松崎 公昭(松﨑 公昭、まつざき きみあき、1943年9月8… 松崎 公昭(松﨑 公昭、まつざき きみあき、1943年9月8日 - 2018年6月29日)は、日本の政治家。 衆議院議員(4期)、千葉県議会議員(3期)、柏市議会議員(3期)、総務副大臣、民主党政策調査会副会長を歴任。 千葉県柏市生まれ。柏市立柏第二中学校、千葉県立東葛飾高等学校(第34期生)を経て1967年に早稲田大学第一商学部を卒業。早稲田大学時代にはドキュメンタリー映画の制作に取り組み、その際の仲間に広河隆一がいる。 東京のOA機器販売会社で営業マンとして働く。退職後、父の経営する製麺業の「株式会社柏食品」に就職する。その後、柏食品とその他の系列会社を統合し「株式会社カリフ」を設立、中小企業の経営者として活動する。
林 省之介(はやし しょうのすけ、1943年9月8日 - )… 林 省之介(はやし しょうのすけ、1943年9月8日 - )は、日本の大学教授、政治家。元衆議院議員(1期)、予備校講師。 福井県大野市生まれ。関西大学文学部卒業、同大大学院修了。大学在学時に落語研究会(通称:落語大学)で桂文枝(旧・三枝)と同期。 1972年から関西大学第一中学校・高等学校の教諭を務めた後、1979年から関西大学文学部助教授。1986年同大教授、1999年に退職した。 また、大学受験における古文対策の著書でも有名である。1990年代までは非常勤で代々木ゼミナール等で教えており、文化放送の「大学受験ラジオ講座」(後番組の「KEISETSUアルシェITEMAEラジオ」を含む)にも出演。
大熊 忠義(おおくま ただよし、1943年9月8日 - )は… 大熊 忠義(おおくま ただよし、1943年9月8日 - )は、大阪府羽曳野市出身(出生は現在の中国東北部)の日本の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。 生まれたのは現在の中国東北部で、父は出征先から戻らず、終戦後に母、妹と三人で引き揚げた。引き揚げ後の家族は親類を頼って大阪府羽曳野市で暮らし、小学生の頃から新聞配達をした。これが足腰の鍛錬になったという。その頃に野球を始め、中学時代は捕手だった。しかし野球よりは伝書鳩の飼育に熱中する少年時代を過ごし、中学卒業後は旋盤工になるつもりでいたところ、浪商高校からスカウトされた部の同僚が家庭事情から断ったため代わりに立候補して進学した。 高校野球部に入部後は連日走らされ、270人いたという同期が脱落していく中、足には自信のあった大熊は残ってやがてベンチ入りメンバーとなる。
長峰 宏芳(ながみね ひろよし、1942年9月8日- )は、… 長峰 宏芳(ながみね ひろよし、1942年9月8日- )は、日本の政治家。自由民主党所属の元埼玉県議会議員(7期)。旭日中綬章受章。 埼玉県入間郡鶴ヶ島村(現・鶴ヶ島市)生まれ。製茶業を営む家に生まれた。埼玉県立川越高等学校を卒業後、家業の製茶業を継いだ。 1972年に鶴ヶ島町議会議員に当選。以後通算25年務めた。市制移行後には初代市議会議長を務めた。 1997年に自由民主党公認で埼玉県議会議員西12区(鶴ヶ島市)補欠選挙に出馬し当選。以後7期連続当選。県議会議長、県議会副議長、自民党埼玉県議会議員団長、自民党県連政務調査会長等歴任。
花木 義麿(はなき よしまろ、1942年9月8日 - )は、… 花木 義麿(はなき よしまろ、1942年9月8日 - )は、日本の技術者、実業家。オークマ代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本工作機械工業会会長などを歴任した。 愛知県中島郡(現稲沢市)で教員の家に生まれる。愛知学芸大学附属名古屋中学校(現愛知教育大学附属名古屋中学校)、愛知県立旭丘高等学校を経て、1965年、名古屋大学工学部電気工学科卒業。高校・大学ではサッカー部の活動に熱中した。同年、大隈鐵工所(現オークマ)入社。1972年に世界初となるコンピューターによる数値制御装置を開発。 電装事業部長、オークマ アメリカ社長等を経て、2006年、代表取締役社長。2013年、日本工作機械工業会会長。
野村 雅一(のむら まさいち、1942年9月8日- 2017… 野村 雅一(のむら まさいち、1942年9月8日- 2017年9月9日)は、日本の文化人類学者。国立民族学博物館名誉教授。 1942年、広島県で生まれた。京都大学文学部イタリア文学科で学び、1966年に卒業。同大学大学院文学研究科言語学専攻に進み、1968年に修士課程を修了。 修了後は、京都大学人文科学研究所助手に採用された。南山大学講師、国立民族学博物館助教授・教授、京都外国語大学外国語学部教授を務めた。2008年より総合研究大学院大学理事・副学長を3年間務めた。 専門は文化人類学で、身体表現と文化。身体の身ぶりや、しぐさによる人間の多様なコミュニケーションから人間活動を読み解こうとした。
安樂 進(あんらく すすむ、1942年9月8日 - )は、日… 安樂 進(あんらく すすむ、1942年9月8日 - )は、日本の地方公務員。東京都知事本部長や、東京都財務局長を経て、ゆりかもめ代表取締役社長を務めた。 東京大学文学部卒業。1967年東京都入庁、主税局新宿税務事務所徴収課。1991年東京都総務局参事(人事部人事課長事務取扱)。1992年東京都立松沢病院事務局長。1994年東京都港湾局開発部長。1996年東京都労働経済局総務部長。1998年東京都清掃局理事(移管準備担当)。1999年東京都清掃局長。2001年東京都知事本部長。同年東京都財務局長。2002年ゆりかもめ代表取締役社長。2013年瑞宝小綬章受章。
守谷 良二(もりや りょうじ、1942年9月8日 - 201… 守谷 良二(もりや りょうじ、1942年9月8日 - 2017年9月29日)は、立正大学経済学部教授。東京都市大学、東京電機大学工学部非常勤講師。山形県白鷹町出身。ペンネームは守谷両時。専門は代数関数論,数式処理。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大倉 修吾(おおくら しゅうご、1941年〈昭和16年〉9月… 大倉 修吾(おおくら しゅうご、1941年〈昭和16年〉9月8日 - 2016年〈平成28年〉7月22日)は、新潟県を中心に活動していたラジオパーソナリティ、ローカルタレント。血液型はO型。 新潟県中蒲原郡五泉町(現五泉市)出身。医師一家に男4人兄弟の末っ子として生まれた。新潟県立村松高等学校を経て國學院大學文学部を卒業後、1964年春、新潟放送(BSN)に入社した。 BSN入社後は報道記者やラジオ番組のディレクターなどを歴任したが、ディレクターとして担当していたあるラジオ番組のパーソナリティが急病で出演できない状態になり、代役もスタンバイできなかった事から、上司の指示で大倉自身が急遽パーソナリティを務める事になった。
浦西 和彦(うらにし かずひこ、1941年9月8日 - 20… 浦西 和彦(うらにし かずひこ、1941年9月8日 - 2017年11月16日)は、日本の国文学者。専門は近代文学・書誌学。学位は文学博士(関西大学・論文博士・1986年)(学位論文「日本プロレタリア文学の研究」)。関西大学名誉教授。 大阪府大阪市に生まれる。1945年に大阪大空襲で自宅が焼失したので石川県にある母方の祖父母の家に疎開し、そこで終戦を迎える。1964年に関西大学文学部国文科を卒業。 岐阜県立坂下女子高等学校教諭、岐阜県立大垣南高等学校教諭を経て、谷沢永一のひきにより関西大学助教授、教授。1986年に関西大学にて文学博士の学位を取得。 2012年に定年退任、名誉教授。最終講義の題目は「葉山嘉樹の文学的転向」であった。
村井 敏邦(むらい としくに、1941年9月8日 - )は、… 村井 敏邦(むらい としくに、1941年9月8日 - )は、日本の法学者。専門は刑事法。一橋大学名誉教授。一橋大学・龍谷大学教授を経て、大阪学院大学法科大学院教授。弁護士。2000年5月から2003年5月までは日本刑法学会理事長も務めた。 1941年大阪府大阪市北区浮田町生まれ。実家は商家。祖父は新派脚本家の間無声。 商売人の父の影響で一橋大学商学部に入学。ドイツ経営学を専攻。64年の卒業前、テレビで視た連続ドラマ『弁護士プレストン(The Defenders)』に魅せられ、社会的に虐げられている人のための弁護士を志望して1964年4月同大法学部に学士編入学。同年10月に旧司法試験に合格した。一橋大学法学部を卒業した66年から2年間、司法修習を受け修了。
堀江 朋子(ほりえ ともこ、1940年9月8日 - 2021… 堀江 朋子(ほりえ ともこ、1940年9月8日 - 2021年1月2日)は、日本でおもに司書として働き、また史実を基にした時代小説から歴史小説へと手掛けた作家として活躍した。代表作は『三井財閥とその時代』(2010年、日経賞最終候補)、『新宿センチメンタル・ジャーニー』(2017年)、『西行とその時代』(2020年)などで、司書として長年働いた経験を生かして地道で深く調査した作風が特徴である。 堀江朋子は旧姓上野で、上野壮夫(うえの・そうふ、1905.06.02.ー1979.06.05.)と小坂多喜子(こさか・たきこ、1909.01.27.ー1994.09.12.)の間に、1940年9月8日に東京・淀橋区(現新宿区)で生れた。
川口 文夫(かわぐち ふみお、1940年9月8日 - )は、… 川口 文夫(かわぐち ふみお、1940年9月8日 - )は、日本の実業家。中部電力元代表取締役社長、会長(現・相談役)、中部経済連合会会長、名古屋ケーブルビジョン理事長、財団法人中部産業・地域活性化センター会長、名古屋「正論」懇話会代表幹事、NPO法人日本防災士機構評議員。Jリーグ・名古屋グランパス前会長。 愛知県額田郡幸田町出身。1959年、愛知県立岡崎高等学校を経て、1964年、早稲田大学第一商学部卒業。同年、中部電力に入社。同社取締役資材部長、取締役名古屋支店長、常務取締役等を経て、2001年6月より代表取締役社長を務め、2005年6月より同社会長。2010年6月25日には相談役に就任した。
亀田 弘行(かめだ ひろゆき、1939年9月8日 - 202… 亀田 弘行(かめだ ひろゆき、1939年9月8日 - 2023年6月6日)は、日本の防災学者。京都大学名誉教授。元地域安全学会会長。 大阪府大阪市生まれ。 1963年京都大学工学部土木工学科卒業。 1965年京都大学大学院工学研究科修士課程土木工学専攻修了。 1968年京都大学大学院工学研究科博士課程土木工学専攻単位修得退学、京都大学工学部助教授。 1971年京都大学工学博士。 1986年京都大学防災研究所教授。 1995年地域安全学会会長。1998年理化学研究所地震防災フロンティア研究センター長。 2001年防災科学技術研究所地震防災フロンティア研究センター長。 2004年定年退職、京都大学名誉教授。
坂口 光男(さかぐち みつお、1939年9月8日 - 201… 坂口 光男(さかぐち みつお、1939年9月8日 - 2011年6月)は、日本の法学者。専門は、商法・保険法。法学博士(明治大学)。北海道出身。 1963年明治大学法学部卒業。1968年同大学院法学研究科博士課程退学(指導教授:保住昭一 )。1968年同法学部助手。1971年同法学部専任講師。1975年同助教授。1982年同教授。1995年に論題「保険者免責の基礎理論」で明治大学より法学博士の学位を取得。1998年東京都八王子労政協議会委員。2000年明治大学大学院法学研究科委員長。2004年同法科大学院兼任教授。2011年同定年退職。同名誉教授。 この他、東京経済大学・國學院大學法学部・福島大学・静岡大学・専修大学法学部・清和大学・国際基督教大学・姫路獨協大学法科大学院の非常勤講師や、東京法経学院司法書士講座商法兼任講師も務めた。
佐藤 道輔(さとう みちすけ、1938年9月8日 - 200… 佐藤 道輔(さとう みちすけ、1938年9月8日 - 2009年6月16日)は都立高校の野球部監督。 宮城県生まれ。宮城県仙台第二高等学校を経て、早稲田大学卒。都立校の社会科教諭(おもに日本史)で、野球部顧問を兼務した。大学卒で最初に赴任したのは都立大島高校である。その活動などを著書にしたことから多くの部員志望者が集まった。その後、都立昭和高校、都立久留米高校を経て都立東大和高在職中の野球部は1978年、1985年の西東京大会に準優勝した。後年、東京都高野連理事としても活動していた。また、教え子の桜井国弘が青年海外協力隊としてペルーに赴任。野球の指導に関わった際、野球用具やユニフォームなどを提供し、自身もペルーを訪れて野球の普及に尽力した。
堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年〈昭和13年〉9月8… 堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年〈昭和13年〉9月8日 - )は、日本の海洋冒険家(ソロセーラー、ヨットマン)。大阪府大阪市生まれ。兵庫県芦屋市在住。 1962年、日本人として初めて、小型ヨットによる太平洋単独無寄港横断に成功。1974年、日本初の小型ヨット単独無寄港世界一周に成功。 アマチュア無線家でもある。コールサインはJR3JJE。 大阪市港区で生まれた。 太平洋戦争の末期には大阪府下の箕面村(今の箕面市)で一家で暮らした。1945年(昭和20年)の3月から8月にかけて、大阪市への空襲の際は、遠く離れた堀江のいた箕面市にも爆発音や衝撃波が届くような状況であった。このため太平洋横断中、ミッドウェー島の近くに来た時に、島に向かって死去した兵士に黙祷した。
桑山 正進(くわやま しょうしん、1938年9月8日 - )… 桑山 正進(くわやま しょうしん、1938年9月8日 - )は、東洋学・考古学者、京都大学人文科学研究所名誉教授。 1938年、東京市(現港区)で生まれた。1963年、京都大学文学部考古学科を卒業し、同大学大学院に進んだ。博士課程満期退学。 1986年、学位論文『カーピシー=ガンダーラ史研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。京都大学人文科学研究所教授。1999年9月から2001年10月まで第20代所長を務めた。2002年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。
小西 秀朗(こにし ひでろう、1937年9月8日 - 202… 小西 秀朗(こにし ひでろう、1937年9月8日 - 2020年1月13日)は、秋田県出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。 秋田高校では1954年、2年生の時にエース青山伍(大映スターズ)を擁し、四番打者、右翼手として第36回全国高等学校野球選手権大会に出場。2回戦(初戦)で恵川康太郎のいた三原高に敗退。青山以外のチームメートに高橋捷郎(慶大-東洋レーヨン)がいた。同年の秋季奥羽大会県予選も決勝に進むが、エース嵯峨健四郎を擁する秋田商に惜敗。翌1955年夏は奥羽大会1回戦で岩手高に敗れ、甲子園には出場できなかった。 高校卒業後は立教大学に進む。東京六大学野球リーグでは5度の優勝を経験。4年時の1959年秋季リーグで優勝に貢献し、自身もベストナイン(外野手)に選ばれている。
浦田 直治(うらた なおじ、1936年9月8日 - )は、群… 浦田 直治(うらた なおじ、1936年9月8日 - )は、群馬県桐生市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 桐生市立境野中学校では主将を務め、2年次の1950年には東京六大学秋季リーグ戦試合開始前の神宮に行き、法政大でプレーする根本陸夫を訪ねた。 監督が日大出身で根本の2年先輩であり、主将の浦田に「後輩に根本っていう選手がいた。今は法政大学でキャッチャーをしている。俺が頼むから、みんなを連れて六大学を見に行き、野球の勉強をしてきなさい」と言ったのが、根本と会ったきっかけである。浦田は根本宛に手紙を書くよう命じられ、野球部全員で行くことや試合観戦の希望を記して投函していたが、根本という選手について先生は何も教えてくれなかった。
緒方 謙二郎(おがた けんじろう、1936年9月8日 - )… 緒方 謙二郎(おがた けんじろう、1936年9月8日 - )は日本の通産官僚。血液型はB型。資源エネルギー庁長官、川崎重工業副社長、日中経済協会理事長、東京浦高会会長などを歴任。兄は国立国会図書館元館長の緒方信一郎[要出典]。 埼玉県浦和市出身(父は福井県、母は和歌山県)。埼玉県立浦和高等学校、東京大学法学部卒業。1960年 通商産業省入省。配属先は大臣官房調査統計部管理課。1975年 通商産業省生活産業局住宅産業課長。1978年 資源エネルギー庁ガス事業課長。1981年 通商産業省基礎産業局鉄鋼業務課長。1984年 通商産業省大臣官房会計課長。1988年 科学技術庁科学技術振興局長。1989年 科学技術庁原子力局長。
小林 義明(こばやし よしあき、1936年9月8日 - )は… 小林 義明(こばやし よしあき、1936年9月8日 - )は、日本の元映画監督・プロデューサー。主に特撮テレビドラマ作品を手がける。東映に所属していた。株式会社自由メディア代表。 1952年 東京教育大学附属中学校(現・筑波大学附属中学校)卒業。1955年 東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。1960年 日本大学藝術学部を卒業後、東映東京撮影所に入社。 佐伯清に師事し、社員監督の立場で数々の作品に携わる。最初に助監督としてついた作品は片岡千恵蔵主演の『二発目は地獄行きだぜ』(1960年1月27日公開)、デビュー作品は1966年のテレビドラマ『刑事さん』。その後、労働組合の幹部になったことから2年ほど労働を禁じられていたが、労使交渉により復帰し、吉川進プロデューサーの招きにより、1978年の『スパイダーマン』より特撮作品の演出に進出。
豊田 彰(とよだ あきら、1936年9月8日 - )は、日本… 豊田 彰(とよだ あきら、1936年9月8日 - )は、日本の物理学者、翻訳家、茨城大学名誉教授。 愛知県生まれ。1964年名古屋大学大学院理学研究科物理学博士課程修了、「弱い相互作用におけるボゾン極近似と中間ボゾンについて」で理学博士。茨城大学教養部講師、助教授、教授。2000年定年退官、名誉教授。1993年『青春 ジュール・ヴェルヌ論』で日本翻訳出版文化賞受賞。ミシェル・セールの著作を数多く翻訳した。
宗近 晴見(むねちか はるみ、1936年〈昭和11年〉9月8… 宗近 晴見(むねちか はるみ、1936年〈昭和11年〉9月8日 - 2025年〈令和7年〉7月31日)は、日本の男性俳優、声優。本名は北村 克己。東京都出身。身長170cm、体重72kg。血液型はB型。最終所属はヘリンボーン。 明治大学文学部卒業。俳優座養成所7期卒業。1958年4月に劇団新人会に入団し、1960年10月まで在籍。1961年5月に新劇場に入団。その後、エヌ・エー・シー、芹川事務所、大沢事務所に所属していた。 2010年代以降は仕事量を抑える傾向にあり、映像作品への出演は2011年のテレビドラマ『坂の上の雲』第3部が、舞台を含めると、2014年の舞台『赤い糸、みぃつけた。』が最後の仕事となっている。
東 郷幸(あずま さとゆき、1935年9月8日 - )は、三… 東 郷幸(あずま さとゆき、1935年9月8日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(捕手)。 上野高校から1954年に大阪タイガースへ入団。 一軍試合に出場することなく1955年に退団し、翌年から天王寺鉄道管理局に所属し都市対抗野球大会に出場。 1960年に国鉄スワローズでプロへ復帰し、1963年に引退した。
二宮 政昭(にのみや まさあき、1934年9月8日 - )は… 二宮 政昭(にのみや まさあき、1934年9月8日 - )は、愛媛県西宇和郡三瓶町(現:西予市)出身の元プロ野球選手(外野手)。 愛媛県立八幡浜高等学校から1953年に大映スターズへ入団。 1956年オフに大洋ホエールズへ移籍し、1958年に引退した。
原田 榮進(はらだ えいしん、1933年9月8日 - )は、… 原田 榮進(はらだ えいしん、1933年9月8日 - )は、日本の造園家。特定非営利活動法人日本ガルテン協会会長。社団法人日本経営士会正会員、社団法人日本建築学会正会員。 福岡県福岡市生まれ。 宗左近にフランス文学、松下圭一に政治学を学ぶ。法政大学卒業。 人間行動研究会(HB研)代表として企業で働く人々の心と行動を研究。 25年に亘り丸の内「日本工業倶楽部」において、月例会を主宰、月刊誌「HB研レポート」を発行。 1970~95年、中国各地、東南アジア、中央アジア、アメリカの他、東欧、北欧をはじめヨーロッパなど世界各地を調査研究。とくにシルクロード、中国へは十数回調査敢行。 日本庭園学会正会員。
松山 照夫(まつやま てるお、本名:同じ、1932年9月8日… 松山 照夫(まつやま てるお、本名:同じ、1932年9月8日 - )は日本の俳優。北海道深川市出身。北海道深川西高等学校卒業。特技は囲碁(4段)。 1955年、舞台芸術学院卒業後、劇団中芸に入団。初舞台は『松川事件』の赤間役。1956年、今井正監督の『真昼の暗黒』での犯人役で映画界にデビュー。以降も舞台を中心に、各社の映画作品に味のあるバイプレイヤーとして出演。1958年に風船ぐるーぷを結成。その後は東京俳優生活協同組合、東京演劇アンサンブル(旧 - 劇団三期会)、独立企画に所属していた。1970年代からはテレビドラマに活躍の比重を置き、時代劇や刑事アクションドラマのチンピラヤクザなど、江幡高志にも通じる小悪党的な悪役を様々に演じた。
加藤 元(かとう げん、1932年9月8日 - )は、神戸市… 加藤 元(かとう げん、1932年9月8日 - )は、神戸市出身の獣医師。長年に亘り最先端の米国の小動物獣医学と教育を紹介。日本における小動物病院のレベル向上と継続教育を提唱。ヒューマン・アニマル・ネイチャー・ボンド(人と動物と自然を科学的に大切にする)の理念の普及と活動を推進。 兵庫県立兵庫高等学校、北海道大学獣医学部卒後、1956年神戸市立王子動物園の獣医師となり、1964年に東京へ。一般的に獣医と言えば「馬のお医者さん」であった時代に、身近な犬や猫を診る獣医を目指しダクタリ動物病院を開業。 海外との交流にも積極的で、1973年のカンザス州立大学をかわきりに、コロラド州立大学(英語版)、カリフォルニア州立大学、フロリダ州立大学客員教授を歴任、現在もコロラド州立大客員教授をつとめている。
西脇 良一(にしわき りょういち、1932年9月8日 - … 西脇 良一(にしわき りょういち、1932年9月8日 - 2024年5月2日)は、日本の経営者。阪神銀行(現在のみなと銀行)頭取を務めた。 兵庫県神戸市須磨区出身。1955年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に神戸銀行に入行した。1984年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1990年3月に専務を経て、1991年6月に阪神銀行顧問に就任し、同年6月には頭取に昇格。1996年6月に取締役相談役に就任し、2000年6月に相談役を経て、2002年6月には顧問に就任。 2024年5月2日、肺炎のため神戸市灘区の老人ホームで死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
仲俣 申喜男(なかまた のぶきお、1932年9月8日 - 2… 仲俣 申喜男(なかまた のぶきお、1932年9月8日 - 2017年12月3日)は、富山県生まれの現代音楽作曲家。 東京大学文学部卒業。作曲を間宮芳生、清瀬保二、オリヴィエ・メシアンに師事。1964年に同門の宗像和とグループ野火を結成。日本音楽集団、現代の音楽展(主催:日本現代音楽協会)などで作品を発表。寡作家ながら、独自性溢れる清新な作風で注目を集める。特に、伝統楽器に対する斬新なアプローチは高い評価を得、邦楽器作品に携わる多くの作曲家たちに多大な影響を与えた。近年では、鳥の歌の研究に基づく作品を多く手掛けている。 現在、日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、日本野鳥の会各会員。 鳥の歌の研究につづいて<風の鳥>シリーズ以降、次のような作品中に、さまざまな形でそれら鳥の声・歌が聞かれる。
杉浦 康平(すぎうら こうへい、1932年9月8日 - )は… 杉浦 康平(すぎうら こうへい、1932年9月8日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、アジアの図像学研究者、神戸芸術工科大学名誉教授、同大学アジアンデザイン研究所(RIAD)所長。 意識領域のイメージ化で多元的なデザイン宇宙を切り開き、レコードジャケット、ポスター、ブックデザイン、雑誌デザイン、展覧会カタログデザイン、ダイアグラム、切手などの第一線で先端的かつ独創的な活躍を展開。また、「マンダラ 出現と消滅」展や「アジアの宇宙観」展、「花宇宙・生命樹──アジアの染め・織り・飾り」展など、アジアの伝統文化を展覧会企画構成および斬新なカタログデザインで紹介するとともに、マンダラ、宇宙観を中核とする自らの図像研究の成果を『かたち誕生』ほかの幾多の著作をとおして精力的に追究している。
落合 治(おちあい おさむ、1931年9月8日 - )は、日… 落合 治(おちあい おさむ、1931年9月8日 - )は、日本の射撃競技(ピストル種目)選手。京都府警察所属の警察官。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピックに出場。福井県出身者としては初のオリンピック選手である。 現在の福井県越前市今立地区出身。福井県立武生高等学校卒業後、1950年に警察予備隊に入隊。任期満了後、京都府警察の警察官となる。射撃訓練で頭角を現し、京都府警の代表として警察官の全国大会で個人優勝を果たすと、国際大会に派遣する強化指定選手に選ばれる。1960年ローマオリンピックでは、現地入り後に競技規則の改訂に気づき、調整してあったグリップを削ることを余儀なくされ、35位。
川口 節子(かわぐち せつこ、1931年〈昭和6年〉9月8日… 川口 節子(かわぐち せつこ、1931年〈昭和6年〉9月8日 - )は、1950年代前半に活動した日本の元女優。群馬県桐生市出身。夫は元俳優の波島進、長女は同じく元女優の小倉加代。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
榊原 宣(さかきばら のぶる、1931年9月8日 - 202… 榊原 宣(さかきばら のぶる、1931年9月8日 - 2025年3月25日)は、日本の外科医。順天堂大学名誉教授。専攻は消化器外科学。 岡山県岡山市生まれ。父は榊原亨、榊原仟は叔父。1956年岡山大学医学部卒、1961年同大学院博士課程修了、医学博士。岡山大学附属病院医師、1966年東京女子医科大学助教授、1974年教授、同第二病院長、1987年順天堂大学教授(外科学第一)、岡山市病院事業管理者を経て、順天堂大学名誉教授、社会医療法人社団十全会名誉理事長。 2002年日本医師会最高優功賞、2008年山陽新聞賞受賞、2011年春、瑞宝小綬章受勲。 2025年3月25日、老衰のため死去した。93歳没。
須川 栄三(すがわ えいぞう、1930年〈昭和5年〉9月8日… 須川 栄三(すがわ えいぞう、1930年〈昭和5年〉9月8日 - 1998年〈平成10年〉10月2日)は、日本の映画監督、脚本家。代表作に『野獣死すべし』『君も出世ができる』『蛍川』など。 大阪府大阪市西区新町で石綿(アスベスト)製造販売業の家に生まれ、旧制大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)を経て、1953年(昭和28年)東京大学経済学部を卒業し、東宝に入社。映画界入りのきっかけは、終戦直後の日本に大量に輸入された外国映画の洗礼を受けたことだった。 助監督時代に執筆したシナリオ『危険な英雄たち』が、1957年に鈴木英夫監督、石原慎太郎主演によるピカレスク(悪漢小説)・ドラマ『危険な英雄』として製作・公開され、シナリオも書ける助監督の有望株として評価を受ける。
石川 一成(いしかわ かずしげ、1929年9月8日 - 19… 石川 一成(いしかわ かずしげ、1929年9月8日 - 1984年10月23日)は、昭和時代の歌人・高等学校国語科教諭(神奈川県立厚木高等学校教頭)。竹柏会「心の花」編集委員。 千葉県佐原市に生まれる。旧制東京文理科大学漢文学専攻科を卒業。在学当時から歌人佐佐木信綱に師事。1950年竹柏会に入会し、後に歌誌「心の花」編集委員に就任。神奈川県立藤沢高等学校を経て、1954年から1972年まで神奈川県立湘南高等学校国語科教諭を歴任。神奈川県立総合教育センター国語研究室在職中に中華人民共和国四川省重慶市の四川外語学院に派遣され、同校で2年間、日本人として初めて日本語教師を務めた(1979年から1981年まで)。
五十嵐 喜芳(いがらし きよし、1928年9月8日 - 20… 五十嵐 喜芳(いがらし きよし、1928年9月8日 - 2011年9月23日)は、日本の声楽家(テノール歌手)。マネージメント協力はジャパン・アーツ。 日本オペラ振興会の常任理事、昭和音楽大学学長、宝塚音楽学校のカリキュラム編成アドバイザー(声楽)などを歴任し、日本におけるオペラ発展に尽力した。また、音楽活動のみならず、TBSのワイドショー『3時にあいましょう』の司会やドラマ『コメットさん』に出演し幅広く活躍した。
寺村 秀夫(てらむら ひでお、1928年9月8日 - 199… 寺村 秀夫(てらむら ひでお、1928年9月8日 - 1990年2月3日)は、日本の言語学者・日本語学者。専門は日本語文法。 兵庫県揖保郡龍野町(現・たつの市)生まれ。 1950年に大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)英米科を卒業。1953年に京都大学法学部を卒業。1963年にハワイ大学大学院修士課程を修了。 1965年4月から1968年7月まで大阪外国語大学専任講師、留学生別科で日本語教育に従事。1968年8月から1974年1月まで同大学助教授、1968年9月から1970年8月までカンザス州立大学東洋言語文学科客員助教授を兼任。1974年2月から1979年3月まで同大学教授。1979年4月から1987年5月まで筑波大学文芸・言語学系教授。
佐藤敏夫(さとう としお、1928年〈昭和3年〉9月8日‐?… 佐藤敏夫(さとう としお、1928年〈昭和3年〉9月8日‐?)は、日本の弁護士、元・検察官、元・裁判官。元・北海道武蔵女子短期大学教授。北海道出身。札幌弁護士会所属。 1951年北海道大学法文学部卒業。同年、司法試験合格。1954年札幌地方検察庁検事。1954年旭川地方検察庁検事。1957年札幌地方裁判所岩見沢支部判事補。1961年東京地方裁判所判事補。1964年札幌地方裁判所判事補を経て、1968年札幌高等裁判所判事を経て、裁判所を退官。1969年弁護士登録。1970年北海道武蔵女子短期大学教養学科教授(~1983年)。1985年北海道弁護士会連合会理事長。また日本弁護士連合会副会長も兼職。その後、2006年ごろ逝去 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
佐復 良一(さまた りょういち、1927年9月8日 - 没年… 佐復 良一(さまた りょういち、1927年9月8日 - 没年不明)は、群馬県出身のプロ野球選手。 桐生工業、桐生大同レーヨン、福島日東紡を経て1950年に国鉄スワローズへ入団。同年に退団。 引退後は桐生OB野球クラブの代表を務めた。
岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - … 岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - 2004年8月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。新潟県議会議員(6期)。新潟県議会議長。長男は、新潟県議会議員の岩村良一。 新潟県北蒲原郡(現在の新発田市)出身で、新発田中学校を経て17歳の時に予科練に志願。1953年、法政大学法学部卒業。渡邊良夫衆議院議員の秘書を務め、第2次岸内閣で厚生大臣に任命されたときは、大臣秘書官を務めた。 1967年から新潟県議会議員を6期務め、副議長と議長を各1年務めた。自民党新潟県連の幹事長だった1989年には、君健男が癌のため新潟県知事を辞職したのに伴って多数の同党県議から推されて知事選への立候補の意思を表明したが、後に金子清への候補者一本化に同意した。
松中 昭一(まつなか しょういち、1927年9月8日 - 2… 松中 昭一(まつなか しょういち、1927年9月8日 - 2014年3月20日)は、日本の農学者。 三重県出身。大阪大学工学部発酵工学科卒、同大学院博士課程満期退学、1961年東京大学農学博士。農林省農業技術研究所技官、生理遺伝部生理第1科生理第6研究室長、所長、1978年神戸大学農学部教授、1991年定年退官、名誉教授、関西大学工学部教授。1988-1989年日本雑草学会会長。日本農薬学会会長、日本学術会議会員。日本農薬学会業績賞(1978年)、アメリカ雑草学会名誉賞(1983年)、日本農学賞(1988年)、科学技術庁長官賞(1997年)、1998年紫綬褒章受勲。
高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日… 高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日本の俳優。本名、道下 真二。 東京俳優生活協同組合、芸峰制作、ワシオ企画、鳥プロを経て、大木由美子オフィスに所属していた。 大阪府大阪市出身。呉服屋を営む父と母の二男四女の次男。関西大学経済学部卒業。大学在学中の1948年、劇団制作座を結成し、中心俳優として『三人姉妹』『罪と罰』『ルノアール群島』などに出演する一方、ラジオドラマ、テレビドラマにも出演。映画にも劇団の資金集めのため、『江戸っ子野郎と娘たち』(1960年、第二東映)を皮切りに各社の作品に助演した。制作座はのちに解散し、関西芸術座の創立メンバーを経てフリーとなる。 テレビドラマでは、NHK大河ドラマ『太閤記』(1965年)、『新・平家物語』(1972年)、『元禄太平記』(1975年)や、特撮テレビドラマ『忍者キャプター』(1976年)などにレギュラー出演した。
藤井 昭平(ふじい しょうへい、1927年(昭和2年)9月8… 藤井 昭平(ふじい しょうへい、1927年(昭和2年)9月8日 - 2019年(令和元年)10月17日)は、日本の教育者。 岡山県川上郡川上町(現在の高梁市)生まれ。岡山師範学校(現岡山大学教育学部)卒業後、公立学校教職(小学校教諭、中学校教諭)に就く。その後、岡山県教育委員会教育次長として、長年にわたり、県の教育行政に携わる。社会福祉法人旭川荘江草安彦理事長を補佐し、旭川荘の理事、顧問として、医療福祉事業に携わる。旭川荘関連施設「老人保健施設ひだまり苑」役員等。 趣味は、散歩、読書、囲碁(関西棋院3段)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上田 誠吉(うえだ せいきち、1926年9月8日 - 200… 上田 誠吉(うえだ せいきち、1926年9月8日 - 2009年5月10日)は、日本の弁護士。社会運動にも積極的にかかわった。 兵庫県神戸市生まれ。1929年東京へ転居し、1933年麹町小学校に入学。その後、旧制武蔵高等学校尋常科・高等科を経て、1948年東京大学法学部卒。在学中に兵役、敗戦を迎える。50年弁護士登録、東京弁護士会、自由法曹団に加わる。メーデー事件や松川事件、白鳥事件などで弁護を担当。宮澤・レーン事件についての著作もある。74-84年自由法曹団団長。 父は内務官僚の上田誠一。地球物理学者の上田誠也は弟。
一力 一夫(いちりき かずお、1925年(大正14年)9月8… 一力 一夫(いちりき かずお、1925年(大正14年)9月8日 - 2014年(平成26年)7月20日)は、日本の実業家。ジャーナリスト。河北新報社社主。 河北新報社元社長である一力次郎の長男として宮城県仙台市に生まれる。 1950年(昭和25年)河北新報入社。編集局長時代には自らが隊長となり同行記者3名と共に、「人類初の地球縦断大ドライブ」を敢行。それにより日本新聞協会ボーン・上田記念国際記者賞を受賞する。1970年(昭和45年)には、父の逝去により社長・社主に就任する。その後、東北放送社長就任に伴い、会長・社主に就任した。 好角家としても知られ自宅には大相撲の座布団が多数あったという。日本相撲協会横綱審議委員会委員(1988年-2001年)、第8代の委員長(1999年-2001年)も歴任した。
早坂 啓(はやさか けい、1925年(大正14年)9月8日 … 早坂 啓(はやさか けい、1925年(大正14年)9月8日 - 没年不明)は、日本の銀行家。德陽シティ銀行社長を務めた。 早坂順一郎・ともよの長男として、現在の大崎市古川(旧・古川市)で生まれる。 古川高等学校、東海科学専門学校を卒業。1950年に三徳無尽に入社。翌年の相互銀行法の施行に伴い、三徳無尽は「德陽相互銀行」に改称した。入行後、経理、業務各課長、業務部次長を歴任し、1962年4月取締役に選任される。その後、常務、専務、副社長を経て、1980年1月社長に就任した。このほか、東北放送、仙台空港ビル、宮城県開発の各取締役、仙台商工会議所副会頭、仙台経済同友会副代表幹事も務めている。 啓が社長に就任した頃の德陽相互銀行は、東北の相互銀行界ではトップに位置し、全国でも資金量(1986年3月末現在6187億円)では18位で上位グループに属した。
堺 左千夫(、1925年〈大正14年〉9月8日 - 1998… 堺 左千夫(、1925年〈大正14年〉9月8日 - 1998年〈平成10年〉3月11日)は、日本の俳優。東京都出身。本名は阿部 幸男。新星プログループに所属していた。 1925年9月8日、東京市の電気商の息子として生まれる。東京市立浅草工業専修学校卒業。 第1期東宝ニューフェイスの試験に合格し、東宝に入社。三船敏郎、伊豆肇とは同期である。 1947年、黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』でデビュー。以降、黒澤、岡本喜八、稲垣浩ら、東宝の監督の作品に常連として多数出演。若大将シリーズの敵役「赤まむし」役などの脇役俳優として知られる。飄々とした演技を得意とした。 撮影所仲間からは「ブーちゃん」の愛称で親しまれた。
田原 隆(たわら たかし、1925年9月8日 - 2012年… 田原 隆(たわら たかし、1925年9月8日 - 2012年9月9日)は、日本の官僚、政治家。法務大臣(第54代)、自由民主党衆議院議員(6期)を歴任した。位階は従三位。 大分県田原村 (現杵築市) 生まれ。九州大学工学部土木工学科を卒業し、1949年に建設省に入省した。1979年に退官する。 1979年、第35回衆議院議員総選挙に旧大分県第2区から無所属で出馬し、初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。その後自由民主党の党友組織である自由国民会議を経て自民党に入党し、追加公認を受けた。以後当選6回。