくじ、明治元年9月20日〈1868年1… 矢部 規矩治(やべ きくじ、明治元年9月20日〈1868年11月4日〉 - 1936年〈昭和11年〉10月2日)は、日本の農学者(醸造学)、大蔵技師。清酒酵母の発見者であり、醸造試験所(酒類総合研究所の前身)の設立に関わるなど、日本の酒造業の発展に貢献した。また、科学的に納豆を研究した先駆者としても知られている。 位階・勲等は正三位勲二等。学位は農学博士。 前橋藩士の長男として、上野国勢多郡一毛村(現在の群馬県前橋市城東町)で生まれた。 群馬県中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)卒業後、1886年(明治19年)に第一高等学校に進学。東京帝国大学農科大学(現在の東京大学農学部)に進み、農芸化学を専攻した。
島田 墨仙(しまだ ぼくせん、1867年11月4日(慶応3年… 島田 墨仙(しまだ ぼくせん、1867年11月4日(慶応3年10月9日) - 1943年(昭和18年)7月9日)は、明治から昭和初期に活躍した日本画家。橋本雅邦の弟子で、歴史画、特に歴史人物画に優品を残した。 越前国福井城下で、元福井藩士島田雪谷の次男として生まれる。父・雪谷、兄・島田雪湖 [Wikidata]も日本画家である。9歳頃から父から絵を学び始める。1882年(明治15年)頃、福井中学校(現在の福井県立藤島高等学校)に入学。しかし、1884年(明治17年)1月に稼ぎ頭の父を亡くすと、家計の事情から中学3年を修了した春に退学。自分は士族に生まれたからには軍人にならねばならぬと思い込んだ墨仙は、すぐに陸軍士官学校、陸軍教導団に志願するが、視力が合格の1.0に満たず不合格となる。
松井 茂(まつい しげる、1866年11月4日(慶応2年9月… 松井 茂(まつい しげる、1866年11月4日(慶応2年9月27日) - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の内務官僚、政治家。法学博士。族籍は東京士族。 1866年11月(慶応2年9月)、広島県広島市猿楽町(のち広島市中区大手町)生まれ。有隣の長男。広島尋常中学(広島国泰寺高等学校の前身)で、柴野登一(中村是公)、玉井喜作らと同級。1880年父親の転勤で丸亀に移り、翌1881年上京。獨逸学協会学校(現・獨協中学校・高等学校)、東京大学予備門(第一高等学校)を経て1893年東京帝国大学法科大学独法科卒業、引き続き法科大学研究科で警察法を研究。 日清戦争直前の1893年内務省入省。警視庁四谷警察署長を振り出しに香川県警察部長、警保局警務課長、警視庁第二部長兼任内務書記官、兼任消防署長(のちの消防総監)などを経て1905年、警視庁第一部長となり日比谷焼打事件の鎮圧指揮にあたった。
御手洗 忠孝(みたらい ただたか、慶応2年9月27日(186… 御手洗 忠孝(みたらい ただたか、慶応2年9月27日(1866年11月4日) - 1940年(昭和15年)2月11日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。愛媛新報社長。県会議員。愛媛県松山市長、温泉郡道後湯之町町長。立憲同志会、憲政会の中心人物。 松山城下西町で松山藩士の家に生まれる。若くして医学を志し上京するが、病により帰郷し、1890年(明治23年)愛媛新報社に入り記者となり、不迷と号した。 1891年(明治24年)松山市会議員を経て、1896年(明治29年)松山市長・白川福儀の懇請により助役に就任し、1900年(明治33年)まで務めた。助役を退くと、愛媛新報社に戻り、主筆として言論活動を続ける。
発智 庄平(ほっち しょうへい、1864年11月4日〈元治元… 発智 庄平(ほっち しょうへい、1864年11月4日〈元治元年10月5日〉- 1936年〈昭和11年〉2月28日)は、日本の教育者、実業家、社会事業家。埼玉・笠幡村の大地主・発智家の27代目当主で埼玉県多額納税者。黒須銀行頭取、霞ヶ関村村長、埼玉育児院院長のほか、武州銀行(黒須銀行後身)、武州貯蓄銀行、日米生糸の役員などを務め、霞ヶ関カンツリー倶楽部の創設者でもある。 埼玉の黒須村(現入間市)で代々名主役を務めた豪農商・繁田家の12代繁田武平(満義)の長男・亀太郎として生まれ、親戚の発智家の養嗣子となり、埼玉県師範学校高等師範科卒業後、黒須高等小学校を設立し校長となる。 日本弘道会の西村茂樹の講演に触発されて、弟の13代繁田武平(翠軒)と同会の支部と黒須信用組合を1894年に設立、1898年には霞が関村支部も設立して西村の唱える「道徳と経済」の調和と活性化を図り、弘道会の全国集会では「農民の道徳」と題した演説も行なった。
嶺山 時善(みねやま ときよし、1862年11月4日(文久2… 嶺山 時善(みねやま ときよし、1862年11月4日(文久2年9月13日) - 1930年(昭和5年)10月28日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 鹿児島県出身。鹿児島師範学校卒(年代不明)。 1902年の第7回衆議院議員総選挙において大島選挙区から無所属で立候補したが落選した。1903年の第8回衆議院議員総選挙で政友倶楽部公認で立候補して初当選した。1904年の第9回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して再選した。衆議院議員を2期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙では大同倶楽部から立候補したが落選した。以後の立候補はなく、1930年に死去した。
釜屋 忠道(かまや ちゅうどう、1862年11月4日(文久2… 釜屋 忠道(かまや ちゅうどう、1862年11月4日(文久2年9月13日) - 1939年(昭和14年)1月19日)は、日本の海軍軍人。手旗信号の改良で功績があり、日清戦争では第一遊撃隊参謀、日露戦争では「龍田」「佐渡丸」の艦長として歴戦した海軍中将である。旧名は源五郎。 幕末の米沢に生まれる。海軍兵学校11期を26名中15番で卒業した。村上格一、川島令次郎らが同期生である。米沢では小森沢長政の影響があり、山下源太郎(10期)、上泉徳弥(12期)、黒井悌次郎(13期)、千坂智次郎(14期)、釜屋の弟である釜屋六郎(14期、のち中将)などの海兵進学が続き、のちに米沢の海軍と呼ばれることとなる。 釜屋は水雷練習所の教官や、水雷団長などを務めた水雷を専門とする士官であった。
武田 惣角(たけだ そうかく、安政6年10月10日(1859… 武田 惣角(たけだ そうかく、安政6年10月10日(1859年11月4日) - 昭和18年(1943年)4月25日)は、日本の武術家。武号は源正義。大東流合気柔術の実質的な創始者。 以下の生い立ちは、大東流合気柔術の伝承によるものであり、各種事典、小説、漫画『王道の狗』『銀色の路』などは、大東流口伝の歴史で書かれた『武田惣角と大東流合気柔術』を引用している。 会津藩士・武田惣吉の次男として、陸奥国(現在の福島県)河沼郡会津坂下町で生まれた。母は黒河内兼規の娘・富。 惣吉は宮相撲の力士で、剣術にも秀でていた。 惣角は幼少期から父に相撲、柔術、宝蔵院流槍術を、渋谷東馬に小野派一刀流剣術を学んだ。剣術、柔術ともかなりの達人であったらしく、「会津の小天狗」と称される程の実力を持っていたが、学問には関心を示さず、いたずらが過ぎて寺子屋から追放された。
村上 太三郎(むらかみ たさぶろう、1857年11月4日〈安… 村上 太三郎(むらかみ たさぶろう、1857年11月4日〈安政4年9月18日〉 - 1915年〈大正4年〉4月25日)は、明治から大正時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 遠江国長上郡川袋村(掛塚村、磐田郡掛塚村、掛塚町、竜洋町を経て現磐田市)に生まれる。7歳の時に父と死別し、12歳の時に母の勧めで商人を志し横浜に出て回米問屋を開業する。1892年(明治25年)東海屋鉄工場の設立および経営に関与し、以後、日本精製糖、日本石油精製、日本製粉、小樽木材など数々の会社を立ち上げ重役を歴任した。さらに、株式仲買業にも携わり、東京株式取引所仲裁委員、東京商業会議所議員、横浜四品取引所理事などを務めたほか、日本重石、九州炭鉱汽船、日本醤油醸造、宝石油、日本活動写真、東京澱粉各取締役、営口水道電気、旭薬各監査役などを歴任し、鉱山業の経営にも従事した。
寺尾 寿(てらお ひさし、安政2年9月25日(1855年11… 寺尾 寿(てらお ひさし、安政2年9月25日(1855年11月4日) - 大正12年(1923年)8月6日)は、明治・大正時代の福岡県出身の日本の天文学者、数学者。近代日本天文学の基礎を固めたことで知られている。門下生には平山信、木村栄、平山清次らがいる。
小田 為綱(おだ ためつな、天保10年9月29日(1839年… 小田 為綱(おだ ためつな、天保10年9月29日(1839年11月4日) - 明治34年(1901年)4月5日)は、岩手県九戸郡宇部村(現:久慈市宇部町)出身の学者・教育者・政治家。通称は仙弥。 昌平黌に学んだ後、盛岡藩の藩校である作人館の教授・寮長となり、原敬らを指導する。明治維新後、北奥羽開拓の構想を建白するが顧みられなかった。 明治10年(1877年)の西南戦争に呼応して、東北地方での士族挙兵の計画に参画するが未然に検挙され(首謀者の神職の名から「真田太古事件」と呼ばれる)、他の参加者らとともに禁固刑に処せられた。明治31年(1898年)には第5回衆議院議員総選挙に岩手県第2区から出馬し衆議院議員に当選。
荒尾 光政(あらお みつまさ、天保3年10月12日(1832… 荒尾 光政(あらお みつまさ、天保3年10月12日(1832年11月4日)-明治36年( 1903年)5月6日)は、幕末の剣豪。剣術の流派、鏡心流の創始者。 千葉の北辰一刀流、桃井春蔵の鏡心明智流、宝蔵院流高田派槍術等の諸武術流派をそれぞれ免許皆伝した上で鏡心流を創り出した。 鏡心流は幕末の混乱期を背景にあみだされた剣の奥義を極めた実戦本意の剣術。抜刀術等も含み、「心ヲ以テ鏡トナスベク 鏡ヲ以テ心トナスベシ」秘剣の術、と伝承されている。 関宿藩士(奥家老)大坪正邦と同藩大野か袮子の次男として天保3年10月12日(1832年11月4日)、関宿藩上屋敷の江戸箱崎邸で生まれる。幼名は次郎、のちに粛(すすむ)。
藤野 昌言(ふじの しょうげん、1832年11月4日〈天保3… 藤野 昌言(ふじの しょうげん、1832年11月4日〈天保3年10月12日〉 - 1879年〈明治12年〉10月6日)は、明治時代の医師。本名は守誠(もりのぶ)。備後国芦田郡府中市村(現広島県府中市)出身。 1832年(天保3年)、備後国芦田郡府中市村(現広島県府中市)で代々医業を行っていた藤野元英の長男として生まれた。大阪で医学を修め、父親の死により19歳で府中に帰って医業に専念した。貧しい時代に困窮していた人の治療費もとらず、生活の面倒を見ていたともいわれ、正に「医は仁術なり」を言葉通り実行した。1879年(明治12年)、府中市にコレラが猛威を振るったとき、多くの医者が恐れる中で敢然として患者の手当をして救い、遂に自身もコレラに感染し48歳で没した。
武田 斐三郎(たけだ あやさぶろう、1827年11月4日(文… 武田 斐三郎(たけだ あやさぶろう、1827年11月4日(文政10年9月15日)- 1880年(明治13年)1月28日)は、日本の武士(伊予大洲藩士)、科学者、教育者、陸軍軍人。函館時代までは斐三郎、明治政府時代からは成章(しげあきら)の名を使った。竹塘(ちくとう)と号す。 緒方洪庵や佐久間象山らから洋学などを学び、箱館戦争の舞台として知られる洋式城郭「五稜郭」を設計・建設した。明治7年(1874年)3月、陸軍大佐。陸軍大学校教授、陸軍士官学校教授、陸軍幼年学校長(初代)。 文政10年(1827年)、伊予大洲藩士・武田敬忠の次男として伊予国喜多郡中村(現在の愛媛県大洲市)にて誕生。先祖は甲斐武田氏の出で、大洲藩加藤氏に仕えたが、名をはばかって江戸時代は竹田姓を名乗っていたこともある。
太田 磨理(おおた まり、11月4日 - )は、NHK津放送… 太田 磨理(おおた まり、11月4日 - )は、NHK津放送局の契約キャスター。 三重県津市出身。セントヨゼフ女子学園高等学校・中学校、南山大学卒業。2009年にNHK津放送局に入局。2014年よりNHK大津放送局に移動した。2020年度一杯で大津局を退局 2021年度から8年ぶりに津局に復帰した。 ニュースの解説・リポート力には定評があり、視聴者からの人気も高い。三重県出身でNHKの津放送局で5年間アナウンサーとリポートをしていた。2021年3月時点で津放送局にて5年、大津放送局にて7年の通算12年の実績となった。通常、NHKの契約キャスターは一年更新であり、同一局では最大3年までの任期である。
雨宮 亜衣(あめみや あい、11月4日 - )は、東京都出身… 雨宮 亜衣(あめみや あい、11月4日 - )は、東京都出身のファッションモデル。大妻女子大学家政学部ライフデザイン学科卒業。特技は、カラーセラピー、フルーツベジタブルカービング、料理、着付け。spacecraft所属。川崎歩惟は旧名。そのCMへの出演回数の多さから「影のCM女王」と呼ばれる[要出典]。 この項目は、ファッション関係の人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル ファッション)。
憂(ゆう、Yuu、11月4日 - )は、日本のイラストレータ… 憂(ゆう、Yuu、11月4日 - )は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー。群馬県出身、多摩美術大学卒業。ファンタジー小説の装画やボーカロイド関連のイラストレーション制作を手掛けている。 このほか、スターツ出版、ピッコマノベルズ、株式会社パルプライド、株式会社コサエルワーク、株式会社indent、文芸社、たちばな新書、サイドランチなど文芸作品の装画・挿絵を担当。 このほか、MdN、エンターブレイン各誌などの技法書・商業ムックに寄稿。 このほか、各種CDジャケット、イベントビジュアル、販促用アートワークを担当。 このほか、スマートフォン向けゲームを中心に、キャラクターイラスト、イベントビジュアルなどを担当。
山口 めろん(やまぐち めろん、11月4日、公表している年齢… 山口 めろん(やまぐち めろん、11月4日、公表している年齢は「食べごろ期」)は、日本のタレント、シンガーソングライター。松竹芸能所属(2020年1月から)。かつては山口 水季(やまぐち みずき)の名義で、女性アイドルグループ・怪傑!トロピカル丸(純情!トロピカル丸、青春!トロピカル丸)のメンバーであった。兵庫県豊岡市出身。日本大学芸術学部音楽学科ピアノコース卒業。 夫は漫画家の大石浩二。 2009年10月、大学1年の時友達の推薦応募でミス日芸コンテストに出場。 2010年6月、すかいらーくのアイドルユニット『SKL39』に参加。 2011年夏頃より芸能事務所シャイニングウィルに所属。同年11月に結成された『怪傑!トロピカル丸』として活動。
加藤 剛志(かとう つよし、11月4日生)は、滋賀県出身のミ… 加藤 剛志(かとう つよし、11月4日生)は、滋賀県出身のミュージシャン、ドラマー。血液型B型。京都府私立平安高等学校卒業。愛称は「ヨッシー」。 1988年に、ポップロックバンド"レプリカ"で、コロムビアレコードよりメジャーデビュー(1990年脱退)。樋口宗孝の弟子の一人でもあり、その中でもスタイルやフィーリングを一番継承したドラマーである。パワフルでヘヴィーなドラミングが持ち味。ジョン・ボーナムのファンで、樋口にボンゾの良さを熱弁し、影響を与えた。そして樋口同様、加藤自身もシングルバスに強いこだわりを持っている。現在、生前の樋口から譲り受けた、スライ時代に使用していたパール社のドラムセットを使用している。
青木 秀樹(あおき ひでき、11月4日 - )は、日本のエン… 青木 秀樹(あおき ひでき、11月4日 - )は、日本のエンターテイナー、ミュージシャン、音楽プロデューサー。長野県長野市出身。青木 秀麻呂名義でカブキロックスのメンバーとしても活動。 1985年、ロックバンドHysteric Glamor(ヒステリック・グラマー)結成。当時全盛だった原宿ホコ天で圧倒的な人気を誇り、数々のテレビ番組で取り上げられる。ミニLP『Glamorous POP(グラマラス・ポップ)』リリース。 よりインパクトのあるヴィジュアル性を求めて1989年、カブキロックスを結成。当時の人気テレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称 イカ天)に出演。イカ天大賞 受賞を経てアポロンよりメジャー・デビュー。