城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福… 城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 画家でタレントの城戸真亜子は姪に当たる。 常磐高校から1957年に西鉄ライオンズへ入団。大型内野手として期待され、1958年にはウエスタン・リーグの本塁打王と打点王を獲得。入団して2年間はあまり一軍の試合に出られなかったが、3年目の1959年には中西太の故障もあって開幕から三塁手として起用される。同年の近鉄戦で黒田勉に死球を受け、深刻なダメージを受けた影響で、後に極端に死球の少ない選手として知られる。打撃フォームも極端なクローズドスタンスから身体を開きつつ打つ独特なもので、死球を避ける工夫でもあった。
五島 正規(ごとう まさのり、1939年3月5日 - 201… 五島 正規(ごとう まさのり、1939年3月5日 - 2016年11月14日)は、日本の政治家、医師。衆議院議員(6期)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院環境委員長を務めた。 京都府京都市出身。岡山大学医学部卒業。1979年11月に医療法人防治会四国勤労病院を設立。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で、日本社会党から高知県全県区に出馬し初当選。以降、連続当選6回。 1996年、旧民主党結党に参画。 小選挙区比例代表並立制が導入された同年の第41回衆議院議員総選挙以降は、高知1区から立候補した。この選挙では日本共産党の山原健二郎に、2000年の総選挙からは3回連続で自由民主党の福井照に敗れ、すべて比例四国ブロックで復活しての当選である。
山下 泰子(やました やすこ、1939年3月5日 - )は、… 山下 泰子(やました やすこ、1939年3月5日 - )は、日本の法学者。博士(法学)(中央大学・論文博士・1996年)。文京学院大学名誉教授。専門は、ジェンダー法・国際人権法。ジェンダー法の第一人者。 東京出身。1951年東京学芸大学附属大泉小学校卒、1954年東京学芸大学附属大泉中学校卒、1957年東京都立大泉高等学校卒、1961年中央大学法学部卒、1970年、同大学院法学研究科政治学専攻博士課程満期退学(指導教授:原田鋼)。 1996年、学位論文「女性差別撤廃条約の研究」で博士(法学)(中央大学)の学位を取得。 中央大学法学部通信教育課程インストラクターや埼玉大学教養部兼任講師などを経て、1979年文京保育専門学校専任教員、1982年文京女子短期大学保育科助教授、1987年保育科教授、1991年文京女子大学経営学部教授、2005年大学院外国語学研究科教授。
田仲 清司(たなか きよし、1939年3月5日 - )は、元… 田仲 清司(たなか きよし、1939年3月5日 - )は、元NHKアナウンサー。元放送総局アナウンス室長。 福岡県出身。早稲田大学教育学部卒業後、1962年入局。放送総局アナウンス室副部長、広島放送局放送センター長、広島放送局副局長を経て1993年編成局アナウンス室長。その後日本語センター専門委員。
小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は… 小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は、日本の医学者、医師。専門は脳神経外科。米国脳神経外科学会専門医。前小諸厚生総合病院院長。相澤病院顧問、世界脳神経外科学会連盟名誉会長、信州大学名誉教授。 長野県千曲市出身。長野県上田高等学校を経て、1963年信州大学医学部卒業。脳神経外科を専攻し、在日米軍横須賀海軍病院でのインターンを経て、1965年から6年間メイヨー医科大学院に留学。帰国後は信州大学医学部附属病院で杉田虔一郎に師事し、脳神経外科の手術・研究に従事した。また、ロボット手術の機械を開発し、脳深部の腫瘍や動脈瘤の新たな手術方法を考案するなど脳外科分野の発展に大きく貢献し、米国脳神経外科学会の「国際功労賞」を日本人として初めて受賞。
吉岡 賢治(よしおか けんじ、1938年3月5日 - 202… 吉岡 賢治(よしおか けんじ、1938年3月5日 - 2025年2月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期)。 兵庫県豊岡市出身。兵庫県立豊岡高等学校卒業。神戸大学電気電子工学科卒業。 電電公社(現在のNTT)に入社し、豊岡局に勤務しつつ、労組活動に入る。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧兵庫5区から出馬するが落選。1990年の第39回衆議院議員総選挙に再び出馬し初当選。以後2期連続当選。 議員在任中は外務委員などを務める。本岡昭次参議院議員らと共に自社さ連立政権反対派として知られた。1994年に土肥隆一と共に日本社会党を離党し、民主改革連合に入党。 1996年の第41回衆議院議員総選挙では民主改革連合公認及び連合・五党協議会統一候補として兵庫5区より出馬するも落選。
中島 誠之助(なかじま せいのすけ、1938年3月5日 - … 中島 誠之助(なかじま せいのすけ、1938年3月5日 - )は、日本の骨董商・古美術鑑定家、エッセイスト、テレビタレント。骨董屋「からくさ」の店主。なお、「からくさ」は2000年に閉店し、店舗営業はしていない。称号(現学位)は獣医学士。そのほか、伊万里文化大使の称号を持つ。
平野 忠彦(ひらの ただひこ、1938年3月5日 - 201… 平野 忠彦(ひらの ただひこ、1938年3月5日 - 2014年6月13日)は日本の俳優、オペラ歌手。山梨県甲府市出身。
寺下 陽一(てらした よういち 1938年3月5日-)は、京… 寺下 陽一(てらした よういち 1938年3月5日-)は、京都情報大学院大学の学長、京都コンピュータ学院京都駅前校校長である。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
関家 憲一(せきや けんいち、1938年 〈昭和13年〉 3… 関家 憲一(せきや けんいち、1938年 〈昭和13年〉 3月5日 - 2020年〈令和2年〉 4月26日)は、日本の実業家。 実父の関家三男の創業した工業用砥石メーカー、有限会社第一製砥所(現:ディスコ)を、実弟の関家臣二と共に半導体製造装置・システムのメーカーとして東証第一部上場企業へと成長発展させた。 東京市麻布区に関家三男の長男として生まれる。神奈川県大磯町立小学校、私立湘南学園中等部、慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学経済学部へ進学。高等学校、大学と継続して体育会空手部に在籍して松濤館流空手4段を取得。 1959年(昭和34年)の慶應義塾大学在学中、父である関家三男より日本政策金融公庫(旧中小企業金融公庫)から融資を受ける為の資料作成を命じられ、それらの作成を行う。
あさの りじ(1938年3月5日 - 2000年11月9日)… あさの りじ(1938年3月5日 - 2000年11月9日)は、日本の漫画家、イラストレーター、デザイナー。愛知県出身。東京学芸大学美術学科卒。浅野利治、浅野りじとも表記される。オリジナル漫画の他、コミカライズや、児童向けの学習本の著作がある。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
今仁 哲夫(いまに てつお、1938年〈昭和13年〉3月5日… 今仁 哲夫(いまに てつお、1938年〈昭和13年〉3月5日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、ジャーナリスト。元ニッポン放送アナウンサー。 東京都出身で、早稲田大学政治経済学部を卒業。1961年4月、、ニッポン放送にアナウンサーとして入社。同期に天井邦夫がいる。「哲(てっ)ちゃん」の愛称で長らく親しまれた。 オールナイトニッポン担当後半は「ビバテツショー」の番組タイトルで放送した。「若ハゲ」であることを自虐ネタとして扱うことがあり、明るく軽妙な語り口で親しまれた。リクエスト葉書の住所と宛名が「東京都 テツ」だけで届いたことを誇りにした。 1971年、日本全国を3か月掛けて『ビバくりげ』として、天井邦夫とともにホンダ1300 クーペ9で縦断した。
小口 泰平(おぐち やすへい、1937年3月5日 - )は、… 小口 泰平(おぐち やすへい、1937年3月5日 - )は、日本の自動車工学者、芝浦工業大学名誉学長。専門は自動車工学、マンマシンシステム。日本自動車ジャーナリスト協会 (AJAJ) 顧問、日本自動車研究者ジャーナリスト会議 (RJC) 前会長。NPO法人「日本自動車殿堂」会長。工学博士。 長野県下諏訪町生まれ。1959年芝浦工業大学工学部機械工学科卒業。東京大学生産技術研究所を経て、1968年芝浦工業大学工学部助教授、1982年同教授。1991年システム工学部長を経て、1997年から2000年まで学長を務めた。名誉学長。2005年退官。中国の武漢工学院の客員教授も務めた。 マン・マシンシステムの立場から、自動車の運転性能の試験研究、4WSの基礎理論と開発、安全運転に関する研究に従事し、AJAJ議長を務め、日本の自動車殿堂の創設にも尽力した。
鳥丸 軍雪(とりまる ぐんゆき、1937年(昭和12年)3月… 鳥丸 軍雪(とりまる ぐんゆき、1937年(昭和12年)3月5日 - )は、日本のファッションデザイナー。宮崎県小林市出身。 発足間もない東映動画(現・東映アニメーション)にアニメーターとして入社、同社初の長編作品となった『白蛇伝』では大塚康生の斑で動画を担当し、同作完成後に退社した。 ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに留学後、ピエール・カルダンのアシスタントとなる。 英国のダイアナ元妃や、元首相のマーガレット・サッチャーの着用したドレスをデザインした。ダイアナのドレスは1986年の来日時に着用したものが有名である。黒柳徹子と仲が良く、彼女のドレスもデザインしている。
富永 靖雄(とみなが やすお、1937年3月5日 - )は、… 富永 靖雄(とみなが やすお、1937年3月5日 - )は、日本の経営者。横浜ゴム社長、会長を務めた。神奈川県出身。 1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に橫濱護謨製造(のちの横浜ゴム)に入社。1991年3月に取締役に就任し、1995年3月に常務、1996年6月に専務を経て、1999年4月に社長に就任。2004年6月に会長に就任。
葛西 道生(かさい みちき、1937年3月5日 - 2015… 葛西 道生(かさい みちき、1937年3月5日 - 2015年4月3日)は、日本の生物物理学者。大阪大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。 岐阜県岐阜市出身。1959年名古屋大学理学部物理学科卒業。大澤文夫研究室出身。1961年名古屋大学大学院理学研究科物理学専攻修了、理学修士、名古屋大学理学部助手。1964年名古屋大学より理学博士の学位を取得。1968年パスツール研究所CNRS研究員。1970年大阪大学基礎工学部助教授。1977年大阪大学基礎工学部教授。1992年日本生物物理学会会長。2001年大阪大学名誉教授、龍谷大学理工学部教授。2015年腎臓癌のため豊中市の病院で死去。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
轡田 隆史(くつわだ たかふみ、1936年3月5日 - 20… 轡田 隆史(くつわだ たかふみ、1936年3月5日 - 2022年8月31日)は、日本のジャーナリスト、サッカー選手。元朝日新聞論説委員、日本ペンクラブ正会員。父の轡田三男(旧姓・横村)もサッカー選手および報知新聞記者であり、学生時代にサッカー日本代表に選出された経験を持つ。 東京府の出身だが太平洋戦争の戦火を逃れるため、従軍記者としてフィリピンへ赴いていた父の帰国と共に一家で埼玉県北足立郡与野町(与野市を経て、現在のさいたま市中央区)へ疎開をした。戦後に埼玉師範学校附属小学校から埼玉師範学校附属中学校へ進学すると中学1年時にサッカーを始め、埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学政治経済学部へ進学後もサッカー選手としてプレーをした。
安原 達佳(やすはら たつよし、現在の姓は渡邉、1936年3… 安原 達佳(やすはら たつよし、現在の姓は渡邉、1936年3月5日 - 2015年4月1日)は、岡山県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、外野手。
小畑 千代(おばた ちよ、1936年3月5日 - )は、女… 小畑 千代(おばた ちよ、1936年3月5日 - )は、女子プロレスラー。本名は小沢千代子(おざわ ちよこ)、千代子の命名者は長兄である小沢喜三(おざわ よしみつ)、小畑千代のリング名は東京女子プロレス社長による。日本女子プロレス・国際プロレス女子部のエースとして活躍した。東京都台東区出身。 1955年1月、フランス座で知られた東洋興業によって旗揚げされた東洋女子プロレス(媒体によっては東京女子プロレスとも表記)でデビュー。妹である小畑紀代(本名:小沢清子)も同団体のレスラーだった。当時の小畑のことを稲垣正浩は「女子プロレス草分けの花形ヒロイン」「戦後の日本社会に(稚児のお遊びと思われていた)女子プロレスを認知させた人物」と記述している。
狩野 安(かのう やす、1935年〈昭和10年〉3月5日 -… 狩野 安(かのう やす、1935年〈昭和10年〉3月5日 - 2025年〈令和7年〉9月28日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(3期)。元全国更生保護婦人連盟会長。茨城県水戸市出身。 1953年(昭和28年)、茨城県立水戸第二高等学校卒業。1957年(昭和32年)、道徳再武装(MRA)活動参加のため渡米後、狩野明男と結婚。水戸商工会議所婦人部会長・県商工会議所婦人部連合会理事・水戸家庭裁判所調停委員・水戸地区保護司・県更生保護婦人連盟副会長・保護観察協会評議員・イニシアティブス・オブ・チェンジ顧問などを歴任。 1992年(平成4年)、夫・明男の死去に伴う参議院議員補欠選挙の茨城県選挙区に自民党から立候補し初当選。
植草 三樹男(うえくさみきお、1935年3月5日 - )は、… 植草 三樹男(うえくさみきお、1935年3月5日 - )は、日本の元和菓子店経営者、株式会社曙元代表取締役社長、現会長である。 1935年、東京都中央区日本橋に5人兄妹の長男として生まれる。東京都立忍岡高等学校を経て、1962年に早稲田大学法学部を卒業後、英国系の商社勤務を経て、父・圭三が1948年に創業した株式会社曙に入社。1976年に社長就任。百貨店に積極出店し、全国区の和菓子店に成長させた。2004年、長女の細野佳代に社長を譲り、会長に就任。次女の智子がダウン症候群であったことから、町田リス園理事長や、社会福祉法人愛の鈴理事長を務めるなど、障害者支援施設などに関わる。 現在は経営の第一線からは退き、福祉活動に力を注いでいる。
今田 美奈子(いまだ みなこ、1935年〈昭和10年〉3月5… 今田 美奈子(いまだ みなこ、1935年〈昭和10年〉3月5日 - )は、日本の洋菓子研究家、食卓芸術プロデューサー、実業家。 株式会社今田美奈子食卓芸術サロン代表取締役社長、日仏生活芸術協会会長、国際食卓芸術アカデミー協会会長、TPPを考える国民会議世話人を務める。 芸術文化勲章オフィシエ受章者(2003年)。 1935年3月5日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父は愛光商会(1939年創立)社長の今田冨雄。 函嶺白百合学園中学校・高等学校を経て、白百合短期大学(現・白百合女子大学)を卒業。のちに父の後継者として愛光商会社長となる今田潔と結婚。1971年(昭和46年)、スイスに招かれ、洋菓子の世界を知る。
宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2… 宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2019年10月25日)は、日本の実業家。明治生命保険と安田生命保険の合併を実現させ、初代明治安田生命保険代表取締役会長を務めた。 熊本県出身。熊本県立八代高等学校を経て、1959年一橋大学社会学部卒業。安田生命保険入社。大学では一橋大学硬式野球部所属。 安田生命保険では営業畑を歩み、1971年新橋支店長、1983年取締役、1993年副社長。 1999年安田生命保険代表取締役社長。拡大路線を進めた。 2000年富国生命保険と業務提携開始。富国生命との統合も考えたものの、頓挫。 2001年東京建物、大成建設、朝日生命保険とともに、J-REITを組成。
藤木宏幸(ふじき・ひろゆき、1935年3月5日 - 2003… 藤木宏幸(ふじき・ひろゆき、1935年3月5日 - 2003年12月24日)は日本近現代演劇研究者、演劇評論家。 東京都出身。1957年日本大学芸術学部卒業、1960年同大学院研究科修了。日大在学中に秋庭太郎の教えを受け、秋庭太郎の日本演劇研究での数少ない弟子とされる。1967年共立女子大学専任講師。同助教授、教授を経て同大学名誉教授。近代日本のイプセン受容研究で業績をあげる。「戦争と平和」戯曲全集を源五郎、今村忠純と共に編集。日本演劇学会理事も務める。 2003年12月24日、大動脈瘤破裂のため自宅で死去。68歳没。 藤木宏幸氏死去 演劇評論家(共同通信)
伊藤武(いとう たけし、1934年3月5日 - 2020年7… 伊藤武(いとう たけし、1934年3月5日 - 2020年7月5日)は、日本の経済学者、大阪経済大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。宮城県仙台第二高等学校卒、1957年東北大学経済学部卒、63年同大学院経済学研究科博士課程中退、84年「マルクス信用論の解明」で経済学博士。1963年大阪府立商工経済研究所所員、1968年大阪経済大学講師となり、72年助教授、81年教授。87-89年経済学部長を務め、2004年定年、名誉教授となる。
山領健二(やまりょう けんじ、1933年3月5日- )は、日… 山領健二(やまりょう けんじ、1933年3月5日- )は、日本の思想学者、神田外語大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒。評論活動ののち、神田外語大学教授を務め、2004年定年、名誉教授となる。思想の科学研究会会員。
木村 建一(きむら けんいち、1933年3月5日 - )は、… 木村 建一(きむら けんいち、1933年3月5日 - )は、日本の工学者、環境建築家。早稲田大学名誉教授。工学博士。 1933年、中国撫順市生まれ。1952年、東京府立第十中学校(現・東京都立西高等学校)卒業。 1957年、早稲田大学第一理工学部建築学科卒業・工学士。1959年、早稲田大学大学院工学研究科建設工学専攻修士課程修了・工学修士。1960年 - 1962年、マサチューセッツ工科大学にフルブライト留学生として留学。建築学科の研究助手として、太陽エネルギー研究プロジェクトに参加した。 1964年、早稲田大学第一理工学部専任講師。1967年、早稲田大学第一理工学部助教授。 1965年、早稲田大学大学院工学研究科建設工学専攻博士課程修了・工学博士。
岩井 宏實(いわい ひろみ、1932年3月5日- 2016年… 岩井 宏實(いわい ひろみ、1932年3月5日- 2016年2月29日)は、日本の民俗学者。国立歴史民俗博物館・帝塚山大学名誉教授。大分県立歴史博物館顧問。 奈良市生まれ。奈良県立奈良高等学校、立命館大学文学部卒業。同大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。大阪市立博物館学芸員、国立歴史民俗博物館教授、1996年定年退官、名誉教授、帝塚山大学教授、学長。88年「地域社会の民俗学的研究」で筑波大学より文学博士の学位を取得。民具、民間信仰、宗教民俗学研究。
和久井 節緒(わくい せつお、1932年〈昭和7年〉3月5日… 和久井 節緒(わくい せつお、1932年〈昭和7年〉3月5日 - 1981年〈昭和56年〉1月18日)は、日本の声優、俳優。東京府日本橋区(現:東京都中央区)出身。東京俳優生活協同組合に所属していた。 東京府日本橋区(現:東京都中央区)で誕生。 日本大学芸術学部演劇学科卒業。 1954年、ドラマグループ二十一世紀参加。劇団新芸設立を経て、一時的に芸能界から離れていたが復帰。1957年、金星プロ所属、1959年、PTC芸能部所属、東京俳優生活協同組合、笹の会、文芸プロを経て、再び東京俳優生活協同組合に所属していた。 『ジ・アニメ』で連載されていた『勝田久の声優入門』にあるニュースによると、1981年当時は、体調が悪かったものの、同年1月17日夕刻まで、CM録音に奮戦して、帰宅後に胸の苦しみを訴えて直ちに入院。
佐藤 毅(さとう たけし、1932年3月5日 - 1997年… 佐藤 毅(さとう たけし、1932年3月5日 - 1997年10月8日)は、日本の社会学者、一橋大学名誉教授。 愛知県一宮市出身。1954年一橋大学社会学部卒、1959年同大学院社会学研究科博士課程満期退学。南博ゼミ出身。1960年法政大学社会学部専任講師、1961年助教授、1969年教授、1978年一橋大学社会学部教授。1991年「マスコミの受容理論 言説の異化媒介的変換」で一橋大学社会学博士。1995年定年退官、名誉教授、大東文化大学法学部教授。 1997年10月8日、急性白血病のため死去。 指導学生に安川一、伊奈正人、三浦展,出口剛司など。
大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年… 大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年10月2日)は、福岡県嘉穂郡桂川町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 明善高校からノンプロ時代の西日本鉄道を経て、1950年にセ・パ両リーグ分立に際して球団結成したばかりの西鉄クリッパースへ入団。 3年目の1952年にリーグ最多となる46試合に登板して、チームでは野口正明の23勝に次ぐ18勝、リーグ3位の防御率2.73を挙げて主戦投手となる。1954年9月22日の南海戦では、大津は完投勝ちして南海の連勝記録を18で止める。同年のシーズンでは18勝、リーグ3位の防御率1.78を記録して、河村久文(25勝)、西村貞朗(22勝)と共に初優勝に貢献。
波瀬 満子(はせ みつこ、本名:白波瀬 智子(しらはせ とも… 波瀬 満子(はせ みつこ、本名:白波瀬 智子(しらはせ ともこ)1931年3月5日 - 2012年4月19日)は、日本のことばパフォーミング・アーティスト、女優。 京都府出身。東京女子大学卒業。劇団四季、仮面座を経て、1977年谷川俊太郎らと「ことばあそびの会」を設立する。 1993年から1999年まで6年間にわたって、NHK教育テレビのあいうえおにレギュラー出演。その後も「詩」や「ことば」そのものを構成・演出・出演する「ことば」パフォーマンスを行う。 2012年4月19日15時45分、急性腎不全のため、東京都町田市内の病院で死去。81歳没。 ジャンルを超えたスーパーことばショーを創ったことばパフォーマーはせみつこは、ウリポ・はせ・カンパニーを設立。
本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 … 本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 - 2001年(平成13年)7月7日)は、日本の銀行家。北都銀行副会長、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 宮城県仙台市出身。東北大学法学部卒業後、日本銀行に入行。 1980年には、秋田相互銀行に移り常務、専務を歴任。副社長時代には、普銀転換の陣頭指揮にあたり、1990年には、プロパーや創業者家系の多い秋田県の金融界では異色の存在、日銀出身者として秋田あけぼの銀行頭取に就任した。頭取在任時は、第三次オンラインシステムを鳥取銀行、沖縄海邦銀行と共同開発にあたったほか、羽後銀行との合併を成功裡にまとめあげた。 1993年の北都銀行発足後には、副会長に就任。
野口 正一(のぐち しょういち、1930年3月5日 - )は… 野口 正一(のぐち しょういち、1930年3月5日 - )は、日本の情報工学者。東北大学名誉教授。元会津大学学長。元情報処理学会会長。 東京都八王子市生まれ。東京府立第二商業学校(現東京都立第二商業高等学校)を経て、1948年横浜工業専門学校(現横浜国立大学理工学部)入学。編入制度のあった東北大学工学部に編入し、1954年に卒業後、同大学院の大泉充郎研究室に所属したが、本多波雄から大きな影響を受けたという。1960年東北大学大学院博士課程修了、工学博士。 1962年東北大学電気通信研究所助教授。1971年東北大学電気通信研究所教授。1984年東北大学大型計算機センター長。1990年東北大学応用情報学研究センター長。
加藤 孝(かとう たかし、1930年3月5日 - )は、日本… 加藤 孝(かとう たかし、1930年3月5日 - )は、日本の労働官僚。元労働事務次官。 愛知県出身。愛知一中(現在の愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校を経て、1950年に東京大学法学部に入学。1954年に卒業。卒業後に労働省に入省。1972年に職業安定局職業安定業務指導課長、1974年に新潟県商工労働部長、1977年に大臣官房会計課長、1979年に職業安定局失業対策部長、1982年に高齢者対応部長を経て、同年大臣官房長、1983年に職業安定局長、1986年に労働事務次官。 40年ぶりに労働基準法改正案が国会で成立した後の1989年9月に労働事務次官を退任。その後は同省顧問を経て、日本障害者雇用促進協会と全国民営職業紹介事業協会の会長を務めた。
野村 昭夫(のむら あきお、1930年3月5日 - 2008… 野村 昭夫(のむら あきお、1930年3月5日 - 2008年5月7日)は日本の経済学者。 青山学院大学文学部卒業。福岡大学商学部教授を経て、1985年4月、東京経済大学経済学部教授。2000年3月、同大を定年退職し、5月に名誉教授。2008年5月7日、脳出血のため逝去(享年78)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松本 勝明(まつもと かつあき 1928年(昭和3年)3月5… 松本 勝明(まつもと かつあき 1928年(昭和3年)3月5日 - )は、元競輪選手。現在は日本競輪学校名誉教諭。京都府出身。
佐藤 義和(さとう よしかず、1928年3月5日 - 200… 佐藤 義和(さとう よしかず、1928年3月5日 - 2003年3月25日)は、日本の経営者。日動火災海上保険社長、会長を務めた。新潟県出身。 1952年に東京大学法学部を卒業し、同年に日動火災海上保険に入社。1971年6月に取締役に就任し、1973年6月に常務、1977年7月に専務を経て、1978年7月に副社長に就任し、1982年2月には社長に昇格。1988年6月に会長に就任し、1995年6月に名誉相談役に就任。 1992年11月に藍綬褒章を受章。 2003年3月25日肺炎のために死去。75歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
坂田 浩一(さかた こういち、1928年3月5日 - 200… 坂田 浩一(さかた こういち、1928年3月5日 - 2006年9月28日)は、日本の経営者。日本テレコム社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1951年に早稲田大学理工学部機械工学科を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社。1983年11月に常務理事に就任し、1985年6月に理事兼技師長を経て、1986年12月に鉄道通信(のちの日本テレコム)社長に就任。1998年6月に会長に就任。 1998年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2006年9月28日肺炎のために死去。78歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
藤木 正三(ふじき しょうぞう、1927年3月5日 - 20… 藤木 正三(ふじき しょうぞう、1927年3月5日 - 2015年1月22日)は、日本の牧師、神学者。 大阪府生まれ。旧制高校から関西学院大学文学部神学科に入り、53年同神学部卒、1955年同大学院修了。暁明教会牧師、京都御幸町教会牧師。1993年引退。
大山 勝通(おおやま かつゆき、1927年3月5日 - 20… 大山 勝通(おおやま かつゆき、1927年3月5日 - 2006年12月19日)は日本の気象学者。北海道札幌市生まれ。海外ではvic ooyamaの名前でも知られる。 1951年東京大学物理学科卒。中央気象台(現気象庁)で天気予報などを担当した後、1955年渡米、ニューヨーク大学で学ぶ。そのまま同大学に残り、後に教授に就任。 1960年代前半、数値実験により、台風の発達メカニズムを解明することに初めて成功し、その後の台風の力学的研究の発展の基礎を築いた。同功績により、1972年度の日本気象学会賞を受賞。 その後はアメリカ国立大気研究所 (NCAR) 員、ハリケーン研究所 (NHRL) 員を歴任。
金光 不二夫(かねみつ ふじお、1927年3月5日 - 20… 金光 不二夫(かねみつ ふじお、1927年3月5日 - 2000年2月19日)は、日本のロシア語翻訳家。 東京出身。1953年東京外国語大学ロシア語科卒。東京経済大学講師。自然科学系の翻訳を多くした。妻もロシア語学者の金光 節(セツ)。
岡 英雄(おか ひでお、1926年3月5日 - 2009年2… 岡 英雄(おか ひでお、1926年3月5日 - 2009年2月22日)は、日本の政治家。江別市長(1983年 - 1995年)。北海道江別市出身。 北海中学校卒業後、1943年志願兵として海軍土佐航空隊で飛行兵となり、復員後江別町役場に入庁。1952年に結婚し3児をもうける。同市の総務課長、財政課長、経済建設部長を経て、1970年から1982年まで助役の後1983年に江別市市長選にて江別市長に初当選。以後連続3期を務める。1995年に4期目を目指すも新人候補者小川公人に敗れ、落選。1996年には江別市から市政功労者に選ばれた。2009年2月22日、急性呼吸不全のため死去、82歳。死没日をもって従五位に叙される。
清水 卯一(しみず ういち、1926年3月5日 - 2004… 清水 卯一(しみず ういち、1926年3月5日 - 2004年2月18日)は日本の陶芸家。京都府京都市東山区五条生まれ。1985年人間国宝に認定。 1926年(大正15年)3月5日、京焼陶磁器卸問屋を営む生家の長男として誕生した。 11歳で父が急死したため、1938年(昭和13年)、家業を継ぐことを目的として立命館商業学校(後の新制立命館高等学校)に入学するも、作陶に興味を抱き同校を2年修了後の1940年に中退。14歳で石黒宗麿に師事し、通い弟子として陶芸を学ぶ。しかし国の戦時体制強化が影響したため弟子期間は数か月に終わり、その後は自宅にろくろ場を設け自作を開始した。 翌1941年国立京都陶磁試験場に伝習生として入所、同所では日根野作三、水町和三郎の指導を受けた。
江崎 正義(えざき まさよし、1926年3月5日 - )は、… 江崎 正義(えざき まさよし、1926年3月5日 - )は、和歌山県[1]出身の元プロ野球選手(外野手)。
御庄 博実(みしょう ひろみ、1925年3月5日 - 201… 御庄 博実(みしょう ひろみ、1925年3月5日 - 2015年1月18日)は、日本の詩人、医師。広島共立病院名誉院長。医師としては本名の丸屋博名義での著書もある。 山口県岩国市出身。岩国中学校から広島高等学校に学び、1945年、岡山医科大学に入学。帰省中のその年8月、近隣の住人の消息を探りに被爆直後の広島に入り入市被爆する。1949年、峠三吉と知りあい、峠たちの詩誌『われらの詩』に1950年から寄稿をはじめる。1951年、肺結核で入院中の岩国病院の患者自治会報に掲載した詩「失われた腕に」が、政令325号(占領目的阻害行為処罰令)違反にあたるとして逮捕される(不起訴となった)。 1952年、詩集『岩国組曲』を上梓、詩誌『列島』のグループに加わる。
廣渡 文利(ひろわたり ふみとし、1925年3月5日 - 2… 廣渡 文利(ひろわたり ふみとし、1925年3月5日 - 2007年7月24日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学・鉱床学。福岡県福津市生まれ。 旧海軍兵学校を経て、1950年に九州大学理学部地質学科を卒業。翌年九州大学理学部助手となる。1956年通産省工業技術院地質調査所(現産業技術総合研究所)に転任、1966年九州大学理学部助教授となり、1973年同教授に昇任。1988年九州大学定年退官。1962年、九州大学より理学博士の学位を取得。論文の表題は「Manganese ore deposits in Ryoke metamorphic zone.」。1986~88年日本鉱物学会(現日本鉱物科学会)会長。
稲葉 清右衛門(いなば せいえもん、1925年(大正14年)… 稲葉 清右衛門(いなば せいえもん、1925年(大正14年)3月5日 - 2020年(令和2年)10月2日)は、日本の技術者、経営者。位階は従四位。 工学博士(東京工業大学、1965年)。富士通で電気油圧パルスモーターや数値制御器の研究開発に従事し、NC工作機械の黎明期に大きな業績を残す。富士通の計算制御部から分離独立したファナックでは、経営者として同社をNC装置、産業用ロボットのトップメーカーに育て上げた。 富士通ファナック専務、副社長、社長、ファナック社長、代表取締役会長、相談役名誉会長を歴任し、精密工学会会長、日本ロボット学会副会長、日本産業用ロボット工業会会長なども務めた。NC関係の標準化活動にも実績がある。エンゲルバーガー賞、紫綬褒章、藍綬褒章、勲二等瑞宝章を受けた。ブルガリアやルクセンブルク大公国からも勲章を受けている。 やり手のワンマン経営者として知られ、高羅芳光(富士通の当時の社長)により富士通の計算制御部から分離独立されたファナックを、一代で工作機械のトップメーカーとして育て上げた。NC(数値制御)装置の世界シェアは50%、国内シェアは75%であり、世界トップシェアである。また、同社はメーカーとして驚異的な利益率の高さでも知られ、売上高経常利益率は44.83%(2008年3月期)にものぼる。 「研究開発と企業経営は不可分」という考えを持つ。社長になってからも、研究員に目標を与え、月に一回の社長主催の技術会議で報告をさせ、指導していた。名誉会長になってからも、2013年まで経営本部長や研究本部長に就いていた。その後は本社の相談役名誉会長の座からは退いてはいないものの、連結子会社を含めて、ファナックと名がつく国内7社の代表を退いたため、経営の第一線からは身を引いたのではないかと報じられた。 技術者としてはNC工作機械の数値制御、電気油圧パルスモータ、これらを活用した数値制御による連続切削等に実績があり、この分野の著書や記事も多い。日本ロボット学会副会長、精密工学会会長等を歴任。東京大学工学部において精密工学科(旧造兵学科)図書室の蔵書1万冊が処分されかけた際には、ファナック本社の書庫でそれを引き受けている。
小川 寛興(おがわ ひろおき、1925年3月5日 - 201… 小川 寛興(おがわ ひろおき、1925年3月5日 - 2017年7月19日)は、日本の作曲家。 東京府東京市芝区新橋(現在の東京都港区)出身。日本作曲家協会監事。 大倉高等商業学校中等科卒業(1943年)。 声楽を立松房子、薗田誠一、作曲および管弦楽法を服部良一、指揮法を森正に師事。藤原歌劇団合唱部でオペラを勉強するが、挫折し作曲に転向する。 1947年、服部良一の内弟子となり、1950年独立。服部門下の兄弟子に原六朗、佐野雅美らがいる。 帝国劇場のミュージカルの作曲および専任指揮者を経て、1960年から1961年までは日本コロムビアの専属作曲家となり、1962年から1973年まではキングレコードの専属作曲家となった。
箕輪 登(みのわ のぼる、1924年3月5日 - 2006年… 箕輪 登(みのわ のぼる、1924年3月5日 - 2006年5月14日)は、日本の政治家、医師。位階は従三位。 郵政大臣(第42代)、防衛政務次官、衆議院議員(8期)を歴任した。 北海道小樽市生まれ。小樽市中学校(現:北海道小樽潮陵高等学校、小樽市立長橋中学校)、北海道帝国大学(現:北海道大学)医学専門部卒業。第二次世界大戦末期の1945年3月に陸軍軍医見習士官に任官し、同年8月に終戦を迎える。翌1946年より日本医療団寿都病院(現:寿都町立寿都診療所)外科医長。1948年、寿都町に箕輪外科医院を開業。1952年に小樽市に戻り、稲穂で箕輪外科医院を開業。 1960年、薄田美朝(元警視総監。後に衆議院議員)に見出され第29回衆議院議員総選挙に旧北海道第1区(定数5)から保守系無所属で立候補したが、立候補者9人中7位で落選する(当時の旧北海道1区では日本社会党の横路節雄や自由民主党の椎熊三郎(元衆議院副議長)、高田富與(元札幌市長)ら有力候補がしのぎを削っていた)。